NHKが、戦時中の人々の暮らしを、視聴者の方々から募集し、番組やHPで紹介する「あちこちのすずさん」というキャンペーンを実施している。
「すずさん」は、こうの史代さんの漫画『この世界の片隅に』の主人公の名前だ。
この世界の片隅に : 上 (アクションコミックス) - こうの史代
漫画の中のすずさんのように、戦争中も、人々は働き、食事をし、縫物をし、日々の暮らしを紡いでいた。
そうした人々の体験談の中に「木炭パーマ」の話があった。
(「あちこちのすずさん」のアニメは、映画版「この世界の片隅に」の片淵須直監督が手掛けている)
戦時中、パーマは「贅沢」「電力の無駄遣い」と言われ、厳しい目で見られていた。
しかし、それでも、女性たちはパーマをあきらめなかった。
埼玉県の美容師、大塚良江さんは、少女のころ、母親の美容院に集まるお客さんたちを見たことがきっかけで、自分も美容師になった。
そして84歳(2019年8月当時)になっても現役で、女性が美しく、元気になれるこの仕事に誇りを持っている。
戦時中、空襲警報がやむと、山の中に避難していた女性たちは、町に戻ってきてすぐに、吉江さんの母親の美容院に列を作っていた。
パーマといっても、電気を使う機械は使えないので、当時できたのは「木炭パーマ」。
炭火にトタン板を乗せ、その上に金属のクリップを置いて温めたものを巻いて、パーマをかけるというもので、木炭は、お客さんが自分の家から持ってくるきまりになっていた。
(ちなみに、当時、前髪を長く伸ばしてカーラーを縦に巻くスタイルが流行り、女性たちはこの髪型のことを「土管」と呼んでいた。サザエさんはこのヘアスタイルをしていたようだ。)
木炭も自由に買うことはできず、配給されたものを家事に使うことになっていたが、女性たちは、家事にはススキなどを代用してでも、木炭でパーマをあてていた。
パーマをかける1時間半の間、お客さんは 色々な話をしていた。
「空襲で明日死んでもいいように、きれいな髪形でいたい。」
「息子が戦死して、気持ちを張らなければ、家事もできないわ。」
お客さんたちの髪を整えながら話を聞く良江さんのお母さんは、ときに涙を浮かべながら、うなずいていた。
女性たちの中には、ほほを白く塗っている人もいた。
水で溶いた小麦粉を、おしろい代わりにしていたのだ。
もちろんおしろいのようにきれいには塗れず、むらができてしまうが、それでも、お化粧をしたいと思う女性たちの、おしゃれへの執念が、少女だった良江さんの心にも強く残った。
「女性は、美しくなると本当に喜びを満面にする。私もそれを見たときに、『絶対に学校を卒業したら美容師になろう』と思った」
良江さんはこの話を家族に大切に語りつぎ、今では良江さんの妹、子供、甥の六人が、美容の仕事をしている。
「美しさを求める心は、生きる力を生む」
この信念は、ご家族にも、受け継がれている。
この「木炭パーマ」のエピソードを番組で観たとき、漫画版『この世界の片隅に』のある場面が思い出された。
(※2016年の映画版では省略されているが、2019年の映画『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』では追加されている)
主人公のすずさんは、お花見に出かけたとき、娼館で働く友達のリンさんに出会い、桜の木の上で、語り合う。
すずさんは、以前、リンさんに会うために娼館を訪ねたときに言葉を交わした「赤毛のねえさん」の風邪は治ったか、と、尋ねる。
「ああ、テルちゃんね」
桜の枝に腰かけたリンさんは、うつむいた。
「テルちゃんは死んだよ、あの後肺炎を起こしてね。」
すずさんとテルさんが窓の柵越しに言葉を交わしたのは、雪の積もった日。
その雪もとけないうちのことだった。
お客だった水兵さんを気の毒に思って、一緒に川に身を投げ、二人とも死に損なって、自分は風邪をひいてしまった。
そう、笑って話していた人だった。
南のお国ことばで話し、すずさんが雪に描いた南国の絵を見て、「よかねー」と、熱に赤いほほで、にこにこあどけなく笑っていた人だった。
言葉もないすずさんに、リンさんはふところから口紅が入った蓋つきの器を取り出した。
「会えて良かった。すずさんこれ使うたって。」
そう言いながら、紅器の蓋を開き、指先を染め。
「テルちゃんの口紅。ほいできれいにし。」
紅をのせた細い薬指が、すずさんの唇を優しくなぞった。
「みな言うとる、空襲に遭うたら、キレイな死体から早う片付けて貰えるそうな」
すずさんの脳裏に、ついこの間見かけた、がれきの下じきになったままの誰かの死体がよぎった。
「ありがとう」
すずさんは、小さくつぶやいた。
らんまんの桜の中で、美しい人が友達に紅を塗ってあげる姿と、空襲に遭った死体の記憶が重なり合う場面。
遠からず死体になっても早く片付けてもらえるように、今は死者となった人の紅を塗って、きれいにすることを勧める。
平和なら友達には言わない不吉な言葉だが、リンさんのすずさんへの気持ちは、絵が物語っている。
長いまつげのやわらかい目の運びと、手と指先のこまやかな動きが、「空襲による死の話」の本来持っているはずの重苦しさをぬぐいさり。
リンさんは、ただ、自分にも、すずさんにも、現実に起こりうることを話している。
客に同情して起こした心中未遂で、命を落としてしまったテルさんのように、戦争による死は、空からでも、他人の絶望からでも、どこからでも、人々に降りかかってくる。
精一杯明るく日常を紡いでも、無事に今日を終わらせ、明日を迎えられるかはわからない。
大切な家族が、自分にはどうにもできないはるか遠くで死んでいく人もいる。
自分と大切な人が、寿命の尽きるまで安全に生きられるという、平和な時代なら、たぶん叶った願いが、もう、誰にも約束されていない。
そんな時代、女性たちは、他人に褒められるためよりも、自分が生きる力を得るために、美を求めた。
そして、自分の死のためにも、美しくあろうとした。
美しい自分として死に、まだその亡骸が美しいうちに埋葬されたいという願いも、戦時下では「生きる力」の一部だった。
美を求める心が、「今日も明日も生きられると信じる心」に代わって、彼女たちの生きていくための芯となり、うなだれかけた顔を上げさせた。
女性たちは、そうやって、せめて、命以外の「自分」は、大切にし、守りぬこうとした。
戦争に命を奪われたとしても、美しさと、それを求める気持ちは、奪わせない。
だから、パーマや、化粧は、誰かに非難されても、やめない。
紅や小麦粉の汁を塗り、家事のために配られた木炭を、そっと脇にとっておき。
そうやって、彼女たちは、日々、「戦争」と戦っていたのだ。
女性たちのまるく巻かれた髪、地肌を透かす小麦粉の白、紅を塗る指先に宿る、決して折れまいとする、心の芯。
美容に関わる仕事をされているご家族に受け継がれた木炭パーマの思い出と、リンさんがすずさんに紅を塗る姿は、戦争中の女性たちが持っていた、いじらしさと、静かな強さを私たちに伝えている。
だが、それは同時に、こんな人たちの上に、爆弾は繰り返し落ち、思うことを口にする自由もなく、少ない物をかき集め、ひそかに装うことでしか、自分と家族の命を脅かされる日々と戦えなかった、戦争の圧倒的暴力も伝えている。
戦後75年、夏が来るたびに、戦争の記憶がさまざまな形でクローズアップされてきた。
コロナ禍の今年は、戦争はないが、今までとは違う夏だ。
私たちは一年前には当たり前だった日常を無くし、世界はもう元の姿には戻らないとも言われている。
苦しい時代だが、今、戦争について知り、当時の人たちの思いを知る意味が、これまで以上にあると思う。
日常の一部が欠けた今の私たちだからこそ、日常を奪う戦争について、今までよりも真剣に考えることができる。
一年前を思うと悲しいが、七十五年前を思えば、残されていることは、まだ沢山ある。
今も、国同士、人同士の利害がぶつかり、ささくれだって不安な時代だが、今以上に生きることが過酷だった時代に、美しくあることを生きる力にしようとした、心に芯を持つ人たちがいた。
全員ではないかもしれないが、一つの町の美容院に、列を作るほどに、いたのだ。
戦争の恐ろしさ、それでも失われなかった人々の「生きる力」、今の時代にまだ残されている、自由の価値。
そういったことを、今この時代に、実感し、覚えていられれば。
何もかも当たり前だと思って見過ごしていたこれまでよりも、私たちは、より多く、人の心や世界の美しさに気づくだろう。
取り戻せないものもあるが、気づく力が、自分たちの内側には、芽生える。
それもまた、これからの私たちの心の芯、「生きる力」になってくれるはずだ。
補足:当ブログ内、漫画『この世界の片隅に』関連記事
・(※ネタバレあり)この世界の片隅に 映画で語られなかった場面(1)ノートの切れ端とリンドウのお茶碗
・(※ネタバレあり)「この世界の片隅に」映画で語られなかった場面(2) 雪に描かれた絵と、桜の花びらの舞い降りた紅
この世界の片隅に : 上 (アクションコミックス) - こうの史代
この世界の片隅に : 中 (アクションコミックス) - こうの史代
この世界の片隅に : 下 (アクションコミックス) - こうの史代
この世界の(さらにいくつもの)片隅に [Blu-ray] - 片渕須直
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