2014年04月18日

(台詞編2)「モロマジ!自殺電話」(アメリカのホームドラマ「ファミリータイズ(Family ties)」より)

先日から、マイケル・J・フォックスの出世作であるアメリカのホームコメディドラマ「ファミリータイズ」のおススメ回「モロマジ!自殺電話」について書かせていただいております。

 当ブログ、ファミリータイズ関連過去記事は以下の通りです。
 1,(ご紹介編)「ファミリータイズ」(ドラマ概要と登場人物ご紹介)
 2,(ご紹介編)「モロマジ!自殺電話」
 3,(ネタバレ編)「モロマジ!自殺電話」
 4,(台詞編1)「雲の向こうには銀の光」(「モロマジ!自殺電話」)
 
本日は引き続きこの作品の名台詞についていくつかご紹介いたします。
なお一応つけさせていただいた僕的直訳は話半分に見守る程度にしてあげてください(汗)


 大学の人文科学単位取得のためにアレックス(マイケル・J・フォックス)が、ライバルのジェームスと共に学内電話相談研修をしたときに、自殺をほのめかす電話がかかってくるというお話です。

@買い物から帰ってきたジェームス、「帰ってきてくれて良かった(半泣)」……とアレックス(自殺電話にテンパって保留中)にすがりつかれながらの一言
(ジェームス)You must have been very thirsty.
 (直訳)君はすごくノドが渇いていたみたいだな
 (字幕)ノドがカラカラ?
 ・must have been……〜だったに違いない
http://ejje.weblio.jp/content/must+have+been

A自殺電話がかかってきたことを告げるアレックスとそれを聞いたジェームスのやりとり
(ジェームス)take it easy. What did you tell him?
(直訳)落ち着け。彼になんて言ったんだ?
・Take it easy……気楽にやる、慌てない
http://ejje.weblio.jp/content/Take+it+easy
(アレックス〈言いにくそうに〉)……I put him on hold.
(直訳)……保留にした。
・put 目的語 on hold……(目的語を)保留にする
http://ejje.weblio.jp/content/put+on+hold

B大慌てで電話に出たジェームスの一言
Hello, Thank you for calling the Hot Line
(直訳)やあ、ホットラインにお電話ありがとう(※電話に出るときによく使う言い回し)

C相談者ビルを落ち着かせようとしたジェームスの一言
Let’s just try to be rational. What’s the problem?
(直訳)理性的になろう。何が(君の)問題だ?
・rational……理性のある・道理をわきまえた
http://ejje.weblio.jp/content/rational

D「生きる意味についてずっと考えていた」と言うビルに対するアレックスの質問
How’s it going?
(直訳)調子はどう?
(ジェームス、アレックスをにらみつける)
How is it going……具合はいかが、お変わりありませんか
http://ejje.weblio.jp/content/How+is+it+going

E気晴らしに映画を観たらとうっかり007の「死ぬのは奴らだ」を勧めてしまったアレックスに対し、ジェームス
Nice going, Alex.
(直訳)たいしたもんだなアレックス
(字幕)お前はアホか(←笑)
・Nice going……うまい、たいしたものだ(皮肉にも使われる)
http://eow.alc.co.jp/search?q=nice+going

Fジェームスの皮肉にカチンときたアレックス
Do you think you could do better?
(直訳)自分ならもっとうまくやれると思っているのか?

この後、到底任せていられないから交代しようとしたジェームスに対し、負けず嫌いのアレックスがやっぱり自分が答えると言い張り、電話を奪い合っているうちに、間違えて電話を切ってしまいます……(怖)。

幸い再度ビルは電話をかけてきて、二人はなんとか彼を説得しようとします。

ここからの台詞は次回記事でご紹介させていただきます。よろしければまた見にいらしてください。

読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum at 22:31| おすすめ映画(英米) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月17日

(台詞編1)「雲の向こうには銀の光(Every cloud has a silver lining)」(「モロマジ!自殺電話「ファミリータイズ(Family ties)」(アメリカのホームドラマ)より」

先日、マイケル・J・フォックスの出世作であるアメリカのホームコメディドラマ「ファミリータイズ(1982〜89年放映・アメリカ)」のおススメ回「モロマジ!自殺電話」の前半部あらすじをご紹介させていただきました。

ファミリー・タイズ 赤ちゃんにジェラシー 編 <トク選BOX>

 当ブログ、ファミリータイズ関連過去記事は以下の通りです。
 1,(ご紹介編)「ファミリータイズ」(ドラマ概要と登場人物ご紹介)
 2,(ご紹介編)「モロマジ!自殺電話」
 3,(ネタバレ編)「モロマジ!自殺電話」

 大学の人文科学単位取得のためにアレックス(マイケル・J・フォックス)が、ライバルのジェームスと共に学内電話相談研修をしたときに、自殺をほのめかす電話がかかってくるというお話です。

(以下ネタバレですので大丈夫な方だけお読みください。)



ドラマの中で相談者ビルを励まして「生きる喜びを考えろ」と言うジェームスに、ビルは、
「『雲の向こうには銀の光(Every cloud has a silver lining)』って奴だろ」
 と言います。
 これは、英語のことわざで、直訳は「すべての雲には銀の裏地がついている」、意味は「憂いの反面には喜びがある」というものだそうです。
Weblio辞書の訳
http://ejje.weblio.jp/content/every+cloud+has+a+silver+lining
「英語ことわざ教訓辞典」解説
http://www.wa.commufa.jp/~anknak/kyoukun058.htm

 この「教訓辞典」の解説で知ったのですが、このことわざ、映画「風とともに去りぬ」の最後の台詞になっているそうです。

風と共に去りぬ

 主人公スカーレットが、運命の男バトラーが彼女の元を去ってしまった後につぶやく台詞がこれです。

 そして、日本の字幕ではこれを「明日には明日の風が吹く」と大胆に意訳したそうです。

 「I love you」を「月がきれいですね」と訳したという漱石級に見事ですね。

 ところで、このジェームスとビルのやりとりを聞いていたアレックスは、「銀は今週(市場で)値を下げている。『亜鉛の光』ほうが良い」と、彼らしい(お金もうけ命)修正を加え、ビルは死にたいと思いつつも思わず笑ってしまいますが、二人の熱意に次第に心を開き、最後にはこう言います。
「『雲の向こうには亜鉛の光』か?(Do you really think every cloud has a zinc lining?)」

 自殺を思いとどまったビルは二人に感謝して電話を切ります。

次回記事(本日中に更新いたします)ではこの回のその他の台詞の英語についてご紹介いたします。よろしければまたご覧になってください。

 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum at 07:30| おすすめ映画(英米) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月16日

33日目(100日後 人は変われるのか、自分人体実験開始5)

「2014年3月14日〜2014年6月22日(日)の100日間で自分がどのくらい変われるか頑張ってみたい」と書かせていただいてから33日目の今日。

 同過去記事は以下の通りです。
 1日目
 12日目
 23日目
 27日目
 
 「駄ネット閲覧をしない」という目標を打ち立て、とりあえず、完全に観ない状態を続けて3日目となっておりますが、つらいです(汗)。

なんかソワソワするし、観てない代わりにただ、ぼーっとしていたりして……(いわゆるネット依存の入り口なんだろうなとつくづく実感……)。

ぼーっとしてるくらいなら観ても一緒ではとこれまでの自分が暗闇からささやいていますが、「やめる」ためには無駄なようでもここがふんばりどころかと思います。

あと18日、観ないでいられれば、少し楽になれるはず……。

なんでも人間3週21日間なにかを続けられればその事柄を習慣化させられるという定説があるそうです。

そのことについて語っていたこんな本があります。タイトル(邦題)はズバリ「3週間続ければ一生が変わる」(原題は「Who will cry when you die?」)


3週間続ければ一生が変わる あなたを変える101の英知 ポケット版

この本は習慣化までの21日間についてこのように語っています。

「新しい習慣は、新しい靴に似ています。最初の2、3日はあまり履き心地がよくありません。でも、3週間くらいたつと、慣れてきて、第二の皮膚のようになるでしょう」
(この本は具体的な行動メソッドや実験結果というよりはどちらかというとこういうわかりやすいフレーズや格言集に近いですが、これはこれで、モチベーションを上げるのにはとてもいい本でした。今後も引用させていただきたい本です。)

先日ご紹介した『新しい自分に生まれ変わる「やめる」習慣』でも、「行動習慣(ネットサーフィン、無駄遣い)」なら習慣化までに1か月かかり、「身体習慣(食べ過ぎ、夜更かし等)」ならやめはじめていてから3週間までが「禁欲期」で一番つらい時期(身体習慣なら習慣化完成までには3ヶ月が目途とのこと)……と、ありますので、だいたい21日間がひとつの目途になるというのは事実のようです。


新しい自分に生まれ変わる「やめる」習慣

私がこの21日間理論を非常に信用するのにはこれらの本以外に理由があります。

いわゆる願掛けのひとつに、自分の生まれた土地の氏神である神社に21日間毎日欠かさず参拝する「21日連続参拝」という方法があるのだそうです。

おそらくこれも、自分の願いをかなえるために、それだけの日数毎日念じ続けることで、神様のご加護を願うとともに、自分の思考回路を改革できるという側面があるのでしょう。

心理学的な定説と、こういう祈願の仕方が一致しているというのがとても興味深く、また、こういう昔ながらの習慣というのは、長い年月と多くの人間の実例によって徐々にまとめあげられていったものだと思うので(要するに心理学で被験者を集めて行うような実験の成果をもっと何百年も集め続けたようなものかと)、すごく信頼できるものなんじゃないかと思うのです。

そして、実際自分が行動を改めるまでに21日で済むかと言うとあまり自信がありませんが、それなりの日数かければ確かに習慣が変わるというのは今自分でも実感しているところなので(ブログ更新と運動は身につきつつある)、歯をくいしばって頑張ろうと思います。

それにしてもなにかを「する」より「やめる」ほうが難しいとは(しかも無駄なネット閲覧なんて、やっている時点でもたいして楽しいとも意義深いとも思っていなかったのに)意外でしたが、このとおりまぎれもない事実です……。

完全なる余談ですが、「わかってはいるけれどやめられない」という現象について描かれた、「ドラえもん」の傑作漫画、「ジャイアンリサイタルを楽しむ方法」(←笑)について、過去にご紹介記事を書かせていただきました。よろしければ併せてご覧になってみてください。

今僕、この作品の中ののび太とドラえもんみたいに「ああ(まったく無益だとわかりきっているネット情報見たいなあ……)頭がボーっとしてイライラする」状態の入り口気分です。怖いもんだ……。
(ちなみにドラえもんたちがこの症状になったのは、「ヤメラレン(笑)」という薬を飲んで「ジャイアンの歌中毒」になったため。死ぬ思いをして聴かされるくらいなら、好きでたまらなくなろうとしたという涙ぐましいお話……。)

さて、なんで、無駄とわかっているのに見たくなってしまうのか。

それについても、分析している本がありましたので、また近日中にご紹介させていただきます。

読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum at 23:55| 100日間 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月15日

(補足)「ビッグサプライズ 結婚式で歌い出した神父様」「インディペンデント誌」の記事一部ご紹介

前回記事で、教会の結婚式で歌い出した神父様の動画について書かせていただきました。

出典:ロケットニュース2014年4月11日記事
http://rocketnews24.com/2014/04/11/431507/




本日はイギリスの新聞「インディペンデント(The independent)」誌内のこの動画に関する情報を、記事本文一部抜粋と単語の意味を交えてご紹介させていただきます。
(なお、付属の訳はしょせん僕なんで雰囲気こんなもんかなくらいの生暖かい目で見守ってあげてください……〈汗〉)

「インディペンデント」誌の記事URLは以下のとおりです。
http://www.independent.co.uk/news/uk/home-news/singing-priests-hallelujah-rendition-gives-newlyweds-amazing-surprise-9249138.html

インディペンデント誌内記事タイトル
「Singing priest's Hallelujah rendition gives newly-weds amazing surprise」
(意訳)歌う司祭の「ハレルヤ」演奏が結婚式の素晴らしいサプライズに
rendition……公演・演奏(歌を含む) 


(本文)
A priest shocked a couple and their wedding guests in Ireland when he gave a powerful surprise rendition of Leonard Cohen’s Hallelujah, complete with re-worked lyrics relating to the life the newly-weds were about to begin together.

(意訳)
アイルランドで、とある司祭が新郎新婦のカップルと結婚式の招待客を驚かせた。彼が今まさに夫婦になろうとしている二人の人生を素材に新たに作り直された歌詞で「ハレルヤ」(原曲レナード・コーエン)をサプライズで力強く歌い始めたときのことである。

(本文)
The opening riff of Leonard Cohen’s 1984 then begins, and he sings: “We are joined together here today to help two people on their way, as Leah and Chris start their life together.

それから(新郎新婦が着席してから)レナード・コーエン(1984年作)の曲のオープニングのリフレインがはじまり、彼(レイ神父)は歌い出した。「レア(新婦)とクリス(新郎)が生涯を共にする道のりを助けるために、私たちは今日ここに集いました」
riff……リフレインの短縮形


"And now we’ve reached their special day, we hope to help them celebrate, and show them how much we all love them too, yeah.”

「そして私たちは彼らの特別な一日にたどりつきました。彼らを祝い、我々がどれだけ愛しているかも彼らに示したいと思います」

As he continues the pitch-perfect rendition, Chris laughs and Leah begins to cry. The priest then cheekily raises his eyebrows at the amazed couple, as their friends and family laugh.
彼(レイ神父が)完璧な演奏を続けているうちに、新郎クリスは笑顔になり、レアは泣きはじめました。そして、司祭がびっくりしている二人に小粋に眉を挙げると、彼らの友人と家族は笑いました。
as……〜につれて・従って
pitch-perfect……完璧な・一部の隙も無い
・cheekily……cheekyの副詞
(辞書だとメインの意味が「生意気」とか「図々しい」となっていますが、個人的には「憎めない」とか「小粋」とか、いいニュアンスで使われているケースをよく聞いた覚えがあります。イギリス英語限定の意味かもしれませんが、このレイ神父の笑顔はどう考えても後者ですよね。

(記事本文)
At the end of the song he got a standing ovation.

歌い終わりには、彼はスタンディングオベーションを受けていました。

Fr Kelly is a trained singer who is currently working on his third album.
(レイ・)ケリー神父は熟練の歌手で、現在彼の三番目のアルバムに取り組んでいます。
Fr……Farther(神父)の略

"I do it to make a few bob for local charities,“ he told the radio programme.
「地元のチャリティーでお金を集めるために歌っています」ラジオ番組でレイ神父はそう語りました。」
・bob……(俗語)イギリス英語で貨幣の単位「シリング」をさす。転じて「お金」そのものをさすようになった
(参照ウィキペディア記事内Slang terms for moneyのUnited Kingdomの項目)
http://en.wikipedia.org/wiki/Slang_terms_for_money

少しハスキーな奥行きのある美声のレイ神父。

BBCの記事によれば、既に司祭としてのキャリア25年のベテランだそうです。
そして、「歌うのは大好きだけれど、フルタイムではやりたくありません、司祭としての仕事を愛していますから(I enjoy singing but I wouldn't want to do it full time - I love what I'm doing as a priest)」とのことです。
なんともチャーミングな方ですね。

BBCの記事URLは以下の通りです。(かなりインディペンデント誌と内容が重複しています。レイ神父がBBCラジオでお話した内容とのことなので当然かもしれませんが)よろしければ併せてご覧になってみてください。
http://www.bbc.com/news/uk-northern-ireland-26957527


読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum at 23:39| おすすめ動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月14日

(おススメ動画)ビッグサプライズ 結婚式で歌い出した神父様、(Original Big surprise for Bride and Groom...Chris and Leah Wedding 5 April 2014)



素敵な動画を見つけたのでご紹介させていただきます。
(前回記事の続き、(台詞編)「モロマジ!自殺電話」(ファミリータイズ)はまた近日中にアップさせていただきます。)

動画情報出典:ロケットニュース2014年4月11日記事
http://rocketnews24.com/2014/04/11/431507/

Youtube動画をご覧ください。



アイルランドにある教会での結婚式でのこと。
誓いの儀式がはじまろうとしたそのとき、壇上にいたレイ神父がとつぜん音楽に合わせて朗々と歌い出します。

曲はレナード・コーエンの「ハレルヤ」

みんな最初はあっけにとられていましたが、レイ神父の歌声の美しさに新郎は笑顔に、新婦の目には涙が浮かび、歌い終わる頃には立ち上がって拍手喝さいを送る招待客も。(それまでわりと淡々とした感じだったのに、間奏中に、新郎新婦に向かって「にょ」とまゆをあげて笑う神父様の笑顔(動画3分頃)と、そのあとまたいっそう力強い声で歌うギャップがチャーミング〈笑〉)

実はこのレイ神父、一応事前に、「式で歌うつもりです」と二人に言ってあったのですが、二人はあまり本気にしていない様子だったそうです。(確かにこれはまさかと思うでしょうなあ。)

ちなみに、この時レイ神父が歌っている「ハレルヤ」は新郎新婦の名前を織り込み、門出を祝うオリジナルの歌詞となっています。

Youtubeの投稿者コメント欄に、このときレイ神父が歌ったバージョンの歌詞が全文掲載されています。

「インディペンデント」誌の記事によれば、レイ神父は歌手でもあり、今は3枚目のアルバムを制作中とのこと。彼の歌唱力は地元ではよく知られていたのですが、このカップルは遠方から来たので完全なサプライズ状態となったのだそうです。

温かで伸びやか、そして心のこもった本当に良い御声ですねえ……。聞いている人たちの反応も良い。心が洗われました。

ところで、歌い終わった直後、レイ神父がなにかおっしゃっていて、それについて周囲が笑っていますが、私にはなんと言っているのか聞き取れませんでした。

ネイティブの知人に聞いてもらったところ「よく聞こえないけれど(よかった僕のリスニング力不足だけじゃなかった)、『……in shock』て言っている。たぶん『They are in shock(彼ら〈新郎新婦〉は驚いていますね)』とか言っているんじゃないでしょうか」
とのことでした。

確かに(笑)でも、とても素敵な驚きだったことでしょう。



この動画についての「インディペンデント」誌の記事URLは以下のとおりです。
http://www.independent.co.uk/news/uk/home-news/singing-priests-hallelujah-rendition-gives-newlyweds-amazing-surprise-9249138.html

よろしければこの記事について少し私なりに訳させていただいた補足記事も併せてご覧ください。

読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum at 23:46| おすすめ動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月13日

(ネタバレ編)「モロマジ!自殺電話」「ファミリータイズ(Family ties)」(アメリカのホームドラマ)

先日、マイケル・J・フォックスの出世作であるアメリカのホームコメディドラマ「ファミリータイズ(1982〜89年放映・アメリカ)」のおススメ回「モロマジ!自殺電話」の前半部あらすじをご紹介させていただきました。(余談だがなんか邦題のノリがいかにも80年代……)
 当ブログ、ファミリータイズ関連過去記事は以下の通りです。
 1,(ご紹介編)「ファミリータイズ」(ドラマ概要と登場人物ご紹介)
 2,(ご紹介編)「モロマジ!自殺電話」

(前半部あらすじ)
 大学の人文科学単位取得のためにやる気ゼロ(お金儲けに関わる勉強じゃないから)のアレックス(マイケル・J・フォックス)が、ライバルのジェームスと共に学内電話相談研修に参加することに。

 しかし、研修初日、指導教官たちが来られないために中止となる。
 
 喜んで帰る直前のアレックスにかかってくた電話の相談内容は自殺予告。

 思わず保留にしてしまった(←酷)アレックスは、ボランティア経験豊富なジェームス(しかし今は買い物に行っていて留守)を震える声で呼ぶ……。

 (以下結末部までのあらすじです。ネタバレですのでご了承ください。)

 「コーラを買ってきたぞ!」
 さっそうと戻ってきたジェームスに(普段互いに憎まれ口しかきいていないのに)ひしと抱きつくアレックス。
「よかった。君が戻ってきてくれた…神様ありがとう……(震)」
「のどがカラカラだったのか?」

 違う、自殺志望の相談者から電話がかかってきた。
 そう聞いたジェームスは真顔になり、
「落ち着け、何て言った?」
 アレックス、言いにくそうに一言。
「……待たせてある……」
 何だって!?電話に駆け寄るジェームス。
「ハーイ、ホットラインです。電話をどうも」(手馴れてるだけあって、ラジオDJみたいなもっそい良い声〈しかし作り声〉)
「……誰だ?」(律儀に待っててくれた相談者ビル)
「(コードネーム)Gidget(お転婆※)だ」
(※)
(【補足】ギジェット……アメリカで人気だったドラマの主人公のあだ名、girlとmidget(小さい人)を併せた造語〈「スペースアルク英辞郎解説」より〉〈それにしてもなんでまた……。〉)
 あんまり頼りになりそうにない名前だな、と、不信感を抱きつつも(そりゃそうだ)、「ガンジー」と「お転婆」相手に、悩み相談を始めるビル。

 しかし、「生きる意味がわからない」と語る彼に、気晴らしに映画でも見ては、と、広告にあった007の「死ぬのは奴らだ」を勧めるアレックスと、「お前はアホか」と注意するジェームス(ジェームスが正しい)が、自分が相談に乗る、と互いに電話機を奪い合っているうちに、間違って電話を切ってしまう……。
 
 ……ビルから電話がかかってくるのを待つしかない恐ろしい沈黙の中、ジェームスが、何がいけなかったか対応を振り返ってみよう、と、提案する。
 同意したアレックスのまとめ。
「自殺したいという電話がかかってきたから、保留にして待たせた。それから007の映画を勧めてこちらから電話を切った」(←「何がいけなかったか」……)
 机に両手をついてうなだれるジェームス。

 そこへ待ちわびたビルからの電話がかかってくる。
「自殺しそうだって相談しているのになんで切るんだ(←ねえ……)」
 平謝りして電話を続ける二人。

 しかし、励まそうとしてマニュアルにある台詞をそのまま読む(「『誰の人生にも明るい側面があるものだ』と、相談者の名前を呼ぶ」と次ページに書いてあったト書き部分まで読む)アレックスに、そんな態度なら電話を切るぞ!と憤慨するビル。

 初心者でどう対応していいのかわからないんだと聞かされ、
「僕だって自殺志願の初心者だがマニュアルは読んでないぞ!」(←笑)

 途方に暮れた二人は、とにかく素の自分で彼に向き合うことにする。

 長時間、アレックス(「ガンジー」)の子供時代の話などを聞かされ(素すぎる)、退屈しきっている様子のビルだったが、それでも彼らが努力してくれていることは感じ取って礼を言う。
 「でも、本当は自分のことを気にかけてくれる人間なんてだれもいない」
僕らがいる、そう言っても、ビルの声は沈んだまま。
 「たまたま電話に出ただけだろ。君らの本名すら知らないのに」
 二人は顔を見合わせ、やがてアレックスが口を開いた。
「アレックス・キートン」
「ジェームス・ジャレットだ」
 規則を破って名前を明かした二人に、驚きを隠せないビル。

 ジェームスはビルを励まし続ける。
「生きる喜びを考えろ。雪の美しさや恋する気持ち」
「『雲の向こうには銀の光(※「不幸の後には幸福が来る」を意味することわざ)』だろ」
 それを聞いたアレックス。
「銀は今週値を下げている。『亜鉛の光』ほうが良い」
 スピーカーから聞こえてきたのはビルの笑い声。
 笑ったな?笑えたってことは死ぬ気が失せただろう?
 喜ぶ二人に、「含み笑いだ」と取り合わないビル。
 ごまかすな、確かに笑い声を聞いたぞ、と食い下がると、「ああ笑ったさ。訴えろ」と開き直られる。

 一度笑ったからってなんなんだ、この空しい気持ちは消えない。生きる意味は見つからないし、みじめだし、怖い。
「誰だって怖いさ」
 アレックスがそう言うと、ビルが聞き返してきた。
「君も?……いつ?」
 ためらったがアレックスは話し始める。

 たいてい夜。
 家族が寝静まった頃、自分の将来を考えると怖くなる。
 挫折を知らないで生きてきた。
 一度失敗したら、立ち直れなくなる気がして。
 だから、立ち止まらないように必死で、もし足を止めてしまったら……。

 口調が冷静さを欠いているのに気付いたアレックスは、言葉を切る。
「……ごめん」
「謝ることない、続けてくれ、何が怖いんだ?」
 立場変わってる、と気づきつつ(←笑)話を続けるアレックス。

 もし速度を落としたら、自分じゃなくなる気がして怖い。
 自分が無になってしまう気がして。

 ビルの声に力が宿る。
「『自分が無になってしまう』。そうだ、それが僕の感じていることだ」
「誰だって感じているよ。でもその不安と戦っているんだ」
 ジェームスにうなずいて、アレックスも思い切って言った。
「電話してきたってことは、本当は死にたくないんだろ?」
 死ぬなよ……。

 沈黙。

 やがてスピーカーから聞こえてきた声。
「『雲の向こうには亜鉛の光』か?」
 ……もう切るよ。
 そう言われ、切った後は?と尋ねるアレックス。

 切ったら寝る、そして、
「明日すっきりした頭で、人生について考える」
「『明日』?」
「ああ」
 二人の顔に安どの笑みが広がる。

 不慣れゆえの対応のまずさを詫びる二人を、ああいうのも悪くない、聞いているうちに自分のほうがマシに思えてきたから、と、ねぎらうビル。(←笑)

 苦笑いしつつも、プロのアドバイスも受けてくれという二人の頼みに、そうする、と言った後、ビルはこう付け加えた。
「『ガンジー』と『ギジェット』にはかなわないと思うけど」

 ありがとう。

 そう言うと、ビルは電話を切った。

 ……ジェームスに手を差し出され、固い握手を交わしたアレックス。

 でも、ジェームス、夜になると怖いって言ったアレは、ビルに話を合わせただけだからな。

 アレックスから念を押されたジェームスはなにか言いたげに笑う。
 「わかっている。怖いわけないよな?」
 
 そして、先に出ていこうとして電気を消したジェームスにアレックスは言った。
「ジェームス、明かりは消さないで(心細げ)」

(完)

「『雲の向こうには亜鉛の光』」

「『ガンジー』と『ギジェット』にはかなわないと思うけど」

 こんなセリフで、もう一度人生の希望を探してみようという気持ちと、見知らぬ他人の必死の思いやりに対する感謝の気持ちを表現している。本当に粋な作品です。

 そしてこのひねりとユーモアゆえに、見ていて素直に心が温かくなります。

 二人のような対応がいつでも正しい結果を生むかはわかりませんが(というか前半部は明らかにダメですが)、しかし、できる限り、弱みまで含めて、自分が本当に思っていることを語り、本気で励ましている二人の言葉には誠実さが感じられます。

 これが「腹を割って話す」ということなのでしょう。なかなかできることではありませんが。

 後半部は、薄暗い一部屋の中で二人とスピーカーの声のやりとりという、ほとんど動きのない映像ながら、それぞれに台詞や間や演技に味わいがあって見応えがあります。

 この回の他にも、ドタバタあり、涙あり、多彩な味わいの名作揃いです。是非ご覧になってみてください。

 次回はこの回の中の名台詞について、英語と字幕それぞれご紹介させていただきたいと思います。よろしければ併せてご覧ください。

 読んでくださってありがとうございました。
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2014年04月12日

(ご紹介編1)「モロマジ!自殺電話」「ファミリータイズ(Family ties)」(アメリカのホームドラマ)

先日、マイケル・J・フォックスの出世作であるアメリカのホームコメディドラマ「ファミリータイズ(1982〜89年放映・アメリカ)」をご紹介させていただきました。(過去記事はコチラ


ファミリー・タイズ 赤ちゃんにジェラシー 編 <トク選BOX>

 本日は現在発売されているドラマDVDの中からおすすめの回の前半部あらすじと一部台詞をご紹介させていただきます。

 アレックス(マイケル・J・フォックス)は大学で人文科学を履修しなければならないと知って大いに困惑している。

 人類・宇宙・社会……どれも自分には関係ない。金のことを学びに大学に入ったのに(本人至って真顔)。

 それを聞いた妹のジェニファーに、
「お金より大事なものがある。誰かを必要するのが幸せなの」と言われても
「金があれば誰も必要じゃない(People who have money don’t need people)」と言い放つアレックス。

(彼のいいところはこういう発想を堂々と表明できるところだと思います。いっそすがすがしい。〈それにしてもこれほど思い切った台詞を言うキャラクターといえばあとはパタリロしか知らない。ギャグ漫画史上屈指の強烈キャラと同レベルの発言を見た目あんな好青年が実写でするからパンチがきいています。〉)
 

パタリロ! 選集 1

 結局、心理学の中から「ホットライン」という、学生の電話相談を受ける授業を履修することに。

 理由は、電話がかかってくるまでお金にまつわる本を読んでいればいいから(熱意ゼロ)。
(それにしても新入生に電話相談研修をさせるとは、アメリカの大学の授業ってびっくりするほど実践的ですね……。)

 授業履修の挨拶に行ったアレックスは旧友に再会する。
 ジェームス・ジャレット。
 小学校時代、主席争いをしていた宿敵だ。

 アレックスと違い心理学専攻でボランティア活動にも熱心なジェームス。
 顔を合わせれば張り合わずにいられない二人だが、研修ではペアを組むことになる。
 内心面白くないものの、
「僕が彼をリードしますよ(I should be able to pull him through)」
と同時に言った後、互いにムッとして顔を見合わせる。
pull+目的語+through……(人に)困難を切り抜けさせる、(人に)病気・けがなどを乗り切らせる

 初研修前に家族の前で予行練習をするアレックス。(そして「二度と電話するな(I told you never to call me here)」等、電話相談の根底を覆す発言をするアレックス。)

 マニュアル内にある「相談を受ける際にはコードネームを名乗ること」という取り決めをジェニファーに読んでもらったアレックスは大いに納得。
「なるほどね、負け組がウチに電話してきたら困る」

それを聞いた父スティーブン、
「まるでマザーテレサだ……」

 初研修に出たアレックスとジェームス。

 しかし、その日はたまたま指導教官たちが病気や車の故障で窓口に来られず、結局、研修は後日ということになる。

 ジェームスが食事を買いに行って席を外している最中に、研修中止の知らせを受けたアレックスは嬉々として帰り支度をはじめる。

 そこへ一本の電話。

 面倒だと思いながらも「ガンジーです(←笑)」とコードネームを名乗り、電話に出たアレックス。

 スピーカーから聞こえてきた相談者の困惑気味の声(無理もない)。
「番号を間違えたみたいだ。ホットラインにかけようと思ったんだけど。(I must have the wrong number. I wanted the Hot Line)」

 いや、切らないで、ホットラインだよ(Don’t hang up, this is Hot Line)、これはコードネームなんだ、と聞かされた相談者ビル、ためらいがちに話し始める。

「誰かに助けてほしくてね(I need some help here.)」
 声には出さないが「とっとと話せ」オーラ全開のアレックス。
 しかし、
「……僕は……自殺しようと思っている(I……I think…I think I’m gonna kill myself.)」
と耳にした瞬間、あさってを見ながら思わず保留ボタンを押し、うわずった声で、
「ジェームス!君に電話だよ!(James! It’s for you!)」
……と叫ぶ……。

 自殺電話を保留にした後(←……)アレックスたちがこの相談者にどんな対応をするのか。

 ドラマは、深刻な事態ながらユーモアと真摯さを織り交ぜて実に巧みに展開していきます。

 この「シリアスな状況に、極めて真面目だけど笑える台詞が挟みこまれていて、重くないのに最後には観ている人間の心に残るような構成」、あるいは「ドタバタだけど最後にはとても温かないい場面にたどりつく構成」というのがファミリータイズの真骨頂です。

 アレックスたちが実際にどんな話をして、結末がどうなるのかは次回の記事に書かせていただきますが、是非DVDで直にご覧になってみてください。これ以外の話も作品として素晴らしいですし(なので別の話も後日ご紹介させていただきます。)、英語自体とても聴き取りやすいです。
(『刑事コロンボ』もそうなのですが、発声とか台詞まわしそれ自体とか、最近のドラマより圧倒的にわかりやすいです。舞台の台詞に近いものがあるのでしょうか。)

 読んでくださってありがとうございました。
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2014年04月11日

(ご紹介編)「ファミリータイズ(Family ties)」(アメリカのホームドラマ)

個人的な話になってしまいますが……。

本日は元旦から数えて100日目です。

(このページで計算させていただきました。)
http://www.benricho.org/nenrei/day_calc.html

そして一応元旦から誓い通りに毎日更新し続けた当ブログの100回連続更新記念日となります。

自慢じゃありませんが100日更新しないことはザラにあっても、100日連続で更新できたことは初の快挙です。(本当に自慢にならないな)

 観にきてくださった皆様への心からの感謝のしるしとして、なにか素敵な情報を提供させていただきたいと思って、考えてみました。

1,「一応当ブログ名に添って、英語の勉強になるもの」
2,「自分の人生に大きなプラスをくれたもの」
3,「作品として非常にすぐれているもの」
4,「観ると楽しくて前向きになれるもの」

この4つの条件を満たすものとして、「ファミリータイズ(1982〜89年放映・アメリカ)」をご紹介させていただきます。


ファミリー・タイズ 赤ちゃんにジェラシー 編 <トク選BOX>

「勉強大嫌いなのに英語を聴くのは好きだった」のはこのドラマを継続して観続けたのとマイケル・ジャクソンのおかげなのです。

「バックトゥザフューチャー」のマイケル・J・フォックスの出世作(この作品での名演技が認められて映画に抜擢された。)、そして、その他の出演者たちも脇役にいたるまで魅力的で、非常に洗練された、愉快でウィットに富んだ台詞が楽しめる。

個人的に今もってこれ以上に偉大なテレビドラマを知りません。

私が憧れた「誠実で公平で温かで賢く前向きなアメリカ」像はこの作品を観ることで形成されました。(あと、当ブログで「1980年代〜90年代までがアメリカ映像作品の黄金期」と申し上げるとき、このドラマを超念頭に置いております)

「ファミリータイズ」公式HPのURLはコチラです。
http://dvd.paramount.jp/family-tise/

 主人公たちはあるアメリカの一家庭。

 よくこれだけ同じ屋根の下で違う個性が形成されるものだというほど、価値観も才能もバラバラな家族で、当然ぶつかることもありますが、共通しているのは、なにかあったとき、お互い思っていることをきちんと話すこと。

 基本わりとにぎやかなコメディタッチなのですが、何回かに一度とてもシリアスな話題を扱うこともあり、しかもしそれがうまいこと軽みを帯びていて、だからこそ、一度笑ったあとに、せつなさがこみあげてきます。(基本ひねくれてんのでいきなり「泣く人間」を観ても泣けない。途中まで笑わされたあとだと、なぜかシリアスなやりとりも一気に腑に落ちてしまい共感させられる。)

 以下、登場人物を簡単にご紹介させていただきます。

 長男アレックス(マイケル・J・フォックス)

 成績優秀でハンサムという一見よくできた息子だが、生まれて最初に喋った言葉が「Money」という天性の金の亡者(「マミー」と言ったと思って喜んだママがっかり)。
夢はウォール街の勝者。保守的で男尊女卑的発言が目立つが、実際好きになるのは強気で賢いタイプの女性。母エリスにもよく相談事をしている。
口が非常に悪いためしばしば妹二人の不興を買っているが、ここぞというときには家族や友人のために一肌脱ぐ情に厚い一面もある。

母エリス(メレディス・バクスター)

建築家としてキャリアを積んでいるさばさばした性格の美人。70年代にはリベラリストの騎手として大学で学生運動に奔走していた(その金髪をたなびかせる勇ましい姿が年下学生だったパパをノックアウト)。騒々しく型破りな性格の多い家族の中では落ち着いた理性派だが、その冷静なまなざしゆえに本人意図せずして凄い毒舌となってアレックスや夫スティーブンの心臓をえぐることがある。

父スティーブン(マイケル・グロス)
テレビ局勤務(正直視聴率はだいぶイマイチな模様)。妻エリスを若き日から今にいたるまで熱烈に愛している(基本温厚だが、エリスに近づく男がいると思い込んだが最後暴走する。)。やや頼りないところがあるため、エリスに比べると思春期を迎えた子供たちからなめられているフシも見受けられるが、よく子供の話を聞き、丁寧に教え諭す優しい父親。

長女マロリー(ジャスティン・ベイトマン)
勉強は苦手だが、ファッションには天性の才能を持つ美人。ファッション業界で生きていくのが夢。アレックスと真逆の性格のため、よくおちょくられている。華やかな外見の割におっとりとした性格で、成績にはコンプレックスを持ちながらも、我が道を進んでいる。(後にニックという、ランボーの頃のスタローンに似た雰囲気の、しかし外見にそぐわぬ同じくマイペースなアーティストと将来を誓い合う。)

次女ジェニファー(ティナ・ヨーザーズ)
スポーツ万能、成績優秀の上に正義感に溢れた性格。それゆえにアレックスに対して最も厳しい(的を得た)批評をしてくる手ごわい妹。マロリーと仲が良く、姉妹同盟を組んで口の悪い兄貴に立ち向かう。(年は若くても自分の意見をしっかりと述べるキャラクターのため、社会派の話題のときに活躍することが多い。)

次男アンディ(ブライアン・ボンソール)
 末娘ジェニファーより10歳以上年下の弟。アレックス待望の男兄弟。可愛くて素直な性格で、家族中から愛されているが、アレックスの洗脳計画により、幼い頃から政治や金融市場についての知識を吹き込まれている。

このとおり登場人物がみんな個性的で、笑えてしんみりして考えさせられる、温かみのある素晴らしい作品なのですが、残念なことにごく1部しかDVD化されていません。

多分なんか権利問題があるのでしょうが……私としては、このドラマは「刑事コロンボ」と同じだけ時代を生き残る力を持ち、広く末永く皆の目に触れるべき作品だと思うので、なんとかしてもっと多くの回が観られるようになってほしいと思います。(ニックが出てこないのが実に残念。あと私が一番笑った話とか、色々観られないのです……。)

とはいえ、今観られるだけの分でもすっごく面白いです。近々収録されている回の見どころや台詞もご紹介させていただきたいとおもいます。

読んでくださってありがとうございました。

参照 ウィキペディア「ファミリータイズ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%BA
posted by Palum at 23:21| おすすめ映画(英米) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月10日

27日目(100日後、人は変われるのか、自分人体実験4) 


「2014年3月14日〜2014年6月22日(日)の100日間で自分がどのくらい変われるか頑張ってみたい」と書かせていただいてから27日後の今日。(相変わらず凄い中途半端な中間記録)

 新たな問題に気づきました。というか向き合うのが嫌だったというか……。

27日前に打ち立てた目標は以下の通りです。

 1,毎日1時間運動をする(ストレッチも含めて)
 2,英語を毎日3時間勉強する(通勤中のアプリ使用等を含めて)
 3,1,2をやりつつブログも毎日更新する

 1の運動は比較的成功率が高いんですが(ちょいちょい挫折するけど)、2の英語の時間がどうしてもひねりだせず、したがって3に到達できない。

 じゃあ、時間作るしかない。でも今までの生活では無理。

 なにかをやめるしかない。自分のやっているなかでこれは無駄だなあというものを……。

 で、結論。

 ネット見る時間を削る必要がある。

 これはしかし、覚えのある方も多いと思いますが、別に「さー今から見るぞー」とやって見ているわけではないんですよね……。

 メールチェックとか、なんかしなければいけない作業のついでについつい脱線してしまい、気づいたらそのまま一時間……みたいな流れなだけで。

 実はこの100日記録をつける前から、これはいけないいけないと思いつつ、なかなか無くせない習慣だったんです。

 今、一日が25時間無い以上、英語の時間を確保するために、なんとしてでもこの悪習慣を断たねばならない。

 しかしこれがかなり手ごわいものだと今更ながら気づきました。

 実際「ネット中毒」なる言葉があるくらいで、甚だしい場合は治療の対象にすらなるとか、このネットにどっぷりつかっているときの脳は非常に不健康な状態だとかいう話すら聞きます。

 聞いているのにやめられないんだから私も結構深刻な状況かもしれません……。
考えてみると本当に怖いです。お酒より食べ過ぎよりやめるのが難しいのに無駄な情報と思いながらまだ見てるんだから。(なんか脳にある種の刺激が加わっていて、それを補給しないといられない状態になるのでしょうね。正確なところは次回きちんと調べてご紹介させていただきますが)

 かと言って自分をふんじばるわけにもネットの無い生活をするわけにもいかず……。

 とりあえず、悪癖を断つために、色々本を買ってみました。(ここでネット中毒を断つためにネット閲覧を続けていては抜け出せなさそうな気がしたので)
 
 『新しい自分に生まれ変わる「やめる」習慣』

新しい自分に生まれ変わる「やめる」習慣

『スタンフォードの自分を変える教室』

スタンフォードの自分を変える教室

 ……どちらもわかりやすくて実践的な内容だったので、実行して、こまめに成果をご報告させていただくことにします。(こうしてブログに顛末を書き始めたのも『やめる習慣』の中に書いてあったひとつの方法)

 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum at 23:29| 100日間 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月09日

「ハイビジョン特集 左手のピアニスト 舘野 泉 再びつかんだ音楽」

 BSプレミアムがご覧になれる方限定ですが、良い番組が再放送されるので内容についてご紹介させていただきます。

2014年4月14日(月)午後2時30分BSプレミアムで「ハイビジョン特集 左手のピアニスト 舘野 泉 再びつかんだ音楽」が放映されます。(110分)
 NHKの番組公式情報URLは以下のとおりです。
http://www.nhk.or.jp/archives/premium/next/index.html#friday

 舘野泉さんはフィンランド在住のピアニスト。

 2002年、リサイタル中に脳溢血で倒れた舘野さんは、後遺症で右手が動かなくなってしまいましたが、現在、左手のみの演奏で復帰・活躍されています。

 前回記事で、申し訳ないことに同じく舘野さんを特集した別の番組と間違えて内容をご紹介してしまったので、今回は放送内容について改めて書かせていただきます。

(番組概要)
 BSプレミアムの番組では、舘野さんの幼少時代からフィンランドでの演奏活動、病後「左手のピアニスト」として再起を果たすまでの出来事が、館野さんの両親、奥さんと子供たち、友人たちとのやりとりも含めて描かれていました。

(見どころ1 舘野泉さんという方)
 別の番組を観たときも思ったのですが、舘野さんという方はただ独自の演奏方法で活動なさっているというだけでなく、たたずまいのとても美しい方だなあと思わされます。

 静かな、ゆっくりとした語り口で、胸の奥底からの言葉を、ひとつひとつそっと取り出すように真摯に話される。

 その姿、言葉は舘野さんの奏でる音楽そのものによく似ています。

 画家や音楽家など、ある一道を極めた芸術家は、時に文筆家が使うことのできない言葉の力をもっていらっしゃることがあるのですが、舘野さんもそういう方でした。

 番組の中で舘野さんはいくつも素敵な言葉を聞かせてくださいます。

 (フィンランドの自然に対する愛着を語っていらっしゃる場面、冬と温かくなってからのコントラストが好きだとお話されながら)
 半年の冬っていうものが、ただ、なんにも無くなってしまった、水も凍って動かなくなってしまった、木から葉っぱは落ちてしまった、そういう枯れて何もなくなってしまった、死んだ世界のように思うけれど。そうじゃなくて、その世界というのは、次に咲き出る、萌え出る、輝き出る……そういうのを準備しているわけですよね。その間も、ずうっと命というのは続いているわけです。だから、ある詩人が「夜があるというのは素敵なことだ。夜の間に自然は全てを洗い清めて、朝の光にまた差し出す」と言っていましたが、それを拡大したもののように思うわけですけれどね。

 この言葉など、人生の苦しいときに思い出したくなる力があります。舘野さんのように実際に「冬」を確かに乗り越えた人から聞くとなおのこと。

その言葉、悲しみを乗り越えた優しい微笑。少し涙にうるんでいるような声と瞳。

風雪に耐えて幹を成し葉を茂らせた大きな木の、木漏れ日に光をさらさらとこぼすような、ゆったりとおだやかな輝きが放射されています。

(見どころ2 息子ヤンネさんとの絆)

 右手がピアノを弾くほどには回復せず、失意に沈む舘野さんに、左手での演奏を続けるように励ましたのは息子ヤンネさんでした。
 ヴァイオリニストとして活動していたヤンネさんは、舘野さんに、左手のためのピアノ曲の譜面を渡します。
 「ブリッジの曲は明るくて快活で父の出す響きにぴったりだと思いました(ヤンネさんの言葉)」
 父がピアノから遠ざかるとはとても考えられない。プロとしてでなくても弾き続けてほしい。
 この曲なら気に入ってもらえるだろう。
 そして、ヤンネさんの願い通り、この曲の素晴らしさが、両手で弾くのがピアニストとしての復帰だと思っていた館野さんの視点を切り替えました。
「氷河が溶けて動き出したような感じであった。(中略)ただ、生きかえるようであった。(中略)音が香り、咲き、漂い、はぜ、大きく育って、ひとつの全き姿となって完成する。音楽をするのに、手が一本も二本も、関係はなかった。(舘野泉さんのエッセイ『ひまわりの海』より)」

(見どころ3 2人の作曲家と奏法)

 舘野さんが左手だけでピアノを弾くと決意したのち、二人の作曲家が、彼のために左手のためのピアノ曲を作曲します。

 若き日に舘野さんとの出合ったことがきっかけで、その後多くのピアノの作曲を手掛けるようになったというフィンランドの現代音楽界を代表する作曲家、ペール・ヘンリック・ノルドグレン氏はこう語ります。
「大きな困難に直面した舘野さんへ、最初のピアノ曲の続篇を捧げたかったのです。今、私が作曲をつづけていられるのは舘野さんのおかげなのですから」

 番組内のコンサートでは、このノルドグレン氏が小泉八雲の怪談をイメージして作った曲の一部を聴くことができます。

この曲を視聴できるHPがありましたのでURLを貼らせていただきます。
http://ml.naxos.jp/album/643443226967


 また、日本の作曲家であり、間宮芳夫さんも、舘野さんを「自分の作品を最も理解してくれる演奏家の一人」と思い、この困難に挑戦します。

 実際に舘野さんの演奏を聴いてみるとわかりますが、言われなければ、素人には片手で弾いていらっしゃるとわからないような音です。
 
 ピアノと言う楽器が持つ個性に複雑な音の重なり(和音)があります。

 本来なら両手指分10音を同時に出すことができる。しかし、今演奏に使える指は5本。

 この壁をどう乗り越えるか。

 間宮さんと舘野さんは、海を越えて話し合い、弾きあった結果、「ペダルを踏んで音の余韻を長くし、それを追うように指で音を重ねる」、「指だけではなく、手のひらの一部を使う」などの方法、音の広がりを作り出してゆきます。

 その方が音楽としていいのなら、難しくても意地でも弾く。遠慮せずに作曲する。

 二人のそういう気迫が、今の舘野さんの音楽を作り上げていったのです。

(見どころ4 シベリウスの家にて)

 復帰を果たしたあとの舘野さんは、フィンランドの国民的作曲家シベリウスが妻と共に過ごした家を訪れます。

 静かな森の中の居心地のよい家。シベリウスと妻の墓がある場所。

 ここは舘野さんにとって、敬愛するシベリウスの面影を追うだけではない意味のある場所でした。

 2歳からピアノを弾きはじめた館野さん。

 彼に音楽の素晴らしさを教えてくれたのは、音楽家で、子供たちにピアノを教えていた父弘さんでした。

 彼に厳しい英才教育を施すわけではなく、ただ、音楽に全身全霊を捧げること、音楽を続けていける幸せを教えてくれたお父さん。

 かつて父の訃報を聞いたとき、フィンランドにいた館野さんは、シベリウスの家をたずねました。

 そして、そこに残されていたピアノで、父のためにシベリウスの曲を弾いて捧げました。

 今回再訪した舘野さん。今はもうシベリウスの曲を弾くことはできませんが、代わりに、左手だけでバッハの曲をブラームスがピアノ用に編成した「シャコンヌ」を、力強く情熱的に奏でます。

 弾き終わった舘野さんは、ためいきをついて、長い沈黙のあとに言いました。
「……ありがとうっていう他ないや、ありがとうって、誰にいうんだか知らないけれど……でもすごい、いい気持ちだ。よかった、これ弾けて……」

 舘野さんを観ていると「幸福な人」という言葉が浮かんできます。

 いえ、本当は2歳の頃から何十年も続け、息をすること、生きていることそのものにも等しいピアノを弾くための右手の自由が奪われたのですから、ピアニストである彼にとってこれ以上の不幸はなかったかもしれません。

 しかし、それまでの努力と、誠実で穏やかな人柄で培ってきた家族や友人との絆、そして音楽への鬼気迫る愛で、もう一度ピアノを弾くことに帰ってきた。

 そして今、昔とは違う形でであり、そこにいまだに悲しみはあるのかもしれないけれど、やはり確かに幸せを生きている人なのだ、逆風の中でも、死にものぐるいであたらしい幸せの領域にたどりつき、かじりつくようにしてでも、ふみとどまりつづけている人なのだ。

 そうして音を奏で、微笑んでいるのだという気がします。

 その音色に心打たれ、その生きざまに勇気をもらえる方でした。是非ご覧になってみてください。

舘野泉さんの公式HP、ウィキペディア記事は以下の通りです。
http://www.izumi-tateno.com/(公式HP)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%98%E9%87%8E%E6%B3%89(ウィキペディア)

読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum at 15:08| 番外編・おすすめテレビ番組 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月08日

羊の赤ちゃん(春の訪れ)

baby lamb.jpg

 本日はイギリスで撮った写真をご紹介させていただきます。

 以前、イギリスの春の風物詩として、花のお話を書かせていただきましたが、イギリスのもうひとつの春のたよりとして、「羊の赤ちゃんが生まれた」というニュースがあります。

 なんでも3月〜6月くらいが出産・子育てシーズンとのことで、観光地では「羊の赤ちゃん生まれました」的なお知らせ(「冷やし中華はじめました」みたいなノリで)が登場するのです。
イギリスの「ナショナルトラスト」(歴史的建築物や自然を保護するボランティア団体)の羊の赤ちゃんお知らせページURL(写真がカワイイ)
 http://www.nationaltrust.org.uk/article-1355824246872/

 私も知人のつてで、羊の赤ちゃんを見に行くことができました。

羊の母子.JPG

 本当に小さくて、青みが勝った優しい目と長い睫、小さな歯がきれいにならんだにこやかな口元とそこからフメメ……とつつましく発される声が可愛らしく、このままのサイズでいてくれたら室内で生涯共に暮らしたいとすら思うくらいでした。

羊の赤ちゃん.JPG

羊の赤ちゃん 白.jpg

 ちなみに毛は結構ゴワゴワして、でもそこから体温がつたわってきます。だっこしてみたらそうだった。ウヘヘ(変態か)。

 あとなんでかタンポポの花が好きみたいで、オーナーのおじさんがいくつもむしって豆まきのようにポイポイまいたら、「わー」みたいなノリで何頭も集まってきていました。草地にまきちらされたタンポポの黄色と子羊の図かわええ……。

 うれしいことにミルクやりも体験させていただいたのですが(哺乳瓶はなつかしのコーラの空きガラス瓶に家畜用の大きな哺乳乳首がついたもの)、例の小さくてきれいな草食動物の歯並びをときどきのぞかせながら、鼻先でゴムの乳首をにょにょにょ!と元気につついて(お母さんからお乳をもらうときに同じしぐさをする)、小さな毛糸玉のような尻尾をぴこぴこさせながら飲んでいて、そのまま記念撮影をしていただいた、そのときの私の顔ときたら、目じりや鼻の下につっかえ棒が必要なほどにとろけまくっています。

哺乳瓶.jpg

羊の母子〈授乳〉.png

 春にイギリスにいらっしゃる幸運な方は、旅先や観光地などでも、是非この赤ちゃんたちの愛らしい姿をご覧になってみてください。

 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum at 21:08| イギリスの暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月07日

「オカアサン」(佐藤春夫作の短編小説〈アンソロジー『文豪の探偵小説』より〉)

 先日、江戸川乱歩の短編「指」をご紹介させていただいたのですが、今日はそのつながりで思い出した、ある風変わりな推理小説について書かせていただきます。

 なぜかどうしても、桜の散るころになると思い出す話なのです。そんな描写はどこにもないのですが。

 『文豪の探偵小説』(山前譲編・集英社文庫)という本に収録された、佐藤春夫の「オカアサン」という、二十ページくらいの短編です。

文豪の探偵小説
この本自体、一風変わったコンセプトで、太宰治、森鴎外、谷崎純一郎、川端康成などといった有名文学者の短編小説のなかで、犯罪、あるいは推理のテイストが含まれている作品を集めていてとても面白いのですが、その中で、たぶん、あまり作品としては有名ではない、しかし個人的には、これは日本短編史史上屈指の名作なのではないか、いや、とりあえず僕的にはとても染み入る作品だ、と思うお話です。

 今回は結末までネタバレで書かせていただきますので、その点らかじめご了承ください。

(あらすじ)
 作家本人を思わせる男、「わたし」は、ある日、仙人のような風貌の男に紹介され、というより、半ば押し付けられるようにしてオウム(黄帽子インコ)を飼うことになる。

 そのオウムはもともと誰かが飼っていたのを手放したもので、既に「ロオラ」という名を持っていた。三歳くらいまではそこにいたようで、その家の家族と思われる人々の言葉を、かなり器用に真似ている。

 誰やら三十半ばくらいの夫人の声で自分の名を呼び、ときどき子供たちの声でにぎやかに喋る。

 人懐こいのに、男の「わたし」にはなかなか馴染まない。

 そんなロオラの鳴き声と様子から、「わたし」は、かつてロオラが住んでいた家庭について、つぶさに想像するようになっていく。
 
……というわけで、「探偵小説」と言っても血も泥棒も出てこない異色作です。

 しかし、ロオラの鳴き声を手掛かりに、一つの家庭の家族構成や、出来事を推理していく様子は、忘れ物のパイプひとつで、持ち主の背格好や経済状態まで言い当てた名探偵ホームズの観察と洞察の鋭さに通じるものがあります。
(これを「探偵小説」として選に入れた山前氏はセンスの良い方だなあと思います。)

 そして、推理の披露だけでは終わっていない点が、この作品の一番良いところなのですが、それは後で書かせていただくとして、まずは「わたし」が、ロオラの鳴き声やくせをもとにして、かつてロオラがいた家庭について、どんな推理をしているかを以下にご紹介します。

・「ロオラや!」というときの声音
 → 少し気取った作り声で話す三十半ばの夫人がいた。

・果物や菓子を食べつけているようで、あげると喜ぶが、最初の餌はさしだされてもすぐに落としてしまい、次の餌を受け取ってから、落とした餌を拾いに行く。また、女の子の声で「ア、ココニモアッタワヨ」と話す
 → ロオラが食べ終わるのを待たずに、われさきにと餌をあげる複数の子供がいる。そして、ロオラが落とした餌について「あ、(ロオラ、まだ食べていない餌が)ここにもあったわよ」と教えている。
 → ロオラは可愛がられていて、しかもその家は鳥にふんだんに果物や菓子をあげられる、かなり裕福な家庭だった。

・「オカアサン」と色々な声音で話す
 → その家の子供は女の子三人と男の子一人がいた。

・「ロオラや」のほかに「ロロや」と言い、「ボーヤ」という言葉も知っている。夜九時くらいになって人の足音を聞きつけると、「オカーサン、ワーワーワー」と鳴く
 →男の子「ボーヤ」はまだ「ロオラ」と発音できないくらい小さく、三、四歳くらい。そして夜、ふと眼を覚まして、寂しくなって母親を呼んで泣くことがあった(まだ学校にいっていない年頃のため、一番ロオラと一緒にいる時間が長かったようで、ロオラはこの子の声、とくにその母親を呼ぶ泣き声が一番上手く、「わたし」が思わずなぐさめてやりたくなるほどである)

・「オトウサン」とは言わない、また男の声音では話さない、可愛がって世話をしても、「わたし」が来ると逃げてしまうのに、元は鳥を飼うことを反対していた妻のほうになつく。さらにはお手伝いさんの女性が一番お気に入りのようで、彼女が来るとあれこれ話し出す。
 → 普段成人男性のいない家庭で、「ロオラや!」と呼ぶ夫人は、痩せ形の妻よりは、お手伝いさんに似た少しふっくらとした女性だった。

・家族たちのとりどりの笑い声を真似る。女の子の声で「ワタシ、オトナシクマッテイルワヨ」と言う。
 → 楽しそうに暮らしているところを見ると父親を失ったわけではない。
 → 父親は家を長く開けなければならない仕事、おそらくは外国航路の船員だった。(父親が帰ってくると、家族中が彼のもとに集まるために、放っておかれがちなロオラは男が家にいるのを喜ばない)「ロオラ」という洋風の名をつけたのは彼で、「(お父さんがお仕事の間)わたし、大人しく待っているわよ」と父親を送り出す子供たちと妻をなぐさめるために、ロオラをお土産として外国から連れてきた。

 ……こんなふうに、ロオラを可愛がることを通して、前の家庭の様子を徐々に知ることとなったわたしは、その家庭によそながら好感を覚えます。

 前にロオラがいた家は、夫の仕事柄、外国風になりそうなものなのに、子供たちに「オカアサン」と呼ばせている古風な夫人がいて、家族のためにロオラを連れてきた夫と、両親になついて、ロオラを可愛がる子供たちがいた。

 ロオラが「目には見えないが、心にははっきりわかる好き一家族を隣人にしてくれた」

「わたし」は、そんなふうに思います。

(注、以下結末部<ネタバレ>です。よろしければ実際に作品をお読みになってからご覧ください)

 しかし、前にロオラがいた家庭について、そこまで思いをめぐらせてみたあとに、「わたし」の胸にある疑問が湧いてきます。

 その家庭は、こんなに可愛い、よく言葉を覚えた、愛されていたロオラを、なぜ手放してしまったのか。

 「わたし」が、ロオラを勧めた男に聞いてみたところ、ロオラは売られたのではなく、ほかの鳥と交換される形でその家を出たのだそうです。

 それでは、金に困ったわけでも、鳥を飼うことに飽きたわけでもない。

 そこまで聞いて、「わたし」は自分のある想像に確信を得ます。

 おそらく、夫人はその後、子供を亡くしたのだ。

 そしてそれは「ボーヤ」なのだろう。

 ロオラが夜突然、「オカーサン。ワーワーワー」と、亡くした子そっくりの声で鳴く。それが、夫人には耐えられなかったのだろう。

 それしか、ロオラを手放す理由が考えられない。

 せめて夫が留守の間に、夫人が子供を亡くしてしまったのでなければいいのだけれど……。

「わたし」は、そんなふうに思います。

 ……「わたし」の家で暮らすようになって二か月、ロオラは「わたし」が飼い犬たちを呼ぶ口笛を上手に真似るようになり、「わたし」に次第になついてきました。

 ますますロオラを可愛く思う一方で、「わたし」は時折心配になります。

 もしも、愛する家族を失った、刺すような痛みがうすらいできたとき、「ボーヤ」を亡くした夫人は、ロオラに会って、生き写しの鳴き声を聞き、愛する子供の面影を追いたいと思う日が来るのではないだろうか。

 だけど、その日が来た時に、ロオラは「わたし」の家で、もう「ボーヤ」の声を忘れてしまっているのではないか。

「そのロオラは、今はわたしのところで、別のロオラになりつつあるのです。」

「わたし」は、そのように物語を結んでいます。

(私見)

 この話の最も味わい深いところは、ロオラの「聞き手の胸を突くほどに真に迫った鳴き声」と「完全な無心」の落差でしょう。

 寂しくもないのにボーヤの泣き声を真似る、夫人の心をどれだけ痛めるかを察することもなく、それを繰り返す。

 そして、新しい家で暮らしていくうちに、ボーヤの名残りを、ためらわず忘れていく。

 実際にはオウムはずいぶん賢い生き物ですから(私は犬を飼っていましたが、彼はよく家族の空気を察して、はしゃいだり、オロオロしたりしていました。本当はオウムもそのくらいのことをするのではないでしょうか。)、そう鳴けば夫人が悲しい顔をすることぐらいわかるのではないかと思うのですが、作中のロオラは自分が真似る言葉の場面や感情に添って鳴くということはありません。

 たとえば籠の中でウロウロしたあげくに天井にぶらさがって「ワタシ、オトナシクマッテイルワヨ」と優しげな声で言うので、見ていた私がその不釣り合いに笑い出してしまう場面が描かれています。

 そのため「わたし」はロオラを連れてきた男に
「(人を真似て)泣いたり、笑ったりする時には多少、そんな感情を鳥も持っていてそれを現わすかしら」
と聞かれたとき、
「さ。そういう点まではわからないが」
と、かつての持ち主たちの感情に、ロオラ自身がどこまで寄り添っているかについては推理を保留しています。

 そして、少なくとも、作品に描かれたロオラは、夫人の悲しみにも、ボーヤの泣き声の持つ大きな意味にも気づいていない様子なのは、先に書かせていただいたとおりです。

 ロオラはオカアサンを恋しがって「泣いている」のではなく、ただ動物の習性として「鳴いている」だけだから、ロオラの生活が変わるとともにその「鳴き声」が変わっていくのは、ロオラに思いやりがないわけではない、そうですらすらない。

 それは、ただただ、「自然のなりゆき」。

 しかし、幸福な家庭とそこに起きた大きな悲しみを推理し、察する「わたし」と我々読者は、人が大切な誰かを亡くしたときの、多分一生忘れることのできない悲しみと、ロオラが無心にボーヤの声を忘れていく日常の間に横たわる、だれにもどうすることもできないへだたりにせつなさをおぼえます。

 わたしたちみんなに思い当たるふしのある、自分の悲しみを置き去りにされるわびしさと、誰かを忘れさせられてしまう日常の流れの、静かにして圧倒的な力。

 この二つのへだたりの真ん中で、ロオラが
「オカアサン。ワーワーワー」
 と、ないているのです。

 今は人をはっとさせるほど、響き渡り、やがて必ず消えていくことがわかりきっている声で。(悲しみの当事者にすら、願ってすら去ってはくれないものとは別に、どうしてもつかまえられずに、おぼろげになっていってしまうものがあるのです)。

 私はこの作品を読むたびに、このロオラの、鮮やかだけれどあやうい声を確かに耳に聞き、そして、春、明るい空の下、散る桜の真ん中に立った時のような気持ちになります。

(だから今の季節風に舞う花びらを見ると、ロオラの「オカアサン。ワーワーワー」という声をときおり思い出すのです。)

 自分にはどうにもできない。今まさに、過去になろうとしている、大切なもののうすれていく姿。

 それがロオラの声の響きになって、聞こえる。

 そして、私と同じような気持ちでロオラの声に耳を傾ける、「わたし」という人も、いつのまにかすぐそばに立っているのです。

 外科医のメスのように、ロオラの声から、一つの家族の姿と、その不幸を発見した冷静な推理の果てに、見たこともないその家族をそっと心配する人の心もまた、感じられるのです。

 結びにちょっと俗なことを書いてしまえば、佐藤春夫はこの短編集では比較的名の知られていないほうの作家だと思います。

 つまり、「太宰=走れメロス・人間失格」「森鴎外=舞姫・高瀬舟」のように、学生時代に「やい、おぼえやがれ」というほどに彼の存在や代表作を無理やりたたきこまれた人はあまりいらっしゃらないでしょう。

 しかし、私にはこの短編集中、少なくとも今の境遇では、彼のこの「オカアサン」が一番良いと思います。

 森鴎外の「高瀬舟」や泉鏡花の「外科室」など、すばり作家の代表作として文学史史上に名を刻んだ作品も掲載されているのですが……。

 それはたぶん、この作品が、鴎外や鏡花の、この世の頭一つ向こうにある静かなまなざしや、超絶の美とは別次元の、「日常」と「思いやり」に根差した作品だからでしょう。

 そして、これはまあ、ますますの蛇足ですけれど、作中の「わたし」について、「こうやって誰かの状況を見えないところまで丁寧に推理してみて、その結果相手の気持ちになってみるというのが、『優しい』ということなのではないか。人間の頭というのは何だか無駄に鋭いみたいなところがあるけれど、本当はこういう風に使うべきなんじゃないかな……」ともふと思うのです。

 ともあれ、約20ページながら、なかなか珍しい味わいのある作品です。実際にお読みいただけたら幸いです。

 いずれ、この短編集の冒頭を飾り、江戸川乱歩に激賞された、谷崎潤一郎の「途上」についてもご紹介させていただきたいと思います。

 こちらは殺人のからんだまさしく推理小説、しかし、そこにトリックを超えた人間の心の闇が描かれた、「オカアサン」とは真逆の「暗く冷たい傑作」です。よろしければまたいらしてください。

 読んでくださってありがとうございました。
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2014年04月06日

23日目 (100日後、人は変われるのか、自分人体実験3)


「2014年3月14日〜2014年6月22日(日)の100日間で自分がどのくらい変われるか頑張ってみたい」と書かせていただいてから23日後の今日。(相変わらず凄い中途半端な中間記録)

同過去記事はコチラ。
 ・1日目
 ・12日目

 ようやくすこーし結果が出てきました……。

 23日前に打ち立てた目標は以下の通りです。

 1,毎日1時間運動をする(ストレッチも含めて)
 2,英語を毎日3時間勉強する(通勤中のアプリ使用等を含めて)
 3,1,2をやりつつブログも毎日更新する

 23日後の今……。

 1,運動……今まで飛び飛びだったけど、ここにきてどうにか1週間連続を達成
 2,毎日英語……隙間時間(通勤移動時間等)を含めて1時間程度。
 3,1,2をこなしつつのブログ毎日更新……2があんまできてないから相変わらず計算不可能。

 上記の結果としては「23日間で2kg体重減」です。でも、今日結構不摂生だったから戻ってるかも(ものすごいすみやかな水の泡っぷり)。あ…明日、帳尻合わせます……(汗)。

 まだなにもきいたふうなことは申し上げられないのですが、とりあえず1週間の運動継続成功について、これのおかげかなということがあったので書かせていただきます。

 @運動は朝に
 最近朝早めに起きて運動しています。家で少しDVD運動と筋トレ、それから職場の近くで、「はためには限りなく歩いているように見えるジョギング30分」そのまま仕事に行きます。
 
 この習慣をどうにか1週間続けてみてよかったことは以下の2点です。

1,血行が良くなるからでしょうか、朝起きてそのまま職場に行くよりちょっとテンション明るめになれます。
2,朝のうちになにか少しでもやりとげておくと、なんだかそれだけでも残りの一日を無駄にする率が下がる。
朝の頑張り(というほどでもないかもしれないが)を無駄にしたくない、と思うので。

「この時間の電車(バス)に乗る」と決めておいて、逆算すると成功率が高くなりました。(勿論寝坊はいくらでもありうるので、乗る時間は第三候補まで作っておく……。)

 朝は時間が限られるので、「後回し」にしようがないというのもちゃっちゃと課題を終わらせられていいみたいです。

A朝の運動は15分くらいのDVDから

 本当はダイエットなら「ストレッチ→筋トレ→有酸素運動」の順がいいのでしょうけれど……。

 朝起きて自前でストレッチなぞしようものなら、開脚(してるつもり)で床に座るとかしたら最後、そのまま寝る自信があります。ええ。

 かといって筋トレは基本キライなので、これをオープニングに設定したら布団から出もしないでしょう(なんだその他人事口調は)。

 というわけで、僕的には、ウォーミングアップとクールダウン部のついている15分くらいのエクササイズDVD(しかも動きが複雑じゃないの〈書いていて悲しくなるほどに運動が苦手で嫌いなのだと実感……〉)が一番お目覚め運動に良いみたいです。

 30分やれれば脂肪燃焼効果が高いのも知っているんですけれどね……。もっそい飽きっぽいんで起き抜けにそれをやろうとすると、やっぱり布団から出ないでしょう。いずれできるようになるかな……。

 でも、まずは自分がヤんならない長さ・動きだけやってみると、案外終わった頃にはもうちょっとだけ頑張ろうかな、と思えました。「脳のやる気はやりはじめてから出てくる」という話を聞いたことがありますが本当なんだなと実感。

 で、この「もうちょっとだけ頑張ろうかな」ゴコロが尽きないうちに(3秒で尽きる〈真顔〉)、大急ぎで筋トレをする。これもせいぜい15〜20分くらいです。とにかく、とにかく!ヤんならずに毎日やるのが大前提なので(聞いた話ですが、腹筋以外は毎日やらないほうがいいそうなので、「腹筋・背筋」+ナニカで、順繰りにやってます。)今はこれが限界です。

 で、どうにか2kg減らせたのですが、別に見た目はそんなに変わりません。きつい服は相変わらずきついしさ。(そもそも2kg多かった時期が今年ワーストだったのであまり感動は無い)

 でもすこーし体の線が変わったかなと思うときもあります。光の加減かもしれないけれど。

 あとは、すこーし姿勢が良くなった気がします。目の錯覚かもしれないけれど(どんだけアテにならないんだ)。

 なにはともあれ、自分の中の不可能を1週間は突破できた、それは事実なので(趣味特技:「二度寝」。好きな言葉「うとうと」。数学的才能が皆無のくせに、二けたまでの暗算だけは少し早いのは、毎朝欠かさず目覚ましとにらめっこして「あと○分……」とやっているからという人間には「その時間に起きなくても遅刻しないのに早起きする」という行為がとにかく大変なのです……。)、どうかして続けていきたいと思います。

 今度はもっと鮮やかなご報告ができるように頑張ります。

 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum at 22:26| 100日間 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月05日

「オーレ・エクセルとスウェーデンデザイン」

 またまた英語ともイギリスとも関係ない話なのですが、素敵な番組があったのでご紹介させていただきます。

 Foodies TV(フーディーズTV)というチャンネルがご覧になれる方限定ですが、スウェーデンの巨匠グラフィックデザイナー、オーレ・エクセル氏と、彼の精神を引き継ぐ様々なジャンルのデザイナーたちを紹介する全12回番組です。

 以下関連情報ページURLです

 ・Foodies TV内番組紹介ページ
http://www.foodiestv.jp/program/episode.php?prg_cd=FD00000407&episode_cd=0001&epg_ver_cd=06


 ・オーレ・エクセル氏のイラストをもとに作られたアニメーション「オーレ・エクセル・イン・モーション(Olle Eksell in motion)」の公式HP
 http://aoisora.me/olle_eksell_in_motion/

 巨匠グラフィックデザイナーとか書かせていただいておいてなんですが、私はこの方のこと、番組を観るまで存じ上げませんでした。

 ウチのテレビの番組表「オーレ・エクセル」としか番組名を出してくれず、観るまでフーディーズTVなんでカフェの特集かなんかかとバクゼンと思っていたくらいです。(カフェオレとエクセルシオールカフェを脳内で混ぜてた模様。早朝なんで寝ぼけていたし……)

 さらに申してしまうと、オーレ・エクセル氏ご本人のお仕事についてまだよく存じません……。第一話目のほんとに最後から観だしたので……。

 ですが、早朝(6時台)に半目どころか2割目くらいになっていた私が、彼の絵の色彩感覚やデフォルメのあまりの可愛らしさと洗練に目をカッとみひらいてリモコンお手玉するように慌てて録画したのは事実です。

 いかにも手書きの温かみを生かしたシンプルな線と大胆な色づかい、動物や人のユーモラスな表情。

 比較は良くないかもしれませんが、スヌーピーやムーミンのデフォルメや線の味、絵本「はらぺこあおむし」の色彩感覚、レイモン・ペイネ(フランスのイラストレーター。恋人たちを描いた作品で名高い)の大人可愛いユーモア、パウル・クレーの天使の絵などが好きな方なら、あのセンスに一瞬にして心臓を撃ち抜かれると思います。

 そして、とくにあのシンプルと遊びと色使いは、今ご紹介したクリエイターともまた違う、あざやかな個性です。

 番組いわく、オーレ・エクセル氏は「グッドデザインとは単に美しいだけでなく経済効果を生み出すものだ」と言っていたそうです。 

 「お金が儲かる」というよりは、そのデザインが流通することで便利になる、暮らしやすくなる、という意味合いのようです。

 その言葉どおり、スウェーデンでは、生活に溶け込み、日常を潤し、そして環境に優しいデザインが暮らしのあらゆる場所に行きわたっています。

 私は日本の文化のこともとても誇りに思って居ますが、とくに「日常生活を彩るデザイン」という点ではスウェーデンって本当に凄いんだなと度肝をぬかれました。
 壁紙……生地……食器……家具……階段……建物……というか歩道まで!
 
 おそらくはそうした毎日美しいものを見ることによって育まれるセンスと、豊かな自然、偉大な先人の残した仕事からのインスピレーションゆえに、スウェーデンではスーパーの壁のイラストからオフィスのインテリア、牛乳のパッケージに至るまで、心ときめくほどの魅力があります。特に色がいいなあ……。

 まだいくつかしか観ていないのですが、印象的だった場面を少し紹介させていただきます。

 @テキスタイルデザイナーのサラ・バーナーさん(ユニクロのTシャツデザインもてがけた方)は、動物や植物をモチーフにした作品を手掛けていらっしゃいますが、デザインの参考として日本の水墨画の画集や、着物の図案集をしげしげと眺めて、こんな美しいものを創りたい、とおっしゃっていました。
 
確かに日本の明治〜昭和初期にかけての色彩感覚とデザインはこれまた凄まじいものがあります。色鮮やかで繊細で大胆。(あの着物の美はスウェーデンの日常美と比べると「よそいき・晴れ着」の美しさですが)

イギリスのミュージアムショップで、彼女がめくっているような着物の柄の写真集をよく目にしました。外国の人からみてもとても魅力的なのでしょう。

 そんなわけでサラさんの作品は独創的な線や構図ながら、日本人が親近感を覚えるものとなっていました。


 A陶芸家のリサ・ラーソンさん(まるみをおびた優しい味わいの動物や子供の陶器作品をお作りになっている方)のお言葉。

「良いデザインとは、美しさ、高い技術、良い機能の3つね。でも私は私の作品を好きな人によく言うんです。『私の作品には何の機能も無いわよ』と。すると『人々を幸せにする機能を持っているよ』と言われました。そう思ってもらえるなら本当に幸せです」
 
 素敵な言葉だと思います。

 使いやすさを追求した時にいつのまにかそぎ落とされるようにして生まれ出る美しさもありますが、それとは別に、たとえば家の中で、それが飾られているのを見たときにほっとできるという美。

 それもまた暮らしていく上で大切な役割を果たしてくれているのでしょう。

 そして、そういう機能から何かをもらえる感覚を日々忘れなければ、人生は少し生きやすくなる気もします。

 このようにデザイナーさんたちの作品や制作風景も大変魅力的なのですが、番組の最後に登場する「エクセル・イン・モーション」も必見です。

 私はこれで、第一話「Bird Pencil Love」(籠の鳥の歌を愛し、さまざまなものを描いてあげる鉛筆〈鳥みたいに芯がくちばしっぽくて細い足がついている。〉の愛の物語)を観て、6時台からアワアワ録画しました。

 オーレ・エクセルのカワイイキャラクターに、ときにせつなく温かい、ときに結構シニカルなストーリーをつけ、ジャズで粋に味付けしたとても素敵なアニメーションです。

 見た中でおススメは第1話の「Bird Pencil Love」(ラストの一瞬しか観てないけどひとめぼれ)、第5話の「If I had a cat」(窓辺で「僕が猫を飼っていたら……」とその楽しい日々を夢想する青年のお話。手品を見せてあげてもしらんぷりの猫だけれど、青年が花を片手にテーブルに突っ伏して泣いている〈フラれた模様〉と、猫がテーブルに座って、目を閉じたまま「み」とその顔に手を置いて、さりげなくなぐさめている)第10話「The Strange Mating Rituals of Undiscovered Bird」(架空の風変わりな鳥たちの物語。雌とつがいになるために、さまざまなアピールをする雄たちの奮闘を描いている。たとえば「泣き虫」をアピールする鳥。いじわるそうな顔をした雌〈地顔〉に選ばれ、げし、でげし!と蹴られるとぽろぽろ涙を流し、巣の中の雛たち〈小さくてカワイイが既に女の子はそれなりに目つきが厳しい〉が口をパパパ……と開けてそれを飲む。雨が少ないのでこれが大切な水分になる。文字通り涙ぐましい男の苦労……。)です。

 30分とても楽しめる番組でした。よろしければご覧になってみてください。

 読んでくださってありがとうございました。
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2014年04月04日

(お詫びと訂正)「ハイビジョン特集 左手のピアニスト 舘野 泉 再びつかんだ音楽」について

 本日午前9時BSプレミアムで放送された「ハイビジョン特集 左手のピアニスト 舘野 泉 再びつかんだ音楽」について、4月2日にアップした記事でご紹介、内容について、「舘野さんが音楽家セヴラックの故郷を訪問する話だった気がする」と書かせていただいたのですが、これは別の番組だった模様です。

 調べたところTBSでも「奇跡のピアニスト」というタイトルで舘野さんのドキュメンタリーが放送されていたそうなので、こちらだったのかもしれません。

 今回のBSプレミアムの番組についても、しっかり観させていただいてから感想を書かせていただきます。
 舘野さんのコンサートの模様がかなり長く観られるようですし、私の好きな、小泉八雲にちなんだ曲を舘野さんが弾かれているようなので、こちらも素敵な番組のようで楽しみです。

 しかし、言及させていただいた「舘野さんとセヴラックの番組」について、いずれきちんと確認して、また番組名や内容をご報告させていたします。大変失礼いたしました。
posted by Palum at 19:46| 番外編・おすすめテレビ番組 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月03日

「指もかい。指も元の通り動くかい」(「指」江戸川乱歩作の短編小説)

 明日(2014年4月4日午前9時)BSプレミアムで「ハイビジョン特集 左手のピアニスト 舘野 泉 再びつかんだ音楽」が放映されます。(110分、再放送は4月14日(月)午後2時30分)
番組公式情報ページ
http://www.nhk.or.jp/archives/premium/next/#friday

 ご病気で今は左手のみの演奏で活躍なさっているピアニスト舘野泉さんを紹介した番組です。(当ブログの番組ご紹介記事はコチラ

 舘野さんの音楽も、訪れたフランスのひまわり畑も、苦悩を乗り越えたたたずまいも全て美しい名番組でした。

 本日は、この話を観て思い出した江戸川乱歩の短編「指」についてあらすじをご紹介させていただきます。

 「指」収録の『蜘蛛男・指・盲獣』(江戸川乱歩全集・沖積舎)※私は角川ホラー文庫『夢遊病者の死』で読みました。

江戸川乱歩全集 3 復刻

 「指」はごくごく短い短編で、1960年発表。

 少年向け小説以外では、乱歩最後の発表作品でした。

以下結末までのあらすじです。(※ネタバレ)

 医師である「私」の元へ、親友のピアニストの「彼」が、気を失った状態で運び込まれてくる。

 「彼」は何者か(彼の名声をねたむ同業者かもしれない)に夜道で襲われ、右手首を切断されていた。

 しかし、失神し、手術の麻酔から覚めたばかりの「彼」はそのことを知る由もなかった。

彼を安心させるため、腕を怪我しているがたいしたことはない、という「私」に彼は尋ねた。

「指もかい。指も元の通り動くかい」

そして、自分が作曲した曲を練習するために、指を動かしてみたい、と「私」に言う。

 彼に、もう右手は無いことを今告げるのが忍びなかった「私」は、とっさに脈をとるふりをして「彼」の腕の尺骨神経をおさえた。そうすると、指先の感覚があるように錯覚するのだ。

 「彼」の毛布から出ている左手が、気持ちよさそうに動いた。

 「ああ、右の指は大丈夫だね。よく動くよ」

 「彼」のその言葉に、見るに堪えない思いがした「私」は病室を離れた。

 付き添いの看護婦に、彼の尺骨神経を引き続き押さえておくようにそっと合図をして。

 手術室の前を通りかかった「私」は、そこに佇む看護婦に気づいた。
 
 その大きく見開かれた目は手術室の中の棚を凝視し、顔からは血の気が失せている。

 思わず手術室に入って、彼女の視線の先にあるものを確かめようとした「私」も凍り付いた。

 棚の上にあったのは、ガラス瓶の中の、アルコール漬けになった、「彼」の手。

 それが動いていた。(以下引用)

アルコールの中で、彼の手首が、いや、彼の五本の指が、白い蟹の脚のように動いていた。
ピアノのキイを叩く調子で、しかし、実際の動きよりもずっと小さく、幼児のように、たよりなげに、しきりと動いていた。


(完)

 以上が「指」のあらすじです。

 今回調べてみたら、ネット上では後味の悪い話として認識されている方も多いようでしたが、私は、これが乱歩のほぼ最後の作品だとしたら、実に見事な幕引きだと思っていました。

 真夜中の手術室で、アルコール漬けになった手がたよりなげに動いている。

 それだけでしたら確かに恐怖ですが、しかし、この話からは、自分の体を離れてもなお、その手と音楽を奏でたいという切望でつながっている、芸術家の狂おしいまでの執念が描かれています。

 この光景から受ける印象は、恐怖よりもむしろ、鬼気。

 恐ろしいような光景を描きながら、それによって芸術家の人知を超えた鬼気を表現しているこの作品には、残酷さや猟奇と紙一重の複雑な美と、胸に訴えかけてくる感動があるような気がします。

 この作品は鬼気が起こした異様な現象を描いていますが、人の激しい執念は、芸術への鬼気は、そうした形ではなく、本当に、人の想像を超えた現象を創りだすことがある。

 たとえば片手の自由を失っても、絶望から立ち上がり、その音色で人を涙させるピアノを弾くという形で……。

 舘野さんと、舘野さんより以前に、なんらかの不幸に見舞われ大切な手が動かなくなったピアニストたちの、それでも奏で続けた音楽を知った時、この乱歩の短編を読んで、恐怖の奥に感動を覚えた理由がわかった気がしました。

 とても短い、すぐれた作品なので、よろしければご覧になってみてください。

 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum at 23:48| 番外編 おすすめ映画・漫画・本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月02日

(ご紹介編)「左手のピアニスト」舘野 泉さんについて

 BSプレミアムがご覧になれる方限定ですが、とても美しい番組が再放送されるのでご紹介させていただきます。

 明後日(2014年4月4日午前9時)BSプレミアムで「ハイビジョン特集 左手のピアニスト 舘野 泉 再びつかんだ音楽」が放映されます。(110分、再放送は4月14日(月)午後2時30分)
 NHKの番組公式情報URLは以下のとおりです。
http://www.nhk.or.jp/archives/premium/next/index.html#friday

 当ブログ番組内容ご紹介記事はコチラです。

 舘野泉さんはフィンランド在住のピアニスト。

 2002年、リサイタル中に脳溢血で倒れた舘野さんは、後遺症で右手が動かなくなってしまいました。

 失意に沈みながらも、やがて、左手だけで弾ける曲を探し、ゆるやかながら、美しく奥深く音の重なり合う演奏で見事復帰を果たしました。

 ごく最近、大河ドラマ「平清盛」のテーマソングを演奏なさっておいでです。

 今回放送されるものとは違いますが、舘野さんの敬愛する南仏の作曲家セヴラックの故郷のひまわり畑を訪れるという番組を見た記憶があります。

(舘野さん演奏の「ひまわりの海 セヴラック:ピアノ作品集」CDのジャケット〈このCD自体は2001年のものなので、ご病気になる前の演奏です。〉)


ひまわりの海〜セヴラック:ピアノ作品集

 音楽も、風景も、左手しか動かなくなってもなおピアノを奏でようとする舘野さんや、それまで病や戦争で右手の自由を失った人々の音楽への愛も、再起を果たした舘野さんの、絶望を乗りこえた穏やかなたたずまいや語りも、全て、音の波紋の心臓まで優しく奥深く染み入るような感動を与えてくれました。

 漠然とで申し訳ないのですが、そちらの番組の中で、確か舘野さんがこんなことをおっしゃっていた記憶があります。

 右手が動かなくなって、もうだめだと思っていたのに、左手だけでピアノを弾くようになってから、思いもかけない世界が広がっていた。空でも飛んでいけそうな……。

 以下私事になりますが、この番組をみたとき、私は人生で屈指のダメダメ状態で、落ち込んでいるわ、そのわりに解決への努力もできないわ、なんだか色々なものが色あせてしまってつらく、冗談抜きで「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない(※)」とは、あれは誰の言葉だっただろうと何度も思い出しているような状態でした。

(※鮎川信夫の詩「死んだ男」の一節。しかし、もっと徹底的な突き刺さるような悲しみを描いた詩なので、平和な時代に生き、見回せば這い上がれる足がかりはいくらもあったのに、代わりによくゴロゴロしていた当時の僕に口ずさまれても作者としては嬉しくないかもしれない。)

 どんだけ荒んでたって、映画「リトル・ダンサー」を観て「わりと良い話」程度にしか思えなかったのです。あれのラストで心揺さぶられない私は私ではない。

 ともあれ、そんなどんよりしていた私の心にすら、舘野さんの音楽とその「空でも飛んで行けそうな」という静かな言葉は響き、今でも余韻のように漠然とですが、その美を覚えています。

 そして、涙のようにほのかに温かい音、聴く人を慰め抱きしめるような曲の中に秘められた、苦難に見舞われようとも音楽を掴んで手放さなかった芸術家の激しく壮絶な執念も。

 本当に素敵な方なので、よろしければご覧になってみてください。

 舘野泉さんの公式HP、ウィキペディア記事は以下の通りです。
http://www.izumi-tateno.com/(公式HP)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%98%E9%87%8E%E6%B3%89(ウィキペディア)

4日放送後に、再放送に向けてまた内容を詳しくご紹介させていただきたいと思います。また、この話を彷彿とさせる江戸川乱歩の秀作短編「指」についても近々書かせていただきますので、ご覧いただけると嬉しいです。

 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum at 22:52| 番外編・おすすめテレビ番組 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月01日

牛止め(ケンブリッジの広場の一風景)

 エイプリルフールなんで、私がイギリスで見た、嘘かと思った本当の話をひとつ。

 場所は、ケンブリッジの北東、ケム川のほとり。

 ミッドサマーコモン(Midsummer common)という広場でした。

 ここはかのケンブリッジ大学の一部ウルフソン・カレッジ(Wolfson colledge)ボート部の練習場になっていたりして、穏やかな水路添いに広がる草地を人々が自転車や散歩で行きかい、たまにはお祭りの開催地になったりするおっとりとした場所です。

 ある日その近くを歩いていた私は、赤土の山がいくつも盛り上がっているのを遠目に見ました。

 なんだろう、と思っているうちに、赤土の一つがきわめてゆっくりと動きました。

 赤土と思ったのは、牛数頭。

 みんな、のんびりと寝そべり、たまに尻尾をフラフラさせながら、いわゆる「食べたあと横になって牛になってる」状態でした。

 そして、その牛たちのくつろぎの場から1mも離れていない舗装された歩道を、自転車も人もツーッと普通に通過していました。

広場の牛.jpg

 近い……。
牛 拡大図.png

 ケンブリッジは緑豊かですが、基本的に「都市」です。

 都市の広場に突如牛が何頭もたむろしているのも、その近くを人がスタスタ歩いているのも日本人には相当シュールな光景でした。

 びっくりして近づいた私は、広場への入り口に「道路の排水口みたいだけど、目が粗すぎるだろコレ(大人でも足つっこめてしまうくらい幅開いている)」な、四角い穴が開き、いくつも円筒形の金属の棒が渡してあるのに気づきました。

牛止め.JPG

「そうね、いることあるわね」

 広場に牛がいたんですけど……という私の報告に、ホストマザーはジャガイモの皮をむきながら極めて普通にそう言いました。日本人が「公園に猫がいたんですけど……」と聞かされたときくらいのテンションで。

「???(汗)あれ、どこから来たんですか」
「離れた農場から、朝のうちにトラックに乗って来るんじゃないかしら」
 で、夕方になると連れて帰られる模様。

「逃げないんですか?」
「入口のところに牛が通れないようにしかけがあったでしょう。そう、それ」
 私が例の謎の「間が開きすぎている排水口らしきもの」のデジカメ写真をお見せしたら、マザーがうなずきました。
 
 牛はこの隙間に足をとられるのを嫌がって出られないというしくみ。(すぐそばには人用の細い押し戸つき出入口がある。〈画像右部〉)

「柵とか無いんですか?すぐそばをみんな歩いていたんですが……」
「あの牛はすごくおとなしいのよ」

 刑事コロンボで「闘牛士の栄光」という、闘牛をけしかけて人を殺す話を見たり、すごくうろおぼえなのですが、ヘミングウェイの小説で、食堂で働いている男たちが、椅子の足に包丁2本をくくりつけて「闘牛ってのはこれがつっこんでくるようなものなんだぞ」と言っているくだりを読んだ私には、「牛って怖い」と思っていたのですが、考えてみれば犬も軍用犬からベビーシッターをつとめるものまでいるのですから、品種とか育ちで随分性質が違うものなのかもしれません。
 (でも蹴ったら駄目だよとホストファーザーに真顔で言われました。そういう話があったらしい……。)

 この牛は「Red Poll bullocks」という種類だそうで、「ミッドサマーコモン」のウィキペディア記事にちゃんと写真つきでその存在が説明されていました。
 ウィキペディア記事URLはコチラ
 http://en.wikipedia.org/wiki/Midsummer_Common

 それにしても、あの牛も牛止めも、なんかあったら危ないのではと思うのですが、「たぶん大丈夫。よそみしていて牛止めに足つっこんだり、牛に悪さして怪我したらそれは自己責任」というコンセプトの模様です。日本ならクレームの嵐だろうなあ……。

 都市の広場にいきなり牛がいたことも、人と牛の間に柵が無いどころか、人が怪我しそうなしかけまで作ってウシ仕様にしている発想も、なんだかすごく意外で脳裏に焼付きました。

 余談ですが、実は私、別の町でこの牛止めにまんまとはまったことがあります。(別にへりを歩けばよかろう〈ちょうどそのとき人用通路のほうがちょっと混んでた〉と思ってたけど、足を滑らせた。)カルシウム不足なら骨折していたかもしれません。それでも不精した僕の自己責任なのです。
(ていうか、牛が躊躇して引き返すものの上を歩こうとして静かに滑ってスネを打ったことを思い出すとなんだか物悲しい……〈見られなかったのが不幸中の幸い〉)

 イギリスの緑の多い場所に行ったら、くれぐれもこの牛止めにはお気をつけください。普通に町の広場だと思っても(そこでくつろぐ人がいても、舗装通路をスタイリッシュな自転車にヘルメットの人が通過しても)、そこに牛がいるかもしれないのです……。

 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum at 21:17| イギリスの暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする