2014年02月28日

(ご紹介編)映画「セントオブウーマン 夢の香り(Scent of a woman)」(アル・パチーノ主演)

 もうじきアカデミー賞授賞式。(現地時間2014年3月2日)

 今回はレオナルド・ディカプリオが悲願の主演男優賞を受賞するかどうかが話題になっていますね。

 かつて、名優アル・パチーノも同じように繰り返しアカデミー賞にノミネートされながら、受賞を逃し、最初のノミネートから実に20年後に悲願の受賞を果たしました。

 賞賛を浴び、報われるにふさわしいとても素晴らしい作品、素晴らしい演技で。

「セント・オブ・ウーマン 夢の香り(Scent of a woman)」


セント・オブ・ウーマン/夢の香り(Blu−ray Disc)

 名門高校の苦学生チャーリー(クリス・オドネル)がひょんなことから盲目の軍人フランク(アル・パチーノ)のニューヨークへの旅に付き添うことになり、彼の強烈なキャラクターに振り回されながらも、旅の中で次第に互いに心を通わせていく姿を描いたロードムービーです。

 様々な人が生きるニューヨークの魅力、真面目なあまり、損な役回りを背負わされてしまうチャーリーの、誠実で透明感あるたたずまい(本当にとてもきれいな若者です。びけえとかそういうのさておいて、いかにも聡明で性格が良い感じ。最近こういうキャラクターが出る作品があんまりなくて残念)。フランクの、言動に強烈なクセがありながら、気骨とぬくもりを秘めた人間性。人生のやるせなさと輝きの両方を描いたストーリー、胸騒がされる美しい音楽……。

「良質」というのはこういう作品のことを言うのでしょう。

このブログでちょいちょい「80年代後半〜90年代こそアメリカ映像作品の黄金期」と書かせていただいていますが、これこそがその好例です。せつないけれど温かくて人間に魅力がある。

(そのほかの例として「マイ・ルーム(そういえばこの作品で若き日のディカプリオが実に素晴らしい演技を披露しています)」「レオン」「白い犬とワルツを」をそれぞれご紹介させていただいているので、よろしければ併せてお読みください。)

上記の通りさまざまな良さを持つ作品ですが、とりあえず、アル・パチーノの眼球を動かさない迫真の演技と、彼が美しいガブリエル・アンウォーと踊るタンゴシーンだけでも一見の価値があります。
 もーこれがホントいい……。
 僕的映画鑑賞史上最も美しいシーンです。大人の魅力に満ち溢れ、映像からかぐわしさすら漂う。

 この週末に是非まずはレンタルででもご覧になってみてください。決して損はなさならないはずです。

  当ブログ内のこの作品に関する過去記事一覧はコチラです。

1,ご紹介編
2,名場面編1
3,台詞編1
※以下ネタバレ
4,名場面編2
5,台詞編2
6,名場面編3
7,台詞編3
名場面編4
台詞編4

 
 よろしければまた見にいらしてください。
 
 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum at 23:01| おすすめ映画(英米) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月27日

(ネタバレ・台詞編)『パーセプション』「神からの声」より

 先日AXNミステリーの推理ドラマ「パーセプション」についてご紹介しました。

 神経科学の権威ダニエル・ピアーズ教授と元教え子でFBI捜査官のケイトが、人間の脳の仕組みという見地から真相を探っていくという異色作です。
(番組の公式HPはコチラ。)
 (当ブログ過去の「パーセプション」ご紹介記事はコチラです。)

 ダニエル教授自身も統合失調症を患っており、現実と幻覚の区別がつかないという症状に悩まされたり、その他、自分の精神世界をうまくコントロールできないで苦しむ人が登場したりと、重いテーマを扱っている部分もありますが、その世界観は基本的に前向きで、人間の多様性について公平に描いており、登場人物たちの率直でときにユーモラスな台詞が魅力です。

 今日はその中でも個人的にラストシーンの味わいが好きな「神からの声」について、あらすじと一部台詞をご紹介させていただきます。

(以下、結末部まで相当ネタバレです。大丈夫な方だけお読みください)

 元麻薬中毒者だった青年ジャレットが何者かに殺害され、捜査にのりだすダニエルとケイト。

 殺害される数か月前、ジャレットは宗教団体「ヘイヴンハウス」で共同生活を送るようになり、自分の財産をそこに寄付していました。

 無神論者のダニエルは、この団体を詐欺師集団と決めつけていましたが、団体の中心人物カイルを気にかけるようになります。
 

 カイルはまだ少年で、神の声が聞こえるというカイルの話を聞きに多くの人が集まり、「ヘイブンハウス」は彼らの寄付金を元に募金や慈善事業を行っていました。

 ダニエルに出会ったカイルは、彼が神を信じていないことを見抜き、こんなやりとりを彼と交わします。

(以下、例によって誤りがあるかもしれませんがご了承ください〈また訳部は私的直訳です。字幕はもっとスマートな台詞になっています。〉)

(カイル、傍にあったラズベリーを手にとってダニエルに見せながら)
How could anybody work at something so perfect, and beautiful and delicious and think that it got that way by accident?
こんな完全な、美しい、おいしいものが偶然にできあがったと本当に思う?

(ダニエル)
There is a scientific answer to that Kyle.
カイル、それには科学的な答えがある。
Earlier versions of the raspberry weren’t so beautiful and deliciaous, so they couldn’t attract enough birds to spread their seeds around.
初期のラズベリーはそんなに美しくも美味しくも無かったから種を広げてもらえるほど鳥を惹き寄せられなかった。

(カイル)
I know how evolution was. I love Darwin. He was the first person in history to look behind the curtain and see how god actually makes it all work.
進化論は知っている。ダーウィンなら好きです。彼はカーテンの背後を覗き、神がすべてのことを実際にはどうなしとげるのかを見た歴史上最初の人物でした。

 この会話の後、カイル本人は賢く善良な少年だとダニエルも認めるようになりますが、一方でカイルの「頭の中に声が聞こえる」ときの状況を詳しく聞きだして、それが脳腫瘍による症状であると確信します。

 ダニエルはカイルに手術を受けなければ危険だと忠告しますが、カイルは「これが神の声を聞くために与えられた病気ならば治さない」と拒絶します。

 カイルの両親は彼に検査を受けさせるべきか迷っていましたが、ある日カイルが階段から落ち、頭に大けがをして病院に運ばれます。

 最初は症状が出て気絶したための事故だと思われましたが、ジャレット殺害事件の捜査を進めていたダニエルは、カイルが事件の真相に気づき、口封じのために襲われたのではと考えます。

ケイトは捜査に戻りますが、ダニエルは内部に犯人がいるならカイルの身が危険だと病院に残ることにします。

カイルは怪我の治療と共に、やはり発見された腫瘍を手術で除去されますが、合併症から、危険な状態に陥ります。

これより少し前から、ダニエルの幻覚として、神の声を聞いたとされる聖女ジャンヌ・ダルクが、ダニエルの前に姿を現していましたが、病院でダニエルの隣に座った彼女に、ダニエルは吐き捨てるように言います。
「神に伝言してくれよ。神はクソ野郎だってな」

 カイルみたいな善良な子が重病を負わされ、殺人犯は野放し、カイルの母親は泣いている。人間の所業は神にとって娯楽なのか、と。

 しかしこの後、犯人は逮捕され、カイルは奇跡的に命をとりとめます。

再びあらわれたジャンヌ・ダルクに
「伝言もたまには有効ね」
といたずらっぽく言われたダニエルは
「存在しない神に頼らずに人間は回復できる」
と答えます。
「存在しないならなぜ伝言を?」
「僕は変人でね」
そう言ったダニエルは、カイルの病室へ向かいます。

事件のあったヘイブンハウスは閉鎖し、代わりに学校を建てる、というカイルの一家。

ダニエルにまだ神の声は聞こえるかと尋ねられたカイルは確信に満ちた笑みを浮かべてこう答えます。
「以前のような声は聞こえないけれど、神の意思はわかる。望む者ならだれにでも」

 その言葉を聞いたダニエルは、自分の研究が受賞して獲得した賞金をカイルに全額寄付する小切手を渡し、「これで学校に本を買うといい」と言います。

 その金額に驚くカイル。以下二人のやりとりです。

(カイル)
Does this mean you believe in god now?
今は神を信じているっていうこと?

(ダニエル)
Absolutely not, but I believe in you.
ぜんぜん違う。でも僕は君を信じている。

(カイル)
I got something for you too.
ぼくからも先生にあげるものが。
(カイル、テーブルの上のフルーツからラズベリーを手に取ってダニエルに渡す。)

(カイルの母)
Kyle, what kind of present is that?
カイル、なんてプレゼントなの。

(カイル)
I think Dr. Piers will appreciate it.
ピアーズ先生(ダニエル)は喜んでくれると思う。

 ダニエルは何も言わずにラズベリーを手に病室を去り、外に出ると、ラズベリーをじっと見つめた後、少し笑ってそれを口に入れました。
(END)

 推理ドラマにしては珍しいほどに、登場人物が正直に思うところを語っていて、それでいて相手の思いを尊重してもいる。そして、ときにこの回のようにラストシーンがさわやかですらある作品です(これ以外だと最終回もそういう感じです)。

「パーセプション」よろしければご覧になってみてください。(2014年2月28日,3月3日にそれぞれ朝6時からのこりの回が放映されます。)

 読んでくださってありがとうございました
posted by Palum at 23:46| 日本の海外テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月26日

(ご紹介編)映画「グロリア」(「レオン」に影響を与えた作品)


グロリア

ここ数日映画「レオン」についてご紹介させていただいたので、補足として、「レオン」の原型と言われる映画「グロリア」を簡単にですがご紹介させていただきます。

当ブログ「レオン」ご紹介記事はコチラです。
ご紹介編
「(ネタバレ編@)『キッチンのブタ』」
「(ネタバレ編A)『観葉植物』」。
「(ネタバレ編B)出口へ向かうレオン
※書いといてなんですが、AとBはまだご覧になっていない場合は絶対にお読みにならないでください。

「グロリア」は、ギャングの情婦だった女グロリアが、同じギャング組織を裏切り、命を狙われることとなった会計士の一家から、襲撃の直前に6歳の息子フィルを託されたことからはじまる、都会の孤独な逃避行を描いた作品です。

フィルが父親からギャングの秘密を記した手帳を渡されていたために、二人はギャングから執拗に追われ、最初はとうていかばいきれないと、フィルから離れようとしていたグロリアでしたが、フィルは生意気な口をききながらも、彼女に追いすがり、結局一緒に逃げているうちに、二人の間に絆が生まれ育っていきます。

 確かにレオンとの共通点の多い作品ですが、キャラクターはむしろ表裏のように入れ替えてあります。(そしてそれぞれに魅力的です。)

 レオンは殺しのプロですが、反面少年のような性格を秘めています。

 レオンが守る少女マチルダは12歳。両親と不仲で、大人に心を許していません。また、弟を殺した組織の人間を復讐のために殺すつもりでいます。
 そして、レオンとのやりとりで、ときにレオンより一枚上手だったり、大人びた顔をのぞかせたりします。

 一方グロリアは組織と関わりをもっているものの、あくまで素人。しかし、いかにも長年人生の荒波にもまれた風情で、胆が据わってしたたかです。

 グロリアが守る少年フィルは6歳。家族とは愛し合っていて、襲撃の前に、子供を守ろうとした両親が、グロリアに彼をかくまってくれるように頼むことで生き延びます。反抗したり「僕は男だ」と強がるところもありますが、マチルダの尖った印象はまだ彼にはありません。
 ただ、マチルダのレオンに対する気持ち同様に、フィルもグロリアに恋に近い強い思いを抱くようになります。

 たしかにグロリアはホントいい女です……。

 若くもないし、すごく美人というわけでもないですが、ハイヒールにひらひらしたスーツで、誰も助けてはくれない都会の無関心の中、フィルをひきよせ、肩にかけた小さなバッグから出した、手のひらにおさまるくらいの華奢な銃を構えて、瞳と声だけは男まさりの強さで、追っ手を挑発し、威嚇してフィルを守る姿がカッコ美しい。
(余談ですが、彼女のファッションは着物っぽいガウンに至るまでウンガロ。ケビンコスナー主演の「アンタッチャブル」のアルマーニと並んで、衣装の魅力が映画に超貢献してます。)


アンタッチャブル

※グロリアのウンガロ衣装についての『ELLE』の記事はコチラ

 さきほども書きましたが、長身でたくましく、黒いコート姿・トランクに大量の武器を納め、常に戦闘態勢といったいでたちのレオンが、サングラスをとり、素で喋るとまだ少年のようなところがあると真逆の魅力です。

 ちなみにこの映画の監督はジョン・カサヴェデス。グロリアを演じたジーナ・ローランズの夫です。

 これだけの魅力のある作品から多くの土台を借りて、きちんと別の魅力のある作品に仕上げたという意味でも、「レオン」も凄いと改めて思います。

 またいずれ、機会がありましたら、「グロリア」の名場面も少しご紹介させていただきたいと思います。

 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum at 23:29| おすすめ映画(英米) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月25日

(ネタバレ編B)映画「レオン」名場面「出口に向かうレオン」

本日は映画「レオン」のある名場面と感想を少し書かせていただきます。

当ブログ同映画ご紹介記事は以下の通りです。
ご紹介編
「(ネタバレ編@)『キッチンのブタ』」
「(ネタバレ編A)『観葉植物』」。



(今回の記事は、一番大切な場面のネタバレなんで、観ていない方は読まないでください。一度観た方が思い出す〈そしてできればもう一度観たくなっていただく〉用の文です。)

 家族を麻薬密売組織に殺された少女マチルダが、同じアパートに住む殺し屋レオンのもとに逃げ込んできたことからはじまる、奇妙な同居生活と二人の心の交流を描いた作品です。 

 マチルダは自分の大切な弟を殺したスタンスフィールドが皮肉にも表向き麻薬取締局捜査官であることを突き止め、かたきを討とうと単身彼のもとに乗り込んでいきます。

 しかし、逆に捕まってしまい、仲間(同じく密売組織に関わっている)の監視のもと、部屋に閉じ込められてしまいます。

 レオンはマチルダの置手紙で彼女の決意に気づいて、見張りの人間たちを倒して彼女を取り戻します。

 二人はその場を逃げ切ることに成功しますが、やがてスタンスフィールドがレオンたちの居場所を突き止めると、特殊部隊を率いて襲撃してきます。

 激しい銃撃の末、マチルダを換気口から逃がしたレオンは、重火器の攻撃に深手を追いますが、特殊部隊のマスクをつけ、負傷者のふりをして部屋から出てきます。

 部隊の人間たちは彼こそがレオンであると気づかず、傷の具合を確かめていましたが、このとき、物陰にいたスタンスフィールドがレオンを見つけてしまいます。

 部隊の人間たちの間をすり抜け、一人、よろけながらも階段を降りていくレオン。

 ささやかな優しいピアノの音が、レオンをいざなうように重なります。

 血しぶきがつき、くもったマスクの視界から、出口への道を見つけ歩いていくレオン。

 マスクをとった彼の目に、通路の向こうの光さす外の世界が写ります。
 

 あと少し。
 

 ここから出れば、マチルダと落ち合う約束をした場所へ行ける。
 

 マチルダと一緒に町を出て、どこか違う場所で幸せに生きていく。

 大地に根を張り、夜は穏やかに眠る日々を。


 傷つき、水の中を進むようにゆっくりと歩いていくレオンの、光を見つめる、大きく見開いた瞳。

 その背後にスタンスフィールド。

 銃口をきっちりとレオンの命に向け。

 レオンの視界が一瞬点滅し、目前だった外の景色が、ピアノのこぼれおちるような音と共にゆっくりと傾いて、冷たい床へと変わっていきます。

「スタンスフィールド?」
自分の血に染まった床に倒れるレオン。

 スタンスフィールドは笑みを浮かべて、「御用は?」と尋ねます。

 レオンは血に染まった手でスタンスフィールドの手を掴むと、何かを握らせ、かすれた声で言います。
「マチルダからの贈り物だ」

 スタンスフィールドが手を開くと、金属のリング。
 
 手りゅう弾のピン。
 
 レオンの懐にいくつも隠し持たれていた。

「クソ」
ひきつった顔で呟くスタンスフィールド。

 激しい爆音とともに、出口から炎が雪崩れるように噴き出します。

 レオンが、あと一歩のところで出ることのできなかった外の世界へと。


 ……あの、外へ出て行こうとするレオンにピアノの音楽が重なり合う場面、レオンの外の光に照らされたまなざしと歩み。そして、彼の死。

 何度観たかわからないほどに繰り返し観ましたが、この場面で必ず胸が熱くなります。

 かつて知人が、この話は悲しいからあまり観たくない、と言っていたとき、私は確かにレオンが死んでしまうのだから、これは悲しい場面なのだけれど、だけど私は何度も何度も観ているしこれからも観るつもりだ、それはなぜだろうと不思議に思いました。

 そのうち気づきました。人にとって悲しみは2種類ある。

 一つは望まないのに病気や死などの不運に見舞われること。

 そしてもう一つは、自分の生きたい人生を、自ら選び損ねること。

 マチルダと生きていきたいと思いながら、死んでいった。

 その意味ではレオンは悲しかったでしょうし、彼の死は観る者の心も悲しくさせます。

 だけど、レオンは最期まで戦い、マチルダを守った。

 マチルダのために、命の最期の瞬間を使って、マチルダを殺すであろう者を道連れに死んでいった。

 その意味ではレオンは最期の瞬間まで、自分の生きたい人生を選びきったのです。

 悲しい場面ではあるけれど、私が何度もこの映画を観ようとするのは、深く傷つきながらも、マチルダとの人生へと向かおうとするレオンの、子供でも持ちえない透き通った目の光と、そこへたどり着けないと悟った後も(おそらくはすでにそれを半ば覚悟の上で)、レオンが最後の一瞬までマチルダのために生きたというその強さに、どうしても惹きつけられるからだと思います。

 不運という一つ目の悲しみがいつ誰を見舞うか、私たちはそれを知ることができません。

 だけど私たちはいつも、二つめの悲しみの隣にいます。

 油断、怯え、迷い、身勝手、そういうものに引きずられて、大切な思いや誰かを守れない人生を生きると言う、ただ細く暗くなって尽きていく道のすぐ隣に。

 あるいは今、もうそこに足を踏み入れているのかもしれない。

 そういう不安を抱えながら生きているから、ときにレオンのあの目を、あの衝撃的な死という生き様を思い出したくなるのです。

 あの強さを、自分はいつか持てるだろうか。貫けるだろうか。

 そう自分自身に問いかけながら。

 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum at 22:23| おすすめ映画(英米) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月24日

(ネタバレ編A)映画「レオン」名場面「観葉植物」

 本日も映画「レオン」のある名場面と感想を少し書かせていただきます。

 同映画「ご紹介編」と「(ネタバレ編)名場面@『キッチンのブタ』」はコチラ。

 家族を麻薬密売組織に殺された少女マチルダが、同じアパートに住む殺し屋レオンの元に逃げ込んできたことからはじまる、奇妙な同居生活と二人の心の交流を描いた作品です。 

 レオンはマチルダと出会うまで孤独に暮らしていましたが、唯一の友として、観葉植物の鉢をとても大切にしていました。
「無口なのが良い。それに根が無いところが俺と同じだ」

そう言うレオンにマチルダは言います。(以下私的直訳です。)
If you really love it, you should plant it in the middle of a park so that it can have roots.
大切なら植えてあげるべきだわ。根をはれるように公園の真ん中に。
Root……根
Plant……植物(名詞)、植える(動詞)
So that……〜するために


ちなみに字幕だと「大地に植えれば根を生やすわ」でした。こっちのが情緒がありますね。

I'm the one you should be watering if you want me to grow.
あなたが育てたかったら水をあげないといけないのは私よ。

こちらは字幕だと「私もその鉢植えと同じね」となっています。

英語の台詞だと、マチルダはレオンがこまやかに観葉植物の面倒をみているのにちょっとヤキモチを焼いている感じですね。

 このあと、レオンが「そうだな」と言いながら霧吹きでマチルダに水をかけて、二人は子供のように大笑いしながら追いかけっこをします。

つかの間の平和。

しかし、やがてマチルダの家族を殺した麻薬密売組織のスタンスフィールドが、自分の表向きの仕事である麻薬取締局の部隊を率いて、レオンたちを抹殺にきます。

レオンの激しい抵抗に遭い、制圧部隊は残酷なほどに数を増やし、大掛かりな武器を持ち込んできます。

もはや絶望的な状況になったとき、レオンはマチルダにこの愛した植物を持たせ、換気口を叩き壊して、彼女をそこから逃がそうとします。

この穴は狭すぎてレオンは通ることができない。

自分ひとりを逃がすつもりなら離れないと言うマチルダに、別の方法で逃げ切って見せると誓い、レオンは言います。

You've given me a taste for life. I want to be happy, sleep in a bed, have roots. You’ll never be alone again,Mathilda.
君は俺に人生の喜びを教えてくれた。幸せになりたい。ベッドで眠って、根をはって生きたい。マチルダ、君を一人にはしない。

 愛している。

 互いにそう言うと。マチルダは換気口を降り、レオンは獣のように叫んで砲撃を避けて飛びます。

 このときのレオンの、攻撃の中、マチルダを生かそうとする必死の格闘と、自分もまた生きたい、マチルダと、今まで知らなかった幸せな人生を生きてみたいという渇望が観る者の胸に突き刺さります。

 マチルダの手に託した植物、一緒に逃げて、その植物も、自分も、今度こそ根を生やし、大きな緑を広げたい。
 レオンは満身創痍ながらも、なんとかその道に向かって進んで行こうとしますが……。
 
 この後、この映画で最もせつない、忘れがたい場面が展開してゆきます。

 もしまだこの作品を観ていないという方がいらしたら、ここだけは予備知識なく観ていただきたいです。何度観ても染みる。

 また近いうちに、この最大の名場面「出口に向かうレオン(ネタバレ編B)」について書かせていただきます。

 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum at 23:31| おすすめ映画(英米) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月23日

(ネタバレ編@)映画「レオン」名場面「キッチンのブタ」

 本日は映画「レオン」のある名場面と感想を少し書かせていただきます。

 当ブログ内同映画「ご紹介編」はコチラ

 家族を麻薬密売組織に殺された少女マチルダが、同じアパートに住む殺し屋レオンの元に逃げ込んできたことからはじまる、奇妙な同居生活と二人の心の交流を描いた作品です。 

 麻薬の取引に関わっていた父親が、それを一部横領したために、マチルダの家族はたまたま買い物に行っていた彼女を除き、組織から惨殺されます。

 マチルダが戻ってきたとき、組織の人間たちはまだマチルダ一家の部屋にいましたが、異変に気付いたマチルダは、部屋を素通りして、顔見知りだったレオンのもとへと逃げ込みました。

 マチルダは両親とも姉とも不仲でしたが、母親違いの幼い弟のことはとても愛していたので、彼も死んだと知って涙が止まりませんでした。
「(母親が同じ)ブタ姉貴より私になついていたの」
 話を聞いていたレオンは真面目な顔でこう言います(以下日本語部は私的直訳です。)

(レオン)
Hey, don't talk like that about pigs.
ブタをそんなふうに言うもんじゃない

(レオン)
They're usually much nicer than people
彼らはたいてい人間より上等だ

(マチルダ)
But they smell like shit.
でも匂うわ

(レオン指を左右に振って)
Not true.
それは違う

As a matter of fact, right now I have one in my kitchen
実は、今キッチンで一匹飼っている

As a matter of fact……実を言うと

that's very clean and smells very nice.
清潔だし、いい匂いだ

You don't have a pig in your kitchen.
ブタをキッチンで飼ってなんかいないわ

Yes, I do.
飼ってる

I was just in there and I didn't see any goddamn pig.
あそこ(キッチン)にいたけどブタなんか見なかったわ

Goddamn……ガッデム(God +Damn)この場合「クソッ」とか「畜生」のニュアンスを添える強意語(まあ、お察しの通りあんま使わないほうが良い言葉ですがドラマの台詞なんかではよく出てきます……)



Don't move, I'll get him.
そこにいろ、彼(ブタ)を連れてくる



Piggy? Piggy? Where are you?
ピギー、どこにいるんだ

Piggy……ブタの幼児語「仔豚ちゃん」的なニュアンス、ちなみに犬は「Doggy」

Ah, there you are!
ああ、そこにいたのか

フゴフゴフゴ……という鳴き声と共に柱から顔を出すピギー。
豚の顔のついたオーブン用ミトンで(親指のところを開くと、ベロや歯までちゃんと描かれている。その口をあんぐり開けて〈余談ですがこの豚のミトン、日本でも入手可能です。Amazonで画像が見られます。どうやら相当ロングランなデザインの模様。【あとよく見たらこの豚リンゴ食べてる】〉)

Hi Mathilda.
ハーイ、マチルダ(フゴフゴフゴ)
(「ピギー」を手にはめて椅子に戻るレオン)

……Hi Piggy.
……こんにちはブタさん

How are you today?
ご機嫌いかが?(フゴフゴフゴ)

I've seen better days.
悲しいわ

Seen better days≒To be in poor condition, to be worn-out
「とても悪い状態」「すりへっている」というようなニュアンスだそうです。

(レオン、ハッとして真顔に戻る)

 ……短いですが、凄腕の殺し屋レオンの不器用な優しさがにじみ出ている場面です。そして、ここから先、マチルダのレオンを見つめる瞳が変わります。

 レオンの名前を聞いて「cute name(かわいい名前ね)」と言ったり(レオン、聞きなれない言葉に飲みかけの牛乳をぶほっと噴く。)、彼が殺し屋だと知って、「Cool(ステキ)」と言ったり。

 この「キッチンのブタミトンピギー」の登場のとき、マチルダは或る意味レオンを見染めたのでしょう。光のこもった、じいっと射抜くような目でレオンを凝視します。とても熱烈に。

 それまで特に父親にはしょっちゅう理不尽に殴られ、大人を全く信用していなかったマチルダですが、レオンはそういう大人たちとは違うと確信したのです(前回記事でも描きましたが、私はマチルダとレオンの間柄を「恋」に固定した見方はしたくないんですが、でもマチルダがレオンを愛するようになった第一のきっかけはここにあると思います)。

 もうひとつ付け加えると、買い物に行く直前、レオンと言葉を交わしたマチルダは「牛乳(レオンの必須飲料)を買ってきてあげる」と言い、実はまだストックがあったけれど、彼女がまた父親にぶたれたらしいと気づいたレオンは、いらないと言えずにうなずきます。

 この、ピギー登場の直後、それをすっかり忘れていたレオンは、もう一杯飲もう(さっきのはびっくりして噴いちゃったから)として、未開封のストックをもってきます。

 おそらくこの新しい牛乳パックを見たときにも、マチルダはレオンが自分を気遣ってくれたことに気づいたのでしょう。

 その晩、レオンの部屋に泊まったマチルダは、片方の手でミトンのピギーを抱きしめ、もう片方の手でレオンの手を握り「あなたみたいな優しい大人もいるのね」と、言います。

 このとき、レオンは非常にうろたえた顔をします。

 まだこの時点では語られないことですが、実はレオンは過去になにか悲しい出来事があって、まだ少年といってもいい年頃のうちに故郷を捨てて来た男で、それっきり根無し草の孤独な生活をしていたのです。

 まして殺し屋を生業にしている身。

「優しい」と言われ、手をとられるなど、思いもよらなかったのでしょう。

 冷たい影のように「仕事」をこなすレオンの中に、故郷を捨てたときから時を止めた、青年にすらなりきっていない頃の繊細な魂が宿っていることが垣間見える場面です。

 実はこの晩、巻き込まれることを危惧したレオンは、眠っているマチルダを殺そうとしますが、結局できずに、やがてふたりは心を通わせることになるのです。

 また回をあらためて、この映画の名場面と、そこでの台詞について一部ご紹介させていただきます。

 読んでくださってありがとうございました。
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2014年02月22日

(ご紹介編)「パーセプション(Perception)」(AXNミステリー)

パーセプション(Perception )……知覚、認識、理解

AXNミステリーがご覧になれる方限定ですが、アメリカ発の面白い推理ドラマが2014年2月25日早朝6時から再放送されるのでご紹介させていただきます。
番組公式ページはコチラ

 神経科学の権威ダニエル教授が、自身の統合失調症の症状に悩まされながらも、元教え子でFBI捜査官ケイトの捜査に協力をするというストーリーです。

 キャラクターの魅力、人間の脳の不思議、台詞のユーモア、洗練された構成、そして殺人事件という題材を扱いながらも、ときにアメリカ映像作品独特の、率直な対話、他者に対する公平なまなざし、前向きな人生観が垣間見える良作です。

※すみません映画『レオン』ネタバレ編をご紹介させていただく予定でしたが、こちらの放送日が迫っているので予定を変更させていただきます。
『レオン』については日曜日中にアップさせていただきますので、よろしければまたいらしてください。

 あと、理由がわからないのですが、英語がほかのドラマより聴き取りやすいと思いました。なのでリスニング教材としてもお勧めです。

 講義シーンは区切りながらゆっくりしゃべっていますから当然ですが、それ以外の台詞もなんとなく。速度か発声が違うのかもしれません。(なんか、けだるそうに俗語一杯で早口でしゃべるタイプのドラマだと途端にわかんなくなるもんで……〈汗〉)

 今日は簡単に一部見どころを書かせていただきます。

@キャラクター
・ダニエル
 今時携帯を持ちたがらず、カセットウォークマンを愛用、物事に没頭する人並み外れた集中力ゆえに、何かを思いつけば壁にでも平気でメモをとり、日常生活の管理はとても苦手。

 失調症の症状のために、ときに現実には存在しない人間や光景を見たりするが、彼の場合、何かが深層心理でひっかかっているときにそれが生じ、状況の矛盾をときほぐすきっかけになることもある。

 療養のためにルウィッキ青年と同居して補佐を頼んでいる……が、お母さんに対する小さい子供や、結婚数十年後の夫みたいに、日常のコミュニケーションで手抜きをして彼を憤慨させることも。

 人見知りでいわゆる社交は大嫌い。
(上司に大学のパーティーに出ろと指名されて「ヤダ」みたいな態度だったダニエルが「出ろ!」と強制されたとき、心底せつなウンザリした声で「なぁんでだよう……」みたいに言った瞬間にこのドラマを見染めました〈どこきっかけ〉。アメリカ人が人付き合いにおいてあんないじらしい嫌がり方をするとは知らなかった〈何偏見〉)

・ケイト
 FBIの捜査官で元ダニエルの教え子。容疑者の心理分析等をダニエルに依頼する。
 長い髪に童顔の可愛らしい容姿とは裏腹に、結構ダイナミックな性格で、容疑者確保のために二階から階下の容疑者にとびかかるなどの行動でダニエルがあっけにとられることも。
 ときに風変りな言動で周囲から距離をとられてしまうダニエルのよき理解者で、実は学生のころからほのかに彼にあこがれを抱いている。

・ナタリー
 ダニエルの心の中の対話者。
 温厚で知的な大人の美女で、ダニエルの中では長年の良き友人で恋人的な存在。心を閉ざしがちなダニエルに前向きに生きるように諭している。
 ……なんか長い金髪と優しい性格で、いわゆる「理想の美人」の位置づけのせいか、日本人にはちょっとメーテルっぽく見えます。

Aドラマ構成

 ダニエルが大学教授のため、オープニングとエンディングは彼の講義が展開します。

 これが構成としてとてもいい。

 事件の前後に、「問題提起とそこから得た教訓、そしてさらなる問題提起」というふうに観る者の思考を誘導してくれるし、ドラマをドラマとしてまとめてくれるので、後味がすっきりしています。

 個人的には、リアルを求める「新聞記事実写化」みたいな重苦しい展開のものより、こういう「台詞が洗練され、起承転結のはっきりしたドラマ」の味のほうが好みです。

 「緻密に構成されたフィクションの魅力」と「ユーモア」を明確に意識して作っているという意味では「刑事コロンボ」や「クリスティのフレンチミステリー」が好きな方にお勧めできます。(上記作品の時代感やゴージャスな感じはありませんが、代わりに人間の脳の不思議について知識を得られます。)

 よろしければご覧になってみてください。おススメは「神からの声」。ラストが秀逸です。

 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum at 23:44| 日本の海外テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月21日

「からだの部品とりかえっこ」※ネタバレ(『ドラえもん』より)

 今回もドラえもんの中で好きな話をご紹介させていただきます。
 「からだの部品とりかえっこ」
 コミックス11巻収録です。(表紙カワイイ)

ドラえもん (11) (てんとう虫コミックス) -
ドラえもん (11) (てんとう虫コミックス) -

 かなりシュールなタイトル(※)ですが、内容はもっとシュールです。

 前回ご紹介の「腹話ロボット」がどちらかというと台詞の妙で笑わせるタイプなら、こちらはずばり画面が面白い方です。

(※)ちなみにドラえもんの中には今見ると目を疑うほどシュールなタイトルが結構あります。「からだの皮をはぐ話」とか「人間切断機」とか。

(以下結末までネタバレなので、できれば先にコミックスをお読みください。)

 のび太がテレビを見ているしずかちゃんを呼び出して、屋外のある大きな機械のある場所に連れて行きます。

その名も「人体取り替え機」(すごいそのままのネーミング……)。

 二人の人間が左右のカプセルに入り、交換したい体の部分のボタンを押すと、そこを取り換えられるという機械です。
 これでしずかちゃんと頭をとりかえて、すらすら宿題を解こうというプラン。
 
 当然しずかちゃんは拒絶し、帰ろうとしますが、

「一生に一度でも冴えた頭を持ってみたいという、いじらしい願いをかなえてやってはくださるまいか」
 と、ドラえもんに悲しそうな顔でせつせつと言われ(のび太、この発言に特に気を悪くする様子もなく、ひざまずいて泣きながらしずかちゃんにおがみ倒している)、しかたなくカプセルに入ったしずかちゃん。

取り替え.png

 ですが、頭をとりかえるということは人格をとりかえるということなので、のび太がしずかちゃんの体、しずかちゃんがのび太の体に変わっただけで、しかもテレビの続きが気になっていたしずかちゃんは、それに気づかずのび太の体で帰ってしまいます。

 いいアイディアだと思ったのに……とがっかりしながら、しずかちゃんが異変に気づいて戻って来るのを待っているのび太。

 しかし、スカート姿ののび太の(しずかちゃんの)足に、突然ドラえもんが鼻息を荒くして熱い視線を送り始めます。

 気味悪がるのび太でしたが、ドラえもんいわく
「じつはね、ぼくには前からひそかに夢見ていたことがある」(妙にカッコイイ台詞)

 短足だから、いっぺんでいいからスラリと長い足になってみたかった。そう言ったドラえもんはしずかちゃんの足のまたがし(笑)をのび太に頼み込みます。

 怒られるんじゃないかとしぶるのび太に、ドラえもんは必死でくいさがり、
「そのへんをかけまわって長い足のスピード感を楽しんで、それからまたとりかえればいい」

 と、いうわけで……。
 スラー(脚線美)

この感激 11巻.png

「おお。この感激!このかっこいい姿を、記念写真にうつしてこよう」
 細くてきれいな長い足にまるっこい体を乗せて、大喜びで力強く疾走してゆくドラえもん(気分がよくなる気持ちはなんとなくわかるが、しかしどう見ても「かっこいい姿」ではない)

 すれちがったスネ夫はあっけにとられますが、やがて、しずかちゃんの上半身にドラえもんのかがみもちふたつみたいな足ののび太を見つけてもっと驚きます。

 ところが、機械のことを聞いたら、スネ夫まで
「そんなら僕にも前からの夢がある」
 スラリと長い腕と指が欲しかった。
「この腕を僕のものにしてみたいな」
 と、のび太の(しずかちゃんの)手をとって、愛着たっぷりにハートを散らし、撫でまわさんばかりの様子。(のび太、とても嫌な顔〈そりゃそうだ〉)

 のび太は一生懸命断りますが、結局押し切られ……。

まあ…….png

「まあ……」
指先の細いしなやかな手をウットリと見つめるスネ夫(なぜかまつ毛がのびている)。
「これこそ僕にふさわしい。芸術家の手だわ」
ハート目で指先をクネクネさせながら帰るスネ夫。
ジャイアンがその様子を見ていました。

「聞いたぞ!おれにもおれの夢がある!」(なんでみんなこの台詞なんだ)
いっぺんでいいからスマートに痩せてみたかった。
断ろうにも、「俺にだけは貸せないってのか!」と胸ぐらをつかまれた結果……。

小鳥になったみたい.png

「すばらしい!この身軽さ、小鳥になったみたい!」
ジャイアンのふっくら顔にしずかちゃんの細い胴、ジャイアンのふっくら下半身という、ある意味「ボンキュボン」なスタイルだけど分布がちょっとだいぶ違う感じの体型で、本人はきわめて朗らかに走って行ってしまいます。

 かくして「スネ夫の腕にジャイアンの上半身にドラえもんの足」となってしまったのび太(なんか全体的にもっちりしている)のもとに、のび太の体のしずかちゃんが戻ってきて仰天します(無理もない)。
 「僕はいやだっていったのにみんなが無理やり……」

 やがて戻ってきたドラえもん(美脚)、スネ夫(美指)、ジャイアン(華奢〈上半身のみ〉)が
「のび太と僕が腕をとりかえてね」
「待て、この腕は俺んだぞ」
「ややこしいことになったなあ」
と、入り組んだやりとりをし、しずかちゃんは知らない知らない!と呆れ怒ってしまいました。
(完)

 ドラえもんという作品はひみつ道具ゆえに、ほかの作品ではまずおめにかかれないようなシュールエキセントリックな展開に平気でなだれこんでいけるんだなとこの手の話を読んでいて気づきました。

 この手の名作はほかにもあるのですが(上記「からだの皮をはぐ話」「人間切断機」も面白いです。)、とりあえず「おお。この感激!このかっこいい姿を記念写真にうつしてこよう」と「まあ……(長まつげ)」と「小鳥になったみたい」の台詞と絵が、それぞれパンチきいていて忘れがたかったのでこちらを紹介させていただきました。(ドラえもんってさらりと読めてしまいますが、一コマを凝視するとなんかスゴイ状況になっていることが結構あるんですよ……。)

 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum at 23:26| ドラえもん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月20日

(ご紹介編)映画「レオン」

 BSプレミアムで2月22日(土)「レオン」が放映されます。(午後9:00〜10:51 番組情報はコチラ

 家族を麻薬密売組織に殺された少女マチルダが、同じアパートに住む殺し屋レオンの元に逃げ込んできたことからはじまる、奇妙な同居生活と二人の心の交流を描いた作品です。

 冷酷な殺し屋の腕と少年のような心を持つレオンと、幼い弟を殺した組織への復讐のためにレオンから殺しを教わりたいと思いながら、やがてレオンを愛するようになるマチルダ。
 それぞれギャップのあるキャラクターの魅力が光ります。

 また、マチルダの家族を皆殺しにした、非情と言うか崩壊しているスタンスフィールドの狂気、レオンの殺しの報酬を預かっていると言いながらおそらくは着服している、レオンと同じイタリア系のレストランオーナー(実はマフィア)のトニーの、闇社会に通じながらも情のある性格なども、作品の厚みになっています。

 都会の底知れぬ冷ややかな殺気を感じさせる、重厚でスタイリッシュな音楽と、子供が面白がってポン、ポンと小さな指で弾いている様子を思わせる、シンプルで懐かしさ漂うピアノの曲の交錯も味わい深い。

 そして、エンドロールはスティングの「Shape of my heart」(あー、ホントいい曲……)。



 ギターと少し掠れた声が、物語ラストシーンで熱くなった胸にじんと染みる名曲です(エンドロールまでちゃんと放送してくださるかな……?私には、この曲までセットで「レオン」です。)

 前回「白い犬とワルツを」ご紹介記事で書かせていただいた、私の「1980年代後半〜1990年代こそアメリカ映像作品の黄金期である」論の中にこの作品も入っております。内容が内容なだけに、この時期のアメリカ映画の長所である「シンプルで温かい前向きさ」の要素には欠けますが、もう一つの長所である「まっすぐな情」はものすごくちゃんとあります。

 この映画の公開当初のキャッチコピー「凶暴な純愛」だったのですが、コレホント見事にこの作品の良さを言い表していると思います。レオンを見つめるマチルダの、憧れに光りながら射るようなまなざしや、マチルダを大きな全身で包んで守るレオンのしぐさからそれがひしひしと伝わってきて魅了される。

 確かなことは言えないのですが、今回観られる方は観ておいていただきたいし、できれば録画をお勧めしたいな、と思うのは、どうも放送時間から察するに、今回放映されるのは劇場版のようだからです。

 レオンには完全版(約130分)と劇場版(110分)があって、個人的には劇場版の方が好きなのです。でもどうやら今は完全版のほうが一般的らしく、こっちが観られる機会はそんなにないようなので……。
(※申し訳ありません、一時「劇場版」を「ディレクターズカット版」と書いてしまっていましたが、これは「完全版(約130分版)」の別名だそうです。お詫びして訂正させていただきます。)

 ちなみに完全版では劇場版には無い、レオンとマチルダのやりとりの場面が20分含まれています。

 レオンもマチルダも魅力的なキャラクターなのだから、長く観られるのは結構な話じゃないかと思われるかもしれませんが、また、実際私もカットシーンを観られるのを楽しみにしていましたが、観たら、「どちらかというと無い方がいい」と思いました。

 と、いうのも完全版だとマチルダのレオンに対する想いが「異性への恋心」だという印象が強くなってしまうからです。

 色々語られぬ部分を残して、深い絆をはぐくんだ二人の間柄に「『友情』、『家族』、『師弟』、『同志』、そして『恋』」みたいに含みを持たせたディレクターズカットのほうが個人的には惹かれます。

 今は「完全版」だけをご存知だという方も多いかと思いますので、もし今回の放送が劇場版でしたら、ぜひこの味わいの違いをご鑑賞いただきたいと思います。

 土曜、この放送が終わりましたら、作品の名場面についてネタバレ編を書かせていただきますので、よろしければまたいらしてください。

 当ブログレオンに関する記事は以下の通りです。
 ネタバレ編@「キッチンのブタ」
 ネタバレ編A「観葉植物」
 ネタバレ編B「出口へ向かうレオン」


 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum at 01:15| おすすめ映画(英米) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月19日

「腹話ロボット」(『ドラえもん』より)

 最近わりとシリアスな話題の記事が続いてしまいましたが、僕は本来そういう人間ではないので(←……)、また大好きなドラえもんのおススメエピソードをご紹介いたします。
(ネタバレです。先にコミックをお読みになることを強くおススメいたします。)
てんとうむしコミックス32巻に収録されています。

ドラえもん (32) (てんとう虫コミックス) -
ドラえもん (32) (てんとう虫コミックス) -


口下手で損ばかりしているのび太が、ごまかしでいいから要領よく立ち回りたい、とあまりにも正直にドラえもんに泣きついて出してもらった「腹話ロボット」のお話です。

ドラえもんはほのぼの子供向けと思いきや意外にアブナイ展開の作品が紛れ込んでいて、これテレビで放映できたのかな……思うことがままあるのですが、その意味でこの作品のオチが一番危険です。(現実的に最も危ないのはジャイアンシチューのオチですが、放送できなさそうなのはこっち)

そして危険だからこそ、大人にはそのギャップがたまらなく面白いのです……。

(以下結末部までネタバレです)
ある日、空き地で、ジャイアンから「ひさしぶりに新曲ができた。聴きたいか?」と言われたのび太とスネ夫。
 まあ、日本全国に知れ渡っているとおり、ジャイアンの歌声は人体に有害なほどへたくそなのですが(吐き気を催す観客〈義務参加〉続出)、スネ夫はすかさず、
「聴きたい!聴きたい!久しぶりだなあ!遅いんだよジャイアン。いつ新曲ができるのかと、待ちくたびれちゃったよ」
と作り笑顔でおだてます。
怠けて悪かった心の友よ(ジャイアン愛用語)。と、ご満悦のジャイアンから、お前はどうなんだ、と聞かれたのび太は
「遅いんだよジャイアン。もっと遅くても良かったのに。聴きたい聴きたい。どうせきかされるなら、いやなことは早くすませたい。」
と、忍耐我慢のにじみ出た顔で答え、勿論ぶんなぐられ「だれが聞かせてやるか」とジャイアンは空き地を出ていきます。

 おかげで助かった。ジャイアンの気が変わらないうちに帰ろう、とスネ夫に促されたのび太でしたが、「実は0点をとってしまって家にも帰りにくいんだ」と困り顔。
「そんなことか。ぼくも悪かったんだ。でもへいき」
とスネ夫はズルい顔をして、まあ、見てな、と家に入っていきます。
玄関で待ちかまえていたスネ夫ママにいきなりどなりつけられたスネ夫ですが、再びすかさず
「やめてお母様!」
と駆けより、
「怒ると小じわが増えるっていうよ。ママの美しい顔が皺だらけになるなんてボク耐えられない!」
と泣き叫び、
「この次頑張るから。いつまでのママに若く美しくいてほしいから」
という頃には、もうママをホロリとさせて「まあ……スネ夫ちゃんはなんて優しい……」とまで言わしめていました。
 ドアの外でこのやりとりを聞いていたのび太は「うまいことやったなあ」と感心して帰宅。

 同じころ、0点の答案を見つけて叱る気満々のママに、ドラえもんが「ぼくから、よく言い聞かせるから」と一生懸命とりなした(優しいなあ)結果、「今回は私からは何も言わない」とママも納得したのですが、そこにいきなり「やめてママ!」と飛び込んできたのび太。
「その美しい……、というほどでもない顔がしわくちゃになるじゃんか。見るにたえないよ」 
 ……かくして正座させられギャンギャンに叱られる羽目に遭っているのび太に背を向け「ばかだねえ、じつにばかだね」と心底呆れるドラえもん。

 ぼくは口下手で損ばかりしている。ごまかしでも良いからスネ夫みたいに要領よくやりたい、とのび太に泣きつかれたドラえもんは、気が進まないながら「腹話ロボット」を出してあげます。

 腹話術人形と逆に、人形が人間の口を動かし、その人の声でいかにももっともらしいことを喋るという道具だと聞いたのび太はさっそくそれを肩に乗せてみます。

 その直後、まだ機嫌の悪そうなママに草むしりを命じられますが、「ウェー」と言いかけた瞬間腹話ロボットが作動。
「ワーイ、草むしりうれしいな。腰をかがめるのがウェストの運動になるし、指から葉緑素が吸収されて肌もきれいになるんだよね」
と言ったので、ママがソソクサと自分でやりはじめます。
「ママのためなら喜んでゆずってあげよう」と、調子よく縁側で草むしりを見物していたのび太、さらにお小遣いももらえないもんだろうか、と、こっそりロボットに持ちかけると
「お年玉が年に一回と言うのは誰がきめたのでしょうか。現代人は古いならわしにとらわれることなく毎月お年玉を」
との台詞でまんまとお金をせしめることに成功します。

 かなり無茶な理屈でもこの人形が言えば通じてしまうものなのだというのは、ドラえもんも知らなかったようで、これを見て目を丸くしています。
 いい加減なこと言って、ロボットを止めるとごまかしもばれるんだぞ、と、ドラえもんにたしなめられますが、すっかり味をしめたのび太は「いいもん、ずーっとこのままにしておく」と暢気に散歩に出ます。

 直後、道で先生に出くわし、「あんな点をとっておいて宿題もせずに遊びまわれる身分か」とお説教を食いそうになりますが、ここでも、
「僕は自分さえ成績が上がればという考え方はどうしてもできないんです。どんなにみんなが一生懸命勉強しても、テストをすれば必ず順位がついて誰かがビリになる!!だから…だから僕が犠牲になって0点を……世の中にこんなバカが一人くらいいてもいいんじゃないでしょうか……」
と6コマにも及ぶ熱弁と共に涙し(草刈りのくだりを見る限り、この人形に涙を流させる機能は無いようなので、のび太本人の熱演と思われます)、のび太の優しさ(←……)に感動した先生に「これからもがんばって0点をとりなさい」とはげまされます。

 また、突然開催が決まった「ジャイアンリサイタル」では、歌い出しから「ひどい歌だなあ」と言って空き地の観客全員を凍り付かせた後、今にもなぐりかかりそうになっているジャイアンに「ジャイアンの歌はこんなもんじゃないはずだよ。ノドを痛めているんじゃないの?(これを受けて「昨日めざしの小骨がのどにささった」というジャイアンに)やっぱり!無理をしちゃだめじゃないか。将来の大歌手がもっとノドを大事にしてくれなくちゃ」と言う事で、見事リサイタルを中止させることに成功します。

 ……と、ここまでは良かった(?)のですが。
 

 リサイタルに遅れて来ることになっていたしずかちゃんに、中止を知らせてあげようと、どこでもドアを使ったのび太。

 ところがお約束通りしずかちゃんは入浴中だったため、怒らせてしまいます。

 「ま、まあ聞いてよ」
 と再び腹話ロボットが作動。

 ここからの演説が妙に高尚でふるっています。
 「もともとアダムとイブの時代、人間は裸だった。服を着るようになったのは、神様の言いつけにそむいて知恵の木の実を食べたからだ。神様の言うとおりにしていれば、人間はいまでも楽園で暮らせていたはずなんだ。裸のまんまで。」
「じゃ……はだかでいるほうが正しいの」
「そーなんだよ!」
(イタリアルネッサンス絵画の傑作、ボッティチェリ作『ヴィーナスの誕生』がコマに登場)

ボッティチェリ(腹話ロボット).png

「世界の美術館をみたまえ。はだかの絵や彫刻でいっぱいじゃないか。なぜか?それは美しいからだ。はだかこそ永遠の美のテーマなのであります!!」

 これを聞いたしずかちゃん、それまで湯船に身を沈めて隠れていたのにザバっと立ち上がります。
「そうか!じゃあ恥ずかしがるの間違いなのね」
「そ、そう……」
「服なんて着なくていいのね」
と、浴槽からあがってしまい、「それは……」とのび太が口ごもっている間に、
「遊びに行きましょ」
と、どこでもドアから屋外に出て行こうとします。
「極端すぎるよ!」のび太本人は止めますが、不思議そうに
「のび太さんもそう言ったでしょ」
と、ふりむいたしずかちゃんに、腹話ロボットは

そのまま町中をかけまわろう!!.png

「そうとも、そのまま町中をかけまわろう!!」と高らかに言ってしまい、どこでもドアから、生まれたままの姿で両手を広げて空き地に現れたしずかちゃんに、ドラえもん超驚愕(大笑)。

腹話ロボット.png

 大慌てでのび太が腹話ロボットを地面にたたきつけた瞬間、正気に返ったしずかちゃんは悲鳴とともにどこでもドアで浴室に逃げ帰ります。

 「みんなまだ怒っている?」
 空き地の土管の陰に身をひそめるのび太に、ドラえもんは
「当分うちへ帰れないね」
と、淡々と報告します。
 その視線の先には、まんまとだまされたことに気づいたママ、先生、ジャイアン、しずかちゃんが怒りの面持ちでのび太を探し回っていました(まあ特にしずかちゃんはそりゃ怒るわな……)。
(完)

 この作品、まず序盤ののび太とスネ夫の台詞の「似てるようで全然違う度」が見事です。
・「遅いんだよジャイアン待ちくたびれちゃった」⇔「遅いんだよジャイアン、もっと遅くても良かったのに」
・「聴きたい聴きたい。久しぶりだなあ」⇔「聴きたい聴きたい。どうせ聴かされるのなら、嫌なことは早く済ませたい」
・「ママの美しい顔が皺だらけになるなんてボク耐えられない」⇔「その美しい……、と言うほどでもない顔がしわくちゃになるじゃんか、見るにたえないよ」

 そして、旧約聖書やボッティチェリまで引用した格調高き「裸身礼賛」演説。
 とどめは「そうとも、そのまま町中をかけまわろう!!」という高らかな後押し(なにが「そうとも」なんだか……)を受けて急進的ヌーディストと化したしずかちゃんと、それに遭遇したドラえもんの表情……。

 よくこんなの小学生向け漫画雑誌に載せたもんだと思います。今だと不可能なんじゃないでしょうか。

(ところで、今回テレビ放送版についてちょっと調べてみましたが、さすがに外に出てくしずかちゃんはタオルを巻いており、また、「裸身礼賛」も「そうともそのまま町中をかけまわろう!!」もカットされている模様です。無理もない……が、最大の笑いどころが切れているとも言えます)

アブナイっちゃアブナイネタですが、この手のスレスレギャグが持ち味のイギリス・アメリカコメディでもお目にかかれないような過激さと、それでいてなんか非常にもっともらしい高尚な話題とのミックスが私には非常にツボでした。

(こんなこと宣言するものどうかと思いますが「ジャイアンの歌」ネタ以外だと、この「しずかちゃんのお風呂」ネタが大人になって読むととても笑えます。)

 ドラえもん30巻台は全体的にとても面白いので、是非お手にとってみてください。

 当ブログドラえもんご紹介記事はコチラです。(全てネタバレなのでご了承ください。)
 「ジャイアンシチュー」 
「ジャイアンへのホットなレター」
「ジャイアンリサイタルを楽しむ方法」
「きこりの泉」
「ジャイ子の恋人=のび太」
 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum at 23:07| ドラえもん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月18日

「War horse(ウォーホース)戦火の馬」 日本公演決定

 今日はちょっとコーフンしております。

 残念ながらどうも東京限定みたいですが、ついに!ついに!イギリスの舞台「War horse (ウォーホース)戦火の馬」が日本に来ます!!!
(……もしかしてウマ年にちなんで今年来日??)

舞台の宣伝動画をご覧ください(コレ美しくて大好きなんです……)



【上演期間】
2014年7月30日(水)〜8月24日(日)
・会場=東急シアターオーブ
・一般前売=3月16日(日)開始
・料金=S席13,000円/A席10,000円/B席8,000円
シアターオーブの公式情報はコチラです。

 どなたか知らないけれど連れてきてくださる方に心からお礼を申し上げたいです!!LION提供みたいなのでこちらにも大感謝、次歯磨き粉切れたらLIONのにします(非常に地味な感謝法)。

 第一次世界大戦中、軍馬(War horse)として連れて行かれてしまった馬ジョーイ、ジョーイを探して戦場に行った少年アルバート、そして、戦地でジョーイと出会ったドイツ兵フリードリヒらの、戦争に翻弄された数奇な運命を描いた作品です。

 戦争の悲惨さと、人と馬の心の交流を描いた心に染みる物語、日本の文楽のように3人遣いの等身大パペットが演じる馬の迫力と美しさと雄弁でカワイイ鼻息(どこに食いついているんだ)、イングランド南部デボンの土の匂いと風を感じさせる美しい音楽(これを機にロンドン舞台版サントラのCD発売されるといいのですが……。本当にいい音楽なんです〈私が持っている版はアコーディオン演奏ですが、公演、演者によって違い、ヴァイオリンのこともありました。〉)、どれをとってもイギリス舞台芸術の金字塔といっても過言ではありません。これ観て「イギリスすげえええ!!!!」と本気で思いました。私の知る限り、こんなストーリー構成を持つ、戦争を題材とした作品は他にありません。

 正直に申し上げてしまえば、映画版よりこちらのが好きです。以下、舞台でしか堪能できない見どころを一部書かせていただきますと……。

1,馬らしさ 

映画のが本当の馬を使っているのにと言われそうですが、パペットだからこそできる細かい演技というのがあって、それが「人と暮らしている馬らしさ」をすごく醸しているのです。
 不思議に思うと耳がひょきっと動くとか、恐縮すると体が斜めになっちゃうとか、鼻及び鼻息で人と会話するとか……人間と密にコミュニケーションがとれる哺乳動物固有の動きというのがありますが、それは本物の馬に演技させるのは難しいようです(少なくとも映画版にそういう場面はほとんどない)が、舞台では堪能できます。(いななきや鼻息もパペット遣いの人たちが担当)
 ああいう仕草からジョーイの優しくて人懐こい性格や、アルバートとの絆が見て取れて、「性格も耳ひょきひょきと鼻息で喋るとこもうちの犬ソックリ……」と冒頭から目頭が熱くなってしまいました。

2,音楽

 上記のとおりです。動画で一部お聴きになれますが、ノスタルジーに胸騒ぐ、イギリス独特の音楽が場面展開中に何度も使われています。

3,ガチョウ

 これは映画にも少し出てきていますが、カワイイのがいるんです。
舞台では足の部分が車輪、首が棒で操れるようになっているパペット。
アルバートの家で飼われていて、普段はわりと大人しく、クワクワ泣きながらカカカ……と地面の餌をついばんでいますが、ドアが開くと、家の中に入ってやろうと首を低くして突進していき、しかし、いつも鼻先、いやくちばし先でドアを閉められてしまい、「ガッカリ……」みたいにさびしく去っていくのが。シリアスな場面の多いこの作品の中で数少ないお笑い担当としていい味出してます。
カワイかったので、思わず「ほしいなー」と思ってしまいましたが(まあ、家で大の大人が畳の上で車輪キコキコ走らせて、首の棒動かして、くちばしカカカ……とかやって遊ぶのかと客観的に考えるとナシなんですが)、同じこと考えた人多かったらしく、ロンドンの劇場ではレプリカ売ってました。しかし、今日調べたら価格2500ポンド(約42万5千円)、高!「きれいなジャイアン」のフィギュア四十体分です(何に換算しているんだ)。劇場ではもっとオモチャっぽい廉価版売ってたと思ったんですが記憶違いかな……(汗)

 なお、馬やガチョウのほか、カラスや一部人間もパペットで表現されており、こちらもそれぞれ見ものです。

4,ドイツ兵フリードリヒ

「フリードリヒのいないWar horseはWar horseではない」
正直、そんな気さえします。

このブログではあまり不満を書かないようにしようと思っていますが、これだけは書かせていただきます。映画は映画で美しいし、舞台とは違う見どころもあるのですが、映画にはジョーイと、同じくイギリス軍馬トプソンと戦場で出会い、彼らを連れて故郷へ逃げようとする中年ドイツ兵フリードリヒが登場せず、私はそれがとても残念でした。

 ジョーイたちに乗って逃げようとする若い兄弟兵や、ジョーイたちの面倒を見る兵士が登場し、彼らがフリードリヒのポジションを分割して担っているようですが、舞台のフリードリヒはアルバートと対を成すといえるほど存在感があるのです。

 フランスの人々を描くために、フランス人少女エミリーや彼女の祖父を描くことにかなりの時間を割いていることも、フリードリヒ的存在をかすませる一因となっています。(舞台だとエミリーはフリードリヒと交流を持っているのですが、それもありません。)
 
私がこの舞台を観て一番感動したのは「馬を大切にする人の心を描くことによって、『イギリスもドイツも、敵味方も無く、本当は人間は分かり合える存在なのだ』ということを表現している」という点でした。

 こういうふうに、戦争中の敵味方に分かれていた人間たちを双方平等に描けた作品というのは私の知る限り非常に少ないのです(第二次大戦中の日米それぞれの人間ドラマを丁寧に描いたイーストウッド監督ですら「父親たちの星条旗(アメリカ側)」と「硫黄島からの手紙(日本側)」と二作品に分割しています)。そして、そこが「War horse」の画期的なところなのです。

 戦死した兵士の懐にあった家族の写真を見て涙し、フランスの少女エミリーを自分の娘に似ていると思って可愛がり、ジョーイたちはイギリスの馬だからと一生懸命英語で話しかけ、彼らの危機には両腕を広げて守ろうとする一人の優しい男フリードリヒがいてこそ、この作品は他に類を見ない名作となりえたのであり、アルバートと同じくらい彼の人物像が描けていないのなら、その偉大さの多くが失われてしまう。私はそう思ってしまうのです。

 実際、舞台版の「War horse」はロンドンでの成功を受けて、ベルリンでも上演されるようになりました。(War horseベルリン公演情報はコチラ)これはフリードリヒの存在あってこそ実現したことだと思います。

そして、「イギリスが作品の中で心温かなドイツ兵を描き、その作品をドイツが上演するようになった」というこの事実が、戦後、本当にイギリスとドイツが互いの心の傷を乗り越えて歩み寄ったということなのではないかと思います。

 真面目な話、公演地に「Berlin」と書いてあるのに気づいたとき、なんかよそながら泣きそうになりました……。これが真の「和解」というものなのではないかと……。

 ちなみに原作小説にはフリードリヒという名の兵士が登場しますが、こちらも舞台ほど登場していません。
 「アルバートと同じくらい重要な存在としてのフリードリヒ」は、舞台版で初めて現れ、今のところ舞台版でしか見ることができないのです。
 
 彼を通じてドイツ側の人の心を描いたことで、作品内でのある非常に重要な場面(これは映画でも観られます。ネタバレになってしまいますが、いずれ書かせていただきたいです)がより観客の心の奥深くに届くような作りになっています。私はフリードリヒの存在と、この場面の舞台での描かれ方を観て、イギリスの舞台芸術の偉大さを思い知りました。

 「『戦火の馬』なら映画を観たから知っている」とお思いになる方もいらっしゃるかもしれませんが、是非このフリードリヒというキャラクターを観に行っていただきたいと思います。

 このように、優れた人物描写、人と動物の絆と戦争の愚かしさというテーマ、文楽に似たパペット、音楽などなど、日本人の心の琴線に触れるであろう要素がたくさんあるので、是非ご覧になっていただきたいです(歌舞伎公演みたいにNHKで舞台放映されないかな……)。

 できればこれを機に「レ・ミゼラブル」みたいに日本版もやるとか、何年かに1度は来日とかして、日本に定着していただきたいと心から思います。世の中にはこんなに偉大な作品がある、そしてそれに感動する人たちがこんなにいる。イギリスでこれを観たとき、わたしはそう思って随分勇気づけられました。一人でも多くの日本の方に、この作品を知っていただきたい。そのために今後もこのブログで舞台版「ウォーホース」については繰り返してご紹介せていただく予定です。

 当ブログ「War horse(戦火の馬)」関連過去記事は下記の通りです(※一部内容が今回の記事と重複しております。)
ロンドンの舞台「War horse(ウォーホース)戦火の馬)」@ あらすじと見どころご紹介
ロンドンの舞台「War horse(ウォーホース)戦火の馬)」A ある名場面と、その他のおすすめ作品。
「War horse(ウォーホース)戦火の馬」 日本公演決定
「War horse(ウォーホース)戦火の馬)」日本公演 感想1見どころとお客さんの反応
「War horse(ウォーホース)戦火の馬)」日本公演 感想2ロンドン初演版との違い
「War horse(ウォーホース)戦火の馬)」日本公演 感想3結末部(ネタバレ注意)
「史実 戦火の馬」(ドキュメンタリー番組)
(余談)
 ところでなんで本日この公演情報に気づけたかと申しますと、当ブログアクセス解析を見ていて、なんか最近「War horse」で検索かけてきてくださってる方が増えているな……、今ボクの記事、検索サイトで何ページ目にきてるのかしらウフ。

 とかなんとか思って、まあ、ちょっとみみっちいようですが、「War horse」で検索かけてみたらこの情報を入手して、ギャー(喜)!となったわけです(あ、そういやコーフンのあまり、自分の記事何ページ目か確認するの忘れてここまで書き進めてました。まあいいか……)。ですからこのブログを見てくださった方のおかげですね……。

(さらに余談)この流れで(どの?)「Billy Elliot(映画「リトルダンサー」のミュージカル版)」ロンドン版の日本公演も実現してほしいなあ(あれは、主役が少年で労働時間が限られるとか、セットが大きいとかがネックなのかなあ……同じくイギリスの凄さが詰まった名作なんですが)。

 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum at 01:03| 舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月17日

(ネタバレ編4)「白い犬とワルツを」サムとコウラの会話の台詞ご紹介

今日は映画「白い犬とワルツを」の台詞をご紹介させていただきたいと思います。
過去記事はコチラになります

(ご紹介編)
(ネタバレ編1)
(ネタバレ編2)
(ネタバレ編3)

※以下、例によって一部英語にミスがあるかもしれませんがご容赦ください。

(場面)
妻コウラに先立たれた後現れた不思議な白い犬と一緒に、コ農工学校の同窓会に出かけたサム。サムは犬を連れて学校側の池に行って彼の「人生最良の日」を思い出す。その日はコウラが隣にいた。

 回想するサムの元に、亡きコウラが現れて、二人は当時の思い出を互いに語りだす。

(サム)
I said, “Do you like it?”
わしは言った。「気に入ったかい?」

(コウラ)
And I said,“It’s beautiful.”
私は答えた「素晴らしいわ」

And I said,“Someday, I'm gonna have me a tree nursery. That’s what I want to do. Grow trees”
そしてわしは言った「いつか僕は農園を持つ。それが僕のしたいことだ。木を育てる」
Nursery……保育園の意味でよく使われますが、種苗場の意味も持つそうです。なんか可愛いですね。

I think you'd rather be with trees than with most people.
あなたは人より木といるほうが好きみたい。
Rather 〜 than……〜よりむしろ 

I like being with you. Walking, talking, sometimes just doing nothing at all.
君といるのが好きだ。歩いたり、話したり、時にはなにもしなくても。

Yes…So do I.
ええ……私もよ。

Cora, I wanna marry you.
コウラ、結婚してほしい。

Oh…
まあ……

How many children do you want?
子供は何人欲しい?

I don’t know.
知らないわ

I want a lot, I wanna them all over the place.
僕はたくさん欲しい。そこらじゅうにいてほしいんだ。

Why?
なぜ?

I just do. I always wanted a big family, and I’ve never had one of my own.
ただそうしたいんだ。昔から大家族が欲しかった。自分では持ったことがない。

…Yes.
……ええ。

Yes… what?
「ええ」って……何が?

“Yes! I’ll marry you.”That’s what I said that day.
「ええ、あなたと結婚するわ」あの日、私はそう言ったわね。

57 years! We sure had some good times.
57年間だ!楽しい時間を過ごしたな。

It’s not gone, it’s all still there.
まだなくなってないわ、まだ全部そこにある。

You’re gone…….
君がいない……。

Oh No, I’m still with you Sam every day. I thought you’d realized that.
まあ、違うわサム。私はまだあなたと毎日一緒にいる。あなたはそのことに気づいていると思っていたわ。

Darn it! I never did get me a lady from leg show to come use your biscuit cutter.
なんてことだ!わしは永遠にレッグショーの娘と一緒になって君のビスケット型を使わせることができないんだな。(※)

Darn it……Damn it「畜生!」を柔らかくした言い方
Leg show……脚線美を見せるショー(パリのキャバレーとかで観られるセクシーなショーのことみたいです。)
・biscuit cutter……ビスケットの抜き型。
(笑顔のコウラが透き通って消えていく。側に来た白い犬の顔を両手で挟んで語りかけるサム)
It was the best day of my life.
あの日が人生最良の日だった。

(※)コウラはスコーンに似た感じのビスケット作りの名人で、コウラの生前サムは「今度再婚する娘は料理はしない。レッグショーの娘にするから」と冗談を言っていました。その後、コウラを懐かしんでサムが独りでビスケットを作る場面があります。(気の毒ですが石のように固いものが何十個もできて、白い犬もそっぽをむいてしまいました)

この場面で、コウラから「今でも毎日あなたと一緒にいる」と言われたサムは、白い犬が自分を見守るために戻ってきてくれたコウラなのだと信じるようになったのです。

劇場公開もされていないし(もともと長編テレビドラマとして作られた作品)、原作小説ほどは知られていないかもしれませんが、私には中国映画「初恋の来た道(チャン・イーモウ監督作 チャン・ツィイー主演)」と並ぶ最愛の映画です。

勝手に「1980年代後半〜1990年代こそアメリカ映像作品の本当の黄金期(※)であり、しかしこの時代の作品がVHSからDVD、さらにはブルーレイの台頭でマイナーになりつつあるから、しつこく良さを宣伝し続ける」ことを今後の当ブログの使命とさせていただくつもりですが(ほかにも「イギリスの舞台芸術を(お客さんを含めて)好きになっていただく」とか「ドラえもんを大人に読んでいただく」とかを勝手に目標にしておりますが)、私の中の「この時代のアメリカ映像作品は素晴らしい」というイメージを決定づけた名作です。ちょっと見つけにくいかもしれませんが、よろしければ是非探してご覧になってみてください。

(※)もちろん話も舞台も華麗で、高い演技力を誇る美男美女が集う50年代の作品が夢のように魅力的なのは言うまでもないのですが、上記の時期の作品には現実の人生のやるせなさと、それでも生きていることに光を見出そうとする前向きさがある。台詞もいい意味でシンプルで温かい。甲乙つけがたいですがトータルではこちらが好みなんです。

読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum at 22:19| おすすめ映画(英米) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月16日

ミュージカルビリーエリオット(映画「リトルダンサー」が原作)のおすすめ動画

 月曜日にBSプレミアムで映画「リトルダンサー(英題Billy Elliot)」が放送されるので、イギリス発の動画を紹介させていただきます。(番組情報はコチラ

 映画とミュージカル、それぞれ過去記事を書かせていただいたので、よろしければお読みになってください。(「ビリーエリオット」で検索をかけてこのブログにいらしてくださる方が今でもいらっしゃいます。ありがとうございます。)
 
 過去記事はコチラ
 ミュージカル「ビリー エリオット」@ あらすじと原作映画紹介。 
ミュージカル「ビリーエリオット」Aロンドン公演紹介

 ストに揺れる炭鉱町で、少年ビリー・エリオットがバレエ・ダンサーになる夢を追うという物語です。

 この映画を原作としたミュージカルがイギリスのロンドン(そして各国で)上演され、ロングランを記録しています。(この動画超好きなんです……)



 さらに、歴代、そしてこれからビリーを演じる少年15名がイギリスの権威ある映画・TV賞「BAFTA」の授賞式に集結してパフォーマンスを披露しました。

 場面としては、ロイヤル・バレエ学校の面接時、実技は惨たんたる有様だった主人公ビリーが、審査員に呼び止められて、自分のバレエへの思いを語るという箇所です。

 映画では胸に熱いものを秘めながらも、とつとつと語っていますが、ミュージカルなので、ここで彼は自分の才能を爆発させて最も激しいダンスを踊ります。

 本当に凄い。
 10代前半の少年が、3時間近く大観衆の前で主役として演技して歌って踊るのです。この場面に至っては舞台では単独でパフォーマンスする。

 この年で大人気舞台の主役をはる少年15名が一堂に会したパフォーマンスは圧巻の一言に尽きます。ストイックで誇り高く、いい意味で個性をぶつけ合って高揚する少年たちのダンスと輝く瞳が素晴らしい。

 自分この年の頃寝転がって漫画読んでスナック菓子食べて足でテレビのスイッチ押したりしてたよな……(良い子はマネしない)。あの年でコレ見てたらもう少しは勤勉になれただろおか……(遠い目)。

 この年齢の才能にこれほどの大舞台が用意されているというところに、イギリスの舞台芸術の底力をつくづく感じます。

 そんな理屈は抜きにして、とてもすがすがしいので是非ご覧になってみてください。





以下、このBAFTAでのパフォーマンスに動画について、紹介者の女性の台詞と歌詞の英語と、つたないですが訳をつけさせていただきました。

Billy Elliot the film inspired a whole generation of kids to take up dancing.
映画「ビリーエリオット(リトルダンサー)」はあらゆる世代の子供たちにダンスを始めるきっかけを作りました。

Inspire……鼓舞する 
Take up……この場合、「始める」の意かと

It also inspired Elton John to write the wonderful score for Billy Elliot the musical.
また、映画に触発されたエルトンジョンは「ビリーエリオット・ザ・ミュージカル」の素晴らしい楽曲を作りあげました。
Score……楽譜 

15 boys have now followed in Jamie Bell’s footsteps to play Billy.
15人の少年たちが今ビリーを演じるためにジェイミー・ベル(映画でビリー役を演じた少年)の後を追っています。

And they join us now to perform a specially choreographed piece for tonight BAFTA cerebrations.
 彼らは今夜、このBAFTA授賞式のために特別に振付けられたパフォーマンスを披露してくれます。

Choreograph……振付をする

I have great pressure in presenting the past, the present, and future Billy Elliot from the West End smash hit “Billy Elliot the musical”.
ご紹介いたします。ウェストエンドで大成功をおさめた、「ビリー・エリオット・ザ・ミュージカル」から過去、現在、未来のビリーたちです。
Smash hit ……大成功 

Just one last question, can I ask you Billy, What does it feel like when you’re dancing?
ビリー、最後に質問させてください。踊っているとき、どんな感じがする?

(振り向いたビリー、歌い始める)

It's like that there's a music playing in your ear
音楽があるみたい、耳の中に。

And I'm listening, and I'm listening and then I disappear
聴いて、聞いて、それから僕は消える
disappear……消える 

And then I feel a change
自分が変わっていくのがわかる

Like a fire deep inside
内側の深いところに火があるみたいに

Something bursting me wide open impossible to hide
僕をはちきれそうに押し広げる、隠すことのできない。

Burst……爆発する・はちきれる 
Impossible to do〜 ……〜することのできない

And suddenly I'm flying, flying like a bird
そして突然僕は飛んでいる。鳥みたいに

I feel electricity, electricity
電気を感じる

Sparks inside of me
僕の中で火花を散らす

And I'm free I'm free
僕は自由

Electricity, sparks inside of me
僕の中で火花を散らす電気

And I'm free, I'm free
そして僕は自由、自由

I'm free. Free I'm free
自由になる

映画も本当にいい作品です。そして、もし、ロンドンに行く機会がありましたら、是非ミュージカルもご覧になってみてください。映画よりもう一回り明るくてノリが良い感じですが、ストーリーのせつなさ温かさ、少年の才能のきらめきは同じです。

(ミュージカル余談1)
ロンドン在住の知人は、気に入ってほめすぎたがために、日本から人がくるたびに案内を頼まれ、かれこれ5回観ることになったとか(笑)。
(ミュージカル余談2)
ストーリーは危機に瀕した炭鉱町の悲哀など、大人にも染みるものになっています。
別の知人が観に行った際、隣の観客のオジサンが劇場のバーで飲みすぎたのか酒臭いのに最初は閉口したそうですが、あるせつない場面で、そのオジサンが酔いも相まってコワモテを崩してグスグス惜しげもなく泣いていたのが、今になるとちょっと微笑ましい思い出だそうです。

読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum at 14:45| おすすめ動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月15日

(ネタバレ編3)「白い犬とワルツを」ラストシーンの台詞

今日は、映画「白い犬とワルツを」の一部英語台詞についてご紹介させていただきます。 (ネイティブの知人にいろいろ質問させていただきましたが、字幕を写せたわけではないので一部抜け等あるかもしれません、なにとぞご容赦ください……。)

過去記事はコチラ
(ご紹介編)
(ネタバレ編1)
(ネタバレ編2)

 最愛の妻に先立たれた夫が、ふいに現れた不思議な白い犬と一緒に暮らすというストーリー。
 
 ※以下結末部の内容なので作品を一度ご覧になってからお読みいただけると幸いです。
 





【場面】自分の命が長くないことを感じているサム。ベッドの中で、息子ジェイムスと孫のボビーに、今はサムの側からいなくなってしまった白い犬の居場所を教える。
(サムは亡き妻コウラが犬に姿を変えて、今まで自分を見守ってくれていたのだと信じています。)

(サム)
You wanted to know where my dog is son?
わしの犬がどこにいるのか知りたがっていたなジェイムス?

(ジェイムス)
Where?
どこにいるの?

(サム)
Up at the cemetery.
墓地だ。

Cemetery……墓地 

She’ll be waiting to show me the way.
わしに(天国へ至る)道を見せるために待っている。

You wanna see her, you go up there early in the morning , right at the sun up, she’ll be there.
犬を見たかったら朝早くに墓地に行けば会える。日が昇るころに、犬はいるはずだ。

You remember that. You too, boys. You remember now.
覚えておいてくれ、ボビー、お前もだ。忘れないでくれ。

Remember……忘れない・記憶にとどめておく

No endings, discoveries.
終わりは無い。発見だけだ。

Discovery……発見

(ジェイムスの語りが、夜明けの墓地に重なる)

Nobody ever saw the white dog again.
その後二度と犬を見た者はいなかった。

But the day after daddy was buried, Bobby and I did what he said.
だが、僕とボビーは父が埋葬された後、父の言った通りにした。

Bury……埋葬する

Right at the dawn we drove to the cemetery.
夜が明ける頃、僕たちは墓地に行った。

Dawn……夜明け 
・Drove……drive(運転する)の過去形

There were just these sandy graves, my mother’s and my father’s, and all the wreaths and flowers around.
そこには、まだ新しい白い二つの墓、母と父の。そして供えられた花輪や花。

Grave……墓(穴)

Wreath……花輪

It was very quiet, and the sun came up.
とても静かだった。そして朝日が昇った。

And then we saw them.
そして僕たちはそれを見た。

And then……それから

Right across the grave of Robert Samuel Peak, we saw the paw
prints.
ロバートサミュエルピーク(サム)の墓に残された、犬の足跡を

Right across 真向かいに、横切って
Paw……動物の足

Prints, so light.
とても軽やかな足跡

They could’ve been made of air.
(直訳)あの足跡は、空気でできていたのかもしれない

・Could have+過去分詞でこの場合「〜したのかもしれない」の意味
・Made of ……〜でできている http://ejje.weblio.jp/content/made+of

(補足、原作小説では「あの足跡は、風が付けたのだろうか」と意訳されています。すばらしい。)

I told you this was a love story.
言ったでしょう。これは愛の物語だと。
(完)

物語の最初に、ジェイムスは語り手として父母を紹介した後、こう言っています。
This is their love story.
これは二人の愛の物語だ。
But not like any love story you ever heard before.
でも、あなたが今まで一度も聞いたことのないような。

 物語の結びに、ジェイムスはもう一度、そのことを繰り返して言ったのです。
 そして作品は、冒頭のサムとコウラのダンスの場面へと戻っていきます。
 
 終わりの無い、二人の愛のダンスへと。

 また日を改めて、この映画の名台詞の英語をご紹介したいと思います。

でも、明日はひとつ別の情報をお届けします。
2月17日月曜日に午後9:00〜10:51BSプレミアムイギリスの傑作映画「リトル・ダンサー(英名Billy Elliot)」が放映されるそうなので(放映予定はコチラ)、それにちなんだ動画をひとつご紹介させていただく予定です。
 当ブログ過去記事はコチラ
 ミュージカル「ビリー エリオット」@ あらすじと原作映画紹介。 
ミュージカル「ビリーエリオット」Aロンドン公演紹介

読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum at 22:46| おすすめ映画(英米) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月14日

(ネタバレ編2)「白い犬とワルツを」(洋画)

 前回に引き続き、バレンタインにちなんで「白い犬とワルツを」をご紹介させていただきます。
 よろしければ先に過去記事「ご紹介編」「ネタバレ編1」をお読みください。

 (いえ勿論「ご紹介編」お読みいただいたうえで是非映画を先に見ていただきたいです。本当に本当にいい映画です。)

 長年連れ添った妻コウラに先立たれた老人サムのもとに、不思議な白い犬が訪れるという物語です。

 今回はラストシーンをご紹介いたします。

 余情に溢れ、心洗われる名場面です。
 

 コウラにプロポーズをした思い出の農工学校を訪れた後、体調を崩したサムは床に就く時間が長くなります。

 また子供と孫がかわるがわる訪れる日々が始まりますが、犬はなぜか疲れた様子。

 サムは一緒にベッドにいる犬に言います。
「みんなに見られるのは嫌なんだろう?もうお行き」
 犬はためらっているようですが、サムはもう一度言います。
「お行き。大丈夫だ」
 ドアのところで一度振り返った後、犬はサムのもとを去っていきます。
 しかしサムは笑顔でした。
 またすぐに会える。
 本当にすぐに。

 医者が回復について太鼓判を捺していたはずが、サムの病状は次第に悪くなっていきます。

 サムと非常に仲の良かった孫のボビーは叔父ジェイムス(映画の中の語り手)に声を詰まらせながら言います。
「治ろうと思ってない。死ぬ気なんだ」
 悲しいのはサムをこの世で一番大事な人と思っているジェイムスも同じでした。でも
「本人の意思を尊重しよう」
 それがサムを慕う二人の答えでした。

 ジェイムスとボビーに、自分が生涯をかけて育てたペカン(クルミ)の農園に連れていってもらったサムは、豊かな緑からさらさらと降り注ぐ木漏れ日にため息をつきます。
「葬式はこんな日に出してくれ。太陽もわしと一緒に埋めてほしい」
 ジェイムスは静かに微笑んで
「そうするよ」
と答えます。
 ボビーはこらえきれずに
「そんな話はやめて」
 と、サムに言いますが、サムは農園を手伝っているために自分と同じ場所にタコの出来た孫の手に、自分の手を重ねて言い聞かせます。
「木を育てて学んだはずだ。終わりはない。」
 老木は朽ちるが代わりに若木が育つ。
「わしは生き続ける。」
 ペカンの林の中に。
 そして、この、若い指のタコの中に。
 泣きそうだったボビーが少しだけ笑って答えます。
「『農園主の親指』」
 このタコをそう呼ぶんだと教えた日、ボビーは喜んでいた。
「この世に終わりはない。発見だけだ」
 そして、自分がしなければならない大いなる「発見」は、あともう一つだけ。

 ベッドに戻ったサムは、ジェイムスに言います。
「あの白い犬、あれはお前のママだよ」
 不思議そうなジェイムスに、サムは温かな確信に満ちた笑顔で教えます。
 あれはコウラ。天国から戻ってきてわしを見守ってくれていた。
 一緒で楽しかった。
「犬の居場所を教えよう」
 犬は、コウラは墓地にいる。
 サムに「道」を示すために待っている。
 夜明けに墓地に行けば、きっと会える。
 終わりはない。
 発見だけだ。

 サムの葬儀の後、ジェイムスとボビーは夜明け前に墓地を訪れます。

 静かな朝、まだ新しいサムとコウラの墓に朝日が昇った頃、二人は見つけました。
 サムの棺を埋めた白い墓穴の上に、小さな跡。
 犬の足跡。
 
 とても軽やかな。
 
 風がつけたような。

 金婚式の日に見たサムとコウラのダンスのような。

 物語の語り手であったジェイムスはこう結びます。
「言ったでしょう。これは愛の物語だ」
 静かに、そして父と母への愛と誇りを込めて。
 (完)

 朝日に照らされ、白い墓の犬の足跡がそっと浮かび上がる場面と、ジェイムスの、落ち着いているけれど心のこもった、ささやくような語りが心に焼付きます。

 私は何度もこの作品を観て、そのたびに何度も涙して、この映画の世界の温かさと愛と恋にあこがれ続けてきました。

 世の中はどうもこんなことが滅多に起こらないらしいというか、逆のことは嫌でも一杯いぃっぱい起こるらしいと気づいてから、自分の心臓の温度はだいぶ下がり、引き換えにある程度の図太さと、もっと物悲しい、複雑な芸術を鑑賞する目を得ましたが、しかし、今でもふるさとのように愛するのは、この作品の中の素朴で温かい光に満ちた世界です。

 この世界にたどり着くこと、居続けることの難しさが今は痛いほどわかる。わかりすぎて大人になって以後観ると感動以外の涙が出てくるくらいです。

 でも、どんなに難しくても、自分の今とかけはなれていたとしても、この物語を美しいと思い、憧れて泣く心だけは、それだけは無くしたくないと思います。

 それを自分の人生の根にしたいのです。

 ほかにどれだけ手を伸ばしても、これが自分の究極の憧れだと思い続けたい。

 サムは太陽の光と一緒に埋めてほしいと言いましたが、私はその心を持って棺におさまりたいと思います。

 そして、できればそのとき、サムのように、誰か大切な人との楽しかった思い出もまた、しっかりと胸に抱いて目を閉じられたらと思います。

 読んでくださってありがとうございました。このバレンタインの日に、一人でも多くのサムとコウラが愛を伝え合えていますように。

posted by Palum at 20:52| おすすめ映画(英米) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月13日

(ネタバレ編1)「白い犬とワルツを」(洋画)

 前回に引き続き、バレンタインにちなんで「白い犬とワルツを」をご紹介させていただきます。
 
 中盤までのあらすじを書かせていただいた過去記事はコチラ 

 長年連れ添った妻に先立たれた老人サムのもとに、不思議な白い犬が訪れるという物語です。

 美しい場面の多い作品なのですが、今回はその中の一部をご紹介。
 
 おすすめ場面@……オープニング

 物語の語り手はサムとコウラの次男ジェイムス。

 「これは愛の物語だ。とても風変わりな。僕は忘れない、二人のダンスを」
 そんな語りだしで作品は幕を開けます。

 サムと妻コウラの金婚式パーティーで、カントリーミュージックのバンド演奏に乗って楽しげに踊り、談笑する大勢の身内と友人たち。

 ゆったりとしたムードのある曲に切り替わると、コウラ(ジェシカ・タンディ)が席を立ってサムを誘い、二人は踊りだします。

 寄り添うコウラの頬にキスをして、笑うサム。

 パーティー最後の記念撮影のときに、コウラが「(結婚して)50年ね」と言うと、サムは「長すぎる」といたずらっぽく言います。

 それを聞いたコウラが「私が死んだら再婚ね。ビスケットも他の女が焼くんだわ」と返し、娘たちが、よしてよママと咎めても、サムは平気で「今度の女はビスケットは焼かない。都会の娘を選ぶから」と答えます。

 娘たちが怖い顔をすると、コウラはクスクスと笑い、悪い冗談はそこで終わりになります。

 夜、家の外のベンチに座ったサムは、コウラの肩を抱き、「ずっとそばにいたい。君のビスケットともね」と言い、コウラもその肩に寄りかかって「離れないわ」と微笑みます。

 この素朴だけれど宝石のように完璧な幸せは、7年後、コウラの突然の死によって終わりを告げます。

 コウラの死後、ふいにサムの家に現れた不思議な白い犬と暮らすようになったサム。

 生前コウラが行きたがっていた同窓会に犬と一緒に行く計画を立てたサムは、子供たちには何の断りも無く(1番気の合う孫のボビーにだけ計画を打ち明けて)出かけてしまいます。

 あそこで、人生最良の日を迎えた。その思い出をどうしてもたどりたくて。

おすすめ場面A……池のほとりでの回想

 車で長い距離を走り、途中で道に迷いもしましたが、どうにか、同窓会にたどり着いたサムと白い犬。

 サムは犬を学校裏の池のほとりに連れて行きます。

 木々の緑と白や黄色の花に彩られ、虫と小鳥の声が響く、こじんまりとしているけれど、穏やかな美しさに包まれた場所。

 学生の頃、ここにコウラを連れてきた。

 池のほとりに来ると、歩行器に肘をつき、あの頃を思い出すサム。

 やがて、緑を映してやわらかく揺れる池の水面に、笑顔の亡きコウラの姿が映ります。
 
 彼のそばに来たコウラに、しみじみと語りかけるサム。
「わしは言った。『気に入ったかい?』と」 
「私は答えた『美しいわ』と」
 向き合うサムとコウラ。

 二人は若い頃互いに言ったのと同じ言葉を交わします。
「将来僕は農園を持って木を育てる。それが夢だったんだ」
「あなたは人より木と一緒にいるほうが好きみたい」
「君と一緒がいい」
 歩いたり、話したり、何もしなくても。

 やがて老いたサムは帽子をとって、緊張した面持ちで言います。
「コウラ、僕と結婚してほしい」
 驚いて恥ずかしそうに笑うコウラ。

「子供は何人ほしい?」
「そんなこと……」
「僕はたくさん欲しいんだ。大家族に憧れていた」
「いいわ」
「……なにが?」
 息をのむサム。
「『いいわ、あなたと結婚します』私はあのときそう答えたわね」
 サムは悲しく微笑みます。
「57年間!楽しかった……」
「終わっていないわ。続いているのよ。」
 目をそらすサム。
「……君は逝ってしまった」
「違うわ。今もいつだって一緒にいる。わかっていると思っていたわ」

 それを聞いた、サムは目を見張ります。
 コウラの死後に起きた、あることの意味に気づいたのです。
 そしてみるみる泣き笑いの顔になって、言います。
「なんてことだ、都会の娘は永遠におあずけなんだな」
 朗らかに笑うコウラの姿が透き通って消えていきます。

 独りたたずむサム。

 あの白い犬が側にくると、歩行器に前脚を載せて彼を見上げます。
 サムは犬の顔を両手で挟んで、心をこめて言います。
「あの日が、私の人生最良の日だった」
 その少しうるんだ目は、もう「ふいに迷い込んできた犬」を見る目をしていませんでした。
 
 コウラが亡くなってから、いつもサムの側にいた犬。
 吠えず、ほかの人に見られたがらず、近くにいるはずなのに、他の犬が吠えない白い犬。
 やっとわかった。
 この犬は、コウラだったのだ。
 死んでも自分のために、もう一度傍に来てくれたのだ。
 
 あの、池のほとりでの時間で、サムはそう信じたのです。

 そして、サムのあの表情で、そのことに一緒に気づかされたあとには、観客である我々にも、不思議とあの白い優しい目をしたカワイイ犬が、銀髪の綺麗な女の人に見えてきます。
 サムから離れない姿も「なついている」ではなく「寄り添っている」に見える。

 この、サムとコウラが銀髪の容姿で若い頃そのままに初々しく慎ましく交わすプロポーズのやりとり、サムが、コウラが死んでも二人の魂は永遠に一緒なのだと気づいたときの泣き笑いの顔。そしてその顔のまま、犬に、コウラに「プロポーズを受けてくれたあの日が、自分の人生で一番幸せな日だった」と告げる瞬間。

 個人的にあらゆるアメリカの芸術作品の中で最も愛おしいです。

 心からの恋と、亡き人への愛と感謝と、生きていることの希望。

 人生でその人の魂を温め、支え、導く、本当に大切なものがしっかりと詰まっている。

 すぐれているとか染みるとかいえば他にも色々ありますが、愛おしいという点ではこれに勝るものは無いです。

 いや、もしかしたら、世界で一番かも……。
 
 この映画、ラストシーンがまた素晴らしいのですが、長くなりそうなので本日はここまでにさせていただきます。

 次回、バレンタインの日にはラストシーン、さらに追ってこの2場面の英語での台詞をご紹介させていただきます。

 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum at 22:05| おすすめ映画(英米) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月12日

(ご紹介編)「白い犬とワルツを」(洋画)

 もうじきバレンタインなので、今日は愛の物語の映画をご紹介いたします。

「白い犬とワルツを」
長年連れ添った妻に先立たれた老人のもとに、不思議な白い犬が訪れるという物語です。

(残念なことに今廃盤みたいですが、レンタルで観られるお店はあると思うのでTsutayaさんの作品情報リンクを貼らせていただきます〈コチラ〉)

 2000年代に小説と仲代達也氏の日本版リメイクが話題になりましたが、今回ご紹介するのは1993年に製作されたアメリカ発の映画です。

 主演はヒューム・クローニン。妻役は「ドライビング・ミス・デイジー」でアカデミー主演女優賞を獲得したジェシカ・タンディ

 二人一緒の画像が見られるウィキペディアページはコチラ

 実生活でも夫婦だった二人は、映画の中でもよくパートナー役を演じていました。

 銀髪のむつまじい老夫婦のダンスと、孤独になってしまった夫と、彼にそっと寄り添う犬の姿が心に染み入る名作中の名作です。

サムが世話するクルミの木が金色の木漏れ日に揺れる農園の景色も、残された父を案じる子や孫の、少しおせっかいだけれど心からの愛も心に残る。

 美しい緑と金色の下で、愛し合っている美しい家族が集う光景はルノアールの絵のようです(もう少しリアルに土を相手に生きている感じもするけれどそこがまたいい)。

 個人的な経験上、年配の方と、鼻の丸い目の大きな優しい犬と、愛し合っている夫婦を見るとそれぞれ簡単に涙腺がゆるんでしまうのですが、その全部の要素が一挙に画面に映るという「そんなん泣くに決まってるだろォ!?」な作品です。

 もしも、この世で最も愛している映画は、と聞かれたら、この作品を選ぶかもしれません。

 以下あらすじをご紹介させていただきます。
 
 サムとコウラは57年連れ添った夫婦。

 結婚50年記念の金婚式には子も孫も集まり、皆の温かな祝福の中で睦まじくダンスを披露。
 
 これからも互いの側を離れないと誓い合いますが、それから7年後、コウラが突然世を去りました。
 
 失意にうちひしがれるサム。
 しかし、彼の面倒を見ようとする子供たちの誘いを断って、気丈に独り暮らしを続けます。

 ある、薔薇が陽に光る、美しい朝。

 思わず「I miss you(君がいなくて寂しいよ)」と呟いたサムは、入り口に白い犬が来ているのに気づきます。

 真っ白で毛足の長い、ほほ笑むように優しい瞳をした犬。(泣←こいつ、観ながら書いているな)
 サムが追い払おうとしても、挨拶をするようにちょいちょいと手を上げて、いっこうに逃げようとせず、結局彼の家に居ついてしまいます。

 犬はサムの孤独な日々を慰めますが、不思議なことに近所の犬はこの犬が側にいるはずのときも吠えず、コウラの死後は一日と開けずサムの家を訪ねる子や孫たちも、その姿はおろか吠える声すら聴いたことがありませんでした。

 父親が心配で仕方ない娘二人は、「お母さんが亡くなったショックでおかしくなって、居もしない犬をみるようになっている」とオロオロしますが、確かに犬と一緒に暮らしているサムは憤慨しますし、ほとんど交代で見張られているような毎日も面白くありません。

 気づまりに思ったサムはある日、農園の手伝いをする孫のボビーにある計画を話します。

 言えばどうせお前のお母さんたちに止められるだろうからお前にだけ話す。農工学校の同窓会に一人(と犬と)で行ってくる。

 サムとコウラが出会った農工学校の同窓会。

 コウラがとても行きたがっていたし、あの学校でのある一日が、サムの人生最良の一日だったからです。

 心配しつつも男同士の約束と思ってボビーは祖父を送り出しますが……。

 全場面全台詞家族の愛と悲しみとユーモアがこもっていて素晴らしいのですが、必見はサムが歩行器で白い犬とダンスを踊る場面。

 脚立に似た形の歩行器で、支えとする脚部の間に棒が渡してあるのですが、そこに犬が前脚をちょんとのせて、二本足で彼のステップについて歩くのです。

 そして、これは驚いたと笑うサムの顔をペロペロと舐めます。(大泣←いや普通なら別に泣く場面ではないですが、僕は個人的にお年寄りと中型犬のコラボに勝てないんです。)

 この不思議な犬がいったいどこからきたのか。サムはやがてその答えに気づいていきます。

 理由はわかりませんが1980年代後半〜1990年代のアメリカ映画にはこういう、人生のもの悲しさをふまえつつ、惜しみなく人の心の温かな部分を描いた、素晴らしい名作があまたあります。個人的にはアメリカ映像作品の黄金時代はこの頃だと思っています。(なんで少し似た傾向を持つ「やさしい嘘と贈り物」を観たときには「これこれ!こういうアメリカ映画が好きなんだよ!」と嬉しかったなー……)

 心洗われるストーリー、どこか懐かしさを感じさせるアメリカの田舎の家や農園、ベテランから若手を問わず、全員一丸となった心のこもった繊細な演技。あとうちの犬そっくりの目鼻が可愛くて優しい犬(もっと客観的な形容をしろ)。

 そして、ヒューム・クローニンとジェシカ・タンディの輝くような笑顔のダンスシーン……。

 このブログを書きだしたころから、いつか必ずこの作品のことをご紹介すると誓っていました。

 派手ではないですが、本当にいい作品なので、ご覧いただけたら幸いです。

 当ブログ「白い犬とワルツを」の記事一覧はコチラです。よろしければご参照ください。

(ご紹介編)※今お読みの記事です
(ネタバレ編1)
(ネタバレ編2)
(ネタバレ編3)
(ネタバレ編4)

 読んでくださってありがとうございました。
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2014年02月11日

(台詞編)映画「イギリスから来た男」

 本日は前回記事でご紹介した「イギリスから来た男」の中で、作品のキーワードとなる台詞をご紹介いたします。(僕的直訳+ネット上の英語説明リンクをつけさせていただきました。)
よろしければ、下記クリックの上、映画あらすじご紹介、およびこの場面のよりくわしい説明を先にご覧ください。
(ご紹介編)
(ネタバレ編)

 「イギリスから来た男」は長年犯罪から足を洗えなかった男ウィルソンが、娘の事故死を殺人と確信して、娘の元恋人に復讐をするという物語です。

 日常会話の言葉とはわりとかけ離れているんですが、推理物を見るときなどには役に立つかもしれないという語がいくつかあります。

【シーン1】
ウィルソンが亡き娘ジェニーの友人イレインに対し、ジェニーの幼いころの思い出を語る場面。

She was always threatening me.
ジェニーはいつも俺を脅したよ。
Threat……脅す
 
Can you imagine?“ If you’re naughty dad, put the law on you promise”
想像つくかな?「パパ、悪いことをしたら、警察に言うよ」
Naughty……悪いこと、いたずら
put the law on 人で「(その人の)悪事を警察に伝える」というようなニュアンスだそうです。

She didn’t want me to get sent down again see.
あの子は俺がまた捕まるのが嫌だったんだ。
Send down……「〜を監獄に贈る」

And if she got wind that I was planning something.“ I’ll shop you dad, I promise, I’ll shop you.”
Got wind of……陰謀をかぎつける

Shopはこの場合、「警察にたれこむ」というような意味合いだそうです。

I can see her picking up the phone,“Look dad, I’m calling the old Bill right now.”
目に浮かぶよ。ジェニーが受話器を持ち上げて、“パパ、今すぐ警官に電話するよ”……
Old Bill……警官の俗語

Become a sort of joke between us only wasn’t really.
ジェニーと俺との冗談みたいなものだったが……。

(イレイン〈ジェニーの友人〉)
She wouldn’t turn him in, not in a million years.
ジェニーは父親を監獄送りにはしないわ、絶対に。

Oh, I know, but as time went on well went in ever decreasing circles.
ああ、知ってるさ、だが月日が経つにつれ、状況はどんどん悪くなった。
Go in ever decreasing circles……状況が悪くなる

The joke wore off.
冗談はすり減っていった……。
Wear off ……すり減る

She had a feeling about this last job, how long I’d get banged up for.
ジェニーには最後の仕事についての予感があった、俺が何年刑期を食らうか。
Banged up for……投獄される


Said, she wouldn’t be around this time when I got out, and she wasn’t.
ジェニーは言ったよ、俺が出所するとき、もうここにはいないって。そして、いなかった。

 ……父の悪事を止めようとして、警察に電話するふりを繰り返していた幼いジェニー。
 
 この癖が、実はジェニーの運命に大きな影を落とすこととなります。

【シーン2】
ウィルソンがジェニーを殺した元恋人テリーを追い詰めて、銃を突きつけ真相を聞き出そうとする場面
(このときウィルソンはすべてを聞いたらテリーを殺すつもりでした。それまでも真相を知るに邪魔な人間をウィルソンは平気で殺しています。)

Tell me about Jenny!
ジェニーについて教えろ!

(テリー)
I needed money!I would’ve given her anything she wanted but She found about my deal……
金が必要だったんだ!私はジェニーがほしがるものは何でも渡してきた。だが、彼女は俺の取引(※)を知って……。
Deal ……取引
(※)富豪のテリーは裏社会とのつながりがあり、違法な取引に加担していた。

She tried to stop me. She said she was going to turn me in.
 ジェニーは俺を止めようとした。ジェニーは警察にばらすと言って……。

She said she was going to call the cops. I couldn’t stop it. It’ already happened, it was over.
 警察に電話すると言った。止められなかったんだ。取引はもう済んでいた。終わっていたんだ。
It’s over……終わっていた


She was going to call the cops. She managed. She had the phone in her hand.
She was gonna call the cops. She managed. I couldn’t stop it. I couldn’t do anything.
 彼女は警察に電話しようとした。やろうとした。とめられなかったんだ。なにもできなかった。
Gonna=going to……〜しようとする


 この話を聞いたウィルソンは目を見張り、それまでピーターを締め上げていた手を離しました。

 ジェニーは、恋人の悪事を止めようとして、昔自分に対してしていたのとそっくり同じことをした。

 そして、そのジェニーの電話を止めようとしたピーターともみ合いになるうちに死んだ。
 
 それが、ジェニーの死の真相だったからです。

 復讐をしようとしていた自分のそれまでの生き様が、彼女を死に追いやっていた。
 そういう運命の皮肉が明らかになる場面です。

  後味が良いかと言えば違いますが、人生の複雑で悲しい様相を知った年代の人間には染みる佳作です。
私は冗談抜きで10回は観ました。最初は「テレンス・スタンプと映像がよくわかんないけどなんかカッコイイ」という理由で。
 そして今はこういう人生の哀しさが描かれている、テレンス・スタンプが見事にそれを演じているという理由で。

 そして、多分これからもまだ何度か見直す作品だと思います。それだけの意味がきちんと描かれている。

「難しいけどなんかいいなー」と思った作品はしつこく観るべきだな、必ず後でなにか奥底の意味が浮き出てくる。と思い知らされた作品のひとつです。よろしければご覧になってみてください。

 読んでくださってありがとうございました。
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2014年02月10日

(ネタバレ編)映画「イギリスからきた男」(テレンス・スタンプ主演)

イギリスから来た男.jpg

少し間が空いてしまったのですが、今日は、過去にご紹介した「イギリスから来た男」のネタバレ編をお届けしたいと思います。(過去記事はコチラ
 主演はテレンス・スタンプ。

 若い頃は「イギリスでもっとも美しい男」と言われ、どちらかというと中性的な美青年でしたが、今は銀髪に鋭いまなざしの渋い名優です。

 そして過去から現在にいたるまで、抜群の演技力を誇ります。

 印象的な大きな瞳と端正な顔立ちと相まって象徴性すら感じさせる。

 出所して間もなく、離れて暮らす娘の死を知った男ライミー・ウィルソンが、単身アメリカに渡り、その死の真相をさぐろうとするという筋立てです。

 筋はシンプルながら、映像の時間軸が意図的にバラバラに崩されているし、主人公ウィルソンの言動が一見突飛でこれまた脈絡が読めないので、正直一度観たときには結構とっつきにくいです。

 でもテレンス・スタンプの凄味と、暴力と追憶の交錯する映像美が観る者を惹きつける。

 そして、忘れがたいのが、今回ご紹介するラストシーンです。
 
 (以下結末部まで書かせていただいているので、大丈夫な方だけお読みください。)

 ウィルソンの娘ジェニーは、深夜にマリファナを吸って車を運転し、事故で亡くなったことになっていましたが、ウィルソンは娘の性格上そんなことはありえないと初めからその話を信じませんでした。

 誰かジェニーを事故にみせかけて殺した人間がいる。

 ウィルソンは娘ジェニーを殺した犯人を追う中で、娘の友人二人と交流を持ちます。
 その中の一人イレインに対し、ウィルソンがこんな話をする場面があります。
 
ウィルソンは長年犯罪から足を洗えない男で、ジェニーは幼いころから刑務所と裁判所と家を行き来する父の姿を見てきました。

 (この回想シーンで実際に若い頃のテレンス・スタンプ〈ホントにカッコイイ……ちょっとくずれた雰囲気は往年のジュリーに似てなくもないかも〉の映像と、砂浜を水着で走る少女の笑顔が交錯します)

 ウィルソンが何か犯罪に加担しようするたびに、それを察した幼いジェニーは彼を止めようとして、受話器を手に、電話をする仕草をしました。
「悪いことをするなら警察に言いつけるよ」
 本気で親を売る気などありませんが、いくら止めても堅気の道を選ぼうとしないウィルソンに対して、ジェニーの心に失望が広がっていきました。

 最後のヤマでウィルソンが逮捕される前に、ジェニーは「もう待っていない」と言い、父に背を向け、アメリカに行ってしまいました。

 そして、そのアメリカで死んだのです。

 ウィルソンは他者に対して凶暴ですし、盗みや殺しに対して歯止めがきかない男ですが、一方で身内に対する情は濃い男でした(妻が死んで数十年経つのに、今でも結婚指輪をはめています)。

 娘が死んだときに、刑務所で不思議とはっきりそれを感じ取ったウィルソンは、やがて、娘の当時付き合っていた男が彼女を殺したのだと確信し、復讐を誓います。

 娘の元恋人テリー(ピーター・フォンダ)は音楽業界の成功者で、裏社会ともつながりのある、その地域で屈指の資産家でした。

 普段から常に護衛に囲まれ、ウィルソンがテリーに関わりのある裏社会の人間数人を射殺後、生き残りに「俺が行くと伝えろ!!」と宣戦布告してからは(このときのカメラワークが秀逸です。建物から銃声が聞こえて、大慌てで逃げてくる若い男の後ろから出てくるウィルソン。顔に血しぶきを少し散らして彼がしたことをほのめかしている。普通銃撃シーンは映すと思うのですが、思い切り描写を削って、ウィルソンの台詞と血しぶきのほうで凄味を出している)、ますます警備を固めますが、生き残ること以上に復讐を願うウィルソンの執念の前に、仲間割れも災いして護衛の人間たちは次々と倒れていきます。

 海の側の邸宅で、夜、波打ち際でとうとうテリーを追い詰めたウィルソンは、「ジェニーのことを教えろ!!」と動けなくなっているテリーの胸ぐらをつかんで問い詰めます。

 しかし、そのときテリーから聞いた答えがウィルソンを凍り付かせます。

 自分はジェニーを愛していた。

 だけど、自分が裏社会の薬物取引に関わっていることを知った彼女が、テリーを止めようとして、「やめないと警察に電話をする」と脅してきた。

 受話器を手に「警察に何をしたか言う」と。

 既に取引は済んでしまっていて、後には引けない状態だったのに。
 (そしてテリーが彼女を止めようとしてもみあっているうちにジェニーは頭を打って死に、テリーと警備の人間たちは死因を隠蔽するために事故にみせかけたのです。)

 どうすることもできなかった。

 泣きじゃくるテリー。

 しかし、おそらくウィルソンの思考は、この言葉を聞いた時点で止まっていたでしょう
 「やめないと警察に電話をする」
 受話器を手にして、ジェニーはそう言った。

 幼い時の彼女のその姿、その言葉が、大人になった彼女と重なり合う

 ジェニーは命を落とす前、受話器を手にして言った。
 「やめないと警察に電話をする」と。

 いつのまにか、ウィルソンの手がテリーから離れていました。

 そして、少しふらつく足で、ウィルソンはその場を去っていったのです。

 ……自分が刑務所にいる間に娘が死んだ。

 幼いころから自分の生き様のせいで何度も離れ離れになって、守ってやれなかった。

 せめて娘を殺した人間を見つけて、落とし前をつけるつもりだった。

 そのためなら自分の命の在り処など気にならなかった。

 だけど、何があろうと復讐するつもりでいた自分の、過去の行いが、娘の死の引き金となった。

 テリーの動作がジェニーを殺したのだけれど、自分があんな生き方をしなければ、娘はきっとテリーに対してそんな態度で臨まなかった。

 その瞬間、行き場を失なったウィルソンの怒り。

 テリーを殺さなかったウィルソン。
 
 テリーを許したわけではなく、ただ、ジェニーの死に対する自分の罪を知った瞬間、それに打ちのめされたのでしょう。

 場面は切り替わり、娘の友人たちと静かな、思いのこもった別れの挨拶を交わしたウィルソンは、イギリスに帰る機内にいます。

 隣の席の女性となにげなく言葉を交わしながら、ウィルソンのあの大きく鋭いまなざしが、もっと遠く、曖昧なものを見つめてかすかに細められます。

 アメリカに来たときは、娘を殺した者を、自分が殺すべき者を、それだけを刃のように探していたその目は、これから、ゆっくりと、自分のそれまで選んできた人生と、それに確かにつながってしまっている娘の死の、そのもつれからまりあう様をみつめ、ときほぐしていかなければならないのでしょう。

 昔の人は「因果」と言い表した、その数奇で皮肉な現実の有様を。
 
 そして、そのつながりを全てのみこめた時に、それから自分がどんな思いで生きていくかの答えもまた、探していかなければならない。

 今はただ、やがて自分が歩まなければならないその道のりの長さ、むずかしさ、重さだけを手ごたえとして感じながら、ウィルソンの心は再び思い出にたゆたっていきます。

 若く、ギターを弾き、たばこを吸い、自由で奔放で、妻も娘も仲間もいて、この生き方でやっていけると思っていたころを。

 そこから始まり、娘の死に至るまでの、その長い時間を思う前の、束の間の休息として。
(完)

 わかりにくいといえばわかりにくいのですが、しかし独特の力のある作品です。

 家族に対する情や、他の生き方ができないという悲しさ、そして、自分のしてきたことが、思いもよらない形で悲しい結末を呼ぶという数奇。

 映像や時間軸は入り組んでいるけれど、描かれている人間の思いや現実の悲哀はシンプルで共感を呼びます。

 ほとんど笑わないウィルソンが、自嘲気味ながらかすかに笑みを浮かべて話していた、父親を思うがゆえの幼い娘のしぐさが、そのまま彼女の死へとつながっていたと気づかされた時のウィルソンの茫然とした様子、そして、テリーを殺さないまま、イギリスへと帰っていくウィルソンの遠い目。
 彼はこれから何を思って生きていくのか。
 そういう余韻のある結末です。

 映像のスタイリッシュさとこうしたシンプルながら奥深い心理描写がうまく調和している良作(どっちかだとあんまりおもしろくないと思うんですが、ちゃんと相乗効果になっています。そして、テレンス・スタンプ本人の存在感がまた、そういう感じなんです)ですので、よろしければご覧になってみてください。

 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum at 22:22| おすすめ映画(英米) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月09日

エリザベス・シダル(「ラファエル前派展」「オフィーリア」と「ベアタ・ベアトリクス」について)

先日、現在開催中の「ラファエル前派展」で来日中の絵画「オフィーリア」についてご紹介させていただきました。
公式HPはコチラ

今回はこの絵のモデルとなったエリザベス・シダルと、彼女を描いたもうひとつの傑作で、同展覧会展示中の「ベアタ・ベアトリクス」(ロセッティ作)の逸話について簡単にご紹介させていただきます。
 エリザベス・シダル(ウィキペディアより)

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 エリザベス・シダルはラファエル前派の女神(ミューズ)の一人で、数々の絵のモデルになりました。

 ラファエル前派の絵を観るたびに、「こんな女性がこの世にいるものだろうか」と思うものですが、写真を見るに確かにシダルは美しく、しかもどこか現実離れしたはかなげなたたずまいの女性です。

 豊かな髪に細い顎、端正な顔立ちにもの憂げな目、後に彼女を妻にしたガブリエル・ロセッティの弟ウィリアム・ロセッティ(詩人)は彼女のことを「甘さと威厳のはざまの気配をまとうこの世で最も美しい生物」と形容しています。

 写真ではわかりませんが、義弟ウィリアムの形容いわく、背が高く、銅色がかった金髪に緑とも青ともつかない瞳だったとも語られています。

 シダルは帽子屋の店員をしていたときにその美を見出され、ラファエル前派の画家たちのモデルを勤めるようになりました。

オフィーリア.jpg
 そしてあのミレイの傑作、「オフィーリア」に描かれることとなるのですが、この絵についてはこんな逸話が残されています。

 このときシダルは浴槽に浮く形でポーズをとり、ミレイは彼女が寒くないようにと浴槽をランプで温めながら描いていたのですが、いつのまにかランプの灯が消えてしまい、水温はまたたくまに下がっていきました。

 しかし、あまりにも集中して絵を描いていたミレイを気遣ってそのことを言い出せなかったシダルが我慢してポーズをとりつづけた結果、肺炎寸前の酷い風邪をひいてしまい、シダルの父は怒ってミレイに治療費を請求したそうです。

 漱石をも感動させたオフィーリアの美の陰に、こんなリアルな苦労と後日談があったのですね。

 この話を聞く限り、はかなげな風情のわりに根性のある女性だと思うのですが、しかし、この生真面目さが後にあだとなってしまいます。

 シダルは同じくラファエル前派の代表的な画家、ロセッティと恋愛関係になり、やがて婚約しますが、ロセッティにはもう一人、ジェイン・バーデン(モリス)という想い人ができてしまいます。

 このジェインを描いたロセッティの代表作「プロセルピナ」もこの展覧会で観ることができます(というか展覧会ポスターでメインはっています)。複雑な……。しかし確かにこの人も美しいです。唇が真紅の薔薇の花びらのようで、夢見る瞳のシダルと異なり、もっと射るような強い瞳をしています。

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 一度はシダルを選ぶことを決意したロセッティですが、ジェインが友人であるウィリアム・モリスの妻となった後も、彼女を想い続け、さらに、この複雑な関係に悩んだ挙句か、同じくモデルを勤めていたファニー・コンフォースという女性とも恋仲になってしまいます(ファニーの存在をシダルが知っていたかどうかは明らかになっていないそうです。)

 こうした夫との関係や、子供を死産したことを苦にしたシダルは、思いつめるあまり次第に健康を害し、意図的になのか事故なのか、アヘンチンキ(当時は鎮痛剤として容易に手に入れることができた)を大量にあおって32歳の若さで死んでしまいます。

 当時自殺者は教会に埋葬されないしきたりでしたので、シダルの死は事故ということにされ、自責の念に駆られたロセッティは、弔いのために自分の詩の原稿を彼女の棺に納めました。

 そしてシダルの死後、8年の月日をかけてロセッティが描いたのが「ベアタ・ベアトリクス」です。

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 「神曲」の作者ダンテ(ロセッティと同じ名)の永遠の想い人ベアトリーチェが死を迎える場面を象徴的に描いた作品で、透明な神々しさの中に恍惚をただよわせた美しい女性はロセッティの記憶の中のシダル。

 苦悩にやつれ、孤独の淵に沈み、天国に行くことができるか不安に思いながら死んだであろうシダルを、金色の光に包んで静かに召されていく姿で描くこと、また描く自分で居続けること。

 それによって妻の魂の平安と、自分の罪の赦しを得たかったのかもしれません。

 それほど大きな絵ではないのですが、内側から光と影が同時に放射されているようで、ベアトリーチェ(シダル)のなにか祈りをささやくような唇と閉ざされたまぶたのやわらかな曲線の美が心に焼き付きます。

 「オフィーリア」がイギリスの自然と幻想の美を端正な調和のもとに描いた作品だとすれば、これは、まだ神が側にいた時代のイコン(聖画)の素朴な金色と、底知れぬ不吉を溶き混ぜて描いたような混沌の美をもつ作品です。

 亡きシダルの絵を描きながら、一度は画家としての成功を手にしたロセッティでしたが、やがて酒や薬物に溺れ、自身の視力に不安を覚えるようになり、詩人として生きていく道を模索するようになります。

 そして、そのとき彼の脳裏に恐ろしい考えがよぎります。
 シダルの棺におさめたあの草稿。
 あれがあれば……。

 精神的に追い詰められたロセッティはとうとう妻の墓を暴いてしまいます。

 実際に棺を開けた人物の話によれば、棺の中のシダルは(おそらくはアヘンのために)おどろくほど生前の美しさをたもっており、あの豊かな銅色がかった髪が死後も伸び続けたかのように棺を満たしていたそうです。
 
 しかし、そうまでして発表したロセッティの詩集は良い評価を得ることができませんでした。

 そして、妻の死に加え、棺を暴いたことに対する罪悪感も増し加わってしまったロセッティは、ますます酒と薬物が手放せなくなり、53歳で朽ち果てるように世を去りました。

 この上なく美しい、幻想や浪漫に彩られたラファエル前派の作品たち。

 しかし、そこに描かれた美しい女性たちと、彼女らを描いて新しい美を世に放とうとした芸術家たちの間には、甘やかな夢にたゆたうわけにはいかない、苦しく激しい愛憎がありました。

 ラファエル前派の傑作群には、その画面に、確かに観る者をただ美に耽溺させる以外の迫力があります。

 最上の美を描き出そうとする画家の緻密な筆致と執念(そしてそれに応えるモデルの存在)、しかし、永遠の美を夢見ながら、ついに死や悔恨や苦悩から逃れることのできない人々の憐れ。

 それが華やかな美を誇る絵の奥底でゆらぎや陰影を成し、今この時代になっても、同じように現実を超越した美に憧れながら、苦悩や悲哀の鎖につながれた人々の心を奪うのかもしれません。

 読んでくださってありがとうございました。

主要資料
ウィキペディア「エリザベス・シダル」(英語版のみ)「ガブリエル・ロセッティ」(日本語版)(英語版

当ブログラファエル前派展に関係する過去記事はコチラです。よろしければ併せてお読みください。
「オフィーリア」(ミレイ作)
ミレイの「オフィーリア」と夏目漱石の『草枕』
posted by Palum at 17:51| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月08日

「ジャイ子の恋人=のび太」(『ドラえもん』より)

今回もドラえもん作品のうち個人的に好きな作品を文でご紹介させていただきます。
(ネタバレですので。先にコミックをお読みになることを強くおススメいたします。)
てんとうむしコミックス22巻に収録されています。


ドラえもん 22

 のび太がジャイ子に片思いしているらしいと知ったジャイアンのせいで、のび太がえらい災難に見舞われるという話です。

 「笑える」という点では、過去記事で書かせていただいたものと並びトップ10に入る名作だと思います。

 (以下結末までネタバレでご紹介)

 道を歩きながら、どうも最近女の子につけられているらしいというのび太
 ドラえもんはギャハハと笑いながら「天地がひっくり返っても絶対無い」と、全否定しますが(ドラえもんちょいちょい超失礼)、じゃ、見てろ、と物陰で待ちかまえるのび太に確かに近づいてくる女の子の人影……。

 二人が覗き込んでみると、女の子はなんとジャイ子。

 びっくりして逃げ帰ってきた二人でしたが、ジャイ子がつけてくる理由がわかりません。
「まさか、ぼくがすきになったとか…」
「それはない!たとえジャイ子でも絶対ない」(ドラえもんちょいちょい…〈以下略〉)

 そこへニコニコ笑ってジャイアンが訪ねてきます。
「のび太よ。お前幸せな奴だなあ」
 きょとんとしているのび太に、最近ジャイ子の様子がおかしい(ためいきばかりついて、飯も5杯しか食べない〈←……〉)が、聞いても悩みを打ち明けようとしないので、さぐってみたところジャイ子の机からこんなものが出てきた、とジャイアンが差し出したのは、のび太の写真でした。

 妹は俺に似て内気な奴だから(←……2)ひとり悩んでいたと思うといじらしくて……と涙したジャイアンは、そういうわけでからお前からデートに誘ってやってくれ、と、有無を言わさずのび太を家に連れて行ってしまいます。

 しかし、無理やり部屋にジャイ子と二人きりにされると、ジャイ子はきわめてアッサリと「忙しいから用がないなら早く帰ってほしい」とのび太に言います。

 ほっとされたようなバカにされたようなと思いつつ、帰り道でしずかちゃんに会ったので一緒に公園に行こうとしたところ、ジャイアンにつかまってしまいます。

 帰れって言われたから……と正直に言うのび太のに、ジャイアンは、女心のわからん奴だなあ。と口をとがらせます。

(女の子は)好きな奴にはわざとツンツンするもんなんだから(今でいう「好き避け」とか「ツンデレ」?)、男のほうから好きだとうちあけるべきだと言われ、のび太が、そんな、好きでもないのに、と拒否しようとした瞬間に、ジャイアンの様子が一変。
「きらいだってのか?」

すき!大すき!.png


「言っとくがな、妹を泣かせる奴がいたら、俺が殺してやる!!」と、拳を固めたジャイアンに胸倉をつかまれたのび太は大慌てで「好き!大好き!」と答えます。(かわいそう)

 これで機嫌を治したジャイアンは、空き地でのび太に「女の子のハートのつかみ方をコーチ」する(笑)ことします。

 土管に座ったジャイアンに
「俺をジャイ子と思ってすきだと言ってみろ」と言われたのび太は
「オエー」とわりと正直な音声をもらし、何か言おうとしてもしどろもどろになってしまいます。

「俺だと思うからダメなんだ。ジャイ子と思えってば」
「どっちにしてもなあ……」(←さすがにこれは口には出せないのび太)

 で、どうにか思いついたのがこの台詞。

ジャイ子さん、友達になってくれない?22巻.png

「ジャイ子さん友達になってくれない?いやならいいけど」

 勿論ジャイアンからパンチが飛んできます。

「まるで心がこもっていない!心の底から好きだと言ってみろ!」
「す、好き!すき!ウキー」と涙ながらに言うのび太。

 一応合格と思ったのか、土管の上のジャイアンは
「好きなら態度で示せ。もっとこっちに来い。手ぐらいにぎれ」
 と、より具体的な指示を出してきます。

うれしいわ、のび太さん22巻.png



「ぼ、ぼく、ほんとにきみのことすきなんだ」
「うれしいわ、のび太さん」
……そう言いながら土管に寄り添って座るのび太とジャイアン(ジャイアンがのび太の肩を抱いている)を見つけて完全に誤解したスネ夫顔面蒼白(大笑)。

 ほうほうのていで帰ってきたのび太に、なんとかジャイ子に嫌われるようにしてくれと泣きつかれたドラえもんは「スカンタコ(笑い)」という変な顔のタコを出します。

 そのスミをかぶった人間は誰からも嫌われるという、開発者の意図も元来の用途も全く分からない秘密道具ですが、なにはともあれスミをかけてもらったのび太。

 これで大丈夫かと聞こうと思ったら、もうドラえもんにもママにも大いに嫌われて家から叩き出されます。

 しかし、ジャイ子に嫌われるためなら仕方ないと、ジャイアンの家に行くと、出迎えたジャイアンは「すまん、俺の勘違いだった」と苦笑いして真相を話します。

 なんでも、漫画家志望のジャイ子がネタにつまって悩んだ挙句、のび太の動向をギャグ漫画にしようと取材のつもりでつけまわしたり、のび太の顔をネタにおかしな顔を考えたりしていたとのこと(ド失礼)。

 そう話し終えた直後、はじめてまともにスカンタココーティング済ののび太の顔を見たジャイアン。
「とっとと帰れ!」
 と、とたんにのび太を家から蹴りだします。

 憤慨しつつ(無理もない)、ぼくの相手はやっぱりしずちゃんなんだ、と公園に向かいますが、しずかちゃんからも思い切り逃げられ、ドラえもんに「どこまで運のない男なんだろう」とつぶやかれるというオチです。

「俺だと思うからダメなんだ。ジャイ子と思えってば」
「どっちにしてもなあ……」
と、
「ジャイ子さん友達になってくれない?いやならいいけれど」
ののび太の、本当にこの上なく見事に心のこもっていない台詞と表情、
そしてやっぱり
「ぼ、ぼく、ほんとにきみのことすきなんだ」
「うれしいわ、のび太さん」
 を目撃してしまったスネ夫の驚愕の表情が最高です。

 全コマ全台詞脳裏に焼付くゆるぎない完成度という点で、ドラえもんとサザエさんって本当に圧巻ですね(国民的ほのぼの作品の皮をかぶって結構シビアなところも共通している)。忘れがたいという意味でなら別腹で岡田あーみん先生(※)もいらっしゃいますが……。
(※)岡田あーみん……「りぼん」誌で活躍した伝説のギャグ漫画家。代表作は娘を溺愛するあまり、周囲に迷惑をかけまくる奇抜な中年佐々木光太郎氏が主人公の「おとうさんは心配性」(こちらも機会があったらご紹介したいものです)。

 
お父さんは心配症 1

 さて、ジャイアンがらみの作品のご紹介に偏ってしまったので、今度は別の味わいの名作もご紹介させていただきたいと思います。よろしければまた見にいらしてください。
 過去記事はコチラになります。(全てネタバレですのでご注意ください)
 「ジャイアンシチュー」 
「ジャイアンへのホットなレター」
「ジャイアンリサイタルを楽しむ方法」
「きこりの泉」

 読んでくださってありがとうございました。
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2014年02月07日

「五匹の子豚」(クリスティのフレンチ・ミステリー※ネタバレ編)

 今回はAXNミステリーで2月15日(土)15:00から放送される「クリスティのフレンチ・ミステリー」の「五匹の仔豚」についてご紹介させていただきます。

 当ブログの「フレンチ・ミステリー」過去記事はコチラ

 複雑な人間関係と海辺の景色、小さな子供の歌うマザーグースが織りなす、悲しい事件と、ラロジエール警視&ランピオンのギャグの緩急、そしてラストシーンの情緒。

 みどころの多い良作です。

(あらすじ)以下かなりネタバレです。大丈夫な方だけお読みください。

 母親が画家の父を毒殺した罪で投獄され、15年後、当時幼かった娘が真相を探ろうとするという筋立て。

 原作では探偵役がポアロ。

 そして、原作では獄中死したことになっている母親が生きていることになっているところが最大の違いです。

 ドラマは、事件当時まだ幼かった娘マリーが、成長して、かつて住んでいた古い邸宅の鍵を開くところから幕を開けます。

 誰もいない家で、マリーの心の中に響く、「五匹の仔豚」の歌。

 15年前の、黄昏の砂浜での思い出。

 父が自分の手をつかんでくるくると回して遊んでくれ、まだ少女だった叔母コレットが、むつまじい親子3人の写真を撮ってくれた。

 幸せだったはずなのに、父バルガは心臓発作で死んだ。

 母のエマも悲しみのあまり病気で死んだと聞かされ、彼女は親戚のもとで育てられた。

 でも、そこには二つの嘘があった。

 父は殺され、犯人として逮捕された母は今も牢屋の中にいた……。

 場面が変わり、警察そばのレストラン。

 既に優秀な部下として知られるようになっていた若手刑事ランピオンが、尾行してきた探偵ルブランからヘッドハンティングされています。

 最初は、自分は上司であるラロジエール警視を尊敬しているから、と言っていたランピオンですが、話を続けているうちに、

「確かに安月給だし、意地悪だし、不当な扱いも受けるし、寛大なところを見せてくれたことも一度も無いし、長所を見つけるのがむずかしい人ではある……」

と、日ごろの積もり積もった不満をつらつらと愚痴りだしましたが、それでも一応誘いは受けずに店をでました。

 ところが、戻って来るなり、そんなこととは知らないラロジエール警視から、最悪のタイミングで「昼食からの戻りが遅いし机が汚い」という理由でことのほかひどく叱責され、机の上の資料をバラまかれます。
(たしかにはためには雑然として見えるのですが、本人としては使いやすく配置していたつもりみたいです。ランピオンはマメな性格なのでホントにこれでよかったでしょう〈のび太的屁理屈ではなく〉)

「不当な扱いだ」
「不当だろうが正当だろうが部下なら上司に従え、(私にとって)君はクソと同じだ。簡単に潰せる!」

 この、その国の言語を解する人なら100人中120人が腹を立てるであろう暴言(ホントこんな酷い言いぐさ聞いたことない……)に憤慨したランピオンは、辞表を置いて探偵社へと去ります(無理もない)。

 その探偵社へ、マリーが母の事件を再調査してほしいと訪ねてきたのです。

 マリーの境遇に同情したランピオンは捜査に(警察から資料を盗み出してまで)尽力しますが、新しいボスのルブランは金の亡者で真相に興味を示しません。

 一方、ランピオンがこの事件を調べ出したと知ったラロジエール警視も負けじと再捜査に乗り出しますが、ランピオンに比べると頼りない部下ばかり。

 結局お互いを見直すことになります。

 理不尽だが正義感だけはある上司だった。(byランピオン)
 生意気だがよく気の付く男だった。(byラロジエール警視)

 結局、ランピオンのほうが先に折れて、復職させてほしいとラロジエール警視に懇願します。

 警視の部屋を訪ねてきて、しおらしく自分の非を認めるランピオンに、ラロジエール警視は内心嬉しい癖に
「ドアを閉めろ」
(いそいそ指示に従うランピオン。)
「違う、君が外だ(=出ていけ)」
と意地悪を言います(うまい……)。

 それでも、その後はどうにか二人の知恵を合わせて、当時の調書から状況の矛盾をあぶりだし、真犯人を見つけることに成功します。

 こうしてマリーの母エマは、ようやく自由の身となります。

 このエマが解放された後のラストシーンがおすすめなんです……。

(以下ネタバレ部)
 
 15年前、エマは、夫バルガの度重なる浮気に耐え兼ね、離婚を切り出しますが、バルガとって浮気相手はあくまで絵の題材。

 美しさを引き出してそれを描くために、若い女たちに恋を仕掛けますが、本当に愛し、必要としていたのはエマだけでした。

 エマが今回は本気で自分と別れようとしていると気づいたバルガは、それまでの勝ち気なエゴイストぶりから一変、「なんでもする。僕を捨てるな!エマ!!」と、ひざまずいてエマの懐に顔を埋め、許しを請います。

 そんなバルガにエマはどうにか怒りをおさめ、もう二度とこんな思いをさせないでくれと夫に頼みます。

 しかし、その直後、バルガは殺され、エマは冤罪で長い間自由を失うことになったのでした。

 ランピオンたちのおかげでようやく無実が証明されたエマはバルガと暮らした屋敷に戻ってきます。

 結婚を控えたマリーはエマにこの国を出て、一緒に暮らそうと懇願しますが、エマは生涯この屋敷から離れないと言います。

 そして一人、海辺へと素足で歩いて行くエマ。

 15年の月日を経た彼女の心の中で、かつて彼女にひざまずいて愛を誓ったときの夫バルガが付き添って共に歩き、やがて波打ち際で彼女を抱きしめると、そっと口づけをします。

 背後から妻を抱く、亡きバルガと、夫に振り向くエマ。

 現実の風景の中で、波の音を聴きながらわが身を抱きしめ、砂浜で独りほほ笑む、老いたエマ。

 バルガは死んだ。

 でも、エマの記憶の中のバルガは、エマにひざまずいて愛を誓った姿で永遠に止まっている。

 バルガと生きた思い出の屋敷と、海の景色を見つめ、あの悲劇の直前の、夫の愛の記憶を何度でも思い出して、生きていく。

 繰り返し打ち寄せるさざ波のように。

 それが、バルガを失ったエマの、この世で得られるいちばんの幸せ。

 砂を踏みしめて波打ち際に立つ、エマの満ち足りた微笑から、そんな想いが伝わってきます。

 原作ではエマが獄死しているので、この場面はドラマでしか観られないのですが、個人的にはこの「フレンチ・ミステリー」シリーズで一番好きな場面です。

 美しい海辺の景色と、夫バルガを演じたヴィンセント・ウィンターハルターの(「ワイン探偵ルベル」で刑事を演じている人〈リンク先画像右の人〉)、エゴイストながら本当に人を恋うることを知っていた人間という複雑な役どころを演じきった技量もあって、もの寂しいながら印象的な映像になっています。

 笑いどころも多々あり、結びはこのような情緒ありという奥行きのあるドラマですので、よろしければ是非ご覧になってみてください。


 当ブログのフレンチミステリーに関連する主な記事は以下のとおりです。

(一部内容が重複しています。またリンク切れが多いのであらかじめご了承ください。)
クリスティのフレンチ・ミステリー(AXNミステリー・フランスドラマ)
「クリスティのフレンチ・ミステリー」再再放送(AXNミステリー
「五匹の子豚」(クリスティのフレンチ・ミステリー※ネタバレ編)
クリスティのフレンチミステリー「ABC殺人事件」(ドラマ独自の年の差恋愛も見どころ)

ドラマに関するフランス語のウィキペディア記事は以下の通りです。
「クリスティのフレンチミステリー(原題:Les Petits Meurtres d'Agatha Christie)」の紹介ページ
同上「ABC殺人事件(Les Meurtres ABC)」の項目

読んでくださってありがとうございました。




posted by Palum at 22:58| 日本の海外テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月06日

ミレイの「オフィーリア」と夏目漱石の『草枕』

 本日も現在公開中の「ラファエル前派展」で来日中の「オフィーリア」について、書かせていただきます。
オフィーリア.jpg

 「オフィーリア」についての過去記事はコチラです。 

 この絵は夏目漱石の小説『草枕』の中で、主人公である画家の「余」が、「あのような絵を自分の持ち味で描いてみたい」と思い浮かべる存在となっており、作品の重要な役割を果たしています。

草枕 (新潮文庫) -
草枕 (新潮文庫) -

 以下、あらすじと、「オフィーリア」にまつわる部分をご紹介させていただきます。

 『草枕』は主人公の「余(=「私」の意味)」が、創作のために尋ねた温泉地で、離婚して家に戻ってきている「御那美さん」に出会い、彼女の美しさや謎めいた言動、その地の自然や人間模様を見つめるうちに自分の描くべき「画」を見出していくという筋立てです。

 いや、筋立てというか、そういう気分と光景が展開する作品とも言えます。
 
「草枕」の中のオフィーリア描写は以下の通りです。

  余(=「私」)は湯槽(ゆぶね)のふちに仰向(あおむけ)の頭を支えて、透き通る湯のなかの軽き身体を、出来るだけ抵抗力なきあたりへ漂わして見た。ふわり、ふわりと魂がくらげのように浮いている。世の中もこんな気になれば楽なものだ。分別の錠前を開けて、執着の栓張(しんばり)をはずす。どうともせよと、湯泉(ゆ)のなかで、湯泉と同化してしまう。流れるものほど生きるに苦は入らぬ。流れるもののなかに、魂まで流していれば、基督(キリスト)の御弟子となったよりありがたい。なるほどこの調子で考えると、土左衛門(どざえもん)は風流である。スウィンバーンの何とか云う詩に、女が水の底で往生して嬉しがっている感じを書いてあったと思う。余が平生から苦にしていた、ミレーのオフェリヤも、こう観察するとだいぶ美しくなる。何であんな不愉快な所を択(えら)んだものかと今まで不審に思っていたが、あれはやはり画になるのだ。水に浮んだまま、あるいは水に沈んだまま、あるいは沈んだり浮んだりしたまま、ただそのままの姿で苦なしに流れる有様は美的に相違ない。それで両岸にいろいろな草花をあしらって、水の色と流れて行く人の顔の色と、衣服の色に、落ちついた調和をとったなら、きっと画になるに相違ない。しかし流れて行く人の表情が、まるで平和ではほとんど神話か比喩になってしまう。痙攣的な苦悶はもとより、全幅の精神をうち壊こわすが、全然色気ない平気な顔では人情が写らない。どんな顔をかいたら成功するだろう。ミレーのオフェリヤは成功かも知れないが、彼の精神は余と同じところに存するか疑わしい。ミレーはミレー、余は余であるから、余は余の興味を以(もっ)て、一つ風流な土左衛門をかいて見たい。しかし思うような顔はそうたやすく心に浮んで来そうもない。

「オフィーリア」の顔は画として素晴らしいが、しかし、同じようなものを描いても意味がない。芸術家として、これに対抗しうる顔を見つけて描いてみたい。それが「余」の考えであり、筋らしい筋の無い「草枕」の中で数少ない、「テーマ」と思しき要素です。

オフィーリア 顔.png

またこんなくだりもあります。(以下引用)

すやすやと寝入る。夢に。
 長良(ながら)の乙女(※二人の男に想われたことを苦にして川に身を投げたというその地の伝説の女性)が振袖を着て、青馬(あお)に乗って、峠を越すと、いきなり、ささだ男と、ささべ男(※ともに長良の乙女に恋をした男)が飛び出して両方から引っ張る。女が急にオフェリヤになって、柳の枝へ上のぼって、河の中を流れながら、うつくしい声で歌をうたう。救ってやろうと思って、長い竿を持って、向島を追懸(おっかけ)て行く。女は苦しい様子もなく、笑いながら、うたいながら、行末(ゆくえ)も知らず流れを下る。余は竿をかついで、おおいおおいと呼ぶ。


どうもミレーの「オフィーリア」のイメージから離れられない「余」に対し、あるとき「御那美さん」はこんなことを言います。

(以下引用)
「その(名所と聞く)鏡の池へ、わたし(余)も行きたいんだが……」
「行って御覧なさい」
「画(え)にかくに好い所ですか」
「身を投げるに好い所です」
「身はまだなかなか投げないつもりです」
「私は近々(きんきん)投げるかも知れません」
 余りに女としては思い切った冗談だから、余はふと顔を上げた。女は存外たしかである。
「私が身を投げて浮いているところを――苦しんで浮いてるところじゃないんです――やすやすと往生して浮いているところを――奇麗な画にかいて下さい」
「え?」
「驚ろいた、驚ろいた、驚ろいたでしょう」
 女はすらりと立ち上る。三歩にして尽くる部屋の入口を出るとき、顧みてにこりと笑った。


……こんなふうに一事が万事、刃のような柳のような、人をひやりとさせながらゆらゆらとつかみどころのない御那美さん。

しかし、周囲からは変わり者と陰口を言われる彼女の突飛な言動を「余」はきらいではありません。彼女はなるほど画にしたら面白い女かもしれないと思います。が、しかし、それには何かが足りない。美しさも神秘性も十分ではあるのだけれど……。

(以下引用)
あの(御那美さんの)顔を種にして、あの椿の下に浮かせて、上から椿を幾輪も落とす。椿が長(とこしな)えに落ちて、女が長えに水に浮いている感じをあらわしたいが、それが画(え)でかけるだろうか。(中略)しかし何だか物足らない。物足らないとまでは気がつくが、どこが物足らないかが、吾(われ)ながら不明である。したがって自己の想像でいい加減に作り易(か)える訳に行かない。あれに嫉妬を加えたら、どうだろう。嫉妬では不安の感が多過ぎる。憎悪はどうだろう。憎悪は烈(はげ)し過ぎる。怒(いかり)? 怒では全然調和を破る。恨(うらみ)? 恨でも春恨(しゅんこん)とか云う、詩的のものならば格別、ただの恨では余り俗である。いろいろに考えた末、しまいにようやくこれだと気がついた。多くある情緒のうちで、憐(あわれ)と云う字のあるのを忘れていた。憐れは神の知らぬ情で、しかも神にもっとも近き人間の情である。御那美さんの表情のうちにはこの憐れの念が少しもあらわれておらぬ。そこが物足らぬのである。ある咄嗟(とっさ)の衝動で、この情があの女の眉宇(びう)にひらめいた瞬時に、わが画は成就するであろう。しかし――いつそれが見られるか解らない。あの女の顔に普段充満しているものは、人を馬鹿にする微笑(うすわらい)と、勝とう、勝とうと焦せる八の字のみである。あれだけでは、とても物にならない。

 自分がミレイの「オフィーリア」の向こうを張るには、「御那美さん」をモデルに、その顔に「憐れ」の情が浮かんだ時を描くしかない。

 そう思った「余」ですが、しかし、彼女の性格からいってそんな機会がはたしてめぐってくるものだろうか……危ぶんでいた「余」は、しかし、ある瞬間に目にします。


弟の戦争への出征時、停車場で家族ともども見送りに出た御那美さんは「死んでおいで」と彼女らしい一言を言い放ちますが、停車場を離れる汽車の窓から、ふいに、この地を去る彼女の元の夫が顔を出しました。
(以下引用)

茶色のはげた中折帽の下から、髯だらけな野武士(元夫)が名残(なご)り惜気(おしげ)に首を出した。そのとき、那美さんと野武士は思わず顔を見合わせた。鉄車はごとりごとりと運転する。野武士の顔はすぐ消えた。那美さんは茫然として、行く汽車を見送る。その茫然のうちには不思議にも今までかつて見た事のない「憐(あわれ)」が一面に浮いている。
「それだ! それだ! それが出れば画(え)になりますよ」と余は那美さんの肩を叩たたきながら小声に云った。余が胸中の画面はこの咄嗟(とっさ)の際に成就したのである。


 ハムレットに突き放され、絶望の中で心を病んで、全てを投げ出して花に囲まれて歌いながら死んだ乙女。

 それがミレイのオフィーリアでした。

 「美しい女が、花と水の中にたゆたって命を終わらせてゆく」という画題はそのままに、あの乙女の美に一歩も譲らぬ、しかし、異質な個性を持つ美とは、そのとき女が浮かべるべき表情とはなんだろう。

「余」の答えは「憐れ」でした。

「憐れ」こそ人の持ちうる神に近い情。

 「余」の言う「憐れ」が人を気の毒に思う気持ちか、それとも人との別れに自分の胸が痛む心地は判然としません。

 しかし、「人が、誰か他の人を思ったときに湧く感情」です。

 完全に自分の勝手に生きているような、他の人に対する感情は「勝とう」以外にないような美しい女が、過去の男ゆえに、その顔にあらがえず浮かべる「憐れ」。

 それこそが、「オフィーリア」の美に対抗できる美だと、「余」は思ったのでした。

 こういう、作中のほとんど唯一のテーマといえる、「『画』の(あるいは「芸術」、「美」の)発見」の過程で、「立ち向かうべき強敵」として、「オフィーリア」が登場しています。

 何が起こるというわけではないですが、このような発見の過程や、そこここに見られる美意識、風景や人の描写がすぐれた作品です。
 
 「オフィーリア」を側に、御那美さんの「憐れ」の表情や、ついに「画」を得た「余」の描く、「椿散る水面に浮かぶ女の絵」を思い浮かべるのもまた一興かと。

 このご紹介がご鑑賞の一助になれば幸いです。

当ブログ、これまでの漱石関連記事は以下のとおりです。併せてご覧いただければ幸いです。

あなた、私は、ちゃんとここにいますよ」(夏目漱石と鏡子夫人)
「いいよいいよ、泣いてもいいよ」(夏目漱石の命日)
月がきれいですね。(中秋の名月と夏目漱石)
ミレイの「オフィーリア」と夏目漱石の『草枕』
「兄さんは死ぬまで、奥さんを御持ちになりゃしますまいね」(随筆『硝子戸の中』と小説『行人』)

 読んでくださってありがとうございました。

posted by Palum at 21:30| 夏目漱石 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月05日

「オフィーリア」(ミレイ作)(「ラファエル前派展」より)

 今回は、先日ご紹介させていただいた「ラファエル前派展」の目玉作品ジョン・エヴァレット・ミレイ作「オフィーリア」について書かせていただきます。

(ウィキペディアより)

オフィーリア.jpg

(拡大画像をご覧になりたい方はコチラ

「オフィーリア」とはシェイクスピアの戯曲「ハムレット」の中に登場するハムレットの婚約者の名前です。

 叔父が父を殺して王位についたということを知らされたハムレットの数奇な復讐劇の中で、愛するハムレットが自分を突き放し、父を殺したという衝撃に耐えられなかった彼女は、精神を病み、自殺とも知れない形で川に落ちて命を落とすという悲劇的な死を迎えます。

 さまよいながら花を摘み、水に落ちた後は、歌いたゆたい、やがて人魚のように沈んでいったという彼女の姿は、その情景と語りの不幸な美しさから様々な芸術家の創作意欲を刺激し、絵画の世界でも数々の名作が生まれました。

ドラクロア作「オフィーリア」(ウィキペディアより)

ポール・アルベール・ステック作「オフィーリア」(ウィキペディアより)

 その中でももっとも有名なのがこのミレイのオフィーリアです。

 イギリス独特の、奥底は渦巻きながら、流れの筋や飛沫のうかがい知れない、水面と緑の岸との境目の曖昧な川に、虚ろな、あるいは夢見る瞳の美しい娘が、水草とからまりあうような長い髪を広げ、色の失せた唇に歌をたたえ、とりどりの花々に彩られ、命の終わりへとゆるやかに押し流されています。

 個人的には同時代の画家ウォーターハウス作「シャーロットの女(※1)」と双璧を成す、ヴィクトリア朝時代の最も美しい絵だと思います。(ウィキペディアより)

John_William_Waterhouse_The_Lady_of_Shalott.jpg

(拡大画像がご覧になりたい方はコチラ


(この作品が展覧会に入っているかどうかは不明です。ウォーターハウスはラファエル前派ではないという位置づけもあるそうなので残念ですが来てないかも。)

(※1)塔から出ては生きられない運命のままはたを織るシャーロット姫が、ある日、魔法の鏡に映った騎士ランスロットに心を奪われ、彼に会うために小舟に乗って川を下る途中で命を落とすという物語(テニスン作の詩)を描いた作品。

 死を間近に、悲しい恋にうかされ、歌を口ずさんで水に流れてゆく乙女というモチーフも、緻密な描写力も、イギリスの湿気をふくんだ自然が小さな草花に至るまで描かれている点もよく似ています。

この「オフィーリア」の幻想的で寂しげながら、完璧な端正によって構築された美は、似通う個性を持つ漱石の心をとらえ、漱石の名作のひとつ「草枕」の中で大きく取り上げられます。

 次回は、「草枕」の中での「オフィーリア」の描かれ方をご紹介したいと思います。

 公式HP内の「オフィーリア」の解説はコチラです。

(補足)ウォーターハウスについては過去記事でも少々書かせていただいたのでよろしければ御参照ください。(過去記事はコチラ

読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum at 19:26| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月04日

「ラファエル前派展」1

本日は取り急ぎご連絡まで。

ただいま(2014年1月25日〜4月6日まで)、東京六本木の森アーツセンターギャラリーで「ラファエル前派展」が開催中です。

公式HPはコチラ

ラファエル前派とはヴィクトリア朝時代のイギリスで開花した芸術の一グループの名前で、ルネサンスの画家 ラファエロより前の時代にあった、中世や初期ルネサンス美術にみられる題材、描法をとりいれているのが特色……とのことです。
 
 しかし、とりあえず素人の目から見ると異様に美しく緻密で、色彩とロマンに溢れる画風といったところでしょうか。

ファンタジー漫画を実写にしたみたいな感じの非日常的ながら描写は非常にリアルな作品が見られ、日本人にはとてもとっつきやすい感じです。

ひらたく言ってこんなに上手で(既にさまざまな技法が出来上がった後の時代の産物だから)こんなに丁寧でこんなに耽美華麗な絵は、なかなか見られるものではありません。

 個人的には「 『ポーの一族』時代の萩尾さんの作品が実写になったみたい。いや、やっぱり絵だけど(どっちだ)」といつも思います。


ポーの一族   1

で、この展覧会、イギリスのテートギャラリーから作品が出張してきているのですが、「今テートに行ったラファエル前派ファンの人は怒るのでは(あれもこれも出払っちゃって)」というくらい惜しげもなく、時代を代表する名作を派遣してくれています。

よろしければ、足を運ばれてみてはいかがでしょうか。

次回は、この展覧会にくるなかでも、ラファエル前派の最高傑作のひとつであり、そして、日本人からすると文豪夏目漱石にインスピレーションを与えたということでも知られる名作ジョン・エヴァレット・ミレイ作「オフィーリア」について補足情報をご紹介させていただきます。

読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum at 23:38| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月03日

刑事コロンボ「愛情の計算」コロンボの犬(ある意味)大活躍の場面紹介

 少し先の話になりますが、BSプレミアムで2014年2月15日(土)午後15時30分〜16時44分に刑事コロンボ「愛情の計算」が放送されます。
公式番組情報ページはコチラ

 犯人はシンクタンクの所長ケーヒル(ホセ・ファーラ―)。

 息子の研究が盗作であることを同僚に暴露されそうになったために、彼を車でひき殺して殺害、アリバイ作りにロボットを使って犯行を隠蔽しようとします。

 こういう「当時は超ハイテク」という題材のものほど、残念ながら今見ると違和感が出てしまうもので、心理の落とし穴や人間ドラマが見どころのその他コロンボの名作に比べると(個人的には「祝砲の挽歌」がこの手の最高傑作だと思っております。)、筋立てそのものの出来栄えは劣ります(ただ、その犯行を手助けするロボットがブリキのオモチャをでっかくしたみたいな思い切りレトロな造作〈「禁断の惑星」という有名な映画に登場するロボットがモチーフになっているそうです〉なのは遊びが効いていて逆に見栄えがします〈製作者が少年【名前はスティーブン・スペルバーグ(笑)】〉だったので、このデザインになった模様)。

 が、しかし、コロンボの犬ファンは絶対に見逃してはならない作品です。

 この回、コロンボの犬「ドッグ」(どう呼んでもどうせ来ないからこの名前になった)の出てくる場面がとてもカワイイのです。

 ありがたいことに、当ブログの過去記事がなぜか「コロンボ 犬」でググると現在結構上位にくるので、御礼がわりにもう少し情報を補足させていただきます。(過去記事はコチラ

というわけでドッグ登場場面のひとつと英語の台詞をご紹介。(英語の字幕と僕なりのあてにならない〈←……〉直訳をつけさせていただきました。それだけだとあまりにもあてにならないので〈←二度言った〉一部言い回しのWeblio辞書等のリンクも貼らせていただきました)

とある、賞状などが飾られている一室、銀髪に蝶ネクタイの厳格そうな紳士が口を開く。
「Lieutenant(※), I’ve been dealing with this academy for over twenty years」
警部補(※)、私はこの学園を20年以上経営してきました。

Lieutenant……警部補〈コロンボの本当の肩書き〉)
※ドラマ内吹き替えではコロンボは「警部」と呼ばれているが、語呂やわかりやすさを考えて意訳されている模様。
これをもとに脚本家三谷幸喜はドラマ「警部補・古畑任三郎(田村正和主演)」で主人公の肩書を「警部補」にした。

Deal with……〜を扱う、対処する )

「and we have never had a situation like this.」
そしてこのような状況になったのは初めてのことです。

(椅子に座ったコロンボ。残念そうな顔で紳士の話に同意する。)
Believe me, sir, I know you’ve done your best.
信じてください先生。あなたがベストを尽くしてくださったのはわかっています。
Sir……男性への敬称
Do (one’s) best……(その人の)ベストを尽くす

If a student fails we consider it our failure, not his.
もし生徒が落第した場合、我々はそれが我々の失敗だと考えています。彼(の責任)ではなく。
Consider……考慮する・みなす
Failure……失敗(動詞=Fail)


To be honest with you, I was afraid of something like this.
正直に申しますと、こんなことになるんじゃないかと心配していました。

To be honest with you……正直に言えば

We’ve had a lot of problems with him at home
彼は家でもたくさん問題を起こしまして。

Then you do understand we consider it best that you withdraw him.
それでは彼を退学させるのが一番だという我々の考えをご理解くださいますね。
Withdraw……この場合は「退学する」の意味(預金を引き出すの意味もある)

Yes, sir
はい、先生

(立ち上がるコロンボ)

I’m very sorry Lieutenant.
残念です。警部補

(コロンボの足元でぽてーんとくつろいでいるドッグ、あんよを前に伸ばし、コロンボを「ん、どしたの?」みたいな顔で見上げる。)
(コロンボ、そのドッグの様子を〈犬訓練学校の〉校長に指し示しながら)

He just sits around house and drools. Never moves.
(ご覧の通り)家で座ってよだれをたらしているだけで、ちっとも動きません。(←スゴイ形容……)
Drool……よだれをたらす 
We love him but a dog should do something.
可愛いとは思っていますが、犬なんだからなにかするべきです。

Even if he just barks now and then.
たとえ時々吠えはするとしても……

Even if……たとえ〜としても (even thoughより起こる確率が低い〈笑〉)
Now and then……時々

(渋々ドッグを抱き上げるコロンボ〈ホントにもーなすがままのドッグ〉)
(そこに電話がかかってきて、コロンボに取り次ぐ)
Where? ……I’ll be right over.
どこで?……すぐ行くよ
(電話を切るコロンボ)

I got to go to work. My wife and kids, they are visiting my mother-in law up in Fresno.
仕事に行かなければなりません。カミさんと子供たちはお義母さんを訪ねてフレズノ(カリフォルニアの地名)に行っていまして。

Got to go……もう行かないと got to はここでは「〜しないと」のhave toに近い意味

mother-in law……義理の母親

You don’t suppose you could keep him for another week?
もう一週間こいつを預かってもらえないでしょうか?
(I don’t suppose you couldで、「〜してくれませんか」という意味合いらしいので、その変形かと)

(校長、言いにくそうに、だが毅然と)
I’m sorry, he demoralizes the other students.
申し訳ありませんが彼は他の生徒たち(犬)に悪影響を与えるので……
Demoralize……士気を下げる・混乱させる・風紀を乱す〈笑〉

 日本語でも「モラル」と言いますので、この語で「モラルに悪影響がある」みたいな意味合いのようです。このくだりでこの単語覚えました。二度と忘れない自信あります……。
 (ちなみに吹き替えでは「怠け癖がうつる」字幕では「やる気がうせる」となっていました(笑)。)

 コロンボ、ひとっつも返す言葉無く、仕方なさそうにドッグを抱え直して背を向ける。ドッグの尻尾とあんよがゆらゆら揺れて部屋から消える。

 以上です。
 感動するほどにきびきびしたところの一切無い犬ですが、実にカワイ子ちゃんだよなー。
何もしてないのに、いや、していないからこそあんなにもっちーんとカワイイなんて反則……。

 それと、今回書いていて思いましたが、コロンボってこういう推理とあんま関係ない場面が大事な魅力みたいです。こんなに推理に不必要な場面があっていいもんなんですね。そういえば古畑任三郎にもこの手のやりとりがあります(主に使えない部下今泉君が担当)。奥行きとか、サスペンスの部分とのいい緩急とかになっているんですね。

 この台詞がどうあの名吹き替えで展開しているかも併せてお楽しみください。DVDをお持ちの方は字幕もご確認してみてください。うまいこと訳されてて楽しいです。

 余談ですが、AXNミステリーチャンネルではコロンボのエピソードが全話丁寧に紹介されていて(ネタバレも含みますのでそこはご注意ください)、ユーモラスなイラストつき。
 下の部分にコロンボのオンボロ自動車に乗ってるドッグのミニアニメがついています。
 風にちょっと遅れてそよぐ耳がラブリー。
 こまかくて面白いので(NHKの放映を紹介するのに引き合いに出していいのかなとも思いますが〈汗〉)よろしければ併せてご参照ください。

 読んでくださってありがとうございました。
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2014年02月02日

続Bogdan Alin Ota(おすすめ動画内英語)



昨日「ノルウェー・ゴット・タレント」というオーディション番組で2011年ファイナリストとなった、ルーマニア人のピアニスト・作曲家のボグダン・アリン・オータという方の動画をご紹介いたしました。
(彼の動画をいくつかご紹介させていただいた過去記事はコチラ

 このときボグダン氏と審査員の方たちのやりとりの多くが英語だったし、内容として良かったので、ネイティブの知人に確認をお願いしながら、どんなことを言っているのか書き起こしてみました。
 (ボグダン氏の英語はたまに文法的には不正確みたいですが、とりあえず何と言っているかをご紹介させていただきます。)



【冒頭〜0:35(←動画の進行時間)】

(ボグダン)My name is Bogdan Alin Ota. I come from Romania.
私はボグダン・アリン・オータ、ルーマニア出身です。

This is my job in the daytime. So I'm helping guy in a car that drives copy
machines.
これがわたしの日中の仕事、コピーの輸送や設置を手伝っています(※)。
(※)ネイティブの知人いわく“Helping guy”という言い回しは英語には無いそうなので、だいたい上記のような意味ではとのことでした。

My passion is music and composition of course, and this is just a job.
わたしの情熱をかたむけるものは勿論音楽と作曲、ですからこれは本当にただ
の「仕事」です。

This is just for putting bread on the table and to buy uh… musical equipment and to live with.(※)
 これはただテーブルにパンを乗せ(=食べていく)、音楽の設備を買い、生きていくためのものです。
(※)正確には“live on”と言うべきところ.

My dream……It’s to make and create music.
私の夢……それは音楽を作り、創造していくことです。

This opportunity, I think It’s the opportunity of my life and If I go further,
it’s a dream come true.
この機会は…私が思うに、私の人生の好機です。もし勝ち進むことができたら、夢の実現となります。

【0:55〜2:00】

The crowd is crazy. I don’t know how they will react ……different kind of mu sic.(※)
観客は熱狂的で、私には彼らがタイプの違う音楽にどう反応するのか……予想がつきません。
(※)正確には“How they will react to a different kind of music.”

Maybe they are not used to this.
もしかしたらこういう音楽は聞きなれていないかもしれません。
I’m really scared of the crowd. I really am.
聴衆(の反応)が怖いです。本当に

(ボグダン氏ステージに登場)

(審査員1)
Hello
ようこそ
(ボ)
Good evening. 
こんばんは

(審1)
What’s your name? 
お名前は?

(ボ)
My name is Bogdan.
ボグダンです。

(審1)
Bogdan,how are you?
ボグダン、調子はいかが?

(ボ)
I’m fine a little bit nervous.
大丈夫です、少し緊張していますが。

(審1)
Yeah, of course, of course you are nervous. Tell me about yourself.
当然です。緊張するのは当然。あなたについて聞かせてください。
(ボ)
About myself…uh…I’m A piano player and composer and uh…In the daytime, I carry copy machines.
私について……ええと、ピアニストで作曲家で、日中はコピー機を運んでいます。

(審1)
That’s your daytime job.
それがあなたの日中の仕事ですね。

(ボ)
This is…most of the day job.
これが……一日のほとんどを占める仕事です。

(審1)
And, what about the music? When are you doing that?
それで音楽については?いつ活動しているのですか?

(ボ)
In the remaining time, in the evening.
残りの時間ですね、夜に。

(審1)
And what about friends?
お友達は?

(ボ)
I have only my boss, he becames(※) my friend.
私のボスだけです。彼が友人になってくれました。
(※)正確には“became”

(審1)
Oh, only one friend.
一人だけ?

(ボ)
He sent me here.
彼がここに送り出してくれました。

(審1)
You know something? We really really like to hear you. So, the stage is yours?.
ご存知ですか?お話が聴けてうれしいです。さあ、あなたの舞台です。

(演奏)

【3:43〜4:34】
(演奏終了後)
(審1)Absolutely fabulous. Why didn’t ROMANIA see you!
本当に素晴らしいです。どうしてルーマニアはあなたを見出さなかったんでしょうか!

(ボ)They saw but I didn’t…
見ましたが私は……

(審1)It’s hard?
(認められるのが)難しかった?

(ボ)……was not very interesting.
(私の音楽は)あまり面白みがなかったようで……。

(審1)Not very interesting? This is fantastic. You are so brilliant.  Thank you very much. I’m so glad that you are here!
面白くない?素晴らしい音楽です。あなたはほんとうに見事です。ありがとうございます。ここに来てくださって嬉しいです!

(審2)I have a dream and that dream is for you, to be able to quit your day job and do this full time.
 私には夢があります。あなたのための夢です。日ごろの仕事を辞めて音楽を一日中できるようになりますように。

(ボ)I really hope so.
 本当にそう願います。
(審2)You are amazing. I’m very happy that Norway get to see your talent and also I hope the Romanians can see your talent.
 あなたは本当におどろくべき才能の持ち主です。ノルウェーがあなたの才能に出会えたことをうれしく思います。そしてルーマニアがあなたの才能を観られるようになることを願います。

(拍手)

(審1)I want to see your boss because he is the one that brought you here. Is your boss here? Let’s bring him out
あなたのボスにお会いしたいです。あなたをここに連れてきてくれた人ですから。ボスはいらしてますか?(舞台に)つれ出してきてください。

(ここからノルウェー語、なんとおっしゃってるのかわからず残念……たぶんどうやって彼の才能に気づいたかとか、よくぞ応募を勧めてくれたとかおっしゃっているのだと思うのですが……。)

4:55〜終
(審査結果発表)
(審2)It’s a yes from me. I love your talent. I’m so happy that you are here.
You deserve it.
私からの答えは「イエス」です。よくいらしてくださいました。あなたは(選ばれ、賞賛されるに)ふさわしい人です。

(審1)It’ a big big yes!
大きな大きな「イエス!」です。

(審3)This is what a Norway’s got talent is all about, so I also say yes!!
 これが「ノルウェーゴットタレント」です(才能ある人が見出されるところが番組の醍醐味だという意味)。ですから私の答えも「イエス!!」です。

……以上です。
 残念ながら日本で動画以外に彼の音楽を聴ける機会は多くありませんが、音楽それ自体は無論、これほどの才能と技術をもちながら何故か不遇だった彼が、心ある人との出会いを経て、正しく拍手喝さいを浴びている姿に心打たれました。
 はにかみ、口ごもりながらも夢を真剣に語り、怠ることなく努力してきた彼の姿が私にはまぶしいです。

 私もこんなに強さが欲しい。心からそう思います。がんばらなくっちゃあなあ……。

 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum at 16:33| おすすめ動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月01日

Bogdan Alin Ota (「ノルウェーゴットタレント」発、ルーマニアのピアニスト・作曲家)

ぼけっとYoutubeを観ていた時に、カッコイイ演奏を発見したのでご紹介させていただきたいと思います。

 これはイギリスの同企画オーディション番組を元にした、「Norway’s got talent」で2011年に登場したBogdan Alin Ota(私の耳にはボグダン・アリン・オータと聞こえますがちょっと発音が難しいです〈汗〉)という方のパフォーマンスです。


 もともとルーマニアの人なのですが、仕事を求めてノルウェーに移住し、コピー運搬会社に就職。

 しかし、彼の上司がその音楽の才能を惜しみ、この番組に出るように強く勧めたそうです。

 ノルウェーの番組ですが、英語で意思疎通しているようなので、リスニング素材としても使えます。ご覧になってみてください。(ウィキペディアいわく英語のテレビがやっているからとくにノルウェーの都市部の人は英語に強いそうです)
 というわけでオーディションの様子です。




 あまり音楽に詳しくないのですが(別に他にも特に詳しいものなどないのですが〈←……〉)、この人の作る曲を聴いていると、「情熱」とか「ロマン」とか「壮麗」とか、私を含めた色々な人の日常や現実圏内ではもはや粉々に打ち砕かれ、欠片までチリトリで掃き清められちゃったようなものが、奔流となってほとばしる感じがします。

いい意味で今っぽくない。

私はこういう血に直接訴えかけるような音楽が好きです。

 あまり比較するのは良いことではないかもしれませんが、リチャード・クレイダーマン加古隆さんが好きな方ならこの方の曲も好みなんじゃないかと思います。綺麗なだけじゃなく音に情感があるところが相通じるかと。
 
 とりあえず私がイギリス以外の各国「〜ゴットタレント」観た範囲で、この人のパフォーマンスが一番好きです。

 さっきも申しましたが、音楽に対する造詣ゼロの私ですが、しかし、そういう人間が夜疲れて帰ってきて半目になりながらバクゼンと観ていて(ちょっと前までは犬とかお笑いとかの動画ハシゴしてた)、吹き飛ばされたのですから、むしろそれこそ本物の証だと思います。

 審査員の人ではありませんが、なんでこれほどの技術を持った人が、国を出て別の仕事をしなければならないほどに理解されなかったのかは大きな謎です。なにをどう考えても、この腕前ならとりあえず音楽で食べていけると思うんですが……。

 後でこのBogdan氏のHPを覗いてみたのですが(HPはコチラ)、この方は作曲家でもあるので、この番組に出る前は昼間の仕事が終わった後、5〜6時間を音楽創作に費やしてチャンスを待ったそうです(ピアノ練習+オーケストラパート作成でそのくらい使う)。

 私にはこの人のコピー機の上で鍵盤を弾くしぐさをする姿が印象に残りました。

 どう考えても才能があり、努力家なのに、やりたいこととはかけはなれた仕事をするしかなかったというのに、その逆境の視界と身のうちのどこに、これほどのロマンと情熱を見出し、生活の疲れをものともせずに曲にしたためたのか。

 「やってらんねーよバーカ×2」にならずにこの曲になったのか。
 
 その意思の強さに心動かされました。
(とてーも個人的な話をしますと、この人の存在を知ってから「せめて私も日々の努力としてブログを毎日アップさせていただこう」と思ったんですよね……。成果物が違いすぎますが。)
 

 そして、彼にオーディションを受けるように勧めた上司の方も立派です。

 この番組がノルウェーでどれほど人気があるかはわかりませんが(しかしこの人が出ている時点でレベルは凄いですよね……)、こういう番組は勝ち上がると取材攻勢がはじまるので、日常生活に支障をきたします。
 
 つまり、従業員としては仕事ができなくなってしまうのですが、それを承知で送り出した。
 
 確かにこの才能の持ち主にいつまでも別の仕事をさせていたら、たたりの一つもありそうな気がしますが、あんなふうに温かく送り出せる人が実際世の中に何人いるものなのか……。

 Bogdan氏が喝采を浴びる中、上司が出てきて二人は抱擁を交わしています。
 彼が国を出て見つけたたった一人の友達が、彼の音楽の未来を開いてくれたのです。

 この動画を観て、ノルウェーって素敵な国だなと思いました。今までスモークサーモンしか知らなくてごめんなさい(一国を食品で認識するんじゃない)。

 Bogdan氏がファイナルまで勝ち上がったときの3曲が聴ける動画があったのでご紹介させていただきます。カッコイイです。(最後に流れる優しい感じの曲は、これを編集した方がBogdan氏に敬意を表して作られた曲だそうです)



あと、オーディションの際にBogdan氏が弾いていた曲のフル・バージョンがあったのでこちらもよろしければお聴きになってみてください。




 最後に、あの情熱的な感じとはまたちがった感じの「Story of my life」という曲もご紹介させていただきます。



(ところでこのBogdan氏の曲ですが、いかなる大人の事情か、日本では残念なことにCD取り寄せはおろか、i-tuneでも見当たらず、ご本人のHPでのみ購入可能のようです。もっと購入の機会が増えてほしいものです……。)
 ご本人HPのURLはコチラ(視聴もできます。)
 http://bogdanota.com/web/

読んでくださってありがとございました。次回、このオーディション内の台詞をご紹介させていただきます。
posted by Palum at 17:53| おすすめ動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする