(NHKドラマ版「鍵」画像 「男」は謎めいた鍵を拾う)
「鍵」は、不思議な鍵を拾った男が、その鍵に合う鍵穴を探し続ける物語。
ショート・ショートの名手、星新一(1926〈大正15〉〜1997〈平成9〉)の最高傑作のひとつであり、異色作でもある作品だ。
(鍵(妄想銀行)――「ミステリマガジン」1967年3月号初出)※星新一40歳のときの作品
NHK「星新一の不思議な不思議な短編ドラマ あの時の”未来”を生きる私たちへ」で、ドラマ化された。
【NHKドラマ版「鍵」情報】初回放送日:BSプレミアム 2022年7月26日(火)午後9:45
ある日、男が拾ったひとつの鍵。とりつかれたように男は、その鍵に合う鍵穴を探すのだが…出演:玉山鉄二 / 塚本晋也 / フレデリック・ベノリエル / 川原瑛都 塩田朋子 / 松原智恵子
ドラマ版では、鍵穴を探す主人公の長い旅路の物語は、澄んだ少年の声で語られ、ノスタルジックな衣装の上品な人々、美しい建物や部屋、ミニチュアの街並み、明るい風景とともに展開する。この投稿をInstagramで見るこの投稿をInstagramで見るこの投稿をInstagramで見る原作に比べると、古き良き絵本のような趣だった。
星新一は、国も時代も曖昧な文明社会とそこに生きる人々を、どこか醒めた眼差しで描いた。
ショート・ショート(超短編)で整然と展開し、完結する作品世界には、べたついてどろどろした人間の思いを見抜いた上で冷静に切り捨てる鋭さと、その裏返しの、さらりとした軽妙さがある。
「鍵」は、そういう無機質で奇妙な味わいの、典型的な星新一作品に比べると、より繊細な情緒を含んだ作品だ。
(この情緒が作者自身の中にあったからこそ、文明社会への醒めて鋭い視線が生まれ、どちらの味わいを持つ作品も、時代を超越している)
ただ、主人公を「男」とだけ表現し、どこの誰で、どんな境遇だったかの情報を含まない、星新一らしい省略はこの作品でも使われている。
そしてこの省略により、主人公は、抽象化され、記号のような存在となり、だからこそ誰でも主人公と自分を一体化させられる。
そして、読者は、星新一の、鋭さと繊細さを併せ持つ、こうした文章の中に、自分自身の思いを見つける。
❝その男の人生はとくに恵まれたものだとは呼べなかった。いままでずっとそうだったし、現在もまたそうだった。といって、食うや食わずというほど哀れでもなかった。こんな状態がいちばんしまつにおえない。なぜなら、恵まれていれば、そこには満足感がある。哀れをとどめていれば、あきらめの感情と仲よくすることができる。しかし、そのいずれでもない彼の心は、ひでりの午後の植物が雨を求めるように、いつもなにかを待ち望みつづけていた。限りない回数の試みがくりかえされ、限りない回数の失望を味わった。だが、男の執念はさらに高まるのだった。この鍵で開くものを見つけさえすれば、万事が解決する。多彩で豊富な、はなやかなメロディーの流れる、信じられないようなべつな世界が、そこに展開するはずなのだと。
多分、この世の誰も、完全に恵まれていると満足していることはないし、あきらめを完全に抱きしめることもできていない。
そして、鍵が開いてくれる「万事が解決する」「べつな世界」を夢見て、心がさまよっている。
(「食うや食わず」までは追い詰められていないときほど、「今ここ」から、ふと目をそらして)
人生をかけて、謎の鍵で何かを開くことを求め続けた(誰だかはっきりとはわからない、誰でもありうる)「男」が、最後につぶやく一言は、星新一が、自身の人生の葛藤の果てにたどりついた思いと重なるとも言われている。(※)
「鍵」が収録されている『妄想銀行』は「鍵」や表題作「妄想銀行」をはじめとして名作ぞろいだし、ショート・ショートで気軽に読めるが、その内容は今の時代と人の心を見事に予言している。
(1967年に、約55年後の「あの時の未来」を。)
また、同じくドラマ化された「処刑」(2022年8月9日、16日BSプレミアムで、前・後編放送予定)と、収録本の『ようこそ地球さん』も名作だ。
(「鍵」と「処刑」は、主人公の思いに重点が置かれているので、無機質な味わいの他作品に比べて、実写ドラマに向いている)
(NHKドラマ版「処刑」画像 「男」は、荒れ果てた星に、ある残酷な装置とともに放置され、ゆるやかに死へと追い詰められていく)
(参照URL)
・星新一公式サイト
・星新一作品一覧「ホシヅル図書館」
1、ショート・ショートタイトル一覧と、どの作品集に収録されているかがわかるページ
2、刊行順全著作リスト
3、作品の初出情報がわかるページ
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(※)最相葉月『星新一 −一〇〇一話をつくった人』第九章「あのころの未来」p.364(ハードカバー版)より
星新一の生涯と作品の関係を詳しく紹介した名著。手塚治虫、江戸川乱歩、小松左京、筒井康隆らと星新一の交友関係も知ることができる。
(ハードカバー版)
(文庫版 上下巻)