2016年08月18日

(ネタバレあり)「垂直デスマッチ」(椎名誠『わしらはあやしい探検隊』より)


先日、蚊の話でもご紹介させていただいた、椎名誠さんの名作エッセイ『わしらはあやしい探検隊』より、椎名さんたちが遠泳に行った際に起きた事件を描いた「恐怖の神島トライアングル」「垂直デスマッチ」についてご紹介させていただきます。

わしらは怪しい探険隊 (角川文庫) -
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椎名さんと沢野さんでなければもしかすると死んでいたのではという状況(二人とも運動神経が良い)なのですが、椎名さんの独特の比喩と妄想がさく裂し、申し訳ないけれど人の大ピンチに大笑いさせられてしまう名文です。

以下あらすじご紹介です。


(ネタバレですのであらかじめご了承ください。当然原文のほうが全然断然面白いので、読んでない方は先に是非そちらをお読みください。)


前に椎名は10km泳げるって言っていたよな。神島一周なら約4kmだから余裕だろう。

そんな話をキャンプの同行者にされた椎名さんは、つい「できる」と答えてしまいます。

そして同じく泳ぎが得意だと言っていた沢野さんとともに、遠泳に旅立つことに。

(実はこの出発の二日前、参加者全員が数百万匹の蚊の大群、通称「蚊柱」に襲われ、テント内でリアルに命の危険を感じながら死闘を繰り広げたというのに、翌日は襲われずよく眠れたからと4km泳ごうとする丈夫な人々。)

島のへりはそのほとんどが崖に囲まれているとはいえ、歩ける浜辺は歩いていいというルールでスタートしたので、当初は海に落ちる滝などの奇観を楽しみ、世間話をしながら探検気分を味わっていました。
(このとき沢野さんは頭にタバコとライターをくくりつけていたので、頭を濡らす泳法はできず、泳ぎながらも言葉を交わせる、比較的ゆるやかな進み方でした。この持参品が後の運命をわけることになります。)

やがて、崖がけわしくなり、泳ぐしかなくなったころ、事件は起こりました。

岩場にたたきつける波を避けようと、少しだけ陸を避けて泳いでいたつもりの二人が、ふと振り返ると、いつのまにか、思っていたよりはるかに沖に流されていたのです。

驚いて陸に向かって泳ぎだした椎名さんの全身を恐怖がつきぬけました。
まるで川の流れに逆行するような明らかな水の抵抗を感じたのです。

伊勢海と太平洋の真ん中に位置する神島は、実は非常に複雑な潮流の中にあり、二人はまさに今その渦中を泳いでいたのです。

こういうときは、抵抗しても疲れておぼれてかえって危険なので、流されるだけ流された方がいい、と、退廃的な人生のような助言を聞いたことはあるけれど、どうしてもそのとおりにする気にはなれない。
だってそのまま流されていったら行きつく先は太平洋かもしれないのだから。

そんな風に予備知識と生理的にどうしようもなくこみげる恐怖の間で葛藤していた椎名さんでしたが、奇跡的に「肩先から腰をくるみ、足の先まで重苦しくのしっかかっていた潮の圧力が急にこそげとったように消えてなくなり、体がいっぺんに軽くなったような感じ」がする瞬間が訪れました。
(この辺体感した人ならではの説得力のある文だなあと思います。)

「おい、今だぜ!」
同じ感覚があったらしき沢野さんがそう声をかけ、猛然とクロールで陸に向かって泳ぎだしたのを慌てて追いかけた椎名さん。

「生涯の力をありったけ絞り出すようにして」ようやく二人とも無事に岩場にたどりつくことができました。

しかし、そこから先はせりだした崖、背後もまた垂直の崖(背後の崖を泳いで避けようとして流された)。

しかも、激しくたたきつける波によってえぐられた洞窟から、老いた怪獣の咆哮のような不気味な音が聞こえてくる。

後で聞いたら、この洞穴は島の西側まで貫通しており、船が難破してこの中を仮死状態で流され、それで助かったものもいるが、そのまま追ってきた荒波によって西側の海まで吐き出されて行方知れずになった者もいるという、正真正銘の危険地帯だったそうです。

そうとは知らず、思い切って泳いでこの地点を超えてしまおうかといったんは思った椎名さんでしたが、とにかくその咆哮が尋常でないので怖くて断念。(泳いだらその洞窟に吸い込まれる可能性があった。)

結局、前後の海に戻るというのはあり得ないので、崖を登るしかない。比較的傾斜がゆるやかで「ガレ場」と呼ばれる岩と土がまじりあう部分と、枯れ沢で形成された部分があるからそこを行こう、という意見で合意した二人。

幸運にも二人ともロッククライミングの経験があるけれど、裸に裸足なのがどうにも(二つの意味で)痛い。
(お二人のロッククライミング歴については「ハーケンと夏ミカン」で読めます。面白いし、装備の重要性もよくわかります。)

ハーケンと夏みかん (集英社文庫) -
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そもそもザイル(ロープ)がないので、二人でロッククライミングをするときの利点、一人が滑落しても、一人がロープで体を確保する、というのができない。下の人間が落ちていったら、ただ見ているしかできない。

しかもその下に待ち構えているのは、あのぎざぎざの岩場と怒涛の波間。

(以下引用)
「おーやだやだ」
と、俺は言った。神島一周などという身の程を知らぬばか気に満ちた挑戦などせず、ベースキャンプでカレーライスの下ごしらえとか四の字固めの練習でもしていればよかった。長老とにごり眼(補:友人のあだ名、相変わらず〈特に後者は〉失礼なネーミングセンス)におだてられてこんなところで抜き差しならぬ状態になっている自分が情けない。


……確かに、別に大切な使命があったわけでもないどころか、特にやりたかったわけですらないことをきっかけに、下手したら太平洋まで流されていたかもしれないところを生還してもなお、海パンいっちょうで岩登り(吹き上げる咆哮海風つき)をしなければならないとくればしみじみと嘆かわしいことでしょう。しかしこの目の前の状況としては相当危険というタイミングで笑いを挟んでくるのが椎名さんのセンスです。

しかし嘆いていても始まらないので、二人はクライミングを開始します。
二人が選んだルートは、足場となる石がたくさんあり、経験者の二人としてはやりやすかったのですが、反面かなりもろく、いつ足をかけた石を踏み外すかわからない場所でした。
(本人が足を滑らすのも、上から石が落ちてくるのも怖い。)

休憩をはさみつつ、どうにかこうにかある程度登ると、しかし、二人ともその高さに青ざめます。

こういうとき、登るより下りる方がはるかに難しく、もはや後戻りができないとよくわかっていたからです。

そうなると、もしこれから先、身動きがとれなくなったら、はてしなくその場にくぎ付けにされてしまう……ここからまた、心底危険なのに、なぜかそういうときほど不毛な妄想が延々とさく裂する椎名作品の真骨頂が展開します。

(以下引用)
そんなのは厭だ。たぶん、こんなところにはめったに島の人もやってこないだろう。クギづけになってしまい、やがてそのまま朽ち果て、白骨になってしまうだろう。
 そうして何年かたったある日、島の人が偶然変わり果てたおれたちを発見する。(中略)すると島の人たちは一様に首をかしげるに違いない。
 俺たち二人は水泳パンツしか身に着けていない。すなわち、その崖の中腹に貼りついていたふたりの白骨死体は、なぜか黄色と緑のシマシマパンツ(炊事班長〈沢野さん〉のもの)と赤茶、市松模様のパンツ(おれのもの)しか身に着けていなかった。この二人はこんな崖の真ん中でいったい何をしていたのだろう――ということが永遠の謎となるはずだ。
 どうせならなにかしらの謎を残して死ぬ、というのはわるくないが、しかしこの程度の謎というのではちょっとロマンがない。つまり早い話があまり恰好がよくない。そんなのはいやだわ、いやだわ、


