(自身が描いたモネ風の絵画の前でインタビューに答える元贋作師ジョン・マイアット氏)
(Image Credit:Youtube)(BOSSコーヒーのトミー・リー・ジョーンズと蟹江敬三を足して2で割ったような味のある風貌)
1980年代後半から90年代にかけて、ロンドンで起こった「二十世紀最大の絵画詐欺事件」と呼ばれた贋作詐欺。
この事件で、「教授」と名乗る、一見洗練された紳士然とした男、ジョン・ドゥリュー(John Drewe)に言葉巧みに誘われ、贋作に手を染めてしまったのは、画家としては成功できなかったシングルファーザーのジョン・マイアット(John Myatt)氏。
いつのまにか後戻りできなくなり、ついに逮捕に至りますが、その後の彼は、数奇な運命をたどることになります。
※この事件はNHKのドキュメンタリー番組「贋作の迷宮 〜闇にひそむ“名画”」(2010年)でも紹介されています。
(ゴッホ風の絵を描くマイアット氏)画像出典:NHK HP(HP番組紹介より)世界中で毎年数万点も生み出されるという贋作。20世紀最大の贋作事件の犯人も登場し、ゴッホ、マティス、ピカソ・・・巨匠を模倣し3億円を稼ぎ出した“だましのテクニック”をカメラの前で実演した。その驚きの手口とは?人類の歴史とともにある贋作は、人類が生き続ける限り絶えることはない!?金と欲望渦巻く闇の世界の深淵をとくとご覧あれ。番組放送予定:(NHKBSプレミアム)・8月29日(月)午前9:00~午前10:42(102分)・8月30日(火)午前0:00~午前1:42(102分)
マイアット氏が事件についてのインタビューを受けている動画。
(ジョン・マイアット氏インタビュー動画)
Former Art Forger John Myatt Paints Picassos Post-Prison
The Art of the Con: An Ex-Art Forger Tells All
ジョン・マイアット氏は、1945年生まれ。
もともとは美術教師だったのですが、幼い子供二人を残して家を出てしまった妻の代わりに育児をするため、退職を余儀なくされました。
生計を立てるため、「本物の贋作(Genuine Fakes)を数万円で描く」という複製画作成の広告を出したところ、ジョン・ドゥリューが顧客としてあらわれ、やがて、彼に複製画を本物と偽って売る詐欺を持ち掛けます。
真贋鑑定の際、非常に重要になるのが、絵の「来歴」がわかる資料の存在なのですが、ドゥリューの手口は大胆不敵、教授と身分を偽って名だたる美術館に寄付を持ち掛け、館内資料室に入りこむと、マイアット氏が描いた絵の来歴が記された偽造書類を資料室所蔵の資料に紛れ込ませ、あたかもその作品が過去から存在するかのように見せかけました。
(マイアット氏は制作にごく一般的な〈真作が描かれた時代には使われていない〉材料を使っていたが、ドゥリューの来歴偽装の手口が巧みであったために、市場で疑われることはなかった)
(Image Credit:Youtube)
贋作には、名門オークションハウス「クリスティーズ」で高値がつくなど、美術市場を長年欺き続けましたが、ドリューの関係者が、彼の詐欺行為の証拠となる書類を発見、通報したことで二人は逮捕。
この事件を題材にしたノンフィクション「偽りの来歴」には、ついに捜査の手がマイアット氏に伸びた日のことが、詳細に描かれています。
1995年9月。
すでにドゥリューと断絶していたマイアット氏は絵を描くという「人生に必要な行為」をあきらめるかわりに、もっと大切なもの、「平安と静寂」を手に入れることができた、と感じていました。
しかし、出来の悪いいくつかの贋作が、いつか事件を暴くだろう。終わりが来るのは時間の問題だ。
それはわかっている。けれど、考えないようにしよう。
そう、自分に言い聞かせていたマイアット氏のもとに、事件を追い続けていた、ジョナサン・サール刑事が訪ねてきました。
子どもたちを学校に行かせるために、朝の準備をしていたマイアット氏は、家宅捜索に来たと告げるサール刑事と三人の捜査官を、ただ、静かに迎え入れました。
❝「あなた方を待っていました」と、マイアットが言ったこの男はわたしたちを見てほっとしたようだ、とサールは思った。(『偽りの来歴』「29 贋作者の逮捕」p.252)
子どもたちが出かけるまで待ってほしいと頼むマイアット氏を見て、もはや彼が抵抗する危険はないと感じたサール氏は、ほかの捜査官に休憩をとるようにと言いました。
❝マイアットは子供たちに朝食をつくり、刑事たちのためにお茶を入れた。サールは、子どもの一人を描いたスケッチが冷蔵庫の扉に貼ってあるのに気付いた。扉はメモや電話番号の控えでおおわれていた。「美しいデッサンだ。君が描いたのか?」と、サールが尋ねた。マイアットはうなずいた。この男なら質の高い贋作の大量生産も充分にできただろう、とサールは思った。なんという才能の無駄遣いだ。(同上 p.253)
逮捕後、素直に罪を認めて捜査に協力するマイアット氏を見て、サール刑事は確信しました。
「プロの犯罪者ではなく、良心があるにも関わらず、間違った道に進んでしまったのだ」
この尋問で、「取調官、美学の憲兵、セラピスト、道徳の審判者」としてマイアット氏に接したサール刑事には、現実の犯罪と世の中を知り抜いているが故の、独自の考えがありました。
❝マイアットのような贋作者は「美術のシステムにとっては有益な構成要素」だと信じていた。というのも、彼らは画商や美術史家たちに、自分たちが「芸術」として認めようとした――そして売ろうとした――作品をより仔細に見ることを強いるからだ。サールは、偽造者は必要な刺激剤だと考えていた。ちょうど政治的な急進論者のように。(『偽りの来歴』「30 アラジンの洞窟」p.267)
1960年代にはベトナム反戦デモに参加していたサール刑事は、今は自分が捜査対象としている、政治上の〈闘争家たち〉にも、やっていることそれ自体の合法違法とは別に、問題提起をする作用があると考えていました。
「彼らは政治家たちに、自身が何をしているのか考えさせるのだ」
サール刑事の信条からすれば、マイアット氏の贋作は、自分を「煩わせない」ものでしたが、ドゥリューの「来歴偽造」は違いました。
❝ドゥリューは普通の偽造者よりも一歩踏み出していた。図書館やアーカイヴに侵入し、美術史を書き替え、そして未来の世代がそれを用いて分析し、国家の文化史を学ぶための大切なプリズムを壊したのだ。「ドゥリューは、文化的遺産を不正に書き換えている」と、サールは言う『偽りの来歴』「30 アラジンの洞窟」p.267)
このサール刑事の考えは、私たちがなぜ時に「贋作者」の人物像や事件を、まるで物語のように知りたいと思うのかについての、答えにもなっています。
プロとしてその芸術鑑賞眼を武器に生きている(そして芸術家の人生を左右する)はずの人々が、書類上の来歴や売れば生まれる莫大な利益に目がくらんで、使われている塗料さえ調べないで、騙される。
その事実は「何が真実で、何が美しさなのか」について考えさせ、欲と先入観に狂う人間の姿を浮き彫りにし、それが私たち自身への警鐘になっている。
だから「贋作者」は、ほかの犯罪とは全く違う引力で、私たちの興味をかきたてるのです。
また、「贋作」は、作品の価値(地位と価格)を決める立場にある者たちに「よく見ること」を強いる、ある種の存在意義がある一方で、「来歴偽造」は決して許されないという考えは、どちらも犯罪なのにと考えれば、不可解なようですが、「芸術の真実を守る」という視点からは見事に一本筋が通っています。
マイアット氏には懲役1年の計が課されましたが、模範囚だったため、実際に刑務所に入っていたのは約4ヶ月。
非常に恐ろしい経験ではあったものの、囚人に「ピカソ」と呼ばれ、頼まれて鉛筆で似顔絵を描くなどしてコミュニケーションをとっていたそうです。
元々子供を育てながら収入を手に入れるためにはじめてしまった詐欺行為でしたが、自分が逮捕されたことが子供にどう影響するかを思って心を痛めていたマイアット氏。
しかし逮捕時思春期だった子供たちは、世界的美術館やオークションハウスをも翻弄した父の腕前を、「fabulously cool(非常にカッコイイ)」と思い、状況をあるがまま受け入れ、面会にも来てくれました。
(おそらくは父親の動機を理解していたのでしょう。実際利益はほとんど子供の養育に費やされていたそうです)
出所した彼は、自分の詐欺行為を反省し、二度と絵を描かないという誓いのもと、まったく異なる仕事(ガーデンセンター職員)を選びました。
しかし、そんな彼に、出所の翌日、一本の電話がかかってきました。
サール刑事からでした。
将来の計画を聞かれ、絵の具は永久に片づけてしまうつもりだ、と答えたマイアット氏に、サール刑事は「それは大きな間違いだよ」と言いました。
「君には神から与えられた才能がある。それで生計を立てることが今でもできるじゃないか」
家族の肖像をマイアット氏自身の作品として描いてほしいと5000ポンド(当時の価値で140万円相当)を支払ったサール刑事は、さらに仕事上の関係者から次々と制作依頼を集め、マイアット氏を後押ししました。
❝マイアットが仕事に戻ったという話はすぐに広まった。彼を刑務所に送った検事の一人から連絡があったのは驚きだった。検事に絵を描いてほしいと頼まれたマイアットは、テレビン油を引っ張り出し、絵筆を洗い、絵の具を数缶買い、イーゼルを立てた。昼間の明るい光の中で窓を開け放ち、ステレオでバッハを聞きながら、彼はついに自分が偽りのない正当な仕事をしているのだと感じた。(同上「エピローグ」p.333)
そして今、マイアット氏は有名画家たちのタッチをふまえた作品や、彼独自の作品が高値で売れる画家となり、彼の贋作師時代の経験や技術を生かしてテレビにも出演、また彼の数奇な運命はかつて彼が出した広告のフレーズと同じ「Genuine Fakes」というタイトルで映画化されました。
(マイアット氏の出演番組の一部)・「Fake or Fortune(BBC)」……オランダ伝説の贋作師ファン・メーヘレンの技術を再現する実験に協力(これは本当に面白いドキュメンタリーシリーズで、中でもマイアット氏がメーヘレンに挑むという趣向があるこの回は、名作のひとつです 当ブログの一部内容ご紹介記事はこちら)・「Forgers masterclass(Sky TV)」……絵を学びたい人たちに「有名画家風」の絵を描くテクニックを、実際のモデルや風景を使いながら実技指導・「Fame in the Frame(Sky Art)」……有名人の肖像を、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」やマネの「草上の昼食」等の代表作模写に紛れ込ませた絵を制作
彼が制作した贋作200点のうち、押収されていない120点についてはいまだ本物として扱われているらしい。
マイアット氏はそう告白していますが、司法の裁きを終え、思いもかけないサール刑事たちからの励ましや、子供たちの反応を目の当たりにした彼は、いまだ眼光鋭く、笑みにどこか骨太な不敵さが漂いながらも、険のとれた、生き生きとした話し方の、チャーミングな紳士です。(喋っているのを聞くと不思議と人を惹きつけるところがある)
マイアット氏は、2022年現在も、画家としてご活躍中です。
(2021年のマイアット氏へのインタビュー動画)
John Myatt | Spring/Summer 2021
(2022年6月公開の動画、マイアット氏の描いたモネ風のヴェネツィアの風景絵画が紹介されている)
John Myatt | Genuine Fakes - Monet in Venice
事件を取材した本『偽りの来歴』は、贋作詐欺の手口のほか、マイアット氏の葛藤とサール刑事との関係、贋作を発見したジャコメッティ協会の真相究明への執念、詐欺で人々を苦しめながら、自分自身も自分のついた嘘の中で混乱していくドリューの心理などが克明に調査分析されています。
贋作事件を通じ、他人や自分を偽ったときに、人の心に何が起こるか、そして、芸術も自分自身の心も、真実を見つめ続けようとする強い意志が必要であることを、読者に語り掛けている名著です。
(参照URL)1 ウィキペディア(日本語版)(英語版「John Myatt」)(英語版「John Drewe」)2 「贋作の天才」 更生して売れっ子に 英画家 服役後、刑事の支援で再出発(「サンケイビズ」 2015年12月26日)3 英画家「日本にも贋作」 120点なお未回収(「日本経済新聞」 2015年 10月24日)4 The talented John Myatt: Forger behind the 'biggest art fraud of 20th century' on his criminal past - and how he went straight(「Independent」 2014年2月28日)5 Celebrity frame academy: The stars as you've never seen them before(「Dailymail」2011年1月29日)6 http://www.johnmyatt.com/index.htm (マイアット氏の個人ページ、「gallery」部で彼の作品が観られます。)
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