- 公演日程 2026年7月10日-8月1日(東急シアターオーブ 渋谷)
- 公式フライヤー 舞台フライヤーPDFリンクはこちら
- 映画へのカムバックの夢に浸るノーマの悲痛な名曲「As If We Never Said Goodbye(さよならなんてなかったみたいに)」
- ノーマの愛人となった年下の脚本家ジョー・ギリスの混乱を歌うナンバー「Sunset Boulevard(サンセット大通り)」
- ノーマに付き従う執事マックスの重厚な語りの曲「The Greatest Star of All(誰よりも偉大なスター)」と「New Ways to Dream (Reprise)(新しい夢の見方(再唱))」
- 結末部 執事マックスの手の中の拳銃と「クローズアップ」の瞬間
世間から忘れ去られた往年のハリウッドの大女優が、再起の夢に狂い、彼女に雇われた若い脚本家の男にのめりこんでいく悲劇を描いた映画「サンセット大通り」(1950)のミュージカル版が、「オペラ座の怪人」の初代クリスティーヌ役でも名高い「世界の歌姫」サラ・ブライトマン主演で上演されている。
特に後半の迫力は凄まじく、クライマックスでは「針の落ちる音さえ聞こえる」ほどの静寂の中、観客の心を完全に掴んでいた。
終演後には惜しみないスタンディングオベーションが巻き起こり、客席の反応からもリピーター(あるいはこれからリピーターになろうとしている人)の多さが伺える、見ごたえある舞台だった。
1950年代のハリウッド。若き脚本家ジョー・ギリス(ティム・ドラクスル)は、脚本の売り込みに苦戦し、借金のかたに車を差し押さえられる寸前まで追い詰められていた。
ある日、借金取りに追われた彼は、カーチェイスの果てに高級住宅街、サンセット大通りのある邸宅に迷い込んだ。
そこは、サイレント映画時代の大女優ノーマ・デズモンド(サラ・ブライトマン)の屋敷で、彼女と執事のマックス(マイケル・コーミック)のほかには誰も住まない、過去の栄光に閉じ込められた幽霊屋敷のような場所だった。
ノーマはもう20年も映画に出演していなかったが、映画への「帰還」の執念に燃えていた。自分が書いた、美しく残酷な16歳の乙女「サロメ」を演じる物語を売り込むため、ジョーを雇ってその壮絶で退屈な物語を脚本化しようとするノーマ。報酬目当てに、ノーマに言われるがまま、打算的に作業をするジョー。
だが、聖者に焦がれるあまりその首を欲したサロメを、今でも自分自身が演じられると信じて疑わないノーマのジョーを見つめる目は、次第に異様な熱を帯びていく。
1,映画へのカムバックの夢に浸るノーマの悲痛な名曲「As If We Never Said Goodbye(さよならなんてなかったみたいに)」
映画を非常に忠実にミュージカル化したこの作品の最大のオリジナリティ、そしてもっとも痛切な名場面で歌われる曲。
映画への夢をあきらめていないノーマは、ジョーの助けを借りて、「サロメ」の脚本を書き上げ、かつて何本も全盛期の彼女の映画を撮った巨匠、デミルへと送った。
その後、スタッフから連絡を受けたノーマは、ついに出演オファーが来たと意気込んで映画スタジオに乗り込んでいく。
ベテランの照明係は、彼女のことを忘れていなかった。椅子に腰を下ろしていたノーマに向けて、「ノーマさん!照らしますよ!」という頭上からの温かい声とともに、スポットライトが彼女に降り注ぐ。
一瞬たじろいだが、ノーマの顔は、その光に不安を洗い流されるように、みるみるうちに覚醒し、恐れなど何も知らなかった頃の大女優の誇りを取り戻して歌い出す。
「この場所の空気を吸い込まなくちゃ、私の魂の底まで
(I need to breathe the air in here, it's deep inside my soul)」
「魔法が生まれようとしているわ、そう、なにもかもあの頃のまま、まるでさよならなんて言わなかったみたいに。私たちは世界に新しい夢の見方を、教えてあげたの
(We'll have magic in the making Yes, everything's as if we never said goodbye
We taught the world new ways to dream)」
サラのソプラノは柔らかく、まるで夢の中のようで、ノーマだけではなく、名匠デミル、彼女の車を丁重に通した門番、最高のスポットライトを当てた照明係など、サイレント映画時代の彼女の輝きを心から愛し、映画が『人々に新たな夢の見方を与える芸術』であった頃の、幸福な記憶を抱く人々の思いまでも、宿っているかのようだった。
(サラ・ブライトマン「As If We Never Said Goodbye」の動画)
事態を知って青ざめた巨匠デミルは、ノーマに事実を告げられないまま彼女を帰してしまい、これが悲劇の引き金となる。
この場面の陰の「名演」はノーマに静かに降り注いだ「天使の梯子」の光だ。
(光のうちの一筋は、観客席奥からすうっと伸びて我々の頭上で透き通って光り、観客の視線とノーマの魂をつなぐ)
映画版では心優しい照明係のホグアイの笑顔とともに、ノーマを上からの光で浮かび上がらせるような「面」の表現だったあの名場面は、ミュージカルでは「舞台の天井からステージの板」、そして「劇場の奥からステージまで」という空間を大きく貫く表現に変容している。
(この劇場全体を上下前後に貫く、大きな光の軌跡が「天からの救い」のような神聖さそのものとなる)。
しかし、この優しい光は、ノーマが結末で浴びる「クローズアップ」を捉える光と表裏一体で、意味を翻して最後に帰ってくる。そしてここで響く、照明係がスポットライトを点灯する大きな金属音も、運命そのものからの声のように、結末の重要な伏線となっている。
サラのノーマは、作品として完璧に完成された映画のグロリア・スワンソン、そしてミュージカル版の伝説と言われたグレン・クローズに似ているかと言えば、そうではない。
彼女たちの、映画への執念で鬼女と化した殺気が、サラにはない。
しかし、それはサラのノーマが迫力不足だということではない。
サラの夢見る小鳥のさえずりのような声は、ノーマが永遠に少女のまま、サイレント映画黄金期の空気の中で、時を止めてしまった魂を感じさせる。
彼女が映画から見捨てられたのは30歳のときでも、彼女は一度もその年齢にさえ心がたどり着いたことはなかった。
そして、そこからさらに20年も経った今も、幻の中で羽を休められずにさすらっている。
この痛ましい、夢見る心は、従来の「鬼女ノーマ」よりも、むしろ、刑事コロンボの最高傑作「忘れられたスター」(1975)の犯人、グレースに通じるものがある。(※1)
若く美しかった頃の幸福な幻影を追い続ける、瀕死の白鳥のような彼女。その魂を、かつてのミュージカルパートナーであったネッドをはじめ、登場人物の男たちは(コロンボでさえも)、守ろうとせずにはいられなかった。
サラのノーマが漂わせるのも、まさにこの「永遠に少女のまま根を絶たれ、色あせていく儚さ」だ。だからこそ、なぜジョーが彼女を見捨てきれなかったのか(ジョーは彼女に恋をしないが、それでも「朽ちていくバラの香り」をノーマに感じている(※2))、そしてなぜ執事マックスが人生を賭けて彼女を守ろうとしたのかという、男たちの選択の重みに、説得力が宿る。
彼女がグレン・クローズら過去のミュージカル女優の「大女優であり続けようとして鬼女となった女の凄絶な執念」とは異なる解釈、「永遠の乙女『サロメ』の魂」を演じたのではないか。そう観客に強く確信させるのが、彼女の『足元』の演出だ。舞台上のサラ・ノーマは、重要な場面の多くで裸足(あるいは極めて薄い靴)に見える。
舞台上での裸足(あるいはそれに近い足)は、サラ・ブライトマン自身の表現者としてのトレードマークで、おそらく大地を感じることで全身が根を張り、声のエネルギーにつながるという発声のための選択なのだろう。
しかし、この舞台では、ジョーへの恋心が拒絶され、死を選ぼうとした彼女が豪華なソファにその素足を投げだす姿や、結末で自分がサロメを演じているという幻影にとらわれたまま階段を下りてくるシーンで、大女優なら邸内で履いているべき優美な靴を忘れた足が、観客の目に違和感を残す。
映画版のスワンソンは自殺未遂の床で、履いていたミュールをジョーに脱がされ、結末のサロメの狂気の舞の中で初めて裸足になっている。だがサラのノーマは、あの場面で自ら無防備な足を晒している。絢爛たる宝石箱のような衣装に閉じ込められ、大女優の幻想の怪物と化したグレン・クローズとも異なり、サラの足元はどこまでも無防備だ。
