表装(※)の中に表装が描かれるだまし絵のような構図の中、今まさに、天女が絵の中のひな祭りに加わろうと花びらを漂わせながら舞い降りている。
(※)表装……絵を鑑賞し、補強するための掛け軸の周辺部分の飾り
阿弥陀如来は、ひな人形を差し出す閻魔たちの気遣いに、頭に手をやって礼を言っている。
雛壇の前では、水の流れのように柔らかく広がる衣と、輝く冠で美しく着飾った少女が、明るく微笑んで、菩薩たちと相談しながら雛道具を並べているようである。
小振りな掛け軸だがその温かな色彩と、愛らしさが醸す存在感は、その他の力強く活気に満ちあふれた作品群の中でも全くかき消されず、むしろその中にあるからこそ、優しい魅力が際だっていた。
この一目で心奪われる、温かい宝石細工のような絵は、ある悲しい出来事がきっかけで生まれた。
長くなるが、美しい文章なので図録解説を引用させていただく。
ひな祭りの菩薩が楽しげに雛人形の飾り付けをしている。阿弥陀如来は贈り物として内裏雛を持参した閻魔・奪衣婆夫婦の応対をしている。指を揃えて挨拶をする閻魔の姿がどことなく滑稽だ。甘酒を届けに来た天人は風帯と一文字(※)の前を優雅に通り過ぎ、描き表装を効果的に使った視覚のトリックになっている。閻魔夫妻にお茶を運んできた菩薩は、空から舞い落ちる花びらによって天人の来訪に気づいたようだ。少女の宝冠や幕に沢潟(おもだか)が使われていることから、この植物を家紋とした日本橋の小間物問屋勝田五兵衛のために制作されたと考えられている。五兵衛にはたつ(田鶴)という愛娘がいたが、明治二(一八六九)年三月十日、わずか十四歳で亡くなってしまう。本作の少女の頭部には光背が見え、すでに亡き人であることが示されており、彼女がたつであることがわかる。たつは「あそべるも ことしかぎりか 雛まつり」という辞世の句を残しており、明治三年(一八七〇)三月十日の年記がある本作は、たつの一周忌に合わせ、極楽で雛祭りを楽しむ姿を描いたと推測されている。たつの小さな顔は胡粉で塗られた後、肌色で丁寧に隈が施されており、五兵衛の心を慰めようとする暁斉の温かな気遣いが伝わってくる。(後略)
(図録、p.241)
(※)一文字……掛け軸の上下にある縁
14の今年限りで私のひな祭りはもう来ない。
暁斎は、たつの詠んだ、少女らしい何の技巧もない、だからこそあわれの深い辞世の句に思いをはせ、彼女の悲しい結末に、極楽での日々を描き添えた。
この世でのひな祭りは終わっても、たつは今、天女と花びらの舞う場所で、阿弥陀如来たちともっと華やかで幸せなひな祭りを楽しんでいる。
暁斎は、この至福の絵が、五兵衛の悲しみを和らげる手助けとなることを願い、また、以前から暁斎を応援してくれていた家庭に起きた不幸に、暁斎自身も心を痛め、今はたつが幸福であって欲しいと祈りながら作品を描いたのではないだろうか。
情景や、楽しげな登場人物一人一人の姿や表情、指先、仕草、雛道具にいたるまで、観る者の心をほのぼのと明るく灯すような優しい温かみが惜しげもなくこめられており、愛くるしい味わいながら、これもまた渾身の作であったことが伝わる、暁斎の密かな傑作である。
(なお、今回の画集の図録部最後のページは、この絵の拡大図であり、展覧会に携わった方たちもこの作品を高く評価していることがうかがえる。丁寧な解説に加え、実物では色あせている作品まで鮮やかに再現されおり、暁斎のファンなら手に入れる価値のある名図録だ。)
突出した才能と破天荒な生き様で「画鬼」と呼ばれる暁斎だが、鬼の画力、大胆な構図や発想、滑稽味という点では、暁斎の師である歌川国芳、画狂葛飾北斎、奇想の画家曾我蕭白など、彼の前にも達人たちがいる。
だが、この作品のように、人々の人生の喜びと悲しみに深く共感し、その心を筆に通わせたのは暁斎独自の個性であり、これこそが暁斎最大の魅力ではないだろうか。
(2017年、「ゴールドマン コレクション これぞ暁斎!!」展で展示されていた「閻魔と鵜飼」という作品では、殺生の罪で地獄に落ちた老鵜匠が閻魔大王の裁きを受けるとき、鵜たちが舞い降りて、彼をとりかこんで庇う姿が描かれていた。主題は異なるものの、この「ひな祭り図」にも、暁斎の深い人生観と人柄がにじみでているように感じられる。)
(画像出典:『ゴールドマンコレクション これぞ暁斎!展』「閻魔と鵜飼」)
暁斎の高い画力と破天荒な人生の奥に秘められた、温かな心がうかがえる展覧会、図録だった。是非お出かけになって、その魅力にじかに触れてみていただきたい。
(参照)『河鍋暁斎 その手に描けぬものなし』2019年 図録
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