2011年09月28日

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) おすすめ作品2「草ひばり」


 本日は前回記事に引き続き、小泉八雲のおすすめ作品について、簡単にではありますが、ご紹介させていただきたいと思います。
(前回同様、結末までご紹介しておりますので、悪しからずご了承ください。)

(この間も書かせていただきましたが)八雲といえば『怪談』と思われる方も多いかと思いますが、個人的には八雲の真骨頂は、日本の昔ながらの心を描き留めた文章だと思います。

 そして、それができたのは、八雲自身が、日本の美しい心を敬愛し、その心を日本人以上に自分のものとしていたからだと思います。

 簡潔さの奥に余韻が漂い、気品の凛と響く文。

 その涼しく研ぎ澄まされた独特の気配は、明治の文豪、夏目漱石の文章にどこか似ているような気もするのですが、英文学の素養がなにかしらの影響を与えているのでしょうか。(と、申しても私は八雲の文章を英語で読んだことはないのですが。【苦笑】)

 それはさておき、そうした八雲の名文と優しく繊細なまなざしを存分に堪能できる短編「草ひばり」の紹介に移らせていただきます。

「草ひばり」 あらすじと感想紹介 (Amazon文庫本情報【講談社学術文庫『日本の心』はコチラ

 おそらく、八雲ファンの中で最も評価が高い作品のひとつかと思われます。

 小さな小さな、八雲の言葉を借りれば「大麦の粒の半分にも満たない」、しかし、短い命の限りに美しく鳴く虫の物語です。
 
 語り手「私」はこの虫を部屋で飼い、その鳴き声の美しさを愛でていました。

 しかし、やがて、その歌声が、恋の理想に焦がれ、見も知らぬ伴侶を求める声であるということが「私」の胸に迫ってくるようになります。

 妻を見つければすぐに死んでしまう虫だとは知りつつ、その声の響きに痛切なものを感じ、願いをかなえてやれないことに良心の呵責を感じた「私」は、虫売りにつがいのメスを求めますが、すでに秋は深まり、ほかの虫は死んでしまっていた時期でした。

 「私」の虫もとうに死んでいておかしくなかったのですが、「私」が書斎を暖かく保っていたために、生き延びていたのです(十月二日といいますから、ちょうどこんな時期でしょうか)。

 せめてできるかぎり長く生かしておいてやりたいと思っていた「私」ですが、十一月下旬のある日、机の前に座っていたときに、部屋の中が妙に空疎なことに気づきます。

 あの歌声が途切れている。

 草ひばりが息絶えていました。

 家の手伝いの女性の不注意で、三、四日は餌をもらえずに飢え死にした草ひばり。しかし、死の前日まで高らかに歌っていた彼に対し、「私」はむしろ普段よりも満足しているとすら思い込んでいたのです。

 実は、彼が自分の足を一本食らって最期の歌を歌っていたとも気づかずに。

 「私」は悲しみをおさえきれずに、手伝いの女性をしかりつけます。

 ちいさな虫一匹のために、彼女を困らせたことを気まずく思いつつ、もはやストーブがついていても薄ら寒い部屋で、彼は草ひばりの最期の歌を聴きながら、自分が自分の夢想にふけっていたことを思い起こして胸が締め付けられます。

 しかし、我が身を喰ってでも、理想を求めて美を紡ぎださなければならないのは、なにも草ひばりに限ったことではないのだ、(自分もまた……)と、文章は結ばれています。

 文庫本で6ページという短さですが、その中に、虫の声を愛する美意識と、微細な生き物の魂との人間との深い共感、芸術家の哀しい宿命が凝縮された作品です。

 うろ覚えで申し訳ないのですが、確か、『国家の品格』の著者、藤原正彦さんが、他人から伝え聞いた話として、外国人が美しい秋の虫の声をノイズ(騒音)と言ったと嘆いていたというものがあったと記憶しております。

 その話を考え合わせると、明治時代の西洋人である八雲の、草ひばりに対する共感の深さは非常に異質なものであったことでしょう。

(ただ、個人的には、自然番組プロデューサーのアッテンボローさん【私が肉眼で拝見したイギリス最高の紳士のお一人(そのときの話を書かせていただいた過去記事はコチラです。)、自然ドキュメンタリーに、動物たちの生きることへの真剣さを盛り込んだ番組構成やナレーションが素晴らしい】や、お世話になったホストファミリーのお姿を思い出すに、少なくともイギリスでは、小さな生き物と自分とを分け隔てないものとして思いを重ね合わせる人は少なくないのではと思うのですが。)

 この話がお気に召した方は、合わせて夏目漱石の短編、「文鳥」(Amazon文庫本『文鳥・夢十夜』情報はコチラをお読みになることをおすすめいたします。

 かごの中の小さな命に対する語り手の思い、そして不注意による悲しい結末という構図はよく似ています。

 ただし、「草ひばり」の語り手は、草ひばりという虫それ自体と自分の想いを描き、「文鳥」の語り手は、文鳥の白い首や黒々とした瞳に、結ばれることのなかった思い出の女性の面影を見るという点が大きく異なっています。

 しかし両者ともその描写、とくに声の描き方の美しさは、互いにも勝るとも劣らない名品です。

 この記事をきっかけに、どちらかでもお読みになっていただければ光栄です。

 当ブログ小泉八雲関連の記事は以下の通りです。よろしければ併せてご覧ください。
 @小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) ※「生神様」をご紹介しています。
 A小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) おすすめ作品2「草ひばり」
 B小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) おすすめ作品3「停車場にて」
「思ひ出の記」(小泉八雲【ラフカディオ・ハーン】の妻節子さんの本)

「父『八雲』を憶ふ(おもう)」(小泉八雲【ラフカディオ・ハーン】の息子一雄さんの本)

 読んでくださってありがとうございました。
posted by pawlu at 01:25| おすすめ本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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