「レキシントンの幽霊」(1996年、同名の短編小説集に収録)は、村上春樹氏本人を強く意識させる物書きの「僕」が、アメリカで暮らしているときに出会った紳士の家で遭遇した不思議な現象と、紳士から聞いた、彼の人生に起きた出来事を描いた作品です。

レキシントンの幽霊 (文春文庫) -
(あらすじ)
※結末までご紹介しているのでご了承ください。
「これは数年前に実際に起こったことである。事情があって、人物の名前だけは変えたけれど、それ以外は事実だ。」
物書きの「僕」は、そう前置きして、その「事実」を書き記していく。
2年前、「僕」がアメリカのマサチューセッツ州に二年ほど住んでいた時、ある建築家と知り合いになった。
五十をすぎたばかりのハンサムで半ば白髪の紳士。名前はケイシーとしておく。
ケイシーは同じ州のレキシントンという町で、青ざめて無口な青年ジェレミーと一緒に、古い屋敷で暮らしていた。ジェレミーはおそらく三十半ば、調律師で、ピアノも上手かった。
ケイシーは、「僕」の英訳された作品を読み、「僕」に会いたいと手紙を送ってきた。
「僕」は、ふだんあまりそういう手紙に反応しないようにしていたが、その文面から知性とユーモアが感じられたこと、偶然、家が近かったこと、そして何よりも、彼が古いジャズ・レコードの見事なコレクションを持っていることに惹かれ、彼に会ってみることにした。
ケイシーの家は、築百年は経っているであろう立派な屋敷で、高級住宅街の中でも異彩を放っていた。
玄関には大型犬のマスチフがいて、僕に向かって少しだけ義務的に吠えた。
出迎えてくれたケイシーは、趣味の良い服装をし、教養ある、話し上手な人物だった。そして仕事は持ってていたものの、必要に迫られて働いているようには見えなかった。
ケイシーの父は著名な精神科医で、彼の素晴らしいジャス・レコードのコレクションは父親が揃えたものだった。
ケイシー自身は、さしてジャズを好んでいたわけではないが、亡き父に対する愛情から、今もそのコレクションを完璧に管理していた。彼には兄弟がおらず、屋敷もレコードも、すべてケイシーが継いでいた。
月に一度程度ケイシーの家を訪ねるようになってから半年ほどした頃、ケイシーは「僕」に一週間の屋敷の留守番を頼んできた。
ケイシーは仕事でその間ロンドンに行かねばならず、一緒に住んでいるジェレミーは、遠方に住んでいる母が体調を崩してしまったために、少し前から実家に戻ってしまっていたので、その間、屋敷と犬を見る人間が必要だった。
犬の食事以外は、レコードを好きなだけ聴いて好きに過ごしてくれていい。
ちょうど、自宅そばの工事の騒音に悩まされていた僕は、その話を快諾し、ノートPCと少しの本を持って、ケイシーの家にやって来た。
「僕」はレコード・コレクションのある音楽室で書き物をしてみた。
屋敷はどこも年月を感じさせ、持ち込んだPCが浮き立つほどであった。中でも音楽室は、ケイシーの父の死後、何一つ手をつけなかったらしく、清潔だが、時が留まっているような、あるいは神殿や遺体安置所のような気配がした。
ケイシーの犬、マイルズは、大きいが寂しがりやで、キッチンで眠るとき以外は、「僕」に体の一部をそっと付けていた。
家の調度はいかにも代々裕福な家らしく、良い品と思われたが、派手さはなく、その落ち着いた部屋に音楽が沁み込んでいった。
「僕」はその音楽室で極めて居心地よく仕事をし、夜、眠るために二階の客室に上がっていった。
夜中、「僕」はふいに目が覚めた。
そして、なぜ目が覚めたかに気付いた。
階下から、音がする。
誰かが下で話している。それもかなりの人数。
かすかに音楽まで聞こえてくる。そして、ワイングラスらしきものを鳴らす音。
それはパーティーの物音だった。
いったい誰が、いつの間に。
それはわからなかったが、音楽と話声は、明るく楽しげで、なぜか危険を感じさせなかった。
足音をしのばせて玄関ホールへ降りてゆくと、「僕」が寝る前に開けたままにしていたはずの居間への扉がぴったりと閉ざされていた。
パーティーの賑わいはそこから聞こえてきていた。
キッチンに行き、念のため、護身用のナイフを取り出そうとしたが、あの楽しそうなパーティーの中に、ナイフを持って入ることがためらわれ、それを引き出しに戻した。
そのとき初めて、キッチンで寝ているはずの犬がいなくなっているのに気づいた。
どこに行ったのか、なぜ吠えなかったのか。
玄関ホールに戻った「僕」は、まだ聞こえてくるパーティーのさざめきに耳をすました。
しかし、その話声はやわらかに混ざり合い、どうしても、何を言っているのか聞き取れなかった。
ふいに、気付いた。
あれは、幽霊だ。
彼らは生きた人間ではないし、どこからも入ってこなかった。だから、犬は吠えなかったのだ。
「僕」は恐怖を覚えたが、怖さを超えた、何か不思議な感覚も覚えた。
それからそっと二階に戻っていった。
話声と音楽は夜明け近くまで続いていたが、「僕」はやがて眠りに落ちた。
朝、再び一階に降りていくと、居間への扉が開いていた。
パーティーの形跡など何もなく、犬はキッチンで寝ていた。
パーティーの気配はその晩一度きりで途絶えた。
「僕」の心のどこかに、あのさざめきにもう一度巡り合うことを期待する思いがあったが、夜中、犬と一緒に居間でしばらく待っていても、もう二度と、何も感じられなかった。
ケイシーが一週間後に帰って来た時、「僕」はあの夜のことを話さなかった。なんとなく、彼には何も言わないほうが良い気がした。
それから半年、ケイシーには会わなかった。
電話で聞いたところでは、ジェレミーの母親があのまま亡くなり、彼は、ずっと、母親のいた町に行ったきりだということだった。
最後にケイシーに会ったとき、散歩中、カフェテラスで偶然出くわしたのだが、彼は、十歳は年をとったように、急に老け込んで見えた。
伸ばしたまま整えていない髪、目の下のたるみ、手の甲にまで皺が増えていて、あの身綺麗でスマートな彼からは想像もつかないくらいだった。
ジェレミーはもうレキシントンに帰ってこないかもしれない。
「僕」と一緒にコーヒーを飲みながら、ケイシーは沈んだ声で言った。
無口だったあの青年は、親の死んだショックで、人が変わってしまったようだった。
ケイシーが電話をしても、ほとんど星座の話しかしなくなった。星の位置によって今日一日行動を決めるというような話をだけを。そんな話は、レキシントンにいるときにしたことがなかった。
気の毒に、と、「僕」は言った。だがそれが誰に対する言葉なのか、自分でもよくわからなかった。
ケイシーは、十歳で亡くした母親の話をはじめた。
ヨットの事故だった。父より、十以上も年下で、誰もそのとき母が死ぬなんて考えていなかった。でも、煙のようにいなくなってしまった。
美しい人で、サマードレスを風に揺らし、綺麗に、楽しそうに歩いた。
父は、母を愛していた。おそらく息子であるケイシーよりずっと深く。
父は、自分の手で獲得したものを愛する人だった。彼にとって、息子は、自然に、結果的に手に入ったものだった。
母の葬儀が終わった後、父は、三週間眠り続けた。誇張ではなく事実として。
もうろうとベッドから出てきて、水とほんの少しの食べ物を口にする以外、鎧戸をぴたりと閉めた部屋で、微動だにせずに眠り続けた。ケイシーは、父が生きているか何度も確かめた。おそらく夢すらみていないであろう、深い眠りだった。その間ずっと、ケイシーは、屋敷でたった独り取り残されたような恐ろしさを感じていた。
十五年前、父が亡くなったとき、死んでいる父の姿は、眠り続けたときの彼とそっくりだった。
ケイシーは父を愛していた。尊敬以上に、精神的、感情的な強い結びつきを感じていた。
それから、ケイシーは二週間の間、眠り続けた。母を亡くした父と全く同じように。
眠っている間は、現実が、色彩を欠いた、虚しく浅い世界に思えた。戻っていきたくなかった。母を失ったときの父の気持ちを、ケイシーはようやく理解できた。
「ひとつだけ言えることがある」
ケイシーは顔を上げ、「僕」に穏やかに笑った。
「僕が今ここで死んでも、世界中の誰も、僕のためにそんなに深く眠ってはくれない」
「僕」は、ときどきレキシントンの幽霊を思い出す。そして、あの屋敷に存在したものを。
閉ざされた暗い部屋で、「予備的な死者」のように眠り続けるケイシーと彼の父親、人懐こい犬のマイルズ、完璧なレコード・コレクション、ジェレミーの弾くピアノ、玄関前の青いワゴン車、そんなものを。
ついこの間のことなのに、それはひどく遠く思え、その遠さのために、「僕」は、あの奇妙な出来事の奇妙さを感じられないでいる。
(完)
留守番中に聞いた幽霊のパーティーの音と、洗練された紳士であったケイシーの、青年との別れ。
片方は「僕」が経験したことであり、片方はケイシーが経験したことでありながら、その二つは、同じ気配を醸して交錯しています。
「僕」が聞いたパーティーのさざめき。
それは、個別に死を迎えた、元人間である幽霊たちの集いというより、一塊の空気のように描かれています。
「古い楽しげな音楽」は蒸気のように僕の眠る部屋に立ち上り、扉の向こうの会話は混然一体として、何をいっているのか聞き取れない。
「僕」は、この現象に遭遇しているときの気持ちをこのように表現しています。
「(扉を開けて入っていくというのは)難しい、また奇妙な選択だった。僕はこの家の留守番をしているし、管理にそれなりの責任を負っている。でもパーティーには招待されているわけじゃない。」
「(混然一体となった会話は)言葉であり、会話であることはわかるのだけれど、それはまるでぶ厚い塗り壁みたいに僕の前にあった。そこには僕が入っていく余地はないようだ。」
やがて「僕」は、そのさざめきが生きた人間の発する者でないことに気付き、恐怖を覚えますが、それを超えた茫漠とした感覚も覚え、寝室に戻っていきます。
その後、一抹の恐怖を覚えつつ(だから犬を連れて)、しかし、心のどこかで期待しながら、夜中に居間で、あのさざめきを待ってみたものの、もう二度とそれが訪れることはありませんでした。
レキシントンの幽霊。
それは、おそらく、百年を超える屋敷が今もひっそりと抱く、過ぎ去った華やかな時代の空気のようなものだったのではないでしょうか。
かつて、本当にその居間で、時代の繁栄を謳歌していた裕福な男女が集い、笑って語らいながらグラスを傾け、音楽の中で踊っていた。
その記憶が、あるいは余韻が、ケイシーという屋敷の主の不在時に、現れた。
そのさざめきの明るさ、そして「僕」が不可解な現象を恐れつつ、不吉を感じなかったこと、それでいて、どうしてもその中に入る気持ちになれなかったのは、それが、現代ではない時代の空気そのものであり(話し声だけでなく、音楽も、グラスの音も一体化した塊であり)、今生きている人間が、搔き分けて入り込める性質のものではなかったからではないでしょうか。
一方、ケイシーは、それまで一緒に暮らしていた青年ジェイミーを、距離的に、人格的に失います。
ケイシーとジェイミーの関係は明らかにされていません。恋人、友人、いずれにせよ、ケイシーは、その後も レキシントンの屋敷でジェイミーと共に生きていくつもりで、しかし、その未来は失われました。
妻を失い、眠り続けた父。父を失い、眠り続けたケイシー。
ケイシーは自分たちのあの長い眠りを、「ある種のものごとは、別のかたちをとる。それは別の形をとらずにはいられない。」と語りました。
愛する者を亡くした世界で、目覚めたまま流す涙や、叫びや、言葉や、そういったものでは、欠落感を紛らわせることができなかったケイシー親子は、夢も見ずに眠るしかできなかった。そういう愛し方をする血統だった。
ケイシーは自分の死のときには、ジェイミーがいてくれると思っていたけれど、彼は母親の死に打ちのめされて、いなくなってしまった。
今、ケイシーの死を、自分と父がそうしたように痛切に悼む人間はもういない。
ケイシーは、その実感を、「僕が今ここで死んでも、世界中の誰も、僕のためにそんなに深く眠ってはくれない」と語りました。
(ケイシーの犬のマイルズは、愛情深く寄り添う存在ですが、原則、人より先に世を去る犬である以上、ケイシーを見送る存在として認識されず、逆にこれから訪れるであろうケイシーの人生の空白が強調されます。)
ケイシーのジェレミーとの別離は、このセリフによって、「レキシントンの幽霊」の気配と重なり合います。
たしかにあった、美しくぬくもりある過去、しかし、自分はその扉の外にいて、その明るい、曖昧なさざめきに、耳を澄ますことしかできない。
「レキシントンの幽霊」と、「ケイシーの父母の記憶」は、今を生きる人間とは違う輪の中に在るという意味で共通しています。
「時代の空気」であるか、「個人の記憶」であるかという違いだけで、どちらも、既に過ぎ去り、現在、生きた人間は、決してその輪に入ることができないという意味では、同じ性質のものです。
それでいて、明るく美しいさざめきだけは聞こえてきて、人を扉の外に佇ませる。
いつか、既に「誰も眠らない」人間になったケイシーは、屋敷で、あの居間にたちのぼる「レキシントンの幽霊」のさざめきを聞く日があるのか。
彼は、あの「レキシントンの幽霊」の明るく華やかな気配を、居間の外で、どんな思いで聞くのか。
扉を隔てて、「死んでいる」のは、誰なのか。
そんな想像は、傍観者の「僕」がケイシーから遠ざかってゆくことで、語られずに終わります。
幸福なさざめきと、ケイシーの最後の言葉がまざりあい、読者の中の思い出と欠落感を風のように揺らす、印象的な短編です。
是非お手に取って、この不思議な、忘れ難い感覚を味わってみてください。
読んでくださってありがとうございました。