2017年03月29日

室生犀星と猫のカメチョロ

 先日、金沢出身の文豪室生犀星と、火鉢に手をかざす猫ジイノについてご紹介しましたが、引き続いて、犀星の娘朝子さんが書かれたエッセイ「うち猫、そと猫」より、犀星と彼が最も愛した猫カメチョロのエピソードを少し書かせていただきます。

 『室生犀星作品集・57作品⇒1冊』 -
『室生犀星作品集・57作品⇒1冊』 -

うち猫そと猫 (1982年) -
うち猫そと猫 (1982年) -


「ふるさとは遠くにありて思うもの」という詩で有名な室生犀星は、小説や詩で名を成してから、東京大田区の馬込と軽井沢に家を持ち、行き来をしましたが、その縁で、ある猫と出会いました。

軽井沢の家を建てた大工の棟梁が、避暑に訪れた犀星に、自宅の三毛が産んだ子猫を「夏の間寂しいでしょうからこの猫と遊んでください」と連れてきたのが、犀星と猫のカメチョロの出会いでした。

カメチョロはその日の午後にはもう犀星に懐き、軽井沢の家を、生まれながらの自宅のようにゆったりと歩き回り、犀星が庭に出れば後をついて歩いたそうです。

犀星は家や庭に、自身の高い美意識を反映させた人でしたが、この子猫には、彼が顔が映り込むほどに磨き上げた紫檀の仕事机の上や、手づから世話をする庭を歩くのを許したそうです。

(ちなみにカメチョロという不思議な名前は、信州の言葉で「トカゲ」を意味し、この子猫が庭を好きに飛び回る姿が、同じく庭を闊歩する、美しく銀青色に光るトカゲに似ているからという理由で名づけられたそうです。)

こうして、1年目は避暑の間だけ犀星と過ごしたカメチョロは、2年目の犀星の軽井沢訪問時も彼をよく覚えていて、大工さんがカメチョロを入れていた箱を飛び出すと、すぐに犀星に身をこすりつけて懐き、夏が終わるころ、ついに犀星の猫となって東京に連れてこられました。

カメチョロは母に似ず、大きくなってからはペルシャ猫の血を引くことを感じさせる雉虎柄の長毛で、目が大きく、犀星好みの長くふさふさとした尾を持つ雄猫でした。

「うち猫そと猫」にはカメチョロの写真がありますが、畳に優雅にねそべるカメチョロは、黒目がちで、モノクロの写真であっても、淡いピンクであったのではと思わせる愛嬌のある口元が、微笑んでいるようにふんわりと上がった、大変可愛らしく美しい猫です。

個人的には、一目見て、手塚治虫の描く、まつ毛の長い大きな目の、情深く妖艶ですらある美猫を思い出しました(カメチョロは男の子ですが、ブラックジャックの名作「猫と庄三と」の牝猫にちょっと似てる。)。

ブラック・ジャック 7 -
ブラック・ジャック 7 -


美貌でゆったりとした性格のカメチョロは、犀星に「わしの猫だからわしが世話をする」と宣言させた、おそらく数多くいた室生家の猫の中でも、犀星に最も素直になつき、犀星も溺愛した猫であったようです。

 「うち猫、そと猫」の中には、帽子をかぶり羽織姿の背筋の伸びた犀星を、笹の垣根づたいに追い、やがて寂しそうに見送るカメチョロや、犀星が丁寧に掃き清めて世話をする庭を悠々と歩くカメチョロと、自身はしゃがみこんでせっせと庭の手入れをしながらも、そういうカメチョロを好きにさせている犀星の写真が載せられています。

 朝子さんによると、犀星はブラシ代わりに軍手をはめて撫でることで、長毛のカメチョロの毛並みを整えてやっていたそうで、はじめはいやがっていたカメチョロもすぐに犀星の意を汲み、天気の良い日に犀星が軍手を持って出てくると、「犀星より先に縁台にとびのり、ごろりと寝るようになっていた」そうです。

しかし、このカメチョロは、冬のある日、伝染病にかかり、急死してしまいました。

その夜、犀星の部屋には遅くまで灯りがともっていたそうです。

朝子さんは他の飼っていた動物たちのように、カメチョロをお寺に葬るつもりでしたが、犀星は、「カメチョロをそんな遠くに葬るわけにはいかないよ。庭の杏の木の下に埋めなさい」と、朝子さんに頼みました。

 朝子さんたちが、埋葬の穴を掘っていた時、犀星はふいに庭に出てきて、彼女にカメチョロの遺髪を切ってほしい、と言いました。

 朝子さんにとっても非常につらい作業でしたが、犀星はカメチョロの埋葬を見ることすらできなかったようで、書斎にこもってしまい、朝子さんが持ってきた遺髪を黙って受け取ったそうです。

  東京に連れてこなければ、空気のきれいな軽井沢にいれば、カメチョロがこんなに早く死ぬことはなかったかもしれない。そう思ったのか、犀星は「ほんとに可哀想なことをした」と、悲しそうに言っていたそうです。

 カメチョロの死んだ前年の昭和34年に、長く療養していた妻のとみ子さんを亡くした犀星は、軽井沢に自分で「室生犀星文学碑」を建て、奥さんの遺骨の一部を、文学碑の傍らに置いた俑人(死者とともに副葬する人形)の下に埋葬していました。

(参照、「避暑地の散歩道 室生犀星文学碑&俑人像」軽井沢life http://karuizawa-style.net/kyukaruizawa/muroosaisei/)

 そして、朝子さんを連れて、散歩で文学碑を訪れたとき、なにげないふうに、
「わしが死んだら、ここに骨を埋めてほしい、そのために穴も大きく作っておいたからね」と、言いました。

 昭和37年3月26日、72歳で犀星は世を去りました。

 色々な片付けが済んだころ、朝子さんは、犀星が手元にのこしていたはずのカメチョロの毛を探しましたが、几帳面に整理されていた引き出しのどこからも見つかりませんでした。

 その年の夏、犀星の遺言に沿って、朝子さんは、犀星の分骨を携え、軽井沢の文学碑へと赴きました。

 大工の棟梁(最初にカメチョロを連れてきた人)に手伝ってもらい納骨を終えた朝子さんは、俑人の後ろに植えられたかんぞうの葉陰に、石燈籠の宝珠がおかれているのに気づきました。

 本当なら灯篭の一番上に置かれている石が……、と不思議がる朝子さんに、棟梁が、
「去年、先生があそこになにかを埋めて、その目印のためにあの石を置いたのですよ。先生はいったい何を埋められたのでしょうね」と、言いました。

「犀星が埋めたものは、あれほど軽井沢に返してやればよかったと言っていた、カメチョロの遺髪だったのだ。誰にも言わずに、わざわざ目印に宝珠まで置いたのは、愛した小さな生命に対しての、犀星の最大の供養だったのである。」

 朝子さんは見つからなかったカメチョロの遺髪と、棟梁の話とを結び合わせて、そう父の思いを振り返っていました。

 複雑な生い立ち、幼い我が子の死、愛妻の病など、波乱の多い人生を送り、厳格で気性の激しいところもありながら、年代を問わず多くの才能ある詩人たちとその家族に慕われ、心のこもった交流をしていた犀星。

 彼の文章からは、類まれな美意識や観察眼だけでなく、こうした人柄の奥行きがありありと感じられます。

 なぜこう強靭で、それでいて優しいのか。

数多くの文学者が鋭敏さと引き換えに傷つきやすく生きづらい精神を持っていたのに比べると、圧巻の文才と、優しさと、率直さの全てを持っていた犀星の存在は謎ですらあります。

 どうして苦労の連続ながら、それにのまれずに、人としても文学者としてもこういう境地に辿り着いただろうか、その過程を、私は、まだよく知りませんが、愛妻の死後、妻と自分が眠る場所を静かに整え、カメチョロの魂の一部も、カメチョロのふるさとであり、やがて犀星も眠る場所へ連れて行ったという話は、まさにこうした犀星の強靭さと優しさを物語っていると思いました。

 ジイノとカメチョロの話のおかげで、もともと稀代の名文家と思っていた犀星をますます好きになりましたので、また折をみて、彼の作品についてもご紹介させていただきたいと思います。

 読んでくださってありがとうございました。

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2017年03月22日

室生犀星と猫のジイノ

 金沢を代表する文学者、室生犀星の命日、「犀星忌(3月26日)」にちなみ、 雑誌『サライ』2017年3月号に載っていた室生犀星の記事をご紹介させていただきます。

 3月号の『サライ』のテーマは「日本は猫の国」。

サライ 2017年 03 月号 [雑誌] -
サライ 2017年 03 月号 [雑誌] -

 絵画や文学、漫画に登場する猫や、芸術家たちと暮らした実在の猫たちの様々なエピソードが紹介されていますが(例えば、「漱石はよく猫を背中に載せたまま寝そべって新聞を読んでいた」らしい〈萌〉。)、なかでも微笑ましかったのが、室生犀星と愛猫ジイノの写真です。


  「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」(『抒情小曲集』より)という詩で有名な室生犀星は、随筆、小説でも数多くの優れた作品を残しました。


室生犀星詩集 (新潮文庫 (む-2-6)) -
室生犀星詩集 (新潮文庫 (む-2-6)) -

 お勧めは『月に吠える』の萩原朔太郎、『風立ちぬ』の堀辰雄など、そうそうたる文学者たちの作品と、彼らとの交流を描いたエッセイ、『我が愛する詩人の伝記』です。

我が愛する詩人の伝記 (講談社文芸文庫) -
我が愛する詩人の伝記 (講談社文芸文庫) -

 犀星の鋭い観察眼と、控えめながら深い他者への情、詩で磨かれた言葉の美が冴えわたり、一言一句、冬の日溜まりのような切ないぬくもりと、宝石の一粒一粒のような輝きを併せ持つ作品です。
(一瞬の隙もなく言葉が優れて胸に迫るという点では、自分の読書歴の頂点に立ち続ける作品です。〈小説なら漱石ですが、いずれにせよ甲乙つけがたい。〉)

 文章の一例として、『我が愛する詩人の伝記』内、堀辰雄の妻、たえ子さんの回想と、堀辰雄の文学の批評部分を少し引用させていただきます。

 「病床十年を切り抜けたところで夫の死を見た彼女は、烈婦のカガミのような人であった。カガミはいまは辰雄の小説の中から美しい嫉妬をほじくり出して、それを唇にくわえて遊泳していた。カガミはカガミに映る自分を見て笑い、毎月墓地にかかさずせっせと通うていた。石にお詣りするということはどういう事なのであろう、私にはこの古い日本のしきたりが余りに美の行事であるため、却って奇異のはかなさに思われた。
 堀辰雄は生涯を通じてたった数篇の詩をのこしただけであるが、その小説をほぐして見ると詩がキラキラに光って、こぼれた。こぼれたものを列べてみると、それはみな詩の行に移り、よどみない立ちどころの数篇の詩を盛りあげていた。小説や物語の女達の言葉や行いが、人間の性情にあるときは詩というものが、こんなふうのものかと、そう思われる優柔感をそなえてみせた。」

 亡き婚約者の面影(※)を文学にしたためた夫を愛し、彼の闘病と執筆を支え続けた妻と、堀辰雄の文学の魅力を、それぞれ的確かつ誇張なく美しく描いた名文です。

(※)『風立ちぬ』で主人公の「私」が病床に付き添う「節子」は、堀辰雄の死別した婚約者、矢野綾子がモデル。 

 このように突出した言葉の才を持つ犀星は、その気骨や美意識の裏返しなのか、気むずかしく癇癪持ちなところもあったようですが、(親友の朔太郎が他の作家にからまれていると思って、出版記念会で椅子を振り回したこともあったらしい。)ご家族ともども動物好きで、娘の朝子さんの猫、ジイノ(アンジェリーノという華やかな名前だったのがジイノになったのだとか〈※〉)は、犀星の書斎に平気で入り込んできたそうです。

 (※)朝日新聞デジタル「3:室生犀星の愛した「ジイノ」」より

 そんなジイノが、火鉢のふちにちょこんと両前脚をかけ、火鉢を挟んで座る犀星が笑ってその様子を見ているという写真が、『サライ』に掲載されています。

 参照:室生犀星記念館のHPで公開されている犀星とジイノの写真。(H番)
 http://www.kanazawa-museum.jp/saisei/outline/picture.html

 (HPの写真では、もう、おねむみたいで、顔を体に埋めるようにしていて、犀星が火箸で火加減に気を配っている様子〈やさしい〉ですが、サライでは、お目目ぱっちりおすまし顔のジイノと、ニコッと笑っている犀星の写真が観られます。犀星は基本的には写真嫌いだったそうですが、猫と撮られるのは平気だったとか。)

(追記、サライのものと同じ写真を表紙に使った電子書籍作品集が発売されていました。)
『室生犀星作品集・57作品⇒1冊』 -
『室生犀星作品集・57作品⇒1冊』 -

 ジイノがこのポーズをとるようになったのには、こんなきっかけがあったそうです。

 「ある日(ジイノが)、犀星の横にあった火鉢に二本の手(前脚)を揃えて座り、居眠りをはじめた。それに気づいた犀星は、もう少し火鉢に近づけてやろうとそっと尻を押す、するとジイノの両手が火鉢にかかり、火にかざしているような格好になった。翌日からジイノは犀星の書斎に行くと、火鉢に両手をかけて眠るようになった(『サライ』3月号より)」
 
 犬飼ってたんでわかりますが、毛足の長い生き物は、畳などでお尻を押すと、ツーと、押されてる側も驚くほど摩擦なく滑ります。

 偉大な、やや厳格な雰囲気の文学者にお尻を押されて、ツーと畳を滑って、ツルンと火鉢の縁に両手のかかってしまったジイノが、火鉢の内側のホカホカに気づいて「こりゃいいニャ」と、落ち着いてしまった様が目に浮かびます。

 犀星の書斎は、家具から飾られている陶磁器に至るまで、素人目にも品の良いものばかりで、ジイノが手をかける火鉢も、金属製なのか重々しく黒光りする高価なものに見えます。

 犀星は火鉢がジイノの脂で汚れるからこまめに拭かなければならないと迷惑そうに語っていますが、実はこのポーズを気に入っており、来客があるたびに、ジイノを連れてきて、可愛らしい仕草を披露していたそうです。
(参照、室生犀星記念館2014年3月12日ブログ

 あの美しい文を書いていた方が、猫をいそいそ火鉢の前に連れてくる姿を想像するとギャップ萌えます。

 ジイノの可愛い火鉢ポーズは、2014年に、彫刻家で金沢美術工芸大学非常勤講師の渡辺秀亮(ひであき)さんにより再現され、犀星記念館入り口でオリジナルキャラクターとして来館者をお出迎え、この場所では撮影が可能だそうです。

 犀星記念館では、ジイノほか、室生家の猫たちの写真が犀星の詩と併せてポストカードになっているのですが、さらに、ジイノはあの火鉢にお手手ちょこんの姿で切り抜かれてしおりになっていたり(本に手をかけているみたいに見える)、犀星と一緒に可愛い似顔絵ストラップになっていたりします。ほしいー。

(犀星記念館のグッズは、その他にも犀星の愛猫たちの箸置きとか、なんかズルいセンスのものが目白押しです。)

 ちなみにそのストラップのもう一面は、中年以降は品と風格のある容姿ながら、若い頃はあまりイケメンとは言えない犀星の奇跡の一枚(失礼)をモチーフにしています。
(その写真だけ綾野剛に少し似ている。上掲写真館ページのAの写真かと、)

(参照、室生犀星記念館2014年3月16日ブログ

 グッズといい、入り口のジイノといい、全体的に素敵な場所のようなので、立ち寄られてはいかがでしょうか。(北陸新幹線のお供には『我が愛する詩人の伝記』を是非。)

 『サライ』はこの他、赤塚不二夫や大仏次郎など、様々な人たちの猫との関わりと心暖まる写真が観られます。素敵な一冊でしたので、こちらもお手にとってみてください。
(よろしければ当ブログ続編記事「室生犀星と猫のカメチョロ」も併せてご一読ください。)

 読んでくださってありがとうございました。


(参照)
・室生犀星記念館HP http://www.kanazawa-museum.jp/saisei/
・朝日新聞デジタル「私のこだわり【猫 比名祥子記者】3:室生犀星の愛した「ジイノ」」http://www.asahi.com/area/ishikawa/articles/MTW20160122180750001.html
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2017年03月21日

画鬼河鍋暁斎達人伝

 本日は現在東京で開催中の展覧会「これぞ暁斎!」にちなみ、河鍋暁斎の絵師としての達人ぶりを物語るエピソードをご紹介させていただきます。

公式HP http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_kyosai/



 産み出す作品そのままに、ぶっ飛んだ人物です。

 資料として、「暁斎画談」(暁斎の語りと絵手本をまとめた書。暁斎本人が挿し絵を手掛けている。)と、イギリス人建築家で暁斎の愛弟子ジョサイア・コンドル(コンダー)の「河鍋暁斎」を使わせていただきました。

暁斎画談 外篇巻之上 -
暁斎画談 外篇巻之上 -

河鍋暁斎 (岩波文庫) -
河鍋暁斎 (岩波文庫) -


 達人伝1、暁斎八才、生首を拾い写生する
 
   物心ついたときから絵が好きだった暁斎は、ある日、神田川に水の流れを写生しに行きました。

 水辺に寄ったときに、何やら毛のなびく物が足元近くに流れ着き、これが簔亀(※1)というものかと喜んで拾い上げたところ、男の生首でした。(※2)

 (※1)甲羅に長く藻の生えた亀。縁起が良いとされる。
 (※2)近くの処刑場から流れてきたと思われる。

 驚いて捨てて逃げようと思ったものの、考えてみれば、名人の生人形(※3)の生首を写生したことはあったけれども、本物の生首を見たことはなかった。怖いからといって、描かずに捨てて逃げるのは惜しい。と、思い直し、むき出しで運ぶわけにもいかないので、家に走って風呂敷を持参し、包んで家に持ち帰りました。

 (※3)本物そっくりに作られた人形のこと。見世物小屋などで展示された。
 当時暁斎の家の近くに、生人形の名手、泉目吉の作業場があり、暁斎はしばしば作業場を訪ねて、作り物の生首などを写生していた。(そもそもそこからしてどうかと思う。)

 物置に隠して、隙を見て写生しようと思っていたところ、手伝いの女性が、薪をとりに物置に行って生首を見つけてしまい、悲鳴を上げて飛び出してきたので、暁斎の父母も駆けつけ、大いに驚きました。
(そりゃ人生これほどびっくりすることはそうないでしょう。)

 騒ぎを聞き付けた少年暁斎は、写生をするために拾ってきたと正直に打ち明け、生首と暁斎の絵にかける熱意との両方に驚いた両親は、しばし怒ることもできずにいましたが、なおも写生をしたいと言い張る暁斎に対し、人に見られたらどう申し開きするつもりだと父が厳しく言い聞かせ、「すぐ川に戻してこい。元あった場所に捨ててこい」と叱ったそうです。(※4)

 (※4)ジョサイア・コンドル「河鍋暁斎」より。(捨て猫拾ってきちゃったみたいな発言……)。

 しぶしぶ言われたとおり首を薦に包んで河原に戻ってきた暁斎でしたが、やはり惜しいと河原に座って急いで写生を始めたところ、見物人が山を為したものの、幸い咎められることはありませんでした。

 (コンドルの書では、人気の無いところで描いたとありますが、暁斎画談ではめっちゃ人が集まって見てます。〈しかもなんか、裸足で駆けてくサザエさんを見てる級にみんなが笑ってる。幼児もガン見てる。大丈夫なのかコレ…。〉)

「暁斎画談」挿絵、(上部は幼い暁斎が水辺から生首を拾っている様子。)

暁斎画談.png

 その後、首を川に流して水葬とし、この件はおさまりました。

 子供のしたことだからと警察も不問に処したようで、人々は十才にもならない暁斎の、絵に対する熱意と豪胆とを誉めそやしたそうです。

 江戸時代には人通りに罪人の首をさらすことが普通にあったそうですが、そのせいか、今からみると、異様に死体に免疫がある人々の反応と、暁斎の「真の生首は得難い物(←…)なのに、怖いからと写生しないのは残念」という、天性の絵描きというか、もう絵描きになるよりほか無いだろうこの人と思わされる発想が印象的です。


 達人伝2、暁斎15才、自分の家に火の手が迫っても写生に没頭する

 1846年正月、小石川から上がった火の手が、暁斎の住む佃島までせまり、人々は避難と家財の運び出しに追われました。

 このとき、ある裕福な家の主人が、飼っていた鳥たちが焼け死なないようにと、急ぎ籠を開けて鳥を空に放ちましたが、混乱していたのか、一度高く飛び立った鳥たちが、火の輝きに向かって戻ってきてしまいました。

 翼の内側が火に照らされて輝く様は「花と紅葉撒き散らしたるが如く」、特に孔雀は凄絶な美麗さだったそうです。

 この哀れにして稀有な光景を目の当たりにした暁斎は、家に帰ると、既に火の手が迫り、家の人間たちが家財の運び出しに駆け回っている中、紙と筆と硯だけを持って火事場に向かい、鳥たちの飛ぶ姿と屋敷の燃える様を写していたところ、親族に見咎められ、「他人ですら荷運びを手伝ってくれているのに、独り安閑と絵を描いているとは何事か」と厳しく叱責されました。

 慌てて家に戻り、作業を手伝ったものの、その目はなお、火や煙の立つ様、火消しの人間の駆ける姿を観察し続けたそうです。

 教科書にも取り上げられた「絵仏師良秀(宇治拾遺物語)」(※5)や、「地獄変(「絵仏師良秀」を下書きとした芥川龍之介の短編小説)」を彷彿とさせるエピソードですが、先の生首事件同様、芸術家の目の「物凄さ」が伺えます。


 (※5)絵仏師良秀の家が火災に見舞われた際、火の手に包まれる家を前に笑っている良秀を見た人々は、気がふれたのだと思ったが、彼は、
苦心していた不動明王像の背後の火焔が、これでようやくうまく描けると言い放ったという話。

 芥川は、この話をもとに、権力者に地獄絵図を描くよう命じられた良秀が、地獄のあらゆる場面を再現して彼に見せることを請い、牛車の中で火に包まれているのが自分の娘だと気づいても、なお、その有様に見入り、絵を仕上げたのち命を絶つという物語を描いた。


 芸術家が火を前にしたとき、「焼け出された人がいる」とか、「混乱して火に飛び込む鳥の哀れさ」といった、一般人なら感じるであろう恐怖や同情よりも先に、「目の前に見たこともない光と色に包まれた非日常的な光景がある」ということに心を奪われてしまい、火の手が自分や家族に迫るかもしれないという危機感すら麻痺して、ただ「見て、それを描く者」として見入ってしまう。

 この若き暁斎の逸話は、どこかユーモラスな語り口ではあるものの、そうした、芸術家の、一般人には想像の及ばない、ある種の魔性と危うさが見てとれます。

 (余談ですが、こうした恐ろしい超然の観察者の眼差しは、物書きである江戸川乱歩も持っており、空襲の時、空の火を美しいと思ってしまったと語り、その光景を短編「防空壕」に記しています。)

「防空壕」収録の江戸川乱歩全集19巻『十字路』
十字路〜江戸川乱歩全集第19巻〜 (光文社文庫) -
十字路〜江戸川乱歩全集第19巻〜 (光文社文庫) -

 作品に負けず劣らず不世出の個性を持っていた暁斎。
 
 あるいはこの人物だからあれほどの作品を次々とものにしたとも言えますが、このほかにもまるで物語の登場人物のようなエピソードがいくつもあります。

 暁斎画談は、国会図書館蔵のものが著作権フリーで公開(Kindleでも閲覧可能)されており、(書体が古くて読むのが大変ですが、絵は面白いです。)ジョサイア・コンドルの「河鍋暁斎」は文庫化されているので、ご覧になってみてはいかがでしょうか。

 国会図書館デジタルコレクション『暁斎画談』外扁 巻之上
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/850342

 当ブログでも、もう少し暁斎についてご紹介させていただきますので、よろしければお立ち寄りください。

 読んでくださってありがとうございました。



posted by Palum. at 21:18| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月19日

「ゴールドマン コレクション これぞ暁斎!世界が認めたその画力」ご紹介1

 2017年2月23日〜4月16日まで、渋谷Bunkamuraミュージアムで開催中の「ゴールドマン コレクション これぞ暁斎!世界が認めたその画力」についてご紹介させていただきます。

公式HPはコチラ

http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_kyosai/
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_kyosai/about.html
(河鍋暁斎の説明ページ)
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_kyosai/introduction.html
(展示解説ページ)

・カッコいい宣伝動画

]

・ビジュアルツアー



河鍋暁斎は幕末から明治という激動の時代の中、卓越した画力で、ユーモラスな戯画、風刺画から、渾身の美人画、仏画まで縦横無尽に描き上げ、「画鬼」と呼ばれた画家です。

(奇抜な画題や確かな筆さばきにより、海外では葛飾北斎の弟子と勘違いされたこともあったそうですが、直接のつながりはありません。)

彼の絵はフランスやイギリスなどでいち早く高く評価され、その腕前に感動した、当時来日中の建築家、ジョサイア・コンダー(コンドル)が彼に弟子入りし、暁斎の臨終まで看取る深い師弟の絆を結んだことでも知られています。

(二人の関係にちなんで「画鬼・暁斎 幕末明治のスター絵師と弟子コンドル」という展覧会も2015年に三菱一号館美術館〈コンドルの設計建物を復刻させた場所〉で開かれましたが、そのときの、
「狂ってたのは、俺か、時代か?」という、非常にイカしたキャッチコピーが忘れられない。)

 幽霊、妖怪など、荒唐無稽な題材の作品も数多く描いたためか、没後は長らく日本画壇の傍流扱いを受けていた暁斎ですが、近年再評価が進んでおり、今回、イギリスの暁斎コレクター、イスラエル・ゴールドマン氏のコレクションが、日本に里帰りを果たしました。

 どんなテーマを、どんなタッチで描いても、生き生きとした線が、小気味いいほど、ぴたりぴたりと、或るべき空間に決まり、見る者の目を強く引き付ける暁斎の作品。

 踊る骸骨や、にゃんこやカエルなど、特に予備知識なく観に行っても楽しめる絵もたくさんあるそうですし(個人的にはゴールドマン氏最初のコレクションだという象とたぬきの絵が非常に可愛くて好きです)、イヤホンガイドのナビゲーションが春風亭昇太、展覧会テーマソングが和楽器バンドなど、エンタメ性の高いイベントになっているので、お出かけになってみてはいかがでしょうか。
(東京展終了後は高知、京都、石川に巡回するそうです。)

 当ブログでも、開催中にもう少し暁斎についてご紹介させていただきますのでよろしければお立ち寄りください。

 読んでくださってありがとうございました。

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2017年03月18日

「この世界の片隅に」映画と漫画の補足情報(漫画の一コマとクリスマスカード)




 先日、映画も大ヒットした名作漫画「この世界の片隅に」のご紹介記事を書かせていただいたのですが、今日は漫画と映画それぞれの補足情報を書かせていただきます。

 過去記事は以下のとおりです。
 ・(※ネタバレあり)「この世界の片隅に」映画で語られなかった場面(2) 雪に描かれた絵と、桜の花びらの舞い降りた紅
 ・(※ネタバレあり)この世界の片隅に 映画で語られなかった場面(1)ノートの切れ端とリンドウのお茶碗


この世界の片隅に 上 (アクションコミックス) -
この世界の片隅に 上 (アクションコミックス) -

この世界の片隅に 中 (アクションコミックス) -
この世界の片隅に 中 (アクションコミックス) -

この世界の片隅に 下 (アクションコミックス) -
この世界の片隅に 下 (アクションコミックス) -

 1,髪をとかすリンさん(漫画)

 漫画のみの描写なのですが、主要キャラのリンさんが、髪をとかしている絵があります。

この世界の片隅に 髪を梳くリンさん.png

 ストーリーに直結しているコマというより、章のはじまりのカットのような箇所で、長い髪を片手で束にしてまとめて高く持ち上げ、もう片方の手で櫛をかざし、髪をまとめる紐を、微笑む唇に軽くくわえているというポーズです。

 こうの史代さんの描く女性の、比較的大きく描かれた手とほっそりした全身のしぐさの、曲線を成すたおやかさには、大正時代の画家竹久夢二の美人画に似た情緒が感じられるのですが、この絵はそうした女性らしさに加え、大きく上げた腕と長く横に引いた艶やかで豊かな髪から、颯爽とした動きと、しなやかな色気を感じられ、涼しいまなざしにリンさんの個性がうかがえる名作だと思います。

 竹久夢二「秋」(出典:ウィキペディア、「竹久夢二展」図録、毎日新聞社、1992年)(拡大画像はコチラ

TakehisaYumeji-MiddleTaishō-Autumn.png

 なお、長く豊かな髪をすく美しい女性というのは、古くより、ほのかで神秘的な色香を漂わせる画題として愛されており、ラファエル前派の画家ロセッティや、夏目漱石に支持された装丁作家、橋口五葉らも、それぞれに名作を残しています。

 ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ「レディ・リリス」(出典:ウィキペディア、Delaware Art Museum)(拡大画像はコチラ

Lady-Lilith.jpg

 橋口五葉「髪梳ける女」(出典:ウィキペディア、The Trustees of the British Museum The British Museum Images)(拡大画像はコチラ
 
Goyo_Kamisuki.jpg

 物思いにふけるような目でゆるやかに髪を梳く、ロセッティと五葉の絵の静けさと比べ、肌襦袢に細袴(ズボンのような下着)姿で、大きな動きをしているリンさんからは、これから髪を結い、着付けをして、場に出てゆく生身の女性の勢いや生活感が感じられ、既に歴史にその名を刻まれた画家たちの絵に勝るとも劣らない魅力があると思います。

 この後、漫画の展開としては、彼女がこの美しい髪を日本髪に結って、花見に出掛けており、そこは、非常に印象深い名場面となっています。(その場面をご紹介した記事はコチラです。)

 2、「この世界の片隅に」のクリスマスカード

 2016年12月下旬、映画の大ヒットを記念して、来場者に作品の主要キャラクターが描かれたクリスマスカードが配られたそうです。

 クリスマスカードの画像が見られるニュースURLはコチラ
 出典:「この世界の片隅に」第2弾来場者プレゼント12月23日から配布、すずがサンタに」
 (「映画ナタリー」、2016年12月22日http://natalie.mu/eiga/news/214405

 周作さん、すずさん、リンさん、水原さんの4人が、サンタの格好をして並び、前の人の肩に手を置いた電車ごっこのようなポーズでこちらを向いて笑っているというデザインです。

 少しデフォルメされて頭身が縮み、顔もまるっこく、映画の中よりもあどけない感じが可愛らしいのですが、この姿でサンタ服を着ている彼らを見ると、急に、「ああ、そうだ、この人たちまだ20代なんだな……」と思って、(そういう意図でデザインされたのではないでしょうが)急速に切なくなりました。

 今の時代を生きていれば、クリスマスなら、どんなデートをしようとか、プレゼントがほしいとか、そんなことを考えていられる年頃に、戦争に巻き込まれ、リンさんはもっと幼いころに親に売られて苦労して、水原さんは軍人になって……という人生を送っていたのか……と……。

 そして、彼らが今の時代に生きていれば、たぶんこの4人の関係性は変わっていたんだなとも思いました。

 貧しさのあまり親に売られるとか、結婚の自由がないとか、戦争で明日の命もわからないとか、そういう時代でなければ。

 たぶん作品の中でむつまじく生きているすずさんと周作さんは夫婦になることはなく、水原さんとリンさんがそれぞれの伴侶になっていたかもしれない。

 そして、そうなったら、それはそれで、きっと相性の良い幸せな夫婦だっただろうと思います。

 作中の彼らは、それぞれに恋する人や友達に対して暖かく接し、自分の人生を誠実に生きている人たちですが、彼らはそれを「選んで生きた」わけではなかった、時代と戦争が彼らからその他の人生を無言で奪っていたのです。

 現代もせちがらく、先が見えず、快適にはほど遠い世の中だとは思いますが、それでも、彼らが生きていた環境よりは、平和であり、自由であり、そういった意味では、確かに今を生きているということは幸運なのだと、この一枚のほんわかと可愛らしいカードを見ながらしみじみと考えさせられました。




 しばらく記事更新の間隔が開いてしまっていましたが、これからはもう少しペースアップする予定です。よろしければまたお立ち寄りください。

 読んでくださってありがとうございました。
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2017年03月17日

(※ネタバレあり)「この世界の片隅に」映画で語られなかった場面(2) 雪に描かれた絵と、桜の花びらの舞い降りた紅


先日の記事に引き続き、映画「この世界の片隅に」では語られなかった、原作漫画のエピソードをご紹介させていただきます。(ややネタバレなのでご了承ください。)

1, 雪に描かれた南の島の絵

 主人公すずさんの夫、周作さんは、かつて娼婦のリンさんという女性を愛し、真剣に結婚を考えていましたが、おそらくは周囲の反対のために、それがかないませんでした。

 偶然リンさんと知り合ったすずさんは、さまざまなきっかけを経て、リンさんと周作さんがかつて愛し合っていたということに気づいてしまいます。

 すずさんはリンさんのとの過去を、周作さんに問いませんでしたが、自分はりんさんにの代用品のように嫁に来た女なのかという思いはつきまといました。

 それでも、家事をこなす日々や、初恋の男性で、今は海軍兵となった水原さんとの再会という出来事を経て、 自分の人生や、周作さんへの愛情を見つめなおしたすずさん。


 雪のつもったある日、すずさんは、リンドウの柄のお茶碗を持って、リンさんに会いに行きました。

 その美しいお茶碗は、周作さんがかつてリンさんにあげようと思って買ったものであり、すずさんが、周作さんとリンさんの過去に気づくきっかけとなった品でした。

 リンさんを探すすずさんに、リンさんはまだ、泊りの将校さんについている。赤毛の若い女性が、遊郭の窓のむこうから、そう教えてくれました。

 あどけなさの残る素朴な優しい表情で、ふるさとが南であることを感じさせる言葉遣い。

 しかし、その言葉が、ひどくせき込んで途切れたため、すずさんは、お茶碗に雪を盛って彼女に渡します。

 熱っぽい顔で微笑んで、雪を口にふくむ女性に、すずさんはそのまま茶碗を託すことにしました。

「リンさんによう似合うてじゃけえあげます、言うて伝えてください」

 様々な思いを自分なりに消化した様子で、すずさんは、お茶碗を差し出します。

 「よかよ!きれいかお茶碗たい」
 茶碗を受けとってくれた女性の細い両手首には、包帯が巻かれていました。

「好きっちゃ好き、知らんちゃ知らん人」だった若い水兵に手をくくられ、一緒に川に飛び込んだ。

 こともなげにそう話した女性。

 飛び込む前から、あんな小さな川で死ねるわけはないと、うすうすわかっていた。

 やっぱり自分もあの人も死ねなかった。もともと自分は、死にたかったわけでもない。ただ、
 「なんや切羽つまって気の毒やったと」

 せめて夏なら川の水も気持ちよかったのに、暖かな外地に渡ればよかった……。

 そんな話を聞き、すずさんは杖がわりに持ってきた竹槍で、雪に絵を描きました。

 椰子の木のある砂浜、そこをのんびりと歩くカニ。水平線の上の入道雲とカモメ、波間を跳ねるイルカ。

 「ああ!そげん感じ。そげん南の島がよか!」
 
この世界の片隅に 雪の上の絵.png

 さて、夜までに風邪を治さないと、と、気を取り直した女性。

 ほいじゃお大事に、と窓を閉めて立ち去るすずさんの背中越しに、まだ絵を見ている女性の、「よかねー」という楽しげな声が、聞こえてきました。



 雪道の南国の絵に下駄あとを少し残し、遊郭をあとにするすずさん。

 このカーテンの閉じられた建物のどこかで、まだ客とともに過ごしているリンさん。
 
 格子窓の向こうから、すずさんの絵を眺める、好きとも知らぬともつかない男と身をなげた赤毛の人。

 おそらくは売られ、それでも微笑んで日々ここで働いて生きる女性たち。

 (「すず、お前べっぴんになったで。」)

 初恋の水原さんにかけてもらった言葉。

 けれど、いまだに苦い。

「周作さん、うちは何ひとつ、リンさんにかなわん気がするよ」

 降る雪に目を上げ、すずさんはぽつりとつぶやきました。




2、桜の花びらの舞い降りた紅

 満開の桜の頃になり、すずさんは、周作さんと義実家の人々と一緒に、公園に花見に訪れました。

 春のはじめに呉にも空襲があり、誰の心にも、これが最後の花見になるかもしれないという思いがよぎるのか、いつもにもまして人の多い公園。

 周作さんたちと手分けをして場所を探していたすずさんの腕が、ふいと引かれました。

 「ひさしぶり、すずさん」

 リンさんが、立っていました。

 額脇の髪を一筋長くたらした日本髪、リンドウの柄の着物を、胸元をくつろげて着付け、良い帯と、華やかな帯留めで細く締めた立ち姿の、しっとりとした風情。 

 お客さんに連れられて、皆で遊びに来た。そう話してくれているのに、頭から爪先までつくづくと見とれているすずさんに、リンさんは「聞いとるん?」と、顔をのぞきこんできます。

 「あ、あの、うちも家族と来とるん」
 そう、言いかけましたが、リンさんと周作さんが再会したら……と、はっとしたすずさんの頭の中に、そのときの二人の様子がぐるぐると回り、どうしよう……、と、固まってしまいます。

 「すずさんも登って来…、ありゃ、また聞いとらん!」
 頭上から声がして振り向くと、すずさんがぐるぐるしていた間も、「この格好でも細袴を履いているから非常時も木登りも大丈夫」、と、おしゃべりしていたリンさんが、いつのまにか桜の枝に腰をかけていました。

 「お茶碗くれたんすずさんじゃろ、雪に描いた絵見てわかったわ。ありがとうね」

 らんまんと咲き誇り、ほのかなそよぎに花びらをたゆたわせる桜の上、リンさんは、やってきたすずさんに言いました。

 少し言葉を探した後、すずさんはおずおずと口を開きました。
 「お……夫が昔買うたお茶碗なん、あれ……なんかリンさんに似合う気がしたけえ……」

 そう言って、桜の枝ごしに、そっとリンさんの様子をうかがいましたが、白いうなじを見せてうつむくリンさんからは、何の言葉も返ってきません。

 「ほらー、知らん顔されたらいやじゃろ!?」
 にっこり笑って振り向いたリンさんが、ぽん!とすずさんの背中を叩きました。

 それで、それ以上この話をできなくなったすずさんは、お茶碗を預かってくれた、赤毛の女性はどうしているかを尋ねました。

 「ああ、テルちゃんね」

 テルちゃんは死んだよ、あの後肺炎を起こして。
 雪も解けんうちよ。
 ずーっと笑っとったよ。すずさんの絵を見て。

 そう言うと、リンさんは蓋つきの小さな器を取り出しました。
 「会えて良かった。すずさんこれ使うたって」

 テルちゃんの口紅。

 リンさんは、掌の器の紅を、薬指につけると、言葉を失っているすずさんの唇に、塗り始めました。

 皆言うとる、空襲に遭うたら、きれいな死体から早う片付けてもらえるそうな。
 いつのまにか死が珍しいものではなくなってしまった、この町の人々の噂話をして。

 「……ありがとう」
 脳裏に、瓦礫に押し潰され、野ざらしとなっていた人の背中がよぎり、すずさんは、そうつぶやいていました。
 でも、まだ、ほかに伝えたいこと、聞きたいことが、心のどこかをさ迷っている目をして。

 「ねえ、すずさん、人が死んだら、記憶も消えて無うなる」
 長いまつげをふせ、口紅を指でなぞるリンさん。

 「秘密も無かったことになる。」
 すずさんの唇にそっと押し当てられた、紅の染まった白い指。

 すずさんの瞳をのぞきこみ、リンさんは、穏やかに笑っていました。


この世界の片隅に 紅を塗るリンさん.png


 「それはそれでゼイタクなことかも知れんよ。自分専用のお茶碗と同じくらいにね」

 そして、ただ、すずさんの手に紅の器を置くと、リンさんは桜の木を降り、すずさんを見上げました。

「さて、もう、行かんと!逃げた思われるわい」

 すずさんは木の上から、ええ、またね、と、答えました。

 枝の影から垣間見える日本髪のリンさんの後ろ姿。

 開いた器の中の紅。

 病床でも、楽しそうに笑っていた、テルさんの顔。

さらさらと流れてゆく桜の花びら。

 すずさんの掌の紅。

 桜の枝の陰に、遠ざかりつつあったリンドウ柄のすその足元が、ふっと動きを止め。

 すぐそばに、ゲートルを巻いた男の足。

 二人の姿を覆って秘める、満開の桜の花。

 向かい合う足先から、二つ延びた人影。

 すずさんの掌の紅に、流れてきた花びら。

 こちらに向かってくる、男の足先。

 ひとひらの花びらが、紅の中心にふわりと舞い降り。
 
 すずさんは、音もなく漂う花びらの中、目を上げ。

 やがて包み込むように、紅の蓋を閉じました。

 桜を内に秘めたまま。
 


 「すずさん、そこにおったんか」

 周作さんがすずさんを見上げていました。

 友達を見つけたもので。

 そう、はぐれた理由を話したすずさん。

 やっぱり、みんな今生の別れかと思って花見にくるんかのう、と、桜を眺めながら歩き出した周作さん。

 「おかげでわしもさっき知り合いに会うた」

 笑うとったんで安心した。

 「……なんじゃ?」

 すずさんが、周作さんの顔を見つめていました。

 「……うちも、周作さんが笑っとって安心しました」

 そう言うすずさんの目も、やわらかに笑っていました。 



 周作さんが、リンさんを妻にするつもりで買ったお茶碗を、彼女に届けたすずさん。

 すずさんが周作さんの妻であることに、すでに気づいていたリンさん。

 リンさんはお茶碗を受けとりましたが、それ以上何も聞かず、何も話そうとせず、すずさんの唇に、紅を塗るしぐさで、指をあてました。

 人が死んだら記憶も消えて無うなる。
 秘密はなかったことになる。
 それはそれでゼイタクなことかもしれんよ。
 自分専用のお茶碗と同じくらいにね。

 好きだった人に真剣に好かれ、自分だけの物をその人が選んでくれていたこと。
 その記憶を自分だけのものとして、胸に秘めて生きて死んでいくこと。
 それで十分、贅沢だと感じられる。
 だから、好きだった人にも、その人の妻にも、もう、何も話さないし、求めない。
 でも、好きだった人の妻になった人が、自分も好きだと思える人で良かった。
 好きだった人のためにも。自分のためにも。
 
 いつ、町が焼かれるかもしれない時代、貧しさゆえに売られ、娼婦として生きる人生。

 同じ立場にいた人は、他人の死の不安によりそって、死にたいとも思わないうちに死んだ。

 そういう日々を送りながら、それでも、自分の人生を「居場所がある」と思って生きることのできるリンさんは、周作さんがお茶碗を贈りたいと思ってくれたこと、周作さんの妻であるすずさんが、そのお茶碗を届けてくれたことが、お茶碗そのもののように、美しくなめらかな、ぬくもりのあるものに思えたのでしょう。

 そして、すずさんは、周作さんとすずさんのこれからに立ち入ろうとしないリンさんの笑顔を見て、自分も周作さんとリンさんのこれまでを、ただ、二人の秘密として閉じ、それを懐に、周作さんを愛していこうと思えたのでしょう。

 セリフもなく、桜の上にいるすずさんの見つめるものだけで、すずさんが、胸に切なさを感じながらも、周作さんとリンさんの過去を受け入れていく心理を描いているシーンは特に印象的です。


この世界の片隅に 桜の舞い降りた紅.png


 周作さんとリンさんが互いに気づいた瞬間、二人がどんな表情をしたのか、何かを語ったのかは、満開の桜の枝に覆われ、すずさんの位置からは見えません。ただ、垣間見える二人の足元と影が、二人が向き合ったことをほのめかすだけです。

 二人を覆い隠した桜は、その美しさやはかなさとともに、この場面では周作さんとリンさんの「秘密」の象徴となり、すずさんは、行き遭った二人の姿を見ようとせず、逆に視線をあげて、桜の花びらという「秘密」が舞い降りた紅の蓋を、そのまま閉じて、「秘密」を封じ込めます。

 この仕草が、すずさんが二人の過去を「秘密」のまま、二人のどちらにも問わずに自分の心におさめるという思いを表しているのだと思われます。
(蓋を閉じるときの、包み込むような手の動きだけで、それが、自分は触れることができないけれど大切なものだと思っているすずさんの内面を描く、作者こうのさんの画力が見事です。)
 
 そして周作さんの「(リンさんが)笑っとったんで安心した」という言葉。

 リンさんの笑みは桜に隠され、すずさん同様、我々読者にも見えませんが、その笑顔は目に浮かぶような気がします。

 今も周作さんと、彼との思い出を愛し、そして周作さんの妻がすずさんだからこそ、リンさんは笑うことができたのでしょう。


 すずさんにとって、この紅に降りた、「秘密」を意味する桜の花びらは大切な意味を持っていたようで、すずさんはその後も、桜の花びらを収めたまま、その紅を使っています。

 この紅とはなびらは、この年の夏(1945年7月)、すずさんが機銃掃射に狙われたときに、初恋の人、水原さんにもらった水鳥の羽と共に、ずたずたに撃ち抜かれて失われます。

 これより前、すずさんは空襲で落ちた時限爆弾により、心身深く傷ついており、実家の広島に戻ることすら考えているのですが、ここで、羽と花びらの入った紅がすずさんから消えるという展開は、様々なことを読者に想像させます。

 すずさんは周作さんのもとを去る気持ちになっていましたが、この機銃掃射からすずさんを救ったのは、他ならぬ周作さんであり、二人それぞれの恋の過去が飛散する中、すずさんに覆い被さって彼女を守る周作さんの姿は、これより先、すずさんと共に生きていくのはこの人である。あるいは、すずさんにとって周作さんは諦められる人ではないという印象を読者に与えます。

 また一方で、紅と羽が銃弾に吹き飛ばされる姿は、この、呉への徹底的な攻撃があった時期に、水原さんとリンさんが命を落としたことを暗示しているのかもしれません。
(以後、二人は登場せず、水原さんの所属していた戦艦青葉と、リンさんのいた二葉館の戦後の姿が描かれるのみです。) 

 現実には銃弾によって失われてしまった紅でしたが、すずさんの心にはその存在が留まり、物語の後半部では、幻の中で、すずさんの手が、吹き飛ばされたはずの紅から、桜の花びらをそっとよけ、指に染めた紅で、リンさんの語ることのなかった幼い日からの人生、そして、周作さんとの「秘密」をついに描き出します。

 かすれた温かみのある線で描かれて、優しい風情がありますが、リンさんの苦労の多かった人生や、彼女のその後を暗示させる、胸に迫る場面です。

 こうしたリンさんとの関係は映画ではあまり描かれていませんが(紅で描かれた場面は、エンドロールで一部観ることができます。) 特に桜の木の上の場面は、前回ご紹介した、リンドウのお茶碗とノートの切れはしから、すずさんが真相に気づく場面と並んで、多くの感情を秘めながら、抑制で語られた圧巻の名場面だと思います。

(映画には映画の素晴らしさがあるのですが、本当にいい場面だと思うので、これだけ作品がヒットしたのだから、たとえばディスク発売の際に完全版ということで付け加えることはできないのかな……と考えてしまうほどに。)

 このほかあらゆる場面に情緒があり、漫画ならではの多彩な表現も読みごたえがあるので、是非原作もご覧になってください。

 読んでくださってありがとうございました。

posted by Palum. at 18:00| おすすめ漫画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月07日

英雄になった贋作師ハン・ファン・メーヘレン


 先日(2017年2月26日〈日〉)、テレビ番組「林先生が驚く初耳学」で、贋作師ファン・メーヘレンが紹介されていたので、事件をとりあつかったノン・フィクション「フェルメールになれなかった男」(フランク・ウイン作、ちくま文庫)をもとに、この人物についてご紹介させていただこうと思います。


フェルメールになれなかった男: 20世紀最大の贋作事件 (ちくま文庫) -
フェルメールになれなかった男: 20世紀最大の贋作事件 (ちくま文庫) -

 ハン・ファン・メーヘレン(ウィキペディアより。背後にあるのは、彼が贋作を証明するために描いた「フェルメール風」の作品「神殿で教えを受ける幼いキリスト」)Photographer Koos Raucamp - GaHetNa (Nationaal Archief NL)

VanMeegeren1945.jpg

 ハン・ファン・メーヘレンはオランダの贋作師、第二次世界大戦中に「真珠の耳飾りの少女」などで日本でも人気の画家フェルメールらの贋作を売りさばき、被害総額は約70億円ともいわれています。

 しかし、莫大な被害額よりも、彼と彼の贋作が戦争によりたどった数奇な運命ゆえに、この事件は長く語り継がれています。

 メーヘレンは当初画家を志していましたが、その端正な作風は「古くさい」と当時の美術業界に一蹴されてしまいました。
(このころ、ピカソらによる新しい芸術表現キュビスムが台頭しています。)

 失意の果て、やがて芽生えた復讐心。

 彼は、彼を見下した美術業界への報復を企てます。

 オランダの至宝、フェルメールの絵画の偽物をつかませることで。

 フェルメールは17世紀に活躍した、バロック時代を代表する画家ですが、確認されている限りでは、世界にわずか三十数点しか作品が残されていません。

 メーヘレンは、画家の製作期間の空白に目をつけました。

 「フェルメールが初期に描いた未発見の宗教画」という触れ込みの贋作を産み出したのです。

 フェルメール作品がもっと世に出てくることを渇望していた美術業界は、この発見に飛び付きました。

 メーヘレンの贋作の中でも最高の出来映えとされる、キリストを描いた「エマオの食事」は、最上級の賛辞と争奪戦を経て、ボイマンス美術館に納められることとなりました。 

 「エマオの食事」の画像はこちらです。



 ちなみに、この事件について、当のボイマンス美術館が丁寧な説明動画を作っています(英語字幕つき)。 
 したたかというかオランダ独特のフリーダム感を感じさせる……。



Van Meegeren's Fake Vermeers (Museum Boijmans Van Beuningen )



(https://youtu.be/NnnkuOz08GQ)


 「エマオの食事」を観ようとにつめかける人々、メーヘレンは頻繁に展示室を訪れ、観客の反応を眺めていたそうです。

 大胆にも時には、「こんなものは贋作だ」とつぶやきすらして。

 その顔には、喜びと嘲りの入り交じった笑みが浮かんでいたのでしょうか。

 こうして、「画家にして、時折裕福な知人の所有する古い絵画(実は彼自身の贋作)を売る画商」という立場を手に入れたメーヘレン。

彼の贋フェルメールは、当時オランダを占領していたナチス軍の目にも止まり、ヒトラーの後継者とも目されていたヘルマン・ゲーリング元帥の一大絵画コレクションに加わりました。


 ヘルマン・ゲーリング(ウィキペディアより)Bundesarchiv, Bild 102-13805 / CC-BY-SA 3.0
Bundesarchiv_Bild_102-13805,_Hermann_Göring.jpg

 得た富で、豪華にして自堕落な生活を送っていたメーヘレンでしたが、司法の手は思わぬ方向から彼に伸びてきました。

 終戦後、オーストリアの岩塩坑から、ゲーリングの隠し財産として集められていた絵画が発見されたことをきっかけに、突然逮捕されたメーヘレン。

「『エマオの食事』に匹敵する国宝級のフェルメール作品」を、戦時中にゲーリング元帥に売却した、という容疑をかけられたのです。

 「国家反逆罪」。

 突きつけられた罪状を前に、獄中のメーヘレンは苦悩しました。

 このままでは死刑に処される可能性がある。
 (殺人を犯したわけでもないのに厳しすぎるようですが、戦時下の怨念に加え、終戦時の飢餓で、「チューリップの球根すら食べた」という、当時の国民の、ナチス軍協力者への怒りは非常に激しいものでした。)

 しかし、自分が贋作者であることを告白すれば、今まで売りさばいてきた全ての作品の名誉は失われる。

 常用するアルコールや薬物から切り離された禁断症状の中で、悩み抜き、結局、メーヘレンは、我が身が生き延びる道を選びました。

  ナチスにフェルメールなど売っていない。
  フェルメールなど、なかった。
  あれは、私が、ファン・メーヘレンが描いたのだ。

 衝撃の告白は、しかしにわかには捜査担当者から受け入れられませんでした。
ゲーリングの絵は、名門、ボイマンス美術館にかかる「エマオの食事」らにそっくりだったからです。

 メーヘレンは、それらの絵も自分が描いたと証言しました。

 矢継ぎ早な告白には、冷静な計算が秘められていました。

 ゲーリングはフェルメールの絵を手にいれるため、それまでオランダ国内で入手したその他の絵画約200点を売却、結果として、メーヘレンの贋作1枚が、真作絵画たちの国外流出を防ぎました。

 メーヘレンは、「エマオの食事」らの、フェルメール作品としての末長き栄光と引き換えに、「ナチスからオランダの絵画たちを救った英雄」という新たな名誉を選んだのです。

 それでも、メーヘレンの言葉を信じられずにいた捜査関係者たちに、メーヘレンは贋作を再現してみせることを提案しました。

 メーヘレンの要求に応じて揃えられた、フェルメールの時代に使われていた画材、数百年の経年を装うために絵の具に混ぜこむ薬物、そして、特別に許可された、気分を鎮めるためのモルヒネ。

記録のためのカメラと、監視人たちの前で、「フェルメール風の新作」として、メーヘレンの筆から「神殿で教えを受ける幼いキリスト」の中性的な姿が浮かび上がってきたとき、ついに人々は、メーヘレンの言葉を受け入れました。

 当時の記事によれば、自身最高のコレクションと信じていたフェルメールが贋作であったことを、ニュルンベルグの獄中で知らされたゲーリングは、「世界に悪事があることをまるではじめて知った、という様子だった」そうです。



 美術史史上の大スキャンダルは、しかし、「ゲーリングを手玉にとった男」というフレーズにより、オランダのみならず、国際的な熱狂を巻き起こしました。

 特にアメリカのベストセラー作家で脚本家のアーヴィング・ウォレスはこの話に魅了され、メーヘレンの生涯を脚色とともにラジオやテレビで放送し、それが騒ぎに拍車をかけました。

 1947年、オランダ国民と、世界中の記者がつめかけた裁判で、メーヘレンは、贋作による金銭の詐取と、自作の絵画にフェルメールらの偽りの署名をした罪に問われました。

 しかし、売却から10年が経過していた「エマオの食事」については、すでに時効を迎えており、メーヘレン逮捕のきっかけとなった、ゲーリングへの絵画売却の件も、当のゲーリングが、死刑執行を目前に自殺したために、ほとんど追求されませんでした。

 そして、メーヘレンに欺かれた美術館をはじめとする美術業界関係者も、この事件の調査が長引くこと、ひいては自分達が騙された過程が詳細に暴かれることを望んでいませんでした。

 結局、禁固1年という極めて寛大な判決が下され、それに対するオランダ王室、ウィルヘルミナ女王からの恩赦すら検討されましたが、メーヘレンが刑にも服することも、恩赦に浴することもありませんでした。

 長年のアルコールと薬物依存に蝕まれていたメーヘレンは、判決から数週間後、心臓発作でこの世を去ったのです。
 (彼が贋作に使用していた毒性のある薬品が影響していたという説もあります。)

 58歳の若さでしたが、倒れるより以前から、その風貌はいかにも芸術家らしい魅力がありながら、既に10は老けて見えたそうです。

 もしもメーヘレンが、罪をつぐなって生きながらえていたら、一転英雄となった彼は、フェルメールではなく、ファン・メーヘレン本人の名で、画家として、その後もすぐれた作品を生み、賞賛を浴びることができたかもしれません。

 (実際、彼の「エマオの食事」は、裁判の中ですら、そして現在でも、美しい作品であると評価され、依然、ボイマンス美術館に展示されています〈※ウィキペディア情報〉。)

 また、贋作師は、その高い技術、それにだまされる美術業界にはびこる権威主義、主な被害者が並外れた富裕層であることなどから、その他の犯罪者とは一線を画すとみなされ、服役後には表舞台に戻ってこられることも珍しくありません。

 (今も、ジョン・マイアットウォルフガング・ベルトラッチなどの元贋作師たちが、その経歴と才能を武器に、画家として活躍しています。)

 新たな人生を目前に世を去ったメーヘレンでしたが、残された贋作たちは、今も彼の数奇な運命を物語ります。

 そして、「フェルメールになれなかった男」がイギリスで出版されてから約5年後の2011年、イギリスBBCの人気シリーズ「Fake or Fortune」で、新たに彼の贋作が発見されました。

 作品の調査中、イギリスの有名プレゼンター、フィオナ・ブルースからインタビューを受けたメーヘレンの甥は、いまだにメーヘレンの贋作が世間を騒がせているという事実に対して、こう答えました。

 「叔父はきっと今でもそれを楽しんでいるでしょうね。アートの権威を翻弄して楽しんでいるでしょう。私にはわかります」

 「今でもそれを見て笑っていると?」

 「その通りです。間違いなく笑っているでしょう」

 仕立ての良いスーツを着た銀髪の紳士、メーヘレンの甥は、いたずらっぽく、しかし、なんのためらいもなく、笑みを浮かべ、悠々とうなずいていました。

 メーヘレンの贋作はいまだに真作として暗躍しているかもしれない。

 しかし一方で、身内をはじめとしたオランダの人々にとって、彼はいまだに、理不尽な権力の頭に足を乗せ、燦然と君臨する英雄である。

 そのことを、甥である紳士の、誇りすら感じさせる笑みが物語っていました。



 今回主に参照させていただいた「フェルメールになれなかった男」(フランク・ウィン作)、このほかにもこの事件についてのエピソードがいくつも書かれています。これを原作に映画を作ってほしいというくらい面白かったので、是非お手にとってみてください。

 当ブログでも、近々この本で印象的だった場面を、もう少し書かせていただきますので、よろしければお立ち寄りください。

 読んでくださってありがとうございました。


(主要参照URL)
 ・ウィキペディア記事「ファン・メーヘレン」(日本語)(英語
 ・同上「フェルメール
(当ブログ関連記事)
 ・(※ネタバレ)「贋作師ベルトラッチ 〜超一級のニセモノ」あらすじと感想(NHK BS世界のドキュメンタリー)
 ・イギリスの贋作師ジョン・マイアット(NHK BS世界のドキュメンタリー 「贋作師 ベルトラッチ 〜超一級のニセモノ〜」によせて) 
posted by Palum. at 07:23| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする