2017年04月10日

河鍋暁斎こぼれ話(展覧会「これぞ暁斎!!ゴールドマンコレクション」によせて)

(『暁斎画談(外篇巻之上)』挿絵部分 暁斎に手本を描いてみせる国芳〈部分〉猫まみれでかわいい)
国芳画塾.png



 東京での会期終了間際(2017年4月16日まで)となってしまいましたが、前回に引き続き、東京で開催中の展覧会「これぞ暁斎!!ゴールドマンコレクション」にちなんで、幕末、明治に活躍した絵師河鍋暁斎のエピソードをご紹介させていただきます。





1、河鍋暁斎と歌川国芳


 物心ついたときから絵が好きだった暁斎は、数え年七才(現在の6歳)のときに、浮世絵師歌川国芳の画塾に弟子入りし、絵を学び始めました。


 歌川国芳は、勇壮な武者絵や反骨とユーモアに満ちた風刺画など、多様な作品を産み出しましたが、一方で無類の猫好きとして、沢山の猫を飼い、猫にちなんだ可愛らしく楽しい絵も数多く描きました。


 暁斎本人が挿し絵を描いた本、『暁斎画談(外篇巻之上)』にはこのときの国芳の画塾の様子が生き生きと描かれています。


 塾といっても非常に賑やかな様子で、子供の弟子たちは絵を描いているかと思えば、床を転げ回って取っ組み合い、師匠の国芳は、それを一向叱るでもなく、猫を懐に入れ、その猫と、国芳の机にお腹を出して寝そべる猫とが、ちょいちょいと前足を伸ばしてじゃれあっています。


 さらに国芳の膝元でも、ある猫は、お尻を畳についてペロペロと毛繕い、ある猫は背中に子猫をじゃれつかせ……。


 計5匹の猫を周囲で好きにさせながら、腕をひょいと伸ばした国芳が、幼い暁斎と思われる少年に一筆で手本を描いてみせています。


(授業風景)

国芳画塾2.png


 ニャーニャーとかギャーギャーとかあちこちから聞こえてきそうな部屋の中、国芳の隣に、やさしげな女性が座り、自分も絵を描いているのか、国芳を手伝っているのか、紙を広げ、少し困ったように眉を八の字にしながらも、微笑んで、この賑わいを見ています。


 絵の側に「よし玉女」と読めるので、国芳の女弟子の「歌川芳玉(芳玉女とも号した)」のようです。

(ちなみに、国芳の二人の娘も父に師事して絵師になったそうです。)


 年齢性別どころか人猫の別もなく皆が好きなことをしている、自由奔放(過ぎ)で活気に満ちた空気が伝わる挿し絵です。


 国芳は才能ある暁斎を大変可愛り、彼に絵描きの心がけとして、武者絵を描くときに役立つから、人を投げ飛ばすとか組み伏せるとかいう場面に出くわしたらよく観察しておくように、と、教えてくれ、暁斎は師の教えに忠実に、喧嘩があれば見物に駆けつけ、夫婦喧嘩を捜し歩いて叱られたこともあったそうです。


 しかし、暁斎はわずか二年ほどで国芳の画塾を辞めてしまいました。


 どうして暁斎は国芳の塾を辞めたのか。


 はっきりしたことはわかりませんが、一説には父親が国芳の素行の悪さを心配したからと言われているそうです。

(「これぞ暁斎!」図録「河鍋暁斎年譜」より)


 確かに、暁斎が望んで辞めたということは無さそうです。


 国芳は暁斎に優しかったそうですし、暁斎が国芳を慕い、画塾も楽しんでいたことは、この挿絵から明らかです。


 暁斎が画塾に通っている最中か、辞めた後かはわかりませんが、暁斎は8歳のときに、処刑された罪人の生首を川から拾ってきて写生するという騒動を起こしています


 児童の年齢で「絵のためなら何でもやる」暁斎を、子供相手に「喧嘩があったら、よく見ておきなさい」と真顔でアドバイスする国芳のところに通わせ続けたら、まずいことになりそうだ、と、親が心配したのではないでしょうか。

(実際、喧嘩を捜し歩いて叱られる等、危険信号が点滅していた


 縦横無尽な画才と、破天荒な性格(そして猫好き)という、相通ずる魅力を持った師匠と弟子の交流が、短い間に途絶えてしまったのは残念なことですが、この後、狩野派に弟子入りしなおした暁斎は、あらゆる画風を会得し、浮世絵にとどまらず、様々な名作を世に送り出すこととなります。


2、百円烏と栄太郎飴


 今回の展覧会では、たくさんのカラスの絵を見ることができます。


 奇抜な絵ばかり描いているようにも見える暁斎ですが、実は非常に厳格に写生をする人で(やりすぎて生首や家に迫る火事まで描くとも言える)、鳥を描くにあたっては、以下のような方法をとっていたそうです。


「私は作品として描き始める前に、鳥の特有な姿勢を観察する。そこでその場を離れ、記憶に残った鳥の特有な姿勢をできるだけ多く書き留める。記憶が途切れた時点で手を止める。これを繰り返すことで最後には鳥の姿はいとも鮮明に私の記憶として脳裏に焼き付き、それを反復して完全に再現することを可能にする」

(ゴールドマンコレクション展覧会図録「これぞ暁斎」及川茂より引用)


 「暁斎画談」には、この写生の手法を会得するべく、暁斎の飼う動物や草木をしげしげと眺めて写生にいそしむ弟子たちの姿が描かれています。

(どさくさまぎれに弟子がお猿に髪をひっぱられたりしている)

暁斎弟子たちの写生風景.png


 かくして、いざ絵に描くときには一気呵成の勢いのある線で、多様なポーズのカラスを描いた暁斎は、明治十四年(1881)、内閣勧業博覧会に「枯木寒烏図(こぼくかんあず)」という作品を出品、自ら百円の値をつけました。(通常の十数倍の価格。)


 高すぎるのではという声に対し、これは烏一羽の値ではなく、長年の苦学への対価であると主張した暁斎の心意気に感じ入り、和菓子屋「榮太郎本舗」の主人が彼の言い値でその絵を買いました。


 これによりその絵は「百円烏」と呼ばれ、暁斎の名を広く知らしめたそうです。


(「枯木寒烏図」掲載 「中央区観光協会特派員ブログ 榮太郎本舗C日本橋本店の見どころ〜所蔵美術品等等」)



 実は暁斎にはこれより約10年前に、政府高官を風刺した絵を描いた罪で、牢屋に入れられたという前科があり、絵が百円で売れたということは、彼の悪評の払拭ともなりました。

(逮捕されて腰に「お縄」をつけられた暁斎〈すごくしょんぼりしている〉)
逮捕された暁斎.png


(「暁斎画談(外篇巻之下」収録、逮捕された暁斎〈部分〉周囲に大いに飲まされて調子に乗って描いたところを逮捕されたので、つかまってすぐはろくに話もできなかったそうです。)


 余談ですが、このとき暁斎が残した留置所の絵(しょんぼりしていても描くものは描く)は当時を記録した貴重な資料となっているそうです。

(ぎっしりつめこまれ、ひどい環境だった模様。)


 なお、太っ腹な榮太郎本舗は、今回の展覧会で暁斎の絵のラベルがついた飴を販売し、過去の百円を回収していました。


http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_kyosai/goods.html(榮太郎飴も見られる展覧会グッズ紹介ページ)


暁斎画談内烏の挿絵.png

(「暁斎画談」外篇巻之下で挿絵として暁斎が描いた烏の絵)


 次回の記事では、今回の展覧会で、個人的に好きだった作品をご紹介させていただきます。併せてご覧いただけたら幸いです。


 読んでくださってありがとうございました。 


(参考資料)

「暁斎画談(外篇巻之上、下)」





※「河鍋暁斎記念美術館」より現代語訳つきの文庫本も出版されています(1620円)


「ゴールドマンコレクション展覧会図録「これぞ暁斎」」
posted by pawlu at 01:54| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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