2021年06月01日

フレディ・マーキュリーの素顔(クイーン)

(映画「ボヘミアン・ラプソディ」予告編)

(Youtube 映画『ボヘミアン・ラプソディ』吹替版)




 2018年、映画『ボヘミアン・ラプソディ』の世界的大ヒットで、再び脚光を浴びたイギリスのロックバンド「クイーン(Queen)」。

 45歳の若さで世を去った伝説的ボーカリスト、フレディ・マーキュリー(1946〜1991)は、型破りな言動の裏に、非常に人見知りで、優しい、複雑な繊細さを秘めた人物だった。

 今回は、そんなフレディ・マーキュリーの素顔がうかがえるエピソードのいくつかをご紹介させていただく(全2回、「フレディ・マーキュリーの母親、ジャーさんが語る思い出」の記事はこちら)。

1,人見知りと猫と鯉

 1985年、世界最大級のチャリティー・コンサート「ライヴ・エイド」では、その歌唱力とカリスマ性で、7万2千人の聴衆を一瞬で魅了したフレディ。

(「ライブエイド」で「Eh Oh!」と観客に歌いかけ、歌声の応酬で会場を盛り上げるフレディ)
Queen - Hammer To Fall (Live Aid 1985)

 そのフレディが「異常なほど人見知りする」ことがあった。

 フレディがミュンヘンで暮らしていた頃のプロデューサー、ラインホールド・マックの子供の誕生日パーティーでのことだ。

 子供たちを驚かせるために、ラインホールドの家に行き、寝室で派手な赤い目のデザインの衣装に着替えたフレディ。

 しかし、ラインホールドが様子を見に行ったら、フレディは部屋の中央で繰り返し

 「オレにはできる」

 と、言いながら、自分にハッパをかけていたという。

 (もちろんフレディの登場に子供たちは大喜び、パーティーは大成功だった。)(註1)


 また、フレディの友人だったバーバラ・ヴァレンタインは、フレディの「ジキルとハイド」のような性格を目の当たりにしていた。

 激怒すると彼は高価な家具を投げ飛ばし、どんなマイクを通すよりも大声で叫んだ。ところが一時間もするとさっぱり忘れて、あの細くデリケートな指で薔薇を植えてみたり、ベコニアに向かってそっと話しかけたりする

 (出典:『フレディー・マーキュリー/華やかな孤独』「第8章 サムバディ・トゥ・ラヴ」p.162)

 そんな彼に振り回されながらも、バーバラには、フレディが孤独の嫌いな、「紳士的で優しい男」に見えた。 

「彼がミュンヘンに滞在中、ロンドンに残してきた猫の一匹が手術に失敗して死んでしまったの。彼は正気を失いそうになって、泣き出して、翌朝の飛行機に乗って帰っていったわ。猫のお葬式のために。それから去年の夏には大変に美しい金の鯉が病気になって、ボーイフレンドのジムが必死になって治療したらしいんだけれど良くならなくて、あまりにも苦しむのがかわいそうで、仕方なく安楽死させたの。フレディーが私とおしゃべりをしているとジムが入ってきて、その悲しいニュースを伝えたの、するとフレディーはボロボロ泣き始めたわ。たった一匹の鯉のために」

 (出典:同上 p.163)

 フレディの日本文化愛は熱烈で、高級住宅地サウスケンジントンの豪邸に、日本庭園を造っていた。

 (映画『ボヘミアン・ラプソディ』をご覧になった方は、フレディが着物をルームウェアにしていたり、彼の邸宅に寺院のお札や浮世絵が飾ってあることに気づかれただろう。)

(映画『ボヘミアンラプソディ』予告編より(画像出典:Youtube)、キモノガウンのフレディの足元と猫たち。(猫たちのエサ皿に猫の名前が入っている。))

猫たちとキモノガウンのフレディの足元 (映画) - コピー - コピー.jpg

 「美しい金の鯉」とはその庭園の池にいた錦鯉のことだ。

 フレディの錦鯉のコレクションは世界的に有名で、多いときには89尾も育てていた。中には数千ポンド(現在の査定なら1万5千ポンド)する貴重な品種もいたらしい。(註2)

 (また、鯉は賢く、世話をしてくれる人になつくという、美しいという以上に、フレディはその鯉のことが大切だったのだろう。)


 1985年(ライブ・エイドの年)、フレディはミュンヘンを去り、ロンドンに戻った。

 その後は、華やかで刹那的な生活から遠ざかり、猫と鯉と花を愛する、静かな暮らしへと移り変わっていったという。

 (バーバラは、ミュンヘンからの帰国や生活の変化は、彼がHIV感染に気づいたためではないかと語っている。) (註3)


2,買い物熱と日本趣味

 フレディは、買い物好きとして有名だった。大金を投じ、一度に大量の高級品を買い込むのだ。

 「フレディーにとってはツアーとは、ファンを音楽で楽しませるだけでなく、世界中の貴重品を買うチャンスでもあった。フレディーがその土地で買い込んだ骨董品や美術品を、世界でも指折りの高級ホテルのポーターに運ばせている光景はなじみ深いものだった。」

 (出典:『フレディー・マーキュリー/華やかな孤独』「第6章 使え!使え!使え!」 p.130)

 ある時は急に日本を訪れ、「25万ポンド相当の骨董品や美術品」を買い込んだこともあったという。

「この情熱のおかげで、彼のアート・コレクションはイギリスでも屈指だった。日本の木彫り、印象派の絵画、ヴィクトリア王朝時代の巨匠の作品、ロシア生れの空想画家マーク・シャガール、どれをとっても何百万ポンドの価値のあるものばかりだった。」

同上 p.130)

 彼は体調を崩しがちになってから、パーティーなどの趣味からは距離をとるようになっていったそうが、買い物熱のほうは続いていた。

「落ち込んでいるときに買い物に行って、うかれ騒いで金を使うと見事に我を忘れるんだ。例えば女性が 自分を元気づけるのに帽子を買うのと似てると思う。でも時々大騒ぎのあとふっと我に返って思ってしまう。“まったく、一体全体今日は何を買っちまったんだろう?”って」

同上 p.130)

 また、1986年のお忍び来日では、西武百貨店で800万円以上の買い物をした。蒲団やお茶碗など新しいものばかり。

 それまでは京都や東京の骨董通りで古い物ばかり買っていたが、自宅に日本間と日本庭園を造っている最中で、布団やお茶碗はそのための買い物だった。

 (この時の購入総額は3000万円超えと言われている。)(註4)

 フレディの広報担当者によれば、その買い物は発作のようなものだったが、そのすべてに気品があった。

 ケンジントンの豪邸は、この大量の美術品と骨董品に埋め尽くされたが、莫大な数とは裏腹に、品物の上品さとコーディネートのおかげで、家の中が雑然とすることはなかったという。


【余談】

  フレディーが(おそらく1980年代から)買い集めた「日本の木彫り」とは誰の作品だったのだろうか。

  現在、日本の明治工芸の木彫りは超絶技巧と称えられ、年々価値が上がっている。

  もちろん当時から高級品ではあっただろうが、今よりは知名度も評価も低かったはずだ。

  フレディーほどの財産と日本愛のある人物が買い集めた、気品ある日本の木彫りといえば、高村光雲、石川光明などの、日本の皇室コレクションにも名をつらねる達人たちが手がけた作品の可能性もある。

  確かめるすべは無いが、フレディーの愛した、名人の作であろう、彼の豪邸に美しく飾られた気品ある木彫りの話は、色々と想像をかきたてられる。


 高い美意識と猛烈なストレスの発散の入り混じったフレディーの浪費癖。

  彼は友人知人にも高価な物を(車や家すらも)惜しげもなくプレゼントしていたが、おそらく何よりも贈りたかったものはついに買うことができなかった。

 両親のための家だった。

 映画『ボヘミアン・ラプソディ』にもしばしば登場する、ヒースロー空港近くの、フレディーの実家。

フレディーの実家1(映画) - コピー - コピー.jpg

(画像出典:Youtube

フレディーの実家2(映画) - コピー - コピー.jpg

(画像出典:Youtube

 フレディの両親は、彼がどんなに頼んでも、この家から動きたくないと言って、引っ越そうとしなかったのだ。(註5)

 だが、フレディの両親は、息子が裕福になろうと、自分たちの生き方を貫く一方で、彼を見守りつづけた。





(註1)『フレディー・マーキュリー/華やかな孤独』「第5章 ドイツのアドベンチャー」p.82

(註2)

Bohemian Rhapsody - Freddie Mercury's Koi Story - Bradshaws Direct

(註3)『フレディー・マーキュリー/華やかな孤独』「第8章 サムバディ・トゥ・ラヴ」p.163

(註4)『ボヘミアンラプソディー』パンフレット 「クイーンと過ごした日々」来日時のボディガード、伊丹久夫氏のインタビュー

(註5)『フレディー・マーキュリー/華やかな孤独』「第6章 使え!使え!使え!」p.133



【参照資料】

・映画『ボヘミアンラプソディー』パンフレット「クイーンと過ごした日々」来日時の懐かしい思い出 伊丹久夫(東京パトロール)×小林禮子(翻訳者) 取材、文担当 赤尾美香氏



(補足)
・フレディ・マーキュリーが愛用した着物が見られるWEB記事
「婦人画報」2020/02/20

posted by pawlu at 18:51| おすすめ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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