2010年08月29日

ロンドンの舞台「War horse」@ あらすじと見どころご紹介

War horseの2009年度上演劇場「New London Theatre」
war horse.JPG


(2010年8月現在も同じ劇場で上演中のようですが、くれぐれも上演場所をご確認の上お出かけください(※)



 ※このお芝居、私が行った時には(今も)、「National Theatreがお送りする舞台『War horse』がNew London Theatreで上演中」という状況だったのに、ノコノコNational Theatreに行ってチケットを出し、職員さんに「ここではやっていません……」と大変申し訳なさそうに言われたという苦い記憶があります。


(その後、「!?緊急新倫敦!?我、馬!?鹿!?」みたいになっていた私をなだめて、チケットを差し出させ、無事開演前にNew London Theatreにつれていってくださったタクシーの運転手さんありがとう)


 ※2011年12月11追加情報。


 第一次大戦下の軍馬と彼の飼い主の少年の運命を描いたロンドンの傑作舞台「War horse」が、スピルバーグ監督の映画「戦火の馬」として、2012年3月2日から、ついに日本で上映されるそうです。


 舞台の凄味がどれくらい映画に乗り移っているか……。楽しみというか、祈るような気持ちで待っております。




舞台のセットやパペットの臨場感が伝わる2分間の動画 ※ロサンゼルス公演版 
War Horse On Stage


(※本当に、すごい舞台でした。主人公アルバートと馬のジョーイが、ゆっくりと心の距離を近づけていく描写、パペットとは思えない馬の疾走、軍馬として連れて行かれるまでが見られます。のびやかな音楽に重なり合う勇敢にして悲痛な戦闘の突撃の声と、主人公が馬の顔に両手をあて、必ずまた一緒にいられるようになる、と誓う場面に、胸が締め付けられる。) 



 (要約文)


 今回は、現在ロンドンで上演中のお芝居「War Horse」についてご紹介させていただきます。


 第一次大戦下、軍に徴用された愛馬を追って兵士となった少年と彼の馬を描いた作品(著名な小説家Michael Morpurgo【マイケル・モーパーゴ】の児童小説が原作)で、スピルバーグ監督が、ハリウッドでの映画化を発表したことでも有名です(2011年8月公開予定)映画キャストについて描かれた「ガーディアン」紙の記事はコチラ


 原作小説の画像(舞台の脚本と表紙がソックリなので、ご購入前にご確認ください)



War Horse

War Horse

  • 作者: Michael Morpurgo
  • 出版社/メーカー: Egmont Books Ltd
  • 発売日: 2007/08/06
  • メディア: ペーパーバック







 ロンドンのWar horseの舞台公式HPはコチラです。



 ミュージカルと違って歌や踊りの華やかな見せ場が無い上に、作品前半の舞台であるデボン地方のアクセントでの台詞を聴きとるのはかなり大変で、追い打ちのように、ドイツ語やフランス語のやりとりのシーンも結構長いので、ある意味「イギリスで観た中で最も聴き取りのハードルが高い舞台」(※)でしたが、それでも、本当に観に行って良かったと思った作品でした。



 この舞台でとくに印象的なのは、つぎの2点。


 @ 数人がかりで動かす、等身大の馬のパペットの造形と演技


 A 馬とのかかわりの中で、ごく自然に、公平に描かれた、イギリスと敵国ドイツの兵士たち両方の心の動き。また、それによって、戦争のおそろしさを観客に気付かせるという、さりげないながら忘れがたい物語の語り口。


 動物たちのパペットや、力強く哀愁ある音楽に魅了されつつ、人と動物の絆、国籍を問わず戦争により過酷な運命に追いやられた人々のドラマに心が締め付けられました。


 映画も楽しみだけど、芝居自体、かなうならば日本に来てほしいです。


 この作品で描かれた人と馬、人と人の精神性は、必ず日本人にマッチするはずですし、文楽(人形浄瑠璃)の伝統になじんだ日本人は、あの馬のパペットの美しさに素直に魅了されると思うからです。


(※)前回記事でご紹介したミュージカル「ビリーエリオット」が「半ベソかくほど(ダーラムアクセントが)難しい」と申し上げましたが、それでいくと「War horse」は全ベソかきます。それでもなお名舞台でした。



 今回の記事は、


「あらかじめ物語の筋をふまえないと、ミュージカルでない英語のお芝居は楽しみにくいなあ」


と思っている方の一助になればと思って書かせていただいておりますので、前半部のネタバレが多いです。そして、例によって例のごとく「わたしの英語力を経由したあてにならない意訳」なので、大丈夫な方だけ読み進めてください。


@ 前半の舞台と登場人物


   【時代と場所】


 1912年~1914年、デボン地方(イギリス南部、【余談ですが、イギリスの代表的なお菓子、スコーンにつける濃厚なクリーム「クロテッドクリーム」の産地として有名な地方です】)


  【主要登場人物(と馬)】


 アルバート・ナラコット……主人公の少年。


 ジョーイ……アルバートの馬。

 (ジョーイの血筋は、サラブレッド【狩猟や乗馬向き】と、draft【荷車馬車向き】のハーフ、この性質も話の展開に関わってきます)


 テッド……アルバートの父で農家を営んでいる。大酒飲みで気難しいため、村人たちからは軽んじられている。


 ローズ……アルバートの母。気が強く、夫や息子も容赦なく叱り飛ばすが、芯は温かい女性。


 アーサー……アルバートの伯父。テッドよりも裕福で、彼を馬鹿にしている。


 ビリー……アーサーの息子。父親たちの確執の影響で、やはりアルバートたちと仲が悪い。


 【あらすじ】


(※台詞は脚本をもとに描かせていただいております。実際の舞台では変更されているかもしれません)


 主人公の少年アルバートとともに、家畜の競り市に来ていた父親テッドは、当初、牛を買うつもりだったが、仲の悪い親戚のアーサーが、息子ビリーのためにオスの仔馬(ジョーイ)を買おうとしているのを見て、アルバートの制止を振り切って、仔馬の競りに参加。アーサーと競り合った挙句、高値で仔馬を買ってしまいます。



 いりもしない仔馬を買ってきた夫テッドにローズは激怒しますが、仕方なしにアルバートに仔馬の世話を命じます。

 ジョーイは農耕馬(farm horse)に向かず、買ってしまった以上は育て上げて、乗馬用の馬として売りに出すよりほかに、損を取り戻せなかったからです。



 ちなみに、このとき、母ローズは、

「(意訳)もしも、家の中から何か妙な音がしても心配しないで、わたしがあんたのお父さんをブッ殺している音だから If ya(=you)hear strange noises from the house,don’t worry,it’s me killin’yer vather(=killing your father)」

と、夫に一歩も引かない勝気さを見せています。


 さらに、余談ですが、アルバートの家のシーンでは、パペットのガチョウ(車輪付きで、役者さんが操っている【「クワ、クワ」みたいな声も役者さんがつける】)がよく出てきます。


 首を、にょにょ、と動かし、餌をコツコツついばんだり、すきあらば家の中に入ろうとして駆けよったりする(けど、クチバシ先でドアを閉められ、哀愁のある風情で、しばしたたずむ)姿が、人間同士の重要なやり取りの合間に出てきて、いい息抜きになっています。

(なので、カーテンコールでは結構熱烈な拍手を受けていました)。


 仔馬が飼えることになったアルバートは大喜びで、彼をジョーイと名付けます。最初は怯えていたジョーイでしたが、次第に彼になつき、ともに過ごすうちに、美しくたくましい若馬に成長します。


 アルバートに大切にされ、仲良く遊び、走り回っていたジョーイが、堂々たるいななきとともに、舞台中央から、(仔馬と入れ替わる形で)、成長した姿で現れる瞬間の、勇壮な美しさは必見です。 


 ジョーイがアルバートの家に来てから約2年後の、1914年の夏、ジョーイが素晴らしい馬になったことが、アーサーとビリーには面白くありません。


 一方、ローズはジョーイの成長ぶりに大満足、そろそろ彼を売る時期だと考えます。ジョーイと離れたくないアルバートは、彼を売らずにすむ方法を必死で考えています。


 ところがある日、酔ったテッドが突然「ジョーイに鋤を引けるようにしつける」と言いだします。実は、テッドはアーサーの挑発に乗り、一週間以内にそれができるようにならなければ、ジョーイをアーサーに譲る、もしできれば、アーサーがテッドに金を払うという賭けをしてしまっていたのです。


 しかし、今まで一度も農耕馬としての訓練をしたことの無いジョーイは、馬具を身につけさせることさえ難しく、強引に従わせようとするテッドを蹴ろうとする有様、一週間で鋤を引くなど、ほとんど不可能な話でした。


 アルバートはテッドに猛反発しますが、鋤を引けなければ、ジョーイを殺しかねないテッドの態度に、結局は言うとおりにするほかありませんでした。



 怒りの治まらないアルバートがローズに

「こんど僕かジョーイに父さんが手を上げたら……」

と言うと、ローズは

「お前がお父さんを殴ったら、お前が想像するよりももっとずっと強く、わたしがお前を殴り返すよ!」

と、夫をかばいます。


 アルバートはローズがいつもテッドの肩を持つことに不満を持ちますが、このときローズは、彼らの周囲(特にアーサー)の反対を押し切って二人が一緒になったこと、自分たち母子はなにがあろうが彼を愛し、支えるべきだということをアルバートに言い聞かせます。


 アルバートは母に従いますが、鋤を引くことに成功したら、ジョーイを売らずに家に置いてくれるようにと母に頼みます。また一方でアルバートは、もう二度と人を蹴ってはいけないと、ジョーイにきつく諭します。


 アルバートの必死の思いが通じ、ジョーイは見事鋤を引けるようになります。


 これでずっと一緒にいられるようになる。


 アルバートはそう思っていましたが、ちょうどそのとき、戦争の波がアルバートたちの村にも押し寄せます。


 アーサーの息子ビリーは、自ら志願して兵隊に加わり、軍馬として馬を差し出せば、高いお金が手に入ると聞いたテッドは、アルバートに断りも無く、ジョーイを軍に引き渡してしまいます。


 話を聞きつけ、ジョーイを連れ戻そうと必死に追いすがるアルバート、しかし、ジョーイを預かったニコルス大尉は、もうこの馬を返すことはできないとアルバートを諭します。


 ならば、自分もジョーイと一緒に行きたいとアルバートは頼みますが、彼はまだ十六歳、当時の兵役年齢(十七歳)には達していませんでした。


 実は、ニコルス大尉は以前、ジョーイに乗って駆けるアルバートを見ており、彼らの姿をスケッチしていました。


 ジョーイとアルバートの深い絆を知っていたニコルス大尉は、自分がこの馬に乗り、大切に扱うこと、きっとジョーイが戦場に出る前に戦争は終わるだろうということ、そのときは、彼をアルバートのもとに返すことを約束します。


 ニコルス大尉のことばに、アルバートはジョーイをニコルス大尉に託します



 別れ際、ジョーイを抱きしめ、


「必ずまた一緒にいられるようになる」


と誓って。


 しかし、クリスマスになっても、ジョーイは帰ってきません。代わりに、アルバートのもとに、ニコルス大尉がジョーイを描いたスケッチブックと、「ある知らせ」が届きました。


 それを読んだアルバートは、決意を固め、スケッチブックから、ジョーイが描かれた絵を破り取って、家を出て行きます……。

                                

                                   (前半部あらすじ終わり)


 ジョーイが軍馬になってしまうシーンで印象的なのは、当時のイギリス(おそらくはドイツも)国民の、第一次大戦に対する予測のありようです。


 「きっとすぐに終わる。自分は生きて帰れる」


 多くの人が、そう信じていたのだとわかりました。


 まだ、近代戦というものが始まる前のイメージしかなかったために、このような誤算のもと、多くの兵士が、あまりためらわずに戦争に参加してしまったように描かれています。


 アーサーもまた、自分も、自分の父も従軍経験があるのだから、息子を戦争に出しても無事に帰ってこれるだろうと、ビリーを送り出してしまいますが、この大戦から初めて登場したマシンガンの存在を知ったあとで、はじめて息子がどれだけ危険な状況にあるかに気付いています。


(ちなみに、同じく第一次大戦から使われるようになった兵器である毒ガスも、後半の展開に大きく関わってきます。)



 アルバートも、この戦争で何が起こるかを知っていたら、絶対にジョーイを引き渡そうとはしなかったでしょう。


 戦争それ自体も恐ろしいですが、ニコルス大尉のような軍人さえも状況を見誤ったまま、泥沼のような戦争に巻き込まれていったのだと思うと、この直前の人々の姿も、我々の目には非常に悲劇的に映ります。


A 舞台の見どころ


  【イギリスとドイツ、双方が描かれた物語展開】


 後半のあらすじをくわしくご紹介することは避けますが、とりあえずお伝えしておきたいのは、後半はアルバートたちと交互に、馬たちとドイツ側の軍人フリードリヒの物語が展開するということです。


 冷酷な軍人もいる中で、フリードリヒは落ち着いた人柄で、もとイギリス軍のものだった馬たちには英語で話しかけるなど丁寧に接し、戦死した仲間の遺体から、家族の写真を見つけて涙するという、温かみある人物です。


 彼は既に若くはなく、生きて妻と娘のもとに帰りたいと切望しており、戦闘に巻き込まれて自分だけが生き残って以後、自分の立場を救護兵と偽って、馬たちとともに戦闘から外れようとします。


 このように、ひとつの物語の中で、対立国双方の兵士の内面が描かれるというのは、今まで、あるようで無かった気がします。


(イーストウッド監督が「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」と二作に分けて、アメリカと日本それぞれの兵士の姿を描いたのも、非常に画期的だったと思いますが)



 このような描写がごく自然にできるのは、この作品の主軸が馬だからです。


(残念ながら対立国の人間同士では、戦場でこのようなやりとりをすることは難しいでしょう。)


 フリードリヒにもジークフリートという愛馬がいましたが、既に戦闘で失っていたため、イギリス側から連れてこられた馬たちを大切にし、理不尽な扱いをしようとするほかの軍人たちから、体を張ってでも守ろうとします。


 「馬にはドイツもイギリスもなく、獲った側が、軍の財産として自由に使える」

という戦場での状況が、奇しくも


「馬を可愛がる気持ちに、ドイツもイギリスもない。人の心はどこの国でもそんなに変わるものではない」


という事実を浮き彫りにします。


 そして、馬たちを思いやり、自分の故郷に連れ帰ろうとするフリードリヒを見ているうちに、観客であるわれわれの心に湧き出てくる、


「では、なぜ彼らは殺し合わなければならなかったのだろう」


という解けない疑問が、戦争に対する怒りや悲しみや恐怖となって、ずっしりと残されるのです。

 この疑問を最も痛烈に(しかし表向きは軽く)投げかける、非常に印象的な場面があるのですが、これは「よりネタバレ」になってしまいますし、その他の作品とも比較しながらご説明したいので、次回記事であらためて書かせていただきたいと思います。



 【馬のパペットの魅力】 


 この馬は、全体的な輪郭は籐製で、ジョーゼットという透ける布が皮膚、脚は木製のようです。(関節など可動部には金属も使われ、革製の部分もあるそうです)


 ジョーイとトプソンという、作品のメインキャラクターは三人で動かしていて、頭部を棒で操る人は、馬のいななきや鼻息も声帯模写で演じます。


 War horseのパペットについて紹介した「テレグラフ」紙の記事は下記URLです。



 パペット使いの人(Puppeteer)の人の姿が透けて見える(ちなみに服装は釣りズボンにシャツ、あるいは当時の農家の人にいそうな普段着姿など)つくりなのですが、馬のしぐさが事細かに再現され、その歩く姿など、馬独特の、引きしまった筋肉が、力強く、しかし軽やかに揺れ動く様子までが感じられて、なんとも美しいです。優雅な蹄の音も耳に心地よい。


 止まっていれば現代アート風、しかし動くとそれはとても生き物の質感のある馬になる。


 多分、外見的なリアルを追求するより、繊細な動きと、観客の記憶の中にある馬のイメージが合わさることで完成する馬なのでしょう。


 これは、ちょうど、文楽で、主遣い(おもづかい【人形のかしら(首)を操る】)の人が、紋付き袴の正装ではっきり姿をあらわして、その技術の高さと、人形の生命感を同時に観客に魅せるのと似たような、複雑な表現方法です。


 なので、まさに文楽を観るときのように、「操る人は、いるけどいない」と、半分意識から外した鑑賞の仕方でご覧になることをお勧めいたします。


 わたしは、ジョーイが仔馬姿で登場した当初から、ジーンとしっぱなしでした。


 ものすごく見事に馬なのですが、一方で、うちの犬に似ていたからです。

 びっくりすると耳が、ひょきひょき、と立ったり、恐縮して頭を低くしたり、脚がむずカユイのか、なにかのはずみで、あぎあぎ……とかるく噛んでみたり、おっかなびっくり歩くときの足取り、関心を引きたいときは、どちんと割り込んでくる遠慮のなさ、そして鼻息で「ンブルルル……」とか、「ブシュヒヒン」とか、いろいろ言って、人と意志の疎通ができるところなどは、うちの犬によく似ていたのです。


 うちの犬が、すごくうれしいと「ぶしゃん!ぅぶっし!(本当にこんな音)」と、なんかやけに力強くうなずくように鼻を鳴らし、憮然としたときは「ふんっ!!」「……ふっ(鼻ため息)」とか言っていたのを思い出して、とても懐かしかったです。


 そんなわけで(?)、美しいのだけれど、いかにも生きものらしく、優しく愛嬌もあるジョーイにお客さんたちも完全に感情移入し、ジョーイがピンチになった時など、ざわざわしたり、はっきり「オオ…」とか「ノー」と思わず言ってしまう人も続出でした。


  【音楽とアニメーション】


(音楽)

 公式HPで一部聴けますが、この舞台は場面の節目で男声の歌が入ります。


 これがとてもおすすめです、イギリスの野をめぐる季節、土や動物たちとともに働く人々の日々を歌い、生命力と郷愁を感じさせます。CDが発売されていますが、ご購入する価値が十分にあると思います。


 映画化の際、この音楽を取り入れてくれたら、とても良い味になると思うのですが、無理でも、この空気は入っていてほしいと思います。


 戦争が題材のドラマや映画では、「とにかく泣け」みたいな重圧がある、怖いか悲しいかの空気だけがずっしり充満している作品が、結構あるのですが、この作品のように、むしろ力強く命の摂理を歌いあげた音楽が入っていると、作品世界に厚みがでるし、これが本当は我々が選ぶべき道だと、観客が感じられると思うのですが。


(アニメーション)


 ロンドン公演の舞台では、上方に、裂け目のような形の白いスクリーンがかかっています。


 これは、実は「アルバートがスケッチブックから破り取ったジョーイの絵の切れ端」の姿をしているのですが、場面によりデボンの風景や、戦場(そこに照準器からの標的がこまかく描きこまれていたりする)、戦闘シーンなどのアニメーションが映し出されます。


 鉛筆画の味わいで描かれた戦争の悲劇、倒れてゆく兵士の姿などは、詩的で象徴的で、生々しさはありませんが、この舞台の空気感には相応しく、非常に大きな効果を挙げています。


 全体的にモノクロのこの画面に、少しだけ色がさすことがあります。


 それは深紅のひなげし(Poppy)の花の絵。


 ひなげしは戦没者への追悼を象徴する花であり、この映像の中でも、ひなげしから血が涙のように流れてゆきます。




 以上、作品のあらすじと見どころについて、ご紹介させていただきました。


 次回記事「War horse」Aでは、わたしにとって、この作品の中で最も印象深かった、あるシーンについて、同じく戦争を描いた傑作映画「西部戦線異状なし」、文学「俘虜記(大岡昇平作)」の一場面とともにご紹介させていただきたいと思います。


 「よりネタバレ」なので(できるだけぼかしますが)大丈夫な方だけ、よろしければ次回もお読みください。


当ブログ「ウォーホース」関連の記事は以下の通りです。










posted by pawlu at 22:37| 舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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