2016年09月07日

絵画の中の道化たち 『人間失格』の「道化」に寄せて


 先日、太宰治の『人間失格』(1948年)のあらすじを書かせていただきましたが、主人公葉蔵が常に自分をなぞらえていた「道化」について、絵画の中に描かれた道化の姿を少しだけご紹介させていただきます。


 1,ピカソとルオーの描いた「道化」

 「道化」とは、滑稽な言動で人を笑わせる芸人をさし、有名な「ピエロ」という呼び名は、クラウン(※)とか、アルルカンなど色々な道化の役どころのうちの一つだそうです。
 (※)クラウンの一種が「ピエロ」

 現代のわれわれには「道化」といえばほぼ「ピエロ」とイコールで、「ドナルド・マクドナルド」か「スティーブンキングのIT(子供を殺害する謎の禍々しき殺人ピエロ〈この映画の後ピエロ芸人の人は怖がられて大変だったんだとか〉)」のイメージがありますが、キュビスムの巨匠ピカソと、厚塗りの油絵や版画で、光を透かしたステンドグラスのような絵を描いたジョルジュ・ルオーは、それぞれのタッチで、「人々を楽しませながら、心に痛みを秘め、一たびショーが終わればつつましく生きる道化師たち」を深い敬愛と共感とともに描きました。

(ピカソ作「ピエロ」ウィキペディアより 画像提供ニューヨークMoMA美術館)
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 特に「道化師の画家」とも呼ばれたルオーは彼らに対する愛着が深く、道化師に扮した自画像や、
「我々は皆、道化師なのです」という言葉を残しました。


 一方でキリストを数多く描いたルオー。

 素朴ともとれるような太くシンプルな線で描かれ、眼を伏せてもの思いにふけるかのような道化師たちは、この世の悲しみを知り、それに傷つけられながら、人々に喜びを与えようとする聖人のような優しくも神聖な光を帯びています。

 葉蔵と暮らしていたことのあるバーのマダムは、人生を地獄と思いながら「道化」を演じ続けた葉蔵のことを、「神様みたいな良い子でしたよ」と言い、まさに葉蔵はこの「聖なる道化」の一人のようですが、作中、ピカソやルオーが描いた道化についての言及はありません。

 葉蔵が東京で暮らしていたのは、昭和5〜7年(1930〜1932)ごろという記述があり、ルオーの作品はすでに1920年代後半には白樺派によって日本に紹介されていたそうですが、洋画家志望であった葉蔵が、偶然目にしなかった、あるいは、ゴッホの絵のようには感銘を受けなかったという設定になっているのか、とにかく作品に一切登場しません。

(なおピカソは1910年代には道化の絵を描き、1920年代にはすでに画壇で大きな成功をおさめているので、こちらも画家を志す青年なら目にしていてもおかしくないのですが、特に触れられていません。)

 参照:
パナソニック汐留ミュージアム「ジョルジュ ルオー アイラブサーカス」展HP
http://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/12/121006/ex.html
金澤清恵 「日本におけるジョルジュ・ルオーの紹介、 あるいはその受容について」成城大学美術史 第17号
http://journal.seijo.ac.jp/gslit/student/art/pdf/art-017-03.pdf
美の巨人たち「傷ついた道化師」
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/070324/

 作中葉蔵がピカソやルオーの物哀しい優しさを称えた道化を目にする機会があったか無かったかというのは知る術がありませんが(観て共感できたなら、彼の道化や人生の質が変わったのではないかとは、一読者としてかすかに想像しますが)、なにはともあれ、この時代には、すでに、道化という言葉には、人を笑わせる芸人という本来の役割を超えて、人々のために十字架を負うキリストにも似た神聖なイメージが漂い、また、『人間失格』という作品自体にも、マダムの言葉などから、かすかにそのイメージをほのめかすような描写があります。
 (なお、太宰治は1935年に『人間失格』と同じ大庭葉蔵という名の男を語り手に『道化の華』という作品を発表しています。)
 
2、(補足)アントワーヌ・ヴァトー作「ピエロ(ジル)」

WatteauPierrot.jpg
ウィキペディアより 画像提供The Yorck Project: 10.000 Meisterwerke der Malerei. DVD-ROM)

 1718‐1719年ごろの貴族文化華やかなりしフランスで、大庭葉蔵の心理を微かに彷彿とさせる、あるミステリアスなピエロの絵が描かれました。

 そのはかなげな気品漂う画風で、「雅びな宴」の画家と呼ばれたアントワーヌ・ヴァトーの作品「ピエロ〈旧称ジル〉」です。

 ほぼ等身大に描かれた、白い道化の衣装を着て、所在なげに両手をだらりと下げて、穏やかだけれどメランコリックな、微かに目のふちに涙を浮かべているようにすら見える若者。

 背後には、彼より低い位置に立っているのか、喜劇の登場人物たちやロバが半身だけ姿を見せ、人々は中央のピエロをよそに、何か言葉を交わしている様子。

 モデルが誰なのか、寓意画なのかなど、はっきりしたことは何もわからないこの絵は、引退した役者が開いたカフェの看板という、異色の出自を持っていたといわれています。
 
 ヴァトーは早逝(36歳で死去)ながら、生前一定の評価を得た画家なのですが、その後、その絵の価値が忘れ去れてしまったのか、1800年代はじめに、ルーブル美術館初代館長であったヴィヴァン・ドゥノンが骨董屋でこの絵を見かけた時には、絵は安値で売られ、チョークでこんな詩が書き加えられていたそうです。

「あなたを楽しませることができたならどんなにかピエロは満足することでしょうか」

 ドゥノンは、同行していた当時の大画家ルイ・ダヴィッド(「アルプスを越えるナポレオン」等で有名)が止めるのも聞かず絵を購入し、絵は後にロココ絵画の傑作にして、ルーブル美術館の至宝とたたえられるようになりました。

アルプスを越えるナポレオン.jpg

 輪郭をギリシャ彫刻のようにはっきりと描き、歴史的で勇壮な画面を描くことに長けたダヴィッドが、この絵を高く評価しなかったというのはありそうなことですが、それでも譲らず絵を救ったドゥノン氏のおかげで、絵はこうして後世に伝えられることとなりました。

 この絵を残して間もなく世を去ったヴァトー自身の投影ではないかとも考えられているこの絵は、時代も国境も超え、周囲に溶け込もうとしても、馴染めずに、独り寂しげに佇む心地を経た人すべての心に響きます。

 先日書かせていただいたフランスの傑作映画「ピエロの赤い鼻」の中で、主人公たちに同情を寄せた心優しいドイツ兵ベルントが、上官の指示に従う周囲の兵士たちの中で、独り両手をぶらりと下げて、動かない場面があるのですが、そのポーズは非常にこの絵に似ています。
(フランスでピエロを題材にする以上、絶対に意識せざるをえない絵だと思うので、おそらく念頭におかれて撮影されたシーンなのだと思います。)

 また、萩尾望都さんのバレエ漫画『ローマへの道』(いずれご紹介させていただきます)でも、この絵に影響を受けたのではと思われるタイトルページがあります。(主人公マリオがにぎやかな踊りの輪から独り外れて、仮面を外している)

ローマへの道 (小学館文庫) -
ローマへの道 (小学館文庫) -

ローマへの道 旧表紙.png

 この絵が『人間失格』をはじめとした、太宰作品における道化のイメージに影響を与えたかどうかは謎ですが、しかし、やはり笑いよりもむしろ言い知れない孤独と寂しさを漂わせているというところが、作品世界を思い起こさせるので、補足でご紹介させていただきました。

(ドゥノン館長とダヴィッドの逸話については、エピソードが載った本のタイトルをメモしそこねてしまいましたので、近日中に確認の上、追記させて頂きます。)

 当ブログではこの後何回か『人間失格』について書かせていただく予定です。(何度か違う話題が挟まると思いますが)よろしければまたお立ち寄りください。

 読んでくださってありがとうございました。

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2016年09月05日

太宰治「人間失格」(原作あらすじ)



 今日は太宰治の代表作『人間失格』のあらすじについてご紹介させていただきます。

 これから何回か、この作品と、これを漫画化した作品『まんがで読破 人間失格』について書かせていただく予定です。


人間失格、グッド・バイ 他一篇 (岩波文庫) -
人間失格、グッド・バイ 他一篇 (岩波文庫) -

人間失格 ─まんがで読破─ -
人間失格 ─まんがで読破─ -

 以下、原作あらすじです。結末までネタバレですので、あらかじめご了承ください。(一部不適切と思われる用語がありますが原作のまま使用させていただきます。)
 
 物書きの「私」は、ある奇妙な3枚の写真と長い手記が記されたノートを手に入れる。

 それぞれに底知れない不吉と嫌悪感を抱かせる3枚の写真に写っていたのは一人の男。そして手記は、その不吉を発する一人の男、大庭葉蔵の生涯について語られていた。
 
「恥の多い生涯を送って来ました。」
そんな言葉からはじまる葉蔵の人生の告白。

 東北の非常に裕福な家庭に生まれ、何不自由無い暮らしだったはずだが、幼い頃から飢えを知らず、使用人と家族の間で人間の裏表を見てきた彼は、人間に恐怖し、彼らを理解できないことに苦しみ続けていた。
 
 怯えの中で、せめて人間を笑わせる道化となることに、彼らの間で生き延びる道を見出した葉蔵は、ある日彼のクラスメートで、彼の意図的な道化を指摘した竹一から「お化けの絵だよ」と見せられたゴッホの自画像に衝撃を受ける。

 ゴッホ、モジリアニ、竹一の目にはお化けや地獄の馬に見える人間を描いた人たち。

 彼らは、人間に痛めつけられた果てに、人間の中に、妖怪を見た、そしてその恐怖を自分のように道化で誤魔化さずに、見えたままの表現に努力した。そして敢然と人間をモチーフとして「お化けの絵」を描いたのだ。

 そう思って涙が出るほど感動した葉蔵は、自分も彼らのような絵描きになりたい、と、強く思うようになる。

 普段のお道化を封印して、ひそかに自画像を描いた葉蔵。

 人の思惑に少しも頼らない、主観による創造、それを心がけて描いたその絵は、驚くほどに陰惨な、満足の行く出来に仕上がったが、葉蔵はそれを竹一にだけ見せて、他の人たちには自分のこうした暗部を知られたくないという思いから、すぐにしまいこんでしまう。

 葉蔵の自画像を見た竹一から「お前は偉い絵描きになる」と言われ、しかし、葉蔵はその夢を叶えることができなかった。

 厳格な父に、父の勧める官吏ではなく絵描きになりたい、と言い出すことができず、父の別荘で、高等学校に籍を置きつつ、ひそかに画塾に通ううちに、葉蔵は堀木という男に出会う。

 美貌で遊び人の堀木から、金を無心され、酒と煙草と女を教えられ、内心互いに軽蔑しながらもその交友関係は続き、そうこうするうちに、自分が男以上に恐怖する女という生き物を引き寄せる「女達者」になりつつあるという恥ずべき事実に気づいた葉蔵は、女遊びから距離を置くようになる。

 しかし、もう一つ堀木に教えられた非合法の政治活動、これからはまだ離れることができなかった。

 一方、息子が反体制の政治活動をしているとは知る由もなかった政治家の父から、別荘を出て自活するよう言い渡されたとき、葉蔵はたちまち生活に困るようになる。

 生活苦と、遊び半分で始めたはずが抜けられなくなっていた非合法の政治活動、そして遊興の悪癖。

 それらにがんじがらめになって身動きがとれなくなっていたときに、葉蔵は人生に疲れたバーの女給ツネ子に出会い、彼女のわびしさに安らぎを覚えた果てに、深く考える間も無く、心中事件を起こす。

 女給は死に、葉蔵は助かった。

 この事件は政治家で名士の父のスキャンダルとなった。
    起訴猶予となった葉蔵は、父の世話になっていた骨董商の男(父も葉蔵もその男を「ヒラメ」と読んでいた)を身元引受人として釈放され、彼の家で寝起きをすることになる。

 ヒラメが心配するような後追い自殺の気力などなく、いたたまれなさからヒラメの家を出て堀木を訪ねた葉蔵は、そこで、雑誌社に勤める子持ちの未亡人の女性シヅ子に出会い、彼女の家に身を寄せた。

 彼女の紹介で、子供向け漫画の仕事を得て、彼女と同棲することになった葉蔵。

 同時に故郷とは絶縁することになり、憂鬱な思いの中で酒を飲みながら漫画の仕事をこなすうちに、自活したいという思いとは裏腹にまた酒代が膨れ上がり、自分がいては、この母子を不幸にする、と思った葉蔵は、シヅ子の家を黙って後にし、行きつけになったバーのマダムのもとに転がり込んだ。

 彼女の店を手伝い、漫画を描きながら無為な日々を過ごしていた葉蔵だったが、ある日タバコ屋の娘ヨシちゃんに出会い、彼女の無垢に打たれて、彼女と結婚することにする。

 束の間ヨシ子と幸せな新婚生活を送っていた葉蔵、しかし、堀木との付き合いを断ち切ることができずに、再び酒浸りの日々を送るようになり、そんな中、ヨシ子が葉蔵の漫画を買い取っていく男に暴行されるという事件が起こる。

 堀木とともにその事件を目撃した葉蔵。

 葉蔵が惹かれたヨシ子の無垢の信頼、それによってヨシ子が卑劣な男に騙された。

 この皮肉に苦しめられた葉蔵は、混乱の中で、ヨシ子の自分に対する愛情すらも疑うようになる。

 事件に巻き込まれた挙句、葉蔵から疑われたヨシ子は、自殺するつもりで催眠剤を手に入れ、それを見つけた葉蔵は、「お前に罪は無い」と思いながら、それをすべて自分で飲み干す。

 二度目の自殺未遂、しかし、またしても死に損なった葉蔵は、ますます酒を飲んで喀血し、薬を求めて入った薬局の女主人から、アルコール依存を断つために、と、ひそかに渡されたモルヒネの虜となる。

 薬欲しさに、女主人を誘惑し、それでも膨れ上がった薬代と中毒症状はどうしようもなく、ついに行き詰った葉蔵は、父に助けを求める長い手紙を書き送る。

 やってきたのは、堀木とヒラメだった。
 
 「お前は、喀血したんだってな」
 その優しい微笑みに感動した葉蔵。とにかく、病気を治さなければと説得されて、連れていかれた先は、胸の病気を治すサナトリウムではなく、脳病院だった。

 施錠された病棟。

「人間、失格」
 堀木の微笑に裏切られ、その刻印を額に打たれた心地の中、鉄格子を透かして季節の移り変わりをただ漠然と見ていた葉蔵は、訪れた兄から、父の死を告げられる。

 懐かしくおそろしかった父の死。

 苦悩さえも失った葉蔵は、兄に引き取られ、廃屋のような家に老いた女中と住まわされることになる。

「今の自分には、幸福も不幸もありません。ただ、一切は過ぎていきます」

 ことしで二十七才になった葉蔵は、白髪が増えたために、周囲からは四十以上に見られている。

 手記はそんな話で結ばれていた。



 物書きの「私」は「あとがき」の中でこの数奇な写真3枚と手記を手に入れた経緯を語る。

 葉蔵のことは知らない、しかし、「私」に手記を託した女性は、おそらくかつてバーのマダムしていた人だ。

 彼女のもとに送られてきたこの手記を、彼女は「小説の材料になるかもしれない」と、私に託した。

 葉蔵の生死は知らない。ただ、手記を送られてからもう十年経つから、なくなっているかもしれない。
 そう語るマダムに、「あなたも、相当ひどい目にあったのですね」と、「私」は言う。
 「あのひとのお父さんが悪いのですよ」
 マダムは「私」に、なにげなく、そう言った。
「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいな良い子でした」

(完)

 人間に怯えて、道化を演じ続けた果てに、世間から孤立していった葉蔵。

 彼自身の語りの中、そして、マダムの記憶の中では、自分の苦悩を押し殺して人間を笑わせた「聖なる道化」のようにも見える葉蔵ですが、彼の語りの中に埋没した他者とのやりとりには、それだけでは片づけられない物語の奥行があり、太宰治のダイレクトな自伝であり遺書であるかのようにも思わされるこの作品が、漫画となることで、確かに作品の中にほのめかされ、しかし、重視されてこなかった要素を浮かび上がらせています。

(原作ファンにとって、他メディアのリメイクに満足がいくことは少ないのですが、この漫画は、原作にかなり忠実でありながら、漫画の特性を活かしたデフォルメがされており、原作ファンにも非常に読み応えがありました。)

 当ブログでは、何回かに分けて、この原作と漫画の比較を行い、それぞれの作品の特色をご紹介させていただきたいと思います。よろしければまたお立ち寄りください。

当ブログ太宰治関連記事は以下の通りです。併せてご覧いただければ幸いです。
「黄金風景」(太宰治短編ご紹介1)
「花吹雪」(太宰治短編ご紹介2)
「哀蚊(あわれが)」(太宰治短編ご紹介3)
「人間失格」原作あらすじ

 読んでくださってありがとうございました。

posted by Palum at 23:57| 太宰治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月11日

「哀蚊(あわれが)」(太宰治短編ご紹介3)


本日は、太宰治のごく短い作品についてご紹介させていただきます。
(ネタバレですのでご了承ください。)

「哀蚊」(あわれが)

太宰治初期の作品「葉」の一部に「自分が過去に書いた作品」として含まれている掌編小説です。(小説集『晩年(1936年発行)』に収録)

晩年 (新潮文庫) -
晩年 (新潮文庫) -

太宰治本人を思わせる「私」の言によるとこの「哀蚊」を書いたのは、自身が19才のとき。(※1)

「それはよい作品であった。(中略)自身の生涯の渾沌を解くだいじな鍵となった。形式には、「雛(※2)」の影響が認められた。けれども心は、彼のものであった。」
と、自ら思い入れを語っている作品です。

(※1)戦前は年齢を数え年で言うのが一般的だったので、おそらく現在で言えば18歳。
(※2)芥川龍之介の短編。太宰は芥川の熱烈なファンだった。

「秋まで生き残されている蚊を哀蚊と言うのじゃ。蚊燻し(かいぶし※蚊取り線香)は焚かぬもの。不憫ゆえにな。」

そう語る、東北の富裕な一族に生きた、若き日の絶世の美貌を色濃く残す老女。

死に顔すら夏木立の影も映らんばかりに透き通り、しかし、その肌を誰にも触れられぬまま死んだ、その無念をひっそりと描いた作品です。



「おかしな幽霊を見たことがございます」

物語は本家の娘のそんな語りからはじまります。

本家の娘「私」は、幼いころ、同じ屋敷に住む、美しい「婆様」に可愛がられて育ちました。

「わしという万年白歯(※)を餌にして、この百万の身代ができたのじゃぞえ」
それが婆様の口癖。財産を分けずに済むよう、一族が結婚を禁じたのでしょう。

(※)未婚の意、昔、既婚女性は鉄漿(おはぐろ)で歯を黒く染めたため。

家の繁栄の犠牲となった美しい老女は、実の孫ではない「私」への秋の寝物語として、生き残った哀蚊の不憫を語って聞かせます。
「なんの哀蚊はわしじゃぞな。はかない……。」
幼い「私」を抱きしめ、その両足を自分の脚の間にはさんだまま、老女はそうつぶやきました。

そしてこの美しい「お婆様」を誰よりも慕っていた「私」は、ある晩、幽霊を見たのです。

やはり秋、「私」の姉の祝言の晩。騒々しかった宴会も静まった頃。
目をさますと、「私」に添い寝していたはずの「婆様」が居ず、厠に行こうと一人こわごわ部屋を出た娘の目の先に、見えたもの。

青蚊帳にうつした幻燈のようにぼんやりと、しかし確かに夢ではなく。
暗く長い廊下の片隅、新婚の二人の寝室の前に、白くしょんぼりとうずくまり、中をうかがう小さな幽霊。

「幽霊。いえいえ、夢ではございませぬ。」

(完)

確かに「」に一部似たところがあります(※没落した名家の父が、手放すことになったひな人形を飾り、夜中に独りそれを眺める姿を、娘が見つけるという内容。作品が娘の回想として語られる点、夜中、娘が家族と家の悲哀を思いがけず目撃するという部分が共通している。)しかし、こと凄味という点ではそれを上回っています。

幼い「私」を抱きしめることで独寝のわびしさを紛らわせ、自分は迎えることを許されなかった初夜を垣間見ようとする「婆様」。

太宰は実家が非常に裕福ながら、その実かなり内外に重苦しい業を重ねて財を蓄えたというのは、しばしば作品の中で語られているところです。

太宰の実家である津島家、あるいは近隣の似たような裕福な家でも、この「婆様」のように、家の財を保つために、結婚を禁じられて、大きな冷たい屋敷から出ることを許されず、本家の人間の面倒を見、彼らだけに許された婚姻を、寂しさと羨望を押し殺して眺めながら、老いて死んだ女性たちがいたのかもしれません。

(なお、作中では、同じ夜、「私」の父が祝いの席に呼んだ芸者と関係を持っていることをほのめかす場面もあり、婆様に孤独を強制しながら、淫蕩に走る本家の男たちのエゴが浮かびあがる構成になっています。)

そういう現実を念頭にしているせいなのか、「葉」自体の、いかにも太宰作品らしい、まだ若いのに人生が苦しくて仕方がないといった口調や、心が疲弊しきって現実と幻影の区別があまりつかない茫洋とした灰色の世界観の中で、この「哀蚊」の廊下の暗さや、美しい老女の肌の不幸な輝き、空気の冷たさはリアルで異彩を放っています。

もし本当に未成年のうちにこの作品をものにしたのなら、まさにおそるべき才能です。

ご存知のとおり、太宰はこれ以後も数々の傑作をものにしていきますが、これはこれで、短いながら、既にこれ以上足し引きできない完成されたものを感じさせる。

(ただ、まだ若いうちに、圧倒的富裕の裏返しとして、身近にこのような不幸とエゴを感じていたのなら、それは確かに苦しいことだったでしょう。)

これを読んで以来、この薄幸の「婆様」と、「あわれが」という言葉の響きも相まって、秋の蚊には「もう死んでしまう、しかし、いつどう死ぬのか、なんのために生まれてきて死んでしまうのか自分でも知らない、はかない、さびしい、ちいさな命」というイメージがつき、しんみりしそうになります。

(「しそうになる」だけで、しないけど。現実の秋の蚊は体が大きいし、いつ死ぬのかわからないせいか、羽音も殺気だって、どこだろうとお構いなしに刺しまくるから、ある意味夏の蚊より速やかに葬り去らないとひどい目に遭う。)

蚊の季節から秋にかけて、先日ご紹介した椎名誠さんの蚊の話(「わしらはあやしい探検隊」より)と真逆の才能として、いつも対で思い出す作品です。

ネット上の「青空文庫」でも閲覧することもできるので、よろしければご覧になってみてください。

当ブログ太宰治関連記事は以下の通りです。併せてお読みいただければ幸いです。
「黄金風景」(太宰治短編ご紹介1)
「花吹雪」(太宰治短編ご紹介2)
「哀蚊(あわれが)」(太宰治短編ご紹介3)

読んでくださってありがとうございました。
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2014年06月19日

太宰治「花吹雪」(太宰治短編ご紹介2 「桜桃忌」によせて)

 6月19日は作家太宰治の命日「桜桃忌」です。

 人間への恐怖から破滅した青年の生涯を綴った『人間失格』の作者で、自身も破滅的な生涯を送り女性と心中した作家。

 ……というイメージが強く、実際そうでもあるのですが、私は『人間失格』も非常に優れていると思いつつ(夏目漱石の『こころ』の次に染みる作品です)、太宰治の短編小説家としての手腕とユーモアセンスが好きなので、今回はそういう作品のひとつをご紹介させていただきます。

 「花吹雪」

 「黄村先生(おうそんせんせい)」という大学の教師(しかし世間的知略でいうと、むしろ不器用でとんちんかんなところが多い)がいらして、ときおり物書きの「私」や学生たちを自宅に招集して持論を披露するのだが(大迷惑)、この回では「男子たる者、腕っぷしが強くなければならぬ。腕に覚えさえあれば、知的な仕事にも自然と風格が出るものだ」という論説をぶり、その説にのっとって、普段自分を馬鹿にする近所の同年代の画家をぶんなぐろうとする……という話です。

 太宰と言えば「生まれてすみません」とか、「恥の多い生涯を送ってまいりました」というフレーズで有名ですが、こんな話もあるのです。

 この「黄村先生」は三部作になっていて、あるときは「オオサンショウウオ」の美にうたれて、飼いたい買いたいと騒ぎ出し、あるときは茶の湯に凝って強制的に茶会を催す(……といっても別にわびた茶釜も器も持っていない)、というように、大体、先生が突如熱情に浮かされて「私」たちを巻き込んで行動に移すけれど、御気の毒ながらうまくいかない(けど懲りない)というパターンです。(作品名、順に「黄村先生言行録」と「不審庵」)

 三作ともそれぞれ面白いのですが、とくに「花吹雪」で興味深いのは、まず
「男たるもの腕っぷしが強くあれ、あれば作物に重みが出る」
というお説それ自体です。

 語り手の「私」も「大山椒魚こそ古代の美やまとの美ほしいほしいよう」みたいなのに付き合わされた時は、とてもうんざりした感じだったのですが(先生が水族館で大山椒魚にひとめぼれしたとき「さかな、いやおっとせいの仲間」とか口走って、その愛がいかにも即席だったから)、この説には感じ入るところがあり、反省したりしています。
以下黄村先生お説原文

文学と武術とは、甚だ縁の遠いもので、青白く、細長い顔こそ文学者に似つかわしいと思っているらしい人もあるようだが、とんでもない。柔道七段にでもなって見なさい。諸君の作品の悪口を言うものは、ひとりも無くなります。あとで殴られる事を恐れて悪口を言わないのではない。諸君の作品が立派だからである。そこにいらっしゃる先生(と、またもや、ぐいと速記者(補、語り手「私」のこと)のほうを顎でしゃくって、)その先生の作品などは、時たま新聞の文芸欄で、愚痴といやみだけじゃないか、と嘲笑せられているようで、お気の毒に思っていますが、それもまたやむを得ない事で、今まで三十何年間、武術を怠り、精神に確固たる自信が無く、きょうは左あすは右、ふらりふらりと千鳥足の生活から、どんな文芸が生れるかおよそわかり切っている事です。

 そして「私」のような文学者の対極として明治の文豪森鷗外と夏目漱石の武勇伝が紹介されます。これが第二の見どころ。

 森鷗外(代表作『舞姫』)といえば、軍医でもあり、実際に戦地に赴任していますから、考えてみれば何の心得もないわけはありませんが、50歳を目前にした時期に、彼に宴席で嫌味を言った記者と取っ組み合いの大立ち回りを繰り広げたことがあったそうです。

 聞こえよがしに鷗外にけちをつけてきたその男に対し、鷗外は「何故今遣(や)らないのか(補、「俺と闘って決着をつけないのか」の意)」とたんかを切り、「うむ、遣る」と言った記者と組み合って庭まで転げ落ち、周囲があわてて引き離したという話があったとか。

 「あのひとなどは、さすがに武術のたしなみがあったので、その文章にも凜乎(りんこ)たる気韻がありましたね」とは黄村先生の評ですが、「何故、今やらないのか」という発言は、確かにそれなりに鍛錬した人間でなければ、なかなか出てこない台詞です。

 一方「私」は、かつて酔っぱらった学生に喧嘩を売られたときに、こんな対応をしていまい、鷗外とわが身を比べてかなしくなりました。(以下引用)

私はその時、高下駄をはいていたのであるが、黙って立っていてもその高下駄がカタカタカタと鳴るのである。正直に白状するより他は無いと思った。
「わからんか。僕はこんなに震えているのだ。高下駄がこんなにカタカタと鳴っているのが、君にはわからんか。」
 大学生もこれには張合いが抜けた様子で、「君、すまないが、火を貸してくれ。」と言って私の煙草から彼の煙草に火を移して、そのまま立去ったのである。けれども流石に、それから二、三日、私は面白くなかった。私が柔道五段か何かであったなら、あんな無礼者は、ゆるして置かんのだが、としきりに口惜しく思ったものだ。
(中略)
私は、おのれの意気地の無い日常をかえりみて、つくづく恥ずかしく淋しく思った。かなわぬまでも、やってみたらどうだ。お前にも憎い敵が二人や三人あった筈ではないか。しかるに、お前はいつも泣き寝入りだ。敢然とやったらどうだ。右の頬を打たれたなら左の頬を、というのは、あれは勝ち得べき腕力を持っていても忍んで左の頬を差出せ、という意味のようでもあるが、お前の場合は、まるで、へどもどして、どうか右も左も思うぞんぶん、えへへ、それでお気がすみます事ならどうか、あ、いてえ、痛え、と財布だけは、しっかり握って、左右の頬をさんざん殴らせているような図と似ているではないか。そうして、ひとりで、ぶつぶつ言いながら泣き寝入りだ。キリストだって、いざという時には、やったのだ。「われ地に平和を投ぜんために来れりと思うな、平和にあらず、反って剣を投ぜん為に来れり。」とさえ言っているではないか。あるいは剣術の心得のあった人かも知れない。怒った時には、縄切を振りまわしてエルサレムの宮の商人たちを打擲(ちょうちゃく)したほどの人である。決して、色白の、やさ男ではない。やさ男どころか、或る神学者の説に依ると、筋骨たくましく堂々たる偉丈夫だったそうではないか。


……確かにイエス・キリストは生家が大工で30歳ごろまでその生業で働いていたようなので(参考資料「聖☆おにいさん」〈←?〉)、鷗外同様、体を鍛えていないという事はなさそうです。

 「私」はさらに、鷗外と並び称せられる文豪夏目漱石も腕に覚えがあったに違いない、として、次のようなエピソードを紹介しています。
(以下引用)

漱石だって銭湯で、無礼な職人をつかまえて、馬鹿野郎! と呶鳴って、その職人にあやまらせた事があるそうだ。なんでも、その職人が、うっかり水だか湯だかを漱石にひっかけたので、漱石は霹靂(へきれき)の如き一喝を浴びせたのだそうである。まっぱだかで呶鳴ったのである。全裸で戦うのは、よほど腕力に自信のある人でなければ出来る芸当でない。漱石には、いささか武術の心得があったのだと断じても、あながち軽忽(けいこつ)の罪に当る事がないようにも思われる。漱石は、その己の銭湯の逸事を龍之介に語り、龍之介は、おそれおののいて之(これ)を世間に公表したようであるが、龍之介は漱石の晩年の弟子であるから、この銭湯の一件も、漱石がよっぽど、いいとしをしてからの逸事らしい。立派な口髭をはやしていたのだ。


 ……「全裸で戦うのは、よほど腕力に自信のある人でなければ出来る芸当でない」という分析は、なるほどなあと思わされます。相撲だってまわしいっちょうのなのも、取り組みの前に両手を広げるのも「武器を持っていません」というアピールだと聞きましたし(参考資料「パタリロ」)。

 ちなみに漱石というと胃が弱くて痩せて怒ってばかりというイメージが一般的でしょうが、学生時代はボートに器械体操に野球に……とスポーツ万能で、実はひととおり体を鍛えていた人なのです。

 持ち前の癇癪で後先考えずに怒鳴りつけた可能性も否定できませんが、喧嘩で勝つかどうかは別として、人より身体能力に覚えがあったのは確かでしょう。

 そして、確かにあの明治の二大文豪の文章には、まさしく「凜乎たる気韻(うまい表現です。さすが太宰。これよりふさわしい表現は無い)」と呼ぶべき、何やら独特の侵しがたい硬質な質感と品があります。

 もちろん言葉づかいが古いからなんとなくカッコイく見える……というのもあるだろうし、鷗外も漱石もそれぞれドイツ語と英語が抜群に出来て、鷗外は医学を修め、漱石は漢詩・俳句も一流、と、ちょっと特異体質と言ってもいいほどの頭脳の持ち主なので、別に文が良いのが腕っぷし由来とは限らないじゃないかと言われればそうなのですが……。

 しかし、この二人の文豪のエピソードと共に思い出される話があります。

 明治の七宝作家、並河靖之
 昨今話題の超絶技巧の明治工芸の達人の中でも最も評価の高い作家です。そしてこれからもっと内外での評価が上がるでしょう。日本を代表する美の作り手として。
 私はこの人の作品を見るたびに、その清澄な静けさの奥から醸される、絶対的な存在感に圧倒されてきましたが、(並河作品を観たら、「きれいねえ」を通り越してオーラに気圧される人は多い。日本画家平松礼二氏はNHKの極上美の饗宴の中で、「本当に…心臓が…どきどきする…」といい、イギリスの某紳士は「気絶しそうになった」といい、私は「鼻血を噴きそうになる」と形容して知人の失笑を買った〈何故前の方たちのように言えなかったのか〉)ともあれ、その「澄み静かながら完璧さゆえに人を圧倒する美」のたたずまいは漱石の文章に似ているとつねづね思っていました。

 そしてこの並河靖之、元々馬術の名人で、その腕を見込まれて宮家の方々にてほどきをしたという話が残っています。七宝を手掛け出したのは実はそれより後のこと(物心ついたころから「七宝バカ一代」みたいな生き方をしていないとあんな作品はとうていできないと思っていたのですが、実は結構遅咲き)。

 鷗外、漱石の文、そして並河靖之の作品に共通する「凛呼たる気韻」と、彼らがそれぞれ何らかの形で鍛錬していたというエピソードをつなぎあわせてみると、その美の根っこのひとつは確かに「日々精進し、実際に体をきしませ、意思と技術の力でわが身を操ることができる」という能力のような気がするのです。

 その身体的な実感と自負が、いわゆる腹の座りとも、観察眼とも他者に対する説得力ともなり、彼らの作物に、どうにも馬鹿に出来ない重みと品を与えている。これはどうも事実なのではないでしょうか。

 別にそれが無ければなんにもできないということはない、違う才能でなければたどり着けない高みもあるのですが(実際鷗外には絶対に『人間失格』を物にできないでしょう、漱石もあの題材では太宰にかなわないと思います)、明治以後の人間が明治の人間に対し、どうもけむったいというか、かなわないような気がしてしまうのは、この「いざというときのためにそれなりにわが身を鍛えておけ、その上で物を言え」という凄味が無い時代に暮らし、頭だけで、我が頭にのみぶんぶんと振り回されて生きているようなところがあるからのような気がします。

精神に確固たる自信が無く、きょうは左あすは右、ふらりふらりと千鳥足の生活から、どんな文芸が生れるかおよそわかり切っている事です。

 ……痛い!痛い!耳が痛い!!
 ただし、この警句を見出し、読者の耳が痛むほどのフレーズにできたのは、太宰だけの才能です。(なんか棚に上げてないか。)

 ……ともあれ、このとおり、語り手「私」も読者もうなだれつつも染みるところのある黄村先生のお説でしたが、それにのっとって行動した結果、黄村先生はいつも通り災難に見舞われます。

 言ったからには老骨にムチ売ってでも体を鍛えねばと思った黄村先生、弓道を習いに行って、自ら引き絞った弓の弦で頬をしたたかはじいて(初心者はよくやるらしい。「こち亀」にも似た話があった)泣くほど痛い思いをしたりしたのですが、それでもその精神はある程度会得したと思い、武者震いしている最中に、普段から折り合いの悪かった同年代の画伯に屋台飲んでる最中に嫌味を言われます。

 いつもならそれこそ「右の頬をなぐられたら、さからってはならぬ、お金をとられないように、左の頬もさしだせ」と間違ったキリスト精神で泣き寝入りしていたはずですが、弓道で(数時間程度)鍛えた先生は、老画伯を敢然と呼び止めて、決着をつけようとします。
 
 ……その心意気は良かったのですが、相手に殴りかえされたときに備えて、うっかりたんかを切る前に入れ歯を外してしまい(壊されたら困るから、高いから)、その売り言葉も文字通りはなはだ歯切れの悪いものとなってしまいましたが、それでもひるまず画伯の顔を張り倒しました。

 これで溜飲を下げたと意気揚々と立ち去ろうとしたのですが、季節は春、先生が外して地面に置いた入れ歯は絶え間なく散る桜の花吹雪に埋もれ、所在がわからなくなってしまいます。

 いきなり殴られて茫然としていた画伯ですが、黄村先生のうろたえはいずる様子を見て、一緒に入れ歯を探し始めます。

 (以下引用)
老生(補、黄村先生)と共に四つ這いになり、たしかに、この辺なのですか、三百円(補、作品発表当時1940年代で1円=270円という説があるので現在の貨幣価値で10万円近辺かと思われます)とは、高いものですね、などと言いつつ桜の花びらの吹溜りのここかしこに手をつっこみ、素直にお捜し下さる次第と相成申候。ありがとうございます、という老生の声は、獣の呻き声にも似て憂愁やるかた無く、あの入歯を失わば、われはまた二箇月間、歯医者に通い、その間、一物も噛む事かなわず、わずかにお粥をすすって生きのび、またわが面貌も歯の無き時はいたく面変りてさらに二十年も老け込み、笑顔の醜怪なる事無類なり、ああ、明日よりの我が人生は地獄の如し、と泣くにも泣けぬせつない気持になり申候いき。杉田老画伯は心利きたる人なれば、やがて屋台店より一本の小さき箒を借り来り、尚も間断なく散り乱れ積る花びらを、この辺ですか、この辺ですか、と言いつつさっさっと左右に掃きわけ、突如、あ! ありましたあ! と歓喜の声を上げ申候。たったいま己の頬をパンパンパンと三つも殴った男の入歯が見つかったとて、邪念無くしんから喜んで下さる老画伯の心意気の程が、老生には何にもまして嬉しく有難く、入歯なんかどうでもいいというような気持にさえ相成り、然れども入歯もまた見つかってわるい筈は無之、老生は二重にも三重にも嬉しく、杉田老画伯よりその入歯を受取り直ちに口中に含み申候いしが、入歯には桜の花びらおびただしく附着致し居る様子にて、噛みしめると幽かに渋い味が感ぜられ申候。杉田さん、どうか老生を殴って下さい、と笑いながら頬を差出申候ところ、老画伯もさるもの、よし来た、と言い掌に唾して、ぐゎんと老生の左の頬を撃ちのめし、意気揚々と引上げ行き申候。も少し加減してくれるかと思いのほか、かの松の木の怪腕の力の限りを発揮して殴りつけたるものの如く、老生の両眼より小さき星あまた飛散致し、一時、失神の思いに御座候。かれもまた、なかなかの馬鹿者に候。 

 ……殴った相手に箒で花びらを掃きわけ見つけてもらった入れ歯。「ありましたあ!」と素直に喜ぶ心意気を嬉しく思いながらはめた入れ歯は桜の花びらが入ってほろ苦かったけれども、お詫びに殴り返してくださいと頼んだら、その殴られても邪心なく入れ歯を一緒に探してくれる単純さゆえに、案外手加減なく殴り倒され、目から星が出る心地がした……という顛末です。
 体を鍛えておくことはやはり大切だけれども、その拳は同胞に向けるべきものではありませんね……という実感を「私」に書き送って、黄村先生のお話は結ばれています。

 腕に覚えがあればその作物に重みが出るものだ、という発想。
 鷗外、漱石のいい加減重鎮となってからの武勇伝。
 そして、桜の花びらがたえまなく散る中で、さっきまで互いにいけすかない奴だと思っていたいい年の男同士が、殴った男の入れ歯を花びらをかき分け一生懸命探す姿と、「あ、ありましたあ!」という殴られた男の素直な歓声。
 きまり悪さと嬉しさの中で口中に広がる、入れ歯に挟まったほろにがい桜の花びらの味、ぶん殴られて飛ぶ星。

 思いっきりのユーモアの中にえもいわれぬ、それこそアンパンの上の桜の花の塩漬けのような、不思議な、しかしそれがあるがゆえに、末永く突出する妙味を持つ作品です。

 太宰の文に鷗外や漱石のたたずまいはありませんが、この真理を巧みにすくう感性と複雑な味わいは他の誰にもない太宰だけが持つ魅力です。

 青空文庫でも読めますが、太宰の名短編を多く集めた「津軽通信」(新潮文庫)にも収録されていますので、よろしければお手に取ってみてください。

津軽通信 (新潮文庫) -
津軽通信 (新潮文庫) -

当ブログ太宰治関連記事は以下の通りです。併せてお読みいただければ幸いです。
「黄金風景」(太宰治短編ご紹介1)
「花吹雪」(太宰治短編ご紹介2)
「哀蚊(あわれが)」(太宰治短編ご紹介3)

読んでくださってありがとうございました。

参照URL
青空文庫 「花吹雪」 http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1582_15079.html
posted by Palum at 20:53| 太宰治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月24日

「黄金風景」(太宰治作短編ご紹介1)

 先日イギリスの海辺町クローマの記事を書かせていただきましたが、あの場所の景色を見ていて思い出した短編がありますので、少しご紹介させていただきます。

 太宰治作「黄金風景」(新潮文庫『きりぎりす』収録)。

きりぎりす (新潮文庫) -
きりぎりす (新潮文庫) -

青空文庫版はコチラ

 太宰治といえば、『人間失格』のような、人を信じられない人間の悲劇的な生涯を描いた作品を残し、作品そのままのような波乱の生涯を送った人物、というイメージがありますが、中には祈るような優しいせつないまなざしで人々を描いた名短編もあります。これはそうしたもののひとつ。

 とても短い作品なので、以下結末部まで簡単にご説明をさせていただきます。(あ、つまりはネタバレなんで、大丈夫な方だけお読みください。でも、原文を先にお読みになることをおすすめいたします。)

 太宰治本人を思わせる作家「私」は、非常に裕福な家庭に生まれましたが、後に勘当され(作品には書かれていないので、余計なことかもしれませんが、太宰本人の勘当の経緯としては、政治家の家に生まれながら反体制的な社会運動に加担した、自殺未遂を繰り返したなどがあったそうです。)、細々と文筆で身を立て始めたころに重い病気にかかり、息も絶え絶えな思いで、海辺の町でひっそりと療養生活と執筆を続けていました。(以下引用)

毎朝々々のつめたい一合の牛乳だけが、ただそれだけが、奇妙に生きているよろこびとして感じられ、庭の隅の夾竹桃(きょうちくとう)の花が咲いたのを、めらめら火が燃えているようにしか感じられなかったほど、私の頭もほとほと痛み疲れていた。

 そんな「私」のもとに、ある日、戸籍調査のために警官がやってきます。

 「私」の名前と顔を見て、彼の身元に気づいた警官は、自分も同じ土地の出であるということを彼に言います。

 触れられたくない過去を思い出させる、故郷の人間との思わぬ再会。

 憮然と聞いていた「私」でしたが、警官は屈託なく話を続けます。

「ところで、お慶(けい)がいつもあなたのお噂をしています。」

 誰のことやら一瞬思い出せなかった「私」でしたが、そのお慶という女性(今は警官の妻)が、かつて「私」の家の女中であったということを聞かされ、「私」は思わずうめきます。(以下引用)

 私は子供のときには、余り質(たち)のいい方ではなかった。女中をいじめた。私は、のろくさいことは嫌いで、それゆえ、のろくさい女中を殊(こと)にもいじめた。
 
 
 この幼い「私」にとっての「のろくさい女中」こそ「お慶」でした。

 子供だった「私」は、彼女が仕事の手を止めていれば冷ややかな嫌味を言い、それでも足らずに、一度は、絵本にあった何百人という兵隊の絵を切り抜かせるという嫌がらせをした上、彼女が手こずっているのにいらついて、彼女を蹴ったことさえありました。

 そのとき、肩を蹴ったつもりだったのに、彼女は「親にすら顔を踏まれたことはない。一生おぼえております」と泣き伏したのですが、それに多少嫌な気がしてもなお、「私」は彼女をいびることをやめませんでした。

 今になって、幼かった自分が彼女に何をしたかをまざまざと思い出した「私」は、ほとんど逃げ出したいような衝動にかられますが、警官はそんな様子に気づかず、こう言いました。(以下引用)

「かまいませんでしょうか。こんどあれを連れて、いちどゆっくりお礼にあがりましょう」
私は飛び上るほど、ぎょっとした。いいえ、もう、それには、とはげしく拒否して、私は言い知れぬ屈辱感に身悶え(みもだえ)していた


 しかし、「私」の思いを知る由もない警官は、朗らかながら律儀な様子で、きっとうかがいます、どうぞお大事に、と言うと、帰ってしまいました。

 数日後、気のふさいだ「私」は、家に居ても煮詰まるばかりだからと、海に散歩に行こうとします。しかし。

(以下引用)
玄関の戸をがらがらあけたら、外に三人、浴衣(ゆかた)着た父と母と、赤い洋服着た女の子と、絵のように美しく並んで立っていた。お慶の家族である。
 私は自分でも意外なほどの、おそろしく大きな怒声を発した。
「来たのですか。きょう、私これから用事があって出かけなければなりません。お気の毒ですが、またの日においで下さい」
 お慶は、品のいい中年の奥さんになっていた。八つの子は、女中のころのお慶によく似た顔をしていて、うすのろらしい濁った眼でぼんやり私を見上げていた。私はかなしく、お慶がまだひとことも言い出さぬうち、逃げるように、海浜へ飛び出した。


 「私」は、いらいらと手にしたステッキで雑草を薙ぎ払いながら、あてもなく町を歩き回ります。

 幸せそうな家族。

 独り。過去の間違いを謝ることも出来ずに飛び出していった自分。
(以下引用)

ちえっちえっと舌打ちしては、心のどこかの隅で、負けた、負けた、と囁く声が聞えて、これはならぬと烈しく(はげしく)からだをゆすぶっては、また歩き、三十分ほどそうしていたろうか、私はふたたび私の家へとって返した。
うみぎしに出て、私は立止った。見よ、前方に平和の図がある。お慶親子三人、のどかに海に石の投げっこしては笑い興じている。声がここまで聞えて来る。
「なかなか」お巡りは、うんと力こめて石をほうって、「頭のよさそうな方じゃないか。あのひとは、いまに偉くなるぞ」
「そうですとも、そうですとも」お慶の誇らしげな高い声である。「あのかたは、お小さいときからひとり変って居られた。目下のものにもそれは親切に、目をかけて下すった」
私は立ったまま泣いていた。けわしい興奮が、涙で、まるで気持よく溶け去ってしまうのだ。
負けた。これは、いいことだ。そうなければ、いけないのだ。かれらの勝利は、また私のあすの出発にも、光を与える。


(完)

 結末部の文章は、太宰作品の中でも名文として挙げる人が多いと思います。

 「私」は負けた。

 しかし、それは、彼が裕福でなくなったからでも、お慶さんと警官が家庭をもち、生活が順調だからでもありません。

 過去の「私」の悪意、現在の「私」の逃避を、そうと受け取らなかった心。

 それどころか、子供のころの「私」は親切で、今の「私」は頭がよく、未来はきっと偉くなると思う心。

 それに、「私」の人生を覆うもろもろの怒りや悔恨が負けたのです。

 なぜ、お慶さんが、泣き伏すほどの経験を持ちながら「私」を親切と思ったのか。

 また、警官は、せっかく尋ねていったのに乱暴に出て行ってしまった「私」に気を悪くしなかったのか。

 その気持ちは、よくわかりません。

 言ってしまえばあまりにもお人よしがすぎる気もします。
 そんな調子じゃいいように踏みつけにされたり、騙されたりするよとも。

 でも、そういう人たちが、結ばれて、家庭を持ち、案外穏やかに生活を営んでいけている。
 「平和の図」の中に生きている。

 「そうなければならないのだ」

 「私」はそう思ったのです。

 そういう人たちが、屈託なさげに幸せであるということ。世の中にはまだそういう優しい部分もあるということ。


 そしてそういう人たちに、「許す」という過程すらなく、自分を好ましく思ってもらえているということ。

 それは確かに、人生に打ちのめされていた人間が、立ち上がるための力となることでしょう。

クローマに行ったとき、海辺で笑いさざめく人々の姿を観て、この作品を思い出しました。

もしこの文を読んだ方が、光る海を見たとき、そして、そこで楽しそうにしている人たちをみたとき、この作品を思い出して、それを「黄金風景」と思ってくださったら。

そして、その光景とあの小説を、自分の「あしたの出発」の力にしてくださったら。

そのきっかけを、このご紹介文が少しでもお手伝いできたら。

大変光栄に思います。


当ブログ太宰治関連記事は以下の通りです。併せてお読みいただければ幸いです。
「黄金風景」(太宰治短編ご紹介1)
「花吹雪」(太宰治短編ご紹介2)
「哀蚊(あわれが)」(太宰治短編ご紹介3)


読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum at 06:03| 太宰治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする