(板谷波山が戦没者遺族に贈った聖観音像)出光美術館展覧会動画より
(image Credit:Youtube)出光美術館「生誕150年 板谷波山─時空を超えた新たなる陶芸の世界」
(聖観音像を製作する板谷波山)
(image Credit:Youtube)【板谷波山生誕150年記念】板谷波山先生(1953年制作)
「日本近代陶芸の最高峰」板谷波山(1872〜1963)
もはや再現不可能とも言われる技術で、優美完璧な名品を創作し、「出光」の創業者出光佐三ら、多くの人々を魅了した。
【今週末の #日曜美術館 は…】
− NHK びじゅつ委員長 (@nhk_bijutsu) February 10, 2023
可憐な草花が薄絹の下から
柔らかな光を放つかのよう。
近代陶芸の最高峰 #板谷波山 の
葆光彩磁(ほこうさいじ)。
革新的陶芸家・板谷波山の
比類なき美の秘密に迫ります。#やきもの #超絶技巧
Eテレ 2月12日(日) 朝9:00https://t.co/OV0Gp7uNNP pic.twitter.com/rGPNjRuwzA
【 #生誕150年記念 #板谷波山の陶芸 を開催中!】
− 茨城県陶芸美術館 (@ceramic_art_mus) January 19, 2023
会期:〜2月26日(日)
代表的な作風である #葆光彩磁 や、彫りの技術を駆使した装飾豊かな作品を中心に、初期の木彫や故郷の人々に贈った #鳩杖 や #観音像 も含んだ、#板谷波山の作品123点!https://t.co/92RhJ47xjr pic.twitter.com/p0SlHGZ1I3
波山は故郷の茨城県下館(現、筑西市)の人々に、自身の作品を贈ったことでも知られている。
そのひとつ、「聖観音像」は、日中戦争、太平洋戦争の戦没者とそのご遺族のために創られた、白い小さな観音像だ。
❝(聖観音像は)終戦後の1951年から1956年までに268体が製作され、完成した聖像は桐箱に収められて、故人の名とともに「帝室技藝員」の朱印と波山の署名が記された。一家の大黒柱を亡くし困窮する家族に対し、生活の足しになるようにと波山はあえてこうした箱書きにしたのだという。
(『生誕150年記念 板谷波山』展覧会図録より)
波山は、自分の作品について非常に厳しく、他人からはどんなに完璧に見える作品でも、自分の目にかなわなければ、容赦なく割ってしまう人だった。
(あまりにも美しい茶碗を割ろうとするので、出光佐三が必死で頼んで「強奪」してきたという逸話があるほどだ)(出光佐三が救った茶碗「銘 命乞い」。現在は出光美術館の至宝のひとつになっている)(image Credit:Youtube )出光美術館「生誕150年 板谷波山─時空を超えた新たなる陶芸の世界」)
そのため、素晴らしい技術を持ちながら、成功するまでは米を買うにも苦労するほどの貧しさを味わい、「波山」の名は(故郷茨城の筑波山にちなんでいるのだが)「破産」のことだ、と、自分で苦笑いするほどだった。
それほど金銭を度外視して創作に打ち込んでいた波山が、戦没者遺族の方々を思ったときには、自身の「帝室技芸員(国家から認められた芸術家の称号)」という立場を箱にしっかりと記していた。
(「聖観音像」箱書き 亡くなられた方の名前が記され、波山の「帝室技芸員」という印が捺されている)
(image Credit:Youtube)U字工事の旅!発見#149 板谷波山
「帝室技芸員」という「国のお墨付き」さえあれば、波山自身の名に評価の浮き沈みがあったとしても、必ず、この観音像を一定の値段で売ることができる。
波山はそこまで見こして、箱書きを作ったのだ。
波山が観音像を作っている姿が、映像に残されている。
かっぽう着のような白衣を着て、手を清めた波山は、形を作った観音様の前でお経を開く。
(何体も並んでいるのが、心が痛む)
(image Credit:Youtube 【板谷波山生誕150年記念】板谷波山先生(1953年制作))
お経をめくり、読んだ後、額に押し頂き、観音様に手を合わせる。
それから、観音様の衣や、御顔の彫りに向かっている。
(波山は明治木彫の巨人、高村光雲に学び、高い彫刻技術を身に着けていた)
(image Credit:Youtube 【板谷波山生誕150年記念】板谷波山先生(1953年制作))
(波山その人がとても美しい人で、80才ごろのこのときには、たたずまいやお顔立ちが、いにしえの涼しい仏像を思わせる。仏様が観音様の像を創っているような、不思議な光景)
(image Credit:Youtube 【板谷波山生誕150年記念】板谷波山先生(1953年制作))
当時は戦場で命を落とし、遺骨も故郷に帰れない方たちが大勢いらした。
(『この世界の片隅に』の一場面。主人公すずさんの兄が戦死したと知らされても、お骨の箱の中に入っていたのは、石ひとつだけだった)『この世界の片隅に』中 第24回昭和20年2月
どう気持ちの整理をつけていいのか、何に向かって涙を流し、言葉をかけ、祈ればいいのかもわからない。
そんなご遺族の方たちにとって、波山が心をこめて作り上げた、白く小さな美しい観音様は、心の拠り所となっただろう。
けれども、現実は続く。
働き手を喪ったご家族の生活も、続いていくためには、お金がどうしても必要だ。
そのときは、観音様を売ってお金にして、それが暮らしの足しになるように。
観音様がお金に化身して、また別のかたちで、遺された方たちに、救いの手を差し伸べるときのために。
波山は「帝室技芸員」の印を捺した。
納得のいく作品を生み出すためなら、自分自身は極貧もためらわないほど厳しかった波山。
その波山が、「できるだけよい値段で売れるように」と記した箱書きと、「少しでも、亡くなられた方と、遺された方の悲しみが慰められるように」と、お経を開き、手を合わせて作り上げた観音像。
展覧会に展示されていた観音様は、穏やかな微笑と、清らかな水の流れ落ちるような衣の線が美しかった。
そして、その優しいうつむき顔の奥に、人々から受け止めた深い悲しみと、たくさんの、ことばにできない思いをたたえ、今も、それをじっと、透き通ったふところに抱きしめていらっしゃるようにも見えた。
(出光美術館「生誕150年 板谷波山─時空を超えた新たなる陶芸の世界」に展示された観音様)
(image Credit:Youtube 出光美術館「生誕150年 板谷波山─時空を超えた新たなる陶芸の世界」)
波山の厳しい目をくぐりぬけて生き延びた、「完璧」の名にふさわしい、美しい数々の色彩と造形の傑作たち。
しかし、「悲しみを癒すこと」と「いつかお金になって暮らしを助けること」の両方を託された、この小さな観音様にも、波山の、作品とそれを贈る人々への、真剣な思いが、別のかたちで、結実している。
(参照)
波山生誕150年展【いばキラニュース】R5.1.25
出光美術館「生誕150年 板谷波山─時空を超えた新たなる陶芸の世界」
U字工事の旅!発見#149 板谷波山
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