「トレーサーバッジ」は、友人たちの連絡係に四苦八苦したのび太が、全員の位置情報がわかる「トレーサーバッジ」を、機能を伏せたまま配って、皆の行動を覗き見るというお話。(てんとう虫コミックス9巻収録)
ドラえもん (9) (てんとう虫コミックス) - 藤子・F・不二雄
(この巻には「ツチノコ見つけた!」「王かんコレクション」「世の中うそだらけ」などの名作も収録されている。)
『ドラえもん』には珍しく、現代の技術で完全に再現可能なひみつ道具、そして、この技術の抱えるリスクが、笑いの中にさりげなく描かれている。
あらすじ(ネタバレご注意)
太陽の照り付ける昼下がり。
のび太は友人たちを探して、町中を歩き回っていた。
(いやだと言ったのにやらされている)野球チームのマネージャーとして、伝言を届けるためなのだが、みんな親にも行先を言っていないので、のび太はさんざん無駄足を踏まされる。
空き地にたむろしていたジャイアンたちは、のび太の苦情に、にやにやしながら「文句言うな、それがおまえのしごとだ」というだけで、ちっとも感謝も反省もしない。
疲れ果ててブツブツ言いながら畳にぐったり突っ伏しているのび太を見て、ドラえもんは
「つまりだれがどこにいるのか、いつでもわかればいいんだね。」
と言うと、ポケットからたくさんのバッジを取り出した。
星や月、スペード、ダイヤ、エース、ハートなど、いろいろな形のバッジ。
「ピカピカ光ってきれいだな。」
高価そうな美しいバッジをのび太に配られた子供たちは、全員喜んでそれを受け取った。
なんであんないいものやっちゃうんだろ。
のび太本人も納得していなかったが、ドラえもんは帰ってきたのび太に
「あれはトレーサーなんだ。」と言うと、ポケットからタブレット状の「モニター地図」を出した。
「トレーサーの発信した電波で地図にマークがあらわれるんだ。」
だれにどのバッジをやったか覚えていれば、どこにいてもすぐにわかる。
さっき空き地にたむろしていたジャイアンたち4人が、まだそこにいるのが地図モニター上の、バッジと同じマークでわかった。
と、突然入り乱れる、四つのマーク。
けんかがはじまったらしい。
地図上でジャイアンのスペードマークが、山田君の十字手裏剣マークを追いかけている。
ああ、つかまった、殴られているな。
スペードマークと接触している手裏剣マーク。
地図上の山田家に手裏剣マークが入り、どうにか家に逃げ込んだことがうかがえた。
のび太はニヤニヤしながら電話をかけに行った。
「やあ、山田くん、いたかっただろうね。」
どうしてわかった!?
コブだらけで電話に出た山田君(手裏剣マークバッジ装着中)はあっけにとられた。
星マークのバッジを身に着けたスネ夫は角のパン屋さんに止まっている。いつものアイスの買い食いのようだ。
店を去ろうとしたスネ夫を店員さんが呼び止めた。店にスネ夫宛ての電話がかかってきたのだ。
「スネ夫、アイスうまいか?」
一方、ジャイアンのスペードマークが猛スピードで走っていた。
「わかった、ジャイアンのママに見つかって追い回されているんだ!」(店の手伝いをさぼったから)
「ゆっくり楽しみな。」
モニターに見入るのび太にそう言ってドラえもんは部屋を出ていった。
ジャイアンは空き地に逃げ込んだらしい。スペードマークは空き地の片隅で止まっている。
そこへ、しずかちゃんのハートマークが空き地に入ってきた、かと思ったら……。
ジャアン!!
スペードとハートがぴったりとくっついた。
「くっついたきりはなれない!な、な、なにやってんだ、このふたり。」
ゆるせぬ!
モニターを手に、半狂乱で空き地に突撃したのび太。
ところが、空き地には土管に座ってスケッチをしているしずかちゃんしかいなかった。
「ずうっとわたしひとりよ?」
しかしモニター地図では。
やはりハートとスペードが密着したままだった。
「いやらしい!あんなバカジャイアンのくそジャイアンなんかと!!」
完全に取り乱し、泣きながらわめき散らすのび太。
「もういっぺん言ってみろ!!」
土管に隠れていたジャイアンが激怒して顔を出し、のび太は慌てて空き地から逃げ出した。
帰り道、安雄君のお母さんが息子を探しているのに出くわしたので、急ぎの用なら、と、地図モニターで居場所を教えてあげた。
「だれがどこにいるか、ぼくにはちゃあんとわかるの。」
「いま聞いたんだけど、あんた、だれがどこにいるかわかるんだって?」
のび太の家に来たジャイアンの母ちゃん。
「タケシがどこにいるのかおしえとくれ、かくすとひどいよっ!」
「空き地の土管の中。」
震えあがったのび太は、あっさりジャイアンの位置情報を母ちゃんに提供してしまった。
うわさがひろまり、親たちが次々とのび太の家にわが子の居場所を聞きにくる。
「めちゃめちゃにおこられた。のび太が教えたに違いない。」
こぶだらけのジャイアンと、首をかしげるスネ夫たち。
「のび太にはぼくたちのいる所がすぐわかるらしいよ。」
「うすっきみわるいなあ。」
「どうしてわかるんだろ。」
スネ夫は「ひょっとして……!」と、胸のバッジを見た。
「あれ!?」
部屋で地図モニターを眺めていたのび太が声を上げた。
「五人が公園の池に飛び込んだぞ」
五つのマークが池の中に。
まさか集団自殺!?
公園に駆け付けると、五つのバッジだけが袋に入って、池に釣り竿でぶらさげられていた。
のび太の背後から五人がぬうっと姿を現した。
へんなバッジをつけさせやがって。のび太につけちゃえ!!
げんこつとともにバッジまみれにさせられたのび太は、どうにか制裁から逃げ出した。
「……じつにふしぎだ」
ドラえもんが部屋に残された地図モニターを見つめていた。
「一時間前に五人が公園のトイレに入ったきりでてこない」
様子を見に行くと、困り果てたのび太(バッジ五個付き)がトイレの窓から小声で呼びかけてきた。
「ここだよ。みんなに見つからないように連れ出して。」
公衆トイレの向こうでは、怒りのおさまらない少年たちが、まだ執念深くのび太を捜索していた。
(完)
注目ポイント
『ドラえもん』には、ひみつ道具でプライバシーを侵害する話が結構ある。
「㊙スパイ大作戦」
「のぞき穴ボード」
ドラえもん(29) (てんとう虫コミックス) - 藤子・F・不二雄
どれもタイトルからしてダメな空気が漂っているが(こんなことができる道具を子守りロボットに販売する未来デパートのユルさが怖い)、日ごろずる賢く立ち回っている者や、横暴な者(つまり主にスネ夫とジャイアン)の裏の顔や、それを暴かれる側の恐怖を描いていて、作品としては切れ味鋭い。
その中で、この「トレーサーバッジ」が印象的なのは次の点だろう。
・現代の技術で完全に実現可能である・バッジの美しさで相手の気を惹いて身につけさせている・収集された位置情報が第三者の圧力で漏洩され、個人の自由と安全が失われる
現在、スマホなど多くの電子機器に搭載されているGPSは、トレーサーバッジと同じ機能を持っている。
家族を見守ったり、仕事で現場の最寄りにいるスタッフに連絡をとるには、便利な機能だ。
ところがのび太は「連絡係としてチームメイトの居場所を知りたい」という当初のオフィシャルな目的を、地図モニターをオンにすると同時に忘れてしまい、町内の子供たち全員の行動を不必要に追い続けて、みんなのプライバシーを侵害してしまう。
「おもしろいなあ」と、友達の行動を覗き見て喜ぶのび太に、「ゆっくり楽しみな」と、にこやかに言うドラえもんも、どうもズレている。
(連絡係ののび太の苦労を知っても、ジャイアンたちが非協力的で横柄だったことが、二人の感覚を麻痺させたのかもしれない。)
現代のデジタル社会では、位置情報のほかにも様々な個人情報を登録する動きがある。
バッジの機能を伏せていたのび太と違って、これらは、基本的に提供者本人の同意によって成り立つものであり、そこには様々な特典があり、何重にもセキュリティが設けられている。
だからきっと大丈夫だろう、と、思って、たくさんの人が便利さと引き換えに情報を入力している。
だが、どんなものでも完璧ではない。
技術の悪用や、コンピューターウィルスの危険性は、たびたびニュースになっている。
それに、もしも、ジャイアンの母ちゃんのような圧倒的強制力を持つ存在が登場し、「かくすとひどいよっ!」と、情報を取り上げたらどうなるのか。
(ジャイアンの場合は、店の手伝いをさぼった身で、さらに山田くんを殴ったのだから自業自得だが。)
世の中が不安定になれば、個人の自由やプライバシーがいかに軽視され、利用されるかは、歴史が何度も証明している。
高度なテクノロジーやインターネットは、私たちにとって、バッジの輝きよりもはるかに魅力的で、必要不可欠なものになっている。
だが、あまりにも無防備に「わあい、もうかった」と、なんでも取り入れてしまうのは危険なのではないか。
そんなことを考えさせられる。
のび太がきれいなバッジを配った時、「あんないいものなんでやっちゃうんだろう」と首をかしげたとおり、魅力的なものを、ただ相手のためだけに配布するということはまず無いし、ウィルスでも、ジャイアンの母ちゃん的な圧力でも、鉄壁と信じられていた防御を、突破したり、有無を言わさず破壊する存在が現れないという保証も、残念ながらどこにも無い。
そして、ただ、きれいなだけだったバッジと違って、スマホなどの電子機器は、あまりにも私たちの生活と深く結びついていて、もう、「へんなものつけやさせがって!」と、肌身から離すことが、できないのだ。
物語はオチまで含めて笑えるけれど、「既に実現可能な技術」と思うと、ジャイアンの母ちゃんの尋問になすすべなく情報を漏らすのび太や、「うすっきみわるいなあ」と顔を曇らせる子供たちの姿に、ふっと寒いものもよぎる、技術の進歩が読後感を変えた作品だ。
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