……この切実なんだか悠長なんだかわからない妄想は、沢野さんの「早く来いよ!」という檄によって断ち切られます。

その後、ロッククライミングの基本姿勢は三点確保(手足計4本のうち3つで体を支え、残り一つで手がかり、足がかりを探す)だけれど、厳しい場所(今)だとどうしても四点確保(両手足でその場にしがみつく)になってしまう。最も安全だけれど、このままだと何時間たっても進めない。四点確保がロッククライミングの主流にならないのは、実にここのところの問題が未解決であるからだ、とか、さっきの「白骨パンツのミステリー(←笑)」についてだが、考えてみれば死んだ時点で崖から落ちるからは成立しないんだな、とか考えながらじりじり進んでいた椎名さんでしたが、あと少しであのクマザサが生えた手がかりの多い楽なルートにたどりつける、という希望が、沢野さんの叫び声に断ち切られます。

突然滑り落ちてきた沢野さんを、椎名さんの左手と付近の石が止めましたが、そんな腕力に長けた椎名さんが、沢野さんの次の発言に震えあがりました。
「へびだよ、蛇……」
沢野さんの目の前を、ヘビが素早く横切り、驚いて足を滑らせてしまったのです。
考えてみれば蛇がいないほうがおかしいような状況。遭遇したのがまむしだったかもしれないというのがいっそう不気味でした。
(ここでまたしても妄想〈以下引用〉)

これが、よく小説やドキュメンタル述べるに出てくる豪胆の探検家であれば、
「まむしごときにおののいていたら地球のデコボコはどこも制服はできない、おのれ、まむちゃん!」とか言ってすばやくひっつかまえ、花結びにして海に放り投げてしまうのだろうが、おれたちはどちらかというと「全日本蛇よりも蜘蛛が嫌いな会」というものよりも、「全日本蜘蛛よりも蛇が嫌いな会」の方の会員になりたいと思っている人々なのである。
 しかし、それじゃあ大蜘蛛中蜘蛛小蜘蛛蜘蛛蜘蛛たくさんうじゃうじゃいる穴ぼこと、赤蛇青蛇まだら蛇がのたくりからまる穴ぼこがあってじゃあ蜘蛛穴にはいんな、といわれたら即座に「全日本どちらの穴にも入りたくない会」に加入してしまうヒトでもある。
 ま、しかしこれは当たり前のことであろう。


……というわけで、荒海を泳ぎぬいても、崖を海パンで登れても、大の大人の滑落を支えても、蛇にだけは遭遇したくない椎名さんは、今回お前が助かったのはお前より10kg重い俺が下にいたからで、逆だったら二人そろって落ちてただろ、だからやっぱりお前が先に行け、と主張するも、同「全日本蜘蛛より蛇が嫌いな会」加入予定の沢野さんは、ずっと俺がトップだったんだからこんどはお前が先に行け、と、譲らず、「あまり論理的でない会話」の果てに、二人同時に極力物音を立ててヘビを威嚇しながら進もうという結論に達し、とにかく平地の藪の中までたどり着くことができました。

とはいえ、こんなところにこそまむしが大量にいそうだと思った二人は「そこで再びまたあまり論理的でない、どちらかというと感情的な部類に入る会話をした。」(←笑)

しかし、ここで、あの、海を流されかけた時ですら沢野さんが落とさなかったタバコとライターが役に立ちました。

蛇はタバコの煙が大嫌いらしい、という予備知識を思い出した二人。

じゃんけんに負けて先頭を行くこととなった(笑)椎名さんは、湿気たタバコを激しくふかし、後ろに続く沢野さんは枯れ枝を握りしめて、
「こらあ、ヘビ、くるんじゃねえぞ」「こら、こらあ!」
等簡潔に叫びながら「完全無欠なおよび腰」でじわじわと進むこと30分(辛長)。

ようやく、すり傷だらけになりながら、確かな道にたどりついた二人は、すわりこんで安堵の笑いを交わしました。


……椎名さんと沢野さんでなければ大変なことになっていたのではという場面が3度ほどありましたが(泳ぎが得意でロッククライミングができて、腕力とタバコを手放さない執念があって初めて生還が果たせた。)、そんな窮地を肌身に迫るような具体的な感覚と、よくそんなことを思いついたというか、むしろピンチのときほど人はいろいろ余計なことを考えるのか思わせるほど壮大な妄想を織り交ぜて描いた名文です。

隅から隅までこうした独特の名調子が楽しめる名作なので、是非ご覧ください。

当ブログ椎名誠さんご紹介記事一覧は以下の通りです。よろしければ合わせてお読みになってみてください。

「私のかわりに大地にあおむけに寝てください。そして、天を眺めてください」(椎名誠と井上靖。「砂の海(楼蘭・タクラマカン砂漠探検記)」より)
蚊の話(椎名誠「わしらは怪しい探検隊」より)
(ネタバレあり)「垂直デスマッチ」(椎名誠『わしらはあやしい探検隊』より)

読んでくださってありがとうございました。

posted by pawlu at 08:01| 椎名誠 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月04日

蚊の話(椎名誠「わしらは怪しい探検隊」より)

蚊に刺されました。

酒飲みすぎて、あーもー僕的ノルマのブログ更新とか洗い終わった洗濯物干すとか、なんかやることやってないけどいったん寝ちゃうかあ、みたいになって寝たら、両足がかゆくて目が覚めた。
(ところで、数日前わたなべぽんさんを見習って減酒するとか言ってなかったか。)

しかも、足裏とか足の甲の皮膚がぐにぐにして掻いても痒みがとれないエリアとかを重点的に。

あったあ(頭)きたんで、今PCの脇にキンチョール置いて、今や我が血(含アルコール)をぱんぱんに吸って動きが鈍くなっている奴を仕留めてやろうと待機しながらこのブログを書きはじめました。洗濯物は干し終わりました。ギリ臭くなってない(刺されて良かったんじゃ……)。

かつて箏曲家宮城道雄さんは「蚊の羽音は篳篥(ひちりき)の音のようだ」と書いていましたが、その研ぎ澄まされて風流な感性を美しいと思っても、今はアノ音がしたらバーローンナロー(ジャイアン調)で臨戦態勢に入る予定です。

大体人様の血を吸っておいてカユクするとは何事か、お前ら足裏の角質を食べてくれるドクターフィッシュを見習えブツクサブツクサ……。


愚痴はこの辺にしておいて、せっかくなので(?)蚊にまつわる名文をご紹介したいと思います。

「わしらは怪しい探検隊」(椎名誠)
エッセイスト椎名誠さんが、友人たちで結成した「怪しい探検隊(正式名称 東日本何でもケトばす会〈←?〉)」とともに離れ島へ行きキャンプをしたときの顛末を主に描いた、アウトドアエッセイの傑作です。

わしらは怪しい探険隊 (角川文庫) -
わしらは怪しい探険隊 (角川文庫) -

独特のイラストは、東ケト会(略称)の一員でイラストレーターの沢野ひとしさん。

男たち特有のたくましくもいい意味で馬鹿馬鹿しいノリと、美しかったり恐ろしかったりする島の自然描写が素晴らしい(この本では「恐ろしい」優位)。

「水曜どうでしょう」(大泉洋の出世作番組)の旅シリーズ好きな方には特にお勧めです。

ちなみにこの本のアマゾンの紹介文に

「“おれわあいくぞう ドバドバだぞお…”潮騒うずまく伊良湖の沖に、やって来ました「東日本なんでもケトばす会」ご一行。ドタバタ、ハチャメチャ、珍騒動の連日連夜。男だけのおもしろ世界。」

とあり、なんと簡にして要を得て、しかもインパクトある名文だろう、と思ったら、書かれたのが、ご本人東ケト会の一員で「本の雑誌」の発行人だった目黒考二さんでした。

(「おれわあいくぞう」のくだりは、椎名さんが作った旅のしおり〈笑〉に添えられた歌の歌詞。〈確か〉目黒さんが解説文で「あまりに馬鹿馬鹿しくて誰も歌わなかった」と冷静に報告していらっしゃいました〈手持ちの電子書籍版ではこの解説文が見当たらなかったので、後日もう一度確認いたします。〉)

この作品の中に、椎名さんたちが、キャンプをしていた夜、「蚊柱(かばしら)」という、聞いただけでもカユクなる、それこそ椎名さん流に言うなら、おまーら柱なんか形成するんじゃないよ!なものに襲撃されるというエピソードがあります。

椎名さんいわく、テントの外でうなりをあげる音(怖)から察するに、その数数百万匹とも思われる大群で、実際にこれに襲われたら弱っている人やら馬やらが死んでしまうということもあるという、本当に危険な事態だったのですが、椎名さんの文はその恐怖と緊迫感を余すことなく描きながら、独特すぎる比喩表現と脱線を繰り広げていきます。

以下一部原文と内容をご紹介させていただきます。

「惨劇はこうして(補:みんなでたき火を囲んでしこたま飲んで騒いでテントに転がり込んで)全員が眠り込み、焚火がすっかり消えた午前一時頃、突然襲ってきた。」

蚊柱の襲来です。

「蚊といってもただの「カ」ではない。こういうふうにふだんあまり人類がやってこないような海辺と山村の境界あたりにいる蚊というのは同じ蚊といってもその蚊としての実力がまるっきり違っているのである。」

椎名さん曰く、我々が知っている蚊は、生ごみやらなま温かい排水やらに恵まれた環境(?)に生まれ育ち、獲物(ヒト)は飛べばぶつかるような過密状態。言うなればヘロヘロブロイラータイプの軽薄蚊でしかないのに対し、野生の蚊は「荒地の水たまりで冷たい寒風にさらされ、ゲンゴロウに追い回され、トンボのヤゴにケトばされながらもなんとかようよう日暮れに羽化し、初めて中空に飛び立ったときからすでにきびしくまなじりつりあげ、悲しい怒りを身の内にいっぱい秘めている」ので、都会の蚊とはまるで別格なのだそうです。

その攻撃スタイルにおいても、都会の蚊と野生の蚊は大きく異なり、都会の蚊が鴨居などに身を潜めていて人が寝静まったら血を吸いに来る、言うなれば「様子をうかがって、あとでどうかしたら襲っちゃう」というふうな「イヤラシ的態度および姿勢」なのに対し、野生の蚊は「獲物と見るや直進してきてズバッ、どぴゅう!とばかりに体当たりしつつ刺していくのである」。

その姿は若造テロリストが短刀腰だめにして「でえりゃあおおおう!!」と突進、玉砕していくのとよく似ている。……とのことです。


とにかく、その悲しい怒りに思いつめた「でえりゃあおおう!!」が数百万匹、椎名さんたちのテントにうなりをあげて突っ込んできて、テントの布地にコツンコツンとぶつかってくる音がいたるところから聞こえてくる。という事態が発生。

その時、全員がヒッチコック監督の映画「鳥」(ある日、突然鳥の大群が人間に襲い掛かるという不条理恐怖映画)を思い出して戦慄し、家の壁をたくさんの鳥が一斉にくちばしでつついて、壁が穴だらけになる、というあの場面のように、蚊がテントを突き破るということはまさかあるまいな、と話し合ってしまったそうです。

そして、さすがにそれは無かったけれど、わずかな隙間から突撃してくる蚊が後を絶たず、蚊取り線香の煙を充満させて、暗闇に懐中電灯をあてて蚊を探し出し、敵機の所在をつかんだものが叩き潰して撃墜、という、恐怖と痒さと汗と煙にまみれた戦いが深夜たっぷり二時間続きました。

激闘の果てにようやく蚊柱が去った翌朝、仲間の一人である「陰気な小安(凄い通称)」さんが行方不明になっており、ショックで自殺したのでは、いや人質にとられたのでは(←……)、と、ざわめきつつ、本当にいなくなったのなら探さなければいけないが、めしも食いたい、問題は小安とめしのどちらを優先させるかだが、そりゃめしだ、との結論に達した一同(酷い)でしたが、少し離れたところで、蚊取りの煙を避けて、ツェルト(簡易テント)に潜り込んで苦しそうに寝ている小安さんを発見、何故か全員でツェルトを取り囲んで念仏を唱え合唱したのち、炊事班長の沢野さんがテントにまわしげり(酷すぎる)、崩れ落ちるツェルトとともに、蚊柱事件は幕を降ろしました。

手短にまとめてさせていただいてしまいましたが、本当はこの事件だけでも、約30ページにわたり稀代の名文が堪能できます。そのほかのエピソードも本当に面白いので是非是非実際にお手に取ってみてください。
(椎名さんと沢野さんが遠泳に行った際の騒動も、いずれご紹介させていただきたいです。)

当ブログで椎名誠さんの「砂の海」をご紹介させていただいた記事はコチラです。

また、同じく蚊にちなんだ名文としてご紹介させていただいた太宰治の「哀蚊(あわれが)」の記事はコチラです。蚊柱事件とはまるで違う、東北の豪家の影を描いた物悲しい作品です。(※)

よろしければ併せてご覧ください。

(※)ちなみに椎名さんはかつてその才能を吉本隆明に「自殺しなかった太宰治」と形容されたことがあります。「太宰はなかなかいい男で、しかもめったやたらと女にもてたらしいからなあ」と喜ぶ椎名さんに、後の東ケト会員である友人たちは「それはあまり関係ないんじゃないか」と冷淡に指摘していました。
(『哀愁の街に霧が降るのだ』より。椎名さんたちが友人同士でボロアパートに暮らした日々を描いた作品。これまた傑作です。)

哀愁の町に霧が降るのだ 上 (小学館文庫) -
哀愁の町に霧が降るのだ 上 (小学館文庫) -


読んでくださってありがとうございました。
(ところでウチの蚊まだ出てこないな……〈困〉)





posted by pawlu at 02:44| 椎名誠 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月30日

「私のかわりに大地にあおむけに寝てください。そして、天を眺めてください」(椎名誠と井上靖。「砂の海(楼蘭・タクラマカン砂漠探検記)」より)

今日は、イギリスとも英語とも関係がありませんが、ただ、好きだという話を書かせていただきます。

私が夏目漱石に次いで、敬愛読する椎名誠氏(漱石には人生のやるせない孤独と美意識を教わり、椎名さんには、「そうゆう言葉でとらえれば人生はもっと面白いのか」という手段を教わったように思います。)と、同じく文学者の井上靖氏のお話です。

椎名誠さんは旅のエッセイを数多く書かれていますが、その中で、中国の楼蘭にテレビの取材クルーとともに行ったときの出来事をつづったのが「砂の海」という本です。

砂の海―楼蘭・タクラマカン砂漠探検記 (新潮文庫) -
砂の海―楼蘭・タクラマカン砂漠探検記 (新潮文庫) -


楼蘭は約2000年前にタクラマカン砂漠の中で栄えたという王国で、NHKドキュメンタリー「シルクロード」や、井上靖氏がその王国の波乱の歴史を短編小説「楼蘭」で描いたことで有名になりました。

楼蘭 (新潮文庫) -
楼蘭 (新潮文庫) -


 この旅、行程自体は、灼熱と砂嵐、当時厳しかった中国政府からの取材規制、食糧をジープで運んでの移動時は、食事の缶詰が全部金属味、ビールがほとんど飲めない(椎名さんにしてみれば魚が水たまりにほうりこまれたのと同じくらいの不安きわまりない生活)と、読んでいても苦しげな内容が多く、自然や遺跡についての描写は素晴らしいのだけれど、いつもの椎名さんの
「海でテントを張って、焚火を囲んで気の合う仲間と飲めや歌えや火を噴けや(本当にやっていらっしゃるが良い子はマネしない)」という愉快な感じとは随分趣が異なります。

 あ、そうそう、ふだんの楽しい感じのエッセイは「水曜どうでしょう(※)」をもっと体育会・アウトドア系にした感じがあります。
(※)「水曜どうでしょう」北海道が誇る超人気バラエティ番組、役者大泉洋氏、タレントで放送作家のミスターこと鈴井氏らが国内から海外までを割と無理な旅程で駆けめぐる(ほかにもいろいろ企画があるが旅系が特に人気が高い)。実際彼らがオーストラリアに行った際には椎名さんの文章を資料として紹介している。

 しかし、そんな中に、普段の椎名さんの作品とは違う魅力のある、こんなくだりがありました。

 楼蘭行きが決まった際に、椎名さんは誰よりも楼蘭に憧れていたに違いない文壇の大先輩、井上靖氏を差し置いて楼蘭の地に立つのは気が引けると、わざわざ挨拶に行きます。以下そのときの文の引用です。

「先生の代わりにといってはナンですが、ちょっと行ってきます。何か先生の代わりにやってくること、見てくることはないでしょうか?」
すると井上氏は嬉しそうに
「そうですねえ。では楼蘭古城に着いたらひとつだけでいいです、ひとつだけでいいので石を拾ってきて下さい」
「はあ、わかりました。石ですね。」
 おれは手帳に(石ひとつ)と書く。
「それから、私のかわりに大地にあおむけに寝てください。そうして天を眺めてください」
「はあ、わかりました。空を眺めてくるんですね」
「空じゃなくて、天です」
「はあ、わかりました。天を眺めてきます」
(天ひとつ)と、おれは手帖に書く。まるでご隠居さんのところへ長屋の八っつあんが買い物のご用聞きに行ってるみたいだが、とにかくこの旅は大事な人のそういう特命をおびてもきているのである。

 そしてのちに、椎名さんは楼蘭に着いたときに、テントから這い出してきて、井上氏との約束通り、あおむけになり、「空ではなく、天」を眺めます。(以下引用)

天に対してまったく並行になって上を眺めた。さっきあぐらをかいて眺めていた時よりも空は何十倍かに大きくなったような気がした。
「天か、天だ、天を見たぞ!」
と、おれは一人でつぶやく。でっかい空を沢山の雲が動いている。みんな同じ方向、同じスピードである。しかし雲ではなくその先の天を眺めるのだ!
 手足を拡げ、さらにゆったり大の字になった。
「楼蘭の天よ!」
「さあついにきたぞ!」
「どうだどうだ……」
 天はこのおれが大の字になって寝そべる同じ大地に、二千年前に楼蘭の国が存在したのを「ほんの少し前のほんのちょっとしたことだ」とでもいうように、少しもたじろぐところもなく(あたり前だが……)敢然と青く深く静かに広がっているばかりだった。
(略)
 楼蘭には三泊した。三晩ともすさまじい星空だった。(略)ぼんやり見上げていると、常に流星が走る。人工衛星もひっきりなしに見える。一時間に八個の人工衛星を見た。星の世界そのものは二千年前の楼蘭王国の時代と殆ど変っていないのだろうが、その二千年間で人類は夜空に自分たちの作った動く星を配した。しかしこの地で見る人類の生存と成長の証はそれだけ、である。
 楼蘭を去る前夜、多くの隊員はテントを出て野天の下、寝袋だけで睡った。星の光だけで文字を読むことができるくらいの“星夜”であった。
 
 この後椎名さんは、自分の感慨に重ねて李白の詩の一節を引用しています。
 
 
 今の人は見ず 古時の月
 今の月は曾経て(かつて)古人を照らせり
 古人今人 流水のごときも
 共に名月を看る(見る) 皆此くの(かく)ごとし

 政府からのめまぐるしくかわるお達しのせいで、一時は楼蘭での撮影があやぶまれたそうですが、短いながらも映像をおさめ、そして、こっそり拾ってきた小石(それもダメだと言われていたから)を井上靖氏にさしあげて、どうにか無事に旅を終えることができた……。

 椎名さんの文章はここで終わっています。

 しかし、椎名さんと井上靖氏のやりとりには、もうひとつ、椎名さんご本人は語らなかった約束があったのです。

 これについては旅の同行者であるテレビプロデューサーの田川さんがあとがきで書き添えています。
(余談ですがこの方は、行程中ビールが支給された際に、「椎名さん個人持参の醤油を食事に一たらし権」と引き換えに、嬉々として椎名さんにそれを渡しています。「日本人と醤油」の、ほとんど悪魔の契約のように逃れがたい拘束力を描いていてこれまた興味深い。今度ご紹介いたしますね)

 椎名さんが挨拶に見えたその日、井上氏は、レミーマルタン(ブランデー)を託したそうです。
「これを楼蘭の風に吹かれながら飲んでください。美味しいと思いますから」

 椎名さんはそれを(ちょっと封を切って先に飲んだけれど)リュックに入れて楼蘭までの過酷な道のりを歩きとおしたそうです。

 出発前、田川さんの登山家の友人が、荷物を準備中の彼にこんなアドバイスをしたそうです。
「砂漠を歩くとき、荷物は一グラムでも軽い方がいいですよ。植村直己さん(日本の探検家)は、燃えて半分になったローソクをリュックに入れるか入れないか、真剣に悩みます」

 実際に椎名さんと一緒に楼蘭まで歩いた田川さんは、荷物の重さにほとんど死にそうになり、間違いなく2・3キロはあったであろうレミーマルタンの重みに耐え抜いた椎名さんの執念をたたえています。

 こうして、大事大事にちゃぷちゃぷと楼蘭まで連れてきたレミーマルタン。

 良い場面なので、井上氏へのメッセージとともに、飲む場面をカメラにおさめることになったのですが、椎名さんはカメラがまわり、一杯を飲み干すと
「先生、ついに来ました。ここは楼蘭です」
と言ったあと、あとの言葉が続かず、NGにしてしまいました。
 仕方ないのでテイク2、しかし、また飲み干したあとの言葉が続かず、テイク3。

 突如、カメラマンが語気荒く椎名さんに言いました。
「椎名さん!……何杯飲んだら気が済むんですか!僕らにも残してください」
「いやあ、ばれたか!」

 その後、スタッフもちゃんとレミーマルタンを飲むことができたそうですが、その量は椎名さんに厳しく制限されてしまったそうです。
 染みるう、と、それでも嬉しそうに飲み干していたスタッフ。

 ただ、
 
 田川さんはふと思い返しています。

 みんなにまわしても、まだ残っていたレミーマルタン、あれはあの後どこへ行ったのだろうと。

 そして、彼はこう想像します。

 おそらく、夜、みんなが寝てしまった後に、満天の星を見ながら椎名さんが独りで飲み干したのではないか。

 それは、至福のときであっただろう、と。

 椎名さんは、きざになってしまうから、(あるいはスタッフの怒りをかうから〈笑〉)と書くのを遠慮したらしいこのエピソード、きちんと付け加えてくださった田川さんに心から感謝したいと思います。

 どんなにか自分が行きたかったであろうに、その気持ちはおくびにも出さず、

「私のかわりに楼蘭人が眺めたのと同じ天を眺めて、そして楼蘭の風に吹かれながら、これを飲んできてください、美味しいと思いますから」、

と、レミーマルタンを笑顔で託した井上靖氏。

 それを受け取り、どんなに重かろうとも自分の手元から離さずに、多分、最後には、自分の旅の苦労、在りし日の楼蘭、そして井上氏との約束に思いを馳せながら、降るような星の下、そっと飲み干したであろう椎名さん。

 わたしはこのエピソードを読むたびに、本当の「風流」とか、本当の大人同士の「約束」というものについて考えさせられます。

 本当に楼蘭に憧れていた人が二人。

 本当に相手の気遣いをわかっていた人が二人。

 そういう人たち同士の間だけの風流。そして約束。

 それと、二千年前からそこにあった空と星を映し出して、風にゆれていたであろう、やわらかい酒の波や香り。

 そんなことを考えさせられるのです。

 この文章を読んだ後、皆さんの中でブランデーを飲まれる方が、二人のやりとりや、楼蘭の星と風を思い浮かべて、いつもよりもうひとまわりふんわりした気持ちになってくれたら嬉しいです。

読んでくださってありがとうございました。
posted by pawlu at 19:42| 椎名誠 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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