▲ ギュスターヴ・モロー『出現』(1876年)。豪奢な装身具を身にまといながらも裸足でつま先立ち、幻影の首を見つめるサロメの姿は、ラストシーンで「サロメ」と化すノーマと重なる。Photo: Wikimedia Commons (Public Domain)
あの白い素足は、映画と若き日の自分の美しさに焦がれるあまり、永遠に少女から脱却できなかったノーマの、現実からの遊離を思わせる。
鬼となったノーマが一人で周囲の人間を喰らい、世界を壊していく姿に息を呑むか、それとも、夢を追って舞い上がり、二度と地に足をつけることができなかった少女のようなノーマ、そして彼女ともに滅びていく人々が織り上げる、悲しいアンサンブルに沈黙するか。
サラの新しいノーマ像は、後者の世界観を示し、ノーマからついに逃れられず、そして離れられなかった二人の男の感情の重力をより際立たせていた。
(※1)『刑事コロンボ完全捜査ブック』(監修:町田暁雄 2015 宝島社p.96)では「忘れられたスター」が内容的に映画版「サンセット大通り」を強く意識していることが指摘されている。
(※2)「New ways to dream」映写機で古い作品を観ているときのジョーの歌詞
2,ノーマの愛人となった年下の脚本家ジョー・ギリスの混乱を歌うナンバー「Sunset Boulevard(サンセット大通り)」
Sunset Boulevard, twisting boulevard
Secretive and rich, a little scary
Sunset Boulevard, tempting boulevard
Waiting there to swallow the unwary
サンセット大通り 捻じれた大通り 秘密だらけ絢爛豪華でひそかに不気味な
サンセット大通り 魅惑の大通り 油断した奴を飲み込もうと待っている
ノーマの執着から逃れられず、彼女の家のプールサイドで、カクテルを傾け、豪華な暮らしをしながら、何一つ自分の手でつかんだものではない。
それどころか魂も肉体もノーマに囲いこまれてしまったジョーの自嘲と焦燥を、プールの水面と観客の胸に叩きつけるような歌声。
ジョーはもともとプロの割り切ったジゴロではない。
借金取りに追われて偶然ノーマの屋敷に迷い込み、ノーマが再起をかけて自作する脚本「サロメ」の手直しを手伝ううちに、彼女に取り込まれてしまっただけ。野心の強いハリウッドの中では「ごく普通の男」だった。
しかし、ジョーが、ノーマの愛に気付いて逃げ出そうとした直後、ノーマが起こした自殺未遂を知り、彼は彼女のもとに駆け戻ってしまった。
And if I'm honest, I like the lady I can't help being touched by her folly
正直に言えば、彼女のことが嫌いじゃない、あの愚かしさに心を動かされてしまう
I never meant to hurt you, Norma. You've been good to me
You're the only person in this stinking town that's ever been good to me
ノーマ、君を傷つけるつもりなんてなかったんだ。君は僕に優しくしてくれた
この反吐が出るような街で、優しかったのは君だけだった
(前半最後の曲「New Year’s Eve (Back at the House on Sunset) より」)
何も現実が見えていないにもかかわらず映画へと戻ろうとあがくノーマの執念に、創作者として魅了されるジョー。そして彼は、この街で才能やプライドをすり減らしていた自分を、ただ一人全身全霊で愛してくれたのがノーマだけだったという事実を、どうしても忘れることができない。
「She was sinking fast, I threw a rope(彼女はみるみる沈んでいき、僕はロープを投げた)」
「Still I'll enjoy a hearty meal Before tomorrow's execution(豪勢な食事を楽しむとしよう 明日の死刑執行が来る前に)」
ノーマを見捨てられなかったジョーの憐れみが、彼女の狂気、そして彼自身の貧しさや心の飢えと絡まり合う。ノーマに投げたロープが彼自身を縛り、首にかけられ、じりじりと輪を締めていく、その破滅までの猶予を、ただ享楽的に生きるしかない。
ティム・ドラクスル (Tim Draxl)の歌声は響きが澄んで青年の一途さを感じるのに、だからこそ自分を許せない、自暴自棄の焼けただれてひりつくような魂の荒廃を、その声量で観客の心臓に転写させる。これ以上はない、映画版を超えるほどに、ジョーの悲劇性と魅力を表現し、観る者の心を完璧に掌握していた。
(ティム・ドラクスル「Sunset Boulevard」の動画)
【小声の告白枠】
格調を一気に暴落させて申し訳ないが、実はこのとき、
「なんて素晴らしい迫力!この激しい葛藤をどんな表情で歌っているのかしっかり観たい……!」
とオペラグラスで覗いたら、ジョー役のドラクスル氏のプールサイドでシャツの前がはだけた中身が「鍛え抜かれた胸板、腹筋バキバキ見事なシックスパック」なのがしっかり見えてしまって「ん゛ん゛っ⁉ゲホゴホ⁉」と眼球がむせた(「刺激が強すぎた」と言いたいらしい)。
「い、いや次こそは、BBCの自然番組カメラマンが決定的瞬間をとらえるかのように、レンズをきっちり表情に向けるんだ、いいか角度を間違えるんじゃないぞ、みなさん、わたし、このために観劇に来たわけじゃないですからね⁉」
と脳内音速で言い訳しながら(歌終わっちゃうから)一度膝に置いたオペラグラスを再度上げたけれど、みんな演技に集中して一介の観客なんて気にしていないか、逆に「私のオペラグラスの中身なんて私と神にしか観えてないから言い訳のしようもない」ことを動揺しすぎて忘れていた。
「最低かお前」と自分でも思うけれど、これはこれで偽らざる観劇体験なので小声で書き残しておく。
(本当に申し訳ないと思ってるから枠で隔離した)
特に千秋楽、彼の熱演は「凄まじい」の一言だった。
オーストラリアから始まり、日本で幕を下ろす、およそ二年間に渡るこの公演の最後、声のリミッターから解放されたティム・ドラクスルの声は、一声一声の咆哮に閃光がほとばしり、観客の心臓はそのエネルギーに席でのけぞるほどに何度も跳ね上がった。
彼が歌い終わって拳を突き上げたとき、その沈黙を追いかけるように、拍手とブラボーの声が劇場全体に鳴り響いた。彼の渾身の声のエネルギーが、耳そして心臓に叩き込まれた観客の全身から、純粋に反作用として喝采が沸き起こった。
彼が繰り返しジョーを生きることで磨き上げたあの声に込めた感情を、観客がどこまで受け取れたかはわからない。けれど、確かに、観客たちの打ち鳴らす手と声は、あの歌に衝き動かされ、止まらなかった。
鳴りやまない喝采の中、拳を振り上げたまま、かすかに肩で息をする彼の目のふちが少しだけ赤らんでいるように見えた。
それは、ジョー・ギリスの悲劇を、劇場空間を揺るがすほどに完全に表現した、その感情の没頭のためだったのかもしれない、あるいは、長い海外公演の終わり、この歌の魂を振り絞りきったという終着点を、噛みしめていたからかもしれない。
あの目の光、それを縁取る血の気配、目の前の観客の熱狂を瞳に映し、全身に浴びながら、やり遂げたという男の顔は、あの千秋楽の最高潮の一つであり、私の劇場体験の中でも、一生忘れることのできない瞬間だった。
3,ノーマに付き従う執事マックスの重厚な語りの曲「The Greatest Star of All(誰よりも偉大なスター)」と「New Ways to Dream (Reprise)(新しい夢の見方(再唱))」
Once, you won't remember
If you said Hollywood
Hers was the face you'd think of
Her face on every billboard
In just a single week
She'd get ten thousand letters
君は知らないだろう、ハリウッドといえば、誰もが彼女の顔を思い浮かべた。すべての看板に彼女の顔があった。たった一週間で一万通のファンレターが届いた。
(「The Greatest Star of All」)
ノーマから逃れられなくなった自分を強烈に憎むジョー、だが一方で、生涯決してノーマから離れないと誓う男、それが執事マックスだった。
「君には想像できないだろう。彼女が胸に挿した花、数本の髪にさえも大金を払った男たち、彼女の影に触れたいと身を捧げたファン、今彼女は半ば忘れ去られている。だが映画が小さくなったのだ、彼女は今も生きる伝説、永遠に偉大なスターだ」
ノーマに「過去の人」を見る目を向けるジョーに、彼女がかつてどれほど美しく輝いていたかをマックスが語る曲。
マックス役のマイケル・コーミック(Michael Cormick)の歌声は厳かで恭しく、深いノスタルジーをたたえ、色あせた屋敷に過去のきらびやかさの名残を漂わせる。
ノーマのサイレント映画時代の作品を、彼女の求めるまま繰り返し上映し、ノーマがジョーとの別れに錯乱して手首を切ったときは必死で介抱したマックス。
このノーマに付き従う影は、常に彼女の輝きを一番近くで目に焼き付けてきた、絶対に切り離せない存在だった。
マックスがノーマの過去を語る「New Ways to Dream(Reprise) (新しい夢の見方・再唱)」は、ノーマが「As If We Never Said Goodbye(さよならなんてなかったみたいに)」で語る「私たちは世界に新しい夢の見方を教えてあげたの」という言葉と哀しく呼応している。
寄せては返す、まどろむ人が聴く波の音のような優しいメロディ。
彼は、ノーマの「いつまでもスターでいたい」という夢を、絶対に終わらせないと誓っている。
それがまさしく、もはやただの夢まぼろしでも、ノーマに現実を突きつけるわけにはいかない。
彼は、まだ16歳になったばかりのノーマに、映画という、まぶしすぎて目がくらみ、二度と現実に戻れない夢を見せたのが誰なのかを、誰よりも知っているから。
映画版「サンセット大通り」をすでに観た人間は、この映画にきわめて忠実なミュージカルで、マックスが真実として何を語るか、彼が歌い終えるよりも前に一言一句知っている。
それなのに、「ああ、ついに言う」と気づいている観客にさえ、あのマックスの告白を、初めて聞き、心臓を冷たい手でつかまれたように息を呑ませる声と間合い。
優れた俳優というのは、本当に恐ろしい。それをあの語りのような、抑えた歌声でやってのけるのだ。
(マイケル・コーミックが歌う「オペラ座の怪人」の動画(彼のパートは1:09〜)こちらは威風堂々とした声で、ファントムのロマンそのもの。マックスのミステリアスなキャラクターやストーリーの構成上、元々入っていないので仕方ないけれど、この方の歌ももっと聴きたかった)
彼の演技の繊細さは、スポットライトの外でさえ揺ぎ無かった。
ノーマがジョーと一緒に自宅の映写機で自分が主演した過去のサイレント映画を観る場面。
ノーマは自分の美しさと、その表情の演技が、音声の台詞なしでいかに完璧に物語を表現できたか、当時の映画が生まれたばかりの芸術としていかにみずみずしく、可能性に満ち溢れていたかを歌声で語り出す。
This was dawn. / There were no rules. / We were so young / Movies were born
So many songs / Yet to be sung / So many roads / Still unexplored
We gave the world / New ways to dream
あれは時代の夜明け、ルールなんて何ひとつ無い。私たちは皆若く、映画が産声を上げたばかりの時代。
まだ誰にも歌われていない歌が溢れ、誰も歩んだことのない道がまだ見ぬ世界へと広がっていた。私たちは捧げた。「新しい夢の形」を。
(New Ways to Dream)(※参照:パティ・ルポーンのノーマ役版歌唱リンク)
ジョーはこのノーマの歌に、朽ちてゆくバラの香り、目覚めさせてはいけない夢遊病者の折れそうな首の危うさを感じている。しかし、スポットライトの奥に目を向けたとき、そこにはまったく別の想いを抱く男が立っている。
かつてのノーマの完璧な美しさをとどめた映写機を回しながら、彼女の歌声がしみわたり、その美しく夢見る歌声の満ち引きに、かすかに頭を揺らすマックス。
(この、歌声に乗って、マックスの魂が時間と空間を超えて浮遊する光景は、サラの天上のソプラノこそが、ほかのどの歌手の声よりもふさわしい)
映写機の光が、古風なスタンドのビーズの房を透かし、綾なして広がる、その輝きを映す彼の瞳が、残照にうるみ、揺らめいているようにさえ見える、陶然としながら物悲しい表情。
この表情に気付いた観客は、彼がノーマに、そしてあの時代に抱く思いを知る。
そして、今、ノーマの命じるままに映写機を回しながら、過去の映像にすがるしかないノーマの後ろ姿に何を思うのか、思いを馳せずにはいられなくなる。
映画のマックスはジョーに決定的告白をするまで、何を思い、何者であるのか、あの真っ暗で憂鬱な瞳と所作からは、何もうかがい知れないが、この舞台での彼は、ノーマにひそかに恋をしている、そうはっきりとわかるシーンがある。
ジョーがノーマの執着に気付いて逃げ出したあと、絶望したノーマは手首を切って自殺未遂をする。
一命をとりとめたノーマをソファに横たわらせ、失意のノーマは裸足をソファに投げだしてぼんやりと座っている。
ノーマの、ただ角度が保たれ、かろうじて倒れない背中に、無造作に広がる豊かに波打つ髪、マックスの手は、それに伸ばされ、そして届かないうちに彼の胸元に引き戻される。その二度繰り返される、厳かで痛切な仕草。
それが彼の終わらない、愛しているからこそ押し殺すしかない恋を物語る。
「自分はノーマにとって空気のような存在。生存には不可欠だけれど、男として愛されているのはジョーであって、自分ではない」そう思い知っている男の。
これは映画にはない、おそらく他の舞台の解釈のマックスにもない演技だ。そしてサラ・ブライトマンの、裸足以上にアイコニックな、豊かに波打つ髪が、この仕草を生み出したのではないかと思う。
「オペラ座の怪人」のヒロイン、クリスティーヌのころから、サラと言えば、あの天上のソプラノの次に人々が思い出すのは、彼女の大きな瞳と、背を覆う長い髪だった。
あの結い上げない豊かな髪は、靴を忘れた裸足と同様、不滅の無垢を思わせる。
ラファエル前派と、その流れを汲むヴィクトリア朝時代の画家たちが、生涯引きずられるように魅了された、女が自分の魔性に気づかないうちに、男がひとりでに身を投げうって狂う美。
「君、黒い長い髪で縛られた時の心持を知っていますか」
(夏目漱石『こころ』十三)
漱石が『こころ』の中で語った、「恋は罪悪ですよ、よござんすか。そうして神聖なものですよ」という警句のそばの言葉。
ウォータハウスの描いた「無慈悲な美女(La Belle Dame sans Merci)」の、自分の長く豊かな髪を、騎士の甲冑の首に回し、むしろどこか男を不思議そうにすら見つめて引き寄せ、男が自ら屈してしまう瞬間。
La Belle Dame sans Merci/ John William Waterhouse(Wikipedia)
マックスの、ノーマの豊かな髪に触れようとしては落ちる手の動きは、あの「恋の罪悪と神聖に縛られた男の、苦しみと陶酔」を思い出させた。
ミュージックビデオ『The Music of the Night』の4分41秒、小舟の上で目を閉じるサラ・ブライトマンの姿は、夏目漱石が『薤露行』『草枕』でそれぞれ触れたウォーターハウスの『シャロットの女』やミレイの『オフィーリア』の活人画(タブロー・ヴィヴァン)のようだ。実際、彼女の元夫であるアンドリュー・ロイド=ウェバーは、この系譜に連なるヴィクトリア朝絵画の世界有数のコレクターでもあり、劇中の幻想的な美意識の根底に、そのコレクションの影響が色濃く反映されていることがうかがえる。
4,結末部 執事マックスの手の中の拳銃と「クローズアップ」の瞬間
映画版には存在しない、そしておそらくほかのミュージカル版にも今までなかったのではないだろうかという、マックスの悲劇的な姿。
それは、ノーマがジョーを射殺した直後に訪れる。
ジョーを撃ってしまったノーマに、駆け付けたマックスが手を伸ばし、彼女の手から拳銃を取る。
場面は移り変わり、大挙して押し寄せた報道陣は「往年の名女優ノーマの殺人と心神喪失」を邸宅から中継し、警察も捜査のために踏み込んでくる。
若い刑事は、証拠の拳銃を押収しようとしていた。だが、凍り付いた顔のマックスの、執事の白い手袋をはめた両手は、ジョーを殺した小さな拳銃を、まるで羽の折れた小鳥のようにずっと包み込んだままだった。
刑事は、指紋をつけないための白いハンカチ越しに、マックスの両手の指を一本ずつ慎重に開く。
マックスの顔は、まるで胸をゆっくりと切り開かれて、彼自身の心臓を取り出されるような痛みにゆがんだ。
守れなかった。
彼女の心臓が老いて止まるまで守るつもりだったのに、彼女を食い尽くす幻想と狂気から、彼女を守り切ることができなかった。
あの自分自身の鼓動の核を、痛烈な悔恨と敗北感とともに明け渡す顔は、その悲しみをひっそりと、観客の目から胸へ、涙のように波紋を広げていった。
「This was dawn…(あれは時代の夜明け)」
頭上からの夢見る声に、マックスははっと顔を上げた。
ノーマが階段の手すりに両手を広げて、切れ切れに歌っていた。
赤く透けた長衣に散った金の刺繍、金の房の絢爛豪華で妖艶な衣装をまとい、金色の華奢な冠をあの解き広げた髪に戴き、靴を忘れ。
顔は蒼白だが、血の涙が、まるで教会の殉教者の聖像のように、瞳から頬に幾筋も流れていた。
手すりの真下で銀色の髪の頭を上げ、ぴんと背を伸ばし、彼女を見つめていたマックスが、厳かに告げた。
「……マダム、カメラが到着しました」
「マックス……私は今どこにいるの?」
「宮殿の階段で、皆があなたの舞を待ちかねています」
彼女の人生を最期まで守ることはできなかった。
でも、今、この時始まった、彼女の人生の最期の演技は、守り抜く。
「ライト!カメラ!」
マスコミの人間たちが、マックスの鋭い声に呑まれたように従い、ノーマを照らし、映した。
マックス・フォン・マイヤリング監督。かつて巨匠デミルと共に天才と称えられ、ノーマへの愛のためにその立場を投げ捨てた男の声が、監督としてよみがえり、ノーマと共に何十年も演じた、幻想の最後の台詞を叫んだ。
「アクション!!」
優しく華麗な音楽に迎えられ、ノーマが階段を下りてきた、緩やかにうねる手足、血の涙にぬれたまなざし、その一つ一つが、サロメとして男たちを翻弄し、撮影班も、スクリーンの向こうの観客も魅了すると信じ切って。大きな四つのライトがこうこうと光るポータブルライトを掲げた男が、後ろ向きにすり足で少しずつ下りながら、その狂気のノーマを照らした。
まるで、美しさにたじろいで、後ずさり、かしずくように。
ノーマの裸足のステップが止まった。
彼が私を蔑んだとき
死なねばならないと分かっていた
銀の盆に載せられた彼の首に口づけをさせて
妥協か、死か
彼は最後の息が消えうせるまで戦い抜いた
彼の魂に降伏の文字などなかった
私と同じように、彼も屈することはできなかった
ついに自分の手に落ちなかった聖者ヨカナーン、その屈辱への復讐と、叶わなかった恋の歪んだ成就として、彼の美しい首を欲した乙女サロメ。
愛するがあまり自分が殺したジョーの影がその言葉を言わせたのか。だが彼女の魂は「大女優ノーマ・デズモンド」へと帰っていった。
「ああ、もう演技を続けられませんわ、幸せすぎて。デミル監督、少しお話しさせてくださる?」
マックスを前に、デミルの名を呼ぶノーマ。照明は床に伏せられ、ノーマは感激に浮かされながら語り出した。
再びスタジオに戻って映画を撮れることがどれほど素晴らしいか、言葉では言い尽くせません。
二度と皆さんの前からいなくなったりはしないと誓います。
これが私の人生。これまでも、これからもずっと。
他には何もないのです。私たちとカメラ、そして暗闇の中にいる素晴らしい大勢の方たち、それだけ
ノーマは顎をあげ、誇りに満ちた声で言った。
「さあ、デミル監督、クローズアップの準備はできたわ」
照明が掲げられ、四つのライトに目もくらむような法悦の表情を浮かべるノーマ、同時に無数のシャッターとストロボの音が鋭く響いた。デミルの撮影スタジオでは、照明係ホグアイから天使の梯子のように彼女を優しく照らした光が、今は彼女の血の涙に崩れた虚飾を暴く。その光に、音に、観客も全身を突き刺されて凍り付く。
誰も息ができない。音楽だけが空気を揺らす空間で、ノーマは再び舞った。赤と金の衣を炎のように翻し、あの白い素足を、解き放たれた野生動物のように閃かせ。片足立ちをして豪奢な衣装の裾からぴんとしなるつま先が、観客の視線を奪い取った。
「私は帰ってきた。在るべき姿へ。まなざしひとつで、私は私になれる」
天上に舞いあがるソプラノと、奈落へ落ちる音楽が壮絶にぶつかり合い、幕が下りる。
【参照】






![リトル・ダンサー [DVD] -](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/41Zy-tNyV-L._SL160_.jpg)

