2020年08月20日

木炭パーマと口紅(「あちこちのすずさん」と漫画『この世界の片隅に』)

 NHKが、戦時中の人々の暮らしを、視聴者の方々から募集し、番組やHPで紹介する「あちこちのすずさん」というキャンペーンを実施している。


 「すずさん」は、こうの史代さんの漫画『この世界の片隅に』の主人公の名前だ。

この世界の片隅に : 上 (アクションコミックス) - こうの史代
この世界の片隅に : 上 (アクションコミックス) - こうの史代


 漫画の中のすずさんのように、戦争中も、人々は働き、食事をし、縫物をし、日々の暮らしを紡いでいた。

 そうした人々の体験談の中に「木炭パーマ」の話があった。

(「あちこちのすずさん」のアニメは、映画版「この世界の片隅に」の片淵須直監督が手掛けている)





 戦時中、パーマは「贅沢」「電力の無駄遣い」と言われ、厳しい目で見られていた。

 しかし、それでも、女性たちはパーマをあきらめなかった。


 埼玉県の美容師、大塚良江さんは、少女のころ、母親の美容院に集まるお客さんたちを見たことがきっかけで、自分も美容師になった。

 そして84歳(2019年8月当時)になっても現役で、女性が美しく、元気になれるこの仕事に誇りを持っている。


 戦時中、空襲警報がやむと、山の中に避難していた女性たちは、町に戻ってきてすぐに、吉江さんの母親の美容院に列を作っていた。

美容院に並ぶお客さんたち - コピー.png


 パーマといっても、電気を使う機械は使えないので、当時できたのは「木炭パーマ」。


 炭火にトタン板を乗せ、その上に金属のクリップを置いて温めたものを巻いて、パーマをかけるというもので、木炭は、お客さんが自分の家から持ってくるきまりになっていた。

木炭で温められたクリップ - コピー.png

木炭とパーマの道具 - コピー.png


(ちなみに、当時、前髪を長く伸ばしてカーラーを縦に巻くスタイルが流行り、女性たちはこの髪型のことを「土管」と呼んでいた。サザエさんはこのヘアスタイルをしていたようだ。)

「土管」ヘアスタイル - コピー.png


 木炭も自由に買うことはできず、配給されたものを家事に使うことになっていたが、女性たちは、家事にはススキなどを代用してでも、木炭でパーマをあてていた。


すすきで煮炊きをする女性 - コピー.png




 パーマをかける1時間半の間、お客さんは 色々な話をしていた。

 「空襲で明日死んでもいいように、きれいな髪形でいたい。」

 「息子が戦死して、気持ちを張らなければ、家事もできないわ。」

 お客さんたちの髪を整えながら話を聞く良江さんのお母さんは、ときに涙を浮かべながら、うなずいていた。


パーマをあてるお客さんと話を聞くお母さん - コピー.png


 女性たちの中には、ほほを白く塗っている人もいた。

小麦粉のおしろい - コピー.png

 水で溶いた小麦粉を、おしろい代わりにしていたのだ。

 もちろんおしろいのようにきれいには塗れず、むらができてしまうが、それでも、お化粧をしたいと思う女性たちの、おしゃれへの執念が、少女だった良江さんの心にも強く残った。


 「女性は、美しくなると本当に喜びを満面にする。私もそれを見たときに、『絶対に学校を卒業したら美容師になろう』と思った」

 良江さんはこの話を家族に大切に語りつぎ、今では良江さんの妹、子供、甥の六人が、美容の仕事をしている。

 「美しさを求める心は、生きる力を生む」

 この信念は、ご家族にも、受け継がれている。




 この「木炭パーマ」のエピソードを番組で観たとき、漫画版『この世界の片隅に』のある場面が思い出された。

 (※2016年の映画版では省略されているが、2019年の映画『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』では追加されている)



 主人公のすずさんは、お花見に出かけたとき、娼館で働く友達のリンさんに出会い、桜の木の上で、語り合う。


桜の木の上のすずさんとリンさん -.png

 すずさんは、以前、リンさんに会うために娼館を訪ねたときに言葉を交わした「赤毛のねえさん」の風邪は治ったか、と、尋ねる。


 「ああ、テルちゃんね」

 桜の枝に腰かけたリンさんは、うつむいた。

 「テルちゃんは死んだよ、あの後肺炎を起こしてね。」



 すずさんとテルさんが窓の柵越しに言葉を交わしたのは、雪の積もった日。

 その雪もとけないうちのことだった。

 お客だった水兵さんを気の毒に思って、一緒に川に身を投げ、二人とも死に損なって、自分は風邪をひいてしまった。

 そう、笑って話していた人だった。

 南のお国ことばで話し、すずさんが雪に描いた南国の絵を見て、「よかねー」と、熱に赤いほほで、にこにこあどけなく笑っていた人だった。

すずさんとテルさん - コピー.png




 言葉もないすずさんに、リンさんはふところから口紅が入った蓋つきの器を取り出した。

 「会えて良かった。すずさんこれ使うたって。」

 そう言いながら、紅器の蓋を開き、指先を染め。

 「テルちゃんの口紅。ほいできれいにし。」

 紅をのせた細い薬指が、すずさんの唇を優しくなぞった。

 「みな言うとる、空襲に遭うたら、キレイな死体から早う片付けて貰えるそうな」

すずさんに口紅を塗ってあげるリンさん - コピー.png


 すずさんの脳裏に、ついこの間見かけた、がれきの下じきになったままの誰かの死体がよぎった。

空襲後の遺体 - コピー.png


 「ありがとう」

 すずさんは、小さくつぶやいた。





 らんまんの桜の中で、美しい人が友達に紅を塗ってあげる姿と、空襲に遭った死体の記憶が重なり合う場面。


 遠からず死体になっても早く片付けてもらえるように、今は死者となった人の紅を塗って、きれいにすることを勧める。


 平和なら友達には言わない不吉な言葉だが、リンさんのすずさんへの気持ちは、絵が物語っている。

 長いまつげのやわらかい目の運びと、手と指先のこまやかな動きが、「空襲による死の話」の本来持っているはずの重苦しさをぬぐいさり。

 リンさんは、ただ、自分にも、すずさんにも、現実に起こりうることを話している。


 客に同情して起こした心中未遂で、命を落としてしまったテルさんのように、戦争による死は、空からでも、他人の絶望からでも、どこからでも、人々に降りかかってくる。


 精一杯明るく日常を紡いでも、無事に今日を終わらせ、明日を迎えられるかはわからない。

 大切な家族が、自分にはどうにもできないはるか遠くで死んでいく人もいる。


 自分と大切な人が、寿命の尽きるまで安全に生きられるという、平和な時代なら、たぶん叶った願いが、もう、誰にも約束されていない。


 そんな時代、女性たちは、他人に褒められるためよりも、自分が生きる力を得るために、美を求めた。

 そして、自分の死のためにも、美しくあろうとした。

 美しい自分として死に、まだその亡骸が美しいうちに埋葬されたいという願いも、戦時下では「生きる力」の一部だった。


 美を求める心が、「今日も明日も生きられると信じる心」に代わって、彼女たちの生きていくための芯となり、うなだれかけた顔を上げさせた。

 女性たちは、そうやって、せめて、命以外の「自分」は、大切にし、守りぬこうとした。


 戦争に命を奪われたとしても、美しさと、それを求める気持ちは、奪わせない。

 だから、パーマや、化粧は、誰かに非難されても、やめない。

 紅や小麦粉の汁を塗り、家事のために配られた木炭を、そっと脇にとっておき。

 そうやって、彼女たちは、日々、「戦争」と戦っていたのだ。



 女性たちのまるく巻かれた髪、地肌を透かす小麦粉の白、紅を塗る指先に宿る、決して折れまいとする、心の芯。


 美容に関わる仕事をされているご家族に受け継がれた木炭パーマの思い出と、リンさんがすずさんに紅を塗る姿は、戦争中の女性たちが持っていた、いじらしさと、静かな強さを私たちに伝えている。


 だが、それは同時に、こんな人たちの上に、爆弾は繰り返し落ち、思うことを口にする自由もなく、少ない物をかき集め、ひそかに装うことでしか、自分と家族の命を脅かされる日々と戦えなかった、戦争の圧倒的暴力も伝えている。



 戦後75年、夏が来るたびに、戦争の記憶がさまざまな形でクローズアップされてきた。

 コロナ禍の今年は、戦争はないが、今までとは違う夏だ。

 私たちは一年前には当たり前だった日常を無くし、世界はもう元の姿には戻らないとも言われている。


 苦しい時代だが、今、戦争について知り、当時の人たちの思いを知る意味が、これまで以上にあると思う。

 日常の一部が欠けた今の私たちだからこそ、日常を奪う戦争について、今までよりも真剣に考えることができる。


 一年前を思うと悲しいが、七十五年前を思えば、残されていることは、まだ沢山ある。


 今も、国同士、人同士の利害がぶつかり、ささくれだって不安な時代だが、今以上に生きることが過酷だった時代に、美しくあることを生きる力にしようとした、心に芯を持つ人たちがいた。

 全員ではないかもしれないが、一つの町の美容院に、列を作るほどに、いたのだ。


 戦争の恐ろしさ、それでも失われなかった人々の「生きる力」、今の時代にまだ残されている、自由の価値。

 そういったことを、今この時代に、実感し、覚えていられれば。

 何もかも当たり前だと思って見過ごしていたこれまでよりも、私たちは、より多く、人の心や世界の美しさに気づくだろう。

 取り戻せないものもあるが、気づく力が、自分たちの内側には、芽生える。

 それもまた、これからの私たちの心の芯、「生きる力」になってくれるはずだ。




 補足:当ブログ内、漫画『この世界の片隅に』関連記事

(※ネタバレあり)この世界の片隅に 映画で語られなかった場面(1)ノートの切れ端とリンドウのお茶碗

(※ネタバレあり)「この世界の片隅に」映画で語られなかった場面(2) 雪に描かれた絵と、桜の花びらの舞い降りた紅


この世界の片隅に : 上 (アクションコミックス) - こうの史代
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この世界の片隅に : 中 (アクションコミックス) - こうの史代
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この世界の片隅に : 下 (アクションコミックス) - こうの史代
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posted by pawlu at 18:20| おすすめ漫画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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