2018年01月03日

「猫年の女房」(女優、沢村貞子著『私の浅草』より)

 新年あけましておめでとうございます。


 お正月なので、今回は干支にちなんだお話をご紹介させていただきます。


 黒柳徹子さんに「かあさん」と慕われた名脇役女優、沢村貞子さん。




 エッセイストとしても活躍した彼女が、自身の生まれ育った浅草の思い出をつづった『私の浅草』の中に、こんなお話がありました。





 沢村さんが16才ごろのこと、近所に「おすがさん」という女性が住んでいました。


 沢村さんよりひとまわり年上の、申年(さるどし)の28才。


 やせ型で、髪を無造作にひっつめて結い上げ、地味な着物に化粧ッ気のない顔。


 大きな目と形の良い口元で、沢村さんのお母さんに言わせれば十人並みの器量でしたが、その年齢まで浮いた話がまったくない人でした。


 というのも、おすがさんの父親が、浅草男の悪い癖で、さんざん遊んで家族を泣かせた挙句に早死、母親もあとを追うように死んでしまい、まだ十五、六のおすがさんが、弟二人の面倒を見ることになったからでした。


 同情した沢村さんのお母さんのつてで、お母さんの姉が営む仕立て屋の仕事につき、弟たちの仕事の目途もついた頃には、当時の婚期を過ぎていました。


 もう今更お嫁に行く気なんてありません。一生仕立て物をして暮らしていきます。


 不運と戦ってきたために、そんなふうに言い切る表情にも口調にも愛想が無く、男たちの間で話題にもならないおすがさん。


 沢村さんのお母さんは、どうにかいいご縁を見つけられないものかとはがゆがっていました。


 「まあ、無理だな。年齢もなんだが、あの子は色気がなさすぎるよ。年中ギクシャクして、うっかりさわると、カランカランと音がしそうだ。」


 いい男だと芸者衆にもてはやされ、おすがさんの父より輪をかけて道楽者の沢村さんのお父さんは、女を見る目には自信があるとばかりにばっさりと切り捨てていました。




 ところが、ある日、お父さんは、ほおずき市で、おすがさんと大工の仁吉さんが寄り添って歩いていたのを見かけ、目を丸くしました。


 「……はじめは人違いかと思ったよ。銀杏返し(いちょうがえし:日本髪の一種)に結っちゃって……。声をかけたら振り向いて真っ赤になって、仁吉のかげにかくれたりして……色気があるんだよ、これが、――どうなってるんだい。」


 夕飯時のお父さんのそんな噂話に、お母さんは真面目な顔で向き直りました。


 仁吉さんは、無口だけど気のいい働き者で、栗の実のような丸顔と小さな目が人懐っこく、親方からも可愛がられている人でした。




 仁吉さんをおすがさんに引き合わせたのはお母さんでした。


 沢村家の台所の修繕に来ていた仁吉さんと、たまたま家に訪ねてきたおすがさんに、一緒にお茶を飲んでいくように勧めたお母さん。


 弟と同じ年頃、同じ大工という仁吉さんに、おすがさんも珍しく気を許し、仁吉さんの仕事話を熱心に聞き入っていました。


 仁吉さんは、その場でおすがさんに浴衣の仕立てをお願いし、それを仁吉さんの家に届けにいったおすがさんが、震災で身寄りを失くし、一人暮らしだった仁吉さんの部屋を掃除してあげたことから、仁吉さんの好意が深まったようでした。


 「あんまり汚いんで見かねたんでしょう。優しい人ですね。年齢は……私より二つ三つ上ですかね。」


 台所修繕の合間に、おすがさんの話をする仁吉さんに、五つ上と言いだしかねて、お母さんは、さあね、いくつになったかしらと空とぼけていました。




 「ちょっとお話が……」


 ほおずき市のすぐ後、見違えるほど優しい風情になったおすがさんが、しかし、思いつめた様子で、沢村さん母娘を訪ねてきました。


 「……仁吉さんのことかい?」


 うつむいてもじもじしているおすがさんに、お母さんがそう促すと、


 「……実は、あの人と一緒になりたいんですけど……」


 消え入りそうに絞り出した声にも、それまでにない甘さがありました。


 「けっこうじゃないか。あの子は働き者で人間もしっかりしてる。お前さんさえその気なら、いくらでも力を貸すよ」


 おすがさんは急に顔を上げました。


 「おかみさん。お願いですから、あの人にきかれても、私の本当のとしを言わないでください。お貞ちゃんより、ひとまわり上の申だなんて――」


 一緒になろうと申し込まれたとき、仁吉さんに、つい「あなたより一つ上の子(ね)年なのに、それでもいいの」と、言ってしまい、今更引っ込みがつかなくなってしまったそうです。


 あんたの弟さんも子年なのに……。そもそも仁吉さんは、年上なのは承知なのだから、そんなに気にしなくても……。と、お母さんがいくらなだめすかしても、


 「五つも年上だなんてわかったら、あの人がっかりします。私だってきまりがわるくて――そんなこと知れたら死んでしまう……」


 果ては、泣き出してしまいました。


 仕方がないので、弟さんにも二つさばをよんで、寅年ということしてもらおう、ということに。


 でも、区役所の届でわかってしまう。


 はっとしたお母さんに、届なんか出さなくったっていい、子供も産みませんと、きっぱり言い切るところに、昔のおすがさんの名残が見えました。


 そのくせ、お願いです、このことは言わないで……と、女っぽいしぐさで、沢村さんたちをおがみ、おすがさんは帰っていきました。




 約10日後、仁吉さんが、あいさつに来ました。


 式の前に届を出してくると聞いて、お母さんは慌てましたが、仁吉さんはその様子に気付き、笑って首をすくめました。


 「あの人がいくつだっていいんです。わたしは学もないし、ああいうしっかりした姉さん女房が好きなんです。ねずみだの申だのってオタオタ言ってるから、いっそのこと、猫年の女房ってことにしようって、ゆうべよく言いましたから……」



 秋になり、赤ちゃんができたらしい、と、報告に来たおすがさん。


 若妻らしく、丸髷(まるまげ:既婚女性の結う日本髪)に結い上げた髪を、淡い桃色の手絡(てがら:結った髪に添える布)で飾り、


 「でも、五つ上っていっても、私は十二月末だし、うちの人は一月の十日だもの、正味、四つと十五日しか違わないんですよ」


 明るく笑うおすがさんの、口元にもっていった左手の薬指に、指輪が光っていました。



(完)



 ちょうど、先日再放送していた大ヒットドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」で、主人公みくりの叔母、「百合ちゃん(石田ゆり子)」と、十七歳下(※)の風見さん(大谷亮平)の恋の行方が話題になりました。

(※原作漫画では二十五歳差)



※原作の「百合ちゃん」




 今も年上女性が、好きな人にアプローチされても引け目を感じるという話があるわけですが、沢村さんが少女時代(戦前、1920年代半ば)は、もっと厳しかったようで、今の読者からすれば、そこまで気がねしなくてもと思う状況でも、本人は泣くほど悩んでいます。


(伊藤左千夫の小説「野菊の墓」〈1906年〉では、女性が二才上という理由で、想い合う従姉弟同士が、血縁者たちに引き裂かれてしまいます。)







 そんな、今なお女性を閉じ込める、見えない檻から、苦労人の朴訥誠実な青年が「猫年の女房ってことにしよう」と、柔らかく連れ出してくれている、心温まるエピソードです。


 『私の浅草』ではこのほかにも、浅草の人々の暮らしや悲喜こもごもが、歯切れよく情緒ある文で綴られていて、とても魅力的なエッセイ集です。


 (花森安治さん編集の「暮らしの手帖」から刊行されていて、花森さんの温かな挿絵やカラフルな装丁も味わい深いです。)


 是非、お手にとってみてください。

 (このブログでもいずれもう少しこの本の内容や、そのほかの沢村貞子さんのエッセイをご紹介させていただく予定です。)


 読んでくださってありがとうございました。

posted by pawlu at 18:29| おすすめ本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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