2014年02月09日

エリザベス・シダル(「ラファエル前派展」「オフィーリア」と「ベアタ・ベアトリクス」について)

先日、現在開催中の「ラファエル前派展」で来日中の絵画「オフィーリア」についてご紹介させていただきました。
公式HPはコチラ

今回はこの絵のモデルとなったエリザベス・シダルと、彼女を描いたもうひとつの傑作で、同展覧会展示中の「ベアタ・ベアトリクス」(ロセッティ作)の逸話について簡単にご紹介させていただきます。
 エリザベス・シダル(ウィキペディアより)

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 エリザベス・シダルはラファエル前派の女神(ミューズ)の一人で、数々の絵のモデルになりました。

 ラファエル前派の絵を観るたびに、「こんな女性がこの世にいるものだろうか」と思うものですが、写真を見るに確かにシダルは美しく、しかもどこか現実離れしたはかなげなたたずまいの女性です。

 豊かな髪に細い顎、端正な顔立ちにもの憂げな目、後に彼女を妻にしたガブリエル・ロセッティの弟ウィリアム・ロセッティ(詩人)は彼女のことを「甘さと威厳のはざまの気配をまとうこの世で最も美しい生物」と形容しています。

 写真ではわかりませんが、義弟ウィリアムの形容いわく、背が高く、銅色がかった金髪に緑とも青ともつかない瞳だったとも語られています。

 シダルは帽子屋の店員をしていたときにその美を見出され、ラファエル前派の画家たちのモデルを勤めるようになりました。

オフィーリア.jpg
 そしてあのミレイの傑作、「オフィーリア」に描かれることとなるのですが、この絵についてはこんな逸話が残されています。

 このときシダルは浴槽に浮く形でポーズをとり、ミレイは彼女が寒くないようにと浴槽をランプで温めながら描いていたのですが、いつのまにかランプの灯が消えてしまい、水温はまたたくまに下がっていきました。

 しかし、あまりにも集中して絵を描いていたミレイを気遣ってそのことを言い出せなかったシダルが我慢してポーズをとりつづけた結果、肺炎寸前の酷い風邪をひいてしまい、シダルの父は怒ってミレイに治療費を請求したそうです。

 漱石をも感動させたオフィーリアの美の陰に、こんなリアルな苦労と後日談があったのですね。

 この話を聞く限り、はかなげな風情のわりに根性のある女性だと思うのですが、しかし、この生真面目さが後にあだとなってしまいます。

 シダルは同じくラファエル前派の代表的な画家、ロセッティと恋愛関係になり、やがて婚約しますが、ロセッティにはもう一人、ジェイン・バーデン(モリス)という想い人ができてしまいます。

 このジェインを描いたロセッティの代表作「プロセルピナ」もこの展覧会で観ることができます(というか展覧会ポスターでメインはっています)。複雑な……。しかし確かにこの人も美しいです。唇が真紅の薔薇の花びらのようで、夢見る瞳のシダルと異なり、もっと射るような強い瞳をしています。

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 一度はシダルを選ぶことを決意したロセッティですが、ジェインが友人であるウィリアム・モリスの妻となった後も、彼女を想い続け、さらに、この複雑な関係に悩んだ挙句か、同じくモデルを勤めていたファニー・コンフォースという女性とも恋仲になってしまいます(ファニーの存在をシダルが知っていたかどうかは明らかになっていないそうです。)

 こうした夫との関係や、子供を死産したことを苦にしたシダルは、思いつめるあまり次第に健康を害し、意図的になのか事故なのか、アヘンチンキ(当時は鎮痛剤として容易に手に入れることができた)を大量にあおって32歳の若さで死んでしまいます。

 当時自殺者は教会に埋葬されないしきたりでしたので、シダルの死は事故ということにされ、自責の念に駆られたロセッティは、弔いのために自分の詩の原稿を彼女の棺に納めました。

 そしてシダルの死後、8年の月日をかけてロセッティが描いたのが「ベアタ・ベアトリクス」です。

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 「神曲」の作者ダンテ(ロセッティと同じ名)の永遠の想い人ベアトリーチェが死を迎える場面を象徴的に描いた作品で、透明な神々しさの中に恍惚をただよわせた美しい女性はロセッティの記憶の中のシダル。

 苦悩にやつれ、孤独の淵に沈み、天国に行くことができるか不安に思いながら死んだであろうシダルを、金色の光に包んで静かに召されていく姿で描くこと、また描く自分で居続けること。

 それによって妻の魂の平安と、自分の罪の赦しを得たかったのかもしれません。

 それほど大きな絵ではないのですが、内側から光と影が同時に放射されているようで、ベアトリーチェ(シダル)のなにか祈りをささやくような唇と閉ざされたまぶたのやわらかな曲線の美が心に焼き付きます。

 「オフィーリア」がイギリスの自然と幻想の美を端正な調和のもとに描いた作品だとすれば、これは、まだ神が側にいた時代のイコン(聖画)の素朴な金色と、底知れぬ不吉を溶き混ぜて描いたような混沌の美をもつ作品です。

 亡きシダルの絵を描きながら、一度は画家としての成功を手にしたロセッティでしたが、やがて酒や薬物に溺れ、自身の視力に不安を覚えるようになり、詩人として生きていく道を模索するようになります。

 そして、そのとき彼の脳裏に恐ろしい考えがよぎります。
 シダルの棺におさめたあの草稿。
 あれがあれば……。

 精神的に追い詰められたロセッティはとうとう妻の墓を暴いてしまいます。

 実際に棺を開けた人物の話によれば、棺の中のシダルは(おそらくはアヘンのために)おどろくほど生前の美しさをたもっており、あの豊かな銅色がかった髪が死後も伸び続けたかのように棺を満たしていたそうです。
 
 しかし、そうまでして発表したロセッティの詩集は良い評価を得ることができませんでした。

 そして、妻の死に加え、棺を暴いたことに対する罪悪感も増し加わってしまったロセッティは、ますます酒と薬物が手放せなくなり、53歳で朽ち果てるように世を去りました。

 この上なく美しい、幻想や浪漫に彩られたラファエル前派の作品たち。

 しかし、そこに描かれた美しい女性たちと、彼女らを描いて新しい美を世に放とうとした芸術家たちの間には、甘やかな夢にたゆたうわけにはいかない、苦しく激しい愛憎がありました。

 ラファエル前派の傑作群には、その画面に、確かに観る者をただ美に耽溺させる以外の迫力があります。

 最上の美を描き出そうとする画家の緻密な筆致と執念(そしてそれに応えるモデルの存在)、しかし、永遠の美を夢見ながら、ついに死や悔恨や苦悩から逃れることのできない人々の憐れ。

 それが華やかな美を誇る絵の奥底でゆらぎや陰影を成し、今この時代になっても、同じように現実を超越した美に憧れながら、苦悩や悲哀の鎖につながれた人々の心を奪うのかもしれません。

 読んでくださってありがとうございました。

主要資料
ウィキペディア「エリザベス・シダル」(英語版のみ)「ガブリエル・ロセッティ」(日本語版)(英語版

当ブログラファエル前派展に関係する過去記事はコチラです。よろしければ併せてお読みください。
「オフィーリア」(ミレイ作)
ミレイの「オフィーリア」と夏目漱石の『草枕』
posted by Palum. at 17:51| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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