2017年09月24日

アメリカの国民画家アンドリュー・ワイエス おすすめ作品2(孤高のアウトサイダー、ウォルター・アンダーソンをモデルにした作品)

今回も、アメリカの国民的画家、アンドリュー・ワイエス(Andrew Wyeth)(1917〜2009)のおすすめ作品とエピソードについて書かせていただきます。
 
 当ブログ、ワイエス関連の記事は以下の通りです。
 ・アメリカ現代絵画の巨匠 アンドリュー・ワイエス(NHK「日曜美術館」「ワイエスの描きたかったアメリカ」に寄せて)
 ・アメリカの国民画家、アンドリュー・ワイエスのおすすめ作品1(シポーラ夫妻をモデルにした絵画)

(参照:NHK「日曜美術館」「ワイエスの描きたかったアメリカ」番組情報)
http://www4.nhk.or.jp/nichibi/x/2017-09-10/31/25342/1902735/


(資料として、高橋秀治さん著『アンドリュー・ワイエス作品集』(以下、『作品集』と略)と BBCの番組「Michael Palin in Wyeth’s World」を参照させていただきました。)

アンドリュー・ワイエス作品集 -
アンドリュー・ワイエス作品集 -



「Michael Palin in Wyeth’s World」番組公式HP
http://www.bbc.co.uk/programmes/b03njgvc


・友人ウォルター・アンダーソンを描いた作品
(「Young Swede(若きスウェーデン人)」(1938)、「Night Hauling(夜の引網)」(1944)、「Adrift(漂流)」(1982))


 ワイエスは、幼いころから、毎年、避暑のために父の別荘があるメイン州の海辺を訪れていました。

 この、夏は涼しい風が吹き、冬は厳しい寒さとなる地で、少年時代に出会ったのが、ウォルター・アンダーソンでした。

 ウォルター・アンダーソンは、父親の代からの漁師で、フィンランド系とネイティブ・アメリカンのハーフというバックグラウンドを持っていました。

 ワイエスがテンペラ画制作を始めた頃にウォルターの肖像を描いた、「Young Swede(若きスウェーデン人)」(1938)(※)によれば、ウォルターは、北欧の血を思わせる、輝くような金髪で、紺碧の瞳に反骨の閃く美青年でした。

(※)なぜ、フィンランド系のウォルターの絵に「スウェーデン人」とタイトルをつけたのかは謎。

「Young Swede」の画像を含む公式ギャラリーページ (青いシャツを着た金髪の青年の絵。)
http://andrewwyeth.com/gallery/



 ウォルターは、密漁などにも手を染める一種のアウトサイダーでもありました。

 しかし、番組によれば、幼いころから海賊の物語に親しんでいたワイエスの目には、北欧の血を引くウォルターが現代のバイキングのように映り、二人が若いころは一緒にボートを盗みに行っていたりしたそうです。

(ワイエスの父で人気挿絵画家だった、N・C・ワイエスは『宝島』の挿絵を手掛けており、ワイエスにとって海賊とは、父の絵の中の男たちのような存在だったのかもしれません。)

(N.C.ワイエスの挿絵画集)
N. C. Wyeth (Museums of the World) -
N. C. Wyeth (Museums of the World) -


 ワイエスは「Young Swede」と同年、自画像を描いていますが、構図や表情が酷似しており、ワイエスがウォルターに対し、兄弟のような親近感を抱いていたことがうかがえます。

 実際、美しい容姿ながら、無口で人とのコミュニケーションが苦手だったウォルターも、ワイエスとは不思議とうまが合い、(作品集では「それは、ワイエスがかつて集団に馴染めない子供時代を送ったためかもしれない」と分析しています。〈p.134〉)ワイエスは毎夏のように、彼をモデルに作品を描きました。

 あくまで想像ですが、ウォルターにとっても、ワイエスが、周囲と隔絶している自分を、孤高の存在として描き上げてくれることが、誇らしかったのかもしれません。



 ウォルターのアウトサイダーとしての側面と、ワイエスのそれに対する共感や憧れが生んだ名作が、「Night Hauling」です。

 所蔵先「Bowdoin college museum of art」の「Night Hauling」公開画像。

http://artmuseum.bowdoin.edu/Obj9585?sid=27317&x=91436

(「inspect」部をクリックすると拡大画像が見られます。〈非常に美しい。〉)


 夜の海で、小舟に乗った青年(ウォルター)が、罠籠を引き揚げる瞬間。

 罠籠から流れ落ちる海水は燐光に染まり、小さな滝が、小舟のへりに、輝く波紋を広げ、罠籠も灯篭のように淡い光を放っています。

 しかし、光に浮かび上がる青年の顔は、背後に向けられており、こちらからは伺い知ることができません。

 実は、彼が引き揚げているのは、他の漁師が仕掛けた罠籠で、これ(密漁)は、見つかれば死にもつながるような制裁を受ける犯罪行為でした。(作品集p.99参照)

 そのため、ウォルターの目は、神秘的な光でも、ロブスターでもなく、用心深く周囲を見回している。

 ワイエスは、この密漁に同行し、夜の海に燐光が起こす光と水の動きと、ウォルターの緊張感の両方を描き出しました。



 これは、ただ、美しく、特殊な題材の絵であるだけでなく、画材上、夜を描くには不向きであると考えられているテンペラ(※)で、暗がりの複雑な様相を描き出すことに成功したという意味でも、ワイエスの画業の中で、重要な作品となりました。
(番組内、Brandywine river museumスタッフの言葉より)

(※)油絵と異なり、色が淡く、すぐに塗料が乾き、重ね塗りやぼかしに向かない点が、暗さの表現を難しくしているのだと思います。



 ワイエスは一度親しくなった人とは、末永く友情を築く人物で、ウォルターとも、少年時代から、長きにわたり交流を続けてきました。

 ワイエスの絵の中で、挑戦的なまなざしをした青年は、次第に年を重ねていきます。

 そして、病弱だったワイエスより先に、ウォルターの体が衰えていきました。

  1982年、ウォルターとの別れが近づいていることを予感しながら、ワイエスが描いたのが、「Adrift(漂流)」でした。

 「Adrift」の画像を含む公式ギャラリーページ。(舟に横たわる男性の絵。)
 http://andrewwyeth.com/gallery/



 波間の白い小舟に横たわり、瞑目する一人の漁師。

 顔を覆う髭は、かつて輝くばかりだった金髪と同じに透けて光りながらも、白いものが多く混じり、若いころの美しさをうかがわせる彫りの深い顔立ちは、潮風と海に照り返す陽に焼けて、深いしわが刻まれています。

 まどろんでいるようにも、亡骸が彼岸に旅立つようにも見える情景。
 (ワイエス作品には、しばしばこうした生と死のあわいのような気配が漂います。)


 「ウォルターにまつわるワイエスの最も古い思い出は、二人で小舟に乗って時を過ごしたこと。舟はこの友と切っても切れない存在である。ウォルターが自分の前から姿を消しても、舟に乗ってどこかを漂流しているのだろう――そんなふうに思いたいワイエスの心情が伝わってくる。」
(作品集p.168)



 ネイティブ・アメリカンの人々の中には、人が亡くなると、小舟に乗せて海に送り出し、火矢を放って亡骸を灰にするとともに、彼岸に旅立つ魂の灯とする、という習慣があったそうです。(※)

 ワイエスがウォルターのもうひとつのルーツであるネイティブ・アメリカンのこうした物語を知っていたかどうかは定かではありませんが、さまざまな民族が思い描いてきた、「死者の憩う、海の向こうの、永遠の国」へ、向かう姿も彷彿とさせます。

(※)映画「ジブラルタル号の出帆」(1988)より。
 名優バート・ランカスターが、子や孫たちに慕われる祖父を好演したヒューマン・ストーリー。
 自分が世を去ったときに望む埋葬の仕方として、孫たちに、このネイティブ・アメリカンの伝説を語る場面がある。



 この作品は、ウォルターの体が弱っていて、海に浮かべた舟でポーズをとるのは難しかったため、実際には、小屋の中に舟を置いて、描かれたものだそうです。(作品集p.168)



 かつて、海賊を思わせた、夜の海に漕ぎ出し、光輝く罠籠を盗んでいた青年が、今は年を重ね、小屋の中の舟で横たわっている。

 それを描くワイエスと、目を閉じるウォルター。

 互いの胸によぎるものは何だったのでしょうか。



 1987年、ウォルターは、世を去りました。

 1995年、ワイエス夫妻は、ウォルターの生きたメーン州のファーンズワース美術館に一枚の絵を寄付しました。


 「Turkey Pond」(1944)

 鳥を狩るのか、沈んだ緑色の狩猟服とグレーの帽子を身に着けた、金色の髪の青年が、ただ独り、枯れ野を行く絵。

 絵は、この言葉とともに、美術館に託されました。

 「In memory of Walter Anderson(ウォルター・アンダーソンを偲んで)」。


 (所蔵先「Firnsworth museum」の「Turkey Pond」公開画像。)(※画像をクリックすると拡大できます。)

 https://collection.farnsworthmuseum.org/objects/2540



 ワイエスは91歳まで様々な境遇の人物と交流し、ときに数十年にわたり、彼らをモデルに作品を描き続けました。

 自身の体の弱さや、偉大な父の事故死などを経て、常に心の奥底に、生きることのはかなさを感じながら、友情とともに彼らの日々を描いた絵画の数々は、時に理不尽な現実を生きた人々の、葛藤と誇りを物語ります。

 病弱ながら才能に溢れた画家と、過酷な自然や世の中に挑み続けたアウトサイダーの、数奇な、長い友情の軌跡が描かれた名作群を、ぜひご覧になってみてください。

 読んでくださってありがとうございました。


 (参照URL)
・ウィキペディア「アンドリュー・ワイエス」(日本語版)
 
・同上英語版「Andrew Wyeth」
 https://en.wikipedia.org/wiki/Andrew_Wyeth

・アンドリュー・ワイエス公式HP
 http://andrewwyeth.com/
・公式HP「ギャラリー(一部作品画像)」
http://andrewwyeth.com/gallery/

 ・ブランディワイン・リバー美術館
(アンドリューを含むワイエス家三代の絵画を所蔵)
  http://www.brandywine.org/museum
 ・ブランディワイン・リバー美術館
「アンドリュー・ワイエス回顧展(※9月17日まで)」情報 
  http://www.brandywine.org/museum/exhibitions/andrew-wyeth-retrospect
 
 ・ファーンズワース美術館
 (アンドリューを含むワイエス家三代の絵画を所蔵、オルソン・ハウスの保存も手掛ける)
  http://www.farnsworthmuseum.org/
 ・ファーンズワース美術館 オルセン・ハウスのガイドツアー情報
  http://www.farnsworthmuseum.org/experience/tours/olson-house/

・丸沼芸術の森
 (ワイエスの水彩や下絵を主に所蔵、常設展は無いが、2017年9月16日から「アンドリュー・ワイエス 生誕100年記念展」を開催)
 http://marunuma-artpark.co.jp/
 http://marunuma-artpark.co.jp/event/index.html#20170801

【関連する記事】
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2017年09月20日

アメリカの国民画家、アンドリュー・ワイエスのおすすめ作品1(シポーラ夫妻をモデルにした作品)

 今年は、アメリカの国民的画家、アンドリュー・ワイエス(Andrew Wyeth)(1917〜2009)の生誕100年です。
(当ブログ、ワイエスご紹介記事はコチラです。)

(参照:NHK「日曜美術館」「ワイエスの描きたかったアメリカ」番組情報)
http://www4.nhk.or.jp/nichibi/x/2017-09-10/31/25342/1902735/


 これにちなんで、今回は、ワイエス作品のうち、個人的に好きな絵とエピソードをご紹介させていただきます。

(資料として、高橋秀治さん著『アンドリュー・ワイエス作品集』と BBCの番組「Michael Palin in Wyeth’s World」を参照させていただきました。)


アンドリュー・ワイエス作品集 -
アンドリュー・ワイエス作品集 -




「Michael Palin in Wyeth’s World」番組公式HP
http://www.bbc.co.uk/programmes/b03njgvc

(イギリス伝説のコメディグループ、「モンティ・パイソン」の一人、マイケル・ペイリンが、ワイエスの愛した土地と、息子ジェイミーや、モデルとなった人々を紹介した番組。深く、温かみがあり、マイケルの上品な軽妙さと相まって非常に良い番組でした。NHKで放送していただきたい……。)



シポーラ夫妻の絵「Marriage(1993)」と「Glass House(1991)」と、夫妻の復讐事件(笑)



 ワイエスは自分の近隣に住む一般の人々をモデルに描くことを好みました。

 シポーラ夫妻もワイエスの友人となり、ワイエスが夫妻と彼らの日常生活を描けるように、夫妻の自宅の鍵を渡して、ワイエスが好きな時に家に入れるようにしました。

 一般的には想像しづらいですが、ワイエスの代表作「クリスティーナの世界」のモデルとなったクリスティーナ・オルセンと弟のアルヴァロ、さらに同じく重要なモデルだったカーナー夫妻も、シポーラ夫妻と同様、ワイエスを出入り自由にさせていたそうです
(作品集p.169 参照)。

 シポーラ夫妻によれは、ワイエスが勝手に入ってきても「侵入」という感じはしなかったそうです。

(番組では「ほとんど家具の一部のように溶け込んでいた」と形容。)

 ワイエスは幼いころ病弱で、学校に行けなかったそうですが、代わりに、様々な年代、人種、境遇の人々と、長い友情を築きました。

 集団生活にはうまくなじめなかったものの、一度友人となった人たちに対しては、不思議な親和力がある人だったようです。



 このように、ワイエスの(無断)訪問を受け入れていたシポーラ夫妻でしたが、ある朝(5〜6時頃)、夫妻が目を覚ましたら、ベッドのすぐそばにワイエスがいて、眠る夫妻を熱心にスケッチしており、夫人を絶叫させました。
(無理もない。)

 BBCの番組によれば、この「早朝無断訪問絶叫事件」後も、ワイエスは反省の色を見せず、いつもつま先立ちの忍び足で家に入ってきていたそうです。

(慣れ親しんだ土地からほとんど出なかったために「人嫌い」と誤解されたワイエスですが、描くとなると、ものすごく距離が近くなる模様。)

 ちなみにこのときワイエスは70代半ば、すでにレーガン大統領から表彰されるなど、国民画家としての地位を不動のものにしていました。
(でも忍び足で人の家に侵入する。)



 さすがに早朝に何度も入ってこられるのはどうかと思った夫妻は、復讐を画策しました。

 カツラをかぶせたマネキンを、夫妻のベッドに置いて、ワイエスを待ち構えることにしたのです。
(手がこんでる〈笑〉)



 そうして、隣の部屋に隠れ、ドアの隙間から覗いていたところ、いつも通り、静かに勝手に入ってきたワイエスが、様子がおかしいと気付いたのか、布団をめくった瞬間、隣の部屋から「(悪事を)見つけたぞ!!見つけたぞ!!」と、叫んで、ワイエスを驚かせたそうです。

(「We gottcha」=「We got you」で、「見つけた」「捕まえた」という意味があるそうです。)

 「失礼なことをしたけれど、ワイエスもこういういたずらを嫌いじゃなかったんです」

 シポーラ夫人はワイエスとの日々をそう振り返っていました。



 絵を見ると、シポーラ夫妻は上品な熟年カップルなのですが、どこから調達したのかマネキンまで準備して、早朝に二人そろって待ち伏せしている。

 この、復讐のためなら手間を惜しまない姿勢と、夫婦でワイエスの侵入をドアの隙間から覗き見ている様子を想像すると、なぜワイエスが、この二人をモデルにしたいと思ったのかがわかる気がします。



 この、微笑ましいような、国民画家でなければ逮捕されそうな出来事を経て描かれたのが、「Marriage」です。

 (著作権の問題で画像公開が少ないのですが、BBCの番組ページで夫妻が場面を再現している画像があります。絵をご覧になりたい方は「Wyeth marriage」で検索をかけてみてください。)


 ベッドに横たわり、並んで眠る熟年の夫婦。

 カバーは暖かい色をしていますが、開かれた窓の向こうの景色は寒々しく、夫妻の肌も、周辺の空気も、ワイエス独自の、少し沈んだ色調で描かれています。

 そのため、ただ夫婦が並んでスヤスヤ眠る絵のようにも、ともに永遠の眠りについたようにも見えます。
(棺の上に生前の姿で横たわる彫刻〈Tomb effigy〉を思い出させる。)

(Tomb Effigyの一例〈Wikipediaより 画像提供者:AYArktos.〉)

Richard1TombFntrvd縮小.jpg

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Richard1TombFntrvd.jpg;

 また、かすかに死の気配がするために、逆に死後も寄り添う夫婦の、永遠の絆も感じさせます。

 ほのぼのしているような、神聖さの漂うような、ワイエス作品の中でも異色の味わいを持つ作品です。
(あんなコントみたいな裏話があったとは到底思えない。)



 このほか、番組では、制作に没頭するワイエスが、モデルになっていたシポーラ夫人の出勤時間になっても、手を止めようとしないので、仕方なく遅刻の連絡を入れたというエピソードも紹介されていました。

 (夫人曰く「時間の概念が無い人」。絵への執念と集中力がそうさせていたのでしょう。)

 しかし、夫妻はワイエスのそうした態度をおおらかに受け入れていました。

 ワイエスはシポーラ夫人をモデルに「Glass House」(作品集p.95)という作品を描いていますが、この絵からは、彼らに対する、ワイエスの親愛と感謝が感じられます。
(ご覧になりたい方は「Wyeth glasshouse」で検索してみてください。)

 大きな窓に囲まれたサンルームに腰掛け、こちらを向いて、いかにも機転が利いて人好きのするような、どこかいたずらっこを見るようでもある、楽しげなほほえみを浮かべる夫人の姿。

 (くりくりした目と、笑いをこらえるような口元からは、確かに復讐のためにわざわざマネキンとカツラを用意しそうな感じもする。)

 ワイエスがほかの友人たちをモデルに描いた、人生の陰影を感じさせる肖像画とは別の、温かな魅力のある作品です。


ワイエスは彼らと親しくなってから、毎年(約20年間)夫妻のクリスマスパーティーに参加していたそうです。

 (番組でパーティーを再現していましたが、奥様がギターでクリスマスソングを弾き、旦那様がサンタひげと光る赤い鼻をつけてタンバリンを叩いていました。楽しそう。)

 夫妻の手元には、ワイエスがパーティーの仮装で王冠をかぶったり、警官の恰好をしたりして、満面の笑みを浮かべている写真が、大切に保存されていました。



 ワイエスは、様々な人種や境遇の人々を描いたことから、アメリカの平等精神の象徴のようにとらえられ、生誕100年の今(おそらくは政治上その平等の精神がゆらいでいるために一層)、国民画家として、評価が高まっています。

 ワイエスが、人種や、経済的格差に対して偏見を持たず、モデルとなった人々を描いたのは間違いないでしょう。

 しかし、おそらく、それは、特定の信条や政治的意見に則ってではなく、ただ、ワイエスが単純に友人として彼らを好きだったから。

 互いの友情ゆえに、彼らはワイエスにとって大切なモデルとなり、彼らの人柄と、ワイエスの好意が結びついて、観る者の心をとらえる数々の名作へと結実していったのではないでしょうか。

 シポーラ夫妻のエピソードからは、ワイエスのそうした、友人となった他者に対する、人懐こさや、敬意、かなり大胆なようで、相手を侵害せず、受け入れられてしまう、独自の人間的魅力がにじみ出ています。

 是非、作品集で、彼らを描いた絵やエピソードをご覧になってみてください。

 読んでくださってありがとうございました。


 (次回記事では、ワイエスのもう一人の友人、ウォルター・アンダーソン">についてご紹介させていただきます。よろしければ併せてお読みください。)


 (参照URL)
ウィキペディア「アンドリュー・ワイエス」(日本語版)
 
・同上英語版「Andrew Wyeth」
 https://en.wikipedia.org/wiki/Andrew_Wyeth

・アンドリュー・ワイエス公式HP
 http://andrewwyeth.com/
・公式HP「ギャラリー(一部作品画像)」
http://andrewwyeth.com/gallery/

 ・ブランディワイン・リバー美術館
(アンドリューを含むワイエス家三代の絵画を所蔵)
  http://www.brandywine.org/museum
 ・ブランディワイン・リバー美術館
「アンドリュー・ワイエス回顧展(※9月17日まで)」情報 
  http://www.brandywine.org/museum/exhibitions/andrew-wyeth-retrospect
 
 ・ファーンズワース美術館
 (アンドリューを含むワイエス家三代の絵画を所蔵、オルソン・ハウスの保存も手掛ける)
  http://www.farnsworthmuseum.org/
 ・ファーンズワース美術館 オルセン・ハウスのガイドツアー情報
  http://www.farnsworthmuseum.org/experience/tours/olson-house/

・丸沼芸術の森
 (ワイエスの水彩や下絵を主に所蔵、常設展は無いが、2017年9月16日から「アンドリュー・ワイエス 生誕100年記念展」を開催)
 http://marunuma-artpark.co.jp/
 http://marunuma-artpark.co.jp/event/index.html#20170801


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2017年09月09日

アメリカ現代絵画の巨匠 アンドリュー・ワイエス(NHK「日曜美術館」「ワイエスの描きたかったアメリカ」に寄せて)


 9月10日午前9時00分〜 午前9時45分、NHK Eテレの「日曜美術館」で、アメリカの国民的画家、アンドリュー・ワイエス(Andrew Wyeth)(1917〜2009)が特集されます。
(再放送は9月17日20時〜)

(番組公式情報)
 http://www4.nhk.or.jp/nichibi/x/2017-09-10/31/25342/1902735/

 写真と見まごうばかりの緻密な画面で、人や風景、そして神秘的な情景など、多彩な作品を描いたワイエス。

(代表作「クリスティーナの世界」)
Christinasworld.jpg
By http://www.moma.org/collection/object.php?object_id=78455, Fair use, https://en.wikipedia.org/w/index.php?curid=8005786

 今回の特集では、ワイエス作品のうち、移民としてアメリカに生きる人々の絵画にスポットをあて、ワイエスが描こうとしたアメリカとは何であったかについて考察されるそうです。

 今回の記事では、番組解説もご担当される高橋秀治さんの著書、『アンドリュー・ワイエス作品集』(以下『作品集』と略)を主に参照させていただきながら、ワイエスの基本情報をご紹介させていただきます。

アンドリュー・ワイエス作品集 -
アンドリュー・ワイエス作品集 -




(アンドリュー・ワイエスの生涯)

 ワイエスは1917年、ペンシルベニア州の田舎町、チャッズフォードに5人兄弟の末っ子として生まれました。

 父親はニューウェル・コンバース・ワイエス(N・C・ワイエスと略されることが多い。)。
 https://en.wikipedia.org/wiki/N._C._Wyeth

N. C. Wyeth (Museums of the World) -
N. C. Wyeth (Museums of the World) -


 堂々とした質感に満ちた、写実的な画風で、挿絵画家として成功していた人物でした。

 ワイエスは、裕福な家庭で、恵まれた子供時代を送りましたが、心身繊細な子供で、学校に通うことができず、家庭教師に勉強を教わることになりました。

 父の影響で既に絵を学んでいた姉たちと自分を比べ、内心では疎外感を覚えることが多い子供時代だったそうです。

 少年時代は自己流で絵を描いていたワイエスでしたが、15歳のころ、父がワイエスの才能に目を留め、本格的に基礎を身に着けることを勧めます。

(補:作品集に15歳の頃のペン画が載せられていますが、すでに驚異的な緻密さと歴史的想像力を兼ね備えた非凡な才能が見て取れます。)

 自由に描くことを好んだワイエスにとって、この父の指導による基礎訓練は窮屈さを感じるものだったようですが、これにより、ワイエスの才能は磨かれ、数年後にはさらに高い写実技術を身につけました。

 19歳で、水彩による風景画を集めた個展を開くと、作品は完売。ワイエスはすぐに、名声を得ることになりました。

(作品集「ワイエスという画家」部p.5〜6参照)


 ちなみに、ワイエスの作品は水彩のほか、卵テンペラで描かれたものが多いです。

 卵テンペラは、卵の卵黄と絵の具に、酢や油などを混ぜ合わせて色を作り上げる技法(作り方を見るとマヨネーズそっくりです。)で、乾きが早い上に色あせが少なく、油彩と比べると、透明感のある色調で描くことができます。

(数百年前の作品でもいまだ鮮やかな色を保つフラ・アンジェリコボッティチェリ作品がその好例です。)

 一方乾きが速いので、油彩のような画面上で色を混ぜ合わせる形でのぼかし表現が難しく、線を描き込むことで陰影をつけるという方法がとられるそうです。

 この技法を用いることで、ワイエスの作品は、繊細な線描とともに、暗い色合いを用いてもほのかな光が差し込むような神秘的な味わいを持つことになりました。

(普通の人々と質素な家屋を描きながら、どこか神聖な気配が漂っているのは、この描き方それ自体と、観る者の中にある、古き良き宗教画の記憶が重なり合うからかもしれません。)



 23歳のとき、ワイエスは4歳年下の美しい女性、べッツィーと結婚しました。

 べッツィーは聡明な女性で、結婚後はワイエスのマネージャー的役割を務めてくれましたが、この結婚は父の反対を押し切ったものでした。

 売りやすい絵にするために、息子の創作に口出しをする父と、それに内心反発していたワイエスの間には、すでに微妙な緊張感があり、ワイエスは、結婚により、父と精神的距離をとることになりました。

 (彼がテンペラを選んだのも、油彩が得意だった父の影響から逃れるためだったという説があります。)

 しかし、ワイエス28歳のとき(1945年)に、父が交通事故で急死、ワイエスは父との和解と、画家としての父を乗り越える機会を失います。

 「冬」はこの時期に描かれた作品で、寒々しい丘を駆け下りてくる少年の、バランスをくずしかけた姿には、父を失ったワイエス自身の動揺が投影されています。

(「冬」の一部を表紙にした画集)
ワイエス (現代美術 第3巻) -
ワイエス (現代美術 第3巻) -


(作品集「新たな出発」部p.10〜11参照)



 父の死をきっかけに、ワイエスの作品は、きわめて写実的でありながら、物思いにふけるような気配を深めてゆきます。

 第二次世界大戦から冷戦という、社会の混乱期にあっても、ワイエスは途切れることなく、故郷ペンシルヴェニアの田舎と、避暑地メイン(カナダとの国境に位置する州)の人や風景を描き続けました。

(ワイエスは生涯のほとんどをこの二つの地で過ごし、ほかの場所にはめったに出かけなかったそうです。)



 チャッズ・フォードには、ドイツ系や、アフリカ系の移民が住んでおり、隣人として彼らと交流のあったワイエスは、彼らと、彼らの暮らす家屋や生活を描きました。

 なかでもワイエスの心をとらえたのは、少年時代から交流のあったドイツ系移民のカーナー夫妻でした。

 第一次大戦中に従軍経験があり、アメリカ移住後を含め、苦難の日々をくぐりぬけてきた夫カールと、英語を覚えられず、寡黙に働き続けた妻アンナを、ワイエスは、張り詰めた厳粛さとともに描きました。

 ワイエスはカールに、愛しながら複雑な感情のまま失ってしまった父の面影を重ねていたのかもしれないとも考えられています。

(作品集「カーナー農場」部p.45〜67参照)



 また、カーナーが病に倒れてから、看護師としてカーナー家で働き始めたドイツ系女性、ヘルガも、ワイエスの重要なモデルになりました。

(ヘルガの肖像画が表紙の本)
Andrew Wyeth: The Helga Pictures -
Andrew Wyeth: The Helga Pictures -

 この、若さや美貌は無いものの、内に秘めた力を感じさせる肉体と、己の心の陰影を見つめるようなうつむき顔をした女性は、繰り返しワイエスの裸体画のモデルを務め、その絵の存在が長年隠されていたことから、後にマスコミから、二人の男女関係が疑われますが、互いにそれを否定。ヘルガは助手として、ワイエスの最晩年まで彼の身の回りの世話をしたそうです。

(作品集「ヘルガ ー画家とモデルの揺るぎない関係ー」部p.68〜77参照)



 さらに、同じく少年時代から交流があった、幅広い世代のアフリカ系移民、ネイティヴ・アメリカンの血を引く人物など、様々な友人知人を描いたワイエスは、避暑地のメイン州で、彼の名声を決定づけるモデルと出会います。

 アメリカ現代絵画の金字塔とも言える、「クリスティーナの世界」で描かれた女性、クリスティーナ・オルソン。

 「クリスティーナの世界」は、枯れた色の草原に、細く、力の籠った両腕をついて、身を起こし、遠くの家屋に目を向ける女性の後ろ姿を描いた絵画です。

 モデルとなった、クリスティーナ・オルソンは、進行性の病で、この時期両足が不自由になっており、しばしば屋内や周辺の土地を、這って移動していました。
 
 クリスティーナと、彼女を支える弟、アルヴァロの人柄と暮らしぶりに心惹かれたワイエスは、彼らの家に頻繁に出入りするようになり、ついには二人が使用していなかった二階を使わせてもらうようになりました。

(オルソン家に限らず、ワイエスのモデルとなった隣人たちは彼の訪問に非常に寛大で、彼に鍵を渡して、勝手に出入りし、住人や家の中を好きにスケッチすることを許した家庭もあったそうです。〈作品集p.169参照〉)

 この絵は、ワイエスが、オルソン家の上階から、お気に入りのピンクのワンピース姿で、這ってブルーベリーを摘むクリスティーナの姿を見つけたことをきっかけに描かれました。

 絵の所蔵先であるMoma美術館のHP(日本語解説)によると、後に、ワイエスは、この絵について、Moma美術館初代館長にこう書き送ったそうです。

「私の課題は、ほとんどの人に望みなしと思われている彼女の人生を、彼女自身が克服しようとしている並々ならぬ姿を、 しっかりと表現することでした。私が描いたものによって、彼女の世界は、肉体的には制限があっても、精神的にはいっさいそのようなことはないのだと、 ささやかな形であれ、見る人に思わせることができたとしたら、私の目的は達成されたことになるのです。」



 ワイエスは、誇り高く強靭な精神の持ち主であるクリスティーナと、控えめで姉思いのアルヴァロの日常を、彼ら本人の肖像のみならず、不在の部屋や所有物からも描き出しました。

 ワイエスの代表作の一つ、「海からの風」は、古びたレースのカーテンを揺らす夏の風と、窓の向こうに広がる草地と水辺の景色を描いたもので、これも、オルソン家の風景をモチーフにしたものです。

(「海からの風」を使用した本の表紙)
Andrew Wyeth: Looking Out, Looking in -
Andrew Wyeth: Looking Out, Looking in -

 ワイエスとの30年以上の交流を経て、アルヴァロが姉を案じながら逝去すると、クリスティーナも後を追うように世を去りました。

 ワイエスは彼らの死後にもオルソン家を訪れ、主を失った部屋を描くことで、二人の面影を追っています。

(この後、オルソン家は、アップル社のCEOに買い取られ、今は名画の舞台として、地元ファーンズワース美術館の管理下におかれることとなりました。)

(作品集「クリスティーナの世界」部p.110〜p.127参照)



 その後も、古くからの友人たちのほか、妻ベッツィーが、絵画のインスピレーションになるようにと準備した土地や建物を描いていたワイエスでしたが、ときに、リアルな質感と陰影を持ちながら、現実離れした情景を描いて、作品の幅を広げました。

 「雪の丘」は、故郷の雪に覆われた丘で、「メイポール」(※)と呼ばれるリボンや植物で飾られた柱の周りを、様々な年齢、人種の男女が、リボンを手にして、輪になって踊っているという、幻想的な作品です。
(※)本来は春の訪れを祝い、豊穣を願うお祭りで、5月に行われることが多い。

 (「雪の丘」の部分を使用した本の表紙)
Andrew Wyeth's Snow Hill -
Andrew Wyeth's Snow Hill -


 彼らは、それまで、ワイエスと交流を持ち、モデルとなった人々でした。
 カーナー夫妻、彼の息子たちともども友人だった、ビル・ローパー、同じくアフリカ系移民のアダム、ワイエスの身の回りの世話をしたヘルガ、「冬」の少年(ワイエス自身という説もあります。)


 予備知識が無くても、古びた軍服を着たカールや、雪景色など、本来の祭りではありえない情景が、ミステリアスな印象を醸しますが、すでにワイエスの絵全体に魅了された人々には、ワイエスの彼らに対する思いや、画家としての道のりが見て取れます。

 実際に彼ら全員が顔を合わせた機会は無かったと思われますが、自分の人生と創作に関わってくれた人々が、ともに踊る姿で描くことで、彼らと、人生への追憶を表現しているような作品です。

(作品集「奇妙で不思議な絵」p.158〜159参照)

 幼いころから、健康に不安を抱えながら、意図的に、閉じた、しかし、深い世界を生きたワイエスは、2008年の転倒による骨折で、絵が描けなくなるまで、揺るぎなく緻密で端正な作風を保ち続け、2009年、就寝中に世を去りました。

 最後の作品は、浜辺の白い家(妻ベッツィーがワイエスの絵のモチーフとなるように購入した。)から、静かに遠ざかるヨットの絵でした。
(作品集「晩年」部、p.176〜185参照)

 ワイエスの墓はクリスティーナとアルヴァロと同じ墓地にあり、草地の先に、
あのオルソン家が見えるそうです。


 今は、次男のジェイミー・ワイエスが、父、そして祖父を彷彿とさせる圧倒的写実力で、人気画家として活躍しています。

Jamie Wyeth - Jamie Wyeth
Jamie Wyeth - Jamie Wyeth



 優れた技術と、日常を生きる人々への共感、静寂に生と死のイメージが透けて見える神秘性を兼ね備えた、アメリカの国民画家の作品を細部まで見られる機会ですので、ぜひ番組をご覧になってください。

(さらにワイエスについて知りたいという方には、今回私が引用参照させていただいた高橋秀治さんの本がお勧めです。生前のワイエスとも交流があり、日本のワイエス紹介に尽力された方だそうで、多様な作品が鮮明な画像で掲載されている上に、作品に関する詳細なエピソードが数多く読める、とても素敵な本でした。)

 当ブログのワイエス関連記事はこちらです。
 ・「アメリカの国民画家 アンドリュー・ワイエスのおすすめ絵画1」(シポーラ夫妻をモデルにした作品)
「 アメリカの国民画家アンドリュー・ワイエス おすすめ作品2(孤高のアウトサイダー、ウォルター・アンダーソンをモデルにした作品)」

 なた、補足で、ワイエス情報が見られるURLを貼らせていただきます。ご参照ください


 読んでくださってありがとうございました。


(参照URL)
ウィキペディア「アンドリュー・ワイエス」(日本語版)
 
・同上英語版「Andrew Wyeth」
 https://en.wikipedia.org/wiki/Andrew_Wyeth

・アンドリュー・ワイエス公式HP
 http://andrewwyeth.com/
・公式HP「ギャラリー(一部作品画像)」
http://andrewwyeth.com/gallery/

 ・ブランディワイン・リバー美術館
(アンドリューを含むワイエス家三代の絵画を所蔵)
  http://www.brandywine.org/museum
 ・ブランディワイン・リバー美術館
「アンドリュー・ワイエス回顧展(※9月17日まで)」情報 
  http://www.brandywine.org/museum/exhibitions/andrew-wyeth-retrospect
 
 ・ファーンズワース美術館
 (アンドリューを含むワイエス家三代の絵画を所蔵、オルソン・ハウスの保存も手掛ける)
  http://www.farnsworthmuseum.org/
 ・ファーンズワース美術館 オルセン・ハウスのガイドツアー情報
  http://www.farnsworthmuseum.org/experience/tours/olson-house/

・丸沼芸術の森
 (ワイエスの水彩や下絵を主に所蔵、常設展は無いが、2017年9月16日から「アンドリュー・ワイエス 生誕100年記念展」を開催)
 http://marunuma-artpark.co.jp/
 http://marunuma-artpark.co.jp/event/index.html#20170801


・福島県立美術館
  (「松ぼっくり男爵」ほかワイエス作品所蔵。9月24日まで生誕100年を記念して5点を「コレクション展」として展示中)
 ・http://www.art-museum.fks.ed.jp/(トップ)
 ・http://www.art-museum.fks.ed.jp/htdocs/?page_id=28(コレクション展情報)
 ・ニューヨーク近代美術館(Moma)「クリスティーナの世界」
https://www.moma.org/collection/works/78455?locale=ja
https://www.moma.org/audio/playlist/1/240(日本語版解説)


 ・テレビ東京「美の巨人たち」アンドリュー・ワイエス作「松ぼっくり男爵」紹介
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/130622/index.html


(補足)当ブログでアメリカ絵画について一部描かせていただいた記事 
  http://enmi19.seesaa.net/article/442229731.html (「オバマ大統領と絵画」)
posted by Palum. at 19:43| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月07日

「白いアヒルとワルツを」親友を亡くした犬が出会った不思議なアヒルのお話


 本日は海外の記事で見つけた犬とアヒルの友情物語をご紹介させていただきます。

 アメリカのテネシー州にある農園に暮らす犬、ジョージは、親友だったラブラドール犬、ブラッキーの死から立ち直れず、二年間もふさぎこんだ状態でした。

 飼い主のジャッキー・リットンさんによると、ジョージはブラッキーを失ってからというもの、あまり食事をしなくなり、ストレスからか、自分を噛んで皮膚を傷だらけにしていました。



 ところが、ある日、ジョージが玄関のポーチに横たわっていると、アヒルが近寄ってきて、ジョージの側に寝そべりました。

 リットンさんには、アヒルがどこから来たのか、まったくわかりませんでした。

 しかし、あっという間にアヒルはジョージと仲良くなり、ジョージは元気をとりもどしました。

 さらに不思議なことに、アヒルがやってきたのは、ブラッキーの命日の週でした。

 アヒルはジョージについて歩き、ジョージはアヒルに自分のベッドを使わせてあげるそうです。

 ときには、寄り添って眠り、ジョージがアヒルのクチバシを、腕枕ならぬモフモフの脚枕させてあげることも。(動画0:40頃で観られます。)
 

 リットンさんは、このアヒルを我が家に迎え入れることにして、今は、農場に、アヒルのための水浴び場や、トイレを導入する方法を考え中だそうです。

Inside Edition記事を参照意訳させていただきました。)

 

 この不思議で心温まるお話は「bored panda」というネットニュースページでもとりあげられており、亡きブラッキーや、ポーチに寝そべるジョージに近づくアヒルの写真を見ることができます。

 この写真のアヒルが、背後から陽の光を浴びて、妙に神々しい(笑)。

 どこから来たのか、体の大きなジョージを怖いと思わなかったのか、なぜいきなりジョージが好きになったのか、いろいろと謎多きアヒルですが、ひとつ、筆者の体験から言わせていただくと、動物はほかの動物の悲しみを察する能力があり、ときに相手を慰めようとするということです。

 昔、すごく落ち込んでいた帰り道、通りすがりの猫と目が合ったら、寄ってきてくれて、ニャーニャースリスリゴロゴロされながら、しばらく付き添ってくれたことがありました。

(ちなみに猫飼ったことないし、普段はどちらかというと猫に相手にしてもらえないタイプ。以後、二度と、あんなに猫からくっついてくれたことは無い。)

 ほかにも、(うろおぼえで申し訳ないのですが)ネットの書き込みで、
「飼い猫が亡くなって落ち込んでいたら、散歩中の近所の犬(ただ顔を知っているというだけで、まったくコミュニケーションをとったことがない、普段は愛想の無い老犬)が、駆け寄ってきて、しばらく頭をなでさせてくれた」
 という話を読んだことがあります。

 アヒルはジョージの2年経っても風化させられない悲しみを感じ取って寄り添ってくれ、ジョージもその優しさに癒されたのでしょう。

 

 また、もしかしたら、ブラッキーの命日の頃に訪れ、一瞬でジョージとの間に友情が芽生えたこのアヒルは、ブラッキーの生まれ変わりなのかもしれません。

 そんなふうに考えると、思い出さずにはいられない作品があります。

 以前、当ブログでもご紹介させていただいた、小説が原作の映画「白い犬とワルツを」。
(当ブログ、途中までのあらすじご紹介記事はコチラ


白い犬とワルツを (新潮文庫) -
白い犬とワルツを (新潮文庫) -

白い犬とワルツを [DVD] -
白い犬とワルツを [DVD] -

 長年連れ添った妻に先立たれた老人のもとに、不思議な白い犬が訪れるという物語です。

 トレーラーはこちら。(もうこの映像だけで泣けるほど観たし好きな作品です。)



 遺された夫サムは、ある朝、ふいにやってきて、サムになついた白い犬を、妻コウラの魂だと信じて一緒に暮らすようになります。

 愛する存在を失い、深い悲しみに沈む者の側に訪れた、やさしい目をした白くてきれいな生き物というところが、とてもよく似ています。

(朝日を浴びて、サムを見上げる犬の登場シーンと、写真の中の陽に白く輝くアヒルが本当にそっくり。)

 ジョージとアヒルのお話を気に入った方は、併せてごらんになってみてください。

 読んでくださってありがとうございました。



(参照)
・「Wandering Duck Becomes Best Friend to Dog That's Been Depressed for 2 Years」
(出典:「Inside Edition」 著者:Johanna Li  August 18, 2016)
http://www.insideedition.com/headlines/18166-wandering-duck-becomes-best-friend-to-dog-thats-been-depressed-for-2-years

・After This Dog’s Best Friend Died, He Was Depressed For 2 Years But Then This Duck Showed Up
(出典:「boredpanda」著者:Julija Televičiūtė 2016年8月)
http://www.boredpanda.com/duck-saves-dog-depression-george/

(補足)当ブログ 洋画「白い犬とワルツを」ご紹介記事一覧
(ご紹介編)
(ネタバレ編1)
(ネタバレ編2)
(ネタバレ編3)
(ネタバレ編4)

posted by Palum. at 12:00| おすすめ動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月02日

ジャコメッティ贋作事件(ノンフィクション『偽りの来歴』より)


 六本木の新国立美術館で、開催中の「ジャコメッティ展」が、いよいよ終了間近となりました。

・展覧会公式HP(TBS)  http://www.tbs.co.jp/giacometti2017/  

 ・展覧会のTBS公式動画

https://www.youtube.com/watch?v=XxdyAL6IAsE

 ・当ブログ展覧会ご紹介記事
 ・当ブログ展覧会グッズ記事


 今回は、イギリスで起きた贋作事件を題材としたノンフィクション『偽りの来歴』に描かれた、ジャコメッティ作品と贋作事件の関わりについて、印象的だった箇所を、引用、ご紹介させていただきます。

偽りの来歴 ─ 20世紀最大の絵画詐欺事件 -
偽りの来歴 ─ 20世紀最大の絵画詐欺事件 -

〈当ブログでこの贋作事件の概要について書いた記事はコチラです。〉)


 1986年から95年、イギリスの美術業界を大混乱に陥れた、大規模な贋作事件がありました。

 天性の詐欺師、ジョン・ドリューが、生活苦の中にあった画家、ジョン・マイアットをそそのかし、約200点あまりの贋作を制作販売したこの事件、ドリューが、美術館への多額の寄付金をちらつかせて美術館幹部らの信頼を得たのち、美術館の資料室に侵入し、作品の来歴を示す、偽造書類を紛れ込ませるという、かつてない手口で、専門家たちを翻弄しました。

 しかし、そうした偽造資料に一切まどわされずに、作品(絵画)の写真だけで、即座に贋作を見抜いたのが、「ジャコメッティ協会」の女性秘書、パーマーでした。

 葛藤を抱えながらも、腕利きの贋作師であったマイアット(紆余曲折の後、現在も画家として活躍中)と、世界中のジャコメッティ作品の情報を収集管理していたパーマー。

 それぞれの、ジャコメッティ作品に対する考察が語られた文章を読んでいると、次第に、ジャコメッティ作品と、ジャコメッティ本人の、突出した個性が浮かび上がってきます。



 ジャコメッティの贋作にとりかかろうとしたマイアットは、ジャコメッティ本人への理解を深めるために、あらゆる資料を読み漁り、可能な限り美術館に足を運んで、実物を観察しました。

(以下『偽りの来歴』p.82〜p.83より引用)

 「実のところ、ジャコメッティには、満足感はなかった。彼は自分の傑作の多くを失敗作と考えており、手元にある作品に手を加え続けずにはいられなかった。

 『絵に取り組めば取り組むほど、それを終わらせることは不可能になる』と、彼(補:ジャコメッティ)は言っていた。画家であり文筆家でもあった知人の一人は、その芸術的プロセスを『強迫観念的な削減行為』と呼んだ。ジャコメッティが彫刻を作るとき、彼の手は『上から下へとはためくように動き、粘土をつまみ、えぐり、刻み込む。一見すると絶望的な、ほとんど胸がはりさけそうな様子で、真実を捉えるために奮闘しているのだ。』

 『ジャコメッティは、自分自身の創造物と似始めた。骨格はより細くなり、顔はやつれ、髭も石膏の粉で覆われたように白っぽくなった。まるで本人の本質のみに煮詰められたかのようだった。最後には、人物彫像の骨組か、あるいはごつごつした鋼と金網でできた人形のような姿で、角のカフェに座って煙草をふかしていた。一度など、すでに彼が金持ちになっていた頃のことだが。一人で座っている彼を見かけたある婦人が気の毒に思い、コーヒーを一杯おごりましょうと言ってくれた。彼はすぐに受け入れたが、その目は感謝と喜びの色に溢れていた。』(※)

 彼(補:マイアット)が今描いているのは、青灰色の影の中から裸婦像が浮かび上がる単純な構図だ。(中略)シンプルな構造の絵なので、真似をするのは簡単だろうと思っていた。だが、それは間違いだった。

 ジャコメッティは独特のエネルギーを持っていて、意図的であると同時に、まるで逆上して画面に向かったかのようにも見える、もつれあった線で作品を描いた。全身像で描かれている裸婦は、それが強い喚起力をもっていたため、マイアットには、その肉体の下に骨が感じられるほどだった。その不可解なイメージは、カンヴァスの中から、まるでこちらの世界へと足を踏み出そうとするかのように立ち現れてくるのだ。
どうしてジャコメッティにはこんなことができたのだろうか?
(中略)
 この作家はいつもモデルを使って描いていた(彼の妻がお気に入りのモデルの一人だった。)が、モデルには、絶対動かないことと集中することを要求した。彼は一枚の絵に数ヶ月を費やし、ときには制作中、モデルから一メートルに満たないところに座って描くこともあった。彼は、モデルに自分をまっすぐ見つめ、自分の引力の中に入ってくるように頼み、そのモデルをカンヴァスの中に巻き取るのだった。」


 マイアットは、ジャコメッティ作品が、そのシンプルな姿とは裏腹に非常に困難なものであることに気づかされます。
(贋作の発覚を防ぐため、モデルが使えなかったことがより作業を困難にしました。)

 失敗を繰り返しているうち、ドリューに「描けない部分は前に何か別のものを描くことで隠せばいい」と言われたマイアットは、苦肉の策で裸婦の前にテーブルを描きました。

 この贋作が名門オークションハウス、サザビーズのカタログに掲載され、パーマーの目に触れたことから、彼らの犯罪が綻びはじめます。

 パーマーは即座にサザビーズに連絡、来歴を示す書類が完璧であったため、作品はすぐには贋作と確定しませんでしたが(サザビーズは、パーマーに同意して、売却を延期するという対応を取りました。)、パーマーはほかにも贋作が紛れ込むはずだと考え、調査を開始しました。


(※)『』部は、ダン・ホフスタッター「自身の芸術とは異なった生涯」、ニューヨークタイムズ書評、ジェイムズ・ロードによる伝記『ジャコメッティ』評の引用。
(ブログ筆者補:ジェイムズ・ロードは美術評論家でエッセイスト。矢内原伊作同様、モデルとなった経験を『ジャコメッティの肖像』に記した。このときの出来事が、2018年1月公開予定のジャコメッティの映画「ファイナル・ポートレート」の題材となっている。)


ジャコメッティの肖像 -
ジャコメッティの肖像 -


 一方、不本意ながら、裸婦の足の部分をテーブルで隠した贋作(本文中通称「足のない女」)を描いてしまったマイアットは、その後、懸命な努力で、本人としても満足の行く、新しい裸婦像(通称「立つ裸婦」)の贋作を仕上げました。

 こちらは、ニューヨークに渡り、一流の画商が「傑作」として買い取りました。

 絵を買い取った画商、バートスはこの絵が約4550万〜7150万円で売れると見立てて、ジャコメッティ協会に鑑定書の発行を依頼、「立つ裸婦」の写真を送付しました。

(ヴィクトリア&アルバート美術館のHPに、贋作発覚の発端となった作品「立つ裸婦」と、偽造資料の画像が見られる記事があります。
 http://www.vam.ac.uk/blog/national-art-library/from-artifice-to-artefact

 しかし、写真を見たパーマーは、送られてきた写真を見るなり、絵の裸婦に向かって「まっすぐ立ちなさいよ!」と怒りをあらわにしました。

(以下p.215〜216引用)


 「その裸婦は何もかもが間違っていた。なぜならアネット・ジャコメッティが夫のモデルをするときには、まるで歩哨のようにぴったりと脚を合わせて直立不動で立っていたからだ。彼女はすきま風の入るアトリエで何時間もポーズし、ストーヴに火をおこすときだけほんの一瞬休憩をとるのだった。何年にもわたりジャコメッティは、そんな彼女の、疲れを知らない真剣な姿を繰り返し書いてきた。バートスの裸婦は、あまりにも表面的で、重力が不足していた。ジャコメッティは解剖学を熟知していたから、裸婦を描くときも骸骨(スケルトン)の上に注意深く身体を組み立てていた。それに対し、バートスの裸婦はあまりに弱々しく頼りなかった。

 骨が感じられないわ、とパーマーは思った。

 (中略)ジャコメッティは、非常に繊細な筆を使い、熱のこもった筆のタッチを重ねることで像をつくりあげていた。バートスの作品も同じ類いのエネルギーのいくらかはもっていたが、その筆触は、像を核心部分から立ち上げているというよりもむしろ、あらかじめ定められた形を満たそうとしているようだった。」

 バートスへ鑑定結果を知らせようとしていた矢先、新たな贋作情報がジャコメッティ協会に舞い込み、この事件が非常に大規模なものであることを確信したパーマーは、すべての作品に関与したドリューを追い詰めるべく、来歴資料を所有しているテート・アーカイヴス(テート美術館資料部)にコンタクトをとります。

 既にあまりにもドリューと彼のスタッフ(詐欺の共犯者)が頻繁に資料室を訪れること、その態度に不自然な丁寧さがあることに強い違和感を感じていた現場スタッフのジェニファー・ブースが、パーマーの警告を受け、彼らの不審な点について調査を開始、彼女たちの動きを受けて、ついにロンドン警視庁が捜査に乗り出すこととなります。



 マイアットが最初そう感じたとおり、ジャコメッティの作品は技術のある人間なら簡単に模倣できそうな単純化されたものに見えますが、実は莫大な知識と執念(そしてモデルの献身的忍耐)によって作り上げられており、それに敬意を払っていたパーマーにとって、真贋の見分けはいともたやすいことでした。



 わかりやすいわけでもなく、見るからに緻密なわけでなくても、画家がまさしく身を削るようにして才能の全てをぶつけた作品には、やはり、他の誰にも真似できない「真髄」があるのだと感じさせられるエピソードです。

 このご紹介がジャコメッティ鑑賞の一助になれば幸いです。



(また、この『偽りの来歴』については、ほかにも印象的な場面があったので、いずれまた記事にさせていただく予定です。)

 読んでくださって、ありがとうございました。



posted by Palum. at 14:38| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月01日

ジャコメッティ展 グッズ情報

 六本木の国立近代美術館で開催中の「ジャコメッティ展」がいよいよ会期終了間際になりました。



 当ブログ、展覧会ご紹介記事はコチラ

 この展覧会、販売グッズの中に、独特のセンスのものが混ざり込んでいたので、補足でご紹介させていただきます。

 グッズ紹介ページはコチラです。

1、ジャコメッティー(和紅茶)

 ジャコメッティの代名詞とも言える彫刻「歩く男」の写真ラベルつき。

 静岡県 新間の和紅茶。

 「日本生まれの紅茶は、外国産に比べて苦みや渋みがなく、優しく深い味わいが、紅茶ファンの間でも、今、ブームになっています。」
(グッズ説明文の一部)

 ベーシックな売り文句の前で、「なぜジャコメッティグッズで紅茶?」と、一瞬首をひねりましたが、「ジャコメッtea(茶)」というシャレでした。

 シャレがさらにエスカレートしているのが次の2品です。


2、ジャ米ティ

 日本酒「山田錦 大吟醸」に、細くスラリと直立する、「ヴェネツィアの女」の彫刻ラベルつき。

 余分なものを極限まで削りおとして、彫刻を作り上げたジャコメッティのように、米を丹念に削り落として味わいを作り上げた、という理由でグッズになったそうです。

 凄いこじつ……いえ、斬新な発想。

 ちなみにボトル(180ml)も小ぶりで黒くスラリとしているので、空き瓶になっても小粋な一輪挿しなどで活躍させられそうです。


3、ジャコリントウ(カリントウ)

 展覧会の目玉作品のひとつ、彫刻「犬」の写真付き。

 「ジャコメッティの彫刻とかりんとうって、どことなく似ているような感じがしませんか?」
 (グッズ説明文の一部)

 結構いろいろな人が、心のどこかでうっすらとそう感じたとしても、あちらは魂の本質に迫るべく、心血を注いだ芸術作品なのだから、そうゆうことは言ってはいけないという暗黙の了解を、軽やかに超越した商品。

 「エスプレッソ味」と、「黒胡椒・味噌味」がありました。

 ちなみに私は黒胡椒・味噌味を購入しましたが、普通のかりんとうのボリボリという硬派な歯ごたえとは一線を画すサクサク食感に、ピリリと胡椒のきいた甘じょっぱい味で、お酒のアテにもなりそうな、とても美味しいお菓子でした。

 一袋700円だというのに、開けるなり瞬殺してしまった。

「言っちゃったよ(というか作っちゃったよ)この人は……」感に終わらない。クオリティの高さです。

 公式ツイッターには、「好評なのか不評なのかよくわからない」と、公式にあるまじき飾り気の無い見解が載せられていますが、名作です。

「日本ならではのオリジナルグッズです(でしょうね)。ジャコってくださいまし」とのことです。皆さんもジャコりましょう。(でも「ジャコって」って何。)


 以前、河鍋暁斉展で、和菓子の老舗、榮太郎本舗が、「暁斉存命中、榮太郎の社長が、作品を高額な言い値で買って暁斉の名声を高める手助けをした」という縁で、暁斉の絵ラベル入り飴を、グッズとして売っていました。

 これを見たとき、実に粋なはからいだと思いましたが、(ご紹介記事はコチラ)今回のジャコメッティグッズは、さらに斜め上を行く面白みがあります。
 
 というか、ここまで突き抜けたグッズが今まであっただろうか……?

 一見難解な作品展にまぎれこんだ一服のシュールな笑いが、ジャコメッティ作品と我々の距離を近づけてくれています。

 商品化したスタッフの方たちの英断とセンスを賛辞を贈らせていただきます。

(こういう妙に高品質なギャグッズ意外にも、ミュージアムグッズの定番であるTシャツやクリアファイルなどもあります。)

 展覧会にお出かけになる際は、是非併せてお手にとってみてください。

 次回記事では、ジャコメッティ作品がからんだ贋作事件について、ご紹介させていただきます。よろしければまたお立ち寄りください。

 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum. at 20:42| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月26日

ジャコメッティ展

2017年9月4日まで、六本木の新国立美術館で、「ジャコメッティ展」が開催されています。
・展覧会公式HP(TBS)
 http://www.tbs.co.jp/giacometti2017/

 展覧会のTBS公式動画


 https://www.youtube.com/watch?v=XxdyAL6IAsE


 細長い人体の彫刻で有名な、20世紀を代表する彫刻家ジャコメッティ。

 その、不思議な造形は、意外にも、ジャコメッティの「見えるものを見えたままに」作り上げるという執念の果てに生まれたものでした。

 展覧会では、彼の、現実と人間に対する飽くなき探求心がわかる、彫刻や絵画など、大小135点を見ることができます。


 難解なようですが、実際に向き合うと、「人間の本質」や「見ること」について、新しい実感を与えてくれる作品であり、彼の執念を忍耐強く支えた、周囲の人間たちの存在を含め、ジャコメッティという人物と、作品の双方に感銘を受けました。




インターネットミュージアム」の特集動画

 1章「初期・キュビスム・シュルレアリスム」


 2章〜12章

https://www.youtube.com/watch?v=7KAEeSxuxLI

13章「ヴェネツィアの女」、14章「チェース・マンハッタン銀行のプロジェクト」

https://www.youtube.com/watch?v=VALejy9oHAE
 (※14章の展示室、3体の作品が撮影可能)


 〇ジャコメッティと、その作品

 アルベルト・ジャコメッティ(1901-1966年)は、スイスの自然豊かな村、スタンパに生まれ、画家である父の影響を受け、早くから芸術の道を歩み始めました。

 (彼の弟たちも芸術家であり、彼の制作をサポートしました。展覧会では、弟ディエゴ〈ジャコメッティによく似ている〉をモデルとした作品を見ることができます。)

 20歳でパリに出たジャコメッティは、当初キュビズムや、古代、民俗学的彫刻、シュルレアリスムなど、様々な芸術の影響を受けました。

 やがて、彼の生涯のテーマである「見えるものを見えるままに」作ることを目指したジャコメッティは、モデルと対峙する制作方法に転換しました。

 ジャコメッティにとって、「見えるものを見えるままに作る」、というのは、現実に存在する人や物の形をそっくりそのままコピーするという意味ではありませんでした。

 ジャコメッティの視覚が捕らえた、映像の中の対象、ジャコメッティの洞察が捕らえた、対象の内側に宿る本質を、作品化するということだったのです。



 ジャコメッティの「見える」という意味の独自性がよくわかる作例の一つが、指先にも満たない小さな人物像です。

 彼は一時期、制作に集中すればするほど、作品が削られて小さくなってゆくという悩みを抱えていました。

 これは、ジャコメッティが、作者自身と対象との間にある「距離」を、作品に含めたために起きた現象で(たとえ実際には長身の人物であっても、距離を隔てて見た場合、その姿は小さく見える)、戦時中、ジュネーブに逃れ、記憶を頼りに制作せざるをえなくなったとき、時間の経過による心理的距離も発生したのか、彼の彫刻はますます小さくなり、彼がパリに戻ってきたとき、持ち帰れた彫刻は、「マッチ箱に入るほどの小さな6体の彫像のみ」(※1)だったそうです。
(※1)カッコ部、ジャコメッティ展図録52ページより引用。

 実際に展覧会に行って、彼の小さな彫刻群を見、会場のあちこちに立つ観客の人々に目を移すと、確かに人が様々な大きさに見えて、不思議な感覚に陥ります。



 もう一つ、ジャコメッティにとっての「見える」の意味が垣間見える作品として、「猫」が挙げられます。
 
 人体彫刻同様、針金のような四肢に、頭だけが丸くボリュームを持っているこの作品は、弟ディエゴの猫が、正面からジャコメッティのベッドに向かってくる姿を形にしたものです。

 ジャコメッティは頭部だけが大きく見えるという、自分から見た猫を、そのまま作ったために、この姿になったそうです。


 ジャコメッティ「猫」、横から見た姿(展覧会公式Twitterより)
https://twitter.com/giacometti2017/status/876017377607008256

 ジャコメッティ「猫」、正面に近い角度から見た姿(展覧会公式Twitterより)
https://twitter.com/giacometti2017/status/897988619599724544

 このように、ジャコメッティの作品は、見る角度によって、大きく姿も意味も変貌し、観客の側が実際に動き回って鑑賞すると、作品が持つ力がよくわかります。



 ジャコメッティはさらに、対象の内面を見ることを追求しました。

 肉体が内包する本質を現すため、輪郭は次第に削り落とされ、結果、あたかも肉をそぎ落とした骨だけのような姿が現れてきました。

 (そこに、各個人が持つ魂のゆらぎのように、複雑な起伏で陰影がつけられています。)

 この作風が、ジャコメッティの個性を決定づけました。

 ちなみに、死者と生者を分かつものとして、「まなざし」を発見し、それに焦点を置いた作品のいくつか(弟ディエゴの胸像群など)は、ジャコメッティ作品の中では比較的、体積と具体的容姿を持ち、それは確かに、本人の個性を、単に形をそのまま写し取る以上の鮮烈さで表しています。

(ジャコメッティによく似た、そして、彼の制作を支え、忍耐強いモデルの一人であったディエゴの鋭い目の光が、現代芸術に馴染んでいない私にも見て取ることができました。)

 展覧会図録(90p.)には、ディエゴがジャコメッティ作の胸像と同じ角度で座る、魅力的な写真が掲載されています。

 それでも、真正面から見た場合、頭蓋が、現実にはあり得ない幅の狭さなのですが、少し角度を変えると、奥行きによって厚みが加わり、また別の表情(像の視線)が見えてくるので、少し動いて、「現れる」瞬間を捉える妙味が強い作品です。



 自分と対象との距離(空間)、対象を見る者の視点(対象と自身の角度)、対象の肉体が内包する本質、対象のまなざし。

 こうした多様な要素を「見て」、彫刻にしようとしたジャコメッティ。

(余談ですが、ジャコメッティは、絵ではしばしば等身大の人間の質感を表現しています。平面の、限られたサイズの中では、そこまで多様な要素を作品に盛り込もうとしなかったのかもしれません。)

 このため、一見抽象的と思われる作品であっても、実在のモデルは不可欠であり、彼らは、長時間、身動きせずに、画家に「見られる」自分を、題材として提供する必要がありました。

 モデルとしてポーズをとる時間があまりに長く、何日間にも及び、しかもジャコメッティがほんの少しの身動きも許さなかったため、彼の作品のモデルの大半は、彼の理解者だった弟たち、妻アネット、ジャコメッティと親密な関係にあった女性たち、そして友人たちといった、身近な人々に限られていたそうです。



 そうした、ジャコメッティの制作への没頭と才能に魅了され、献身的にポーズをとった友人の中に、日本人哲学者、矢内原伊作がいました。

 仏像のような細い瞳に、筋の通った鼻、細い顎を持ち、どこか古い時代の貴族にも似た、印象的な風貌の矢内原は、その容姿と知性、ジャコメッティの目指すものに対する理解の深さから、ジャコメッティの創作意欲を強く刺激し、求めに応じて、帰国の日をずらしてまで、彼の制作に協力しました。

 その期間は実に72日間。
(このときのことを、矢内原は、著作『ジャコメッティ』(みすず書房)に記しています)
ジャコメッティ -
ジャコメッティ -


 しかし、ジャコメッティはその後も矢内原をパリに繰り返し招待し、彼の姿を描き、彫刻を彫り上げたそうです。

 今回の展覧会では、ジャコメッティがありとあらゆる機会に矢内原を描いたことがわかる、紙ナプキンや新聞の紙面へのデッサンが展示されていましたが、彫刻もディエゴの胸像同様に、モデルの深淵を捉えた素晴らしい作品です。

「Japan Times」内のジャコメッティと矢内原を紹介した記事で、彼の頭部彫刻画像をみることができます。(※今回の展示作品ではありません。)
出典:「Sculptor’s immobile muse helped him see inner man」
(C.B. LIDDELL 著)
https://www.japantimes.co.jp/culture/2006/06/15/arts/sculptors-immobile-muse-helped-him-see-inner-man/




  〇ジャコメッティと、贋作事件

 最後に、少し個人的な話を付け加えさせていただきます。

 私が、ジャコメッティについて知りたいと思ったのは、彼が日本人である矢内原伊作をモデルにしていたということのほかに、こんなエピソードを読んだことがあったからです。

 1986年から95年にかけて、イギリスで発生した大規模な贋作事件。

 ジョン・ドリューという人物が、生活苦の中にあった、画家、ジョン・マイアットを引き入れ、約200点あまりの贋作を制作販売、名だたる美術館やオークション会社をも欺き、業界を大混乱に陥れました。

 美術館の資料室に侵入し、贋作の出どころが由緒あるものであることを示す偽の書類を紛れ込ませるという手口で、真贋鑑定の大切な手掛かりとなる資料を偽造したことで、多くの専門家たちが惑わされましたが、そのとき、送られてきた作品画像だけで、すぐに作品(「立つ裸婦」の絵)が贋作であることを見抜いたのが、「ジャコメッティ協会」の秘書である女性でした。

 彼女は、ジャコメッティの妻アネット(協会の理事)と、家族のように結束し、来歴に惑わされずに一瞬で真贋を見抜く鑑定眼を持っており、アネット同様のジャコメッティ作品に対する情熱から、その疑わしい作品たちが、ジャコメッティが心血を注いだ作品群に混じることを決して許さず、周囲と意見が対立しても、断固流通を阻止したそうです。

(この出来事については事件を描いたノンフィクション『偽りの来歴』〈レニー・ソールズベリ/アリー・スジョ著〉で読むことができます。それ以外のエピソードも非常に興味深い本です。〈当ブログでこの贋作事件の概要について書いた記事はコチラです。〉)

偽りの来歴 ─ 20世紀最大の絵画詐欺事件 -
偽りの来歴 ─ 20世紀最大の絵画詐欺事件 -


 なお、ヴィクトリア&アルバート美術館のHPに、贋作発覚の発端となった作品「立つ裸婦」と、偽造資料の画像が見られる記事があります。

 http://www.vam.ac.uk/blog/national-art-library/from-artifice-to-artefact
 (拡大画像)

 この話を読んだとき、ジャコメッティについて、ただ、「難解だがどこか印象的な細長い彫刻を作る人(矢内原伊作がお気に入り)」とだけ思っていた私は、正直「専門家とはいえ、なんで現物も見ずに一瞬でわかったのか(一流画廊の人間が傑作と思い込むほどの出来だったのに)」と、不思議に思いました。

 贋作師は現代美術を題材にすることを好むそうです。

 画材の調達が容易であり、丹念にリアルに(写真のように)描き込まれた古い絵画より、比較的模倣しやすいためだと思われます。

 しかし、世間一般の「リアル」とは、ほど遠いジャコメッティ作品が、贋作を暴いた。

 難解で(正直、最初、あの細長い作品は、ものすごく長い時間モデルを見ながら作ったものだ、と知ったときには、「なんで?」とすら思いました。〈ごめんなさい〉)、自分の殻に閉じこもっているようにも見える彼の作品には、実際には、なにか、作品と波長を合わせた人間には、瞬時にはっきりと見て取れる「芯」のようなものがあるのではないか。と、この話を読んで、思わされました。

 その「芯」を、少しでも感じてみたくて、ほとんど知らない現代芸術の展覧会に行ってみたのですが、実際に見てみて、その「芯」を形成しているであろう、ジャコメッティ独自の「見る」ということの深い意味と、危ういとすらとれる、作品とモデルに対する真摯な没頭、そして、労力を惜しまず彼に協力した周辺の人々の、彼と作品に対する敬意に、触れることができたような気がします。

 東京での会期は残りわずかとなりましたが、気になる方は、是非、足を運んでみてください。

 後日、当ブログで『偽りの来歴』の中にあった、ジャコメッティに関する記述を、少し引用ご紹介させていただく予定です。よろしければ併せてごらんください。

 読んでくださってありがとうございます。


(補足)当ブログジャコメッティ関連記事
展覧会グッズ情報
ジャコメッティ贋作事件

(参照URL)
ジャコメッティ展 ジュニアガイドPDF
http://www.nact.jp/exhibition_special/2017/giacometti2017/pdf/20170621_a_1.pdf

雑誌『ELLE』ジャコメッティ特集記事「魅惑の彫刻家を5つのエピソードでひも解く! エル的ジャコメッティ入門ガイド」
http://www.elle.co.jp/culture/feature/giacometti17_0612/1



(参考文献)
「ジャコメッティ展 2017」(※展覧会図録)
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大岡昇平作『野火』あらすじご紹介(※結末部あり)

 現在(2017年8月)、NHKの名作本紹介番組「100分de名著」で、大岡昇平作『野火』がとりあげられています。

野火 (新潮文庫) -
野火 (新潮文庫) -

大岡昇平『野火』 2017年8月 (100分 de 名著) -
大岡昇平『野火』 2017年8月 (100分 de 名著) -

【次回放送時間】
 2017年8月28日(月)午後10時25分〜10時50分/Eテレ
【再放送】
 2017年8月30日(水)午前5時30分〜5時55分/Eテレ
 2017年8月30日(水)午後0時00分〜0時25分/Eテレ

 NHKの番組紹介ページはコチラ

http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/68_nobi/index.html


 第二次大戦時、敗戦を目前としたフィリピンの地で、病のために孤立した兵士田村が、飢餓の中で、兵士たちが互いを食うため殺し合うという、極限状態に直面する物語です。

 目を覆う惨状を題材としながら、極限状態でも「思考する人」であり続ける田村を通じて描かれる世界は、独特の静けさと重厚さを持ち、「人間を食べない自分」を保とうとする田村の葛藤や、彼が偶然出会った瀕死の日本兵の、彼に対する赦しの言葉が、人間に残された最後の魂の力を感じさせます。

 最初に読んだときは、その惨禍に衝撃を受けましたが、思考することをやめず、状況に抗い、他者からの赦しを忘れられない一人の人間のありようが描かれていることに気づいてから、光景への恐怖よりも、その心の動きに胸を打たれました。

 以下、あらすじをご紹介させていただきます。

(結末部まで書かせていただいていますので、あらかじめご了承ください。また、一部現代には不適切な表現がありますが、作中の言葉を使用させていただいています。)



 第二次大戦時、日本の敗北が決定的となったフィリピン戦線で、「私」田村一等兵は、肺を病みながら、数本の芋だけを食料として渡され、隊から追放される。

 入院しろ、断られたら、手持ちの手榴弾で死ね。

 それが、隊長からの命令だった。

 病院の外には、「私」と同じように栄養失調で消耗しながら、物資不足と患者の多さから、入院を断られ、死を待つしかない人々が大勢いた。


 病院がアメリカ軍に攻撃されたので、「私」は熱帯の山の中に逃げ込んだ。

 自分の死を確信しながら、「私」が逃げたのは、死が決まっている自分の、孤独と絶望を見極めようという、暗い好奇心のためだった。



 独り、山をさまよっていた「私」は、自分が生きているのか死んでいるのか、時折わからなくなったが、現地の住人の畑を見つけ、そこで、つかの間、食料に不自由しない日々を過ごす。

 畑近くの海を見に行った「私」は、林の向こうに教会の十字架を見つけた。

 そこへ行ってみたいという気持ちをおさえられなかった「私」は、村人に見つかる危険を承知で、十字架のある場所へ行った。

 村は既に無人で、食料を奪おうとして殺されたのであろう日本兵たちの朽ち果てた死体だけが残されていた。

 教会に入り、イエスの処刑の絵と、十字架上のキリスト像を見た「私」は泣いた。

 救いを求めて教会まで来た自分の見たものは、日本兵の死体と出来の悪いキリストの絵だった。

 少年時代に教わった、聖書の言葉が口をついて出たが、答えは無かった。

 自分の救いを呼ぶ声に応える者は無い、と、あきらめた「私」は、この時、自分と外界の関係が断ち切られたのを感じた。



 村に残された食料を探していた「私」は、塩をとりに戻ってきた若い男女に出くわし、騒がれたので、女を撃ってしまった。男は逃げた。

 「私」は、銃を持っていたために反射的に女を撃ったが、銃は、国家が兵士としての「私」に持たせたものであり、もはや、兵士として用の無い人間になった自分が、罪の無い人を撃つために持つべきものではない。そう気づいた「私」は、銃を捨てた。



 畑に戻った「私」は、退却中の日本兵たちに会った。彼らの中には、病院の外で話した日本兵たちも混じっていた。

 彼らとともにパロンポンまで退却できれば、軍に戻り、生き延びられる可能性がある。

 「私」は再び銃を支給され、彼らとともにジャングルを進んだ。

 ゲリラの攻撃、食糧難など、その道のりは非常に過酷なものであり、アメリカ兵に降伏したくても、それは上官によって固く禁じられていた。

 その途中、「私」は、仲間の一人が、過去に別の戦場で、食料が無かった時に、人の肉を食べたらしいといううわさを聞く。

 アメリカ軍の攻撃を受け、隊からはぐれ、再び銃も失くしてしまった「私」は、アメリカ兵を見つけ、いっそ降伏しようかと考えたが、彼の隣にいたフィリピン人の女が、自分が村で殺した女に似ていたため、降伏をためらう。

 その間に別の日本兵が降伏しようと出て行ったが、彼は女に撃ち殺された。

 「私」は、村の女を殺した自分は、やはり誰かに救われることは無いのだと思って、その場を引き返す。



 持っていた食料も塩も無くなり、本格的な飢えが「私」を襲い始めた。

 日本兵の死体はいたるところに転がっている。

 いっそ、話に聞いたように、自分も人を……という考えが浮かんだが、「私」には、人類の歴史で、厳しく禁じられているその行為をすることは、どうしてもためらわれた。

 その時から、「私」は、死体を見るたびに、自分が「見られている」という意識にとらわれるようになる。

 その意識が、「私」の行動を支配し、「私」は、日本兵の死体に手をかけることができなかった。



 飢えもいよいよ限界となった「私」は、死にかけている一人の将校を見つける。

 丘の頂上の木にもたれかかって座り、空を仰いでいる彼は、栄養失調から重い病気にかかり、意識ももうろうとして、「私」にもほとんど気づかないように、あるときは笑い、あるときは「俺は仏だ」、「日本に帰りたい」と、うわごとを言い続けていた。

 「私」は、彼のそばに座り、彼が眠っていた間も、「待っていた」。

 夜明けがきたとき、ふいに彼ははっきりとした意識を取り戻した。

 そして、警官のような澄んだ目で、「私」を見つめて、言った。

「何だ、お前まだいたのかい。可哀そうに。俺が死んだら、ここを食べてもいいよ」

 彼は、左手で右腕を叩いて示した。



 「私」は、息をひきとったその将校の死体を、草木に覆われた陰に運んだ。

 そこでようやく、誰にも見られていない、と、思うことができたが、「私」は、瀕死の将校を見つけたときから計画していた、彼を食うという行為を、どうしても実行できなかった。

 「食べてもいいよ」

 あの、死の間際の、恩寵的な許可が、却って「私」を縛っていた。

 将校が食べることを許した腕に、あの村で見た、十字架上のキリストの腕が重なった。

 自分は罪の無い人間を既に殺していて、もう、人間の世界に帰ることはできない。

 だが、この将校は病のために死んだのであって、自分には責任がない。そして、死んでしまえば、残された体は、「食べてもいいよ」と言った魂とは別のものである。

 そう考えた「私」は、彼の腕にナイフを突き立てようとしたが、そのとき、「私」のナイフを持った右手を、左手が掴んで止めた。

 「汝の右手のなすことを、左手をして知らしむるなかれ」

 「私」には、そう言う声が聞こえた。

 「起(た)てよ、いざ起て……」

 「私」は、死体を置いて、その場を離れた。

 死体から離れるとともに、右手を抑える左手の指が、一本ずつ離れていった。

 歩く「私」を、雨上がりの野の万物が見ていた。「私」は、故郷で見た谷に酷似した場所へやってきた。「帰りつつある」という感覚が「私」の中に育っていった。

 花びらを広げかけた南の花が、ふいに、「私」に言った。

 「あたし、食べてもいいわよ」

 「私」は飢えに気づいたが、また、左手が右手を掴んだ。手だけではなく、右半身と左半身が別物のように感じられた。飢えは、右半身だけが感じていた。

 左半身は理解した。今まで、生きている植物や動物を食べてきたが、それは、死んだ人間よりも食べてはいけなかった。

 「私」の目には、空からも、同じ花が光りながら降ってくるのが見えた。

 野の百合は何もせずとも生き、神によって華やかに彩られる。人間は野の百合以上に、神から必要なものは与えられている。

 そんな聖書の教えが、花の上に声となって立ち上っていた。「私」は、これが神であると思ったが、祈りの言葉を発せなかった。体が二つに分かれていることが、それを阻んだ。

 「私」は、自分の体が変わらなければいけないと思った。


 ある日、「私」は、白鷺が飛び立つのを見て、自分の魂も、一緒に飛び去るのを感じた。分かたれた右半身の自由を感じ、飢えながら駆けていった「私」は、将校に出会った窪地で、再び「彼」を見た。

 彼は巨人となっていた。

 腐敗して膨れ上がった彼は、もはや食えなかった。

 神が、飢えた「私」がここに来る前に、彼を変えていた。

 彼は神に愛されていた。おそらくまた「私」も。



 餓死が迫り、ただ、河原で横たわっていた「私」は、人の足が一本、そこに転がっているのに気づいた。

 この足は「彼」のものではない、切ったのは「私」ではない。

 そう思っている「私」に、足が近づいてきた。

 自分が足に向かって這っている。そう気づいたとき、「私」は、また、誰かが見ている。と感じた。

 「私」は力を込めて、自分の体を繰り返し転がし、足から遠ざかろうとした。

 そのとき、「私」は、実際に自分を見ている目と、向けられていた銃口に気づいた。

 目の主は「田村じゃないか」と「私」を呼んだ。

 病院に入れずにいたときに、言葉を交わしたことのあった若い日本兵、永松だった。

 永松は、動けない「私」に水を与え、何かの干し肉を口に押し込んだ。

 「私」は、己に禁じたはずの肉を口にした自分に悲しみを覚えながら、同時に、分かたれた左右の体が、一つに戻っていくのを感じた。

 「猿」の肉だ。

 撃った奴を、干しておいた。永松は横を向いてそう言った。

 永松は、病院で親しくなった、安田という年上の兵士と、今も行動を共にしていた。

 「私」を寝起きする場所に迎えた二人は、なぜか離れて寝ていた。安田は銃を失くしており、永松は、その銃を安田にとられることを恐れていた。「私」は、自分も永松に気をつけなければいけないような気がしたが、何に気を付けなければいけないのか、よくわからなかった。

 しばらく続いた雨がようやく止んだある日、永松は、食料が尽きたからと猿を撃ちに行った。

 病気で足が不自由になったという安田とともに、残された「私」は、自分は銃を失くしたが、まだ手榴弾を持っていることを口にする。

 安田は手榴弾がまだ使い物になるか見てやる、と、言ってそれを手にした後、「私」にそれを返さなかった。返せ、と、手を伸ばすと、剣を抜かれた。「私」には、安田がそんなことをする理由がわからなかった。

 銃声が響き、安田が「やった」と叫んだ。

 「私」が、銃声の方角に走ると、弾から逃れて駆けてゆく日本兵が見えた。

 これが「猿」だった。

 「私」は、それを予期していた。

 「私」が、かつて足首を見た場所に行くと、いくつもの足首や、体の様々な部分が、捨てられていた。

 「私」は、驚かなかった。神を感じていた。ただ、自分の体が変わらなければいけなかった。

 永松が「私」を銃で狙っていた。

 永松は、「猿」を見た「私」を、お前も食べたんだ、と言った。「私」は、「知っていた」と答えた。

 永松は、「私」が、安田に手榴弾を盗られたことを知ると、安田に殺される前に、二人で安田を殺し、彼を食料にして、投降できる場所まで行こう、と、持ちかけた。

 「私」は、助かろうとは思っていないことを告げたが、永松とともに、安田のいる林へ向かった。

 永松の呼ぶ声を聴いた安田は、確かに手榴弾を投げてきた。「私」は破片で飛ばされた、自分の肩の肉を食べた。

 その後、三日間、「私」たちは安田を見つけられなかったが、水場で待ち伏せていた時、安田が姿を現した。

 永松は安田を撃ち、彼の両手足首を素早く切り落とした。

 「私」は、その光景を予期していたが、それを目の当たりにしたとき、吐いた。そして怒りを感じた。

 人が飢えた果てに食い合う生き物なら、吐き、怒ることができる自分は、天使だ。ならば、神の怒りを代行しなければいけない。

 「私」は、永松が銃を置いた場所まで走り、「私」を笑いながら追ってきた永松に銃を向けた。

 「私」の記憶はそこで途切れた。

 撃ったかどうかは思い出せない。しかし、確かに食べなかった。



 あれから6年後、「私」は東京郊外の精神病院にいた。

 戦場で記憶を失っている間、「私」は後頭部を何者かに殴られ、アメリカ軍の野戦病院に収容され、やがて日本に帰ってきた。

 フィリピンの野戦病院にいる間「私」は、与えられた、かつて生きていた食物に、頭を下げて詫びるという行為をし続けた。それは、「私」以外の力がそうさせていた。

 日本に戻った「私」は、妻と再会したが、戦場で経験したことの記憶が、彼女と自分を隔て、愛情を感じることができなくなっていた。

 「私」は孤独を求めるようになり、一度は止まった、食べ物に詫びるという行為は、やがて、あらゆる食物を食べないという事態に至った。

 こうして精神病院に収容された「私」は、医者の勧めで、自分に起きたことを振り返る手記を書いている。

 世間は、再び戦争に向けて動き出しているようにも見える。

 かつてのように、戦争を操る少数の人間たちに騙された者たちは、「私」のような目に遭うしかない。戦争を知らない人間は、半分は子供である。

 妻は、「私」を見舞うことをやめた後も、「私」を担当する医師と関係を持っている。

 その医師は、「私」の手記を、「大変よく書けている」と言って、媚びるように笑う。

 「私」の感情はそのどちらにも動かされなかった。



 「私」の中で、記憶の空白が蘇り始めた。

 あの日、「私」は、草やもみ殻を焼く、野火の煙の立ち上るのを見て、そこへ向かって行った。

 そこには、神を苦しめる人間たちがいるはずだった。

 だが、天使であるはずの「私」は、悲しみと、何かを間違えているかもしれないという不安と恐怖を感じていた。

 野火の側に、確かに人間がいた。「私」はそれを撃った。

 弾は外れ、人間は逃げて行った。

 ほかの人間たちの姿を見て、「私」は再び狙いを定めた。

 この時、「私」の後頭部を誰かが打った。



 そうして、「私」は今、東京の病院にいる。

 あの打撃で、自分は死んだと「私」は思う。

 夢と現実の狭間で、「私」は死者の世界に行き、「私」が殺したフィリピン人の女や、永松や安田が「私」に近づいてきた。

 彼らは「私」に向かって笑っていた。それは、恐ろしい笑いであったが、笑っていた。

 「私」は思い出した。彼らが笑っているのは、「私」が彼らを食べなかったからだ。

 戦争や、神や、偶然といった、「私」以外の力が作用して「私」は彼らを殺したが、「私」の意志では食べなかった。だから今こうして、共に死者の国にいられる。



 しかし、もしかしたら、野火に向かって人間を探しに行った「私」は、天使として人間を裁くつもりで、本当は彼らを食べたかったのかもしれなかった。

 もしも、「私」が傲慢によって、その罪を犯す前に、誰かが「私」を打って止めたのなら、そして、その何者かが、自分を食べてもいいと言った、あの巨人となった日本兵で、彼が「私」のために、神から遣わされた、キリストの化身であるなら。

「私」は、思う。

「神に栄えあれ」



  (完)




 以上が、「野火」のあらすじです。

「野火」の印象に残る場面や、作者、大岡昇平のこぼれ話などを、後日、また改めてご紹介させていただく予定です。

読んでくださって、ありがとうございました。


(補足)
以前、当ブログで、戦争を題材にした舞台「War Horse」と併せて、大岡昇平の『俘虜記』を一部ご紹介させていただいた記事はコチラです。
「ロンドンの舞台「War horse」A ある名場面と、その他のおすすめ作品。」
http://enmi19.seesaa.net/article/161691606.html?1503687271

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2017年08月06日

(※ネタバレあり)漫画、こうの史代作『夕凪の街 桜の国』ご紹介

『夕凪の街 桜の国』は『この世界の片隅に』で、日本中に感動を与えた、こうの史代さんの、戦争にまつまるもうひとつの傑作漫画です。

夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス) -
夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス) -

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス) -
この世界の片隅に 上 (アクションコミックス) -

 この作品は、原爆投下から10年後の広島に住む皆美を描いた「夕凪の街」と、皆美の姪、七波から見た、家族たちの人生を描いた「桜の国」の、二部構成になっています。

 今回は前半の「夕凪の街」について少しご紹介させていただきます。
(ネタバレですので、あらかじめご了承ください。)





(「夕凪の街」あらすじ)

夕凪の街1.png

 「あの日」から10年後、皆美は、原爆で父、妹、姉を失い、母と二人で暮らしていた。
 
 皆美の家は、原爆で家を失った人たちが身を寄せ合って暮らす粗末な小屋だが、10年の月日を経て、皆美もまわりの人々も、かつてのように仕事や暮らしに勤しみ、日常を取り戻したかのように見えた。



 だが、皆美には、今でもわからない。

 「あれ」は、いったい何だったのか。

 確かなことは、誰かに自分が「死ねばいい」と思われたこと。

 そして、「あの日」以来、自分がそう思われても仕方の無い人間になったと、自分で思うようになってしまったこと。

 「あの日」、惨状の中で、がれきに押しつぶされた級友や、助けを求める人たちを数えきれないほど見殺しにし、死体に心を麻痺させて生き延びた自分。

 働き、家事をすることはできても、美しい服を自分のために縫い上げること、同僚の男性、打越の優しい手をとること、幸せになることが、皆美にはできなかった。


 10年前にあったことを話させて下さい。うちはこの世におってええんじゃと教えて下さい。

 打越の好意を受け止められないでいる皆美は、打越にそう、胸の内を話した。

 自身は原爆の被害には遭わなかったが、伯母を亡くしていた打越は、皆美の心に沈む思いをすでに感じ取っていた。

 「生きとってくれてありがとうな」

 皆美とつないだ打越の手を、皆美はやっと笑顔で見つめることができた。



 皆美が心の重荷をおろした日の晩、体に力が入らなくなった。

 医者に見せても原因がわからないまま、どんどん全身がだるくなっていく。

 横になったまま、皆美は姉を思い出した。

 姉は、火に焼かれて死んだのではない。

 あの日から二か月後、倒れて寝込み、紫の染みを体に散らして、皆美に殴りかかったり、叫んだりしながら死んでいった。

 皆美が倒れてから、母は姉の話をしなくなった……。



(結末部の画面とセリフ)
 
 次第に衰弱していく皆美は、やがて視力を失い、そこから先は、真っ白なコマと、皆美の心の中の独白だけになってゆきます。


夕凪の街2.png


 自分の喉から吐き出されるものは、もう、たぶん血ではなく、内臓の破片。

 髪が抜けているのかもしれないけれど、触れて確かめる力もない。



 真っ白な空間に、ぽつりと落ちた言葉。

 「嬉しい?」

 「10年経ったけれど、原爆を落とした人はわたしを見て、『やった!また一人殺せた』とちゃんと思うてくれとる?」


 「ひどいなあ、てっきりわたしは死なずに済んだ人かと思ったのに」




 作者のこうのさんは、『この世界の片隅に』で、呉を舞台に、広島で起きたことを描きました。

 『この世界の片隅に』でも『夕凪の街 桜の国』でも、読者の視界を惨状で覆うことはせず、セリフや間接的な描写で、読者の胸の内に当事者の思いを託すという表現方法がとられています。

 そうして、「戦争という遠い昔の悲劇」ではなく、そこに生きた人々の思いを、身近なものとして、読者の心に永く息づかせている。



 この場面描写力に加え、「夕凪の街」で、強く心に残るのは、原爆の後遺症に突如襲われた、皆美の思いです。

「10年経ったけれど、原爆を落とした人はわたしを見て、『やった!また一人殺せた』とちゃんと思うてくれとる?」

 この言葉は、原爆という兵器の持つ残酷さを、今までにない角度でえぐり出しています。

 一瞬でそこにいたあらゆる人々を炎に包み、そして、生き残り、敗戦の中で新しい人生を歩もうとしていた人たちまで、後遺症で蝕まれてゆく。

 「そんなつもりはなかった」という言葉すらかけられず、自分の顔も死も知られないまま、殺されていく。

 それまでに無い、戦争、そして原爆だから起こった残酷と、それに巻き込まれた人の無念がにじみ出た言葉です。



 原爆投下の判断を下した人々は、一体、この後遺症についてどこまで理解していたのか。

 深くは知らなかったのか。

 知った上で、それでも投下するべきだと思ったのか。

 このことについて、我々はほとんど事実を知らされていません。

 しかし、皆美のように、周囲の人の死や、葛藤の中でもがきながら、ようやく生きる意味を見出したときに、なぜ死ななければならないかもわからずに、命を落としていった人がいるということを、この作品を通じて心に刻み付ける必要があると思います。



 「夕凪の街」は、抑制された語りながら、やはり重いものが残りますが、「桜の国」は、その後の人々の、苦しみの中から芽生えた愛情を描き、心に灯のともるような読後感の作品です。

 どちらも名作であり、一つの家族の物語として、併せて読むことにより、いっそう互いの深みが増す構成になっているので、是非ご覧ください。

 

 読んでくださってありがとうございました。


(補足)
 当ブログ こうの史代さん関連のその他の記事です。

(※ネタバレあり)この世界の片隅に 映画で語られなかった場面(1)ノートの切れ端とリンドウのお茶碗
(※ネタバレあり)「この世界の片隅に」映画で語られなかった場面(2) 雪に描かれた絵と、桜の花びらの舞い降りた紅



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2017年07月30日

(一部ネタバレあり)わたなべぽんさん 『もっと、やめてみた。』ご紹介 


 今日は35kgのダイエットで話題となった漫画家わたなべ ぽんさんの最新エッセイ漫画、『もっと、やめてみた。』をご紹介させていただきます。

もっと、やめてみた。 「こうあるべき」に囚われなくなる 暮らし方・考え方 (幻冬舎単行本) -
もっと、やめてみた。 「こうあるべき」に囚われなくなる 暮らし方・考え方 (幻冬舎単行本) -


 (※一部ネタバレありなのでご注意ください)


 昨年発売の『やめてみた』同様、ぽんさんがなんとなく続けてきたけれど、実は今の自分には合わなくなっていた生活習慣や、物の考え方を、やめてみた、というお話です。

やめてみた。 本当に必要なものが見えてくる暮らし方・考え方 -
やめてみた。 本当に必要なものが見えてくる暮らし方・考え方 -

 幻冬舎PlusのHPで一話試し読みができます。(コチラ

 「もっと、やめてみた」の内容は次のようなものです。(目次より引用、カッコ内筆者補)
 
 ・ビニール傘の巻
  (ついつい増えてしまう出先で買う傘のお話〈ワカル!!〉)
 ・プチプラアクセの巻
  (※500円くらいで買えるアクセサリーについて)
 ・観葉植物の巻
  (大好きだけどお世話が得意じゃなかったそうです)
 ・髪型の巻
 ・ボディソープの巻
 ・居酒屋の巻
  (深夜、多忙な時、つい飲みに行ってしまうこと)
 ・友達作りの巻
 ・イベントブルーの巻
  (イベントが近づくと、当日の自分の振る舞いに不安を感じて、気乗りしなくなってしまうというクセ)
 ・人見知りの巻
 ・センスの問題の巻
  (自分のセンスに自信が持てない……と、思うこと)
 ・いつから旅行好きに?の巻
  (大好きな旅行で感じる解放感から気づいた、日常の思い癖)
 ・生まれ直しの巻
  (3年にわたる歯科治療が終わったときに見えてきたこと)

 前作『やめてみた』もそうですが、今作も「今のぽんさんの気持ちや暮らしに合わなかったからやめてみた」ものの紹介です。(ご自身でもそう前置きされています。)

 また、大きな話題となった「スリ真似(スリム美人のメンタルや生活習慣を真似する)」ダイエット本三作や、汚部屋脱出本「ダメな自分を認めたら、部屋がキレイになりました」(コンプレックスから物を増やしてしまい、そんな自分を納得させて減らしていくまでの心理を描き切った名著)に比べると、習慣を変えることの苦労や、そのためのコツの描写は少なめです。

スリム美人の生活習慣を真似したら 1年間で30キロ痩せました (メディアファクトリーのコミックエッセイ) -
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ダメな自分を認めたら 部屋がキレイになりました (コミックエッセイ) -
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 今回の見どころは、前回の「やめてみた」でも描かれていた
 「この習慣は、こういう理由で、自分には合わないと思った」
 「やめたら、こういう暮らしや気持ちの変化があった」
 という要素に加え

 「やめてみたから、新しく楽しいことや素敵な物をとりいれられた」
 という一面が紹介されているところです。
 (ぽんさん曰く「やめてみたら始まったこと」。)

 (例)
 肌に合わない、洗浄力の強すぎるボディーソープをやめてみた。
       ↓
 思い切って、手作り石鹸にチャレンジしてみたら、肌質に合っていたし、作るのも楽しかった。

 というわけで、丁寧に居心地よく暮らし始めた人の和やかなお話……のようにも読めるのですが、随所に、「それまで自分の苦手に気づけなかった、あるいは悪い癖をやめられなかった理由」も描かれています。

 人柄が良くて、今はお仕事も順調、優しい夫さんと、良いお友達に恵まれ、おまけにダイエットと片付けに成功して美部屋美人、な、はずのぽんさんですが、子供のころから、体重を含めた身の回りのケアや、人付き合いに多くの苦手をかかえて、コンプレックスに苦しんでいらっしゃったようです。
(クリエイターさんなのに、自分のセンスに自信を持てないでいた、とか、気配りにいそしむ裏で、周囲が抱く印象を非常におそれていたという箇所などから、それが読み取れます。)



 ぽんさんの苦しかった気持ちが一番はっきりあらわれているのが、「生まれ直しの巻」です。
※以下ネタバレになります。)


 内容は、子供のころから30代後半にいたるまで、まともに治療していなかった歯を、3年の通院で完治させたというものですが、この回では、そこまで歯を放置してしまった経緯として、

 「ぽんさんが幼いころ、お母さんが歯磨きのしつけを丁寧にできず、代わりに時々ぽんさんの虫歯を力づくで磨くので、以来、歯のことを親に隠すようになってしまった」

 という出来事が描かれています。

 前作『やめてみた』でも、整理整頓やスケジュール管理が苦手だった子供のころのぽんさんが、失敗するたびに、おかあさんに厳しく叱られるので、ますます自信を喪失してしまったというエピソードがあり、この時期、ぽんさん母子の間にわだかまりがあったことがうかがえます。

(今ならネットや本で、日常生活の苦手と付き合っていくコツをたくさん情報収集できますが〈ぽんさんの本自体がそういうものですし〉、当時は「本人がなまけてる」か、「親のしつけがなってない」でひとくくりにされてしまいがちでしたから、お互い大変だったと思います……。)

 「子供時代、家族との間にあったトラウマが今に悪影響を及ぼしている」という分析は、昨今数多く見られます。

もっと、やめてみた。1.png


 ですが、この作品はそうした分析で話を終わらせず、さらに「トラウマとの別れ」を描いており、そこが、この本一番の名場面でした。



 大人になって、とうとう歯の痛みが気絶するほど強くなってしまったぽんさんは、ようやく病院に駆け込み、症状の重さに驚いたお医者さんから、「どうしてここまでほったらかしたんですか!?」と、言われてしまいました。

 子供のころの歯にまつわるお母さんの思い出や、一人暮らしをはじめても、お金がなくて治療ができなかったことなど、つらい記憶が、歯の痛みとともに蘇ってきて、胸がいっぱいになってしまったぽんさんは、思わず、

「母が歯みがきのしつけをちゃんとしてくれなかったんです。」

 と、漏らしてしまいます。

 しかし、それを聞いた、歯医者さんは、

「なーに言ってんのそんな昔のこと。おかあさんはどうあれ、今のあなたは自分でなんでもできる立派な大人じゃないの」

 と、笑顔で、さばさばと言いました。

もっと、やめてみた。2.png

 この言葉に、

 「すっかり母のせいにして、自分でできることすらほったらかしにしていたのかも(中略)いい歳して、人前ですごく幼稚な言い訳をしてしまった」

 と、猛烈に恥ずかしくなったぽんさんは、

 「もう、誰かのせいにしてなまけたり、自分を正当化するのはやめるんだ」

と、決意して、この歯医者さんに通って完治を目指すことにします。
 
もっと、やめてみた。3.png



 ……ぽんさん本の大きな魅力は、人の言葉を素直に受け取るぽんさんのお人柄だ、と、前々から思っていましたが、この、歯医者さんの言葉に一瞬で猛烈に反省するシーンは、彼女のキャラクターの長所が最もくっきり表れています。

 「大人で、病気で体が動かないわけではないんだから、自分の口の中は自分で面倒見るべき」と、いうのは、動作の手間から言えばまったく正論なのですが、心に傷を抱えている人からすれば、そんなに簡単な話ではありません。

 「するべきなのはわかっているけれど、どうしてもそういう気持ちになれない、健康なはずの体も動かせない」

 痛む歯すらそのままにしてしまうほど、気持ちのあちこちにおもりがついている。そして、そのおもりは、昔のつらい記憶が姿を変えたもので、なかなか振り払うことができない……。

 そんな経緯があると、「前向きな正論」が素直に受け入れられないことがあると思います。

(たとえば「こっちの事情も知らないで!!」と怒ってしまう、とか。)



 でも、ぽんさんは、歯医者さんの言葉を、自分のつらい記憶は脇に置いて正面から受け止め、自分に足りなかった部分を反省している。

 なかなかできないことだと思います。

 先生の言い方がさっぱりとあたたかかったのも良かったのでしょうね。

 (良いお医者さんって、こんなふうに、変に深刻にならずに、苦しかった気持ちまで含めて軽やかにしてくれますよね。)

 怒るどころか、このお医者さんについていくことにしたというのも心温まります。

 ぽんさんもお医者さんも素敵な方だと思いました。



 余談ですが、過去本と見比べてみると、この歯医者さんとのやりとりは、部屋の掃除を終わらせ、ダイエットを開始している頃と前後している出来事と思われます。
(ダイエット本の中で「ダイエットと並行して歯を治したい」と、目標を書いていらした。)

 すでにぽんさん自身の中で、もっと前向きに暮らしていきたいという、その他の頑張りも進められていた時期だからこそ、素直に先生の言葉を受け止められたのかもしれません。



 そして、夫さんに歯の完治を報告したぽんさん。

 歯がキレイになったのは嬉しいけれど、もっと早くに気持ちを入れ替えてケアをしていれば、時間もお金も使わずに済んだのだけれど……、と、残念に思うぽんさんに、夫さんは、うーん、と考えこんでから言います。

「それはそうだけど、できなかったんだから仕方がないじゃない」

 考えを変えるのは、きっとそれくらい時間が必要だったんだよ。その分これからはうんと歯を大切にすればいいさ。

もっと、やめてみた。4.png

もっと、やめてみた。5.png

良いこと言うなぁ……。

 読んでてすごく染みました。

 ぽんさんの夫さんって、苦手の多かった過去のぽんさんを責めるわけでもなく、でも、自分が余計な重荷を背負うでもない、それでいてぽんさんの努力の成果を一緒に喜んでくれる、というキャラクターで、パートナーとしての距離感が絶妙だと思っていましたが、(全作通じて、夫さんがぽんさんを叱ったのは、ぽんさんの良い性格がネットゴシップ閲覧で損ねられたときだけ。〈『やめてみた』より〉)これは夫さんの数々の味わい深いお言葉の中でもとくに名セリフです。

 現実的だけど穏やかで優しい。

 こういう言葉を誰か(とくに自分にとって大切な人)に言ってもらえると、わだかまっていた気持ちがはやくほどけていくと思います。



 「自分が生きやすいように、楽しく丁寧に暮らす」という、読んで気持ちが軽やかになれるテーマの奥に、心の傷と向き合うという深いテーマや、人との良い出会いが描かれた素敵な一冊でした。是非お手にとってみてください。

 読んでくださってありがとうございました。

(補足)
・ 幻冬舎HPに、前作『やめてみた』の太っ腹試し読みページがあるので貼らせていただきます。併せてごらんください。

http://www.gentosha.jp/category/yametemita

・当ブログ、わたなべぽんさん作品ご紹介記事は以下のとおりです。
「やめてみた」(わたなべ ぽん作 コミックエッセイ)ご紹介
『ダメな自分を認めたら部屋がきれいになりました』(わたなべぽんさん作 お片付けコミックエッセイ)
減酒への道 (わたなべぽんさん「やめてみた」参照)
posted by Palum. at 13:04| おすすめ漫画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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