(『へうげもの』の弥助と千利休)
ハリウッドでの映画化も計画されている、織田信長に仕えたアフリカ系侍「弥助」。
戦国時代、武と数奇(すき)の頂点を競った人々を描いた漫画『へうげもの』には、この弥助が、当時、日本最高の美意識の持ち主だった茶人、千利休と、茶室「待庵(たいあん)」で対峙する場面がある。
この緊迫の瞬間には、弥助の孤高の存在感と、利休が追い求めた数奇の理想が凝縮されている。
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1.『へうげもの』の利休と「黒茶碗」
千利休(宗易)は天下人である信長や秀吉に茶をたてる立場にあり、武将たちから畏敬の念で見られていた。
優れた茶碗は何城にも値したこの時代、武将たちは利休の生み出すものに魅了され、数寄者として自分の美意識に磨きをかけるため、利休に教えを請うた。
(主人公の古田織部は利休の弟子のひとりで、利休の偉大さに何度も打ちのめされながらも、独自の数奇を極めようと奔走する。)
武将たちも畏れる数奇の巨人、利休。彼が至高の美としたのが「黒」だった。
(戦国屈指の猛者、福島正則を圧倒する利休)
(このコマは利休の存在感の大きさを示しているが、甲冑から推測される利休の身長は180pを越えていたらしい。弥助の身長は182pほどと伝えられていて、二人とも当時の日本人の中では際立った体格の持ち主だった。(註1、註2))
利休が名工、長次郎とともに、黒茶碗を完成させた日。
姿を現した黒茶碗に瞠目した利休は、窯から出たばかりの茶碗の、皮膚を焼くような熱にも気づかず、それを震える両手で掴んでつぶやく。
なんと……なんという黒
一切の無駄がなく、黒であることすら主張せず……
ただ……ただここに在る
(1巻 第八席)
利休は、
「器は今ここに極まりました」
「この黒茶碗は世のあらゆるものに優れております」
と、自分の理想の黒の誕生を喜ぶ。
信長に仕え、茶の湯では利休の弟子だった秀吉は、一対一で茶を立てながら、黒にこだわる利休に理由を尋ねる。
利休は「それが私の業にございます」と答えた。
万事何事も続けていれば、無駄を見つけてうるさく感じるものです。
その無駄を省いて省いて省き込みますと……最後はこの色のごときものになるのです。
この黒こそが私の理想とする色であり、理想の生き方なのでございます。
(1巻 第八席)
今、「名物(名品)」とされているものは全て他国から来たもの、その価値を破壊してでも、黒こそが至高だと証明したい、それがやむにやまれぬ業。
秀吉は目を見張った。
新しい価値観を天下に押し付けるつもりか。
「信長様のもとではそれは叶いませぬ」
利休にはわかっていた。
絢爛豪華なものを愛し、自分の権力の象徴として、膨大な数の名物を所有する信長が天下人のままでは、黒の至高を世に広めることはできない。
(栄華を誇る織田信長)
「信長以外の人間」に、天下を獲らせるしかない。
2.『へうげもの』の弥助、信長との関係
(弥助)
補足:『へうげもの』の弥助の容姿は、ジャズ界の帝王、マイルス・デイビスがモデルだという指摘がある。(註3)利休が理想の黒茶碗を生み出す重要回、第八席(1巻収録)のタイトルは「カインドオブブラック」、デイビズのアルバム「カインドオブブルー」のもじりなので、この指摘と重なっている。
信長は天下統一の後は、外国まで支配することを目指していた。
織田家に力を集中させ、戦で勝利しても、家臣たちに豊かな領地を褒美として与えない信長に対し、ひそかに不満が高まり始めていた。
そんな中、公家たちとの会見のために京都へ向かう信長。
道行く人々が、巨象に乗った信長に目を剥く。
弥助は、ゾウの地響きのような足音も人々の視線も意に介さず、ただ鋭いまなざしで、長髪をひるがえし、小姓の森乱らとともに、信長の側を歩いていた。
小姓衆三十人しか護衛がいないことを案じる森乱に、信長は、武力に頼らなくとも、運んできた名物だけで公家を圧倒することができる、のう、弥助、と声をかけた。
弥助は前を向いたまま口を開いた。
……昔……、カルタゴという国、象に乗った大将軍いた
おまえ、似てる。
(2巻、第十八席)
「ほう……その将軍はどうなった?」
「戦に敗れ、死んだ」
弥助は、ローマ軍と戦ったハンニバルの悲劇を淡々と告げた。
信長は一瞬険しい目をしたが、南蛮帽の大きなつばの陰でクックッと笑った。
「俺はそうはならん、なぜなら俺は将軍も、王をも超える存在になるからだ」
象にまたがり、太陽を背負って輝く信長の高笑い。
弥助は同じまなざしのまま、何も言わなかった。
3.本能寺の変
本能寺で公家たちに名品の数々を披露した信長。
公家たちは「天下の物豪」信長の力に圧倒される。
だが、これが信長最後の華だった。
戦で疲弊した武将たちを顧みない信長に対し、重臣の明智光秀が反旗を翻し、本能寺を急襲した。
(『へうげもの』の光秀は、風流を愛し、平和のためなら命を惜しまない人格者として描かれている。)
しかし、明智軍が信長を見つける前に、謎の大爆発が起こった。
爆風とともに天に舞い上がる、砕け散った名物たち。
自邸にいた利休は、家々の向こうに吹き上がった煙を、静かに見つめていた。
「華は咲き乱れるのではなく、一輪あらばよろしいのです」
その手にあったのは、「世のあらゆるものに優れた」、あの黒茶碗。
明智の襲撃がはじまった直後、弥助は火をかけて逃げ去ろうとする、武士のいでたちではない男二人を見つけた。
刀を抜こうとした一人の首を折り、その男の持っていた包みを手にする弥助。
逃げ去ったもう一人の男は、傘をかぶっていたが、夜目でも弥助にはその顔が見えた。
包みの中には、本能寺に集結した信長の名物がいくつか入っていた。
翌朝、信長と名物の行方を確かめにきた古田左介(のちの古田織部)と信長の弟長益を、明智軍から救った弥助は、
この国のこと俺には係わりない
だが信(ノブ)には世話になった。
その借りを返す
(3巻23席)
そう言って、昨晩の曲者から取り戻した名物の一部を、信長の形見として二人に渡すと、残りを織田家の人間に届け、逃げた曲者を探すために本能寺を去った。
4.数奇の要塞「待庵」 わびの時代の到来
明智の謀反は秀吉によって鎮圧された。
利休は、信長の葬儀に尽力した左介を茶室「待庵」でもてなす。
待庵に入った左介は、そのあまりの小ささ、簡素さ、暗さにとまどう。
しかし、暗さは所作のみを鮮やかにみせるため、狭さは緊張感のみを増すために計算しつくされたものだと見抜いた左介は戦慄する。
ここは、目を凝らさねばわからぬ恐るべき数奇の要塞なのだ。
黒茶碗に入った茶は、手に取ると、驚くほど軽かった。
まるで水だけを持っているような。
安土の夢は、狂い咲きのように華やかだった信長の葬儀とともに終わった。
やがて来る秀吉の時代は、利休の「侘び」の時代になるだろう。
そう予感している左介は、「ようやく黒茶碗の魅力がわかって参りました」、と、利休に話す。
椀の見栄を消し去り、茶のみを浮き立たせる良さが……
利休は言った。
私はこの国の在り方をすべて待庵に込めたのです。
あらゆる民の指標となるようにと。
(4巻 三十四席)
左介は、利休の美意識が新しい時代の頂点を極めるだろうと思いつつ、それが「あらゆる民」まで行きわたるかどうかは疑問に思う。
しかし、利休は、しがない魚問屋だった自分ですらわかるのだから、いずれ誰にも伝わるでしょう、と、答える。
左介へのもてなしの終わりに、利休は両手をついて礼を言った。
「今日は私のわがままで弥助様をお連れ頂きありがとうございました」
本能寺の変が治まったのち、弥助は南蛮寺(教会堂)に預けられていた。
命の恩人を案内するのは何でもないことだが、なぜ弥助殿を客に?
「あの方をもてなすことで、亡き信長様を偲びとう存じまする」
5.利休と弥助 眼光と恍惚
左介が去った後に入ってきた弥助。
待庵の茶室はわずか二畳余り。
共に大男の利休と弥助の距離は、畳の縁を隔ててわずか。
粗末な土壁に小さな窓、薄暗がりだった待庵から、無駄なものが全てそぎ落とされて消えていく。
漆黒の中、見えるのは、茶釜からかすかに立ち上る湯気、その先に鋭く光る二つの大きな眼、茶を立てる自分の手。
利休は悦びにうち震えた。
待庵の漆黒に溶け込んだ弥助が、利休に言った。
ノブを殺した男の正体。
そして
「おまえも……手を貸したのか?」
命も、国も揺るがすような問い。
だが、うつむいた利休は、ただ内側から湧き上がる幸福を噛みしめるように微笑んでいた。
闇に大きく開いた眼は、その微笑みの意味を見届けた。
「いずれにしろ……俺はノブへの義は果たした。もはやこの国に係わりはない」
柄杓が茶釜に当たって小さな音を立てた。
「失礼……あまりの嬉しさに手元がぶれてしまいました。」
もしも、異国へお戻りになることがあらば、今日のことをお伝えください。
利休は弥助に黒茶碗を差し出した。
なんの野心も……
なんの衒いもなく……
ただ在られるあなた様を待庵に招き……
私の生涯を賭した美が完成したということを
(『へうげもの』4 第三十四席)
射貫くような眼光を、利休は陶然と浴びた。
「黒く侘びた世が今ここから誕生するということを。」
黒茶碗の波紋の中心に、利休の至高の黒に染めあげられたこの星が宿っていた。
6.孤高の弥助 利休の理想
弥助は信長に対し「世話になった借りを返す」と言って、本能寺でも謀反鎮圧の動乱でも、命を賭けている。
だが、一方で信長を「ノブ」と呼び、権力をほしいままにする信長にハンニバルの話をして「おまえ、似てる」と言い、問われるままにハンニバルの敗北と死まで語っている。
弥助は自分を取り立てた信長に「借り」を感じているが、他の人間たちのように信長をあがめても恐れてもいない。
信長個人への借りは命がけで返し、犯人を見届けても、「もはやこの国に係わりはない」と言い、本能寺で手にした名物の数々を、左介や織田家の人間に託し、その後の権力争いにも関わらずに去っていく。
「なんの野心も、なんの衒いもなく、ただ在られるあなた」
利休が弥助を言い表した言葉は、
「なんと……なんという黒、一切の無駄がなく、黒であることすら主張せず……ただ……ただここに在る」
という、利休が長次郎の黒茶碗を手にした時の言葉に重なる。
無駄を省いて省いて省き込んだ果てに、ただ在る至高の黒。
利休にとって弥助は、黒茶碗の、自分の理想の化身だった。
日が落ちて薄暗がりから完全な黒に包まれた待庵に溶け込む弥助。
際立つ弥助の鋭く大きな眼、淡々とした声は、まるで至高の世界そのものからの問いかけのようだった。
それが自分の罪を問うものだということは、利休にはどうでもよかった。
理想の化身である弥助が、待庵にただ在る。
その弥助に、黒茶碗で茶を差し出す。
それが利休の美の完成だった。
だが、弥助の存在に震えるほどの悦びを感じながら、弥助の問いを思考の外に置く利休の矛盾が、この後、彼自身と周囲の人間を翻弄していく。
そして、暗闇に開いた弥助の眼は、利休自身ですら気づかなかった、やがて思い知らされることになる罪を見抜いて映し出す鏡のように、透徹して光っていた。
天下人の信長にも、数奇の巨人である利休にもひるまず、巨万の富である名物も、日本の権力闘争も自分には関わりないものとして切り捨て、「ただ在る」ことを貫いた弥助。
そういう新たな弥助像を生み出し、彼の存在感と、極限まで無駄をそぎ落とした黒茶碗の「わびの美」を重ね合わせた、作者、山田芳裕さんの洞察と発想は本当に見事だ。
(個人的には、今後どのような「弥助」が描かれたとしても、この黒茶碗の化身のような弥助像が究極だと感じている。)
「弥助」に惹かれるすべての方に読んでいただきたい、圧巻の名作だ。
(『へうげもの』の弥助と利休の対峙までのいきさつは、1〜4巻に収録されている。)
(註1)千利休 - Wikipedia
(註2)弥助 - Wikipedia
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