2014年08月25日

夏の音(筝曲家宮城道雄の随筆「春の海」より)

本日は夏にちなんだ文章をご紹介いたします。

筝曲家(そうきょくか)宮城道雄(1894〜1956)。

Michio_Miyagi.jpg(ウィキペディアより)


盲目の天才奏者にして作曲家。

この方の作曲した「春の海」を聴けば、全日本人100人中120人がお正月を思い出すというほどメジャーです。
「国会図書館デジタル図書館」内「春の海」(宮城道雄演奏)音源は以下のとおりです。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1319027

 実は名文家でもあり、その類まれな鋭さと繊細さを併せ持つ感覚でとらえた独自の世界観の随筆をいくつか世に送り出しています。

 食卓に置く音で、その器の大きさや厚み、形状を感じ取れたとか、部屋に入った時の空気感で広さや洋室か和室かを測れたとか、やってくる靴音で性別やおおよその立場(職業)を当てることができたなどのエピソードが記されていますが、そうした怖いほどの達人の感性の中に、夏ならではの音についての名文がありました。

 『「春の海」宮城道雄随筆集』(岩波文庫)内「四季の趣」という作品の一節です。

新編 春の海―宮城道雄随筆集 (岩波文庫) -
新編 春の海―宮城道雄随筆集 (岩波文庫) -


 (以下引用)

 夏は、朝早いのも気持ちが良いが、何といっても、夜がよい。蚊遣り(かやり)のにおいや、団扇(うちわ)をしなやかに使っておる物音などは、よいものである。夏になると、部屋を明け(開け)広げるせいか、近所が非常に近くなって、私の耳に響いてくる。横笛の音などは夏にふさわしいものだと思う。蚊に刺されるのは嫌だけれど、二、三匹よって、プーンと立てている音は、篳篥(ひちりき※)のような音がしてなかなか捨てがたいものである。
(※補:)篳篥……雅楽などで用いられる小型のたて笛

 ……『枕草子』「はるはあけぼの」を思わせる名調子です。

 窓を開けたら笛の音が聞こえてくるなどというのは、昔だからか、宮城さんがお住まいなくらいだから芸事が盛んな土地柄だったのかはわかりませんが、いかにも風流です。

 しかし、蚊の羽音すらも「篳篥のような音がする」とはさすが芸術家です。

 私なら「ギャー!一匹ならずいる!!(怒)」とベープ仕掛けてキンチョール持ってキンカン待機で、その音源を目ェ吊り上げて、ドタバタと追いかけまわすでしょう。

 篳篥の音が聴ける動画があったので添付させていただきます。(単独で音が聴けるのは1分38秒頃)



……なるほど似てなくもありません。

 絶対に刺されない、刺されてもカユクないという前提なら、あの羽音はもしかして美しいものなのかもしれません。

 私は凡人なので、宮城さんのように、どこからでも美を抽出できるほど人間が出来上がっておりませんが。

 蚊は「うーむさすが、たしかに、でも……(カユイし憎たらしいし……)」みたいな感じで読みましたが、個人的に以下のくだりには非常に共感いたしました。

 (以下引用)
 扇風機のあのうなる音をじっと聴いていると、どこか広い海の沖の方で、夕日が射していて、波の音が聞こえるように思われる。一人ぼっちで、放っておかれたような感じがする。なんとなく淋しいような、悲しいような気持ちになって、大きなセンチメンタルな感じがするのである。時々私は、扇風機の音にじいっと聴き入っていることがある。

 ……これを読んで、急に、子供の頃、夏休みにおそらく親戚の家に泊まりにいったとき、一人で目が覚めてしまった時のなんとも言えない気持ちを思い出しました。

 近くに身内は寝ているのだけれども、寝静まった今、誰とも話すことができなくて、心細く、退屈で、自分の側でゆっくりと首を振っている扇風機の音だけが響き。

 聴くでもなく耳にしていると、それは確かに波の音に似ていたのです。

 私には、浜辺に打ち寄せた波が引いていくときの音に聞こえ、暗くて淋しい中、ただ、海にいる気持ちになって自分を慰めながら、やがて、うとうとと眠りに落ちた。

 あの時間を思い出しました。

 蒸し暑い中かすかに涼しい、淋しいけれど静かな、独特の長い時間。

 朝までの時間を待つことも、音楽ではなく音をじっと聴くことも、せわしなく生きる今となっては遠い感覚です。

 このくだりを読んで以来、扇風機の音の奥に、寄せては返す波を感じるとともに、そういう、心細く寂しいけれども、今とは違う感覚で生きていた幼い頃への郷愁もよぎるようになりました。

 そして、それとは別に、この穏やかなたたずまいの天才奏者が扇風機の側に座り、つくづくと耳を傾け、そこに海を思っているという、その姿それ自体に美とやさしい趣を感じます。
 

 宮城道雄は琴を教えたのがきっかけで、随筆家内田百(うちだひゃっけん)と親しくなったそうです。

(内田百閨@ウィキペディア記事より)
内田百.jpg

 とおりいっぺんの付き合いではなく、互いに尊敬しあい、思いやり、心を許した本当の友人でした。(宮城道雄の文章は内田百閧フ紹介で、口述筆記によってなされたそうです。)

 この二人の交友を知る前、漱石ファンの私は、漱石の病床まで借金を頼みに来て、その帰りの交通費まで借りたという百閧ヘ、才能豊かとはいえずいぶんキョーレツなキャラだったのだなあという印象を持っていたのですが(あと漱石の鼻毛収集家だったという逸話もある〈あの鋭敏すぎる感性を持つ端正な面立ちの明治の文豪には、原稿用紙に抜いた鼻毛を植え付けるという奇癖があり、それを百閧ェ謹んで頂戴した〉、このあたり、あいまいな記憶で申し訳ありませんが、『私の「漱石」と「龍之介」』【ちくま文庫】)に所収されているようです)、宮城道雄の文章から、歯に衣着せぬ態度ながら、茶目っ気のある温かな人柄のよき友であったことが伝わってきました。

 ここから先は孫引きで申し訳ないのですが、宮城道雄と内田百閧フ間にはこんなやりとりがあったそうです。

(「百鬼園の図書館」という内田百闃ヨ連のHP内「宮城道雄側からの百閨vより引用させていただきました)
 参照URL http://www.biwa.ne.jp/~tamu4433/miyagi.html
 両隣が近く、琴の稽古の音がうるさいのではないかと気を使う宮城道雄に、百閧ヘこう言います。

(以下引用、現代仮名遣いに改めてあります)

百閨u(家の境の)板壁に、蓆(むしろ)いっぱいに打ち付けて、ぶらさげておけばよろしい」
道雄「そうすると、どうなりますか」
百閨uそうすると、お稽古の音が蓆にぶつかります」
道雄「それで」
百閨uそれで夕方お稽古のすんだ後で、蓆を外してはたきますと、一日中溜まっていた音がみんな落ちますから、それを掃きよせて捨てればよろしい」
道雄「本当かと思ひました」


……内田百閧フ「明暗交友録」という作品集に収録されているそうです。

 お恥ずかしい話ですが、これを最初に読んだとき「蓆(むしろ)」を「簾(すだれ)」と読み間違えまして、勝手に、
「簾の隙間に、宮城さんの奏でた美しい音が、ガラスや蜘蛛の糸のように透き通って、いくつも絡まっている」
という図を思い浮かべ、簾だからそれはやはり夏で、夕暮れにはたくと、音の余韻がさらさらと涼しい音を立てて落ちるのだろう……
と、ひとり想像たくましくしてウットリしていました。

「あ……ムシロ……か……あの松本清張や横溝正史ドラマなんかで、発見された死体にかけられているあれか……(なんだその偏ったイメージは)」
と、後に気づいて、勝手に無い話でウットリしていたことを恥ずかしく思ったものです。

 しかし、それでもやはり、琴の音が絡まってはらえば落ちるというウィットと風流は素敵だと思いました。そしてそれを「本当かと思いました」と答える宮城道雄の物やわらかな返答も。

 思い出すと、その話の中の季節はやはり夏で、琴の音は細くしなやかに光って透き通り、払い落とされるとき夕暮れに涼しく硬質な余韻を奏でているような気がするのです。

 読んでくださってありがとうございました。

posted by Palum. at 19:20| 番外編 おすすめ映画・漫画・本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月24日

「星の旅人たち」(マーティン・シーン主演 アメリカ映画)

 イマジカBSチャンネルがご覧になれる方限定ですが、2014年8月25日21時から、大変素敵な映画が放映されるのでご紹介させていただきます。

 「星の旅人たち」(2010年アメリカ映画)

星の旅人たち


 巡礼の途中で事故死した息子ダニエルに代わって、旅を続けようとする初老の父親トムと、彼が旅の途中で出会った人々の物語です。

 イマジカBSの公式紹介ページはコチラ


 主演は演技派で知られるマーティン・シーン(チャーリー・シーンの父)。
 監督は彼の長男エミリオ・エステヴェス。
 監督は映画の中で息子ダニエルも演じており、父子共演となっています。

 スペインのサンティアゴ・デ・コンポステラ(聖ヤコブ大聖堂)へと続く巡礼路の、厳しくも雄大な風景と、道を歩む人々、その地に生きる人々、それぞれの思い、そして父と息子の絆が描かれています。

「シューキョーモノはちょっと」などと食わず嫌いせずに是非ごらんください。「何教を信じるように」的な押し付けはどこにもありません。

 人生を生きる私たちは皆旅人であり、痛みや願いを抱えて歩き続けている。この人たちもまたそういう旅の途中なのだ。

 ただ、それだけ思ってご覧になれば、誰の心にも届く良さを持った作品です。

【序盤あらすじ】

 カリフォルニアの眼科医トムのもとに、一人息子のダニエルの訃報が届く。

 ダニエルはサンティアゴ巡礼をする予定だったが、旅のはじまり、フランスのピレネー山脈で嵐に遭い、事故死したのだった。

 スペインに駆けつけたトムは、ダニエルの遺体と対面し、遺品のアルバムを見つける。

世界各国を旅する息子の姿に涙するトム。

 
約束されたエリートコースから外れ、旅に生きていたダニエル。

トムはそんな息子の生き方を認めることができず、二人の間には溝が生まれていた。

 互いに愛していたのに、彼が何を思ってサンティアゴ巡礼をしようとしたのか、何を見たかったのかが今の自分にはわからない。

 トムは、ダニエルの遺灰とともに、自分が巡礼の旅に出ることを決意する。

 トムにダニエルの死を知らせたフランス人の警官は、トムの旅を止めようとする。
 若くは無く、長距離(約800〜900q、徒歩で約1ヶ月の道のり)を歩く訓練もしていない、装備も無い、とても無理だと。

 しかし、トムは首を横に振る。息子の装備を使う。必ずたどりついて見せる。

 警官は、トムの決意が固いことを見て取ると、彼に巡礼についてのアドバイスをした。

「あなたも巡礼に出たことが?」
「あります」

 私も息子を亡くしました。
 トムと同年代の警官は、静かにそう言って、トムの目を見た。

  銀色の箱にダニエルの遺灰を詰め、宿を出たトムは、つぶやく。
 「さあ、行こう」

 夕日に染まる山道にさしかかったトムは、ある場所で足を止める。

 ここでダニエルは命を落としたのだ。

 ダニエルの亡き骸が見つかった場所ははっきりとわかった。

 そこには、花と、枝で作った小さな十字架が無数に置かれていたのだ。

 見知らぬ巡礼者たちのとむらいの側に膝をつき、トムはその場所に、少しだけ遺灰をさらさらとまいた。

 顔を上げたトム。

 その目に、巡礼路に立つダニエルの姿が見えた。

 自分の面差しを継いだ息子が、笑顔でトムに手を振り、やがて先に立って道を歩き出す。

 立ち上がったトムは、誰もいない道を、ダニエルのいる道を、またゆっくりと歩きだした。


【見どころ@】マーティン・シーンの演技力

 若い頃はやや華奢で、精悍な顔立ちに憂いのある大きなまなざしが魅力的だったマーティン・シーン。
(刑事コロンボ「毒のある花」の被害者役で、短いながら愛憎入り混じる巧みかつ色気漂う演技をしていました。犯人役の美女ヴェラ・マイルズともども、実に絵になっていたんで「コロンボ史上最もセクシーな被害者」と銘打って過去記事書かせていただきました。)

