2020年01月14日

(※ネタバレ)「この庭で宝石」(志村志保子さんの短編漫画)

(収録本、『女の子の食卓3』集英社 志村志保子作 2007年発行)

女の子の食卓 3 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)
女の子の食卓 3 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)



【作品あらすじ】※結末部までご紹介、ネタバレにご注意ください


 蓮見美鈴の隣のアパートに、地味で目立たない感じの女の子が住んでいた。

 二人は、道や、女の子の働く弁当屋で顔を合わせれば挨拶をする、それだけの間柄だった。


佐伯さゆみ -.png


 美鈴は華やかな雰囲気の美人で、男性からとてももてた、そして、美鈴は、彼らと同時に付き合っていた。


蓮見美鈴

蓮見美鈴 -.png


 職場の女性たちは、彼女を「美人だけど、そういう人」と、噂話の種にするだけ。

 昔から女の子とうまくいかない。それをわかっていた美鈴は、あの顔見知りの地味な女の子にも、自分から近づこうとはしなかった。



 あの夜までは。


 干していたキャミソールを、顔見知りの子のアパートの庭に落としてしまった美鈴は、遅い時間だったので、境目の塀を乗り越えて、こっそり拾いに行った。


 明かりがついていたので、あの子はまだ起きているのかと、ふと、窓に目をやった美鈴は、カーテンの隙間から見えたものに息を止めた。


 あの子が、ベッドに腰かけていた。

 質素な部屋の中、小柄で華奢な体に、美しい下着を身に着けて。


部屋の中のさゆみ -.png


あれは

なんというんでしたっけ?

スリー イン ワン?

レースの繊細なつくり

ペールブルーの色の美しさ

なんて

なんて

ゴージャスなんでしょう


 ベッドに置かれたほかの下着も、高価なものと一目でわかる。

 自分の握りしめたキャミソールがひどくみすぼらしく思えた。


 猫の鳴き声がして、女の子の顔が窓に向いた。慌てて部屋に駆け戻った美鈴。


  驚く美鈴 -.png



 階段を駆け上ったのとは別の動悸が止まらない。


なんなの!?

あのこ――




 次の日。


 美鈴は、弁当屋の前で、あの女の子をじっと待った。

 仕事終わりの彼女に駆け寄る美鈴。

 「こっ、こんばんはー。偶然ですねー、今、帰りですかー?」

 できるだけ、本当らしく聞こえるように、言った。


 帰り道、はじめてお互い自己紹介をした。

 女の子の名前は佐伯さゆみ。美鈴と同じ24歳。


 並んで歩くとよくわかる。美鈴より頭一つほども小さい。いつもと同じ、さえない服と、化粧っ気のない顔。


でも、その下に

宝石みたいな下着をつけてる

私は本当にドキドキしました


 あの下着の話を聞きたい。でも、どうやって切り出せばいいのか。


 「あ、そういえば、蓮見さん」

 さゆみがふいに言った。

 「昨日、うちの部屋のぞいてませんでした?」



 さゆみの部屋で、お茶を出され、美鈴はわけを話して謝った。

 さゆみは、気を悪くした風でもなく、言った。

 「私、下着が好きなんです」

 ただ、それだけなんですよ。


 美しい下着が好きで、集めている。

 主に外国のもので、高価だけれど、他のことには興味がないので少しずつ。

 興味をもっていただいたのに、申し訳ないけれど、これといった面白い話はないんですよ。

 すみません。

 さゆみは静かにそう言った。

 部屋は、何もなくて質素だった。



 何人目かの彼氏が隣で眠るベッドで、美鈴はさゆみのことを考えていた。


 下着が好きな女の子。聞けば別に納得のいかない話ではない。


けれど 本当にそれだけなのでしょうか?

それだけで 

あのこがこんなに気になるものでしょうか?



 美鈴は、さゆみに話しかけるようになった。

 さゆみは、いつ会っても、聞かれたことには、あの静かな口調で答える。


 美鈴が見た、さゆみを理由もなく叱る弁当屋の店長のこと。

 「あの人、機嫌が悪いと私にあたるんです。いいんじゃないですか、それで、すっきりするみたいですから」


 さゆみの部屋に一度だけ入っていった、恋人らしき人のこと。

 「彼?ああ、あの人。前の彼ですよ。あれはよりを戻したいとか、そういう話をしにきた時ですね」

 復活?と、美鈴が期待をこめて聞くと、いいえ、まさか、と、さゆみは笑った。

 「愛していないとわかっているので」

 八つ当たりをする店長の話をするときも、やりなおしたいと訪ねてくる昔の彼の話をするときも、さゆみの表情は同じだった。

愛していない -.png


 静かで、ただ、話す美鈴への礼儀としての笑みを、かすかに浮かべている。



 「愛していないとわかっているので」

 その言葉は、美鈴の心にこだました。


私は

愛してなんかなくとも

愛してもらえればうれしいです

楽しいです

生きているって気がします


私はそのために

化粧をし

着飾り

料理を作っているというのに




 一週間、さゆみを見かけず、弁当屋に行ってみたら、彼女は辞めたと聞かされた。


 部屋に訪ねて行っても返事がない。


 心配だけれど、さゆみは携帯すら持っていない。

 ドアの前で途方に暮れていたら、見覚えのある男が訪ねてきた。

 さゆみの前の彼氏だった。


 さゆみが留守なのは知らなかったけれど、昔から一人で突然どこかへ行ったりしていた。

 いつものことだという様子の男に、でも、何かあったのかもしれないから、と、頼んで、合い鍵で部屋を開けてもらった。


 いつもの何もない部屋。

 別に何でもない。


ちょっとどこかへ行くくらい、何を言う必要があるというのでしょう。

私みたいな者に


 前の彼氏は、むしろ美鈴に驚いていた。


 さゆみには友達がいないと思っていたのに、心配している人がいた。しかも、こんなきれいな人が。

 美鈴は、返事につまったが、ふいに勢い込んで言った。

 佐伯さんだってきれいじゃないですか。

 あんなすごいレースの、ゴージャスな下着が、すごくよく似合って。

 前の彼氏は、不思議そうな顔をした。

 そういうこと、よくわからないけれど、さゆみの下着は、別に、普通だった。むしろ、シンプルな。

 何の話をしているんだ、と、気恥ずかしそうな彼氏の様子は、もう美鈴の目に映っていなかった。


見せていない?

うそ

彼にも

誰にも?


 美鈴の目は、あの日の、ペールブルーの美しい下着を見ていた。


自分だ

あれは

自分のためのモノだ


自分のためのモノ -.png


 あの、ペールブルーの美しい下着で、一人、部屋のベッドに腰かけていたさゆみの姿が、淡く、遠く、見えた。



 しばらくして、さゆみの部屋に、また明かりがともった。


 食器を拭いていたさゆみは、庭に何かが落ちる音と、小さな悲鳴を聞いた。

 塀を乗り越えた美鈴が、着地に失敗して、座り込んでいた。

 何か落としたのなら、言ってくれれば取りますから……さゆみの言葉を、うつむく美鈴が遮った。

 「どこか行く時は、一言くらい言ってもいいと思います」

 「……ああ、そうですね、すみません」

 あの、礼儀としてのかすかな笑み。


本当に悪い

なんて 思って

ないくせに


他人なんか

どうでもいいと

思っているくせに


男の子達に

愛されることでしか

自分の価値を信じられない

私とは大違いです


 今の美鈴には、わかっていた、さゆみのことを考えずにはいられなかった理由。


 価値のあるモノを内側に

 「本当にすみません」

 持っているとおもったから気になったのです

 「ちょっと忘れていました。蓮見さんのこと」


 美鈴の気持ちに、何の温度も持たずに重なるさゆみの言葉。


 「忘れないでよ!!」

 美鈴は顔を上げた。

 「忘れたりするな!!私のこと」

 唇を震わせた美鈴の目から、一筋、涙が流れた。


 さゆみは少し意外そうな顔をした後、視線を漂わせた。

 そうですね。ごめんなさい。今度は忘れません。

 「約束します」

 部屋からの明かりを背に、美鈴を見るさゆみの、小さな頭、華奢な肩が、ほの白く浮かび上がって、見えた。

約束 - -.png

明日

男の子達に

サヨナラを言いましょう


「サヨウナラ

愛してないの」


何も恐れることは

ないのです


この他人を

必要としない

女の子から

約束を

とりつけた

私なのですから


 「蓮見さん」

 さゆみは、言った。

 「今度は、玄関からにしてくださいね」


宝石みたいな

約束です


                   (おわり)



【作品の見どころ】

 作者、志村志保子さんのあとがきによれば、この作品は、3つの単語で物語を作るという企画から生まれた。

 志村さんは「お弁当」「下着」「約束」という単語をもとに、この作品を創り上げたという。

 時に、「才能のすさまじさに、圧倒される作品」に出会うことがある。これはその一つだ。

 隣人の下着姿を垣間見る、同時並行で男性と関係を持つなど、きわどい展開のようで、物語は淡々と静かに進む。


 この作品は、タイトルページを含めて30ページの短さの中で、自分のどこに価値を持つか、そして、それが、その人の心や生き方をどう変えるかについて、さりげなく、深く語り、まさに宝石やレースを思わせる完ぺきな繊細さと透明感で存在している。

(さゆみの下着のペールブルーのレースは、さゆみの、丁寧に自分自身と向き合って織り上げられていっただろう、静かで透き通った心とイメージが重なる。こういう美しさを性的でなく、しかし色や香りが漂うように添えられるところに、志村さんのセンスが感じられる。)


 美鈴は美人でもてるが、男性たちに媚びているわけではないし、女性たちの間で優位に立とうとしているわけではない。

 女性たちの陰口を聞いて顔を赤らめたり、彼氏の一人にデートをキャンセルされても、夕飯の買い物を済ませていたことを言い出せなかったりしている。その生き方はむしろ不器用だ。

 「愛してなんかなくとも愛してもらえればうれしい」と思っていた美鈴は、「男の子に愛される」ために、華やかに化粧をして、服を選び、料理をしている。

 愛されることが第一だから、不満があっても言えない。そして、誰も愛していないから、別の人から愛していると言われれば、それも受け入れてしまう。

 それを嬉しい、楽しい、生きている感じがする、と思いながら、どこか苦しさを感じていた時に、美鈴はさゆみの美しい下着と、それを身に着けた姿を見た。


 「下着が好き」という、聞けばなんでもない話をさゆみから直接聞いても、美鈴は、自分でも理由がよくわからないまま、さゆみから目が離せない。

 そして、偶然、さゆみの前の恋人の話から、さゆみの美しい下着(普通なら異性に見せるためにあるようなもの)は、自分のためだけのものであることを知った美鈴。

 さゆみの、一番美しい部分を誰にも見せない生き方、見せないでいられる心が、知らないうちに美鈴を惹きつけていた。

 一人で、自分のためだけに好きな物を集め、触れ、見つめ、自分自身も、好きな物にふさわしい美しさで、それをまとう。それで完結し、その時間に他人を必要としない。

 そういうさゆみが美鈴には、宝石のように特別に、美しく見え、胸が高鳴った。


 だが、さゆみの美しさがどこから生れているのかを知った時、美鈴は同時に、さゆみが、今の自分と正反対の人間だと気づく。

 気づく前は、さゆみが美鈴に何も言わずに家を空けたことを、「何か言う必要があるのでしょうか。私みたいなものに」と、自分を納得させていた美鈴が、さゆみの本質に気づいた後は、「忘れたりするな!私のこと!!」と、さゆみに言って、涙を流す。

 他人を必要としないさゆみには、誰かが八つ当たりをしようが、さゆみに愛情を残していようが、相手は「他人」のまま、何の意味も持たない。

 さゆみの心に響くものがあった時だけ、はじめて、存在は彼女の中で意味を持つ。

 美鈴にとって、さゆみのような、自分の内側に価値のあるものを持つ人間(宝石のような下着を、自分だけのために持つ人間)から忘れられるということが、自分がさゆみとは異質のまま、いつまでも他人に好かれることでしか価値を感じられない(しかも美鈴は、その相手を愛していないことにはじめから気づいている)人間のままであると言われているようで、悔しく、悲しかった。

 だから美鈴はその気持のまま、叫び、泣いた。

 多分それは、長い間、彼氏たちにも、陰口を言う女の子たちにも、思っていることを言えなかった美鈴が、はじめて、自分の気持ちを人にぶつけた瞬間だった。

 さゆみに、忘れられたくなかった。


 美鈴から思いをぶつけられたさゆみは、少し視線を漂わせた。

 さゆみは美鈴のこれまでの生き方を知らない(知ろうとしたこともない)。美鈴自身が気づかなかった美鈴の内側の虚しさには、当然気づかない。だから、なぜ、美鈴が叫び、泣いたのか、その理由はわからなかっただろう。


 だが、好きな、愛するもの以外は存在させない、整えられ、凪いだ透明な空間のあるその心に、美鈴の、心の底からあふれた言葉や涙は、埋もれること無く、美鈴の思いそのままの強さで響いた。

 「約束します」

 さゆみは、何も問わず、それに、静かに、丁寧に言葉を返した。


 さゆみと約束をするということ。

 さゆみの心に、ささやかながら美鈴が存在できるようになったということ。

 それは、どこかへ行くとき、美鈴を思い出して一言言っていくというような淡いものだが、美鈴はそれを、宝石のように価値のあるものと感じた。

 そして、美鈴も内側に「約束」という宝石を手にしたから、もう、愛していない他人に愛されないことが、怖くなくなった。

 似た色の宝石を持つ者同士となったことに気づいているのか、いないのか、さゆみは言う。

 「今度は玄関からにしてくださいね」、

 塀を乗り越えないでも、これからは、訪ねてくれば、美鈴ときちんと会うという、二人の新しいつながりを感じさせる言葉。


 二人が、友達になるかはわからない。いつも一緒に行動し、何でも話せるのが友達というのなら、そうはならないのかもしれない。

 だが、二人の約束は、どちらかが、自分の内側にある宝石が、自分にとっての宝石であることを見失わない限り、続いていくのだろう。



 名作は、そのときは完全には価値がわからなくても、なぜか忘れられない感触を心に残す。

 そして、忘れられないからもう一度手に取ると、自分や時代が変わったからこそ増した深みに、最初に読んだとき以上に心動かされることがある。

 この漫画はそういう作品だった。


 この作品収録の単行本が発売されたのは、今から13年前の2007年。

 12年経った今、SNSをはじめとする個人の情報発信が、あのころとは比べ物にならないほど生活の一部ととなっている。

(さゆみのように二十代で携帯を持たないなど、もう、ありえない、というより、許されないだろう。)


 個人が他人にどれほど評価されるかが、はっきりと数値化され、こまめに通知され、順位付けされる。

 現在は、さゆみはもちろん、美鈴のように、自分の価値が他人からの評価だけにあることに気づき、疑問を持つ心すら、情報に押し流されかけている。


 時代は変わっていく、今は、他人を必要としないで、自分の内側に価値のあるものを集めていく道も、他人の評価を力に、人生の可能性を広げていく道も、選べる。

 ただ、他人の目とは無関係に、自分の心に響く存在を愛し、その存在と自分だけで過ごす、そういう時間は、いつ、どんな生き方を選ぼうと、必要なのではないだろうか。

 その、自分の内側の宝石を愛する心があれば、その人は、どんなときも、どんな他人と出会っても、ずっと、それを核に、光にして、自分を失わずに生きていけるだろう。



 この作品が収録された短編集『女の子の食卓』。

 本編は、題名通り、色々な食べものと女の子の人生の一場面を描いている(全8巻)。

 どの作品も「この庭で宝石」と同じように、さりげないけれど、深い描写で、漫画の良さを生かした、空間に丁寧に散りばめられた台詞が、沈黙と響き合ってリズムを奏でている。


 心温まる物語も、ハッピーエンドとはいえない物語も、読んだ後、それまでより心が静かになるような、独特の力を持つ佳作揃いなので、是非、お手にとっていただきたい。


女の子の食卓 コミック 全8巻完結セット (りぼんマスコットコミックス クッキー)
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女の子の食卓 1 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)
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※「この庭で宝石」収録の巻












posted by pawlu at 06:59| おすすめ漫画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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