9月10日午前9時00分〜 午前9時45分、NHK Eテレの「日曜美術館」で、アメリカの国民的画家、アンドリュー・ワイエス(Andrew Wyeth)(1917〜2009)が特集されます。
(再放送は9月17日20時〜)
(番組公式情報)
http://www4.nhk.or.jp/nichibi/x/2017-09-10/31/25342/1902735/
写真と見まごうばかりの緻密な画面で、人や風景、そして神秘的な情景など、多彩な作品を描いたワイエス。
(代表作「クリスティーナの世界」)
By http://www.moma.org/collection/object.php?object_id=78455, Fair use, https://en.wikipedia.org/w/index.php?curid=8005786
今回の特集では、ワイエス作品のうち、移民としてアメリカに生きる人々の絵画にスポットをあて、ワイエスが描こうとしたアメリカとは何であったかについて考察されるそうです。
今回の記事では、番組解説もご担当される高橋秀治さんの著書、『アンドリュー・ワイエス作品集』(以下『作品集』と略)を主に参照させていただきながら、ワイエスの基本情報をご紹介させていただきます。

アンドリュー・ワイエス作品集 -
(アンドリュー・ワイエスの生涯)
ワイエスは1917年、ペンシルベニア州の田舎町、チャッズフォードに5人兄弟の末っ子として生まれました。
父親はニューウェル・コンバース・ワイエス(N・C・ワイエスと略されることが多い。)。
https://en.wikipedia.org/wiki/N._C._Wyeth

N. C. Wyeth (Museums of the World) -
堂々とした質感に満ちた、写実的な画風で、挿絵画家として成功していた人物でした。
ワイエスは、裕福な家庭で、恵まれた子供時代を送りましたが、心身繊細な子供で、学校に通うことができず、家庭教師に勉強を教わることになりました。
父の影響で既に絵を学んでいた姉たちと自分を比べ、内心では疎外感を覚えることが多い子供時代だったそうです。
少年時代は自己流で絵を描いていたワイエスでしたが、15歳のころ、父がワイエスの才能に目を留め、本格的に基礎を身に着けることを勧めます。
(補:作品集に15歳の頃のペン画が載せられていますが、すでに驚異的な緻密さと歴史的想像力を兼ね備えた非凡な才能が見て取れます。)
自由に描くことを好んだワイエスにとって、この父の指導による基礎訓練は窮屈さを感じるものだったようですが、これにより、ワイエスの才能は磨かれ、数年後にはさらに高い写実技術を身につけました。
19歳で、水彩による風景画を集めた個展を開くと、作品は完売。ワイエスはすぐに、名声を得ることになりました。
(作品集「ワイエスという画家」部p.5〜6参照)
ちなみに、ワイエスの作品は水彩のほか、卵テンペラで描かれたものが多いです。
卵テンペラは、卵の卵黄と絵の具に、酢や油などを混ぜ合わせて色を作り上げる技法(作り方を見るとマヨネーズそっくりです。)で、乾きが早い上に色あせが少なく、油彩と比べると、透明感のある色調で描くことができます。
(数百年前の作品でもいまだ鮮やかな色を保つフラ・アンジェリコやボッティチェリ作品がその好例です。)
一方乾きが速いので、油彩のような画面上で色を混ぜ合わせる形でのぼかし表現が難しく、線を描き込むことで陰影をつけるという方法がとられるそうです。
この技法を用いることで、ワイエスの作品は、繊細な線描とともに、暗い色合いを用いてもほのかな光が差し込むような神秘的な味わいを持つことになりました。
(普通の人々と質素な家屋を描きながら、どこか神聖な気配が漂っているのは、この描き方それ自体と、観る者の中にある、古き良き宗教画の記憶が重なり合うからかもしれません。)
23歳のとき、ワイエスは4歳年下の美しい女性、べッツィーと結婚しました。
べッツィーは聡明な女性で、結婚後はワイエスのマネージャー的役割を務めてくれましたが、この結婚は父の反対を押し切ったものでした。
売りやすい絵にするために、息子の創作に口出しをする父と、それに内心反発していたワイエスの間には、すでに微妙な緊張感があり、ワイエスは、結婚により、父と精神的距離をとることになりました。
(彼がテンペラを選んだのも、油彩が得意だった父の影響から逃れるためだったという説があります。)
しかし、ワイエス28歳のとき(1945年)に、父が交通事故で急死、ワイエスは父との和解と、画家としての父を乗り越える機会を失います。
「冬」はこの時期に描かれた作品で、寒々しい丘を駆け下りてくる少年の、バランスをくずしかけた姿には、父を失ったワイエス自身の動揺が投影されています。
(「冬」の一部を表紙にした画集)

ワイエス (現代美術 第3巻) -
(作品集「新たな出発」部p.10〜11参照)
父の死をきっかけに、ワイエスの作品は、きわめて写実的でありながら、物思いにふけるような気配を深めてゆきます。
第二次世界大戦から冷戦という、社会の混乱期にあっても、ワイエスは途切れることなく、故郷ペンシルヴェニアの田舎と、避暑地メイン(カナダとの国境に位置する州)の人や風景を描き続けました。
(ワイエスは生涯のほとんどをこの二つの地で過ごし、ほかの場所にはめったに出かけなかったそうです。)
チャッズ・フォードには、ドイツ系や、アフリカ系の移民が住んでおり、隣人として彼らと交流のあったワイエスは、彼らと、彼らの暮らす家屋や生活を描きました。
なかでもワイエスの心をとらえたのは、少年時代から交流のあったドイツ系移民のカーナー夫妻でした。
第一次大戦中に従軍経験があり、アメリカ移住後を含め、苦難の日々をくぐりぬけてきた夫カールと、英語を覚えられず、寡黙に働き続けた妻アンナを、ワイエスは、張り詰めた厳粛さとともに描きました。
ワイエスはカールに、愛しながら複雑な感情のまま失ってしまった父の面影を重ねていたのかもしれないとも考えられています。
(作品集「カーナー農場」部p.45〜67参照)
また、カーナーが病に倒れてから、看護師としてカーナー家で働き始めたドイツ系女性、ヘルガも、ワイエスの重要なモデルになりました。
(ヘルガの肖像画が表紙の本)

Andrew Wyeth: The Helga Pictures -
この、若さや美貌は無いものの、内に秘めた力を感じさせる肉体と、己の心の陰影を見つめるようなうつむき顔をした女性は、繰り返しワイエスの裸体画のモデルを務め、その絵の存在が長年隠されていたことから、後にマスコミから、二人の男女関係が疑われますが、互いにそれを否定。ヘルガは助手として、ワイエスの最晩年まで彼の身の回りの世話をしたそうです。
(作品集「ヘルガ ー画家とモデルの揺るぎない関係ー」部p.68〜77参照)
さらに、同じく少年時代から交流があった、幅広い世代のアフリカ系移民、ネイティヴ・アメリカンの血を引く人物など、様々な友人知人を描いたワイエスは、避暑地のメイン州で、彼の名声を決定づけるモデルと出会います。
アメリカ現代絵画の金字塔とも言える、「クリスティーナの世界」で描かれた女性、クリスティーナ・オルソン。
「クリスティーナの世界」は、枯れた色の草原に、細く、力の籠った両腕をついて、身を起こし、遠くの家屋に目を向ける女性の後ろ姿を描いた絵画です。
モデルとなった、クリスティーナ・オルソンは、進行性の病で、この時期両足が不自由になっており、しばしば屋内や周辺の土地を、這って移動していました。
クリスティーナと、彼女を支える弟、アルヴァロの人柄と暮らしぶりに心惹かれたワイエスは、彼らの家に頻繁に出入りするようになり、ついには二人が使用していなかった二階を使わせてもらうようになりました。
(オルソン家に限らず、ワイエスのモデルとなった隣人たちは彼の訪問に非常に寛大で、彼に鍵を渡して、勝手に出入りし、住人や家の中を好きにスケッチすることを許した家庭もあったそうです。〈作品集p.169参照〉)
この絵は、ワイエスが、オルソン家の上階から、お気に入りのピンクのワンピース姿で、這ってブルーベリーを摘むクリスティーナの姿を見つけたことをきっかけに描かれました。
絵の所蔵先であるMoma美術館のHP(日本語解説)によると、後に、ワイエスは、この絵について、Moma美術館初代館長にこう書き送ったそうです。
「私の課題は、ほとんどの人に望みなしと思われている彼女の人生を、彼女自身が克服しようとしている並々ならぬ姿を、 しっかりと表現することでした。私が描いたものによって、彼女の世界は、肉体的には制限があっても、精神的にはいっさいそのようなことはないのだと、 ささやかな形であれ、見る人に思わせることができたとしたら、私の目的は達成されたことになるのです。」
ワイエスは、誇り高く強靭な精神の持ち主であるクリスティーナと、控えめで姉思いのアルヴァロの日常を、彼ら本人の肖像のみならず、不在の部屋や所有物からも描き出しました。
ワイエスの代表作の一つ、「海からの風」は、古びたレースのカーテンを揺らす夏の風と、窓の向こうに広がる草地と水辺の景色を描いたもので、これも、オルソン家の風景をモチーフにしたものです。
(「海からの風」を使用した本の表紙)

Andrew Wyeth: Looking Out, Looking in -
ワイエスとの30年以上の交流を経て、アルヴァロが姉を案じながら逝去すると、クリスティーナも後を追うように世を去りました。
ワイエスは彼らの死後にもオルソン家を訪れ、主を失った部屋を描くことで、二人の面影を追っています。
(この後、オルソン家は、アップル社のCEOに買い取られ、今は名画の舞台として、地元ファーンズワース美術館の管理下におかれることとなりました。)
(作品集「クリスティーナの世界」部p.110〜p.127参照)
その後も、古くからの友人たちのほか、妻ベッツィーが、絵画のインスピレーションになるようにと準備した土地や建物を描いていたワイエスでしたが、ときに、リアルな質感と陰影を持ちながら、現実離れした情景を描いて、作品の幅を広げました。
「雪の丘」は、故郷の雪に覆われた丘で、「メイポール」(※)と呼ばれるリボンや植物で飾られた柱の周りを、様々な年齢、人種の男女が、リボンを手にして、輪になって踊っているという、幻想的な作品です。
(※)本来は春の訪れを祝い、豊穣を願うお祭りで、5月に行われることが多い。
(「雪の丘」の部分を使用した本の表紙)

Andrew Wyeth's Snow Hill -
彼らは、それまで、ワイエスと交流を持ち、モデルとなった人々でした。
カーナー夫妻、彼の息子たちともども友人だった、ビル・ローパー、同じくアフリカ系移民のアダム、ワイエスの身の回りの世話をしたヘルガ、「冬」の少年(ワイエス自身という説もあります。)
予備知識が無くても、古びた軍服を着たカールや、雪景色など、本来の祭りではありえない情景が、ミステリアスな印象を醸しますが、すでにワイエスの絵全体に魅了された人々には、ワイエスの彼らに対する思いや、画家としての道のりが見て取れます。
実際に彼ら全員が顔を合わせた機会は無かったと思われますが、自分の人生と創作に関わってくれた人々が、ともに踊る姿で描くことで、彼らと、人生への追憶を表現しているような作品です。
(作品集「奇妙で不思議な絵」p.158〜159参照)
幼いころから、健康に不安を抱えながら、意図的に、閉じた、しかし、深い世界を生きたワイエスは、2008年の転倒による骨折で、絵が描けなくなるまで、揺るぎなく緻密で端正な作風を保ち続け、2009年、就寝中に世を去りました。
最後の作品は、浜辺の白い家(妻ベッツィーがワイエスの絵のモチーフとなるように購入した。)から、静かに遠ざかるヨットの絵でした。
(作品集「晩年」部、p.176〜185参照)
ワイエスの墓はクリスティーナとアルヴァロと同じ墓地にあり、草地の先に、あのオルソン家が見えるそうです。
今は、次男のジェイミー・ワイエスが、父、そして祖父を彷彿とさせる圧倒的写実力で、人気画家として活躍しています。

Jamie Wyeth - Jamie Wyeth
優れた技術と、日常を生きる人々への共感、静寂に生と死のイメージが透けて見える神秘性を兼ね備えた、アメリカの国民画家の作品を細部まで見られる機会ですので、ぜひ番組をご覧になってください。
(さらにワイエスについて知りたいという方には、今回私が引用参照させていただいた高橋秀治さんの本がお勧めです。生前のワイエスとも交流があり、日本のワイエス紹介に尽力された方だそうで、多様な作品が鮮明な画像で掲載されている上に、作品に関する詳細なエピソードが数多く読める、とても素敵な本でした。)
当ブログのワイエス関連記事はこちらです。
・「アメリカの国民画家 アンドリュー・ワイエスのおすすめ絵画1」(シポーラ夫妻をモデルにした作品)
・「 アメリカの国民画家アンドリュー・ワイエス おすすめ作品2(孤高のアウトサイダー、ウォルター・アンダーソンをモデルにした作品)」
なた、補足で、ワイエス情報が見られるURLを貼らせていただきます。ご参照ください。
読んでくださってありがとうございました。
(参照URL)
・ウィキペディア「アンドリュー・ワイエス」(日本語版)
・同上英語版「Andrew Wyeth」
https://en.wikipedia.org/wiki/Andrew_Wyeth
・アンドリュー・ワイエス公式HP
http://andrewwyeth.com/
・公式HP「ギャラリー(一部作品画像)」
http://andrewwyeth.com/gallery/
・ブランディワイン・リバー美術館
(アンドリューを含むワイエス家三代の絵画を所蔵)
http://www.brandywine.org/museum
・ブランディワイン・リバー美術館
「アンドリュー・ワイエス回顧展(※9月17日まで)」情報
http://www.brandywine.org/museum/exhibitions/andrew-wyeth-retrospect
・ファーンズワース美術館
(アンドリューを含むワイエス家三代の絵画を所蔵、オルソン・ハウスの保存も手掛ける)
http://www.farnsworthmuseum.org/
・ファーンズワース美術館 オルセン・ハウスのガイドツアー情報
http://www.farnsworthmuseum.org/experience/tours/olson-house/
・丸沼芸術の森
(ワイエスの水彩や下絵を主に所蔵、常設展は無いが、2017年9月16日から「アンドリュー・ワイエス 生誕100年記念展」を開催)
http://marunuma-artpark.co.jp/
http://marunuma-artpark.co.jp/event/index.html#20170801
・福島県立美術館
(「松ぼっくり男爵」ほかワイエス作品所蔵。9月24日まで生誕100年を記念して5点を「コレクション展」として展示中)
・http://www.art-museum.fks.ed.jp/(トップ)
・http://www.art-museum.fks.ed.jp/htdocs/?page_id=28(コレクション展情報)
・ニューヨーク近代美術館(Moma)「クリスティーナの世界」
https://www.moma.org/collection/works/78455?locale=ja
https://www.moma.org/audio/playlist/1/240(日本語版解説)
・テレビ東京「美の巨人たち」アンドリュー・ワイエス作「松ぼっくり男爵」紹介
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/130622/index.html
(補足)当ブログでアメリカ絵画について一部描かせていただいた記事
http://enmi19.seesaa.net/article/442229731.html (「オバマ大統領と絵画」)
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