当ブログ小泉八雲関連の記事は以下の通りです。
@小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) ※「生神様」をご紹介しています。
A小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) おすすめ作品2「草ひばり」
B小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) おすすめ作品3「停車場にて」
「思ひ出の記」(小泉八雲【ラフカディオ・ハーン】の妻節子さんの本)
「父『八雲』を憶ふ(おもう)」(小泉八雲【ラフカディオ・ハーン】の息子一雄さんの本)
「思ひ出の記」以上に入手が難しく、現時点では、古本や図書館といった経路でしか読むことができない作品のようですが、どうかうずもれないでほしいと思う作品です。
自分以外の誰かを心から愛した人しか書けない文章、絆のある人同士でしか知ることのできない場面というのがこの世にはあり、この本の中にも「思ひ出の記」同様にそれが描かれているのです。
小泉八雲は長男一雄さんがまだ10歳のときに亡くなりました。
八雲は子供たちが成人するまで生きられないであろうと薄々感じとっていたようで、とくに長男の一雄さんには厳しい教育をしていたそうです。
しかし、一雄さんはそういう八雲の優しさも感じ取っていて、彼の一挙一動を深い哀惜の念を込めて書き留めています。
昔の父親、とくに相手が息子となると、父に対する畏怖の気持ちや、厳しい対立のイメージがありますが、この本の中では、息子が父親を懐かしく慕う気持ちが、珍しいほど率直に描かれています(父と娘ということでは、森鴎外の娘茉莉さんの『父の帽子』同じく小堀安奴【あんぬ】さんの『晩年の父』のような名文があります。)
息子の父に対する思いを知るという意味でも貴重な作品と言えるのではないでしょうか。
いくつか印象に残った場面をご紹介させていただきます。(一部仮名遣いを改めさせていただいております)
節子さんは時折八雲に対し、自分がもう少し学問を身に着けた女であったら、彼の仕事をもっと手助けできたはずなのにと漏らしたそうです。
そんなとき、八雲は彼女の手をとって、本棚の前に連れて行きました。
そして、自分の著作を見せて、彼独特の「へるん(ハーン)語」で
「コウ(これ)、誰のおかげで生れましたの本ですか?」
もし学問を鼻にかける女だったら、怪談などの不思議な話は、馬鹿らしく思って話して八雲に聞かせてくれはしなかっただろうと、節子さんに感謝し、そばにいた一雄さんにも、
「この本皆、あなたの良きママさんのおかげで生まれましたの本です。なんぼうよきママさん。世界で一番良きママさんです」
と真剣にほめそやしたそうです。
また、同居していた一雄さんのお祖母様(節子さんの養母)についてはこんな話がありました。
子供たちの普段着のたいていは彼女の手になるものだったそうですが、彼女が、冬に廊下に座ってひなたぼっこをしながら針仕事をしている、その日焼けした首筋に気づいた節子さんが、それをこっそり八雲に指し示すと、八雲はいたく感動して、
「有難いのお祖母様――私の子供等のために……」
と、彼女の日焼けした首に、軽くキスをしました。お祖母様は、
「エンヤどうえたすますて(おや、どういたしまして)、ありがとうございます」と言って、ホホと笑いながらお辞儀を返されたそうです。
どうやってもあの平和な場面を書き表すことは難しいが、家族のすべてが微笑を浮かべずにはいられなかった、と一雄さんは語っています。
こういう八雲に「いかにも女性に優しい欧米の男性らしい態度」を見ることもできますが、私はもっとしんみりしたものを感じずにはいられません。
ほかの誰かと助け合って作り上げた幸せがいかに貴重なもので、また、飽きるほど長く続くものではないということを、八雲はよく知っていたのでしょう。
だから、ここぞというときは、気恥ずかしいほどはっきりと、想いを伝えておかなければならない。
八雲の態度の手放しの優しさに、その意気込みが透けて見えるのです。
母や祖父母に対する八雲のそうした姿を見ていたこともあって、勉強面では毎日相当厳しくしごかれても、一雄さんと八雲は仲の良い父子でした。
「私待つ難しいです。命長いないです」
となぜか悟っていた八雲は、教えられることは教えておきたいと思ったのでしょう。教育のためには、幼い一雄さんでも容赦なく手を上げたそうです。
しかし、そんなある日、一雄さんが、普段入ってはいけないといわれている八雲の書斎の前の庭にこっそり入り込んだら、八雲がガラス障子を拭いているのに気づきました。
右目をこらし(八雲は少年時代の事故で左目の視力がありませんでした)自分の靴下で、傷にでもさわるように丹念に拭いていたのは、小さなしぶきのシミでした。
八雲の書斎で勉強中、べそをかいた一雄さんが、ガラス障子のところまでしりごみすると、その横面を八雲がはたくので、涙のしぶきがガラスに飛んでいたのです。
八雲はそれをぬぐいながら、ため息混じりに、
「何ぼうむごいのパパと思うない下され」
とつぶやいていたそうです。
一雄さんはそれを聞いてそっと引き返し、庭のブランコに腰をかけました。
ブランコのきしむ音に、視界がうるんで見えたそうです。
また、八雲に勉強をみてもらっているとき、一雄さんは教えてもらったことがわからない自分に苛立って、机の下で自分の手に爪を立てる癖があったそうです。
そして八雲の死後、一雄さんは、たびたびこんな夢をみたそうです。
眠る一雄さんの枕元に亡き八雲が来て、
「しばらく英語の勉強をしませんネー」
と、彼の両手をとり、片目でかわるがわるじっと見つめると、
「私死にましたため、あなたの手初めて傷無いきれいな手となりましたネ」
と、言い残して、消えて行ってしまうという夢でした。
夢の中で八雲を追って声の限りに泣いた一雄さんは、目が覚めても涙で枕がぐっしょりと濡れていたそうです。
この夢は何年も一雄さんのそばを去らなかったそうです。
八雲が亡くなった時のことについては、前回節子さんの「思ひ出の記」のご紹介でも書かせていただきましたが、本当に急な事だったそうです。
一雄さんが節子さんに呼ばれて八雲の書斎に駆け込んだのですが、一雄さんは部屋を出た後から廊下を走った時間の記憶がぽっかりとなく、覚えているのは八雲の胸に取りすがって必死に彼を呼んでいる瞬間だったそうです。
そのとき、八雲の机には原稿用紙があり、そばに置かれたペン先のインクはまだかわいていませんでした。本箱のガラス戸が一枚開け放してありました。
一雄さんとの勉強のときに、八雲が本を取り出して、閉めるのを忘れていたのです。
(こうして、ただご紹介で書かせていただいていても、この、「閉め忘れた本棚のガラス戸の隙間」という光景は、私の心をしめつけます。「それまでは当たり前だった日常との、まったく急な永遠の別れ」が、まざまざと浮かび上がる描写です。)
八雲が亡くなってしばらくは、一雄さんは馬の白い額にも、八雲の白髪の額を思い出し、年配の植木屋さんの咳払いにも、八雲の散歩姿を思い出したそうです。
この一文は、ことに染みました。
誰か大事な存在が亡くなった時、その肉体はもうどうやっても取り戻すことができませんが、その誰かが灰になった後も、面影は残された人のそばを去らず、世界中にゆるやかに広がっていくものだということを語りかけているように思います。
それは、そっくりな誰かに出会うということとは別の(そうそういるものではありません)、もっとかすかな、しかし、どこにいても、同じ生き物でなくても、もしかしたら、ただ、音や色のようなものでも、面影がよぎって懐かしい。そういう感覚です。
そして、それがある限り、ある意味永遠に悲しいのですが、しかし、誰も愛していないという寒々しい孤独からは、包まれて守られ続けるのです。
いわゆるプロの小説ともエッセイ本とも異なり、起承転結や文体がうまくまとまった作品ではないかもしれませんが、思い合った家族の記録として、印象に残る場面や文が多く、私にはとてもすぐれた作品に思われます。
機会があったらどうお手にとってみてください。
私の記事が八雲とその家族の人となりをお伝えし、また人とほかの誰かとの絆を感じる、ささやかなきっかけづくりとなったなら幸いです。
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