2011年09月26日

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)とおススメ作品1「生神様」


本日2011年9月26日は「耳なし芳一」「雪女」などをおさめた『怪談』で有名な文学者小泉八雲の命日だそうです。

イギリス人だった八雲は、明治の日本に訪れ、日本人に英文学を教えるかたわら、うしなわれゆく日本の心や暮らし、物語を書き残しました。

その文章は繊細な気品と愛惜の念と詩情に満ち、描かれた日本はどこまでもしなやかに優しく、それが異国の目を持つ八雲の見た幻であったとしても、その美しさは確かな手ごたえをもって我々日本人の郷愁を掻き立てます。

 無論『怪談』も興味深い作なのですが、今となっては、八雲が描いた古い日本の空気のほうが我々にとって得がたいものになっているように思われます。

 なので、八雲を偲んで、本日は小泉八雲のオススメ作品「生神様」をご紹介させていただきます。
(今回はダイジェストですが結末までしっかり書いてしまっていますので、悪しからずご了承ください。)


「生神様」

 ある程度の年齢の人には「稲むらの火」という名前の道徳の教材として知られる作品です。

 今回の大震災で思い出された方も多いかと思われますが、地震による大津波の際に自分の財産を犠牲にして村人を救った村長、濱口五兵衛の物語です。

 序盤は、日本の神や小さな社の周辺の祈りの風景を書き留めた幻想的な美しい文章なのですが、途中から濱口五兵衛の話になります。

 なぜならば、濱口五兵衛は生きたまま神と祭られた人だったからです。以下、そのできごとのあらすじです。

 ……米の収穫を喜ぶ祭りの準備の日、高台にある自分の家から村を見下ろしていた老人、濱口五兵衛は、地震に見舞われました。
 
 それ自体はたいした揺れではなかったのですが、年長者の勘で海の異変に気づきます。

 津波が押し寄せてくる。

 しかし、危険を知らせに村までおりて、すべての人々をここに避難させるには時間が足りない。

 彼は、すぐに十歳になる孫に言いつけて、火のついた松明を持ってこさせます。

 孫からそれを受け取った五兵衛は、自分の家の畑に走って、彼の財産である収穫したばかりの稲に火を放ちました。

 祖父は正気を失ったとおびえる孫をよそに、彼は全ての稲を燃やし、それは大きなのろしとなって、村人たちの目を五兵衛の家に向けさせました。

 火事のときは老若男女を問わず村人全員で火消しに当たるという約束事があったために、村人たちは五兵衛の家に駆けつけます。

 先に駆けつけたものが火を消そうとしましたが、五兵衛はそれを制止します。
「燃えてもかまわん、ほっておけ」
 両手を広げて五兵衛は言いました。
「このまま燃やしておけ。わしは村の者をみんなここへ呼び集めたいのだ。大変なことだ。大変なことなのだ。」

 村人は五兵衛の行動が理解できず戸惑いますが、やがてみんなが集まったときに、五兵衛は「来た!」と叫んで海を指差します。
「さあこれでもわしの気が狂った、と言えるかどうか」

 八雲の津波の描写がどれだけ的確で恐ろしいものであったかは省略させていただきます。

 ただ、この文章が「Tsunami」という言葉を世界に知らしめ、英語でも使われるようになったそうです。
(参照 八雲会ブログ

 津波に破壊された村のありさまと、かろうじて生き残ったという恐怖心に呆然とする村人に、五兵衛は優しく言います。

「だからわしは稲むらに火をつけたのさ」

 このとき、五兵衛の孫が彼に駆け寄り、祖父にはしたないことを言ったことを詫びます。
 それをきっかけに、村人たちはなぜ自分が生き残れたのかに気づき、地面に手をついて礼を言いました。

 五兵衛は涙を流しました。緊張が解け、皆の無事に安心したからです。
 そしてようやくこう言います。
「わしの屋敷は残っている」
 まだまだ大勢泊まれる。向こうのお寺さんも無事残っている。ここに泊まれぬ者はあのお寺に行くと良い。
 そう言って五兵衛は自分の屋敷を指差して帰っていきました。

 その後、復興には時間がかかりましたが、村人たちは濱口五兵衛への恩を忘れませんでした。

 しかし、二度と彼にもとの財産を取り戻させることはできませんでした。また、五兵衛はそれを許さなかったはずです。

 そのため、どうにかして彼の恩に報いたいと思った村人は、彼を「濱口大明神」と呼び、神社を建て、生きている人である彼の魂を崇拝し、祭ったそうです。

 …………私はこの話を親から聞き、親は祖母から聞き、津波がいかに恐ろしいものであるかと、村人のために財産を犠牲にした五兵衛の心の立派さを教えられたものでした。

 八雲が好きだったので、この話も何度も読んでいたつもりでしたが、今回改めて読み返してみて、五兵衛が「わしの屋敷は残っている」と言った場面が印象に残りました。

 富とひきかえに村人を救った、そして、残った屋敷もまた避難する場所として村人に提供する、それが、津波が去った後、人々の手をついての礼に対する、彼の返事であった。私はこの精神を、読み落としていました。

 そこには確かに、生きながら神として人々を力づけ、希望を与える、思いやりの尊さがありました。
 あるいは、富にも力にも限界のある生身の人間がそこまでしたからこそ、その魂が神の域に達しているともいえるのかもしれません。

 今回の震災で、日本は大きな苦難に直面していますが、しかし、どんな状況にあっても優しく勇気ある人々が、日本にはたくさんいらっしゃるということも、我々は知りました。

 そういう人たちの精神と同じものが、この短編小説の中に、深い敬意を持って描かれているのです。

 「生神様」は『日本の心』講談社学術文庫に収録されています。(今回の作品紹介もこちらから引用させていただきました。)


 当ブログ小泉八雲関連の記事は以下の通りです。よろしければ併せてご覧ください。
 @小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) ※「生神様」をご紹介しています。
 A小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) おすすめ作品2「草ひばり」
 B小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) おすすめ作品3「停車場にて」
「思ひ出の記」(小泉八雲【ラフカディオ・ハーン】の妻節子さんの本)

「父『八雲』を憶ふ(おもう)」(小泉八雲【ラフカディオ・ハーン】の息子一雄さんの本)

 読んでくださってありがとうございました。
posted by pawlu at 22:09| おすすめ本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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