2016年12月03日

没後100年、NHK漱石関連番組一覧

取り急ぎご連絡まで

夏目漱石の命日と没後100年にちなんで、NHKEテレと BSプレミアムで漱石関連の番組がいくつか放送されるので、見つけた範囲でネット情報をご紹介させていただきます。
(Eテレ)
・2016年12月3日 午後11時00分〜 午前0時30分(10日0時〜再放送
 ETV特集「漱石が見つめた近代〜没後100年 姜尚中がゆく〜」
http://www4.nhk.or.jp/etv21c/x/2016-12-03/31/1576/2259555/

 漱石を深く敬愛する政治学者姜尚中さんが、新発見の資料をもとに、ロンドンから韓国までの都市をめぐり、漱石の見据えた近代の姿を読み解いていく作品です。

(ご本人の、あの象徴性を感じさせる静かな語りと言葉選び、深奥を探すようなまっすぐな視線は、漱石作品の登場人物によく似ていらっしゃると思います。)

 姜さんが漱石を思い入れ深く分析した著書がいくつか存在し、いずれも読みごたえがありましたので、併せてお手にとってみてはいかがでしょうか。

漱石のことば (集英社新書) -
漱石のことば (集英社新書) -

悩む力 (集英社新書 444C) -
悩む力 (集英社新書 444C) -

(BSプレミアム)
・2016年12月6日 午前9時00分〜 午前10時26分
「プレミアムカフェ ロンドン 1900年 漱石“霧の街”見聞録」
http://www4.nhk.or.jp/pcafe/x/2016-12-06/10/3248/2315706/
 漱石が留学したころのロンドンを紹介する番組です。

・同12月7日 午前9時00分〜 午前11時01分
「プレミアムカフェ シリーズ恋物語 “虞美人草”殺人事件 漱石 百年の恋物語」
 http://www4.nhk.or.jp/pcafe/x/2016-12-07/10/3675/2315709/
三角関係を描き、当時熱狂的反響を巻き起こした小説『虞美人草』について、「ヒロインの死を巡る三角関係の謎を徹底議論する」番組だそうです。

・同12月8日 午前9時00分〜 午前11時10分
「食は文学にあり 漱石と鴎外▽猫を愛した芸術家の物語 夏目漱石」
 http://www4.nhk.or.jp/pcafe/x/2016-12-08/10/4411/2315714/
 胃弱なのに食い意地の非常に張っていた漱石と、彼と並び称される明治の文豪森鴎外の食をテーマとした「食は文学にあり 漱石と鴎外・文豪の食卓」と、「吾輩は猫である」に代表される、漱石と猫の関わりをテーマとした「おまえなしでは生きていけない〜猫を愛した芸術家の物語〜夏目漱石 吾輩は福猫である」の二作品を一挙放送。

 ※ちなみに、漱石は猫をテーマに大いに名声を博しましたが、本人はどちらかというと犬派らしいということがわかる資料が残されているので、近々ご紹介させていただきます。

・同12月10日 後7:30〜9:00
スーパープレミアム「漱石悶々(もんもん)」
 http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=07831
 ※祇園の茶屋の女将、磯田多佳と漱石の書簡を基にしたドラマです。豊川悦司、宮沢りえ主演。

 以上になります。次の記事では、「虞美人草殺人事件」にちなんで、小説『虞美人草』の私的おススメポイントをご紹介させていただきますので、よろしければまたお立ち寄りください。

 読んでくださってありがとうございました。

posted by Palum. at 09:44| 夏目漱石 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月19日

ドラマ「夏目漱石の妻」放送お知らせ

 取り急ぎお知らせまで。

 NHK総合2016年9月24日(土)夜9時からドラマ「夏目漱石の妻」が放送されるそうです。(全4回)

 かつては文豪の妻に不似合いな、文学的素養の無い、夫をないがしろにする悪妻と言われた夏目鏡子夫人。
 
 しかし、親族の証言から、実際には、時に精神的変調から家族に暴力すら振るったという漱石の不安定な部分を支えた、気丈で裏表の無い、魅力的な人物であったことが明らかになっています。

 今回のドラマは、こうした鏡子夫人と漱石の関係を、鏡子夫人の手記『漱石の思い出』を下敷きに描いているそうです。(大変素敵な本です。)

 漱石の思い出 (文春文庫) -
漱石の思い出 (文春文庫) -

 番組公式HPはこちらです。
  ・TVドラマ「夏目漱石の妻」

   http://www.nhk.or.jp/dodra/souseki/index.html
 
 番組スピンオフのショートドラマ「漱石先生を待ちながら」の動画ページはこちらです。
 (漱石の家で、出入りする門下生たち〈スピードワゴンの小沢一敬さん、井戸田潤さん、カルマラインの柳原聖さん〉が、不在の漱石の噂話をする、という内容だそうです。)
  ・漱石先生を待ちながら 第一話「先生と悪妻」

   http://www3.nhk.or.jp/d-station/episode/souseki/6266/
 
 「ダ・ヴィンチニュース」のドラマ評はこちらです。
 ・TVドラマ「夏目漱石の妻」で長谷川博己・尾野真千子が夫婦役に! 文豪・夏目漱石のユニークな夫婦生活を描く

  http://ddnavi.com/news/296027/a/
  

 「いろんな男の人を見てきたけど、あたしゃお父様(漱石)が一番いいねぇ」
 そう、晩年に孫の半藤末利子さんに語ったという鏡子夫人。

 「病気の(精神的変調が起きている)ときは仕方がない、病気でないときのあの人ほど優しい人はいないのだから」
 そう割り切って、漱石の理不尽な言動を、その嵐が過ぎるまでは、子供たちの盾となりながら耐え、それでも普段の漱石の優しい部分を、決して忘れなかった鏡子夫人の生きざまは、普段一緒にいるからこそおろそかにしがちな、夫婦や家族の愛し方を思い出させてくれます。

 私はこの鏡子夫人の手記から、鏡子夫人の頼もしくて暖かい人柄とともに、むしろ我々が知らなかった、非常に優しくて、ときに愛すべき欠点のある漱石像を知ることができ、あのあまりにも偉大な文豪をますます敬愛するようになりました。

 漱石と鏡子夫人のドラマといえば、かつて本木雅弘・宮沢りえの強力タッグで「夏目家の食卓」(2005・TBS)という非常に魅力的なドラマがあり、鏡子夫人悪妻説の真実を広く知らしめるきっかけとなったのですが、今回のドラマでも、この夫婦の愛のある部分を描き出してくれると思うのでとても楽しみにしています。

 ご覧になり、そしてできれば「夏目漱石の思い出」もお手にとってみてください。

 当ブログでもこのドラマ、および漱石没後100年にちなんで、漱石関連のエピソードを随時ご紹介させていただく予定ですので、よろしければお立ち寄りください。

 当ブログ、これまでの漱石関連記事は以下のとおりです。併せてご覧いただければ幸いです。

あなた、私は、ちゃんとここにいますよ」(夏目漱石と鏡子夫人)
「いいよいいよ、泣いてもいいよ」(夏目漱石の命日)
月がきれいですね。(中秋の名月と夏目漱石)
ミレイの「オフィーリア」と夏目漱石の『草枕』
「兄さんは死ぬまで、奥さんを御持ちになりゃしますまいね」(随筆『硝子戸の中』と小説『行人』)

 読んでくださってありがとうございました。


posted by Palum. at 23:58| 夏目漱石 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月06日

ミレイの「オフィーリア」と夏目漱石の『草枕』

 本日も現在公開中の「ラファエル前派展」で来日中の「オフィーリア」について、書かせていただきます。
オフィーリア.jpg

 「オフィーリア」についての過去記事はコチラです。 

 この絵は夏目漱石の小説『草枕』の中で、主人公である画家の「余」が、「あのような絵を自分の持ち味で描いてみたい」と思い浮かべる存在となっており、作品の重要な役割を果たしています。

草枕 (新潮文庫) -
草枕 (新潮文庫) -

 以下、あらすじと、「オフィーリア」にまつわる部分をご紹介させていただきます。

 『草枕』は主人公の「余(=「私」の意味)」が、創作のために尋ねた温泉地で、離婚して家に戻ってきている「御那美さん」に出会い、彼女の美しさや謎めいた言動、その地の自然や人間模様を見つめるうちに自分の描くべき「画」を見出していくという筋立てです。

 いや、筋立てというか、そういう気分と光景が展開する作品とも言えます。
 
「草枕」の中のオフィーリア描写は以下の通りです。

  余(=「私」)は湯槽(ゆぶね)のふちに仰向(あおむけ)の頭を支えて、透き通る湯のなかの軽き身体を、出来るだけ抵抗力なきあたりへ漂わして見た。ふわり、ふわりと魂がくらげのように浮いている。世の中もこんな気になれば楽なものだ。分別の錠前を開けて、執着の栓張(しんばり)をはずす。どうともせよと、湯泉(ゆ)のなかで、湯泉と同化してしまう。流れるものほど生きるに苦は入らぬ。流れるもののなかに、魂まで流していれば、基督(キリスト)の御弟子となったよりありがたい。なるほどこの調子で考えると、土左衛門(どざえもん)は風流である。スウィンバーンの何とか云う詩に、女が水の底で往生して嬉しがっている感じを書いてあったと思う。余が平生から苦にしていた、ミレーのオフェリヤも、こう観察するとだいぶ美しくなる。何であんな不愉快な所を択(えら)んだものかと今まで不審に思っていたが、あれはやはり画になるのだ。水に浮んだまま、あるいは水に沈んだまま、あるいは沈んだり浮んだりしたまま、ただそのままの姿で苦なしに流れる有様は美的に相違ない。それで両岸にいろいろな草花をあしらって、水の色と流れて行く人の顔の色と、衣服の色に、落ちついた調和をとったなら、きっと画になるに相違ない。しかし流れて行く人の表情が、まるで平和ではほとんど神話か比喩になってしまう。痙攣的な苦悶はもとより、全幅の精神をうち壊こわすが、全然色気ない平気な顔では人情が写らない。どんな顔をかいたら成功するだろう。ミレーのオフェリヤは成功かも知れないが、彼の精神は余と同じところに存するか疑わしい。ミレーはミレー、余は余であるから、余は余の興味を以(もっ)て、一つ風流な土左衛門をかいて見たい。しかし思うような顔はそうたやすく心に浮んで来そうもない。

「オフィーリア」の顔は画として素晴らしいが、しかし、同じようなものを描いても意味がない。芸術家として、これに対抗しうる顔を見つけて描いてみたい。それが「余」の考えであり、筋らしい筋の無い「草枕」の中で数少ない、「テーマ」と思しき要素です。

オフィーリア 顔.png

またこんなくだりもあります。(以下引用)

すやすやと寝入る。夢に。
 長良(ながら)の乙女(※二人の男に想われたことを苦にして川に身を投げたというその地の伝説の女性)が振袖を着て、青馬(あお)に乗って、峠を越すと、いきなり、ささだ男と、ささべ男(※ともに長良の乙女に恋をした男)が飛び出して両方から引っ張る。女が急にオフェリヤになって、柳の枝へ上のぼって、河の中を流れながら、うつくしい声で歌をうたう。救ってやろうと思って、長い竿を持って、向島を追懸(おっかけ)て行く。女は苦しい様子もなく、笑いながら、うたいながら、行末(ゆくえ)も知らず流れを下る。余は竿をかついで、おおいおおいと呼ぶ。


どうもミレーの「オフィーリア」のイメージから離れられない「余」に対し、あるとき「御那美さん」はこんなことを言います。

(以下引用)
「その(名所と聞く)鏡の池へ、わたし(余)も行きたいんだが……」
「行って御覧なさい」
「画(え)にかくに好い所ですか」
「身を投げるに好い所です」
「身はまだなかなか投げないつもりです」
「私は近々(きんきん)投げるかも知れません」
 余りに女としては思い切った冗談だから、余はふと顔を上げた。女は存外たしかである。
「私が身を投げて浮いているところを――苦しんで浮いてるところじゃないんです――やすやすと往生して浮いているところを――奇麗な画にかいて下さい」
「え?」
「驚ろいた、驚ろいた、驚ろいたでしょう」
 女はすらりと立ち上る。三歩にして尽くる部屋の入口を出るとき、顧みてにこりと笑った。


……こんなふうに一事が万事、刃のような柳のような、人をひやりとさせながらゆらゆらとつかみどころのない御那美さん。

しかし、周囲からは変わり者と陰口を言われる彼女の突飛な言動を「余」はきらいではありません。彼女はなるほど画にしたら面白い女かもしれないと思います。が、しかし、それには何かが足りない。美しさも神秘性も十分ではあるのだけれど……。

(以下引用)
あの(御那美さんの)顔を種にして、あの椿の下に浮かせて、上から椿を幾輪も落とす。椿が長(とこしな)えに落ちて、女が長えに水に浮いている感じをあらわしたいが、それが画(え)でかけるだろうか。(中略)しかし何だか物足らない。物足らないとまでは気がつくが、どこが物足らないかが、吾(われ)ながら不明である。したがって自己の想像でいい加減に作り易(か)える訳に行かない。あれに嫉妬を加えたら、どうだろう。嫉妬では不安の感が多過ぎる。憎悪はどうだろう。憎悪は烈(はげ)し過ぎる。怒(いかり)? 怒では全然調和を破る。恨(うらみ)? 恨でも春恨(しゅんこん)とか云う、詩的のものならば格別、ただの恨では余り俗である。いろいろに考えた末、しまいにようやくこれだと気がついた。多くある情緒のうちで、憐(あわれ)と云う字のあるのを忘れていた。憐れは神の知らぬ情で、しかも神にもっとも近き人間の情である。御那美さんの表情のうちにはこの憐れの念が少しもあらわれておらぬ。そこが物足らぬのである。ある咄嗟(とっさ)の衝動で、この情があの女の眉宇(びう)にひらめいた瞬時に、わが画は成就するであろう。しかし――いつそれが見られるか解らない。あの女の顔に普段充満しているものは、人を馬鹿にする微笑(うすわらい)と、勝とう、勝とうと焦せる八の字のみである。あれだけでは、とても物にならない。

 自分がミレイの「オフィーリア」の向こうを張るには、「御那美さん」をモデルに、その顔に「憐れ」の情が浮かんだ時を描くしかない。

 そう思った「余」ですが、しかし、彼女の性格からいってそんな機会がはたしてめぐってくるものだろうか……危ぶんでいた「余」は、しかし、ある瞬間に目にします。


弟の戦争への出征時、停車場で家族ともども見送りに出た御那美さんは「死んでおいで」と彼女らしい一言を言い放ちますが、停車場を離れる汽車の窓から、ふいに、この地を去る彼女の元の夫が顔を出しました。
(以下引用)

茶色のはげた中折帽の下から、髯だらけな野武士(元夫)が名残(なご)り惜気(おしげ)に首を出した。そのとき、那美さんと野武士は思わず顔を見合わせた。鉄車はごとりごとりと運転する。野武士の顔はすぐ消えた。那美さんは茫然として、行く汽車を見送る。その茫然のうちには不思議にも今までかつて見た事のない「憐(あわれ)」が一面に浮いている。
「それだ! それだ! それが出れば画(え)になりますよ」と余は那美さんの肩を叩たたきながら小声に云った。余が胸中の画面はこの咄嗟(とっさ)の際に成就したのである。


 ハムレットに突き放され、絶望の中で心を病んで、全てを投げ出して花に囲まれて歌いながら死んだ乙女。

 それがミレイのオフィーリアでした。

 「美しい女が、花と水の中にたゆたって命を終わらせてゆく」という画題はそのままに、あの乙女の美に一歩も譲らぬ、しかし、異質な個性を持つ美とは、そのとき女が浮かべるべき表情とはなんだろう。

「余」の答えは「憐れ」でした。

「憐れ」こそ人の持ちうる神に近い情。

 「余」の言う「憐れ」が人を気の毒に思う気持ちか、それとも人との別れに自分の胸が痛む心地は判然としません。

 しかし、「人が、誰か他の人を思ったときに湧く感情」です。

 完全に自分の勝手に生きているような、他の人に対する感情は「勝とう」以外にないような美しい女が、過去の男ゆえに、その顔にあらがえず浮かべる「憐れ」。

 それこそが、「オフィーリア」の美に対抗できる美だと、「余」は思ったのでした。

 こういう、作中のほとんど唯一のテーマといえる、「『画』の(あるいは「芸術」、「美」の)発見」の過程で、「立ち向かうべき強敵」として、「オフィーリア」が登場しています。

 何が起こるというわけではないですが、このような発見の過程や、そこここに見られる美意識、風景や人の描写がすぐれた作品です。
 
 「オフィーリア」を側に、御那美さんの「憐れ」の表情や、ついに「画」を得た「余」の描く、「椿散る水面に浮かぶ女の絵」を思い浮かべるのもまた一興かと。

 このご紹介がご鑑賞の一助になれば幸いです。

当ブログ、これまでの漱石関連記事は以下のとおりです。併せてご覧いただければ幸いです。

あなた、私は、ちゃんとここにいますよ」(夏目漱石と鏡子夫人)
「いいよいいよ、泣いてもいいよ」(夏目漱石の命日)
月がきれいですね。(中秋の名月と夏目漱石)
ミレイの「オフィーリア」と夏目漱石の『草枕』
「兄さんは死ぬまで、奥さんを御持ちになりゃしますまいね」(随筆『硝子戸の中』と小説『行人』)

 読んでくださってありがとうございました。

posted by Palum. at 21:30| 夏目漱石 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月27日

「兄さんは死ぬまで、奥さんを御持ちになりゃしますまいね」(漱石の兄と「硝子戸の中」「行人」)

 今日は明治の文豪夏目漱石のお兄さんにまつわるエピソードついて、少しご紹介させていただきます。

 漱石の一番上の兄大助氏は、漱石より十歳ほど上で、一度養子に出て9歳まで離れて暮らしていた漱石は、兄と弟というより「大人と子供」のような気持ちで彼を見上げていたそうです。

 いつも険しい顔をしたこの長兄は、父母であっても少し近寄りがたいような空気を醸しており、漱石のことも厳しく躾けたそうです。

 しかし、真面目で利発な漱石に期待をかけて、勉強をするようにと強く勧めたのはこの兄であり、漱石は複雑な生い立ちや性質の違いからあまり馴染めなかった生家の中で、この兄と母のことだけは、慕っていたようです。

 漱石の随筆『硝子戸の中』に、この長兄についての描写・逸話があります。

硝子戸の中 (新潮文庫) -
硝子戸の中 (新潮文庫) -

 漱石いわくこの長兄は色白の端正な美男子でしたが(本人があれだけ立派な顔立ちの漱石がそう言うのですから、そりゃもうさぞ凄かったのでしょう)、先に書かせていただいたとおり、険しい顔の無口な人で、重い病気にかかってからはなおのこと、暗い様子でほとんど外出しなくなってしまったそうです。

 しかし、いつのまにかその表情も人柄もやわらかになったかと思うと、よい着物に角帯をしめて、夕方からふらりと出かけるようになりました。

 かと思えば、声色(役者の声音などをまねる芸事)をしたり、弟(漱石からすると三番目の兄)を呼び出して藤八拳(じゃんけんの一種)の練習をしてみたり……。

 まだ二十歳前の漱石は、ただこの兄の変化を真顔で傍観していましたが、そのうち症状が悪化し、兄は帰らぬ人となりました(看病は勉強をしながら主に漱石が行ったそうです)。

 すると、葬式がすんでしばらくして一人の女性が、夏目家を訪ねてきました。

(以下引用)
三番目の兄が出て応接して見ると、その女は彼にこんな事を訊きいた。
「兄さんは死ぬまで、奥さんを御持ちになりゃしますまいね」
 兄は病気のため、生涯妻帯しなかった。
「いいえしまいまで独身で暮らしていました」
「それを聞いてやっと安心しました。わたくしのようなものは、どうせ旦那がなくっちゃ生きて行かれないから、仕方がありませんけれども、……」
 兄の遺骨の埋うめられた寺の名を教わって帰って行ったこの女は、わざわざ甲州から出て来たのであるが、元柳橋の芸者をしている頃、兄と関係があったのだという話を、私はその時始めて聞いた。
 私は時々この女に会って兄の事などを物語って見たい気がしないでもない。しかし会ったら定めし御婆さんになって、昔とはまるで違った顔をしていはしまいかと考える。そうしてその心もその顔同様に皺が寄って、からからに乾いていはしまいかとも考える。もしそうだとすると、彼女(かのおんな)が今になって兄の弟の私に会うのは、彼女にとってかえって辛い悲しい事かも知れない。


 この話について、息子の夏目伸六さんが随筆『猫の墓』の中でこのような文を書いています。

 (以下引用)

(長兄から「自分は妻を持たない」と聞かされ)その言葉をせめてもの慰めとして、好きでもない客にいやいや身をひかされていったこの女は、兄の死を知って、生前の言葉をたしかめたい一心から、上京したのに違いなく、それと同時に、そんな自分に、約束通り心中立てして、独身のまま世を去った男の幻影を、一生に一度の思い出として、じっと自分の胸に、抱きしめて帰りたかったのに違いない。
(中略)父(補:漱石)はこの時初めて、彼女が生前の兄と深い関係にあった女だという事を聞かされたのだと云って居るが、その後三十年の歳月を経た後(補:「硝子戸の中」は漱石47歳のときの作品)までも、この哀れな女の執念は、根強く父の脳裏に刻みこまれて居たのだろう。

 

 病気のために、長くは生きられないであろうことを知っていたから、長兄はこの女性に一緒にはなれないと告げたのでしょう。そして、それが嘘ではなかったことを知って、彼女は、自分の人生も愛した人の死も悲しいなりに、一筋の救いを得た。

 おそらくいやでも手練手管の中に生きざるを得ず、またたくさんの嘘をつかれた中でも、あるいは今も自分に嘘をついて生きている中でも、片方が死ぬまで本当の約束があったということが、彼女には必要だったのでしょう。

 実際の人生と例えては不謹慎かもしれませんが、その寂しさ、情の濃さは、どことなく小泉八雲が描いた短編や波津彬子さんの漫画(※)に出てくる男と女の愛の形を彷彿とさせます。
 
(※)波津彬子さん……端正な絵と情感ある物語が特色の漫画家。大正・明治頃を舞台にした作品も多く、特に「雨柳堂夢噺」という骨董店にまつわるシリーズでは、しばしば花柳界に生きる女性と客の男の恋の話が登場する。(このシリーズ自体凄い名作なんで、いずれご紹介できたらと思います。)
雨柳堂夢咄 1巻 -
雨柳堂夢咄 1巻 -
 
 ところで、この長兄の話をきっかけにして書いたのではというくだりが、小説『行人』の中にあります。

行人 (新潮文庫) -
行人 (新潮文庫) -

 『行人』は、あまりにも鋭敏すぎる頭脳を持った兄が、自分の妻の愛情を疑い、やがては語り手である彼の弟「私」や、家族に対しても不信感を抱いて苦悩するというという物語です。

 この中で、兄弟の父が、客人や家族を前に、こんな話を聞かせます。
 ある良家の子息が、まだ二十歳程度のころに、使用人の娘と深い仲になり、その時は勢いに任せて彼女をいずれ妻にすると約束した。
 しかし、一週間もしないうちに意気地がなくなり、彼女にこの話はいったん破談にしてほしいと言ってしまう。
 しかも男は、女に悪く思われたくないがために、
「まだ学生の身だし、自分は今後も勉学を続けるつもりだから、三十五、六にならないと妻帯しないから」
と付け加えてしまった。
 だが、しょせん実は怖気づいただけのこと、男は、学校を卒業すると同時に結婚をしてしまう。

 それから約二十年後、男は家族を連れて行った劇場で偶然女と席が隣り合わせになる。
 男は非常に驚いたが、女は反応が無い。実は彼女は目が見えなくなっていた。
 いったい、あれからどう暮らしていたのか、なぜ目が見えなくなったのか。
 気にはなったが、あっさりと約束を破った身、自分で行くことはできず、男は(「私」と「兄」の)「父」に、いきさつを尋ねてきてほしいと頼み込む。

 「父」が彼女を訪ねていくと、彼女は夫に先立たれながらも、子供を二人育て、まず不自由のない暮らしをしていた。
 「父」が彼女に、男から託された金を渡そうとすると、彼女はきっぱりと拒否した後、自分の境遇について(夫の死後間もなく病気で失明したこと)、「父」に話した。
 そして、「父」が劇場で、男が彼女の席に隣り合わせたということを聞くと、彼女は見えない目から涙を流した。
 彼女に、男の今を聞かれ、今は結婚していること、娘は十二、三であることを話すと、女が、ふいに黙って指を折り、何かを数えていた。
 その時「父」は自分が言ってはならないことを言ったことに気づいた。
 娘の年頃は、男が「自分はこの年より前に妻を持てない」と女に告げたその年齢よりも、ずっと前に結婚したことを示していた。
 「父」は息をのんだが、少しの間の後、女は「結構でございます」と言って寂しく笑った。泣きも怒りもしなかったのが、むしろ妙な感じを「父」に与えた。
 「父」は、女に、一度男に会いに行くといいと勧めるが、女は断り、しかし、思いつめた様子で、ためらいがちに父にこう言った
(以下、一部不適切な表現が見られますが、原文のまま引用いたします)

「しかしただ一つ一生の御願に伺っておきたい事がございます。こうして御目にかかれるのももう二度とない御縁だろうと思いますから、どうぞそれだけ聞かして頂いた上心持よく御別れが致したいと存じます」
 (中略)
「この眼は潰れてもさほど苦しいとは存じません。ただ両方の眼が満足に開いている癖に、他(ひと)の料簡方(りょうけんがた〈補:内心思っていること〉)が解らないのが一番苦しゅうございます」


 女はそう言うと「父」に胸の内をさらけだします。(以下引用)

 ○○(補:婚約を破棄した男)が結婚の約束をしながら一週間経たつか経たないのに、それを取り消す気になったのは、周囲の事情から圧迫を受けてやむをえず断ったのか、あるいは別に何か気に入らないところでもできて、その気に入らないところを、結婚の約束後急に見つけたため断ったのか、その有体(ありてい)の本当が聞きたいのだと云うのが、女の何より知りたいところであった。
 女は二十年以上○○の胸の底に隠れているこの秘密を掘り出したくってたまらなかったのである。彼女には天下の人がことごとく持っている二つの眼を失って、ほとんど他(ひと)から片輪(かたわ)扱いにされるよりも、いったん契(ちぎ)った人の心を確実に手に握れない方が遥かに苦痛なのであった。
「御父さんはどういう返事をしておやりでしたか」とその時兄が突然聞いた。その顔には普通の興味というよりも、異状の同情が籠こもっているらしかった。

 

 しかし「父」は、「兄」のそんな異変には気付かずに、「男には軽薄なところなどなかった」というようなことを、自分で色々勝手に脚色して話し、ついには女を納得させたことを、むしろ自慢げに答えてしまいます。
 
 周囲は「父」に「女にとっていいことをしてやった(本当はただ冷めただけだなどと聞かされるよりはるかに幸せだ)」と褒めますが、兄は怒りを秘めた顔をして一人部屋を出て行ってしまいます。

 そして、これが「兄」が周囲のあらゆる人間に不信感を抱くきっかけとなってしまうのです。

 この「兄」の怒りは、私にはもっともだと思いますし、なんとしても、ただ本当のことが聞きたかったというこの女の人の気持ちも痛いほどわかります。

 姿は見えていたとしても、こちらが知りたい気持ちは何も見えない。頼んでも教えてもらえない。
 
 人の気持ちなんてわからないのが普通で当たり前で、疑えば『行人』の兄のように精神の健康が蝕まれていくのがオチです。だから基本は諦めたほうがいい。

 でも、生涯に一つは、これだけは、本当のことを知っておきたい。それがどんな残酷な事実でも、知った「本当」を土台に自分で立ち上がるからそれでいい。

 踏みしめても踏みしめても、もしやという希望と疑いの泥沼の中から抜け出せないよりは。

 そんな気持ちになることだってあるはずです。特に恋ならなおのこと。
 
 しかし、そんな苦しみを抱える人がいる一方で、世間において、恋の約束が真面目に交わされることや、真剣な問いに本当の答えが返ってくることは、心細いほどに少ないものなのかもしれません。

 『行人』のような話を書き、世間に実際にはびこる身勝手や、自分自身の精神の不調からくる他人への疑惑に苦しめられ続けた漱石にとって、長兄と、それを訪ねてきた女の話は、確かに忘れがたいものであったのでしょう。

 兄が本当は何を思っていたかを、漱石もその女の人もついに知ることはできませんでしたが、しかし、確かに彼が死ぬとき、妻は無く、女の人は兄が彼女に言った通りの光景を、訪ねてきた家に見たのですから。

 気の毒とも怖いとも思わされるような話ですが、しかし、そこには『行人』の兄が怒りを感じたような濁りや誤魔化しはありません。

 長兄が彼らしく、約束の形を保ったままに死に、その約束をした女の愛情がまた、兄に注がれるにふさわしい真剣なものであったこと。

 女が「それを聞いて安心しました」と言ったのと同じように、漱石もまた、その事実に、救われた気がしたのでしょう。

 女の人が尋ねてきたとき、そして、若い漱石がその女の人の話を聞いたときのことを思い浮かべると、そこには、漱石の作品の美意識によく似た、寂しく苦しいけれど一途な透明感が漂っているような気がします。
 
 漱石はこの長兄と母について、同じ『硝子戸の中』でこんな場面を描いています。
(この場面では「兄」としか書いていないのでどの兄か不明瞭といえばそうなのですが、漱石がこんなふうに書くのは、唯一慕っていた長兄で間違いないと思います。)

 二人は時折縁側に出て、碁を打っていたそうです。

「それは彼ら二人を組み合わせた図柄として、私の胸に収めてある唯一の記念(かたみ)」である、と。

 この部分を読むたびに、しゃんとした中に情のある中年の女性と、真面目で寡黙な美しい青年という、少しかしこまった母子の画が、それこそ硝子の向こうのような、思い出の逆光のかすかに浴びているような、すこしひんやりとしたほの白さの中に浮かびあがってくるのです。

 そして、二人の姿を一幅の絵のように遠い「記念(かたみ)」として胸におさめ、思いかえす、弟であり息子である人の思いも。


 当ブログ、これまでの漱石関連記事は以下のとおりです。併せてご覧いただければ幸いです。

あなた、私は、ちゃんとここにいますよ」(夏目漱石と鏡子夫人)
「いいよいいよ、泣いてもいいよ」(夏目漱石の命日)
月がきれいですね。(中秋の名月と夏目漱石)
ミレイの「オフィーリア」と夏目漱石の『草枕』
「兄さんは死ぬまで、奥さんを御持ちになりゃしますまいね」(随筆『硝子戸の中』と小説『行人』)

 読んでくださってありがとうございました。

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2013年12月25日

「あなた、私は、ちゃんとここにいますよ」(夏目漱石と鏡子夫人)

 この間の記事で、文豪夏目漱石の命日にちなんで、彼の亡くなる前の様子をご紹介いたしましたが、今回これに、漱石と妻鏡子夫人とのエピソードをつけくわえさせていただきます。

 聡明で繊細な文豪に不似合いな、がさつで無神経な悪妻と長年言われ続けてきた鏡子夫人ですが、近年になり親族(とくに漱石のお孫さんたち)の文章などから随分そのイメージが払しょくされて来たようです。

 小泉八雲・節子夫妻のように、作品創作までほぼ共同でおこない(※)、子供の目にもわかりやすくむつまじかったとは言えませんが、私にはとても立派な女性に思えます。漱石がかくし持つあやうさを、彼女の胆の座りがのみこんで支えたと言っても過言では無い気がいたします。

(※)小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)……明治の作家。日本研究家。「雪女」「耳なし芳一」などをおさめた「怪談」の作者として有名。アイルランド人の父とギリシャ人の母を持つが、後に日本国籍を取得した。彼の作品には、節子夫人が日本の昔話を口述で八雲に伝え、八雲がそれを脚色・文章化したものが数多く見られる。
(八雲とご家族の関係についても過去記事でご紹介しましたので、よろしければお読みになってみてください)

 @お見合い

 漱石と鏡子夫人は漱石28歳、鏡子夫人18歳のときにお見合いで結婚しました。

 最初のころの印象はというと、漱石の見合い写真をみた鏡子夫人は、

「上品でゆったりとしていて、いかにもおだやかなしっかりした顔立ちで、ほかのをどっさり見てきた目にはことのほか好もしく思われた」

と語り、漱石は顔合わせ後に

「(鏡子夫人の)歯並びがよくないのにそれをしいて隠そうともせずに平気でいるところが大変気に入った」
と言っていたそうですから、まあ、お互いの第一印象も良かったようです。

 鏡子夫人がそんな褒められ方をして嬉しいかどうかは微妙ですが、もともと漱石ははかなげなほっそりしたタイプの女性(鏡子夫人には「幽霊みたいに影の薄い女」と悪態をつかれるような〈笑〉)が好きだそうですから、(橋口五葉の描く女性の雰囲気かと。彼が漱石の作品の装丁や挿絵を多くてがけていますから)丸顔で強いまなざしをした鏡子夫人は外見的にはだいぶ好みからかけはなれています。

 しかし、鏡子夫人の細かいことにはこだわらず、物怖じしないという内面的な長所を、こんなところから漱石は見抜いたのかもしれません。
 ちなみに、若い頃の漱石は相当な美青年で(昔、本木正弘がしばしば漱石役を演じていましたが、実物も決してひけをとりません。なんでしたらちょっとググってみてください。実力も加味すると、日本文学史史上屈指のイケメンと言っても過言では無いのではないかと思います)

 ぶっちゃけ見合い写真であれが出てきたら、鏡子夫人でなくても女性ならたいてい内心相当テンション上がると思われます(今ならフォトショップ加工か、結婚するなりやたら高額の保険金をかけられないか心配になりそう)。
 

 
 A手紙

 漱石は33歳のときに、夫人と長女筆子さんを残し、公費で2年間のロンドンに留学します。

 この留学は漱石にとって非常に不愉快なものだったそうです。

 イギリスが不親切だったというよりは、まだこの国に比べると近代化の立ち遅れていた日本への懸念や、他の留学生たちとのそりの合わなさ(※中には良い出会いもあって、後に「味の素」を開発した池田菊苗の人柄は絶賛しています。)、そして勉強のしすぎなどが原因であったようです(下宿の大家さんがたまには外に出るようにと心配して声をかけたくらいだそうですし、このとき漱石はすさまじい量の本を買い込んでいます)

 孤独感がつのった漱石は鏡子夫人にこんな手紙を書き送っています。(仮名遣いは現代のものに改めてあります。)

「俺のような不人情の者でもしきりにお前が恋しい。これだけは奇特と言ってほめてもらわねばならぬ」
 それに対して鏡子夫人は
「わたしもあなたのことを恋しいと思いつづけていることは負けないつもりです」
 と返しています。

 さらに、政府の資金で留学しておきながら遊びまわる他の学生を苦々しく思っていた漱石は
「俺は謹直方正だ(女遊びなどしていない)。安心するが良い」
 と、鏡子夫人に言い、夫人は、
「わざわざのご披露、あなたのことですものそんなことは無しと安心しています。またあっても何とも思うものですか。ただ丈夫でいてくださればそれが何より安心です。しかし私のことをお忘れになってはいやですよ」
 と書き送りました。

 いわゆる甘い雰囲気ではないけれども、互いに随分思い切ったことをきっぱりと書いていて、信頼し合っていることが伝わるやりとりです。

 ところで、こうして手紙の文では全体的におうようながらしゃんとした様子の鏡子夫人ですが、お孫さんの半藤末利子さんは、もしも漱石が乗った船が沈没して彼が帰ってこなかったら、「あたしも身投げでもして死んじまうつもりでいたんだよ」と夫人が何気なく語っていたのを聞いたことがあるそうです。

 そこには確かに彼と生死をともにするというほどの真剣な想いがあったのでしょう。

 しかし帰国後、それまでの孤独と無理がたたった漱石は、精神の変調に見舞われます。

 そして、夫婦の関係に危機が訪れます。

B危機と覚悟

 漱石の変調は家の人間にだけ出たそうで、ささいなきっかけで急に自分が馬鹿にされていると思い込んで手を上げる、物を投げるなどの行動が、このときからしばしば出てきたそうです。

 どうも様子が前とは違いすぎる、自分が気に食わないのならと、一度は仕方なしに別居をしたと鏡子夫人ですが、その間に漱石の状況について医師に相談します。

 その医師から今の漱石は病気で、ああいう病気は治りきるということがないと聞かされた鏡子夫人は、そのときこう思います。

 「病気なら病気ときまってみれば、その覚悟で安心していける。」
 彼女は家に戻ることにします。

 当時の彼女は身重で、今の漱石のもとに彼女を置いておくわけにはいかないと考えた周囲は、鏡子夫人に離婚を勧めますが(既に漱石が彼女の実家に何度もその希望を伝えていました。)夫人は、きっぱりと自分の母親にこう告げます。

「病気ときまれば、そばにおって及ばずながら看病するのが妻の役目ではありませんか。(略)どうせこうなったからには私はもうどうなってもようございます。私がここにいれば、嫌われようとぶたれようと、とにかくいざという時にはみんなのためになることができるのです。私一人が安全になるばかりに、みんなはどんなに困るかしれやしません。それを思ったら私は一歩もここを動きません。」

 この、彼女の言う、自分がいなくなれば困るであろう「みんな」には、親権が取れなかった場合残される子供だけでなく、漱石本人が入っているのです。

 他の人が妻になれば病気が治るわけでもないし、その人が彼を自分以上に支えぬいてくれるとは到底思えないから。

 小説でも映画でも漫画でも、わたしはここまでの妻の覚悟の台詞というのをほとんど目にしたことがありません。

 こういう状況はケースバイケースでしょうから、以後意地でも別居しなかった鏡子夫人のような対応が常に正しいとは言えないかもしれませんが、しかし彼女の腹の座りようは見事です。

 この武士のような覚悟と、母のような無私の情が彼女の凄いところであり、後に悪妻説が流れたあとも、子や孫は彼女をかばいつづけた理由なのでしょう。

C夫婦喧嘩と「三四郎」

 彼女が覚悟を決めて、表面上は涼しい顔で漱石の側に居座り続けても、変調が続く漱石は難癖をつけて彼女を家から追い出そうとします。

 鏡子夫人の実家にも相変わらず彼女を引き取れと催促しますが、鏡子夫人は何があろうと漱石の妻をやめない気だと知っている父親は「そんなことを言わずに置いてやってくれ」と本当は下げたくもない頭を下げに来ました。

 適当に流されたと漱石は気分を害しながらも、そう言われたからしばらく「試験的に」置いてやるが、俺はお前が気に食わないから、そのうちには出て行ってもらう、大人しく帰らなければ追い出す、というようなことを鏡子夫人に言ったそうです。

 それまで極力彼を逆撫でしないようにしていた鏡子夫人も、この言いぐさには黙っていられず、
「私は悪いことをしないのだから追い出される理由はありません。それに子供を残してなんでおめおめと出ていきますものですか。私だってこのとおり足もあることだから、追い出したってまた帰ってくるまでのことです。」と言い返します。

 (個人的な話になってしまいますが、どうもこの物の言い方が私の祖母に非常に似ています。もちろん状況は違いますが、一歩も引き下がらないのに、どこか第三者からはユーモラスに聞こえる言い方でかえしてしまうところが。気丈で淡々としているけれど面倒見のいいところも似ています。)

 こうしたやりとりは漱石に変調が起こるたびに繰り返されていたそうですが、そんな鏡子夫人の述懐の中に、漱石作品読者をおやと思わせる箇所があります。

 鏡子夫人の父親が没した後、もう実家で彼女を引き取れないので、漱石はこう言うようになったそうです。

「今お前に出ていけと言っても、行く家もないだろうから、別居しろ、お前が別居するのがいやなら、おれが出ていく」

 これに対して夫人は、
「別居なんかいやです、どこでもあなたの行くところへついて行きますから」
 と、言い返したそうです。

 実はこれに似た話が、小説「三四郎」にあります。以下その引用です。

「(略)細君のお尻が離縁するにはあまり重くあったものだから、友人が細君に向かって、こう言ったんだとさ。出るのがいやなら、出ないでもいい。いつまでも家にいるがいい。その代りおれのほうが出るから。(略)細君が、私が家におっても、あなたが出ておしまいになれば、後が困るじゃありませんかと言うと、なにかまわないさ、お前はかってに入夫(補:家に新しい夫を住まわせること)でもしたらよかろうと答えたんだって」
「それから、どうなりました」と三四郎が聞いた。原口さんは、語るに足りないと思ったものか、まだあとをつけた。
「どうもならないのさ。だから結婚は考え物だよ。離合集散、ともに自由にならない。(略)」

 これはおそらく鏡子夫人との口論のときのやりとりを小説の参考にしたのでしょう。

 あるいはしょっちゅうこの手の応酬があったということですから、夫人が本当に三四郎の中の妻のように言ってしまったこともあるかもしれません。

 しかし、「後が困る」ではなく、「どこでもあなたの行くところについていきますから」と返されたときは、さすがの漱石も正直言葉に詰まったのではないでしょうか。

 この瞬間は、漱石の発言より、なみなみならぬ覚悟の上で、どこふく風の彼女の返事の方が明らかに上手です。

「だから結婚は考え物だよ」なんてシニカルなセリフではまとめきれない、鏡子夫人の、人としての大きさがよく出ている一言だと思います。

 D「あなた、私は、ちゃんとここにいますよ」(修善寺の大患)

 漱石は小説家としての成功と引き換えに次第に胃の調子を悪くし、その療養のために滞在した修善寺温泉で吐血しました。鏡子夫人が東京から駆け付けた後再度大量の吐血、意識不明の重体となります。これがのちに、「修善寺の大患」と呼ばれる出来事です。

 三十分間危篤状態となった漱石でしたが、その後、奇跡的に意識を取り戻し、こうつぶやいたそうです。

「妻(さい)は……?」

 鏡子夫人は漱石の耳元に口を近づけ、

「あなたっ、私は、ちゃんとここにいますよ」
 と応えます。

「……大丈夫?」

 何がかははっきりわかりませんでしたが、鏡子夫人はもう一人の付き添い(当時漱石が小説を連載していた朝日新聞の記者)と一緒に

「大丈夫ですよ!」
と大きな声で言いました。

 漱石はうなずいて目を閉じたそうです。

 こうして漱石は死の淵から戻ってきました。

 鏡子夫人は、意識を取り戻して最初に自分を探してくれたことが嬉しくて、しみじみと泣いたそうです。

 ところで、全く状況も語り口も異なるのですが、この話を聞いたとき、エッセイストの椎名誠さんに、親友でイラストレーターの沢野ひとしさんのエピソードを思い出しました。
(すみません、以下、とてもうろおぼえです)

 登山家でもある沢野さんが、スイスの山で300メートルも滑落、しかし、崖の一歩手前で体が止まって助かったという出来事があったそうです。

 なすすべもなく滑落しているときは、よく言われるように、それまでの人生が走馬灯のように思い出され、色々な人の顔を思い出し、そして、奥さんの顔が脳裏によぎったときに、体がひっかかって、滑落が止まった。

 確かそのような話だったと記憶しております。

 で、もしこの後、うっかりよそのおねーちゃんの顔でも浮かんでいたら、やっぱりまた滑ってしまい、崖の下まで落ちていたんじゃないか、

 と、沢野さんがどこまで真面目なんだかわからない一言でこの話をしめくくっていたような……。

 それはともかく、人が生きるか死ぬかというとき、誰を思い出すか、つまり、誰が自分の人生にとって大切な人なのか、そして支えてくれていたのか、それをきちんと思い出せるかどうかで、続きの人生に戻ってこられるかどうかが決まるということは、もしかしてあるのかもしれないなと、このふたつの話を読んで思ったのです。

 漱石も、普段色々な行き違いがあろうとも、自分の側から離れなかった鏡子夫人のありがたさを、心の底ではわかっていたのではないでしょうか。

 そして、複雑な生い立ちや、自身の精神の変調に悩まされ、そのせいなのか、作品のなかでたびたび、自他のエゴに苦しみ悩む人間を描き続けた漱石の耳に、生還して最初の、夫人の言葉はどう響いたのでしょうか。

 あなた、私、ちゃんとここにいますよ

 大丈夫ですよ!

 
 私が漱石作品のなかで、いや、もしかしたらあらゆる文学の中で、最も悲しい思いで愛し、くりかえし思い返してきたこの「こころ」の文章と、さきの鏡子夫人と漱石のやりとりを考えあわせると、なんだかときおり勝手に目頭が熱くなるときがあるのです。

「あなたは本当に真面目なんですか」と先生が念を押した。
「私は過去の因果で、人を疑りつけている。だから実はあなたも疑っている。しかしどうもあなただけは疑りたくない。あなたは疑るにはあまりに単純すぎるようだ。私は死ぬ前にたった一人でいいから、他(ひと)を信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたははらの底から真面目ですか」

 「こころ」の「先生」が探し求めた、きっと漱石も、そして今を生きる私たちの多くもまた探し求める、「信用できる、あまりにも単純な、腹の底から真面目な他人」

 私には、その美点が鏡子夫人にきちんとあったように思われます。

 随分喧嘩もしたようですが、鏡子夫人という、信用して死んでも裏切らないであろう「他(ひと)」がちゃんと自分の側にいるということを、漱石はわかっていたのでしょうか。

 日常や、一緒に暮らす家族というものの良さというのは、甘えやうっとうしさもあって、つい見落としがちになってしまうものですが、漱石なら、せめて片鱗だけでも見出していたのでは、そうならいいと思います。

 聡明で繊細で、だから、おそらくとても孤独であったろう彼のためにも、鏡子夫人のためにも。

「病気の時は仕方がない。病気が起きないときのあの人ほど良い人はいないのだから」

 そう思って、竹を割ったようにさっぱりと、苦労はそれとして、彼女が漱石の優しさを愛していたということを。

 当ブログ、これまでの漱石関連記事は以下のとおりです。併せてご覧いただければ幸いです。

あなた、私は、ちゃんとここにいますよ」(夏目漱石と鏡子夫人)
「いいよいいよ、泣いてもいいよ」(夏目漱石の命日)
月がきれいですね。(中秋の名月と夏目漱石)
ミレイの「オフィーリア」と夏目漱石の『草枕』
「兄さんは死ぬまで、奥さんを御持ちになりゃしますまいね」(随筆『硝子戸の中』と小説『行人』)

 読んでくださってありがとうございました。

(参考文献)

孤高の「国民作家」 夏目漱石 (ビジュアル偉人伝シリーズ 近代日本をつくった人たち) -
孤高の「国民作家」 夏目漱石 (ビジュアル偉人伝シリーズ 近代日本をつくった人たち) -
(ビジュアル偉人伝シリーズ近代日本を作った人たち)孤高の国民作家「夏目漱石」佐藤嘉尚 生活情報センター
※写真も多く、今回ご紹介させていただいたような、漱石たちの生のやりとりが臨場感のある文で描写されていて魅力的な本です。今回ご紹介させていただいた、エピソードのほとんどは最初にここで読んだものです。漱石好きならオススメの一冊です。

漱石の思い出 (文春文庫) -
漱石の思い出 (文春文庫) -
夏目鏡子述「漱石の思い出」文春文庫
漱石の長女、筆子さんの夫松岡譲氏が筆記した本、巻末に半藤末利子さんによる鏡子夫人の回想文が短いですが収められています。
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2013年12月09日

「いいよいいよ、泣いてもいいよ」(夏目漱石の命日)

 今日(2013年12月9日)は明治の小説家、夏目漱石の命日です。
 偉大なる文豪を偲んで少し彼の臨終、そしてその周辺についてご紹介させていただこうと思います。

 1916年の今日、漱石は胃潰瘍が原因で亡くなりました。その作品の質量と重々しい風貌からもっと生きたように誤解してしまいがちですが、まだ49歳の若さでした。

 11月の末に大量に内出血を起こし、その後徐々に容体が悪化、9日には医師が近しい人を呼ぶようにと告げます。

 一度は学校に行っていた子供たちも、もう昼までもたないかもしれないと言われ、戻ってきました。
 枕元に座った四女の愛子さん(当時10歳)がやつれはてた漱石の顔を見て泣き出してしまい、鏡子夫人が「泣くんじゃありません」とたしなめたところ、漱石は目を閉じたままこう言ったそうです。
「いいよいいよ、泣いてもいいよ」

 その後愛子さんとは離れた学校に通っていた子供たちも戻ってきました。すると漱石は目を開いてにこっと笑いました。
 それから、「泣くんじゃない。いい子だから」と慰めたそうです。

 漱石の次男の伸六さんは、なぜ愛子さんだけに「泣いてもいいよ」と言ったのだろうとそのときのことを思い返しています。

 漱石は、厳格さの上に癇癪を押さえられない性質があったために、子供たちからは非常に恐れられていたのですが、この愛子さんだけは漱石に素直になついていたそうで、彼女が自分のために泣いていることが、しみじみとありがたかったのではないか、伸六さんはこう書いています。

 確かに愛子さんは子供たちの中でも特に漱石と仲が良かったようで、こんなエピソードもあります。

 漱石は亡くなる以前からかなり胃が悪く、修善寺温泉での療養中に生死の境をさまよったことさえあるのですが、それでも食欲はおさまらなかったようで(私見ですが、おそらく頭の使いすぎでストレス性の空腹に見舞われていたのではないかと思います。私も一度胃を悪くしたことがあるのでうっすらわかりますが、血を吐くほど胃を痛めて危篤になったのにまだ食べようとするってすさまじい食い意地ですよ……。)胃に良くないからと鏡子夫人が羊羹などを隠しておいても、執筆の合間につまもうと勝手に戸棚を探し回ります。

 すると、愛子さんが鏡子夫人の隠していたのをしっかり見ていて「お父様、ここにあってよ」と気の毒がって出してきてしまう、で、漱石が「おおいい子だ。お前はなかなか孝行者だ」とにやにやしながらお菓子をつまんでしまう……ということがあったそうです。
(漱石は相当な甘党だったみたいで、この他にもジャムを勝手に舐めすぎると夫人に怒られていることがあり、このときのやりとりを下敷きにしている場面が「吾輩は猫である」にも登場します。面白い場面ですよ。)

 こんなふうに、他の子供たちよりも愛子さんとのやりとりが気さくだったというのは事実でしょう。
 ですが、だからかける言葉が違ったのかどうかというのはわかりません。

 それよりも私には大切に思われるのが、漱石が亡くなる前に、子供たちを慰めていたということです。

 実の子の伸六さんには、兄弟に向けられた親の一言一句の違いが気にかかるのは当然のことですが、私には「泣いてもいいよ」も「泣くんじゃないよ」も「もうじき自分が死ぬということをわかっていて、それでも泣いている子供のほうを思いやっている」という点において同じものに思えます。

 端正で孤独な作風でよく知られ、不世出の知識人、また、精神の変調に悩まされた不機嫌の人とも言われがちな漱石ですが、このエピソードを読んだとき、鏡子夫人が言っていたというこの言葉を思い出します。
「病気のとき(精神の変調が起きたとき)は仕方がない。病気が起きないときのあの人ほど良い人はいないのだから」

 癇癪が抑えられないときは、夫人に暴言はおろか、かなりの暴力も振るったという漱石ですが(古い時代の夫・父というのは今より概して乱暴なものですからある程度はさしひいて考える必要もありますが)、相当の理不尽な言動があっても、なお夫人にこう言わしめた漱石は、確かに本質的にはとても優しい人だったのではないか。

 あの漱石作品だけが持つ、人間の心の闇を描きながら、一抹漂う透明な気品や染み入る情は、この死を間際にしても失われなかった、他者へのいたわりや思いやりから生まれているのではないか。そんな気がします。

 死期を悟りながらほほ笑んで、泣いている誰かをいたわる。
 わが身に置き換えてみると、どうもなかなか出来ないことです。
 そして、この精神力と優しさもまた、彼の作品を永遠の名作にした、あの美しさ、あの奥行きを成す、ひとつの大切な要素のような気がするのです。

 当ブログ、これまでの漱石関連記事は以下のとおりです。併せてご覧いただければ幸いです。
あなた、私は、ちゃんとここにいますよ」(夏目漱石と鏡子夫人)
「いいよいいよ、泣いてもいいよ」(夏目漱石の命日)
月がきれいですね。(中秋の名月と夏目漱石)
ミレイの「オフィーリア」と夏目漱石の『草枕』
「兄さんは死ぬまで、奥さんを御持ちになりゃしますまいね」(随筆『硝子戸の中』と小説『行人』)

 読んでくださってありがとうございました。

(参考文献)
孤高の国民作家「夏目漱石」(ビジュアル偉人伝シリーズ近代日本を作った人たち1 文 佐藤嘉尚 生活情報センター)

「猫の墓 父・夏目漱石の思い出」夏目伸六 河出文庫

「漱石の思い出」夏目鏡子述 松岡譲筆録 文春文庫

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2013年09月19日

月がきれいですね。(中秋の名月と夏目漱石)

今日(2013年9月19日)は中秋の名月(旧暦8月15日ごろの満月)。天気の良いところではくっきりと鏡のような月が見られます。今夜はいわゆるお月見に興じる人も多いかと。

で、今日は、そのきれいな月のこうこうと輝く空の下、ある受信メール、あるいは未送信メールのこうこうと灯る携帯を抱きかかえて、ゴロゴロと煩悶する人も多いかと。

「月がきれいですね」
ネットで検索かけてみてください。「夏目漱石」とセットで情報が出てきます。
なんでも明治の文豪にして僕的世界最強の小説家夏目漱石(否定意見不受理)が、教師時代に「I love you」をどう日本語に訳すかを生徒に説いたときの言葉だとか。
「私はあなたを愛します」なんて日本人は言わない。「月がきれいですね」と訳しておけ、と学生に言ったそうです。
このゆかしくも鮮やかな名意訳が、活字離れと言われて久しい若い世代にも驚くほどに知れ渡り、異性に「月がきれいですね」と言えばそれが遠回しの告白になるという状況を生んだのです。
 ただこの話が具体的に作品に出ているか、あるいは本当に漱石が言ったのかということになると非常にあいまいだそうです。
 しかし、私この話がネットの伝説的恋愛フレーズになる前からどこかで確かに読んだことがありました。それもなんか宿題か何かでシブシブ読んだお堅い活字のどこかで。
まだ漱石の偉大さに気づかず、シブシブだった私の頭でも「……む……これは……」と思うほどなあでやかな切り替えしだったので、そのときのはっとした感覚はよく覚えています。確かになにかきちんとしたオベンキョウ本にも載っていた話です。
 以下完全におぼろげな記憶の話ですが。確か「あなたといると月がいっそうきれいに見える」というようなニュアンスを含む言葉として読んだ覚えがあり、この一行に、世界が温かく輝きを増す高揚感や、ささやかなことでも、好きな人とわかちあいたくなるという、溢れる思い、そしてその控えめな言葉づかいから伝わる、想う人と自分との神聖で謎めいた距離という、恋だけが持つ心のありようが凝縮されていると驚嘆させられたのです。
都市伝説ではないと思います。恋の形にもいろいろありますが、この種の恋を描いた、描きえた文学者といえばおそらく漱石しかいない。
 私は小説「三四郎」の中の台詞と思っていましたが、違うそうです。「三四郎」の英文名訳として名高いのは「Pity is akin to love(ことわざ「憐みは恋のはじまり」直訳「憐みは愛に類似する」)」を「可哀想だた惚れたってことよ」と訳した一文だそうです。.
 「月がきれいですね」に話を戻しますが、わたしは実際に電車の中でとても可愛らしいお嬢さんがたがその話で盛り上がっているのを聞いたことがあります。
「『日本人はそんなふうに言わん『月がきれいですね』とでも訳しとけ』って言ったんだってー。私この話すごい好きなのー!」
「えー、なにそれいいー!そういうセンスいいねー!」
「かっこいー!言われたいー!」
「でしょー?」
 ほんとこういう感じで女子大生とおぼしきキレイさんたちが3人均等に盛り上がってましたよ。

 花をまき散らすように嬉しそうに話すその方たちを見て、すこしばかり難解とも思われるこのフレーズでも、明治の感性でも、良いものというのはこんなに易々に時代を超え、そしてイケメン同様に人の心をかなりストレートにときめかせるもんなんだなとそのとき知りました。あれは良い光景でしたよ。

 ま、そんなわけで毎年中秋の名月の時期にはおそらく、「月がきれいですね(by夏目漱石【推定】)」派と「月がきれいですね。中秋の名月ですからね(byとか無い。時候の挨拶)」派の間で、行き違いが大量に発生し、その文面を憧れの人から貰った人は「こっ!!……これはもしかしてひょっとしてもしかして……×100(ガクブル)」となり、「ななな……『夏目漱石』……って書くべき?でも違ったらでも恥ずかしいし、でも流しちゃってたら勿体ないし×1000」となり、あるいは「つつつ……『月がきれいですね』って送っちゃおうかな……気づかれないかな。気づかれても気づいてないフリされるとか『メールで言う(告白する)なよバカ』と思われるかな。でもせっかくさりげなく脈さぐるチャンスだし……×1000」とか携帯抱きしめてゴロゴロすることになるんでしょおね……。

 ま、要は実体験なんですけどね……。
(ちなみに相手は勿論「時候の挨拶」派。
 微妙に文面も違ったのに、無理やり脳内で語順等を校正して『漱石』にしようとした甘酸っぱくも明後日な僕の熱情……〈遠い目〉。)

posted by Palum. at 21:26| 夏目漱石 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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