2020年7月18日、俳優の三浦春馬さんが、まだ30歳の若さで亡くなられた。
多くの人々がその死に衝撃を受け、悲しみに沈んでいる。私も、その一人だ。
打ちのめされるという言葉でも足りない。
あんなに真剣に舞台を愛していた人が、輝いていた人が、私たちに感動をくれた人が、その陰で、深く悩み苦しんでいたのかと思うと、本当に心が痛む。
私は、2019年春、三浦春馬さんと小池徹平さん主演のミュージカル「キンキーブーツ」を観に行った。
「キンキーブーツ」は、1990年代のイギリスで、亡き父の跡を継ぎ、倒産寸前の靴工場の社長となった青年チャーリーが、ドラァグ・クイーンのローラと出会い、「ドラァグ・クイーン専用の美しいブーツ」を開発するという、実話をもとにした作品だ。
(最初にイギリスで映画化され、その後ミュージカルとなって世界各国で上演された。)
主人公のローラは、自分らしく生きたいという思いを父親に理解されず絶縁状態になってしまい、ドラァグ・クイーンとしてステージに立つようになってからも、偏見と闘っている。
(日本人のイメージからすると、イギリスは日本より性的マイノリティに理解がある国に見えるが、1990年代、特に地方では、まだ「男らしさ」が非常に重視され、ローラも子供のころから生きづらさを抱えていた。)
私は最初にこの作品の映画版を観たのだが、心に傷を負い、陰で涙をぬぐいながら、伸びやかに力強く、ユーモアにあふれ、男女の隔てなく優しいローラは、私の理想のキャラクターだった。
そして、世界中のミュージカル俳優がローラを演じている中、春馬さんのローラは間違いなく「世界で最も美しいローラ」だった。
小池徹平さんの、どこか若い頃のマイケル・J・フォックスも思い出させる、少年のような可愛らしさと、人の良さのにじみ出た、さわやかな笑顔のチャーリーと、そのチャーリーを振り回す、勝気で自由奔放、ゴージャスな長身美女の三浦春馬さんのローラの組み合わせは絶妙で、もう日本版はこの二人以外考えられないと思わされた。
ローラは、高いヒールを履いてパワフルなダンスと歌を披露する難役だが、春馬さんはそれを見事にこなしていた。
(公開稽古内、春馬さんのダンスシーン 動画内2:38頃)
(過去にイギリスに短期留学をされていたそうだから、すでに国際的なミュージカル俳優になるべく努力を重ねていらしたのだろう。)
春馬さんの美しいローラは、キャラクターの持ち味である色気たっぷりの過激な言動も、どこかエレガントで、映画のローラとはまた別の魅力があった。
ローラはドラァグ・クイーンになる前、父の願いもあってボクサーだったという異色の経歴の持ち主だ。
だから、彼女の肉体には、格闘家の名残で、殴られれば吹っ飛ぶと一目でわかるような逞しい上半身と、華やかなブーツを愛し履きこなす、すらりと伸びた脚線美が共存している。
2019年の再演にあたり、春馬さんは半年かけて肉体づくりをしていたそうだ。
インタビューの中で、春馬さんは、前回はローラを演じるために大きく筋肉をつけたけれど、今年は美を追求した(曲線をきれいに見せるための体づくりをした)、と、話されていた。(下貼付動画内1:13頃)
(この春馬さんの発言にどこからか笑いが起き、ご本人も照れ笑いをしていたが、小池徹平さんが、「おかしくない、おかしくない、大事なこと」と、春馬さんの目を見ながら真面目にうなずいていたのも、印象的だった。)
一般人の私は、役を演じるため、その他のハードなスケジュールもこなしつつ、自分の体の各パーツを逞しくしたり細くしたりと、まるで彫刻のように緻密に創り上げる、俳優のストイックなプロ根性に圧倒された。
物語中盤、チャーリーに、ブーツのデザイナーになってほしいと頼まれたローラは、ロンドンから、靴工場のある地方都市、ノーサンプトンにやってくる。
無骨な男性の靴職人たちは、ドラァグ・クイーンのローラの指示を受けることに猛反発。ローラは悩んだ末に、地味な男性の服装で工場に来ることにする。
そうなると、ショーで大胆に歌い踊っていたローラの姿はどこにもなく、自分らしくいられず、自信の無い少年だったころの彼に戻ってしまっていた。
それでも、工場のために手を貸そうとしてくれるローラに、チャーリーと工場の女性たちは感謝するようになる。
個性を認めてくれる人が増え、男装に華やかなロングブーツなどの折衷ファッションに変わったローラ。
ひときわローラを毛嫌いしていた靴職人のドンは、ローラが「男らしくない」ことについて嫌味を言うが、ローラは、味方である女性たちに囲まれながら、「私は女性を尊敬しているの」と言う。
女が男に求めるものは、思いやりと優しさ、そしてそれは、本当は女の魅力でもある。
そうドンに言い放ったローラが、女性たちをリードしてミュージカルシーンが始まる。
おそらく元から「男らしさ」と、「横暴」や「粗野」をはき違えた職場の男やパートナーたちに不満を持っていたであろう女性たちは、ドンの威圧的な態度には一歩も引かないが、ローラの「男らしさ」には、またたくまに魅了されて小鳥のように歌い踊る。
とてもユーモラスなシーンなのだが、このときの春馬さんのローラは最高に魅力的だった。
女性を尊敬し、女性の姿をしながら、自分は女性が男に求める魅力も持っているということを、偏見を持つドンに見せつけるローラ。
それはドラァグ・クイーンの匂い立つような妖艶さと、青年の硬質な透明感、自分自身への誇りと、人への優しさの入り混じる、不思議な美しさ。
華麗な演技とともに、春馬さんの突出した容姿から、この複雑な内面美が放射された瞬間は、目がくらむようだった。
三浦春馬さんのローラは、演劇界でも高く評価され、「杉村春子賞」も受賞した。
そして、ご自身もこの仕事に確かな手ごたえを感じていたようだ。
(キンキーブーツは)困難な中でも自分らしく生きることの大切さを教えてくれる、互いを受け入れ、自分が変われば世界も変わる、というメッセージ性の強い舞台でした。三浦さんは、このメッセージに強く共感したそうで『仕事をしていく上で、何か別のものが見えたような気がする』ということを仕事関係者と話していました」
私が観た舞台では、カーテンコールで全ての演者が挨拶をしたあとも、拍手がまったく鳴りやまず、三浦春馬さんと小池徹平さんが、あのブーツ姿でもう一度舞台の中央に駆け出てきて、「ありがとうございました!!」と深々と頭を下げていた。顔を上げた二人の、充実感溢れる笑顔が、心に焼き付いた。
また、この舞台が観たい。
2020年のオリンピックを機に、これからもっとたくさんの外国人観光客が日本に来るようになったら、その人たちにも観ていただきたい。春馬さんたちのすばらしさは、間違いなく、海外のミュージカルを観ている人々も魅了するはずだ。
舞台を観終わった後、そう思った。
だが、コロナが世界を襲い、この楽しい想像は、遠いものになってしまった。
それでも、あの舞台を観に行った記憶は、コロナ以前の、一番贅沢な瞬間として留まり、何度も何度も私を力づけてくれた。
「すぐにではないかもしれないが、いつか世界はコロナに勝つだろう。そうしたら、きっと『キンキーブーツ』は帰ってくる、三浦春馬さんと小池徹平さんのローラとチャーリーをまた観たい。二人とも若いし、あんなに舞台を愛しているのだから、きっとまた演じてくれるだろう」
そう信じ、その日が来るのを、本当に楽しみにしていた。
あの舞台に感動した大勢の方が、そう思っていたはずだ。
2020年3月、春馬さん主演のミュージカル「ホイッスル・ダウン・ザ・ウィンド」が、コロナの影響で公演中止となった。
緊急事態宣言の発令を受け、演者も観客も、今後いつまたこうして「舞台」に関われるかわからないまま、志半ばでの幕引き。
その千秋楽昼の部を観た、「CDB」さんの記事(2020年5月3日「文春オンライン」掲載)は、その時の春馬さんたちの特別な気迫を、克明に書き記していた。
5月にこの記事を読ませていただいた私の脳裏に、春馬さんのローラが蘇り、真剣に舞台に臨みながら、自分たちにはどうにもできない事情で、そこから離れなければならない彼らの無念が思われた。
どれだけつらいだろう。
そこまでは、考えていた。
多分ずっと昔から、とても真面目で繊細で、そのほかいろいろな理由もあって、苦しみとともに生きてきたのだろう。
それでも、ローラを演じているときの春馬さんは、そのプレッシャーや、血のにじむような努力を全て昇華して、本当に生き生きと輝いていた。
苦しいけれど、人々を幸せにできる、作り手も喜びの多い仕事、それが舞台。
「キンキーブーツ」のような魅力的な作品の、ローラのような演じがいのある役を、舞台を愛する人たちと一緒に創りあげたとき、そして、観る人々を笑顔にできたとき、確かに苦しみにまさる喜びが、春馬さんにあったのではないかと思う。
世界が、こんな風に変わらなければ、愛した舞台が、まだ彼の側にあったら。
「キンキーブーツ」の舞台を観に行った私たちは、あの舞台に本当に大きな感動をもらった。
あの時、笑い、幸せな気持ちになった分だけ、今、本当に心が痛み、悲しい。
それでも、あの渾身の舞台の記憶は、やはり、私たちの心を照らし続けている。
世界には、人生の苦しさに寄り添ってくれる、本当に楽しくて美しい、温かいものがある。
そして、そういう作品を創り上げるために、全身全霊をかけ、私たちにそれを届けてくれる人たちがいる。
そのことを、「キンキーブーツ」の舞台と、三浦春馬さんのローラは教えてくれた。
あの舞台を、もっと多くの人に観てもらうために、どうか、何かの形で、作品映像を公開していただきたいと、心から思う。ディスクでも、テレビ放映でも、ネット上でも。
あの素晴らしさが、もう、舞台を観た私たちの記憶の中だけにしか存在しないというのは惜しすぎる。
私たち観客は、あの日の春馬さんたちを何度でも思い出したいし、これから観る方たちにも、彼らがどれだけ真剣に作品に取り組み、素晴らしいものを完成させたかを知ってほしい。そして、それはこれから、コロナを乗り越え、舞台に戻っていく人たちの、ひとつの指針にもなるはずだ。
訃報から何日も経ったが、どうしても、気持ちの整理がつかない。
私たちを、幸せな気持ちにしてくれた人には、幸せになってほしかった。
彼を昔から応援していたファンの方々、身近に彼を知っていた方たちの悲しみはもっと深いだろう。
ただ、せめて今は、あの真面目な心が全て報われ、安らげる、もっと静かな、もっと美しい場所にいてくださることを願う。
私は、三浦春馬さんの素敵なローラを思い出し、笑顔になることで、あの素晴らしい舞台への感謝の気持ちを、捧げ続けようと思う。
三浦春馬さんの訃報を受け、「CDB」さんは5月の記事に続いて、新たな記事を書かれた。
(CDB「この“産業”は、血の通った仕事だと自負しています」三浦春馬が最後の舞台公演で語ったこと 舞台『ホイッスル・ダウン・ザ・ウィンド』文春オンライン7月22日掲載)
記事は、春馬さんが、最後の舞台公演で、共演した人々にどれだけ心を配り、舞台の未来を信じる思いを真剣に語っていたか、その瞬間の彼の姿を伝えている。
「モチベーションを保つことがどの産業においても難しい時期なのかもしれません。ですけど、やっぱり僕たちが演劇を信じること……僕はこの産業は、とても血の通った仕事だと自負しています。この血の通った仕事がいつか、皆さんの気持ちを高めてくれるんじゃないかなと信じて、もっともっと、皆さんがエンターテインメントに触れる時に、そのエンタメがもっと質の高いエンタメとして皆さんのもとに届けられるように、僕たちは一生懸命にその日まで色んなスキルを身につけて皆さんに感動をお届けできればいいなと強く思います。」
(「ホイッスル・ダウン・ザ・ウィンド」千秋楽での三浦春馬さんの言葉 〈CDB 「文春オンライン」7月22日掲載記事より〉)
そして、この記事の結びは、春馬さんから沢山の感動をいただいた私たちの悲しみが、どこへ向かえばいいのか、春馬さんへの感謝を、どんな行動に変えればいいのか、その道筋を、示してくれている。
少しでも多くの人が、SNSやメディアや、あるいは日常の場所で、彼の死ではなく彼の生の記憶を語り続けてくれることを望む。未来のファンたちが道に迷わないように、彼が何者であり、何者でありたいと願ったのか、彼が生きた目印をできるだけ多く残してくれることを望む。30歳で死んだ俳優としてではなく、30歳まで生真面目に、そして懸命に生きた俳優として、三浦春馬を僕たちの社会が記憶するために。
最後に、今回引用させていただいた「CDB」さんの二つの記事(5月の舞台鑑賞記事と、7月の追悼記事)のリンクをもう一度、貼らせていただく。
抑えた語り口ながら、三浦春馬さん、ヒロイン役の生田絵梨花さんたちの5月当時の現状と、作品の内容を重ね合わせた鋭い分析、そして彼らへの敬意と、舞台への愛を感じさせる、素晴らしい文章だった。
(だから、この方の5月の記事を目にした時から、どこかただならぬ空気が春馬さんに漂っていることは感じていた)。
優れた鑑賞者の目を通して語られる、春馬さんたちの舞台に捧げた情熱と、彼の誠実な人柄を、是非お読みになっていただきたい。
・「三浦春馬のSNS炎上と演劇への「感染リスク」という烙印 舞台が復活する日は来るのか?舞台『ホイッスル・ダウン・ザ・ウィンド』」(CDB「文春オンライン」2020年5月3日掲載)
・「この“産業”は、血の通った仕事だと自負しています」三浦春馬が最後の舞台公演で語ったこと 舞台『ホイッスル・ダウン・ザ・ウィンド』(CDB「文春オンライン」2020年7月22日掲載)
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