折り曲げられて誰もいなくなったハマスホイの部屋の絵
19世紀デンマークを代表する画家ヴィルヘルム・ハマスホイ(1864〜1916)は、白黒写真のような色調で、人や物のあまり存在しないミステリアスな室内画を描いた。
ハマスホイは誰もいない部屋を描くことについて、こう語っている。
❝「私はかねてより、古い部屋には、たとえそこに誰もいなかったとしても、独特の美しさがあると思っています。あるいはまさに誰もいないときこそ、それは美しいのかもしれません」(※註1)
イギリスのテートギャラリー所蔵「室内、床に映る陽光」(1907)は、絵の所有者が、ハマスホイの「誰もいない部屋」の美しさを、あまりにも深く理解したために、無理やり「誰もいない部屋」にしてしまった絵だ。
❝本来左端にその一部が描かれているテーブルに(ハマスホイの妻)イーダが見られた。しかし、最初の所有者レナード・ボーウィックがカンヴァスの左側を木枠の裏に巻き込んでしまったため、イーダが姿を消してしまったのである。これは、当時すでに有名であった《陽光、あるいは陽光に舞う塵》が念頭にあり、イーダがいない室内画をボーウィックが好んだためであろう。(註2)
イーダが描かれた部分を切り取るのではなく、折り曲げて残したのは、持ち主だったボーウィックのせめてもの気持ちだったのかもしれないが、やはり痛みはまぬがれず、その部分はとても展示に耐えられる状態ではない。
しかし、かすかに痕跡をとどめるイーダの姿は、まるで、年月を経てくすんだ鏡に映る、はかない幽霊のようだ。
この色褪せても残る、面影のような美しさは、ハマスホイの描写力と、彼の作品世界の女神(ミューズ)だったイーダへのまなざしの確かさを物語っている。
イーダが美しく丁寧に描かれていた、ハマスホイにとってはイーダがいて完成形だった世界を、ボーウィックは折り曲げて、誰もいない部屋に変えてしまった。
ただし、これは「金持ちが金に任せて貴重な作品に勝手なことをした話」ではない。
ハマスホイと同時代人では、ただ一人のイギリス人のハマスホイ作品コレクターだったレナード・ボーウィックは、各国をツアーで巡り、「ヴィクトリア女王のお気に入り」と呼ばれたほど成功したコンサートピアニストだった。
(彼がハマスホイの絵に出会ったのも、デンマークへのコンサートツアーのときだった)
ボーウィックは正真正銘のハマスホイのファンで、ハマスホイがイギリスで個展を開く手筈を整えたり、イギリス滞在時には部屋を準備したりと、こまやかにサポートをしている。(註3)
そしてハマスホイも彼に感謝し、イギリスを後にする際、大英博物館の風景画を贈っている。
(ハマスホイがボーウィックに贈った絵)
Vilhelm Hammershøi painted 'British Museum, Winter,' in 1906 for his friend and patron, the concert pianist Leonard Borwick for helping to arrange an exhibition of his work at the van Wisselingh Gallery the following year.
− Richard Morris (@ahistoryinart) December 30, 2023
Although a commercially successful show, Hammershøi… pic.twitter.com/82Eq0aixfg
そこまでハマスホイ本人にも敬意を払っていても、ボーウィックはどうしてもこの絵の部屋を「誰もいない部屋」にしたかったのだ。
絵に手を加えたら、後々価値が下がるという計算など、頭にかすりもしなかったのだろう。「欲しい美しさ」のためなら、ハマスホイの緻密な構成さえも文字通り曲げてしまう、彼もまた世界を飛び回るアーティストだったと聞くと、その執念の強さと理由が、少しわかる気がする。
ハマスホイはこの白い壁と扉の部屋を繰り返しモチーフにしていて、作品によっては、そこに家具やイーダも存在するが、どの絵でも、窓から差し込む光が描かれている。
この一連の作品のなかで、一番シンプルな、何もない、誰もいない部屋の絵について、ハマスホイの研究者、萬屋健司氏は「絵画の構成要素を最小限に絞ることによって、ハマスホイは光が空間に及ぼす作用を、その最も微細な現象まで捉えようとしたのだろう」と分析している。(註4)
他の存在が無いから、光の最も微細な姿が捉えられるのは、ハマスホイだけではない。
ハマスホイの描いた絵を見つめる人も同じだ。
そして、きっとボーウィックは、それが見たかったのだ。
窓から差し込む光は、カーテンのように斜めに透き通り、窓の格子模様の影を床に落とす。そのあわいに、空気が光と温度にゆらぎながら流れ、ほこりが幻のように閃いて踊る。
絵の中の光景は動かないけれど、ハマスホイの描く部屋はそんな世界に観る人の心をいざなう。
描かれている対象を観ることを通じて、思考とは無関係に世界と向き合う時間を体験させてくれる。
(私自身は、小さいころ、窓際の床に座ってひなたぼっこしながら、床に落ちる影が揺れる様子や、陽の光に照らされた時だけ浮かび上がる埃を(名前も知らず、汚れとも思わず)このキラキラしてきれいなものは何だろうと眺めていた頃を思い出した)
独りで光と影と空間を見つめると、雑音や濁りが消え、心が澄んでいく。
ボーウィックが欲しかったのは、そういう感覚に浸るための、世界を静かに見つめる場所と時間だったのではないだろうか。
そのためには、どんなに素晴らしく、美しく描かれても、そこに他の誰かがいてはいけなかった。
彼もまた一流の、成功した芸術家だったからこそ、複雑な内面や生活から、自分自身を解き放ちたかったのだろう。
きっと、ボーウィックにとって、この絵は「部屋を飾る『部屋の絵』」ではなく、彼の心を静寂と透明に還すための、彼だけの部屋そのものだったのだ。
絵を折り曲げてしまったこと自体は、後世から見れば「すごいことをする……」と言葉を失う行動ではあるけれど、自分の心が必要なものを自分でよくわかっていた人だし、ある意味では、ハマスホイの作品の、ほかの画家には無い美しさの中核を、ハマスホイ本人以上によくわかっていた人なのかもしれない。
星新一のショート・ショート「欲望の城」
ハマスホイが描き、ボーウィックが「誰もいない部屋」にした絵の話を知った時、真逆の物語として、ショート・ショート(超短編)の名手、星新一の「欲望の城」(1962年)を思い出した。(新潮文庫『ボッコちゃん』収録・「朝日新聞」初出)
(「欲望の城」あらすじ)
つまらない日常を送る男が、ある日を境に、毎日、誰も入ってこられない理想の部屋にいる夢を見るようになる。
現実には欲しくても買えないものが、その晩見る夢の中では、部屋の中に現れる。
男は喜んで、夢の中で好きなだけ欲しい家具や服をそろえ、エクササイズの道具を置き、酒のグラスをかたむけ、部屋での時間を満喫する。
❝彼が欲しいと感じた品物は、夜になると夢のなかに、すべて現れてくるらしい。あれを買え、これを買えという、激しい宣伝攻勢に順応するために発生した、現代病の一種なのだろうか。もっともそれによって欲望が満たされ、精神の平静が保たれるのなら、病気と呼んではおかしいようにも思えた。
(「欲望の城」挿絵:真鍋博)
男とよく同じバスに乗り合わせる知人(「私」)は、男から夢の話を聞かされてこう分析し、夢のお陰で毎日楽しそうにしている男を羨ましく思う。
しかし、何日かたつと、男の顔色が悪くなってきた。
❝欲しがるまいと思うのですが、そうもできません。それに、どうしても部屋のドアが開かなくて困っています。窓もですよ
だからここ数日怖くて眠れない。
バスの中で、「私」にそんな奇妙なことを言ったあと、それでも寝不足でバスに揺られていた男は、うたたねをはじめた。
突然、「私」は、男の大きな悲鳴を聞いた。
❝逃げ場のない場所で、何かに押しつぶされているような、恐ろしい声の。
(「欲望の城」あらすじ 完)
星新一は、情報やテクノロジーが支配する社会と、そこに組み込まれて生きる人々を、シニカルに軽妙に、だが予言者のように鋭く描き出した。
ハマスホイとは別の才能で、今、改めて存在感を増している作家だ。
(そして、この作品の他、多くの星新一作品の挿絵を担当した真鍋博氏は、洗練された均一な線で、ユーモアと無機質の一体となった不思議な絵を描いた)
「欲望の城」という作品の怖さは、物に潰されることにあるのではない。
居場所、そして命を脅かされるようになっても、まだ「欲しがるまいと思いますが、そうもできません」という、膨れ上がり続けて、ついには自分自身を押しつぶす人の心の動きが(誰にでも心当たりがあるために)怖いのだ。
社会は消費を促すため、常にそうした「欲しい」気持ちをあおる情報攻勢をかけてくるし、「欲しい」気持ちは心の内側に湧いてくるため、無限に、夢の中にまで侵入してきて、「開くドアや窓」、逃げ道は用意されていない。
ボーウィックが変えたハマスホイの絵と、星新一の小説に、直接的なつながりはない。
でも、二つとも、心の中に「自分だけの理想の部屋」を作った人の話だ。
その人が欲しいものが、情報に踊らされながら、自分のコントロールできる量を無視してやみくもにかき集める物なのか、独りで光と空間を見つめる時間なのか。
それで、部屋の中は変わっていく。
そして、その部屋にいる人の心も変わっていく。
部屋に残されるのが、自分の欲望に押しつぶされる苦痛の悲鳴なのか、透き通った沈黙なのかも。
(補足)マイケル・ペイリン氏のハマスホイ紹介ドキュメンタリー(BBC)
「Michael Palin & the Mystery of Hammershøi」
テート所蔵のハマスホイ作《室内》の前に立つマイケル・ペイリン氏
2005年制作、当時イギリスでほとんど注目されていなかった、ハマスホイの魅力を紹介したドキュメンタリー。
プレゼンターはイギリスの伝説的コメディグループ「モンティ・パイソン」のメンバーで、各国の文化や美術を紹介するドキュメンタリー番組でも活躍するマイケル・ペイリン氏。
ハマスホイの絵画だけではなく、イギリスとデンマークの室内と風景、美術館の方たちなど、現在を生きる人の姿まで、ハマスホイ的な柔らかい陰影で撮影されている。
(ハマスホイの描くイーダの首の美しさについて、美術館を訪れた人と話すペイリン氏)
26日開幕|#テート美術館展
− 大阪中之島美術館 (@nakkaart2022) October 6, 2023
ヴィルヘルム・ハマスホイ《室内》1899年 Photo: Tate
画面の外に位置する窓から差す、柔らかな光に照らされた室内。コペンハーゲンのストランゲーゼ30番地にあるハマスホイの自宅の一室を描いたものです。静寂に包まれた空間に、女性の美しい肌が印象的な作品です。 pic.twitter.com/HioQ4Ksucw
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