『夕凪の街 桜の国』は『この世界の片隅に』で、日本中に感動を与えた、こうの史代さんの、戦争にまつわるもうひとつの傑作漫画です。
この作品は、原爆投下から10年後の広島に住む皆美を描いた「夕凪の街」と、皆美の姪、七波から見た、家族たちの人生を描いた「桜の国」の、二部構成になっています。
今回は前半の「夕凪の街」について少しご紹介させていただきます。
(ネタバレですので、あらかじめご了承ください。)
(「夕凪の街」あらすじ)
「あの日」から10年後、皆美は、原爆で父、妹、姉を失い、母と二人で暮らしていた。
皆美の家は、原爆で家を失った人たちが身を寄せ合って暮らす粗末な小屋だが、10年の月日を経て、皆美もまわりの人々も、かつてのように仕事や暮らしに勤しみ、日常を取り戻したかのように見えた。
だが、皆美には、今でもわからない。
「あれ」は、いったい何だったのか。
確かなことは、誰かに自分が「死ねばいい」と思われたこと。
そして、「あの日」以来、自分がそう思われても仕方の無い人間になったと、自分で思うようになってしまったこと。
「あの日」、惨状の中で、がれきに押しつぶされた級友や、助けを求める人たちを数えきれないほど見殺しにし、死体に心を麻痺させて生き延びた自分。
働き、家事をすることはできても、美しい服を自分のために縫い上げること、同僚の男性、打越の優しい手をとること、幸せになることが、皆美にはできなかった。
10年前にあったことを話させて下さい。うちはこの世におってええんじゃと教えて下さい。
打越の好意を受け止められないでいる皆美は、打越にそう、胸の内を話した。
自身は原爆の被害には遭わなかったが、伯母を亡くしていた打越は、皆美の心に沈む思いをすでに感じ取っていた。
「生きとってくれてありがとうな」
皆美とつないだ打越の手を、皆美はやっと笑顔で見つめることができた。
皆美が心の重荷をおろした日の晩。
体に力が入らなくなった。
医者に見せても原因がわからないまま、どんどん全身がだるくなっていく。
横になったまま、皆美は姉を思い出した。
姉は、火に焼かれて死んだのではない。
あの日から二か月後、倒れて寝込み、紫の染みを体に散らして、皆美に殴りかかったり、叫んだりしながら死んでいった。
皆美が倒れてから、母は姉の話をしなくなった……。
(結末部の画面とセリフ)
次第に衰弱していく皆美は、やがて視力を失い、そこから先は、真っ白なコマと、皆美の心の中の独白だけになってゆきます。
自分の喉から吐き出されるものは、もう、たぶん血ではなく、内臓の破片。
髪が抜けているのかもしれないけれど、触れて確かめる力もない。
真っ白な空間に、ぽつりと落ちた言葉。
「嬉しい?」
「10年経ったけれど、原爆を落とした人はわたしを見て、『やった!また一人殺せた』とちゃんと思うてくれとる?」
「ひどいなあ、てっきりわたしは死なずに済んだ人かと思ったのに」
作者のこうのさんは、『この世界の片隅に』で、呉を舞台に、広島で起きたことを描きました。
『この世界の片隅に』でも『夕凪の街 桜の国』でも、読者の視界を惨状で覆うことはせず、セリフや間接的な描写で、読者の胸の内に当事者の思いを託すという表現方法がとられています。
そうして、「戦争という遠い昔の悲劇」ではなく、そこに生きた人々の思いを、身近なものとして、読者の心に永く息づかせている。
この場面描写力に加え、「夕凪の街」で、強く心に残るのは、原爆の後遺症に突如襲われた、皆美の思いです。
「10年経ったけれど、原爆を落とした人はわたしを見て、『やった!また一人殺せた』とちゃんと思うてくれとる?」
この言葉は、原爆という兵器の持つ残酷さを、今までにない角度でえぐり出しています。
一瞬でそこにいたあらゆる人々を炎に包み、そして、生き残り、敗戦の中で新しい人生を歩もうとしていた人たちまで、後遺症で蝕まれてゆく。
「そんなつもりはなかった」という言葉すらかけられず、自分の顔も死も知られないまま、殺されていく。
それまでに無い、戦争、そして原爆だから起こった残酷と、それに巻き込まれた人の無念がにじみ出た言葉です。
原爆投下の判断を下した人々は、一体、この後遺症についてどこまで理解していたのか。
深くは知らなかったのか。
知った上で、それでも投下するべきだと思ったのか。
このことについて、我々はほとんど事実を知らされていません。
しかし、皆美のように、周囲の人の死や、葛藤の中でもがきながら、ようやく生きる意味を見出したときに、なぜ死ななければならないかもわからずに、命を落としていった人がいるということを、この作品を通じて心に刻み付ける必要があると思います。
「夕凪の街」は、抑制された語りながら、やはり重いものが残りますが、「桜の国」は、その後の人々の、苦しみの中から芽生えた愛情を描き、心に灯のともるような読後感の作品です。
どちらも名作であり、一つの家族の物語として、併せて読むことにより、いっそう互いの深みが増す構成になっているので、是非ご覧ください。
読んでくださってありがとうございました。
(補足)
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