2014年01月14日

「フレデリック……」誰かの呼ぶ声(「世にも怪奇な物語」A「黒馬の哭く館」より)

 前回名優テレンス・スタンプの若き日の演技が見られるということでオムニバス映画「世にも怪奇な物語」(1967年)の一編「悪魔の首飾り」を紹介させていただきましたが、これも好きという、ただそれだけの理由で、「黒馬の哭く館」について書かせていただきます。
 この作品のジェーン・フォンダとピーター・フォンダ(姉弟)の演技が好きなんで……。
 監督は、ジャンヌ・モロー主演「危険な関係」などの作品で知られるロジェ・ヴァディム。
 余談ですが、このとき、ジェーン・フォンダと監督は夫婦でした。

以下あらすじです(結末までネタバレなんで、一度ご覧になってからお読みいただけるとありがたいです)。

メッツェンゲンシュタイン家の若く美しいフレデリック(ジェーン・フォンダ)は、巨万の富を継ぎ、退廃と享楽に耽溺する生活を送っていた。
皆が彼女の機嫌を取り、思いのままにならないものはなかったが、彼女の従兄弟であるベルリフィジング家の当主ウィルヘルム(ピーター・フォンダ)だけは、彼女の行いを批判していた。
彼女はそんな彼を嘲笑し、両家は反目を続けていた。
しかしある日、彼女が森で猟のための罠に足首をとらわれたことをきっかけに、二人は言葉を交わすようになる。
彼女の細い足首を噛む罠から救ったウィルヘルムの、彼女に似た色の、しかし憂愁ただよう瞳を見たフレデリックは、それ以来、彼のことを忘れられなくなり、再び彼に会おうと馬を駆る。
廃墟の中で、フクロウに餌をやる彼を見つけた彼に、彼女は自分の享楽の館へと彼を誘う。
ウィルヘルムはそっとそれを拒み、それを自分に対する侮蔑と感じたフレデリックは、復讐のために、彼の愛していた馬の厩舎へ火を放つ。
彼に、自分を拒絶することがどれほどの思い上がりかを知らせ、それで終わるはずだった。
しかし、美しいフレデリックの高慢な足取りは、自分の館のタペストリーにさしかかったときに凍り付く。
織り込まれた黒い馬を見たときに。
時を同じくして、燃え尽きたベルリフィジング家の厩舎から、謎の黒い馬が彼女の館へ駆け込んでくる。
たけり狂い、誰の言うことも聞かない馬。
そして、フレデリックは彼女の従者から、ウィルヘルムが、馬を救おうとして命を落としたと聞かされる。
動揺する彼女がもう一度タペストリーの前に立った時、確かに織り込まれていたはずの黒い馬の姿が、シルエットだけを謎の炎に縁どられ、忽然と消え失せていた。
彼女はタペストリーを元に戻すように老職人に命じるが、しかし一方で、ウィルヘルムが死んだ日に彼女の屋敷に飛び込んできた黒馬に魅入られる。
それ以来、フレデリックの生活は一変する。
タペストリーの黒馬が織りあがるのを日夜心待ちに凝視し、しかし、それ以外は、あの、彼女以外の誰にも従わぬ黒馬とともに日がな一日領地を駆けぬける日々。
 あるいは、彼女だけを従える黒馬と。
 タペストリーの織りあがりは、彼女にかけられた呪いに追いつくことはできなかった。
 ある嵐の日、彼女はあの黒馬にまたがると、落雷によって燃え盛る荒れ地へと飛び込んでいった。
 炎の中へと。
 同じとき、老職人によるタペストリーは織りあがった。
 もととは違う、血のような真紅の炎の瞳をした黒馬が。
 それを見ることなく、白いドレスに身を包んだフレデリックは、炎の中で黒馬に揺られて、その命を燃やし尽くして死んだ。
 同じようにして死んだ、彼女の焦がれたウィルヘルムと共に。
                                      (完)
 元ネタになったポーの「メッツェンゲンシュタイン」という話は、「名家同士の反目の末に黒馬が死をもたらす」という筋立てですが(原作ご紹介記事はコチラ)それインスピレーションに恋の話にしたロジェ・ヴァディム監督は巧いなーとすごく思います。

 それに、ジェーン・フォンダをこんなにきれいに撮った作品って、もしかしたらそんなに多くないのではないでしょうか。
 (見比べたくても他の作品はなんか別の作品に挟まないと借りづらい感じのもあって……)
 初見だと、この時代にこんなに足丸出しのファッションってあったのかとか、ブロンドボンキュボンいいなとかそういうことにどうしても目が行きがちですが、何より美しいのは彼女のまなざしです。

 森で罠から救われたとき、はじめてウィルヘルムを見つめるときの。あの凝視。

 人が、本当に他人を凝視する瞬間。
 そこまで魅入られる瞬間というのは、もしかしたら人生にそんなに無いのかもしれない。
 無いまま死ぬ人もたくさんいるのかもしれない。
 そして、そんな相手に出会ってしまったときは、それより前にどれだけ恋のまねごとを知っていようとも、本当になすすべがないのかもしれない。
 あらゆる享楽と自分への媚態を見てきたであろう彼女が、ウィルヘルムを前にしたときだけ茫然と見張る瞳から、そんなことを考えさせられます。

 そして、彼女が恋を恋とも知らないままに、ウィルヘルムを探し、馬を駆って廃墟を訪れる場面。
 ウィルヘルムは曇天の下、廃墟の窓枠に座り、フクロウに餌をやっています。
 フレデリックには、白くほの光る背景の中、憂愁に沈む彼の姿だけが縁どられているように映ります。
恋をしたとき。
 その他の景色の何も目に映らず、その人だけが、それだけが際立って見える。
 いや、ほかには何も見えない。
 そういう瞬間と、それに目を奪われる、恋にとらわれた人との両方が、描かれています。

 そして、フレデリックの死の場面。
 フレデリックはそれまでの派手やかな衣装ではなく、白いドレスで黒馬に乗り、ためらうことなく燃え盛る荒れ地へと飛び込んでいきます。
 死の馬に揺られ、純白の衣装で苦痛と恍惚にうかされた彼女の表情は、新床の花嫁を彷彿とさせます。
 このような形でしか、己をウィルヘルムに捧げられなかった、悲しみと官能的な美しさが凝縮された印象的なラストシーンです。

 さらに、もう一度、この作品を観たとき。その時は、ウィルヘルムが何を思っていたかも、想像したくなります。
 彼もまた、本当は、この美しく奔放な従姉妹に心惹かれていたのではないか。
 だからこそ、彼女の一時の慰みになることを嫌い、彼女の誘いを拒んだのではないか。
 そして、死んだ後に、黒い馬となって、彼女を迎えに来たのではないか。
 そんなことを考えさせられます。
 廃墟の側、寒いと言う彼女を自分のマントで包むウィルヘルムと、それをあの、見張る瞳で見つめるフレデリック。
 一番近づき、しかしそののちこの世では離れてしまう二人の、ごくわずかな瞬間が、心に焼き付きます。

 死が二人をわかつまで。
 そういう婚礼の言葉とは逆に。
 死が二人を結びつける。
 そんな恐ろしい恋が、どうやらこの世にはあるようだと。
 二人に見とれる奥に、戦慄がよぎります。

 それにしても役者さんって凄いですね……。
 両家の血縁を表現するために姉弟をキャスティングしたのかもしれませんが、ジェーン・フォンダもピーター・フォンダも互いを観る表情の含みが凄い。
 互いの間に流れるもの凄い吸引力と緊迫感。
 気合の入った役者さんがスイッチ入ってしまうと、相手との普段の関係がどうとか忘れて、ああいう顔を作れてしまうもんなんですね……。

 ところで、巧いと思うひとつに、フレデリックが廃墟でウィルヘルムを追おうとする場面があります。

 彼に拒まれたと思い込み、怒りの中で、彼の名を呼ぶフレデリックに、何者かが呼びかけます。
 「フレデリック……」

 それがだれの声であるのか、作中で明かされることはありません。
 彼女に、「これ以上愛してはいけない。死ぬことになるから」と警告していたのか。
 「服従させるのではない愛を学べ」と諭していたのか。
 「こんな愛は捨てて元の生き方に戻れ」と誘っていたのか。
 神だったのか。
 悪魔だったのか。
 わかりません。ただ、彼女はそのとき、それまでと同じ生き方をしていたら、生涯聞くことの無い声を聞いたのです。
 しかし、その意味を知ることがありませんでした。
 そして死んだのです。

 非常に退廃的でいてこの上なく無垢。(その無垢を、自らの胸に抱く本人すら知りえなかったという究極の)。
 そんな魔力のある作品です。

 タイトルがなんかコワそげですが、そうでもありません。特にこの第一話は怖くない。
 美しい絵や詩に似た寓意的な美がありますので、よろしければ気負わずご覧になってみてください。

 読んでくださってありがとうございました。
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posted by Palum. at 06:47| おすすめ映画(英米) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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