2018年01月21日

熊谷守一、サザエさんに登場(?)(漫画『サザエさん』41巻より)

 先日、当ブログで現在開催中の「没後40年 熊谷守一 生きるよろこび」展についてご紹介させていただきました。



(色と形の科学者 熊谷守一の画業をたどる 日本経済新聞)




 極貧も成功も経験しながら、いつも淡々と身近な物を凝視し、描いた熊谷守一。




 この人柄に加え、亡くなるまでの約30年間、ほとんど家と庭で過ごしたという逸話や、ひげを長く蓄えた風貌から「仙人」と呼ばれた人物でした。


 そんな守一を彷彿とさせる画家が漫画『サザエさん』(朝日新聞社文庫版41巻)に登場しています。

 (昭和45年〈1970〉頃の作品、※守一90才頃)





サザエさん 熊谷守一風画家1.png



 老画家が、絵を描こうとしていたら、駆け込んでくる画商。


 「センセイ、描かんでください!」


 「また、一号30万円値上がりしました(※)」

(※)号……絵の大きさの単位。号数で値が決まることがある。



 (寡作の画家だから、既に描いた絵にプレミアがついて、値段が上がっている今、作品数が増えたら、市場に出ている絵の価値が下がってしまうということ。)


 ノリスケさん(新聞記者)の取材に応じて、画家のもとへ案内する画商。


「なにしろセンセイは寡作で、仙人のような生活でス」

(説明しているときの顔が良い味出してる。)


 鶏のくつろぐ庭先で、背中を丸めて座っているセンセイ。


 ノリスケさんが前に回り込むと、センセイはソロバンでせっせと収入の計算中。

 (画商「あちゃー」顔)


 大きな目に長いひげ、帽子と大きめの毛織物のベストという独特の服装、生き物との暮らし、そして「寡作」「仙人」という評判まで、熊谷守一によく似ています。


 作者、長谷川町子さんも動物好きで、犬猫ニワトリと暮らし、彼らを描いた漫画は傑作揃いです。


 (「可愛いキャラ」化しておらず、人間にひけをとらない個性や、サラリと描かれていてもリアルな体の質感、生き生きとした表情が実に魅力的。)


 現にここに登場している、守一風(?)センセイの側のニワトリも可愛い。


 熊谷守一ご本人の作品や生き方はお好きだったはずと思いますが、「超俗の仙人」と、やたら持ちあげる世間の風潮を少しからかいたくなったのかもしれません。


 以下、この漫画でパロディ化されている、熊谷守一の特徴について、補足情報を書かせていただきます。





 (「仙人」という呼び名について)


 守一本人も、「仙人」と呼ばれることを好まなかったらしく、こんな言葉を残しています。


 「みんなはわたしのことをすぐ仙人、仙人と呼びますが、わたしは仙人なんかじゃない、当たり前の人間です。

 仙人と言われるとき、こっちは少し用心する。

 二科会(美術家団体)にいたときも、都合のいいときだけ「仙人きてくれ。」といわれ、都合の悪い場合は、「仙人はいらない。」といわれて人間扱いされなかった。

 いくら仙人でも、この世に生まれたからには霞ばっかり食っては生きられません。人がわたしに会うとよく仙人とか、画仙とかいいますが、この世に父、母がいて生まれてきた、それじゃ人間で、仙人というわけにはいきません。」

(随筆集『蒼蠅(あおばえ)』p.148)



 仙人扱いは人間扱いされないことと紙一重と見抜いていた守一。


 飄々としているようで、地に足のついた冷静な洞察力の持ち主であることがうかがえる言葉です。


 また、


 「すべてに心がけがわるいのです。なるべく無理をしない、無理をしないとやってきたのです。気に入らぬことがあっても、それに逆らわず、退き退きして生きてきました」

(『蒼蠅』p.22)


と、言い切った守一にとって(普通の人間はあきらめかねて、無理して「気に入らぬこと」と戦おうとしたり、逆に媚びたりするので、これも非常に度胸のいることですが)、「仙人」という呼び名は、勝手に神輿にかつがれるようで居心地が悪かったのかもしれません。




(守一のファッション)


岐阜市HP過去展覧会情報で、長谷川町子さんの守一風(?)センセイそっくりの恰好をしている守一を見ることができます。)


 守一のトレードマークである、長い髭と風変わりな服装は、守一独自のこだわりによって生み出されたものでした。


 守一は自身の服装についてこんな言葉を残しています。


 「メリヤス(綿)のシャツも嫌いです。のどもとや手首、足首を締め付けられるのがどうにもいやなので、着なくてはならないときは、その部分を切り取って着ています。この頃カーディガンをいただいて着ていますが、それも袖を短く切っています。(中略)頭が寒いので帽子はよくかむります。好きな帽子があるのですが、かあちゃん(秀子夫人)が「こんなつぎだらけのものは雑巾にもなりません」といって、かむらせてくれないのです。それかといって捨てもしませんが」

(『蒼蠅』p.11〜12)


「さらしの襦袢(じゅばん=肌着)の上に真綿の入った長襦袢(着物の下着)、これは前がたっぷり合わさるように特に幅広く縫ったやつですが、その上に着物、毛織物の上衣を重ねます。寒い日は襦袢の次にかあちゃんの編んだ袖のゆったりしたカーディガンを着たり、上衣の上に真綿入りのちゃんちゃんこや狸の毛皮を重ねます。

わたしは寒いところにいたから毛皮が好きなんです。」

(『蒼蠅』p.48〜49)


 着心地と温度に非常にこだわった結果、あの服装にたどり着いた守一。


 身近な動物を描くにあたって、よく地面に寝転がっていたので、身綺麗にしていてはやりにくかったという理由もあったようです。


 ある日、守一が、庭にムシロをひいて横になり、アリが通りかかるとそれをスケッチしては、また寝転がる(たのしそう)ということをしていると、日動画廊(銀座の老舗画廊)の長谷川氏が絵をとりにやってきました。


 守一の姿があまりにも心地よさそうなので、私にもやらせてくださいと、隣に寝転がったものの、良い恰好をしていたので落ち着かず、「やっぱりダメです」と、起き上がってしまった、という話があったそうです。

(随筆集『へたも絵のうち』p.135)


 守一の服に対するこだわりは、幼い頃からのもので、お寺に行くときなどに、無理に着物や袴を着せられ、腹が立ったので、橋の上で、ひっくり返った亀のようにのたうちまわって無茶苦茶にしてやったそうです。

(『蒼蠅』p.25)


 守一は裕福ながら複雑な事情を抱える家に育ち、子供時代にあまりいい思い出がなかったようなので、このこだわりには、裏表があり窮屈な富裕層の暮らしに対する反発が含まれていたのかもしれません。


 このほかにも以下のような考えで、一般的な身だしなみから外れること筋金入りでした。


 「ヒゲをのばした理由は別にありません。

 子供のときから床屋に行くのが嫌いだった。

(中略)もう床屋へは行くまいと思って、ヒゲと髪を伸ばしだしたんです。」



 「起きたまんまが髪形になっていれば、これは、毎日新しい。一回でも同じことがないっていうのが、わたしのとっておきのお洒落です。」

(『蒼蠅』p.126〜128)


「歯が痛んだとき焼け火箸を突っ込んで神経を殺したことがありました。おかげで歯がぼろぼろになりました。(中略)四十歳頃は一本しかなかったように思います。」

(『蒼蠅』p.14)




 はっきりとした目鼻立ちで(若い頃は相当な美青年)、整えれば老いてなおダンディだったと思われますが、そういうことにはまったく頓着しない人でした。


 しかし、守一曰くこれは守一流のポリシーだったようで、こんな言葉も残しています。


 「これでなかなか、わたしは見えないところでお洒落なんです。

 いつも何気なく見せるということが、お洒落っていうものの、本当の姿だと思いますが、誰もわたしを見て、お洒落だといってくれる人はありません。」




 確かに、世の潮流からは外れているものの、我が道をとことん貫いた守一の風貌からは独自の味がにじみ出ており、それに魅了された写真家の土門拳と藤森武が、それぞれに彼の姿を写真に残しています。

(土門拳の写真は『蒼蠅」に収録、藤森武の作品は『独楽 ―熊谷守一の世界』にまとめられています。)




(守一とお金)


 サザエさんの中の守一風(?)センセイはソロバンをはじいていますが、実際の守一の金銭感覚はというと、これは本当にそういうことに興味が無い、というか、興味を持てない人だったようです。


 元々、守一の実家は非常に裕福で、彼は父親の妾だった女性の住む、元旅館の邸宅で少年時代を過ごしました。


 90畳の大広間が彼一人の子供部屋という桁外れの環境。


 しかし、実母や彼を可愛がってくれた祖母から引き離され、この邸宅を取り仕切る妾の女性とはそりが合わず、金銭が絡んだ人間の裏表を目の当たりにし……という事情があり、守一は裕福な生活に全く価値を感じない人間になりました。


(守一の生い立ちについては、『へたも絵のうち』にくわしく語られています。)


 それと同時に貧しさにも耐性ができたようで、守一は成功前の貧乏生活を「かあちゃん(秀子夫人)も、わたしも不似合いに大きな家に生まれ、中身のない生活をしてきたから我慢ができた」と振り返っています。

(※『蒼蠅』p.137)


「私はだから、誰が相手にしてくれなくとも、石ころ一つとでも十分暮らせます。石ころをじっとながめているだけで、何日も何月も暮らせます。監獄にはいって、いちばん楽々と生きていける人間は、広い世の中で、この私かもしれません」

(『へたも絵のうち』p.147)


 一見、ユーモラスなこの言葉も、守一がこうした心境にたどり着くまでの人生を思うと、別の重みが感じられます。




 熊谷守一の個性や人生についてより詳しくご覧になりたい方は、彼の随筆集『蒼蠅』と『へたも絵のうち』を是非お手に取ってみてください。守一独自の人生観が垣間見られて、絵に負けず劣らず魅力的です。


(気が塞いだときに読むと、発想とスケールが違いすぎて、脳の風通しになる。)




 読んでくださってありがとうございました。


(参考文献)

『新装改訂版 蒼蠅』熊谷守一(撮影土門拳) 求龍堂 2004年12月発行



『へたも絵のうち』 日本経済新聞社 1971年11月発行



『別冊 太陽 気ままに絵のみち 熊谷守一』 平凡社 2005年7月発行


(参照URL)

・「メディアコスモス新春美術館 没後40年 熊谷守一展」を開催しました!!」(岐阜市HP)




posted by pawlu at 09:35| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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