2014年06月19日

太宰治「花吹雪」(太宰治短編ご紹介2 「桜桃忌」によせて)

 6月19日は作家太宰治の命日「桜桃忌」です。

 人間への恐怖から破滅した青年の生涯を綴った『人間失格』の作者で、自身も破滅的な生涯を送り女性と心中した作家。

 ……というイメージが強く、実際そうでもあるのですが、私は『人間失格』も非常に優れていると思いつつ(夏目漱石の『こころ』の次に染みる作品です)、太宰治の短編小説家としての手腕とユーモアセンスが好きなので、今回はそういう作品のひとつをご紹介させていただきます。

 「花吹雪」

 「黄村先生(おうそんせんせい)」という大学の教師(しかし世間的知略でいうと、むしろ不器用でとんちんかんなところが多い)がいらして、ときおり物書きの「私」や学生たちを自宅に招集して持論を披露するのだが(大迷惑)、この回では「男子たる者、腕っぷしが強くなければならぬ。腕に覚えさえあれば、知的な仕事にも自然と風格が出るものだ」という論説をぶり、その説にのっとって、普段自分を馬鹿にする近所の同年代の画家をぶんなぐろうとする……という話です。

 太宰と言えば「生まれてすみません」とか、「恥の多い生涯を送ってまいりました」というフレーズで有名ですが、こんな話もあるのです。

 この「黄村先生」は三部作になっていて、あるときは「オオサンショウウオ」の美にうたれて、飼いたい買いたいと騒ぎ出し、あるときは茶の湯に凝って強制的に茶会を催す(……といっても別にわびた茶釜も器も持っていない)、というように、大体、先生が突如熱情に浮かされて「私」たちを巻き込んで行動に移すけれど、御気の毒ながらうまくいかない(けど懲りない)というパターンです。(作品名、順に「黄村先生言行録」と「不審庵」)

 三作ともそれぞれ面白いのですが、とくに「花吹雪」で興味深いのは、まず
「男たるもの腕っぷしが強くあれ、あれば作物に重みが出る」
というお説それ自体です。

 語り手の「私」も「大山椒魚こそ古代の美やまとの美ほしいほしいよう」みたいなのに付き合わされた時は、とてもうんざりした感じだったのですが(先生が水族館で大山椒魚にひとめぼれしたとき「さかな、いやおっとせいの仲間」とか口走って、その愛がいかにも即席だったから)、この説には感じ入るところがあり、反省したりしています。
以下黄村先生お説原文

文学と武術とは、甚だ縁の遠いもので、青白く、細長い顔こそ文学者に似つかわしいと思っているらしい人もあるようだが、とんでもない。柔道七段にでもなって見なさい。諸君の作品の悪口を言うものは、ひとりも無くなります。あとで殴られる事を恐れて悪口を言わないのではない。諸君の作品が立派だからである。そこにいらっしゃる先生(と、またもや、ぐいと速記者(補、語り手「私」のこと)のほうを顎でしゃくって、)その先生の作品などは、時たま新聞の文芸欄で、愚痴といやみだけじゃないか、と嘲笑せられているようで、お気の毒に思っていますが、それもまたやむを得ない事で、今まで三十何年間、武術を怠り、精神に確固たる自信が無く、きょうは左あすは右、ふらりふらりと千鳥足の生活から、どんな文芸が生れるかおよそわかり切っている事です。

 そして「私」のような文学者の対極として明治の文豪森鷗外と夏目漱石の武勇伝が紹介されます。これが第二の見どころ。

 森鷗外(代表作『舞姫』)といえば、軍医でもあり、実際に戦地に赴任していますから、考えてみれば何の心得もないわけはありませんが、50歳を目前にした時期に、彼に宴席で嫌味を言った記者と取っ組み合いの大立ち回りを繰り広げたことがあったそうです。

 聞こえよがしに鷗外にけちをつけてきたその男に対し、鷗外は「何故今遣(や)らないのか(補、「俺と闘って決着をつけないのか」の意)」とたんかを切り、「うむ、遣る」と言った記者と組み合って庭まで転げ落ち、周囲があわてて引き離したという話があったとか。

 「あのひとなどは、さすがに武術のたしなみがあったので、その文章にも凜乎(りんこ)たる気韻がありましたね」とは黄村先生の評ですが、「何故、今やらないのか」という発言は、確かにそれなりに鍛錬した人間でなければ、なかなか出てこない台詞です。

 一方「私」は、かつて酔っぱらった学生に喧嘩を売られたときに、こんな対応をしていまい、鷗外とわが身を比べてかなしくなりました。(以下引用)

私はその時、高下駄をはいていたのであるが、黙って立っていてもその高下駄がカタカタカタと鳴るのである。正直に白状するより他は無いと思った。
「わからんか。僕はこんなに震えているのだ。高下駄がこんなにカタカタと鳴っているのが、君にはわからんか。」
 大学生もこれには張合いが抜けた様子で、「君、すまないが、火を貸してくれ。」と言って私の煙草から彼の煙草に火を移して、そのまま立去ったのである。けれども流石に、それから二、三日、私は面白くなかった。私が柔道五段か何かであったなら、あんな無礼者は、ゆるして置かんのだが、としきりに口惜しく思ったものだ。
(中略)
私は、おのれの意気地の無い日常をかえりみて、つくづく恥ずかしく淋しく思った。かなわぬまでも、やってみたらどうだ。お前にも憎い敵が二人や三人あった筈ではないか。しかるに、お前はいつも泣き寝入りだ。敢然とやったらどうだ。右の頬を打たれたなら左の頬を、というのは、あれは勝ち得べき腕力を持っていても忍んで左の頬を差出せ、という意味のようでもあるが、お前の場合は、まるで、へどもどして、どうか右も左も思うぞんぶん、えへへ、それでお気がすみます事ならどうか、あ、いてえ、痛え、と財布だけは、しっかり握って、左右の頬をさんざん殴らせているような図と似ているではないか。そうして、ひとりで、ぶつぶつ言いながら泣き寝入りだ。キリストだって、いざという時には、やったのだ。「われ地に平和を投ぜんために来れりと思うな、平和にあらず、反って剣を投ぜん為に来れり。」とさえ言っているではないか。あるいは剣術の心得のあった人かも知れない。怒った時には、縄切を振りまわしてエルサレムの宮の商人たちを打擲(ちょうちゃく)したほどの人である。決して、色白の、やさ男ではない。やさ男どころか、或る神学者の説に依ると、筋骨たくましく堂々たる偉丈夫だったそうではないか。


……確かにイエス・キリストは生家が大工で30歳ごろまでその生業で働いていたようなので(参考資料「聖☆おにいさん」〈←?〉)、鷗外同様、体を鍛えていないという事はなさそうです。

 「私」はさらに、鷗外と並び称せられる文豪夏目漱石も腕に覚えがあったに違いない、として、次のようなエピソードを紹介しています。
(以下引用)

漱石だって銭湯で、無礼な職人をつかまえて、馬鹿野郎! と呶鳴って、その職人にあやまらせた事があるそうだ。なんでも、その職人が、うっかり水だか湯だかを漱石にひっかけたので、漱石は霹靂(へきれき)の如き一喝を浴びせたのだそうである。まっぱだかで呶鳴ったのである。全裸で戦うのは、よほど腕力に自信のある人でなければ出来る芸当でない。漱石には、いささか武術の心得があったのだと断じても、あながち軽忽(けいこつ)の罪に当る事がないようにも思われる。漱石は、その己の銭湯の逸事を龍之介に語り、龍之介は、おそれおののいて之(これ)を世間に公表したようであるが、龍之介は漱石の晩年の弟子であるから、この銭湯の一件も、漱石がよっぽど、いいとしをしてからの逸事らしい。立派な口髭をはやしていたのだ。


 ……「全裸で戦うのは、よほど腕力に自信のある人でなければ出来る芸当でない」という分析は、なるほどなあと思わされます。相撲だってまわしいっちょうのなのも、取り組みの前に両手を広げるのも「武器を持っていません」というアピールだと聞きましたし(参考資料「パタリロ」)。

 ちなみに漱石というと胃が弱くて痩せて怒ってばかりというイメージが一般的でしょうが、学生時代はボートに器械体操に野球に……とスポーツ万能で、実はひととおり体を鍛えていた人なのです。

 持ち前の癇癪で後先考えずに怒鳴りつけた可能性も否定できませんが、喧嘩で勝つかどうかは別として、人より身体能力に覚えがあったのは確かでしょう。

 そして、確かにあの明治の二大文豪の文章には、まさしく「凜乎たる気韻(うまい表現です。さすが太宰。これよりふさわしい表現は無い)」と呼ぶべき、何やら独特の侵しがたい硬質な質感と品があります。

 もちろん言葉づかいが古いからなんとなくカッコイく見える……というのもあるだろうし、鷗外も漱石もそれぞれドイツ語と英語が抜群に出来て、鷗外は医学を修め、漱石は漢詩・俳句も一流、と、ちょっと特異体質と言ってもいいほどの頭脳の持ち主なので、別に文が良いのが腕っぷし由来とは限らないじゃないかと言われればそうなのですが……。

 しかし、この二人の文豪のエピソードと共に思い出される話があります。

 明治の七宝作家、並河靖之
 昨今話題の超絶技巧の明治工芸の達人の中でも最も評価の高い作家です。そしてこれからもっと内外での評価が上がるでしょう。日本を代表する美の作り手として。
 私はこの人の作品を見るたびに、その清澄な静けさの奥から醸される、絶対的な存在感に圧倒されてきましたが、(並河作品を観たら、「きれいねえ」を通り越してオーラに気圧される人は多い。日本画家平松礼二氏はNHKの極上美の饗宴の中で、「本当に…心臓が…どきどきする…」といい、イギリスの某紳士は「気絶しそうになった」といい、私は「鼻血を噴きそうになる」と形容して知人の失笑を買った〈何故前の方たちのように言えなかったのか〉)ともあれ、その「澄み静かながら完璧さゆえに人を圧倒する美」のたたずまいは漱石の文章に似ているとつねづね思っていました。

 そしてこの並河靖之、元々馬術の名人で、その腕を見込まれて宮家の方々にてほどきをしたという話が残っています。七宝を手掛け出したのは実はそれより後のこと(物心ついたころから「七宝バカ一代」みたいな生き方をしていないとあんな作品はとうていできないと思っていたのですが、実は結構遅咲き)。

 鷗外、漱石の文、そして並河靖之の作品に共通する「凛呼たる気韻」と、彼らがそれぞれ何らかの形で鍛錬していたというエピソードをつなぎあわせてみると、その美の根っこのひとつは確かに「日々精進し、実際に体をきしませ、意思と技術の力でわが身を操ることができる」という能力のような気がするのです。

 その身体的な実感と自負が、いわゆる腹の座りとも、観察眼とも他者に対する説得力ともなり、彼らの作物に、どうにも馬鹿に出来ない重みと品を与えている。これはどうも事実なのではないでしょうか。

 別にそれが無ければなんにもできないということはない、違う才能でなければたどり着けない高みもあるのですが(実際鷗外には絶対に『人間失格』を物にできないでしょう、漱石もあの題材では太宰にかなわないと思います)、明治以後の人間が明治の人間に対し、どうもけむったいというか、かなわないような気がしてしまうのは、この「いざというときのためにそれなりにわが身を鍛えておけ、その上で物を言え」という凄味が無い時代に暮らし、頭だけで、我が頭にのみぶんぶんと振り回されて生きているようなところがあるからのような気がします。

精神に確固たる自信が無く、きょうは左あすは右、ふらりふらりと千鳥足の生活から、どんな文芸が生れるかおよそわかり切っている事です。

 ……痛い!痛い!耳が痛い!!
 ただし、この警句を見出し、読者の耳が痛むほどのフレーズにできたのは、太宰だけの才能です。(なんか棚に上げてないか。)

 ……ともあれ、このとおり、語り手「私」も読者もうなだれつつも染みるところのある黄村先生のお説でしたが、それにのっとって行動した結果、黄村先生はいつも通り災難に見舞われます。

 言ったからには老骨にムチ売ってでも体を鍛えねばと思った黄村先生、弓道を習いに行って、自ら引き絞った弓の弦で頬をしたたかはじいて(初心者はよくやるらしい。「こち亀」にも似た話があった)泣くほど痛い思いをしたりしたのですが、それでもその精神はある程度会得したと思い、武者震いしている最中に、普段から折り合いの悪かった同年代の画伯に屋台飲んでる最中に嫌味を言われます。

 いつもならそれこそ「右の頬をなぐられたら、さからってはならぬ、お金をとられないように、左の頬もさしだせ」と間違ったキリスト精神で泣き寝入りしていたはずですが、弓道で(数時間程度)鍛えた先生は、老画伯を敢然と呼び止めて、決着をつけようとします。
 
 ……その心意気は良かったのですが、相手に殴りかえされたときに備えて、うっかりたんかを切る前に入れ歯を外してしまい(壊されたら困るから、高いから)、その売り言葉も文字通りはなはだ歯切れの悪いものとなってしまいましたが、それでもひるまず画伯の顔を張り倒しました。

 これで溜飲を下げたと意気揚々と立ち去ろうとしたのですが、季節は春、先生が外して地面に置いた入れ歯は絶え間なく散る桜の花吹雪に埋もれ、所在がわからなくなってしまいます。

 いきなり殴られて茫然としていた画伯ですが、黄村先生のうろたえはいずる様子を見て、一緒に入れ歯を探し始めます。

 (以下引用)
老生(補、黄村先生)と共に四つ這いになり、たしかに、この辺なのですか、三百円(補、作品発表当時1940年代で1円=270円という説があるので現在の貨幣価値で10万円近辺かと思われます)とは、高いものですね、などと言いつつ桜の花びらの吹溜りのここかしこに手をつっこみ、素直にお捜し下さる次第と相成申候。ありがとうございます、という老生の声は、獣の呻き声にも似て憂愁やるかた無く、あの入歯を失わば、われはまた二箇月間、歯医者に通い、その間、一物も噛む事かなわず、わずかにお粥をすすって生きのび、またわが面貌も歯の無き時はいたく面変りてさらに二十年も老け込み、笑顔の醜怪なる事無類なり、ああ、明日よりの我が人生は地獄の如し、と泣くにも泣けぬせつない気持になり申候いき。杉田老画伯は心利きたる人なれば、やがて屋台店より一本の小さき箒を借り来り、尚も間断なく散り乱れ積る花びらを、この辺ですか、この辺ですか、と言いつつさっさっと左右に掃きわけ、突如、あ! ありましたあ! と歓喜の声を上げ申候。たったいま己の頬をパンパンパンと三つも殴った男の入歯が見つかったとて、邪念無くしんから喜んで下さる老画伯の心意気の程が、老生には何にもまして嬉しく有難く、入歯なんかどうでもいいというような気持にさえ相成り、然れども入歯もまた見つかってわるい筈は無之、老生は二重にも三重にも嬉しく、杉田老画伯よりその入歯を受取り直ちに口中に含み申候いしが、入歯には桜の花びらおびただしく附着致し居る様子にて、噛みしめると幽かに渋い味が感ぜられ申候。杉田さん、どうか老生を殴って下さい、と笑いながら頬を差出申候ところ、老画伯もさるもの、よし来た、と言い掌に唾して、ぐゎんと老生の左の頬を撃ちのめし、意気揚々と引上げ行き申候。も少し加減してくれるかと思いのほか、かの松の木の怪腕の力の限りを発揮して殴りつけたるものの如く、老生の両眼より小さき星あまた飛散致し、一時、失神の思いに御座候。かれもまた、なかなかの馬鹿者に候。 

 ……殴った相手に箒で花びらを掃きわけ見つけてもらった入れ歯。「ありましたあ!」と素直に喜ぶ心意気を嬉しく思いながらはめた入れ歯は桜の花びらが入ってほろ苦かったけれども、お詫びに殴り返してくださいと頼んだら、その殴られても邪心なく入れ歯を一緒に探してくれる単純さゆえに、案外手加減なく殴り倒され、目から星が出る心地がした……という顛末です。
 体を鍛えておくことはやはり大切だけれども、その拳は同胞に向けるべきものではありませんね……という実感を「私」に書き送って、黄村先生のお話は結ばれています。

 腕に覚えがあればその作物に重みが出るものだ、という発想。
 鷗外、漱石のいい加減重鎮となってからの武勇伝。
 そして、桜の花びらがたえまなく散る中で、さっきまで互いにいけすかない奴だと思っていたいい年の男同士が、殴った男の入れ歯を花びらをかき分け一生懸命探す姿と、「あ、ありましたあ!」という殴られた男の素直な歓声。
 きまり悪さと嬉しさの中で口中に広がる、入れ歯に挟まったほろにがい桜の花びらの味、ぶん殴られて飛ぶ星。

 思いっきりのユーモアの中にえもいわれぬ、それこそアンパンの上の桜の花の塩漬けのような、不思議な、しかしそれがあるがゆえに、末永く突出する妙味を持つ作品です。

 太宰の文に鷗外や漱石のたたずまいはありませんが、この真理を巧みにすくう感性と複雑な味わいは他の誰にもない太宰だけが持つ魅力です。

 青空文庫でも読めますが、太宰の名短編を多く集めた「津軽通信」(新潮文庫)にも収録されていますので、よろしければお手に取ってみてください。

津軽通信 (新潮文庫) -
津軽通信 (新潮文庫) -

当ブログ太宰治関連記事は以下の通りです。併せてお読みいただければ幸いです。
「黄金風景」(太宰治短編ご紹介1)
「花吹雪」(太宰治短編ご紹介2)
「哀蚊(あわれが)」(太宰治短編ご紹介3)

読んでくださってありがとうございました。

参照URL
青空文庫 「花吹雪」 http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1582_15079.html
posted by Palum at 20:53| 太宰治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする