2023年09月16日

青い部屋「レイマー、ブルー」(ジェームズ・タレル作(「テート美術館展・光」より)

「レイマー、ブルー(Raemar, Blue)」(1969年)は、アメリカの現代美術家ジェームズ・タレル(1943〜)のインスタレーション展示空間を含めて作品とみなす手法作品。

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Image Credit:Youtube/ジェームズ・タレル《レイマー、ブルー》 1969年c 2023 James Turrell. Photograph by Florian Holzherr.

 「現代」といっても、既に約55年生き抜いた、タレル氏の代表作の一つだ。

(「レイマ―、ブルー」と鑑賞者の様子が観られる動画)
Light illuminated: Treise on James Turrell's Raemar, Blue

レイマ―・ブルーの空間 - コピー.jpg

レイマ―・ブルーを観る人 - コピー.jpg
Image Credit:Youtube

 部屋に入った人は、全身真っ青に染まって「壁の後ろから青い光が放射されて、部屋の奥、中央に壁が浮かんでいるように(※)見える空間に包まれる。 (※)展覧会場解説文より


【作品について 感想】

 観たい絵があってこの展覧会に行ってきたのだが、正直、現代アートは自分には難しいと思っていて、この青い部屋に入ったときの感想は、「きれいな青だけれどよくわからない」だった。だからすぐに出て行こうとした。

 でも、その「よくわからないからもういい」と思っていた脳が、空間に広がる「きれいな青」にすうっと冷えていった。

 たくさんの作品を観て、楽しいと思いつつ、それでも疲れてこもっていた頭の中の熱が、青の中に放射されて溶けて行った。

 出て行こうとした足が止まった。

 振り返ると、青はもっと吸い込まれるように青く、「よくわからないもの」ではなく、「自分の脳にいつのまにか熱がこもっていたこと」と、「それがいま冷えていく感覚」を教えてくれていた。

 青は眼を通じて脳の内側をこんこんと浸していた。その浸透の感触で、自分の眼球と脳の存在に気づいた。宙に浮かんで見える青い壁を前に、頭がふわっとゆらいだ。

 やがて、青が染みとおっているのは眼だけではないことに気づいた。

半袖から出ている両腕、透き通った青を浴びる皮膚が、あの涼しい色の光を「ごくごく」と飲んでいた。

(後日、タレル氏がインタビュー動画で「私たちは光を皮膚を通して(水のように)飲んでいる」と語っていらしたのを見つけた。わたしの腕の皮膚は、確かにそのとおりにしていた)
 人は皮膚でも色を感じるかについては「目隠しして、同じ室温の『赤い部屋』と『青い部屋』に入る」という実験でも確認されているそうだ。
 青い部屋に入った人は、皮膚の表面温度が上がらず「涼しい、なにかスーッとする、気持ちがよい」と言い、血圧、呼吸数、筋肉緊張が下がり、脳波はアルファ波(ぼんやり目覚め状態)が主流の状態となった。(赤はその真逆で、被験者たちの皮膚の表面温度が上がり、暑さと息苦しさを訴えたという)

(現代アートのわかりかたがわかっていない自分には、暑い日に作品を観たのも良かった気がする。「外は暑い」の実感があったから、あの青がいっそう染みた)
 この、直接脳と皮膚が動いた感覚は、今まで観てきたどの芸術作品よりも鮮明だった。

 今、自分の感覚を通じて全身に、青い光が広がっていると、はっきりわかった。水滴の波紋のように、音叉の音が空間に響き渡るように。

 浮遊と鎮静、どちらも、普段実感することが少なく、また同時に感じることができるとは思っていなかった感覚が、脳の中でたゆたっていた。

 そして、そのふわふわと涼しい頭で外に出たあと、本当はいつのまにか集中力が落ちて(「現代アートは自分には難しい」という先入観もあって)、目当ての絵を観ていたときほどには、きちんと見えていなかったほかの作品たち、それぞれの美しさの陰影やゆらぎが、より鮮明に、もっと自分の内側に届いてきた。

 とくにオラファー・エリアソン作「星くずの素粒子」の、ゆったりと回りながら放たれるきらめきが、あの静かな青の余韻と響き合っているようだった。
Youtube画像星くずの素粒子 - コピー.jpg
Image Credit:Youtube  c 2014 Olafur Eliasson

 壁に映る、シャボン玉色のよぎる半透明の淡い影、小さな窓のような光の飛沫のうつろうさまにも気づいた。
オラファーエリアソン星くずの素粒子全体と壁の影 - コピー.JPG

オラファーエリアソン星くずの素粒子の反映 - コピー.JPG
(ブログ筆者撮影)

 ペー・ホワイト作「ぶら下がったかけら」も、かけらの色や形だけでなく、あともう少しでかけらたちが触れ合ってさらさらと鳴りそうな隙間の空気、床に落ちる、重なり合って蝶のような影、天井から釣られた糸の、淡い緑の静かに流れ落ちる滝のような気配を感じた。

ペーホワイトぶらさがったかけら全体 - コピー.JPG

ペーホワイトぶらさがったかけらの影 - コピー.JPG

ペーホワイトぶらさがったかけらの糸 - コピー.JPG


 この展覧会は、撮影許可エリアもあるが、「レイマ―・ブルー」は撮影禁止になっている。

きれいだから残念な気もするが、これには権利問題以外の意味があると思う。

光を表現の手段として用いた作品についてタレルは、次のように述べています。「私の作品には対象もなく、イメージもなく、焦点もありません。対象もイメージも焦点もないのに、あなたは何を見ているのでしょうか。見ている自分を見ているのです」。(展覧会場解説文より一部抜粋)

 あの部屋にいるときは、「撮る自分」を忘れて「観る自分」になる、そして観る者が青に浸された自分の感覚に気づく体験、それそのものが作品の大切な一部なのだ。

 絵でも物を形作った彫刻でもないからはじめはかなりわかりづらかったけれど、あの空間に立てて本当によかったと思う。

 あの作品が明確な形ではなく、空間とそれが生み出す感覚だったからこそ、あの部屋を出た後でも、感触として記憶に留まった。

 そして、どんな日常のどんな瞬間でも、あの青い空間と、眼や皮膚を通して広がった涼しい浮遊感を思い出せば、脳にこもった熱や圧迫感をやわらげ、物の見え方や感じ方をなだめてくれる。

 (この文章を書きながらでも、あの、深呼吸の出来る静かな透き通った海の底のような世界の中で、涼しく凪いでいく心地が蘇る)

 あの青が、記憶から広がって、頭のよどみや曇りを洗い流し、現実の捉え方を、もう少し穏やかですっきりとしたものに変えてくれる。


【作者ジェームズ・タレル氏について】

(作品を語るジェームズ・タレル氏)

ジェームズタレル氏 - コピー.jpg

Image Credit:Youtube

この光をまるで触っているかのように感じてもらいたいのです - コピー.jpg

Image Credit:Youtube

 ジェームズ・タレル氏は、知覚心理学、天文学を学んだ後、芸術の世界へ進んだ。

 また、パイロットとしてご自身が操縦する飛行機で空を飛んでいるときに得た感覚が、作品のイメージの源泉になっている。

(操縦室のタレル氏 おそらく1970年代の写真)

コックピットのタレル氏 - コピー.jpg

Image Credit:Youtube

 あの、不思議な光の空間は、タレル氏の実体験と、人と自然と宇宙のつながりに思いを馳せる、信仰にも似た壮大で瞑想的な世界観、そして緻密な理知から生まれている。

(大作の構想を練る様子 詳細な設計図が引かれている)

ローデンクレーターの構想を練るタレル氏 - コピー.jpg

Image Credit:Youtube

(ニューヨーク「グッゲンハイム美術館」の展示のために、機器で光を調整するタレル氏)

グッゲンハイム美術館動画光を確認するタレル氏 - コピー.jpg

Image Credit:Youtube

  ジェームズ・タレル氏ご本人が作品を語っていらっしゃる動画も、とても魅力的だった。

お声が、あの青のように、人の心の奥底までゆっくりと沈んで染みわたるように、深く穏やかに響く。

自身の創作について語るタレル氏の動画(※日本語字幕あり)
James Turrell: "Second Meeting" | Art21 "Extended Play"

 ご自身の魂と知性から湧き上がるものを作品にし、作品を創り上げることを通じて魂と知性が深化していく、その確かな時間の流れが、風貌と声から滲みでている。

 作品がどんな思いから生まれ、観る側はどう受け止めれば作品の本質を感じとることができるのかがよくわかる。明確な形を持たない作品を理解するヒントをくれ、きれいなだけではなく勉強になる動画だった。
その人自身の知覚に目を向けています - コピー.jpg
(今回の「テート美術館展」のテーマは「光」なので、展覧会にご興味がある方にとくにおすすめだ)

(2022年、「世界文化賞」受賞の際のインタビュー動画)
第32回「世界文化賞」 James Turrell “光と知覚”のアーティスト


 タレル氏は「光を、まるで触っているように感じてもらいたい」、そして、ご自身の創作にとって大切なことは「言葉にできない思考の経験を創造する」ことだと語っている。(※『テート美術館展 図録』p.18/HP「Introduction」

❝「タレルの光のインスタレーションは、内省と熟考の状態を生み出し、鑑賞者に知覚のプロセスに気づくよう促すことを目的としている(テート美術館HP解説)

 あの美しい青い部屋は「脳を冷まし、皮膚が光を飲んで涼しくなる」という新鮮な感覚の経験を通じて、その場にいた私の思考に、静けさと奥行を与えてくれた。

 青に洗われた思考は、他の作品の既にそこに在る美しさを、より鮮やかにとらえることができた。

 作品を創る人々が「光をどうとらえたか」を知ることは、私たちがこれから先「自分自身の内面を含めた現実をどうとらえるか」という心の問題につながっている。

 タレル作品の光は、観た人の内側に呼びかけて感覚と思考を目覚めさせ、その言葉にはできないけれど大切な力は、感触の記憶として、私たちの内面を、静かに照らし続けるのだ。




ジェームズ・タレル氏のそのほかのおすすめ動画
(グッゲンハイム美術館の展覧会解説動画)
James Turrell
(ジェームズ・タレル氏が自作と、人にとっての光の意味について語っている動画)
Artist James Turrell (abbreviated version)

 こちらは英語のみの動画だが、白い壁に映るそよぐ葉のやわらかなシルエットや、タレル氏の作品の天井から見上げる空、巨匠たちの名画など、映像と音そのものが穏やかで、一語ずつ完全に理解しようとしなくても、タレル氏の表現しているものを、耳と目から受け取れる。


(補足)超大作「ローデン・クレーター」

 タレル氏が空を飛んで見つけた砂漠のクレーターに、巨大な芸術空間を創りあげた、約50年を費やしたライフワーク(2026年完成予定)

 想像を超えた、壮大で神秘的な空間を観ることができる。
ジェームズ・タレル、新たな風景に向けて語る - Station to Station EP12 - WIRED.jp

ジェームズ・タレルのローデン・クレーター

「ローデン・クレーター」の制作をサポートするアリゾナ州立大学の、作品とタレル氏の芸術解説動画
Letting the light in: James Turrell, artwork at Roden Crater: Arizona State University (ASU)


【当ブログ関連記事】
Interior,_Sunlight_on_the_Floor - コピー.jpgハマスホイ作「室内、床に映る陽光」

真珠の耳飾りの少女 - コピー.jpg
Image Credit:NHK HP/(C)Docmakers / NTR



(テート美術館展SNS情報)

(大阪の「テート美術館展」展覧会情報)



(参照)
図録『テート美術館展 光 ターナー、印象派から現代へ』p.202 作品解説(※p.204,205は「レイマ―、ブルー」の見開き)


Webマガジン「AXIS」
NEWS | アート / 展覧会 2019.12.12 14:24

NEWS | アート 2019.01.17 15:42
(どちらの記事も、感覚的な現代美術をわかりやすく解説してくださっている。画像もクリアで美しい)

(ジェームズ・タレル氏公式HP)
(Wikipedia)
(日本に常設展示されている作品の情報が観られる(香川の作品は建築家の安藤忠雄氏とのコラボレーション。谷崎潤一郎の随筆『陰翳礼讃』にインスピレーションを受けた作品もある)

(テート美術館の解説)


(参考、関連文献)

posted by pawlu at 13:26| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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