1,ライブ・エイドの思い出
(映画『ボヘミアン・ラプソディ』の中のフレディと父ボミさん、二人の様子を見つめるジャーさん)
(Image Credit:Youtube)
映画の中で、フレディと父親のボミさんは、ライブ・エイド直前まで対立があったように描かれている。
しかし、母親のジャーさんによれば、両親はライブ・エイド前のほとんどのフレディのコンサートを観に行っていた。
ライブ・エイドのとき、会場に行かずにテレビで観ていた(映画でも描かれているシーン)理由は、あまりにも大きなイベントで、行けば大変なことになると思ったからだと、母親のジャーさんは語っている。
(ライブ・エイドに登場したクイーン〈一部〉。圧巻のパフォーマンスで、それまで低迷していたクイーン復活のきっかけとなった。)
「(ライブ・エイドをテレビを観ていた時)私はとても誇らしかったです。夫は私に振り返って、「私たちの息子が、ついにやったな」と言いました。」(註1)
クイーンのギタリスト、ブライアン・メイは、信仰心の篤いボミさんは、ロックスターであるフレディの生きざまの全てを理解していたとは言えないが、それでも彼をサポートしていたし、ジャーさんのほうは、彼らが駆け出しのころからコンサートに来ていて、声援を送ってくれていた、と語っている。(註2)
2,フレディとジャーさんの関係
ジャーさんはフレディに似た、瞳に強い輝きのある、心温かな母親で、夫と子供たち(フレディと妹のカシミラさん)に献身的に愛情を注ぐ、独立心とユーモアある人だった。そして、フレディとジャーさんはとても仲の良い親子だった。
ブライアン・メイは、ジャーさんの思い出をそう振り返っている。(註3)
ジャーさんは2006年9月、83歳のときに、インタビューで家族の歴史と思い出について語った。(註4)
ジャーさんとボミさんは、インド出身のパールシー(ゾロアスター教徒のペルシア系インド人)で、1946年、フレディが生まれた時には、ザンジバル(アフリカ大陸東岸、インド洋上の島)に住んでいた。
海の見晴らせる家で、暮らしは快適だったという。
1964年、一家はザンジバルで起きた革命の動乱を逃れ、ほとんど身一つでヒースロー空港にほど近いロンドン西部のフェルトナムへ移住した。
17歳のフレディは最初イギリスに来られることを喜んでいたが、生活は苦しくなり、ジャーさんはイギリスのスーパーマーケットチェーン「M&S(マークスアンドスペンサー)」のスタッフとして働いた。
ジャーさんはフレディたちの最初のパフォーマンスを観に行ったとき、ブライアン・メイの母親と、息子たちが成功するかどうか心配していたそうだ。
でも、ジャーさんは、その夜の彼らを観て、「大丈夫」と、確信した。
実際その通りになった。だが、ジャーさんは、フレディの成功後もスーパーでの仕事を続けていたという。
ジャーさんは、ステージ上での破天荒なフレディを、パフォーマーが観客を楽しませるためのものととらえ、彼がロンドンで開くパーティーや、漏れ聞こえる快楽主義については、「親として心配していたけれど、子供には自分の人生を生きさせてやらなければ」と思っていたという。
(このインタビューに同席していたロジャー氏〈フレディの妹カシミラさんの夫〉は、「フレディは「仕事」、「社会的交際」、「(ジャーさんたち)家族」と、人生をきっちり分けて考える人で、それを混同させることはなかった」と付け加えている。)
イギリスにいるときのフレディは、週に一度は実家に帰り、好物のパールシー料理の「ダンサク(豆や野菜ベースのカレー)」)を食べ、ごく当たり前の家族の会話をしていた。
そんなときの彼は、ただの現実的なフレディで、ロックスターとして振る舞う彼とは違っていたという。
フレディは自分のセクシュアリティについて、両親に話したことはなかった。
フレディは自分たちを心配させたくなかったのだろう。あの頃の社会は今とは違った。今ならもっとオープンにできたかもしれない。ジャーさんはそう語っている。
このインタビューの間、ジャーさんはティッシュを握りしめ、時折涙をぬぐっていた。
1991年、フレディがHIVの合併症で亡くなる数日前、両親とカシミラさん夫婦とその子供たちが、療養中のフレディに会いに行った。(註5)
この時、フレディは超人的な気力を振り絞って、ジャーさんたちを楽しませ、心配させまいとしていた。
「ママ、大丈夫?マスコミに困らされてない?」
「うちは大丈夫よ」
フレディは、死の間際まで、家族を思いやっていたという。
フレディはそんなふうにいつも優しかった。だからジャーさんも彼を安心させようとした。
だが、彼が深刻な状態なのはわかっていた。
家族がもう一度フレディに会いに行こうとしたとき、フレディはそれを断った。
これ以上弱った自分を見せることを避けたがっていた。最期まで病名も家族に告げなかった。
ジャーさんは、フレディが当時の世間から、ジャーさんたちを守ろうとして、何も言わないことに気づいていた。ジャーさんは、その思いを尊重した。
仲の良い家族でも話し合えないことがいくつもある時代だった。相手のことを一生懸命考えたからこそ、その時の自分に考えられる最善の道として、沈黙を選ばざるを得ないような。
その沈黙の中で、フレディはジャーさんを、ジャーさんはフレディを愛していた。
3,ジャーさんのフレディへの思いと願い
既に音楽に憧れのあったフレディは、歌詞を書き、それを枕の下にこっそりしまっていて、学校に行くときは、ジャーさんに部屋を掃除されることを心配して「枕の下のものは捨てないで」と、念押ししてから出かけていたそうだ。
Freddie Mercury's Mum Jer and Sister Kash The One Show 160911 - YouTube
ジャーさんは、番組の中で、若い頃のフレディの写真や、フレディのシャツや帽子、服飾デザインを学んでいた頃の彼が描いたデザイン画や作品のコートなどを見せ、いつかこれらを博物館で展示してほしいと語った。
人々に、できる限り長い間フレディのことを記憶してもらうために。
(フレディが写真の中で着ているシャツを見せるジャーさん)
(Image Credit:Youtube)
(このシャツが大のお気に入りで、ジャーさんにいい加減捨てなさいと言われても着続けていたという。)
(フレディのデザイン画とデザインしたコート)
(Image Credit:Youtube)
(コートは学校の服飾デザインの課題で作ったもので、提出した後の作品はカシミラさんにあげていた。)
ジャーさんとボミさんはフレディの成功後も、ヒースロー空港近くの、ごく普通の家に住み続けた。
友人達にまで気前よく家や車を贈っていたフレディは、両親にも家をプレゼントしたがっていたのだが、長年慣れ親しんだ場所から離れたくなかったようだ。(註6)
(映画にも登場した、ヒースロー空港近くのフレディの実家)
(Image Credit:Youtube)
その家には、2016年9月、偉大な功績を残した人物ゆかりの場所であることを示す青い銘板、「ブルー・プラーク」が贈られた。
2003年、夫ボミさんの死後、ジャーさんはこの家から、カシミラさんの住むノッティンガムへと移り住んだ。(註7)
やはりこじんまりした、家庭的で手入れの行き届いたその家は「フレデミラ(「フレディ」と「カシミラ」を合わせた名前)」と呼ばれ、ジャーさんは、この家にフレディの写真や受賞記念品、少年時代にフレディが描いた絵など、彼にまつわる思い出を飾っていた。
ジャーさんは、フレディの人生についてこう語っている。
フレディがこの世を去った日は、本当に悲しかったです。
でも、私たちの信仰では、人は誰も、この世から旅立つべきその日を、自分で変えることはできないと言われています。
神様はフレディをとても愛し、共に在ることを望まれたのだと、私は自分の心に刻み込んでいます。
息子の死に直面したい母親はいません。ですが、フレディは短い生涯の間に、他の人が100年かかってできる以上のことを、この世界のためにやり遂げたのです。(註8)
2016年11月13日、94歳のジャーさんは、就寝中に静かに世を去った。(註9)
ジャーさんが「フレディのことをできる限り記憶にとどめておいてほしい」と語っていた2011年の「One Show」のYoutube動画には、こんな感想が書き込まれている。
「もしフレディのお母さん(Mother Mercury)がここを観ることがあったらお伝えしたい。『どうぞ心配しないでください。私たちはフレディを永遠に忘れません』」
そして、この数年前のコメントに、映画『ボヘミアン・ラプソディ』公開後、たくさんの賛同コメントが寄せられている。
【当ブログ関連記事】
(註)
1,Freddie Mercury’s parents: ‘We thought he’d go on for ever’Freddie-Mercury-my-son-page-1.pdf (timteeman.com)bTim Teeman, 2006/9/2 The Times
2,Jer Bulsara, Freddie Mercury's Mother, Dies at 94 | Billboard by Ashley Iasimone,2016/ 11/ 20
3,Jer Bulsara, Freddie Mercury's Mother, Dies at 94 | Billboard
4,Freddie-Mercury-my-son-page-1.pdf (timteeman.com)2006/9/2 The Times
6,『フレディー・マーキュリー/華やかな孤独』「第6章 使え!使え!使え!」p.133 リック・スカイ
9,Jer Bulsara, Freddie Mercury's Mother, Dies at 94 | Billboard
【参照ブログ】
https://jcsfan.exblog.jp/4225679/
「★Jesus Christ Superstar★ファンの日記 jcsfan.exblog.jp 「Freddie Mercury (September 5, 1946 – November 24, 1991)」」
上掲、The Timesの記事「Freddie Mercury’s parents: ‘We thought he’d go on for ever’」の全訳をしてくださっているページ
- 伝説的自然番組プロデューサー、デイヴィッド・アッテンボローさん、2022年にノー..
- ハリソン・フォードがスコッチウィスキーのCMシリーズに登場
- BBC、オアシスの再結成を記念して、ものすごく失礼なドキュメンタリー映画(?)を..
- 第一次世界大戦のクリスマス休戦を描いたイギリスの感動的なCM動画
- 思い切ってビルボードライブでのマキシムのピアノライブコンサートに行ったときの頭の..
- クロアチア出身のピアニスト マキシム・ムルヴィツァ(MAKSIM)圧巻のbill..
- 映画「フィールドオブドリームス」の作家テレンス・マンのことば(追悼 名優 ジェー..
- NHK「アナザーストーリーズ」がサイモン&ガーファンクルのセントラルパークコンサ..
- イギリス伝説のロックバンド「オアシス」再結成、2025年7月から英国ツアー開始(..
- 野生動物カメラマンにぴったりと寄り添うチーター画像(2ch動物スレまとめ動画より..

