2017年11月08日

絵画「ロンドン塔の王子たち」と漱石の「倫敦塔」(ドラローシュが描いたもう一つの「怖い絵」)



DelarocheKingEdward.jpg
(出典:Wilipedia 画像提供:Jeffdelonge)

先日、当ブログで、展覧会「怖い絵」の目玉作品である「レディ・ジェーン・グレイの処刑(ポール・ドラローシュ作)」をご紹介させていただきました。

 今回は、作者ドラローシュが、イギリスの史実をもとに描いた、もう一枚の歴史画、「幼きイングランド王エドワード5世とその弟ヨーク公リチャード」 (Edward V and the Duke of York in the Tower)(ルーブル美術館蔵)についてご紹介させていただきます。
(※「怖い絵」展の展示作品ではありません。)

 父王亡き後、叔父リチャード三世によってロンドン塔に幽閉され、のち忽然と塔から姿を消した、幼い王とその弟の姿を描いた絵です。

 この作品は、「レディ・ジェーン・グレイの処刑」同様、ロンドン塔の暗い歴史を物語るものとして、夏目漱石作の短編「倫敦塔」に影響を与えました。


(書籍『怖い絵』の著者、中根京子さんの以下の書籍でも紹介されている絵画です。)

中野京子と読み解く 名画の謎 陰謀の歴史篇 -
中野京子と読み解く 名画の謎 陰謀の歴史篇 -

 

 (概要)

 薄暗い部屋、寝台に腰を降ろした少年と、寝台の側に座り本を広げる、数歳幼げな少年。

 身を寄せ合う二人は、よく似た顔立ちで、兄弟であることが見て取れる。

 弟の肩に手をかけて、頭をもたせかけた兄は、蒼白の顔で、泣きぬれたような目を半ば伏せ、弟は、ページを繰る手を止め、物音に目を見開いている。

 寝台の側に、毛足の長い小型犬が立ち、耳をそばだてて、ドアを見ている。

 ドアの下から、かすかな明かり。

 そして、明かりを遮って、かすかな影……。




 個人的には、大量虐殺の絵や、人が猛獣におそわれる絵など、色々ある怖い絵の中で、この絵が一番怖いです。

 エドワード5世の、嘆きも極まり、既に死者であるかのような顔色とうつろな目。

 そして、弟ヨーク公リチャードの、頬に残る色と、強い恐怖を感じている表情から見て取れる、生を望む心。

 二人の表情の対比も鮮烈ですが、さらに、犬の視線の先、ドアの下から漏れる明かりがかげっていることが、そのまま、忍び寄る暗殺の影を示していることがわかったとき、心臓に冷たいものがよぎりました。

幼きエドワード5世とその弟ヨーク公 部分.png

 劇的な画面の中に、「背後にあるドアの隙間の薄い影」という、見落としてしまいそうなかすかな要素を加えて、不吉と、この後の惨劇をほのめかしている点が、この絵の空間と印象の奥行を深めています。


 (史実の中の少年王エドワード5世と弟ヨーク公リチャード)

 1483年、父エドワード4世の死後、まだ少年だったエドワード5世が王位を継承しました。

 しかし、まもなく王位を狙う叔父のリチャード三世により、弟のヨーク公リチャードとともにロンドン塔に幽閉されてしまいます。

 その後、二人は塔から姿を消し、その消息は長く謎のままとされてきましたが、1674年、塔内で、子供二人の頭蓋骨が発見されました。

 死因や性別は不明ながらも、この骨がエドワード5世とヨーク公リチャードのものであるとされ、やがて遺骨は王族の眠るウェストミンスター寺院に葬られました。

 長年、二人は叔父のリチャード3世に暗殺されたのだと考えられており、その残忍なストーリーは、シェイクスピアの戯曲「リチャード三世」にも描かれました。

リチャード三世 (新潮文庫) -
リチャード三世 (新潮文庫) -

(現在では暗殺命令を出したのは、リチャード三世の後に王位を継承したヘンリー七世の可能性があるともいわれています)

 




(夏目漱石「倫敦塔」への影響)

倫敦塔・幻影の盾 (新潮文庫) -
倫敦塔・幻影の盾 (新潮文庫) -

倫敦塔 -
倫敦塔 -


 以下、この絵画が、漱石の「倫敦塔」に影響を与えた部分を引用いたします。


 石壁の横には、大きな寝台が横わる。厚樫の心(しん)も透(とお)れと深く刻みつけたる葡萄と、葡萄の蔓と葡萄の葉が手足の触るる場所だけ光りを射返す。この寝台の端に二人の小児が見えて来た。一人は十三、四、一人は十歳位と思われる。幼なき方は床に腰をかけて、寝台の柱に半ば身を倚(も)たせ、力なき両足をぶらりと下げている。右の肱(ひじ)を、 傾けたる顔と共に前に出して年嵩なる人の肩に懸ける。年上なるは幼なき人の膝 の上に金にて飾れる大きな書物を開げて、そのあけてある頁の上に右の手を置く。象牙を揉んで柔かにしたる如く美しい手である。 二人とも烏の翼を欺くほどの黒き上衣を 着ているが色が極めて白いので一段と目立つ。 髪の色、眼の色、さては眉根鼻付から衣装の末に至るまで両人とも殆(ほと)んど同じように見えるのは兄弟だからであろう。
 兄が優しく清らかな声で膝の上なる書物を読む。「我が眼の前に、わが死ぬべき折の様を想い見る人こそ幸あれ。日ごと夜ごとに死なんと願え。やがては神の前に行くなるわれの何を恐るる」 弟は世に憐れなる声にて「アーメン」という。折から遠くより吹く木枯しの高き塔を撼(ゆる)がして一度(ひとた)びは壁も落つるばかりにゴーと 鳴る。弟はひたと身を寄せて兄の肩に顔をすり付ける。雪の如く白い蒲団の一部がほかと膨れ返る。兄はまた読み初める。
 「朝ならば夜の前に死ぬと思え。夜ならば翌日あすありと頼むな。覚悟をこそ尊(とうと)べ。見苦しき死に様ぞ恥の極みなる……」
 弟また「アーメン」と云う。その声は顫(ふる)えている。兄は静かに書をふせて、かの小さき窓の方(かた)へ歩みよりて外(と)の面(も)を見ようとする。窓が高くて背が足りぬ。床几(しょうぎ)を持って来てその上につまだつ。百里をつつむ黒霧(こくむ)の奥にぼんやりと冬の日が写る。屠(ほふ)れる犬の生血(いきち)にて染め抜いたようである。兄は「今日もまたこうして暮れるのか」と弟を顧(かえ)りみる。弟はただ「寒い」と答える。「命さえ助けてくるるなら伯父様に王の位を進ぜるものを」と兄が独り言のようにつぶやく。弟は「母様(ははさま)に逢いたい」とのみ云う。この時向うに掛っているタペストリに織り出してある女神の裸体像が風もないのに二三度ふわりふわりと動く。
 忽然(こつぜん)舞台が廻る。見ると塔門の前に一人の女が黒い喪服を着て悄然(しょうぜん)として立っている。面影は青白く窶(やつ)れてはいるが、どことなく品格のよい気高い婦人である。やがて錠(じょう)のきしる音がしてぎいと扉が開あくと内から一人の男が出て来て恭(うやうや)しく婦人の前に礼をする。
「逢う事を許されてか」と女が問う。
「否(いな)」と気の毒そうに男が答える。「逢わせまつらんと思えど、公けの掟(おき)てなればぜひなしと諦めたまえ。私の情(なさけ)売るは安き間(ま)の事にてあれど」と急に口を緘(つぐ)みてあたりを見渡す。濠(ほり)の内からかいつぶりがひょいと浮き上る。
 女は頸(うなじ)に懸けたる金の鎖を解いて男に与えて「ただ束(つか)の間垣間見んよの願なり。女人の頼み引き受けぬ君はつれなし」と云う。
 男は鎖りを指の先に巻きつけて思案の体(てい)である。かいつぶりはふいと沈む。ややありていう「牢守(ろうもり)は牢の掟を破りがたし。御子(みこ)らは変る事なく、すこやかに月日を過させたもう。心安く覚(おぼ)して帰りたまえ」と金の鎖りを押戻す。女は身動きもせぬ。鎖ばかりは敷石の上に落ちて鏘然(そうぜん)と鳴る。
「いかにしても逢う事は叶(かな)わずや」と女が尋たずねる。
「御気の毒なれど」と牢守が云い放つ。
「黒き塔の影、堅き塔の壁、寒き塔の人」と云いながら女はさめざめと泣く。
 舞台がまた変る。
 丈(たけ)の高い黒装束の影が一つ中庭の隅にあらわれる。苔(こけ)寒き石壁の中(うち)からスーと抜け出たように思われた。夜と霧との境に立って朦朧(もうろう)とあたりを見廻す。しばらくすると同じ黒装束の影がまた一つ陰の底から湧わいて出る。櫓(やぐら)の角に高くかかる星影を仰いで「日は暮れた」と背の高いのが云う。「昼の世界に顔は出せぬ」と一人が答える。「人殺しも多くしたが今日ほど寝覚(ねざめ)の悪い事はまたとあるまい」と高き影が低い方を向く。「タペストリの裏で二人の話しを立ち聞きした時は、いっその事止(や)めて帰ろうかと思うた」と低いのが正直に云う。「絞める時、花のような唇がぴりぴりと顫(ふる)うた」「透通るような額に紫色の筋が出た」「あの唸(うな)った声がまだ耳に付いている」。黒い影が再び黒い夜の中に吸い込まれる時櫓の上で時計の音ががあんと鳴る。
 空想は時計の音と共に破れる。石像のごとく立っていた番兵は銃を肩にしてコトリコトリと敷石の上を歩いている。あるきながら一件(いっけん)と手を組んで散歩する時を夢みている。



 寝台に座って不安げによりそう兄弟。
 
 死を思う祈りの言葉を読む兄と、ともに祈りを捧げる弟。

 命さえ助けてくれるなら、王位は叔父に渡すのに。

 そう、つぶやく兄と、母を恋しがる弟。

 一方、未亡人である母は、牢番に、子供たちに会わせてほしいと懇願している。

 気の毒そうに、しかし、掟である以上応じられないと首を振る牢番。母が金鎖を外して、牢番に渡そうとしても、その態度は揺るがない。

 母は牢番の冷酷を嘆く。

 日暮れ時、塔の庭に現れた黒衣の暗殺者たち。

 殺しに慣れた彼らであっても、少年たちを絞め殺した後味の悪さは重くのしかかっていた。

 そんな、主人公の空想は、塔の時計の音で、終わった。



 兄エドワード5世のほうが本を手にしている以外は、ドラローシュの絵画を多く踏襲した場面描写です。

 なお、この二人の王子については、ドラローシュのほか、名作「オフィーリア」で、漱石の小説『草枕』に多大なる影響を与えた画家、エヴァレット・ミレイも描いており、こちらも『倫敦塔』に影響を与えた可能性があります。

(当ブログ「オフィーリア」と『草枕』についての記事はコチラ

 ミレイ作「塔の中の王子」

554px-Princes.jpg




(補足:漫画「薔薇王の葬列」〈菅野 文作〉)

薔薇王の葬列 1 (プリンセスコミックス) -
薔薇王の葬列 1 (プリンセスコミックス) -

 現在、プリンセスコミックで、リチャード三世を主人公とした漫画『薔薇王の葬列』が連載されています。

 ヨーク家とランカスター家の王位争いである薔薇戦争による父王の死、ヨーク家の忠実な参謀であったウォリック伯との確執など、一族とリチャード三世の波乱に満ちた人生が、虚実織り交ぜて展開してゆく作品です。

 シェイクスピア演劇の狡猾残忍なリチャード三世とは異なり、この作品のリチャードは、肉体にある秘密を抱える、美しい人物として描かれています。

(リチャード)
薔薇王の葬列 2 (プリンセス・コミックス) -
薔薇王の葬列 2 (プリンセス・コミックス) -

 周囲の人々を惹きつける美貌と、武術の腕を持ちながら、この秘密を打ち明けられないために孤独にさいなまれるリチャードと、運命の出会いを果たす、無垢の青年。

薔薇王の葬列1.png

 しかし、彼もまた、秘密と深い心の傷を抱えていました。

 
 話がスリリングであるばかりでなく、絵が非常に美しく、とくに、権謀術策の渦に生きながら、特定の人物(家族や心惹かれる相手)には深い愛情を抱く登場人物たちの表情は、それだけでも一読の価値があるほどに魅力的です。

薔薇王の葬列5.png

 この美しくもの哀しいリチャードが、作中でも、史実で囁かれるように、兄の子たちを暗殺してしまうのか。

(漫画の中のエドワード5世とヨーク公)
薔薇王の葬列 王子たち.png


 それとも、リチャードの周辺の誰かが策略を巡らせるのか。

 物語はまだ途中ですが、とても読み応えがあるので、この時代に興味のある方はお読みになってみてはいかがでしょうか。



 以上、ドラローシュ作「幼きイングランド王エドワード5世とその弟ヨーク公リチャード」 と周辺情報ご紹介でした。ご鑑賞の参考になれば幸いです。

 読んでくださってありがとうございました。



(参照URL)
rルーブル美術館《幼きイングランド王エドワード5世とその弟ヨーク公リチャード》

・Princes in the Tower
https://en.wikipedia.org/wiki/Princes_in_the_Tower


・世界遺産vol.7 イギリス ロンドン塔
http://www.xn--eckua7a1o169k170cgian33q.jp/pages/toweroflondon.html
・作品《幼きイングランド王エドワード5世とその弟ヨーク公リチャード》
http://www.louvre.fr/jp/oeuvre-notices/%E3%80%8A%E5%B9%BC%E3%81%8D%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E7%8E%8B%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%895%E4%B8%96%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%BC%9F%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AF%E5%85%AC%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%80%8B

・レプリカ絵画を所蔵するロンドンの「Wallace collection」解説ページ
http://wallacelive.wallacecollection.org/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=65210
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2017年10月31日

「怖い絵」展の「レディ・ジェーン・グレイの処刑」について(歴史、作者、夏目漱石「倫敦塔」との関係)


「レディ・ジェーン・グレイの処刑」(The Execution of Lady Jane Gray)ポール・ドラローシュ作

DelarocheLadyJaneGrey.jpg
(出典:ウィキペディア 画像提供:Uni München)



 2017年10月7日〜12月17日まで上野で、暗い題材の名画ばかりを集めた「怖い絵」展が開かれています。

(中野京子さんの絵画鑑賞本「怖い絵」シリーズと連携した展覧会だそうです。)

怖い絵 泣く女篇 (角川文庫) -
怖い絵 泣く女篇 (角川文庫) -

(展覧会動画)

https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=VwZZgy5eUQk


(中野京子さんインタビュー動画)

https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=A7UFsu1lF6U

 これにちなんで、今回は、展覧会の目玉「レディ・ジェーン・グレイの処刑」(ロンドン、ナショナルギャラリー蔵)についてご紹介させていただきます。

公式HP情報
http://kowaie.com/
http://kowaie.com/pop/pic01a.html?iframe=true&width=705&height=560
(「レディ・ジェーン・グレイの処刑」の解説ページ)


(絵の概要)

 1554年、権力闘争の果てに、女王に祭り上げられ、9日後には王座を追われて、まだ16歳の若さで処刑されたレディ・ジェーン・グレイ。

 目隠しをされているため、断頭台が見えず、手探りをする彼女を、司祭が支えて導いている。

 ジェーンの透けるような指には結婚指輪。

 しかし、それは彼女を女王にするべく周到に用意された、愛の無い政略結婚の証。

 (夫も、この日、処刑された。)

 左側には侍女が二人、あまりにも惨い最期に、一人は柱に顔を押し当てて泣き、もう一人は、ジェーンが処刑のために脱いだマントと宝石を膝に、泣きはらした目で放心している。
 
 処刑人は斧を手に、感情のうかがい知れないうつむき顔で、ジェーンが台に首を置くのを待っている。

 何も思わないことに慣れているのか。

 あるいは、何かを思って手元が狂い、この少女に余計な苦しみを与えることがないように、心の動きを止めているのか…………。




(史実が伝えるレディ・ジェーン・グレイの悲劇)

 ジェーンは、当時カトリック派との権力争いをしていたプロテスタント派の有力貴族ウォーリック伯ジョン・ダドリーに、王家に血筋の近い、プロテスタント派の一族であるという理由で目を付けられ、彼の息子、ギルフォードと結婚させられました。

 その後、ジョン・ダドリーの働きかけで、半ば強制的に女王になったものの、ダドリーに反旗を翻した周辺の貴族達の後押しを受け、カトリック派のメアリー(後にプロテスタントを厳しく弾圧し、「ブラッディ・メアリー(流血のメアリー)」と呼ばれた人物)が女王に即位、ジェーンとギルフォードは逮捕されました。

 ジョン・ダドリーはすぐに処刑されたものの、メアリーは、野心が無いことが明らかなジェーンの処刑をためらっており、あるいは、赦免される可能性があるのではと考えられていました。

 しかし、メアリーと結婚する予定だったスペイン皇太子フェリペが、プロテスタント派の象徴となりうるジェーンの存在を許さなかったこと、ジェーンの逮捕後、プロテスタント派の貴族たち(ジェーンの父親を含む)が反乱を起こしたことなどの理由で、ジェーンの処刑が確定しました。

 ただ、周囲の思惑に翻弄されて結婚し、女王になり、そして死にゆく運命となったジェーン。

 それでも、断頭台の前に座るまでは、取り乱した様子を見せなかったそうですが、処刑人には、小さな声で、「早く済ませてくださいね」と言ったそうです。



 ジェーンの夫ギルフォードは、ジェーンと同じ日、彼女より先に処刑され、彼が幽閉されていた小部屋の壁には、ギルフォードが彫ったとされる「JANE」の名が、今でも残っています。

 ただ、権力を得るために結ばれた、一年にも満たない結婚。

 その果てに、自分と父の野心の犠牲となった妻。
 
 その名を壁に刻み付けた時、自身もまだ18歳の少年だったギルフォードは何を思ったか。

 断頭台の前に跪いたジェーンの思い同様、我々がそれを知るすべはありません。

(参照:onlineジャーニー記事)





(作者、ポール・ドラローシュについて)

 ポール・ドラローシュ(Paul Delaroche)(1797〜1856)は、磨き上げたように滑らかな絵肌の、写実的で端正な画風で、数々の歴史画を生み出し、母国フランスもさることながら、イギリスで高い評価を得た画家です。

 なお、その作風から、史実に忠実に描いているような印象を受けますが、彼の作品にはしばしば創作上の想像が織り込まれており、この「レディ・ジェーン・グレイの処刑」でも、実際には屋外で行われたであろう処刑を、地下の場面に変えているそうです。
(参照:ウィキペディア)


 人間の感情と時代のうねりを感じさせるドラマチックな場面を、静かで緻密な筆致、画面構成で描いたドラローシュ。

 「レディ・ジェーン・グレイの処刑」のほか、歴史画では成功した画家でしたが、宗教画は思うようには認められず、さらに、死後は評価が次第に下がってゆきました。

 (裕福な家庭に生まれ、妻の父の後押しで、当時の芸術アカデミーで安定した地位についていたことも、没後の冷淡な評価につながっていると思われます。)

 しかし、歴史上の人物たちを、まるでそこにいるかのように描いた画力、女性たちの髪や肌の美しさ、抑制からにじみ出る感情表現は、ロンドンに留学していた夏目漱石を強烈に魅了し、「レディ・ジェーン・グレイの処刑」が、幻想的短編小説「倫敦(ロンドン)塔」でとりあげられることとなりました。


 なお、2016年、BBCの絵画鑑定番組「Fake or Fortune?」にドラローシュのものと思われる絵画「聖アメリア、ハンガリー女王(Saint Amelia, Queen of Hungary)」が登場し、本物であることが確認されたため、約40p×30p程度の絵ながら、10万ポンド(約1500万円)の値が付きました。

 (病で早逝した夫が、真筆と信じて大切にしていた絵という、所有者母子の思い出も相まって、感動的な回でした。)
 



(「レディ・ジェーン・グレイの処刑」と夏目漱石「倫敦塔」)

倫敦塔・幻影の盾 (新潮文庫) -
倫敦塔・幻影の盾 (新潮文庫) -

倫敦塔 -
倫敦塔 -

 「倫敦塔」は漱石が留学中、王侯貴族を幽閉し、処刑してきた城塞「ロンドン塔」を題材に描いた短編小説です。

 漱石と思われる主人公「余」は、見学者としてロンドン塔に足を踏み入れ、塔内の職員と言葉を交わしながら、塔の歴史と建物の様子を見つめますが、途中、この塔で起きた数々の歴史的悲劇の情景が彼の前に現れ、主人公は、現在と過去、現実と幻想のはざまに立たされます。



 ジェーン・グレイの処刑の幻が現れる前、彼は子供を連れた美しい女が塔を見学しているのを見かけます。

 美しい女は、塔の壁にあまた残る、囚人たちが自らの爪で彫った絵や字の中から、ダドリー(ダッドレー)家の紋章を示し、これは、ジョン・ダドリーが描いたものだと子供に語っていました。

 紋章の下の読みにくく古い言葉の字までさらさらと読む女の様子に、なにか不気味なものを感じた主人公は、足早に先に進みますが、ふと「JANE」と彫られた壁の前で足を止めました。

 これが、ジェーン・グレイゆかりの字か。

 そう思った主人公の中に、その最期の光景がよみがえってきました。


(以下引用)

英国の歴史を読んだものでジェーン・グレーの名を知らぬ者はあるまい。またその薄命と無残の最後に同情の涙を濺(そそ)がぬ者はあるまい。ジェーンは義父と所天(おっと)の野心のために十八年の春秋を罪なくして惜気(おしげ)もなく刑場に売った。蹂み(ふみ)躙(にじ)られたる薔薇の蕊(しべ)より消え難き香の遠く立ちて、今に至るまで史を繙(ひもと)く者をゆかしがらせる。希臘(ギリシャ)語を解しプレートー(プラトン)を読んで一代の碩学(せきがく※おさめた学問の広く深いこと)アスカム(※イギリスの学者)をして舌を捲(ま)かしめたる逸事は、この詩趣ある人物を想見(そうけん)するの好材料として何人(なんびと)の脳裏にも保存せらるるであろう。余はジェーンの名の前に立留ったぎり動かない。動かないと云うよりむしろ動けない。空想の幕はすでにあいている。
 始は両方の眼が霞(かす)んで物が見えなくなる。やがて暗い中の一点にパッと火が点ぜられる。その火が次第次第に大きくなって内に人が動いているような心持ちがする。次にそれがだんだん明るくなってちょうど双眼鏡の度を合せるように判然と眼に映じて来る。次にその景色がだんだん大きくなって遠方から近づいて来る。気がついて見ると真中に若い女が坐っている、右の端(はじ)には男が立っているようだ。両方共どこかで見たようだなと考えるうち、瞬くまにズッと近づいて余から五六間先ではたと停まる。男は前に穴倉の裏(うち)で歌をうたっていた、眼の凹くぼんだ煤色(すすいろ)をした、背の低い奴だ。磨(と)ぎすました斧を左手(ゆんで)に突いて腰に八寸ほどの短刀をぶら下げて身構えて立っている。余は覚えずギョッとする。女は白き手巾(ハンケチ)で目隠しをして両の手で首を載せる台を探すような風情に見える。首を載せる台は日本の薪割台(まきわりだい)ぐらいの大きさで前に鉄の環(かん)が着いている。台の前部に藁(わら)が散らしてあるのは流れる血を防ぐ要慎(ようじん)と見えた。背後の壁にもたれて二三人の女が泣き崩れている、侍女ででもあろうか。白い毛裏を折り返した法衣(ほうえ)を裾長く引く坊さんが、うつ向いて女の手を台の方角へ導いてやる。女は雪のごとく白い服を着けて、肩にあまる金色(こんじき)の髪を時々雲のように揺らす。ふとその顔を見ると驚いた。眼こそ見えね、眉の形、細き面(おもて)、なよやかなる頸(くび)の辺(あたり)に至(いたる)まで、先刻さっき見た女そのままである。思わず馳(か)け寄ろうとしたが足が縮んで一歩も前へ出る事が出来ぬ。女はようやく首斬り台を探り当てて両の手をかける。唇がむずむずと動く。最前(さいぜん)男の子にダッドレーの紋章を説明した時と寸分違(たが)わぬ。やがて首を少し傾けて「わが夫ギルドフォード・ダッドレーはすでに神の国に行ってか」と聞く。肩を揺り越した一握りの髪が軽(かろ)くうねりを打つ。坊さんは「知り申さぬ」と答えて「まだ真の道に入りたもう心はなきか」と問う。女屹(きっ)として「まこととは吾と吾夫(わがおっと)の信ずる道をこそ言え。御身達の道は迷いの道、誤りの道よ」と返す。坊さんは何にも言わずにいる。女はやや落ちついた調子で「吾夫が先なら追いつこう、後(あと)ならば誘うて行こう。正しき神の国に、正しき道を踏んで行こう」と云い終って落つるがごとく首を台の上に投げかける。眼の凹くぼんだ、煤色の、背の低い首斬り役が重た気(げ)に斧をエイと取り直す。余の洋袴(ズボン)の膝に二三点の血が迸(ほとば)しると思ったら、すべての光景が忽然(こつぜん)と消え失うせた。



 ドラローシュの絵をそのまま漱石の美文で描写し、そこに、夫の生死を尋ねるジェーンと僧の対話が付け加えています。

 (なお、実際にはジェーンはギルフォードが処刑に向かう様子を、自身の幽閉された部屋から見ていたそうです。)

 絵の中の、高貴だがはかなげな少女としてのジェーンと比べ、自身と夫の正しさを疑わず、カトリックの僧に彼らの否を告げるジェーンは、その瞳を目隠しで覆い、首を断頭台に置いてもなお、誇り高く迷いの無いふるまいを見せています。

 あの顔は、あの、壁に刻まれたジョン・ダドリーの紋章を示し、よどみなく字を読んだ女のものだ。

 そう気づいた主人公は、処刑の場に駆け寄ろうとしますが、足が動かず、断頭の血が飛んだと思った瞬間には、幻は消え、あの謎の女も、いなくなっていた……という場面です。



(余談 ポスターとコピー)

 最近、大きな駅では、美術館のポスターが良く貼られており、憂鬱な人込みを縫う移動の中で、大きく引き伸ばされた名画や彫刻は、目の覚めるばかりの鮮やかさですが、この「怖い絵」展の「レディ・ジェーン・グレイの処刑」のインパクトは、ほかの展覧会ポスターとは一線を画しています。

(参照:兵庫県立美術館で開催された「怖い絵」展ポスター)

 当然場面も怖いし、ぽつんと白く浮かぶ「どうして。」のコピーに気付いたとき、全身つむじまで鳥肌が駆け上りました。

 一見きれいな女性が端正に描かれたこの絵が「どうして」怖いのか、と、「どうして」罪もないジェーンが処刑されなければいけないのかということがかかっているんですよね……。

 「狂ってたのは俺か、時代か?(河鍋暁斎の『画鬼、暁斎』)展」

 「永遠を守るための軍隊、参上。(『始皇帝と兵馬俑』展)」

など、最近、見事な展覧会キャッチコピーをよく見かけると思っていましたが、これも暗いながら名作だと思います。

 それにしても、ポスターの意味に気付いた子供が、そこを通れなくなるのではないかとやや心配になる……。




 以上、ポール・ドラローシュ作「レディ・ジェーン・グレイの処刑」の情報をご紹介させていただきました。ご鑑賞の一助になれば幸いです。
(ちなみに上野の展覧会は現在かなり混んでいるそうです。)


 読んでくださってありがとうございました。


(当ブログ関連記事)
「ミレイの『オフィーリア』と漱石の『草枕』」
絵画「ロンドン塔の王子たち」と漱石の「倫敦塔」(ドラローシュが描いたもう一つの「怖い絵」)

(参照URL)
・ポール・ドラローシュウィキペディア記事
 
(日本語版)
 (英語版)
 https://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Delaroche

・Japan Journals「Onlineジャーニー」内記事
「断頭台に散った9日間の若き女王レディ・ジェーン・グレイ」
(臨場感ある文章で、歴史上のジェーンのエピソードを詳しく書いてくださっていました。お勧めです。)  
https://www.japanjournals.com/feature/survivor/4350-lady-jane-grey.html?limit=1

・ロンドン、ナショナルギャラリーHP内、絵画紹介記事(※解説動画つき)
https://www.nationalgallery.org.uk/paintings/paul-delaroche-the-execution-of-lady-jane-grey

・「Art net news」HP内記事
「Long-Lost Panting by French Master Paul Delaroche Authenticated on TV Show」
https://news.artnet.com/art-world/lost-panting-delaroche-surfaces-tv-show-573941
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2017年10月27日

(おすすめ本)高村光雲作『幕末維新懐古談』3(観音像を救い出したときのこと)


 本日も、明治木彫工芸の達人、高村光雲の名著、『幕末維新懐古談』の一部あらすじを、ご紹介させていただきます。

『高村光雲・高村光太郎全集・112作品⇒1冊』 -
『高村光雲・高村光太郎全集・112作品⇒1冊』 -

 過去記事はこちらです。
 ・幕末維新懐古談1 祖父と父の人生、仏師になったきっかけ、浅草の大火
 ・幕末維新懐古談2 修行時代のエピソード(猫と鼠のはなし)

幕末維新懐古談 (岩波文庫) -
幕末維新懐古談 (岩波文庫) -

 明治時代、それまで境界線があいまいだった神道と仏教の分離を目指し「神仏混淆廃止改革」が起こりました。

 この流れは、仏像、寺院の取り壊しという事態(廃仏毀釈〈はいぶつきしゃく〉運動)に発展し、仏師として修行中だった光雲と、師匠東雲にも逆風が吹くこととなります。

 自身の仕事の苦労については、決してへこたれなかった光雲でしたが、この時期、光雲が「実に涙の出るようなことでありました」と後に振り返った出来事がありました。



(あらすじ)

 光雲が東雲の弟子として店で働いていたある日、東雲の知人が店に駆け込んできました。

 東雲が不在であることを告げると、その人は、それでは仕方がないが、困ったことだと、残念がっていました。

 光雲が事情を尋ねると、本所(江東区の地名)にある五百羅漢寺の観音様100体が、下金屋(各地で集めた貴金属を、金銀取扱店に卸す業者のこと)に運ばれて燃やされることになったので、知らせておかなければと思ってやってきたとのことでした。

 その観音像は、江戸時代、信者の人々が、名人と呼ばれる仏師たちに頼んで作らせたもので、光雲にとっても、近くで見られる先人たちのお手本として、弁当持参で足しげく通って学んだ、思い入れ深いものでした。

 弟子の自分だけ行ってもどうなるものでもないと思いつつ、こうしている間にも、あの観音様たちは火にくべられるかもしれないと思うと、いても立ってもいられない気持ちになり、東雲の妻に状況を説明して、店を抜け出して下金屋に走っていきました。

 (以下、原文引用)
 これは実に困ったと真底から私は困り抜きました。しかし、困ったといって、こうして腕を拱んで、阿呆見たいな顔はしていられない。どうにかしなければならないという気が何よりもまず 先立って来る。あの百観音が今焼かれようとしている。灰にされようとしている。 灰にされてしまったらどうなるのだ。…… あの、平生から眼の底に滲み附いている百観音が……自分の唯一のお師匠さんだったあの彫刻が、今にも灰になろうとしている……、もう、今頃はあのお姿のどれかに火が点いているかも知れない。 焼け木杭(ぼっくい)見たいになっているかも知れない……そう思うと情けないやら、懐かしいやら、またそれがいかにも無残で、惜しいやら、私はただもうふらふらとその現場へ飛んで行きたくなりました。



 光雲が下金屋に駆け込んだ時、観音像はまるで薪かなにかのように数体ずつまとめて炭俵や米俵にまとめられ、まさに処分される直前でした。

 名作数体だけでもお助けせねばと考えた光雲は、唐突に表れた若者に、露骨に迷惑そうな顔をしている人々に、燃やす前に少しだけ見せていただきたいと口では頼みながら、身体は勝手に動いて、米俵を解いていました。

 いくつかえり分けたうち、まさにこれだ、と、記憶に焼き付いていた像数体と、既に乱暴な扱いで欠けていた手や飾りを引っ張り出した光雲は、この観音様たちだけは助けていただきたいと懇願しました。

 しかし、観音像には金箔が貼られており、燃やした後は金を集めることになっていたので、先方はなかなかうんとは言わず、押し問答をしているところに、東雲が後を追って駆け付けてくれました。

 名仏師として知られる東雲が来たことで、相手の態度も少し軟化し、東雲が、自分が買い取るから値を言ってくれと交渉したため、像はようやく東雲に渡されました。

 本当は、すべての観音様をお救いしたいところではあるが、これ以上はどうしようもない。

 光雲と東雲は、手分けして、そのほかの像を割ると、玉眼(水晶の眼球)や額の宝石だけ取り出して持ち帰ることにしました。

 それは、実につらい作業だったそうです。



 店に戻ってから、光雲は師匠に、観音様のうち一体だけ自分に譲っていただきたいとお願いしました。

 東雲としても手放しがたい気がした様子でしたが、光雲が粘って救い出した像なので、好きに選んでいいと言ってくれました。

 光雲が買い取ったのは、松雲元慶禅師という五百羅漢寺の創建者の作品でした。

(以下原文引用)

それから、私は右の観音を安置して、静かにその前に正坐(すわ)りました。そして礼拝しました。多年眼に滲みて忘れなかったその御像は昔ながらに結構でありました。
 けれども、お姿に金が附いていたためにアワヤ一大御難に逢わされようとしたことを思うと、金箔のあるのが気になりますから、いっそ、この木地を出してしまう方が好いと思い、それから長い間水に浸けておきました。すると、漆は皆脱落(はが)れてしまい、膠(にかわ)ではいだ合せ目もばらばらになってしまいましたから、それを丁寧に元通りに合わせ直し、木地のままの御姿にしてしまいました。これは、お手のものだから格別の手入れもなしに旨く元通りになりました。そうして、それを私の守り本尊として、祭りまして、現に今日でも私はそれを持ち続けている。私は観音のためには、生まれて以来今日までいろいろの意味においてそのお扶(たす)けを冠っているのであるがこの観音様はあぶないところを私がお扶けしたのだ。これも何かの仏縁であろうとおもうことである。


 (あらすじ 完)

(「本所五ツ目の羅漢寺のこと」「栄螺堂百観音の成り行き」「私の守り本尊のはなし」より抜粋)



 ちょうど今、東京では運慶展が長蛇の列をなしており、仏像ブームと言われる時代を迎えていますが、明治にはこんな乱暴な扱いを受けて、むざむざと灰燼に帰してしまった文化財が数多くあったことを、光雲が目撃者として語り残したエピソードです。

(新政府の拠点に近く、一方で、維新前は徳川幕府と密なつながりのあった東京の寺院は、とくに追求から逃れることが難しかったのでしょう。)


 今なら100体、違う仏師が彫った像があれば、貴重な資料にも、立派な名所にもなったでしょうに、惜しいことです。
 
 (なお、この観音像がおさめられていた建物は、「栄螺(さざえ)堂」と呼ばれる珍しい建築でしたが、これもこの時に取り壊されてしまったそうです。)

 「観音像が数体まとめて米俵に」とか、「燃やして金箔をとる」とか、今では考えられない出来事の記録とともに、像を救い出そうと交渉する光雲と東雲の緊迫感がひしひしと伝わってきます。

 また、観音像を入手できた光雲の「解体して箔をはがす」という作業も、プロの仕事が垣間見られて興味深いです。

 それにしても、通ってその仕事を学んでいた作品、しかも信仰の対象である観音様を、どうしようもないとはいえ、割って目と宝石だけ取り出すという作業をしたときの、光雲と東雲の気持ちを考えると実に気の毒です。

 この、仏像が壊されるという時代の流れは、当然仏師である彼らの注文の激減につながり、加えて、光雲が学んだ木彫それ自体が、牙彫(げちょう〈象牙彫刻〉)に圧倒されることとなって、光雲は窮地に立たされることになります。

 そんな中、光雲が選んだ道と、苦境の彼の前に現れ、生涯の友人となった彫刻家、石川光明についても、作品の中で読むことができます。

 当ブログでも引き続いてあらすじを紹介させていただきますので、よろしければお立ち寄りください。

 今回ご紹介したエピソードが読める「青空文庫」URLは以下のとおりです。
 ・http://www.aozora.gr.jp/cards/000270/files/46399_24249.html 「本所五ツ目の羅漢寺のこと」
 ・http://www.aozora.gr.jp/cards/000270/files/46400_24250.html 「蠑螺堂百観音の成り行き」
 ・http://www.aozora.gr.jp/cards/000270/files/46401_24251.html 「私の守り本尊のはなし」


 読んでくださってありがとうございました。
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2017年10月24日

(おすすめ本)高村光雲作『幕末維新懐古談』2(木彫の達人、高村光雲の修行時代エピソード)


『高村光雲・高村光太郎全集・112作品⇒1冊』 -
『高村光雲・高村光太郎全集・112作品⇒1冊』 -

 現在、東京の三井記念美術館で、明治工芸と、現代作家のコラボ展示「特別展 驚異の超絶技巧! -明治工芸から現代アート』が開催されています。


(2017年9月16日〜12月3日)
  資料URL
 ・http://www.mitsui-museum.jp/exhibition/index.html
 (三井記念美術館展覧会情報)
 ・https://ssl.museum.or.jp/modules/topics/index.php?action=view&id=988
 (インターネットミュージアム取材レポート) 


 これにちなみ、明治木彫工芸の達人、高村光雲が、自身の生い立ちと時代を語った名著、『幕末維新懐古談』の一部あらすじを、
過去記事に引き続いてご紹介させていただきます。

 (今回の展覧会でも、彼の作品「布袋像」を観ることができます。)

 
 (岩波文庫版情報)

幕末維新懐古談 (岩波文庫) -
幕末維新懐古談 (岩波文庫) -


幕末維新懐古談 「猫と鼠のはなし」あらすじ 

(少年時代に作ったネズミの木彫り)


 12歳のときに、仏師、高村東雲に弟子入りした光雲(本名中村幸吉)は、師匠の家に住み込みで技術を学びました。

 14、5歳になったころ、どうやら物の形を彫れるようになってきた、と、思った光雲は、自分でも何か像を作ってみたくなり、こっそり、実物大のネズミを彫りました。

 (修行中は、与えられた課題を練習補佐することが義務であり、勝手に像を彫ることを禁じられていました。)

 我ながらなかなかの出来、と、思ったので、これにさらに色を塗り、棚に乗せて眺めていましたが、お使いを頼まれ、うっかりネズミを棚に置いていってしまいます。

 それを、師匠東雲を訪ねてきた、高名な住職が見つけました。

 「さっきから、あそこの棚にネズミがいるので妙だと思ったのだが、あれは作り物なのですね。」

 住職は木彫りのネズミを手にとり、これはよくできている。本物と間違えたのは無理もない。と、しげしげ見つめたすえに、自分はネズミ年なので、これを譲ってくれないか、と、言いました。

 すでに光雲のいたずらだと気付いていた東雲は、住職のお目に留まったなら光栄なことです、と、差し上げようとしましたが、住職はただでもらっては、作った幸吉に悪いからと、代わりに銀一分を置いていきました。



 尊敬する住職様に褒められたのだから、頭ごなしに叱るわけにもいかない、しかし言いつけにそむいて彫った物の代金を、そのまま光雲に渡すわけにもいかない……。

 考えた東雲は、このお金で、光雲を含む、弟子たちと家族みんなのために蕎麦を取り寄せることにしました。



 光雲が戻ってくると、家の皆が揃って蕎麦を食べています。

 お前は蕎麦が好きだろう、沢山お食べ。
 
 東雲に勧められ、何かおめでたいことでもあったのだろうかと首をかしげながら、一緒に食べ始めると、東雲の妻や妹がクスクス笑い出し、「幸さん、ごちそうさま」と声をかけてきました。

 不思議に思う光雲に、東雲はついに種明かしをしました。

 「実は、これは、お前のごちそうなんだ。お前のネズミは、逃げて蕎麦になったのだ。遠慮なしに沢山おあがり」

 そして、ネズミが住職に望まれてもらわれていったいきさつを光雲に話し、しかし、これからは勝手なことをしないようにと、あっさりと注意をされ、その場は円満におさまりました。

 このネズミが縁で、住職は光雲に目をかけてくれ、しばしば光雲を指名して彫り物を頼んでくれたそうです。




(大根の肉球ハンコと猫の冤罪事件)



 ネズミといえば、猫でも思い出すことがある、と、光雲が付け加えた話です。

 光雲が15、6歳のころのこと。

 カツオが大漁だったおり、東雲たちの家でも、光雲ら弟子たちにカツオの刺身がふるまわれ、光雲は大変喜んだのですが、育ち盛りのこと、一人前では足りず、もう少し食べたいと思いつつ、さすがにそれは言い出せずにいました。



 しかし、光雲は、まだ東雲と東雲の妻の夕飯用の刺身が、鼠入らず(食器棚の一種)に入っているのを知っており、どうにもそれが頭から離れませんでした。

 その頃、台所の管理をしていたのは、東雲の妹のお勝さん。

 彼女の目をなんとか欺けないかと、悩んだ挙句、光雲の頭に名案が浮かびました。

 台所にあった、大根おろしの余り物の切れ端を持ってきて、それに、小刀で猫の肉球の形を彫り、かまどの灰をなすりつけて、台所のあちこちに猫の足跡そっくりの型をつけ、泥棒猫が侵入したように見せかけたのです。

 そして、刺身皿を盗み出すと、きれいに食べてしまい、また、何食わぬ顔で仕事に戻りました。



 しばらくすると、刺身が無いことに気付いたお勝さんが怒っている声が聞こえてきました。

 手癖の悪い近所の猫の仕業に違いない、と、カンカンのお勝さん。

 うまい手だったと、内心おかしがっていた光雲でしたが、再び台所で大きな物音がしました。

 何事かとこっそり覗いてみたところ、無実の猫がお勝さんに連行され、さきほど光雲が大根肉球ハンコを点々と捺した板の間に、鼻づらをぎゅうぎゅうこすりつけられていました。

 騒ぎを聞きつけた東雲が、お前の管理がなっていないからいけなかったんだ、手荒な真似はやめて、許しておやり、と、妹をなだめていましたが、お勝さんは、今後の見せしめですと、手をゆるめようとしませんでした、

 冤罪で「鼻づら板の間ぎゅうぎゅうの刑」を受けている猫に申し訳ないと思いつつ、今更自分の仕業とも言えなかった光雲は、はらはらしながら聞き耳をたて、ようやく台所が静かになったので、胸をなでおろしました。



 この件を深く反省した光雲は、罪(と、鼻づら)をなすりつけられた猫へのせめてもの償いとして、その後、カツオの刺身を口にしませんでしたが、還暦を過ぎた頃、一周回って赤ちゃんに戻ったということで(※)、その後は食べていいことにしたそうです。


 (※)還暦(満60歳、数え年61才)を過ぎると、誕生年の干支が再びめぐってくることから、その人が誕生時に戻ったとする考えにちなむ。


 (以上、「猫と鼠のはなし」あらすじ、完)



 木彫りのネズミの話は、日本画の巨匠、雪舟の「涙で描いた鼠(※)」の伝説をどこか彷彿とさせる風流な話です。


 (※)僧になるために入った寺で、修行そっちのけで絵ばかり描いていた幼い雪舟を、寺の僧が罰としてお堂の柱にしばりつけておいたところ、雪舟は足の指と、自分が流した涙の水たまりでネズミの絵を描き、様子を見に来た僧が、それを本物の鼠と間違え、以後、雪舟が絵を描くことをとがめなくなったという話。

 光雲の鼠を見初めた住職は、当時、複数の有力な寺社の責任者を務めていたそうで、日常的に、仏像をはじめとする名品を目の当たりにしていたはずですが、その住職をうならせた光雲の、少年ながら抜きんでた才能がうかがえます。

 また、師弟の教えの筋をきちんと通しながらも、粋な配慮をした、東雲の聡明で温かみのある人柄もしのばれる逸話です。



 一方、猫の話は、サザエさんのような読後感。

 連行されてぎゅうぎゅうやられている猫に申し訳ないと思いつつ、名乗り出ることができない光雲の少年らしいおろおろした様子など、いたずらを告白しかねて物陰で震えているカツオ君のようです。

 (いくら育ちざかりとはいえ、お師匠と奥さんのご馳走であるお刺身を残らず食べちゃったとは結構なやらかしですからね……。)

 反省のために還暦までカツオの刺身を食べなかったが、それを過ぎたら時効ということで解除したというおちに、光雲の真面目さとどことなしの愛嬌がにじみでています。

 それにしても、若き天才の大根でできた肉球ハンコはさぞかし可愛かったことでしょう。


 この二つのエピソードは、どこを読んでも興味深いこの作品の中でも、とくに親しみやすいので、お試し読みに最適です。


 この頃は、師匠の言いつけにそむいて勝手に彫り物をしたり、その腕前を盗み食いに使ったりと、少年らしい様子が見て取れる光雲ですが、生来の無心の根気と手先の器用さで、こののち、めきめきと頭角を現し、まずは東雲の右腕として活躍するようになります。

 しかし、時を同じくして、明治という時代が、光雲の人生と、工芸の世界を一変させることになりました。

 物価の変動と世情の悪化。

 神道と仏教を分離するために、寺社と仏像を取り壊した、廃仏毀釈運動。

 牙彫の隆盛と、木彫の衰退。

 工芸家たちの友情や権力闘争。

 歴史の教科書や年表では語りつくせない、一人の人間が直に相対峙した歴史の一面が、そこにあります。

 当ブログでも何回かに分けて見どころをご紹介させていただく予定ですので、よろしければまたお立ち寄りください。

 今回ご紹介した「猫と鼠のはなし」が読める「青空文庫」URLは以下のとおりです。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000270/files/45965_21742.html

 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum. at 01:49| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月05日

(おすすめ本)高村光雲作『幕末維新回顧談』(明治木彫の達人の名著)

『高村光雲・高村光太郎全集・112作品⇒1冊』 -
『高村光雲・高村光太郎全集・112作品⇒1冊』 -

 現在、東京の三井記念美術館で、明治工芸と、現代作家のコラボ展示「特別展 驚異の超絶技巧! -明治工芸から現代アート』が開催されています。
(2017年9月16日〜12月3日)
  資料URL
 ・http://www.mitsui-museum.jp/exhibition/index.html
 (三井記念美術館展覧会情報)
 ・https://ssl.museum.or.jp/modules/topics/index.php?action=view&id=988
 (インターネットミュージアム取材レポート) 


 江戸から明治への激動の転換期、彼らを翻弄する時代の荒波に、超絶技巧で立ち向かった工芸家たち。

 その中に、木彫の達人、高村光雲(1852〜1934)(※電子書籍の表紙左側)がいました。
 (今回の展覧会でも、彼の作品「布袋像」を観ることができます。)

 光雲といえば、教科書に載っている『老猿』の作者、そして、詩集『レモン哀歌』で知られる詩人高村光太郎(電子書籍の表紙右側)の父として知られていますが、一方で、語りの名人でもありました。

 レモン哀歌―高村光太郎詩集 (集英社文庫) -
レモン哀歌―高村光太郎詩集 (集英社文庫) -

 その光雲が、生い立ちから、木彫作家として成功を収めるまでを、時代の移り変わりや、彼を取り巻く人々の思い出とともに語ったのが、この『幕末維新回顧談』です。

(光雲が七十歳頃のとき、作家、田村松魚によって口述筆記され、高村光太郎が同席して作られました。)

 (岩波文庫版情報)
幕末維新懐古談 (岩波文庫) -
幕末維新懐古談 (岩波文庫) -


 祖父の代から続く家族の波乱万丈の人生、作品を生み出すまでの苦労話や、明治工芸が世界に羽ばたくまでの経緯、庶民の目から見た戦争や近代化などが、現代人とはスケールの違う、朴訥無欲にして粘り強い人柄を通して語られています。

 今回は、作品のうち、序盤のあらすじをご紹介させていただきます。



 幕末維新回顧談 あらすじ (祖父の不運から光雲弟子入りのいきさつ、浅草の大火まで)


 光雲の祖父、中島富五郎は、商売はそこそこ、芸事が好きで、なかでも富本(三味線に併せて台詞を語るもの)に優れ、素人が集まる舞台で演じるのが趣味という人でした。

 彼の声は非常に評判が良かったのですが、これが思わぬ災難につながりました。

 富五郎が演じるのを心待ちにする観客に野次られた他の演者が、彼の茶に水銀を盛り、一命はとりとめたものの、歩くこともままならなくなってしまったのです。

 光雲の父兼松は、まだ9歳の頃から、親兄弟を支えて働かなければならなくなります。

 幸い、富五郎の手先の器用さは失われなかったため、玩具を作ってもらい、縁日の屋台などで売って、日銭を稼ぎました。

 これを皮切りに、兼松は、露天商などの仕事をして、なんとか家族を養いましたが、日々の仕事に追われたために、ろくに学校にも行けず、何の修行もできなかったことが、兼松の生涯の心残りとなりました。

 せめて息子には、きちんと手に職をつけてもらいたい。

 そう考えた、兼松
は、自分と富五郎に似て、手先の器用な光雲が12歳のときに、遠縁の大工に修行に出すことにします。



 木を削ったりして遊んでいると時間も忘れるという性質だった光雲(本名光蔵)は、異存なく、奉公に出るつもりでしたが、そのために、身だしなみを整えようと床屋に行ったときに、彼の運命が大きく変わります。

 大工に奉公に行くことを、床屋の主人の「安さん」に話したところ、安さんは、ついこの間、安さんの客で、日本一の仏師が、弟子を探しているから、心当たりがあったら教えてほしいと頼まれていた、と、光雲がよそへ行くのをしきりに惜しがりました。

 そして、大工もいいが、彫刻師(ほりものし)になる気はないか、と、光雲に持ち掛けてきました。

 当時、彫刻や絵画というものは、裕福な人や身分の高い人だけが興味を持ち、所有するもので、およそ、庶民の家に装飾的なものは無い時代。少年だった光雲には「彫刻師」という職業について、全く想像がつきませんでした。

 しかし、安さんに、東雲の作る仏像や置物がいかに品よく素晴らしいものであるかを力説され、お前のお父さんと東雲先生の間に入って話をしてやるとまで言われた光雲は、木彫の彫刻師になることにします。



 当時奉公とは、十年間住み込みで修行、さらに一年はお礼としてそこで勤め上げるということで、実家に帰れるのは盆暮れのみというものでした。

 光雲が家を出る前夜、父兼松は、光雲に、きつく言い聞かせました。

 決して、修行半ばであきらめて帰ってきてはいけない。帰ってきたら足の骨をぶち折るからそう思え。

 そして、こうも付け加えました。

 お前は、声を出す芸事は絶対に覚えてはならぬ。お前の祖父はそのために不自由な体になり、それで私は一生何者にもなれなかった。せめてお前だけは満足なものになってくれ。

 そう、涙を流して語った兼松は、一道を身に着けるという夢を息子に託し、12歳の光雲を送り出しました。



 高村東雲は、律儀で人柄も腕も良い人物で、それを浅草の裕福な商人たちに見込まれ、当時の商売は極めて順調でした。

 光雲は、この師匠のもとで、修行をはじめましたが、はじめは、像を彫らせてもらえるわけではなく、台座や周辺の彫刻を少しずつ練習していきます。
(生涯、像を彫らずに、この装飾彫刻に従事する職人もいました。)

 しかし、光雲14歳のとき(慶応元年〈1865年〉)、浅草で大火災が起きました。

 消防車など無く、消火活動と言えば、家を壊して延焼を防ぐほか、ほとんど手立てがない頃のこと。

 火の手がまわるにはまだ時間がありましたが、東雲の家でも、できる限り荷物を持ち出して、避難するしかありませんでした。

 このとき、兼松が手伝いに来て、特に大切なものを、東雲や兄弟子たちと一緒に川向うに運ぶことにしました。

 まだ少年の光雲は、おろおろしながら、父や師匠が戻ってくるまで、家の前で残された荷物の番をしていました。

 ところが、この後、兼松と東雲らは、避難する群衆に行く手を阻まれ、諦めて荷を捨てても、まだもみくちゃにされ、互いにはぐれてしまいました。

 一方、律儀に荷の側に立っていた光雲の両側の家屋も、炎に包まれ始めていました。

 火消しの一人が、はしごをかけて、隣家を取り壊しにかかる中、早く逃げろと声をかけられてもなお、荷を守ろうとした光雲でしたが、光雲を逃がすために、火消しの一人が彼を荷の側から突き飛ばし、もはや、人ごみに阻まれて近くに戻れなくなった光雲は、諦めてその場を逃げ出しました。

 その頃、東雲たちからはぐれてしまい、逃げ惑う人々と炎の勢いを見た兼松は、息子を探すために、急いで東雲の家に引き返しました。

 ところが、荷を持って逃げる人々の右往左往に、どれだけあがいても進めなかった兼松は、置き去りにされた荷物の上に飛び乗り、踏み越えて、近くまで戻ってきました。

 東雲の家の側から離れた光雲はというと、人と人とに挟まれて、ほとんど両足が浮いてしまい、ただ揺さぶられているだけで、まるで身動きがとれずにいました。

 しかし、必死で舞い戻った兼松と、光雲は、ほぼ同時に、群衆の波間に互いを見つけ、もがき泳ぐようにして進むと、ついに、父子は固く抱き合います。

 「もう大丈夫だ。俺がついてる」

 息子の無事に力を得た兼松は、我が身を盾に、もと来た道を引き返し、近くの荷物から網戸を引っ張り出してはしごがわりに近くの家に立てかけると、屋根に上りました。

 ようやく安全な場所に来られたと、一息ついた光雲は、東雲の家の近くから、雨戸が二、三枚、ひらひらと舞い上がり、戸を無くした家が、黒い煙と炎を吹いているのを、屋根の上から目にしました。

 あのとき、火消しが、自分を突き飛ばしてくれなかったら……。

 少年だった光雲の体に震えが走りました。


 一方、東雲たちは、炎に追われて川岸まで逃げてきたところ、潮の流れが変わって水かさが増し、荷物ごと足元をすくわれ、荷につかまって浮いたものの、背後には火の手が迫り、身体は水に沈みかけるという状況に陥りました。

 さらに煙草屋から火の手が上がり、目といい鼻といい、たばこの煙が飛び込んできて、息もできず、涙で何も見えなくなったそうですが、それでもどうにか命は助かり、焼け跡に見舞いに来た光雲と兼松に、無事な姿を見せてくれました。



(序盤あらすじ完)



 序盤から、口述筆記ならではの臨場感あふれる語りで、幕末の暮らしと人々が生き生きと浮かびあがってくる作品です。

 写真を見ると、長いひげをたくわえ、眼鏡をかけて、淡々と、何一つ表情を作る風でもない光雲が、実はこれほどよどみなく鮮やかな語り手であることにまず驚かされます。

(制作中の光雲の写真が表紙になった書籍)
高村光雲―木彫七十年 (人間の記録) -
高村光雲―木彫七十年 (人間の記録) -


 光太郎が彫刻家であり詩人、光太郎の弟の豊周(とよちか)が、鋳金作家で歌人であったことを考えあわせると、祖父富五郎の代から、手先と言葉のどちらにも才能がある一族だったということでしょう。

 大火の中、父兼松が箪笥や荷を踏み越えて光雲のもとに走り、群衆に揉まれながらついに父子が抱き合うくだりなどは、何度読んでも迫力があります。

 (余談ですが、画鬼と呼ばれた天才絵師、河鍋暁斎は少年時代の火災〈1846年〉のおり、火に見とれて写生をしてしまい、身内にこっぴどく叱られたそうで〈『暁斎画談』より〉、併せて読むと昔の火事の状況や、二人の巨匠の性格の違いが浮かび上がってきます。〈かたや律儀に師匠の荷を守ろうとして危うい目に遭い、かたや「よその人まで荷運びを手伝ってくれているのに、絵を描いているとは何事だ」と怒鳴られた。〉)

 ご紹介では割愛しましたが、焼け落ちる前の浅草の街並みや、仏師の彫刻にまつわる用語、当時の職業や物価まで詳細に語られていて、光雲の驚異的記憶力にも圧倒されます。

 そして、何より味わい深いのは、当時の人々の心のありようです。

 親の不運を背負って、十歳にもならない頃から働いたという父、兼松の、無念を抱えながらも情深くさっぱりとした気性や、非常時に見せる逞しさと機転は、序盤最大の読みどころです。

 (一方で、趣味の世界の人気を妬んで毒を盛るという暴挙や、その犯人の逮捕の有無も定かでなく、勿論責任をとった風でもないこと、ほんの子供が教育も受けられずに働かなければならなかったという話からは、モラルも司法も福祉もまるで行き届いていない時代の、救いの無さがにじみ出ています。)


 また、光雲を東雲の弟子にしようとする床屋の安さんの熱意や面倒見のよさも、今の人間関係ではなかなか見られないものです。

 (光雲は、自分の人生を決めたこの安さんの心意気に生涯感謝し、安さん夫婦が亡くなった後は、位牌を自宅の仏壇に飾って、供養を欠かさなかったそうです。)



 文筆家の語る幕末明治は、西洋との国力の差や、国内外の戦争を踏まえ、日本の未来を憂える陰鬱な視点から描かれたものが多く、光雲のように、我が身に降りかかる時代の荒波を、ただ無心に乗り越えようとした人物が語ったものは少ないように思います。

 圧倒的知を持つ文学者たちの、緻密で先を見通した分析も示唆に富みますが、現代ストレス社会に生きる我々読者にとって、現代より過酷な時代に、現代人よりもはるかにシンプルな、しかし不屈の心で挑んだ人々の語りは、単に当時の資料以上の意味を持つのではないでしょうか。

 (個人的体験ですが、かなり気持ちがどんよりしていたときに、この本を読んで、光雲や兼松の、どんなときにも揺るがず、雲一つ無い空のように突き抜けたメンタルに心打たれました。)


 また、東雲が光雲とはじめて会った時、光雲が、読み書きそろばんをほとんど知らなかったことについて、職人はそれで良いのだとあっさりと言い、

 「彫刻師として偉くなれば、字でも算盤でもできる人を使うことができる。ただ、一生懸命に彫刻を勉強しろ」

と、言い聞かせる一方で、入ってきた光雲が脱いだ履物をそろえたことを見落とさず、安さんに、こういう子供は物になるよ、と言ったという話や、光雲の

 「何でも一つの定職を習い覚え、握りッ拳で毎日幾金(いくら)かを取って来れば、それで人間一人前の能事として充分と心得たのです」

 という言葉は、学歴や地位や年収などのステイタスで、事あるごとに人の上下をつける昨今を生きる我々に、隔世を感じさせつつも、ある種の真理を含む、単純明快な価値観を突き付けます。



 そして、「12歳というのは、当時の男の子にとって、ひとつの決まりがつく年齢である。それは、12になると、奉公に出るのが普通です。」(「私の子供の頃のはなし」より)という言葉通り、12歳で将来の道を決め、修行を始めた光雲の当時の考えや生きざまは、思春期に読むと、別の重みを持つ気がします。


 言葉が古かったり、一部表現が不適切だったりはしますが、そこは少し手直しして、新潮や角川の「夏の100冊」などに入れていただいて、課題図書として、少年時代の光雲と同年代の人が読んでくださればいいのに、と、強く思います。


 漠然と、「明治工芸が好き(わかりやすく凄くて綺麗で楽しい)な人間が読むと、ためになる情報が書いてあるんだろう」くらいの気持ちで読み始めたら、予想をはるかにこえて内容も語りも面白く、すっかり引き込まれてしまいました。

 青空文庫や、著作権切れで無料、または安価に、電子書籍でも読めるので、ぜひご覧になってみてください。
 
 (青空文庫 高村光雲の作品一覧)
 http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person270.html

 また近日中にも、こちらの作品から特に面白かったエピソードをご紹介させていただく予定ですので併せてお読みいただければ幸いです。

 読んでくださってありがとうございました。

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2017年09月24日

アメリカの国民画家アンドリュー・ワイエス おすすめ作品2(孤高のアウトサイダー、ウォルター・アンダーソンをモデルにした作品)

今回も、アメリカの国民的画家、アンドリュー・ワイエス(Andrew Wyeth)(1917〜2009)のおすすめ作品とエピソードについて書かせていただきます。
 
 当ブログ、ワイエス関連の記事は以下の通りです。
 ・アメリカ現代絵画の巨匠 アンドリュー・ワイエス(NHK「日曜美術館」「ワイエスの描きたかったアメリカ」に寄せて)
 ・アメリカの国民画家、アンドリュー・ワイエスのおすすめ作品1(シポーラ夫妻をモデルにした絵画)

(参照:NHK「日曜美術館」「ワイエスの描きたかったアメリカ」番組情報)
http://www4.nhk.or.jp/nichibi/x/2017-09-10/31/25342/1902735/


(資料として、高橋秀治さん著『アンドリュー・ワイエス作品集』(以下、『作品集』と略)と BBCの番組「Michael Palin in Wyeth’s World」を参照させていただきました。)

アンドリュー・ワイエス作品集 -
アンドリュー・ワイエス作品集 -



「Michael Palin in Wyeth’s World」番組公式HP
http://www.bbc.co.uk/programmes/b03njgvc


・友人ウォルター・アンダーソンを描いた作品
(「Young Swede(若きスウェーデン人)」(1938)、「Night Hauling(夜の引網)」(1944)、「Adrift(漂流)」(1982))


 ワイエスは、幼いころから、毎年、避暑のために父の別荘があるメイン州の海辺を訪れていました。

 この、夏は涼しい風が吹き、冬は厳しい寒さとなる地で、少年時代に出会ったのが、ウォルター・アンダーソンでした。

 ウォルター・アンダーソンは、父親の代からの漁師で、フィンランド系とネイティブ・アメリカンのハーフというバックグラウンドを持っていました。

 ワイエスがテンペラ画制作を始めた頃にウォルターの肖像を描いた、「Young Swede(若きスウェーデン人)」(1938)(※)によれば、ウォルターは、北欧の血を思わせる、輝くような金髪で、紺碧の瞳に反骨の閃く美青年でした。

(※)なぜ、フィンランド系のウォルターの絵に「スウェーデン人」とタイトルをつけたのかは謎。

「Young Swede」の画像を含む公式ギャラリーページ (青いシャツを着た金髪の青年の絵。)
http://andrewwyeth.com/gallery/



 ウォルターは、密漁などにも手を染める一種のアウトサイダーでもありました。

 しかし、番組によれば、幼いころから海賊の物語に親しんでいたワイエスの目には、北欧の血を引くウォルターが現代のバイキングのように映り、二人が若いころは一緒にボートを盗みに行っていたりしたそうです。

(ワイエスの父で人気挿絵画家だった、N・C・ワイエスは『宝島』の挿絵を手掛けており、ワイエスにとって海賊とは、父の絵の中の男たちのような存在だったのかもしれません。)

(N.C.ワイエスの挿絵画集)
N. C. Wyeth (Museums of the World) -
N. C. Wyeth (Museums of the World) -


 ワイエスは「Young Swede」と同年、自画像を描いていますが、構図や表情が酷似しており、ワイエスがウォルターに対し、兄弟のような親近感を抱いていたことがうかがえます。

 実際、美しい容姿ながら、無口で人とのコミュニケーションが苦手だったウォルターも、ワイエスとは不思議とうまが合い、(作品集では「それは、ワイエスがかつて集団に馴染めない子供時代を送ったためかもしれない」と分析しています。〈p.134〉)ワイエスは毎夏のように、彼をモデルに作品を描きました。

 あくまで想像ですが、ウォルターにとっても、ワイエスが、周囲と隔絶している自分を、孤高の存在として描き上げてくれることが、誇らしかったのかもしれません。



 ウォルターのアウトサイダーとしての側面と、ワイエスのそれに対する共感や憧れが生んだ名作が、「Night Hauling」です。

 所蔵先「Bowdoin college museum of art」の「Night Hauling」公開画像。

http://artmuseum.bowdoin.edu/Obj9585?sid=27317&x=91436

(「inspect」部をクリックすると拡大画像が見られます。〈非常に美しい。〉)


 夜の海で、小舟に乗った青年(ウォルター)が、罠籠を引き揚げる瞬間。

 罠籠から流れ落ちる海水は燐光に染まり、小さな滝が、小舟のへりに、輝く波紋を広げ、罠籠も灯篭のように淡い光を放っています。

 しかし、光に浮かび上がる青年の顔は、背後に向けられており、こちらからは伺い知ることができません。

 実は、彼が引き揚げているのは、他の漁師が仕掛けた罠籠で、これ(密漁)は、見つかれば死にもつながるような制裁を受ける犯罪行為でした。(作品集p.99参照)

 そのため、ウォルターの目は、神秘的な光でも、ロブスターでもなく、用心深く周囲を見回している。

 ワイエスは、この密漁に同行し、夜の海に燐光が起こす光と水の動きと、ウォルターの緊張感の両方を描き出しました。



 これは、ただ、美しく、特殊な題材の絵であるだけでなく、画材上、夜を描くには不向きであると考えられているテンペラ(※)で、暗がりの複雑な様相を描き出すことに成功したという意味でも、ワイエスの画業の中で、重要な作品となりました。
(番組内、Brandywine river museumスタッフの言葉より)

(※)油絵と異なり、色が淡く、すぐに塗料が乾き、重ね塗りやぼかしに向かない点が、暗さの表現を難しくしているのだと思います。



 ワイエスは一度親しくなった人とは、末永く友情を築く人物で、ウォルターとも、少年時代から、長きにわたり交流を続けてきました。

 ワイエスの絵の中で、挑戦的なまなざしをした青年は、次第に年を重ねていきます。

 そして、病弱だったワイエスより先に、ウォルターの体が衰えていきました。

  1982年、ウォルターとの別れが近づいていることを予感しながら、ワイエスが描いたのが、「Adrift(漂流)」でした。

 「Adrift」の画像を含む公式ギャラリーページ。(舟に横たわる男性の絵。)
 http://andrewwyeth.com/gallery/



 波間の白い小舟に横たわり、瞑目する一人の漁師。

 顔を覆う髭は、かつて輝くばかりだった金髪と同じに透けて光りながらも、白いものが多く混じり、若いころの美しさをうかがわせる彫りの深い顔立ちは、潮風と海に照り返す陽に焼けて、深いしわが刻まれています。

 まどろんでいるようにも、亡骸が彼岸に旅立つようにも見える情景。
 (ワイエス作品には、しばしばこうした生と死のあわいのような気配が漂います。)


 「ウォルターにまつわるワイエスの最も古い思い出は、二人で小舟に乗って時を過ごしたこと。舟はこの友と切っても切れない存在である。ウォルターが自分の前から姿を消しても、舟に乗ってどこかを漂流しているのだろう――そんなふうに思いたいワイエスの心情が伝わってくる。」
(作品集p.168)



 ネイティブ・アメリカンの人々の中には、人が亡くなると、小舟に乗せて海に送り出し、火矢を放って亡骸を灰にするとともに、彼岸に旅立つ魂の灯とする、という習慣があったそうです。(※)

 ワイエスがウォルターのもうひとつのルーツであるネイティブ・アメリカンのこうした物語を知っていたかどうかは定かではありませんが、さまざまな民族が思い描いてきた、「死者の憩う、海の向こうの、永遠の国」へ、向かう姿も彷彿とさせます。

(※)映画「ジブラルタル号の出帆」(1988)より。
 名優バート・ランカスターが、子や孫たちに慕われる祖父を好演したヒューマン・ストーリー。
 自分が世を去ったときに望む埋葬の仕方として、孫たちに、このネイティブ・アメリカンの伝説を語る場面がある。



 この作品は、ウォルターの体が弱っていて、海に浮かべた舟でポーズをとるのは難しかったため、実際には、小屋の中に舟を置いて、描かれたものだそうです。(作品集p.168)



 かつて、海賊を思わせた、夜の海に漕ぎ出し、光輝く罠籠を盗んでいた青年が、今は年を重ね、小屋の中の舟で横たわっている。

 それを描くワイエスと、目を閉じるウォルター。

 互いの胸によぎるものは何だったのでしょうか。



 1987年、ウォルターは、世を去りました。

 1995年、ワイエス夫妻は、ウォルターの生きたメーン州のファーンズワース美術館に一枚の絵を寄付しました。


 「Turkey Pond」(1944)

 鳥を狩るのか、沈んだ緑色の狩猟服とグレーの帽子を身に着けた、金色の髪の青年が、ただ独り、枯れ野を行く絵。

 絵は、この言葉とともに、美術館に託されました。

 「In memory of Walter Anderson(ウォルター・アンダーソンを偲んで)」。


 (所蔵先「Firnsworth museum」の「Turkey Pond」公開画像。)(※画像をクリックすると拡大できます。)

 https://collection.farnsworthmuseum.org/objects/2540



 ワイエスは91歳まで様々な境遇の人物と交流し、ときに数十年にわたり、彼らをモデルに作品を描き続けました。

 自身の体の弱さや、偉大な父の事故死などを経て、常に心の奥底に、生きることのはかなさを感じながら、友情とともに彼らの日々を描いた絵画の数々は、時に理不尽な現実を生きた人々の、葛藤と誇りを物語ります。

 病弱ながら才能に溢れた画家と、過酷な自然や世の中に挑み続けたアウトサイダーの、数奇な、長い友情の軌跡が描かれた名作群を、ぜひご覧になってみてください。

 読んでくださってありがとうございました。


 (参照URL)
・ウィキペディア「アンドリュー・ワイエス」(日本語版)
 
・同上英語版「Andrew Wyeth」
 https://en.wikipedia.org/wiki/Andrew_Wyeth

・アンドリュー・ワイエス公式HP
 http://andrewwyeth.com/
・公式HP「ギャラリー(一部作品画像)」
http://andrewwyeth.com/gallery/

 ・ブランディワイン・リバー美術館
(アンドリューを含むワイエス家三代の絵画を所蔵)
  http://www.brandywine.org/museum
 ・ブランディワイン・リバー美術館
「アンドリュー・ワイエス回顧展(※9月17日まで)」情報 
  http://www.brandywine.org/museum/exhibitions/andrew-wyeth-retrospect
 
 ・ファーンズワース美術館
 (アンドリューを含むワイエス家三代の絵画を所蔵、オルソン・ハウスの保存も手掛ける)
  http://www.farnsworthmuseum.org/
 ・ファーンズワース美術館 オルセン・ハウスのガイドツアー情報
  http://www.farnsworthmuseum.org/experience/tours/olson-house/

・丸沼芸術の森
 (ワイエスの水彩や下絵を主に所蔵、常設展は無いが、2017年9月16日から「アンドリュー・ワイエス 生誕100年記念展」を開催)
 http://marunuma-artpark.co.jp/
 http://marunuma-artpark.co.jp/event/index.html#20170801

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2017年09月20日

アメリカの国民画家、アンドリュー・ワイエスのおすすめ作品1(シポーラ夫妻をモデルにした作品)

 今年は、アメリカの国民的画家、アンドリュー・ワイエス(Andrew Wyeth)(1917〜2009)の生誕100年です。
(当ブログ、ワイエスご紹介記事はコチラです。)

(参照:NHK「日曜美術館」「ワイエスの描きたかったアメリカ」番組情報)
http://www4.nhk.or.jp/nichibi/x/2017-09-10/31/25342/1902735/


 これにちなんで、今回は、ワイエス作品のうち、個人的に好きな絵とエピソードをご紹介させていただきます。

(資料として、高橋秀治さん著『アンドリュー・ワイエス作品集』と BBCの番組「Michael Palin in Wyeth’s World」を参照させていただきました。)


アンドリュー・ワイエス作品集 -
アンドリュー・ワイエス作品集 -




「Michael Palin in Wyeth’s World」番組公式HP
http://www.bbc.co.uk/programmes/b03njgvc

(イギリス伝説のコメディグループ、「モンティ・パイソン」の一人、マイケル・ペイリンが、ワイエスの愛した土地と、息子ジェイミーや、モデルとなった人々を紹介した番組。深く、温かみがあり、マイケルの上品な軽妙さと相まって非常に良い番組でした。NHKで放送していただきたい……。)



シポーラ夫妻の絵「Marriage(1993)」と「Glass House(1991)」と、夫妻の復讐事件(笑)



 ワイエスは自分の近隣に住む一般の人々をモデルに描くことを好みました。

 シポーラ夫妻もワイエスの友人となり、ワイエスが夫妻と彼らの日常生活を描けるように、夫妻の自宅の鍵を渡して、ワイエスが好きな時に家に入れるようにしました。

 一般的には想像しづらいですが、ワイエスの代表作「クリスティーナの世界」のモデルとなったクリスティーナ・オルセンと弟のアルヴァロ、さらに同じく重要なモデルだったカーナー夫妻も、シポーラ夫妻と同様、ワイエスを出入り自由にさせていたそうです
(作品集p.169 参照)。

 シポーラ夫妻によれは、ワイエスが勝手に入ってきても「侵入」という感じはしなかったそうです。

(番組では「ほとんど家具の一部のように溶け込んでいた」と形容。)

 ワイエスは幼いころ病弱で、学校に行けなかったそうですが、代わりに、様々な年代、人種、境遇の人々と、長い友情を築きました。

 集団生活にはうまくなじめなかったものの、一度友人となった人たちに対しては、不思議な親和力がある人だったようです。



 このように、ワイエスの(無断)訪問を受け入れていたシポーラ夫妻でしたが、ある朝(5〜6時頃)、夫妻が目を覚ましたら、ベッドのすぐそばにワイエスがいて、眠る夫妻を熱心にスケッチしており、夫人を絶叫させました。
(無理もない。)

 BBCの番組によれば、この「早朝無断訪問絶叫事件」後も、ワイエスは反省の色を見せず、いつもつま先立ちの忍び足で家に入ってきていたそうです。

(慣れ親しんだ土地からほとんど出なかったために「人嫌い」と誤解されたワイエスですが、描くとなると、ものすごく距離が近くなる模様。)

 ちなみにこのときワイエスは70代半ば、すでにレーガン大統領から表彰されるなど、国民画家としての地位を不動のものにしていました。
(でも忍び足で人の家に侵入する。)



 さすがに早朝に何度も入ってこられるのはどうかと思った夫妻は、復讐を画策しました。

 カツラをかぶせたマネキンを、夫妻のベッドに置いて、ワイエスを待ち構えることにしたのです。
(手がこんでる〈笑〉)



 そうして、隣の部屋に隠れ、ドアの隙間から覗いていたところ、いつも通り、静かに勝手に入ってきたワイエスが、様子がおかしいと気付いたのか、布団をめくった瞬間、隣の部屋から「(悪事を)見つけたぞ!!見つけたぞ!!」と、叫んで、ワイエスを驚かせたそうです。

(「We gottcha」=「We got you」で、「見つけた」「捕まえた」という意味があるそうです。)

 「失礼なことをしたけれど、ワイエスもこういういたずらを嫌いじゃなかったんです」

 シポーラ夫人はワイエスとの日々をそう振り返っていました。



 絵を見ると、シポーラ夫妻は上品な熟年カップルなのですが、どこから調達したのかマネキンまで準備して、早朝に二人そろって待ち伏せしている。

 この、復讐のためなら手間を惜しまない姿勢と、夫婦でワイエスの侵入をドアの隙間から覗き見ている様子を想像すると、なぜワイエスが、この二人をモデルにしたいと思ったのかがわかる気がします。



 この、微笑ましいような、国民画家でなければ逮捕されそうな出来事を経て描かれたのが、「Marriage」です。

 (著作権の問題で画像公開が少ないのですが、BBCの番組ページで夫妻が場面を再現している画像があります。絵をご覧になりたい方は「Wyeth marriage」で検索をかけてみてください。)


 ベッドに横たわり、並んで眠る熟年の夫婦。

 カバーは暖かい色をしていますが、開かれた窓の向こうの景色は寒々しく、夫妻の肌も、周辺の空気も、ワイエス独自の、少し沈んだ色調で描かれています。

 そのため、ただ夫婦が並んでスヤスヤ眠る絵のようにも、ともに永遠の眠りについたようにも見えます。
(棺の上に生前の姿で横たわる彫刻〈Tomb effigy〉を思い出させる。)

(Tomb Effigyの一例〈Wikipediaより 画像提供者:AYArktos.〉)

Richard1TombFntrvd縮小.jpg

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Richard1TombFntrvd.jpg;

 また、かすかに死の気配がするために、逆に死後も寄り添う夫婦の、永遠の絆も感じさせます。

 ほのぼのしているような、神聖さの漂うような、ワイエス作品の中でも異色の味わいを持つ作品です。
(あんなコントみたいな裏話があったとは到底思えない。)



 このほか、番組では、制作に没頭するワイエスが、モデルになっていたシポーラ夫人の出勤時間になっても、手を止めようとしないので、仕方なく遅刻の連絡を入れたというエピソードも紹介されていました。

 (夫人曰く「時間の概念が無い人」。絵への執念と集中力がそうさせていたのでしょう。)

 しかし、夫妻はワイエスのそうした態度をおおらかに受け入れていました。

 ワイエスはシポーラ夫人をモデルに「Glass House」(作品集p.95)という作品を描いていますが、この絵からは、彼らに対する、ワイエスの親愛と感謝が感じられます。
(ご覧になりたい方は「Wyeth glasshouse」で検索してみてください。)

 大きな窓に囲まれたサンルームに腰掛け、こちらを向いて、いかにも機転が利いて人好きのするような、どこかいたずらっこを見るようでもある、楽しげなほほえみを浮かべる夫人の姿。

 (くりくりした目と、笑いをこらえるような口元からは、確かに復讐のためにわざわざマネキンとカツラを用意しそうな感じもする。)

 ワイエスがほかの友人たちをモデルに描いた、人生の陰影を感じさせる肖像画とは別の、温かな魅力のある作品です。


ワイエスは彼らと親しくなってから、毎年(約20年間)夫妻のクリスマスパーティーに参加していたそうです。

 (番組でパーティーを再現していましたが、奥様がギターでクリスマスソングを弾き、旦那様がサンタひげと光る赤い鼻をつけてタンバリンを叩いていました。楽しそう。)

 夫妻の手元には、ワイエスがパーティーの仮装で王冠をかぶったり、警官の恰好をしたりして、満面の笑みを浮かべている写真が、大切に保存されていました。



 ワイエスは、様々な人種や境遇の人々を描いたことから、アメリカの平等精神の象徴のようにとらえられ、生誕100年の今(おそらくは政治上その平等の精神がゆらいでいるために一層)、国民画家として、評価が高まっています。

 ワイエスが、人種や、経済的格差に対して偏見を持たず、モデルとなった人々を描いたのは間違いないでしょう。

 しかし、おそらく、それは、特定の信条や政治的意見に則ってではなく、ただ、ワイエスが単純に友人として彼らを好きだったから。

 互いの友情ゆえに、彼らはワイエスにとって大切なモデルとなり、彼らの人柄と、ワイエスの好意が結びついて、観る者の心をとらえる数々の名作へと結実していったのではないでしょうか。

 シポーラ夫妻のエピソードからは、ワイエスのそうした、友人となった他者に対する、人懐こさや、敬意、かなり大胆なようで、相手を侵害せず、受け入れられてしまう、独自の人間的魅力がにじみ出ています。

 是非、作品集で、彼らを描いた絵やエピソードをご覧になってみてください。

 読んでくださってありがとうございました。


 (次回記事では、ワイエスのもう一人の友人、ウォルター・アンダーソン">についてご紹介させていただきます。よろしければ併せてお読みください。)


 (参照URL)
ウィキペディア「アンドリュー・ワイエス」(日本語版)
 
・同上英語版「Andrew Wyeth」
 https://en.wikipedia.org/wiki/Andrew_Wyeth

・アンドリュー・ワイエス公式HP
 http://andrewwyeth.com/
・公式HP「ギャラリー(一部作品画像)」
http://andrewwyeth.com/gallery/

 ・ブランディワイン・リバー美術館
(アンドリューを含むワイエス家三代の絵画を所蔵)
  http://www.brandywine.org/museum
 ・ブランディワイン・リバー美術館
「アンドリュー・ワイエス回顧展(※9月17日まで)」情報 
  http://www.brandywine.org/museum/exhibitions/andrew-wyeth-retrospect
 
 ・ファーンズワース美術館
 (アンドリューを含むワイエス家三代の絵画を所蔵、オルソン・ハウスの保存も手掛ける)
  http://www.farnsworthmuseum.org/
 ・ファーンズワース美術館 オルセン・ハウスのガイドツアー情報
  http://www.farnsworthmuseum.org/experience/tours/olson-house/

・丸沼芸術の森
 (ワイエスの水彩や下絵を主に所蔵、常設展は無いが、2017年9月16日から「アンドリュー・ワイエス 生誕100年記念展」を開催)
 http://marunuma-artpark.co.jp/
 http://marunuma-artpark.co.jp/event/index.html#20170801


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2017年09月09日

アメリカ現代絵画の巨匠 アンドリュー・ワイエス(NHK「日曜美術館」「ワイエスの描きたかったアメリカ」に寄せて)


 9月10日午前9時00分〜 午前9時45分、NHK Eテレの「日曜美術館」で、アメリカの国民的画家、アンドリュー・ワイエス(Andrew Wyeth)(1917〜2009)が特集されます。
(再放送は9月17日20時〜)

(番組公式情報)
 http://www4.nhk.or.jp/nichibi/x/2017-09-10/31/25342/1902735/

 写真と見まごうばかりの緻密な画面で、人や風景、そして神秘的な情景など、多彩な作品を描いたワイエス。

(代表作「クリスティーナの世界」)
Christinasworld.jpg
By http://www.moma.org/collection/object.php?object_id=78455, Fair use, https://en.wikipedia.org/w/index.php?curid=8005786

 今回の特集では、ワイエス作品のうち、移民としてアメリカに生きる人々の絵画にスポットをあて、ワイエスが描こうとしたアメリカとは何であったかについて考察されるそうです。

 今回の記事では、番組解説もご担当される高橋秀治さんの著書、『アンドリュー・ワイエス作品集』(以下『作品集』と略)を主に参照させていただきながら、ワイエスの基本情報をご紹介させていただきます。

アンドリュー・ワイエス作品集 -
アンドリュー・ワイエス作品集 -




(アンドリュー・ワイエスの生涯)

 ワイエスは1917年、ペンシルベニア州の田舎町、チャッズフォードに5人兄弟の末っ子として生まれました。

 父親はニューウェル・コンバース・ワイエス(N・C・ワイエスと略されることが多い。)。
 https://en.wikipedia.org/wiki/N._C._Wyeth

N. C. Wyeth (Museums of the World) -
N. C. Wyeth (Museums of the World) -


 堂々とした質感に満ちた、写実的な画風で、挿絵画家として成功していた人物でした。

 ワイエスは、裕福な家庭で、恵まれた子供時代を送りましたが、心身繊細な子供で、学校に通うことができず、家庭教師に勉強を教わることになりました。

 父の影響で既に絵を学んでいた姉たちと自分を比べ、内心では疎外感を覚えることが多い子供時代だったそうです。

 少年時代は自己流で絵を描いていたワイエスでしたが、15歳のころ、父がワイエスの才能に目を留め、本格的に基礎を身に着けることを勧めます。

(補:作品集に15歳の頃のペン画が載せられていますが、すでに驚異的な緻密さと歴史的想像力を兼ね備えた非凡な才能が見て取れます。)

 自由に描くことを好んだワイエスにとって、この父の指導による基礎訓練は窮屈さを感じるものだったようですが、これにより、ワイエスの才能は磨かれ、数年後にはさらに高い写実技術を身につけました。

 19歳で、水彩による風景画を集めた個展を開くと、作品は完売。ワイエスはすぐに、名声を得ることになりました。

(作品集「ワイエスという画家」部p.5〜6参照)


 ちなみに、ワイエスの作品は水彩のほか、卵テンペラで描かれたものが多いです。

 卵テンペラは、卵の卵黄と絵の具に、酢や油などを混ぜ合わせて色を作り上げる技法(作り方を見るとマヨネーズそっくりです。)で、乾きが早い上に色あせが少なく、油彩と比べると、透明感のある色調で描くことができます。

(数百年前の作品でもいまだ鮮やかな色を保つフラ・アンジェリコボッティチェリ作品がその好例です。)

 一方乾きが速いので、油彩のような画面上で色を混ぜ合わせる形でのぼかし表現が難しく、線を描き込むことで陰影をつけるという方法がとられるそうです。

 この技法を用いることで、ワイエスの作品は、繊細な線描とともに、暗い色合いを用いてもほのかな光が差し込むような神秘的な味わいを持つことになりました。

(普通の人々と質素な家屋を描きながら、どこか神聖な気配が漂っているのは、この描き方それ自体と、観る者の中にある、古き良き宗教画の記憶が重なり合うからかもしれません。)



 23歳のとき、ワイエスは4歳年下の美しい女性、べッツィーと結婚しました。

 べッツィーは聡明な女性で、結婚後はワイエスのマネージャー的役割を務めてくれましたが、この結婚は父の反対を押し切ったものでした。

 売りやすい絵にするために、息子の創作に口出しをする父と、それに内心反発していたワイエスの間には、すでに微妙な緊張感があり、ワイエスは、結婚により、父と精神的距離をとることになりました。

 (彼がテンペラを選んだのも、油彩が得意だった父の影響から逃れるためだったという説があります。)

 しかし、ワイエス28歳のとき(1945年)に、父が交通事故で急死、ワイエスは父との和解と、画家としての父を乗り越える機会を失います。

 「冬」はこの時期に描かれた作品で、寒々しい丘を駆け下りてくる少年の、バランスをくずしかけた姿には、父を失ったワイエス自身の動揺が投影されています。

(「冬」の一部を表紙にした画集)
ワイエス (現代美術 第3巻) -
ワイエス (現代美術 第3巻) -


(作品集「新たな出発」部p.10〜11参照)



 父の死をきっかけに、ワイエスの作品は、きわめて写実的でありながら、物思いにふけるような気配を深めてゆきます。

 第二次世界大戦から冷戦という、社会の混乱期にあっても、ワイエスは途切れることなく、故郷ペンシルヴェニアの田舎と、避暑地メイン(カナダとの国境に位置する州)の人や風景を描き続けました。

(ワイエスは生涯のほとんどをこの二つの地で過ごし、ほかの場所にはめったに出かけなかったそうです。)



 チャッズ・フォードには、ドイツ系や、アフリカ系の移民が住んでおり、隣人として彼らと交流のあったワイエスは、彼らと、彼らの暮らす家屋や生活を描きました。

 なかでもワイエスの心をとらえたのは、少年時代から交流のあったドイツ系移民のカーナー夫妻でした。

 第一次大戦中に従軍経験があり、アメリカ移住後を含め、苦難の日々をくぐりぬけてきた夫カールと、英語を覚えられず、寡黙に働き続けた妻アンナを、ワイエスは、張り詰めた厳粛さとともに描きました。

 ワイエスはカールに、愛しながら複雑な感情のまま失ってしまった父の面影を重ねていたのかもしれないとも考えられています。

(作品集「カーナー農場」部p.45〜67参照)



 また、カーナーが病に倒れてから、看護師としてカーナー家で働き始めたドイツ系女性、ヘルガも、ワイエスの重要なモデルになりました。

(ヘルガの肖像画が表紙の本)
Andrew Wyeth: The Helga Pictures -
Andrew Wyeth: The Helga Pictures -

 この、若さや美貌は無いものの、内に秘めた力を感じさせる肉体と、己の心の陰影を見つめるようなうつむき顔をした女性は、繰り返しワイエスの裸体画のモデルを務め、その絵の存在が長年隠されていたことから、後にマスコミから、二人の男女関係が疑われますが、互いにそれを否定。ヘルガは助手として、ワイエスの最晩年まで彼の身の回りの世話をしたそうです。

(作品集「ヘルガ ー画家とモデルの揺るぎない関係ー」部p.68〜77参照)



 さらに、同じく少年時代から交流があった、幅広い世代のアフリカ系移民、ネイティヴ・アメリカンの血を引く人物など、様々な友人知人を描いたワイエスは、避暑地のメイン州で、彼の名声を決定づけるモデルと出会います。

 アメリカ現代絵画の金字塔とも言える、「クリスティーナの世界」で描かれた女性、クリスティーナ・オルソン。

 「クリスティーナの世界」は、枯れた色の草原に、細く、力の籠った両腕をついて、身を起こし、遠くの家屋に目を向ける女性の後ろ姿を描いた絵画です。

 モデルとなった、クリスティーナ・オルソンは、進行性の病で、この時期両足が不自由になっており、しばしば屋内や周辺の土地を、這って移動していました。
 
 クリスティーナと、彼女を支える弟、アルヴァロの人柄と暮らしぶりに心惹かれたワイエスは、彼らの家に頻繁に出入りするようになり、ついには二人が使用していなかった二階を使わせてもらうようになりました。

(オルソン家に限らず、ワイエスのモデルとなった隣人たちは彼の訪問に非常に寛大で、彼に鍵を渡して、勝手に出入りし、住人や家の中を好きにスケッチすることを許した家庭もあったそうです。〈作品集p.169参照〉)

 この絵は、ワイエスが、オルソン家の上階から、お気に入りのピンクのワンピース姿で、這ってブルーベリーを摘むクリスティーナの姿を見つけたことをきっかけに描かれました。

 絵の所蔵先であるMoma美術館のHP(日本語解説)によると、後に、ワイエスは、この絵について、Moma美術館初代館長にこう書き送ったそうです。

「私の課題は、ほとんどの人に望みなしと思われている彼女の人生を、彼女自身が克服しようとしている並々ならぬ姿を、 しっかりと表現することでした。私が描いたものによって、彼女の世界は、肉体的には制限があっても、精神的にはいっさいそのようなことはないのだと、 ささやかな形であれ、見る人に思わせることができたとしたら、私の目的は達成されたことになるのです。」



 ワイエスは、誇り高く強靭な精神の持ち主であるクリスティーナと、控えめで姉思いのアルヴァロの日常を、彼ら本人の肖像のみならず、不在の部屋や所有物からも描き出しました。

 ワイエスの代表作の一つ、「海からの風」は、古びたレースのカーテンを揺らす夏の風と、窓の向こうに広がる草地と水辺の景色を描いたもので、これも、オルソン家の風景をモチーフにしたものです。

(「海からの風」を使用した本の表紙)
Andrew Wyeth: Looking Out, Looking in -
Andrew Wyeth: Looking Out, Looking in -

 ワイエスとの30年以上の交流を経て、アルヴァロが姉を案じながら逝去すると、クリスティーナも後を追うように世を去りました。

 ワイエスは彼らの死後にもオルソン家を訪れ、主を失った部屋を描くことで、二人の面影を追っています。

(この後、オルソン家は、アップル社のCEOに買い取られ、今は名画の舞台として、地元ファーンズワース美術館の管理下におかれることとなりました。)

(作品集「クリスティーナの世界」部p.110〜p.127参照)



 その後も、古くからの友人たちのほか、妻ベッツィーが、絵画のインスピレーションになるようにと準備した土地や建物を描いていたワイエスでしたが、ときに、リアルな質感と陰影を持ちながら、現実離れした情景を描いて、作品の幅を広げました。

 「雪の丘」は、故郷の雪に覆われた丘で、「メイポール」(※)と呼ばれるリボンや植物で飾られた柱の周りを、様々な年齢、人種の男女が、リボンを手にして、輪になって踊っているという、幻想的な作品です。
(※)本来は春の訪れを祝い、豊穣を願うお祭りで、5月に行われることが多い。

 (「雪の丘」の部分を使用した本の表紙)
Andrew Wyeth's Snow Hill -
Andrew Wyeth's Snow Hill -


 彼らは、それまで、ワイエスと交流を持ち、モデルとなった人々でした。
 カーナー夫妻、彼の息子たちともども友人だった、ビル・ローパー、同じくアフリカ系移民のアダム、ワイエスの身の回りの世話をしたヘルガ、「冬」の少年(ワイエス自身という説もあります。)


 予備知識が無くても、古びた軍服を着たカールや、雪景色など、本来の祭りではありえない情景が、ミステリアスな印象を醸しますが、すでにワイエスの絵全体に魅了された人々には、ワイエスの彼らに対する思いや、画家としての道のりが見て取れます。

 実際に彼ら全員が顔を合わせた機会は無かったと思われますが、自分の人生と創作に関わってくれた人々が、ともに踊る姿で描くことで、彼らと、人生への追憶を表現しているような作品です。

(作品集「奇妙で不思議な絵」p.158〜159参照)

 幼いころから、健康に不安を抱えながら、意図的に、閉じた、しかし、深い世界を生きたワイエスは、2008年の転倒による骨折で、絵が描けなくなるまで、揺るぎなく緻密で端正な作風を保ち続け、2009年、就寝中に世を去りました。

 最後の作品は、浜辺の白い家(妻ベッツィーがワイエスの絵のモチーフとなるように購入した。)から、静かに遠ざかるヨットの絵でした。
(作品集「晩年」部、p.176〜185参照)

 ワイエスの墓はクリスティーナとアルヴァロと同じ墓地にあり、草地の先に、
あのオルソン家が見えるそうです。


 今は、次男のジェイミー・ワイエスが、父、そして祖父を彷彿とさせる圧倒的写実力で、人気画家として活躍しています。

Jamie Wyeth - Jamie Wyeth
Jamie Wyeth - Jamie Wyeth



 優れた技術と、日常を生きる人々への共感、静寂に生と死のイメージが透けて見える神秘性を兼ね備えた、アメリカの国民画家の作品を細部まで見られる機会ですので、ぜひ番組をご覧になってください。

(さらにワイエスについて知りたいという方には、今回私が引用参照させていただいた高橋秀治さんの本がお勧めです。生前のワイエスとも交流があり、日本のワイエス紹介に尽力された方だそうで、多様な作品が鮮明な画像で掲載されている上に、作品に関する詳細なエピソードが数多く読める、とても素敵な本でした。)

 当ブログのワイエス関連記事はこちらです。
 ・「アメリカの国民画家 アンドリュー・ワイエスのおすすめ絵画1」(シポーラ夫妻をモデルにした作品)
「 アメリカの国民画家アンドリュー・ワイエス おすすめ作品2(孤高のアウトサイダー、ウォルター・アンダーソンをモデルにした作品)」

 なた、補足で、ワイエス情報が見られるURLを貼らせていただきます。ご参照ください


 読んでくださってありがとうございました。


(参照URL)
ウィキペディア「アンドリュー・ワイエス」(日本語版)
 
・同上英語版「Andrew Wyeth」
 https://en.wikipedia.org/wiki/Andrew_Wyeth

・アンドリュー・ワイエス公式HP
 http://andrewwyeth.com/
・公式HP「ギャラリー(一部作品画像)」
http://andrewwyeth.com/gallery/

 ・ブランディワイン・リバー美術館
(アンドリューを含むワイエス家三代の絵画を所蔵)
  http://www.brandywine.org/museum
 ・ブランディワイン・リバー美術館
「アンドリュー・ワイエス回顧展(※9月17日まで)」情報 
  http://www.brandywine.org/museum/exhibitions/andrew-wyeth-retrospect
 
 ・ファーンズワース美術館
 (アンドリューを含むワイエス家三代の絵画を所蔵、オルソン・ハウスの保存も手掛ける)
  http://www.farnsworthmuseum.org/
 ・ファーンズワース美術館 オルセン・ハウスのガイドツアー情報
  http://www.farnsworthmuseum.org/experience/tours/olson-house/

・丸沼芸術の森
 (ワイエスの水彩や下絵を主に所蔵、常設展は無いが、2017年9月16日から「アンドリュー・ワイエス 生誕100年記念展」を開催)
 http://marunuma-artpark.co.jp/
 http://marunuma-artpark.co.jp/event/index.html#20170801


・福島県立美術館
  (「松ぼっくり男爵」ほかワイエス作品所蔵。9月24日まで生誕100年を記念して5点を「コレクション展」として展示中)
 ・http://www.art-museum.fks.ed.jp/(トップ)
 ・http://www.art-museum.fks.ed.jp/htdocs/?page_id=28(コレクション展情報)
 ・ニューヨーク近代美術館(Moma)「クリスティーナの世界」
https://www.moma.org/collection/works/78455?locale=ja
https://www.moma.org/audio/playlist/1/240(日本語版解説)


 ・テレビ東京「美の巨人たち」アンドリュー・ワイエス作「松ぼっくり男爵」紹介
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/130622/index.html


(補足)当ブログでアメリカ絵画について一部描かせていただいた記事 
  http://enmi19.seesaa.net/article/442229731.html (「オバマ大統領と絵画」)
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2017年09月02日

ジャコメッティ贋作事件(ノンフィクション『偽りの来歴』より)


 六本木の新国立美術館で、開催中の「ジャコメッティ展」が、いよいよ終了間近となりました。

・展覧会公式HP(TBS)  http://www.tbs.co.jp/giacometti2017/  

 ・展覧会のTBS公式動画

https://www.youtube.com/watch?v=XxdyAL6IAsE

 ・当ブログ展覧会ご紹介記事
 ・当ブログ展覧会グッズ記事


 今回は、イギリスで起きた贋作事件を題材としたノンフィクション『偽りの来歴』に描かれた、ジャコメッティ作品と贋作事件の関わりについて、印象的だった箇所を、引用、ご紹介させていただきます。

偽りの来歴 ─ 20世紀最大の絵画詐欺事件 -
偽りの来歴 ─ 20世紀最大の絵画詐欺事件 -

〈当ブログでこの贋作事件の概要について書いた記事はコチラです。〉)


 1986年から95年、イギリスの美術業界を大混乱に陥れた、大規模な贋作事件がありました。

 天性の詐欺師、ジョン・ドリューが、生活苦の中にあった画家、ジョン・マイアットをそそのかし、約200点あまりの贋作を制作販売したこの事件、ドリューが、美術館への多額の寄付金をちらつかせて美術館幹部らの信頼を得たのち、美術館の資料室に侵入し、作品の来歴を示す、偽造書類を紛れ込ませるという、かつてない手口で、専門家たちを翻弄しました。

 しかし、そうした偽造資料に一切まどわされずに、作品(絵画)の写真だけで、即座に贋作を見抜いたのが、「ジャコメッティ協会」の女性秘書、パーマーでした。

 葛藤を抱えながらも、腕利きの贋作師であったマイアット(紆余曲折の後、現在も画家として活躍中)と、世界中のジャコメッティ作品の情報を収集管理していたパーマー。

 それぞれの、ジャコメッティ作品に対する考察が語られた文章を読んでいると、次第に、ジャコメッティ作品と、ジャコメッティ本人の、突出した個性が浮かび上がってきます。



 ジャコメッティの贋作にとりかかろうとしたマイアットは、ジャコメッティ本人への理解を深めるために、あらゆる資料を読み漁り、可能な限り美術館に足を運んで、実物を観察しました。

(以下『偽りの来歴』p.82〜p.83より引用)

 「実のところ、ジャコメッティには、満足感はなかった。彼は自分の傑作の多くを失敗作と考えており、手元にある作品に手を加え続けずにはいられなかった。

 『絵に取り組めば取り組むほど、それを終わらせることは不可能になる』と、彼(補:ジャコメッティ)は言っていた。画家であり文筆家でもあった知人の一人は、その芸術的プロセスを『強迫観念的な削減行為』と呼んだ。ジャコメッティが彫刻を作るとき、彼の手は『上から下へとはためくように動き、粘土をつまみ、えぐり、刻み込む。一見すると絶望的な、ほとんど胸がはりさけそうな様子で、真実を捉えるために奮闘しているのだ。』

 『ジャコメッティは、自分自身の創造物と似始めた。骨格はより細くなり、顔はやつれ、髭も石膏の粉で覆われたように白っぽくなった。まるで本人の本質のみに煮詰められたかのようだった。最後には、人物彫像の骨組か、あるいはごつごつした鋼と金網でできた人形のような姿で、角のカフェに座って煙草をふかしていた。一度など、すでに彼が金持ちになっていた頃のことだが。一人で座っている彼を見かけたある婦人が気の毒に思い、コーヒーを一杯おごりましょうと言ってくれた。彼はすぐに受け入れたが、その目は感謝と喜びの色に溢れていた。』(※)

 彼(補:マイアット)が今描いているのは、青灰色の影の中から裸婦像が浮かび上がる単純な構図だ。(中略)シンプルな構造の絵なので、真似をするのは簡単だろうと思っていた。だが、それは間違いだった。

 ジャコメッティは独特のエネルギーを持っていて、意図的であると同時に、まるで逆上して画面に向かったかのようにも見える、もつれあった線で作品を描いた。全身像で描かれている裸婦は、それが強い喚起力をもっていたため、マイアットには、その肉体の下に骨が感じられるほどだった。その不可解なイメージは、カンヴァスの中から、まるでこちらの世界へと足を踏み出そうとするかのように立ち現れてくるのだ。
どうしてジャコメッティにはこんなことができたのだろうか?
(中略)
 この作家はいつもモデルを使って描いていた(彼の妻がお気に入りのモデルの一人だった。)が、モデルには、絶対動かないことと集中することを要求した。彼は一枚の絵に数ヶ月を費やし、ときには制作中、モデルから一メートルに満たないところに座って描くこともあった。彼は、モデルに自分をまっすぐ見つめ、自分の引力の中に入ってくるように頼み、そのモデルをカンヴァスの中に巻き取るのだった。」


 マイアットは、ジャコメッティ作品が、そのシンプルな姿とは裏腹に非常に困難なものであることに気づかされます。
(贋作の発覚を防ぐため、モデルが使えなかったことがより作業を困難にしました。)

 失敗を繰り返しているうち、ドリューに「描けない部分は前に何か別のものを描くことで隠せばいい」と言われたマイアットは、苦肉の策で裸婦の前にテーブルを描きました。

 この贋作が名門オークションハウス、サザビーズのカタログに掲載され、パーマーの目に触れたことから、彼らの犯罪が綻びはじめます。

 パーマーは即座にサザビーズに連絡、来歴を示す書類が完璧であったため、作品はすぐには贋作と確定しませんでしたが(サザビーズは、パーマーに同意して、売却を延期するという対応を取りました。)、パーマーはほかにも贋作が紛れ込むはずだと考え、調査を開始しました。


(※)『』部は、ダン・ホフスタッター「自身の芸術とは異なった生涯」、ニューヨークタイムズ書評、ジェイムズ・ロードによる伝記『ジャコメッティ』評の引用。
(ブログ筆者補:ジェイムズ・ロードは美術評論家でエッセイスト。矢内原伊作同様、モデルとなった経験を『ジャコメッティの肖像』に記した。このときの出来事が、2018年1月公開予定のジャコメッティの映画「ファイナル・ポートレート」の題材となっている。)


ジャコメッティの肖像 -
ジャコメッティの肖像 -


 一方、不本意ながら、裸婦の足の部分をテーブルで隠した贋作(本文中通称「足のない女」)を描いてしまったマイアットは、その後、懸命な努力で、本人としても満足の行く、新しい裸婦像(通称「立つ裸婦」)の贋作を仕上げました。

 こちらは、ニューヨークに渡り、一流の画商が「傑作」として買い取りました。

 絵を買い取った画商、バートスはこの絵が約4550万〜7150万円で売れると見立てて、ジャコメッティ協会に鑑定書の発行を依頼、「立つ裸婦」の写真を送付しました。

(ヴィクトリア&アルバート美術館のHPに、贋作発覚の発端となった作品「立つ裸婦」と、偽造資料の画像が見られる記事があります。
 http://www.vam.ac.uk/blog/national-art-library/from-artifice-to-artefact

 しかし、写真を見たパーマーは、送られてきた写真を見るなり、絵の裸婦に向かって「まっすぐ立ちなさいよ!」と怒りをあらわにしました。

(以下p.215〜216引用)


 「その裸婦は何もかもが間違っていた。なぜならアネット・ジャコメッティが夫のモデルをするときには、まるで歩哨のようにぴったりと脚を合わせて直立不動で立っていたからだ。彼女はすきま風の入るアトリエで何時間もポーズし、ストーヴに火をおこすときだけほんの一瞬休憩をとるのだった。何年にもわたりジャコメッティは、そんな彼女の、疲れを知らない真剣な姿を繰り返し書いてきた。バートスの裸婦は、あまりにも表面的で、重力が不足していた。ジャコメッティは解剖学を熟知していたから、裸婦を描くときも骸骨(スケルトン)の上に注意深く身体を組み立てていた。それに対し、バートスの裸婦はあまりに弱々しく頼りなかった。

 骨が感じられないわ、とパーマーは思った。

 (中略)ジャコメッティは、非常に繊細な筆を使い、熱のこもった筆のタッチを重ねることで像をつくりあげていた。バートスの作品も同じ類いのエネルギーのいくらかはもっていたが、その筆触は、像を核心部分から立ち上げているというよりもむしろ、あらかじめ定められた形を満たそうとしているようだった。」

 バートスへ鑑定結果を知らせようとしていた矢先、新たな贋作情報がジャコメッティ協会に舞い込み、この事件が非常に大規模なものであることを確信したパーマーは、すべての作品に関与したドリューを追い詰めるべく、来歴資料を所有しているテート・アーカイヴス(テート美術館資料部)にコンタクトをとります。

 既にあまりにもドリューと彼のスタッフ(詐欺の共犯者)が頻繁に資料室を訪れること、その態度に不自然な丁寧さがあることに強い違和感を感じていた現場スタッフのジェニファー・ブースが、パーマーの警告を受け、彼らの不審な点について調査を開始、彼女たちの動きを受けて、ついにロンドン警視庁が捜査に乗り出すこととなります。



 マイアットが最初そう感じたとおり、ジャコメッティの作品は技術のある人間なら簡単に模倣できそうな単純化されたものに見えますが、実は莫大な知識と執念(そしてモデルの献身的忍耐)によって作り上げられており、それに敬意を払っていたパーマーにとって、真贋の見分けはいともたやすいことでした。



 わかりやすいわけでもなく、見るからに緻密なわけでなくても、画家がまさしく身を削るようにして才能の全てをぶつけた作品には、やはり、他の誰にも真似できない「真髄」があるのだと感じさせられるエピソードです。

 このご紹介がジャコメッティ鑑賞の一助になれば幸いです。



(また、この『偽りの来歴』については、ほかにも印象的な場面があったので、いずれまた記事にさせていただく予定です。)

 読んでくださって、ありがとうございました。



posted by Palum. at 14:38| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月01日

ジャコメッティ展 グッズ情報

 六本木の国立近代美術館で開催中の「ジャコメッティ展」がいよいよ会期終了間際になりました。



 当ブログ、展覧会ご紹介記事はコチラ

 この展覧会、販売グッズの中に、独特のセンスのものが混ざり込んでいたので、補足でご紹介させていただきます。

 グッズ紹介ページはコチラです。

1、ジャコメッティー(和紅茶)

 ジャコメッティの代名詞とも言える彫刻「歩く男」の写真ラベルつき。

 静岡県 新間の和紅茶。

 「日本生まれの紅茶は、外国産に比べて苦みや渋みがなく、優しく深い味わいが、紅茶ファンの間でも、今、ブームになっています。」
(グッズ説明文の一部)

 ベーシックな売り文句の前で、「なぜジャコメッティグッズで紅茶?」と、一瞬首をひねりましたが、「ジャコメッtea(茶)」というシャレでした。

 シャレがさらにエスカレートしているのが次の2品です。


2、ジャ米ティ

 日本酒「山田錦 大吟醸」に、細くスラリと直立する、「ヴェネツィアの女」の彫刻ラベルつき。

 余分なものを極限まで削りおとして、彫刻を作り上げたジャコメッティのように、米を丹念に削り落として味わいを作り上げた、という理由でグッズになったそうです。

 凄いこじつ……いえ、斬新な発想。

 ちなみにボトル(180ml)も小ぶりで黒くスラリとしているので、空き瓶になっても小粋な一輪挿しなどで活躍させられそうです。


3、ジャコリントウ(カリントウ)

 展覧会の目玉作品のひとつ、彫刻「犬」の写真付き。

 「ジャコメッティの彫刻とかりんとうって、どことなく似ているような感じがしませんか?」
 (グッズ説明文の一部)

 結構いろいろな人が、心のどこかでうっすらとそう感じたとしても、あちらは魂の本質に迫るべく、心血を注いだ芸術作品なのだから、そうゆうことは言ってはいけないという暗黙の了解を、軽やかに超越した商品。

 「エスプレッソ味」と、「黒胡椒・味噌味」がありました。

 ちなみに私は黒胡椒・味噌味を購入しましたが、普通のかりんとうのボリボリという硬派な歯ごたえとは一線を画すサクサク食感に、ピリリと胡椒のきいた甘じょっぱい味で、お酒のアテにもなりそうな、とても美味しいお菓子でした。

 一袋700円だというのに、開けるなり瞬殺してしまった。

「言っちゃったよ(というか作っちゃったよ)この人は……」感に終わらない。クオリティの高さです。

 公式ツイッターには、「好評なのか不評なのかよくわからない」と、公式にあるまじき飾り気の無い見解が載せられていますが、名作です。

「日本ならではのオリジナルグッズです(でしょうね)。ジャコってくださいまし」とのことです。皆さんもジャコりましょう。(でも「ジャコって」って何。)


 以前、河鍋暁斉展で、和菓子の老舗、榮太郎本舗が、「暁斉存命中、榮太郎の社長が、作品を高額な言い値で買って暁斉の名声を高める手助けをした」という縁で、暁斉の絵ラベル入り飴を、グッズとして売っていました。

 これを見たとき、実に粋なはからいだと思いましたが、(ご紹介記事はコチラ)今回のジャコメッティグッズは、さらに斜め上を行く面白みがあります。
 
 というか、ここまで突き抜けたグッズが今まであっただろうか……?

 一見難解な作品展にまぎれこんだ一服のシュールな笑いが、ジャコメッティ作品と我々の距離を近づけてくれています。

 商品化したスタッフの方たちの英断とセンスを賛辞を贈らせていただきます。

(こういう妙に高品質なギャグッズ意外にも、ミュージアムグッズの定番であるTシャツやクリアファイルなどもあります。)

 展覧会にお出かけになる際は、是非併せてお手にとってみてください。

 次回記事では、ジャコメッティ作品がからんだ贋作事件について、ご紹介させていただきます。よろしければまたお立ち寄りください。

 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum. at 20:42| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月26日

ジャコメッティ展

2017年9月4日まで、六本木の新国立美術館で、「ジャコメッティ展」が開催されています。
・展覧会公式HP(TBS)
 http://www.tbs.co.jp/giacometti2017/

 展覧会のTBS公式動画


 https://www.youtube.com/watch?v=XxdyAL6IAsE


 細長い人体の彫刻で有名な、20世紀を代表する彫刻家ジャコメッティ。

 その、不思議な造形は、意外にも、ジャコメッティの「見えるものを見えたままに」作り上げるという執念の果てに生まれたものでした。

 展覧会では、彼の、現実と人間に対する飽くなき探求心がわかる、彫刻や絵画など、大小135点を見ることができます。


 難解なようですが、実際に向き合うと、「人間の本質」や「見ること」について、新しい実感を与えてくれる作品であり、彼の執念を忍耐強く支えた、周囲の人間たちの存在を含め、ジャコメッティという人物と、作品の双方に感銘を受けました。




インターネットミュージアム」の特集動画

 1章「初期・キュビスム・シュルレアリスム」


 2章〜12章

https://www.youtube.com/watch?v=7KAEeSxuxLI

13章「ヴェネツィアの女」、14章「チェース・マンハッタン銀行のプロジェクト」

https://www.youtube.com/watch?v=VALejy9oHAE
 (※14章の展示室、3体の作品が撮影可能)


 〇ジャコメッティと、その作品

 アルベルト・ジャコメッティ(1901-1966年)は、スイスの自然豊かな村、スタンパに生まれ、画家である父の影響を受け、早くから芸術の道を歩み始めました。

 (彼の弟たちも芸術家であり、彼の制作をサポートしました。展覧会では、弟ディエゴ〈ジャコメッティによく似ている〉をモデルとした作品を見ることができます。)

 20歳でパリに出たジャコメッティは、当初キュビズムや、古代、民俗学的彫刻、シュルレアリスムなど、様々な芸術の影響を受けました。

 やがて、彼の生涯のテーマである「見えるものを見えるままに」作ることを目指したジャコメッティは、モデルと対峙する制作方法に転換しました。

 ジャコメッティにとって、「見えるものを見えるままに作る」、というのは、現実に存在する人や物の形をそっくりそのままコピーするという意味ではありませんでした。

 ジャコメッティの視覚が捕らえた、映像の中の対象、ジャコメッティの洞察が捕らえた、対象の内側に宿る本質を、作品化するということだったのです。



 ジャコメッティの「見える」という意味の独自性がよくわかる作例の一つが、指先にも満たない小さな人物像です。

 彼は一時期、制作に集中すればするほど、作品が削られて小さくなってゆくという悩みを抱えていました。

 これは、ジャコメッティが、作者自身と対象との間にある「距離」を、作品に含めたために起きた現象で(たとえ実際には長身の人物であっても、距離を隔てて見た場合、その姿は小さく見える)、戦時中、ジュネーブに逃れ、記憶を頼りに制作せざるをえなくなったとき、時間の経過による心理的距離も発生したのか、彼の彫刻はますます小さくなり、彼がパリに戻ってきたとき、持ち帰れた彫刻は、「マッチ箱に入るほどの小さな6体の彫像のみ」(※1)だったそうです。
(※1)カッコ部、ジャコメッティ展図録52ページより引用。

 実際に展覧会に行って、彼の小さな彫刻群を見、会場のあちこちに立つ観客の人々に目を移すと、確かに人が様々な大きさに見えて、不思議な感覚に陥ります。



 もう一つ、ジャコメッティにとっての「見える」の意味が垣間見える作品として、「猫」が挙げられます。
 
 人体彫刻同様、針金のような四肢に、頭だけが丸くボリュームを持っているこの作品は、弟ディエゴの猫が、正面からジャコメッティのベッドに向かってくる姿を形にしたものです。

 ジャコメッティは頭部だけが大きく見えるという、自分から見た猫を、そのまま作ったために、この姿になったそうです。


 ジャコメッティ「猫」、横から見た姿(展覧会公式Twitterより)
https://twitter.com/giacometti2017/status/876017377607008256

 ジャコメッティ「猫」、正面に近い角度から見た姿(展覧会公式Twitterより)
https://twitter.com/giacometti2017/status/897988619599724544

 このように、ジャコメッティの作品は、見る角度によって、大きく姿も意味も変貌し、観客の側が実際に動き回って鑑賞すると、作品が持つ力がよくわかります。



 ジャコメッティはさらに、対象の内面を見ることを追求しました。

 肉体が内包する本質を現すため、輪郭は次第に削り落とされ、結果、あたかも肉をそぎ落とした骨だけのような姿が現れてきました。

 (そこに、各個人が持つ魂のゆらぎのように、複雑な起伏で陰影がつけられています。)

 この作風が、ジャコメッティの個性を決定づけました。

 ちなみに、死者と生者を分かつものとして、「まなざし」を発見し、それに焦点を置いた作品のいくつか(弟ディエゴの胸像群など)は、ジャコメッティ作品の中では比較的、体積と具体的容姿を持ち、それは確かに、本人の個性を、単に形をそのまま写し取る以上の鮮烈さで表しています。

(ジャコメッティによく似た、そして、彼の制作を支え、忍耐強いモデルの一人であったディエゴの鋭い目の光が、現代芸術に馴染んでいない私にも見て取ることができました。)

 展覧会図録(90p.)には、ディエゴがジャコメッティ作の胸像と同じ角度で座る、魅力的な写真が掲載されています。

 それでも、真正面から見た場合、頭蓋が、現実にはあり得ない幅の狭さなのですが、少し角度を変えると、奥行きによって厚みが加わり、また別の表情(像の視線)が見えてくるので、少し動いて、「現れる」瞬間を捉える妙味が強い作品です。



 自分と対象との距離(空間)、対象を見る者の視点(対象と自身の角度)、対象の肉体が内包する本質、対象のまなざし。

 こうした多様な要素を「見て」、彫刻にしようとしたジャコメッティ。

(余談ですが、ジャコメッティは、絵ではしばしば等身大の人間の質感を表現しています。平面の、限られたサイズの中では、そこまで多様な要素を作品に盛り込もうとしなかったのかもしれません。)

 このため、一見抽象的と思われる作品であっても、実在のモデルは不可欠であり、彼らは、長時間、身動きせずに、画家に「見られる」自分を、題材として提供する必要がありました。

 モデルとしてポーズをとる時間があまりに長く、何日間にも及び、しかもジャコメッティがほんの少しの身動きも許さなかったため、彼の作品のモデルの大半は、彼の理解者だった弟たち、妻アネット、ジャコメッティと親密な関係にあった女性たち、そして友人たちといった、身近な人々に限られていたそうです。



 そうした、ジャコメッティの制作への没頭と才能に魅了され、献身的にポーズをとった友人の中に、日本人哲学者、矢内原伊作がいました。

 仏像のような細い瞳に、筋の通った鼻、細い顎を持ち、どこか古い時代の貴族にも似た、印象的な風貌の矢内原は、その容姿と知性、ジャコメッティの目指すものに対する理解の深さから、ジャコメッティの創作意欲を強く刺激し、求めに応じて、帰国の日をずらしてまで、彼の制作に協力しました。

 その期間は実に72日間。
(このときのことを、矢内原は、著作『ジャコメッティ』(みすず書房)に記しています)
ジャコメッティ -
ジャコメッティ -


 しかし、ジャコメッティはその後も矢内原をパリに繰り返し招待し、彼の姿を描き、彫刻を彫り上げたそうです。

 今回の展覧会では、ジャコメッティがありとあらゆる機会に矢内原を描いたことがわかる、紙ナプキンや新聞の紙面へのデッサンが展示されていましたが、彫刻もディエゴの胸像同様に、モデルの深淵を捉えた素晴らしい作品です。

「Japan Times」内のジャコメッティと矢内原を紹介した記事で、彼の頭部彫刻画像をみることができます。(※今回の展示作品ではありません。)
出典:「Sculptor’s immobile muse helped him see inner man」
(C.B. LIDDELL 著)
https://www.japantimes.co.jp/culture/2006/06/15/arts/sculptors-immobile-muse-helped-him-see-inner-man/




  〇ジャコメッティと、贋作事件

 最後に、少し個人的な話を付け加えさせていただきます。

 私が、ジャコメッティについて知りたいと思ったのは、彼が日本人である矢内原伊作をモデルにしていたということのほかに、こんなエピソードを読んだことがあったからです。

 1986年から95年にかけて、イギリスで発生した大規模な贋作事件。

 ジョン・ドリューという人物が、生活苦の中にあった、画家、ジョン・マイアットを引き入れ、約200点あまりの贋作を制作販売、名だたる美術館やオークション会社をも欺き、業界を大混乱に陥れました。

 美術館の資料室に侵入し、贋作の出どころが由緒あるものであることを示す偽の書類を紛れ込ませるという手口で、真贋鑑定の大切な手掛かりとなる資料を偽造したことで、多くの専門家たちが惑わされましたが、そのとき、送られてきた作品画像だけで、すぐに作品(「立つ裸婦」の絵)が贋作であることを見抜いたのが、「ジャコメッティ協会」の秘書である女性でした。

 彼女は、ジャコメッティの妻アネット(協会の理事)と、家族のように結束し、来歴に惑わされずに一瞬で真贋を見抜く鑑定眼を持っており、アネット同様のジャコメッティ作品に対する情熱から、その疑わしい作品たちが、ジャコメッティが心血を注いだ作品群に混じることを決して許さず、周囲と意見が対立しても、断固流通を阻止したそうです。

(この出来事については事件を描いたノンフィクション『偽りの来歴』〈レニー・ソールズベリ/アリー・スジョ著〉で読むことができます。それ以外のエピソードも非常に興味深い本です。〈当ブログでこの贋作事件の概要について書いた記事はコチラです。〉)

偽りの来歴 ─ 20世紀最大の絵画詐欺事件 -
偽りの来歴 ─ 20世紀最大の絵画詐欺事件 -


 なお、ヴィクトリア&アルバート美術館のHPに、贋作発覚の発端となった作品「立つ裸婦」と、偽造資料の画像が見られる記事があります。

 http://www.vam.ac.uk/blog/national-art-library/from-artifice-to-artefact
 (拡大画像)

 この話を読んだとき、ジャコメッティについて、ただ、「難解だがどこか印象的な細長い彫刻を作る人(矢内原伊作がお気に入り)」とだけ思っていた私は、正直「専門家とはいえ、なんで現物も見ずに一瞬でわかったのか(一流画廊の人間が傑作と思い込むほどの出来だったのに)」と、不思議に思いました。

 贋作師は現代美術を題材にすることを好むそうです。

 画材の調達が容易であり、丹念にリアルに(写真のように)描き込まれた古い絵画より、比較的模倣しやすいためだと思われます。

 しかし、世間一般の「リアル」とは、ほど遠いジャコメッティ作品が、贋作を暴いた。

 難解で(正直、最初、あの細長い作品は、ものすごく長い時間モデルを見ながら作ったものだ、と知ったときには、「なんで?」とすら思いました。〈ごめんなさい〉)、自分の殻に閉じこもっているようにも見える彼の作品には、実際には、なにか、作品と波長を合わせた人間には、瞬時にはっきりと見て取れる「芯」のようなものがあるのではないか。と、この話を読んで、思わされました。

 その「芯」を、少しでも感じてみたくて、ほとんど知らない現代芸術の展覧会に行ってみたのですが、実際に見てみて、その「芯」を形成しているであろう、ジャコメッティ独自の「見る」ということの深い意味と、危ういとすらとれる、作品とモデルに対する真摯な没頭、そして、労力を惜しまず彼に協力した周辺の人々の、彼と作品に対する敬意に、触れることができたような気がします。

 東京での会期は残りわずかとなりましたが、気になる方は、是非、足を運んでみてください。

 後日、当ブログで『偽りの来歴』の中にあった、ジャコメッティに関する記述を、少し引用ご紹介させていただく予定です。よろしければ併せてごらんください。

 読んでくださってありがとうございます。


(補足)当ブログジャコメッティ関連記事
展覧会グッズ情報
ジャコメッティ贋作事件

(参照URL)
ジャコメッティ展 ジュニアガイドPDF
http://www.nact.jp/exhibition_special/2017/giacometti2017/pdf/20170621_a_1.pdf

雑誌『ELLE』ジャコメッティ特集記事「魅惑の彫刻家を5つのエピソードでひも解く! エル的ジャコメッティ入門ガイド」
http://www.elle.co.jp/culture/feature/giacometti17_0612/1



(参考文献)
「ジャコメッティ展 2017」(※展覧会図録)
posted by Palum. at 14:31| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月21日

清水三年坂美術館の村田理如館長と、ロンドンの大富豪ナセル・ハリリ氏(明治工芸の名コレクターたち)

 京都の清水寺近くに、日本が誇る明治工芸の殿堂、清水三年坂美術館があります。

 先日(2017年6月末〜7月初旬)BS7の『極上お宝サロン』で、4週にわたり、京都清水三年坂美術館が特集され、その素晴らしい収蔵品の数々が紹介されました。

・番組内、清水三年坂美術館と村田館長についての記事はコチラです。


 清水三年坂美術館は、村田製作所の役員だった村田理如(まさゆき)氏が、明治工芸の美に魅せられ、1980年代後半から、20数年かけて収集したものです。(※)

 村田理如館長の、美術館設立にまつわるお話がよめるページはコチラです。
 http://www.sannenzaka-museum.co.jp/abut.html

(村田理如館長の著作の一部)
清水三年坂美術館 村田理如コレクション 明治工芸入門 -
清水三年坂美術館 村田理如コレクション 明治工芸入門 -

幕末・明治の工芸―世界を魅了した日本の技と美 -
幕末・明治の工芸―世界を魅了した日本の技と美 -

 もともと主に海外への輸出品として作られ、世界中に散逸していた明治工芸の作品群を買い集めて、里帰りさせてくださった、村田さん。


 この方無くしては、現在「超絶技巧」と讃えられ、もはや再現不可能とすら言われる圧巻の美が、国内で再評価されることは無かったかもしれません。

(※)この「村田コレクション」は、京都のほか、他美術館にも貸し出しされ、現在、北海道函館美術館で8月20日まで、東京では三井記念美術館で、今年9月16日〜12月3日にかけて観ることができるそうです。



 そんな日本明治工芸界の大功労者の村田館長ですが、村田館長よりも初期に、恐るべき質量の明治工芸を収集した、もう一人の名コレクターがいらっしゃいます。

David_portrait.jpg


 ナセル・D・ハリリ氏。(Nasser Khalili)
(画像出典:Wikipedia 提供者:Malkalior )



 ロンドン在住のイラン系大富豪であるこの人物は、巨万の富と審美眼を武器に、明治工芸の一大コレクションを築き上げました。


 かつてNHKのドキュメンタリー番組の中で、「(ハリリ氏より収集が)10年遅かった……」と、村田さんの温厚なお顔を実に悔しそうに曇らせ、唇を噛ませた人物です。


 ナセル・D・ハリリ氏は彼がまだ20代だった1970年代から、イスラム系の美術品や細密画(細やかに装飾された文字や挿絵の入った絵画や文書)を収集し始め、やがて、同じく高い技術と細やかな装飾性を持つ明治美術に目を向けます。


 当時、明治工芸は、海外への土産物として量産された粗悪品が多い、というイメージで、江戸美術よりはるかに劣るものとされていました。

(実際、細かいけどゴテゴテしているだけでオーラが無い作品がある。)


 しかし、こと明治初期には、ウィーン万国博覧会(1873年)をはじめとして、ヨーロッパの富裕層を瞠目させた、数多くの名作があり、ハリリ氏は己の美意識を信じて次々とそれらを収集しました。

2017年秋、ハリリコレクションの展覧会「beyond imagination」がロシアで開催されたときの動画です。

逆上するほど美しい。(真顔)



https://www.youtube.com/watch?v=kzR8OG00gGo

 NHKのドキュメンタリー番組に出演されたときのお話によると、子供のときから既に「ほしいものを手に入れるためなら昼食代を犠牲にした(確か切手収集)」そうで、物心つくなり己の美意識と執念を磨きぬいた、「天才コレクター」とも形容すべき人物です。

(日本では忘れ去られていた作品を一気に収集し、価値の再発見への道をつないだという点では、今や大スターとなった伊藤若冲のコレクター、ジョー・プライス氏を彷彿とさせます。日本美術界の恩人と呼ぶべき方だと思います。<村田さん的には火花バチバチのライバルでしょうけれど。>)



 このハリリ氏は、過去NHKの番組に何度か出演し、その圧巻の逸品を垣間見させてくださっています。


 「七宝、幻の赤を追え」で、ハリリ氏のオフィスに飾ってあった実に見事な安藤重兵衛の赤七宝の壺を手に取り、チュッとキスしていたのがすごく印象的でした。


 あと、いかにも「抜け目ない知的なビジネスマンにして紳士」という感じなのに、優れた作品を前にすると、ニタアッと笑っていたのが面白かった。


 先述の村田さんのホントに悔しそうな顔と並び、名士たちなのに「マニアの熱」がある。

 この方たちの審美眼と執念、そしてわかりやすい表情と物に対する熱愛は、人気漫画「へうげもの」で、名物(美術品)を我が手にと奔走した武人、茶人たちを思い出させます。

へうげもの(1) (モーニングコミックス) -
へうげもの(1) (モーニングコミックス) -

 ハリリ氏のコレクションは、残念ながらまだ来日したことが無いようです(本当に残念……)が、彼の作品は、書籍『ハリリ・コレクション』ほか、公式HP(英文)でも高画質で観ることができます。

ナセル・D・ハリリコレクション―海を渡った日本の美術 (第1巻) -
http://www.khalilicollections.org/all-collections/japanese-art-of-the-meiji-period/

(※下部「LOAD MORE」をクリックすると次の作品群が表示され、画像をクリックすると拡大写真と説明が表示されます。)

(明治工芸がネットで観られるページとして、今まで、清水三年坂美術館、ヴィクトリア&アルバート美術館、ウィキペディア<主にロサンゼルスの美術館lacmaの所蔵品>を見つけましたが、画質の良さと掲載品数はこちらのページが一番だと思います。<一方、清水三年坂は工程動画があるので勉強になります。>)

 過去NHKの番組で紹介された作品の一つはおそらくコチラです。
象の香炉)


 個人的に素敵だと思った作品はコチラです。

対の七宝花瓶(赤坂迎賓館の壁面装飾を担当した明治七宝の名手、濤川惣助作)

 ・飾り棚(一部、濤川惣助作と考えられる品)


 ハリリ氏は明治工芸、イスラム美術ほか、日本の着物やスペインの工芸品など、8部門のコレクションをしており(計約3万点〈ぴんとこない……〉)それらも一部HP上で公開されていますが、いずれも逸品そろい。本当に卓越したセンスです。

 是非ご覧になってみてください。

 公式HP内、8部門のコレクション目次ページはこちらです。
 http://www.nasserdkhalili.com/the-eight-collections/

 ハリリ氏ご本人が先述のロシア(クレムリン美術館)での展覧会会場で、お話されている動画はこちらです。
(「字幕」で英語表示が可能だと思いますのでお試しください。※動画画面右側にカーソルを合わせると表示が出てきます〈歯車マークの左側〉)



https://www.youtube.com/watch?v=822NtfP_958



 読んでくださってありがとうございました。


posted by Palum. at 06:17| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月15日

(終了間際)展覧会「これぞ暁斎!」おすすめ作品


 本日も、幕末明治の絵師、河鍋暁斎の展覧会「これぞ暁斎!」についてご紹介させていただきます。

 渋谷bunkamura公式HPはこちらです。
 http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_kyosai/



 残念ながら東京での会期は今週末まで(2017年4月16日)となってしまいましたが、盛況で、しかも絵それ自体と春風亭昇太さんのナビのため、あちこちの人だかりの背中から、「ふっ」「ふっ」と忍び笑いが聞こえてくる、独特な空気感となっていました。

 展示作品で、個人的に好きだと思った絵は、一見暁斎作品の中では、地味なようで、でも味わい深い次の二作品です。

1、「蓬莱七福神図」

 緻密なタッチで描かれた深山と川、この風光明媚な風景の中のあちこちに七福神がくつろいでいるという楽しい絵です。

 中でもほほえましいのは川べりの様子。

 今、船着き場についたのは布袋様と大黒様の小舟。

蓬莱七福神図(部分)布袋様と大黒天様.png
(蓬莱七福神図〈部分〉布袋様と大黒様)

 大黒様は「お持ちしましたぞ」というように、高々ととっくりをかかげています。

 その視線の先には福禄寿様。

蓬莱七福神図(部分)福禄寿様.png
(「蓬莱七福神図」〈部分〉福禄寿様)

 「待っておったぞーい!」
とでも話されているのか、両手を広げ、白髪をなびかせ嬉しそうに駆けてきます。

よく見ると福禄寿様の背後の建物では、毘沙門天様が酒杯を手にしており、福禄寿と杯を交わしていたことがうかがえます。

 そろそろお酒が切れる……。というタイミングで、大黒天様達が酒を調達してくれたという場面のようです。

 そんなやりとりを背中に聞きながら、恵比寿様は光る水しぶきの見えるような勢いの良い清流に釣糸を垂れています。

 掛け軸の上下に広がる空間に、抜けるように広がる、楽しげでせいせいとした雰囲気。

 目の前にかけて、眺めながら一杯やりたいような気分にさせられる作品です。



2「閻魔の前の鵜飼」


 能の「鵜飼」を元にした作品です。
(なんか暁斎って絵以外は雑そうなイメージを持っていましたが、能に精通しており、自身の舞の腕前も中々のものだったそうです。〈「暁斎画談」より〉)

 裁きの席につく閻魔大王、地面には白装束の老いた男が正座をしており、青ざめた顔で節くれだった手を合わせ、必死に許しをこうているようです。

 閻魔の側には死者の生前の行いを映すという鏡。

 丸く大きな鏡の表には、月夜に細く漁り火がたなびき、靄の漂うような茫様の中に、小舟に乗って鵜たちの綱を引く、生前の鵜飼の輪郭をほのかに浮かび上がらせています。

 能の「鵜飼」は、鵜飼は漁で殺生をした罪を負い、成仏できず幽霊となって、僧に供養してもらうという筋立てですが、この絵には暁斎独自の解釈がなされています。

 おののいて、閻魔大王をひたすらに拝む老鵜飼の周囲に、鵜たちが彼をかばうように集まっているのです。

閻魔の前の鵜飼(部分).png
(「閻魔の前の鵜飼」〈部分〉)

 鵜飼の震える膝、曲がった背中にとまる者、細い首をくるりと鵜飼の身にまわし、長いくちばしをすりつける者。

 今駆けつけたというように、鵜飼めがけて飛んで来る者。

 出来る限り鵜飼の身を自分たちの身や羽で囲み包もうとしている一羽一羽の姿からは、彼がいかにこの鳥たちを可愛がり、丁重に扱っていたかがうかがえます。

炎のような顔と巌のように大きく重々しい姿の閻魔大王と、青ざめてうつむく老いた鵜飼の痩せた体、彼をかばい、閻魔大王にとりなそうとするような鵜たちの黒くほっそりとした姿は、画面で対称をなし、罪と罰という直線的倫理を超えたあわれを醸します。

 暁斎といえば卓越した画力と奔放な想像力とで、人の目に飛び込んでくる鮮烈大胆な絵の印象が強かったのですが、この二作のような、覗きこんだ者の目と心にじんわり染み込んでくるような作品があるというのを、今回の展覧会で知りました。

 非常に繊細な絵なので、是非お出かけになって直接ご覧になってみてください。強烈な絵、ユーモラスな絵の間で意外な妙味を感じ、ますますこの画家の奥行きに魅せられると思います。

 読んでくださってありがとうございました




(参考文献)
・「暁斎画談(外篇巻之下)」
・「これが暁斎だ!」展覧会図録
posted by Palum. at 01:07| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月10日

河鍋暁斎こぼれ話(展覧会「これぞ暁斎!!ゴールドマンコレクション」によせて)



 東京での会期終了間際(2017年4月16日まで)となってしまいましたが、前回に引き続き、東京で開催中の展覧会「これぞ暁斎!!ゴールドマンコレクション」にちなんで、幕末、明治に活躍した絵師河鍋暁斎のエピソードをご紹介させていただきます。


展覧会公式HP http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_kyosai/


1、河鍋暁斎と歌川国芳

 物心ついたときから絵が好きだった暁斎は、数え年七才(現在の6歳)のときに、浮世絵師歌川国芳の画塾に弟子入りし、絵を学び始めました。

 歌川国芳は、勇壮な武者絵や反骨とユーモアに満ちた風刺画など、多様な作品を産み出しましたが、一方で無類の猫好きとして、沢山の猫を飼い、猫にちなんだ可愛らしく楽しい絵も数多く描きました。

 暁斎本人が挿し絵を描いた本、『暁斎画談(外篇巻之上)』にはこのときの国芳の画塾の様子が生き生きと描かれています。

(挿絵部分 暁斎に手本を描いてみせる国芳〈部分〉)

国芳画塾.png

 塾といっても非常に賑やかな様子で、子供の弟子たちは絵を描いているかと思えば、床を転げ回って取っ組み合い、師匠の国芳は、それを一向叱るでもなく、猫をコロンと懐に入れ、その猫と、国芳の机にお腹を出して寝そべる猫とが、ちょいちょいと前足を伸ばしてじゃれあっています。

 さらに国芳の膝元でも、ある猫は、お尻を畳についてペロペロと毛繕い、ある猫は背中に子猫をじゃれつかせ……。

 計5匹の猫を周囲で好きにさせながら、腕をひょいと伸ばした国芳が、幼い暁斎と思われる少年に一筆で手本を描いてみせています。

(授業風景……)

国芳画塾2.png

 ニャーニャーとかギャーギャーとかあちこちから聞こえてきそうな部屋の中、国芳の隣に、やさしげな女性が座り、自分も絵を描いているのか、国芳を手伝っているのか、紙を広げ、少し困ったように眉を八の字にしながらも、微笑んで、この賑わいを見ています。

 絵の側に「よし玉女」と読めるので、国芳の女弟子の「歌川芳玉(芳玉女とも号した)」のようです。
(ちなみに、国芳の二人の娘も父に師事して絵師になったそうです。)

 年齢性別どころか人猫の別もなく皆が好きなことをしている、自由奔放(過ぎ)で活気に満ちた空気が伝わる挿し絵です。

 国芳は才能ある暁斎を大変可愛り、彼に絵描きの心がけとして、武者絵を描くときに役立つから、人を投げ飛ばすとか組み伏せるとかいう場面に出くわしたらよく観察しておくように、と、教えてくれ、暁斎は師の教えに忠実に、喧嘩があれば見物に駆けつけ、夫婦喧嘩を捜し歩いて叱られたこともあったそうです。

 しかし、暁斎はわずか二年ほどで国芳の画塾を辞めてしまいました。

 どうして暁斎は国芳の塾を辞めたのか。

 はっきりしたことはわかりませんが、一説には父親が国芳の素行の悪さを心配したからと言われているそうです。
(「これぞ暁斎!」図録「河鍋暁斎年譜」より)

 確かに、暁斎が望んで辞めたということは無さそうです。

 国芳は暁斎に優しかったそうですし、暁斎が国芳を慕い、画塾も楽しんでいたことは、この挿絵から明らかです。

 暁斎が画塾に通っている最中か、辞めた後かはわかりませんが、暁斎は8歳のときに、処刑された罪人の生首を川から拾ってきて写生するという騒動を起こしています

 児童の年齢ですでに「絵のためなら何でもやる」暁斎を、子供相手に「喧嘩があったら、よく見ておきなさい」と真顔でアドバイスする国芳のところに通わせ続けたら、相当マズイことになりそうだ、と、親が心配したのではないでしょうか。
(実際喧嘩を捜し歩いて叱られるとか、既にやらかしてたし。)

 縦横無尽な画才と、破天荒な性格(あと猫好き)という、相通ずる魅力を持った師匠と弟子の交流が、短い間に途絶えてしまったのは残念なことですが、この後、狩野派に弟子入りしなおした暁斎は、あらゆる画風を会得し、浮世絵にとどまらず、様々な名作を世に送り出すこととなります。

2、百円烏と栄太郎飴

 今回の展覧会では、たくさんのカラスの絵を見ることができます。

 奇抜な絵ばかり描いているようにも見える暁斎ですが、実は非常に厳格に写生をする人で(やりすぎて生首とか家に迫る火事まで描くとも言える)、鳥を描くにあたっては、以下のような方法をとっていたそうです。

「私は作品として描き始める前に、鳥の特有な姿勢を観察する。そこでその場を離れ、記憶に残った鳥の特有な姿勢をできるだけ多く書き留める。記憶が途切れた時点で手を止める。これを繰り返すことで最後には鳥の姿はいとも鮮明に私の記憶として脳裏に焼き付き、それを反復して完全に再現することを可能にする」
(ゴールドマンコレクション展覧会図録「これぞ暁斎」及川茂より引用)

 「暁斎画談」には、この写生の手法を会得するべく、暁斎の飼う動物や草木をしげしげと眺めて写生にいそしむ弟子たちの姿が描かれています。
(どさくさまぎれに弟子がお猿に髪をひっぱられたりしている)
暁斎弟子たちの写生風景.png

 かくして、いざ絵に描くときには一気呵成の勢いのある線で、多様なポーズのカラスを描いた暁斎は、明治十四年(1881)、内閣勧業博覧会に「枯木寒烏図(こぼくかんあず)」という作品を出品、自ら百円の値をつけました。(通常の十数倍の価格。)

 高すぎるのではという声に対し、これは烏一羽の値ではなく、長年の苦学への対価であると主張した暁斎の心意気に感じ入り、和菓子屋「榮太郎本舗」の主人が彼の言い値でその絵を買いました。

 これによりその絵は「百円烏」と呼ばれ、暁斎の名を広く知らしめたそうです。

 http://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/2016/07/post-3425.html
(「枯木寒烏図」掲載 「中央区観光協会特派員ブログ 榮太郎本舗C日本橋本店の見どころ〜所蔵美術品等等」)


 実は暁斎にはこれより約10年前に、政府高官を風刺した絵を描いた罪で、牢屋に入れられたという前科があり、絵が百円で売れたということは、彼の悪評の払拭ともなりました。

逮捕された暁斎.png

(「暁斎画談(外篇巻之下」収録、逮捕された暁斎〈部分〉周囲に大いに飲まされて調子に乗って描いたところを逮捕されたので、つかまってすぐはろくに話もできなかったそうです。)

 余談ですが、このとき暁斎が残した留置所の絵(逮捕にしょげても描くものは描く)は当時を記録した貴重な資料となっているそうです。
(ぎっしりつめこまれ、ひどい環境だった模様。)

 なお、太っ腹な榮太郎本舗は、今回の展覧会で暁斎の絵のラベルがついた飴を販売し、過去の百円を回収中です(笑)。

http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_kyosai/goods.html(榮太郎飴も見られる展覧会グッズ紹介ページ)

暁斎画談内烏の挿絵.png
(「暁斎画談」外篇巻之下で挿絵として暁斎が描いた烏の絵)

 次回の記事では、今回の展覧会で、個人的に好きだった作品をご紹介させていただきます。併せてご覧いただけたら幸いです。

 読んでくださってありがとうございました。 


(参考資料)
「暁斎画談(外篇巻之上、下)」
暁斎画談 外篇巻之上 -
暁斎画談 外篇巻之上 -

暁斎画談 巻之下 -
暁斎画談 巻之下 -

※「河鍋暁斎記念美術館」より現代語訳つきの文庫本も出版されています(1620円)

「ゴールドマンコレクション展覧会図録「これぞ暁斎」」
posted by Palum. at 01:54| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月21日

画鬼河鍋暁斎達人伝

 本日は現在東京で開催中の展覧会「これぞ暁斎!」にちなみ、河鍋暁斎の絵師としての達人ぶりを物語るエピソードをご紹介させていただきます。

公式HP http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_kyosai/



 産み出す作品そのままに、ぶっ飛んだ人物です。

 資料として、「暁斎画談」(暁斎の語りと絵手本をまとめた書。暁斎本人が挿し絵を手掛けている。)と、イギリス人建築家で暁斎の愛弟子ジョサイア・コンドル(コンダー)の「河鍋暁斎」を使わせていただきました。

暁斎画談 外篇巻之上 -
暁斎画談 外篇巻之上 -

河鍋暁斎 (岩波文庫) -
河鍋暁斎 (岩波文庫) -


 達人伝1、暁斎八才、生首を拾い写生する
 
   物心ついたときから絵が好きだった暁斎は、ある日、神田川に水の流れを写生しに行きました。

 水辺に寄ったときに、何やら毛のなびく物が足元近くに流れ着き、これが簔亀(※1)というものかと喜んで拾い上げたところ、男の生首でした。(※2)

 (※1)甲羅に長く藻の生えた亀。縁起が良いとされる。
 (※2)近くの処刑場から流れてきたと思われる。

 驚いて捨てて逃げようと思ったものの、考えてみれば、名人の生人形(※3)の生首を写生したことはあったけれども、本物の生首を見たことはなかった。怖いからといって、描かずに捨てて逃げるのは惜しい。と、思い直し、むき出しで運ぶわけにもいかないので、家に走って風呂敷を持参し、包んで家に持ち帰りました。

 (※3)本物そっくりに作られた人形のこと。見世物小屋などで展示された。
 当時暁斎の家の近くに、生人形の名手、泉目吉の作業場があり、暁斎はしばしば作業場を訪ねて、作り物の生首などを写生していた。(そもそもそこからしてどうかと思う。)

 物置に隠して、隙を見て写生しようと思っていたところ、手伝いの女性が、薪をとりに物置に行って生首を見つけてしまい、悲鳴を上げて飛び出してきたので、暁斎の父母も駆けつけ、大いに驚きました。
(そりゃ人生これほどびっくりすることはそうないでしょう。)

 騒ぎを聞き付けた少年暁斎は、写生をするために拾ってきたと正直に打ち明け、生首と暁斎の絵にかける熱意との両方に驚いた両親は、しばし怒ることもできずにいましたが、なおも写生をしたいと言い張る暁斎に対し、人に見られたらどう申し開きするつもりだと父が厳しく言い聞かせ、「すぐ川に戻してこい。元あった場所に捨ててこい」と叱ったそうです。(※4)

 (※4)ジョサイア・コンドル「河鍋暁斎」より。(捨て猫拾ってきちゃったみたいな発言……)。

 しぶしぶ言われたとおり首を薦に包んで河原に戻ってきた暁斎でしたが、やはり惜しいと河原に座って急いで写生を始めたところ、見物人が山を為したものの、幸い咎められることはありませんでした。

 (コンドルの書では、人気の無いところで描いたとありますが、暁斎画談ではめっちゃ人が集まって見てます。〈しかもなんか、裸足で駆けてくサザエさんを見てる級にみんなが笑ってる。幼児もガン見てる。大丈夫なのかコレ…。〉)

「暁斎画談」挿絵、(上部は幼い暁斎が水辺から生首を拾っている様子。)

暁斎画談.png

 その後、首を川に流して水葬とし、この件はおさまりました。

 子供のしたことだからと警察も不問に処したようで、人々は十才にもならない暁斎の、絵に対する熱意と豪胆とを誉めそやしたそうです。

 江戸時代には人通りに罪人の首をさらすことが普通にあったそうですが、そのせいか、今からみると、異様に死体に免疫がある人々の反応と、暁斎の「真の生首は得難い物(←…)なのに、怖いからと写生しないのは残念」という、天性の絵描きというか、もう絵描きになるよりほか無いだろうこの人と思わされる発想が印象的です。


 達人伝2、暁斎15才、自分の家に火の手が迫っても写生に没頭する

 1846年正月、小石川から上がった火の手が、暁斎の住む佃島までせまり、人々は避難と家財の運び出しに追われました。

 このとき、ある裕福な家の主人が、飼っていた鳥たちが焼け死なないようにと、急ぎ籠を開けて鳥を空に放ちましたが、混乱していたのか、一度高く飛び立った鳥たちが、火の輝きに向かって戻ってきてしまいました。

 翼の内側が火に照らされて輝く様は「花と紅葉撒き散らしたるが如く」、特に孔雀は凄絶な美麗さだったそうです。

 この哀れにして稀有な光景を目の当たりにした暁斎は、家に帰ると、既に火の手が迫り、家の人間たちが家財の運び出しに駆け回っている中、紙と筆と硯だけを持って火事場に向かい、鳥たちの飛ぶ姿と屋敷の燃える様を写していたところ、親族に見咎められ、「他人ですら荷運びを手伝ってくれているのに、独り安閑と絵を描いているとは何事か」と厳しく叱責されました。

 慌てて家に戻り、作業を手伝ったものの、その目はなお、火や煙の立つ様、火消しの人間の駆ける姿を観察し続けたそうです。

 教科書にも取り上げられた「絵仏師良秀(宇治拾遺物語)」(※5)や、「地獄変(「絵仏師良秀」を下書きとした芥川龍之介の短編小説)」を彷彿とさせるエピソードですが、先の生首事件同様、芸術家の目の「物凄さ」が伺えます。


 (※5)絵仏師良秀の家が火災に見舞われた際、火の手に包まれる家を前に笑っている良秀を見た人々は、気がふれたのだと思ったが、彼は、
苦心していた不動明王像の背後の火焔が、これでようやくうまく描けると言い放ったという話。

 芥川は、この話をもとに、権力者に地獄絵図を描くよう命じられた良秀が、地獄のあらゆる場面を再現して彼に見せることを請い、牛車の中で火に包まれているのが自分の娘だと気づいても、なお、その有様に見入り、絵を仕上げたのち命を絶つという物語を描いた。


 芸術家が火を前にしたとき、「焼け出された人がいる」とか、「混乱して火に飛び込む鳥の哀れさ」といった、一般人なら感じるであろう恐怖や同情よりも先に、「目の前に見たこともない光と色に包まれた非日常的な光景がある」ということに心を奪われてしまい、火の手が自分や家族に迫るかもしれないという危機感すら麻痺して、ただ「見て、それを描く者」として見入ってしまう。

 この若き暁斎の逸話は、どこかユーモラスな語り口ではあるものの、そうした、芸術家の、一般人には想像の及ばない、ある種の魔性と危うさが見てとれます。

 (余談ですが、こうした恐ろしい超然の観察者の眼差しは、物書きである江戸川乱歩も持っており、空襲の時、空の火を美しいと思ってしまったと語り、その光景を短編「防空壕」に記しています。)

「防空壕」収録の江戸川乱歩全集19巻『十字路』
十字路〜江戸川乱歩全集第19巻〜 (光文社文庫) -
十字路〜江戸川乱歩全集第19巻〜 (光文社文庫) -

 作品に負けず劣らず不世出の個性を持っていた暁斎。
 
 あるいはこの人物だからあれほどの作品を次々とものにしたとも言えますが、このほかにもまるで物語の登場人物のようなエピソードがいくつもあります。

 暁斎画談は、国会図書館蔵のものが著作権フリーで公開(Kindleでも閲覧可能)されており、(書体が古くて読むのが大変ですが、絵は面白いです。)ジョサイア・コンドルの「河鍋暁斎」は文庫化されているので、ご覧になってみてはいかがでしょうか。

 国会図書館デジタルコレクション『暁斎画談』外扁 巻之上
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/850342

 当ブログでも、もう少し暁斎についてご紹介させていただきますので、よろしければお立ち寄りください。

 読んでくださってありがとうございました。



posted by Palum. at 21:18| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月19日

「ゴールドマン コレクション これぞ暁斎!世界が認めたその画力」ご紹介1

 2017年2月23日〜4月16日まで、渋谷Bunkamuraミュージアムで開催中の「ゴールドマン コレクション これぞ暁斎!世界が認めたその画力」についてご紹介させていただきます。

公式HPはコチラ

http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_kyosai/
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_kyosai/about.html
(河鍋暁斎の説明ページ)
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_kyosai/introduction.html
(展示解説ページ)

・カッコいい宣伝動画

]

・ビジュアルツアー



河鍋暁斎は幕末から明治という激動の時代の中、卓越した画力で、ユーモラスな戯画、風刺画から、渾身の美人画、仏画まで縦横無尽に描き上げ、「画鬼」と呼ばれた画家です。

(奇抜な画題や確かな筆さばきにより、海外では葛飾北斎の弟子と勘違いされたこともあったそうですが、直接のつながりはありません。)

彼の絵はフランスやイギリスなどでいち早く高く評価され、その腕前に感動した、当時来日中の建築家、ジョサイア・コンダー(コンドル)が彼に弟子入りし、暁斎の臨終まで看取る深い師弟の絆を結んだことでも知られています。

(二人の関係にちなんで「画鬼・暁斎 幕末明治のスター絵師と弟子コンドル」という展覧会も2015年に三菱一号館美術館〈コンドルの設計建物を復刻させた場所〉で開かれましたが、そのときの、
「狂ってたのは、俺か、時代か?」という、非常にイカしたキャッチコピーが忘れられない。)

 幽霊、妖怪など、荒唐無稽な題材の作品も数多く描いたためか、没後は長らく日本画壇の傍流扱いを受けていた暁斎ですが、近年再評価が進んでおり、今回、イギリスの暁斎コレクター、イスラエル・ゴールドマン氏のコレクションが、日本に里帰りを果たしました。

 どんなテーマを、どんなタッチで描いても、生き生きとした線が、小気味いいほど、ぴたりぴたりと、或るべき空間に決まり、見る者の目を強く引き付ける暁斎の作品。

 踊る骸骨や、にゃんこやカエルなど、特に予備知識なく観に行っても楽しめる絵もたくさんあるそうですし(個人的にはゴールドマン氏最初のコレクションだという象とたぬきの絵が非常に可愛くて好きです)、イヤホンガイドのナビゲーションが春風亭昇太、展覧会テーマソングが和楽器バンドなど、エンタメ性の高いイベントになっているので、お出かけになってみてはいかがでしょうか。
(東京展終了後は高知、京都、石川に巡回するそうです。)

 当ブログでも、開催中にもう少し暁斎についてご紹介させていただきますのでよろしければお立ち寄りください。

 読んでくださってありがとうございました。

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2017年03月07日

英雄になった贋作師ハン・ファン・メーヘレン


 先日(2017年2月26日〈日〉)、テレビ番組「林先生が驚く初耳学」で、贋作師ファン・メーヘレンが紹介されていたので、事件をとりあつかったノン・フィクション「フェルメールになれなかった男」(フランク・ウイン作、ちくま文庫)をもとに、この人物についてご紹介させていただこうと思います。


フェルメールになれなかった男: 20世紀最大の贋作事件 (ちくま文庫) -
フェルメールになれなかった男: 20世紀最大の贋作事件 (ちくま文庫) -

 ハン・ファン・メーヘレン(ウィキペディアより。背後にあるのは、彼が贋作を証明するために描いた「フェルメール風」の作品「神殿で教えを受ける幼いキリスト」)Photographer Koos Raucamp - GaHetNa (Nationaal Archief NL)

VanMeegeren1945.jpg

 ハン・ファン・メーヘレンはオランダの贋作師、第二次世界大戦中に「真珠の耳飾りの少女」などで日本でも人気の画家フェルメールらの贋作を売りさばき、被害総額は約70億円ともいわれています。

 しかし、莫大な被害額よりも、彼と彼の贋作が戦争によりたどった数奇な運命ゆえに、この事件は長く語り継がれています。

 メーヘレンは当初画家を志していましたが、その端正な作風は「古くさい」と当時の美術業界に一蹴されてしまいました。
(このころ、ピカソらによる新しい芸術表現キュビスムが台頭しています。)

 失意の果て、やがて芽生えた復讐心。

 彼は、彼を見下した美術業界への報復を企てます。

 オランダの至宝、フェルメールの絵画の偽物をつかませることで。

 フェルメールは17世紀に活躍した、バロック時代を代表する画家ですが、確認されている限りでは、世界にわずか三十数点しか作品が残されていません。

 メーヘレンは、画家の製作期間の空白に目をつけました。

 「フェルメールが初期に描いた未発見の宗教画」という触れ込みの贋作を産み出したのです。

 フェルメール作品がもっと世に出てくることを渇望していた美術業界は、この発見に飛び付きました。

 メーヘレンの贋作の中でも最高の出来映えとされる、キリストを描いた「エマオの食事」は、最上級の賛辞と争奪戦を経て、ボイマンス美術館に納められることとなりました。 

 「エマオの食事」の画像はこちらです。



 ちなみに、この事件について、当のボイマンス美術館が丁寧な説明動画を作っています(英語字幕つき)。 
 したたかというかオランダ独特のフリーダム感を感じさせる……。



Van Meegeren's Fake Vermeers (Museum Boijmans Van Beuningen )



(https://youtu.be/NnnkuOz08GQ)


 「エマオの食事」を観ようとにつめかける人々、メーヘレンは頻繁に展示室を訪れ、観客の反応を眺めていたそうです。

 大胆にも時には、「こんなものは贋作だ」とつぶやきすらして。

 その顔には、喜びと嘲りの入り交じった笑みが浮かんでいたのでしょうか。

 こうして、「画家にして、時折裕福な知人の所有する古い絵画(実は彼自身の贋作)を売る画商」という立場を手に入れたメーヘレン。

彼の贋フェルメールは、当時オランダを占領していたナチス軍の目にも止まり、ヒトラーの後継者とも目されていたヘルマン・ゲーリング元帥の一大絵画コレクションに加わりました。


 ヘルマン・ゲーリング(ウィキペディアより)Bundesarchiv, Bild 102-13805 / CC-BY-SA 3.0
Bundesarchiv_Bild_102-13805,_Hermann_Göring.jpg

 得た富で、豪華にして自堕落な生活を送っていたメーヘレンでしたが、司法の手は思わぬ方向から彼に伸びてきました。

 終戦後、オーストリアの岩塩坑から、ゲーリングの隠し財産として集められていた絵画が発見されたことをきっかけに、突然逮捕されたメーヘレン。

「『エマオの食事』に匹敵する国宝級のフェルメール作品」を、戦時中にゲーリング元帥に売却した、という容疑をかけられたのです。

 「国家反逆罪」。

 突きつけられた罪状を前に、獄中のメーヘレンは苦悩しました。

 このままでは死刑に処される可能性がある。
 (殺人を犯したわけでもないのに厳しすぎるようですが、戦時下の怨念に加え、終戦時の飢餓で、「チューリップの球根すら食べた」という、当時の国民の、ナチス軍協力者への怒りは非常に激しいものでした。)

 しかし、自分が贋作者であることを告白すれば、今まで売りさばいてきた全ての作品の名誉は失われる。

 常用するアルコールや薬物から切り離された禁断症状の中で、悩み抜き、結局、メーヘレンは、我が身が生き延びる道を選びました。

  ナチスにフェルメールなど売っていない。
  フェルメールなど、なかった。
  あれは、私が、ファン・メーヘレンが描いたのだ。

 衝撃の告白は、しかしにわかには捜査担当者から受け入れられませんでした。
ゲーリングの絵は、名門、ボイマンス美術館にかかる「エマオの食事」らにそっくりだったからです。

 メーヘレンは、それらの絵も自分が描いたと証言しました。

 矢継ぎ早な告白には、冷静な計算が秘められていました。

 ゲーリングはフェルメールの絵を手にいれるため、それまでオランダ国内で入手したその他の絵画約200点を売却、結果として、メーヘレンの贋作1枚が、真作絵画たちの国外流出を防ぎました。

 メーヘレンは、「エマオの食事」らの、フェルメール作品としての末長き栄光と引き換えに、「ナチスからオランダの絵画たちを救った英雄」という新たな名誉を選んだのです。

 それでも、メーヘレンの言葉を信じられずにいた捜査関係者たちに、メーヘレンは贋作を再現してみせることを提案しました。

 メーヘレンの要求に応じて揃えられた、フェルメールの時代に使われていた画材、数百年の経年を装うために絵の具に混ぜこむ薬物、そして、特別に許可された、気分を鎮めるためのモルヒネ。

記録のためのカメラと、監視人たちの前で、「フェルメール風の新作」として、メーヘレンの筆から「神殿で教えを受ける幼いキリスト」の中性的な姿が浮かび上がってきたとき、ついに人々は、メーヘレンの言葉を受け入れました。

 当時の記事によれば、自身最高のコレクションと信じていたフェルメールが贋作であったことを、ニュルンベルグの獄中で知らされたゲーリングは、「世界に悪事があることをまるではじめて知った、という様子だった」そうです。



 美術史史上の大スキャンダルは、しかし、「ゲーリングを手玉にとった男」というフレーズにより、オランダのみならず、国際的な熱狂を巻き起こしました。

 特にアメリカのベストセラー作家で脚本家のアーヴィング・ウォレスはこの話に魅了され、メーヘレンの生涯を脚色とともにラジオやテレビで放送し、それが騒ぎに拍車をかけました。

 1947年、オランダ国民と、世界中の記者がつめかけた裁判で、メーヘレンは、贋作による金銭の詐取と、自作の絵画にフェルメールらの偽りの署名をした罪に問われました。

 しかし、売却から10年が経過していた「エマオの食事」については、すでに時効を迎えており、メーヘレン逮捕のきっかけとなった、ゲーリングへの絵画売却の件も、当のゲーリングが、死刑執行を目前に自殺したために、ほとんど追求されませんでした。

 そして、メーヘレンに欺かれた美術館をはじめとする美術業界関係者も、この事件の調査が長引くこと、ひいては自分達が騙された過程が詳細に暴かれることを望んでいませんでした。

 結局、禁固1年という極めて寛大な判決が下され、それに対するオランダ王室、ウィルヘルミナ女王からの恩赦すら検討されましたが、メーヘレンが刑にも服することも、恩赦に浴することもありませんでした。

 長年のアルコールと薬物依存に蝕まれていたメーヘレンは、判決から数週間後、心臓発作でこの世を去ったのです。
 (彼が贋作に使用していた毒性のある薬品が影響していたという説もあります。)

 58歳の若さでしたが、倒れるより以前から、その風貌はいかにも芸術家らしい魅力がありながら、既に10は老けて見えたそうです。

 もしもメーヘレンが、罪をつぐなって生きながらえていたら、一転英雄となった彼は、フェルメールではなく、ファン・メーヘレン本人の名で、画家として、その後もすぐれた作品を生み、賞賛を浴びることができたかもしれません。

 (実際、彼の「エマオの食事」は、裁判の中ですら、そして現在でも、美しい作品であると評価され、依然、ボイマンス美術館に展示されています〈※ウィキペディア情報〉。)

 また、贋作師は、その高い技術、それにだまされる美術業界にはびこる権威主義、主な被害者が並外れた富裕層であることなどから、その他の犯罪者とは一線を画すとみなされ、服役後には表舞台に戻ってこられることも珍しくありません。

 (今も、ジョン・マイアットウォルフガング・ベルトラッチなどの元贋作師たちが、その経歴と才能を武器に、画家として活躍しています。)

 新たな人生を目前に世を去ったメーヘレンでしたが、残された贋作たちは、今も彼の数奇な運命を物語ります。

 そして、「フェルメールになれなかった男」がイギリスで出版されてから約5年後の2011年、イギリスBBCの人気シリーズ「Fake or Fortune」で、新たに彼の贋作が発見されました。

 作品の調査中、イギリスの有名プレゼンター、フィオナ・ブルースからインタビューを受けたメーヘレンの甥は、いまだにメーヘレンの贋作が世間を騒がせているという事実に対して、こう答えました。

 「叔父はきっと今でもそれを楽しんでいるでしょうね。アートの権威を翻弄して楽しんでいるでしょう。私にはわかります」

 「今でもそれを見て笑っていると?」

 「その通りです。間違いなく笑っているでしょう」

 仕立ての良いスーツを着た銀髪の紳士、メーヘレンの甥は、いたずらっぽく、しかし、なんのためらいもなく、笑みを浮かべ、悠々とうなずいていました。

 メーヘレンの贋作はいまだに真作として暗躍しているかもしれない。

 しかし一方で、身内をはじめとしたオランダの人々にとって、彼はいまだに、理不尽な権力の頭に足を乗せ、燦然と君臨する英雄である。

 そのことを、甥である紳士の、誇りすら感じさせる笑みが物語っていました。



 今回主に参照させていただいた「フェルメールになれなかった男」(フランク・ウィン作)、このほかにもこの事件についてのエピソードがいくつも書かれています。これを原作に映画を作ってほしいというくらい面白かったので、是非お手にとってみてください。

 当ブログでも、近々この本で印象的だった場面を、もう少し書かせていただきますので、よろしければお立ち寄りください。

 読んでくださってありがとうございました。


(主要参照URL)
 ・ウィキペディア記事「ファン・メーヘレン」(日本語)(英語
 ・同上「フェルメール
(当ブログ関連記事)
 ・(※ネタバレ)「贋作師ベルトラッチ 〜超一級のニセモノ」あらすじと感想(NHK BS世界のドキュメンタリー)
 ・イギリスの贋作師ジョン・マイアット(NHK BS世界のドキュメンタリー 「贋作師 ベルトラッチ 〜超一級のニセモノ〜」によせて) 
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2017年02月24日

明治工芸とアールデコ邸宅の競演、「『並河靖之七宝展 明治七宝の誘惑―透明な黒の感性』」開催中

 東京白金台の東京都庭園美術館で、2016年1月19日〜4月9日まで、明治七宝作家、並河靖之の展覧会が開かれています。

 公式HP URLはコチラhttp://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/170114-0409_namikawa.html

 並河靖之(1845〜1927年)は、近代化の波が押し寄せる明治期、皇族(久邇宮朝彦親王)に仕えていましたが、新たに収入を得るために、七宝業に乗り出したという異色の経歴の持ち主です。

 当初は、技術が不十分であるとして、契約が打ち切られるという憂き目にも遭ったものの、工房に集められた優れた技術者たちとともに、緻密かつ美しい作品を生み出すことに成功し、それらの多くは主に海外へと輸出されました。

 中でも漆黒の地に花鳥など自然の美を写実的に描いた作品は、その色彩の透明感と繊細な美しさから、並河作品の真骨頂とされています。

 作品例(ウィキペディアより、※展示作品ではありません)

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ロサンゼルスカウンティ美術館所蔵


 高い美意識を感じさせるデザインと、作品の奥行きを醸す多種多様な色彩美、そして表情豊かな描線。

 七宝の釉薬を流し込むために作られた金属の枠は、丁寧に叩かれることで厚みが調整され、筆の描線の強弱のような味わいを見せています。

(七宝の制作過程例、中央列下段に釉薬を流し込む前の金属枠が見えます。)(ウィキペディアより、※展示作品ではありません)

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 (ロサンゼルスカウンティ美術館所蔵

 今回の展覧会では、ロンドンのヴィクトリアアルバートミュージアム、清水三年坂美術館、並河靖之記念館などから美しい品々が集結していますが、最大の目玉は皇室所蔵の至宝「四季花鳥図花瓶」(展示は3月7日まで)でしょう。

 宮内庁HP内画像が見られるURLはコチラ 
 bitecho[ビテチョー]展覧会紹介記事はコチラ(四季花鳥図花瓶ほかの大きくて鮮明な画像を観ることができます)
 

 「紅葉と桜を基調とした四季折々の花草や花々が、黒地の艶やかな背景地によって浮かび上がるように配されている。本作は、並河がそれまでの文様調の構成から、写実性の高い絵画調の作風へと変貌を遂げた意欲作であり、日本画の筆意を表そうと植線に肥痩をつけるなど、新しい意匠や技術に挑んだ新機軸の作品といえる。植線には金線が用いられ、微妙に異なる多数の釉薬の使い分けによって色鮮やかな風景が広がっている(中略)1900年のパリ万国博覧会に出品され、金賞を受賞した。」
(展覧会図録「並河靖之七宝」より)

 濡れたように光る艶の奥の純粋な黒、そこにのびやかに集う、現実にはあり得ない、四季の花木と小鳥たち。

 「神の夜の庭」とでも言いたいほどの、完璧かつ神秘的な気配を漂わせています。

 並河作品はどれも非常にハイレベルなのですが、彼の作品群の中では比較的大ぶりのこの作品、その描線と色彩の豊かさ、背景の黒の純粋さゆえに、特に金色の光を帯びた桜と紅葉の枝の部分がふんわりと浮きあがり、その細かな葉がさらさらと風に揺れているように見えるのです。そして、本当に静けさの中から、花びらと葉のさざめきや、小鳥たちのさえずりや羽ばたきが聞こえてくる気がする。

 以前、NHKの番組「極上美の競演」(NHK BSプレミアム、2011年5月16日放送)の中で、現代のベテラン七宝工芸家たちが、この花瓶の一部(緑の紅葉とよりそう小鳥二羽)を拡大して再現する、という試みをしていましたが、どうしても色や描線の深みが及ばないとおっしゃっていました。

 この技術は今となっては再現不可能とすら考えられているそうです。

(非常にテレビ映えする作品で、照明をあててゆっくりと回り込んで撮られた映像は、黒から葉や桜が溢れ出してくるかのようでした。)

 個人的な思い出なのですが、イギリスで明治工芸にお詳しい方(上品な紳士)と偶然お話しした際、「皇室所蔵の七宝の花瓶を観てあまりにも素晴らしいので気絶しかけた」と、わりと真顔でおっしゃっていたのですが、間違いなくこれがその「人を気絶させる花瓶」だったのだろうと思います。冗談抜きで、並河作品にはそういう人を逆上させるほどの突出した美があります。

 今回の展示で特に面白かったのは、この至宝「四季花鳥図花瓶」と彼の初期の作品「鳳凰文食籠(ほうおうもんじきろう)」とだけが展示された部屋でした。

 「泥七宝」と呼ばれる技法で作られた「鳳凰文食籠」は、描線に真面目さや品を感じさせるものの、どうもその名のマイナスイメージどおり色全体に濁りやくすみがあり、あの「神の庭」「人を気絶させる花瓶」とは、同じ人物が手がけたとは思えないほどに全てにおいて開きがあります。

 実際、初期作品の質については、陶磁器の技術指導のために来日していたドイツ人ワグネルから、「器の質が悪く雑で、色彩も鈍く、図柄も七宝に適しておらず、京都の刺繍裁縫などを模範に勉強すべきだ」とまで言われていたそうです。(ウィキペディアより)

 ボロカスでお気の毒ですが、今回の展覧会で「おそらく並河の初期作品」とされている「菊梅図花瓶」に至っては荒んだ錆があちこちに飛んでいるようで正直きたな……(自粛)。

 ところで、この「鳳凰文食籠」、彼が最初に完成させた作品として、仕えていた久邇宮朝彦親王に献上、後に思い出の品であるため、ほかの作品と取り換えていただいたといういわくがあるそうです。

 さらに今回展覧会会場となった、東京都庭園美術館は、元々久邇宮朝彦親王の第8王子、朝香宮鳩彦王が建てられた邸宅でした。

 今回の展覧会でも、父久邇宮に仕えた並河に朝香宮が下賜された、馬の描かれた煙草入れが、ひっそりと飾られていました。
(並河は元々馬術の達人で、宮家にも手ほどきをしていたそうです。)

 東京都庭園美術館は、それ自体アール・デコ様式と朝香宮ご本人の磨き抜かれた美意識の結晶ともいえる、和洋折衷の穏やかな美しさを持つ傑作芸術です。
ルネ・ラリックのガラスレリーフ扉に始まり、暖炉や壁紙、手すりにいたるまで、どこを見回しても、品とぬくもりが調和した素晴らしい邸宅。豪邸ながらなぜか人を威圧するところがまったくなく、逆にほっとさせる優しい気配があります)

 その美しい一室(大広間)に、「鳳凰文食籠」を手前、「四季花鳥図花瓶」を奥に、一直線上に展示することで(真正面に立つと、食籠から花瓶が立ち上るような配置)、久邇宮朝彦親王によってつながる並河と朝香宮家とのゆかりとともに、あの神品にいたるまでの、並河の苦闘の道のりと、その驚くべき、絢爛たる開花を表現しているのだと思います。

(なぜ、もとは馬術の名手という、工芸とは全く関係の無い経歴を持っていた並河が、スタッフに恵まれたとはいえ、遅咲きでここまでの領域に達したかということについては、いまだ謎が多いそうです。)

 名品と名室を使って、美と運命の数奇を表現した空間、これは、この東京都庭園美術館でしか見られないものです。

 「名展覧会」と呼ぶべき優れたイベントなので、是非足を運んでみてください。

 読んでくださってありがとうございました。




(参照)
・東京都庭園美術館HP
 http://www.teien-art-museum.ne.jp/
・収蔵作品詳細 宮内庁HP「四季花鳥図花瓶(しきかちょうずかびん)」
 http://www.kunaicho.go.jp/culture/sannomaru/syuzou-18.html
・これぞ最高峰! 東京都庭園美術館で見る「並河靖之七宝」の美 bitecho[ビテチョー]
http://bitecho.me/2017/01/14_1469.html
・『並河靖之七宝展 明治七宝の誘惑 透明な黒の感性』(展覧会図録)
・Wikipedia「並河靖之
・作品リストPDF(展覧会HPより)
 http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/list_namikawa.pdf

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2016年10月19日

「贋作師ベルトラッチ」再放送のお知らせ

 取り急ぎご連絡まで。
 NHKBS1、BS世界のドキュメンタリーで、10月20日17:00より「贋作師ベルトラッチ 超一級のニセモノ」が再放送されます。


(番組トレーラー映像)

https://www.youtube.com/watch?v=TS6a3XochQU

 現代アートの精巧な贋作を次々と売りさばき、被害総額45億円以上とも言われる贋作師ベルトラッチが、服役直前に自らの贋作人生と製作風景を明かした異色のドキュメンタリーです。


 数奇な実話と編集の妙により、スタイリッシュな犯罪映画のようにしあげられた作品です。


番組公式HP情報はこちらです。
 


 当ブログでも、贋作・鑑定にまつわる記事をいくつか書かせていただいていますので、よろしければ併せてご覧ください。

「贋作師 ベルトラッチ 〜超一級のニセモノ〜 (NHK BS世界のドキュメンタリー)」 番組情報ご紹介

(※ネタバレ)「贋作師ベルトラッチ 〜超一級のニセモノ」あらすじと感想(NHK BS世界のドキュメンタリー)

イギリスの贋作師ジョン・マイアット(NHK BS世界のドキュメンタリー 「贋作師 ベルトラッチ 〜超一級のニセモノ〜」によせて) 

放送熱望!イギリス絵画鑑定番組「Fake or Fortune」


(※ネタバレ)ドラえもん「王冠コレクション」

 毎日記事更新が目標だったのですが、最近諸事情でめっきり更新が滞ってしまっていました。以後は極力頻度をあげていきたいと思っていますので、よろしければまたお立ち寄りください。
posted by Palum. at 04:11| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月26日

オバマ大統領と絵画(エドワード・ホッパー、二コラ・ド・スタール、ジョルジォ・モランディ作品に注目して)


 先日、オバマ大統領の広島演説の際に、大統領と対面したお二方(坪井直さん森重昭さん)についてご紹介記事を書かせていただきましたが、今日は、オバマ大統領がホワイトハウスに飾るために選んだ絵について書かせていただきます。

 アメリカでは、新しい大統領が就任すると、国内の美術館が、ホワイトハウスに飾る絵や彫刻をレンタルするという慣習があるそうです。

 貸し出された作品の一覧は所蔵美術館名とともに公開され、美術マーケットの熱い注目を集めるとか。
(「オバマ大統領が選んだ画家」とキャッチフレーズがつけられれば、知名度がグンと上がるからですかね。)
 ・「The Guardian」掲載の貸し出し作品リスト

   https://www.theguardian.com/culture/charlottehigginsblog/2009/oct/07/art-barack-obama


 絵のほとんどはアメリカ出身、またはアメリカ国籍を取得した画家から選ばれ、また、画家の性別やルーツ、テーマが全アメリカ国民を配慮した選択であるよう心掛けられるそうです。
(男性だけとか、アメリカ人でも○○系だけ等に偏らないように注意して選ぶ。)

 「The Wall Street Journal」によると、オバマ夫妻は歴代大統領と異なり、現代アートを多く選んだことが話題になったそうです。

・出典URL

 http://www.wsj.com/articles/SB10001424052970203771904574175453455287432


 また、夫妻は、アメリカの歴史や風土がよく伝わる絵や、ルーツを感じさせるアフリカ系アメリカ人画家の絵を好まれたようです。

 ホワイトハウスのブログでは、アメリカモダンアート界の巨人、エドワード・ホッパー(都会でも郊外でも、どこか寂寥感の漂う世界観が特色)の絵が大統領執務室(Oval office)にかけられたことが話題になっていました。
(ホッパーの絵を眺めるオバマ大統領の後ろ姿という味のある写真つき。ちなみに「大統領執務室にかけられた」というステイタスは時に絵の価値を3倍にアップさせることもあったとか。〈前出The Wall Street Journalより〉)

 https://www.whitehouse.gov/blog/2014/02/10/new-additions-oval-office

 ホッパーの作品群を見られる「Wikiart」ページはこちらです
  http://www.wikiart.org/en/edward-hopper/mode/all-paintings

しかし、このような絵画のチョイスの中、二人だけ、アメリカとほとんどゆかりの無い画家の作品が選ばれました。

 一人目は、ニコラ・ド・スタール。選ばれたのは「Nice(ニース)」という作品でした。

 ・「ニューヨークタイムズ」の「Nice」紹介画像(スライドショー12枚中10枚目)

  http://www.nytimes.com/slideshow/2009/10/07/arts/design/20091007BORROW_10.html?_r=0

 二コラ・ド・スタールはロシア出身の画家で、独特の色使いで、抽象と具象のあわいのような絵を描きました。

 「ジョジョの奇妙な冒険」ファンの間では、エキセントリックな天才漫画家、岸辺露伴が、「創作のために全財産を使い果たしてもなお手元に残したのが、このスタールの画集」というエピソードにより一躍有名になりました。
(単行本「岸辺露伴は動かない」より)

岸辺露伴は動かない (ジャンプコミックス) -
岸辺露伴は動かない (ジャンプコミックス) -

 スタールの絵の魅力については、岸辺露伴が、そのとき唯一の財産である画集を開いて、担当編集に絵の説明をしていたときの台詞に尽きると思います。

岸辺露伴は動かない.png


「抽象画でありながら同時に風景画でもあって、そのぎりぎりのせめぎあいをテーマにしている。こんなに簡単な絵なのに光と奥行きがあって泣けるんだ。つまり「絵画」で心の究極に挑戦しているんだ」

 泣ける。

 なぜだかわかりませんが、確かにスタールの絵にはそのような力があります。

 独特の色遣いで厚塗りされた油絵具が、にじむようなしっとりとした質感を醸し、涙の向こうの光景のような、寂しいけれど温もりも感じられる作品です。(モノトーンで描かれた絵すらどこか温度のゆらぎがある。)

 この特異な才能と挑戦的なまなざしを持つ画家は、貧困の果てに成功をつかみましたが、1955年、「コンサート」という名の色鮮やかで伸びやかなタッチの大作を絶筆に、わずか41歳で謎の自死を遂げました。

 スタールの作品群を見られる「Wikiart」ページはこちらです

 http://www.wikiart.org/en/nicolas-de-sta-l

  ※遺作「Le concert」ほか、露伴先生が漫画の中で開いて見せている絵「Agrigente(イタリアの地名)」も観ることができます。

もう一人の外国人画家は、イタリアの抽象画の巨匠、ジョルジォ・モランディ。こちらは二枚の静物画「Still life」が選ばれました。

モランディの作風がわかる動画(The Phillips Collection紹介動画)





 実際にホワイトハウスで選ばれた静物画のひとつはこちらです。

http://www.nga.gov/content/ngaweb/Collection/art-object-page.103748.html

(なぜか貸出元のナショナル・ギャラリーではなく、国立郵便博物館のブログでどの絵か教えてくれていた……。)


 モランディはその生涯を通じイタリアからほとんど出ることがなく、独身を通し、母と妹たちと暮らしながら、主に静物画を描き続けた画家でした。

 「ひとり静かに仕事をさせてくれ」が口癖で、第二次大戦時、国内にファシズムの嵐が吹き荒れる中でも、ただひたすらに己の作風を貫き通した人です。

 アトリエに意図的に埃を積もらせ、彼の所蔵する静物の配置とともにその埃を描くことで、色のくすみや光のゆらぎを描いたという画家の作品は、寄り添うように卓上に集うボトルや箱の姿と空間の中に、物、埃、光、影、すべてを等しく見据える静まり返った心とまなざしを感じさせます。
 
 モランディの作品群が見られる、Wikiartページはこちらです。

http://www.wikiart.org/en/giorgio-morandi

 ホッパー、スタール、モランディ。

 どの絵にも共通するのは、ある対象を見つめる、静かで孤独な心が感じられるということです。
 
 それは、味方がいないという意味ではなく、ただ、他の誰の考えとも関わりなく、独り物思うような心境。
 
 こうした絵を居住エリアや執務室で眺めるために選んだオバマ大統領という方は、アメリカ大統領という、ある意味世界でも屈指の重圧と権謀術策の中に生きなければならない立場の中で、できうる限り、誰の賛辞にも奢らず、思惑にも振り回されずに、一人の人間として、自分の心がどう感じ、思うかということをとても大切にしているのではないでしょうか。

 広島演説の際に、オバマ大統領と言葉を交わした坪井直さんの「真面目な人で、人を思う心が強いのか、話をするたびにどんどん握手が強くなっていった」という印象(※)と、この静かな孤高の絵画たちは、どこか相通じているように思われます。

(※)(時事通信社記事より引用)

 オバマ大統領の政治的手腕や、アメリカの方針については、知識に乏しいため、何も意見を申し上げられないのですが、選ばれた絵の中に通底する気配から、あの方の美意識とともに、何か人としての信念を感じたような気がしたので、ご紹介させていただきました。

 読んでくださってありがとうございました。

 

(参照)
・Smithsonian’s National Postal Museum Blog(02/15/2010 Mark Haimann )
「Philatelic Musings on Art: The Obama's Art Selections on Stamps」
http://postalmuseumblog.si.edu/2010/02/philatelic-musings-on-art-the-obamas-art-selections-on-stamps.html


・The Wall Street Jornal
「Changing the Art on the White House Walls」
By AMY CHOZICK and KELLY CROW
Updated May 22, 2009 12:01 a.m. ET
http://www.wsj.com/articles/SB10001424052970203771904574175453455287432 

・The New York Times
「Whitehouse Art」
http://www.nytimes.com/slideshow/2009/10/07/arts/design/20091007BORROW_10.html?_r=0

・The Whitehouse Blog
「New Additions to the Oval Office」
https://www.whitehouse.gov/blog/2014/02/10/new-additions-oval-office

・時事通信社「Jiji.com」「核廃絶「決意感じた」=被爆者ら高い評価−オバマ氏広島訪問」 http://www.jiji.com/jc/article?k=2016052700939&g=soc

(※)一部モランディの情報については、NHK「日曜美術館」の特集「埃(ほこり)まで描いた男〜不思議な画家・モランディ〜」を参照させていただきました。
http://www4.nhk.or.jp/nichibi/x/2016-05-15/31/2185/1902680/


 
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2016年09月22日

「驚きの明治工藝」(おすすめ展示作品4 宮川香山「色絵金彩鴛鴦置物」「「菖蒲文花瓶」)

 先日概要をご紹介させていただいた上野の東京芸術大学大学美術館で開催中の「驚きの明治工芸」について、引き続き個人的におススメだった展示品について書かせていただきます。

 展覧会公式HPは以下のとおりです。
 http://www.asahi.com/event/odorokimeiji/

 初代・宮川香山(こうざん)「色絵金彩鴛鴦置物」(白磁 幅18cm 高さ11.3cm)

宮川香山 縮小版.png

 穏やかな目をしたつがいのオシドリが向かい合って寄り添う、愛らしい作品です。
 シンプルな姿のようですが、よく見ると、金で羽毛の流れが一筋一筋微細に書き込まれており、このふっくらとした質感をつくりあげています。

 宮川香山は京都の楽焼の家に生まれ、幼いころから焼き物に親しんでいましたが、のちに、輸出用陶磁器を製作するために、横浜に窯を開き、「眞葛焼(まくずやき)」を生み出しました。

 眞葛焼の特色として「金襴手(きんらんで)」と呼ばれる、彩色した陶磁器に金彩を加えた技法と、「高浮彫(たかうきぼり)」という、陶器からはみ出すように立体的な彫刻的表現があります。

 高浮彫の作例は「田邊哲人コレクション」HPで観ることができます。「渡蟹水盤」は圧巻。
 http://www.tanabetetsuhito-collection.jp/makuzu_select01.html#img_top 

 強烈な印象を残す「高浮彫」の作品は、1876年開催のフィラデルフィア万国博覧会で評判を集めましたが、一方でこのあまりにも緻密な作品は時間がかかり、焼いた際の縮みで失敗する可能性もあるという問題があったため、新たな技法として、中国清朝陶磁などに見られる「釉下彩(ゆうかさい)」技法(※下地に着彩し、上から透明な釉薬をかけて焼き上げたもの)を採り入れ、作風の幅を大きく広げ、清澄で淡く優しい色合いの作品でも高い評価を得ました。

 展覧会出品作品の中の釉下彩作品「菖蒲文花瓶」(青磁)

宮川香山 菖蒲文花瓶.jpg

 鴛鴦は、ビックリする感じの典型的高浮彫の真葛焼とは異なり、ややデフォルメしたような穏やかな曲線で作られています。
しかし、羽毛の描き方には卓越した集中力と技量が感じられ、だまし絵のようなくっきりと立体的な技巧と、釉下彩にみられるような穏やかな作風とのちょうど中間に位置するような作品です。

 当記事で参照させていただいたネット情報は以下のとおりです。

 宮川香山真葛ミュージアムHP
  http://kozan-makuzu.com/

 ウィキペディア記事
 https://ja.wikipedia.org/wiki/宮川香山

 没後百年「宮川香山」(サントリー美術館)HP
 http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2016_1/index.html

 各地美術館、博物館、展覧会を紹介してくださっているHP「インターネットミュージアム」で記事とともに「驚きの明治工芸展」動画を公開してくださっていました。肉眼では細部の鑑賞が難しいほどの緻密な作品も数多くあるので、こちらでご覧になってみてください。

 インターネットミュージアム取材レポート「驚きの明治工芸展」( 取材・撮影・文:古川幹夫氏)
http://www.museum.or.jp/modules/topics/?action=view&id=863

(会場全体と陶磁器)

https://www.youtube.com/watch?v=ezWCq3mMgJw

(主に自在作品)


https://www.youtube.com/watch?v=1mT5K2D03-E

(壁掛、天鵞絨〈ビロード〉友禅)


https://www.youtube.com/watch?v=Qc5DF4z99Z0

(根付と木工)


https://www.youtube.com/watch?v=ZMIaeh0GxPA

 当ブログのこの展覧会関連ブログ記事は以下のとおりです。よろしければ併せてご覧ください。
  「驚きの明治工芸」(台湾の宋培安コレクション 東京芸術大学で開催中)

  「驚きの明治工芸」(おすすめ展示作品1 加納夏雄 「梅竹文酒燗器」)
  「驚きの明治工藝」(おすすめ展示作品2 海野勝a 「背負籠香炉」海野a乗「犬図薬缶」)
  「驚きの明治工芸」(おすすめ展示作品3 虎爪「蒔絵螺鈿芝山花瓶」、易信「蒔絵螺鈿芝山硯屏」)
 「驚きの明治工藝」(おすすめ展示作品3 宮川香山「色絵金彩鴛鴦置物」「「菖蒲文花瓶」)

 読んでくださってありがとうございました。
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2016年09月21日

「驚きの明治工芸」(おすすめ展示作品3 虎爪「蒔絵螺鈿芝山花瓶」、易信「蒔絵螺鈿芝山硯屏」)

 先日概要をご紹介させていただいた上野の東京芸術大学大学美術館で開催中の「驚きの明治工芸」について、展示作品のうち、個人的におススメだったものについて書かせていただきます。

 展覧会公式HPは以下のとおりです。
 http://www.asahi.com/event/odorokimeiji/

 今回ご紹介させていただくのは、虎爪「蒔絵螺鈿芝山花瓶」、易信「蒔絵螺鈿芝山硯屏」。

 ともに繊細にして絢爛豪華な象嵌(※)細工「芝山」の名作でした。

 (※)象嵌(ぞうがん)……象嵌、工芸技法のひとつ。
象は「かたどる」、嵌は「はめる」と言う意味がある。象嵌本来の意味は、一つの素材に異質の素材を嵌め込むと言う意味で金工象嵌、木工象嵌、陶象嵌等がある。
ウィキペディアより)


 虎爪(※)作「蒔絵螺鈿芝山花瓶」(胴径15.5p、高さ24.5cm)

(※)作者名の本当の読みがわからないのですが、一応これで「こそう」と読めるそうです。

蒔絵螺鈿芝山花瓶.png

 抑えた金色の地の花瓶に紫陽花、牡丹、菊、藤、百合、柘榴などの花や果実が活けられた姿。

 本物の花瓶の中に、鳳凰の舞う豪奢な花瓶の模様という図案の遊びも利いています。

蒔絵螺鈿芝山花瓶部分.png
 
 鳳凰の花瓶は細工のほどこされた台に乗り、そのそばにはぽってりとした茶器らしき急須。
(ちなみに本体花瓶土台は、まるっこい銀の獅子が「んあー」ってしてる顔で、上の花々の繊細な美貌とギャップ萌え)

 開いたザクロの実の粒のひとつひとつ、藤や紫陽花の小さな花びらなどが、象嵌の立体で、風に揺れて光りながら零れ落ちんばかりに緻密に描かれている。

 圧巻の技巧が、これみよがしでなくやわらかな動きを感じさせる作品です。

 私の写真では暗くてわかりにくいのですが、「驚きの明治工芸」の公式HP「みんなで作る工芸図鑑」欄に来館者の方々のツイッターがアップされていて、皆さん撮影のより鮮明な写真を観ることができます。

 以下、「芝山」について、「Google Arts&Culture 芝山象嵌」を参照しながら書かせていただきます。
出典URL:
https://www.google.com/culturalinstitute/beta/exhibit/芝山象嵌/lAIisfPbYrziIg?hl=ja
(非常に詳しくて目の保養なページです。立命館アートリサーチセンター情報提供)


「Google Arts & Culture 芝山象嵌」(制作過程と作品紹介動画)



https://www.youtube.com/watch?v=iVpUqYYowCo

 「芝山」とは、「芝山象嵌(ぞうがん)」と呼ばれる、貝(蝶貝、夜光貝、あわびなど)、サンゴ、べっ甲、象牙などで作ったモチーフを表面にはめこんで作る明治工芸のことです。

 「芝山」の名はもともと現在の千葉県の地名でした。

 江戸時代、安永年間(1772〜1881)の頃にこの地に生まれた大野木専蔵が創案した象嵌技法を、この地にちなんで「芝山」と名付け、自身の姓も「芝山」と変えたことから、この呼び方が広く使われるようになりました。

 芝山の特色は、はめこんだ模様が立体的に浮き出ていることで、この細工のみを「芝山」と呼ぶこともあります。
 
 その繊細な美は、当初裕福な武家や商人の調度品として好まれ、「大名物」と呼ばれましたが、明治に入ってからは、欧米への土産物として人気を集めました。

 特にパリ万国博覧会(1867)で日本の工芸品の超絶技巧が絶賛されるようになってからは、「東洋のモザイク」と呼ばれ、輸出品として海外向けの品が作られるようになりました。
 
 創始者「芝山専蔵」の名は代々受け継がれてきましたが、弟子たちも技術とともに「芝山」姓を受け継ぐことになり、「シバヤマ」の名はその象嵌の技法として海外にも知られるようになりました。

 (以前、明治工芸に詳しいイギリスの方と偶然お話しする機会があったのですが、綺麗な陳列品を指さして「シバヤマ」「シバヤマ」と何度も言われ、「え?シブヤマ(違った)?誰?」と思ったのでよく覚えています。ていうかその方に教えていただいてはじめて「芝山象嵌」の存在を知った。〈日本通外国人と通ジャナイ日本人あるある〉)

 ロンドンの、「ヴィクトリア&アルバート美術館」所蔵の「芝山」一覧はこちらです(展示されていない物も含む)。
http://m.vam.ac.uk/collections/search/?offset=0&limit=10&q=shibayama&commit=Search&quality=2

 非常に美しかった「Yasumasa」作の衝立にとまる鷹を描いた硯屏(けんびょう※〈英語ではシンプルに「Screen(衝立・屏風)」と呼ばれています。〉)
http://m.vam.ac.uk/collections/item/O232966/screen-yasumasa/
拡大画像
http://m.vam.ac.uk/collections/cis/enlarge/id/2006BE7281

 この写真だとちょっと明るいのですが、金色が闇をはらんだように底光りし、桃色の花散る中、柔らかい色の、少し優しい雰囲気の鷹が羽を広げ、珊瑚製と思われる紐が繊細な結び目を垂らしている、神秘的な作品でした。竹を模した象牙の彫も素晴らしかった。

 ※硯屏……硯(すずり)のそばに立てて、ちりやほこりなどを防ぐ小さな衝立(ついたて)。(コトバンクより)


 芝田易信(やすのぶ)作「蒔絵螺鈿芝山硯屏(けんびょう)」(幅13p 高さ30p)

蒔絵螺鈿柴山硯屏風2.jpg

 象牙製の枠組みの中に、上部は見開きで咲き誇る木蓮の大木と牡丹。その上で尾羽を豪奢に垂らす孔雀。

 左側の牡丹の足元には雄の孔雀の妻なのか、雌の孔雀がたたずんでいます。

蒔絵螺鈿柴山硯屏風部分2.png

蒔絵螺鈿柴山硯屏風部分3.png
 華やかな情景の中に、舞う白い蝶や大木の下に咲く菫など、つつましくで可憐なモチーフも描かれた、奥行きのあるデザインです。
 咲き初めの木蓮の、光を透かして輝く小さなつぼみとそれを支える細い枝が、ほろほろとした動きを感じさせます。

 下部では蒔絵の中に二匹の鯉が金の波紋を揺らして泳いでいます。
蒔絵螺鈿柴山硯屏風部分1.png

 (なお、裏側にもカラフルな花紋を散らした蒔絵があったのですが、暗くて撮れませんでした……)

 おそらく、この展覧会女性ウケという点では最も人気を集めそうな品。

 この豪華さと雅を感じさせるデザイン、奥行きのあるやわらかな透明感は、かつて美しさで騒然となった、大和和紀先生版源氏物語「あさきゆめみし」のイラストを思い出させました。

源氏物語 あさきゆめみし 完全版(1) (Kissコミックス) -
源氏物語 あさきゆめみし 完全版(1) (Kissコミックス) -

 どちらの写真も暗くて申し訳ないのですが、実物は金地があたたかく光る中に、かわいらしい色彩が緻密に華やかに舞う絶品です。

 是非お出かけになってその美をご覧になってみてください。

 当ブログのこの展覧会関連ブログ記事は以下のとおりです。よろしければ併せて御覧ください。
 「驚きの明治工芸」(台湾の宋培安コレクション 東京芸術大学で開催中)

 「驚きの明治工芸」(おすすめ展示作品1 加納夏雄 「梅竹文酒燗器」)
 「驚きの明治工藝」(おすすめ展示作品2 海野勝a 「背負籠香炉」海野a乗「犬図薬缶」)
 「驚きの明治工芸」(おすすめ展示作品3 虎爪「蒔絵螺鈿芝山花瓶」、易信「蒔絵螺鈿芝山硯屏」)

 読んでくださってありがとうございました。
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2016年09月18日

(※ネタバレ)「贋作師ベルトラッチ 〜超一級のニセモノ」あらすじと感想(NHK BS世界のドキュメンタリー)


2016年9月15日にBS世界のドキュメンタリーで「贋作師ベルトラッチ 〜超一級のニセモノ」が放送され、当ブログご紹介記事にもアクセスをいただきました。

(番組公式HP  url:http://www6.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/?pid=160915

 現代アートの贋作を2000点、約40年間描き続け、被害総額は45億円に上るという、贋作師ウォルフガング・ベルトラッチ(Wolfgang Beltracchi)。

 2011年にささいなミスから贋作が判明し、刑務所に入る直前の彼を取材した異色のドキュメンタリーでした。
 現在はNHKオンデマンドで、配信中です。
http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2016072496SC000/?capid=nte001

(今のところ再放送予定が無いようなのですが、いずれまた放送されるのでは?と個人的には思っています。)

 ドキュメンタリートレイラー




 作品は50分中45分、彼の絵の腕前と騙しの手口について語られ、話題としては興味深いと思いつつ、いつも脳のどこがムズムズする感じ。

 でも最後の5分で急に雰囲気が変わり、ベルトラッチ氏自身と作品の両方の、隠されていた奥行が現れます。

 この5分を観るために、45分の脳のムズムズを我慢する価値がありました。

 実在の人物の話ですが、本人と編集の妙で、よくできたフィクションのようにきっちりと、観るものをうならせる余韻が待ち構えている作品でした。

 以下、番組の流れと観ていたときの感想です。(ネタバレなのでご注意ください)

 冒頭、贋作を制作する彼と交錯して、次々とインタビューに答える、美術市場の人々。
 彼に煮え湯を飲まされ、量刑の軽さ(※)に不満を抱くオークションハウス経営者。
 (※)懲役6年が言い渡されたが、約3年で出所
 彼は新しいものを産み出していないと指摘するアートディーラー。
  同じくもっと重い処罰を望む、彼の贋作を買ってしまった美術コレクター。
 わかっているだけでも数百万ユーロの利益を得たという彼の強欲に苦笑するギャラリー経営者。(それでも才能と感性は本物、と付け加えて。)
 彼はたった一人で美術界の第一人者を出し抜いた、凄腕のカウボーイのようだと語る美術評論家。

 妻や娘と談笑しながら贋作を仕上げていくベルトラッチ。

 フランスののみの市で古い絵を物色していたベルトラッチは、気に入った物を入手し、妻と手をつないで家に帰る。

 アトリエに戻ってきたベルトラッチ。
 必要だったのは絵ではなく時代を経たキャンバス。
 手際よくカメラマンに贋作用キャンバスの作り方を説明する彼だが、実は三日後には刑務所に入ることが決まっている。

 出所後にはドイツのアトリエで仕事を続けるつもり、彼はそう語る。

 彼の友人たちは、彼の正体には驚いたが、彼の才能は尊敬する、と、ともに食卓を囲みながら語りかける。
 笑顔でそれを聞くベルトラッチ夫妻。

 アトリエに訪ねてきた美術史家に、ベルトラッチは語る。
 独学で絵を学び、いつのまにやら贋作の世界に足を踏み入れていた。
 私に描けない絵は無い。亡き巨匠の頭の中に入って描き、本当の画家よりもすぐれた絵を描く。私の絵を本物だと喜ぶ人たちは正しい。美しい絵であることに変わりはないのだから。

 別の美術史家は贋作が発生する構造を指摘する。

 絵が市場にでるとき、売り主は無論、ほかの誰も、それを贋作だと思いたがらないことが問題だ。
 鑑定士は真贋鑑定で巨額の手数料を得、オークション会社は巨匠の絵の取引で利益を得る。買い手は巨匠の絵が市場に出てきたことを喜ぶ……。

 古い絵を塗りつぶして、画集を調べながらベルトラッチは贋作のターゲットを決める。

 本物の絵を模写することはしない。製作期間に空白があるところを見つけ、それを埋める巨匠の作風の絵を描き、未発見の作品として売りに出すのが彼の手口だ。

 そうして有名美術館に並んだ自分の作品がいくつもある。それが自分の作品だと名乗れないのがくやしくもある。そう言いながら、ベルトラッチは贋作の実演を続ける。

 妻ヘレーネは語る。
 彼の仕事については、自分が何かを言って変えられるものでは無いとわかっていた。それに贋作作りは、こう言っていいのかはわからないけれど彼の天職であり、自分はそれに魅了された、と。

 絵具を乾かしたキャンバスに、時代をつけるために埃をまぶし、裏からアイロンをかける作業をするベルトラッチ。
 時には絵の来歴の証拠として、絵を掛けた部屋を準備し、妻をモデルに白黒写真を撮ったこともある。

「あえて言うなら、絵は1万ユーロで売るより、50万ユーロで売ったほうが贋作と疑われない」
(ベルトラッチ)
「需要があるものは作られるべきです。美術商が贋作を期待しているというわけではないけれど、売れるものが見つかれば彼らはとても喜びます」
(ヘレーネ)

 彼らの詐欺行為のうち、後に最も大きな問題になったのは、現代アートの殿堂、ポンビドゥー・センターの元館長、シュピース氏を騙したことだった。

 わざわざシュピース夫妻を呼び出し、自身の贋作をマックス・エルンストの真作だと鑑定させたベルトラッチ。

 シュピース氏が、この鑑定の際に受け取った巨額の鑑定料を租税回避地の口座に入れていたことにより問題は複雑化。捜査時にこの情報のことをシュピース氏が話さなかったために、真相の解明が遅れ、贋作のいくつかが再び市場に出回るという事態に陥った。

 マックス・エルンストの贋作制作を実演しながらベルトラッチは語る。
「エルンストを天才とは思わない。それにエルンストのオリジナルより、私の贋作のほうが美しい。なぜなら、私は彼の作品に加えているから」

 尊大にも見えるベルトラッチ。
 しかし、カンペンドンクの大作を描いたときに、彼の贋作に綻びが生じた。
 その時代には存在しない絵具二色を使うというミス。これが彼の逮捕の決め手となった。

 「カンペンドンクの絵の中には迫りくる戦争の悲劇の予感と、それでも絵を描こうとする勇気がありました。その見地からすると、ベルトラッチの作品の背後には何もありませんでした」(ギャラリー経営者)

(ベルトラッチ本人は画家の霊を感じながら描いていると言っているので、これについては一言言いたいでしょうね……。そして絵にこめられた感情こそ絵の価値というのは全くそのとおりでしょうが、これは鑑定の際に証明しにくい……。)

 ベルトラッチの不動産は賠償のために差し押さえられることになった。

 屋敷の窓から庭を眺め、ベルトラッチは語る。

 「この生活がいつか破たんするとは感じていました。もうこんなことはやめようと。でも、ふと思ったんです。あと2作、あと2作だけ描いて、1000万ユーロを儲けてから終わらせるのも悪くはないんじゃないかって。ヴェネツィアに豪邸を買いたいと思ったんです。……そうこうするうちに、豪邸が独房に変わったんです。」

 序盤にも登場した美術史家が、ベルトラッチ作のエルンスト、そしてすぐそばの彼本人の大作を見ている。(※)

(※)二人とも同じ服なので、序盤のやりとりと同じ日に交わされた会話なのではと思われます。

 「みんなあなたの描くベルトラッチ・エルンストを観たがっていますよ。あなたが描いたエルンストは需要が高いでしょうね、またあなた自身の名前でどんな絵を売り出すかも問題です。オリジナルの絵より、贋作のほうが好まれることもあり得ます」
 ベルトラッチは特に気を悪くした風でもなくうなずく。
 「わたしも、そんな気がしています」
 目の前に強烈だが緻密な彼本人の絵がある。
 「情熱を注いだ絵なのに?」
 「情熱なんて注いでいませんよ。単純に楽しんで描きました。情熱は家族に注ぎます。私は現実主義者なんです」
 「芸術から距離を置いているということですか?」
 「市場から距離を置いているんです」
 市場の闇や落とし穴を知り抜いて、そこを40年泳ぎ渡ったベルトラッチは、そう言い放った。

 ベルトラッチは、自身のエルンスト風の絵に、サインを入れた。
 「ベルトラッチ」と。
 「サインしたからといって、贋作を防げるとは限らないし、偽造されるかどうかは私にはどうでもいいことです。ベルトラッチの絵は偽造してはいけないとでも?誰だって描けばいいんです。この私が、そんなことを気に
するわけないでしょう。」

 屋外で作業をするベルトラッチ。
 台車いっぱいの塗料が吹き上げられ、彼の姿が青い煙に包まれる……。

(完)


 ベルトラッチが、あと2作だけ描いて足を洗おうと思っていたと語るところから、青い煙に消えていくところまでが最後の見ごたえある5分です。

 それまでの45分間、妻に愛され、美しい子供たちがいて、贋作師と知りながら彼を尊敬すると言う友人たちに囲まれ、鼻歌交じりのようにサラサラと贋作を仕上げていく姿を見、妻の「需要があるものは作られるべきです。売るものがあれば彼らは喜びます」とか、ベルトラッチ本人の「オリジナルより足している分自分の絵のほうが美しい」を聞いている間は、「凄いけど、わかるような気もするけど、なんか脳がムズムズする……」という印象がぬぐえませんでした。

 いくらなんでも人を騙して(真作よりもっとうまいんだから良いでしょというのが言い分でしょうが、贋作と知った時点で相手を怒らせしまっている)、こんなに明るく充実した勝ち組ライフを満喫していいもんかという疑問が頭のどこかにあったのでしょう。

 ですが、最後の5分間、エルンストの真贋同様、自分の真作の評価を意に介さず、自分がさんざん裏をかいてきた市場を信じず、「これは楽しんで描いたもの。情熱は家族に注ぎます」と言い切る彼には、一般的とは言えないものの、確固たる、そしてどこか魅力もある、彼独自の流儀があったのだと気づかされます。

 彼の存在を煙に巻くようなラストシーンも、この取材内容を「作品」に仕上げていて粋な演出だと思いました。

 ムズムズを我慢して最後まで観て良かった。どんでん返しが効いていて、スタイリッシュな犯罪映画のような後味でした。

 以上、あらすじと感想でした。

 もし再放送情報を入手できたら、当ブログにてお知らせいたします。
 
 読んでくださってありがとうございました。

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2016年09月14日

イギリスの贋作師ジョン・マイアット(NHK BS世界のドキュメンタリー 「贋作師 ベルトラッチ 〜超一級のニセモノ〜」によせて) 


先日、NHK BS世界のドキュメンタリーの「贋作師ベルトラッチ 〜超一級のニセモノ」(2014年 ドイツ 原題:BELTRACCHI - THE ART OF FORGERY)2016年9月15日(木〈水曜深夜〉)午前0時00分〜0時50分放送。)という番組にちなみ、ベルトラッチ氏の周辺情報をご紹介させていただきました。

 前回ベルトラッチ氏関連の記事はコチラです。

今回は、さらに、イギリスの有名な贋作師ジョン・マイアット(John Myatt)氏について書かせていただきます。

 彼がインタビューを受けている動画はこちらです。(BOSSコーヒーのトミー・リー・ジョーンズと蟹江敬三さんを足して2で割ったみたいな風貌。この中で彼が描いているモネ風の絵は非常に丁寧で見事です。)



https://www.youtube.com/watch?v=tbfx6wbznzE

こちらがオルセー美術館所蔵のモネ作 国会議事堂(ウィキペディア Pimbrils

モネ 国会議事堂.jpg

 かつて20世紀最大とも言われた大規模な贋作事件に関わり、今はその贋作のノウハウと高い技術を、ベルトラッチ氏同様ドキュメンタリー等で堂々と披露しています。

 贋作師としての腕前のみならず、その数奇な経歴、そしてそれを経た後の彼自身の独特の個性が、一目見て印象に残る人物です。

 (彼についてはかつてNHKでも「贋作の迷宮」というハイビジョン特集で紹介していたそうです。)

 ジョン・マイアットは、1945年生まれ、もともとは美術教師だったのですが、幼い子供二人を残して家を出てしまった妻の代わりに育児をするため、退職を余儀なくされました。

 生計を立てるため、「本物の贋作(Genuine Fakes)を数万円で描く」という複製画作成の広告を出したところ、ジョン・ドリュー(John Drewe)という人物が顧客としてあらわれ、やがて、彼に複製画を本物と偽って売る詐欺を持ち掛けます。

 真贋鑑定の際、非常に重要になるのが、絵の来歴がわかる資料の存在なのですが、 ドリューの手口は大胆不敵、教授と身分を偽って名だたる美術館に寄付を持ち掛け、館内資料室に入りこむと、マイアット氏が描いた絵の来歴が記された偽造書類を資料室所蔵の資料に紛れ込ませ、あたかもその作品が過去から存在するかのように見せかけました。

 絵が本物として名門オークションハウスクリスティーズで高値がつくなど、計画は順調に進んでいましたが、ドリューの関係者が、彼の詐欺行為の証拠となる書類を発見、通報したことで二人は逮捕されました。

 マイアット氏には懲役1年の計が課されましたが、実際に刑務所に入っていたのは約4ヶ月、非常に恐ろしい経験ではあったものの、囚人に頼まれ鉛筆で似顔絵を描くなどしてコミュニケーションをとっていたそうです。

 元々子供を育てながら収入を手に入れるためにはじめてしまった詐欺行為でしたが、自分が逮捕されたことが子供にどう影響するかを思って心を痛めていたマイアット氏。

 しかし逮捕時思春期だった子供たちは、世界的美術館やオークションハウスをも翻弄した父の腕前を、「fabulously cool(非常にカッコイイ)」と思い、状況をあるがまま受け入れ、面会にも来てくれました。
(おそらくは父親の動機を理解していたのでしょう。実際利益はほとんど子供の養育に費やされていたそうですから)

 出所した彼は、自分の詐欺行為を反省し、二度と絵を描かないという誓いのもと、まったく異なる仕事(ガーデンセンター職員)を選びました。

 しかし、そんな彼に一本の電話がかかってきました。

 そして彼に再び絵筆をとるように勧めたのは、彼を逮捕したスコットランドヤードの刑事。

 刑事の家族の肖像をマイアット氏自身の作品として描いてほしいと5000ポンド(当時の価値で140万円相当)を支払ったその刑事は、さらに仕事上の関係者から次々と制作依頼を集め、マイアット氏を後押ししました。

 そして今、マイアット氏は有名画家たちのタッチをふまえた作品や、彼独自の作品が高値で売れる画家となり、彼の贋作師時代の経験や技術を生かしてテレビにも出演、また彼の数奇な運命はかつて彼が出した広告のフレーズと同じ「Genuine Fakes」というタイトルで映画化されました。

(出演作品の一部)
 ・「Fake or Fortune(BBC)」……オランダの贋作師メーヘレンの技術を再現する実験に協力(激面白)
 ・「Fame in the Frame(Sky Art)」……有名人の肖像を、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」やマネの「草上の昼食」等の代表作模写に紛れ込ませた絵を制作(自分が名画に入り込めるわけですから、普通にほしがる人多そうですね。)
 ・「Forgers masterclass(Sky TV)」……絵を学びたい人たちに「有名画家風」の絵を描くテクニックを、実際のモデルや風景を使いながら実技指導

 彼が制作した贋作200点のうち、押収されていない120点についてはいまだ本物として扱われているらしい。彼はそう告白していますが、司法の裁きを終え、思いもかけない刑事からの励ましや子供たちの反応を目の当たりにした彼は、いまだ眼光鋭く、笑みにどこか骨太な不敵さが漂いながらも、険のとれた、話術の巧みなチャーミングな紳士です。
(喋っているのを聞くと不思議と人を引き付けるところがある。私も「Fake or Fortune」観てすぐ、なんか味のある人だなと思いました。)

 「事実は小説より奇なり」を地で行く、不思議な人物だったので、ご紹介させていただきました。

 今回資料として使用させていただいたネット情報は以下のとおりです。


1 ウィキペディア(日本語版
 (英語版「John Myatt」)
  https://en.wikipedia.org/wiki/John_Myatt
 (英語版「John Drewe」)
  https://en.wikipedia.org/wiki/John_Drewe

2 「贋作の天才」 更生して売れっ子に 英画家 服役後、刑事の支援で再出発(「サンケイビズ」 2015年12月26日)
http://www.sankeibiz.jp/express/news/151226/exg1512260730001-n1.htm

3 英画家「日本にも贋作」 120点なお未回収
(「日本経済新聞」 2015年 10月24日)
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG24H4W_U5A021C1000000/

4 The talented John Myatt: Forger behind the 'biggest art fraud of 20th century' on his criminal past - and how he went straight
(「Independent」 2014年2月28日)
http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/art/features/the-talented-john-myatt-forger-behind-the-biggest-art-fraud-of-20th-century-on-his-criminal-past-and-9889485.html

5 Celebrity frame academy: The stars as you've never seen them before
(「Dailymail」2011年1月29日)
http://www.dailymail.co.uk/home/you/article-1351004/John-Myatt--The-art-forger-using-celebrities-models-create-world-famous-masterpieces.html


6 http://www.johnmyatt.com/index.htm (マイアット氏の個人ページ、「gallery」部で彼の作品が観られます。)

 読んでくださってありがとうございました。
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2016年09月12日

「驚きの明治工藝」(おすすめ展示作品2 海野勝a 「背負籠香炉」海野a乗「犬図薬缶」)


 先日概要をご紹介させていただいた上野の東京芸術大学大学美術館で開催中の「驚きの明治工芸」について、引き続き個人的におススメだった展示品について書かせていただきます。

 展覧会公式HPは以下のとおりです。
 http://www.asahi.com/event/odorokimeiji/

 当ブログのこの展覧会関連ブログ記事は以下のとおりです。
 「驚きの明治工芸」(台湾の宋培安コレクション 東京芸術大学で開催中)

 「驚きの明治工芸」(おすすめ展示作品1 加納夏雄 「梅竹文酒燗器」)
 「驚きの明治工藝」(おすすめ展示作品2 海野勝a 「背負籠香炉」海野a乗「犬図薬缶」)
 「驚きの明治工芸」(おすすめ展示作品3 虎爪「蒔絵螺鈿芝山花瓶」、易信「蒔絵螺鈿芝山硯屏」)
 
 今回ご紹介させていただくのは、金工師 海野勝a(うんのしょうみん 1844‐1915)の「背負籠香炉」と勝aの長男海野a乗(1873-1910)の「犬図薬缶」です。

 海野勝a「背負籠香炉」

海野勝a 縮小版.png


 背負籠の姿をした銀製の香炉は、
金、四分一(しぶいち、銀一と銅三の割合で混ぜられた合金)赤銅といった様々な金属をはめこんだ「象嵌(ぞうがん)」で形作られた籠の目や上下の緻密な文様、蔓草で緊密に彩られています。

 なお、象嵌のうち、この蔓草の部分のように立体的な技法を「高肉象嵌(たかにくぞうがん)」と呼ぶそうです。

 以下のページで象嵌についての説明を読むことができます。(清水三年坂美術館「常設展 金工」説明部より)

http://www.sannenzaka-museum.co.jp/jyosetu2.html(工程の動画ダウンロードができます)

 海野勝aは彼が師事した加納夏雄同様、片切彫りの名手でもありましたが、この象嵌技法を生かした、色彩豊かで立体的な作品でも有名です。

 図録解説によると、海野勝a(1844‐1915)は水戸の生まれ、9才のころから彫金の道に進み(みんなスタート早いな…)、明治元年ごろ、東京に移住。金工師横谷宗aに勝る職人となることを志して「勝a」を名乗り、明治23年に「蘭陵王」で高い評価を得た後に、東京芸術大学に勤務。加納夏雄に師事しながら、学生の指導にあたり、のちに帝室技芸員に選ばれました。
(参照「驚きの明治工藝」図録 美術出版社)

 図録内説明にもある海野勝aの最高傑作の一つが、皇室所蔵の「蘭陵王置物」です。

 圧倒的な美貌を隠すために恐ろしい面をつけて戦いに臨んだという北斉の陵王。

 この伝説を基にして作られた雅楽「陵王」を舞う若者の姿を、床を擦る着物の波打つ襞から、取り外しのきく面に隠された美しい青年の顔に至るまで、多彩な金属で緻密に作り上げた神品です。

 昔、バクゼンと「皇室の名宝−日本美の華−」という展覧会のニュースでこの「蘭陵王」を観て「な…なにこれ……明治すご……」と目をひんむいた記憶があり、それが明治工芸に興味をもった最初だったので、個人的には恩人のような作品でもあります。
(イギリス人で明治工芸にお詳しい方が「この展覧会を見てほとんど気絶しそうになった」と話していたことがありましたが、きっとその気絶明治ビューティーパンチにこの作品が入っていたことと思われます。)

 「蘭陵王」を含む、当時の展覧会情報ページはこちらです。

  http://www.kunaicho.go.jp/20years/touhaku/touhaku.html

これほど緻密な技巧と色数ながら、過剰と感じさせず、静けさが漂う作風。

今回展示の「背負籠香炉」にもその超絶技巧の果ての静謐を見て取ることができます。

 なお、加納夏雄同様、海野勝aのブロンズ像も芸大大学敷地内にあるそうです。意思の強そうな堂々たる歌舞伎役者のようなお顔です。
http://www.geocities.jp/douzoux/tokyo/tokyo23/geidai.htm
(日本の銅像ギャラリーHP 「東京都の銅像 (台東区・東京芸大)」部 )


海野a乗「犬図薬缶」

海野a乗 縮小版.png

 前回ご紹介した加納夏雄の「梅竹文酒燗器」と並んで、今復刻版出したら普通に売れると思う僕的グッドデザイン賞な作品です。

 小ぶりの銀製薬缶の周囲に、数匹の子犬たちが、洒脱な線で彫りつけられ、ぽってりと愛嬌のある薬缶そのもののフォルムと、その曲線の中でころころの日本犬らしき仔犬たちが豊かな表情とポーズでじゃれあったり寝転んでいる展覧会屈指の萌え萌えな逸品。

 なんか頑張って怒っているっぽい顔しているのも、もふもふのお尻も、まるっこいシルエットもほのぼのする。

海野a乗 部分.png

この世にも可愛らしい仔犬たちのデザインは、幽霊画で有名な江戸の大画家円山応挙や、その弟子長沢芦雪ら、日本画の画題としての仔犬の姿を彷彿とさせます。

円山応挙 ウィキペディア.jpg
(円山応挙 「朝顔狗子図杉戸」ウィキペディア画像 Amcaja)
拡大画像はコチラ

長沢芦雪 ウィキペディア.jpg
(長沢芦雪「紅葉狗子図」 ウィキペディア画像 nAG7BCzkfCJDXA at Google Cultural Institute)
拡大画像はコチラ

 今や世界がその愛くるしさに大注目の日本犬の仔犬時代の有無を言わせぬモフコロなフォルムとあどけない表情の悩殺っぷりを、シンプルで滑らかな線と微笑み交じりのような観察眼で描いたこの独特の仔犬の姿は、a乗の絵の師、川端玉章の作品にも受け継がれています。

 a乗の作品を彷彿とさせる、日本画の萌え萌え子犬たちがネット上で見られるページは以下のとおりです。
  ・江戸時代なのに超かわいい!キュンとくる日本画まとめ(※川端玉章の「犬と水仙」が見られます)

http://matome.naver.jp/odai/2142347493265659101
  ・コロコロ、フモフモ!!江戸時代の絵師が描いたワンコたち(9選)(Artist Database)
http://plginrt-project.com/adb/?p=24839

父勝a、芸大在学時の師加納夏雄に学んだ金工の中に、絵の知識と素養を活かした可愛らしくも卓越した力量を感じさせる作品です。
(この余白の美と強弱巧みな線は今回の展示品の中ではむしろ加納夏雄に近いものを感じます。)

 a乗は優れた師に学び、勝aの跡継ぎとして頭角を現しますが、38歳の若さで父に先立ちます。

 勝aはその死に打ちひしがれましたが、三男海野清が同じく芸大で修業を積み、後に芸大教授、人間国宝として活躍しました。


 次回は日記記事ですが、その後再度この展覧会のおススメ作品について書かせていただく予定です。よろしければお立ち寄りください。

 参照書籍:『「驚きの明治工藝」展』美術出版社 2016年
 

 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum. at 23:37| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月11日

「驚きの明治工芸」(おすすめ展示作品1 加納夏雄 「梅竹文酒燗器」)


 先日概要をご紹介させていただいた上野の東京芸術大学大学美術館で開催中の「驚きの明治工芸」について、展示作品のうち、個人的におススメだったものについて書かせていただきます。

 展覧会公式HPは以下のとおりです。
 http://www.asahi.com/event/odorokimeiji/

 今回ご紹介させていただくのは、金工師 加納夏雄(1828-1898)の「梅竹文酒燗器」(銀製)


梅竹文酒燗器 縮小版.png


 すらりとした円筒形の縦長燗器で、鏡のような銀の胴の上部に、余白を大いに生かして、それぞれ細筆を用いたかのような強弱のある線で梅と竹の姿が描かれています。

 細身でシンプルな対の酒器は、遠目にも目を引く輝きながら周囲の陰影を映しこんで空間と調和し、今復刻版を出したら確実に支持を集めるであろうと思わされます。

 平たく言うと欲しい。これ対で並べてウットリ眺めながら一杯やりたいおじさん多そう。

 スッス……と描かれた水墨画のタッチのように、迷いなく気品溢れる彫りの線。

梅竹文酒燗器 部分.png

 実際はスッスじゃなくてココココ……とタガネという細い刃のついた工具を金づちで打ちながら彫っていくのですが、加納夏雄は「片切彫り」という、この独特の筆の線のように強弱巧みな彫りを得意としました。

 片切彫りについて詳しく説明してくださっているページがあったので、引用させていただきます。

< 片切り彫り >
片切り彫りは金工で言う技法です。彫刻で言うとノミにあたる「タガネ」という刃物、道具と金槌を使い、まるで筆で描いたような線を生み出していくものです。切先が鑿のような形で、彫り線の片方を浅く、他方を深く彫り込んでいく技法です。絵画の付立画法(補:濃淡をつけて一筆で描く技法)の筆勢を鑿で表現するのに適しており、筆で言えば穂先になるところを深く、腹のところを浅く一気に彫っていきます。江戸時代中期の金工師 横谷宗a(1670ー1733) の創始と言われ、幕末から明治にかけての加納夏雄はこの技法の名手でありました。 

出典: 宮本彫刻HP「彫刻の技法」より

 加納夏雄は幕末から明治期に活躍した、京都出身の金工師で、7歳で刀剣商の加納家の養子となりました。刀の鍔や鞘に魅了されて、少年時代から独学で道具を握り始めた夏雄を見た養父母の勧めで、わずか12歳で彫金師奥村庄八に師事、さらに14歳で円山四条派の絵師・中島来章のもとで写生を学び、19歳で金工師として独立。東京神田に店を構え、小柄(こづか・短剣のこと)や鍔の制作に勤しみました。

 加納夏雄の作った鍔や小柄の鞘は、非常に限られた面積ながら余白と高い画力をいかした、構図の妙と気品の光る作品となっています。


 作品画像例1(清水三年坂美術館HP 帝室技芸員シリーズW加納夏雄と海野勝aより)
  http://www.sannenzaka-museum.co.jp/kikaku_13_2_22.html
 作品画像例2(根津美術館 コレクション 金工・武具 「牡丹に蝶図鍔」)
  http://www.nezu-muse.or.jp/jp/collection/detail.php?id=80991

 そのこまやかさと余白、筆遣いのような線が持ち味であるために、私ではなかなか写真で良さをとらえるのが難しかったのですが(下手だから単にツルんとした図に撮れてしまった……)、こちらのページでより鮮明な画像を観ることができます。(その他展示作品も画像あり)

http://www.cinra.net/news/gallery/104877/11
(カルチャーサイト「CINRANET」ニュース 日本工芸の表現と技法に迫る『驚きの明治工藝』展 自在など130点)

 夏雄は明治維新後新貨幣の原型、型の制作を手掛け(型の制作はイギリスに依頼する予定だったが、あまりの技術の高さに技師が辞退し、夏雄が手掛けることとなった)、廃刀令によって同業者が廃業に追い込まれる中でも、海外も視野に入れながら、煙草入れや花瓶、置物などを作り続けることで、成功をおさめました。

 ※こちらの記事で夏雄の貨幣についてのエピソードを詳しく紹介してくださっています。

  http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwa/101127/20101127041.html
  (大阪日日新聞 なにわ人物伝 −光彩を放つ 造幣局の人たち(3))

 後に第一回帝室技芸員(宮内庁によってえらばれた一流の作家に与えられる身分)にも選ばれた夏雄は芸大の初代教授となり、同大助教授の金工師海野勝a(うんのしょうみん)ら後進の指導にあたりました。
(参照:ウィキペディア記事


 実は東京芸術大学大学美術館の敷地内に加納夏雄の胸像があったそうなのですが、見損ねてしまいました(米村雲海作)。これから行かれる方は探してみられてはいかがでしょうか。

 先ほどの大阪日日新聞の記事の中に「夏雄の風采(ふうさい)は中肉中背、口調は京都弁で柔らかいが、起居すこぶる謹厳であった。身を持することすこぶる倹素(けんそ)」と、加納夏雄の人となりをふりかえる文章が紹介されていますが、まさしく少年時代から生涯を金工に捧げた努力と才能の人の重厚な品が感じられる風貌をしていらしたようです。(この人が作者ですと言われるととても納得の行く御顔をしていらっしゃる。)

 加納夏雄像 文化遺産オンラインより

 http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/223342

 次回は同展示のうち海野勝aの作品や、その他おすすめ作品についてご紹介させていただく予定です。

 当ブログの「驚きの明治工藝」展に関する記事は以下のとおりです。よろしければ併せてご覧ください。
 「驚きの明治工芸」(台湾の宋培安コレクション 東京芸術大学で開催中)

 「驚きの明治工芸」(おすすめ展示作品1 加納夏雄 「梅竹文酒燗器」)
「驚きの明治工藝」(おすすめ展示作品2 海野勝a 「背負籠香炉」海野a乗「犬図薬缶」)

読んでくださってありがとうございました。


posted by Palum. at 23:43| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月10日

「驚きの明治工芸」(台湾の宋培安コレクション 東京芸術大学で開催中)


狸置物 縮小版.png
(狸置物 大島如雲作 銅)

 上野の東京芸術大学大学美術館で2016年9月7日(水)〜10月30日(日)まで、台湾のコレクター宋培安氏による明治工芸コレクションが公開されています。
(その後、京都 細見美術館、埼玉 川越市美術館に巡回します。)

 今回はこの展覧会の見所をご紹介させていただきます。
 公式HPは以下のとおりです。(解説が丁寧で楽しいページです)
 http://www.asahi.com/event/odorokimeiji/

 1,「自在」の一大展示

 今回の展覧会では、「自在」と呼ばれる甲冑作製技術を基とし、非常に細かな可動性のある鉄製の工芸品の一大コレクションを観ることができます。

 入るなり、全長3メートルの竜の「自在」が宙づりになってお出迎え。
 
自在竜(縮小版).jpg
(自在龍 無銘 鉄)


 ほかにも、美味しそうな緻密なイセエビや、ヤドカリ、鷹、あらゆる角度に動かせるニョロニョロヘビなどを観ることができます。
 (いかに細かく動かせるかがわかるように、体を複雑にくねらせ、首を台にちょこんと乗せた敬意ある展示も見所。)

自在蛇(縮小版).png
(自在蛇 宗義作 鉄)

 展覧会作成のセンスあふれる明珍宗春(※)作「自在蛇(明珍宗春作)」のコマ撮り動画はコチラです。(ベロも動くんですね)


https://www.youtube.com/watch?v=JEVWHf7d890

(※)「明珍」は元々甲冑師の一派の名前だそうですが、すぐれた作品を残した明珍の名を冠した職人たちの生涯については、わかっていないことが多いそうです。

 動きの滑らかさを感じさせる細やかな細工、金属の重厚感、とても緻密に作られているけれど、意外と顔は可愛かったりするギャップ、など、別に明治工芸好きでなくてもグッとくるポイントの多い美術品です。
(オモチャとかメカ好きの人も見て楽しいと思う。)

 ちなみにミュージアムショップにものすごーくよくできている、名門海洋堂さんの高級自在フィギュアが売られていました。こういう形で技術が受け継がれているのですね。

 たしかこちらの作品だったと思います。
タケヤ式自在置物 龍 鉄錆地調 ノンスケール ABS&PVC製 塗装済み可動フィギュア KT-003 -
タケヤ式自在置物 龍 鉄錆地調 ノンスケール ABS&PVC製 塗装済み可動フィギュア KT-003 -


2、個人コレクションの醍醐味

 台湾の大コレクター宋培安さんについては、あまり詳しいことがわからなかったのですが、展覧会HP情報をまとめると、「漢方の薬剤師で、健康薬品の販売や生命科学の講座を開設し、思想家カントの研究者であり、明代清代の美術品のコレクターでもある」方だそうです。
 多彩にしてミステリアスな御方……。

 ただ明清の作品は完璧という点において世界的にも屈指のものだと思うので、同じく否の打ちどころの無い高い技術と端正な美を誇る明治美術にも興味を抱いたというのは自然な流れだと思われます。
(こういっては何ですが、当時は予算のある方からすると、すでにゆるぎない評価を得ていた明清の作品に比べ明治工芸は「レベルが高いわりにお買い得」だったそうですし。)

 こうした個人コレクションの展覧会の面白さは、センスの良い個人が、欲しいから集めた品が見られるところです。

 美術館のコレクションだと、「有名な作家のもの」「珍しいもの」「歴史的に意義のあるもの」ということが重視されるだろうけれど、個人コレクションだと「カワイー、カッコイー、スキー、家ニ飾リターイ」みたいな思いで収集されるから、さほど有名な作品でなくても見てて楽しい。
(実際、今回の展示品は、見事な出来だけれど作者が不明な「無銘」のものが数多く含まれています。)

 鬼凝った超合金的な「自在」のほかにも、「超リアルな作品」や、「肉眼で見えないほどに細かい作品」、「ユーモラスで面白い作品」、「色彩を抑えた中に浮かび上がるいぶし銀の渋い作品」といった感じで、多様なコレクションを観ることができます。

(展示品の一例)

秋草鶏図花瓶 縮小版.png
(濤川惣助作 秋草鶏図花瓶 七宝)※今話題の赤坂迎賓館の「花鳥の間」を彩る七宝額を手掛けたことでも知られる世界的七宝作家です。

三猿根付写真 縮小版.png
(三猿根付 小林盛良作 金)※全長約2.5pなのですが、細かすぎて味のある表情が撮れなかったんで拡大写真写真〈?〉のほうを使わせていただきました。

猫置物 縮小版.jpg
(猫置物〈部分〉 善拙作 木)

(渋い作品は渋すぎて僕の撮影技術ではほとんど映りませんでした。残念。「月下狸図硯箱」という、池に歩み寄る可愛くてきれいな狸と朧月という非常にセンスの良い作品がありました。)

 以下WEBページで図録が販売されています。
http://shop.asahi.com/eventplus/7.1/CTB16009

 また、ご覧のとおり、写真撮影を許可してくださっている珍しい展覧会ですので(フラッシュ不可、一部撮影禁止マークのある作品は撮影不可)、そういった意味でも面白かったです。

 当ブログの「驚きの明治工藝」展に関する記事は以下のとおりです。
 「驚きの明治工芸」(台湾の宋培安コレクション 東京芸術大学で開催中)

 「驚きの明治工芸」(おすすめ展示作品1 加納夏雄 「梅竹文酒燗器」)
「驚きの明治工藝」(おすすめ展示作品2 海野勝a 「背負籠香炉」海野a乗「犬図薬缶」)

 次回記事では、展覧会作品のうち個人的に好きだと思ったものについて、少し追記させていただきますので、よろしければまたお立ち寄りください。

 読んでくださってありがとうございました。

posted by Palum. at 23:34| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月08日

「超絶技巧!明治工芸の粋(すい)‐村田コレクション一挙公開‐」おススメ作品(七宝編2 濤川惣助作品「藤図花瓶」)

 東京日本橋の三井記念美術館で、「超絶技巧!明治工芸の粋」が開催されています。
 公式HPのURL
 http://www.mitsui-museum.jp/exhibition/
 明治時代、主に海外に向けて作られた工芸品の数々を集めた「村田コレクション」が、見られる展覧会です。

 今回も観てきた中で個人的に特に素敵だと思った作品群についてご紹介させていただきます。

 ●「藤図花瓶」
以下チラシURLページ内4ページ目、「七宝」部上から二番目の作品
 http://www.mitsui-museum.jp/pdf/pressrelease140419.pdf
 高さ約30p、縦長グレー地の花瓶に、青と白の藤の花房が垂れ下がる図案。「無線七宝」の名手、濤川惣助の作品。

 濤川惣助ウィキペディア記事URL
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BF%A4%E5%B7%9D%E6%83%A3%E5%8A%A9

 青の花房は有線七宝で細い輪郭が描かれた中に水色から群青までのグラデーション、いくつかの花は花弁の内側が黄色く、涼しい色合いの中にうっすらと明るさがさす。

 背後の白い花房は無線七宝でグレー地に溶け込む雪のような淡さ。青地の花房の後ろで幻想的な奥行きを醸している。

 ……とか書かせていただいたところで、実は私、「有線七宝」「無線七宝」と聞いたときに、昔のラジオのメーカーか何かかとすら思っておりました。(だってそもそも「『シッポウ』って何」状態だったから)

 何工程にも分かれる、根気のいる緻密な作業を申し訳ないほどにかいつまんでしまうと、地に金属の枠で図案の線を作り、その枠部にガラス質の釉薬を流し込んでから焼くというのが「七宝」の原理だそうです。

 で、この金属の枠がある状態で仕上げるのが「有線七宝」。(前回記事でもご紹介した清水三年坂の七宝解説をご参照ください。)
http://www.sannenzaka-museum.co.jp/jyosetu2.html#sipo

 そして、最後の焼成前、完全に釉薬が枠と地に定着する前の、釉薬がフルフルした状態の時に、地にめぐらした枠を引っこ抜いてしまい(こう書くとなんかお菓子作りみたいですが、おそらくはピンセットで一本一本とりのぞくものすごい集中力を要する作業)、それから焼成するのが「無線七宝」
 
 結果、地に釉薬がぼやんと少しだけにじみ、パステルと水彩のあわいのような優しい味わいを醸す作品に仕上がります。

 濤川惣助はこの「無線七宝」の開発者として、「有線七宝」の並河靖之と人気を二分し、「東京の濤川、京都の並河」と並び称されたそうです。
(ちなみに別に親戚でもなんでもないらしい。)

 彼の代表作は東京赤坂にある迎賓館「花鳥の間」の壁を飾る七宝額『七宝花鳥図三十額』
 「花鳥の間」画像URL(壁の中ほどにある丸い額が惣助の作品)
http://www8.cao.go.jp/geihinkan/img/akasaka/big/bgei09-11.html
 額の一つ「矮鶏(チャボ)」
http://www8.cao.go.jp/geihinkan/img/akasaka/big/bgei09-12.html
 
 ウィキペディア記事によると靖之もこの額を手掛ける候補にあがっていたそうですが、無線七宝の味が部屋全体の雰囲気に調和するとの理由で惣助が選ばれたそうです。 
  
 確かに、靖之の作品がその緻密さと端正さで空間を凝縮したような迫力があるのに対し、惣助の作品は無線七宝のぼやけやにじみだけでなく、地の色の優しさも含めてふんわりと周囲に広がる感じで、「その他の意匠と調和しながら部屋全体を彩る」という点では向いている気がします。

 脱線が長くなってしまいましたが、「藤図花瓶」では惣助作品の典型ともいえる優しい色合いと、有線無線二つの七宝技法の味わいの違いを見ることができます。

 しかし「青の花房や葉や蔓は有線」といっても、近くで見ないとわからないほど糸のように細い線(線といっても描いているわけじゃなくその一筋一筋が金属の枠ですからね)で、おっとりと清楚な風情の中に、どうやって作ったんだ?という驚くべき技巧が秘められたミステリアスな名品です。

 当ブログ明治工芸関連記事は以下の通りです。よろしければ併せてお読みください。

極上美の饗宴 並河靖之の七宝
極上 美の饗宴 「極上美の饗宴シリーズ“世界が驚嘆した日本”七宝 幻の赤を追う」
「超絶技巧!明治工芸の粋(すい)‐村田コレクション一挙公開‐」 展覧会概要ご紹介
「超絶技巧!明治工芸の粋(すい)‐村田コレクション一挙公開‐」おススメ作品(七宝編1 並河靖之作品)


 また回を改めて展覧会の作品や明治工芸についてご紹介させていただきます。

 読んでくださってありがとうございました。

※今回の七宝ご説明については、展覧会図録「超絶技巧!明治工芸の粋」と、NHKの極上美の饗宴「色彩めぐる小宇宙 七宝家・並河靖之」を参照させていただきました。

(靖之の最高傑作「四季花鳥図花瓶」の一部を現在の職人さんが復元を試みるところとかもっそい面白かったです。ほかの回もとっても良かったんで再放送してほしい!!)。
posted by Palum. at 01:43| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月06日

「超絶技巧!明治工芸の粋(すい)‐村田コレクション一挙公開‐」おススメ作品(七宝編1 並河靖之作品)

 東京日本橋の三井記念美術館で、「超絶技巧!明治工芸の粋」が開催されています。
 明治時代、主に海外に向けて作られた工芸品の数々を集めた「村田コレクション」が、見られる展覧会です。

 ・公式HPのURL
http://www.mitsui-museum.jp/exhibition/index.html

 ・プレスリリースPDF(チラシ)URL
http://www.mitsui-museum.jp/pdf/pressrelease140419.pdf
 ・当ブログ過去記事はコチラ


 今回から数回に分けて、観てきた中で個人的に特に素敵だと思った作品群についてご紹介させていただきます。(一応Web上で画像を見られるものについてはURLを貼らせていただきました。)

 1,桜蝶図平皿(おうちょうずひらざら)
 緑地に桜と蝶の舞う皿。(展覧会チラシ左)

 日本の七宝の美を世界に轟かせた達人、並河靖之の作品。

 彼の作品の中で最も有名なのは黒地に写実的な花鳥の図の壺ですが、この作品のような独特の緑と大胆な装飾的構図もまた彼の持ち味でした。

 生で見ると抹茶ソーダというかなんというか、ちいさな粒子の一杯浮かんだ奥深くも華やかな緑の中に、赤茶、ターコイズ、黄色、黒などこまかな配色の羽を広げた蝶々たち、そして、つぼみの先や花びらの根もとのほんのりそまった桜の花びらと、緑から黄、赤へと色を変えるやわらかな葉があでやかに配されています。
 正直もう一さじ加減間違えば変だと思ってしまうような色合わせなんですが、感性のミリ単位の着地点をあやまたず……とでもいうか、ぴたりと色も構図もおさめてあります。現代人の頭一つ上を行く大胆さに脳が刺激されて面白い。

 ちなみに、画像では見られないんですが、「すごい色彩感覚と絶妙な装飾的構図」という点では「蝶に花の丸唐草文花瓶」という作品も素敵です。

 ほっそりしたシルエットの瓶に、黒枠でふちどられて縦長に均等に配されたモスグリーン、青、モカブラウン、クリーム(いやホワイトチョコレート色かな)の地。

 その上に紋章のような丸枠を土台に花々がぽんぽんとはみだして咲き、唐草が空間をくるくる走っています。

 隣り合った色をつなぐように散らされた蝶や花のオレンジや黄色が眼に心地よいアクセントとなっている。

 令嬢が大振袖を翻したような、はっとするほど華のある作品です。女性なら「かわいい!!」と叫ぶでしょう。
 
 個人的には今回の展覧会でどちらかというとこういう並河靖之の装飾的な作品が見られたのが面白かったです。「黒地リアル花鳥」のイメージが強かったので。

 残念ながらこの「蝶に花の丸唐草文花瓶」はチラシにも三年坂美術館にも画像が無かったので(なんでだろう……コレ絶対今回の展覧会で、蝶のお皿と並んで女性人気集めますよ。飾り映えするから三年坂でもポストカードになさればいいのに)、取材許可を得て撮影をしたという方の、画像入り展覧会記事URLを貼らせていただきます。
http://tourdefrance.blog62.fc2.com/blog-entry-2340.html

 このほか、装飾的名作というと、おそらく村田さんご自慢の品であろう(よくテレビで映る〉「蝶図瓢形花瓶」も見られます。ぽてっとした瓢箪型の花瓶に大きな蝶が舞っている作品。可愛らしい形と、地の漆黒、蝶の羽の山吹色や群青などの色合いのシックさというギャップが魅力。
(並河作品に蝶が多いのは家紋が蝶だったからだとか。)

 三年坂美術館のポストカード画像URL
http://www.sannenzaka-museum.co.jp/cart/shop.cgi?order=&class=all&keyword=%95%C0%89%CD&FF=10&price_sort=&mode=p_wide&id=6&superkey=1&popup=yes

 ちなみに展覧会内、並河「リアル花鳥」作品群のなかで、個人的に一番のおススメは「鳥に秋草図対花瓶」(画像が無いので拙文でご想像ください……)

 目録解説を見ると深い茶色だそうですが、非常に黒っぽく見える、口から底までぬめるようにしっとりとした地の細身の壺に、か細いながらも強弱のついた金線銀線でふちどられたススキ、おみなえし、牡丹、桔梗、萩などが伸び、そこに瑠璃色の羽に薄黄色いお腹のルリビタキという可愛らしい小鳥が飛んでいる、二組一対の作品。

 圧巻はススキ、暗い地に金色に細く長くついと伸び、小鳥が身をよじってその茎に留まっているので、そのささやかな重みに揺れて糸のような穂先が光っている……ように見える。

 この、しんとした暗闇の中の余韻が絶品です。

 並河の黒の最高傑作、「四季花鳥図花瓶(皇室所蔵)」が持つ魅力に一脈通じると思いました。

 日本人はなぜか描かれていない「間」にコーフンする性癖があるので、(理由はわかりませんが、自分を含めて、絵でも文学でも上述の「余韻」とか「ほのめかし」に弱い人が多いと思う)この並河の暗い地の中の花鳥はいかにも日本的な美といえます。

 清水三年坂美術館のHP内に並河靖之も手掛けた「有線七宝」の工程解説と動画がありましたので、併せてご覧になってみてください。
http://www.sannenzaka-museum.co.jp/jyosetu2.html#sipo

当ブログの明治工芸に関する記事(今回の物を含む)は以下の通りです。よろしければ併せてご覧ください

極上美の饗宴 並河靖之の七宝
極上 美の饗宴 「極上美の饗宴シリーズ“世界が驚嘆した日本”七宝 幻の赤を追う」
「超絶技巧!明治工芸の粋(すい)‐村田コレクション一挙公開‐」 展覧会概要ご紹介
「超絶技巧!明治工芸の粋(すい)‐村田コレクション一挙公開‐」おススメ作品(七宝編1 並河靖之作品)

 また何回かこちらの展覧会作品ご紹介や明治工芸にまつわる話題を書かせていただきたいと思います。

 読んでくださってありがとうございました。
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2014年05月03日

「超絶技巧!明治工芸の粋(すい)‐村田コレクション一挙公開‐」 展覧会概要ご紹介

 東京日本橋の三井記念美術館で、「超絶技巧!明治工芸の粋」が開催されています。
 (公式ホームページURL……http://www.mitsui-museum.jp/exhibition/index.html
 「村田コレクション」とは電子部品で有名な村田製作所の元役員村田理如(まさゆき)氏が収集した約一万点の明治工芸コレクションのことです。

 普段は村田氏が館長を勤める京都の清水三年坂美術館にあるそれらの作品の一部(約160点)が、今回東京で見られることとなりました。
(清水三年坂美術館公式ホームページURL……http://www.sannenzaka-museum.co.jp/

 明治時代、幕末まで培ってきた高い美意識と技術が、怒涛のごとく押し寄せてきた西洋化の波とぶつかり合い、工芸のあらゆるジャンルにおいて、前代未聞の精緻な作品群が生まれました。

 主に海外への贈答品として制作されたために、名作のほとんどが日本から流出していた状況だったのですが、今その偉大さが見直されています。
 
 この展覧会では、以下のような作家たちの作品を見ることができます。

並河靖之(明治七宝の巨人、漆黒の地に花鳥を描いた端正な作品で有名)

濤川惣助(金属線を枠として色彩を流し込む七宝制作の工程の途中で、金属の枠を取り去る「無線七宝」を手掛けた。靖之と対照的に、淡い色彩の地に、やわらかな輪郭の作品が有名)

正阿弥勝義(しょうあみかつよし)、海野勝a(うんのしょうみん)、加納夏雄(かのうなつお)(日本近代金工の三羽烏と呼ばれた名手)
(※加納夏雄と海野勝aについての清水三年坂美術館の紹介ページURL http://www.sannenzaka-museum.co.jp/kikaku_13_2_22.html

安藤禄山(あんどうろくざん)(象牙で実物と見紛う野菜や果物を作り上げた謎の牙彫(げちょう)師)

高村光雲(たかむらこううん)(「老猿」で有名な木彫家、息子は「レモン哀歌」で知られる詩人で彫刻家の高村光太郎)

・錦光山(きんこうざん)、藪名山(やぶめいざん)(京都、大阪で技を競い合った薩摩焼の陶家。象牙色の地に金と多彩な色彩で、ときに肉眼では判別困難なほどに繊細な図案の作品を作り上げた。)

 このほか、漆芸、刺繍画、自在(金属部品を細かく組み合わせて作られた、繊細に動かすことのできる細工置物、甲冑制作技術を生かして作られた)などの作品が展示され、明治の手仕事の偉大さを総括して目の当たりにすることができます。

 ……なんか今回人名と漢字ばっかりの文になってしまいましたが、ひらたく言うと明治工芸、すごすぎて息ができなかったり逆に笑えてきたりします。

 かつてあるイギリスの方とお話した時、明治工芸を評して「生で見たとき気絶しそうになった」と極めて真顔でおっしゃっていましたが、僭越ながらわかる気がします……。

(ちなみにその方を気絶させかけたのは皇室所蔵の並河靖之作「黒地四季花鳥図花瓶」、闇の奥に小さな花や木々がさらさらと揺れて浮かび上がるような衝撃の逸品です。〈この作品について少しご紹介させていただいた当ブログ過去記事はコチラ〉)

物を見て「綺麗、ステキ」を超えてそういう感覚になるというのはなかなか無いことなので、美術鑑賞とかそういう堅苦しいことではなく、五感の体験としてお勧めしたいです。

 ちなみに、この三井記念美術館そのものの内装がクラシカルで、エレベーターの金属板とかに至るまでぬくもりのある感じでとても素敵です。当然日本橋そのものが素敵な町ですし。

 そんなわけなのでこの連休中にお出かけになってみてはいかがでしょうか。

 当ブログのこの展覧会、および明治工芸に関する記事は以下の通りです。よろしければ併せてご覧ください
極上美の饗宴 並河靖之の七宝
極上 美の饗宴 「極上美の饗宴シリーズ“世界が驚嘆した日本”七宝 幻の赤を追う」
「超絶技巧!明治工芸の粋(すい)‐村田コレクション一挙公開‐」 展覧会概要ご紹介(※今回記事)
「超絶技巧!明治工芸の粋(すい)‐村田コレクション一挙公開‐」おススメ作品(七宝編1 並河靖之作品)
 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum. at 23:27| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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