六本木の新国立美術館で、開催中の「ジャコメッティ展」が、いよいよ終了間近となりました。
・展覧会公式HP(TBS) http://www.tbs.co.jp/giacometti2017/
・展覧会のTBS公式動画
今回は、イギリスで起きた贋作事件を題材としたノンフィクション『偽りの来歴』に描かれた、ジャコメッティ作品と贋作事件の関わりについて、印象的だった箇所を、引用、ご紹介させていただきます。
〈当ブログでこの贋作事件の概要について書いた記事はコチラです。〉)
1986年から95年、イギリスの美術業界を大混乱に陥れた、大規模な贋作事件がありました。
天性の詐欺師、ジョン・ドリューが、生活苦の中にあった画家、ジョン・マイアットをそそのかし、約200点あまりの贋作を制作販売したこの事件、ドリューが、美術館への多額の寄付金をちらつかせて美術館幹部らの信頼を得たのち、美術館の資料室に侵入し、作品の来歴を示す、偽造書類を紛れ込ませるという、かつてない手口で、専門家たちを翻弄しました。
しかし、そうした偽造資料に一切まどわされずに、作品(絵画)の写真だけで、即座に贋作を見抜いたのが、「ジャコメッティ協会」の女性秘書、パーマーでした。
葛藤を抱えながらも、腕利きの贋作師であったマイアット(紆余曲折の後、現在も画家として活躍中)と、世界中のジャコメッティ作品の情報を収集管理していたパーマー。
それぞれの、ジャコメッティ作品に対する考察が語られた文章を読んでいると、次第に、ジャコメッティ作品と、ジャコメッティ本人の、突出した個性が浮かび上がってきます。
ジャコメッティの贋作にとりかかろうとしたマイアットは、ジャコメッティ本人への理解を深めるために、あらゆる資料を読み漁り、可能な限り美術館に足を運んで、実物を観察しました。
(以下『偽りの来歴』p.82〜p.83より引用)
「実のところ、ジャコメッティには、満足感はなかった。彼は自分の傑作の多くを失敗作と考えており、手元にある作品に手を加え続けずにはいられなかった。『絵に取り組めば取り組むほど、それを終わらせることは不可能になる』と、彼(補:ジャコメッティ)は言っていた。画家であり文筆家でもあった知人の一人は、その芸術的プロセスを『強迫観念的な削減行為』と呼んだ。ジャコメッティが彫刻を作るとき、彼の手は『上から下へとはためくように動き、粘土をつまみ、えぐり、刻み込む。一見すると絶望的な、ほとんど胸がはりさけそうな様子で、真実を捉えるために奮闘しているのだ。』『ジャコメッティは、自分自身の創造物と似始めた。骨格はより細くなり、顔はやつれ、髭も石膏の粉で覆われたように白っぽくなった。まるで本人の本質のみに煮詰められたかのようだった。最後には、人物彫像の骨組か、あるいはごつごつした鋼と金網でできた人形のような姿で、角のカフェに座って煙草をふかしていた。一度など、すでに彼が金持ちになっていた頃のことだが。一人で座っている彼を見かけたある婦人が気の毒に思い、コーヒーを一杯おごりましょうと言ってくれた。彼はすぐに受け入れたが、その目は感謝と喜びの色に溢れていた。』(※)彼(補:マイアット)が今描いているのは、青灰色の影の中から裸婦像が浮かび上がる単純な構図だ。(中略)シンプルな構造の絵なので、真似をするのは簡単だろうと思っていた。だが、それは間違いだった。ジャコメッティは独特のエネルギーを持っていて、意図的であると同時に、まるで逆上して画面に向かったかのようにも見える、もつれあった線で作品を描いた。全身像で描かれている裸婦は、それが強い喚起力をもっていたため、マイアットには、その肉体の下に骨が感じられるほどだった。その不可解なイメージは、カンヴァスの中から、まるでこちらの世界へと足を踏み出そうとするかのように立ち現れてくるのだ。どうしてジャコメッティにはこんなことができたのだろうか?(中略)この作家はいつもモデルを使って描いていた(彼の妻がお気に入りのモデルの一人だった。)が、モデルには、絶対動かないことと集中することを要求した。彼は一枚の絵に数ヶ月を費やし、ときには制作中、モデルから一メートルに満たないところに座って描くこともあった。彼は、モデルに自分をまっすぐ見つめ、自分の引力の中に入ってくるように頼み、そのモデルをカンヴァスの中に巻き取るのだった。」
マイアットは、ジャコメッティ作品が、そのシンプルな姿とは裏腹に非常に困難なものであることに気づかされます。
(贋作の発覚を防ぐため、モデルが使えなかったことがより作業を困難にしました。)
失敗を繰り返しているうち、ドリューに「描けない部分は前に何か別のものを描くことで隠せばいい」と言われたマイアットは、苦肉の策で裸婦の前にテーブルを描きました。
この贋作が名門オークションハウス、サザビーズのカタログに掲載され、パーマーの目に触れたことから、彼らの犯罪が綻びはじめます。
パーマーは即座にサザビーズに連絡、来歴を示す書類が完璧であったため、作品はすぐには贋作と確定しませんでしたが(サザビーズは、パーマーに同意して、売却を延期するという対応を取りました。)、パーマーはほかにも贋作が紛れ込むはずだと考え、調査を開始しました。
(※)『』部は、ダン・ホフスタッター「自身の芸術とは異なった生涯」、ニューヨークタイムズ書評、ジェイムズ・ロードによる伝記『ジャコメッティ』評の引用。
(ブログ筆者補:ジェイムズ・ロードは美術評論家でエッセイスト。矢内原伊作同様、モデルとなった経験を『ジャコメッティの肖像』に記した。このときの出来事が、2018年1月公開予定のジャコメッティの映画「ファイナル・ポートレート」の題材となっている。)
一方、不本意ながら、裸婦の足の部分をテーブルで隠した贋作(本文中通称「足のない女」)を描いてしまったマイアットは、その後、懸命な努力で、本人としても満足の行く、新しい裸婦像(通称「立つ裸婦」)の贋作を仕上げました。
こちらは、ニューヨークに渡り、一流の画商が「傑作」として買い取りました。
絵を買い取った画商、バートスはこの絵が約4550万〜7150万円で売れると見立てて、ジャコメッティ協会に鑑定書の発行を依頼、「立つ裸婦」の写真を送付しました。
(ヴィクトリア&アルバート美術館のHPに、贋作発覚の発端となった作品「立つ裸婦」と、偽造資料の画像が見られる記事があります。
しかし、写真を見たパーマーは、送られてきた写真を見るなり、絵の裸婦に向かって「まっすぐ立ちなさいよ!」と怒りをあらわにしました。
(以下p.215〜216引用)
「その裸婦は何もかもが間違っていた。なぜならアネット・ジャコメッティが夫のモデルをするときには、まるで歩哨のようにぴったりと脚を合わせて直立不動で立っていたからだ。彼女はすきま風の入るアトリエで何時間もポーズし、ストーヴに火をおこすときだけほんの一瞬休憩をとるのだった。何年にもわたりジャコメッティは、そんな彼女の、疲れを知らない真剣な姿を繰り返し書いてきた。バートスの裸婦は、あまりにも表面的で、重力が不足していた。ジャコメッティは解剖学を熟知していたから、裸婦を描くときも骸骨(スケルトン)の上に注意深く身体を組み立てていた。それに対し、バートスの裸婦はあまりに弱々しく頼りなかった。
骨が感じられないわ、とパーマーは思った。
(中略)ジャコメッティは、非常に繊細な筆を使い、熱のこもった筆のタッチを重ねることで像をつくりあげていた。バートスの作品も同じ類いのエネルギーのいくらかはもっていたが、その筆触は、像を核心部分から立ち上げているというよりもむしろ、あらかじめ定められた形を満たそうとしているようだった。」
バートスへ鑑定結果を知らせようとしていた矢先、新たな贋作情報がジャコメッティ協会に舞い込み、この事件が非常に大規模なものであることを確信したパーマーは、すべての作品に関与したドリューを追い詰めるべく、来歴資料を所有しているテート・アーカイヴス(テート美術館資料部)にコンタクトをとります。
既にあまりにもドリューと彼のスタッフ(詐欺の共犯者)が頻繁に資料室を訪れること、その態度に不自然な丁寧さがあることに強い違和感を感じていた現場スタッフのジェニファー・ブースが、パーマーの警告を受け、彼らの不審な点について調査を開始、彼女たちの動きを受けて、ついにロンドン警視庁が捜査に乗り出すこととなります。
マイアットが最初そう感じたとおり、ジャコメッティの作品は技術のある人間なら簡単に模倣できそうな単純化されたものに見えますが、実は莫大な知識と執念(そしてモデルの献身的忍耐)によって作り上げられており、それに敬意を払っていたパーマーにとって、真贋の見分けはいともたやすいことでした。
わかりやすいわけでもなく、見るからに緻密なわけでなくても、画家がまさしく身を削るようにして才能の全てをぶつけた作品には、やはり、他の誰にも真似できない「真髄」があるのだと感じさせられるエピソードです。
このご紹介がジャコメッティ鑑賞の一助になれば幸いです。
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