2010年09月06日

ロンドンの舞台「War horse」A ある名場面と、その他のおすすめ作品。


 (要約文) 

 前回記事に引き続いて、ロンドンの舞台「War horse(ウォーホース【軍馬】)」について書かせていただきます。
 
 舞台全体の特徴とあらすじについては前回の記事「ロンドンの舞台『War horse』@」をご覧ください。


 今回は「War horse」のなかの、ある大切な場面と、それを彷彿とさせる映画「西部戦線異状なし」と、大岡昇平さんの小説「俘虜記」の一場面をあわせてご紹介させていただきます。

 三作品に共通するのは、死が当たり前になってしまった戦場と、そこで、ふと、平和だったときの「いつもの自分」の感覚に戻った人たちの姿

 その強烈なコントラストから、戦争が、そこに巻き込まれてしまった人ひとりひとりの心を、どれだけ押しつぶしてしまっているかが明らかになります。

 これらの場面に、目で観て驚く派手さはありませんが、どれも、心の深い部分に語りかけてくる力を持っています。

 

(本文)


 ※今回は記事全体を通じて、上記三作品のネタバレが多いので、すみませんが、大丈夫な方だけお読みください。




 @「War horse(ウォーホース)」の重要場面

 第一次大戦下のイギリスの軍馬と、彼らを取り巻くイギリス・ドイツ双方の人々のドラマを描いた舞台「War horse」

 ある場面で馬をきっかけに、イギリスとドイツの兵士がやりとりをする場面があります。

 これは、表向き、わりと笑いも入るのですが、わたしには大変象徴的な場面に見えました。


 詳しくは申し上げませんが、ある馬を見つけ、イギリス兵とドイツ兵が戦闘をやめ、馬に向かって行くという形で、文字通りお互いに歩み寄っていくのです。

 もとはどちらの国の馬であろうと、連れ帰れば自軍の利益になるという背景もあるのですが、このときの彼らは、そんな計算もあるとはいえ、よりシンプルに

「あの馬、なんとかしてやらないと」

という気持ちを抱いて行動しているのが、彼らのしぐさや口調から感じ取れます。

 とりあえず、馬のために一緒に作業し、それが済んだ後、イギリス兵もドイツ兵も、気まずいともなんとも言えない沈黙が流れ、ちょっと咳払いしてみたりなんかします。


 その後の展開は伏せさせていただきますが、彼らは自分たちの国の言葉でやりとりし、当然通じないので、お互いに身ぶり手ぶりを交えて、言いたいことを伝え合い、とりあえず「オー、オー」みたいに言いながら、実はよくわかっていない(わからない話をされたときに、大人がやりがちな、その場取り繕いリアクション)、という状況ながら、なんとか話をまとめています。

 あのビミョーな沈黙シーンや、既に戦いに消耗した雰囲気の兵士同士が「だからさ、ああで、こうでさ、わかる?」みたいに、手足をあちこち振り回して相手にわからせようとする仕草はとてもユーモラスです。


 ちなみに原作小説と読み比べてみると、この場面、ドイツ兵側がカタコト英語を使ってやりとりをしています。そして舞台よりもう一声はっきりと、互いの台詞が友好的なもので締めくくられています。

 文の場合、英語に純然たるドイツ語の台詞が混じっていてはわかりづらいでしょうから、これはこれで「文学向き」な選択ですが(この小説は一応児童向けのようですし)、演劇であることを活かして、役者たちの間合いや全身を使った演技で、

「ことばが完全には通じなくても気持ちを伝えあえる」

ということ描いている点は、舞台独自の良さだと思います。 

 それに、実は英語とドイツ語は似た語も多いですから、お互いが相手の言語を聞いて

「え?何?あ、あーあー、あれね、うん、俺もそう思う」

みたいに、戦っている国同士の言葉が、案外根っこは同じな、親戚のようだというところを浮き彫りにもしています。

 というわけで、ぷっと笑わされてしまうのですが、その笑いの奥で、

「この人たち、さっきまでお互いを撃ち合っていたんだ。でもこうして、戦いの手を止めて、ひとりの人間同士として顔を合わせてみると、お互いを『死ね』と思う理由の無い人たちなんだ」  

ということが思い出されて、とてもやるせない気持ちにさせられます。


 顔も名前も知らず、ある特定の人物としては憎む理由が無い(なぜならばお互いを知らない)人に武器を向け続けなければならないというのは、とても異常な事態ですが、彼らはそれをすることを強制されています。

(少なくとも「ある特定の人物を恨んでの暴力」と、戦争中、戦闘を強制された人たちの状況や心理は、きちんと分けて考える必要があると思うのです。)

 戦争の悲劇とは、単にたくさん人が死ぬというところに留まらず、この状況下で、「いつも(平和な時)の自分」を次第に奪い取られてしまうというところにもあるのではないでしょうか。


 戦争という圧力が、普段の自分は望まない暴力に、いやおうなく人を巻き込み、自分や自分の大切な人が殺されるかもしれないという恐怖に日々さらされたとき、多くの場合、ひとはそれまでの暮らしでは当たり前だった感覚から引き離されていきます。

(たとえば、他人【とくに敵方の人間】の痛みに対する同情。この感覚を、戦場で普段と同じだけ持ってしまっていたら、その人は、おそらく戦場で生きていくことができません) 


 
 「War horse」のイギリスとドイツの兵士は「あの馬、なんとかしてやらないと」という気持ちが、双方を「いつもの自分」に戻し、戦争から離れた、人と人としてのやりとりが成立したわけですが、「西部戦線異状なし」と「俘虜記」にもそれぞれ、奇妙なめぐり合わせで、こうした「いつもの自分」に近い気持ちなった人が描かれています。


 A映画「西部戦線異状なし(All Quiet on the Western front)」







 日本語版ウィキペディア記事はコチラ、英語版はコチラです。


 これは、同名のドイツの小説が原作で、第一次大戦下のドイツ軍の青年が、愛国の理想に燃え、英雄となることに憧れて(学校が美辞麗句をならべたてて、生徒たちに戦争参加を勧めるのです。)軍隊に加わった後、過酷な戦場の現実に直面させられるという物語です。

 戦闘で兵士が目の当たりにする恐怖、冷酷な規律、塹壕での暮らし、仲間の死、戦争が日常になってしまった人々の心の変化などがつぶさに描かれています。

 彼らの交わす台詞のひとつひとつが、(ときに、やや大仰なところはあるとはいえ)戦争の本質をしっかりとえぐっています。

 なんと1930年のアメリカ映画。しかし、今でも戦争映画の最高峰と言って間違いはないでしょう。

 この映画のあとに、第二次大戦が起こったというのが悲しい話ですが。

 
 この中で、主人公の青年ポール(ドイツ語読みなら「パウル」)が、彼に気付いたフランス兵を、反射的にナイフで刺すシーンがあります。

 地形の関係で、彼らの動きに気付かずに、両軍の兵士はその周辺からいなくなり、死にゆくフランス兵と、彼だけが取り残されます。

 一対一でフランス兵と向き合ったポールは、混乱しながらも、彼を助けたいと思うようになり、一晩彼を励まし、水を飲ませるなど必死で介抱します。

 しかし、その甲斐も無く、フランス兵は死亡します。

 顔をゆがめたような、しかし、ほほえんでいるようにも見える、不思議な遠いまなざしのまま、この世を去ったフランス兵の足元にすがりつき、ポールは自分のしたことの許しを請います。

「銃と軍服を脱いだら友達になれたのに」

 ポールは、自分たちがなぜこんな目に遭わなければならないのかを、神に問いかけます。

 死んだフランス兵も不幸ですが、初めて自分の手で人を刺し殺すという経験をしてしまったポールもまた、心に深い傷を負ったのです。

 すでに銃での実戦経験は持っていた兵士でも、ナイフでは心に受けるダメージが違うという点や、一晩、相手と一対一で向き合ったために、その死が胸に堪えたという展開は印象的です。

 戦場では「襲いかかってくる敵」としか見えない存在も、血の通った人間である。

 ポールは(もしかしたら生き延びるために意図的に)考えずにいたこの事実に無理やり向き合わされ、うちひしがれるのです。


「All quiet(異状なし)」 。

 これだけの悲惨な状況で、人の命と身体と心が破壊される日々が、「異状なし」。

 この、ものの考え方こそが、戦争の恐ろしさなのではないでしょうか。

 「白黒」や「昔の作品」という要素に躊躇せずに、あらゆる世代の人に一度は観ていただきたい映画です。

 と、思っていたら、なんとこの映画、「ハリー・ポッター」のダニエル ラドクリフ君主演でリメイクされる予定なのですね……。(MSNエンタメの記事はコチラ

 ぜひ、若い人々にも、この作品の凄さを通して、戦争の本質を伝えていただきたいと思います。


 

 B「俘虜記」(大岡昇平 著)


俘虜記 (新潮文庫)

俘虜記 (新潮文庫)

  • 作者: 大岡 昇平
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1967/08
  • メディア: 文庫




 第二次大戦中、召集されてフィリピンのミンドロ島にいた大岡氏が、アメリカ軍の捕虜となり、収容所を経て、日本に帰還するまでを記した連作小説です。

 この中で非常に有名なのが「捉まるまで」という冒頭部。

 
 米軍の攻撃が近づいてきたため、退避し始めた日本軍の中で、マラリアが回復しきっていないために、取り残され、結局ひとりでジャングルをさまよわなければならなかった大岡氏。

 彼は、すでに死を覚悟し、いつでも手榴弾でも自殺するつもりでした。その場で死ななかったのは、ただ渇きを癒す水を探していたからです。


 このとき、彼はアメリカ兵を発見し、自然に銃の安全装置を外します。しかし、結局撃ちませんでした。

 彼に気付かないまま、アメリカ兵は向きを変えて去っていき、大岡氏は、

「さて俺はこれでどっかのアメリカの母親に感謝されてもいいわけだ」

と、呟きます。

 なぜ撃たなかったのか。

 自分自身の呟きの意味まで含めて、大岡氏はのちに、あのときの心の動きを振り返っています。


 まず、アメリカ兵に遭遇する前に、彼は、もう敵に遭っても「殺さない」という決意をしていました。

 なぜなら、あの時点でアメリカ兵を撃っても撃たなくても、日本軍の敗北は動かせないものであり、自分ももうじき死ぬ。つまり、もう「殺されるよりは殺す」という考えは成立しようがなかったからだと、大岡氏は説明しています。


 しかし、「殺さない」という気持ちを、彼が実行に移したのは、この事前の決意によるものではなく、アメリカ兵を目にした彼の中に湧き出た、別の感情のためでした。

 実際にアメリカ兵と遭遇した時、相手は大岡氏に気付いておらず、彼は一方的に、このアメリカ兵の不用心さ、頬の薔薇色と、二十にもならないような若さを見ました。

 すでに人の親になっていた大岡氏は、まだ幼さの残るアメリカ人青年を見て、ある種の感慨を覚え、彼を撃ちたくないと感じた。つまり、「父親の感情が私に撃つことを禁じたという仮定は(中略)これを信じざるをえない」と記しています。

 それしか、あとで「アメリカの母親」のことを呟いた理由が見つからなかったからです。

 
 こんなふうに簡単にまとめてしまって恐縮なのですが、大岡氏は、強い緊張による記憶の空白と戦いながら、そのときの自分の行為と心理の深層を、非常に冷静に、容赦なく追及しています。

 自分の心の謎を、突き詰めて、突き詰めぬいて、それでも、理由として否定できなかったものが「父親の感情」であると、発見しているのです。

 想像を絶する極限状態の、複雑な心のうねりから現れ出たにもかかわらず、その理由は、第三者から見ると、意外なほどシンプルでありふれています。

 しかし、ここで大切なのは、彼が、このシンプルでありふれた「父親の感情」を、「戦場」で「アメリカ兵に対し」、抱いたということです。

 「父親の感情」というのは、本来は彼が「いつもの暮らし」の中で、我が子や、子を思わせる若い年代の人に抱くものであり、この感情が、「敵を撃つ」という戦場では当たり前の、というより、味方からすれば「しなければならない」動作をやめさせたというなら、もうこのとき、ジャングルは彼にとって「戦場」ではなく、若いアメリカ兵は「敵」ではなかったということになります。

 大岡氏は、「射たない」という決意の源である、「他人を殺したくない」という嫌悪感について、このように述べています。

「この嫌悪は平和時の感覚であり、私がこの時既に兵士でなかったことを示す。それは私がこの時独りであったからである。戦争とは集団をもってする暴力行為であり、各人の行為は集団の意識によって制約乃至(ないし)鼓舞される。もしこの時僚友が一人でも隣にいたら、私は私自身の生命のいかんに拘わらず、猶予なく射っていたろう。」

 実際、彼はアメリカ兵を撃たなかったことについて、後で、このアメリカ兵が戦闘に加わり、それだけ自軍の負担が増したと気付いて、つらい思いをしています。


 彼一人のこととしては「殺したくない」と思っても、戦争中の味方のことを考えると「殺さなければ」と思ってしまうわけです。

 これは、敵ばかりか、自分自身の命も同じことだったようです。

 その後、彼がアメリカ軍に捉えられ、手当てを受けて「お前はいつか国に帰れるだろう」と言われたとき、茫然としていた彼が、日本軍の遺品の中に、自分の知り合いの持ち物を見つけたとき、彼は、

「殺せ、すぐ射ってくれ、僚友がみんな死んだのに私一人生きているわけにいかない」

と、叫んでいます。

 内心では冷静に戦況を見極め、仲間の「こんな戦場で死んじゃつまらない」ということばに同意して、一緒に脱走計画すら練っていた彼がそんな気持ちになり、アメリカ兵の前に、胸をあけて、自分を撃つように懇願しているのです。

 (※大岡氏のこの、生きていることへの罪悪感は、その後もしばらく続きますが、彼はこれを

「私の存在の真実に根拠を持たない贋(にせ)の衝動」

 と形容しています【「サンホセ野戦病院」の章より】。そんなふうには思いたくなくても、自分が所属していた集団を思うと、勝手にこの衝動を感じざるをえなかったのです。)

 戦争の中の「集団」では、「個人」の感情や命というものは、自分も他人も関係なく、まったく重みや運命が変わってしまうということが、ここからはっきりと読み取れます。


 たしかに、「西部戦線」のポールも、敵味方という「集団」が去って、自分とフランス兵だけになったときに、自分がしてしまったことの恐ろしさに気付いています。

 この「戦争のせいで起きてしまった、いのちや心の逆転」が、たくさんの混乱を生み、平和な環境にいる我々には「なぜこんなおそろしいことに」と思わされるような、死と暴力が積み重なっていってしまったのでしょう。


(それにしても、自分の、喉をかきむしるような渇きや、幻聴や、死の覚悟さえも、まるで研究対象のように、できるかぎり論理的に整理し、分析した大岡昇平とは、ほんとうに恐るべき人だと思います。

 彼は、この機械のような冷静さとともに、戦いに行く前の「いつもの暮らし」の感情やものの考え方をある程度残していて【それを戦場で持っているということは、とても危険ともいえるのですが】、その視点から、「人が、平和な環境から、戦場に連れて行かれた時、その命と心がどうなってしまうのか」を、戦争を知らない世代にも具体的に伝わる文を書き記しました。
 
 この、一連の文章は、ことばだけができる、戦場という極限状態での、人の心の緻密な記録として、他に例を見ないような息詰まる迫力と、大きな意義を持っています。)
 

「助かった」ことを知った時の

「常に死を控えてきたこれまでの生活が、いかに奇怪なものであったかを思い当った」

という大岡氏の実感と、 「西部戦線異状なし」というタイトルはくっきりと対立しています。

 「死にたくないのに死に、殺したくないのに殺す」のも、それを「異常なし」とまとめてしまうことも「奇怪」なのです。

「A generation of men who, even though they may have escaped its shells, were destroyed by the war.」

(意訳 戦争の砲弾からは逃れたかもしれないが、戦争によって破壊された世代の男たち)

「西部戦線異状なし」の冒頭の文は、見事に戦争の悲劇をとらえています。

 この戦争の「奇怪」さが、敵味方関係なく人を破壊し、生き残っても、長い間その心と体を苦しめたという事実を、わたしたちは戦争による膨大な死者、負傷者の数値や、戦争をとらえた作品の奥に、見据える必要があるのではないでしょうか。


 C「War horse」の特徴

 戦闘から「いつもの自分」に、ふっと戻った人々。

 そのときの彼らと、「戦争中」の彼らのギャップは、彼らひとりひとりの「命と気持ち」を押しつぶす、戦争の想像を絶する重圧と、そこから逃れられない人々の苦しみをわたしたちに実感させます。

 まるで、重たい岩の下で、冷たく麻痺しつつあった体から、一瞬重みが取り除かれ、一気に温かな血が通ったかのような手ごたえで。

 「西部戦線異状なし」にも「俘虜記」にも、その手ごたえがありますが、「War horse」だけが持つ凄さというものもあります。


 それは、敵同士である兵士たちの「やりとり」

 ことばはほとんど通じていませんが、お互いの考えを伝え合っています。

 「俘虜記」は大岡氏の側だけが、アメリカ兵に気付いていますし、「西部戦線異状なし」のポールとフランス兵は、相手が瀕死の重傷を負っているために、はっきりとしたことばを交わすことはありません。

 「War horse」だけが、戦いをやめ、お互いに「ワカル?ワカル?」と、ことばと全身を使ってやりとりをしているのです。

 この瞬間は、馬という中立の存在が(あるいは、馬を思いやるひとの気持が)もたらしてくれたものです 

 そして、人間同士がわかりあおうと努力しているうちは、戦いなどしなくていいのだということが、ここに象徴されています

 この場面を観ている間、それは「さっきまで撃ち合っていた敵同士が、一生懸命身振り手振り」という、外見はユーモラスな場面なので、笑ってはいましたが、笑いながら、心が震えるという、とても奇妙な経験をしました。

 @ こんな人たちに殺し合いをさせる戦争の恐ろしさ。

 A 「わかりあおうとすること」が平和につながるという大切な事実。

 B 笑いを通じて、重要なメッセージをサラリと巧みに伝えてしまう、イギリス演劇の底知れなさ。

 C 戦後何十年も経って、ようやくこういう形で、国籍を超えて戦争と平和を教える作品が完成したのだという感慨。


 この4点がスクラム組んで、ゲラゲラにまぎれ、わたしの心臓に一気になだれ込んできたのだなと、今にして思います。

 そして、わたしは、ものすごいものを目の当たりにできたのだと、つくづく思うのです。


 ……以上、つたないご紹介ですが、この偉大な三作品について、そのすごさを少しでもお伝えできていたら幸いです。

 また、これと対照的ながら、同じくイギリスの芸術の底知れぬ懐の広さを感じさせる 「Dad's Army」 の記事も併せてお読みいただけると幸いです。戦争コメディとでも言うか、嘘みたいなコンセプトの話ですが、これまたスゴイのです。
 
 ですが、この感覚が、「War horse」のあの名場面に、一脈通じるような気もするのです。

 そして、「War horse」と「Dad's Army」の両方が愛されるところが、イギリスの「真面目だけど押しつけがましくなく、したたか」という素晴らしい強みのような気がします。


当ブログ「ウォーホース」関連の記事は以下の通りです。
ロンドンの舞台「War horse(ウォーホース)戦火の馬)」@ あらすじと見どころご紹介
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「史実 戦火の馬」(ドキュメンタリー番組)

 今回は、無い集中力を振り絞って書かせていただいた記事ですが、それでも仕上がりが遅くなってしまいました……(汗)。

 しばらくは、ガラッと話題を変えて、イギリスで体験した、日常生活の出来事などを、短めの文でいくつか書かせていただこうかと思っております。

(「War horse」つながりで、一部に戦争の場面が含まれたロシアのアニメーション「話の話」や、こうの史代さんの傑作漫画「この世界の片隅で」も、近々ご紹介させていただきたいのですが。)

 よろしければ、またご覧になってみてください。


posted by pawlu at 07:29| 舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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