2016年10月09日

(おすすめ映画)イル・ポスティーノ


 イマジカTVがご覧になれる方に、オススメ映画のお知らせです。

 2016年10月10日(月)深夜 3:00〜5:00(※日付は火曜)放送「イル・ポスティーノ」(イタリア・1994)。

イル・ポスティーノ オリジナル完全版 [Blu-ray] -
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 イタリアの小さな島に、チリの国民的詩人で外交官のパブロ・ネルーダが亡命してきたという史実をもとに、彼と、島の若者マリオとの友情を描いた作品です。

 

公式HP情報はこちらです。
http://www.imagica-bs.com/program/episode.php?prg_cd=CIID165061&episode_cd=0001&epg_ver_cd=06&epi_one_flg=index.php

(あらすじ)
 鮮やかな紺碧の海に浮かぶ小さな島に暮らす青年マリオは、成人したものの、父のあとをついで漁師になるでもなく、ぼんやりと日々を過ごしていた。

 ある日、退屈な島が大きなニュースに沸き立つ。チリの大詩人パブロ・ネルーダが、彼の所属する共産党への弾圧から逃れ、この島に亡命してくることになった。

 しかし、「人民の詩人」と呼ばれるネルーダの世界的名声にも無頓着なマリオは、ニュース映画を見ても、彼が美しい女性たちに熱狂されているのに気をとられる始末。

 島に滞在するネルーダのもとには、世界中から手紙が届けられ、マリオは彼のためだけに臨時で郵便配達人となる。

 ある日、ネルーダの詩を読んでみたマリオは、不思議な喜びを感じた。
 
 それは、明るい詩ではなかったけれど、マリオが感じていながら、形にできなかった思いが言葉になってそこにあったから。

 思いきって詩の意味をネルーダに訪ねてみたマリオ。

 このことをきっかけに、マリオの単調な日常に、ネルーダとの友情とともに、「詩の言葉」という新しい世界が少しずつ広がって行く。

 こうして、言葉の世界に足を踏み入れたマリオは、美しい娘ベアトリーチェと出会い、一瞬で恋に落ちる。

 マリオは、ネルーダに彼女への恋心を打ち明け、自分なりの詩の言葉で彼女の心をつかもうとする。

(みどころ)
 美しい風景と音楽の他は非常に落ち着いた展開の作品です。しかし、現実と同じように、人生をうつろう光と影が流れていきます。 

 パブロ・ネルーダは「ニュー・シネマ・パラダイス」で映像技師アルフレードを演じたフランスの名優フィリップ・ノワレ。

 マリオを演じ、脚本にも携わったマッシモ・トロイージはこのとき病に冒されていましたが、執念で作品を作り上げ、映画の完成12時間後に41才の若さで世を去りました。

 映画を観終わったあとだと、「all chinema」紹介記事の「悔しくも彼はこの作品のクランクアップ直後に他界してしまったが、ここにその足跡はしかと刻まれた。」という一文に目頭が熱くなります。
 
 作品の作り手として、演者として、人生を捧げる意味がある作品だと思われたのでしょう。まさしくそういう映画です。

 個人的に「生涯ベスト映画10」に入る勢いで好きな作品です。(いずれもう少し感想の詳細を書かせていただけたらと思います。)

 ぜひご覧になってみてください。

 読んでくださってありがとうございました。


 参照「all chinema」「イル・ポスティーノ」
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=28682
posted by Palum. at 11:36| 番外編 おすすめ映画・漫画・本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月17日

「遠い記憶」(阿刀田 高 著 『恐怖コレクション』より)


残念ながら現在あまり簡単に入手できないのですが、面白い短編集があったので一部をご紹介させていただきます。

阿刀田 『恐怖コレクション』

恐怖コレクション (新潮文庫) -
恐怖コレクション (新潮文庫) -

阿刀田氏はショート・ショートの名手として、毒や奇妙な味のあるミステリー・ホラー作品等を数多く世に送り出し、またそのような分野の作品の審査員、編者としても有名な方です。

一方で、聖書、ギリシャ神話、コーラン等の古典の紹介者としても知られています。

その阿刀田氏が、1985年に、恐怖にまつわるエッセイとして発表したのがこの『恐怖コレクション』。

はっきりとした怪奇現象というより、彼や彼の知人が体験した、説明できるようでしきれない不思議な話や、日常にそっと紛れ込んだ人生の闇を描いた作品集です。

その中でも個人的に特に印象深かった話が「遠い記憶」です。

(以下ネタバレですので、あらかじめご了承ください。)




語り手「私」は、何度も同じ、怖い夢を見る。

夜の海を泳いでいたら、浜辺の光が消えてしまい、星の無い夜、どちらに向けて泳いで良いのかわからなくなるという夢。

陸と信じた方に泳ぐしかないが、もしかしたら今自分はどんどん沖に出ているのかもしれない。そんな恐怖の中、自分が水を掻く音だけが聞こえる。

波にあおられ塩水を飲み、真っ暗な海はどんどん深さを増しているような気がする。
もがきながら、疲労に重くなる体、死が間近であるという予感……。

いつ見ても怖い夢。しかし目覚めると、恐怖のほかに不思議さがこみあげてくる。

なぜ、こんな夢をみるのだろうか。

「私」がこの夢を見始めたのは、小学校6年生のとき。

そして、中学生になったとき、「私」は自分の父が若いころ、軽い気持ちで真夜中の海に入り、戻ろうとしたときに島が停電になって、どちらへ戻ればいいのかわからないままに、不安に駆られて泳ぎつづけたという話を聞かされる。

「後天的な形態変化は遺伝しないが、学習内容は遺伝する」という生物学の一説がある。

左の通路を選ぶと、感電する巣箱にネズミを入れ、何世代か飼い続けると、とうとうはじめから左へ行かなくなるネズミが誕生する。

「左に行くと感電する」という経験の恐怖と学習が、子孫のネズミにはあらかじめ植え付けられているということになる。

(※補:2013年、これに似た実験がアメリカで行われ、「ネズミに桜の香りを嗅がせた後に、電気ショックを与える」という実験を数世代にわたり行った結果、孫の代のネズミはより微弱な桜の香りでも事前に身構えるようになったということです。つまり現時点で、「先祖の学習内容がある程度遺伝され、同じ目に遭った時の脳内の反応が、前の世代より敏感で早くなる」ということまでは実証されたそうです。〈参照:「ソトコト」HP「福岡伸一(生物学者)の生命浮遊 記憶は遺伝するか1同2」より〉)


あるいは覚えていないだけで、父以外のだれかがこの夜の海での体験を「私」に聞かせ、それを夢に見ただけなのかもしれないけれど、あの暗い海の夢を見たあとに自分の心のうちにめぐってくる遠い記憶めいたものは、人に伝え聞いたという形では、現れえないのではないか、と戸惑う「私」。

奇妙な夢を描いた夏目漱石の短編、「夢十夜」第三夜に、語り手である「自分」がいつのまにやら盲目の幼児の父となり、その子を背負って雨夜の田舎道を歩く、という夢がある。

文鳥・夢十夜 (新潮文庫) -
文鳥・夢十夜 (新潮文庫) -

その状況になぜか言い知れぬ恐怖を覚えながら、「自分(子を背負う父)」が道を歩き続けると、最後に森の中に来た時にその子が、
「文化五年辰年だろう。御前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね」
と言い、「自分」の脳裏に、100年前のこんな夜に、自分は盲目の子を殺したのだという記憶がよみがえる、という話である。

この「夢十夜」の男も、先祖の遠い記憶を受け継いで、それを夢に見るのかもしれない、と、「私」は思い、もう一つ、「私」から離れてくれない怖い夢を思う。

夢に現れる光景自体は怖いものではない。

ただ、一人の女がそこにいる。

髪を古風に丸髷に結い、黙って薄笑いをしている。よく見ると、口以外は無表情で、紙のように白い顔をしている。

それだけなのに、「あ、いけない」と「私」の身の内に狼狽がかけぬける。

誰なのか、なぜ笑っているのか、わからない。恐怖だけが尋常でない。目覚めても、その戦慄はしつこく「私」につきまとう。

「私」は思う。

この白い顔で薄笑いをする女と、自分の細胞に潜む誰か先祖の間に、忌まわしい過去があり、それがこんな夢を見させているのではないか。

いったい何があったのか。

寝ざめに、わが身は知らない遠い記憶をたぐろうとしても、「ただうらうらと白ずんだもどかしさが残るばかりで、何も見えない。」

(完)

不思議といえば不思議な話なのですが、しかし、現実にありそうといえばそうでもあり、実際、今現在、科学はその現象の糸口をつかみつつあります。

特に恐怖の記憶が遺伝するというのは、ある意味、種の生き残りをかけた必要な情報伝達なのかもしれません。

今、確実に実証できているのは「子孫は先祖と同じ危険を体験したとき、より早く、敏感に反応する」というところまでのようですが、もしかしたらこの阿刀田氏や漱石の短編のように、もっと細かい記憶が、世代を隔てた子孫の細胞まで、メモリのように受け渡されるということが実際にあり、そのメカニズムもいずれは解明されていくのかもしれません。

私は犬との付き合いで、「遺伝は思いのほか世代を隔て、また細かいところまで伝わっているのではないか」と思わされることが何度かあったので、ご先祖様の恐怖や忌まわしい過去はご免こうむりたいけれど(「私の細胞の中に潜む先祖」という一文が妙に怖かった。「私」は冷静に因縁を見極めようとしているけれど、こんな怖い記憶を子孫の身の内に持ち込まれたら困る。)、この「記憶の遺伝」ということについては、妙に興味をひかれるところがあります。
(私が体験した犬の話については、また改めて書かせていただきます。)

この『恐怖コレクション』、何か出没して怖いというより、自分の身近、あるいは身の内に覚えがあるような不思議や恐怖を描いていて、虚実のあわいがあいまいな読後感ですが、そこが非常に面白いです。

どのエピソードもごく短く(5ページ程度)、ショートショートの達人らしい明瞭ながら余韻のある文、著者の幅広い知識も盛り込まれていて時間を忘れて楽しめます。是非お手にとってみてください。

読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum. at 08:02| 番外編 おすすめ映画・漫画・本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月14日

(ネタバレ編)「ピエロの赤い鼻」(フランス映画)


本日は第二次大戦時フランスを舞台にした映画をご紹介します。

「ピエロの赤い鼻」

親友の男二人が、ごく軽い気持ちでした駐留ナチス軍への反抗。それによって命の危険にさらされた時に出会った心優しいドイツ兵との交流を描いた作品です。



名作なのに今はDVD新品が売っていないと気づいてショックです……。
(個人的には生涯名作映画ベスト10に入るというほど好きな作品なんで……)。

ピエロの赤い鼻 [DVD] -
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(だいぶ前になりますが)一部あらすじを書いた記事はコチラです。

今回はネタバレなので、どうか中古またはレンタルででも一度ご覧になってからお読みください。色彩の限られた、展開も地味な作品ですが、本当に素晴らしい作品です。

以下内容が重複しますが、あらすじです。

小学校教師ジャックは美しい妻と二人の子供を持つ中年男。

お祭りのときはいつも古びた赤い鼻をつけてピエロ姿で演技をするが、息子のリュシアンは毎度父親が笑われるのにうんざりしている。

リュシアンの気持ちに気づいたジャックの親友アンドレは、ジャックがピエロになる理由を話し始める……。


大戦時、名士だったアンドレの屋敷はナチス軍に接収され、ホテルで暮らしていた。

アンドレが足しげく通うレストランにいたのは美しいウェイトレスのルイーズ。ジャックもその店の常連で、実は、二人ともルイーズ目当て。

ルイーズにいいところを見せたかった二人は、抵抗を呼びかけるラジオにあおられ、ナチス軍の物資輸送に使われる線路の信号所を爆破した。

しかし、二人が無人と思っていた信号所の小屋には、村人のフェリクス老人がいて、爆破によって重傷をおってしまう。

ショックを受ける二人だったが、さらにその夜のうち、事件の首謀者が名乗り出るまでの人質として、とらわれた村人4人の中に、当のジャックとアンドレが入れられてしまった。

24時間以内に首謀者が名乗り出なければ、見せしめに処刑する。

ナチス軍にそう宣告され、雨の中、村はずれの水浸しの穴の中に放り込まれるジャックたち。

覚悟を決めて、自分たち二人が犯人だと名乗り出ようとしても、他の村人二人にすら信用されずに、一緒に処刑を待つ身となってしまう。

しかし、穴の底の彼らを見下ろし、冷酷に運命を言い渡すナチス兵士たちの中に、もの言いたげに彼らを見つめる下級の中年ドイツ兵がいた。

他の兵士が軍靴の音高く立ち去る中、その男は一度振り向いて、メガネの奥の穏やかな目を彼らに向けた

ナチス兵たちの駐屯地に戻ると、脇にかかえたヘルメットにリンゴとパンを隠し入れるドイツ兵。

4人が飢えと寒さに震えていると、いつのまにか、穴の上に足を投げ出すようにして、その中年のドイツ兵が腰かけていた。

ふいに、きゅっと寄り目になり、舌を出したおどけ顔をするドイツ兵

馬鹿にされているのかと泥を投げつけてののしる4人。

慌てたドイツ兵が穴に落とした銃を彼に向けて「動くな、はしごを持ってこい!」と叫ぶが、考えてみると戻ってくるわけがない。

どうにもならずに黙り込む4人に向けて、ドイツ兵が手品のしぐさでパッと顔を覆ったハンカチをどかすと、その顔には、薄暗がりにもはっきりわかる真っ赤なピエロの丸い鼻がついていた。

そのままナチス軍を揶揄したおかしなしぐさで歩き回るドイツ兵に、死の恐怖も忘れて笑い出した4人。

穴の上で曲芸を見せていたドイツ兵の手から、やがてパンとリンゴが4人に向かって投げ渡された。

「生きている限り希望はある」

そう、うやうやしいフランス語で語りかけたドイツ兵。

昔、パリでピエロをやっていたというその男の名前はベルント。またの名をピエロのゾゾ。

また明日。そう4人を励まして、戻ろうとしたベルントをジャックが慌てて呼び止めた。

「ベルント、銃を!」

穴から銃が投げ渡された。

苦笑いして、銃を手にふざけ歩きで帰っていくベルント。

しかし、穴から離れてから振り向いたその顔には、重苦しい表情が浮かんでいた。

変な番兵だな。……天使かな。

リンゴをほおばりながら、つぶやくアンドレ。

油断するな、というもう一人の村人に、いいやつだよ、笑わせようとしてくれた、と首を横に振るジャック。

気を紛らわすことのできたジャックたちは、生きて戻れたら、好きな女にプロポーズをしよう、生まれ変わったら何になろうと、軽口を話して時間を過ごす。しかし、刻々と迫る死を前に、穴の底の空気は次第に重くなっていった。



一方、重傷を負ったフェリクス老人は、病室で、思いつめた目をして妻に声をかけた。

「ドイツ軍に言ってくれ、犯人は俺だと」

俺はもう助からない。ほかのみんなが助かるにはこれしかない。

そんなことを頼むなんて、私に恨みでもあるの!?と、涙する妻のマリーに、フェリクスは言った。

「お前には心から感謝しているよ。ひとつひとつお礼を言っている時間はないけど……」

頼む、そう、繰り返す夫に、マリーは、絶対に嫌よ!!と引きつった声で叫んだ。




「朝飯だよ」

少しだけ白んだ空を背に、ベルントが酒瓶を投げてきた。

冷え切った体で身を寄せ合って眠り込んでいた4人は、火のつくような酒をわけあって飲み、人心地つくとベルントに尋ねた。

「命令は?処刑するって?」

腰を下ろして彼らを見守っていたベルントから笑顔が消えた。

「……ルイーズに……」
自分たちの運命を悟ったジャックとアンドレは、そうつぶやいて酒を飲み交わした。

ベルントはカバンから掌に乗るような小さなアコーディオンを出し、他のドイツ兵たちに聞こえないように、そっとささやくような音と声で、フランスの歌を歌いだした。

心が弾む
こんにちは こんにちは ツバメたち
屋根の上に広がる空は 喜びに輝く
路地には太陽が降り注ぎ 心も明るく

ベルントを見上げる彼らの震える唇からも、かすかに同じ歌が漏れ始めた。

いつも僕の胸は ときめき揺れ動く
何かを連れてやってくるのは愛
それは愛 こんにちは こんにちは お嬢さん
世界は喜びに包まれている……

同じころ、司令部にいた銀髪のナチス軍少佐のもとに、二人の訪問者があった。

一人は、見せしめとして早急な処刑命令を要求する冷たい目をした若い大尉。
その必要があるのかと難色を示す上官に、そのような甘い態度には承服しかねます、と、冷笑を浮かべて部屋を出て行ってしまう。

入れ違いに入ってきたのは、フェリクスの妻、マリー。
「爆破の犯人は夫です」
夫の意思でここに来ました。夫は嘘などつきません。
その声は震えていたが、涙の光る瞳は覚悟に大きく見開かれていた。

すこし酔って、ベルントと言葉遊びをしていた4人。
そのやりとりは、大尉たちの足音に断ち切られた。

命令を受け、穴を取り囲むと、銃を構えるナチス兵たち。
最後の時がきた、と、互いに抱き合うジャックとアンドレ。
しかし、ベルントが、銃を構えず、だらりと両手をさげたまま、彼らを見ていた。

「命令だぞ、銃を構えろ!!」
大尉の言葉に、ゆっくりと銃を向けたベルント。
その目に映る、つい先ほどまで一緒に笑って話していた4人。
ベルントは黙って銃を地面に落とした。
そして、カバンから何かを取り出すと、それを鼻にあて、大尉をまっすぐに見つめた。
ピエロの赤い鼻。
大尉がベルントの眉間に拳銃を向けた。
「やめろぉぉぉ!!!」
ジャックの絶叫に銃声が重なった。
その直後、フェリクス老人の自白を受け、処刑を中止する知らせが大尉に届いた。

穴の周囲から立ち去るドイツ兵たち。
何が起こったのかわからない。ただ、ひとつ確かなことがある。
白い泥に長く筋を残して流れたベルントの血。
その先に転がり落ちていたピエロの赤い鼻を、ジャックの震える手が拾い上げた。

「証言は真実だと?」
おそらくそうではないと気づきながら、銀髪のナチス軍少佐はマリーに問いかけた。
「はい」
「すべて覚悟の上で?」
一度息をのみ、それでもマリーはうなずいた。

病室で、両手を組み合わせて天井を見つめていたフェリクス。
数人のナチス兵が乱暴に入ってくると、傷だらけの彼を椅子に乗せて運び出した。
「これでいいんだマリー、もう何も心配はない」
夫の連行を見ていた妻に、そう静かに声をかけると、フェリクスは病院の庭へと連れていかれた。
開け放たれた窓から響く処刑の銃声。マリーが震える唇にハンカチを押し当て悲鳴を呑みこんだ。


後日、ルイーズの口から、何故自分たちが解放されたのかを教えられたジャックとアンドレ。
「俺たちは彼の人生を奪った……」
言葉を失う二人。
そしてこの事件をきっかけに亡くなったのはフェリクスだけではない。


翌朝、穴の側に戻ってきた二人。
しかし、ベルントの埋葬された場所を見つけることはできなかった。
解放された日、自分たちに向かって降ろされたロープのすぐ側についていたベルントの血の跡も、すでに黒ずんで消えかけていた。

彼の名前しか知らない。
ベルント。
ゾゾ。
しゃがみこんだジャックは、小石を拾って不器用にお手玉の真似をした。

この日、ジャックは生涯ピエロを演じることを決めた。
ユーモアと人間味に溢れた男を称えて。



フランスが終戦に湧く中、重い足取りで、マリーの家に向かう二人。

真実を告げられたマリーの態度は、思いのほか静かで毅然としていた。

「夫は勇気ある行動をした。それだけが真実」

それは忘れないで。

マリーは二人にきっぱりと言った。



その後、ジャックはアンドレの橋渡しでルイーズにプロポーズをし、結婚をした。



「私にはわかっていたんだ。君のママは、僕より君のパパが好きだったと」
アンドレはジャックの息子、リュシアンの肩を抱き、そう物語をしめくくった。

とうにふてくされ顔は消えたリュシアンの頬に、涙がつたっていた。

アンドレにうながされ、ジャックのショーのフィナーレに戻るリュシアン。

喝采の中、アンドレとともにショーを見つめるリュシアンも大きな声を上げた。
「ブラボー!!パパ!!」

今はジャックの妻となったルイーズの隣にマリーもいた。

カーテンコールに現れたジャックは、小さなアコーディオンを取り出し、歌い始めた。

心が弾む
こんにちは こんにちは ツバメたち
屋根の上に広がる空は 喜びに輝く……。

今は誰を恐れるでもなく高らかに歌えるこの歌。

明るく合唱をする観客たちの中で、アンドレとリュシアンは、ジャックがこの歌を歌う意味に思いをはせながら、舞台を見つめていた。

(完)

のどかな村で、恋と友情に生きていた二人の男。
戦争の中にあっても明るさのあった日々。

しかし、二人が深く考えずにとった行動をきっかけとして、彼らを救うために、ベルントとフェリクスというこの上なく優しい人たちが命を落としました。
戦火のただ中でなくても、戦争がいかに無意味にあっけなく人の命を奪うかが伝わる話です。

一方で、そのようなすさんだ世の中であっても、最後まで優しさを失わなかったベルントとフェリクス。
「天使かな」とアンドレはつぶやきますが、私は、もし天使という存在があるとすれば、まさにベルントのように、決して人をねじふせる力があるわけではない、人生の苦労や理不尽を知り抜いて、少し老いた優しい目をしているのではないかと思います。

自分の身に何が起こるかわかっていながら、それでも、彼らを撃つことを拒否したベルント。
赤い鼻をつけた彼の表情は、静かで優しく、そして誇り高さを感じさせます。

一方、悪気はなかったとはいえ、ベルントとフェリクスの死に関わってしまったジャックとアンドレ。

ジャックはベルントが生きていれば続けたであろうピエロの道を生きることを決め、アンドレはおそらくルイーズをジャックに譲ることを償いの一つとしたのでしょう。
(実はルイーズはむしろ最初はアンドレのほうが好きだったのではと思わせる二人きりのやりとりがあり、結末部でリュシアンとアンドレを見つめるルイーズの表情にも、どことなく含みがあります。)

痛みや悔いを秘め、それでも生き残った者として歩みを続けるそれぞれの人生がそこにあります。

最後に、構成について触れさせていただきます。

残念ながらこの映画があまり有名でないのは、物語のほとんどが、雨にぬかるんだ暗い穴の中と外のやりとりという地味なものだからかもしれません。

しかし、実はこれは意図的に色彩を絞った構成なのだと思います。

暗い穴の底という、まさしく絶望的な状況に突き落とされた4人の男。
そこにかすかに光のこもった空を背負って現れたベルント。

4人を励まそうとおどけるベルントのピエロの赤い鼻、そして彼らに投げられたリンゴの赤が、ほとんど青灰色に占められた画面の中で、彼のいたわりに溢れた優しさそのもののように際立ちます。
そして4人の代わりに撃たれたベルントの血は穴の中に流れ落ち、その赤が、彼らが生きて外へ出ていく道筋を示しました。

ピエロの赤い鼻を受け継いだジャックは、平和が訪れた村で、今は画面いっぱいに広がる、温かな赤のカーテンを背に、ベルントが自分たちのために歌ってくれた歌を歌います。

色彩を丁寧に抑制することで、最後には人の心の温かさがせつなく胸に残る、非常にすぐれた作品です。

是非ご覧になってみてください。

読んでくださってありがとうごじました。
posted by Palum. at 06:40| 番外編 おすすめ映画・漫画・本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月01日

ドラマ放送開始!「食の軍師」(食べ物漫画)

すごく好きな漫画が今日(2015年4月1日23:30〜 東京MXテレビ)からドラマ放映されるとのことなのでご紹介させていただきます。(ネット配信もアリ)

「食の軍師」。


食の軍師
ドラマ化もされた「孤独のグルメ」で有名な久住昌之氏原作、和泉晴紀氏作画。(泉昌之名義)

孤独のグルメ 新装版

食を戦と心得、三国志の軍師諸葛亮孔明のごとく緻密な策のもとに、店(名城)を攻め落とす男、本郷と、彼の狙った店に何故か高確率で現れる謎の青年、力石の手に汗握る頭脳戦(?)を描いた作品です。

ドラマの公式HPはコチラ(このページ、原作ファンからみてもかなり良いカンジです。期待大!)
http://s.mxtv.jp/gunshi/

……要は、本郷が単においしいお店でいかにカッコ良く美味しく食べて帰るかについて、一人でこだわっているだけなんですが。(そして力石はマイペースに食事を楽しんでいるだけ。)
中年男が一人で食事をするといえば、久住氏のヒット作「孤独のグルメ」の設定と重なりますが、味わいが全然違います。そしてそこがこの作品の魅力。
なにげなく立ち寄った店で淡々と食事する「孤独のグルメ」の五郎と違い、本郷は超気合入れて入店し、熱意と妄想全開で食事(=戦)に臨む(そしてちょいちょい空回りする)愛すべきおバカキャラです。
もちろん美味しそうな料理とお店の個性も見どころ。
 一話完結でどこからでも読めるので是非お手に取ってみてください。

 登場人物について簡単に説明させていただきます。
(ドラマ公式HPの「キャスト」ページは以下の通り、漫画のキャラ画像も見られます。)
http://s.mxtv.jp/gunshi/cast.php
 
本郷
 主人公。食べることに人並み外れた情熱を燃やし、名城を落とす(=美味しいお店に行ってスマートに美味しく食べて店を出る)ことに心血を注ぐ中年男性。職業は不明だがなんらかの個人事業を営んでいる。(このため常に一人で入店、サラリーマンのランチタイムなどを外して比較的ゆったり食事をしていることが多い。)
 食事の時に綿密に策を練り、事前にすきっ腹を作って最高のコンディションで入店、「○○の計」「○○の陣」と脳内で名付けた食べ進め方や注文方法をとる。
 この策については脳内に住まう自分と似た目鼻立ちの軍師「諸葛亮孔明(※)」の采配に従っているが、策を練りすぎるあまり、計算が外れたときは結構初歩的なミスをする(無駄に食べ過ぎるとか)。
 高級店や大規模チェーン店以外の店に入ることを好み、そこの店に合った振る舞いをすることにこだわる。(そしてできないととても落ち込む。)料理が非常に美味しい時、あるいは自分が食べ方に失敗した時は、カウンターから足だけ出してズッこけるという、平成が始まるよりだいぶ以前にすたれた大技を披露する。
かなりの酒飲みで午前中からチューハイ1リットルとカラにしたりするが、酒癖はイマイチで、脳内から流出した妄想を口にして隣席の力石(口述)を困惑させたりする。
 (※)ドラマでは孔明が本郷とは別人格のようで、端正かつ曲者演技の出来る巧者篠井英介さんが演じています。楽しみルンルン。

 力石
 本郷永遠の宿敵(と本郷に勝手に思われている青年)。屋台のおでん、ひとり焼肉、寿司のカウンターなど、あらゆる局面で粋に楽しめる食のオールラウンダー。
 本郷より数歳若い模様だが、常に本郷の緻密な戦略の一、二段上を行き(=より美味しそうな食べ方をして)、本郷に「キー!くやしー!」的な思いをさせるニクイ奴。(ただし本人はほとんど本郷の対抗心に気づいていない。)彼が店に現れると、動揺のあまり本郷はよく飲み物を派手に吹き出す(そしてお店の人に迷惑をかける。)
トレンチコートに帽子でキマッたファッションの本郷と対照的に、常にフードつきのパーカー姿(寿司屋に行ってもそれ)で、着席と同時にフードをとるのが決めポーズ。職業は本郷以上に謎だがおそらくは自由業(そしていっちゃあなんだが軍資金も結構潤沢な模様。)登場時のテーマソングは「ズンチャーカズンズンチャッカ♪」「ジャカジャーン♪」など(本郷の脳内限定で鳴り響く)。埼玉出身。

以上、取り急ぎご紹介させていただきました。

引き続いてドラマ放映期間はこの作品の名場面や「孤独のグルメ」との比較などをご紹介させていただきたいと思います。よろしければまたいらしてください。
読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum. at 07:48| 番外編 おすすめ映画・漫画・本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月04日

たかぎなおこさん思い出のフレンチトースト(漫画「浮き草デイズ」と「はらぺこ万歳!」)

元旦早々流血記事を書いてしまったので、今回は別系統の話題をご紹介させていただきます。

大人気エッセイコミック作家たかぎなおこさんの最新作「はらぺこ万歳!」に出てくるフレンチトーストについて。

はらぺこ万歳! 家ごはん、外ごはん、ときどき旅ごはん -
はらぺこ万歳! 家ごはん、外ごはん、ときどき旅ごはん -

たかぎなおこさんは、ご本人の温かな人柄がにじみでたほんわかした作風で、女性のひとりぐらしや、旅、趣味のマラソン、そしてご自分の上京物語などを描いている作家さんです。

ひとりぐらしも5年め -
ひとりぐらしも5年め -

ひとりたび1年生 -
ひとりたび1年生 -

マラソン1年生 -


上京はしたけれど。 -
上京はしたけれど。 -

また、カラフルで可愛らしい絵で描かれた食べ物の絵がとっても美味しそうなのも魅力のひとつ。

ご本人の自炊風景も旅ごはんも見ているだけでワクワクします。

そんな彼女が描いてきた食べ物エピソードの中でも、ファンの間で名高いのが『浮き草デイズ』2巻の「モモセさんのフレンチトースト」。

浮き草デイズ〈2〉 -
浮き草デイズ〈2〉 -

三重のご実家からたかぎさんが上京してきたとき、イラストレーターとしての仕事がまったくとれずに、ホテルの朝食係としてバイトしていたときのお話です。

ギリギリ生活のたかぎさんにとって、このバイトでのまかないは貴重な栄養源。

そのなかでも、顔は怖いけれど、実は優しいホテルのシェフ「モモセさん(どろぼうひげで目つきが厳しい)」のおいしくて量の多い朝ごはんを、たかぎさんはとても楽しみにしていました。

 (例)実は優しいモモセさん、凄味のある顔で「お前パパイヤって、食ったことあるか?(ギロ…)」と、たかぎさんに余ったパパイヤを渡す(笑)。

浮き草デイズ パパイヤ1.png

浮き草デイズ パパイヤ2.png

モモセさんの大盛りカレーや、前日から仕込んだスープとチャーシューで作ったラーメン。

なかでもたかぎさん憧れの一皿はフレンチトーストでした。

「ふわふわで黄金色でめちゃめちゃおいしそう」

と、お客様に運ぶときから羨望のまなざしで見ていたフレンチトースト。

ついに、
「今日のまかないはフレンチトーストだ!!」(だん!〈怖い顔〉)←このコマ好き(笑)

浮き草デイズ フレンチトースト.png

と、出てきた黄金色ふわふわフレンチトーストを、たかぎさんたちはうまうまーと感激しきりで食べていました。



イラストレーターになるという難しい夢を抱きながら、どこかあぶなっかしいたかぎさんを、「めしはちゃんと食ってんのか?」「変なバイトしてないだろうな?」と、怖い顔でちょいちょい心配してくれていた「モモセさん」。

たかぎさんはこの人のことをひそかに「東京の母」と慕っていましたが(笑)、自身も上京者だった「モモセさん」は地元青森に店を出すという夢をかなえるべく、やがて東京を去りました。

「まったくよ〜、どうなるんだろうな、おめ〜のこれからの東京生活はよ〜」
(ホテルの厨房で卵を割りながらためいきをつくモモセさん。)
「まあ…メシくらいはちゃんと食えよ」
そんな言葉をたかぎさんに残して。

これがたかぎさんの上京物語「浮き草デイズ」のエピソードですが、月日は流れ、いまや売れっ子コミックエッセイストとなったたかぎさんが、「モモセさん」のモデルとなったシェフ「ハヤセさん」の姿をネットで見つけ、13年ぶりの再会を果たすというエピソードが最新刊「はらぺこ万歳!」に登場します。

「モモセさん」ことハヤセさん、現在は「海坊厨(うみぼうず)」という地元の人気店を経営、青森駅から徒歩6分というナイスな立地で、ランチ1380円、夜のおまかせコースは2730円で華やかなデザートまでついた素敵な創作料理を提供しているそうです。

「ぐるなび」内「海坊厨」紹介ページ
http://r.gnavi.co.jp/t672500/

(ちなみにたかぎさんが見つけたのと同じページを拝見したらば、当時より20kg御痩せになったハヤセさんは、お笑いコンビ「バイきんぐ」の小峠さんをがっちりさせたと言えなくもない感じだった。)
「あなたもきっと海坊厨(うみぼうず)の虜に」(青森2722の魅力 No.850)※この記事の住所は旧店舗のものです。

そんなわけでひさびさの再会を果たした二人。

このときの感慨を、たかぎさんは、
「思えば絵で仕事がしたいと思いつつバイトに明け暮れていた当時の私は……厨房で働くハヤセさんを見て、手に職があるっていいなぁ〜とうらやましく思ってましたが……ハヤセさんはハヤセさんでいつかは店を持ちたいというさらなる夢があったようで……それがイラストレーターとして、そしてレストラン店主として再会できるなんて……時がたつというのも素敵なもんだなぁ〜と思いました」
……と語っていらっしゃいました。

さて、フレンチトーストですが、たかぎさんの訪問をきっかけにメニューにのることとなり(前日仕込みが必要なので要予約)、しっかりぐるなびで「たかぎなおこ著、浮き草デイズに登場しております」という一言とともに宣伝されております(笑)。
http://r.gnavi.co.jp/t672500/kodawari/

二回目の訪問で泣きながらフレンチトーストを食べるたかぎさん。(今回はハヤセさんお得意の素晴らしい飴細工つき)


はらぺこ万歳!フレンチトースト.png


たかぎさんのイラストおよび数々の写真を観るに、本当に創意工夫が行き届いて、おいしそうで、しかもその華やかさや食材の良さのわりに価格も相当リーズナブル、なんとかして取り急ぎ青森に行けないもんかとすら思いますが、今のところ無理です。うーむ……。(ラーメン者〈誰?〉としては、同じくたかぎさんのまかない思い出話をきっかけにメニュー入りしたという具だくさんラーメンも超気になる。)

ともあれ、このせちがらい世の中で、「才能があり、真面目に努力した人柄のよい人がそれぞれに成功し、片方がそのときの相手の優しさを忘れずに義理堅く訪ねて行った。(そして今もそれぞれの夢の仕事で輝いている)」という事実に心温まります。

 この名エピソード「フレンチトースト」以外にも、たかぎなおこさん作品は読むとほんわかしますので(食べ物がおいしそうすぎて空腹時にはおすすめできませんが……)男性女性を問わずとてもおススメです。ぜひお手にとってみてください。

 「はらぺこ万歳」「浮き草デイズ」のWEB特設ページは以下の通りです。(試し読みつき)

「はらぺこ万歳」
http://hon.bunshun.jp/sp/harapeko
「浮き草デイズ」
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163712703

読んでくださってありがとうございました。
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2014年08月25日

夏の音(筝曲家宮城道雄の随筆「春の海」より)

本日は夏にちなんだ文章をご紹介いたします。

筝曲家(そうきょくか)宮城道雄(1894〜1956)。

Michio_Miyagi.jpg(ウィキペディアより)


盲目の天才奏者にして作曲家。

この方の作曲した「春の海」を聴けば、全日本人100人中120人がお正月を思い出すというほどメジャーです。
「国会図書館デジタル図書館」内「春の海」(宮城道雄演奏)音源は以下のとおりです。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1319027

 実は名文家でもあり、その類まれな鋭さと繊細さを併せ持つ感覚でとらえた独自の世界観の随筆をいくつか世に送り出しています。

 食卓に置く音で、その器の大きさや厚み、形状を感じ取れたとか、部屋に入った時の空気感で広さや洋室か和室かを測れたとか、やってくる靴音で性別やおおよその立場(職業)を当てることができたなどのエピソードが記されていますが、そうした怖いほどの達人の感性の中に、夏ならではの音についての名文がありました。

 『「春の海」宮城道雄随筆集』(岩波文庫)内「四季の趣」という作品の一節です。

新編 春の海―宮城道雄随筆集 (岩波文庫) -
新編 春の海―宮城道雄随筆集 (岩波文庫) -


 (以下引用)

 夏は、朝早いのも気持ちが良いが、何といっても、夜がよい。蚊遣り(かやり)のにおいや、団扇(うちわ)をしなやかに使っておる物音などは、よいものである。夏になると、部屋を明け(開け)広げるせいか、近所が非常に近くなって、私の耳に響いてくる。横笛の音などは夏にふさわしいものだと思う。蚊に刺されるのは嫌だけれど、二、三匹よって、プーンと立てている音は、篳篥(ひちりき※)のような音がしてなかなか捨てがたいものである。
(※補:)篳篥……雅楽などで用いられる小型のたて笛

 ……『枕草子』「はるはあけぼの」を思わせる名調子です。

 窓を開けたら笛の音が聞こえてくるなどというのは、昔だからか、宮城さんがお住まいなくらいだから芸事が盛んな土地柄だったのかはわかりませんが、いかにも風流です。

 しかし、蚊の羽音すらも「篳篥のような音がする」とはさすが芸術家です。

 私なら「ギャー!一匹ならずいる!!(怒)」とベープ仕掛けてキンチョール持ってキンカン待機で、その音源を目ェ吊り上げて、ドタバタと追いかけまわすでしょう。

 篳篥の音が聴ける動画があったので添付させていただきます。(単独で音が聴けるのは1分38秒頃)



……なるほど似てなくもありません。

 絶対に刺されない、刺されてもカユクないという前提なら、あの羽音はもしかして美しいものなのかもしれません。

 私は凡人なので、宮城さんのように、どこからでも美を抽出できるほど人間が出来上がっておりませんが。

 蚊は「うーむさすが、たしかに、でも……(カユイし憎たらしいし……)」みたいな感じで読みましたが、個人的に以下のくだりには非常に共感いたしました。

 (以下引用)
 扇風機のあのうなる音をじっと聴いていると、どこか広い海の沖の方で、夕日が射していて、波の音が聞こえるように思われる。一人ぼっちで、放っておかれたような感じがする。なんとなく淋しいような、悲しいような気持ちになって、大きなセンチメンタルな感じがするのである。時々私は、扇風機の音にじいっと聴き入っていることがある。

 ……これを読んで、急に、子供の頃、夏休みにおそらく親戚の家に泊まりにいったとき、一人で目が覚めてしまった時のなんとも言えない気持ちを思い出しました。

 近くに身内は寝ているのだけれども、寝静まった今、誰とも話すことができなくて、心細く、退屈で、自分の側でゆっくりと首を振っている扇風機の音だけが響き。

 聴くでもなく耳にしていると、それは確かに波の音に似ていたのです。

 私には、浜辺に打ち寄せた波が引いていくときの音に聞こえ、暗くて淋しい中、ただ、海にいる気持ちになって自分を慰めながら、やがて、うとうとと眠りに落ちた。

 あの時間を思い出しました。

 蒸し暑い中かすかに涼しい、淋しいけれど静かな、独特の長い時間。

 朝までの時間を待つことも、音楽ではなく音をじっと聴くことも、せわしなく生きる今となっては遠い感覚です。

 このくだりを読んで以来、扇風機の音の奥に、寄せては返す波を感じるとともに、そういう、心細く寂しいけれども、今とは違う感覚で生きていた幼い頃への郷愁もよぎるようになりました。

 そして、それとは別に、この穏やかなたたずまいの天才奏者が扇風機の側に座り、つくづくと耳を傾け、そこに海を思っているという、その姿それ自体に美とやさしい趣を感じます。
 

 宮城道雄は琴を教えたのがきっかけで、随筆家内田百(うちだひゃっけん)と親しくなったそうです。

(内田百閨@ウィキペディア記事より)
内田百.jpg

 とおりいっぺんの付き合いではなく、互いに尊敬しあい、思いやり、心を許した本当の友人でした。(宮城道雄の文章は内田百閧フ紹介で、口述筆記によってなされたそうです。)

 この二人の交友を知る前、漱石ファンの私は、漱石の病床まで借金を頼みに来て、その帰りの交通費まで借りたという百閧ヘ、才能豊かとはいえずいぶんキョーレツなキャラだったのだなあという印象を持っていたのですが(あと漱石の鼻毛収集家だったという逸話もある〈あの鋭敏すぎる感性を持つ端正な面立ちの明治の文豪には、原稿用紙に抜いた鼻毛を植え付けるという奇癖があり、それを百閧ェ謹んで頂戴した〉、このあたり、あいまいな記憶で申し訳ありませんが、『私の「漱石」と「龍之介」』【ちくま文庫】)に所収されているようです)、宮城道雄の文章から、歯に衣着せぬ態度ながら、茶目っ気のある温かな人柄のよき友であったことが伝わってきました。

 ここから先は孫引きで申し訳ないのですが、宮城道雄と内田百閧フ間にはこんなやりとりがあったそうです。

(「百鬼園の図書館」という内田百闃ヨ連のHP内「宮城道雄側からの百閨vより引用させていただきました)
 参照URL http://www.biwa.ne.jp/~tamu4433/miyagi.html
 両隣が近く、琴の稽古の音がうるさいのではないかと気を使う宮城道雄に、百閧ヘこう言います。

(以下引用、現代仮名遣いに改めてあります)

百閨u(家の境の)板壁に、蓆(むしろ)いっぱいに打ち付けて、ぶらさげておけばよろしい」
道雄「そうすると、どうなりますか」
百閨uそうすると、お稽古の音が蓆にぶつかります」
道雄「それで」
百閨uそれで夕方お稽古のすんだ後で、蓆を外してはたきますと、一日中溜まっていた音がみんな落ちますから、それを掃きよせて捨てればよろしい」
道雄「本当かと思ひました」


……内田百閧フ「明暗交友録」という作品集に収録されているそうです。

 お恥ずかしい話ですが、これを最初に読んだとき「蓆(むしろ)」を「簾(すだれ)」と読み間違えまして、勝手に、
「簾の隙間に、宮城さんの奏でた美しい音が、ガラスや蜘蛛の糸のように透き通って、いくつも絡まっている」
という図を思い浮かべ、簾だからそれはやはり夏で、夕暮れにはたくと、音の余韻がさらさらと涼しい音を立てて落ちるのだろう……
と、ひとり想像たくましくしてウットリしていました。

「あ……ムシロ……か……あの松本清張や横溝正史ドラマなんかで、発見された死体にかけられているあれか……(なんだその偏ったイメージは)」
と、後に気づいて、勝手に無い話でウットリしていたことを恥ずかしく思ったものです。

 しかし、それでもやはり、琴の音が絡まってはらえば落ちるというウィットと風流は素敵だと思いました。そしてそれを「本当かと思いました」と答える宮城道雄の物やわらかな返答も。

 思い出すと、その話の中の季節はやはり夏で、琴の音は細くしなやかに光って透き通り、払い落とされるとき夕暮れに涼しく硬質な余韻を奏でているような気がするのです。

 読んでくださってありがとうございました。

posted by Palum. at 19:20| 番外編 おすすめ映画・漫画・本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月02日

2014年05月02日 樋口一葉生誕142周年 一葉のこぼれ話と上村一夫

 ご無沙汰してしまいました。また毎日更新を目指して頑張りますのでよろしくお願いいたします。

 本日5月2日は明治の女流作家樋口一葉の誕生日だそうです。Googleロゴで知りました。
 
Googleロゴについて解説した「MDN design」の記事URL
http://www.mdn.co.jp/di/newstopics/35899/?rm=1

 今は5000円札ですっかりおなじみの彼女、もとは士族の生まれながら、兄と父を亡くし、家計を支えるために、文筆活動を始め、「たけくらべ」「にごりえ」など、女性の悲哀を描いた作品で名を成し、その才能を文豪森鷗外に激賞されましたが、結核のため24歳の若さで世を去りました。

今日は一葉にまつわるこぼれ話を少し書かせていただきます。

 @一葉と夏目漱石の兄

 一葉は夏目漱石の家と親同士が仕事上のつながりがあったために、漱石の一番上の兄大助氏との縁談があったそうですが、樋口家の経済状況に夏目家が難色を示して破談になったそうです。
(この話が年の近い漱石本人と一葉の縁談話があったという誤解を招いたそうですが、実際に話があったのは兄さんのほうだそうです。一葉は気が強そうではあるけれど、見た目線の細い感じの美人ですから漱石のタイプだったんじゃないかと勝手に思いますけれどね。)

 漱石の兄さんと一緒になったら、どうなっていたであろうかと、漱石との兼ね合いも含めて想像したくなりますが、この兄も後に若くして一葉と同じ病気で世を去っています。(このとき兄さんの死を知って訪ねてきた元芸者の女性がいました。漱石がそれについて描いた文をご紹介した過去記事はコチラです。)

A一葉と上村一夫

以前、当ブログで「昭和の絵師」と呼ばれた漫画家上村一夫(代表作『同棲時代』『関東平野』)についてご紹介しましたが(過去記事はコチラ)、この方一葉のファンだったようで、たびたび作品に彼女が登場しています。

 戦前の芸者の世界を描いた『凍鶴(いてつる)』の中では、主人公の鶴菊が、汽車の中で一葉の「十三夜(※)」を若い軍人に朗読してもらう場面があります(この青年が、実は枕芸者〈※芸ではなく身を売る芸者〉となった腹違いの妹を探して旅をしていた。佳作揃いのこのシリーズの中でも最も切ない作品でした)。

凍鶴
(※「十三夜」夫との不仲に悩んだ女性が実家に戻るも、親に諭され家に戻ることとなる。その帰路、彼女を乗せていた人力車の車夫が、かつて両想いだった初恋の男だったと気づき、互いの不幸な結婚を知るという物語。今回のGoogleロゴのモチーフとなっている)

 また『修羅雪姫』(夫を殺された妻が刑務所で生んだ娘、雪が殺し屋となって繰り広げる復讐劇。タランティーノ監督の映画『キル・ビル』の原作となった……といっても漫画は実写化不可能なほど色々な意味で過激なので、実際にモデルとなったのは梶芽衣子の映画のようですが)の続編『修羅雪姫 復活之章』では一葉本人が登場しています。(超美人の雪が「綺麗」と褒める、落ち着いた涼しげな顔立ちに描かれています。)


修羅雪姫 上巻


修羅雪姫 復活之章上
 さらに、上村氏晩年期の作品『一葉裏日誌』では、花街の片隅で生計のために駄菓子屋を開きながら執筆活動をしていたころの一葉が主人公となり、近辺の事件の真相を暴いていくという推理物形式の物語が展開しています。(事件にはそれぞれ一葉の有名作品を彷彿とさせる登場人物が登場しています)

一葉裏日誌

 しかし実は今回、この記事で一番お伝えしたかったのは、「この文庫版の『一葉裏日誌』を買って、そして同時収録されている『帯の男』というシリーズを読んでいただきたい」ということなのです……(汗)。

 『帯の男』は芸者さんの帯を結ぶ「帯師」の中でも「帯源」と呼ばれた達人源次郎(高倉健に顔から風情から非常に似ていて、帯を結ぶときの仕草にとても色気がある)と、東京神楽坂の花柳界の人々の人間模様を描いた作品です。

『帯の男』が試し読みできる上村一夫オフィシャルページURL
http://www.kamimurakazuo.com/works/story/obinootoko.html

 もし、それまでの上村一夫の男と女の愛欲と情念と陰鬱の世界を期待して読むと全然違います(それで言うと『一葉裏日誌』も違いますが)。物語に恋や性が一部絡んでその気配は側にありますが、人生の山も谷も超えてきて、それでもときにやはり惑い涙する、そういう大人達のしっとりしんみりとした奥行きが、絶妙な空気感を醸す作品です。

 この人のこういう作品以外にこの味わいは無い。それまでの世界観からどうやって展開したのかわかりませんが、雨上りに洗われた空のような鮮やかな変貌です。

 かつて親の本棚から勝手にとりだしてきて読んで、『凍鶴』やこの『帯の男』は、子供ながらにその洒脱なたたずまいに「これが大人というものか」と心動かされた記憶があり、それは今でも変わりません。(子供は漫画となれば麻薬探知犬並みの嗅覚でどっからでも嗅ぎつけて引っ張り出しますから、読まれたくなければ金庫に隠してシリンダー錠でもつけておくしかない。)

 いずれ好きな話については細かく書かせていただきたいと思いますが、今回はご紹介まで。

 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum. at 22:24| 番外編 おすすめ映画・漫画・本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月07日

「オカアサン」(佐藤春夫作の短編小説〈アンソロジー『文豪の探偵小説』より〉)

 先日、江戸川乱歩の短編「指」をご紹介させていただいたのですが、今日はそのつながりで思い出した、ある風変わりな推理小説について書かせていただきます。

 なぜかどうしても、桜の散るころになると思い出す話なのです。そんな描写はどこにもないのですが。

 『文豪の探偵小説』(山前譲編・集英社文庫)という本に収録された、佐藤春夫の「オカアサン」という、二十ページくらいの短編です。

文豪の探偵小説
この本自体、一風変わったコンセプトで、太宰治、森鴎外、谷崎純一郎、川端康成などといった有名文学者の短編小説のなかで、犯罪、あるいは推理のテイストが含まれている作品を集めていてとても面白いのですが、その中で、たぶん、あまり作品としては有名ではない、しかし個人的には、これは日本短編史史上屈指の名作なのではないか、いや、とりあえず僕的にはとても染み入る作品だ、と思うお話です。

 今回は結末までネタバレで書かせていただきますので、その点らかじめご了承ください。

(あらすじ)
 作家本人を思わせる男、「わたし」は、ある日、仙人のような風貌の男に紹介され、というより、半ば押し付けられるようにしてオウム(黄帽子インコ)を飼うことになる。

 そのオウムはもともと誰かが飼っていたのを手放したもので、既に「ロオラ」という名を持っていた。三歳くらいまではそこにいたようで、その家の家族と思われる人々の言葉を、かなり器用に真似ている。

 誰やら三十半ばくらいの夫人の声で自分の名を呼び、ときどき子供たちの声でにぎやかに喋る。

 人懐こいのに、男の「わたし」にはなかなか馴染まない。

 そんなロオラの鳴き声と様子から、「わたし」は、かつてロオラが住んでいた家庭について、つぶさに想像するようになっていく。
 
……というわけで、「探偵小説」と言っても血も泥棒も出てこない異色作です。

 しかし、ロオラの鳴き声を手掛かりに、一つの家庭の家族構成や、出来事を推理していく様子は、忘れ物のパイプひとつで、持ち主の背格好や経済状態まで言い当てた名探偵ホームズの観察と洞察の鋭さに通じるものがあります。
(これを「探偵小説」として選に入れた山前氏はセンスの良い方だなあと思います。)

 そして、推理の披露だけでは終わっていない点が、この作品の一番良いところなのですが、それは後で書かせていただくとして、まずは「わたし」が、ロオラの鳴き声やくせをもとにして、かつてロオラがいた家庭について、どんな推理をしているかを以下にご紹介します。

・「ロオラや!」というときの声音
 → 少し気取った作り声で話す三十半ばの夫人がいた。

・果物や菓子を食べつけているようで、あげると喜ぶが、最初の餌はさしだされてもすぐに落としてしまい、次の餌を受け取ってから、落とした餌を拾いに行く。また、女の子の声で「ア、ココニモアッタワヨ」と話す
 → ロオラが食べ終わるのを待たずに、われさきにと餌をあげる複数の子供がいる。そして、ロオラが落とした餌について「あ、(ロオラ、まだ食べていない餌が)ここにもあったわよ」と教えている。
 → ロオラは可愛がられていて、しかもその家は鳥にふんだんに果物や菓子をあげられる、かなり裕福な家庭だった。

・「オカアサン」と色々な声音で話す
 → その家の子供は女の子三人と男の子一人がいた。

・「ロオラや」のほかに「ロロや」と言い、「ボーヤ」という言葉も知っている。夜九時くらいになって人の足音を聞きつけると、「オカーサン、ワーワーワー」と鳴く
 →男の子「ボーヤ」はまだ「ロオラ」と発音できないくらい小さく、三、四歳くらい。そして夜、ふと眼を覚まして、寂しくなって母親を呼んで泣くことがあった(まだ学校にいっていない年頃のため、一番ロオラと一緒にいる時間が長かったようで、ロオラはこの子の声、とくにその母親を呼ぶ泣き声が一番上手く、「わたし」が思わずなぐさめてやりたくなるほどである)

・「オトウサン」とは言わない、また男の声音では話さない、可愛がって世話をしても、「わたし」が来ると逃げてしまうのに、元は鳥を飼うことを反対していた妻のほうになつく。さらにはお手伝いさんの女性が一番お気に入りのようで、彼女が来るとあれこれ話し出す。
 → 普段成人男性のいない家庭で、「ロオラや!」と呼ぶ夫人は、痩せ形の妻よりは、お手伝いさんに似た少しふっくらとした女性だった。

・家族たちのとりどりの笑い声を真似る。女の子の声で「ワタシ、オトナシクマッテイルワヨ」と言う。
 → 楽しそうに暮らしているところを見ると父親を失ったわけではない。
 → 父親は家を長く開けなければならない仕事、おそらくは外国航路の船員だった。(父親が帰ってくると、家族中が彼のもとに集まるために、放っておかれがちなロオラは男が家にいるのを喜ばない)「ロオラ」という洋風の名をつけたのは彼で、「(お父さんがお仕事の間)わたし、大人しく待っているわよ」と父親を送り出す子供たちと妻をなぐさめるために、ロオラをお土産として外国から連れてきた。

 ……こんなふうに、ロオラを可愛がることを通して、前の家庭の様子を徐々に知ることとなったわたしは、その家庭によそながら好感を覚えます。

 前にロオラがいた家は、夫の仕事柄、外国風になりそうなものなのに、子供たちに「オカアサン」と呼ばせている古風な夫人がいて、家族のためにロオラを連れてきた夫と、両親になついて、ロオラを可愛がる子供たちがいた。

 ロオラが「目には見えないが、心にははっきりわかる好き一家族を隣人にしてくれた」

「わたし」は、そんなふうに思います。

(注、以下結末部<ネタバレ>です。よろしければ実際に作品をお読みになってからご覧ください)

 しかし、前にロオラがいた家庭について、そこまで思いをめぐらせてみたあとに、「わたし」の胸にある疑問が湧いてきます。

 その家庭は、こんなに可愛い、よく言葉を覚えた、愛されていたロオラを、なぜ手放してしまったのか。

 「わたし」が、ロオラを勧めた男に聞いてみたところ、ロオラは売られたのではなく、ほかの鳥と交換される形でその家を出たのだそうです。

 それでは、金に困ったわけでも、鳥を飼うことに飽きたわけでもない。

 そこまで聞いて、「わたし」は自分のある想像に確信を得ます。

 おそらく、夫人はその後、子供を亡くしたのだ。

 そしてそれは「ボーヤ」なのだろう。

 ロオラが夜突然、「オカーサン。ワーワーワー」と、亡くした子そっくりの声で鳴く。それが、夫人には耐えられなかったのだろう。

 それしか、ロオラを手放す理由が考えられない。

 せめて夫が留守の間に、夫人が子供を亡くしてしまったのでなければいいのだけれど……。

「わたし」は、そんなふうに思います。

 ……「わたし」の家で暮らすようになって二か月、ロオラは「わたし」が飼い犬たちを呼ぶ口笛を上手に真似るようになり、「わたし」に次第になついてきました。

 ますますロオラを可愛く思う一方で、「わたし」は時折心配になります。

 もしも、愛する家族を失った、刺すような痛みがうすらいできたとき、「ボーヤ」を亡くした夫人は、ロオラに会って、生き写しの鳴き声を聞き、愛する子供の面影を追いたいと思う日が来るのではないだろうか。

 だけど、その日が来た時に、ロオラは「わたし」の家で、もう「ボーヤ」の声を忘れてしまっているのではないか。

「そのロオラは、今はわたしのところで、別のロオラになりつつあるのです。」

「わたし」は、そのように物語を結んでいます。

(私見)

 この話の最も味わい深いところは、ロオラの「聞き手の胸を突くほどに真に迫った鳴き声」と「完全な無心」の落差でしょう。

 寂しくもないのにボーヤの泣き声を真似る、夫人の心をどれだけ痛めるかを察することもなく、それを繰り返す。

 そして、新しい家で暮らしていくうちに、ボーヤの名残りを、ためらわず忘れていく。

 実際にはオウムはずいぶん賢い生き物ですから(私は犬を飼っていましたが、彼はよく家族の空気を察して、はしゃいだり、オロオロしたりしていました。本当はオウムもそのくらいのことをするのではないでしょうか。)、そう鳴けば夫人が悲しい顔をすることぐらいわかるのではないかと思うのですが、作中のロオラは自分が真似る言葉の場面や感情に添って鳴くということはありません。

 たとえば籠の中でウロウロしたあげくに天井にぶらさがって「ワタシ、オトナシクマッテイルワヨ」と優しげな声で言うので、見ていた私がその不釣り合いに笑い出してしまう場面が描かれています。

 そのため「わたし」はロオラを連れてきた男に
「(人を真似て)泣いたり、笑ったりする時には多少、そんな感情を鳥も持っていてそれを現わすかしら」
と聞かれたとき、
「さ。そういう点まではわからないが」
と、かつての持ち主たちの感情に、ロオラ自身がどこまで寄り添っているかについては推理を保留しています。

 そして、少なくとも、作品に描かれたロオラは、夫人の悲しみにも、ボーヤの泣き声の持つ大きな意味にも気づいていない様子なのは、先に書かせていただいたとおりです。

 ロオラはオカアサンを恋しがって「泣いている」のではなく、ただ動物の習性として「鳴いている」だけだから、ロオラの生活が変わるとともにその「鳴き声」が変わっていくのは、ロオラに思いやりがないわけではない、そうですらすらない。

 それは、ただただ、「自然のなりゆき」。

 しかし、幸福な家庭とそこに起きた大きな悲しみを推理し、察する「わたし」と我々読者は、人が大切な誰かを亡くしたときの、多分一生忘れることのできない悲しみと、ロオラが無心にボーヤの声を忘れていく日常の間に横たわる、だれにもどうすることもできないへだたりにせつなさをおぼえます。

 わたしたちみんなに思い当たるふしのある、自分の悲しみを置き去りにされるわびしさと、誰かを忘れさせられてしまう日常の流れの、静かにして圧倒的な力。

 この二つのへだたりの真ん中で、ロオラが
「オカアサン。ワーワーワー」
 と、ないているのです。

 今は人をはっとさせるほど、響き渡り、やがて必ず消えていくことがわかりきっている声で。(悲しみの当事者にすら、願ってすら去ってはくれないものとは別に、どうしてもつかまえられずに、おぼろげになっていってしまうものがあるのです)。

 私はこの作品を読むたびに、このロオラの、鮮やかだけれどあやうい声を確かに耳に聞き、そして、春、明るい空の下、散る桜の真ん中に立った時のような気持ちになります。

(だから今の季節風に舞う花びらを見ると、ロオラの「オカアサン。ワーワーワー」という声をときおり思い出すのです。)

 自分にはどうにもできない。今まさに、過去になろうとしている、大切なもののうすれていく姿。

 それがロオラの声の響きになって、聞こえる。

 そして、私と同じような気持ちでロオラの声に耳を傾ける、「わたし」という人も、いつのまにかすぐそばに立っているのです。

 外科医のメスのように、ロオラの声から、一つの家族の姿と、その不幸を発見した冷静な推理の果てに、見たこともないその家族をそっと心配する人の心もまた、感じられるのです。

 結びにちょっと俗なことを書いてしまえば、佐藤春夫はこの短編集では比較的名の知られていないほうの作家だと思います。

 つまり、「太宰=走れメロス・人間失格」「森鴎外=舞姫・高瀬舟」のように、学生時代に「やい、おぼえやがれ」というほどに彼の存在や代表作を無理やりたたきこまれた人はあまりいらっしゃらないでしょう。

 しかし、私にはこの短編集中、少なくとも今の境遇では、彼のこの「オカアサン」が一番良いと思います。

 森鴎外の「高瀬舟」や泉鏡花の「外科室」など、すばり作家の代表作として文学史史上に名を刻んだ作品も掲載されているのですが……。

 それはたぶん、この作品が、鴎外や鏡花の、この世の頭一つ向こうにある静かなまなざしや、超絶の美とは別次元の、「日常」と「思いやり」に根差した作品だからでしょう。

 そして、これはまあ、ますますの蛇足ですけれど、作中の「わたし」について、「こうやって誰かの状況を見えないところまで丁寧に推理してみて、その結果相手の気持ちになってみるというのが、『優しい』ということなのではないか。人間の頭というのは何だか無駄に鋭いみたいなところがあるけれど、本当はこういう風に使うべきなんじゃないかな……」ともふと思うのです。

 ともあれ、約20ページながら、なかなか珍しい味わいのある作品です。実際にお読みいただけたら幸いです。

 いずれ、この短編集の冒頭を飾り、江戸川乱歩に激賞された、谷崎潤一郎の「途上」についてもご紹介させていただきたいと思います。

 こちらは殺人のからんだまさしく推理小説、しかし、そこにトリックを超えた人間の心の闇が描かれた、「オカアサン」とは真逆の「暗く冷たい傑作」です。よろしければまたいらしてください。

 読んでくださってありがとうございました。
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2014年04月03日

「指もかい。指も元の通り動くかい」(「指」江戸川乱歩作の短編小説)

 明日(2014年4月4日午前9時)BSプレミアムで「ハイビジョン特集 左手のピアニスト 舘野 泉 再びつかんだ音楽」が放映されます。(110分、再放送は4月14日(月)午後2時30分)
番組公式情報ページ
http://www.nhk.or.jp/archives/premium/next/#friday

 ご病気で今は左手のみの演奏で活躍なさっているピアニスト舘野泉さんを紹介した番組です。(当ブログの番組ご紹介記事はコチラ

 舘野さんの音楽も、訪れたフランスのひまわり畑も、苦悩を乗り越えたたたずまいも全て美しい名番組でした。

 本日は、この話を観て思い出した江戸川乱歩の短編「指」についてあらすじをご紹介させていただきます。

 「指」収録の『蜘蛛男・指・盲獣』(江戸川乱歩全集・沖積舎)※私は角川ホラー文庫『夢遊病者の死』で読みました。

江戸川乱歩全集 3 復刻

 「指」はごくごく短い短編で、1960年発表。

 少年向け小説以外では、乱歩最後の発表作品でした。

以下結末までのあらすじです。(※ネタバレ)

 医師である「私」の元へ、親友のピアニストの「彼」が、気を失った状態で運び込まれてくる。

 「彼」は何者か(彼の名声をねたむ同業者かもしれない)に夜道で襲われ、右手首を切断されていた。

 しかし、失神し、手術の麻酔から覚めたばかりの「彼」はそのことを知る由もなかった。

彼を安心させるため、腕を怪我しているがたいしたことはない、という「私」に彼は尋ねた。

「指もかい。指も元の通り動くかい」

そして、自分が作曲した曲を練習するために、指を動かしてみたい、と「私」に言う。

 彼に、もう右手は無いことを今告げるのが忍びなかった「私」は、とっさに脈をとるふりをして「彼」の腕の尺骨神経をおさえた。そうすると、指先の感覚があるように錯覚するのだ。

 「彼」の毛布から出ている左手が、気持ちよさそうに動いた。

 「ああ、右の指は大丈夫だね。よく動くよ」

 「彼」のその言葉に、見るに堪えない思いがした「私」は病室を離れた。

 付き添いの看護婦に、彼の尺骨神経を引き続き押さえておくようにそっと合図をして。

 手術室の前を通りかかった「私」は、そこに佇む看護婦に気づいた。
 
 その大きく見開かれた目は手術室の中の棚を凝視し、顔からは血の気が失せている。

 思わず手術室に入って、彼女の視線の先にあるものを確かめようとした「私」も凍り付いた。

 棚の上にあったのは、ガラス瓶の中の、アルコール漬けになった、「彼」の手。

 それが動いていた。(以下引用)

アルコールの中で、彼の手首が、いや、彼の五本の指が、白い蟹の脚のように動いていた。
ピアノのキイを叩く調子で、しかし、実際の動きよりもずっと小さく、幼児のように、たよりなげに、しきりと動いていた。


(完)

 以上が「指」のあらすじです。

 今回調べてみたら、ネット上では後味の悪い話として認識されている方も多いようでしたが、私は、これが乱歩のほぼ最後の作品だとしたら、実に見事な幕引きだと思っていました。

 真夜中の手術室で、アルコール漬けになった手がたよりなげに動いている。

 それだけでしたら確かに恐怖ですが、しかし、この話からは、自分の体を離れてもなお、その手と音楽を奏でたいという切望でつながっている、芸術家の狂おしいまでの執念が描かれています。

 この光景から受ける印象は、恐怖よりもむしろ、鬼気。

 恐ろしいような光景を描きながら、それによって芸術家の人知を超えた鬼気を表現しているこの作品には、残酷さや猟奇と紙一重の複雑な美と、胸に訴えかけてくる感動があるような気がします。

 この作品は鬼気が起こした異様な現象を描いていますが、人の激しい執念は、芸術への鬼気は、そうした形ではなく、本当に、人の想像を超えた現象を創りだすことがある。

 たとえば片手の自由を失っても、絶望から立ち上がり、その音色で人を涙させるピアノを弾くという形で……。

 舘野さんと、舘野さんより以前に、なんらかの不幸に見舞われ大切な手が動かなくなったピアニストたちの、それでも奏で続けた音楽を知った時、この乱歩の短編を読んで、恐怖の奥に感動を覚えた理由がわかった気がしました。

 とても短い、すぐれた作品なので、よろしければご覧になってみてください。

 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum. at 23:48| 番外編 おすすめ映画・漫画・本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月11日

(ご紹介編)フランス映画「ピエロの赤い鼻」道化師という天使

前回、本日NHKで放送されるイタリア映画「ライフイズビューティフル」についてご紹介記事を書かせていただきました。

「ライフイズビューティフル」は、ユダヤ人の父親が、強制収容所に送られながらも、幼い息子の魂を守るために、この世で最も残酷な状況においても、ユーモアを忘れずに「優しい嘘」をつきとおすというお話です。

この映画は個人的に「人生に最も大きな影響を与えた映画10本」に入る傑作なのですが、もし、この映画を好きになった方なら、是非こちらもご覧になっていただきたい、個人的には「対を成す作品」があります。

残念ながら「ライフイズビューティフル」とは違い、大きな賞とは無縁の作品だったようですが、私には同じように偉大な作品です。

「ピエロの赤い鼻」(フランス映画)

ピエロの赤い鼻

 第二次大戦中、ナチスドイツの権力下で、理不尽に絶体絶命の危機にさらされたフランス人と、彼らに同情したナチス兵の心の交流を描いた作品です。

「ベルント」

 「ゾゾ」

 それは、ある、本当に心優しい、勇気ある人物のもつ二つの名前です。

 無私の道化師は天使に似る。

 芸術の世界ではよく描かれるこのモチーフを描き切った名作です。

 (前半部あらすじ)

 少年リュシアンは、週に1度の、ある一日が憂鬱で仕方が無い。

 その一日とは週末、父親のジャックがみんなの前で赤鼻のピエロ姿で、演技をする日。

 パパは好きだけど、パパがピエロになって間抜けな姿で笑われるのにはうんざりだ。

 そんなリュシアンのため息を聞いた、ジャックの旧友、アンドレは、リュシアンのために、ジャックの遠い思い出を語り始める。

 お父さんが赤鼻のピエロになるのには、深いわけがあるんだ……。

 さかのぼる記憶。

 ジャックもアンドレも若く、フランスはナチスに苦しめられていたころ。

 二人はささいなきっかけで、ナチスに反抗してみた。

 本当に些細なきっかけ。

 ただ、二人の憧れだった美しいウェイトレスのルイーズに、いいかっこうをしてみたかったという。

 そして、二人はナチス軍の妨害となるように、線路ポイント切り替え所の爆破
を試みた。

 しかし、そのとき、思いもかけない出来事が二つ起こった。
 
 ひとつは、そのとき無人だと思っていたポイント切り替え所に、職員で知人のフェリクス老人がいて、彼らの仕掛けた爆弾によって重症を負ったこと。

 もう一つは、この爆破の犯人が名乗り出るまでの人質としてナチスにとらえられた村人の4人のうち2人が、皮肉にも真犯人である自分たちであったこと。

 期限内に真犯人があらわれなければみせしめに処刑されるという4人の人質の中に入れられ、雨の中、泥まみれの穴に突き落とされたジャックとアンドレ。

 自分たちが犯人だと正直に申し出ても信じてもらえず、途方に暮れる中、彼らの様子をじっと見つめていたナチス軍のある下級兵士が、飢えと寒さと絶望に震える彼ら4人の前に、もう一度姿を現す。

 ピエロの赤いつけ鼻と、ヘルメットに転がし隠したあるものを持って……。

 
 イタリアの陽光と町、主人公のグィドの元気いっぱいの立ち回りと比べると、ものすごく地味な作品です。

 突き落とされた青灰色の冷たい穴の底のフランス人4人と、穴の上のナチス兵1人。

 作品の核となるのは、彼らのやりとりだけです。

 しかし、これは意図的に色彩も画面も単純化された作品なのです。

 ある一つの大切な色を観る人に届けるための。

 絶望的な曇天の下、冷え切った泥まみれの穴の底で見た、たったひとつの色。

 赤。

 ピエロの赤い鼻。

 赤鼻のピエロ「ゾゾ」、ナチス兵のベルントが、お手玉をして、ジャックたちのいる穴に転がし落とした赤。

 赤いリンゴ。

 「希望を捨てるな」という、穴の上からの「ゾゾ」、ベルントの励まし。

 「ライフイズビューティフル」同様に、過酷な状況下、自分が道化となることで、他の誰かを励まそうとする優しい人の姿を描いた作品です。              

 私はどちらの作品も本当に好きですが、ときに、この作品の半分以上を青灰色が締める「ピエロの赤い鼻」の方を「ライフイズビューティフル」以上に観たくなることもあります。

 家族でもなければ知り合いでもない人のために、危険を冒して赤鼻をつけて笑わせ、リンゴを投げてよこした「ゾゾ」、ベルント。

 幼い息子の魂を守るために笑い抜いたグィドとはまた別の偉大さを、彼は持っています。

 「ライフイズビューティフル」を好きになった方には是非こちらも観ていただき、グィドとベルントそれぞれの勇気と、戦争の愚かしさを知っていただきたいと思います。

 読んでくださってありがとうございました。

posted by Palum. at 21:20| 番外編 おすすめ映画・漫画・本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月09日

ライフイズビューティフル(イタリア映画)


 英語ともイギリスとも関係ないのですが、来週火曜日(2014年3月11日)午後9時〜10時57分BSプレミアムにとてもいい映画が放映されるのでご紹介させていただきます。

 『ライフイズビューティフル』。
イタリア映画です。(アカデミー外国語映画賞、主演男優賞受賞〈外国語の映画がこの賞を獲るのはとても異例なことだったそうですが、しかしロベルト・ベニーニの陽気で胸に染み入る演技には、間違いなくそれだけの価値がありました。〉)

 NHKの番組紹介情報はコチラ

 第二次大戦期イタリアを生きた、ユダヤ系の男グィド(ロベルト・ベニーニ)の人生を描いた作品です。
 過酷な迫害に巻き込まれながらも、笑いと家族への愛を決して忘れなかったすてきな夫、そしてお父さん。

 いわゆる戦争映画にみられる陰鬱な描写ではなく、むしろ彼の明るさと勇気を通して、多くのことを教えてくれる作品です。

 「人生は美しい」と言えるのはどんな生き方をした人なのか。

 人間が本当に勝つとはどういうことなのか。

 その答えが、観た人の胸に、そっと、灯ります。

 そして私には、人生を重ねるごとに、その温かさ明るさが、増していくように思われます。

1,あらすじ(前半部)※わりとネタバレなんで、気になる方は後日お読みください。




 グィドは友人を連れて、叔父のいる町にやってきます。叔父が経営しているホテルで働くために。
 石畳を太陽が温かく照らす、美しい町。
 そして、グィドめがけて空から降ってきた、美しいお姫様。
 蜂の巣をとろうとして蜂たちの反撃に遭い、納屋の二階から落ちてきた女性ドーラ。
 彼女を受け止め、たちまち恋に落ちたグィド。

 恋しいお姫様の心を射止めるため、ありとあらゆる機会を利用して、彼女を驚かせ、笑せようと奔走します。

 ドーラは裕福な家の生まれで、親に申し渡された許嫁との交際を強いられていましたが、彼女もグィドに惹かれていきます。

 それでも、結婚話は勝手に進み、いよいよ婚約パーティーが開かれることに。

 しかも、こともあろうにグィドが給仕を務める叔父さんのホテルで。
 
 茫然自失のグィド(この瞬間の描写にご注目ください。最高です)。

 しかし、ドーラは決断します。親の言いなりになるのではなく、自分をとても愛してくれている、愛する人と一緒になる。

 ドーラの気持ちを知ったグィドは、陽気で冗談好きないつもの調子を取り戻し、思いつく限りロマンチックに堂々と、でも皆には気づかれないようにお姫様をさらっていきます。

 (前半部見どころ)
 まずはグィドがドーラを婚約者とのデートから連れ出して(というか婚約者のフリをして騙して)、二人で夜の町を歩く場面。
 それまで描かれていた町の風物や小さなやりとりが伏線となって、巧みにドーラへのサプライズを演出します。

 明るく、楽しく、軽やかで、しかし互いに人生を賭けた恋。

 愛する人にいつも幸せな笑顔でいてもらうために、いくらでも頑張るグィド。

 グィドのユーモアの奥にそういう底知れないほどの愛情とたくましさを感じ取ったドーラは、それを受け止め、負けないほどに彼を愛することになるのです。
 
 また、劇場でグィドが(演目などほぼうわの空で)ドーラに熱い視線を送り、こちらを向いてほしい……、と一生懸命念を送る場面もおススメです。
 
 オペラの美しい歌声の中で、伏し目がちにゆっくり振り向くドーラと、それにうっとりと見とれるグィドの表情が良い。

 余談ですが、このドーラを演じたニコレッタ・ベレスキと、監督兼主演のロベルト・ベニーニは夫婦だそうで、その他にもベニーニが監督している作品で理想の女性として登場しています。

 
 確かに、「美しく気丈で聡明で心温か」といった風情で、女性としての全ての良い資質を併せ持った雰囲気を醸す素敵な女優さんです。
 
 このグィドの一生懸命な念力は、物語の後半、ある非常に重要な場面でも活躍します。そこはとても感動的なので是非ご覧になっていただきたいです。

 放映後に、作品後半部の見どころについても書かせていただきたいと思いますので、よろしければご鑑賞後またいらしてください。

 読んでくださってありがとうございました。

posted by Palum. at 20:46| 番外編 おすすめ映画・漫画・本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月31日

ツナ・モルネーのレシピ (漫画『not simple』に寄せて)

先日、オノナツメさんの傑作漫画『not simple』 についてご紹介させていただきました。


not simple

 
過去記事はコチラ(ネタバレを含みますのでご了承ください)
@『not simple』 ご紹介編
A続『not simple』ジムのまなざし編

今回はこの作品に出てくる「ツナ・モルネー」という料理について、作中に出てくるのに一番近いと思われるレシピの翻訳と(しょせん僕なんでちょっとアヤシイですが)、レシピ本頻出語の訳を添えてご紹介させていただきます。

ツナ・モルネー1.png

マカロニグラタンに近い料理みたいですが、作中にも出てくる通り、きちんと「何を何グラム」みたいに決まっている料理ではなく、家庭によって好きに味を変えているみたいです。こちらのWebページではレシピを聞く質問者に対して「うーん、そんなに正確に量を測って作るレシピはないなあ……“I don't have an exact quantity recipe”」みたいな回答が複数寄せられています。

今回ご紹介する「Jullie Goodwin(オーストラリアの料理研究家)」のレシピURLはコチラ
http://www.juliegoodwin.com.au/recipe-tuna-mornay.html

(レシピ)
【材料】Ingredients 4〜5人前
1,200g dried macaroni
乾燥マカロニ200g
2,50g butter
バター50g
3,Kernels from 1 cob fresh corn
コーン粒1穂分
(“kernel”……粒“cob”……穂)
4,1 medium carrot, diced small
細かいさいの目切りにした中ニンジン一本
 (“dice”……サイコロ)
5, 1 brown onion, diced
さいの目切り玉ねぎ
6,¼ cup plain flour
小麦粉1/4カップ
7,2 cups milk
 牛乳2カップ
8,2 tablespoons Dijon mustard
 ディジョンマスタード(※)茶さじ2杯分
(※)なんかフランスの良いカラシみたいですが、いわゆる粒マスタードで代用可みたいです。

9, 1 cup grated tasty cheese, plus a little for the top
 お好みのすりおろしたチーズ1カップと上に振り掛ける分少々
“grate”でこの場合「おろす」の意味

10,425g tin tuna in brine, drained
 缶入りツナ425g (塩水)切りしたもの

11, ¼ teaspoon salt
 塩茶さじ(小さじ)1/4
12, ¼ teaspoon ground white pepper
 白コショウ茶さじ(小さじ1/4)

13 Parmesan, to serve 1,
 パルメザンチーズ各自少々
“To serve 1”がうまく訳せなかったのですが、多分お皿に盛りつけられてから各自お好みでふりかけるというような意味かと思います。

【手順】Method
1,Cook the macaroni to packet directions and drain. Preheat the oven to 180°C.
袋の説明書きに添ってマカロニを茹で、水を切ります。オーブンを180度に予熱で温めておきましょう。

“drain”……この場合、「水を切る」という意味合い。
“Preheat”……「予熱で温める」。

「Pre」は、「プレセール pre-sales(先行販売)」などで日本語にもなっている、「あらかじめ」「前もって」などを意味する接頭語です。

2,In a Medium heat large pot over medium heat, melt the butter and add the corn, carrot and onion. Sauté gently until the carrots are soft.
大きなフライパンを中火であたため、バターを溶かし、トウモロコシ、にんじん、玉ねぎを加えます。ニンジンが柔らかくなるまで火を通しましょう。

“Medium heat”……「中火」
“Sauté”……「少量の油でさっと炒める」「〜のソテー」という感じで日本語にもなっています。

3,Sprinkle in the flour and stir to coat all the vegetables well.
フライパンの中に小麦粉を振り入れ、野菜によくなじませます。

「Sprinkle」……「振り掛ける」「まき散らす」

4,Pour in 1/2 cup milk and stir until it is all incorporated and starting to form a thick, doughy sauce. Add another half a cup and repeat. Add the last of the milk and cook for a minute more, stirring.
牛乳を半カップ加え、すべて馴染ませ。濃厚で柔らかいソースになるまでかき混ぜます。残りの半分の牛乳を加え、同じ工程を繰り返し。残りの牛乳を加えてかき混ぜ、もう一分かき混ぜます。 
“Pour”……「注ぐ」
“stir”……「かきまぜる」
“incorporated”……「結合させる」などの意味があるそうですが、ここでは「馴染む」くらいの意味かなと思い勝手に意訳いたしました。
“thick”……「厚い(対義語→thin)」の意味が有名ですが、レシピ本だと「濃厚」とか「もったりした」の意味でよく出てきます。
“doughy”……「柔らかい」「こね粉のような」「生焼けの」の意味だそうです。
「dough」で「生地(ピザ・うどんなどの)」を意味するとか。
5,Toss in the mustard and cheese and stir until the cheese has melted. Add the tuna; break up any huge lumps but don’t stir too much after this or the tuna will disintegrate and become mushy. Taste and season with salt and pepper.
 マスタードとチーズを入れ、チーズが溶けるまでかきまぜてください。ツナを加え、大きな塊がなくなるまでほぐしてください。(あまりかき混ぜるとツナがやわらかくなりすぎます。)味見をして、塩コショウで味付けをしてください。
・“Toss”……「投げ入れる」 バレーボールで出てくるあの「トス」です。
・“Lump”……「塊」
・“disintegrate”……「崩壊・分解」
・“mushy”……「(かゆのように)やわらかな」
・“Season”は「季節」の意味が有名ですが“Season with”で「〜で味付けする」の意味になります。日本語でも「シーズニング(調味料)」としてつかわれています。

6,Stir through the pasta and place into a baking dish. Top with a scattering of cheese and bake for 25 minutes or until golden. Serve sprinkled with parmesan.

パスタ(マカロニ)を加えてかき混ぜた後、耐熱皿に盛り、チーズを散らして、25分間オーブンで黄金色になるまで焼きます。仕上げにパルメザンチーズを振り掛けます。

一応このはなはだ心もとないセルフ意訳レシピで作ってみました。
(感想)
・味は美味しかったです。小麦粉を野菜に振り入れるので、いわゆる「ホワイトソース」の作り方よりダマになる心配が無くて初心者(私)にも作りやすい
・ただ、外国のレシピで4〜5人前とあるので、結構な量できてしまいました(汗)
・どんなチーズを選ぶかでだいぶ塩加減が変わってくるので、塩コショーを足す前の味見が必須(チェダーチーズを勧めているレシピが多いです)。チーズも多いと思う人もいるかもしれないので、ちょっと様子見ながら足してもいいかもです。
・今度はジャガイモと鶏肉、セロリ混ぜたくなりました。
・から炒りしたパン粉を乗せてから焼いたら美味しかったです。

※作品には「ツナ・玉ねぎ・マカロニ・チキン・トマト・ホウレンソウ・チキン・その他いろいろ」とありますので、お好みで具を変えていいみたいです。

比較的簡単でおいしくできるので、よろしければお試しください。

ちなみに、作品内ではこの「決まったレシピが無いから、家庭によって具も味も違う」というところが場面に生かされています。

イアンにとってこの料理は、離れ離れになった姉のカイリに作ってもらった思い出の味です。

一方、そんなイアンの思い出話を聞かされていたころのジムは、家出をして、家族との付き合いも極力断っていました。

数年後、二人と共同生活しているジムの友人リックが、同じ料理を三人で囲みながら、
「家によって中に入るものが違うなら、この家の味を作ればいい」
と言います。

ジムが、実家のツナモルネーの具を「もう覚えていない」というと、イアンが静かに言います。

ツナ・モルネー2.png


「……電話して聞いてみたら?」

そのとき、カイリは既に亡くなっていて、それをきっかけに自分の人生にまつわる大きな秘密を母親から聞かされたイアンに、もはやそんなことを聞ける「家族」はいませんでした。

他の人間に言われれば聞く耳を持たなかったかもしれませんが、イアンに何が起こったかを知っていたジムは、そっと立ち上がり、電話をします。

「まだ、料理の作り方を聞ける家族がいるということ」

ジムはもうそれを望んでいませんでしたが、イアンにとってそれがどれほどの重みを持つか、彼にはわかっていたからです。

イアンと家族。
ジムと家族。
イアンとジムとリック。
それぞれの「家」に対する思いが、一皿の温かい湯気の上に、交錯します。


 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum. at 06:09| 番外編 おすすめ映画・漫画・本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月26日

続 漫画『not simple』(オノ・ナツメ作)ジムのまなざし ※ネタバレあり


 前回、漫画『not simple』のご紹介記事を書かせていただきましたが、今回は、続篇として、主人公イアンを見守るジムに焦点をあてて書かせていただきたいと思います。

 作品のあらすじは前回記事をご参照ください。

以下URLから冒頭部試し読みができます。
http://www.ikki-para.com/ono-natsume/not_simple/

 ジムは主人公イアンの友人で、作家。(上記冒頭部で語り始める男性が彼です。)

 複雑な事情で家族と離れ離れになってしまったイアンを、自分の家に滞在させたり、イアンの知り合いからの連絡先として電話番号を貸したりと、さりげなくサポートしています。

 そして、不運な人生を送ったイアンのことを書いた小説を書き残し、イアンの死後には自分も失踪します。

 一読目では、どれほど酷くふみにじられても、まっすぐに家族を愛し続けたイアンの素朴でもの悲しい魂が印象に残りますが、もう一度読んだとき、この、イアンを見守り続けた作家ジムの思いが次第に浮かび上がってきます。

(1)ジムにとってのイアン
 前回記事と内容が重複しますが、まず、ジムの心に焼付いたイアンという青年がどんな人であったかを少しご紹介させていただきます。

 イアンは崩壊した家庭に生まれ、父母それぞれから過酷な仕打ちを受けますが、なぜか憎悪という感情を知らないままに成長した人でした。
 彼の心の中にあるのは、家族と一緒にいたいという願い。
 そして今は離れ離れの、年の離れた姉カイリを慕う気持ち。

 カイリとイアン
not simple写真.png

 イアンは、自分を愛してくれたカイリが、実は自分の母親なのではないかという予感を胸に、わずかなつてを頼りにカイリを探しつづけています。

イアン.png

 作家であるジムはそんなイアンを「昔書いた小説のキャラそのもの」と感じます。
 曇りがなくて、自然体。
 その頃の自分の理想だったのかもしれないと。

 イアンとジム
イアン2.png

「その頃」とはジムがまだ家族と一緒に住んでいたときのことです。
ジムは同性愛者で、それに対して父親の理解を得ることができず、結局後に家を出てしまいます。
そんな家族との断絶がある前のジムが思い描いた、理想の人間。
イアンは過酷な生い立ちにもかかわらず、ジムの理想とする魂を持っていたのです。

ジムの発言を聞いた友人のリックは、イアンが(恋愛対象として)気になっているのではないかと指摘しますが、ジムは「見届けたいだけだ」と答えます。

 実際、ジムはイアンに自分が同性愛者であることそれ自体最後まで告げませんでした。

 ただ、一度彼は、ジムの写真を撮っています。
「お前の顔ってやけにホッとさせる。間が抜けてて。だからそういうホッとしたい気分になった時に、いつでも見れたらいいだろ?」

 ジムの気持ちに恋が含まれていたかは読み手の想像にゆだねられていますが、家族すらも拒絶したジムが、イアンに安らぎを覚えていたのは、この場面から読み取ることができます。

 それはもしかしたら、一人の人間への恋よりももっと奥深い感情。

 昔、おそらくジムが家を出たときに、自分自身がそうなることは諦めざるをえなかった理想そのものとして、ジムはイアンを、思いがけず見つけたともし火のように思っていたのではないでしょうか。

(2)イアン、ジム、それぞれにとっての家族
 
 イアンは姉のカイリを探して旅していますが、ジムは、かつて自分を理解してくれなかった家族を拒絶し、後に連絡があっても冷めた対応をしています。

 しかし、もう家族を求めていない自分が、向こうから「待っている」と言われ、家族を探しつづけているイアンはどうなったのだろうということが気にかかります。

 その直後、降る雪の中、ジムはかつて自分が住んでいたアパートの前でイアンと再会します。

再会.png

 やつれたイアンから、聞かされたのはカイリの死、そしてイアンの家族の隠された秘密。

 とうとうカイリに会うことができなかった。

 父や母にも、もう会うことはない。

 家族の秘密を聞かされ、もう姿を見せるなと両親それぞれから言われてしまった。

 イアンに罪はない。


 でも、イアンという存在が、母から、彼女がカイリとやり直せる可能性を奪った。

 
 そして、父はその魂に、はじめから親としての愛も良心も持ち合わせていない人間だった。

 それもまた、イアンという存在が証明してしまった。

 そのことを知ったイアンは、ただ、さまようようにジムのところへやってきたのです。
 
 旅をしていると温かい人に出会う。
 
 その人たちのおかげで、今、ジムのところまで来られた。

 でも、イアンが求めていたぬくもりは、その人たちの物ではない。

もっと近くにいる人たちからのぬくもりなのに。.png
 
 カイリがいない今、それを感じることは永遠にできない。
 

 まだ、「父」も「母」も生きているけれど。
 
 決して。
 
 ジムは、うつろなイアンの言葉に、何も言えずにうなだれ、たばこの煙だけが立ち上ります。

(2)イアンの死、ジムの失踪

 イアンの人生に残されたたったひとつの願いは、カイリを探す旅をしていたときに出会い、ほのかな恋心を抱いた年上の女性との約束を果たし、彼女にもう一度会う事でした。

 しかし、その願いもかなうことなく、彼女との再会を目前に、イアンはトラブルに巻き込まれ、撃たれて命を落とします。

 イアンと女性の再会を遠くから見守るつもりだったジムが、撃たれたイアンを最初に見つけます。

 イアンをトラブルに巻き込んだ少女が、ジムと同時にイアンを見つけ、撃たれた彼を助け起こそうとしたとき、ジムは彼女を鋭く制します。
 ある過去が原因で、イアンが血液から感染する危険性のある、深刻な病にかかっていたためです。

 しかし、イアンの傷が致命傷で、彼から既に生きる気力も失われていることを見て取ったジムは、救急隊員に運ばれる前に、イアンの前にひざまずき、血まみれの彼を抱きしめて、静かにほほに口づけをしました。

プロローグ1.png

プロローグ2.png


 このイアンの死の場面はプロローグに来ているので、最初は気づけませんが、二度読みすると、このときのジムの表情や行動から、彼の思いが伝わってきます。

かつての自分が思い描いた理想の魂を持っていたイアン。

しかし、世界はその曇りの無い心に対して残酷で、子供のころからふみにじられて、ふみにじられて、そして、たったひとつの心残りをかなえようとしたときに。

 また、ふみにじられて、死んだ。

ジムは見届けたかったのでしょう。

かつての自分が理想とした魂の持ち主が、優しくてまっすぐな心の持ち主が、どんな人生を送るのかを。


せめて一つは願いがかなえられるのを。

 
それすらもかなわなかったのを見たときに。

 ジムの理想も、また死んだのです。

 自分の肉体が生きているということよりも、彼の人生に必要だったものが。

 血まみれのイアンへの口づけは、イアンと、かつての自分の理想と、そしてこれまでの自分の人生への別れの口づけだったのではないでしょうか。

失踪後のジムが自殺したのかもしれないと、ほのめかされている場面がありますが、はっきりとは明かされていません。

ただ、単行本の一番最後のページに、ジムが道にたたずんでいる姿が描かれています。

ラストページ.png

イアンそっくりに、リュックを背負い、帽子を手に、厚着の襟首に少し顔を埋めて。

not simple 表紙.png

でもまなざしが違います。

イアンの瞳は大きく開かれ、心の中で、大切な人のことを探しています。

ジムはうつむき、その瞳に何がうつっているのか、うかがい知ることができません。

もう、何も探していないのかもしれない。
探すべきものが何かを探すことも、やめてしまったのかもしれない。
そんなことを考えさせる姿です。

おそらくこれは単行本にだけ残された仕掛け(表紙のイアンとendマーク後のページのジムの対比)でしょうが、二人の思いや、それぞれの人生を象徴しているようです。

 私にはジムの気持ちがわかる気がします。

その人そのものを手に入れるのではなく、ただ、その人が報われたなら、まだ自分は理想を持って生きていけたのだけれど、その人の夢がなにひとつかなわないまま死んでいくのを見た。

 ジムは、イアンを殺した世界の中で、自分が生きていくことの意味を見失ったのではないでしょうか。

 そして、悲しいのは、イアンを見届けようとするジムの瞳に、はじめから、少し暗さがあることです。

ジム自身の中では、その理想を育てることができなかったから、そういう理想の魂が生きながらえていくことのむずかしさを知っていたから。

できることは手助けをしたいと思いつつ、でも、イアンのような人は報われることはないのかもしれないと、うっすら感じ取っていたのかもしれません。

これもまた、孤独のひとつの形ではないでしょうか。

家族との断絶とも、イアンとの別れともまた違う形の孤独。

今生きている世界、その見渡す限りを信じられなくなるという形の。

正直、あれだけ過酷な目に遭っても、憎しみを知らなかったイアンの気持ちを推し量ることはできません。

でも、そういうイアンを失ったとき、底知れぬ孤独に包まれたジムの気持ちは、その片鱗は、既に知っているような気がします。

私たちの誰もが、人生のどこかで、そういう、世界の残酷さに(それは自分の身を痛めるものでなかったとしても)胸を突き刺さされたことがあるのではないしょうか。

苦しい話ですが、しかし、構成にすぐれ、他に類を見ない印象を残す作品です。

 よろしければ、一度、覚悟を固めた上で、お読みになってみてください。

not simple

 作品に登場する料理「ツナ・モルネー」についての記事も書かせていただいたのでよろしければ併せてご覧ください。


 読んでくださってありがとうございました。

posted by Palum. at 07:38| 番外編 おすすめ映画・漫画・本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月25日

『not simple』ご紹介編 一部ネタバレ


not simple
以下URLで冒頭試し読みができます。
http://www.ikki-para.com/ono-natsume/not_simple/

 今回はオノ・ナツメさんの漫画『not simple』をご紹介させていただきます。
 冬の空気が漂う作品です。描かれた季節も、世界観も。
 悲しいけれど、繰り返し読ませる力を持つ、忘れがたい作品です。

 オノ・ナツメさんといえば、老眼鏡の紳士たちが勤めるイタリアンレストランでの人間模様を描いた『リストランテ・パラディーソ』で一躍有名になり、その後も江戸を舞台にした『さらいや五葉』、ニューヨーク警察をモチーフに都市に生きる人々を描いた『COPPERS』、その他短編集など、コンスタントに佳作を発表し続けている漫画家さんです。

リストランテ・パラディーゾ


さらい屋 五葉   1


COPPERS カッパーズ   1
 小説「のぼうの城」のイラストを手掛けたことで、漫画を読まない方でもその絵をご覧になったことはあるかと。

のぼうの城

 多様な国籍と時代を描いていらっしゃいますが、作品に共通するのは独特の絵柄と台詞、そして、そこから醸し出される、物語の流れと、人々そのものの間に漂う間合い。
 語りきることのない過去があり、問わない配慮がある。
 問わないその人にも、語らない過去がある。相手もまたそれを察している。
 独特の間に、そういうお互いの空気が流れる。
 そうやって現在を共有している人々が集っている感じです。

 少々慣れが必要なところがありますが、この絵と台詞による沈黙と省略の表現はこの方独自の味です。

 このオノ・ナツメさんが、今から約10年前に発表した作品が『not simple』。
 後に彼女の才能を広く知らしめた上記のような作品に比べると、あまりにも衝撃的な題材を扱っています。

 と、いうか、私はこれほど残酷な展開の作品を今まで読んだことがありません。
「これ以上ないっていうくらい暗くてひどい話」と作品そのものの中で形容されていますが本当にそういう感じです。

 もしかして、今のオノ・ナツメさんの作品の、あの淡々とした大人の雰囲気に惚れてこれを買った方はびっくりして二度読むことをやめてしまったかもしれません。

 ですが、私はこの作品を読んで、彼女の才能に震撼としました。

 自分は何も悪くないのに、悲惨な人生を送って、報われないまま死んだ男の物語。

 それなのに、心に焼付くのは、その陰惨さではないのです。

 冬の寒い中、痩せた顔を厚着にうずめて、大切な家族を探して旅をする、彼のまっすぐな目。
 踏みにじられ続けたことを、どこかよそに置いて浮かべる満面の笑顔。
 そんな彼を静かに見守る作家の男のまなざし。

 この筋立てで、こんなふうに人の想いを描きうるのかと。

 ご紹介でどこまでこの作品の空気感とをお伝えできるかどうかわからないのですが(筋立ては本当に暗いから、それだけ読むと「絶対に読みたくない」と思いかねない)一応どんな話で、描き方にどんな工夫がなされているかを書かせていただきます。

 ご紹介編ではありますがある程度のネタバレがありますのでご了解ください。

(あらすじ)
 主人公のイアンはメルボルン出身。

 元は父と母、年の離れた姉のカイリと暮らしていましたが、家庭はイアンが生まれる前から崩壊していました。
 父も母も、互いに浮気を繰り返し、母は酒浸りで、イアンに嫌悪感を抱き、父はイアンに完全に無関心。

母親.png

父親.png

 唯一愛してくれたのは姉のカイリ。

イアンとカイリ.png

 しかし、両親と不仲だったカイリが、イアンを連れて家を出る金欲しさに盗みを働き、服役したことで、家族は完全に離れ離れになります。

 出所後、母親が、嫌っていたはずのイアンを連れて既にロンドンに戻り、父親は早々に新しい恋人との再婚話を進めていると知ったカイリは、イアンを追ってロンドンに行きます。

 そして、少なくとも衣食の心配はしないで済むからと、イアンを父親のもとに行かせたカイリは、自分はロンドンに残り、母親の世話をすることにします。
 自分のせいで母は荒れ果ててしまった、そのけじめをつけるために。

 ただ、カイリは知りませんでした。
 酒代欲しさに、そして憎しみゆえに、それまで母がイアンに何をさせていたのかを。

 一方、メルボルンへ戻ったイアンは、「目標を達成したら会おう」というカイリの言葉を励みに、陸上の選手としてトレーニングを続けます。

 尊敬する選手の記録を抜いたら、カイリに会えるという夢を抱いて。

 ある大会で、優勝したわけでもないのに、ゴール後に満面の笑みを浮かべるイアンに目を止めた記者がいました。

 それがジム。
 イアンの笑顔の理由を尋ねたことをきっかけに、二人は友達になります。

(イアンとジム)
イアンとジム.png

 ジムが出版社を辞めて、作家になる夢をかなえるべくニューヨークに渡ろうとしていた時、イアンが尋ねてきます。

 会いに行こうと思っていたカイリがロンドンにいない。急にアメリカに行ってしまったらしいと。

 ジムの提案でイアンは一緒にニューヨークに渡り、そこからアメリカ中のつてをたどってカイリを探すことにします。

 その旅の途中、イアンは美しい年上の女性に出会いました。

 偶然知り合い、イアンにスーツを買って、食事を一緒にした女性。
 彼女はどこかカイリに似ていました。
 イアンははじめて恋心というものを抱き、それを察した女性は、3年後に同じ場所で再会しましょうと約束します。
 ジムの家に戻ってきて、そのことをジムと友達のリックに嬉しそうに報告するイアン。

 そこに一本の電話がかかってきます。

 カイリの本当の居場所を知らせる電話が。

(特色1)絵柄

重い話なのですが、最後まで読ませる工夫のひとつに絵柄があります。

彼女の作品でも、もっとリアルな感じの絵柄のものもあるのですが、これは5等身くらいで、顔もシンプルに描かれています。
この絵なので、きつい内容ながら、重苦しさや生々しさがある程度軽減されて、彼らの想いのほうに目が向けられるようになっています。
実写や、リアルな絵柄で描いたら、印象は随分違うものになってしまったことでしょう。漫画のデフォルメの力というものが最大限に生かされています。

(特色2)省略
 オノ・ナツメ全作品に共通する持ち味に、この「場面の省略」というものがあると書かせていただきましたが、それが非常に効果的に用いられているのが、この『not simple』だと思います。
 特色1で書かせていただいたキャラクターのデフォルメも一種のリアルさの省略ですが、この作品では、場面や心理描写それ自体もかなり省略されています。
イアンは悲惨な少年時代を過ごし、カイリにも家族が崩壊するほどの秘密がありますが、イアンがどんな目に遭ったのか、カイリがなぜそんな状況になってしまったのかについて、具体的な場面描写は一切ありません。
本人や第三者の口から少しだけ、そういうことがあったと語られるだけですし、そのとき自分がどう思ったかについて語る場面もありません。

最近は随分重苦しい題材を扱った作品も多くあるので、イアンやカイリが経験したようなことを描いているものもありますが、この作品のように、重い出来事を扱いながら、その経緯はもちろん・その出来事に関わる思考や感情の描写も省略してあるという作品はちょっと思い当たりません。

個人的に、特に日本の作品が深刻な題材を扱う場合、微に入り細に入りその深刻な様相をこれでもかと描くという印象があるので(戦争ものとか犯罪もの病気を扱ったものとか、苦悩苦痛に泣き叫ぶ人をつぶさに描いている)、オノ・ナツメさんという人はちょっと異端の才能の持ち主だなと思っています。

 しかし、省略されるからこそ、読者は作品から目をそむけずにいられて、だから、登場する人が「被害者」という一記号にならずに、その心にある情愛や優しさを見つめることができるのです。

 そして、そういう人の抱えた痛みや悲しみ、せつない思いは、推し量るという形でじわじわ読み手の中に勝手に湧き上がってきます。

辛い状況を扱った際、作者ですらその状況に引きずられて、どうしてもそれ自体を描いてしまいがちですが、あえて、それが辛いと知りつつ(辛いと思わないから描かないならただのわからずやですから、そんなのは読み手の心を動かしません)、描かずにおける作者だけが使える「省略」の力。
この技法において、オノ・ナツメさんは、私の中でこうの史代(※)さんと並ぶ達人です。(奇しくもどちらも漫画家さんですが)
(※)こうの史代 
 人々の人生の機微を流麗で温かな線で描き、「この世界の片隅で」「夕凪の街、桜の国」など戦時中の日本を扱った作品がとくに有名(でも個人的にはこの人の描くしなやかな人生観それ自体と、ほのぼのとインコ描いた『ぴっぴら帳』が好きなんで、戦争物の作家とはくくらないでいただきたいです)。

この世界の片隅に 上

夕凪の街 桜の国

ぴっぴら帳   1


(特色3)時間軸
 上記あらすじ紹介では、一応時間の経過に沿った形でご紹介しましたが、実際の作品は時間軸をかなり程度分断してあります。
ストーリーはこんな順番で展開します。
1,イアンとジムの会話
2,イアンの死
3,イアンの人生を描いた小説の出版、ジムの失踪
4,出所前のカイリ
5,イアンの少年時代
6,ジムとの出会い,アメリカでカイリを探すイアン、イアンの初恋
7,明らかになったイアンの人生の秘密、それをジムに語るイアン
8,イアンとジムの会話(1のリフレイン)
(以下省略)
 4〜8はほぼ時間順に展開していますが、本来最後に来るべき2のイアンの死や3のジムの失踪が序盤に来ています。
 そして1と8は実は同じ場面。
 それまでのイアンの人生を知った後で読むと、ジムの台詞の意味と重みが明らかになる構成です。

 そして、ここでは省略させていただいた結末部9は、6の部分、イアンが比較的穏やかに暮らしていたある一場面につながっています。
 イアンが死ぬところや、イアンの死後、ジムが失踪したところで終わっていたら(それが本当の彼らの人生に待ちかまえていることなのですが)読後感が重すぎて、再読はできなくなりますが、イアンがカイリに会いたいと思ってアメリカを旅している時間で物語がしめくくられているために、心に残るのが、イアンの家族に対する思い。

 文でも、
「イアンは家族を愛していたけれど、なにひとつ報われずに死んだ」
と書くか、
「イアンは何一つ報われずに死んだけれど、家族を愛していた」
と書くかで印象が違ってきますが、こうした構成の差をもっと緻密に複雑に展開しているのがこの作品なのです。

 以前、今や「インセプション」やバットマンシリーズといったハリウッド大作でも有名となった映画監督、クリストファー・ノーランの「メメント」や「フォロウィング」をご紹介させていただきましたが、「出来事の順番を複雑に組み替えることで、最も強調したいことを際立たせる」という技法は相通ずるものがあると思います。

 気軽に楽しめる作品ではありませんが、間違いなく構成にすぐれ、忘れがたく胸にしみる場面がありますので、よろしければお手にとってみてください。
 
 ネタバレになってしまいますが、次回記事で、もう少し登場人物の人間像についてご紹介させていただきます。次回記事「ジムのまなざし」はコチラ、作品に登場する料理「ツナ・モルネー」についての記事はコチラです。

 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum. at 08:43| 番外編 おすすめ映画・漫画・本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月03日

ハンナ・アーレント(ドイツ・ルクセンブルク・フランス映画)

 お久しぶりです。
 もう東京ではあまり上映期間が長くないのですが(12月13日終了)、個人的にはとても良いと思った映画があったので、少しご紹介させていただきます。(上記の通り英米映画ではありませんが、基本英語で展開しますのでリスニングにもなります。)
 実在の同名哲学者を題材にした作品「ハンナ・アーレント」です(岩波ホールでのみ短観上映中)。
 (彼女のウィキペディア記事はこちら
 ドイツ系ユダヤ人で、第二次大戦中に自身もナチスによって収容所に送られ、脱走しアメリカに亡命したという過去を持つアーレントは、ナチスのユダヤ人強制収容所移送計画の責任者アドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴、その記録を記事として公表しました。
 (この記録は後に「イェルサレムのアイヒマン」という本になっています。)
 自身も死の危機に瀕した彼女による報告は、しかし世界中から非難を浴びることになります。
「数万人の罪もない人々を殺した怪物」と考えられていたアイヒマンを「平凡な人間」ととらえたからです。
 殺到する抗議の手紙、勤めていた大学からの圧力、彼女の元を去る長年の友人たち。
 それでも彼女は愛する夫と、彼女を理解する一部の友人に支えられながら、最後まで自分の感じ、考えたままを世界に伝えました。
 なぜ平凡な人間が、あの人類史上最悪の犯罪に手を染めたのか…………なにも考えていなかったから。
 この単純にして恐ろしい結論を。
 彼は組織の一員として、粛々と命令に従っていただけ。
 少なくとも本人はそう信じて疑っていなかった。
 誰を憎んでいたわけでもなく、ただ、役人のように淡々とこなしていた仕事の先に、数百万の罪の無い人の死体が積み重なっていっていた。
 もしも、自分で自分がかかわっていることの善悪を考えていたら……考える力が残されていたら……。
 アーレントの考えるこの「真実」は、ナチスのユダヤ人虐殺という枠を超えて、私たちすべての人間に対する警告です。
 きわめて地味な作品であり(ただ、鉄のような意思を持つ彼女の、友人や学生との気さくなやり取りや、夫婦のむつまじい姿が、作中の温かみのあるクッションになっています。)、題材が題材なだけに後味も必ずしも良くありませんが、彼女の恐ろしいほどに冷静な知性、そして決して怯まない信念に心ゆさぶられます。特に、学生たちの前で、何故あの傍聴レポートを発表したかについて語る彼女のスピーチは必見です(場面自体は監督の創作ですが、内容はアーレントの実際の持論を元にしているそうです。)
 各地方ほぼ単館上映なのが惜しまれます。本当のところ、特に(これから「考える」という訓練をし、やがては「組織」に参加してゆく)若い人には是非広く見ていただきたい作品です。レンタル化を切に希望いたします。
 実際、岩波ホールでは大変人気の高い作品だそうで、私が行ったときにも、その都度満席になっていました。土日は特に混むそうなので、お早めに行って、チケットを数時間前に確保しておいたほうが安全と思われます。
 機会があればもう少し細かくご紹介したい作品です。しかしまずは取り急ぎご連絡まで。
posted by Palum. at 07:20| 番外編 おすすめ映画・漫画・本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月08日

「父『八雲』を憶ふ(おもう)」(小泉八雲【ラフカディオ・ハーン】の息子一雄さんの本)

 前回の小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の妻、節子さんの書かれた「思ひ出の記」に引き続き、今回は、長男一雄さんの「父『八雲を憶ふ』」(昭和6年発行 警醒社)をご紹介させていただきます。

当ブログ小泉八雲関連の記事は以下の通りです。
 @小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) ※「生神様」をご紹介しています。
 A小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) おすすめ作品2「草ひばり」
 B小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) おすすめ作品3「停車場にて」
「思ひ出の記」(小泉八雲【ラフカディオ・ハーン】の妻節子さんの本)

「父『八雲』を憶ふ(おもう)」(小泉八雲【ラフカディオ・ハーン】の息子一雄さんの本)

 「思ひ出の記」以上に入手が難しく、現時点では、古本や図書館といった経路でしか読むことができない作品のようですが、どうかうずもれないでほしいと思う作品です。

 自分以外の誰かを心から愛した人しか書けない文章、絆のある人同士でしか知ることのできない場面というのがこの世にはあり、この本の中にも「思ひ出の記」同様にそれが描かれているのです。

 小泉八雲は長男一雄さんがまだ10歳のときに亡くなりました。

 八雲は子供たちが成人するまで生きられないであろうと薄々感じとっていたようで、とくに長男の一雄さんには厳しい教育をしていたそうです。

 しかし、一雄さんはそういう八雲の優しさも感じ取っていて、彼の一挙一動を深い哀惜の念を込めて書き留めています。

 昔の父親、とくに相手が息子となると、父に対する畏怖の気持ちや、厳しい対立のイメージがありますが、この本の中では、息子が父親を懐かしく慕う気持ちが、珍しいほど率直に描かれています(父と娘ということでは、森鴎外の娘茉莉さんの『父の帽子』同じく小堀安奴【あんぬ】さんの『晩年の父』のような名文があります。)

 息子の父に対する思いを知るという意味でも貴重な作品と言えるのではないでしょうか。

 いくつか印象に残った場面をご紹介させていただきます。(一部仮名遣いを改めさせていただいております)

 節子さんは時折八雲に対し、自分がもう少し学問を身に着けた女であったら、彼の仕事をもっと手助けできたはずなのにと漏らしたそうです。

 そんなとき、八雲は彼女の手をとって、本棚の前に連れて行きました。

 そして、自分の著作を見せて、彼独特の「へるん(ハーン)語」で

「コウ(これ)、誰のおかげで生れましたの本ですか?」

 もし学問を鼻にかける女だったら、怪談などの不思議な話は、馬鹿らしく思って話して八雲に聞かせてくれはしなかっただろうと、節子さんに感謝し、そばにいた一雄さんにも、

「この本皆、あなたの良きママさんのおかげで生まれましたの本です。なんぼうよきママさん。世界で一番良きママさんです」

と真剣にほめそやしたそうです。

 また、同居していた一雄さんのお祖母様(節子さんの養母)についてはこんな話がありました。

 子供たちの普段着のたいていは彼女の手になるものだったそうですが、彼女が、冬に廊下に座ってひなたぼっこをしながら針仕事をしている、その日焼けした首筋に気づいた節子さんが、それをこっそり八雲に指し示すと、八雲はいたく感動して、

「有難いのお祖母様――私の子供等のために……」

 と、彼女の日焼けした首に、軽くキスをしました。お祖母様は、

「エンヤどうえたすますて(おや、どういたしまして)、ありがとうございます」と言って、ホホと笑いながらお辞儀を返されたそうです。

 どうやってもあの平和な場面を書き表すことは難しいが、家族のすべてが微笑を浮かべずにはいられなかった、と一雄さんは語っています。

 こういう八雲に「いかにも女性に優しい欧米の男性らしい態度」を見ることもできますが、私はもっとしんみりしたものを感じずにはいられません。

 ほかの誰かと助け合って作り上げた幸せがいかに貴重なもので、また、飽きるほど長く続くものではないということを、八雲はよく知っていたのでしょう。

 だから、ここぞというときは、気恥ずかしいほどはっきりと、想いを伝えておかなければならない。

 八雲の態度の手放しの優しさに、その意気込みが透けて見えるのです。


 母や祖父母に対する八雲のそうした姿を見ていたこともあって、勉強面では毎日相当厳しくしごかれても、一雄さんと八雲は仲の良い父子でした。


 「私待つ難しいです。命長いないです」
となぜか悟っていた八雲は、教えられることは教えておきたいと思ったのでしょう。教育のためには、幼い一雄さんでも容赦なく手を上げたそうです。


 しかし、そんなある日、一雄さんが、普段入ってはいけないといわれている八雲の書斎の前の庭にこっそり入り込んだら、八雲がガラス障子を拭いているのに気づきました。

 右目をこらし(八雲は少年時代の事故で左目の視力がありませんでした)自分の靴下で、傷にでもさわるように丹念に拭いていたのは、小さなしぶきのシミでした。

 八雲の書斎で勉強中、べそをかいた一雄さんが、ガラス障子のところまでしりごみすると、その横面を八雲がはたくので、涙のしぶきがガラスに飛んでいたのです。

 八雲はそれをぬぐいながら、ため息混じりに、

「何ぼうむごいのパパと思うない下され」
とつぶやいていたそうです。

 一雄さんはそれを聞いてそっと引き返し、庭のブランコに腰をかけました。

 ブランコのきしむ音に、視界がうるんで見えたそうです。


 また、八雲に勉強をみてもらっているとき、一雄さんは教えてもらったことがわからない自分に苛立って、机の下で自分の手に爪を立てる癖があったそうです。
 
 そして八雲の死後、一雄さんは、たびたびこんな夢をみたそうです。

 眠る一雄さんの枕元に亡き八雲が来て、

「しばらく英語の勉強をしませんネー」

 と、彼の両手をとり、片目でかわるがわるじっと見つめると、

「私死にましたため、あなたの手初めて傷無いきれいな手となりましたネ」

と、言い残して、消えて行ってしまうという夢でした。

 夢の中で八雲を追って声の限りに泣いた一雄さんは、目が覚めても涙で枕がぐっしょりと濡れていたそうです。
 この夢は何年も一雄さんのそばを去らなかったそうです。

 
 八雲が亡くなった時のことについては、前回節子さんの「思ひ出の記」のご紹介でも書かせていただきましたが、本当に急な事だったそうです。

 一雄さんが節子さんに呼ばれて八雲の書斎に駆け込んだのですが、一雄さんは部屋を出た後から廊下を走った時間の記憶がぽっかりとなく、覚えているのは八雲の胸に取りすがって必死に彼を呼んでいる瞬間だったそうです。

 そのとき、八雲の机には原稿用紙があり、そばに置かれたペン先のインクはまだかわいていませんでした。本箱のガラス戸が一枚開け放してありました。

 一雄さんとの勉強のときに、八雲が本を取り出して、閉めるのを忘れていたのです。

(こうして、ただご紹介で書かせていただいていても、この、「閉め忘れた本棚のガラス戸の隙間」という光景は、私の心をしめつけます。「それまでは当たり前だった日常との、まったく急な永遠の別れ」が、まざまざと浮かび上がる描写です。)

 八雲が亡くなってしばらくは、一雄さんは馬の白い額にも、八雲の白髪の額を思い出し、年配の植木屋さんの咳払いにも、八雲の散歩姿を思い出したそうです。

 この一文は、ことに染みました。

 誰か大事な存在が亡くなった時、その肉体はもうどうやっても取り戻すことができませんが、その誰かが灰になった後も、面影は残された人のそばを去らず、世界中にゆるやかに広がっていくものだということを語りかけているように思います。

 それは、そっくりな誰かに出会うということとは別の(そうそういるものではありません)、もっとかすかな、しかし、どこにいても、同じ生き物でなくても、もしかしたら、ただ、音や色のようなものでも、面影がよぎって懐かしい。そういう感覚です。

 そして、それがある限り、ある意味永遠に悲しいのですが、しかし、誰も愛していないという寒々しい孤独からは、包まれて守られ続けるのです。

 いわゆるプロの小説ともエッセイ本とも異なり、起承転結や文体がうまくまとまった作品ではないかもしれませんが、思い合った家族の記録として、印象に残る場面や文が多く、私にはとてもすぐれた作品に思われます。

 機会があったらどうお手にとってみてください。

 私の記事が八雲とその家族の人となりをお伝えし、また人とほかの誰かとの絆を感じる、ささやかなきっかけづくりとなったなら幸いです。
posted by Palum. at 12:29| 番外編 おすすめ映画・漫画・本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月28日

「思ひ出の記」(小泉八雲【ラフカディオ・ハーン】の妻節子さんの本)

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) 出典:ウィキペディア
八雲画像.jpg

 お久しぶりです。間が空いてしまいましたが、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)についての記事を書かせていただきたいと思います。

 前回までの小泉八雲関連の記事は以下の通りです
 
 @小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) ※「生神様」をご紹介しています。
 A小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) おすすめ作品2「草ひばり」
 B小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) おすすめ作品3「停車場にて」

 本日は、小泉八雲の奥さん、小泉節子さんが書かれた「思ひ出の記」という本の一部をご紹介いたします。

 八雲の執筆を支え、彼のために日本の物語を探し出してきては彼に話して聞かせた節子さんの、言葉と芸術に対する鋭いセンスと、八雲への尽きない愛情のにじむ隠れた名作です。(ご紹介にあたり、一部仮名遣いを改めさせていただいております)
 
 小泉八雲が日本に来たあと、日本をこよなく愛してその美と幻想の世界を書き記したのは既にご紹介したとおりですが、彼の物語収集は、節子さんの力添えがあってなされたものでした。
 
 本を読んで筋を理解した後は、それを節子さんの言葉で聞かせてほしいと頼む八雲に、部屋で二人頭を突き合わせて(はたから見たらどう思われるだろうと節子さんは思ったそうですが)、そのときの登場人物たちの声の様子や、履物の音まで節子さんに聞き、一緒に想像したというのですから、執筆は共同作業だったといえなくもありません。

 八雲はそのことをよく理解していて、自分の本ができたのは節子さんのおかげだと彼女に感謝をしていたそうです。(※)

 生真面目で繊細で情の深いゆえに、人の見落とすことにも傷つき苦しみ、また、世渡りは不器用だった八雲ですが、彼女は彼の最大の理解者で、味方でした。

 二人は「へるん語」という八雲独特の文法の日本語(「へるん」は「ハーン」の意味)でいつも話し、八雲が執筆に熱中するあまり、うわの空になったり、神経質になっても、節子さんは愛情と彼の仕事に対する敬意をもってそれを受け止めていました。

 あるとき、八雲が節子さんに、あなたがタンスの開け閉めする音が、わたしの考えを壊しました。と言ったそうですが、もとから気遣っていた上に言われたその一言に、

「こんなときには私はいつも、あの美しいシャボン玉をこわさぬようにと思いました。」

 と、節子さんは素直に音ひとつ立てないようにしたそうです(和箪笥でしょうからずいぶん大変だったはずですが)。八雲がつづる夢や思いを守るためだから、彼女はそんな難しい注文にも、腹を立てずに応じていました。

 また、誰かの態度に対して、納得がいかないことがあると本気で怒ってしまう八雲は、真っ向からずいぶん厳しい文句の手紙を書いて、出しておいてくれと頼んでくるのですが、節子さんは、黙ってそれを留めておいたそうです。
 
 そうすると、二、三日後には八雲の気が鎮まって、「ママさん、あの手紙出しましたか」と聞いてきます。

 わざと、「ハイ」と答えると、本当にしょげて反省している様子なので、手紙を見せると、とても喜んで

「だから、ママさんに限る」

 と、いそいそ少し柔らかい言い回しに書き直したりしていたそうです。

 あの完璧ともいえる、美と理性と情の調和した美しい文章を書く人だけあって、八雲の集中力は相当なものだったようですが、(私事ですが、あの明治日本の芸術独特のピンと張りつめた気概と品がうらやましくてなりません。頭や手先の能力はともかく、生きているからにはあのくらい無心に何かに打ち込めないものだろうか。)そのせいで、実生活の注意力はかなりアブなっかしかったようで、執筆中にランプから煙を吹いていても気づかずに、部屋にたちこめる黒煙の中で原稿とにらみあっていたとか、食事中に、子供たちにパンを渡すつもりで自分で食べてしまったとか、コーヒーに塩を入れてしまったとかいう話も書かれています。
 注意されると、

「本当です。なんぼパパ馬鹿ですね」

 とは言うのですが、また創作に思いを馳せてしまうので、

「パパさんもう、夢から醒めてくだされ」と奥さんが何度も頼んでいたそうです。

 「へるん語」のおかげもあるでしょうが、こんなやりとりの中にも、なんとなし温もりが通っていいて、「伴侶」という、優しい、美しい言葉が、読んでいて自然に思い出されます。



 八雲が亡くなったのは、彼が五十四歳のときでした。心臓の病だったそうです。
 
 そのときの出来事を読んだとき、そんなことがあるのだろうかと思わされたものですが、日本の自然と美を愛し、この世ならぬものをいつも見据えていた八雲だから、あのように世を去ったのかもしれません。

 身内の人はどんなにか驚き、悲しかったでしょうが、まるで、八雲の作品世界の中の出来事のようでした。

 亡くなる一週間ほど前には、八雲は自分の心臓の異変に気づいていて、節子さんが安静にするようにと言っても聞かずに、知人に後のことを頼む手紙を書きました。

 このとき彼が、節子さんに残した言葉を以下にすべて引用させていただきます。

「この痛みも、もう大きいの参りますならば、多分私、死にましょう。そのあとで、私死にますとも、泣く、決していけません。小さい瓶、買いましょう。三銭あるいは四銭位のです。私の骨、入れるのために。そして、田舎の淋しい小寺に埋めて下さい。悲しむ、私喜ぶないです。あなた。子供とカルタして遊んで下さい。いかに私それを喜ぶ。私死にましたの知らせ、要りません。もし人が尋ねましたならば、ハア、あれは先頃なくなりました。それでよいです。」

 節子さんは

「そのような哀れな話、して下さるな、そのような事決してないです」

と八雲に言いましたが、八雲は、これは冗談ではないです。と真面目に言ったそうです。

 その日は、しばらくして、発作が消え、無事におさまりました。

 そして亡くなる二、三日前のこと、八雲の書斎の前の桜が秋だというのに返り咲きをしました。

 庭の自然の小さな変化を愛した八雲のために、節子さんはそれを伝えますと、八雲は喜んで縁側に出て「ハロー」と声をかけて桜を眺めました。

「春のように暖かいから、桜思いました、アア、今私の世界となりました、で、咲きました、しかし…」

 そう言って少し考えこんだ八雲は、

「可哀相です、今に寒くなります、驚いてしぼみましょう」

 といったそうです。

 この桜は八雲に可愛がられ、ほめられていたから、お別れを言いに来たのだろうと、節子さんは回想しています。

 亡くなった日の朝、八雲は珍しい夢を見たそうです。

「大層遠い、遠い旅をしました。今ここにこうして煙草をふかして居ます。旅をしたのが本当ですか、夢の世の中」

 西洋でも日本でもない、珍しいところだったと面白そうに節子さんに話したそうです。

 八雲は亡くなる直前まで、子供たちと冗談を言い合ったりして笑っていたそうですが、しばらくして、一人で節子さんのそばに来て、発作が起きたことを淋しそうに告げた後、節子さんのすすめで横になり、そして、亡くなったそうです。

「少しの苦痛もないように、口のほとりに少し笑みを含んで居りました。」

 長く看病をして、あきらめのつくまで居てほしかった、あまりにはかない別れの無念を、節子さんはそう語っています。

 「思ひ出の記」にはこのほかにも、八雲と節子さんの仲の良いやりとりや、八雲のチャーミングな人柄、亡くなる前の神秘的な出来事が記されています。

 また、「へるん語」で語られる、八雲の日本や親しい人に向けられた言葉の響きの優しさ、そのひとつひとつが、心の中の淡雪を踏みしめられるような、不思議な感触を読み手に残します。
それは、八雲自身の、繊細な工芸品のように、凛と完成された端正な文章とはまた別の魅力です。

 文庫本ではちくま書房の小泉八雲コレクション「妖怪・妖精譚」に収録されていますが、ヒヨコ舎の本も、切り紙の表紙がとても作品の雰囲気にあっていてお勧めです。こういう本が家の本棚にあるというのはなんとなく心豊かになります。

 ところで、八雲の急死は、彼に大変かわいがられていた息子の一雄さんにとっても大きな衝撃でした。息子さんから見た八雲の姿を描いた文章もあるので、こちらも次回ご紹介させていただきたいと思います。

当ブログ小泉八雲関連の記事は以下の通りです。
 @小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) ※「生神様」をご紹介しています。
 A小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) おすすめ作品2「草ひばり」
 B小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) おすすめ作品3「停車場にて」
「思ひ出の記」(小泉八雲【ラフカディオ・ハーン】の妻節子さんの本)

「父『八雲』を憶ふ(おもう)」(小泉八雲【ラフカディオ・ハーン】の息子一雄さんの本)


(※)小泉一雄 著「父八雲を憶ふ」警醒社 参照
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2011年10月13日

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)のおすすめ作品3「停車場にて」



引き続き『怪談』で有名な小泉八雲のオススメ作品をご紹介させていただきます。

(今回もダイジェストですが結末までしっかり書いてしまっていますので、悪しからずご了承ください。)

 「停車場にて」は、八雲が熊本の停車場で目撃した、殺人犯の護送の場面を描いたもので、文庫版で6ページと大変短い作品です。

 被害者はその地の巡査で、慕われていた人物でしたが、強盗を捕らえて警察につれてゆく途中で、犯人にサーベルを奪われて殺されました。

 巡査を殺して逃亡した犯人は、その後別件で逮捕され、巡査殺害から四年間、決してその顔を忘れなかった刑事によって、過去の殺人が明らかにされます。

人望ある巡査を殺し、四年間逃亡していた犯人を一目見ようと、熊本の群集は停車場に集まっていました。八雲は彼らが暴動を起したりしないかと心配します。

やがて、改札口に、両手を後ろ手に縛られた、凶悪な人相の犯人と、彼を連れた刑事が姿を現しました。

そして、刑事は、ある女性の名前を大きな声で呼びました。

呼ばれて人ごみから、子供をおぶった女性が出てきました。

彼女は殺された巡査の妻で、おぶっていたのは、当時まだ彼女のお腹の中にいた子でした。

後ずさりし、息を呑んで静まり返る群集の前で、加害者と被害者が向き合います。

刑事は、彼女にではなく、彼女の背中の子に、こう語り掛けました。

 この男が、坊やの父親を殺した男で、今、坊やを可愛がってくれるお父さんがいないのは、この男の仕業なのだと。

 そして、刑事は犯人のあごをしゃくりあげ、その子と犯人の目を正面からむき合わせます。つらいかもしれないが、この男をしっかり見ることが、坊やの勤めだと言い聞かせながら。

 犯人はすくみ、母親の肩越しに、彼を見つめる子供の目から、涙があふれますが、それでも、子供は言われたとおりに犯人を見つめ続けます。

やがて、犯人の顔がゆがみ、地べたにひれ伏すと、顔を擦り付けて、うめくように叫びます。

坊や、許してくれ、憎くてやったことじゃない、怖くて、逃げたくてしてしまった。本当にすまないことを坊やにしてしまった。罪滅ぼしに死ぬ、喜んで死ぬから、坊や、どうぞ堪忍しておくれ、と。

子供は黙ったまま、涙を流し、刑事はわななく犯人を起しました。

二人のために道をあけた群集から、突然、いっせいにすすりなく声がもれ、八雲は、刑事の日に焼けた顔が自分のすぐそばを通ったとき、かつて彼が一度も目にしたことのないものを見ました。

刑事の目にも、涙が浮かんでいたのです。

遺された子供と真正面から向き合わせることによって、犯人にその罪の結果をこれ以上ないほど明確に悟らせた、容赦ない、しかし慈愛ある刑事の裁き。

死を前にして身を投げ出して許しを請う、犯人の悔恨。

そして、すべてを理解し、人生の難しさ、人間の弱さにすすり泣いた熊本の人たちの思い。

人々が去った後も、停車場に残った八雲は、それらすべてについて、深く想いをめぐらせずにはいられませんでした。

わずかの間の出来事の中に、罪と罰と慈悲、後悔とそれに対する共感が凝縮された文章です。
(私の記憶が間違っていなければ、確か、作家の浅田次郎さんがかつて新聞で名作として紹介していらっしゃいました)

 「停車場にて」は『日本の心』講談社学術文庫に収録されています。(今回の作品紹介もこちらから引用させていただきました。)。

 次回は、八雲がなくなった日の出来事について、彼の妻の小泉節子さんと、息子さんの一雄さんの文章をご紹介させていただきます。あまり知られていないようですが、どちらも本当に人を愛することを知っていた人の哀切が凝縮された名文です。よろしければ、またいらしてください。


当ブログ小泉八雲関連の記事は以下の通りです。よろしければ併せてご覧ください。
 @小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) ※「生神様」をご紹介しています。
 A小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) おすすめ作品2「草ひばり」
 B小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) おすすめ作品3「停車場にて」
「思ひ出の記」(小泉八雲【ラフカディオ・ハーン】の妻節子さんの本)

「父『八雲』を憶ふ(おもう)」(小泉八雲【ラフカディオ・ハーン】の息子一雄さんの本)


 読んでくださってありがとうございました。
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2011年09月28日

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) おすすめ作品2「草ひばり」


 本日は前回記事に引き続き、小泉八雲のおすすめ作品について、簡単にではありますが、ご紹介させていただきたいと思います。
(前回同様、結末までご紹介しておりますので、悪しからずご了承ください。)

(この間も書かせていただきましたが)八雲といえば『怪談』と思われる方も多いかと思いますが、個人的には八雲の真骨頂は、日本の昔ながらの心を描き留めた文章だと思います。

 そして、それができたのは、八雲自身が、日本の美しい心を敬愛し、その心を日本人以上に自分のものとしていたからだと思います。

 簡潔さの奥に余韻が漂い、気品の凛と響く文。

 その涼しく研ぎ澄まされた独特の気配は、明治の文豪、夏目漱石の文章にどこか似ているような気もするのですが、英文学の素養がなにかしらの影響を与えているのでしょうか。(と、申しても私は八雲の文章を英語で読んだことはないのですが。【苦笑】)

 それはさておき、そうした八雲の名文と優しく繊細なまなざしを存分に堪能できる短編「草ひばり」の紹介に移らせていただきます。

「草ひばり」 あらすじと感想紹介 (Amazon文庫本情報【講談社学術文庫『日本の心』はコチラ

 おそらく、八雲ファンの中で最も評価が高い作品のひとつかと思われます。

 小さな小さな、八雲の言葉を借りれば「大麦の粒の半分にも満たない」、しかし、短い命の限りに美しく鳴く虫の物語です。
 
 語り手「私」はこの虫を部屋で飼い、その鳴き声の美しさを愛でていました。

 しかし、やがて、その歌声が、恋の理想に焦がれ、見も知らぬ伴侶を求める声であるということが「私」の胸に迫ってくるようになります。

 妻を見つければすぐに死んでしまう虫だとは知りつつ、その声の響きに痛切なものを感じ、願いをかなえてやれないことに良心の呵責を感じた「私」は、虫売りにつがいのメスを求めますが、すでに秋は深まり、ほかの虫は死んでしまっていた時期でした。

 「私」の虫もとうに死んでいておかしくなかったのですが、「私」が書斎を暖かく保っていたために、生き延びていたのです(十月二日といいますから、ちょうどこんな時期でしょうか)。

 せめてできるかぎり長く生かしておいてやりたいと思っていた「私」ですが、十一月下旬のある日、机の前に座っていたときに、部屋の中が妙に空疎なことに気づきます。

 あの歌声が途切れている。

 草ひばりが息絶えていました。

 家の手伝いの女性の不注意で、三、四日は餌をもらえずに飢え死にした草ひばり。しかし、死の前日まで高らかに歌っていた彼に対し、「私」はむしろ普段よりも満足しているとすら思い込んでいたのです。

 実は、彼が自分の足を一本食らって最期の歌を歌っていたとも気づかずに。

 「私」は悲しみをおさえきれずに、手伝いの女性をしかりつけます。

 ちいさな虫一匹のために、彼女を困らせたことを気まずく思いつつ、もはやストーブがついていても薄ら寒い部屋で、彼は草ひばりの最期の歌を聴きながら、自分が自分の夢想にふけっていたことを思い起こして胸が締め付けられます。

 しかし、我が身を喰ってでも、理想を求めて美を紡ぎださなければならないのは、なにも草ひばりに限ったことではないのだ、(自分もまた……)と、文章は結ばれています。

 文庫本で6ページという短さですが、その中に、虫の声を愛する美意識と、微細な生き物の魂との人間との深い共感、芸術家の哀しい宿命が凝縮された作品です。

 うろ覚えで申し訳ないのですが、確か、『国家の品格』の著者、藤原正彦さんが、他人から伝え聞いた話として、外国人が美しい秋の虫の声をノイズ(騒音)と言ったと嘆いていたというものがあったと記憶しております。

 その話を考え合わせると、明治時代の西洋人である八雲の、草ひばりに対する共感の深さは非常に異質なものであったことでしょう。

(ただ、個人的には、自然番組プロデューサーのアッテンボローさん【私が肉眼で拝見したイギリス最高の紳士のお一人(そのときの話を書かせていただいた過去記事はコチラです。)、自然ドキュメンタリーに、動物たちの生きることへの真剣さを盛り込んだ番組構成やナレーションが素晴らしい】や、お世話になったホストファミリーのお姿を思い出すに、少なくともイギリスでは、小さな生き物と自分とを分け隔てないものとして思いを重ね合わせる人は少なくないのではと思うのですが。)

 この話がお気に召した方は、合わせて夏目漱石の短編、「文鳥」(Amazon文庫本『文鳥・夢十夜』情報はコチラをお読みになることをおすすめいたします。

 かごの中の小さな命に対する語り手の思い、そして不注意による悲しい結末という構図はよく似ています。

 ただし、「草ひばり」の語り手は、草ひばりという虫それ自体と自分の想いを描き、「文鳥」の語り手は、文鳥の白い首や黒々とした瞳に、結ばれることのなかった思い出の女性の面影を見るという点が大きく異なっています。

 しかし両者ともその描写、とくに声の描き方の美しさは、互いにも勝るとも劣らない名品です。

 この記事をきっかけに、どちらかでもお読みになっていただければ光栄です。

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 B小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) おすすめ作品3「停車場にて」
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2011年09月26日

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)とおススメ作品1「生神様」


本日2011年9月26日は「耳なし芳一」「雪女」などをおさめた『怪談』で有名な文学者小泉八雲の命日だそうです。

イギリス人だった八雲は、明治の日本に訪れ、日本人に英文学を教えるかたわら、うしなわれゆく日本の心や暮らし、物語を書き残しました。

その文章は繊細な気品と愛惜の念と詩情に満ち、描かれた日本はどこまでもしなやかに優しく、それが異国の目を持つ八雲の見た幻であったとしても、その美しさは確かな手ごたえをもって我々日本人の郷愁を掻き立てます。

 無論『怪談』も興味深い作なのですが、今となっては、八雲が描いた古い日本の空気のほうが我々にとって得がたいものになっているように思われます。

 なので、八雲を偲んで、本日は小泉八雲のオススメ作品「生神様」をご紹介させていただきます。
(今回はダイジェストですが結末までしっかり書いてしまっていますので、悪しからずご了承ください。)


「生神様」

 ある程度の年齢の人には「稲むらの火」という名前の道徳の教材として知られる作品です。

 今回の大震災で思い出された方も多いかと思われますが、地震による大津波の際に自分の財産を犠牲にして村人を救った村長、濱口五兵衛の物語です。

 序盤は、日本の神や小さな社の周辺の祈りの風景を書き留めた幻想的な美しい文章なのですが、途中から濱口五兵衛の話になります。

 なぜならば、濱口五兵衛は生きたまま神と祭られた人だったからです。以下、そのできごとのあらすじです。

 ……米の収穫を喜ぶ祭りの準備の日、高台にある自分の家から村を見下ろしていた老人、濱口五兵衛は、地震に見舞われました。
 
 それ自体はたいした揺れではなかったのですが、年長者の勘で海の異変に気づきます。

 津波が押し寄せてくる。

 しかし、危険を知らせに村までおりて、すべての人々をここに避難させるには時間が足りない。

 彼は、すぐに十歳になる孫に言いつけて、火のついた松明を持ってこさせます。

 孫からそれを受け取った五兵衛は、自分の家の畑に走って、彼の財産である収穫したばかりの稲に火を放ちました。

 祖父は正気を失ったとおびえる孫をよそに、彼は全ての稲を燃やし、それは大きなのろしとなって、村人たちの目を五兵衛の家に向けさせました。

 火事のときは老若男女を問わず村人全員で火消しに当たるという約束事があったために、村人たちは五兵衛の家に駆けつけます。

 先に駆けつけたものが火を消そうとしましたが、五兵衛はそれを制止します。
「燃えてもかまわん、ほっておけ」
 両手を広げて五兵衛は言いました。
「このまま燃やしておけ。わしは村の者をみんなここへ呼び集めたいのだ。大変なことだ。大変なことなのだ。」

 村人は五兵衛の行動が理解できず戸惑いますが、やがてみんなが集まったときに、五兵衛は「来た!」と叫んで海を指差します。
「さあこれでもわしの気が狂った、と言えるかどうか」

 八雲の津波の描写がどれだけ的確で恐ろしいものであったかは省略させていただきます。

 ただ、この文章が「Tsunami」という言葉を世界に知らしめ、英語でも使われるようになったそうです。
(参照 八雲会ブログ

 津波に破壊された村のありさまと、かろうじて生き残ったという恐怖心に呆然とする村人に、五兵衛は優しく言います。

「だからわしは稲むらに火をつけたのさ」

 このとき、五兵衛の孫が彼に駆け寄り、祖父にはしたないことを言ったことを詫びます。
 それをきっかけに、村人たちはなぜ自分が生き残れたのかに気づき、地面に手をついて礼を言いました。

 五兵衛は涙を流しました。緊張が解け、皆の無事に安心したからです。
 そしてようやくこう言います。
「わしの屋敷は残っている」
 まだまだ大勢泊まれる。向こうのお寺さんも無事残っている。ここに泊まれぬ者はあのお寺に行くと良い。
 そう言って五兵衛は自分の屋敷を指差して帰っていきました。

 その後、復興には時間がかかりましたが、村人たちは濱口五兵衛への恩を忘れませんでした。

 しかし、二度と彼にもとの財産を取り戻させることはできませんでした。また、五兵衛はそれを許さなかったはずです。

 そのため、どうにかして彼の恩に報いたいと思った村人は、彼を「濱口大明神」と呼び、神社を建て、生きている人である彼の魂を崇拝し、祭ったそうです。

 …………私はこの話を親から聞き、親は祖母から聞き、津波がいかに恐ろしいものであるかと、村人のために財産を犠牲にした五兵衛の心の立派さを教えられたものでした。

 八雲が好きだったので、この話も何度も読んでいたつもりでしたが、今回改めて読み返してみて、五兵衛が「わしの屋敷は残っている」と言った場面が印象に残りました。

 富とひきかえに村人を救った、そして、残った屋敷もまた避難する場所として村人に提供する、それが、津波が去った後、人々の手をついての礼に対する、彼の返事であった。私はこの精神を、読み落としていました。

 そこには確かに、生きながら神として人々を力づけ、希望を与える、思いやりの尊さがありました。
 あるいは、富にも力にも限界のある生身の人間がそこまでしたからこそ、その魂が神の域に達しているともいえるのかもしれません。

 今回の震災で、日本は大きな苦難に直面していますが、しかし、どんな状況にあっても優しく勇気ある人々が、日本にはたくさんいらっしゃるということも、我々は知りました。

 そういう人たちの精神と同じものが、この短編小説の中に、深い敬意を持って描かれているのです。

 「生神様」は『日本の心』講談社学術文庫に収録されています。(今回の作品紹介もこちらから引用させていただきました。)


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2011年08月04日

この世界の片隅で

※本日は英語ともイギリスとも関係のない内容です。

明日(2011年8月5日)、日本テレビ21時から、こうの文代さんの漫画「この世界の片隅で」がドラマになって放映されるそうです。

これを機会に漫画を皆様がお手にとられることを願って、私からも少しご紹介をさせていただきます。

舞台は戦時中、広島から呉に嫁いだ、絵の腕前のほかは不器用だけれど、素直な人柄の女性、すずさん。お互いほとんど顔も知らずに彼女の夫になった周作さんや二人の家族、そしてすずさんの友人となった娼館の女性りんさんたちの物語です。

この漫画が戦時下を描いた作品として突出している点は、そのときの暮らしと、人々の心のありようが非常に丁寧に描かれているところです。

何を食べ、縫い、どう働いていたのかが、こうのさん独特のぬくもりと質感のある絵柄でつぶさに追われています。

そして、人々のやりとりや絆もまた、極めてシンプルながら、善悪や理屈の隙間にある、柔らかさややるせなさを感じさせます。


戦争により、どんな恐怖と悲嘆に見舞われたかということ以外にも、我々が知るべきものがあるのではないか、そうでなければわからない戦争や人間の真実があるのではないかという、私の長年の疑問の答えが、この漫画の中にありました。

日本の漫画史上に控えめに佇む、ひとつの金字塔とも言える作品です。どうぞお読みになってみてください。

折をみて、あともう少し、この作品について書かせていただきたいと思います。見にきていただけたら幸いです。
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2011年05月11日

「山の郵便配達」(中国映画)

東日本大震災により被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。また一日も早い復旧と復興をお祈り申し上げます。

お久しぶりです。

本日は、取り急ぎ映画情報をお届けさせていただきます。

本日(2011年5月11日【水】)19:00〜20:54にBS-TBSで「山の郵便配達」という中国映画が放送されます。

山間部を徒歩でめぐり、人々に手紙を届ける郵便配達人の父親と、彼の後を継ぐことになった息子の配達の旅を描いた作品です。

不在がちだったために少しギクシャクしていた父子が、父の仕事ぶりや、手紙を待つ人々との交流を通じて静かにわかりあってゆく姿、そんな夫と息子を見守る妻の思い、緑の目に染み入り、みずみずしさの匂うような、中国の農村風景が印象に残ります。

多くを語らないまま、誠実さと思いやりと風景を、観る人の心に染みとおらせる、中国映画の個性を強く感じさせる作品で、個人的にはチャン・イーモウ監督の『初恋の来た道』と並ぶ、二大名作だと思っております。

人々の絆や、決して平坦ではない中でも積み重なっていく日常の尊さを、作品を通じて改めて感じていただけるのではないかと思います。

 ご覧になっていただければ幸いです。ではまた。
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2011年02月15日

セントラル・ステーション(ブラジル映画)と、「復讐を抱いて眠れ」(新刑事コロンボ)

すみません、気づくのが遅れてしまいましたが、何人かの方にはお役に立つかもしれないので、約三時間後に始まるBS2の映画情報について手短に書かせていただきます(慌)。不正確な情報が混じっているかもしれませんが、ご容赦ください。
(あと、英語ともイギリスとも関係の無い話題で失礼いたします。でも名作なので……)

 2011年2月16日(15日深夜)AM0:45〜AM2:37、NHKBS2でブラジル映画「セントラルステーション」が放映されます。BS2の紹介ページはコチラです。



 セントラル・ステーションで代書屋を営む中年女性ドーラと、母親を交通事故で亡くした少年ジョズエの心の交流を描いたロードムービーです。

 字が書けない人のために口述で手紙を書き、投函をするのがドーラの仕事ですが、実は彼女は手紙を届けずに捨ててしまっています。

 そんな彼女がジョズエの母親が別れた夫への手紙を書いたのをきっかけに、母親が死んだジョズエを、彼の父親の元へ送り届けることになります。

 最初は反目しあっていた二人ですが、長い旅路と人々との出会いと、お互いの中にある優しさが、少しずつ二人の心をほぐしていきます。

 もともとウォルター・サレス監督はドキュメンタリー畑のご出身だそうで、ブラジルの大都会の、人の命が軽んじられるかさついた混沌や犯罪にも目を向ける一方で、圧倒的な自然の風景と、人々の笑顔、敬虔な信仰心や家族の絆というものも撮られていて、ブラジルの影と光をこの一作で知ることが出来ます。

 音楽も人生の哀愁と奥行きを感じさせてとてもいい。

 生活の中で良心を忘れているようで捨て切れてもいなかったドーラから、優しい女性が少しずつあらわれてくる心の動きを演じた主演女優フェルナンダ・モンテネグロの演技力や、ジョズエのドーラを信じない黒く大きな瞳が、やがて年上の友達に対するいたわりを宿すまでを、一歩もひかない存在感で見せたヴィニシウス・デ・オリヴィエイラの魅力もさることながら、手紙を書いてもらう人々の、受け取り手を思って語る表情ひとつひとつの、温かい輝きも見逃せません。

(大昔、人から聞いた話の記憶なので、定かでなくて申し訳ないのですが、たしかどこかの場面で、撮影のためにフェルナンダが代書屋として座ったときに、完全に素人の人が次々と彼女の前にやってきて手紙の文面を語り始め、監督はそれを撮らせてもらったという話があった気がします。)

 最後のピアノ曲とともに訪れる、ドーラの静かな語りが忘れがたく心に染みる佳作です。どうぞご覧ください。



 さらに、忘れないうちにもうひとつ。

BS2 2011年2月17日(木) 午後9時00分〜10時31分に、新刑事コロンボで「復讐を抱いて眠れ」が放映されます。BS2の番組紹介HPはコチラです。

犯人は葬儀社の経営者。元愛人に脅迫されたために殺害して、葬儀の依頼された遺体とすりかえるという計画を練る。

……というあらすじだそうですが、この犯人役が、コロンボシリーズの常連、パトリック・マクグーハンです。

長身で広い額、眼光するどく、冷徹さのなかに独特の存在感を放つ役者さんで、刑事コロンボシリーズでは新旧合わせて五回も犯人役を演じています。そのどれもが圧倒的演技力で、一目では同一人物とはわからないほど。同じく常連のロバート・カルプ(「指輪の爪あと」などを演じ、刑事コロンボの理知的犯人像の典型を創り上げた人)と並び、何度観てもその演じ分けには驚嘆させられます。

製作にも携わり(次の「奪われた旋律」でも演出を担当しています)、盟友とも言える彼とピーター・フォークがコロンボシリーズでは最後の演技合戦をするのがこの作品だそうで、実は私もまだ観ていないのですが、「祝砲の挽歌」に感動した者としては、是非見届けなければと思います。
(陸軍幼年学校の校長が、大砲の暴発を装って経営者を殺害するエピソード。その複雑な性格と孤高の品、コロンボとの対話の絶妙な距離感、これぞ大人のドラマです)
「祝砲の挽歌」の過去記事はコチラです。よろしければ併せてお読みください。ではまた。




posted by Palum. at 21:59| 番外編 おすすめ映画・漫画・本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月05日

(補足)「メメント」ファンの方におススメ作品

 
 今回の記事は英語ともイギリスとも関わりが(普段以上に)ありません。ご了承ください。(汗) 
 前回記事では、クリストファー・ノーラン監督の映画「メメント」についてご紹介させていただきました。

 今回は「メメント」にご興味があるかたに(ノーラン監督の「フォロウィング」以外の【「フォロウィング」ご紹介記事はコチラ】)おすすめの作品をご紹介させていただきます。

 言いかえると、すでに下記の作品がお好きな方は、「メメント」もお気に召すかもしれません(笑)。


@「博士の愛した数式」


博士の愛した数式 (新潮文庫)

博士の愛した数式 (新潮文庫)

  • 作者: 小川 洋子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/11/26
  • メディア: 文庫





 小川洋子さんの小説(のち寺尾聰さん主演で映画化)。
 「メメント」同様、短期の記憶が失われてゆくという症状を題材にした作品です。

 こちらは、こうした症状を抱えた、数学を愛する心優しい男性「博士」をサポートする家政婦さんの視点から描かれています。

 「メメント」とは全く違う、穏やかでシンプルな語り口と、「博士」と家政婦さん、彼女の息子さんとの温かな関係。

 しかし「メメント」の中にもある、こうした症状を抱えてしまった人の苦しさや悲しみもまた、描かれています。

 そして、作品に描かれた、時の流れとともに、失われてしまうもの、決して失われないもの。

 そのどちらもがあるということは、わたしたち誰にも、あてはまることではないでしょうか。

 タイプが全く違いますが、こちらも名作なのでおすすめです。

(学生のころにこの作品読んどけば、数学の魅力【この作品流に言うと「美しさ」】が、もっとちゃんとわかっただろうになあ、と残念な気がする作品でもあります。)


A「イノセンス」


イノセンス スタンダード版 [DVD]

イノセンス スタンダード版 [DVD]

  • 出版社/メーカー: ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント
  • メディア: DVD




 ジャパニメーションの金字塔とも言われる「攻殻機動隊」の続編。 


EMOTION the Best GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊 [DVD]

EMOTION the Best GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊 [DVD]

  • 出版社/メーカー: バンダイビジュアル
  • メディア: DVD




(「イノセンス」は単独で観てわかりやすい作品ではないので、こちらを先にご覧になることをお勧めいたします。)

 既に過去記事「刑事コロンボ『愛情の計算』」で、「バセットハウンドがとてもカワイイ」つながり作品としてご紹介させていただいた、押井守監督のアニメ映画です(そこから紹介はじめる人少ないんじゃ……)。

 近未来、多くの人々が肉体や脳の一部を機械化している世界で、人形(少女型アンドロイド)が暴走して人を殺すという一連の事件が起こる。

 公安九課の刑事バトーは、仲間のトグサとともに捜査を開始するが、現実と電脳世界の境界が曖昧な状況で、事件は意外な展開を見せ始める。


 ……と、いうわけで、ストーリーには、まるっきし、なんの類似点もありません。

 しかし、押井守監督作品には、
「現実の世界と、自分の記憶や実感とのつながりが定かでない状態」
(現実だと信じていたことが、違うかもしれないという不安)
が、よく描かれていますので、これはクリストファー・ノーラン監督の感覚に一脈通じるものがあります。

 二度見、三度見が必要な構成ながら、その美しさや技巧で、観る者にそれをさせてしまう点も共通していると言えるでしょう。


 とくに、「イノセンス」の登場人物は、脳内に機械化された部分があるために、他者に脳内の情報を操られるかもしれないという危険をはらんだ状態です。

(現代、パソコン内の情報が、ネットを通じて外部から勝手にいじられたり盗まれたりするのに近い話かと【どうも機械に弱いので、へっぽこな解釈ですみません……】)

 そのため、登場人物たちが、現実にはその場に存在しないものを見たり、あるいは、実際にはしていない行動をしたと錯覚する場面があります。

(脳に他人の作為が侵入するのですから恐ろしい話ですが、しかし、彼らの意識が架空の世界に巻き込まれるシーン近辺は、自分史上、アニメで観た最も美しい画面のひとつです。文字通り幻想的なのですが、質感や奥行きが独特で、音楽も綺麗でした。)

 これらの現象が、彼らの視点から描かれるため、作品を見る側が、登場人物同様に混乱するという構成もまた、少し「メメント」に近いものがあるかもしれません。


 (ちなみに、押井守監督の、登場人物の混乱に観客を巻き込む構成は「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」(1984)で既に有名になっていました。超革新的ですね……)

 ですが、わたしが「メメント」を名作だと思う人は、「イノセンス」も良いと思うのでは、とおススメするのは、「自分の意識を疑う」というトーンや、構成の妙以上に、

「自分の意識すらも曖昧な生の中で、それでも探し求めるものがある」

という空気があるからです。

(ちなみに「イノセンス」エンディングテーマの曲は「Follow me(わたしと一緒に来て下さい)」)


 「メメント」のレニーは、刻々と現在の記憶を失う一方で、失った妻の面影に突き動かされて、彼女を殺した犯人を追っていますが、「イノセンス」のバトーにも、心によぎる存在がいます。
 
 かつての仲間で、ある事件がきっかけで、「姿を消した」女性、草薙素子。
(この経緯については前作「攻殻機動隊」で描かれています)

 バトーにとって彼女がどういう存在なのか。彼女が「イノセンス」内でどう物語に関わってくるかは、是非ご覧になってご確認ください。

 とにかく、「現実も自分の感覚も曖昧だ」で終わらず、「誰か」のことが心にある人間が描かれているところが、「イノセンス」と「メメント」に共通する、「『斬新』で終わらない味」になっていると思います。

 言いかえると「一見無機質な洗練に徹底しているようで、余情もある作品」なのです。


 見聞きしている世界も、記憶も、足元も、どこかあやうい感覚を覚えながら、それでも、他者に向かう心。(それがあることは「楽」という幸せにはつながらない【レニーは間違いなく苦しんでいる】のだけれど)
 
 これらの作品を観ると、我々も登場人物の曖昧な意識を追体験するのですが、しかし、同時にこの「他者に向かう心」の質感が、ひそかに胸に残るのです。


(追加情報)WOWOWがご覧になれる方にお知らせ。
本日2010年8月8日23:00から「攻殻機動隊2.0(新映像追加バージョンだそうです)」、引き続き0:30から「イノセンス」が放映されるそうです。


WOWOWの各番組情報「GHOST IN THE SHELL /攻殻機動隊2.0」 「イノセンス」 

次回記事では、おススメミュージカル、「ビリーエリオット」についてご紹介させていただきます。

(できるだけ早く…なかなかペースつかめないのですが、三日以内にどうにかいたしますので、よろしければお読みください【汗】)

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2010年06月21日

シャーロック・ホームズ(上村一夫画)

(※注、今回は、ちょっとはイギリスの話題も入りますが、ほとんど違います。
英語にはまったく関係がありません【…え?いつも…?】悪しからずご了承ください。)


(@上村一夫画「シャーロックホームズ」シリーズについて)

 最近、映画の「シャーロックホームズ」が上映されていましたね。

 (映画の公式HP)
  http://wwws.warnerbros.co.jp/sherlock/

 シャーロック・ホームズは、言わずと知れた、世界一有名なイギリスの名探偵の話ですが、この映画は、コナン・ドイルの原作ではなく、その設定を下敷きにしたコミックが元ネタになっているそうです。

 予告編を観たとき、今まで培ったイメージと少し違う、と思ったのですが、そういう理由みたいです。

 モーリス・ルブランの書いた「怪盗アルセーヌ・ルパン」と、「ルパン三世」くらい違うのかな。
(いや、そこまでは違わないだろう)

 ちなみに、わたしのイメージするホームズは、昔、図書館で借りた、子供向けホームズ本の、挿絵の中のホームズです。

(補足……もちろんNHKで放映されていた「シャーロック・ホームズの冒険」も大好きでしたよ。

役者さん、衣装、建物、音楽。洗練されていて非の打ちどころが無い

【この番組のウィキペディア記事がご覧になりたい方は、コチラをクリックしてください。】)

 先日、古本屋さんで、この懐かしのホームズ本を入手しました。


 当時、推理小説の挿絵は、劇画調というのか、暗く濃厚な色と画風で描かれたものが主流だったのですが、その本の基調は白。

 流麗なペンタッチで描かれた一枚絵の中の人々、塗り残しが、不協和音を感じさせて、不吉な色気を醸していました。

 ちなみに、当時、自分の中で対極の印象だったのは、江戸川乱歩シリーズもの。



怪人二十面相―少年探偵 (ポプラ文庫クラシック)

怪人二十面相―少年探偵 (ポプラ文庫クラシック)

  • 作者: 江戸川 乱歩
  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売日: 2008/11
  • メディア: 文庫






夜光人間―少年探偵 (ポプラ文庫)

夜光人間―少年探偵 (ポプラ文庫)

  • 作者: 江戸川 乱歩
  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売日: 2009/09/05
  • メディア: 文庫





 今見ても、モノスゴイ質感。

 よく見たら、死体や殺人シーンが入っているホームズの絵より、こちらを怖がっていました。

 あの頃のわたしには、「辺りが暗そう」という方が、ダメだったんでしょうか……。

 もっと小さいころは、背表紙の怪人二十面相の仮面姿が深刻に苦手でした。

(青い帽子、赤マント、金色の「ニタア」っと笑った仮面がなんとも……)

親戚宅に揃っていたのだけど、本棚自体が見られませんでした(この恐怖の記憶に同意する友人が、意外と多かったです……)。

 今なら、こういう迫力もクセになる感じ、是非、挿絵つきで読みたいと思うのですが。

 とにかく、当時の私にとって、あの本のホームズのデザイン、登場人物の風貌は非常に異色、印象的でした。

(乱歩作品が復刻しているなら、これも復刻してほしい……)


 長いまつげと切れ長の瞳、すっきりとした額の線を持つ、どこか物憂げな女性達と、痩せ型ながら精悍な顔つきのホームズの、鋭くミステリアスなまなざしから漂う「大人」の気配。

……なんてな形容は当時は思いつかず、ただ、なんだかドキドキしていただけなのですが。

 この挿絵、実は「昭和の絵師」と呼ばれた漫画家、上村一夫(1940〜1986)さんのものでした。

 特に女性を描くと天下一品の卓越した画力と、人間洞察力を併せ持つ作家さん(代表作「同棲時代」など)なのですが、かなりきわどい情念と愛欲の世界を描いた作品も多いので、この方に子ども向け作品の挿絵を頼んだ企画者のかたたちの慧眼と決断力も凄いと思います……。

正直、この挿絵見たさにホームズを読みだしたので(邪道)、もし上村さんが挿絵を手掛けていらっしゃらなければ、ホームズに近づくことも、ミステリというジャンルを好きになることも、イギリスに漠然と憧れることも無かったかもしれません。

 あのスタイリッシュで色気漂う挿絵は、わたしの人生に、かなり大きな影響を与えてくれたわけです。

 ところで、イギリスの本屋さん、それなりの規模のところには、かなりの数の日本の漫画が扱われています。

 今のところはアクションもの、カワイイ女の子が主人公のものなど、画面とストーリーにインパクトのある作品が主流で、その点日本とは品揃えが異なるのですが、

(国民漫画ながら、ほのぼの系の「ドラえもん」とか「サザエさん」「三丁目の夕日」とかはまだ並んでおらず【ドラえもんはたまに見かけましたが】、ちょっと乱暴なくくりかたですが、こと、刀を操る美形の男女が出てるものが、とくに人気を博している印象があります。)

 驚いたことに、ほぼどこでも上村和夫さんの「修羅雪姫」が売っていました。


修羅雪姫 (上巻) (単行本コミックス)

修羅雪姫 (上巻) (単行本コミックス)

  • 作者: 小池 一夫
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2001/12
  • メディア: コミック




 これはあのかたの代表作のひとつで(原作 小池一夫氏)、今は亡き母親たちの壮絶な無念を晴らすために、この世に生を受けた絶世の美女、雪が、殺し屋として、修羅のごとく非情に任務を遂行しながら、少しずつ、復讐すべき者たちに肉薄していくというストーリーです。

 江戸末期の残酷絵のような血みどろの世界の中、容赦なく刀を振るう修羅雪には、圧倒的な凄みがあり、根底には日本的義理人情が熱く息づいていて胸を打ちますが、色々な意味でかなり刺激のきつい作品でもあります……もし、女性が読むなら、覚悟が必要かと。

 なんか、これが「ドラえもん」より簡単に見つかるってのが、日本人には不思議だったんですが、「和服日本刀の美女の作品」であるという以上に、タランティーノ監督の「キル・ビル」の原作になっているからなんですね。


キル・ビル Vol.1 【プレミアム・ベスト・コレクション\1800】 [DVD]

キル・ビル Vol.1 【プレミアム・ベスト・コレクション\1800】 [DVD]

  • 出版社/メーカー: UPJ/ジェネオン エンタテインメント
  • メディア: DVD





だから、表紙は「キル・ビル」のパッケージ同様、黄色と黒が基調。


Lady Snowblood 1: The Deep-Seated Grudge

Lady Snowblood 1: The Deep-Seated Grudge

  • 作者: Kazuo Kamimura
  • 出版社/メーカー: Dark Horse Comics
  • 発売日: 2005/10/12
  • メディア: ペーパーバック




 ただ、「キル・ビル」は映画の「修羅雪姫」(梶芽衣子主演)

が下敷きですから(※)、あそこまで過激ではないはず(すみません、映画はどちらもまだ観ておりません)。

「あー、あれの原作ねー」と読んだ人には、相当ショッキングだったと思います。

(あの漫画を忠実に映像化するのは、あらゆる意味で不可能です。)


(※補足)うろ覚えで申し訳ないのですが、「キル・ビル」のプロモーションで来日したタランティーノ監督、梶芽衣子と対談した際は手を熱く握り締め「オー、メイコ!!ワンダフルビューティフル!!」てなことをおっしゃって、いつまでも離さなかったとか。
なんか好きなエピソードです。

たしかにビューティフル。


修羅雪姫 [DVD]

修羅雪姫 [DVD]

  • 出版社/メーカー: 東宝
  • メディア: DVD




あれはあれで、読み応えのある作品なのですが、わたしは、それよりも、また、いわゆる代表作とされる作品群よりも、ホームズの挿絵をお描きになったあたりの、上村さんの作品のいくつかが好きです。

前半の作品群の重苦しい情念や濃厚な描写が、嘘のように「軽み」の領域へと移行していっています。

 登場人物は、沢山の苦労と葛藤を潜り抜けた果てに、したたかさと、おしつけがましくない人情をさらりと身にまとった人々、あるいは己の業を堂々とその身に引き受けて、悠然と世間と一線を画す人々。

その落ち着いた所作、うつむいたり、少し遠い目をするときの表情、数は多くは無いけれど忘れがたい台詞に、いくら年だけとっても簡単にはたどりつけない、本当の「大人」の厚みを感じるのです。

戦前の芸者の世界を描いた『凍鶴』。

画家竹久夢二、小説家谷崎潤一郎らが集った、実在のホテル「菊富士ホテル」を下敷きにした『菊坂ホテル』。


菊坂ホテル (シリーズ昭和の名作マンガ)

菊坂ホテル (シリーズ昭和の名作マンガ)

  • 作者: 上村 一夫
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2008/05/20
  • メディア: コミック




(執筆作品から、偏った印象を持たれがちな谷崎を、「天才の毒気を醸す男」としながらも、非常に公平に描いていて、わたしの知る限り、最も魅力的な谷崎像となっています)などが面白いのですが、最も印象的なのは、晩年の作「帯の男」。

(文庫版の『一葉裏日記』【樋口一葉が主役の架空の人間ドラマ。これも優れています。】に併録)


 芸者さんの帯を結ぶ『帯師』の男性と、彼を取り巻く人々の、さらりとした感情表現の向こうに秘められた奥深い人生模様。

読むたびにつくづく心に染み入ります。

 これが晩年の作とは、長生きなさったら、必ずや、さらに傑作をものになさったろうと惜しまれます……。

上村一夫オフィシャルページに「帯の男」の一部が掲載されていました。ご覧になりたい方はコチラをクリックなさってください。

(この、抱きつくようにして帯を結ぶ源さんの絵、一目見て息をのんだものです。

上村さんのあからさまにセクシャルな絵には無い、非常に抑制された、されているがゆえの、鮮烈な色気。)

大人になってこの主人公「帯源」さんの、渋い顔立ち、男らしい瞳を見たときに、ずっと

「カッコよかったよな〜。あとにも先にもあんな挿絵は無かった」

とは覚えていたホームズは、上村さんの筆によるものだと気づけたわけです。

わたしは上村作品はごく一部しか読んでいないので、断定はできないのですが、彼の作品、美女は多いけれど、美男はそうでもなく(明らかに需要の問題なのでしょうが)、ホームズは結構貴重な存在なんじゃないかと思います。

(イギリスに「修羅雪姫」があるなら、この挿絵をひとめイギリスの読者に見てもらいたい気もします。

ホームズにかけちゃ怖いほどにコダワリのあるイギリスの方々も、この稀代の絵師の画力、デザインセンスに魅了されるに違いないと思うのですが。)

それにしても、この『帯の男』、高倉健さん主演とかで実写化して貰えないもんですかね(ソックリなんです)。

 源さんの帯師としての驚異的な名人芸も、今ならCG等で再現できるでしょうし。

 芸達者な役者さんが揃って、忠実に作れば、いぶし銀の、とても味わい深いドラマになると思うんですが。

posted by Palum. at 20:00| 番外編 おすすめ映画・漫画・本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする