(スヌーピーの登場する漫画「ピーナッツ(PEANUTS)」の作者、チャールズ・M・シュルツ氏)


完全版 ピーナッツ全集 1 スヌーピー1950〜1952 - チャールズ・M・シュルツ, 谷川俊太郎
(紹介番組放送予定)
(番組HP情報はこちら)
「スヌーピーの作者シュルツは、チャーリーブラウンそっくり?漫画「ピーナッツ」はいかにして全米の心をとらえたのか?少年の頃のつらい思い出、漫画家デビュー時の失恋「漫画は私の人生そのもの」と語るシュルツ。クスリと笑えるセリフの中に漂う哀愁。そして、5人の子供たちからルーシーやライナスやシュローダーが生まれる!最終回を自らの訃報と共に終えたシュルツの生涯。(番組紹介文より)」
世界中で愛される漫画「ピーナッツ」を描いたチャールズ・シュルツ氏(1922〜2000)。
今回はこの作品と作者シュルツ氏に寄せられたことばを、(主に『ピーナッツ』全集25巻から)引用して、ご紹介させていただく。

完全版 ピーナッツ全集 25 スヌーピー1999〜2000 - チャールズ・M・シュルツ, 谷川俊太郎
(「序 バラク・オバマ大統領」より)
幾多のわがアメリカ人同胞と同様、私は『ピーナッツ』と共に成長した。が、いまなおその卒業生となるには至っていない。
(中略)
彼(シュルツ氏)が描く子どもの世界には、本来そこに流露している複雑な悲しみや優しさがすべて盛り込まれている。
(中略)
子どもたちの胸をよぎるあらゆる感情の波紋を、彼は生き生きと甦らせた。自分もかつてはそうだったのだと思いつくまで、我々がつい忘れがちな、子どもたちに特有の感情を、彼は洩れなく掘り起こして見せたのである。希望。疑い。報われぬ愛の甘美な苦痛。自分が自分である意味を何とか見つけようとする試み。(中略)
過去数十年にわたって、『ピーナッツ』はわれわれの日ごとの“安心毛布”だった。それゆえにこそ『ピーナッツ』はアメリカの至宝なのだ。
(『ピーナッツ』全集25巻 xi)
ブログ筆者補:2016年アメリカ版『ピーナッツ全集』に寄せられた序文、当時は現役の大統領だった。
(「チャールズ・M・シュルツ 1922〜2000 ゲイリー・グロス」より)
シュルツの活動した50年を通じて(中略)作者本人の内面的な危機を描いたコミック、であり続けた。(中略)人間である以上逃れられない問題を直視するこの謙虚な姿勢、それあってこそ『ピーナッツ』はいまも変わらず普遍的な感動をもたらしてくれるのだ。
癌と診断されたシュルツは、1999年末に『ピーナッツ』から引退した。そして2000年2月12日に他界。それはくしくも彼の最期の作品が掲載される前日(であり、バレンタインデーの2日前)のことだった。シュルツは生涯を通じ、平日版と日曜版をあわせて、1万7897編を描いたことになるのだが、その一編一編がすべて彼自身の手によって下書きされ、ペン入れされ、セリフが書き込まれたものだった──コミックの世界ではまず比類のない壮挙だったと言えよう。
(『ピーナッツ全集25巻』 p.317)
Gary Groth 1954年生まれ。漫画編集者。ファンタグラフィックス社の共同創業者
(ブログ筆者補:同氏は全集1巻掲載の「チャールズ・M・シュルツへのインタビュー」の聞き手も担当されている(p.305〜337))
(「訳者あとがき」谷川俊太郎 より)
翻訳をはじめて間もない頃から、『ピーナッツ』に大人が登場しないのはどうしてか考えると、実は彼らが子どもにひそむ大人であると同時に、大人にひそむ子供として描かれているからだと私は気づいていました。シュルツさんの描くみんなの顔かたちと姿は1950年代からどんどん変化し洗練されていきますが、フキダシの中の台詞に現れる内面は、はじめから大人のそれだったと私は考えています。
私が『ピーナッツ』の翻訳に疲れることはあっても、飽きることがなかったのは、彼らの外面と内面の絶妙なバランスとアンバランスのおかげだと言えるかもしれません。シュルツさんが彼らを操り人形のように動かすことはありませんでした。そこにはいつも子供にも通じる大人のユーモアと明るい悲哀が存在していました。登場人物の数はそんなに多くないし、その行動範囲も(スヌーピーの破天荒な空想を除いては)限られているのですが、『ピーナッツ』の時空が読者の時空とシンクロして、ひろびろと感じられるのは、その時空が作者であるシュルツさんの心の大きさそのものであるからでしょう。
(『ピーナッツ全集25巻』 p.317)
(ブログ筆者補:谷川俊太郎 詩人 50年以上にわたり『ピーナッツ』の翻訳をご担当、名訳で知られる。)
(PEANUTS生誕70年記念 スペシャルインタビュー 谷川俊太郎さんが語るPEANUTSの魅力)
この、作品とシュルツ氏への敬意に溢れる見事なことばたちは、それぞれの形で、『ピーナッツ』の一番大切な部分に触れている。
この作品が、人の心の、深く繊細で、あらゆる世代、立場、時代を超えた普遍的な部分を描いているということだ。
「希望。疑い。報われぬ愛の甘美な苦痛。自分が自分である意味を何とか見つけようとする試み」
「内面的な危機」
「人間である以上逃れられない問題」
「子どもにひそむ大人であると同時に、大人にひそむ子供」
それは、本当は一生、誰の胸の内にもある。
大人になって、それに、熱く心揺さぶられることも、人生を脅かされるほど苦しめられることも、抑圧することも、多忙や強烈な娯楽に紛れて無かったことにすることもあるが、本当は、いつ、誰の心にもある。
どんな世代、立場の人にも、自分にも、他人にも。
そのことを知っている人は、『ピーナッツ』の子どもたちが抱くあらゆる感情に触れた時、自分が、読者としても、その感情の持ち主としても「いまなおその卒業生となるには至っていない」と感じる。
作品の魅力について、オバマ氏は「安心毛布」、谷川氏は「ひろびろとした時空」ということばで表現しているが、これは、読めばすぐに、温かな絶対的安心感や、さわやかでのびのびした気持ちを得られるという意味ではない。
彼らは人生の「勝ち組」になる秘訣を教えてくれるわけではない。
チャーリー・ブラウンの片思いは永遠に片思いだし、野球は連戦連敗、ルーシーは彼の蹴りたいフットボールを引っ込め続ける。
そこを「うまいことやる」コツはこの作品の中にはない。だからわかりやすい安心感や爽快感は無い。
ただ、自分と同じようなことで、悩んだり困ったりしながら、どうにか人生と折り合いをつけて、つんのめりつつ生きている愛すべき友達が、本を開けばそこにいる感じだ。
だが、「勝つこと」「成功すること」が求められる世の中、それを自分でも切望しながら、どうにもできなかったとき。
自分と似たような凸凹でつまづいた愛すべき友達の、同じような痛みを抱えて漏らした、ときにため息、ときに達観が入り混じる小さな一言。
それが、どんな肌触りの良い毛布よりも凍り付いた心を落ち着かせ、どこまでも広がる青空よりも、息詰まる心に風を通してくれることがある。
読者のせつない心に、登場人(犬)物の心がこまやかに響き合うからだ。
しかも彼らは、こちらが見ていてほっとするようなかわいい姿をして、物語の中の自分たちがどんな状況でも、読んでいる私たちには「笑い」をくれるのだ。
(「明るい悲哀」とはそのことだろう)
シュルツ氏は、漫画家として世界の誰よりも成功したと言える人物だが、悩み深い性格の持ち主で、生涯それと戦わなければならなかった。
そんなシュルツ氏にとって、『ピーナッツ』の世界を描き続けることは、高い地位よりも、莫大な財産よりも、彼にとって必要なことだった。
彼をよく知る人々は、シュルツには引退などありえないことを知っている。
「だって父は何をすればいいの?」。そう問い返すのは娘のエイミーだ。「漫画は彼の人生そのものなのよ。漫画もまた彼そのものなんですもの」
『スヌーピーと生きる』「四コマ漫画こそわが命」p.370
1981年、心臓手術を受けたシュルツ氏は、手に震えがでるようになったが、それでも彼は『ピーナッツ』を描き続けた。
(その震えが影響した独特の線が、その後の作品のふんわりとしたやわらかい味わいを生み出した)
引退についてマスコミに尋ねられた時のシュルツ氏の言葉を、妻のジーニーさんは覚えている。
手の震えが、もしも、腕まで来たしても、『ピーナッツ』への思いがある限りは描き続けたい。
それが、シュルツ氏の願いだった。
だが、1999年、体調が悪化し、ついに連載を終了する日がやってきた。
その日が近づいていることを悟ったシュルツ氏は、インタビューの中でこう語っている。
チャーリー・ブラウン。ここまで入れ込んで描いた友はいなかった。
最終回の原稿に自分の名前をサインするときには泣いてしまうかもしれない。
チャーリー・ブラウン
ライナス……
もうチャーリー・ブラウンが二度とフットボールを蹴ることはないんだ。
(「アナザーストーリー」内インタビュー映像より)
どこかチャーリー・ブラウンに似た黄色いシャツを着た、柔らかい声で話す、大きな眼鏡と銀髪の紳士、そのシュルツ氏の顔に、泣き笑いが浮かんでいた。
シュルツ氏は、2000年2月12日、眠っている間に、世を去った。
そして、その数時間後、『ピーナッツ』最終回の日曜版が掲載された。
シュルツ氏のお別れのメッセージを添えた最終回は、それまでの『ピーナッツ』の名場面を組み合わせたもので、そのデザインは、アシスタントのペイジ・ブラドックさんたちが担当した。
新聞が発売される前に、ペイジさんは早刷りを手に入れ、シュルツ氏に見せた。彼はとても喜んでいたという。
「わたしは、面白いものを描いてきたんだな」
(「アナザーストーリー」ペイジさんのインタビューより)
どんなものが掲載されるかは見届け、だが、それが読者の目に触れる前に、本当に『ピーナッツ』が終わってしまう前に、自分は目を閉じる。
そんな風に、シュルツ氏は人生の幕を下ろした。
病める時も健やかなるときも、シュルツの伴侶は漫画だった。死が両者を別つまで。
『スヌーピーと生きる』p.379
これは、彼の生前(1989年)の公式伝記『スヌーピーと生きる』に記された一文だ。
まるで予言のように、シュルツ氏はこの言葉通りの人生をやり遂げた。
彼は生涯、悩み多い自分の性格に苦しめられたが、その悩みの中で『ピーナッツ』という世界、チャーリー・ブラウンたちという、シュルツ氏と世界中の読者にとっての大切な友達が生まれた。
シュルツの不幸こそが、世界の利益なのだ。彼がいらいらと気難しく。すぐに落ち込む性格の持ち主であるからこそ、『ピーナッツ』が生まれたのである。ガミガミ屋ルーシー、夢想家スヌーピー、思慮深いライナス、そして、かしこさあふれるがゆえに悲しいチャーリー・ブラウン。すべてシュルツの不幸な性格の産物である。
『スヌーピーと生きる』p.414
私たち読者は、シュルツ氏の不幸な性格から生まれた『ピーナッツ』に、たくさんの楽しい時間、ウィットに富んだ台詞を貰った。
苦しさから『ピーナッツ』を描き、だが一方で、50年、たゆまずずっと描き続けることにも、やはり大変な苦労や葛藤があっただろう。
それでも、シュルツ氏自身も、泣き笑いを浮かべるほどに、彼らを描けないことを惜しみ、『ピーナッツ』のお別れとともにこの世を去っていった。
『ピーナッツ』は読者を力づけてくれた。そして、誰よりも、シュルツ氏自身が、苦しみながらも、チャーリー・ブラウンたちを大切な友達として、描き、支え合って共に生きてきたのだ。
自分の心や人生のやるせなさと向き合ってきたシュルツ氏が、文字通り生涯を賭けて描き続けた名作『ピーナッツ』。
「『ピーナッツ』と共に成長した。が、いまなおその卒業生となるには至っていない」
「子どもにひそむ大人であると同時に、大人にひそむ子供」
『ピーナッツ』を読めば、誰でも自分の中にその心を見出す。
そして、人生に行き詰まったとき、どうにも片付かない気持ちを抱え、途方に暮れたとき、その気持ちを知っている、自分はどんなに悩んでいても、読んでいる人のことは笑わせてくれる、シュルツ氏によく似たチャーリー・ブラウン達と、その気持ちを分かち合うのだ。
当ブログ内「スヌーピー」関連記事
(シュルツ氏についての当ブログのおもな参考文献)