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2024年02月23日
ドラえもん「のら犬イチの国」のび太と野良犬イチの心温まる物語
2024年01月19日
映画「ボヘミアンラプソディ」の重要シーンとイギリスのスタジオ「エア・スタジオズ・リンドハースト・ホール(AIR Studios Lyndhurst Hall)」
映画の中で「クイーン」のボーカル、フレディ・マーキュリーが一度は決裂したメンバーのもとに戻り、ウェンブリー・スタジアムで開催される一大チャリティーライブ「ライブ・エイド」への出演に向けて練習をしている場面。
ここで、フレディはメンバーに自分がエイズに感染したことを明かす。
このシーンのロケ地は、ロンドンの有名レコーディングスタジオ「エア・スタジオズ・リンドハースト・ホール AIR Studios Lyndhurst Hall」だ。
そして、この場所が使われたことが、物語の大切なメッセージにもなっている。
(※以下、物語後半重要シーン)
(場面のあらすじ)
スタジオでリハーサルするフレディ。しかしその声は、以前とは程遠かった。
声が出ないのは、ブランクと今までの無軌道な生活のせいだけではなかった。
フレディは、練習を終わらせようとした三人を呼び止めた。
そして告げた、自分がエイズに感染したことを。
当時は進行を抑える有効な治療法がなかった。
言葉を失ったあと、どうにか何かを言おうとしたメンバーを、フレディは押しとどめた。同情は時間の無駄だ。
❝残された時間で音楽を創る。それが俺の望みだ。
エイズに侵された悲劇の主人公でいるつもりはない。
俺が何者かは俺が決める。
俺が生まれた理由、それはパフォーマーだ。
皆に望むものを与える
最高の天国を
フレディは天を指さしていた。
フレディの覚悟を聞いた三人は、それぞれに泣かないようにしながら、ただ、うなずいた。
フレディは誓った。
声は本番までにきっと取り戻して見せる。そしてみんなで最高の音楽を演奏して。
「ウェンブリーの屋根に穴を開けてやろう」
ジョン・ディーコンがぽつりと言った。
「ウェンブリーに屋根はないよ」
4人みんな、少しだけ笑った。
「なら空に穴を開ける」
フレディはこぶしを突き上げた。
そして、4人は互いの背中に手を回した。
昔、アルバムがはじめてアメリカでチャートインして、みんなで抱き合って喜んだ時のように。
フレディは三人に言った。
「泣いてもいいぞ。愛してる」
それからメンバーは、いつもの練習終わりのように、みんなで飲みに行くことにした。
細長く背の高い窓、優しい空色のアーチ状の天井、そして大きなパイプオルガン。
イギリスの名門スタジオ「AIR」内にある「リンドハースト・ホール」は1883年に建てられた教会を、スタジオに改装している。
設計者はロンドンの自然史博物館も手掛けたアルフレッド・ウォーターハウス。
教会建築の音響の良さを活かすためか、スタジオになった後もあまり構造が変わっていない。
【補足】
映画にも登場する、クイーンのメンバーが「We Will Rock You」の足踏みでリズムを刻むパートも、使われていない教会で録音された。(註1)
QUEEN -「We Will Rock You」あの“ドンドンパン"誕生秘話 | ボヘミアン・ラプソディ | Netflix Japan
映画の中では、この「リンドハースト・ホール」の美しさ、とくに光が、この場面で映画が伝えたいことを、言葉の代わりに表現している。
窓からの光を浴び、苦しみを背負いながら、人々のために自分の命をかけて音楽を捧げる覚悟のフレディに、教会のキリスト像を思いだす人もいるだろう。
このスタジオでの告白の前に、病院で病を知ったフレディは、廊下の待合席に座っていた若者と、歌声を交わし合っている。
通り過ぎる、サングラスをかけたフレディを観た若者は、かすかな声で歌った。
「……エーオ」
フレディがライブで観客を呼ぶときの声。
蒼白の若者は、彼がフレディだと気づいていた。
振り返ったフレディは、若者に小さく応えた。
「エオ……」
フレディの声を聞いた若者の顔に、微笑みが広がり、お互いそれ以上なにも言わず、フレディは光差す扉を開いて病院を出て行った。
彼の歌は冷えきった心臓にも熱を蘇らせる、そして喜びを生み出す。
フレディはこの瞬間、自分の残された時間をどう使うかを、決めたのだろう。
病院ではまだおぼろげだった光は、スタジオでは、彼の決意の後の心そのもののように、明るく澄んでいる。
(実際の「ライブ・エイド」の映像 フレディと観客の歌声の応酬)
Queen Live Aid 1985 - EEEEEOOOOOO
「リンドハースト・ホール」がスタジオとして使われはじめたのは、ライヴ・エイド(1985年)の約7年後で、映画のこの場面は、事実とは異なっている。(註2)
それでもここをロケ地としたのは、人生の痛みに立ち向かう者に、生命を超えた勝利がきっと存在すること、そして戦う人と支える人々を照らす光と、彼ら自身が放つ輝きを、物語の中に示したかったからではないだろうか。
互いを励まし合ったあと、飲みに向かう四人に、「Somebody to Love」のピアノ演奏が重なり、スタジオのピアノの上に、かつて教会だったスタジオの、細長く伸びた窓からの光が、くっきりと反射している。
音楽は人に力を与える。音楽に人生を捧げる「パフォーマー」は、そういう形で人の魂を救う。
ピアノに映りこむ、この世を超えた神聖さを感じさせる光は、そのことを観る人たちにそっと伝えている。
【当ブログ関連記事】
(註1)Queen's Brian May Rocks Out To Physics, Photography
(註2)Bohemian Rhapsody | 2018(Movie Locations.com)
【参照】
・Lyndhurst Hall, Air Recording Studios / Congregational Church Date:22 May 2005
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2024年01月10日
ドリフの名作コント「池田屋の決闘(階段落ち)」と映画『南の島に雪が降る』(1961年)
ドリフファンの間では「階段落ち」とも呼ばれるコント「池田屋の決闘」。
(初回放送:1996年9月10日「ドリフ大爆笑」テーマ「身体」の回)
時代劇映画を撮影する監督役の志村けんさんと、スタント役の加藤茶さんのテンポの良い掛け合いに大爆笑必至の、傑作中の傑作だ。
※もしかしたら2025年4月13日(日)のBSフジ「ドリフ大爆笑(21:00〜21:55)」で放送されるかもしれません(違っていたらすみません、放送されるかもと思った理由はこちら)
コント「池田屋の決闘!」あらすじと加藤茶さんが語る思い出
(あらすじ)
映画で「新選組の池田屋襲撃」シーンを撮影時、新選組局長近藤勇に斬られた男が、階段から転げ落ちるシーンのスタントマンとして、スタジオに呼ばれた加藤茶さん。(以下、加トちゃんと書かせていただく)
(「池田屋襲撃シーンを撮影するため、危険な階段落ちのスタントに挑む」というアイディアは、名作映画『蒲田行進曲』から来ている)
ところが、普段は旅回り一座の役者だった加トちゃんが、舞台用の分厚い白塗りメイクで来てしまったうえ、緊迫した斬り合いのシーンでも、「見栄を切る(ポーズを決める)」芝居をやめないために、リアル&スピーディーな迫力を求める志村けん監督を激怒させてしまう。
(いちいちカメラに振り向く加トちゃん)
(斬られたのに、自分の見せ場だからと、カメラに向かって念入りに苦悶の表情をつくり続ける加トちゃんと、斬ったのになかなか階段から落ちそうにない加トちゃんに困惑する近藤勇さん)
(階段落ちの途中でもしつこく見栄を切る〈つまり落ちてない〉加トちゃんのキメ顔を再度ひっぱたく志村監督)
(「階段落ち」のために、一生懸命リアルな演技の指導をする志村監督のはかない努力〈左側の背中は仲本工事さん〉)
いくら説明しても自分の芝居を崩さないで撮影をぶち壊しにする、セットも壊す、フィルムはNGシーンに埋め尽くされてどんどん減る……と、加トちゃんのせいで、撮影現場(とくに志村監督)は、池田屋とは別の意味で殺気立っていく……。
❝これはね、ぶっちゃけて言っちゃうと、志村と俺とでね、アドリブで出来たコント。
もう、全部アドリブでやった。まあ、「階段落ち」って言うの、おおまかなやつは決めておいて、あとその中でやるやつは全部アドリブでやったの。
だから俺がどんなにボケても、必ず突っ込んでくれたから志村は。それは良かったんだね。楽しかった。
なにげに俳優さんたち(加トちゃん以外)のアクションは凄い技術で格好いいし、どれだけ志村監督と加トちゃんがドタバタ揉めても、冷静に撮影進行の心配をする仲本工事さんの真面目なキャラクターも趣深い。
加トちゃんはこのコントを「もう、これしかないですね」と思い入れをこめて、ドリフの自己ベストコント第一位に選んでいる。(※同上)
コントのヒントになったのかもしれない映画「南の島に雪が降る」の名場面
加トちゃんと志村さんの笑いの才能と、公私に渡る絆が生み出したこの最高傑作。
お二人の天才的アドリブを支えた「おおまかな部分」については、「蒲田行進曲」のほかにもう一つ、アイディアのヒントになったのではという作品がある。
俳優の加東大介さん原作・主演の映画『南の島に雪が降る』(1961年)。
(ジャケット画像左端で腕を組んで笑っているのが加東大介さん〈本人役〉、踊っているのが蔦浜一等兵役の伴淳三郎さん)
第二次大戦でニューギニアに徴兵された兵士たちのために、役者の加東大介さんたちがジャングルに劇団を立ち上げた実体験をもとに創られた作品だ。
実際に戦時中を生きた豪華俳優陣が競演し、物資も食料も乏しい中で奮闘する劇団の人々と、彼らの芝居を心の支えにする観客たちを観るたびに、笑いも涙も止まらない。
この作品に登場する、伝統的な芝居の癖が抜けない蔦浜という役者と、稽古中、彼にあきれ返りながらダメ出しする加東大介さんのやりとりは、「池田屋(階段落ち)」コントのヒントになっているような気がする。
(芝居の稽古シーンまでのあらすじ)
劇団の立ち上げにあたり、劇団員の選考をしたところ、ジャングルを潜り抜け、あちこちの隊から志願者が集まってきた。
半ば日本軍にも見捨てられ、直接戦闘こそ無かったものの、空襲と飢えと病に命と心を削られ続ける人々は、なにか明るい、日本にいたころの平和な光景に近いものに参加したがっていた。
志願者の中に、東北で、伝統的な演劇「節劇(ふしげき)」の役者だった蔦浜一等兵(伴淳三郎)がいた。
節劇とは、浪花節(三味線を伴奏にした歌と語りの芸)に合わせて所作(一定の型にのっとった演技、この場合は踊りに近い)をする芝居のことだ。
芸名「市川鯉之助」、地方では人気のある役者だった蔦浜一等兵は、オーディションでは、自分で浪花節をうなりながら、やる気満々に演じた。
それは、まさにうまいにはうまいのだけれど、節劇の役者として完成されたうまさで、加東さんが考える、リアルな芝居とはまったく別のものだった。
惜しいと思いつつ、不合格を言い渡したところ、蔦浜は真っ青になった。
本職の役者だからきっと合格するだろうと、励まされ、隊の名誉を背負って参加したのだ。みんなに合わせる顔が無い。
「もしも駄目なら、自分は自決する覚悟であります」
蔦浜がその場で腹を切ろうとまでしたため、不安を残しながらも補欠採用することに。
ただし、節劇で身につけたことはすべて忘れ、演技については、まるきり素人になったつもりで、「演劇分隊」班長である加東さんの指導に従うこと。
それが団員になる条件だった。
蔦浜は「一生懸命やります!」と大喜びしたが、頭でわかっていても、「身についたこと」は、そう簡単にはとれない。真面目に修行したならなおさら。
そして蔦浜は「超」がつくほど真面目だった。
ジャングルの中の、木の皮と板張りの小屋で、芝居の稽古がはじまった。
演目は、「父帰る」。
菊池寛の代表的な戯曲で、妻子を捨てて放蕩した男が、貧しく老いて、妻と既に成人した子供たちの暮らす家に戻ってくる、そのときの複雑な家族の愛憎を描いている。
蔦浜の役は、落ちぶれた父、宗太郎。物語の要だ。
宗太郎が二十年前に捨てた家の扉を開き、妻、おたかを呼ぶ場面。
演技指導の加東さんの合図で、つわものの武士のように、腕を振ってのっしのっしと歩いてくる宗太郎(蔦浜)。
「おいおいおい!なんでそんな変な歩き方するんだ。もっとリアルにやれ」
「『リアル』ってなんでありますか?」
現代演劇用語にはうとい蔦浜。
「なんだお前、役者のくせにリアリズムも知らんのか!?」
加東さんは呆れる周囲を抑えて言った。
「あのね、本当らしくやること」
やりなおし。
扉を開けるしぐさをした後、ドン!と足を踏み鳴らした蔦浜。
「ごめん!おたか、いるかァや〜!?」
長く張りのある声、腕をまくって首をまわし、かっと目を見開いて……いる途中で加東さんにぽんぽんと肩を叩かれた。
「道場破りに来たんじゃないんだ。もっと自然に言え」
「はっ、ではやらせていただきます」(真面目)
二度目の演技も「やや改善された」程度だったが、芝居は続き、おたか役の篠崎曹長(有島一郎)が、「あぁ!お前さん……」と迎えに出た。
「おォォッ!?おたかァッ!」
パンッと手で膝を打ち鳴らした後、ダダダッと何歩もあとずさり、
「ッア!達者で何よりィだなァァ…!」
二度目の見栄を切る腕が、真顔の加東さんにべしっとはたかれた。
「なんでそこで見栄切んだ!」
「見栄切ったでありますか?」
「『切ったでありますか?』じゃないんだよ、何度言ったらわかるかなぁ!?」
その後、試しに「自分の好きなようにやってみろ」と言ったところ、動作は流れるような大仰な所作のまま、最終的には、朗らかに歌って踊りだした(そんな話じゃない)ので、加東さんは蔦浜の役をとりかえようとした。
「班長どの!」
蔦浜は加東さんに必死で頭を下げた。
「やらしていただきたいんであります!皆様、お願いいたします!」
稽古が遅れて迷惑をかけてしまっている一人一人にも、すがるように詫びた。
「もう一度やらしていただきたいんであります。わからねぇことがあったら、細かく教えていただきたい。稽古は何遍でもいたします!お願いいたします!」
ついには床に額をこすりつけるようにして、涙交じりの声で加東さんの足もとに土下座した。
その夜、ジャングルの湿気と暑さに汗ばみながら、小屋で蚊帳を吊って眠っていた加東さんは、ふと目を開いた。
「おたか!」
外から流れてくる、伸びと張りのある話し声、疲れ切った人々が眠る、ジャングルの夜更けには不似合いな、朗々とした高笑い。
小屋の外で、蔦浜が一人、芝居の稽古をしていた。
「下手くそ……!どうしてリアルってのができねぇんだこの……!あぁ!下手くそ!!」
身に沁みついてしまった今までの芝居を追い出すために、あの大仰な、踊るようなしぐさ、歌うような声が出てしまうたび、自分の頭や手足を、わからずやの他人相手のようにピシャリピシャリと叩きながら。
「できねぇのか!この馬鹿野郎!それでもお前役者って言えるのか!なにが「市川鯉之助」だ!お前みたいなのは死んでしまえ馬鹿ァ!馬鹿野郎ォ!!」
ふがいなさに、自分を怒鳴りつけて悔し泣きする声。
加東さんと、一緒に目を覚ました篠原曹長が、小屋の扉の陰から、黙って蔦浜の必死の努力を見つめていた。
ドリフファンの私は、「池田屋」のほうを先に観ていたので、そしてそれはもう、何回観たかわからないくらい繰り返し観ていたので、この映画の加東大介さんと伴淳三郎さん(蔦浜一等兵)のかけあいが、いっそう面白かった。
(伴淳さんの、どんなに大真面目でも、勝手に愛嬌が出てしまう感じは、加トちゃんの魅力に通じるものがあると思う)
どちらも、何回も観て、次に何を言うかまでわかっていても、やっぱり笑わされてしまう(そしてまた観てしまう)。
素晴らしい間とテンポ。演じることを本当に愛し、技を磨いた、息の合った実力者たちだけが生み出せる、観た人の心に、宝物としてずっと残る(そして思い出しただけでも笑わせてくれる)名場面だ。
当ブログ関連記事:沢村貞子さんと加東大介さん(『貝のうた』と『南の島に雪が降る』より)
2024年01月08日
ハマスホイと星新一(誰もいなくなった部屋と「欲望の城」)
折り曲げられて誰もいなくなったハマスホイの部屋の絵
19世紀デンマークを代表する画家ヴィルヘルム・ハマスホイ(1864〜1916)は、白黒写真のような色調で、人や物のあまり存在しないミステリアスな室内画を描いた。
ハマスホイは誰もいない部屋を描くことについて、こう語っている。
❝「私はかねてより、古い部屋には、たとえそこに誰もいなかったとしても、独特の美しさがあると思っています。あるいはまさに誰もいないときこそ、それは美しいのかもしれません」(※註1)
イギリスのテートギャラリー所蔵「室内、床に映る陽光」(1907)は、絵の所有者が、ハマスホイの「誰もいない部屋」の美しさを、あまりにも深く理解したために、無理やり「誰もいない部屋」にしてしまった絵だ。
❝本来左端にその一部が描かれているテーブルに(ハマスホイの妻)イーダが見られた。しかし、最初の所有者レナード・ボーウィックがカンヴァスの左側を木枠の裏に巻き込んでしまったため、イーダが姿を消してしまったのである。これは、当時すでに有名であった《陽光、あるいは陽光に舞う塵》が念頭にあり、イーダがいない室内画をボーウィックが好んだためであろう。(註2)
イーダが描かれた部分を切り取るのではなく、折り曲げて残したのは、持ち主だったボーウィックのせめてもの気持ちだったのかもしれないが、やはり痛みはまぬがれず、その部分はとても展示に耐えられる状態ではない。
しかし、かすかに痕跡をとどめるイーダの姿は、まるで、年月を経てくすんだ鏡に映る、はかない幽霊のようだ。
この色褪せても残る、面影のような美しさは、ハマスホイの描写力と、彼の作品世界の女神(ミューズ)だったイーダへのまなざしの確かさを物語っている。
イーダが美しく丁寧に描かれていた、ハマスホイにとってはイーダがいて完成形だった世界を、ボーウィックは折り曲げて、誰もいない部屋に変えてしまった。
ただし、これは「金持ちが金に任せて貴重な作品に勝手なことをした話」ではない。
ハマスホイと同時代人では、ただ一人のイギリス人のハマスホイ作品コレクターだったレナード・ボーウィックは、各国をツアーで巡り、「ヴィクトリア女王のお気に入り」と呼ばれたほど成功したコンサートピアニストだった。
(彼がハマスホイの絵に出会ったのも、デンマークへのコンサートツアーのときだった)
ボーウィックは正真正銘のハマスホイのファンで、ハマスホイがイギリスで個展を開く手筈を整えたり、イギリス滞在時には部屋を準備したりと、こまやかにサポートをしている。(註3)
そしてハマスホイも彼に感謝し、イギリスを後にする際、大英博物館の風景画を贈っている。
(ハマスホイがボーウィックに贈った絵)
Vilhelm Hammershøi painted 'British Museum, Winter,' in 1906 for his friend and patron, the concert pianist Leonard Borwick for helping to arrange an exhibition of his work at the van Wisselingh Gallery the following year.
− Richard Morris (@ahistoryinart) December 30, 2023
Although a commercially successful show, Hammershøi… pic.twitter.com/82Eq0aixfg
そこまでハマスホイ本人にも敬意を払っていても、ボーウィックはどうしてもこの絵の部屋を「誰もいない部屋」にしたかったのだ。
絵に手を加えたら、後々価値が下がるという計算など、頭にかすりもしなかったのだろう。「欲しい美しさ」のためなら、ハマスホイの緻密な構成さえも文字通り曲げてしまう、彼もまた世界を飛び回るアーティストだったと聞くと、その執念の強さと理由が、少しわかる気がする。
ハマスホイはこの白い壁と扉の部屋を繰り返しモチーフにしていて、作品によっては、そこに家具やイーダも存在するが、どの絵でも、窓から差し込む光が描かれている。
この一連の作品のなかで、一番シンプルな、何もない、誰もいない部屋の絵について、ハマスホイの研究者、萬屋健司氏は「絵画の構成要素を最小限に絞ることによって、ハマスホイは光が空間に及ぼす作用を、その最も微細な現象まで捉えようとしたのだろう」と分析している。(註4)
他の存在が無いから、光の最も微細な姿が捉えられるのは、ハマスホイだけではない。
ハマスホイの描いた絵を見つめる人も同じだ。
そして、きっとボーウィックは、それが見たかったのだ。
窓から差し込む光は、カーテンのように斜めに透き通り、窓の格子模様の影を床に落とす。そのあわいに、空気が光と温度にゆらぎながら流れ、ほこりが幻のように閃いて踊る。
絵の中の光景は動かないけれど、ハマスホイの描く部屋はそんな世界に観る人の心をいざなう。
描かれている対象を観ることを通じて、思考とは無関係に世界と向き合う時間を体験させてくれる。
(私自身は、小さいころ、窓際の床に座ってひなたぼっこしながら、床に落ちる影が揺れる様子や、陽の光に照らされた時だけ浮かび上がる埃を(名前も知らず、汚れとも思わず)このキラキラしてきれいなものは何だろうと眺めていた頃を思い出した)
独りで光と影と空間を見つめると、雑音や濁りが消え、心が澄んでいく。
ボーウィックが欲しかったのは、そういう感覚に浸るための、世界を静かに見つめる場所と時間だったのではないだろうか。
そのためには、どんなに素晴らしく、美しく描かれても、そこに他の誰かがいてはいけなかった。
彼もまた一流の、成功した芸術家だったからこそ、複雑な内面や生活から、自分自身を解き放ちたかったのだろう。
きっと、ボーウィックにとって、この絵は「部屋を飾る『部屋の絵』」ではなく、彼の心を静寂と透明に還すための、彼だけの部屋そのものだったのだ。
絵を折り曲げてしまったこと自体は、後世から見れば「すごいことをする……」と言葉を失う行動ではあるけれど、自分の心が必要なものを自分でよくわかっていた人だし、ある意味では、ハマスホイの作品の、ほかの画家には無い美しさの中核を、ハマスホイ本人以上によくわかっていた人なのかもしれない。
星新一のショート・ショート「欲望の城」
ハマスホイが描き、ボーウィックが「誰もいない部屋」にした絵の話を知った時、真逆の物語として、ショート・ショート(超短編)の名手、星新一の「欲望の城」(1962年)を思い出した。(新潮文庫『ボッコちゃん』収録・「朝日新聞」初出)
(「欲望の城」あらすじ)
つまらない日常を送る男が、ある日を境に、毎日、誰も入ってこられない理想の部屋にいる夢を見るようになる。
現実には欲しくても買えないものが、その晩見る夢の中では、部屋の中に現れる。
男は喜んで、夢の中で好きなだけ欲しい家具や服をそろえ、エクササイズの道具を置き、酒のグラスをかたむけ、部屋での時間を満喫する。
❝彼が欲しいと感じた品物は、夜になると夢のなかに、すべて現れてくるらしい。あれを買え、これを買えという、激しい宣伝攻勢に順応するために発生した、現代病の一種なのだろうか。もっともそれによって欲望が満たされ、精神の平静が保たれるのなら、病気と呼んではおかしいようにも思えた。
(「欲望の城」挿絵:真鍋博)
男とよく同じバスに乗り合わせる知人(「私」)は、男から夢の話を聞かされてこう分析し、夢のお陰で毎日楽しそうにしている男を羨ましく思う。
しかし、何日かたつと、男の顔色が悪くなってきた。
❝欲しがるまいと思うのですが、そうもできません。それに、どうしても部屋のドアが開かなくて困っています。窓もですよ
だからここ数日怖くて眠れない。
バスの中で、「私」にそんな奇妙なことを言ったあと、それでも寝不足でバスに揺られていた男は、うたたねをはじめた。
突然、「私」は、男の大きな悲鳴を聞いた。
❝逃げ場のない場所で、何かに押しつぶされているような、恐ろしい声の。
(「欲望の城」あらすじ 完)
星新一は、情報やテクノロジーが支配する社会と、そこに組み込まれて生きる人々を、シニカルに軽妙に、だが予言者のように鋭く描き出した。
ハマスホイとは別の才能で、今、改めて存在感を増している作家だ。
(そして、この作品の他、多くの星新一作品の挿絵を担当した真鍋博氏は、洗練された均一な線で、ユーモアと無機質の一体となった不思議な絵を描いた)
「欲望の城」という作品の怖さは、物に潰されることにあるのではない。
居場所、そして命を脅かされるようになっても、まだ「欲しがるまいと思いますが、そうもできません」という、膨れ上がり続けて、ついには自分自身を押しつぶす人の心の動きが(誰にでも心当たりがあるために)怖いのだ。
社会は消費を促すため、常にそうした「欲しい」気持ちをあおる情報攻勢をかけてくるし、「欲しい」気持ちは心の内側に湧いてくるため、無限に、夢の中にまで侵入してきて、「開くドアや窓」、逃げ道は用意されていない。
ボーウィックが変えたハマスホイの絵と、星新一の小説に、直接的なつながりはない。
でも、二つとも、心の中に「自分だけの理想の部屋」を作った人の話だ。
その人が欲しいものが、情報に踊らされながら、自分のコントロールできる量を無視してやみくもにかき集める物なのか、独りで光と空間を見つめる時間なのか。
それで、部屋の中は変わっていく。
そして、その部屋にいる人の心も変わっていく。
部屋に残されるのが、自分の欲望に押しつぶされる苦痛の悲鳴なのか、透き通った沈黙なのかも。
(補足)マイケル・ペイリン氏のハマスホイ紹介ドキュメンタリー(BBC)
「Michael Palin & the Mystery of Hammershøi」
テート所蔵のハマスホイ作《室内》の前に立つマイケル・ペイリン氏
2005年制作、当時イギリスでほとんど注目されていなかった、ハマスホイの魅力を紹介したドキュメンタリー。
プレゼンターはイギリスの伝説的コメディグループ「モンティ・パイソン」のメンバーで、各国の文化や美術を紹介するドキュメンタリー番組でも活躍するマイケル・ペイリン氏。
ハマスホイの絵画だけではなく、イギリスとデンマークの室内と風景、美術館の方たちなど、現在を生きる人の姿まで、ハマスホイ的な柔らかい陰影で撮影されている。
(ハマスホイの描くイーダの首の美しさについて、美術館を訪れた人と話すペイリン氏)
26日開幕|#テート美術館展
− 大阪中之島美術館 (@nakkaart2022) October 6, 2023
ヴィルヘルム・ハマスホイ《室内》1899年 Photo: Tate
画面の外に位置する窓から差す、柔らかな光に照らされた室内。コペンハーゲンのストランゲーゼ30番地にあるハマスホイの自宅の一室を描いたものです。静寂に包まれた空間に、女性の美しい肌が印象的な作品です。 pic.twitter.com/HioQ4Ksucw
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2023年12月25日
コールドプレイの名曲「Fix You」と2023年をしめくくるメンバーからのメッセージ(おすすめ音楽動画集)
❝Light will guide you homeAnd ignite your bonesI will try to fix you(ブログ筆者意訳)光は君の家路を照らす。そして、君の心の芯に火を灯す。僕は頑張ってみせるよ、君の痛みを治すために
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