2018年01月11日

「恋は雨上がりのように」アニメ放送開始 

恋は雨上がりのように(1) (ビッグコミックス) -
恋は雨上がりのように(1) (ビッグコミックス) -

 取り急ぎお知らせまで。

 本日(2018年1月11日)深夜24:55からフジテレビで、「恋は雨上がりのように」のアニメが放送されます。
 公式HP:http://www.koiame-anime.com/
 オンエア、ネット配信情報
  http://news.noitamina.tv/after-the-rain/onair/
 

 本予告PV


https://www.youtube.com/watch?v=3FvIUcLGOsI

 女子高生橘あきらと、彼女が片思いする45才のファミレス店長近藤。

 二人の微妙な距離感と、それぞれが抱える諦めきれない夢への思いが描かれた作品です。

 透明感溢れる絵と、古き良き文学の世界を彷彿とさせる、ゆったりとした時間の流れや、心の動きと連動するこまやかな情景描写。

 現在9巻まで出ていますが、あきらと近藤のほか、彼らをとりまく登場人物たちの恋や友情の、暖かくもどかしい人間模様も織りなされ、派手な事件は少ないものの、読者の心を惹きつけ続けています。

 予告編動画を観たところ、絵、声優さんの演技、主題歌、すべて、原作に誠実に作り上げられた良作のようです。

 是非、アニメと原作どちらもご覧になってみてください。

 読んでくださってありがとうございました。


恋は雨上がりのように(2) (ビッグコミックス) -
恋は雨上がりのように(2) (ビッグコミックス) -

恋は雨上がりのように(3) (ビッグコミックス) -
恋は雨上がりのように(3) (ビッグコミックス) -

恋は雨上がりのように(4) (ビッグコミックス) -
恋は雨上がりのように(4) (ビッグコミックス) -

恋は雨上がりのように(5) (ビッグコミックス) -
恋は雨上がりのように(5) (ビッグコミックス) -

恋は雨上がりのように(6) (ビッグコミックス) -
恋は雨上がりのように(6) (ビッグコミックス) -

恋は雨上がりのように(7) (ビッグコミックス) -
恋は雨上がりのように(7) (ビッグコミックス) -

恋は雨上がりのように(8) (ビッグコミックス) -
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恋は雨上がりのように(9) (ビッグコミックス) -
恋は雨上がりのように(9) (ビッグコミックス) -
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2018年01月10日

デイビッド・アッテンボローさん、鳥に邪魔される

 イギリスBBCのレジェンド、自然番組プロデューサーにして、動物学者で名ナレーターのデイビッド・アッテンボローさん。

 ニューギニアに住むオオフウチョウ(「ゴクラクチョウ」の通称でも知られる熱帯の鳥の一種)を前にして、いつもの生き生きとした語りで、この鳥の解説をしようとしたところ、何を思ったか、アッテンボローさんがしゃべるたびに、鳥がテンション高く歌い踊り、何回もNGを出させてしまうという珍事がありました。


https://www.youtube.com/watch?time_continue=9&v=2TJaNDBI87s

 金色フワフワの尾羽を立て、両羽を広げた気合満点ポーズで、枝をぴょんぴょん飛び、「クワクワクワクワ!!オー!オー!」とか「フェフェ、フェフェ」などの不思議な声を上げるゴクラクチョウ。

 アッテンボローさんに「ホホー、ホホー」と言う鳥に、口をすぼめて、「ホホー、ホホー」と返したり、枝にかけたアッテンボローさんの手の周りで歌い踊り続ける鳥に「Very Well(素晴らしい〈歌とダンス〉)」と、言ってあげるアッテンボローさん。(やさしい。)

 鳴き声の激しさは威嚇のようにも思えますが、この鳥は途中、アッテンボローさんの手に留まったり、お腹をこちょこちょされたりしてもおとなしくしているので、怒っているわけではなさそうです。

 むしろ、南国の鳥がメスに自分の魅力をアピールするときに見せる歌とダンスに近い。


 この微笑ましい動画が、各地の動物情報を紹介するページ、「マランダー」(非常に癒されるので凹んだ時におすすめ)に掲載され、こんなコメントが寄せられていました。

「完全に同族と思われて求愛されてるwwww」
「歓迎のダンスwww」
「ヘイ、ハニー俺のダンスを見て歌を聞いておくれ!」

 私も皆さまの「アッテンボローさんに熱烈アッピール!説」に一票です。

(「遠方からの客人に捧ぐ歓迎の舞」か、「ヘイ、ハニー」かは、ちょっとわからないけれど。)


(出典:「えっと、どうしたら喋らせてもらえるのかな」鳥に解説の邪魔をされるアッテンボローさん http://marandr.com/23221147 edited by ruichan 2018年01月02日)

 より詳しい動画解説自体は、「マランダー」内の楽しい文章にお任せするとして、少し補足情報を書かせていただきます。



 (英名「Bird-of-paradise」の名前の由来)

 アッテンボローさんの(邪魔されながらの)解説でも言及されていますが、16世紀、フウチョウの剥製がパプアニューギニアからヨーロッパに送られてきたとき、長期保存のため足は切り落とされた状態でした。

 このため、もともと脚の無い鳥と誤解され、「Paradisaea apoda(楽園の脚の無い鳥〈bird paradise without legs〉)」と名付けられたそうです。

(当時の絵)
ゴクラクチョウの絵.jpg
The dried skin of a lesser bird of paradise | Joris or Jacob Hoefnagel, c.1600 | National Library of Austria, Vienna

 (参照、画像出典:Painting paradise: Art meets nature in Papua New Guinea http://www.bbc.co.uk/programmes/articles/4kHd24tndfhtq7MJw48gtYj/painting-paradise-art-meets-nature-in-papua-new-guinea

 「脚の無い鳥」の伝説は、「欲望という名の電車」でも知られる、アメリカの戯曲家テネシー・ウィリアムスのインスピレーションを刺激し、「地獄のオルフェウス」で、台詞として取り上げられました。

 さらに、この台詞を元にした独り語りが、香港映画の巨匠ウォン・カーウァイ監督作「欲望の翼」で、象徴的に登場します。(参照:ウィキペディア

 欲望の翼 [DVD] -
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 脚のない鳥がいるそうだ。
 脚のない鳥は飛び続け、
 疲れたら風の中で眠り、
 一生に一度だけ地上に降りる。
 それが最後の時。

 この映画は、愛を信じられない者と、その者を愛し、愛を得られない者たちの寂寥感が漂う群像劇で、「脚の無い鳥」は、愛に安らげずにさすらう登場人物を象徴しています。

 私が、最初に「脚の無い鳥」という言葉を聞いたのは、この「欲望の翼」で、物語の世界観とともに、幻の、もの哀しい生き物だという印象を持ちました。

 まさか自然番組を観ている最中に、その話が生まれたいわれを知り、伝説の元となった鳥が、アッテンボローさんに我が魅力をアピールするべく、ぴょんぴょん跳ねて激しく歌い踊る姿を見るとは思わなかった。

 元気そうで何よりです。



(デイビッド・アッテンボローさんについて)

 デイビッド・アッテンボローさんは、自然番組プロデューサーとして、キャリア60年の大ベテラン、この番組は、2015年のものなので、およそ88才ごろの映像のようです。

 アッテンボローさん90歳のお誕生日を祝うBBCニュース映像。
(お若い頃も素敵。マツコさん風に言うと「あら、いい男」〈何故マツコさん風〉)

https://www.youtube.com/watch?v=JSy9X1FrLgg

 力強い声の響きと、少年のような瞳の輝きは今も健在で、2017年12月には、ヨーロッパの動物園に初めてやってきた象「ジャンボ(※ディズニー映画「ダンボ」のモデル)」の波乱に満ちた生涯についてのドキュメンタリー「Attenborough and Giant Elephant」で、各地を飛び回っていらっしゃいました。

https://www.youtube.com/watch?v=reULMrZWp8w

 一度、肉眼でこの方を観たことがあるのですが、「ナレーションの上手い人」という雑な予備知識でサイン会にまぎれこんだ当時の私ですら、あまりのオーラに自動的に眼がうるんでしまいました。(本当)

 勘の鋭い野生動物なら、このオーラと良い声に惹かれて歌い踊りたくなるわけです。

 聖者フランチェスコが語ると、小鳥が集まってきて耳を傾けたという伝説すら彷彿とさせる。

(ジオット作「小鳥への説教」(部分))
ジオット作 「小鳥への説教」(部分).png

 アッテンボローさんが「動物に好かれるエピソード」は他にもあって、ゴリラの側で声を潜めて解説をしていたはずが、気を許されて、いつのまにやら大人ゴリラと子供ゴリラに挟まれて横たわっている動画も有名です。


https://www.youtube.com/watch?v=NeaAZ1On-w8


 この方の番組は、よくNHKで放送されるので、是非チェックしてみてください。

 このブログでもまた、この方の番組についてご紹介させていただく予定です。よろしければお立ち寄りください。

 読んでくださってありがとうございました。


 (当ブログ、ディビッド・アッテンボローさん関連記事)
 アッテンボローさんのサイン会

 (参照URL)「Attenborough’s Paradise Birds」番組ページ
 http://www.bbc.co.uk/programmes/p023wbh0

posted by Palum. at 21:01| おすすめ動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月03日

(※閲覧注意)ホラー漫画の鬼才、伊藤潤二アニメ「コレクション」放送開始


伊藤潤二『コレクション』 完全版DVD 上巻 -
伊藤潤二『コレクション』 完全版DVD 上巻 -

 本日2018年1月7日(日)22時より、東京MXテレビで、ホラー漫画家伊藤潤二の短編アニメシリーズ「コレクション」がはじまります。(全8話)

【公式】TVアニメ「伊藤潤二『コレクション』」PV【2018年1月より放送開始】(smiral animation)



 公式HP(※かなりエグイです、大画面で淵さん〈※〉のドアップが見られてしまう。)

 ・http://itojunji-anime.com/

(※)淵……ファッションモデル。人間離れした容姿、サメのような歯を持つ。
 冨樫義博作『HUNTER×HUNTER』の人気キャラ「ヒソカ」のパロディシーンでも有名。
 
HUNTER×HUNTER モノクロ版 4 (ジャンプコミックスDIGITAL) -
HUNTER×HUNTER モノクロ版 4 (ジャンプコミックスDIGITAL) -

 なお、以下のチャンネルでも視聴できます。
 ・WOWWOW 1月12日22時〜
  http://www.wowow.co.jp/detail/112040

 ・AT-X 1月10日23時30分〜
  http://www.at-x.com/program/detail/9204

 ・その他、ネット配信情報
  http://itojunji-anime.com/onair/

 ホラー漫画界の鬼才として、あらゆるタイプの恐怖作品を世に送り出している伊藤潤二先生。

伊藤潤二傑作集(1) 富江(上) (朝日コミックス) -
伊藤潤二傑作集(1) 富江(上) (朝日コミックス) -

伊藤潤二傑作集 3 双一の勝手な呪い (ASAHI COMICS) -
伊藤潤二傑作集 3 双一の勝手な呪い (ASAHI COMICS) -

伊藤潤二傑作集 7 首のない彫刻 (ASAHI COMICS) -
伊藤潤二傑作集 7 首のない彫刻 (ASAHI COMICS) -
 
 不条理な世界を巧みな構成と高い画力で紡ぎ出し、現在も太宰治の『人間失格』を独自の解釈で描くなど、活躍を続け、海外でも高い評価を得ています。

人間失格
人間失格(1) (ビッグコミックス) -
人間失格(1) (ビッグコミックス) -

 そんな、伊藤先生の傑作の数々が、アニメ化、今回選ばれた作品のほとんどが、約20年前に発表されたものです。その魅力はまさに不滅。

 実はホラーが苦手なのですが、友人に勧められて読んで以来、恐怖を超えたあまりの作品の完成度の高さにくぎ付けになり、以来、目が離せません。

(でも、アニメ化でカラー&動くとなると、最後まで観られないかもしれません。〈どっちだ〉)

 「朝日ソノラマ」のHPで、一部短編の試し読みができます。正統派ホラーから笑いまで網羅するストーリーの多様性や、不気味な世界に佇む登場人物たちの美しさ(※除「十人並み」の双一)をご覧になってみてください。

 ソノラマPlus「伊藤潤二傑作集」
 http://sonorama.asahi.com/series/ito-junji.html

 その他傑作の魅力についても、当ブログでご紹介させていただく予定です。よろしければお立ち寄りください。

 読んでくださってありがとうございました。





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「猫年の女房」(女優、沢村貞子著『私の浅草』より)

 新年あけましておめでとうございます。

 お正月なので、今回は干支にちなんだお話をご紹介させていただきます。

 黒柳徹子さんに「かあさん」と慕われた名脇役女優、沢村貞子さん。
わたしの脇役人生 (ちくま文庫) -
わたしの脇役人生 (ちくま文庫) -


 エッセイストとしても活躍した彼女が、自身の生まれ育った浅草の思い出をつづった『私の浅草』の中に、こんなお話がありました。

 私の浅草 (暮しの手帖エッセイライブラリー) -
私の浅草 (暮しの手帖エッセイライブラリー) -


 沢村さんが16才ごろのこと、近所に「おすがさん」という女性が住んでいました。

 沢村さんよりひとまわり年上の、申年(さるどし)の28才。

 やせ型で、髪を無造作にひっつめて結い上げ、地味な着物に化粧ッ気のない顔。

 大きな目と形の良い口元で、沢村さんのお母さんに言わせれば十人並みの器量でしたが、その年齢まで浮いた話がまったくない人でした。

 というのも、おすがさんの父親が、浅草男の悪い癖で、さんざん遊んで家族を泣かせた挙句に早死、母親もあとを追うように死んでしまい、まだ十五、六のおすがさんが、弟二人の面倒を見ることになったからでした。

 同情した沢村さんのお母さんのつてで、お母さんの姉が営む仕立て屋の仕事につき、弟たちの仕事の目途もついた頃には、当時の婚期を過ぎていました。

 もう今更お嫁に行く気なんてありません。一生仕立て物をして暮らしていきます。

 不運と戦ってきたために、そんなふうに言い切る表情にも口調にも愛想が無く、男たちの間で話題にもならないおすがさん。

 沢村さんのお母さんは、どうにかいいご縁を見つけられないものかとはがゆがっていました。

 「まあ、無理だな。年齢もなんだが、あの子は色気がなさすぎるよ。年中ギクシャクして、うっかりさわると、カランカランと音がしそうだ。」

 いい男だと芸者衆にもてはやされ、おすがさんの父より輪をかけて道楽者の沢村さんのお父さんは、女を見る目には自信があるとばかりにばっさりと切り捨てていました。



 ところが、ある日、お父さんは、ほおずき市で、おすがさんと大工の仁吉さんが寄り添って歩いていたのを見かけ、目を丸くしました。

 「……はじめは人違いかと思ったよ。銀杏返し(いちょうがえし:日本髪の一種)に結っちゃって……。声をかけたら振り向いて真っ赤になって、仁吉のかげにかくれたりして……色気があるんだよ、これが、――どうなってるんだい。」

 夕飯時のお父さんのそんな噂話に、お母さんは真面目な顔で向き直りました。

 仁吉さんは、無口だけど気のいい働き者で、栗の実のような丸顔と小さな目が人懐っこく、親方からも可愛がられている人でした。



 仁吉さんをおすがさんに引き合わせたのはお母さんでした。

 沢村家の台所の修繕に来ていた仁吉さんと、たまたま家に訪ねてきたおすがさんに、一緒にお茶を飲んでいくように勧めたお母さん。

 弟と同じ年頃、同じ大工という仁吉さんに、おすがさんも珍しく気を許し、仁吉さんの仕事話を熱心に聞き入っていました。

 仁吉さんは、その場でおすがさんに浴衣の仕立てをお願いし、それを仁吉さんの家に届けにいったおすがさんが、震災で身寄りを失くし、一人暮らしだった仁吉さんの部屋を掃除してあげたことから、仁吉さんの好意が深まったようでした。

 「あんまり汚いんで見かねたんでしょう。優しい人ですね。年令は……私より二つ三つ上ですかね。」

 台所修繕の合間に、おすがさんの話をする仁吉さんに、五つ上と言いだしかねて、お母さんは、さあね、いくつになったかしらと空とぼけていました。



 「ちょっとお話が……」

 ほおずき市のすぐ後、見違えるほど優しい風情になったおすがさんが、しかし、思いつめた様子で、沢村さん母娘を訪ねてきました。

 「……仁吉さんのことかい?」

 うつむいてもじもじしているおすがさんに、お母さんがそう促すと、

 「……実は、あの人と一緒になりたいんですけど……」

 消え入りそうに絞り出した声にも、それまでにない甘さがありました。

 「けっこうじゃないか。あの子は働き者で人間もしっかりしてる。お前さんさえその気なら、いくらでも力を貸すよ」

 おすがさんは急に顔を上げました。

 「おかみさん。お願いですから、あの人にきかれても、私の本当のとしを言わないでください。お貞ちゃんより、ひとまわり上の申だなんて――」

 一緒になろうと申し込まれたとき、仁吉さんに、つい「あなたより一つ上の子(ね)年なのに、それでもいいの」と、言ってしまい、今更引っ込みがつかなくなってしまったそうです。

 あんたの弟さんも子年なのに……。そもそも仁吉さんは、年上なのは承知なのだから、そんなに気にしなくても……。と、お母さんがいくらなだめすかしても、

 「五つも年上だなんてわかったら、あの人がっかりします。私だってきまりがわるくて――そんなこと知れたら死んでしまう……」

 果ては、泣き出してしまいました。

 仕方がないので、弟さんにも二つさばをよんで、寅年ということしてもらおう、ということに。

 でも、区役所の届でわかってしまう。

 はっとしたお母さんに、届なんか出さなくったっていい、子供も産みませんと、きっぱり言い切るところに、昔のおすがさんの名残が見えました。

 そのくせ、お願いです、このことは言わないで……と、女っぽいしぐさで、沢村さんたちをおがみ、おすがさんは帰っていきました。



 約10日後、仁吉さんが、あいさつに来ました。

 式の前に届を出してくると聞いて、お母さんは慌てましたが、仁吉さんはその様子に気付き、笑って首をすくめました。

 「あの人がいくつだっていいんです。わたしは学もないし、ああいうしっかりした姉さん女房が好きなんです。ねずみだの申だのってオタオタ言ってるから、いっそのこと、猫年の女房ってことにしようって、ゆうべよく言いましたから……」


 秋になり、赤ちゃんができたらしい、と、報告に来たおすがさん。

 若妻らしく、丸髷(まるまげ:既婚女性の結う日本髪)に結い上げた髪を、淡い桃色の手絡(てがら:結った髪に添える布)で飾り、

 「でも、五つ上っていっても、私は十二月末だし、うちの人は一月の十日だもの、正味、四つと十五日しか違わないんですよ」

 明るく笑うおすがさんの、口元にもっていった左手の薬指に、指輪が光っていました。


(完)


 ちょうど、先日再放送していた大ヒットドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」で、主人公みくりの叔母、「百合ちゃん(石田ゆり子)」と、十七歳下(※)の風見さん(大谷亮平)の恋の行方が話題になりました。
(※原作漫画では二十五歳差)
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※原作の「百合ちゃん」
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 今も年上女性が、好きな人にアプローチされても引け目を感じるという話があるわけですが、沢村さんが少女時代(戦前、1920年代半ば)は、もっと厳しかったようで、今の読者からすれば、そこまで気がねしなくてもと思う状況でも、本人は泣くほど悩んでいます。

(伊藤左千夫の小説「野菊の墓」〈1906年〉では、女性が二才上という理由で、想い合う従姉弟同士が、血縁者たちに引き裂かれてしまいます。)

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 そんな、今なお女性を閉じ込める、見えない檻から、苦労人の朴訥誠実な青年が「猫年の女房ってことにしよう」と、柔らかく連れ出してくれている、心温まるエピソードです。

 『私の浅草』ではこのほかにも、浅草の人々の暮らしや悲喜こもごもが、歯切れよく情緒ある文で綴られていて、とても魅力的なエッセイ集です。

 (花森安治さん編集の「暮らしの手帖」から刊行されていて、花森さんの温かな挿絵やカラフルな装丁も味わい深いです。)

 是非、お手にとってみてください。
 (このブログでもいずれもう少しこの本の内容や、そのほかの沢村貞子さんのエッセイをご紹介させていただく予定です。)

 読んでくださってありがとうございました。

posted by Palum. at 18:29| おすすめ本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月21日

フィールドオブドリームス(1989年アメリカ映画)


NHKBSプレミアムで、明日12月22日(金)午後1:00〜午後2:47に、ケビン・コスナー主演の映画「フィールドオブドリームス」が放送されます。

フィールド・オブ・ドリームス [Blu-ray] -
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(トレイラー)




〇序盤あらすじ

 ある日の黄昏時、自分のトウモロコシ畑で謎の声を聞いた農夫レイ(ケビン・コスナー)。

「それを作れば、彼はやってくる」

(「謎の声」のシーン)


 声の正体は?

 「それ」とは?

 「彼」とは?

 戸惑っていたレイだが、やがて再び彼の目に浮かんだ光景。

 それは、トウモロコシ畑の中の野球場。そして、そこに佇む、白いユニフォームの男。

 かつて、八百長試合に加担したとして、球界を追われた「シューレス(裸足の)・ジョー」。

 男手一つで自分を育ててくれた、今は亡き父の英雄だった選手。

 自分のトウモロコシ畑に野球場を作れば、あの世からシューレス・ジョーがやってくる。

 そう感じたレイは、自分でもほとんどわけがわからないまま、予感に導かれ、野球場を作る。

 どうかしているという隣人たちの目をよそに、畑を半分潰して作り上げた、空の野球場。

(野球場を作る)




 きっと何か起こる。

 そう信じて待つレイと、彼の願いを聞いて、野球場作りを後押しした妻のアニー。

 しかし、季節が移り替わっても、何も起こらず、収穫が減ったために、レイの農園は経営難に陥る。

 野球場はおろか、家を手放さなければいけなくなるかもしれない。

 ある夜、帳簿を前に苛立つレイに、幼い娘のカレンがふいに声をかけた。

 「野球場に誰かいるわ」 

 窓の向こう、トウモロコシ畑にを背にした野球場に、男が立っていた。

 暗がりにもほの白く光るユニフォームの、シューレス・ジョー。

 興奮を抑え、球場に出ていったレイ。

 ジョーは、レイが彼のために、この野球場を作ったと聞くと、自分と同じように、八百長事件で球界を追われたまま世を去った選手たちを連れてきて、野球の練習をしたいと言った。

 そして、野球場を去るとき、振り向いてレイに言った。

 「ここは天国か?」

 「いいや、アイオワだ」

 レイたちに見送られ、トウモロコシ畑に入って行くシューレス・ジョー。

 その姿が、人よりも背の高い、青々としたトウモロコシの列に透けて、消えていった。

 
 これで、予言を果たした。

 亡き選手たちがトウモロコシ畑の野球場で練習に興じる様に、目を細めていたレイだったが、その彼に、再び「声」が語り掛けてくる。

 「彼の苦痛を癒せ」 

 いったい何のことなのか、「声」に問い返しても、返事は無い。

 レイのなすべきことは、まだ終わっていなかった……。



〇見どころ
※中盤の一部ネタバレ動画が含まれています。
 
 現実を超越した展開の中に、果てしなく広がるトウモロコシ畑の緑、アメリカと共にありつづけた野球の力、夫婦、親子の情愛と絆が織り込まれた、1980年代アメリカ映画の最高傑作です。

 主演のケビン・コスナーが、いつもの男性的な魅力を抑えて、普通の生活を送る中年農夫を好演、また、エイミー・マディガンも、レイの突拍子もない夢を、多くを聞かずに支えるアニーの懐深さを自然に演じています。
(中盤、町の会合に出た彼女が、レイを変人扱いした女性を舌戦で叩きのめす場面は見ものです。)


 さらに、レイが聞いた第二の「声」の後、登場する作家テレンス・マン(『ライ麦畑で捕まえて』のサリンジャーがモデル)役にジェームス・アール・ジョーンズ(※)、たった一イニングしか試合に出られなかった「ムーンライト・グラハム」の、引退後の姿をバート・ランカスターが演じるなど、演技派俳優たちが脇を固めており、その豊かな表現力(そしてそれを丁寧にカメラに収めた構成)が感動を後押しします。

(テレンス・マンとの観戦)


(※)NHKのシネマコラムによると、このアール・ジョーンズはダース・ベイダーの声を演じているそうです。確かに非常に独特の響きで、ある場面での彼の語りは、映画の山場の一つとなっています。

 バート・ランカスターは、当初「ここより永遠(とわ)に」(1953)などの、ワイルドな役で成功をつかみましたが、やがて重厚な演技派へと転身し、ヴィスコンティ監督作の「山猫」では、没落貴族の誇りと悲哀を演じきった伝説的名優です。

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 「フィールド・オブ・ドリームス」は、彼の最後の劇場映画出演作となってしまいましたが、ただ歩き、佇み、微笑み、振り向くだけで、場面に暖かくせつない情感が広がる、その圧倒的魅力と演技力に目を見張ります。

(ムーンライトグラハムとの出会い)



(個人的な思い出なのですが、彼がこの翌年出演したテレビ映画「オペラ座の怪人」での彼の名演技に、はじめて「映画を観て泣く」という体験をし、その後「フィールド・オブ・ドリームス」を観て、完全に「映画好き」になったので、自分にとって特別な存在の役者さんです。)

 生きることの苦さや後悔を知りながら、人生に輝きとぬくもりを見出す、この時期のアメリカ映画特有の世界観が、優れたストーリー展開や、演技、音楽、映像美に結実した名作です。結末部は、「アメリカ映画史上最も心打たれる場面」と言っても過言では無いと思います。ぜひご覧ください。

 読んでくださってありがとうございました。

(参照)NHKシネマコラム「豪華名優が集結!ダース・ベイダーの声の人も! フィールド・オブ・ドリームス」坂本朋彦 
http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=12743

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2017年12月01日

(※ネタバレ)漫画、『ポーの一族』「はるかな国の夢や小鳥」見どころご紹介

 前回記事で、吸血鬼の少年エドガーを主人公とした『ポーの一族』の「はるかな国の夢や小鳥」のあらすじを書かせていただきました。


 薔薇の咲く庭の女主人であるエルゼリに出会ったエドガーが、現実と向き合わない彼女を案じ、一方で心惹かれながら、やがて、町を去るまでを描いた短編です。

 今回は引き続いて、この作品の見どころをご紹介いたします


ポーの一族 復刻版 5 (フラワーコミックス) -
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(Kindle版はコチラ



(ネタバレですので、あらかじめご了承ください。)


(作品のみどころ1)新作『春の夢』との関係性

 『春の夢』は、第二次大戦中、イギリス・ウェールズ地方にやってきたエドガーとアランが、ナチスから逃れ、親戚のもとに身を寄せるユダヤ人姉弟と出会うという物語です。

ポーの一族 ~春の夢~ (フラワーコミックススペシャル) -
ポーの一族 ~春の夢~ (フラワーコミックススペシャル) -

 この作品では、「はるかな国の花や小鳥」同様、放浪の中で出会う人とエドガーの交流と、エドガーの彼らに対するほのかな好意が描かれています。

 また、どちらの作品でも、エドガーが他者に関心を示すことに孤独感を覚えるアランの心理にも光があてられています。

 エドガーの心には、いつも亡き妹のメリーベルがいる。

 エドガーはその思い出越しにしか現実と接することができず、アランはそういうエドガーに、もどかしさを感じている。

はるかな国の花や小鳥10.png

 『春の夢』内の二人それぞれの心理的葛藤や、互いの間にある絆と裏返しの緊張感が、この「はるかな国の夢や小鳥」でも描かれているので、新作の前にこの作品を読み返しておくと、二人の関係性がよりわかりやすくなります。


(作品の見どころ2)不滅の愛

 「ポーの一族」の魅力の一つに、登場人物たちが抱く愛情の深さがあります。

 エドガーはメリーベルを死後何年経っても愛しており、彼がエルゼリに心惹かれたのは、彼女の夢見る少女のような魂と、髪の色にメリーベルの面影をみたからでした。

はるかな国の花や小鳥2.png

 一方で、ひと夏の恋人であったハロルド・リーを思い続けるエルゼリは、妹を忘れられないエドガー自身にも重なる人でした。

 エドガーが旅に生きる中で、優しさを見せた人物はほかにもいますが(数年間一緒に旅をした少女リデル、いつかはバンパネラとして仲間に加えるつもりだった少年ロビン・カーなど。)、妹を亡くした悲しみを打ち明け、作中自ら精神的に深く関わったのはエルゼリだけです。

 それは彼女が、メリーベルや、自身の喪失感を思い出させる人だったからでしょう。

はるかな国の花や小鳥4.png

 ただ、ハロルド・リーは、根本的には善良ながら、エルゼリに対しては、別れも告げず、その存在を忘れ去っていました。

 その男を、自分を覚えていようがいまいが愛している。

 それは、エドガーが、生前深い絆で結ばれていたメリーベルを忘れられない以上に、不合理な感情であり、エドガーは、エルゼリに、現実を見るべきだと告げました。

はるかな国の花や小鳥11.png


 エルゼリは、エドガーの真剣な言葉を、静かに拒絶します。

 エルゼリにとって、ハロルド・リーを愛さないということは、そのまま失恋の苦しみや悲しみにつながり、それを受け入れて現実に生きるよりも、(もうハロルド・リーはエルゼリの名前ごと忘れた)彼と夜の森をさまよい、城の幻を見たときに感じた愛と幸福に生きることを選びます。

 すぐそばに、自分を深く愛している、誠実な男性がいるのに。

 ただ、エルゼリの幸福には、ハロルド・リーがこの世に生きているということが必要でした。

 彼の死によって、彼女の幸福は終わりを告げ、後を追おうとして果たせなかったエルゼリは、独り静かにもの思いにふけり、冬を迎えた花のように、世を去りました。



 エドガーは、エルゼリが一命をとりとめたとき、彼女に思いを寄せるヒルス医師に、エルゼリの、ハロルド・リーにまつわる大切な思い出である、「お城の話」を託します。

 彼女の口からその話を聞き、ハロルド・リーとの思い出ごと、彼女を受け止めて幸せにしてあげてほしい。

 ヒルスはそれができるほど、エルゼリを愛していることを、エドガーはわかっていました。

 もう、昔の恋人のことなんか忘れて、ヒルス先生と結婚すればいい。

 合唱団の少年がそう言ったとき、エドガーはうなずきましたが、やがて悲しい顔をします。

はるかな国の花や小鳥6.png



 そして、すぐに町を出たエドガー。

 列車の中で、エドガーは涙し、アランに理由を尋ねられても、涙を抑えられませんでした。

はるかな国の花や小鳥7.png

 本当は、わかっている。

 できない。

 その愛が、どれほど不合理なものであっても。

 ハロルド・リーがもうこの世にいなくても。

 ヒルスの愛が、ハロルド・リーの思い出を受け入れてくれるほど、深く暖かいものであっても。

 この愛に、もはや幻想としての幸福すらなくても。

 愛さないことは、できない。
 
 はるか昔に世を去ったメリーベルを愛し、エルゼリに、メリーベルの面影と、自分の愛の両方を重ね合わせたエドガーには、エルゼリの気持ちがわかっていました。


 エドガーたちが、そうしてほしいと願っていても、エルゼリがヒルスの手をとり、現実の中で幸福になる姿を見ることは無いだろうとわかっていたから、エドガーは、振り返らずに、町を出ていったのでしょう。

 どうすれば現実で幸福になれるか知っている。でも、愛しているから、自分が生涯そういう生き方をできないこともわかっている。

 エルゼリはヒルス先生と結婚すればいいと言った少年に同意しながら、やがてうつむいたエドガーの悲しい顔からは、そうした二つの思いに、胸が引き裂かれるような(しかし、それでも愛が勝ってしまうような)思いがにじみ出ています。

 「ポーの一族」を名作たらしめた、こういうもの哀しい不滅の愛は、しっかりと構成された物語に、霧のような、ほのかな美を常にただよわせており、この作品の、咲き誇るバラの花や、エルゼリの透ける後れ毛に、メリーベルの気配を感じる描写は特に印象的です。

 同じ時期に描かれた萩尾望都さんのもう一つの傑作、「トーマの心臓」の中でも、冒頭、ユリスモールへの愛を抱きながら命を絶つトーマの死が、物語を形作っていきます。



 こうした、ときに現実的な幸福とは相いれないほどの強烈な不滅の愛は、この時期の萩尾作品の持ち味であり、その後、どんな分野の芸術においても、これほど鮮やかに、こうした感情を描いた作品はなかったように思われます。

トーマの心臓 (小学館文庫) -
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(見どころ3)空間に漂う言葉

 この作品のもうひとつの見どころは、空間に配置された言葉の複雑な味わいです。

 台詞のフキダシやナレーション用の枠に区切られることなく、描かれた情景の中に浮かぶ言葉の数々。

 それらは、話者、現実と想像、現在と回想などの定義があいまいなまま、描かれた情景と重なりあって、作品世界に独特の奥行を作りあげています。

 実際にコマの中で、この「漂う言葉」が、どのように作用しているか、ご紹介します。

 (エドガーが、エルゼリにメリーベルの話をして、庭を去りつつある場面。)
はるかな国の花や小鳥8.png

 エルゼリのバラに重なる、メリーベルの笑顔

 咲くバラに重なる、「エドガー エドガー」という、メリーベルの言葉。

 (補足ですが、この、「メリーベルがエドガーの名前を二回呼ぶ」という描写は、兄への愛情と同時に、彼女の最期の場面も思いださせます。)

 庭に立つエルゼリに振り返るエドガー。

 景色に浮かぶ「エドガー兄さん…」「ここは遠い国、はるかな庭……」という二つの言葉。

 この、絵としては描き込みの抑制された画面に浮かび上がる言葉が、一場面に様々な要素を重ねています。

  1,現実にエドガーがいるエルゼリの庭 
  2,エドガーのメリーベルへの追憶(バラに浮かぶ笑顔)
  3,エドガーの記憶の中のメリーベルの声
   (「エドガー、エドガー」「エドガー兄さん」)
  4,メリーベルに重なるエルゼリへのエドガーの思い。
   (かつてメリーベルがエドガーに言った、「永遠に子供である自分たちは、いつまでも『はるかな国』の夢を見ていていい」という言葉を回想し、メリーベル同様に少女の魂を持つエルゼリの生き方に思いを馳せている。)

 「現実」、「亡き人への愛」、「亡き人との記憶」、「現実に自分が言葉を交わした人」への感情が複雑に交錯しながら、そよ風のようなゆらぎしか感じさせない。

 物語に流れる空気の静けさが、線の省略された画面と、漂うような言葉によって生み出されています。



 この、「漂う言葉」がさらに重層的になっているのが結末部です。

 (エドガーが去ったあとのエルゼリを描いている場面)
はるかな国の花や小鳥9.png

 「その人は、それから三年の後、病気で亡くなったと聞きます」という、誰かに語り掛ける声。

 語り手は(エドガーであるはずですが)あいまいにされ、その知らせを誰からどんな風に受けたかも定かではありません。

 ヒルスに「お城」のことを聞かれても微笑むだけで答えなかったエルゼリ、窓辺で物思うエルゼリ。

 この場面を誰が目にしたのか、あるいは、エドガーの想像であるのかもわかりません。

 やがて、語り手のエルゼリへの思いと、エルゼリがかつて抱いた思いを示す言葉が重なり合いながら、物語は結ばれます。

 エルゼリのいない部屋に浮かぶ「あの人は人間にはなりえなかったのでした。」という語り手の言葉。

 バラの花に浮かぶ「わたしが住むのはバラの庭」というエルゼリの思い。
(実際にエルゼリがエドガーにそう語ったことがあったかはわからない言葉)

 エルゼリの微笑、花びらに触れる指先と重なる二つの言葉。
 「たぶん、生まれながらの妖精だったのです」(語り手の思い)
 「くちずさむのは愛の歌」(エルゼリの思い)

 花園に立つ、エルゼリの淡い姿と、二つの言葉。
 「日々おもうのはやさしい人」(エルゼリの思い)
 「あの人は、夢に浮かぶはるかな国の住人だったのでした」(語り手の思い)



 この場面では、「語り手の思い」、「誰かから伝えられた話」、「語り手の想像」、「エルゼリの思い」、「幻想的情景」が、その境目があいまいなまま、結末に向かって流れています。
 
 エルゼリの死や、エドガーがその知らせに何を思ったかなど、大きな動きがあったであろう場面がすべて省略され、ただ、語り手とエルゼリの言葉が、次第におぼろげになっていく情景に響き合いながら、霧に溶けていくように物語が終わる。

 重層的ながら、まるで過剰さがなく、語られない空白が、読者の心に余韻を残す。

 この場面構成がどれだけ巧みであり、漫画にしかできない複雑な表現に成功しているかは、この記事の、文字だけで書き起こした場面とご比較いただけば明白です。

(思い切った抑制や、漫画の特長を生かし切った表現は、こうの史代さんの『この世界の片隅に』と並んで、漫画表現の頂点にあると思います。)

この世界の片隅に : 上 (アクションコミックス) -
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 「漂う言葉」は、萩尾作品に欠かせないものであり、様々な作品で見ることができますが、それが最も複雑かつ印象的なのは、この「はるかな国の夢や小鳥」です。


 短編ながら、今も不朽の名作として語り継がれる『ポーの一族』の魅力が凝縮された作品です。ぜひ、ご覧になってください。


 読んでくださってありがとうございました。


(補足1)当ブログ、萩尾望都作品ご紹介記事
(ネタバレ)「ポーの一族」(1972年)あらすじご紹介(『ポーの一族』40年ぶりの続篇発表によせて)

(※ネタバレ)漫画、『ポーの一族』「はるかな国の花や小鳥」あらすじご紹介

・(※ネタバレ)漫画、『ポーの一族』「はるかな国の夢や小鳥」見どころご紹介

少女漫画の最高傑作『トーマの心臓』



(補足2)当ブログ、こうの史代作品ご紹介記事(※漫画表現を考察した回)
(※ネタバレあり)この世界の片隅に 映画で語られなかった場面(1)ノートの切れ端とリンドウのお茶碗

(※ネタバレあり)「この世界の片隅に」映画で語られなかった場面(2) 雪に描かれた絵と、桜の花びらの舞い降りた紅

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2017年11月30日

(※ネタバレ)『ポーの一族』「はるかな国の花や小鳥」あらすじご紹介


 今年、萩尾望都さんの傑作漫画『ポーの一族』の40年ぶりの新作『春の夢』が発売され、話題となりました。

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 この作品は、「ポー」と呼ばれる吸血鬼(バンパネラ)として、少年のまま不老不死を生きることとなったエドガーを主人公とする連作漫画です。

 今回は、新作『春の夢』の読み込みに役立つ、過去の短編「はるかな国の花や小鳥」のあらすじをご紹介させていただきます。

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(ネタバレですので、あらかじめご了承ください。)

 

(あらすじ)

 不老不死の吸血鬼(バンパネラ)、エドガーは、かつて自分が仲間に加えた友人アランとともに、町から町へと移り住む日々を送っている。

 ある日、エドガーは、バンパネラの命をつなぐバラが咲き誇る庭を見つけ、その庭の女主人、エルゼリと言葉を交わす。

はるかな国の花や小鳥1.png


 バラが欲しければ切ってあげましょう、と、微笑んでエドガーの手を引き、庭に招き入れるエルゼリ。

 エルゼリが近所の少年たちを集めてやっている合唱隊に誘われたエドガーは、しばし、この幸せそうに笑う、美しい女性のもとに通うことにする。

 エルゼリは、育ての親である伯母亡き後、手伝いの女性と、二人暮らしをしていた。

 少年たちと歌い、伯母の遺したバラの庭を愛するエルゼリ。

「なにもかも好きでたのしくて幸せそう」

 エドガーの言葉に、エルゼリはいつものように微笑む。

 エドガーと一緒にバラの庭を歩くエルゼリの、結いあげた髪に漂う後れ毛が、陽を透かして銀色に輝いていた。

 そのうなじの淡い光に、エドガーの亡き妹、メリーベルの面影がよぎった。

はるかな国の花や小鳥2.png


 合唱団に加わっている地元の少年たちは、よそもののエドガーが、エルゼリと親しくなることが気に入らず、ある日、通りすがりのエドガーにからんできた。

 エドガーが、少しも動じず、少年たちの乗っていた自転車を蹴り倒すと、騒ぎを聞きつけ、町医者のヒルスと、エルゼリが仲裁に入る。

 エルゼリに頼まれたから休戦しよう。でもエルゼリになれなれしくするな、と、後で、少年に釘を刺されたエドガーは、ヒルスが毎日エルゼリの庭をとおりかかることを思い出し、あの二人、お似合いかもね、と、微笑んで言った。

 少年の声が荒くなった。

 「これだからよそもんは……エルゼリはだれとも結婚しやしないよ!」

 10年以上前、ハロルド・リーという恋人が、エルゼリを捨てて、裕福な商家の娘と結婚してしまった。

 だから、エルゼリはもう、誰とも結婚しない。



 幸せそうに微笑んでいたエルゼリの、過去。

 思い出のにおいのする人。

 ある雨の日、物思いにふけっていたエドガーは、一人でエルゼリのもとに出かけた。

 こんな天気でも、自分をおいてエルゼリに会いに行くエドガーを、アランは複雑な表情で見送った。




 ヒルスに何度もプロポーズされているのに、恋人に捨てられた腹いせに、独身でいるって本当?

 向かい合ってお茶を飲むエドガーに、そう尋ねられたエルゼリは、いつものように微笑み、促されるままに、思い出話をした。

はるかな国の花や小鳥3.png

 別の町から来た、ハロルド・リーと出会ったのは、夏。

 彼は貧しく、婚約者は裕福。

 でも、彼は、婚約を破棄して戻ってくると、エルゼリに言った。

 エルゼリは、自分の伯母が言うように、彼がもう戻ってこないだろうと、気づいていた。

 彼が町に戻らなければいけない前の夜、二人であてどもなく、夜の森をさまよった。

 崖の下に、城が見えた。

 「お城が見えるわ」

 そう言ってから、エルゼリはすぐに、それが月明かりに照らされた木立だと気づいた。

 だが、ハロルドは、エルゼリの手を握り締めたまま、答えた。

 「ああ、本当だ。お城だね」

 それだけ。

 そう答えたあの人が、世界で一番好きだった。



 それきりハロルドには会えず、手紙も来なかった。

 風のうわさに結婚したということも聞いた。

 今、エルゼリはひとりで薔薇の庭に立ち、でも、

 今も、とても幸せ。




 昔、メリーベルが言っていた。

 にいさん、わたしたちはいつまでも子どもでいられるの。だからいつまでも、はるかな国の、花や小鳥の夢をみていていいのね。



 エドガーから、エルゼリの恋の話を聞かされたアランは冷ややかだった。

 変なんだよ。その女のひと。昔の恋人だって、彼女のことを忘れているに決まっている。

 でも、ずっと愛しているんだよ。

 そう言って、再びエルゼリのところへ行こうとするエドガーに対し、アランは叫んだ。

 「ぼくのことなんてどうだっていいんだ。どうせ、メリーベルのかわりだものね!」

 アランの頬を叩いてしまったエドガー。

 「アラン、ごめん」

 アランはベッドに顔をうずめたまま振り向かなかった。



 その日、エドガーは、合唱団を休み、少年たちに自転車を借りて、ハロルド・リーの住む町に行った。



 「ハロルド・リー?」

 カフェにいた、端正な顔に口ひげをたくわえた紳士が顔を上げた。

 「そうだが、きみは?」

 エドガーは、ただ、言った。

 「エルゼリを知ってる?」

 しばしの間の後、ハロルド・リーは、無心に問い返した。

「エルゼリ…?誰のことだね?」

 自転車に飛び乗ったエドガーは、ハロルド・リーの制止を聞きもせずにその場を走り去った。

 覚えてなかった。

 無理もない。10年も昔の、ひと夏だけの恋人のことなんて。



 夜、エドガーは、庭に立つエルゼリのもとにやってきた。

 ハロルド・リーに会ってきた。あの人は、あなたのこと。

 勢い込んで言おうとした一言は、エルゼリの不思議そうな表情の前で、音を変えた。

 「……覚えてたよ……」

 エルゼリは、いつもの笑みで、ただ、彼がどうしていたか訪ねてきた。

 もしかしたら、彼の記憶に自分がいるかどうかは、エルゼリにとって関係のないことなのかもしれない。

 捨てられ、忘れ去られても、愛していられる。

 悲しみや、憎しみという現実を置き去りにして。

「目をさましたら、あなたは夢を見ているんだ」

 エドガーは、思い切ってエルゼリに言った。

 みんな現実に直面して、悩んだり憎んだり悲しんだりしている。

「はるかな国はどこにもないよ。そんな国に人は住めないよ。エルゼリ」

「でも、憎むのはいや。悲しむのも」

 そんな行き場のない感情には、私は耐えられない。

 あの人を愛し続けていれば、その愛に包まれた世界で、生きていける。

 私が住むのはバラの庭。
 口ずさむのは愛の歌。
 日々思うのはやさしい人。

 「なぜそう幸せでいられる?」

 「なぜ幸せでいられないの?」

 たとえば妹がいない。

 思いおこすだけで幸せになれない。

「どこに行ったんだろう。また生まれてくる?」

はるかな国の花や小鳥4.png

 エルゼリは尋ねた。

「バラを摘んだのは妹さんのためだったの?」

 あれは友人に。でも彼は妹じゃない。

 「…これが愛でね、手を伸ばせば届くの」

 エルゼリの白い手が、バラに触れた。

 「あなたの愛。あなたの妹への愛」

 バラを摘んだエルゼリは、エドガーにそれを手渡した。

 「行き場があるのはいいわ。バラを受け取ってくれる人がいるのはいいわ」

 手の中のバラに、メリーベルの笑顔が淡く広がった。

 ……エドガー、エドガー

 エドガー兄さん…。

 エドガーは、遠ざかりながら、庭に立つ美しい人に振り向いた。

 ここは遠い国…はるかな庭。



 ドアの開く音。

 駆け寄ってきたアランに、エドガーはバラを手渡した。

 「ごめん」

 謝るエドガーに寄り添い、バラの香りをかぐアラン。

 自分には、思い出から帰っても、バラを渡せる人がいる。

 でも、エルゼリには、だれもいない。思いしかない。

 いつか、あの人は夢から覚めることがあるのだろうか。
はるかな国の花や小鳥5.png



 ハロルド・リーは、妻に見送られて家を出た。

 エルゼリ。誰のことだったろう。

 考え込んでいたハロルド・リーの目に、あの自転車に乗った少年が映った。

 「きみ!!」

 急に声をかけられ、驚いて振り向いたのはエドガーではなかった。

 バランスを崩して転んだ少年に迫る馬車。

 ハロルド・リーは、少年に手を伸ばした。



 合唱団の少年たちのために、エルゼリがパイにナイフをあてかけたとき、ばあやが息を切らして駆け込んできた。

「お嬢様、いましがたね、グラッセの奥さんが、ハロルド・リーの葬式にいらしたって」

 エルゼリの手が、止まった。

 振り向いたエルゼリの横顔を、窓から差し込む日が照らす。

 ハロルド・リーは、少年をかばい、自分は馬車の下敷きになったという。

 エルゼリは、ただ、日差しに目を細めていた。

 さっきまで、この世界。わたしのものだったのに。

 「今日はこれでおしまい。もうオルガンが弾けないわ。ごめんなさい。」

 少年たちにそう告げると、エルゼリは自室に戻ってしまった。


 憎しみはいや、悲しみも。早くねむってしまおう。

 ベッドに横たわったエルゼリ。その手には、ナイフがにぎられていた。

 ねむってしまおう。はやく。

 エルゼリは、目を閉じたまま、手首にナイフをあてた。

 もう目覚めまい。明日からは。

 庭のバラは枯れてしまう。明日までには。



 エルゼリの家に向かっていたエドガーは、合唱団の少年に行き会った。

 今日は、合唱の練習は無い。

 ハロルド・リーが死んだから。

 それを聞いた、エドガーは目を見張り、すぐに、駆け出した。

「エルゼリ!!」

 ばあやの制止を振り切って、エルゼリを呼び続け、体当たりでドアを開けたエドガー。

 ベッドに横たわったエルゼリ。

 その手首から血が流れ、エルゼリの懐を赤く染めていた。

 ばあやの悲鳴を背に、エドガーはエルゼリを抱き起して叫んだ。
 
「エルゼリ、目を覚まして!起きて!エルゼリ!!」

 夢の園にただよう少女の魂を、エドガーは呼び続けた。



 もう大丈夫ですよ。発見が早くてよかった。

 処置を済ませたヒルスは、泣きじゃくるばあやさんをなぐさめ、自分も、眼鏡の奥の善良な目から流れる涙を、そっとぬぐった。

 「まったく……あの人は……」



 バラの庭にいたエドガーが、ヒルスを呼びとめた

 「あの人の目が覚めたら、お城の話をしてごらん。」

 目覚めて人間にもどったら。

「あの人にはあなたが必要だよ。今こそ」

 ヒルスにそう言い残し、エドガーは、エルゼリの家をあとにした。



 「助かってよかった。あの人はもう恋人のことなんか忘れてさぁ、ヒルス先生と結婚すりゃいいんだよ!本当に」

 エドガーと並んで歩く少年の言葉に、エドガーは応えた。

「うん、ほんとうに…」

 ほんと……。

 その顔が、哀しげに、陰った。

はるかな国の花や小鳥6.png


「この町を出よう!今すぐだよ!」

 エドガーの急な言葉に戸惑いながら、アランは一緒に列車に乗り込んだ。

「あの庭の女の人にさよなら言ってきた?」

 エドガーは車窓に顔を向けたまま、答えなかった。

「…なにか、おこっているの?」

 アランは、言葉を切った。

 車窓に頬杖をつき、外を眺めていると思ったエドガーが、涙を流していた。

「エドガー、どうして、ねえ、なぜさ」

 肩に手を置き、顔を覗きこむアラン。

 握りしめた拳で目をおおう。

 エドガーの指の隙間を、涙が伝い続けた。

はるかな国の花や小鳥7.png


 …… その人は、それから3年の後、病気で亡くなったと聞きます

 お城のことを聞いた医師に、ほほえむだけで、なにも言わなかったと聞きます

 それからは、合唱団もやめ、黙って花を見、物思う毎日だったと

 あの人は人間にはなりえなかったのでした ……

  わたしが住むのはバラの庭

 ……たぶん、生まれながらの妖精だったのです。……

 くちずさむのは、愛の歌

 日々思うのは、やさしいひと

 ……あの人は、夢に浮かぶはるかな国の住人だったのでした……



(完)

 
 
 「はるかな国の花や小鳥」のあらすじをご紹介させていただきました。
 
 不老不死のバンパネラであるエドガーは、正体を知られないために、普段、人間とあまり関わりを持ちませんが、その彼が、エルゼリに亡き妹の面影を重ねて心惹かれ、悲しみを打ち明けており、そのほかの作品に比べ、エドガーの内面をより深く知ることができる作品です。

 また、絵と台詞の詩情、独特の流れるような場面展開も、名作ぞろいの「ポーの一族」シリーズでもとくに優れています。

 漫画という表現でなければ醸せない味わいに溢れた作品なので、是非お読みになってみてください。

 次回は、作品の見どころをご紹介させていただきます。併せてごらんいただければ幸いです。

 読んでくださってありがとうございました。


(補足)当ブログ、萩尾望都作品ご紹介記事
(ネタバレ)「ポーの一族」(1972年)あらすじご紹介(『ポーの一族』40年ぶりの続篇発表によせて)

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・(※ネタバレ)漫画、『ポーの一族』「はるかな国の夢や小鳥」見どころご紹介

少女漫画の最高傑作『トーマの心臓』

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2017年11月08日

絵画「ロンドン塔の王子たち」と漱石の「倫敦塔」(ドラローシュが描いたもう一つの「怖い絵」)



DelarocheKingEdward.jpg
(出典:Wilipedia 画像提供:Jeffdelonge)

先日、当ブログで、展覧会「怖い絵」の目玉作品である「レディ・ジェーン・グレイの処刑(ポール・ドラローシュ作)」をご紹介させていただきました。

 今回は、作者ドラローシュが、イギリスの史実をもとに描いた、もう一枚の歴史画、「幼きイングランド王エドワード5世とその弟ヨーク公リチャード」 (Edward V and the Duke of York in the Tower)(ルーブル美術館蔵)についてご紹介させていただきます。
(※「怖い絵」展の展示作品ではありません。)

 父王亡き後、叔父リチャード三世によってロンドン塔に幽閉され、のち忽然と塔から姿を消した、幼い王とその弟の姿を描いた絵です。

 この作品は、「レディ・ジェーン・グレイの処刑」同様、ロンドン塔の暗い歴史を物語るものとして、夏目漱石作の短編「倫敦塔」に影響を与えました。


(書籍『怖い絵』の著者、中根京子さんの以下の書籍でも紹介されている絵画です。)

中野京子と読み解く 名画の謎 陰謀の歴史篇 -
中野京子と読み解く 名画の謎 陰謀の歴史篇 -

 

 (概要)

 薄暗い部屋、寝台に腰を降ろした少年と、寝台の側に座り本を広げる、数歳幼げな少年。

 身を寄せ合う二人は、よく似た顔立ちで、兄弟であることが見て取れる。

 弟の肩に手をかけて、頭をもたせかけた兄は、蒼白の顔で、泣きぬれたような目を半ば伏せ、弟は、ページを繰る手を止め、物音に目を見開いている。

 寝台の側に、毛足の長い小型犬が立ち、耳をそばだてて、ドアを見ている。

 ドアの下から、かすかな明かり。

 そして、明かりを遮って、かすかな影……。




 個人的には、大量虐殺の絵や、人が猛獣におそわれる絵など、色々ある怖い絵の中で、この絵が一番怖いです。

 エドワード5世の、嘆きも極まり、既に死者であるかのような顔色とうつろな目。

 そして、弟ヨーク公リチャードの、頬に残る色と、強い恐怖を感じている表情から見て取れる、生を望む心。

 二人の表情の対比も鮮烈ですが、さらに、犬の視線の先、ドアの下から漏れる明かりがかげっていることが、そのまま、忍び寄る暗殺の影を示していることがわかったとき、心臓に冷たいものがよぎりました。

幼きエドワード5世とその弟ヨーク公 部分.png

 劇的な画面の中に、「背後にあるドアの隙間の薄い影」という、見落としてしまいそうなかすかな要素を加えて、不吉と、この後の惨劇をほのめかしている点が、この絵の空間と印象の奥行を深めています。


 (史実の中の少年王エドワード5世と弟ヨーク公リチャード)

 1483年、父エドワード4世の死後、まだ少年だったエドワード5世が王位を継承しました。

 しかし、まもなく王位を狙う叔父のリチャード三世により、弟のヨーク公リチャードとともにロンドン塔に幽閉されてしまいます。

 その後、二人は塔から姿を消し、その消息は長く謎のままとされてきましたが、1674年、塔内で、子供二人の頭蓋骨が発見されました。

 死因や性別は不明ながらも、この骨がエドワード5世とヨーク公リチャードのものであるとされ、やがて遺骨は王族の眠るウェストミンスター寺院に葬られました。

 長年、二人は叔父のリチャード3世に暗殺されたのだと考えられており、その残忍なストーリーは、シェイクスピアの戯曲「リチャード三世」にも描かれました。

リチャード三世 (新潮文庫) -
リチャード三世 (新潮文庫) -

(現在では暗殺命令を出したのは、リチャード三世の後に王位を継承したヘンリー七世の可能性があるともいわれています)

 




(夏目漱石「倫敦塔」への影響)

倫敦塔・幻影の盾 (新潮文庫) -
倫敦塔・幻影の盾 (新潮文庫) -

倫敦塔 -
倫敦塔 -


 以下、この絵画が、漱石の「倫敦塔」に影響を与えた部分を引用いたします。


 石壁の横には、大きな寝台が横わる。厚樫の心(しん)も透(とお)れと深く刻みつけたる葡萄と、葡萄の蔓と葡萄の葉が手足の触るる場所だけ光りを射返す。この寝台の端に二人の小児が見えて来た。一人は十三、四、一人は十歳位と思われる。幼なき方は床に腰をかけて、寝台の柱に半ば身を倚(も)たせ、力なき両足をぶらりと下げている。右の肱(ひじ)を、 傾けたる顔と共に前に出して年嵩なる人の肩に懸ける。年上なるは幼なき人の膝 の上に金にて飾れる大きな書物を開げて、そのあけてある頁の上に右の手を置く。象牙を揉んで柔かにしたる如く美しい手である。 二人とも烏の翼を欺くほどの黒き上衣を 着ているが色が極めて白いので一段と目立つ。 髪の色、眼の色、さては眉根鼻付から衣装の末に至るまで両人とも殆(ほと)んど同じように見えるのは兄弟だからであろう。
 兄が優しく清らかな声で膝の上なる書物を読む。「我が眼の前に、わが死ぬべき折の様を想い見る人こそ幸あれ。日ごと夜ごとに死なんと願え。やがては神の前に行くなるわれの何を恐るる」 弟は世に憐れなる声にて「アーメン」という。折から遠くより吹く木枯しの高き塔を撼(ゆる)がして一度(ひとた)びは壁も落つるばかりにゴーと 鳴る。弟はひたと身を寄せて兄の肩に顔をすり付ける。雪の如く白い蒲団の一部がほかと膨れ返る。兄はまた読み初める。
 「朝ならば夜の前に死ぬと思え。夜ならば翌日あすありと頼むな。覚悟をこそ尊(とうと)べ。見苦しき死に様ぞ恥の極みなる……」
 弟また「アーメン」と云う。その声は顫(ふる)えている。兄は静かに書をふせて、かの小さき窓の方(かた)へ歩みよりて外(と)の面(も)を見ようとする。窓が高くて背が足りぬ。床几(しょうぎ)を持って来てその上につまだつ。百里をつつむ黒霧(こくむ)の奥にぼんやりと冬の日が写る。屠(ほふ)れる犬の生血(いきち)にて染め抜いたようである。兄は「今日もまたこうして暮れるのか」と弟を顧(かえ)りみる。弟はただ「寒い」と答える。「命さえ助けてくるるなら伯父様に王の位を進ぜるものを」と兄が独り言のようにつぶやく。弟は「母様(ははさま)に逢いたい」とのみ云う。この時向うに掛っているタペストリに織り出してある女神の裸体像が風もないのに二三度ふわりふわりと動く。
 忽然(こつぜん)舞台が廻る。見ると塔門の前に一人の女が黒い喪服を着て悄然(しょうぜん)として立っている。面影は青白く窶(やつ)れてはいるが、どことなく品格のよい気高い婦人である。やがて錠(じょう)のきしる音がしてぎいと扉が開あくと内から一人の男が出て来て恭(うやうや)しく婦人の前に礼をする。
「逢う事を許されてか」と女が問う。
「否(いな)」と気の毒そうに男が答える。「逢わせまつらんと思えど、公けの掟(おき)てなればぜひなしと諦めたまえ。私の情(なさけ)売るは安き間(ま)の事にてあれど」と急に口を緘(つぐ)みてあたりを見渡す。濠(ほり)の内からかいつぶりがひょいと浮き上る。
 女は頸(うなじ)に懸けたる金の鎖を解いて男に与えて「ただ束(つか)の間垣間見んよの願なり。女人の頼み引き受けぬ君はつれなし」と云う。
 男は鎖りを指の先に巻きつけて思案の体(てい)である。かいつぶりはふいと沈む。ややありていう「牢守(ろうもり)は牢の掟を破りがたし。御子(みこ)らは変る事なく、すこやかに月日を過させたもう。心安く覚(おぼ)して帰りたまえ」と金の鎖りを押戻す。女は身動きもせぬ。鎖ばかりは敷石の上に落ちて鏘然(そうぜん)と鳴る。
「いかにしても逢う事は叶(かな)わずや」と女が尋たずねる。
「御気の毒なれど」と牢守が云い放つ。
「黒き塔の影、堅き塔の壁、寒き塔の人」と云いながら女はさめざめと泣く。
 舞台がまた変る。
 丈(たけ)の高い黒装束の影が一つ中庭の隅にあらわれる。苔(こけ)寒き石壁の中(うち)からスーと抜け出たように思われた。夜と霧との境に立って朦朧(もうろう)とあたりを見廻す。しばらくすると同じ黒装束の影がまた一つ陰の底から湧わいて出る。櫓(やぐら)の角に高くかかる星影を仰いで「日は暮れた」と背の高いのが云う。「昼の世界に顔は出せぬ」と一人が答える。「人殺しも多くしたが今日ほど寝覚(ねざめ)の悪い事はまたとあるまい」と高き影が低い方を向く。「タペストリの裏で二人の話しを立ち聞きした時は、いっその事止(や)めて帰ろうかと思うた」と低いのが正直に云う。「絞める時、花のような唇がぴりぴりと顫(ふる)うた」「透通るような額に紫色の筋が出た」「あの唸(うな)った声がまだ耳に付いている」。黒い影が再び黒い夜の中に吸い込まれる時櫓の上で時計の音ががあんと鳴る。
 空想は時計の音と共に破れる。石像のごとく立っていた番兵は銃を肩にしてコトリコトリと敷石の上を歩いている。あるきながら一件(いっけん)と手を組んで散歩する時を夢みている。



 寝台に座って不安げによりそう兄弟。
 
 死を思う祈りの言葉を読む兄と、ともに祈りを捧げる弟。

 命さえ助けてくれるなら、王位は叔父に渡すのに。

 そう、つぶやく兄と、母を恋しがる弟。

 一方、未亡人である母は、牢番に、子供たちに会わせてほしいと懇願している。

 気の毒そうに、しかし、掟である以上応じられないと首を振る牢番。母が金鎖を外して、牢番に渡そうとしても、その態度は揺るがない。

 母は牢番の冷酷を嘆く。

 日暮れ時、塔の庭に現れた黒衣の暗殺者たち。

 殺しに慣れた彼らであっても、少年たちを絞め殺した後味の悪さは重くのしかかっていた。

 そんな、主人公の空想は、塔の時計の音で、終わった。



 兄エドワード5世のほうが本を手にしている以外は、ドラローシュの絵画を多く踏襲した場面描写です。

 なお、この二人の王子については、ドラローシュのほか、名作「オフィーリア」で、漱石の小説『草枕』に多大なる影響を与えた画家、エヴァレット・ミレイも描いており、こちらも『倫敦塔』に影響を与えた可能性があります。

(当ブログ「オフィーリア」と『草枕』についての記事はコチラ

 ミレイ作「塔の中の王子」

554px-Princes.jpg




(補足:漫画「薔薇王の葬列」〈菅野 文作〉)

薔薇王の葬列 1 (プリンセスコミックス) -
薔薇王の葬列 1 (プリンセスコミックス) -

 現在、プリンセスコミックで、リチャード三世を主人公とした漫画『薔薇王の葬列』が連載されています。

 ヨーク家とランカスター家の王位争いである薔薇戦争による父王の死、ヨーク家の忠実な参謀であったウォリック伯との確執など、一族とリチャード三世の波乱に満ちた人生が、虚実織り交ぜて展開してゆく作品です。

 シェイクスピア演劇の狡猾残忍なリチャード三世とは異なり、この作品のリチャードは、肉体にある秘密を抱える、美しい人物として描かれています。

(リチャード)
薔薇王の葬列 2 (プリンセス・コミックス) -
薔薇王の葬列 2 (プリンセス・コミックス) -

 周囲の人々を惹きつける美貌と、武術の腕を持ちながら、この秘密を打ち明けられないために孤独にさいなまれるリチャードと、運命の出会いを果たす、無垢の青年。

薔薇王の葬列1.png

 しかし、彼もまた、秘密と深い心の傷を抱えていました。

 
 話がスリリングであるばかりでなく、絵が非常に美しく、とくに、権謀術策の渦に生きながら、特定の人物(家族や心惹かれる相手)には深い愛情を抱く登場人物たちの表情は、それだけでも一読の価値があるほどに魅力的です。

薔薇王の葬列5.png

 この美しくもの哀しいリチャードが、作中でも、史実で囁かれるように、兄の子たちを暗殺してしまうのか。

(漫画の中のエドワード5世とヨーク公)
薔薇王の葬列 王子たち.png


 それとも、リチャードの周辺の誰かが策略を巡らせるのか。

 物語はまだ途中ですが、とても読み応えがあるので、この時代に興味のある方はお読みになってみてはいかがでしょうか。



 以上、ドラローシュ作「幼きイングランド王エドワード5世とその弟ヨーク公リチャード」 と周辺情報ご紹介でした。ご鑑賞の参考になれば幸いです。

 読んでくださってありがとうございました。



(参照URL)
rルーブル美術館《幼きイングランド王エドワード5世とその弟ヨーク公リチャード》

・Princes in the Tower
https://en.wikipedia.org/wiki/Princes_in_the_Tower


・世界遺産vol.7 イギリス ロンドン塔
http://www.xn--eckua7a1o169k170cgian33q.jp/pages/toweroflondon.html
・作品《幼きイングランド王エドワード5世とその弟ヨーク公リチャード》
http://www.louvre.fr/jp/oeuvre-notices/%E3%80%8A%E5%B9%BC%E3%81%8D%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E7%8E%8B%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%895%E4%B8%96%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%BC%9F%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AF%E5%85%AC%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%80%8B

・レプリカ絵画を所蔵するロンドンの「Wallace collection」解説ページ
http://wallacelive.wallacecollection.org/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=65210
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2017年10月31日

「怖い絵」展の「レディ・ジェーン・グレイの処刑」について(歴史、作者、夏目漱石「倫敦塔」との関係)


「レディ・ジェーン・グレイの処刑」(The Execution of Lady Jane Gray)ポール・ドラローシュ作

DelarocheLadyJaneGrey.jpg
(出典:ウィキペディア 画像提供:Uni München)



 2017年10月7日〜12月17日まで上野で、暗い題材の名画ばかりを集めた「怖い絵」展が開かれています。

(中野京子さんの絵画鑑賞本「怖い絵」シリーズと連携した展覧会だそうです。)

怖い絵 泣く女篇 (角川文庫) -
怖い絵 泣く女篇 (角川文庫) -

(展覧会動画)

https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=VwZZgy5eUQk


(中野京子さんインタビュー動画)

https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=A7UFsu1lF6U

 これにちなんで、今回は、展覧会の目玉「レディ・ジェーン・グレイの処刑」(ロンドン、ナショナルギャラリー蔵)についてご紹介させていただきます。

公式HP情報
http://kowaie.com/
http://kowaie.com/pop/pic01a.html?iframe=true&width=705&height=560
(「レディ・ジェーン・グレイの処刑」の解説ページ)


(絵の概要)

 1554年、権力闘争の果てに、女王に祭り上げられ、9日後には王座を追われて、まだ16歳の若さで処刑されたレディ・ジェーン・グレイ。

 目隠しをされているため、断頭台が見えず、手探りをする彼女を、司祭が支えて導いている。

 ジェーンの透けるような指には結婚指輪。

 しかし、それは彼女を女王にするべく周到に用意された、愛の無い政略結婚の証。

 (夫も、この日、処刑された。)

 左側には侍女が二人、あまりにも惨い最期に、一人は柱に顔を押し当てて泣き、もう一人は、ジェーンが処刑のために脱いだマントと宝石を膝に、泣きはらした目で放心している。
 
 処刑人は斧を手に、感情のうかがい知れないうつむき顔で、ジェーンが台に首を置くのを待っている。

 何も思わないことに慣れているのか。

 あるいは、何かを思って手元が狂い、この少女に余計な苦しみを与えることがないように、心の動きを止めているのか…………。




(史実が伝えるレディ・ジェーン・グレイの悲劇)

 ジェーンは、当時カトリック派との権力争いをしていたプロテスタント派の有力貴族ウォーリック伯ジョン・ダドリーに、王家に血筋の近い、プロテスタント派の一族であるという理由で目を付けられ、彼の息子、ギルフォードと結婚させられました。

 その後、ジョン・ダドリーの働きかけで、半ば強制的に女王になったものの、ダドリーに反旗を翻した周辺の貴族達の後押しを受け、カトリック派のメアリー(後にプロテスタントを厳しく弾圧し、「ブラッディ・メアリー(流血のメアリー)」と呼ばれた人物)が女王に即位、ジェーンとギルフォードは逮捕されました。

 ジョン・ダドリーはすぐに処刑されたものの、メアリーは、野心が無いことが明らかなジェーンの処刑をためらっており、あるいは、赦免される可能性があるのではと考えられていました。

 しかし、メアリーと結婚する予定だったスペイン皇太子フェリペが、プロテスタント派の象徴となりうるジェーンの存在を許さなかったこと、ジェーンの逮捕後、プロテスタント派の貴族たち(ジェーンの父親を含む)が反乱を起こしたことなどの理由で、ジェーンの処刑が確定しました。

 ただ、周囲の思惑に翻弄されて結婚し、女王になり、そして死にゆく運命となったジェーン。

 それでも、断頭台の前に座るまでは、取り乱した様子を見せなかったそうですが、処刑人には、小さな声で、「早く済ませてくださいね」と言ったそうです。



 ジェーンの夫ギルフォードは、ジェーンと同じ日、彼女より先に処刑され、彼が幽閉されていた小部屋の壁には、ギルフォードが彫ったとされる「JANE」の名が、今でも残っています。

 ただ、権力を得るために結ばれた、一年にも満たない結婚。

 その果てに、自分と父の野心の犠牲となった妻。
 
 その名を壁に刻み付けた時、自身もまだ18歳の少年だったギルフォードは何を思ったか。

 断頭台の前に跪いたジェーンの思い同様、我々がそれを知るすべはありません。

(参照:onlineジャーニー記事)





(作者、ポール・ドラローシュについて)

 ポール・ドラローシュ(Paul Delaroche)(1797〜1856)は、磨き上げたように滑らかな絵肌の、写実的で端正な画風で、数々の歴史画を生み出し、母国フランスもさることながら、イギリスで高い評価を得た画家です。

 なお、その作風から、史実に忠実に描いているような印象を受けますが、彼の作品にはしばしば創作上の想像が織り込まれており、この「レディ・ジェーン・グレイの処刑」でも、実際には屋外で行われたであろう処刑を、地下の場面に変えているそうです。
(参照:ウィキペディア)


 人間の感情と時代のうねりを感じさせるドラマチックな場面を、静かで緻密な筆致、画面構成で描いたドラローシュ。

 「レディ・ジェーン・グレイの処刑」のほか、歴史画では成功した画家でしたが、宗教画は思うようには認められず、さらに、死後は評価が次第に下がってゆきました。

 (裕福な家庭に生まれ、妻の父の後押しで、当時の芸術アカデミーで安定した地位についていたことも、没後の冷淡な評価につながっていると思われます。)

 しかし、歴史上の人物たちを、まるでそこにいるかのように描いた画力、女性たちの髪や肌の美しさ、抑制からにじみ出る感情表現は、ロンドンに留学していた夏目漱石を強烈に魅了し、「レディ・ジェーン・グレイの処刑」が、幻想的短編小説「倫敦(ロンドン)塔」でとりあげられることとなりました。


 なお、2016年、BBCの絵画鑑定番組「Fake or Fortune?」にドラローシュのものと思われる絵画「聖アメリア、ハンガリー女王(Saint Amelia, Queen of Hungary)」が登場し、本物であることが確認されたため、約40p×30p程度の絵ながら、10万ポンド(約1500万円)の値が付きました。

 (病で早逝した夫が、真筆と信じて大切にしていた絵という、所有者母子の思い出も相まって、感動的な回でした。)
 



(「レディ・ジェーン・グレイの処刑」と夏目漱石「倫敦塔」)

倫敦塔・幻影の盾 (新潮文庫) -
倫敦塔・幻影の盾 (新潮文庫) -

倫敦塔 -
倫敦塔 -

 「倫敦塔」は漱石が留学中、王侯貴族を幽閉し、処刑してきた城塞「ロンドン塔」を題材に描いた短編小説です。

 漱石と思われる主人公「余」は、見学者としてロンドン塔に足を踏み入れ、塔内の職員と言葉を交わしながら、塔の歴史と建物の様子を見つめますが、途中、この塔で起きた数々の歴史的悲劇の情景が彼の前に現れ、主人公は、現在と過去、現実と幻想のはざまに立たされます。



 ジェーン・グレイの処刑の幻が現れる前、彼は子供を連れた美しい女が塔を見学しているのを見かけます。

 美しい女は、塔の壁にあまた残る、囚人たちが自らの爪で彫った絵や字の中から、ダドリー(ダッドレー)家の紋章を示し、これは、ジョン・ダドリーが描いたものだと子供に語っていました。

 紋章の下の読みにくく古い言葉の字までさらさらと読む女の様子に、なにか不気味なものを感じた主人公は、足早に先に進みますが、ふと「JANE」と彫られた壁の前で足を止めました。

 これが、ジェーン・グレイゆかりの字か。

 そう思った主人公の中に、その最期の光景がよみがえってきました。


(以下引用)

英国の歴史を読んだものでジェーン・グレーの名を知らぬ者はあるまい。またその薄命と無残の最後に同情の涙を濺(そそ)がぬ者はあるまい。ジェーンは義父と所天(おっと)の野心のために十八年の春秋を罪なくして惜気(おしげ)もなく刑場に売った。蹂み(ふみ)躙(にじ)られたる薔薇の蕊(しべ)より消え難き香の遠く立ちて、今に至るまで史を繙(ひもと)く者をゆかしがらせる。希臘(ギリシャ)語を解しプレートー(プラトン)を読んで一代の碩学(せきがく※おさめた学問の広く深いこと)アスカム(※イギリスの学者)をして舌を捲(ま)かしめたる逸事は、この詩趣ある人物を想見(そうけん)するの好材料として何人(なんびと)の脳裏にも保存せらるるであろう。余はジェーンの名の前に立留ったぎり動かない。動かないと云うよりむしろ動けない。空想の幕はすでにあいている。
 始は両方の眼が霞(かす)んで物が見えなくなる。やがて暗い中の一点にパッと火が点ぜられる。その火が次第次第に大きくなって内に人が動いているような心持ちがする。次にそれがだんだん明るくなってちょうど双眼鏡の度を合せるように判然と眼に映じて来る。次にその景色がだんだん大きくなって遠方から近づいて来る。気がついて見ると真中に若い女が坐っている、右の端(はじ)には男が立っているようだ。両方共どこかで見たようだなと考えるうち、瞬くまにズッと近づいて余から五六間先ではたと停まる。男は前に穴倉の裏(うち)で歌をうたっていた、眼の凹くぼんだ煤色(すすいろ)をした、背の低い奴だ。磨(と)ぎすました斧を左手(ゆんで)に突いて腰に八寸ほどの短刀をぶら下げて身構えて立っている。余は覚えずギョッとする。女は白き手巾(ハンケチ)で目隠しをして両の手で首を載せる台を探すような風情に見える。首を載せる台は日本の薪割台(まきわりだい)ぐらいの大きさで前に鉄の環(かん)が着いている。台の前部に藁(わら)が散らしてあるのは流れる血を防ぐ要慎(ようじん)と見えた。背後の壁にもたれて二三人の女が泣き崩れている、侍女ででもあろうか。白い毛裏を折り返した法衣(ほうえ)を裾長く引く坊さんが、うつ向いて女の手を台の方角へ導いてやる。女は雪のごとく白い服を着けて、肩にあまる金色(こんじき)の髪を時々雲のように揺らす。ふとその顔を見ると驚いた。眼こそ見えね、眉の形、細き面(おもて)、なよやかなる頸(くび)の辺(あたり)に至(いたる)まで、先刻さっき見た女そのままである。思わず馳(か)け寄ろうとしたが足が縮んで一歩も前へ出る事が出来ぬ。女はようやく首斬り台を探り当てて両の手をかける。唇がむずむずと動く。最前(さいぜん)男の子にダッドレーの紋章を説明した時と寸分違(たが)わぬ。やがて首を少し傾けて「わが夫ギルドフォード・ダッドレーはすでに神の国に行ってか」と聞く。肩を揺り越した一握りの髪が軽(かろ)くうねりを打つ。坊さんは「知り申さぬ」と答えて「まだ真の道に入りたもう心はなきか」と問う。女屹(きっ)として「まこととは吾と吾夫(わがおっと)の信ずる道をこそ言え。御身達の道は迷いの道、誤りの道よ」と返す。坊さんは何にも言わずにいる。女はやや落ちついた調子で「吾夫が先なら追いつこう、後(あと)ならば誘うて行こう。正しき神の国に、正しき道を踏んで行こう」と云い終って落つるがごとく首を台の上に投げかける。眼の凹くぼんだ、煤色の、背の低い首斬り役が重た気(げ)に斧をエイと取り直す。余の洋袴(ズボン)の膝に二三点の血が迸(ほとば)しると思ったら、すべての光景が忽然(こつぜん)と消え失うせた。



 ドラローシュの絵をそのまま漱石の美文で描写し、そこに、夫の生死を尋ねるジェーンと僧の対話が付け加えています。

 (なお、実際にはジェーンはギルフォードが処刑に向かう様子を、自身の幽閉された部屋から見ていたそうです。)

 絵の中の、高貴だがはかなげな少女としてのジェーンと比べ、自身と夫の正しさを疑わず、カトリックの僧に彼らの否を告げるジェーンは、その瞳を目隠しで覆い、首を断頭台に置いてもなお、誇り高く迷いの無いふるまいを見せています。

 あの顔は、あの、壁に刻まれたジョン・ダドリーの紋章を示し、よどみなく字を読んだ女のものだ。

 そう気づいた主人公は、処刑の場に駆け寄ろうとしますが、足が動かず、断頭の血が飛んだと思った瞬間には、幻は消え、あの謎の女も、いなくなっていた……という場面です。



(余談 ポスターとコピー)

 最近、大きな駅では、美術館のポスターが良く貼られており、憂鬱な人込みを縫う移動の中で、大きく引き伸ばされた名画や彫刻は、目の覚めるばかりの鮮やかさですが、この「怖い絵」展の「レディ・ジェーン・グレイの処刑」のインパクトは、ほかの展覧会ポスターとは一線を画しています。

(参照:兵庫県立美術館で開催された「怖い絵」展ポスター)

 当然場面も怖いし、ぽつんと白く浮かぶ「どうして。」のコピーに気付いたとき、全身つむじまで鳥肌が駆け上りました。

 一見きれいな女性が端正に描かれたこの絵が「どうして」怖いのか、と、「どうして」罪もないジェーンが処刑されなければいけないのかということがかかっているんですよね……。

 「狂ってたのは俺か、時代か?(河鍋暁斎の『画鬼、暁斎』)展」

 「永遠を守るための軍隊、参上。(『始皇帝と兵馬俑』展)」

など、最近、見事な展覧会キャッチコピーをよく見かけると思っていましたが、これも暗いながら名作だと思います。

 それにしても、ポスターの意味に気付いた子供が、そこを通れなくなるのではないかとやや心配になる……。




 以上、ポール・ドラローシュ作「レディ・ジェーン・グレイの処刑」の情報をご紹介させていただきました。ご鑑賞の一助になれば幸いです。
(ちなみに上野の展覧会は現在かなり混んでいるそうです。)


 読んでくださってありがとうございました。


(当ブログ関連記事)
「ミレイの『オフィーリア』と漱石の『草枕』」
絵画「ロンドン塔の王子たち」と漱石の「倫敦塔」(ドラローシュが描いたもう一つの「怖い絵」)

(参照URL)
・ポール・ドラローシュウィキペディア記事
 
(日本語版)
 (英語版)
 https://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Delaroche

・Japan Journals「Onlineジャーニー」内記事
「断頭台に散った9日間の若き女王レディ・ジェーン・グレイ」
(臨場感ある文章で、歴史上のジェーンのエピソードを詳しく書いてくださっていました。お勧めです。)  
https://www.japanjournals.com/feature/survivor/4350-lady-jane-grey.html?limit=1

・ロンドン、ナショナルギャラリーHP内、絵画紹介記事(※解説動画つき)
https://www.nationalgallery.org.uk/paintings/paul-delaroche-the-execution-of-lady-jane-grey

・「Art net news」HP内記事
「Long-Lost Panting by French Master Paul Delaroche Authenticated on TV Show」
https://news.artnet.com/art-world/lost-panting-delaroche-surfaces-tv-show-573941
posted by Palum. at 02:30| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月29日

(おすすめ動画)Martin Harkinsさんの「You raise me up」


 
 今日は、雨や寒さでちょっと気持ちが沈んだときにおすすめの動画を紹介させていただきます。

 こちらをご覧ください。



 https://www.youtube.com/watch?v=4RojlDwD07I


 寒そうな曇りの日、町を行き交う人々。

 ひげをたくわえ、眼鏡をかけた紳士が、帽子を裏返して置き、石畳の道に佇む。

 真面目さと微笑の入り混じる穏やかな表情を浮かべた後、両手を組み合わせ、目を上げた紳士は歌い始める。

 
  
  わたしがどんな苦しい時も、あなたが側にいて、力づけてくれる。

  あなたが力づけてくれるから、山の頂にも立てる、嵐吹きすさぶ海も行ける。

  あなたの肩に在るとき、私は強くなれる。

  あなたはわたしを、わたし自身よりも、強くしてくれる。

     (「You raise me up」一部歌詞意訳)





 力強く温かな声と、美しい歌に、人々が足をとめ、ゆるやかに紳士を取り囲んで輪が広がっていく。

 ある人は、紳士の帽子にそっと賞賛のコインを置き、

 ある人は、自分を知るその歌をかすかに口ずさみ、

 ある人は、ほほをつたう涙をぬぐう。

 マフラーや、フード、立てた襟にうずもれた人々の顔が、彼の歌声のぬくもりに、灯されたように、次第に明るくなってゆく。



 雑踏に、今風の服を着た神様が、いつのまにか現れて、歌いだしたような、不思議な光景。



 この、シンプルだけれど、印象的な動画は、オランダの歌手、Martin Hurkensさんのプロモーションビデオです。



 Martin Hurkens(マーティン・ハーケンス)さんは、オランダのオーディション番組「Holland’s Got Talent」の2010年優勝者として一躍有名になった方です。

 (オーディション参加時の動画)


 https://www.youtube.com/watch?v=5CA2QSjRgF4



 Martinさんはパン職人として32年間のキャリアがありましたが、57才でオーディションに参加した頃には、仕事を失くした状態でした。

 もともと、オペラ歌手になりたいと思いつつ、経済的な事情で正式なトレーニングを受けることができず、夢を中断させた人でした(※1)が、娘さんがこっそり彼のことを番組に応募し、オーディションに参加することになりました。

 「お父さんはパヴァロッティみたい」(※2)

 「私たちはお父さんを『パヴァロッティ』って呼んでいるけれど、お父さんはそれをみんなの前で証明しないと」

 二人の娘たちにそう励まされ、ステージに現れた彼は、パヴァロッティの代表曲である、「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」を歌いました。

 (※1)Winkgo記事(下掲)参照
 (※2)ルチアーノ・パヴァロッティ 世界三大テノール歌手の一人。「神に祝福された声」と呼ばれた20世紀後半最高のオペラ歌手。

 ちなみにこの「誰も寝てはならぬ」という曲はイギリスのオーディション番組「Britain’s got talent」で世界的に有名になったポール・ポッズ氏も歌った曲です。



 実力を出し、喝さいを浴びる父を見て、ステージ袖で抱き合う姉妹。

 美しい歌声と、姉妹たちの姿に、プレゼンターの男性も目をうるませていました。

 

 その後、見事オーディション番組で優勝した彼が、路上パフォーマンスをしたのが、あの「You raise me up」の動画です。

 

 この動画が世界的に評判になり、中国での路上パフォーマンスも行われました。こちらも人々のしみじみと聞きほれる表情が心に残ります。(美しいものと、それに胸打たれる心に国境は無いと実感する。)


https://www.youtube.com/watch?v=jk1Uslt8Pv8


 (Martinさんのフェイスブックによると、さらにその後中国での人気が定着し、今でも中国でのコンサートをなさっているそうです。美声とともに、にじみでる「あたたかなお父さんオーラ」がアジア系の人の琴線に触れたのでしょうか。)


 Martin Harkensさんのそのほかのパフォーマンス動画を一部ご紹介させていただきます。

 ・Ave Maria(先ほどと同じ場所での映像です。雨が雪に変わっているけれど、みんなまだ聴いている。)


https://www.youtube.com/watch?v=v8O15DogWgg


 ・Una Furtiva Lagrima(「人知れぬ涙」)オペラ「愛の妙薬」の中のアリア


https://www.youtube.com/watch?v=v8CcDshE08M&list=RDv8CcDshE08M&t=44


 自分が、雨や寒さに、どんよりしたとき、よく聞いて気持ちをあっためていたのでご紹介させていただきました。

 Martin Harkensさんの公式情報ページは以下のとおりです。

・公式HP
http://www.martinhurkens.nl/ ※英語表示可能、国旗表示をクリックしてください。
http://www.martinhurkens.nl/youtube/ (動画集)
http://www.martinhurkens.nl/biografie/(プロフィール)


・フェイスブック
https://www.facebook.com/martinhurkensofficial/


 読んでくださってありがとうございました。



(参照記事)
「This man took off his hat in the middle of street and move everyone to tears」
「Winkgo記事」(2015年掲載)
 http://winkgo.com/martin-hurkens-you-raise-me-up-holland/

posted by Palum. at 12:21| おすすめ動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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