2018年11月26日

おすすめ映画『ボヘミアンラプソディ』(あらすじ、感想、事実との相違点)


映画「ボヘミアンラプソディ」は、イギリス伝説のロックバンドQUEENと、バンドのボーカリストで、わずか45才でこの世を去ったフレディ・マーキュリーの生涯を、QUEENの名曲とともに描いた作品である。




QUEENのメンバーであり、現在も音楽活動を続けているブライアン・メイ(ギター)と、ロジャー・テイラー(ドラム)が監修にあたったものの、監督交代など完成までに紆余曲折があり、本国イギリスやアメリカの批評家の間では賛否が分かれている。


(※ 日本では好意的に迎えられており、公開から二週連続観客動員数首位を獲得、カットされた場面を追加した完全版公開という情報も出始めている。【ライブドアニュース 2018年11月27日『ボヘミアン・ラプソディ』ライヴ・エイド完全版が存在!日本公演のシーンも】より)


しかし、一観客としては、映画館に足を運ぶ価値が十分にある、音楽、ストーリー共に感動的な作品だと感じた



 以下、あらすじと見どころをご紹介させていただく。(お勧め曲動画紹介記事はコチラ) 






あらすじ


 1970年、ロンドン。


 空港で荷物搬送職員として働くフレディは、ペルシア系インド人の両親と妹と共に暮らしていた。


 厳格で自分たちのルーツに誇りを持つ父親と、時にすれ違うフレディの楽しみは、ロックのライブに行くこと。




 フレディはファンだったバンド「スマイル」のボーカルが辞めたことを知り、ブライアン・メイと、ロジャー・テイラーに、自分を売り込む。


 フレディの提案で「QUEEN」と改名し、ベースのジョン・ディーコンも加入したバンドは、次第に人気を獲得していく。




 彼らの活躍を、バンド結成期にフレディと知り合ったメアリー・オースティンは暖かく見守り、やがて二人は、将来を誓い合う。




 1975年、フレディは、彼らの持ち味である多様な音楽性と斬新な音作りの結晶とも言える「ボヘミアン・ラプソディ」を作曲。


 長すぎてラジオで流せないなどの理由で、彼らのマネジメントをしていたトライデント・スタジオには反対されたものの、この曲はQUEEN最大のヒット曲となった。


 バンド活動は順風満帆だったこの時期、フレディは次第に自分本来のセクシュアリティに気づいてゆく。


 そして、メアリーもフレディの葛藤を感じはじめていた。――






見どころ1 名曲誕生の舞台裏


 「ボヘミアンラプソディ」「We Will Rock You」「We are the Champion」「Under Pressure(デビッド・ボウイとの共作)」など、QUEENファンでなくとも知っている名曲が物語を彩っている。


 QUEENの音楽は多重録音の他、録音機材や楽器を奇抜な方法で駆使して作られており、映画では、そんな彼ら独自の制作過程を見ることが出来る。


 「ボヘミアンラプソディ」で、彼ら自身のオペラ風コーラスを重ねる際には、ロジャー・テイラーが、フレディの度重なる高音欲求に激怒するなど、名曲誕生までの衝突や試行錯誤があったことが描かれている。





(個人的な話だが、この映画を観るまで、女性のバックコーラスが入っていると勘違いしていた。実際にはロジャーとメイがコーラスも担当。特に、聖歌隊出身のロジャーは高音を出すことができた。〈ちなみにベースのジョン・ディーコンは原則口パクで、映画内でもBBC番組出演時に、当時は常識だった口パク演奏を指示されて憤るフレディの傍で、ジョンが「得意だ」とつぶやく場面がある。〉)


 この他にも、スピーカーを振り子のように揺らす、録音マイクにバケツをかぶせるなどの音作りの工夫や、あの斬新で華麗な「ボヘミアンラプソディ」が、いかにもイギリスらしい、牧場近くの田舎家を改造したスタジオでの合宿で生まれたことなど、ファンにとって興味深いエピソードが紹介されている。



(レコーディングシーンを含む予告編映像)




 代表曲のひとつ「We Will Rock You」は、観客が足踏みと手拍子で曲に参加できるようにとブライアン・メイが作り出した曲で、このライブ演奏シーンは映画序盤の最大の聴き所になっている。






(ドラムではなく、メンバーたちが実際に足踏みと手拍子をし、その録音を何重にも重ねることで、リズムを作り出している。(※1)


映画館でもそっと頭を揺らしてノッている人たちがいた。「応援上映(一緒に歌ったり手拍子をしたりできる回)」では、さらに盛り上がっていることだろう。


(余談、素晴らしいキャスト陣の中でも、ブライアン・メイ役のグウィリム・リーの生き写しぶりは際立っており、当時の本人と画像を並べられても見分けがつかないほど。観客から、「タイムマシンで若いメイ本人を誘拐して演じさせているのでは」とすら言われている。(※2)






見どころ2 フレディの愛とセクシュアリティ


 フレディとメアリーは、彼がスターになる前から6年間交際し、強い絆で結ばれていた。


 しかし、ツアーで離ればなれになっている間に、フレディは次第に自身の同性愛傾向を自覚し始め、フレディの個人マネージャーであった、ポール・プレンターとの関係を持つようになる。


 メアリーに捧げられた曲「Love Of My Life」を一緒にテレビで見ながら、メアリーへの想いを語るフレディに対し、かねてからフレディの様子がおかしいことに気づいていたメアリーは、自分に隠していることはないかとフレディに尋ねる。


 秘密を背負いきれなくなったフレディは、自分はバイセクシュアルかもしれない、と、メアリーに打ち明けるが、メアリーは、「あなたはゲイよ」と、認めたくなかったことを口にして、涙を流す。


 「これからの人生、大変よ」


 フレディを責めずに、ただ、そう言って、フレディとの関係を終わらせたメアリー。


 しかし、フレディはメアリーが彼の贈った指輪をはずすことを拒み、自身の邸宅を購入した後、すぐそばに彼女の家を準備する。


 事実、フレディはメアリーとの恋愛関係が終了した後も、メアリーに愛情を抱き続け、毎日のように会っていた。


 メアリーは、日本へのライブツアーにも同行したこともあり、話し相手として彼に寄り添っていた(※3フレディは、彼のロンドンの邸宅をメアリーに遺し、(※4また、メアリーの息子の名づけ親にもなっている。(※5



 異性愛者のパートナーにも稀なほど、メアリーを精神的に必要としていたフレディ。


 窓からメアリーの家の明かりを見つめ、彼女と電話で話すことを心の支えにしながら、同じ邸宅で、取り巻きたちと退廃的なパーティーに明け暮れるフレディの姿からは、深い愛情と無軌道な性的欲求、そのどちらも手放せなかったフレディの孤独と葛藤が伝わる。


 メアリーが新しく家庭を築き、打ちひしがれたフレディ。


しかし、ジム・ハットンとの出会いによって、フレディはようやく愛情とセクシュアリティを調和させることができた。


ジムの登場シーンは短いが、フレディの音楽に胸打たれた人々(ここまで映画を観てきた人全員)に救いをもたらしてくれる重要な存在である。


実在のジム・ハットンは病のフレディを看取り、自身もフレディから感染したと思われるエイズと闘い(それをフレディには隠し)ながら、2010年に世を去っている。(※6







 (見どころ2)ライブ・エイド ※ネタバレ注意


 この映画のクライマックスは、決裂していたメンバーが再び集結して望んだ1985年の「LIVE AID」のライブシーンだ。


(実際のライブ・エイド)




 ロック史上最高とも言われる伝説のパフォーマンスが、実際の演奏音声と共に、メンバーの細かな仕草に至るまで完全再現されており、この迫力を体感するだけでも映画館に行く価値がある。


 映画では、ライブ・エイド前に、フレディ・マーキュリーが自身のエイズ感染をメンバーに告白している。


 悲劇の主人公になる気はない。自分が何者になるかは自分が決める、という決意とともにライブに臨むフレディ。


 ライブでフレディ・マーキュリーの人生と、いくつかの歌詞がリンクし、この歌を歌うフレディの思いが、力強い音となって、観る者の皮膚と心臓を揺さぶる。


 ママ、ああママ(どのみち風は吹くのさ)

 僕は死にたくないよ

 時々 考えてしまうよ いっそのこと生まれて来なきゃ良かった

 (中略)

 何もたいしたことない 誰もが知っていることさ

 たいしたことじゃない

 本当にぼくにはたいしたことじゃないさ


 どっちみち 風は吹くのさ


                「ボヘミアンラプソディ」


 償いはした

 くる日もくる日も

 罪は犯していなくとも

 罰は受けたのだ

 大きな間違いといえば

 多少は犯したけれども

 十分な屈辱も面と向かって受けてきたよ

 でも僕は乗り越えてきたんだ


 僕たちこそがチャンピオンだ 友人達よ

 そして僕たちは闘い続けるだろう

 僕たちこそがチャンピオンだ

 僕たちこそがチャンピオンだ

 (以下略)


             「We are the champion(※歌詞訳、CDQUEENU』より引用)




 また、ライブの前、フレディはエイズの診断を受けた病院を出る時、診察室の外に腰かけていた青年に、かすれた声で「Ay Oh」と声をかけられる。


 それは、フレディがコンサートで観客と歌い合うときのメロディで、青年が自分の目の前を通り過ぎたサングラス姿の人物がフレディだと気づいていることを暗示している。


 おそらく同じ病気に感染していると思われる憔悴した面差しの青年に、そっと「Ay Oh」と返すフレディ。


 それ以上何も言葉を交わさない青年とフレディ。


 重苦しさの中に、互いへの配慮と共感が一脈通う、静かなシーン。


 映画内では、ライブでの「Ay Oh」で、この場面がよみがえり、フレディが病を受け止め、戦いながら、最後までアーティストとして輝き続け、人々に力を与える不朽の存在となる未来が示される。


 覚悟のもと、すでに症状が出ていたにも関わらず、渾身のパフォーマンスをするフレディ、そして彼に合わせて演奏をするメイの驚きと喜びの入り交じる笑顔も印象的。


(補足:こうしたフレディの人生とパフォーマンスの重ね合わせを強調するためか、本来のライブ・エイドでは歌われていた、プレスリー風の軽快な曲「愛という名の欲望」は割愛されている。また、前半で演奏されているからという理由だろうが、ライブ内の「We Will Rock You」が無いのは賛否が分かれるところだろう。)



 フレディはこのライブから6年後の1991年に世を去り、その間には、彼の体調に対するメディアの詮索や、闘病の苦悩があったが、映画は多くを語らない。


 並の映画なら、むしろ闘病や死別に焦点を当てて、観客の涙を誘おうとするだろうが、アーティストとしての到達点である最高のライブを描き、その幕切れとともに物語を閉じてゆく。


 本作は、直前の監督交代により、構成の一貫性が失われたとも評されているが、むしろ、この大胆で潔い展開がこの作品の大きな魅力だと感じた。






映画と事実の相違点


 ・フレディのエイズ感染診断時期


 映画は、1980年代初期(ライブ・エイド以前)にはエイズ感染の診断がなされたという説(※7をふまえて物語が展開しているが、フレディが自身の病に気づいた時期については、様々な説がある。

 これは、フレディが死の24時間前まで、自身のエイズ闘病について公にしなかったためである。(※8



 ジム・ハットンは、自身の手記で、フレディが正式な診断結果を知ったのは1987年(ライブ・エイドの後)であると記しているが(※9、フレディのミュンヘン在住時代(1980年代初期〜85年)に親しくしていたバーバラ・バレンタインは、フレディはミュンヘンにいた時期から、昔の恋人がエイズで亡くなったことで不安を感じており、フレディが出血を伴う怪我をした際、彼に触れようとしたバーバラを鋭く制止したというエピソードを語り(※101985年にミュンヘンからロンドンに戻ったのは、病気のせいだったのではないかと推測している。(※11




・個人マネージャー、ポール・プレンターとの確執


 フレディと退廃的な日々を共にし、やがてフレディの同性愛や病について、マスコミに暴露したポール・プレンター。


 映画では、フレディはライブ・エイド直前に彼と決別し、プレンターがマスコミへの暴露に走ったように描かれている。


 しかし、実際に二人が決裂したのはライブ・エイド後の1986年。プレンターがフレディのロンドンの邸宅で勝手にパーティを開き、屋敷を滅茶苦茶にしたことがきっかけだったという。(その前から、フレディの仕事に口出しをし、メンバー間の溝を深めたとして、ほかのメンバーからは嫌われていた。)(※12







 映画にはこの他にもバンドの音楽活動や、ジム・ハットンとの出会いの経緯など、事実との差異があり、正確な伝記映画とは言えない。


(プライヴェートを秘密にしたフレディ・マーキュリーの姿勢に、複雑な人間関係が絡み、もはや正確なことは誰にもわからないとも言える。)


つまり、この映画は、「QUEEN」という偉大なバンドの軌跡、そして強烈な才能と愛と孤独とともに生きたフレディ・マーキュリーという人物の魅力を、ライブ・エイドに凝縮し、純化した「物語」なのである。

(実際、ブライアン・メイは作品について、「ドキュメンタリーではなく、象徴的な真実を描こうとする、いわば絵画や歴史小説のような作品」と述べている。)(※13 


こうした制作姿勢について、長年のファンは事実を偽り、美化した映画と感じ、裏切られたような、物足りないような気持ちを抱くかもしれない。


しかし、映画は、QUEENの音楽と、フレディ・マーキュリーの人物像を、彼らを知らなかった人々(当時ロックに興味が無かった人々や、若い世代)に伝え、感動を与えることに成功しており、いくつか欠点があったとしても、作品が世に送り出された意味はあった。




映画公開後、私は、人ごみの中で、小さな声で歌う男子学生たちとすれ違った。


「ママ〜〜♪ウ〜ウウ〜ウ〜♪」

「ガリレオ♪ガリレオ♪ガリレロフィガロ〜♪マニフィコ〜♪オーオーオー♪」


映画の中のロジャーのように、若い声でも苦戦する高音を、友達同士で重ねていた。


それは、彼らにとってはむしろそれまで耳にしたことのない魅力を持つ音楽を、心から楽しんでいる声だった。


1975年に生まれた名曲が、40年以上の時を超え、QUEENの黄金期に生まれてすらいなかった人々に愛され、受け継がれていく。それは確かにこの映画が成し遂げたことだ。


是非、作品の魅力を、映画館で確かめていただきたい。





【出典】

(※1)CD、『QUEEN2』「曲目解説」p.10

QUEEN グレイテスト・ヒッツU SCDA-02
QUEEN グレイテスト・ヒッツU SCDA-02

(※2)YourubeLive Aid」動画内コメント

(※3)映画パンフレット「クイーンと過ごした日々」部

(※4)『ボヘミアンラプソディオフィシャルブック』p.52

BOHEMIAN RHAPSODY THE INSIDE STORY THE OFFICIAL BOOK OF THE FILM ボヘミアン・ラプソディ オフィシャル・ブック
BOHEMIAN RHAPSODY THE INSIDE STORY THE OFFICIAL BOOK OF THE FILM ボヘミアン・ラプソディ オフィシャル・ブック


(※5英語版ウィキペディア

(※6ウィキペディア

(※7)オフィシャルブックp.25

(※8)『フレディ・マーキュリー 華やかな孤独』リック・スカイ著 第1章p.19

フレディー・マーキュリー 華やかな孤独
フレディー・マーキュリー 華やかな孤独



(※9)『Freddie Mercury: The Definitive Biography18Jim p.248

Freddie Mercury: The Definitive Biography
Freddie Mercury: The Definitive Biography


(※10)同上 p.245

(※11)『フレディ・マーキュリー 華やかな孤独』第8 p.163

(※12)オフィシャルブックp.62


posted by pawlu at 22:56| おすすめ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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