 すっかり貫録がついて、銀髪も皺も味わい深い、素晴らしいベテラン俳優さんになられました。

 彼の演技、表情を長時間丁寧に映像に収めている、それだけでも非常に意義深い作品です。

 以前映画「優しい嘘と贈り物」の記事でも書かせていただきましたが、ますます演技に磨きがかかった熟年以降の名優を主役に据えた作品が、残念なことに昨今滅多に出てこないからです。

やさしい嘘と贈り物 スペシャル・エディション


(日本のがロコツにそうだけど、若くてキレイな人が主役じゃないとお客さんの数は呼び込めないという潮流がありますからね……)

 マーティン・シーンはエミリオ・エステヴェスに「自分のキャリアの中でも貴重な作品になる」と感謝を述べたそうですが、それは「パパのお世辞」ではなく、実際エミリオ監督は、マーティン・シーンの実力と人柄の魅力を最大限に発揮できる作品に仕上げています。
 


【見どころA】マーティン・シーンとエミリオ・エステヴェスの父子共演

 この二人、びっくりするほど顔立ちが似ています。

 マーティン・シーンのほうが年をとっても男性的で、かつて美青年で評判だったエミリオはだいぶ雰囲気がまるくなって、温厚そうですが……。

 劇中でダニエルが黄色い登山ウェア着ているのは、父との見分けをつけやすくするためではと思うほどです。
 
 旅のおりおりに、トムは亡きダニエルの姿を見つけますが、このいかにも父子の顔をした二人が見つめ合い、既にこの世にいない息子は明るく温かく笑いかけ、遺された父は遠いまなざしをする……。

 それが、どんな展開よりも台詞回しよりも心に焼付きます。

【見どころB】脇役の力

 とにかく出ている人みんな味がある。

 トムは旅の途中で3人の巡礼者と行動を共にするようになります。

 ダイエット目的で巡礼中(笑)のオランダ人ヨルト。
(しかし痩せる気あんのかというほど各地で郷土料理に舌鼓を打ってお酒ガブ飲みしてる。基本人が良いけれど、とてもおしゃべり)

 なぜか男性を目の敵にし、とげのある発言ばかりするカナダ人サラ。(のちにその理由が明らかになります。)

 エキセントリックな言動の旅行ライター、アイルランド人ジャック。(トムの巡礼の理由を知り、「ダントツに感動的なエピソード」と記事にしようとして〈しかもそのまんまの台詞をトムに言ってしまい【汗】〉トムの怒りを買う〈あたり前〉)

 最初はたまたま一緒に歩いているだけといった感じの4人でしたが、旅の中で、それぞれの事情が垣間見え、思いやりと結束が生まれていきます。

 そして、彼ら同行者だけでなく、宿の人たちや、道すがらほんの一瞬言葉を交わすその他の巡礼者たちにいたるまで、台詞も表情も味わい深い。
 

 個人的におすすめなのは、トムを送り出してくれる物静かなフランス人警官。
 

 そして、ダニエルの遺灰を持ってくる初老の男性です。

 後者は台詞がまったくと言っていいほど無いのですが、トムの側に来るとき、そして去る時、そっと彼を見つめるそのまなざしに、いたましく思う気持ちと同情がにじみでています。
 一瞬なのですが見事な演技なのでご注目ください。

【見どころC】風景と音楽

 地平線、乾燥し、果てなく、青を通り越して黒いほどの空、石造りの時の止まったような村々といった、美しい景色が堪能できます。また、息を飲むほど壮麗なサンティアゴ大聖堂の威容も必見。

 音楽も、異国情緒と郷愁のいりまじるような、温もりのあるものが多くお勧めです。

 特に幕開け、女性の声で何かを抱きしめるように静かに歌われている曲がとても美しかったです。

 以上になります。9月になっても何度か再放送されるようなので、機会をとらえてご覧になってみてください。
イマジカBS放送予定は以下の通りです。
 08月25日(月) 21:00〜23:15
 09月02日(火) 16:30〜18:45
 09月11日(木) 05:00〜07:15
 09月21日(日) 07:45〜10:00



 その時期には、この作品の結末部についてももう少し書かせていただけたらと思っております。

 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum. at 11:35| おすすめ映画(英米) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月23日

War horseウォーホース(戦火の馬)日本公演 感想3 結末部(ネタバレ注意)

 いよいよ2014年8月24日千秋楽となってしまいましたが、今回も東京シアターオーブで上演中の舞台「War horse ウォーホース(戦火の馬)」について、今回は最大の見どころを書かせていただきます。
シアターオーブの公式情報はコチラです。


 第一次大戦期、軍馬(ウォーホース)としてイギリスからフランスへと徴用された馬ジョーイと、彼を追って戦場へ向かった少年アルバートを中心に描かれる、戦争に翻弄された人と馬の物語です。



ロンドン公演のものですが、あらすじ等の情報はよろしければ以下過去記事をご参照ください。
ロンドンの舞台「War horse」@ あらすじと見どころご紹介
ロンドンの舞台「War horse」A ある名場面と、その他のおすすめ作品

最大の見どころ=結末部ネタバレなので、今後日本でも他国でも観に行こうと思って居る人は絶っっっ対に!!!お読みにならないでください。勿体ないから。

(「だいじょーぶ、映画観たから終わり方知っている」と思われるかもしれませんが、映画と舞台は相当味が違います。)

 この場面も、原作小説、映画、舞台それぞれ少しずつ描き方が違っていて、私は舞台版が一番好きです。

 






……では、既にご覧になった方のみ以下概要をどうぞ。(おおまかな場面描写なので、あらかじめご了承ください)

【見どころシーンその@】ジョーイが鉄条網に脚をとられる場面

イギリス軍の軍馬としてフランスに渡ったジョーイ、しかし、戦局の中で、彼と相棒の黒馬トプソンはドイツ軍の所有となり、大砲やけが人を運ぶために過酷な労働を強いられる。

その後、イギリス軍戦車からの攻撃を受け、孤立したジョーイは、銃弾飛び交い、ぬかるむ戦地をやみくもに走り、馬にとって最大の脅威である鉄条網に突っ込んでしまう。

鉄条網から逃れようと暴れ、からみついたとげを歯ではがそうとするジョーイ。しかし、もがけばもがくほど、鉄条網はジョーイに食い込んでいく。

 繰り返される悲鳴のいななき。
 やがて、ジョーイは力尽きて、どうっとその場膝を降り、倒れこんでしまう。
 全身を襲う激しい疲労と痛み。
 もう、動けない。
 動けない。
 荒かった鼻息も次第に小さくなっていく……。

【舞台としての見どころ】
 美しい等身大のパペットジョーイが、恐怖におびえるいななきと激しい息をつき(パペット操作の役者が声帯模写)激しい砲弾音と音楽と光の中、舞台を駆け回ります。

 このとき、数名の役者が鉄条網を手に舞台に駆け出てきて、暴れまわるジョーイに鉄条網を絡め、後ろ足で立ち上がるジョーイを中心に、銀色のとげが、舞台四隅に、大きなXの形に広がります。(ジョーイが鉄条網にとらわれてしまったという表現)

「上演中に人間が舞台装置を運ぶ」、「音楽のクライマックスと共に舞台全体を一枚絵のように固定する」という表現方法は、ともに歌舞伎によく観られるものです。
(舞台装置を運ぶ人間を「黒子」と呼び、この一枚絵のような瞬間、役者は音に合せて「見栄(大きくポーズをとること)」を切り、舞台の構図を完成させます。)
 この舞台の文楽の影響は明言されていますが、歌舞伎も参考にされているのかもしれません。
 痛切ながら視界に焼付く表現でした。

【見どころシーンそのA】倒れたジョーイを見つけたイギリス兵とドイツ兵のやりとり

 鉄条網に絡め取られ、動かなくなったジョーイを、塹壕に潜んでいたイギリス軍兵士が見つける。

 「中立地帯に馬が……」

 時を同じくして、中立地帯を挟んだ先のドイツ軍側もジョーイに気づく。
 
 汚れた白い布を巻き付け、一時停戦の合図の旗としてひらひらと振ると、両軍から兵士が一人ずつおそるおそる這い出してくる。

 状況を知らない兵がドイツ側に発砲、撃ち合いを避けるために、イギリス兵が叫ぶ。
「やめろ!」

 まだ息のあったジョーイを、イギリス兵もドイツ兵も「よしよし、いい子だ。」と互いの言葉でなだめ、ジョーイの脚を持ち、巻き付いた鉄条網を切っていく。
 
「医者に見せないと」
「出血がひどい」
 両軍の兵はそれぞれに呟きつつ、やがてどうにか鉄条網を外す。

 戦争において馬は大切な動力だ。放っておいて敵側に渡すわけにはいかない。

 そう思って塹壕を這い出てきたのだが、お互い身振り手振りで共同作業をすることになってしまった二人の間に、さて、ことが済むと、なんとも言えない沈黙が流れる。

「……この馬はこちらでもらう」
「我が軍の陣地にいたのだから(そう?)こっちのものだ」
 と、声高に主張し合っても、いかんせん言葉が通じない。

 らちが明かないので、ドイツ兵が硬貨を取り出す。
「コイントスで決めよう。表(頭)か裏(尾)か選べ(※)」
(※コインの「裏か表」を、「頭か尾か」と呼ぶ)
「……何?」
「だから!」
 ドイツ兵は自分のヘルメットを叩き、ドイツ語で、
「頭!(Kopf)」
 それから、イギリス兵に突き出したお尻をペチペチ叩き、
「尾!(Zahl)」
「あっ、『Head or tail』か!」

「この皇帝の顔が描いてあるのが『尾(裏)』だ。で、逆が『頭(表)』」
 イギリス兵にコインの裏表の図柄を確認させた後、ドイツ兵の投げたコインが宙を舞う。
 イギリス兵は「頭!」とコールする。
 ドイツ兵は抑えたコインを抑えた手のひらを開くと、イギリス兵にそれを見せた。
 仏頂面で、イギリス兵にジョーイの手綱を渡すドイツ兵。
 と、同時に、への字口のまま、ばっ!と突きつけるように差し出された、ドイツ兵の右手。
 あっけにとられ、一瞬ためらったが、イギリス兵はそれを握りしめ、互いに、不器用だが固い握手を交わし、二人は互いの陣地へと戻っていった……。

【舞台としての見どころ】
 名場面中の名場面です。

 過去記事で、「映画『西部戦線異状なし』主人公(ドイツ兵)と彼が刺したフランス兵とが一対一で塹壕に取り残される場面」や「大岡昇平作『俘虜記』で日本兵の『私』が部隊からはぐれた際に、若いアメリカ兵を発見し、しかし、彼のあまりの無防備さと若さに撃つことができなかった場面」を思い出させる、と、書かせていただきましたが、この「War horse」の兵士二人は、言葉の違う敵同士ながら、身ぶり手ぶりを加えてなんとか相手とコミュニケーションをとろうとしています。

 しかもさっきまで互いに撃ちあっていたのに、ジョーイを助けた後に流れる「……ええっと……」みたいなビミョーな空気感や、「ワタシエイゴワカリマセン!(憮然)」や、お尻ペチペチ。

 この(言葉はほとんど通じていないけれど)対話と、ユーモアは、傑作の誉れ高い上記2作にすら描かれていない、「War horse」だけが到達した高みです。

 戦局の変化でジョーイと行動をともにすることとなったドイツ兵フリードリヒが、主人公アルバートと双璧をなすほどに丁寧に描かれている点と、このジョーイを助けるためにイギリス兵とドイツ兵が協力する場面があること。

 それを、「馬」という国を超えた存在を中心に据えることで自然に表現したこと。

 それがこの舞台「War horse」の最も偉大なところだと思います。

 以前も書かせていただきましたが、この場面、小説ではドイツ兵が片言ながらかなりの英語を話します(児童向け小説にドイツ語が出てきても、単なる嫌がらせになってしまうので小説表現としてはこれでいいのでしょうが)。

 また映画版でも若いインテリ風のドイツ兵士が出てきて、やはり主たるやりとりは英語です。

 お尻ペチペチとぶっきらぼうな握手の味わいは舞台版だけのもので、「笑いながら胸が熱くなる」というとても不思議な感動があります。
 

 以下、いよいよ究極のネタバレとなってしまいますが、書かせていただきます。


【見どころシーンそのB】ジョーイとアルバートの再会

 負傷したジョーイが連れてこられた病院。

 そこには、毒ガスで一時的に目が見えなくなっていたアルバートも運び込まれていた。

 地獄のような戦闘の中、無二の親友デイビットを失い、もはやジョーイも生きてはいまいと無気力に座り込んだアルバート。

 その近くで、治療を受けるジョーイ、しかし、傷は思いのほか深く、この場で完治させることは不可能と判断されたジョーイは、安楽死させられることになる。

 「助からない馬が銃殺される」
 今までに何度もそんな場面にでくわしてきた。
 アルバートは肩を落としたまま、ジョーイの思い出をかみしめる。
 そして、両手を口で覆う独特の口笛をそっと吹く。
 フクロウの鳴き声のような音。
 幼いころからジョーイに聴かせてきた。
「この音を聴いたら、それは僕だ。僕のところに来てくれ」
 そう言って。そしてジョーイはいつも嬉しそうに駆け寄ってきてくれていた。
 
 アルバートの背後が騒がしくなる。

 傷ついて大人しかった馬が急に暴れている。それを聞いたアルバートは激しい胸騒ぎを覚える。
 まさか………。
「ジョーイ、お前なのか?」
 周囲の制止を振り切ってジョーイのもとに駆けつけるアルバート。
「待ってください!」
 抑えられながらも身をよじっていななく馬に、もう一度力の限りあの口笛を吹くアルバート。
 やがて、膝をついて息を飲むアルバートに、よろよろと近づいてくる足音。
 立ち止まる蹄の音。
 アルバートは、おそるおそる、その鼻面に「ふうーっ」と息を吹きかけた。
 その馬は首を少しひっこめた後、アルバートにそっと顔を近づけ、「ふうーっ」と鼻息を返した。
 ジョーイの挨拶。
 それは、お互いのために生まれてきたジョーイとアルバートが、長年お互いだけで交わしてきたやりとりだった……。

【舞台としてのみどころ】
 この再会シーン、小説版でも映画版でも、「泥にまみれたジョーイを奇麗にすると、ジョーイの額にあった星の模様が出てきてジョーイだとわかる」という展開なのですが、クローズアップができない舞台上では、代わりに口笛が使われています。
 
 ロンドン初演版では、口笛を吹くアルバートに、人の手を離れたジョーイがいななきながら駆け寄って、鼻ヅラでドチーンとぶつかるというちょっと荒っぽい再会シーンでした。

 そして今回はひっそりと優しい鼻息語。

 どっちもいいですねえ、味が違うけれど甲乙つけがたい。

 というのも、家族との再会のときには大喜びでわりとブレーキかけずにぶつかっていく、のも鼻息を言葉代わりにするというのも、我が愛犬がよくやっていたもので……(個人的感慨〈前者は勢い良すぎて目から星が出た〉)
 
 人を愛する哺乳動物の情の濃さや感情表現の豊かさが良く出た名場面した。

 以上、ネタバレ編でした。ご覧になった方たちが舞台を振り返る一助になれば幸いです。

当ブログ「ウォーホース」関連の記事は以下の通りです。
ロンドンの舞台「War horse(ウォーホース)戦火の馬)」@ あらすじと見どころご紹介
ロンドンの舞台「War horse(ウォーホース)戦火の馬)」A ある名場面と、その他のおすすめ作品。
「War horse(ウォーホース)戦火の馬」 日本公演決定
「War horse(ウォーホース)戦火の馬)」日本公演 感想1見どころとお客さんの反応
「War horse(ウォーホース)戦火の馬)」日本公演 感想2ロンドン初演版との違い
「War horse(ウォーホース)戦火の馬)」日本公演 感想3結末部(ネタバレ注意)
「史実 戦火の馬」(ドキュメンタリー番組)

 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum. at 15:44| 舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月22日

War horseウォーホース(戦火の馬)日本公演 感想2 ロンドン初演版との違い

 残念ながら公演日も残りわずかとなってしまいましたが(2014年8月24日千秋楽)、今回も東京シアターオーブで上演中の舞台「War horse ウォーホース(戦火の馬)」について、感想を簡単に書かせていただきます。

シアターオーブの公式情報はコチラです。


 第一次大戦期、軍馬(ウォーホース)としてイギリスからフランスへと徴用された馬ジョーイと、彼を追って戦場へ向かった少年アルバートを中心に描かれる、戦争に翻弄された人と馬の物語です。



ロンドン公演のものですが、あらすじ等の情報はよろしければ以下過去記事をご参照ください。
ロンドンの舞台「War horse」@ あらすじと見どころご紹介
ロンドンの舞台「War horse」A ある名場面と、その他のおすすめ作品
今回は、私が初演時にロンドンで観たヴァージョン(およびスピルバーグ監督の映画「戦火の馬」)と今回の日本版の違いについて書かせていただきます。

戦火の馬(Blu−ray Disc)

ただ、この公演観に行くたびに場面が少しずつ変わっているので(超好き、自分史上屈指に感動した舞台なんで何度も観に行っています。)、その改変が日本公演を意識して変えたものなのか、今はロンドン版もこうなのかはちょっとわかりません、推測で分析してしまうのでその点予めご了承ください。あと観に行ったのは数年前、かつ僕のリスニングなんで記憶違いもありえますのでその点もご容赦ください(汗)。

あ、あと、結構ネタバレです。書いといてなんですが、これから観に行く方は後で読んでいただきたいです……。

@主人公アルバートと父テッドの確執

初演版では、ジョーイを魂の片割れとして深く愛するアルバートと、裕福な兄アーサーにコンプレックスを抱き、ジョーイを金銭に換算しようとするテッドとの確執がかなりはっきり描かれていましたが、今回の公演ではそこが少しゆるやかになっていました。

ただ兄アーサーへの対抗心から、農耕馬としての訓練を受けていない(ジョーイはハンターという競走馬の血を半分引いていて、体格的にそういう作業に向いていない)ジョーイに鋤(すき)を引かせるという無茶な駆けをしてしまったテッドが、言うことを聞かないジョーイにつらくあたったシーンで、アルバートが、「今度ジョーイにあんな真似をしたら許さない」というニュアンスの発言をして、「そんなことをしたらあたしがあんたを許さない」と母ローズに厳しく叱責されるという場面が、ロンドン初演版ではあったと思うのですが、そこはカットされていました。

この父と思春期の息子の対立、さらにそれを押しとどめようとする母の、夫と息子に対する大きな愛が描かれている場面が印象的だったのですが、もし、これが日本版用の改変だとすると、スピルバーグ監督の映画版「戦火の馬」を観て舞台に来た方に対する配慮だと思います。

映画では父テッドとアルバートの対立はだいぶゆるやかで、テッドがジョーイを軍馬として売り渡すのも、嵐で作物が駄目になり、借金を返せなければ路頭に迷う……というやむにやまれぬ状況ゆえであり、それをわかっていたアルバートは父にそれほど反発していません。(ロンドン初演版だと結構シンプルに、酔った勢いと大金目当て。)

え……映画あの父子の関係泣けたのに、舞台だと仲悪い……(ドン引)とならないためかな……と。

私は別に、親子だからというただそれだけの理由で無条件になにがなんでもわかりあわないとダメとは思わないので(特に父と息子には成長につれ、根底に愛があったとしても、大きな断絶があっても不思議ではないと思う)、ロンドン初演版の関係性でも不満はなかったのですが。

 この他に、記憶違いかもしれませんが、ロンドン初演版では今回日本公演で明言されている「テッドが兄と自分の農地を守るためにボーア戦争に行かなかった」という設定がなかった気がします。(映画版では戦争に行っていますし、それが同じく戦地に赴いたアルバートが父に歩み寄るきっかけとなっています。)

 Aアルバートの従兄弟ビリーの徴兵時の様子
 ロンドン初演版にではビリーを含め、村の男たちが、第一次大戦の知らせを聞いて、日本人の目からは驚くほどに、意気揚々と従軍志願をしていました。

 しかし、今回の日本公演版では、ビリーがはっきりと父アーサーに「行きたくない」と躊躇と不安を漏らしています。

 結局アーサーに、祖父も自分も従軍経験がある、お前も一族の男なら行って来いと諭され、お守りとして祖父の代からのナイフを渡されて、志願の列に加わりますが、そうやって息子を戦地に送りだしてしまったアーサーも、後に、第一次大戦からはじめて戦争に登場したマシンガンの存在を知り、息子がどれほどの危険にさらされているかを思い知らされます。

 おそらく初演版のほうが、当時のイギリス志願兵たちの感覚に近かったのではないかと思います。

 マシンガンや戦車、毒ガスや鉄条網などが登場する以前、とても極端な言い方をすれば、従軍は「危機を潜り抜けて国に貢献し、男を見せてくる」という機会としてとらえられていた部分があったのではないでしょうか(でなければ、自身も従軍経験のある人間が、訓練をしている生粋の軍人一族でもないのに我が子を率先して送り出さないと思います)。

 (※)このような「戦況を知らなかったために、率先して従軍してしまい、想像を絶する事態に直面する」という悲劇をドイツ側から描いたのが、映画『西部戦線異状なし』です。大人たちに「英雄たれ」と煽られて、理想に燃えて戦いに赴いた若者たちが生命や魂を失っていく姿が痛ましい。

西部戦線異状なし(Blu−ray Disc) 

 前回記事でも描かせていただきましたが、「自分は生きて帰れる」と信じて疑わなかった人が多かった、しかし、近代戦が幕を開けてしまったあとの現実はそうではなかった、という恐ろしさが、ロンドン初演版のほうが浮き出ていたと思います。

 もしこれが日本版に向けての改変だとすると、日本の観客のほとんどが、第二次大戦時の赤紙徴兵と、その後の戦地での地獄というイメージを持っており、あの進んで従軍する姿に違和感を覚えるだろうという配慮があったのではないかと思います。

 Bドイツ兵フリードリヒとフランス人少女エミリーとの関係

 私がこの舞台版「War horse(ウォーホース)」を是非観ていただきたいと再三再四猛プッシュするのは、舞台版でのみ、このドイツ兵フリードリヒというキャラクターが、主人公アルバート級にクローズアップされているからです。この設定は小説にも映画にも無い。というか、私の知る限り、これほど対立する国同士の人間を公平に描いた作品がそもそも無い(なんで舞台後に作られた映画版でもフリードリヒを削ったんだということについては非常に残念に思っています。あの偉大な存在を……)

 このフリードリヒは、国に妻子を持つ、既に若くはない兵士で、偶然ドイツ軍の所有となったジョーイと、ジョーイの友で、歴戦を潜り抜けてきた名馬トプソンをとても丁重に扱います。

 そして、戦地フランスでエミリーを見つけたとき、自分の娘を思い出して愛情を注ぎます。

 舞台版でのエミリーもまた、なんらかの理由で父親が不在で、フリードリヒに次第に心を許していきます。

 まず、映画版と舞台版の違いですが、映画版のエミリーは祖父と暮らしており、この祖父が結末部で重要な役割を果たしますが、舞台版の彼女は母親と暮らしています。

 次に、ロンドン初演版と日本公演版との違いですが、ロンドン初演版では、フリードリヒが、仲間の遺体から写真を見つけ出し、その兵士の子どもの数を数えて涙を流すという場面がありました。

 今回はそのシーンの代わりに、エミリーと出会ったときのフリードリヒが、怯えるエミリーを落ち着かせようと、自分の懐から娘の写真を取り出して見せ、一生懸命彼女を傷つける気はないことを伝えようとする場面がありました。

 この「エミリーの祖父の不在」さらに「フリードリヒが娘の写真を見せる」という場面で、日本公演版では、フリードリヒの「父性」がより強調されています。(さらに言ってしまえば、映画版にあるようなアルバートとテッドの和解を描かないこともまた、フリードリヒの父としての温かみを際立たせる効果を生み出しています。)

 イギリスと敵対しているドイツにも優しい父親がいて、彼もまた、望んでいないのに戦争に来なければならなかった。
 
 この戦争の悲劇、そして確かな現実を、舞台版の「War horse」だけが明確にしているのです。
この舞台版「War horse」はドイツのベルリンでも上演されているのですが、フリードリヒの存在と内面描写なくしては決して実現しなかったことだと思います(芸術の偉大さを象徴するエピソードだとつくづく思います。この作品を作ったイギリスの人々も、ドイツで上演しようとした人々も素晴らしい。)。

 日本公演版のフリードリヒは、特にエミリーたちからの信頼が厚く、彼が戦線から逃亡して、エミリーたちの農場でつかの間の平和をかみしめていたときに、エミリーの母ポーレットに促され、馬や彼女たちと一緒に戦火の及ばない地まで避難しようとします。

 Cドイツ語、フランス語の省略

 ロンドン初演版「War horse」では、かなりの部分でドイツ語とフランス語はそのまま使われていました(ドイツ兵同士のやりとりは基本ドイツ語ですし、フリードリヒとエミリーも、互いにほとんど自国の言葉でしゃべっている。〈というわけで、ある意味びっくりするくらいわかりにくい舞台でした〉)が、日本版では、大部分英語に統一されています。

 これは、日本人の観客の耳からすれば、どれもみんな外国語で、3ヶ国語を混在させてもややこしくなるだけだからでしょう。

 その結果、ロンドン版であったこの2つの場面は削られることとなりました。
 1,フリードリヒがジョーイたちにわかるようにと英語で話しかけ、それを味方に苦々しく思われる場面。
 2,エミリーがフリードリヒに教わった「Calm down(落ち着いて)」という英語で、ジョーイとトプソンの興奮を鎮める場面。

 ロンドン公演版では、この、「フリードリヒがイギリスの馬のために英語を使う、そしてそれをフランス人であるエミリーにも教えてあげる」という優しさが仇となり、ドイツ兵がエミリーたちの農場に来た際、エミリーが口走った「Calm down」という単語によって、かつての部下にフリードリヒの身元が割れてしまいます。

 日本公演版では、フリードリヒと一緒に避難しようとしていたエミリーが、ドイツ兵との遭遇時に思わず彼の名前を読んでしまうという展開に変更されていました。

 しかし、舞台版「War horse」で最も大切な場面では、日本公演版でも「ドイツ人はほとんど英語を話せない」ということがとても重要な役割を果たします。小説版にも映画版にも無い部分で、そこは多少わかりにくかろうとも英語に直さないでいてくれたことを私は心から感謝しています。(この場面については回をあらためさせていただきます)

 次回記事では、ネタバレとなりますが結末部の見どころについて書かせていただきます。
 今もし週末あの舞台を観に行こうかどうか検討していらっしゃるなら、保証します、間違いなく名作ですから是非ご覧になってみてください。

 その後で、次回のネタバレ編を読んで余韻にひたっていただければこの上ない光栄です。

当ブログ「ウォーホース」関連の記事は以下の通りです。
ロンドンの舞台「War horse(ウォーホース)戦火の馬)」@ あらすじと見どころご紹介
ロンドンの舞台「War horse(ウォーホース)戦火の馬)」A ある名場面と、その他のおすすめ作品。
「War horse(ウォーホース)戦火の馬」 日本公演決定
「War horse(ウォーホース)戦火の馬)」日本公演 感想1見どころとお客さんの反応
「War horse(ウォーホース)戦火の馬)」日本公演 感想2ロンドン初演版との違い
「War horse(ウォーホース)戦火の馬)」日本公演 感想3結末部(ネタバレ注意)
「史実 戦火の馬」(ドキュメンタリー番組)


 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum. at 17:22| 舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月20日

War horse ウォーホース(戦火の馬)日本公演 感想1 見どころとお客さんの反応


 残念ながら公演日も残りわずかとなってしまいましたが、東京シアターオーブで上演中の舞台「War horse(戦火の馬)」について、感想を簡単に書かせていただきます。
シアターオーブの公式情報はコチラです。
 第一次大戦期、軍馬としてイギリスからフランスへと徴用された馬ジョーイと、彼を追って戦場へ向かった少年アルバートを中心に描かれる、戦争に翻弄された人と馬の物語です。



ロンドン公演のものですが、あらすじ等の情報はよろしければ以下過去記事をご参照ください。
ロンドンの舞台「War horse」@ あらすじと見どころご紹介
ロンドンの舞台「War horse」A ある名場面と、その他のおすすめ作品

日本公演についてですが、わざわざ外国まで来たからか、約1か月と期限があるためか、役者さんが非常に気合を入れて演じてくれているのがわかって、練れた感じのロンドン公演(ロンドンではもう何年間も上演している作品なので)とは別の熱気があって非常に良かったです。

ロンドン版も勿論熱演ですが、既に高い評価を受けている地元でコンスタントに演じ続けるロンドン版の安定感に比べ、日本版は「とどけこの思い!!一球入魂!!おりゃあああ!!」的な気迫があった

今回はフンパツして良い席で観たので、出て来たときと挨拶のときの役者さんたちの顔がとても晴れがましい感じだったところからもそれを感じました。

ちなみにあまり混まないであろう時期のものに行ったのですが、席はみっちり埋まっていました。そして、お客さんの反応も笑って泣いての波がちゃんとあってやはりこの作品の感動は万国共通で伝わるのだと再認識しました。

あえて少しだけ難を挙げると、舞台両脇に出る台詞の字幕がたまに一部省略されたりタイミングが遅かったときがありましたね。あれがお客さんが読める速度に合わせたぎりぎりの線だったのかもしれませんが……。

それから、この作品、第一部がすごい緊迫感のある場面(ジョーイたちが銃撃を受けながら、敵陣へ突っ込んでいく)で終わるのですが、その直後に休憩のアナウンスが入って突如現実に引き戻されてしまうところがあったので、もう少し間が欲しかったです。静かに明るくなってしばらくしてから……くらいがキボウ。

あとは、この作品音楽が哀切胸に染みる感じで非常に!素晴らしいのですが(大好き、聴いているだけで泣けてくる。勿論持ってますが僕的宝物CDベスト3に入る)、輸入盤そのままで、劇場で売っているCDに日本語訳がついていないのが残念でした。上演中はちゃんと字幕が出ていたのであれをつけてもらえるとありがたかったです。

しかしまあ、そんなのは全て些細なことで、もしかしたら日本人にわかりやすいように工夫しているのかなと思わせる場面も多々あり(この作品、観るたびに細かい場面や台詞が違います。今はロンドン版もそうなのかな……とにかく最初に観たのよりわかりやすくなっていました。好き好きたと思いますが)、トータルでは大変すばらしかったです。私だけでなく終演で明るくなった際にはたくさんの人がしっとりしたハンカチ握りしめてましたよ。(どこが違ったのかは追って次回記事で書かせていただきます。)

最後に印象的だった瞬間をひとつ。

というわけで、役者さんの気合と日本のお客さんの感動が相まって、その日の舞台は大成功。カーテンコールでは役者さんたちが、ロンドン公演時の劇場の3倍はあろうかという客席を埋め尽くす人々の拍手を浴びて「うんうん」みたいな満足げな笑顔であいさつをしていました。

そしてみんなが舞台袖にもどったときのことです。

カラになった舞台に向けて拍手が降り注ぎ続けました。

駆け戻ってきたアルバートとジョーイ役(3人でパペットを動かしている)の二人、それに続いてばらばらと役者さんが集まり、もう一度、少し驚いた、しかし嬉しそうな顔で深々と頭を下げました。

あの、「時間差戻り」と役者さんたちの一連の表情について考えてみるに、おそらくあのとき、役者さんたちはお客さんの感動度合を「とりあえず日本のお客さんにも十分気に入ってもらえたようだ」くらいに思っていたのではないでしょうか。だから最初の笑顔にはなんとなく「安堵」がただよっていました。

というのも「ブラボー!!」とか口笛とかスタンディングオベーションとかがあるロンドンや欧米の反応と比べると、「拍手だけ」というのはそんなに「アツイ」反応に見えないからです。
でも日本人の、特にああいう一般的な舞台に来るお客さんはまだそういう派手なアクションをとる習慣が無いので、拍手をやめないことでなんとか自分たちが受けた「いやもう『気に入った』レベルじゃなくって、とぉっても良かったですって!!」という感動を表そうとした。

それに気づいてまず二人、慌てて戻ってきて、みんなも「おい!行こう!」となったんじゃないかなと思います。

 あの止まない拍手と、駆け戻ってきた役者さんたちの驚いたような嬉しそうな笑顔は、「確かにこの作品が、文化の違う日本でも大きな感動を与えたのだ」という事実を象徴しているようで、舞台そのものとはまた別のすがすがしい感動がありました。

 心に染みるストーリーと、美しい音楽、パペットの馬の圧倒的な質感と勇壮な美。

 どれをとってもイギリス舞台芸術の至宝と呼ぶべき名作ですので、もし迷っている方は今からでもご検討下さい。(十分混んでると思ったけど、一応チケット入手できる回もある模様)

 よくぞ来てくださった。そして、日本にまた戻ってきて欲しい。心からそう思わされる素晴らしい舞台です。
当ブログ「ウォーホース」関連の記事は以下の通りです。
ロンドンの舞台「War horse(ウォーホース)戦火の馬)」@ あらすじと見どころご紹介
ロンドンの舞台「War horse(ウォーホース)戦火の馬)」A ある名場面と、その他のおすすめ作品。
「War horse(ウォーホース)戦火の馬」 日本公演決定
「War horse(ウォーホース)戦火の馬)」日本公演 感想1見どころとお客さんの反応
「War horse(ウォーホース)戦火の馬)」日本公演 感想2ロンドン初演版との違い
「War horse(ウォーホース)戦火の馬)」日本公演 感想3結末部(ネタバレ注意)
「史実 戦火の馬」(ドキュメンタリー番組)

 次回、もう少しこの日本公演について追記いたします。

読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum. at 09:52| 舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする