2018年04月12日

象のインディラと落合さん(中川志郎作『もどれ インディラ!」より ※結末部あり)

(ゾウ舎から脱走したインディラと、駆け付けた飼育員の落合さん)

上野動物園Twitter -.png

(画像出典:上野動物園公式ツイッター2017年3月13日20:11




もどれインディラ! (いちご文学館) -
もどれインディラ! (いちご文学館) -



 本日は上野動物園にいた象のインディラと飼育員の落合さんのお話を、中川志郎さんの中高生向け書籍『もどれ インディラ!』をもとに、ご紹介させていただきます。



 象のインディラが上野動物園にやってきたのは1949年。

 日本がようやく敗戦から立ち直りはじめた時のことでした。

 戦中に、空襲で檻が壊れ、象が暴れるかもしれないという理由で、都の命令に従い、三頭の象を殺処分せざるをえなかった動物園にとって、象の来日は特別な出来事でした。
 (この戦時中の悲劇は絵本『かわいそうなぞう』や、ドラえもんの「ぞうとおじさん」の原案になりました。)

 インディラはインドのネール首相から贈られた象で、日本に来る前は材木運びをしており、穏やかで賢く、インドで縁起の良い象とされる容姿の特徴を全て備えていました。 
 (『インディラとともに』川口幸男作 p.59より)



 はるばる日本まで来てくれたインディラを、落合さんは大切にし、インディラも落合さんによくなつきました。

 インディラが重度の便秘になったときは、皆でやぐらを組んでインディラに浣腸をし、結果、苦しがるインディラのお尻を必死でおさえていた落合さんが、頭から大量のフンをかぶったことがありました。

 それでも、落合さんはその姿のまま、「良かった良かった、ホントに良かった」と、インディラに笑い、インディラは鼻で落合さんを引き寄せ、お礼のように甘えていたそうです。


「「よかったなあ、インディラ……」

 鼻をだくようにして、インディラに話しかけている落合さんの顔は、たしかに真っ黒によごれているのですけれど、でも、美しい光にみちているように見えます」

 (※『もどれ インディラ!』中川志郎作 p.37)




 この出来事以来、インディラと落合さんはさらに結びつきを強めましたが、落合さんとインディラが出会ってから約18年後、落合さんが癌をわずらい、療養のために休職することになりました。

 そして落合さんが休職してから七ヶ月後、1967年の三月に、事件が起こりました。

 一緒に暮らしていた象のジャンボとインディラが喧嘩をし、ジャンボに堀に突き落とされたインディラが、鼻で手すりを掴んで壁をよじのぼり、ゾウ舎から脱走してしまったのです。

 急いで見学者を遠ざけ、インディラの足に鎖を巻いてゾウ舎に連れ戻そうとしましたが、インディラはびくともしません。

 そのうち、騒ぎを聞きつけたマスコミのヘリコプターが上空を飛び始め、その音に驚いたインディラが興奮しはじめました。

 飼育員二十三人がかりで鎖を引きますが、インディラの力はすさまじく、全員手や膝が擦り傷だらけになって鎖をつかんでも、インディラを動かすことができませんでした。

 困り果てた動物園は、自宅で療養中だった落合さんに、どうすればインディラをなだめられるか聞くために、車を走らせました。

 ところが、その知らせを聞いた落合さんは、「よし!すぐ行く!」とベッドから飛び起きました。

 体重が四十キロほどまで減り、立ち上がってもよろけるほどでしたが、むしろ、動物園の人たちをうながすようにして、車に乗り込んでしまいました。



 インディラのもとに駆けつけた落合さん。

 寝巻着姿のままで、ひどくやせて、動物園の職員たちですら、あれが落合さんだろうかと思うほどの変わりようだったそうです。

 インディラも、歩み寄ってきた落合さんに、はじめは誰だか気づけなかったようでした。

 インディラが今にも落合さんに背を向けて、走り出しそうに見えたその時、落合さんが口を開きました。

 「インディラ、俺だよ!」

 周囲も驚くような、病人とは思えない力強い声。

 そして、インディラにとっては、いつも自分を呼んでくれた声。



 「インディラのうごきがぴたりととまりました。
 
  目をしばたくようにせわしなくうごかし、じっと落合さんをたしかめるように見ます。
 
 たちまちインディラのぜんしんからきんちょうがきえていくのがわかります。

 聞きおぼえのある声でした。

 なつかしい落合さんの声――。

 大きな耳がくずれるようにたおれ、おどろきとなつかしさがいっしょになってインディラの心をみたします。

 あの大きなからだをちぢこめるようにして落合さんのそばによっていきます。

 ぐるぐる、ぐぐぐ……。

 インディラののどのおくで不思議な音が起こりました。

 あまえ声です。

 インディラが落合さんにあまえる時、いつもだすふしぎな声でした。

 (中略)

 インディラは頭をさげ、いつもそうしていたように落合さんにほおをすりよせます。

 あまえたかったのです。

 しばらくぶりでお母さんに会った子供のようにあどけないしぐさでした。

 そのとき、落合さんの体重はわずか四十キロ、インディラの体重は四トン。

 奇妙なとりあわせでしたけれど、インディラと落合さんにとって、そんなことはぜんぜん問題ではなかったのです。

 「そうか、そうか、よしよし、かわいそうにな……」

 落合さんのやせた手がインディラの鼻をなで、そっとからだをよせてやります。

『もどれ インディラ!』再会 -.png

 じっと立ち尽くすインディラ。

 「さあ帰ろう、もどるんだインディラ、おうちにもどるんだよ、インディラ……」

 落合さんの右手がインディラの耳をとらえ、ゆっくりと歩き始めます」

 (同著p.68〜72)




 インディラが歩きました。

 二十三人の男性が、鎖で引いてもびくともしなかったインディラが、細い体の落合さんと一緒に、静かにゾウ舎に帰って行きました。

 落合さんが動物園に駆けつけてから、わずか十分足らずのできごとでした。 

 見物人、警察官、職員たちにわき起こる歓声の中、戻ってきた落合さんは、皆に頭を下げました。


 「ホントにめいわくかけちゃって!うちのむすめがこんなにめいわくかけるなんて……」


 家へ帰る車に乗り込もうとしたとき、疲れが出たのか、落合さんの体が大きくよろめきました。

 車が走り出そうとしたとき、インディラが大きな声で鳴きました。

 落合さんは少し窓を開け、目を閉じたまま、しばらくじっとその声を聞いていました。

 やがて落合さんは、両手で耳をふさぐようにして、車を出してくれるように頼みました。



 その後、インディラは元通りジャンボと仲良く暮らし始めました。

 しかし、脱走の日以来、ただひとつ、変わったことがありました。



 「午後二時ごろになると、インディラがきまってそわそわしはじめるのです。

 からだをのりだすようにのばし、じっと飼育事務所の方を見ているのです。

 目をこらし、耳をそばだてるようにしながらじっとうごかない時間をすごすのです。」

 (同著 p.83)





 インディラは、あの日、落合さんがインディラを助けにきた時間、歩いてきた方角を見つめて、落合さんを待っていたのでした。

 落合さんの後輩でゾウ係である中井さんは、インディラの思いに気づいて彼女の鼻を撫でてやりました。

 きっと落合さんはまた来てくれるから……。

 実際、動物園が脱走事件の翌日にかけたお見舞いの電話に対し、落合さんの奥さんは、落合さんは元気にしているから心配はいらないと言ってくれていました。

 その時の奥さんの明るい声と、あの日の落合さんの力強い活躍を見ていた中井さんは、その言葉を信じていました。


 
 脱走事件から八日後の朝。

 飼育事務所に入ってきた人たちは、事務所の黒板を見て、言葉を失いました。

 そこには、落合さん逝去の知らせが記されていました。

 座り込む人、涙する人、やり場のない思いに机を叩く人……。



 落合さんは、動物園からの帰宅後、もうほとんど動けなくなりながら、奥さんに頼み事をしていました。

 動物園から電話がかかってきたら、自分は元気にしていると言ってほしい。

 そう言わないと、みんなが心配するから。

 そして、みんなが心配すると、インディラにもわかってしまうから……。

 落合さんの奥さんはその気持ちを受けて、動物園からの電話に、つとめて明るい様子で落合さんの無事を伝えたのでした。



 亡くなる前、落合さんは奥さんの手を握って言いました。

「俺はしあわせ者だよ。さいごにインディラのめんどうをみてやれたもの、ほんとうにしあわせ者さ……」

 奥さんの目にも、落合さんは心から幸せそうに映ったそうです。


 「あんなにこうふんし、目を血ばしらせていたインディラが、落合さんのことばをすなおに聞き、ことばどおり部屋にもどってくれたということが、落合さんの心をとてもゆたかにしてくれていたにちがいありません。

 それは、二十年近くにわたっていっしょに生き、よろこびもくるしみも共にしてきた人と動物の、心のむすびつきが、どんなにつよいか、をよくあらわしていたからです。

 桃の花がちっていました。

 落合さんの家にある一本の桃の木の花が、かぜもないのにヒラヒラとちっています。

 ゆっくりとまいながら、大地にすいこまれるようにおちていきます。

 それは、生まれてやくめをおえ、しぜんにかえっていくいのちのすがたでした。

 その夜、いしきのうすれていく落合さんのくちびるがかすかにうごきます。

 奥さんがその口もとに耳をよせますと、かすかなつぶやきが聞こえました。

 「インディラ……」

 「インディラのやつ……」

 「ほら、こっちだよ、インディラ……」

 それが、落合さんのさいごのことばだったそうです。

 桃の花びらだけが、音もなくちりつづけています――。」


『もどれ インディラ!』結末部 -.png


  (同著p.91〜結末)




 2017年3月、上野動物園の公式Twitter上で、50年前の出来事として、このインディラの脱走事件が紹介され、インディラと落合さんの結びつきが、再び話題になりました。

 写真の中の落合さんは、時代を感じさせる着物の寝間着に草履で、痩せた体ながらしっかりとした足取りで、インディラに歩み寄っています。

 落合さんと気づいた後らしく、インディラも穏やかな目をしています。
 
 残りわずかな命となってもインディラを気遣い、最後にインディラを呼びながら世を去った落合さん。
 
 脱走後、落合さんが来てくれた時間になると、その方角を見つめて耳を澄まし、じっと落合さんを待っていたインディラ。

 離れていても、落合さんとインディラはお互いに深い絆で結ばれていました。

 そして、そんなインディラを慰める後輩飼育員の中井さんと、落合さんの気持ちを汲んで、気丈に明るく振舞った奥さん。

 インディラと落合さんには、彼らの絆に心を打たれ、支えてくれる人たちがいました。



 この、インディラの脱走事件について記された絵本、『もどれ、インディラ!』の作者、中川志郎さんは、元上野動物園園長だった方です。

 ご自身が、初来日したパンダの飼育にあたった優秀な飼育員でもあった中川さんの文章は、落合さんの飼育員としての情熱と、落合さんに心を開くインディラのしぐさを生き生きと描いています。

 専門家がその分野について、愛情を込めて記した文には、どんな物書きも及ばない特別な魅力がありますが、この『もどれ、インディラ!』も、子供向けの優しい語り口の中に、同じ飼育員経験者ならではの観察眼と、彼らへの敬愛の念がにじみ出ています。

 中川さんは、「この出来事を通じて『本当の愛情は、人と動物の垣根さえ超えさせてしまうものだ』ということを学びました。」と語っています。
 (絵本「ありがとう、インディラ」あとがき部より)

 中川さんの目を通して描かれた落合さんの、インディラのフンを全身にかぶりながら、インディラの回復を喜ぶ笑顔も、桃の花の散る季節に、インディラの名を呼びながらこの世を去る姿も、深い絆をはぐくんだ者を守り、愛した人の「美しい光」に満ちています。

 特に、生まれ、精一杯生き、死んでゆく命のめぐりを、舞い落ちる花びらに重ね合わせた、落合さんの死の場面は、静けさの中に神々しさの漂う名文です。

 ひらがなであることが、かえってやさしいたたずまいを醸す文と、温かみのあるタッチで描かれた挿絵の、思い出の中でインディラの背に揺られながら、奥さんに見守られ、微笑んで世を去る落合さんの姿が調和した、結末の見開きページには、心を打たれずにはいられません。



 名著ながら現在絶版中なのが惜しまれますが、図書館などではまだ比較的目にできると思われますので、是非ご覧ください。

 読んでくださってありがとうございました。

(補足)当ブログの象にまつわる記事

 ・(※ネタバレ)ドラえもん「ぞうとおじさん」

 ・(おすすめ動画)穴に落ちた象の赤ちゃんを助けた人々が見た心温まる瞬間(インド)
 ・ 象のインディラと落合さん(中川志郎作『もどれ インディラ!」より ※結末部あり)


 (参考文献)
・「もどれ、インディラ!」中川志郎 作・金沢佑光 絵 佼成出版社 1992年

もどれインディラ! (いちご文学館) -
もどれインディラ! (いちご文学館) -

・『ありがとう インディラ』香山美子 文・田中秀幸 絵 チャイルド本社 1999年
(『もどれ、インディラ!』を元に作られた低学年向け絵本。中川さんがあとがきを寄せている。落合さんの休職中に、寂しくてふさぎこむインディラの表情が切ない。)


・「インディラとともに」川口幸男著 大日本図書株式会社 1983年
(落合さんの後輩で、インディラの飼育係となった川口幸男さんの著書。インディラ来日時の様子や、落合さんの川口さんに対する指導、その後のインディラの生涯など、現場の話が数多く記されている。インディラは、川口さんらの手厚い飼育のもと過ごし、この本が出版される直前、四十九歳で世を去った。)

【参照WEBページ】
 (上野動物園公式ツイッター2017年3月13日〜14日記事)
  ・Twitter1
  ・Twitter2
  ・Twitter3
  ・Twitter4(※インディラと落合さんの画像付)
  ・Twitter5


FUNDO「目頭が熱くなる……50年前に上野動物園から脱走したゾウと飼育員の絆が話題に」)




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2018年03月23日

(※結末部あり)短編小説「レキシントンの幽霊」(村上春樹作)あらすじ紹介

 本日は、村上春樹の短編小説「レキシントンの幽霊」についてご紹介させていただきます。

 「レキシントンの幽霊」(1996年、同名の短編小説集に収録)は、村上春樹氏本人を強く意識させる物書きの「僕」が、アメリカで暮らしているときに出会った紳士の家で遭遇した不思議な現象と、紳士から聞いた、彼の人生に起きた出来事を描いた作品です。


レキシントンの幽霊 (文春文庫) -
レキシントンの幽霊 (文春文庫) -



(あらすじ)
※結末までご紹介しているのでご了承ください。
 
 「これは数年前に実際に起こったことである。事情があって、人物の名前だけは変えたけれど、それ以外は事実だ。」

 物書きの「僕」は、そう前置きして、その「事実」を書き記していく。



 2年前、「僕」がアメリカのマサチューセッツ州に二年ほど住んでいた時、ある建築家と知り合いになった。

 五十をすぎたばかりのハンサムで半ば白髪の紳士。名前はケイシーとしておく。

 ケイシーは同じ州のレキシントンという町で、青ざめて無口な青年ジェレミーと一緒に、古い屋敷で暮らしていた。ジェレミーはおそらく三十半ば、調律師で、ピアノも上手かった。

 ケイシーは、「僕」の英訳された作品を読み、「僕」に会いたいと手紙を送ってきた。

 「僕」は、ふだんあまりそういう手紙に反応しないようにしていたが、その文面から知性とユーモアが感じられたこと、偶然、家が近かったこと、そして何よりも、彼が古いジャズ・レコードの見事なコレクションを持っていることに惹かれ、彼に会ってみることにした。

 ケイシーの家は、築百年は経っているであろう立派な屋敷で、高級住宅街の中でも異彩を放っていた。

 玄関には大型犬のマスチフがいて、僕に向かって少しだけ義務的に吠えた。

 出迎えてくれたケイシーは、趣味の良い服装をし、教養ある、話し上手な人物だった。そして仕事は持ってていたものの、必要に迫られて働いているようには見えなかった。

 ケイシーの父は著名な精神科医で、彼の素晴らしいジャス・レコードのコレクションは父親が揃えたものだった。

 ケイシー自身は、さしてジャズを好んでいたわけではないが、亡き父に対する愛情から、今もそのコレクションを完璧に管理していた。彼には兄弟がおらず、屋敷もレコードも、すべてケイシーが継いでいた。



 月に一度程度ケイシーの家を訪ねるようになってから半年ほどした頃、ケイシーは「僕」に一週間の屋敷の留守番を頼んできた。

 ケイシーは仕事でその間ロンドンに行かねばならず、一緒に住んでいるジェレミーは、遠方に住んでいる母が体調を崩してしまったために、少し前から実家に戻ってしまっていたので、その間、屋敷と犬を見る人間が必要だった。

 犬の食事以外は、レコードを好きなだけ聴いて好きに過ごしてくれていい。

 ちょうど、自宅そばの工事の騒音に悩まされていた僕は、その話を快諾し、ノートPCと少しの本を持って、ケイシーの家にやって来た。

 「僕」はレコード・コレクションのある音楽室で書き物をしてみた。

 屋敷はどこも年月を感じさせ、持ち込んだPCが浮き立つほどであった。中でも音楽室は、ケイシーの父の死後、何一つ手をつけなかったらしく、清潔だが、時が留まっているような、あるいは神殿や遺体安置所のような気配がした。

 ケイシーの犬、マイルズは、大きいが寂しがりやで、キッチンで眠るとき以外は、「僕」に体の一部をそっと付けていた。

 家の調度はいかにも代々裕福な家らしく、良い品と思われたが、派手さはなく、その落ち着いた部屋に音楽が沁み込んでいった。

 「僕」はその音楽室で極めて居心地よく仕事をし、夜、眠るために二階の客室に上がっていった。



 夜中、「僕」はふいに目が覚めた。

 そして、なぜ目が覚めたかに気付いた。

 階下から、音がする。

 誰かが下で話している。それもかなりの人数。

 かすかに音楽まで聞こえてくる。そして、ワイングラスらしきものを鳴らす音。

 それはパーティーの物音だった。

 いったい誰が、いつの間に。

 それはわからなかったが、音楽と話声は、明るく楽しげで、なぜか危険を感じさせなかった。

 足音をしのばせて玄関ホールへ降りてゆくと、「僕」が寝る前に開けたままにしていたはずの居間への扉がぴったりと閉ざされていた。

 パーティーの賑わいはそこから聞こえてきていた。

 キッチンに行き、念のため、護身用のナイフを取り出そうとしたが、あの楽しそうなパーティーの中に、ナイフを持って入ることがためらわれ、それを引き出しに戻した。

 そのとき初めて、キッチンで寝ているはずの犬がいなくなっているのに気づいた。
 どこに行ったのか、なぜ吠えなかったのか。

 玄関ホールに戻った「僕」は、まだ聞こえてくるパーティーのさざめきに耳をすました。

 しかし、その話声はやわらかに混ざり合い、どうしても、何を言っているのか聞き取れなかった。

 ふいに、気付いた。

 あれは、幽霊だ。

 彼らは生きた人間ではないし、どこからも入ってこなかった。だから、犬は吠えなかったのだ。

 「僕」は恐怖を覚えたが、怖さを超えた、何か不思議な感覚も覚えた。

 それからそっと二階に戻っていった。

 話声と音楽は夜明け近くまで続いていたが、「僕」はやがて眠りに落ちた。

 朝、再び一階に降りていくと、居間への扉が開いていた。

 パーティーの形跡など何もなく、犬はキッチンで寝ていた。



 パーティーの気配はその晩一度きりで途絶えた。

 「僕」の心のどこかに、あのさざめきにもう一度巡り合うことを期待する思いがあったが、夜中、犬と一緒に居間でしばらく待っていても、もう二度と、何も感じられなかった。
 


 ケイシーが一週間後に帰って来た時、「僕」はあの夜のことを話さなかった。なんとなく、彼には何も言わないほうが良い気がした。



 それから半年、ケイシーには会わなかった。

 電話で聞いたところでは、ジェレミーの母親があのまま亡くなり、彼は、ずっと、母親のいた町に行ったきりだということだった。

 
 最後にケイシーに会ったとき、散歩中、カフェテラスで偶然出くわしたのだが、彼は、十歳は年をとったように、急に老け込んで見えた。

 伸ばしたまま整えていない髪、目の下のたるみ、手の甲にまで皺が増えていて、あの身綺麗でスマートな彼からは想像もつかないくらいだった。

 ジェレミーはもうレキシントンに帰ってこないかもしれない。

 「僕」と一緒にコーヒーを飲みながら、ケイシーは沈んだ声で言った。

 無口だったあの青年は、親の死んだショックで、人が変わってしまったようだった。

 ケイシーが電話をしても、ほとんど星座の話しかしなくなった。星の位置によって今日一日行動を決めるというような話をだけを。そんな話は、レキシントンにいるときにしたことがなかった。

 気の毒に、と、「僕」は言った。だがそれが誰に対する言葉なのか、自分でもよくわからなかった。


 ケイシーは、十歳で亡くした母親の話をはじめた。

 ヨットの事故だった。父より、十以上も年下で、誰もそのとき母が死ぬなんて考えていなかった。でも、煙のようにいなくなってしまった。

 美しい人で、サマードレスを風に揺らし、綺麗に、楽しそうに歩いた。

 父は、母を愛していた。おそらく息子であるケイシーよりずっと深く。

 父は、自分の手で獲得したものを愛する人だった。彼にとって、息子は、自然に、結果的に手に入ったものだった。 
 
 母の葬儀が終わった後、父は、三週間眠り続けた。誇張ではなく事実として。

 もうろうとベッドから出てきて、水とほんの少しの食べ物を口にする以外、鎧戸をぴたりと閉めた部屋で、微動だにせずに眠り続けた。ケイシーは、父が生きているか何度も確かめた。おそらく夢すらみていないであろう、深い眠りだった。その間ずっと、ケイシーは、屋敷でたった独り取り残されたような恐ろしさを感じていた。

 十五年前、父が亡くなったとき、死んでいる父の姿は、眠り続けたときの彼とそっくりだった。

 ケイシーは父を愛していた。尊敬以上に、精神的、感情的な強い結びつきを感じていた。

 それから、ケイシーは二週間の間、眠り続けた。母を亡くした父と全く同じように。

 眠っている間は、現実が、色彩を欠いた、虚しく浅い世界に思えた。戻っていきたくなかった。母を失ったときの父の気持ちを、ケイシーはようやく理解できた。

 
 「ひとつだけ言えることがある」

 ケイシーは顔を上げ、「僕」に穏やかに笑った。

 「僕が今ここで死んでも、世界中の誰も、僕のためにそんなに深く眠ってはくれない」



 「僕」は、ときどきレキシントンの幽霊を思い出す。そして、あの屋敷に存在したものを。

 閉ざされた暗い部屋で、「予備的な死者」のように眠り続けるケイシーと彼の父親、人懐こい犬のマイルズ、完璧なレコード・コレクション、ジェレミーの弾くピアノ、玄関前の青いワゴン車、そんなものを。

 ついこの間のことなのに、それはひどく遠く思え、その遠さのために、「僕」は、あの奇妙な出来事の奇妙さを感じられないでいる。



(完)




 留守番中に聞いた幽霊のパーティーの音と、洗練された紳士であったケイシーの、青年との別れ。

 片方は「僕」が経験したことであり、片方はケイシーが経験したことでありながら、その二つは、同じ気配を醸して交錯しています。

 「僕」が聞いたパーティーのさざめき。

 それは、個別に死を迎えた、元人間である幽霊たちの集いというより、一塊の空気のように描かれています。

 「古い楽しげな音楽」は蒸気のように僕の眠る部屋に立ち上り、扉の向こうの会話は混然一体として、何をいっているのか聞き取れない。

 「僕」は、この現象に遭遇しているときの気持ちをこのように表現しています。

 「(扉を開けて入っていくというのは)難しい、また奇妙な選択だった。僕はこの家の留守番をしているし、管理にそれなりの責任を負っている。でもパーティーには招待されているわけじゃない。」

 「(混然一体となった会話は)言葉であり、会話であることはわかるのだけれど、それはまるでぶ厚い塗り壁みたいに僕の前にあった。そこには僕が入っていく余地はないようだ。」

 やがて「僕」は、そのさざめきが生きた人間の発する者でないことに気付き、恐怖を覚えますが、それを超えた茫漠とした感覚も覚え、寝室に戻っていきます。

 その後、一抹の恐怖を覚えつつ(だから犬を連れて)、しかし、心のどこかで期待しながら、夜中に居間で、あのさざめきを待ってみたものの、もう二度とそれが訪れることはありませんでした。

 レキシントンの幽霊。

 それは、おそらく、百年を超える屋敷が今もひっそりと抱く、過ぎ去った華やかな時代の空気のようなものだったのではないでしょうか。

 かつて、本当にその居間で、時代の繁栄を謳歌していた裕福な男女が集い、笑って語らいながらグラスを傾け、音楽の中で踊っていた。

 その記憶が、あるいは余韻が、ケイシーという屋敷の主の不在時に、現れた。

 そのさざめきの明るさ、そして「僕」が不可解な現象を恐れつつ、不吉を感じなかったこと、それでいて、どうしてもその中に入る気持ちになれなかったのは、それが、現代ではない時代の空気そのものであり(話し声だけでなく、音楽も、グラスの音も一体化した塊であり)、今生きている人間が、搔き分けて入り込める性質のものではなかったからではないでしょうか。

 一方、ケイシーは、それまで一緒に暮らしていた青年ジェイミーを、距離的に、人格的に失います。

 ケイシーとジェイミーの関係は明らかにされていません。恋人、友人、いずれにせよ、ケイシーは、その後も レキシントンの屋敷でジェイミーと共に生きていくつもりで、しかし、その未来は失われました。

 妻を失い、眠り続けた父。父を失い、眠り続けたケイシー。
 
 ケイシーは自分たちのあの長い眠りを、「ある種のものごとは、別のかたちをとる。それは別の形をとらずにはいられない。」と語りました。

 愛する者を亡くした世界で、目覚めたまま流す涙や、叫びや、言葉や、そういったものでは、欠落感を紛らわせることができなかったケイシー親子は、夢も見ずに眠るしかできなかった。そういう愛し方をする血統だった。

 ケイシーは自分の死のときには、ジェイミーがいてくれると思っていたけれど、彼は母親の死に打ちのめされて、いなくなってしまった。

 今、ケイシーの死を、自分と父がそうしたように痛切に悼む人間はもういない。

 ケイシーは、その実感を、「僕が今ここで死んでも、世界中の誰も、僕のためにそんなに深く眠ってはくれない」と語りました。

(ケイシーの犬のマイルズは、愛情深く寄り添う存在ですが、原則、人より先に世を去る犬である以上、ケイシーを見送る存在として認識されず、逆にこれから訪れるであろうケイシーの人生の空白が強調されます。)


 ケイシーのジェレミーとの別離は、このセリフによって、「レキシントンの幽霊」の気配と重なり合います。

 たしかにあった、美しくぬくもりある過去、しかし、自分はその扉の外にいて、その明るい、曖昧なさざめきに、耳を澄ますことしかできない。

 「レキシントンの幽霊」と、「ケイシーの父母の記憶」は、今を生きる人間とは違う輪の中に在るという意味で共通しています。

 「時代の空気」であるか、「個人の記憶」であるかという違いだけで、どちらも、既に過ぎ去り、現在、生きた人間は、決してその輪に入ることができないという意味では、同じ性質のものです。

 それでいて、明るく美しいさざめきだけは聞こえてきて、人を扉の外に佇ませる。



 いつか、既に「誰も眠らない」人間になったケイシーは、屋敷で、あの居間にたちのぼる「レキシントンの幽霊」のさざめきを聞く日があるのか。

 彼は、あの「レキシントンの幽霊」の明るく華やかな気配を、居間の外で、どんな思いで聞くのか。

 扉を隔てて、「死んでいる」のは、誰なのか。

 そんな想像は、傍観者の「僕」がケイシーから遠ざかってゆくことで、語られずに終わります。

 幸福なさざめきと、ケイシーの最後の言葉がまざりあい、読者の中の思い出と欠落感を風のように揺らす、印象的な短編です。

 是非お手に取って、この不思議な、忘れ難い感覚を味わってみてください。

 読んでくださってありがとうございました。

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2018年01月03日

「猫年の女房」(女優、沢村貞子著『私の浅草』より)

 新年あけましておめでとうございます。

 お正月なので、今回は干支にちなんだお話をご紹介させていただきます。

 黒柳徹子さんに「かあさん」と慕われた名脇役女優、沢村貞子さん。
わたしの脇役人生 (ちくま文庫) -
わたしの脇役人生 (ちくま文庫) -


 エッセイストとしても活躍した彼女が、自身の生まれ育った浅草の思い出をつづった『私の浅草』の中に、こんなお話がありました。

 私の浅草 (暮しの手帖エッセイライブラリー) -
私の浅草 (暮しの手帖エッセイライブラリー) -


 沢村さんが16才ごろのこと、近所に「おすがさん」という女性が住んでいました。

 沢村さんよりひとまわり年上の、申年(さるどし)の28才。

 やせ型で、髪を無造作にひっつめて結い上げ、地味な着物に化粧ッ気のない顔。

 大きな目と形の良い口元で、沢村さんのお母さんに言わせれば十人並みの器量でしたが、その年齢まで浮いた話がまったくない人でした。

 というのも、おすがさんの父親が、浅草男の悪い癖で、さんざん遊んで家族を泣かせた挙句に早死、母親もあとを追うように死んでしまい、まだ十五、六のおすがさんが、弟二人の面倒を見ることになったからでした。

 同情した沢村さんのお母さんのつてで、お母さんの姉が営む仕立て屋の仕事につき、弟たちの仕事の目途もついた頃には、当時の婚期を過ぎていました。

 もう今更お嫁に行く気なんてありません。一生仕立て物をして暮らしていきます。

 不運と戦ってきたために、そんなふうに言い切る表情にも口調にも愛想が無く、男たちの間で話題にもならないおすがさん。

 沢村さんのお母さんは、どうにかいいご縁を見つけられないものかとはがゆがっていました。

 「まあ、無理だな。年齢もなんだが、あの子は色気がなさすぎるよ。年中ギクシャクして、うっかりさわると、カランカランと音がしそうだ。」

 いい男だと芸者衆にもてはやされ、おすがさんの父より輪をかけて道楽者の沢村さんのお父さんは、女を見る目には自信があるとばかりにばっさりと切り捨てていました。



 ところが、ある日、お父さんは、ほおずき市で、おすがさんと大工の仁吉さんが寄り添って歩いていたのを見かけ、目を丸くしました。

 「……はじめは人違いかと思ったよ。銀杏返し(いちょうがえし:日本髪の一種)に結っちゃって……。声をかけたら振り向いて真っ赤になって、仁吉のかげにかくれたりして……色気があるんだよ、これが、――どうなってるんだい。」

 夕飯時のお父さんのそんな噂話に、お母さんは真面目な顔で向き直りました。

 仁吉さんは、無口だけど気のいい働き者で、栗の実のような丸顔と小さな目が人懐っこく、親方からも可愛がられている人でした。



 仁吉さんをおすがさんに引き合わせたのはお母さんでした。

 沢村家の台所の修繕に来ていた仁吉さんと、たまたま家に訪ねてきたおすがさんに、一緒にお茶を飲んでいくように勧めたお母さん。

 弟と同じ年頃、同じ大工という仁吉さんに、おすがさんも珍しく気を許し、仁吉さんの仕事話を熱心に聞き入っていました。

 仁吉さんは、その場でおすがさんに浴衣の仕立てをお願いし、それを仁吉さんの家に届けにいったおすがさんが、震災で身寄りを失くし、一人暮らしだった仁吉さんの部屋を掃除してあげたことから、仁吉さんの好意が深まったようでした。

 「あんまり汚いんで見かねたんでしょう。優しい人ですね。年令は……私より二つ三つ上ですかね。」

 台所修繕の合間に、おすがさんの話をする仁吉さんに、五つ上と言いだしかねて、お母さんは、さあね、いくつになったかしらと空とぼけていました。



 「ちょっとお話が……」

 ほおずき市のすぐ後、見違えるほど優しい風情になったおすがさんが、しかし、思いつめた様子で、沢村さん母娘を訪ねてきました。

 「……仁吉さんのことかい?」

 うつむいてもじもじしているおすがさんに、お母さんがそう促すと、

 「……実は、あの人と一緒になりたいんですけど……」

 消え入りそうに絞り出した声にも、それまでにない甘さがありました。

 「けっこうじゃないか。あの子は働き者で人間もしっかりしてる。お前さんさえその気なら、いくらでも力を貸すよ」

 おすがさんは急に顔を上げました。

 「おかみさん。お願いですから、あの人にきかれても、私の本当のとしを言わないでください。お貞ちゃんより、ひとまわり上の申だなんて――」

 一緒になろうと申し込まれたとき、仁吉さんに、つい「あなたより一つ上の子(ね)年なのに、それでもいいの」と、言ってしまい、今更引っ込みがつかなくなってしまったそうです。

 あんたの弟さんも子年なのに……。そもそも仁吉さんは、年上なのは承知なのだから、そんなに気にしなくても……。と、お母さんがいくらなだめすかしても、

 「五つも年上だなんてわかったら、あの人がっかりします。私だってきまりがわるくて――そんなこと知れたら死んでしまう……」

 果ては、泣き出してしまいました。

 仕方がないので、弟さんにも二つさばをよんで、寅年ということしてもらおう、ということに。

 でも、区役所の届でわかってしまう。

 はっとしたお母さんに、届なんか出さなくったっていい、子供も産みませんと、きっぱり言い切るところに、昔のおすがさんの名残が見えました。

 そのくせ、お願いです、このことは言わないで……と、女っぽいしぐさで、沢村さんたちをおがみ、おすがさんは帰っていきました。



 約10日後、仁吉さんが、あいさつに来ました。

 式の前に届を出してくると聞いて、お母さんは慌てましたが、仁吉さんはその様子に気付き、笑って首をすくめました。

 「あの人がいくつだっていいんです。わたしは学もないし、ああいうしっかりした姉さん女房が好きなんです。ねずみだの申だのってオタオタ言ってるから、いっそのこと、猫年の女房ってことにしようって、ゆうべよく言いましたから……」


 秋になり、赤ちゃんができたらしい、と、報告に来たおすがさん。

 若妻らしく、丸髷(まるまげ:既婚女性の結う日本髪)に結い上げた髪を、淡い桃色の手絡(てがら:結った髪に添える布)で飾り、

 「でも、五つ上っていっても、私は十二月末だし、うちの人は一月の十日だもの、正味、四つと十五日しか違わないんですよ」

 明るく笑うおすがさんの、口元にもっていった左手の薬指に、指輪が光っていました。


(完)


 ちょうど、先日再放送していた大ヒットドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」で、主人公みくりの叔母、「百合ちゃん(石田ゆり子)」と、十七歳下(※)の風見さん(大谷亮平)の恋の行方が話題になりました。
(※原作漫画では二十五歳差)
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※原作の「百合ちゃん」
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 今も年上女性が、好きな人にアプローチされても引け目を感じるという話があるわけですが、沢村さんが少女時代(戦前、1920年代半ば)は、もっと厳しかったようで、今の読者からすれば、そこまで気がねしなくてもと思う状況でも、本人は泣くほど悩んでいます。

(伊藤左千夫の小説「野菊の墓」〈1906年〉では、女性が二才上という理由で、想い合う従姉弟同士が、血縁者たちに引き裂かれてしまいます。)

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 そんな、今なお女性を閉じ込める、見えない檻から、苦労人の朴訥誠実な青年が「猫年の女房ってことにしよう」と、柔らかく連れ出してくれている、心温まるエピソードです。

 『私の浅草』ではこのほかにも、浅草の人々の暮らしや悲喜こもごもが、歯切れよく情緒ある文で綴られていて、とても魅力的なエッセイ集です。

 (花森安治さん編集の「暮らしの手帖」から刊行されていて、花森さんの温かな挿絵やカラフルな装丁も味わい深いです。)

 是非、お手にとってみてください。
 (このブログでもいずれもう少しこの本の内容や、そのほかの沢村貞子さんのエッセイをご紹介させていただく予定です。)

 読んでくださってありがとうございました。

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2017年08月26日

大岡昇平作『野火』あらすじご紹介(※結末部あり)

 現在(2017年8月)、NHKの名作本紹介番組「100分de名著」で、大岡昇平作『野火』がとりあげられています。

野火 (新潮文庫) -
野火 (新潮文庫) -

大岡昇平『野火』 2017年8月 (100分 de 名著) -
大岡昇平『野火』 2017年8月 (100分 de 名著) -

【次回放送時間】
 2017年8月28日(月)午後10時25分〜10時50分/Eテレ
【再放送】
 2017年8月30日(水)午前5時30分〜5時55分/Eテレ
 2017年8月30日(水)午後0時00分〜0時25分/Eテレ

 NHKの番組紹介ページはコチラ

http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/68_nobi/index.html


 第二次大戦時、敗戦を目前としたフィリピンの地で、病のために孤立した兵士田村が、飢餓の中で、兵士たちが互いを食うため殺し合うという、極限状態に直面する物語です。

 目を覆う惨状を題材としながら、極限状態でも「思考する人」であり続ける田村を通じて描かれる世界は、独特の静けさと重厚さを持ち、「人間を食べない自分」を保とうとする田村の葛藤や、彼が偶然出会った瀕死の日本兵の、彼に対する赦しの言葉が、人間に残された最後の魂の力を感じさせます。

 最初に読んだときは、その惨禍に衝撃を受けましたが、思考することをやめず、状況に抗い、他者からの赦しを忘れられない一人の人間のありようが描かれていることに気づいてから、光景への恐怖よりも、その心の動きに胸を打たれました。

 以下、あらすじをご紹介させていただきます。

(結末部まで書かせていただいていますので、あらかじめご了承ください。また、一部現代には不適切な表現がありますが、作中の言葉を使用させていただいています。)



 第二次大戦時、日本の敗北が決定的となったフィリピン戦線で、「私」田村一等兵は、肺を病みながら、数本の芋だけを食料として渡され、隊から追放される。

 入院しろ、断られたら、手持ちの手榴弾で死ね。

 それが、隊長からの命令だった。

 病院の外には、「私」と同じように栄養失調で消耗しながら、物資不足と患者の多さから、入院を断られ、死を待つしかない人々が大勢いた。


 病院がアメリカ軍に攻撃されたので、「私」は熱帯の山の中に逃げ込んだ。

 自分の死を確信しながら、「私」が逃げたのは、死が決まっている自分の、孤独と絶望を見極めようという、暗い好奇心のためだった。



 独り、山をさまよっていた「私」は、自分が生きているのか死んでいるのか、時折わからなくなったが、現地の住人の畑を見つけ、そこで、つかの間、食料に不自由しない日々を過ごす。

 畑近くの海を見に行った「私」は、林の向こうに教会の十字架を見つけた。

 そこへ行ってみたいという気持ちをおさえられなかった「私」は、村人に見つかる危険を承知で、十字架のある場所へ行った。

 村は既に無人で、食料を奪おうとして殺されたのであろう日本兵たちの朽ち果てた死体だけが残されていた。

 教会に入り、イエスの処刑の絵と、十字架上のキリスト像を見た「私」は泣いた。

 救いを求めて教会まで来た自分の見たものは、日本兵の死体と出来の悪いキリストの絵だった。

 少年時代に教わった、聖書の言葉が口をついて出たが、答えは無かった。

 自分の救いを呼ぶ声に応える者は無い、と、あきらめた「私」は、この時、自分と外界の関係が断ち切られたのを感じた。



 村に残された食料を探していた「私」は、塩をとりに戻ってきた若い男女に出くわし、騒がれたので、女を撃ってしまった。男は逃げた。

 「私」は、銃を持っていたために反射的に女を撃ったが、銃は、国家が兵士としての「私」に持たせたものであり、もはや、兵士として用の無い人間になった自分が、罪の無い人を撃つために持つべきものではない。そう気づいた「私」は、銃を捨てた。



 畑に戻った「私」は、退却中の日本兵たちに会った。彼らの中には、病院の外で話した日本兵たちも混じっていた。

 彼らとともにパロンポンまで退却できれば、軍に戻り、生き延びられる可能性がある。

 「私」は再び銃を支給され、彼らとともにジャングルを進んだ。

 ゲリラの攻撃、食糧難など、その道のりは非常に過酷なものであり、アメリカ兵に降伏したくても、それは上官によって固く禁じられていた。

 その途中、「私」は、仲間の一人が、過去に別の戦場で、食料が無かった時に、人の肉を食べたらしいといううわさを聞く。

 アメリカ軍の攻撃を受け、隊からはぐれ、再び銃も失くしてしまった「私」は、アメリカ兵を見つけ、いっそ降伏しようかと考えたが、彼の隣にいたフィリピン人の女が、自分が村で殺した女に似ていたため、降伏をためらう。

 その間に別の日本兵が降伏しようと出て行ったが、彼は女に撃ち殺された。

 「私」は、村の女を殺した自分は、やはり誰かに救われることは無いのだと思って、その場を引き返す。



 持っていた食料も塩も無くなり、本格的な飢えが「私」を襲い始めた。

 日本兵の死体はいたるところに転がっている。

 いっそ、話に聞いたように、自分も人を……という考えが浮かんだが、「私」には、人類の歴史で、厳しく禁じられているその行為をすることは、どうしてもためらわれた。

 その時から、「私」は、死体を見るたびに、自分が「見られている」という意識にとらわれるようになる。

 その意識が、「私」の行動を支配し、「私」は、日本兵の死体に手をかけることができなかった。



 飢えもいよいよ限界となった「私」は、死にかけている一人の将校を見つける。

 丘の頂上の木にもたれかかって座り、空を仰いでいる彼は、栄養失調から重い病気にかかり、意識ももうろうとして、「私」にもほとんど気づかないように、あるときは笑い、あるときは「俺は仏だ」、「日本に帰りたい」と、うわごとを言い続けていた。

 「私」は、彼のそばに座り、彼が眠っていた間も、「待っていた」。

 夜明けがきたとき、ふいに彼ははっきりとした意識を取り戻した。

 そして、警官のような澄んだ目で、「私」を見つめて、言った。

「何だ、お前まだいたのかい。可哀そうに。俺が死んだら、ここを食べてもいいよ」

 彼は、左手で右腕を叩いて示した。



 「私」は、息をひきとったその将校の死体を、草木に覆われた陰に運んだ。

 そこでようやく、誰にも見られていない、と、思うことができたが、「私」は、瀕死の将校を見つけたときから計画していた、彼を食うという行為を、どうしても実行できなかった。

 「食べてもいいよ」

 あの、死の間際の、恩寵的な許可が、却って「私」を縛っていた。

 将校が食べることを許した腕に、あの村で見た、十字架上のキリストの腕が重なった。

 自分は罪の無い人間を既に殺していて、もう、人間の世界に帰ることはできない。

 だが、この将校は病のために死んだのであって、自分には責任がない。そして、死んでしまえば、残された体は、「食べてもいいよ」と言った魂とは別のものである。

 そう考えた「私」は、彼の腕にナイフを突き立てようとしたが、そのとき、「私」のナイフを持った右手を、左手が掴んで止めた。

 「汝の右手のなすことを、左手をして知らしむるなかれ」

 「私」には、そう言う声が聞こえた。

 「起(た)てよ、いざ起て……」

 「私」は、死体を置いて、その場を離れた。

 死体から離れるとともに、右手を抑える左手の指が、一本ずつ離れていった。

 歩く「私」を、雨上がりの野の万物が見ていた。「私」は、故郷で見た谷に酷似した場所へやってきた。「帰りつつある」という感覚が「私」の中に育っていった。

 花びらを広げかけた南の花が、ふいに、「私」に言った。

 「あたし、食べてもいいわよ」

 「私」は飢えに気づいたが、また、左手が右手を掴んだ。手だけではなく、右半身と左半身が別物のように感じられた。飢えは、右半身だけが感じていた。

 左半身は理解した。今まで、生きている植物や動物を食べてきたが、それは、死んだ人間よりも食べてはいけなかった。

 「私」の目には、空からも、同じ花が光りながら降ってくるのが見えた。

 野の百合は何もせずとも生き、神によって華やかに彩られる。人間は野の百合以上に、神から必要なものは与えられている。

 そんな聖書の教えが、花の上に声となって立ち上っていた。「私」は、これが神であると思ったが、祈りの言葉を発せなかった。体が二つに分かれていることが、それを阻んだ。

 「私」は、自分の体が変わらなければいけないと思った。


 ある日、「私」は、白鷺が飛び立つのを見て、自分の魂も、一緒に飛び去るのを感じた。分かたれた右半身の自由を感じ、飢えながら駆けていった「私」は、将校に出会った窪地で、再び「彼」を見た。

 彼は巨人となっていた。

 腐敗して膨れ上がった彼は、もはや食えなかった。

 神が、飢えた「私」がここに来る前に、彼を変えていた。

 彼は神に愛されていた。おそらくまた「私」も。



 餓死が迫り、ただ、河原で横たわっていた「私」は、人の足が一本、そこに転がっているのに気づいた。

 この足は「彼」のものではない、切ったのは「私」ではない。

 そう思っている「私」に、足が近づいてきた。

 自分が足に向かって這っている。そう気づいたとき、「私」は、また、誰かが見ている。と感じた。

 「私」は力を込めて、自分の体を繰り返し転がし、足から遠ざかろうとした。

 そのとき、「私」は、実際に自分を見ている目と、向けられていた銃口に気づいた。

 目の主は「田村じゃないか」と「私」を呼んだ。

 病院に入れずにいたときに、言葉を交わしたことのあった若い日本兵、永松だった。

 永松は、動けない「私」に水を与え、何かの干し肉を口に押し込んだ。

 「私」は、己に禁じたはずの肉を口にした自分に悲しみを覚えながら、同時に、分かたれた左右の体が、一つに戻っていくのを感じた。

 「猿」の肉だ。

 撃った奴を、干しておいた。永松は横を向いてそう言った。

 永松は、病院で親しくなった、安田という年上の兵士と、今も行動を共にしていた。

 「私」を寝起きする場所に迎えた二人は、なぜか離れて寝ていた。安田は銃を失くしており、永松は、その銃を安田にとられることを恐れていた。「私」は、自分も永松に気をつけなければいけないような気がしたが、何に気を付けなければいけないのか、よくわからなかった。

 しばらく続いた雨がようやく止んだある日、永松は、食料が尽きたからと猿を撃ちに行った。

 病気で足が不自由になったという安田とともに、残された「私」は、自分は銃を失くしたが、まだ手榴弾を持っていることを口にする。

 安田は手榴弾がまだ使い物になるか見てやる、と、言ってそれを手にした後、「私」にそれを返さなかった。返せ、と、手を伸ばすと、剣を抜かれた。「私」には、安田がそんなことをする理由がわからなかった。

 銃声が響き、安田が「やった」と叫んだ。

 「私」が、銃声の方角に走ると、弾から逃れて駆けてゆく日本兵が見えた。

 これが「猿」だった。

 「私」は、それを予期していた。

 「私」が、かつて足首を見た場所に行くと、いくつもの足首や、体の様々な部分が、捨てられていた。

 「私」は、驚かなかった。神を感じていた。ただ、自分の体が変わらなければいけなかった。

 永松が「私」を銃で狙っていた。

 永松は、「猿」を見た「私」を、お前も食べたんだ、と言った。「私」は、「知っていた」と答えた。

 永松は、「私」が、安田に手榴弾を盗られたことを知ると、安田に殺される前に、二人で安田を殺し、彼を食料にして、投降できる場所まで行こう、と、持ちかけた。

 「私」は、助かろうとは思っていないことを告げたが、永松とともに、安田のいる林へ向かった。

 永松の呼ぶ声を聴いた安田は、確かに手榴弾を投げてきた。「私」は破片で飛ばされた、自分の肩の肉を食べた。

 その後、三日間、「私」たちは安田を見つけられなかったが、水場で待ち伏せていた時、安田が姿を現した。

 永松は安田を撃ち、彼の両手足首を素早く切り落とした。

 「私」は、その光景を予期していたが、それを目の当たりにしたとき、吐いた。そして怒りを感じた。

 人が飢えた果てに食い合う生き物なら、吐き、怒ることができる自分は、天使だ。ならば、神の怒りを代行しなければいけない。

 「私」は、永松が銃を置いた場所まで走り、「私」を笑いながら追ってきた永松に銃を向けた。

 「私」の記憶はそこで途切れた。

 撃ったかどうかは思い出せない。しかし、確かに食べなかった。



 あれから6年後、「私」は東京郊外の精神病院にいた。

 戦場で記憶を失っている間、「私」は後頭部を何者かに殴られ、アメリカ軍の野戦病院に収容され、やがて日本に帰ってきた。

 フィリピンの野戦病院にいる間「私」は、与えられた、かつて生きていた食物に、頭を下げて詫びるという行為をし続けた。それは、「私」以外の力がそうさせていた。

 日本に戻った「私」は、妻と再会したが、戦場で経験したことの記憶が、彼女と自分を隔て、愛情を感じることができなくなっていた。

 「私」は孤独を求めるようになり、一度は止まった、食べ物に詫びるという行為は、やがて、あらゆる食物を食べないという事態に至った。

 こうして精神病院に収容された「私」は、医者の勧めで、自分に起きたことを振り返る手記を書いている。

 世間は、再び戦争に向けて動き出しているようにも見える。

 かつてのように、戦争を操る少数の人間たちに騙された者たちは、「私」のような目に遭うしかない。戦争を知らない人間は、半分は子供である。

 妻は、「私」を見舞うことをやめた後も、「私」を担当する医師と関係を持っている。

 その医師は、「私」の手記を、「大変よく書けている」と言って、媚びるように笑う。

 「私」の感情はそのどちらにも動かされなかった。



 「私」の中で、記憶の空白が蘇り始めた。

 あの日、「私」は、草やもみ殻を焼く、野火の煙の立ち上るのを見て、そこへ向かって行った。

 そこには、神を苦しめる人間たちがいるはずだった。

 だが、天使であるはずの「私」は、悲しみと、何かを間違えているかもしれないという不安と恐怖を感じていた。

 野火の側に、確かに人間がいた。「私」はそれを撃った。

 弾は外れ、人間は逃げて行った。

 ほかの人間たちの姿を見て、「私」は再び狙いを定めた。

 この時、「私」の後頭部を誰かが打った。



 そうして、「私」は今、東京の病院にいる。

 あの打撃で、自分は死んだと「私」は思う。

 夢と現実の狭間で、「私」は死者の世界に行き、「私」が殺したフィリピン人の女や、永松や安田が「私」に近づいてきた。

 彼らは「私」に向かって笑っていた。それは、恐ろしい笑いであったが、笑っていた。

 「私」は思い出した。彼らが笑っているのは、「私」が彼らを食べなかったからだ。

 戦争や、神や、偶然といった、「私」以外の力が作用して「私」は彼らを殺したが、「私」の意志では食べなかった。だから今こうして、共に死者の国にいられる。



 しかし、もしかしたら、野火に向かって人間を探しに行った「私」は、天使として人間を裁くつもりで、本当は彼らを食べたかったのかもしれなかった。

 もしも、「私」が傲慢によって、その罪を犯す前に、誰かが「私」を打って止めたのなら、そして、その何者かが、自分を食べてもいいと言った、あの巨人となった日本兵で、彼が「私」のために、神から遣わされた、キリストの化身であるなら。

「私」は、思う。

「神に栄えあれ」



  (完)




 以上が、「野火」のあらすじです。

「野火」の印象に残る場面や、作者、大岡昇平のこぼれ話などを、後日、また改めてご紹介させていただく予定です。

読んでくださって、ありがとうございました。


(補足)
以前、当ブログで、戦争を題材にした舞台「War Horse」と併せて、大岡昇平の『俘虜記』を一部ご紹介させていただいた記事はコチラです。
「ロンドンの舞台「War horse」A ある名場面と、その他のおすすめ作品。」
http://enmi19.seesaa.net/article/161691606.html?1503687271

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2017年03月29日

室生犀星と猫のカメチョロ

 先日、金沢出身の文豪室生犀星と、火鉢に手をかざす猫ジイノについてご紹介しましたが、引き続いて、犀星の娘朝子さんが書かれたエッセイ「うち猫、そと猫」より、犀星と彼が最も愛した猫カメチョロのエピソードを少し書かせていただきます。

 『室生犀星作品集・57作品⇒1冊』 -
『室生犀星作品集・57作品⇒1冊』 -

うち猫そと猫 (1982年) -
うち猫そと猫 (1982年) -


「ふるさとは遠くにありて思うもの」という詩で有名な室生犀星は、小説や詩で名を成してから、東京大田区の馬込と軽井沢に家を持ち、行き来をしましたが、その縁で、ある猫と出会いました。

軽井沢の家を建てた大工の棟梁が、避暑に訪れた犀星に、自宅の三毛が産んだ子猫を「夏の間寂しいでしょうからこの猫と遊んでください」と連れてきたのが、犀星と猫のカメチョロの出会いでした。

カメチョロはその日の午後にはもう犀星に懐き、軽井沢の家を、生まれながらの自宅のようにゆったりと歩き回り、犀星が庭に出れば後をついて歩いたそうです。

犀星は家や庭に、自身の高い美意識を反映させた人でしたが、この子猫には、彼が顔が映り込むほどに磨き上げた紫檀の仕事机の上や、手づから世話をする庭を歩くのを許したそうです。

(ちなみにカメチョロという不思議な名前は、信州の言葉で「トカゲ」を意味し、この子猫が庭を好きに飛び回る姿が、同じく庭を闊歩する、美しく銀青色に光るトカゲに似ているからという理由で名づけられたそうです。)

こうして、1年目は避暑の間だけ犀星と過ごしたカメチョロは、2年目の犀星の軽井沢訪問時も彼をよく覚えていて、大工さんがカメチョロを入れていた箱を飛び出すと、すぐに犀星に身をこすりつけて懐き、夏が終わるころ、ついに犀星の猫となって東京に連れてこられました。

カメチョロは母に似ず、大きくなってからはペルシャ猫の血を引くことを感じさせる雉虎柄の長毛で、目が大きく、犀星好みの長くふさふさとした尾を持つ雄猫でした。

「うち猫そと猫」にはカメチョロの写真がありますが、畳に優雅にねそべるカメチョロは、黒目がちで、モノクロの写真であっても、淡いピンクであったのではと思わせる愛嬌のある口元が、微笑んでいるようにふんわりと上がった、大変可愛らしく美しい猫です。

個人的には、一目見て、手塚治虫の描く、まつ毛の長い大きな目の、情深く妖艶ですらある美猫を思い出しました(カメチョロは男の子ですが、ブラックジャックの名作「猫と庄三と」の牝猫にちょっと似てる。)。

ブラック・ジャック 7 -
ブラック・ジャック 7 -


美貌でゆったりとした性格のカメチョロは、犀星に「わしの猫だからわしが世話をする」と宣言させた、おそらく数多くいた室生家の猫の中でも、犀星に最も素直になつき、犀星も溺愛した猫であったようです。

 「うち猫、そと猫」の中には、帽子をかぶり羽織姿の背筋の伸びた犀星を、笹の垣根づたいに追い、やがて寂しそうに見送るカメチョロや、犀星が丁寧に掃き清めて世話をする庭を悠々と歩くカメチョロと、自身はしゃがみこんでせっせと庭の手入れをしながらも、そういうカメチョロを好きにさせている犀星の写真が載せられています。

 朝子さんによると、犀星はブラシ代わりに軍手をはめて撫でることで、長毛のカメチョロの毛並みを整えてやっていたそうで、はじめはいやがっていたカメチョロもすぐに犀星の意を汲み、天気の良い日に犀星が軍手を持って出てくると、「犀星より先に縁台にとびのり、ごろりと寝るようになっていた」そうです。

しかし、このカメチョロは、冬のある日、伝染病にかかり、急死してしまいました。

その夜、犀星の部屋には遅くまで灯りがともっていたそうです。

朝子さんは他の飼っていた動物たちのように、カメチョロをお寺に葬るつもりでしたが、犀星は、「カメチョロをそんな遠くに葬るわけにはいかないよ。庭の杏の木の下に埋めなさい」と、朝子さんに頼みました。

 朝子さんたちが、埋葬の穴を掘っていた時、犀星はふいに庭に出てきて、彼女にカメチョロの遺髪を切ってほしい、と言いました。

 朝子さんにとっても非常につらい作業でしたが、犀星はカメチョロの埋葬を見ることすらできなかったようで、書斎にこもってしまい、朝子さんが持ってきた遺髪を黙って受け取ったそうです。

  東京に連れてこなければ、空気のきれいな軽井沢にいれば、カメチョロがこんなに早く死ぬことはなかったかもしれない。そう思ったのか、犀星は「ほんとに可哀想なことをした」と、悲しそうに言っていたそうです。

 カメチョロの死んだ前年の昭和34年に、長く療養していた妻のとみ子さんを亡くした犀星は、軽井沢に自分で「室生犀星文学碑」を建て、奥さんの遺骨の一部を、文学碑の傍らに置いた俑人(死者とともに副葬する人形)の下に埋葬していました。

(参照、「避暑地の散歩道 室生犀星文学碑&俑人像」軽井沢life http://karuizawa-style.net/kyukaruizawa/muroosaisei/)

 そして、朝子さんを連れて、散歩で文学碑を訪れたとき、なにげないふうに、
「わしが死んだら、ここに骨を埋めてほしい、そのために穴も大きく作っておいたからね」と、言いました。

 昭和37年3月26日、72歳で犀星は世を去りました。

 色々な片付けが済んだころ、朝子さんは、犀星が手元にのこしていたはずのカメチョロの毛を探しましたが、几帳面に整理されていた引き出しのどこからも見つかりませんでした。

 その年の夏、犀星の遺言に沿って、朝子さんは、犀星の分骨を携え、軽井沢の文学碑へと赴きました。

 大工の棟梁(最初にカメチョロを連れてきた人)に手伝ってもらい納骨を終えた朝子さんは、俑人の後ろに植えられたかんぞうの葉陰に、石燈籠の宝珠がおかれているのに気づきました。

 本当なら灯篭の一番上に置かれている石が……、と不思議がる朝子さんに、棟梁が、
「去年、先生があそこになにかを埋めて、その目印のためにあの石を置いたのですよ。先生はいったい何を埋められたのでしょうね」と、言いました。

「犀星が埋めたものは、あれほど軽井沢に返してやればよかったと言っていた、カメチョロの遺髪だったのだ。誰にも言わずに、わざわざ目印に宝珠まで置いたのは、愛した小さな生命に対しての、犀星の最大の供養だったのである。」

 朝子さんは見つからなかったカメチョロの遺髪と、棟梁の話とを結び合わせて、そう父の思いを振り返っていました。

 複雑な生い立ち、幼い我が子の死、愛妻の病など、波乱の多い人生を送り、厳格で気性の激しいところもありながら、年代を問わず多くの才能ある詩人たちとその家族に慕われ、心のこもった交流をしていた犀星。

 彼の文章からは、類まれな美意識や観察眼だけでなく、こうした人柄の奥行きがありありと感じられます。

 なぜこう強靭で、それでいて優しいのか。

数多くの文学者が鋭敏さと引き換えに傷つきやすく生きづらい精神を持っていたのに比べると、圧巻の文才と、優しさと、率直さの全てを持っていた犀星の存在は謎ですらあります。

 どうして苦労の連続ながら、それにのまれずに、人としても文学者としてもこういう境地に辿り着いただろうか、その過程を、私は、まだよく知りませんが、愛妻の死後、妻と自分が眠る場所を静かに整え、カメチョロの魂の一部も、カメチョロのふるさとであり、やがて犀星も眠る場所へ連れて行ったという話は、まさにこうした犀星の強靭さと優しさを物語っていると思いました。

 ジイノとカメチョロの話のおかげで、もともと稀代の名文家と思っていた犀星をますます好きになりましたので、また折をみて、彼の作品についてもご紹介させていただきたいと思います。

 読んでくださってありがとうございました。

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2017年03月22日

室生犀星と猫のジイノ

 金沢を代表する文学者、室生犀星の命日、「犀星忌(3月26日)」にちなみ、 雑誌『サライ』2017年3月号に載っていた室生犀星の記事をご紹介させていただきます。

 3月号の『サライ』のテーマは「日本は猫の国」。

サライ 2017年 03 月号 [雑誌] -
サライ 2017年 03 月号 [雑誌] -

 絵画や文学、漫画に登場する猫や、芸術家たちと暮らした実在の猫たちの様々なエピソードが紹介されていますが(例えば、「漱石はよく猫を背中に載せたまま寝そべって新聞を読んでいた」らしい〈萌〉。)、なかでも微笑ましかったのが、室生犀星と愛猫ジイノの写真です。


  「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」(『抒情小曲集』より)という詩で有名な室生犀星は、随筆、小説でも数多くの優れた作品を残しました。


室生犀星詩集 (新潮文庫 (む-2-6)) -
室生犀星詩集 (新潮文庫 (む-2-6)) -

 お勧めは『月に吠える』の萩原朔太郎、『風立ちぬ』の堀辰雄など、そうそうたる文学者たちの作品と、彼らとの交流を描いたエッセイ、『我が愛する詩人の伝記』です。

我が愛する詩人の伝記 (講談社文芸文庫) -
我が愛する詩人の伝記 (講談社文芸文庫) -

 犀星の鋭い観察眼と、控えめながら深い他者への情、詩で磨かれた言葉の美が冴えわたり、一言一句、冬の日溜まりのような切ないぬくもりと、宝石の一粒一粒のような輝きを併せ持つ作品です。
(一瞬の隙もなく言葉が優れて胸に迫るという点では、自分の読書歴の頂点に立ち続ける作品です。〈小説なら漱石ですが、いずれにせよ甲乙つけがたい。〉)

 文章の一例として、『我が愛する詩人の伝記』内、堀辰雄の妻、たえ子さんの回想と、堀辰雄の文学の批評部分を少し引用させていただきます。

 「病床十年を切り抜けたところで夫の死を見た彼女は、烈婦のカガミのような人であった。カガミはいまは辰雄の小説の中から美しい嫉妬をほじくり出して、それを唇にくわえて遊泳していた。カガミはカガミに映る自分を見て笑い、毎月墓地にかかさずせっせと通うていた。石にお詣りするということはどういう事なのであろう、私にはこの古い日本のしきたりが余りに美の行事であるため、却って奇異のはかなさに思われた。
 堀辰雄は生涯を通じてたった数篇の詩をのこしただけであるが、その小説をほぐして見ると詩がキラキラに光って、こぼれた。こぼれたものを列べてみると、それはみな詩の行に移り、よどみない立ちどころの数篇の詩を盛りあげていた。小説や物語の女達の言葉や行いが、人間の性情にあるときは詩というものが、こんなふうのものかと、そう思われる優柔感をそなえてみせた。」

 亡き婚約者の面影(※)を文学にしたためた夫を愛し、彼の闘病と執筆を支え続けた妻と、堀辰雄の文学の魅力を、それぞれ的確かつ誇張なく美しく描いた名文です。

(※)『風立ちぬ』で主人公の「私」が病床に付き添う「節子」は、堀辰雄の死別した婚約者、矢野綾子がモデル。 

 このように突出した言葉の才を持つ犀星は、その気骨や美意識の裏返しなのか、気むずかしく癇癪持ちなところもあったようですが、(親友の朔太郎が他の作家にからまれていると思って、出版記念会で椅子を振り回したこともあったらしい。)ご家族ともども動物好きで、娘の朝子さんの猫、ジイノ(アンジェリーノという華やかな名前だったのがジイノになったのだとか〈※〉)は、犀星の書斎に平気で入り込んできたそうです。

 (※)朝日新聞デジタル「3:室生犀星の愛した「ジイノ」」より

 そんなジイノが、火鉢のふちにちょこんと両前脚をかけ、火鉢を挟んで座る犀星が笑ってその様子を見ているという写真が、『サライ』に掲載されています。

 参照:室生犀星記念館のHPで公開されている犀星とジイノの写真。(H番)
 http://www.kanazawa-museum.jp/saisei/outline/picture.html

 (HPの写真では、もう、おねむみたいで、顔を体に埋めるようにしていて、犀星が火箸で火加減に気を配っている様子〈やさしい〉ですが、サライでは、お目目ぱっちりおすまし顔のジイノと、ニコッと笑っている犀星の写真が観られます。犀星は基本的には写真嫌いだったそうですが、猫と撮られるのは平気だったとか。)

(追記、サライのものと同じ写真を表紙に使った電子書籍作品集が発売されていました。)
『室生犀星作品集・57作品⇒1冊』 -
『室生犀星作品集・57作品⇒1冊』 -

 ジイノがこのポーズをとるようになったのには、こんなきっかけがあったそうです。

 「ある日(ジイノが)、犀星の横にあった火鉢に二本の手(前脚)を揃えて座り、居眠りをはじめた。それに気づいた犀星は、もう少し火鉢に近づけてやろうとそっと尻を押す、するとジイノの両手が火鉢にかかり、火にかざしているような格好になった。翌日からジイノは犀星の書斎に行くと、火鉢に両手をかけて眠るようになった(『サライ』3月号より)」
 
 犬飼ってたんでわかりますが、毛足の長い生き物は、畳などでお尻を押すと、ツーと、押されてる側も驚くほど摩擦なく滑ります。

 偉大な、やや厳格な雰囲気の文学者にお尻を押されて、ツーと畳を滑って、ツルンと火鉢の縁に両手のかかってしまったジイノが、火鉢の内側のホカホカに気づいて「こりゃいいニャ」と、落ち着いてしまった様が目に浮かびます。

 犀星の書斎は、家具から飾られている陶磁器に至るまで、素人目にも品の良いものばかりで、ジイノが手をかける火鉢も、金属製なのか重々しく黒光りする高価なものに見えます。

 犀星は火鉢がジイノの脂で汚れるからこまめに拭かなければならないと迷惑そうに語っていますが、実はこのポーズを気に入っており、来客があるたびに、ジイノを連れてきて、可愛らしい仕草を披露していたそうです。
(参照、室生犀星記念館2014年3月12日ブログ

 あの美しい文を書いていた方が、猫をいそいそ火鉢の前に連れてくる姿を想像するとギャップ萌えます。

 ジイノの可愛い火鉢ポーズは、2014年に、彫刻家で金沢美術工芸大学非常勤講師の渡辺秀亮(ひであき)さんにより再現され、犀星記念館入り口でオリジナルキャラクターとして来館者をお出迎え、この場所では撮影が可能だそうです。

 犀星記念館では、ジイノほか、室生家の猫たちの写真が犀星の詩と併せてポストカードになっているのですが、さらに、ジイノはあの火鉢にお手手ちょこんの姿で切り抜かれてしおりになっていたり(本に手をかけているみたいに見える)、犀星と一緒に可愛い似顔絵ストラップになっていたりします。ほしいー。

(犀星記念館のグッズは、その他にも犀星の愛猫たちの箸置きとか、なんかズルいセンスのものが目白押しです。)

 ちなみにそのストラップのもう一面は、中年以降は品と風格のある容姿ながら、若い頃はあまりイケメンとは言えない犀星の奇跡の一枚(失礼)をモチーフにしています。
(その写真だけ綾野剛に少し似ている。上掲写真館ページのAの写真かと、)

(参照、室生犀星記念館2014年3月16日ブログ

 グッズといい、入り口のジイノといい、全体的に素敵な場所のようなので、立ち寄られてはいかがでしょうか。(北陸新幹線のお供には『我が愛する詩人の伝記』を是非。)

 『サライ』はこの他、赤塚不二夫や大仏次郎など、様々な人たちの猫との関わりと心暖まる写真が観られます。素敵な一冊でしたので、こちらもお手にとってみてください。
(よろしければ当ブログ続編記事「室生犀星と猫のカメチョロ」も併せてご一読ください。)

 読んでくださってありがとうございました。


(参照)
・室生犀星記念館HP http://www.kanazawa-museum.jp/saisei/
・朝日新聞デジタル「私のこだわり【猫 比名祥子記者】3:室生犀星の愛した「ジイノ」」http://www.asahi.com/area/ishikawa/articles/MTW20160122180750001.html
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2016年08月17日

「遠い記憶」(阿刀田 高 著 『恐怖コレクション』より)


残念ながら現在あまり簡単に入手できないのですが、面白い短編集があったので一部をご紹介させていただきます。

阿刀田 『恐怖コレクション』

恐怖コレクション (新潮文庫) -
恐怖コレクション (新潮文庫) -

阿刀田氏はショート・ショートの名手として、毒や奇妙な味のあるミステリー・ホラー作品等を数多く世に送り出し、またそのような分野の作品の審査員、編者としても有名な方です。

一方で、聖書、ギリシャ神話、コーラン等の古典の紹介者としても知られています。

その阿刀田氏が、1985年に、恐怖にまつわるエッセイとして発表したのがこの『恐怖コレクション』。

はっきりとした怪奇現象というより、彼や彼の知人が体験した、説明できるようでしきれない不思議な話や、日常にそっと紛れ込んだ人生の闇を描いた作品集です。

その中でも個人的に特に印象深かった話が「遠い記憶」です。

(以下ネタバレですので、あらかじめご了承ください。)




語り手「私」は、何度も同じ、怖い夢を見る。

夜の海を泳いでいたら、浜辺の光が消えてしまい、星の無い夜、どちらに向けて泳いで良いのかわからなくなるという夢。

陸と信じた方に泳ぐしかないが、もしかしたら今自分はどんどん沖に出ているのかもしれない。そんな恐怖の中、自分が水を掻く音だけが聞こえる。

波にあおられ塩水を飲み、真っ暗な海はどんどん深さを増しているような気がする。
もがきながら、疲労に重くなる体、死が間近であるという予感……。

いつ見ても怖い夢。しかし目覚めると、恐怖のほかに不思議さがこみあげてくる。

なぜ、こんな夢をみるのだろうか。

「私」がこの夢を見始めたのは、小学校6年生のとき。

そして、中学生になったとき、「私」は自分の父が若いころ、軽い気持ちで真夜中の海に入り、戻ろうとしたときに島が停電になって、どちらへ戻ればいいのかわからないままに、不安に駆られて泳ぎつづけたという話を聞かされる。

「後天的な形態変化は遺伝しないが、学習内容は遺伝する」という生物学の一説がある。

左の通路を選ぶと、感電する巣箱にネズミを入れ、何世代か飼い続けると、とうとうはじめから左へ行かなくなるネズミが誕生する。

「左に行くと感電する」という経験の恐怖と学習が、子孫のネズミにはあらかじめ植え付けられているということになる。

(※補:2013年、これに似た実験がアメリカで行われ、「ネズミに桜の香りを嗅がせた後に、電気ショックを与える」という実験を数世代にわたり行った結果、孫の代のネズミはより微弱な桜の香りでも事前に身構えるようになったということです。つまり現時点で、「先祖の学習内容がある程度遺伝され、同じ目に遭った時の脳内の反応が、前の世代より敏感で早くなる」ということまでは実証されたそうです。〈参照:「ソトコト」HP「福岡伸一(生物学者)の生命浮遊 記憶は遺伝するか1同2」より〉)


あるいは覚えていないだけで、父以外のだれかがこの夜の海での体験を「私」に聞かせ、それを夢に見ただけなのかもしれないけれど、あの暗い海の夢を見たあとに自分の心のうちにめぐってくる遠い記憶めいたものは、人に伝え聞いたという形では、現れえないのではないか、と戸惑う「私」。

奇妙な夢を描いた夏目漱石の短編、「夢十夜」第三夜に、語り手である「自分」がいつのまにやら盲目の幼児の父となり、その子を背負って雨夜の田舎道を歩く、という夢がある。

文鳥・夢十夜 (新潮文庫) -
文鳥・夢十夜 (新潮文庫) -

その状況になぜか言い知れぬ恐怖を覚えながら、「自分(子を背負う父)」が道を歩き続けると、最後に森の中に来た時にその子が、
「文化五年辰年だろう。御前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね」
と言い、「自分」の脳裏に、100年前のこんな夜に、自分は盲目の子を殺したのだという記憶がよみがえる、という話である。

この「夢十夜」の男も、先祖の遠い記憶を受け継いで、それを夢に見るのかもしれない、と、「私」は思い、もう一つ、「私」から離れてくれない怖い夢を思う。

夢に現れる光景自体は怖いものではない。

ただ、一人の女がそこにいる。

髪を古風に丸髷に結い、黙って薄笑いをしている。よく見ると、口以外は無表情で、紙のように白い顔をしている。

それだけなのに、「あ、いけない」と「私」の身の内に狼狽がかけぬける。

誰なのか、なぜ笑っているのか、わからない。恐怖だけが尋常でない。目覚めても、その戦慄はしつこく「私」につきまとう。

「私」は思う。

この白い顔で薄笑いをする女と、自分の細胞に潜む誰か先祖の間に、忌まわしい過去があり、それがこんな夢を見させているのではないか。

いったい何があったのか。

寝ざめに、わが身は知らない遠い記憶をたぐろうとしても、「ただうらうらと白ずんだもどかしさが残るばかりで、何も見えない。」

(完)

不思議といえば不思議な話なのですが、しかし、現実にありそうといえばそうでもあり、実際、今現在、科学はその現象の糸口をつかみつつあります。

特に恐怖の記憶が遺伝するというのは、ある意味、種の生き残りをかけた必要な情報伝達なのかもしれません。

今、確実に実証できているのは「子孫は先祖と同じ危険を体験したとき、より早く、敏感に反応する」というところまでのようですが、もしかしたらこの阿刀田氏や漱石の短編のように、もっと細かい記憶が、世代を隔てた子孫の細胞まで、メモリのように受け渡されるということが実際にあり、そのメカニズムもいずれは解明されていくのかもしれません。

私は犬との付き合いで、「遺伝は思いのほか世代を隔て、また細かいところまで伝わっているのではないか」と思わされることが何度かあったので、ご先祖様の恐怖や忌まわしい過去はご免こうむりたいけれど(「私の細胞の中に潜む先祖」という一文が妙に怖かった。「私」は冷静に因縁を見極めようとしているけれど、こんな怖い記憶を子孫の身の内に持ち込まれたら困る。)、この「記憶の遺伝」ということについては、妙に興味をひかれるところがあります。
(私が体験した犬の話については、また改めて書かせていただきます。)

この『恐怖コレクション』、何か出没して怖いというより、自分の身近、あるいは身の内に覚えがあるような不思議や恐怖を描いていて、虚実のあわいがあいまいな読後感ですが、そこが非常に面白いです。

どのエピソードもごく短く(5ページ程度)、ショートショートの達人らしい明瞭ながら余韻のある文、著者の幅広い知識も盛り込まれていて時間を忘れて楽しめます。是非お手にとってみてください。

読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum. at 08:02| おすすめ本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月28日

「野火」(大岡昇平作の戦争文学)


野火 (新潮文庫) -
野火 (新潮文庫) -

明日(2016年7月29日〈金〉13:00〜14:45)BSプレミアムで大岡昇平の小説「野火」の映画版が放送されるそうです。(監督は巨匠、市川崑監督)
参照 http://www.nhk.or.jp/bs/t_cinema/calendar.html?next

野火 [DVD] -
野火 [DVD] -
第二次大戦時のフィリピン、日本軍敗戦を目前とし、食糧や薬が欠乏する中、病気のために切り捨てられた兵士「私(田村)」が、病院に入ることも許されずに、米軍や地元民から逃れて、孤独にさまよう中で、飢えと病、そして「私」と同じように絶望的な状況に陥った果てに、もはや仲間の肉体すらも生き延びるための食糧とみなすようになった日本兵同士の殺し合いを目の当たりにするという作品です。
(「野火」のウィキペディア記事はコチラ

映画版は、今回放送される市川崑監督版(1959)と、塚本晋也監督版(2015)があるそうですが、後者は、そのあまりの凄惨さに、映画祭出品時、作品途中で席を立つ人が続出したそうです。(参照AFP記事 http://www.afpbb.com/articles/-/3024845

野火 -
野火 -

ここで、監督の異なる映画版二作についてネット上の批評を引用させていただきます。

市川崑の『野火』ではカニバリズム(補、人肉食)を拒絶し、人とケダモノの境をぎりぎりの理性で線引きしてみせた田村は、人が普通の人間らしい暮らしをしているはずの野火のありかを目指して仏のように歩み出て銃弾に倒れる。戦時の記憶が国民の多くにまだ鮮やかであった時代、そんな美しい表現に託さなければこの主題は重すぎて観るにたえないものになったかもしれない。だが、世紀をまたいで戦争の記憶を継承する人々もいなくなり、やおら社会がきな臭くなってきている今、塚本晋也は逆に戦争の残酷さ、残虐さを真っ向から突きつけてくる。塚本監督がかねて露悪的に描いてきたグロテスクな、もしくはスプラッタ的なイメージが、本作ではその遊戯性抜きに正視が難しいほどの陰惨さで動員される。

(「樋口尚文の千夜千本 第17夜「野火」(塚本晋也監督)」より)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/higuchinaofumi/20141123-00040926/

通常、戦争映画は実際に戦場で起こるその悲惨さや残酷さを伝え、観客は映画館という安全な場所でその非日常的な現実を体験する。しかし『野火』はそうした悲惨さや残酷さより、実際の戦場で兵士が何を思い感じているのかということに焦点が置かれている。観客は映画館で、ちょっとしたことで現地人を銃殺するだろうこと、挙げ句は「猿の肉」を人肉と知りつつ喰らうだろうことに適応していくのだ。いわゆる戦争映画とは別の視点で戦争がどんなものかを伝えてくれる

そしてそれが、1959年に市川崑により映画化された『野火』との大きな違いでもある。


(映画紹介ページ「Lucky Now」内「【野火】これは、いわゆる戦争映画ではない(執筆者 今川 幸緒)」より http://luckynow.pics/nobi/ )

「まだ戦争の記憶が生々しかった時代に、原作とは異なり、主人公「私」が人肉食というタブーを最後まで拒絶する姿を通じ、極限状態の中に残された『人間の理性』を表現した市川版」と、
「戦争の記憶が薄れた今、観客たちに向けて、『戦争は人間の心を完膚なきまでに崩壊させる』ということを表現した(そのため、原作通り「私」は人間の肉を口にする)塚本版」
という違いがあるようです。

どちらが正解ということもないのですが、個人的には、映画鑑賞を検討している方も、是非先に小説を読んでいただきたいと思います。

そこには、小説という表現方法でなければ描けない、また別の、戦争と人の心が描かれているからです。

著者自身が戦地に赴いて体験したことと、それまで学んできた知識、おそるべき冷静さを秘めた精神力、文学的才能を融合させることによって生まれた、おそらくは世界的にも類を見ない、「極限状態におかれた、ある特異な一個人の魂」がそこにある。

「人間」全般ではなく、遭遇した出来事と、個人の思考によって姿を変えていった魂。

いわゆる社会的な善悪とは既に切り離された人々のうちの、ある男が思い、感じること、その心に写る世界のありようが。

私は最初にこの小説を読んだとき、内容のあまりの惨さにうちのめされ、「一度は知識として知っておくべき戦争と人間の暗部を学んだ。でも、繰り返し読まなくてもいい」と思っただけで、何年も放置していましたが、なにかのきっかけで、もう一度読んだとき、今度は、「私」の、地獄にあってすら、(いっそ現実離れしているほどの)静かで知的な視点や語り、そして、病に蝕まれて、正気を失った末に、死の間際に澄んだ目で「私」に語りかけてきた兵士、その男の言葉によって変容してしまった「私」の葛藤に、心をゆさぶられました。

この小説は戦いを描いています。

国籍の異なる者たちの戦争、同じ国の、生き延びるために互いの肉を奪い合おうとする者たちの争い。そして、

死の前にどうかすると病人を訪れることのある、あの意識の鮮明な瞬間、彼は警官のような澄んだ目で、私を見凝めて(みつめて)言った。
「なんだお前、まだいたのかい、可哀想に。俺が死んだら、ここを食べてもいいよ」


餓死したくない、しかし、「食べるために仲間を殺す」というタブーを避けたいがために、命が尽きる寸前の病人を見張っていた「私」に対し、そう言って、自分の痩せ衰えた腕を示して死んだ男。

「食べてもいいよ」と言われたがために、誰も見ていない、誰も助けてくれるはずもない、誰からも、食べようとしているその男からも責められない状況になってすら、「私」はその男を食べられなくなりました。

彼の意識が過ぎ去ってしまえば、これは既に人間ではない。それは普段我々がなんの良心の呵責なく、採り殺している動物や植物と変わりもないはずである。
この物体は「食べてもいいよ」と言った魂とは別のものである。


そう自分に言い聞かせ、「食べてもいいよ」と言われたその腕から、肉を切り取ろうと剣を振り下ろす「私」。しかし、


その時、変なことが起こった。剣を持った私の右の手首を、左手が握ったのである。


地上の誰も「私」を見ていない、裁かない。死んだ男は既に許している。それでも、完全に孤立した「私」の中で起こった、剣を下そうとした右手と、それを掴んだ左手の間に生まれた戦い。

人の心は環境の変化で数日で崩壊する。
それは、人の肉体が重い岩をどうしても背負えずに潰されていくのと全く同じように、人間の限界がもうそこにあるから。

それを感じさせる世の中の出来事をさんざん見聞きし、自らの心にもそのきしみ、ゆがみ、くずれを見た後に、この作品を読むと、そのたびに、「『食べてもいいよ』と言われたがために、「私」の右手と左手の間に起った戦い」が、既に失望を刻み込んだ心臓に、何か異なる温度をもって突き刺さります。

「野火」という文学は、国家と人間同士の戦いの他に、その渦中にあってすら、孤独な個人が自身の中で激しく葛藤した、その戦いを描いているために、稀有な作品なのだと思います。

是非、小説を手にとって、この心の動き、読み手を圧倒する「私」の左手の確かな手ごたえを実感していただきたいと思います。

いずれ、この小説の優れている点について、もう少し書かせていただきたいと思いますので、よろしければご覧ください。

読んでくださってありがとうございました。









posted by Palum. at 04:40| おすすめ本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月25日

夏の音(筝曲家宮城道雄の随筆「春の海」より)

本日は夏にちなんだ文章をご紹介いたします。

筝曲家(そうきょくか)宮城道雄(1894〜1956)。

Michio_Miyagi.jpg(ウィキペディアより)


盲目の天才奏者にして作曲家。

この方の作曲した「春の海」を聴けば、全日本人100人中120人がお正月を思い出すというほどメジャーです。
「国会図書館デジタル図書館」内「春の海」(宮城道雄演奏)音源は以下のとおりです。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1319027

 実は名文家でもあり、その類まれな鋭さと繊細さを併せ持つ感覚でとらえた独自の世界観の随筆をいくつか世に送り出しています。

 食卓に置く音で、その器の大きさや厚み、形状を感じ取れたとか、部屋に入った時の空気感で広さや洋室か和室かを測れたとか、やってくる靴音で性別やおおよその立場(職業)を当てることができたなどのエピソードが記されていますが、そうした怖いほどの達人の感性の中に、夏ならではの音についての名文がありました。

 『「春の海」宮城道雄随筆集』(岩波文庫)内「四季の趣」という作品の一節です。

新編 春の海―宮城道雄随筆集 (岩波文庫) -
新編 春の海―宮城道雄随筆集 (岩波文庫) -


 (以下引用)

 夏は、朝早いのも気持ちが良いが、何といっても、夜がよい。蚊遣り(かやり)のにおいや、団扇(うちわ)をしなやかに使っておる物音などは、よいものである。夏になると、部屋を明け(開け)広げるせいか、近所が非常に近くなって、私の耳に響いてくる。横笛の音などは夏にふさわしいものだと思う。蚊に刺されるのは嫌だけれど、二、三匹よって、プーンと立てている音は、篳篥(ひちりき※)のような音がしてなかなか捨てがたいものである。
(※補:)篳篥……雅楽などで用いられる小型のたて笛

 ……『枕草子』「はるはあけぼの」を思わせる名調子です。

 窓を開けたら笛の音が聞こえてくるなどというのは、昔だからか、宮城さんがお住まいなくらいだから芸事が盛んな土地柄だったのかはわかりませんが、いかにも風流です。

 しかし、蚊の羽音すらも「篳篥のような音がする」とはさすが芸術家です。

 私なら「ギャー!一匹ならずいる!!(怒)」とベープ仕掛けてキンチョール持ってキンカン待機で、その音源を目ェ吊り上げて、ドタバタと追いかけまわすでしょう。

 篳篥の音が聴ける動画があったので添付させていただきます。(単独で音が聴けるのは1分38秒頃)



……なるほど似てなくもありません。

 絶対に刺されない、刺されてもカユクないという前提なら、あの羽音はもしかして美しいものなのかもしれません。

 私は凡人なので、宮城さんのように、どこからでも美を抽出できるほど人間が出来上がっておりませんが。

 蚊は「うーむさすが、たしかに、でも……(カユイし憎たらしいし……)」みたいな感じで読みましたが、個人的に以下のくだりには非常に共感いたしました。

 (以下引用)
 扇風機のあのうなる音をじっと聴いていると、どこか広い海の沖の方で、夕日が射していて、波の音が聞こえるように思われる。一人ぼっちで、放っておかれたような感じがする。なんとなく淋しいような、悲しいような気持ちになって、大きなセンチメンタルな感じがするのである。時々私は、扇風機の音にじいっと聴き入っていることがある。

 ……これを読んで、急に、子供の頃、夏休みにおそらく親戚の家に泊まりにいったとき、一人で目が覚めてしまった時のなんとも言えない気持ちを思い出しました。

 近くに身内は寝ているのだけれども、寝静まった今、誰とも話すことができなくて、心細く、退屈で、自分の側でゆっくりと首を振っている扇風機の音だけが響き。

 聴くでもなく耳にしていると、それは確かに波の音に似ていたのです。

 私には、浜辺に打ち寄せた波が引いていくときの音に聞こえ、暗くて淋しい中、ただ、海にいる気持ちになって自分を慰めながら、やがて、うとうとと眠りに落ちた。

 あの時間を思い出しました。

 蒸し暑い中かすかに涼しい、淋しいけれど静かな、独特の長い時間。

 朝までの時間を待つことも、音楽ではなく音をじっと聴くことも、せわしなく生きる今となっては遠い感覚です。

 このくだりを読んで以来、扇風機の音の奥に、寄せては返す波を感じるとともに、そういう、心細く寂しいけれども、今とは違う感覚で生きていた幼い頃への郷愁もよぎるようになりました。

 そして、それとは別に、この穏やかなたたずまいの天才奏者が扇風機の側に座り、つくづくと耳を傾け、そこに海を思っているという、その姿それ自体に美とやさしい趣を感じます。
 

 宮城道雄は琴を教えたのがきっかけで、随筆家内田百(うちだひゃっけん)と親しくなったそうです。

(内田百閨@ウィキペディア記事より)
内田百.jpg

 とおりいっぺんの付き合いではなく、互いに尊敬しあい、思いやり、心を許した本当の友人でした。(宮城道雄の文章は内田百閧フ紹介で、口述筆記によってなされたそうです。)

 この二人の交友を知る前、漱石ファンの私は、漱石の病床まで借金を頼みに来て、その帰りの交通費まで借りたという百閧ヘ、才能豊かとはいえずいぶんキョーレツなキャラだったのだなあという印象を持っていたのですが(あと漱石の鼻毛収集家だったという逸話もある〈あの鋭敏すぎる感性を持つ端正な面立ちの明治の文豪には、原稿用紙に抜いた鼻毛を植え付けるという奇癖があり、それを百閧ェ謹んで頂戴した〉、このあたり、あいまいな記憶で申し訳ありませんが、『私の「漱石」と「龍之介」』【ちくま文庫】)に所収されているようです)、宮城道雄の文章から、歯に衣着せぬ態度ながら、茶目っ気のある温かな人柄のよき友であったことが伝わってきました。

 ここから先は孫引きで申し訳ないのですが、宮城道雄と内田百閧フ間にはこんなやりとりがあったそうです。

(「百鬼園の図書館」という内田百闃ヨ連のHP内「宮城道雄側からの百閨vより引用させていただきました)
 参照URL http://www.biwa.ne.jp/~tamu4433/miyagi.html
 両隣が近く、琴の稽古の音がうるさいのではないかと気を使う宮城道雄に、百閧ヘこう言います。

(以下引用、現代仮名遣いに改めてあります)

百閨u(家の境の)板壁に、蓆(むしろ)いっぱいに打ち付けて、ぶらさげておけばよろしい」
道雄「そうすると、どうなりますか」
百閨uそうすると、お稽古の音が蓆にぶつかります」
道雄「それで」
百閨uそれで夕方お稽古のすんだ後で、蓆を外してはたきますと、一日中溜まっていた音がみんな落ちますから、それを掃きよせて捨てればよろしい」
道雄「本当かと思ひました」


……内田百閧フ「明暗交友録」という作品集に収録されているそうです。

 お恥ずかしい話ですが、これを最初に読んだとき「蓆(むしろ)」を「簾(すだれ)」と読み間違えまして、勝手に、
「簾の隙間に、宮城さんの奏でた美しい音が、ガラスや蜘蛛の糸のように透き通って、いくつも絡まっている」
という図を思い浮かべ、簾だからそれはやはり夏で、夕暮れにはたくと、音の余韻がさらさらと涼しい音を立てて落ちるのだろう……
と、ひとり想像たくましくしてウットリしていました。

「あ……ムシロ……か……あの松本清張や横溝正史ドラマなんかで、発見された死体にかけられているあれか……(なんだその偏ったイメージは)」
と、後に気づいて、勝手に無い話でウットリしていたことを恥ずかしく思ったものです。

 しかし、それでもやはり、琴の音が絡まってはらえば落ちるというウィットと風流は素敵だと思いました。そしてそれを「本当かと思いました」と答える宮城道雄の物やわらかな返答も。

 思い出すと、その話の中の季節はやはり夏で、琴の音は細くしなやかに光って透き通り、払い落とされるとき夕暮れに涼しく硬質な余韻を奏でているような気がするのです。

 読んでくださってありがとうございました。

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2014年04月07日

「オカアサン」(佐藤春夫作の短編小説〈アンソロジー『文豪の探偵小説』より〉)

 先日、江戸川乱歩の短編「指」をご紹介させていただいたのですが、今日はそのつながりで思い出した、ある風変わりな推理小説について書かせていただきます。

 なぜかどうしても、桜の散るころになると思い出す話なのです。そんな描写はどこにもないのですが。

 『文豪の探偵小説』(山前譲編・集英社文庫)という本に収録された、佐藤春夫の「オカアサン」という、二十ページくらいの短編です。

文豪の探偵小説
この本自体、一風変わったコンセプトで、太宰治、森鴎外、谷崎純一郎、川端康成などといった有名文学者の短編小説のなかで、犯罪、あるいは推理のテイストが含まれている作品を集めていてとても面白いのですが、その中で、たぶん、あまり作品としては有名ではない、しかし個人的には、これは日本短編史史上屈指の名作なのではないか、いや、とりあえず僕的にはとても染み入る作品だ、と思うお話です。

 今回は結末までネタバレで書かせていただきますので、その点らかじめご了承ください。

(あらすじ)
 作家本人を思わせる男、「わたし」は、ある日、仙人のような風貌の男に紹介され、というより、半ば押し付けられるようにしてオウム(黄帽子インコ)を飼うことになる。

 そのオウムはもともと誰かが飼っていたのを手放したもので、既に「ロオラ」という名を持っていた。三歳くらいまではそこにいたようで、その家の家族と思われる人々の言葉を、かなり器用に真似ている。

 誰やら三十半ばくらいの夫人の声で自分の名を呼び、ときどき子供たちの声でにぎやかに喋る。

 人懐こいのに、男の「わたし」にはなかなか馴染まない。

 そんなロオラの鳴き声と様子から、「わたし」は、かつてロオラが住んでいた家庭について、つぶさに想像するようになっていく。
 
……というわけで、「探偵小説」と言っても血も泥棒も出てこない異色作です。

 しかし、ロオラの鳴き声を手掛かりに、一つの家庭の家族構成や、出来事を推理していく様子は、忘れ物のパイプひとつで、持ち主の背格好や経済状態まで言い当てた名探偵ホームズの観察と洞察の鋭さに通じるものがあります。
(これを「探偵小説」として選に入れた山前氏はセンスの良い方だなあと思います。)

 そして、推理の披露だけでは終わっていない点が、この作品の一番良いところなのですが、それは後で書かせていただくとして、まずは「わたし」が、ロオラの鳴き声やくせをもとにして、かつてロオラがいた家庭について、どんな推理をしているかを以下にご紹介します。

・「ロオラや!」というときの声音
 → 少し気取った作り声で話す三十半ばの夫人がいた。

・果物や菓子を食べつけているようで、あげると喜ぶが、最初の餌はさしだされてもすぐに落としてしまい、次の餌を受け取ってから、落とした餌を拾いに行く。また、女の子の声で「ア、ココニモアッタワヨ」と話す
 → ロオラが食べ終わるのを待たずに、われさきにと餌をあげる複数の子供がいる。そして、ロオラが落とした餌について「あ、(ロオラ、まだ食べていない餌が)ここにもあったわよ」と教えている。
 → ロオラは可愛がられていて、しかもその家は鳥にふんだんに果物や菓子をあげられる、かなり裕福な家庭だった。

・「オカアサン」と色々な声音で話す
 → その家の子供は女の子三人と男の子一人がいた。

・「ロオラや」のほかに「ロロや」と言い、「ボーヤ」という言葉も知っている。夜九時くらいになって人の足音を聞きつけると、「オカーサン、ワーワーワー」と鳴く
 →男の子「ボーヤ」はまだ「ロオラ」と発音できないくらい小さく、三、四歳くらい。そして夜、ふと眼を覚まして、寂しくなって母親を呼んで泣くことがあった(まだ学校にいっていない年頃のため、一番ロオラと一緒にいる時間が長かったようで、ロオラはこの子の声、とくにその母親を呼ぶ泣き声が一番上手く、「わたし」が思わずなぐさめてやりたくなるほどである)

・「オトウサン」とは言わない、また男の声音では話さない、可愛がって世話をしても、「わたし」が来ると逃げてしまうのに、元は鳥を飼うことを反対していた妻のほうになつく。さらにはお手伝いさんの女性が一番お気に入りのようで、彼女が来るとあれこれ話し出す。
 → 普段成人男性のいない家庭で、「ロオラや!」と呼ぶ夫人は、痩せ形の妻よりは、お手伝いさんに似た少しふっくらとした女性だった。

・家族たちのとりどりの笑い声を真似る。女の子の声で「ワタシ、オトナシクマッテイルワヨ」と言う。
 → 楽しそうに暮らしているところを見ると父親を失ったわけではない。
 → 父親は家を長く開けなければならない仕事、おそらくは外国航路の船員だった。(父親が帰ってくると、家族中が彼のもとに集まるために、放っておかれがちなロオラは男が家にいるのを喜ばない)「ロオラ」という洋風の名をつけたのは彼で、「(お父さんがお仕事の間)わたし、大人しく待っているわよ」と父親を送り出す子供たちと妻をなぐさめるために、ロオラをお土産として外国から連れてきた。

 ……こんなふうに、ロオラを可愛がることを通して、前の家庭の様子を徐々に知ることとなったわたしは、その家庭によそながら好感を覚えます。

 前にロオラがいた家は、夫の仕事柄、外国風になりそうなものなのに、子供たちに「オカアサン」と呼ばせている古風な夫人がいて、家族のためにロオラを連れてきた夫と、両親になついて、ロオラを可愛がる子供たちがいた。

 ロオラが「目には見えないが、心にははっきりわかる好き一家族を隣人にしてくれた」

「わたし」は、そんなふうに思います。

(注、以下結末部<ネタバレ>です。よろしければ実際に作品をお読みになってからご覧ください)

 しかし、前にロオラがいた家庭について、そこまで思いをめぐらせてみたあとに、「わたし」の胸にある疑問が湧いてきます。

 その家庭は、こんなに可愛い、よく言葉を覚えた、愛されていたロオラを、なぜ手放してしまったのか。

 「わたし」が、ロオラを勧めた男に聞いてみたところ、ロオラは売られたのではなく、ほかの鳥と交換される形でその家を出たのだそうです。

 それでは、金に困ったわけでも、鳥を飼うことに飽きたわけでもない。

 そこまで聞いて、「わたし」は自分のある想像に確信を得ます。

 おそらく、夫人はその後、子供を亡くしたのだ。

 そしてそれは「ボーヤ」なのだろう。

 ロオラが夜突然、「オカーサン。ワーワーワー」と、亡くした子そっくりの声で鳴く。それが、夫人には耐えられなかったのだろう。

 それしか、ロオラを手放す理由が考えられない。

 せめて夫が留守の間に、夫人が子供を亡くしてしまったのでなければいいのだけれど……。

「わたし」は、そんなふうに思います。

 ……「わたし」の家で暮らすようになって二か月、ロオラは「わたし」が飼い犬たちを呼ぶ口笛を上手に真似るようになり、「わたし」に次第になついてきました。

 ますますロオラを可愛く思う一方で、「わたし」は時折心配になります。

 もしも、愛する家族を失った、刺すような痛みがうすらいできたとき、「ボーヤ」を亡くした夫人は、ロオラに会って、生き写しの鳴き声を聞き、愛する子供の面影を追いたいと思う日が来るのではないだろうか。

 だけど、その日が来た時に、ロオラは「わたし」の家で、もう「ボーヤ」の声を忘れてしまっているのではないか。

「そのロオラは、今はわたしのところで、別のロオラになりつつあるのです。」

「わたし」は、そのように物語を結んでいます。

(私見)

 この話の最も味わい深いところは、ロオラの「聞き手の胸を突くほどに真に迫った鳴き声」と「完全な無心」の落差でしょう。

 寂しくもないのにボーヤの泣き声を真似る、夫人の心をどれだけ痛めるかを察することもなく、それを繰り返す。

 そして、新しい家で暮らしていくうちに、ボーヤの名残りを、ためらわず忘れていく。

 実際にはオウムはずいぶん賢い生き物ですから(私は犬を飼っていましたが、彼はよく家族の空気を察して、はしゃいだり、オロオロしたりしていました。本当はオウムもそのくらいのことをするのではないでしょうか。)、そう鳴けば夫人が悲しい顔をすることぐらいわかるのではないかと思うのですが、作中のロオラは自分が真似る言葉の場面や感情に添って鳴くということはありません。

 たとえば籠の中でウロウロしたあげくに天井にぶらさがって「ワタシ、オトナシクマッテイルワヨ」と優しげな声で言うので、見ていた私がその不釣り合いに笑い出してしまう場面が描かれています。

 そのため「わたし」はロオラを連れてきた男に
「(人を真似て)泣いたり、笑ったりする時には多少、そんな感情を鳥も持っていてそれを現わすかしら」
と聞かれたとき、
「さ。そういう点まではわからないが」
と、かつての持ち主たちの感情に、ロオラ自身がどこまで寄り添っているかについては推理を保留しています。

 そして、少なくとも、作品に描かれたロオラは、夫人の悲しみにも、ボーヤの泣き声の持つ大きな意味にも気づいていない様子なのは、先に書かせていただいたとおりです。

 ロオラはオカアサンを恋しがって「泣いている」のではなく、ただ動物の習性として「鳴いている」だけだから、ロオラの生活が変わるとともにその「鳴き声」が変わっていくのは、ロオラに思いやりがないわけではない、そうですらすらない。

 それは、ただただ、「自然のなりゆき」。

 しかし、幸福な家庭とそこに起きた大きな悲しみを推理し、察する「わたし」と我々読者は、人が大切な誰かを亡くしたときの、多分一生忘れることのできない悲しみと、ロオラが無心にボーヤの声を忘れていく日常の間に横たわる、だれにもどうすることもできないへだたりにせつなさをおぼえます。

 わたしたちみんなに思い当たるふしのある、自分の悲しみを置き去りにされるわびしさと、誰かを忘れさせられてしまう日常の流れの、静かにして圧倒的な力。

 この二つのへだたりの真ん中で、ロオラが
「オカアサン。ワーワーワー」
 と、ないているのです。

 今は人をはっとさせるほど、響き渡り、やがて必ず消えていくことがわかりきっている声で。(悲しみの当事者にすら、願ってすら去ってはくれないものとは別に、どうしてもつかまえられずに、おぼろげになっていってしまうものがあるのです)。

 私はこの作品を読むたびに、このロオラの、鮮やかだけれどあやうい声を確かに耳に聞き、そして、春、明るい空の下、散る桜の真ん中に立った時のような気持ちになります。

(だから今の季節風に舞う花びらを見ると、ロオラの「オカアサン。ワーワーワー」という声をときおり思い出すのです。)

 自分にはどうにもできない。今まさに、過去になろうとしている、大切なもののうすれていく姿。

 それがロオラの声の響きになって、聞こえる。

 そして、私と同じような気持ちでロオラの声に耳を傾ける、「わたし」という人も、いつのまにかすぐそばに立っているのです。

 外科医のメスのように、ロオラの声から、一つの家族の姿と、その不幸を発見した冷静な推理の果てに、見たこともないその家族をそっと心配する人の心もまた、感じられるのです。

 結びにちょっと俗なことを書いてしまえば、佐藤春夫はこの短編集では比較的名の知られていないほうの作家だと思います。

 つまり、「太宰=走れメロス・人間失格」「森鴎外=舞姫・高瀬舟」のように、学生時代に「やい、おぼえやがれ」というほどに彼の存在や代表作を無理やりたたきこまれた人はあまりいらっしゃらないでしょう。

 しかし、私にはこの短編集中、少なくとも今の境遇では、彼のこの「オカアサン」が一番良いと思います。

 森鴎外の「高瀬舟」や泉鏡花の「外科室」など、すばり作家の代表作として文学史史上に名を刻んだ作品も掲載されているのですが……。

 それはたぶん、この作品が、鴎外や鏡花の、この世の頭一つ向こうにある静かなまなざしや、超絶の美とは別次元の、「日常」と「思いやり」に根差した作品だからでしょう。

 そして、これはまあ、ますますの蛇足ですけれど、作中の「わたし」について、「こうやって誰かの状況を見えないところまで丁寧に推理してみて、その結果相手の気持ちになってみるというのが、『優しい』ということなのではないか。人間の頭というのは何だか無駄に鋭いみたいなところがあるけれど、本当はこういう風に使うべきなんじゃないかな……」ともふと思うのです。

 ともあれ、約20ページながら、なかなか珍しい味わいのある作品です。実際にお読みいただけたら幸いです。

 いずれ、この短編集の冒頭を飾り、江戸川乱歩に激賞された、谷崎潤一郎の「途上」についてもご紹介させていただきたいと思います。

 こちらは殺人のからんだまさしく推理小説、しかし、そこにトリックを超えた人間の心の闇が描かれた、「オカアサン」とは真逆の「暗く冷たい傑作」です。よろしければまたいらしてください。

 読んでくださってありがとうございました。
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2014年04月03日

「指もかい。指も元の通り動くかい」(「指」江戸川乱歩作の短編小説)

 明日(2014年4月4日午前9時)BSプレミアムで「ハイビジョン特集 左手のピアニスト 舘野 泉 再びつかんだ音楽」が放映されます。(110分、再放送は4月14日(月)午後2時30分)
番組公式情報ページ
http://www.nhk.or.jp/archives/premium/next/#friday

 ご病気で今は左手のみの演奏で活躍なさっているピアニスト舘野泉さんを紹介した番組です。(当ブログの番組ご紹介記事はコチラ

 舘野さんの音楽も、訪れたフランスのひまわり畑も、苦悩を乗り越えたたたずまいも全て美しい名番組でした。

 本日は、この話を観て思い出した江戸川乱歩の短編「指」についてあらすじをご紹介させていただきます。

 「指」収録の『蜘蛛男・指・盲獣』(江戸川乱歩全集・沖積舎)※私は角川ホラー文庫『夢遊病者の死』で読みました。

江戸川乱歩全集 3 復刻

 「指」はごくごく短い短編で、1960年発表。

 少年向け小説以外では、乱歩最後の発表作品でした。

以下結末までのあらすじです。(※ネタバレ)

 医師である「私」の元へ、親友のピアニストの「彼」が、気を失った状態で運び込まれてくる。

 「彼」は何者か(彼の名声をねたむ同業者かもしれない)に夜道で襲われ、右手首を切断されていた。

 しかし、失神し、手術の麻酔から覚めたばかりの「彼」はそのことを知る由もなかった。

彼を安心させるため、腕を怪我しているがたいしたことはない、という「私」に彼は尋ねた。

「指もかい。指も元の通り動くかい」

そして、自分が作曲した曲を練習するために、指を動かしてみたい、と「私」に言う。

 彼に、もう右手は無いことを今告げるのが忍びなかった「私」は、とっさに脈をとるふりをして「彼」の腕の尺骨神経をおさえた。そうすると、指先の感覚があるように錯覚するのだ。

 「彼」の毛布から出ている左手が、気持ちよさそうに動いた。

 「ああ、右の指は大丈夫だね。よく動くよ」

 「彼」のその言葉に、見るに堪えない思いがした「私」は病室を離れた。

 付き添いの看護婦に、彼の尺骨神経を引き続き押さえておくようにそっと合図をして。

 手術室の前を通りかかった「私」は、そこに佇む看護婦に気づいた。
 
 その大きく見開かれた目は手術室の中の棚を凝視し、顔からは血の気が失せている。

 思わず手術室に入って、彼女の視線の先にあるものを確かめようとした「私」も凍り付いた。

 棚の上にあったのは、ガラス瓶の中の、アルコール漬けになった、「彼」の手。

 それが動いていた。(以下引用)

アルコールの中で、彼の手首が、いや、彼の五本の指が、白い蟹の脚のように動いていた。
ピアノのキイを叩く調子で、しかし、実際の動きよりもずっと小さく、幼児のように、たよりなげに、しきりと動いていた。


(完)

 以上が「指」のあらすじです。

 今回調べてみたら、ネット上では後味の悪い話として認識されている方も多いようでしたが、私は、これが乱歩のほぼ最後の作品だとしたら、実に見事な幕引きだと思っていました。

 真夜中の手術室で、アルコール漬けになった手がたよりなげに動いている。

 それだけでしたら確かに恐怖ですが、しかし、この話からは、自分の体を離れてもなお、その手と音楽を奏でたいという切望でつながっている、芸術家の狂おしいまでの執念が描かれています。

 この光景から受ける印象は、恐怖よりもむしろ、鬼気。

 恐ろしいような光景を描きながら、それによって芸術家の人知を超えた鬼気を表現しているこの作品には、残酷さや猟奇と紙一重の複雑な美と、胸に訴えかけてくる感動があるような気がします。

 この作品は鬼気が起こした異様な現象を描いていますが、人の激しい執念は、芸術への鬼気は、そうした形ではなく、本当に、人の想像を超えた現象を創りだすことがある。

 たとえば片手の自由を失っても、絶望から立ち上がり、その音色で人を涙させるピアノを弾くという形で……。

 舘野さんと、舘野さんより以前に、なんらかの不幸に見舞われ大切な手が動かなくなったピアニストたちの、それでも奏で続けた音楽を知った時、この乱歩の短編を読んで、恐怖の奥に感動を覚えた理由がわかった気がしました。

 とても短い、すぐれた作品なので、よろしければご覧になってみてください。

 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum. at 23:48| おすすめ本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月20日

エドガー・アラン・ポーのオススメ作品(2)


The Fall of the House of Usher and Other Writings: Poems, Tales, Essays, and Reviews (Penguin Classics) -
The Fall of the House of Usher and Other Writings: Poems, Tales, Essays, and Reviews (Penguin Classics) -

(Amazonから添付させていただいたポーの英語本の表紙です)

※余談ですが、イギリスの本の表紙は、妙に生々しいのが結構多く、現代ホラーものなど、本屋で見かけただけで、軽く具合が悪くなってしまうものもあります。

(この本よりもっと、リアル惨状を、カラフルに、質感重視で【……】描いてある感じ。)


前回にひき続き、作家エドガー・アラン・ポーのオススメ作品について書かせていただきます。


※かなりネタバレなので、「かまわんよ」という方だけお読みください。

今回ご紹介するのは、「告げ口心臓」と「天邪鬼」。

それぞれ別の作品ですが、構成は「黒猫」に似通うものがあります。

殺人を犯した男の回想、なぜその犯罪は白日のもとにさらされてしまったのかが語られるという展開。

殺人に至った動機が、ほとんどわからないのは、「アモンティリャアドの酒樽」に近いかもしれません。

※「黒猫」「アモンティリャアドの酒樽」については前回の記事でご紹介させていただいています。


(こちらもネタバレなので、あらかじめご了承ください。)

動機がほとんど書いてない、といっても、いわゆる「殺人鬼」とはまた少し違った感じです。

単に動機が「あまり書いてない」のです。

作者が意図的に、描写の取捨選択をしたのでしょう。

しかし、そこが逆に、「うっかり殺意を抱いてしまった」とも読めてしまい、背筋が寒くなるのですが。

「黒猫」が、一番小説としてよく出来ているのですが、
(「天邪鬼」の冒頭部、「天邪鬼という心理ついて」言及している部分を読みきるには、結構努力が要ります。「膨大な前置き」に感じられてしまう……。)

それぞれの作品で、犯人が破滅してゆく理由が違い、いずれもポーの人間心理に対する深い洞察力が見られます。


「告げ口心臓」(The Tell-Tale Heart)

※岩波文庫『黒猫』内では、「裏切る心臓」というタイトルになっています。これも洒落てる。

主人公は、老人を殺害した男。

(関係は明らかではありませんが、親族なのか、比較的近しい間柄のようです)

彼は死体を床下に隠し、警官が捜索に来た際には、大胆にも、その部分に椅子を置いて座り、警官相手に談笑します。

ところが、そのさなか、男の耳に、ある奇妙な物音が響きはじめます。

「どこから」、「なんの」、音が聞こえているのか。

それに思い至ったとき、男は、必死に平静を装い、会話を続けようとしますが、音は耐えがたく大きくなってゆき、とうとう男の演技を打ち砕きます。

男の焦燥を描写した文には、たたみかけるような迫力があります。

これは、英語で読んでも勢いを感じられました。

(わたしの英語読解力ですら)

短いですし、難しい単語もそう多くないので、「黒猫」の次に、英語テキストとしてもオススメです。

「天邪鬼」 (The Imp of the Perverse)

※Imp=「小悪魔」 Perverse=「ひねくれた」
(ジーニアス英和辞典参照)

「告げ口心臓」同様、近しい間柄の人間を殺した男が主人公です。

(こちらは遺産目当てのようです)

事故死に見せかけて、計画殺人を遂行した男。

当初は犯罪の隠蔽に鉄壁の自信を持っていたにもかかわらず、次第に発覚を恐れるようになります。

そして、

「ばれるわけはない、自分でうっかり口にしてしまうようなまねをしなければ」

と、思ってしまったときから、秘密を話してしまうかもしれないという怯えが暴走し、文字通り、自分で自分の首を絞める行動にでてしまいます。


「黒猫」もそうですが、「告げ口心臓」や、「天邪鬼」の主人公たちは、彼らの「油断」や「後ろ暗さ」や「口を滑らせはしないかという不安」によって破滅します。

このような心理は、殺人に至る憎悪や欲望よりも、よほどありふれていて、だからこそ、多くの読者に繰り返し息をのませます。

そして、行為には同情の余地がないにもかかわらず、結末には人間の哀れさがにじみ出るのです。

こうした、「自分の心の中の隙」を突いた作品に感銘を受け、洋の東西を問わずに、ミステリ及び恐怖短編をそれなりに読み漁った時期があったのですが、どうも、現時点では、ポー以外こうしたテーマを扱っている作家が見つけられないでいます。

(乱歩に、一部近いかなと思われる作品がありますが。)

人が危害を加えられる残忍な有様の恐怖と、こうした、人間心理をえぐった作品の迫力はまた別物で、それゆえに、ポーの作品は、彼の没後から今に至るまで、そしてこれからも、広く読み継がれていくのだろうと思います。

BBCのLearning Englishという英語勉強ページに、ポーの記事が(彼のお葬式のエピソード)あったので、URLを添付させていただきます。

http://www.bbc.co.uk/worldservice/learningenglish/language/wordsinthenews/2009/10/091012_witn_poe.shtml

このLearning English">、色々な記事や英語勉強クイズなどもあってオススメです。



「天邪鬼」「裏切る心臓(告げ口心臓)」を収録した岩波文庫『黒猫・モルグ街の殺人事件 ほか五篇』の情報は下記のとおりです。




黒猫・モルグ街の殺人事件 他5編 (岩波文庫 赤 306-1)

黒猫・モルグ街の殺人事件 他5編 (岩波文庫 赤 306-1)

  • 作者: ポオ
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1978/12
  • メディア: 文庫



posted by Palum. at 18:56| おすすめ本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

エドガー・アラン・ポーのオススメ作品(1)

黒猫と酒


前回の記事で、作家エドガー・アラン・ポーのご紹介をさせていただいたのに引き続き、オススメのポーの小説を、二回に分けて紹介させていただきます。


※かなりのネタバレなので、作品をこれからお読みになりたい方は、今回と次回の記事はご覧にならないでください……。


「黒猫」(The Black Cat)

わたしが子どものころ図書館で読んだ、最初のポー作品。

酒で身を持ち崩した男が、次第に暴力的になり、まず飼っていた黒い猫を殺害。

後悔から新しく飼うことにした黒猫をも殺そうとして、猫をかばった妻を殺害してしまいます。

それまで、おとなしく優しかったはずの男が、すっかり豹変し、計算高く妻の死体を隠しますが、あと一歩で完全犯罪になったはずの罪は、ささいなきっかけで暴かれてゆきます。

この話、タイトルは「黒猫」ですが、別に殺された猫や、二番目の猫が、化けて出て復讐するわけではありません。

猫に殺意を抱くのも、恐怖を覚えるのも、すべて酒の魔力に溺れてしまった男自身の心がなせる業。

そして、妻の死体の在り処を明らかにしてしまったのも、自分の大胆さに酔った男が、警官たちの前で自らとった、ある行動によるもの。

彼は誰にも襲われていないのに、彼に訪れるのは破滅。

男のひとり語りの、怯え、湿った声の響きが耳に残る心地がします。


と……いうわけで、何度読んでもうなる傑作なのですが、子どもには、奥さんの死体の挿絵と、猫の、長く尾をひく鳴き声の描写があまりにもおそろしく、その後、長きにわたり、ポーはむしろ、「読まないほうがいい本」となりました。



「メエルシュトレエムの底へ」(A Descent into the Maelström)

海の大渦巻に巻き込まれた漁船の人々の運命を描いた作品です。

大渦巻の底に、船が徐々に滑り落ちて飲まれるまで、刻々と迫る死を前にした人間の心の動き。

大渦巻きは、咆哮を上げながらも、月光と虹に彩られ、滑らかな黒檀に似たものとして描かれます。

もう、助かる望みは無いと思い切ったとき、恐ろしさを突き抜けた主人公は、その圧倒的な自然の壮麗さにうたれ、また強烈な好奇心が沸き起こって、飲み込まれていく物たちの姿を、冷静に分析するのです。

ポーは、どうも、酒に溺れたすさんだ生涯をおくったという伝説ばかり注目されてしまうのですが、作家としての彼は、人間と自然に対する、徹底的に研ぎ澄まされたまなざしの持ち主に思われます。

余談ですが、「恐怖のあまり一晩で髪が真っ白に」という、よく聞くエピソードを最初に読んだ作品でもありました。



「アモンティリャアドの酒樽」(The Cask of Amontillado)

主人公の男は、とある裕福な友人に殺意を抱きます。

そして、謝肉祭の賑わいの最中、希少な名酒「アモンティリャアド」を手に入れたと偽って、泥酔した友人を自邸の地下の酒蔵に誘い込み、閉じ込めて殺害します。

なぜ、そこまで友人が憎かったのかの理由の描写は、ほとんどありません。

どうも、主人公はもともとは名家の主人で、没落してしまったようですが、それについて、友人に責任があるわけでもなさそうです。

ただ、その友人から侮辱を受けたと書いてあるだけです。

描写は、殺意を抱くまでではなく、それを実行している人間の姿に集中しています。

友人を鎖で縛り、壁の向こうのくぼみに閉じ込めるために、石を積み上げ続ける男と、酔いがさめて、生き埋めにされつつある事態に気づいた友人の、鎖の音と呪いの声が、暗闇にうごめく作品です。

スプラッタな場面はないのですが、マイ人生史上最恐小説となっております……。

それでいて、ポーの作家としての描写力、構成力には感嘆せざるを得ない。

ところで、昔、西欧では富裕な旧家の場合、邸宅の地下に一族の墓所を持ち、その側にワイン蔵があることについては、特に珍しくなかったんでしょうか。

何度読んでも、酒蔵の先に、人骨が並んでいるエリアがあるように読み取れ、しかも被害者となる友人も、泥酔しているとはいえ、それを認識しながら先に進んでいるので、当時は別に普通だったのかなと不思議なのです……。

この家で、「下からお酒、持ってきて」と、頼まれたら……。



今回と次回の記事の参考文献は以下のとおりです。

(次回は「天邪鬼」「告げ口心臓」をご紹介させていただきます。)

【参考文献】 
●『ポオ小説全集4』(創元推理文庫)丸谷才一訳 

「黒猫」・「アモンティリャアドの酒樽」・「天邪鬼」(次回紹介)収録

※江戸川乱歩による「探偵作家としてのエドガー・ポオ」という作家論も収録されています。

●『黒猫』(集英社文庫) 富士川義之訳

「黒猫」・「メエルシュトレエムの底へ」収録

●『黒猫 モルグ街の殺人事件 他五編』(岩波文庫)中野好夫訳。



ポオ小説全集 4 (創元推理文庫 522-4)

ポオ小説全集 4 (創元推理文庫 522-4)

  • 作者: エドガー・アラン・ポオ
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 1974/09/27
  • メディア: 文庫




黒猫 (集英社文庫)

黒猫 (集英社文庫)

  • 作者: エドガー・アラン ポー
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1992/05
  • メディア: 文庫




黒猫・モルグ街の殺人事件 他5編 (岩波文庫 赤 306-1)

黒猫・モルグ街の殺人事件 他5編 (岩波文庫 赤 306-1)

  • 作者: ポオ
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1978/12
  • メディア: 文庫



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2010年01月18日

エドガー・アラン・ポー


本日(2010年1月18日【月】)NHKのBShiで、23:25から0:55まで「プレミアム8」で、作家エドガー・アラン・ポーの特集番組がやるそうです。

番組表URLはこちらです。
http://cgi2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=500&date=2010-01-18&ch=10&eid=23426

去年2009年は、ポー生誕200年だったとか(生没年1809〜1849)。

ポーはアメリカの詩人で小説家、作品「モルグ街の殺人」は、世界最初の推理小説とも言われています。

ポーの作品世界の多くは、恐怖に彩られていますが、大人になって読み返すと、その恐怖には独特の個性があるように思われます。

その恐怖の源泉は、流血や猟奇の様相よりむしろ、誰の心にもある、自分でも気づかないほど小さな、しかし底知れないすき間。

それにより静かに起こり、あるいは崩れてゆく犯罪。

通いなれた道で、思いもかけない路地の暗闇を見つけたときのように、息を呑む瞬間がそこにあります。

また一方で、詩人の才能を生かした文体は、恐怖やおぞましい光景に、謎めいた美をかすかにまとわせています。

もしかしたら、このような作品を描けた人は、まだ彼と、(作風は違いますが)彼を崇拝していた江戸川乱歩(※)しかいないのではないのでしょうか。

(※)乱歩のペンネームは、ポーの名前に漢字をあてたものです。

個人的に名作だと思うのは、(たくさんありますが、とりあえず)

「黒猫」
「メエルシュトレエムの底へ」
「アモンティリャアドの酒樽」
「告げ口心臓」(「裏切る心臓」と訳された本も)
「天邪鬼」
です。

次回記事でこれらの作品の紹介をさせていただきます。

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