2014年08月22日

War horseウォーホース(戦火の馬)日本公演 感想2 ロンドン初演版との違い

 残念ながら公演日も残りわずかとなってしまいましたが(2014年8月24日千秋楽)、今回も東京シアターオーブで上演中の舞台「War horse ウォーホース(戦火の馬)」について、感想を簡単に書かせていただきます。

シアターオーブの公式情報はコチラです。


 第一次大戦期、軍馬(ウォーホース)としてイギリスからフランスへと徴用された馬ジョーイと、彼を追って戦場へ向かった少年アルバートを中心に描かれる、戦争に翻弄された人と馬の物語です。



ロンドン公演のものですが、あらすじ等の情報はよろしければ以下過去記事をご参照ください。
ロンドンの舞台「War horse」@ あらすじと見どころご紹介
ロンドンの舞台「War horse」A ある名場面と、その他のおすすめ作品
今回は、私が初演時にロンドンで観たヴァージョン(およびスピルバーグ監督の映画「戦火の馬」)と今回の日本版の違いについて書かせていただきます。

戦火の馬(Blu−ray Disc)

ただ、この公演観に行くたびに場面が少しずつ変わっているので(超好き、自分史上屈指に感動した舞台なんで何度も観に行っています。)、その改変が日本公演を意識して変えたものなのか、今はロンドン版もこうなのかはちょっとわかりません、推測で分析してしまうのでその点予めご了承ください。あと観に行ったのは数年前、かつ僕のリスニングなんで記憶違いもありえますのでその点もご容赦ください(汗)。

あ、あと、結構ネタバレです。書いといてなんですが、これから観に行く方は後で読んでいただきたいです……。

@主人公アルバートと父テッドの確執

初演版では、ジョーイを魂の片割れとして深く愛するアルバートと、裕福な兄アーサーにコンプレックスを抱き、ジョーイを金銭に換算しようとするテッドとの確執がかなりはっきり描かれていましたが、今回の公演ではそこが少しゆるやかになっていました。

ただ兄アーサーへの対抗心から、農耕馬としての訓練を受けていない(ジョーイはハンターという競走馬の血を半分引いていて、体格的にそういう作業に向いていない)ジョーイに鋤(すき)を引かせるという無茶な駆けをしてしまったテッドが、言うことを聞かないジョーイにつらくあたったシーンで、アルバートが、「今度ジョーイにあんな真似をしたら許さない」というニュアンスの発言をして、「そんなことをしたらあたしがあんたを許さない」と母ローズに厳しく叱責されるという場面が、ロンドン初演版ではあったと思うのですが、そこはカットされていました。

この父と思春期の息子の対立、さらにそれを押しとどめようとする母の、夫と息子に対する大きな愛が描かれている場面が印象的だったのですが、もし、これが日本版用の改変だとすると、スピルバーグ監督の映画版「戦火の馬」を観て舞台に来た方に対する配慮だと思います。

映画では父テッドとアルバートの対立はだいぶゆるやかで、テッドがジョーイを軍馬として売り渡すのも、嵐で作物が駄目になり、借金を返せなければ路頭に迷う……というやむにやまれぬ状況ゆえであり、それをわかっていたアルバートは父にそれほど反発していません。(ロンドン初演版だと結構シンプルに、酔った勢いと大金目当て。)

え……映画あの父子の関係泣けたのに、舞台だと仲悪い……(ドン引)とならないためかな……と。

私は別に、親子だからというただそれだけの理由で無条件になにがなんでもわかりあわないとダメとは思わないので(特に父と息子には成長につれ、根底に愛があったとしても、大きな断絶があっても不思議ではないと思う)、ロンドン初演版の関係性でも不満はなかったのですが。

 この他に、記憶違いかもしれませんが、ロンドン初演版では今回日本公演で明言されている「テッドが兄と自分の農地を守るためにボーア戦争に行かなかった」という設定がなかった気がします。(映画版では戦争に行っていますし、それが同じく戦地に赴いたアルバートが父に歩み寄るきっかけとなっています。)

 Aアルバートの従兄弟ビリーの徴兵時の様子
 ロンドン初演版にではビリーを含め、村の男たちが、第一次大戦の知らせを聞いて、日本人の目からは驚くほどに、意気揚々と従軍志願をしていました。

 しかし、今回の日本公演版では、ビリーがはっきりと父アーサーに「行きたくない」と躊躇と不安を漏らしています。

 結局アーサーに、祖父も自分も従軍経験がある、お前も一族の男なら行って来いと諭され、お守りとして祖父の代からのナイフを渡されて、志願の列に加わりますが、そうやって息子を戦地に送りだしてしまったアーサーも、後に、第一次大戦からはじめて戦争に登場したマシンガンの存在を知り、息子がどれほどの危険にさらされているかを思い知らされます。

 おそらく初演版のほうが、当時のイギリス志願兵たちの感覚に近かったのではないかと思います。

 マシンガンや戦車、毒ガスや鉄条網などが登場する以前、とても極端な言い方をすれば、従軍は「危機を潜り抜けて国に貢献し、男を見せてくる」という機会としてとらえられていた部分があったのではないでしょうか(でなければ、自身も従軍経験のある人間が、訓練をしている生粋の軍人一族でもないのに我が子を率先して送り出さないと思います)。

 (※)このような「戦況を知らなかったために、率先して従軍してしまい、想像を絶する事態に直面する」という悲劇をドイツ側から描いたのが、映画『西部戦線異状なし』です。大人たちに「英雄たれ」と煽られて、理想に燃えて戦いに赴いた若者たちが生命や魂を失っていく姿が痛ましい。

西部戦線異状なし(Blu−ray Disc) 

 前回記事でも描かせていただきましたが、「自分は生きて帰れる」と信じて疑わなかった人が多かった、しかし、近代戦が幕を開けてしまったあとの現実はそうではなかった、という恐ろしさが、ロンドン初演版のほうが浮き出ていたと思います。

 もしこれが日本版に向けての改変だとすると、日本の観客のほとんどが、第二次大戦時の赤紙徴兵と、その後の戦地での地獄というイメージを持っており、あの進んで従軍する姿に違和感を覚えるだろうという配慮があったのではないかと思います。

 Bドイツ兵フリードリヒとフランス人少女エミリーとの関係

 私がこの舞台版「War horse(ウォーホース)」を是非観ていただきたいと再三再四猛プッシュするのは、舞台版でのみ、このドイツ兵フリードリヒというキャラクターが、主人公アルバート級にクローズアップされているからです。この設定は小説にも映画にも無い。というか、私の知る限り、これほど対立する国同士の人間を公平に描いた作品がそもそも無い(なんで舞台後に作られた映画版でもフリードリヒを削ったんだということについては非常に残念に思っています。あの偉大な存在を……)

 このフリードリヒは、国に妻子を持つ、既に若くはない兵士で、偶然ドイツ軍の所有となったジョーイと、ジョーイの友で、歴戦を潜り抜けてきた名馬トプソンをとても丁重に扱います。

 そして、戦地フランスでエミリーを見つけたとき、自分の娘を思い出して愛情を注ぎます。

 舞台版でのエミリーもまた、なんらかの理由で父親が不在で、フリードリヒに次第に心を許していきます。

 まず、映画版と舞台版の違いですが、映画版のエミリーは祖父と暮らしており、この祖父が結末部で重要な役割を果たしますが、舞台版の彼女は母親と暮らしています。

 次に、ロンドン初演版と日本公演版との違いですが、ロンドン初演版では、フリードリヒが、仲間の遺体から写真を見つけ出し、その兵士の子どもの数を数えて涙を流すという場面がありました。

 今回はそのシーンの代わりに、エミリーと出会ったときのフリードリヒが、怯えるエミリーを落ち着かせようと、自分の懐から娘の写真を取り出して見せ、一生懸命彼女を傷つける気はないことを伝えようとする場面がありました。

 この「エミリーの祖父の不在」さらに「フリードリヒが娘の写真を見せる」という場面で、日本公演版では、フリードリヒの「父性」がより強調されています。(さらに言ってしまえば、映画版にあるようなアルバートとテッドの和解を描かないこともまた、フリードリヒの父としての温かみを際立たせる効果を生み出しています。)

 イギリスと敵対しているドイツにも優しい父親がいて、彼もまた、望んでいないのに戦争に来なければならなかった。
 
 この戦争の悲劇、そして確かな現実を、舞台版の「War horse」だけが明確にしているのです。
この舞台版「War horse」はドイツのベルリンでも上演されているのですが、フリードリヒの存在と内面描写なくしては決して実現しなかったことだと思います(芸術の偉大さを象徴するエピソードだとつくづく思います。この作品を作ったイギリスの人々も、ドイツで上演しようとした人々も素晴らしい。)。

 日本公演版のフリードリヒは、特にエミリーたちからの信頼が厚く、彼が戦線から逃亡して、エミリーたちの農場でつかの間の平和をかみしめていたときに、エミリーの母ポーレットに促され、馬や彼女たちと一緒に戦火の及ばない地まで避難しようとします。

 Cドイツ語、フランス語の省略

 ロンドン初演版「War horse」では、かなりの部分でドイツ語とフランス語はそのまま使われていました(ドイツ兵同士のやりとりは基本ドイツ語ですし、フリードリヒとエミリーも、互いにほとんど自国の言葉でしゃべっている。〈というわけで、ある意味びっくりするくらいわかりにくい舞台でした〉)が、日本版では、大部分英語に統一されています。

 これは、日本人の観客の耳からすれば、どれもみんな外国語で、3ヶ国語を混在させてもややこしくなるだけだからでしょう。

 その結果、ロンドン版であったこの2つの場面は削られることとなりました。
 1,フリードリヒがジョーイたちにわかるようにと英語で話しかけ、それを味方に苦々しく思われる場面。
 2,エミリーがフリードリヒに教わった「Calm down(落ち着いて)」という英語で、ジョーイとトプソンの興奮を鎮める場面。

 ロンドン公演版では、この、「フリードリヒがイギリスの馬のために英語を使う、そしてそれをフランス人であるエミリーにも教えてあげる」という優しさが仇となり、ドイツ兵がエミリーたちの農場に来た際、エミリーが口走った「Calm down」という単語によって、かつての部下にフリードリヒの身元が割れてしまいます。

 日本公演版では、フリードリヒと一緒に避難しようとしていたエミリーが、ドイツ兵との遭遇時に思わず彼の名前を読んでしまうという展開に変更されていました。

 しかし、舞台版「War horse」で最も大切な場面では、日本公演版でも「ドイツ人はほとんど英語を話せない」ということがとても重要な役割を果たします。小説版にも映画版にも無い部分で、そこは多少わかりにくかろうとも英語に直さないでいてくれたことを私は心から感謝しています。(この場面については回をあらためさせていただきます)

 次回記事では、ネタバレとなりますが結末部の見どころについて書かせていただきます。
 今もし週末あの舞台を観に行こうかどうか検討していらっしゃるなら、保証します、間違いなく名作ですから是非ご覧になってみてください。

 その後で、次回のネタバレ編を読んで余韻にひたっていただければこの上ない光栄です。

当ブログ「ウォーホース」関連の記事は以下の通りです。
ロンドンの舞台「War horse(ウォーホース)戦火の馬)」@ あらすじと見どころご紹介
ロンドンの舞台「War horse(ウォーホース)戦火の馬)」A ある名場面と、その他のおすすめ作品。
「War horse(ウォーホース)戦火の馬」 日本公演決定
「War horse(ウォーホース)戦火の馬)」日本公演 感想1見どころとお客さんの反応
「War horse(ウォーホース)戦火の馬)」日本公演 感想2ロンドン初演版との違い
「War horse(ウォーホース)戦火の馬)」日本公演 感想3結末部(ネタバレ注意)
「史実 戦火の馬」(ドキュメンタリー番組)


 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum. at 17:22| 舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする