2017年12月01日

(※ネタバレ)漫画、『ポーの一族』「はるかな国の夢や小鳥」見どころご紹介

 前回記事で、吸血鬼の少年エドガーを主人公とした『ポーの一族』の「はるかな国の夢や小鳥」のあらすじを書かせていただきました。


 薔薇の咲く庭の女主人であるエルゼリに出会ったエドガーが、現実と向き合わない彼女を案じ、一方で心惹かれながら、やがて、町を去るまでを描いた短編です。

 今回は引き続いて、この作品の見どころをご紹介いたします


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(ネタバレですので、あらかじめご了承ください。)


(作品のみどころ1)新作『春の夢』との関係性

 『春の夢』は、第二次大戦中、イギリス・ウェールズ地方にやってきたエドガーとアランが、ナチスから逃れ、親戚のもとに身を寄せるユダヤ人姉弟と出会うという物語です。

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 この作品では、「はるかな国の花や小鳥」同様、放浪の中で出会う人とエドガーの交流と、エドガーの彼らに対するほのかな好意が描かれています。

 また、どちらの作品でも、エドガーが他者に関心を示すことに孤独感を覚えるアランの心理にも光があてられています。

 エドガーの心には、いつも亡き妹のメリーベルがいる。

 エドガーはその思い出越しにしか現実と接することができず、アランはそういうエドガーに、もどかしさを感じている。

はるかな国の花や小鳥10.png

 『春の夢』内の二人それぞれの心理的葛藤や、互いの間にある絆と裏返しの緊張感が、この「はるかな国の夢や小鳥」でも描かれているので、新作の前にこの作品を読み返しておくと、二人の関係性がよりわかりやすくなります。


(作品の見どころ2)不滅の愛

 「ポーの一族」の魅力の一つに、登場人物たちが抱く愛情の深さがあります。

 エドガーはメリーベルを死後何年経っても愛しており、彼がエルゼリに心惹かれたのは、彼女の夢見る少女のような魂と、髪の色にメリーベルの面影をみたからでした。

はるかな国の花や小鳥2.png

 一方で、ひと夏の恋人であったハロルド・リーを思い続けるエルゼリは、妹を忘れられないエドガー自身にも重なる人でした。

 エドガーが旅に生きる中で、優しさを見せた人物はほかにもいますが(数年間一緒に旅をした少女リデル、いつかはバンパネラとして仲間に加えるつもりだった少年ロビン・カーなど。)、妹を亡くした悲しみを打ち明け、作中自ら精神的に深く関わったのはエルゼリだけです。

 それは彼女が、メリーベルや、自身の喪失感を思い出させる人だったからでしょう。

はるかな国の花や小鳥4.png

 ただ、ハロルド・リーは、根本的には善良ながら、エルゼリに対しては、別れも告げず、その存在を忘れ去っていました。

 その男を、自分を覚えていようがいまいが愛している。

 それは、エドガーが、生前深い絆で結ばれていたメリーベルを忘れられない以上に、不合理な感情であり、エドガーは、エルゼリに、現実を見るべきだと告げました。

はるかな国の花や小鳥11.png


 エルゼリは、エドガーの真剣な言葉を、静かに拒絶します。

 エルゼリにとって、ハロルド・リーを愛さないということは、そのまま失恋の苦しみや悲しみにつながり、それを受け入れて現実に生きるよりも、(もうハロルド・リーはエルゼリの名前ごと忘れた)彼と夜の森をさまよい、城の幻を見たときに感じた愛と幸福に生きることを選びます。

 すぐそばに、自分を深く愛している、誠実な男性がいるのに。

 ただ、エルゼリの幸福には、ハロルド・リーがこの世に生きているということが必要でした。

 彼の死によって、彼女の幸福は終わりを告げ、後を追おうとして果たせなかったエルゼリは、独り静かにもの思いにふけり、冬を迎えた花のように、世を去りました。



 エドガーは、エルゼリが一命をとりとめたとき、彼女に思いを寄せるヒルス医師に、エルゼリの、ハロルド・リーにまつわる大切な思い出である、「お城の話」を託します。

 彼女の口からその話を聞き、ハロルド・リーとの思い出ごと、彼女を受け止めて幸せにしてあげてほしい。

 ヒルスはそれができるほど、エルゼリを愛していることを、エドガーはわかっていました。

 もう、昔の恋人のことなんか忘れて、ヒルス先生と結婚すればいい。

 合唱団の少年がそう言ったとき、エドガーはうなずきましたが、やがて悲しい顔をします。

はるかな国の花や小鳥6.png



 そして、すぐに町を出たエドガー。

 列車の中で、エドガーは涙し、アランに理由を尋ねられても、涙を抑えられませんでした。

はるかな国の花や小鳥7.png

 本当は、わかっている。

 できない。

 その愛が、どれほど不合理なものであっても。

 ハロルド・リーがもうこの世にいなくても。

 ヒルスの愛が、ハロルド・リーの思い出を受け入れてくれるほど、深く暖かいものであっても。

 この愛に、もはや幻想としての幸福すらなくても。

 愛さないことは、できない。
 
 はるか昔に世を去ったメリーベルを愛し、エルゼリに、メリーベルの面影と、自分の愛の両方を重ね合わせたエドガーには、エルゼリの気持ちがわかっていました。


 エドガーたちが、そうしてほしいと願っていても、エルゼリがヒルスの手をとり、現実の中で幸福になる姿を見ることは無いだろうとわかっていたから、エドガーは、振り返らずに、町を出ていったのでしょう。

 どうすれば現実で幸福になれるか知っている。でも、愛しているから、自分が生涯そういう生き方をできないこともわかっている。

 エルゼリはヒルス先生と結婚すればいいと言った少年に同意しながら、やがてうつむいたエドガーの悲しい顔からは、そうした二つの思いに、胸が引き裂かれるような(しかし、それでも愛が勝ってしまうような)思いがにじみ出ています。

 「ポーの一族」を名作たらしめた、こういうもの哀しい不滅の愛は、しっかりと構成された物語に、霧のような、ほのかな美を常にただよわせており、この作品の、咲き誇るバラの花や、エルゼリの透ける後れ毛に、メリーベルの気配を感じる描写は特に印象的です。

 同じ時期に描かれた萩尾望都さんのもう一つの傑作、「トーマの心臓」の中でも、冒頭、ユリスモールへの愛を抱きながら命を絶つトーマの死が、物語を形作っていきます。



 こうした、ときに現実的な幸福とは相いれないほどの強烈な不滅の愛は、この時期の萩尾作品の持ち味であり、その後、どんな分野の芸術においても、これほど鮮やかに、こうした感情を描いた作品はなかったように思われます。

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(見どころ3)空間に漂う言葉

 この作品のもうひとつの見どころは、空間に配置された言葉の複雑な味わいです。

 台詞のフキダシやナレーション用の枠に区切られることなく、描かれた情景の中に浮かぶ言葉の数々。

 それらは、話者、現実と想像、現在と回想などの定義があいまいなまま、描かれた情景と重なりあって、作品世界に独特の奥行を作りあげています。

 実際にコマの中で、この「漂う言葉」が、どのように作用しているか、ご紹介します。

 (エドガーが、エルゼリにメリーベルの話をして、庭を去りつつある場面。)
はるかな国の花や小鳥8.png

 エルゼリのバラに重なる、メリーベルの笑顔

 咲くバラに重なる、「エドガー エドガー」という、メリーベルの言葉。

 (補足ですが、この、「メリーベルがエドガーの名前を二回呼ぶ」という描写は、兄への愛情と同時に、彼女の最期の場面も思いださせます。)

 庭に立つエルゼリに振り返るエドガー。

 景色に浮かぶ「エドガー兄さん…」「ここは遠い国、はるかな庭……」という二つの言葉。

 この、絵としては描き込みの抑制された画面に浮かび上がる言葉が、一場面に様々な要素を重ねています。

  1,現実にエドガーがいるエルゼリの庭 
  2,エドガーのメリーベルへの追憶(バラに浮かぶ笑顔)
  3,エドガーの記憶の中のメリーベルの声
   (「エドガー、エドガー」「エドガー兄さん」)
  4,メリーベルに重なるエルゼリへのエドガーの思い。
   (かつてメリーベルがエドガーに言った、「永遠に子供である自分たちは、いつまでも『はるかな国』の夢を見ていていい」という言葉を回想し、メリーベル同様に少女の魂を持つエルゼリの生き方に思いを馳せている。)

 「現実」、「亡き人への愛」、「亡き人との記憶」、「現実に自分が言葉を交わした人」への感情が複雑に交錯しながら、そよ風のようなゆらぎしか感じさせない。

 物語に流れる空気の静けさが、線の省略された画面と、漂うような言葉によって生み出されています。



 この、「漂う言葉」がさらに重層的になっているのが結末部です。

 (エドガーが去ったあとのエルゼリを描いている場面)
はるかな国の花や小鳥9.png

 「その人は、それから三年の後、病気で亡くなったと聞きます」という、誰かに語り掛ける声。

 語り手は(エドガーであるはずですが)あいまいにされ、その知らせを誰からどんな風に受けたかも定かではありません。

 ヒルスに「お城」のことを聞かれても微笑むだけで答えなかったエルゼリ、窓辺で物思うエルゼリ。

 この場面を誰が目にしたのか、あるいは、エドガーの想像であるのかもわかりません。

 やがて、語り手のエルゼリへの思いと、エルゼリがかつて抱いた思いを示す言葉が重なり合いながら、物語は結ばれます。

 エルゼリのいない部屋に浮かぶ「あの人は人間にはなりえなかったのでした。」という語り手の言葉。

 バラの花に浮かぶ「わたしが住むのはバラの庭」というエルゼリの思い。
(実際にエルゼリがエドガーにそう語ったことがあったかはわからない言葉)

 エルゼリの微笑、花びらに触れる指先と重なる二つの言葉。
 「たぶん、生まれながらの妖精だったのです」(語り手の思い)
 「くちずさむのは愛の歌」(エルゼリの思い)

 花園に立つ、エルゼリの淡い姿と、二つの言葉。
 「日々おもうのはやさしい人」(エルゼリの思い)
 「あの人は、夢に浮かぶはるかな国の住人だったのでした」(語り手の思い)



 この場面では、「語り手の思い」、「誰かから伝えられた話」、「語り手の想像」、「エルゼリの思い」、「幻想的情景」が、その境目があいまいなまま、結末に向かって流れています。
 
 エルゼリの死や、エドガーがその知らせに何を思ったかなど、大きな動きがあったであろう場面がすべて省略され、ただ、語り手とエルゼリの言葉が、次第におぼろげになっていく情景に響き合いながら、霧に溶けていくように物語が終わる。

 重層的ながら、まるで過剰さがなく、語られない空白が、読者の心に余韻を残す。

 この場面構成がどれだけ巧みであり、漫画にしかできない複雑な表現に成功しているかは、この記事の、文字だけで書き起こした場面とご比較いただけば明白です。

(思い切った抑制や、漫画の特長を生かし切った表現は、こうの史代さんの『この世界の片隅に』と並んで、漫画表現の頂点にあると思います。)

この世界の片隅に : 上 (アクションコミックス) -
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 「漂う言葉」は、萩尾作品に欠かせないものであり、様々な作品で見ることができますが、それが最も複雑かつ印象的なのは、この「はるかな国の夢や小鳥」です。


 短編ながら、今も不朽の名作として語り継がれる『ポーの一族』の魅力が凝縮された作品です。ぜひ、ご覧になってください。


 読んでくださってありがとうございました。


(補足1)当ブログ、萩尾望都作品ご紹介記事
(ネタバレ)「ポーの一族」(1972年)あらすじご紹介(『ポーの一族』40年ぶりの続篇発表によせて)

(※ネタバレ)漫画、『ポーの一族』「はるかな国の花や小鳥」あらすじご紹介

・(※ネタバレ)漫画、『ポーの一族』「はるかな国の夢や小鳥」見どころご紹介


(補足2)当ブログ、こうの史代作品ご紹介記事(※漫画表現を考察した回)
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2017年11月30日

(※ネタバレ)『ポーの一族』「はるかな国の花や小鳥」あらすじご紹介


 今年、萩尾望都さんの傑作漫画『ポーの一族』の40年ぶりの新作『春の夢』が発売され、話題となりました。

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 この作品は、「ポー」と呼ばれる吸血鬼(バンパネラ)として、少年のまま不老不死を生きることとなったエドガーを主人公とする連作漫画です。

 今回は、新作『春の夢』の読み込みに役立つ、過去の短編「はるかな国の花や小鳥」のあらすじをご紹介させていただきます。

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(ネタバレですので、あらかじめご了承ください。)

 

(あらすじ)

 不老不死の吸血鬼(バンパネラ)、エドガーは、かつて自分が仲間に加えた友人アランとともに、町から町へと移り住む日々を送っている。

 ある日、エドガーは、バンパネラの命をつなぐバラが咲き誇る庭を見つけ、その庭の女主人、エルゼリと言葉を交わす。

はるかな国の花や小鳥1.png


 バラが欲しければ切ってあげましょう、と、微笑んでエドガーの手を引き、庭に招き入れるエルゼリ。

 エルゼリが近所の少年たちを集めてやっている合唱隊に誘われたエドガーは、しばし、この幸せそうに笑う、美しい女性のもとに通うことにする。

 エルゼリは、育ての親である伯母亡き後、手伝いの女性と、二人暮らしをしていた。

 少年たちと歌い、伯母の遺したバラの庭を愛するエルゼリ。

「なにもかも好きでたのしくて幸せそう」

 エドガーの言葉に、エルゼリはいつものように微笑む。

 エドガーと一緒にバラの庭を歩くエルゼリの、結いあげた髪に漂う後れ毛が、陽を透かして銀色に輝いていた。

 そのうなじの淡い光に、エドガーの亡き妹、メリーベルの面影がよぎった。

はるかな国の花や小鳥2.png


 合唱団に加わっている地元の少年たちは、よそもののエドガーが、エルゼリと親しくなることが気に入らず、ある日、通りすがりのエドガーにからんできた。

 エドガーが、少しも動じず、少年たちの乗っていた自転車を蹴り倒すと、騒ぎを聞きつけ、町医者のヒルスと、エルゼリが仲裁に入る。

 エルゼリに頼まれたから休戦しよう。でもエルゼリになれなれしくするな、と、後で、少年に釘を刺されたエドガーは、ヒルスが毎日エルゼリの庭をとおりかかることを思い出し、あの二人、お似合いかもね、と、微笑んで言った。

 少年の声が荒くなった。

 「これだからよそもんは……エルゼリはだれとも結婚しやしないよ!」

 10年以上前、ハロルド・リーという恋人が、エルゼリを捨てて、裕福な商家の娘と結婚してしまった。

 だから、エルゼリはもう、誰とも結婚しない。



 幸せそうに微笑んでいたエルゼリの、過去。

 思い出のにおいのする人。

 ある雨の日、物思いにふけっていたエドガーは、一人でエルゼリのもとに出かけた。

 こんな天気でも、自分をおいてエルゼリに会いに行くエドガーを、アランは複雑な表情で見送った。




 ヒルスに何度もプロポーズされているのに、恋人に捨てられた腹いせに、独身でいるって本当?

 向かい合ってお茶を飲むエドガーに、そう尋ねられたエルゼリは、いつものように微笑み、促されるままに、思い出話をした。

はるかな国の花や小鳥3.png

 別の町から来た、ハロルド・リーと出会ったのは、夏。

 彼は貧しく、婚約者は裕福。

 でも、彼は、婚約を破棄して戻ってくると、エルゼリに言った。

 エルゼリは、自分の伯母が言うように、彼がもう戻ってこないだろうと、気づいていた。

 彼が町に戻らなければいけない前の夜、二人であてどもなく、夜の森をさまよった。

 崖の下に、城が見えた。

 「お城が見えるわ」

 そう言ってから、エルゼリはすぐに、それが月明かりに照らされた木立だと気づいた。

 だが、ハロルドは、エルゼリの手を握り締めたまま、答えた。

 「ああ、本当だ。お城だね」

 それだけ。

 そう答えたあの人が、世界で一番好きだった。



 それきりハロルドには会えず、手紙も来なかった。

 風のうわさに結婚したということも聞いた。

 今、エルゼリはひとりで薔薇の庭に立ち、でも、

 今も、とても幸せ。




 昔、メリーベルが言っていた。

 にいさん、わたしたちはいつまでも子どもでいられるの。だからいつまでも、はるかな国の、花や小鳥の夢をみていていいのね。



 エドガーから、エルゼリの恋の話を聞かされたアランは冷ややかだった。

 変なんだよ。その女のひと。昔の恋人だって、彼女のことを忘れているに決まっている。

 でも、ずっと愛しているんだよ。

 そう言って、再びエルゼリのところへ行こうとするエドガーに対し、アランは叫んだ。

 「ぼくのことなんてどうだっていいんだ。どうせ、メリーベルのかわりだものね!」

 アランの頬を叩いてしまったエドガー。

 「アラン、ごめん」

 アランはベッドに顔をうずめたまま振り向かなかった。



 その日、エドガーは、合唱団を休み、少年たちに自転車を借りて、ハロルド・リーの住む町に行った。



 「ハロルド・リー?」

 カフェにいた、端正な顔に口ひげをたくわえた紳士が顔を上げた。

 「そうだが、きみは?」

 エドガーは、ただ、言った。

 「エルゼリを知ってる?」

 しばしの間の後、ハロルド・リーは、無心に問い返した。

「エルゼリ…?誰のことだね?」

 自転車に飛び乗ったエドガーは、ハロルド・リーの制止を聞きもせずにその場を走り去った。

 覚えてなかった。

 無理もない。10年も昔の、ひと夏だけの恋人のことなんて。



 夜、エドガーは、庭に立つエルゼリのもとにやってきた。

 ハロルド・リーに会ってきた。あの人は、あなたのこと。

 勢い込んで言おうとした一言は、エルゼリの不思議そうな表情の前で、音を変えた。

 「……覚えてたよ……」

 エルゼリは、いつもの笑みで、ただ、彼がどうしていたか訪ねてきた。

 もしかしたら、彼の記憶に自分がいるかどうかは、エルゼリにとって関係のないことなのかもしれない。

 捨てられ、忘れ去られても、愛していられる。

 悲しみや、憎しみという現実を置き去りにして。

「目をさましたら、あなたは夢を見ているんだ」

 エドガーは、思い切ってエルゼリに言った。

 みんな現実に直面して、悩んだり憎んだり悲しんだりしている。

「はるかな国はどこにもないよ。そんな国に人は住めないよ。エルゼリ」

「でも、憎むのはいや。悲しむのも」

 そんな行き場のない感情には、私は耐えられない。

 あの人を愛し続けていれば、その愛に包まれた世界で、生きていける。

 私が住むのはバラの庭。
 口ずさむのは愛の歌。
 日々思うのはやさしい人。

 「なぜそう幸せでいられる?」

 「なぜ幸せでいられないの?」

 たとえば妹がいない。

 思いおこすだけで幸せになれない。

「どこに行ったんだろう。また生まれてくる?」

はるかな国の花や小鳥4.png

 エルゼリは尋ねた。

「バラを摘んだのは妹さんのためだったの?」

 あれは友人に。でも彼は妹じゃない。

 「…これが愛でね、手を伸ばせば届くの」

 エルゼリの白い手が、バラに触れた。

 「あなたの愛。あなたの妹への愛」

 バラを摘んだエルゼリは、エドガーにそれを手渡した。

 「行き場があるのはいいわ。バラを受け取ってくれる人がいるのはいいわ」

 手の中のバラに、メリーベルの笑顔が淡く広がった。

 ……エドガー、エドガー

 エドガー兄さん…。

 エドガーは、遠ざかりながら、庭に立つ美しい人に振り向いた。

 ここは遠い国…はるかな庭。



 ドアの開く音。

 駆け寄ってきたアランに、エドガーはバラを手渡した。

 「ごめん」

 謝るエドガーに寄り添い、バラの香りをかぐアラン。

 自分には、思い出から帰っても、バラを渡せる人がいる。

 でも、エルゼリには、だれもいない。思いしかない。

 いつか、あの人は夢から覚めることがあるのだろうか。
はるかな国の花や小鳥5.png



 ハロルド・リーは、妻に見送られて家を出た。

 エルゼリ。誰のことだったろう。

 考え込んでいたハロルド・リーの目に、あの自転車に乗った少年が映った。

 「きみ!!」

 急に声をかけられ、驚いて振り向いたのはエドガーではなかった。

 バランスを崩して転んだ少年に迫る馬車。

 ハロルド・リーは、少年に手を伸ばした。



 合唱団の少年たちのために、エルゼリがパイにナイフをあてかけたとき、ばあやが息を切らして駆け込んできた。

「お嬢様、いましがたね、グラッセの奥さんが、ハロルド・リーの葬式にいらしたって」

 エルゼリの手が、止まった。

 振り向いたエルゼリの横顔を、窓から差し込む日が照らす。

 ハロルド・リーは、少年をかばい、自分は馬車の下敷きになったという。

 エルゼリは、ただ、日差しに目を細めていた。

 さっきまで、この世界。わたしのものだったのに。

 「今日はこれでおしまい。もうオルガンが弾けないわ。ごめんなさい。」

 少年たちにそう告げると、エルゼリは自室に戻ってしまった。


 憎しみはいや、悲しみも。早くねむってしまおう。

 ベッドに横たわったエルゼリ。その手には、ナイフがにぎられていた。

 ねむってしまおう。はやく。

 エルゼリは、目を閉じたまま、手首にナイフをあてた。

 もう目覚めまい。明日からは。

 庭のバラは枯れてしまう。明日までには。



 エルゼリの家に向かっていたエドガーは、合唱団の少年に行き会った。

 今日は、合唱の練習は無い。

 ハロルド・リーが死んだから。

 それを聞いた、エドガーは目を見張り、すぐに、駆け出した。

「エルゼリ!!」

 ばあやの制止を振り切って、エルゼリを呼び続け、体当たりでドアを開けたエドガー。

 ベッドに横たわったエルゼリ。

 その手首から血が流れ、エルゼリの懐を赤く染めていた。

 ばあやの悲鳴を背に、エドガーはエルゼリを抱き起して叫んだ。
 
「エルゼリ、目を覚まして!起きて!エルゼリ!!」

 夢の園にただよう少女の魂を、エドガーは呼び続けた。



 もう大丈夫ですよ。発見が早くてよかった。

 処置を済ませたヒルスは、泣きじゃくるばあやさんをなぐさめ、自分も、眼鏡の奥の善良な目から流れる涙を、そっとぬぐった。

 「まったく……あの人は……」



 バラの庭にいたエドガーが、ヒルスを呼びとめた

 「あの人の目が覚めたら、お城の話をしてごらん。」

 目覚めて人間にもどったら。

「あの人にはあなたが必要だよ。今こそ」

 ヒルスにそう言い残し、エドガーは、エルゼリの家をあとにした。



 「助かってよかった。あの人はもう恋人のことなんか忘れてさぁ、ヒルス先生と結婚すりゃいいんだよ!本当に」

 エドガーと並んで歩く少年の言葉に、エドガーは応えた。

「うん、ほんとうに…」

 ほんと……。

 その顔が、哀しげに、陰った。

はるかな国の花や小鳥6.png


「この町を出よう!今すぐだよ!」

 エドガーの急な言葉に戸惑いながら、アランは一緒に列車に乗り込んだ。

「あの庭の女の人にさよなら言ってきた?」

 エドガーは車窓に顔を向けたまま、答えなかった。

「…なにか、おこっているの?」

 アランは、言葉を切った。

 車窓に頬杖をつき、外を眺めていると思ったエドガーが、涙を流していた。

「エドガー、どうして、ねえ、なぜさ」

 肩に手を置き、顔を覗きこむアラン。

 握りしめた拳で目をおおう。

 エドガーの指の隙間を、涙が伝い続けた。

はるかな国の花や小鳥7.png


 …… その人は、それから3年の後、病気で亡くなったと聞きます

 お城のことを聞いた医師に、ほほえむだけで、なにも言わなかったと聞きます

 それからは、合唱団もやめ、黙って花を見、物思う毎日だったと

 あの人は人間にはなりえなかったのでした ……

  わたしが住むのはバラの庭

 ……たぶん、生まれながらの妖精だったのです。……

 くちずさむのは、愛の歌

 日々思うのは、やさしいひと

 ……あの人は、夢に浮かぶはるかな国の住人だったのでした……



(完)

 
 
 「はるかな国の花や小鳥」のあらすじをご紹介させていただきました。
 
 不老不死のバンパネラであるエドガーは、正体を知られないために、普段、人間とあまり関わりを持ちませんが、その彼が、エルゼリに亡き妹の面影を重ねて心惹かれ、悲しみを打ち明けており、そのほかの作品に比べ、エドガーの内面をより深く知ることができる作品です。

 また、絵と台詞の詩情、独特の流れるような場面展開も、名作ぞろいの「ポーの一族」シリーズでもとくに優れています。

 漫画という表現でなければ醸せない味わいに溢れた作品なので、是非お読みになってみてください。

 次回は、作品の見どころをご紹介させていただきます。併せてごらんいただければ幸いです。

 読んでくださってありがとうございました。


(補足)当ブログ、萩尾望都作品ご紹介記事
(ネタバレ)「ポーの一族」(1972年)あらすじご紹介(『ポーの一族』40年ぶりの続篇発表によせて)

(※ネタバレ)漫画、『ポーの一族』「はるかな国の花や小鳥」あらすじご紹介

・(※ネタバレ)漫画、『ポーの一族』「はるかな国の夢や小鳥」見どころご紹介

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2017年11月08日

絵画「ロンドン塔の王子たち」と漱石の「倫敦塔」(ドラローシュが描いたもう一つの「怖い絵」)



DelarocheKingEdward.jpg
(出典:Wilipedia 画像提供:Jeffdelonge)

先日、当ブログで、展覧会「怖い絵」の目玉作品である「レディ・ジェーン・グレイの処刑(ポール・ドラローシュ作)」をご紹介させていただきました。

 今回は、作者ドラローシュが、イギリスの史実をもとに描いた、もう一枚の歴史画、「幼きイングランド王エドワード5世とその弟ヨーク公リチャード」 (Edward V and the Duke of York in the Tower)(ルーブル美術館蔵)についてご紹介させていただきます。
(※「怖い絵」展の展示作品ではありません。)

 父王亡き後、叔父リチャード三世によってロンドン塔に幽閉され、のち忽然と塔から姿を消した、幼い王とその弟の姿を描いた絵です。

 この作品は、「レディ・ジェーン・グレイの処刑」同様、ロンドン塔の暗い歴史を物語るものとして、夏目漱石作の短編「倫敦塔」に影響を与えました。


(書籍『怖い絵』の著者、中根京子さんの以下の書籍でも紹介されている絵画です。)

中野京子と読み解く 名画の謎 陰謀の歴史篇 -
中野京子と読み解く 名画の謎 陰謀の歴史篇 -

 

 (概要)

 薄暗い部屋、寝台に腰を降ろした少年と、寝台の側に座り本を広げる、数歳幼げな少年。

 身を寄せ合う二人は、よく似た顔立ちで、兄弟であることが見て取れる。

 弟の肩に手をかけて、頭をもたせかけた兄は、蒼白の顔で、泣きぬれたような目を半ば伏せ、弟は、ページを繰る手を止め、物音に目を見開いている。

 寝台の側に、毛足の長い小型犬が立ち、耳をそばだてて、ドアを見ている。

 ドアの下から、かすかな明かり。

 そして、明かりを遮って、かすかな影……。




 個人的には、大量虐殺の絵や、人が猛獣におそわれる絵など、色々ある怖い絵の中で、この絵が一番怖いです。

 エドワード5世の、嘆きも極まり、既に死者であるかのような顔色とうつろな目。

 そして、弟ヨーク公リチャードの、頬に残る色と、強い恐怖を感じている表情から見て取れる、生を望む心。

 二人の表情の対比も鮮烈ですが、さらに、犬の視線の先、ドアの下から漏れる明かりがかげっていることが、そのまま、忍び寄る暗殺の影を示していることがわかったとき、心臓に冷たいものがよぎりました。

幼きエドワード5世とその弟ヨーク公 部分.png

 劇的な画面の中に、「背後にあるドアの隙間の薄い影」という、見落としてしまいそうなかすかな要素を加えて、不吉と、この後の惨劇をほのめかしている点が、この絵の空間と印象の奥行を深めています。


 (史実の中の少年王エドワード5世と弟ヨーク公リチャード)

 1483年、父エドワード4世の死後、まだ少年だったエドワード5世が王位を継承しました。

 しかし、まもなく王位を狙う叔父のリチャード三世により、弟のヨーク公リチャードとともにロンドン塔に幽閉されてしまいます。

 その後、二人は塔から姿を消し、その消息は長く謎のままとされてきましたが、1674年、塔内で、子供二人の頭蓋骨が発見されました。

 死因や性別は不明ながらも、この骨がエドワード5世とヨーク公リチャードのものであるとされ、やがて遺骨は王族の眠るウェストミンスター寺院に葬られました。

 長年、二人は叔父のリチャード3世に暗殺されたのだと考えられており、その残忍なストーリーは、シェイクスピアの戯曲「リチャード三世」にも描かれました。

リチャード三世 (新潮文庫) -
リチャード三世 (新潮文庫) -

(現在では暗殺命令を出したのは、リチャード三世の後に王位を継承したヘンリー七世の可能性があるともいわれています)

 




(夏目漱石「倫敦塔」への影響)

倫敦塔・幻影の盾 (新潮文庫) -
倫敦塔・幻影の盾 (新潮文庫) -

倫敦塔 -
倫敦塔 -


 以下、この絵画が、漱石の「倫敦塔」に影響を与えた部分を引用いたします。


 石壁の横には、大きな寝台が横わる。厚樫の心(しん)も透(とお)れと深く刻みつけたる葡萄と、葡萄の蔓と葡萄の葉が手足の触るる場所だけ光りを射返す。この寝台の端に二人の小児が見えて来た。一人は十三、四、一人は十歳位と思われる。幼なき方は床に腰をかけて、寝台の柱に半ば身を倚(も)たせ、力なき両足をぶらりと下げている。右の肱(ひじ)を、 傾けたる顔と共に前に出して年嵩なる人の肩に懸ける。年上なるは幼なき人の膝 の上に金にて飾れる大きな書物を開げて、そのあけてある頁の上に右の手を置く。象牙を揉んで柔かにしたる如く美しい手である。 二人とも烏の翼を欺くほどの黒き上衣を 着ているが色が極めて白いので一段と目立つ。 髪の色、眼の色、さては眉根鼻付から衣装の末に至るまで両人とも殆(ほと)んど同じように見えるのは兄弟だからであろう。
 兄が優しく清らかな声で膝の上なる書物を読む。「我が眼の前に、わが死ぬべき折の様を想い見る人こそ幸あれ。日ごと夜ごとに死なんと願え。やがては神の前に行くなるわれの何を恐るる」 弟は世に憐れなる声にて「アーメン」という。折から遠くより吹く木枯しの高き塔を撼(ゆる)がして一度(ひとた)びは壁も落つるばかりにゴーと 鳴る。弟はひたと身を寄せて兄の肩に顔をすり付ける。雪の如く白い蒲団の一部がほかと膨れ返る。兄はまた読み初める。
 「朝ならば夜の前に死ぬと思え。夜ならば翌日あすありと頼むな。覚悟をこそ尊(とうと)べ。見苦しき死に様ぞ恥の極みなる……」
 弟また「アーメン」と云う。その声は顫(ふる)えている。兄は静かに書をふせて、かの小さき窓の方(かた)へ歩みよりて外(と)の面(も)を見ようとする。窓が高くて背が足りぬ。床几(しょうぎ)を持って来てその上につまだつ。百里をつつむ黒霧(こくむ)の奥にぼんやりと冬の日が写る。屠(ほふ)れる犬の生血(いきち)にて染め抜いたようである。兄は「今日もまたこうして暮れるのか」と弟を顧(かえ)りみる。弟はただ「寒い」と答える。「命さえ助けてくるるなら伯父様に王の位を進ぜるものを」と兄が独り言のようにつぶやく。弟は「母様(ははさま)に逢いたい」とのみ云う。この時向うに掛っているタペストリに織り出してある女神の裸体像が風もないのに二三度ふわりふわりと動く。
 忽然(こつぜん)舞台が廻る。見ると塔門の前に一人の女が黒い喪服を着て悄然(しょうぜん)として立っている。面影は青白く窶(やつ)れてはいるが、どことなく品格のよい気高い婦人である。やがて錠(じょう)のきしる音がしてぎいと扉が開あくと内から一人の男が出て来て恭(うやうや)しく婦人の前に礼をする。
「逢う事を許されてか」と女が問う。
「否(いな)」と気の毒そうに男が答える。「逢わせまつらんと思えど、公けの掟(おき)てなればぜひなしと諦めたまえ。私の情(なさけ)売るは安き間(ま)の事にてあれど」と急に口を緘(つぐ)みてあたりを見渡す。濠(ほり)の内からかいつぶりがひょいと浮き上る。
 女は頸(うなじ)に懸けたる金の鎖を解いて男に与えて「ただ束(つか)の間垣間見んよの願なり。女人の頼み引き受けぬ君はつれなし」と云う。
 男は鎖りを指の先に巻きつけて思案の体(てい)である。かいつぶりはふいと沈む。ややありていう「牢守(ろうもり)は牢の掟を破りがたし。御子(みこ)らは変る事なく、すこやかに月日を過させたもう。心安く覚(おぼ)して帰りたまえ」と金の鎖りを押戻す。女は身動きもせぬ。鎖ばかりは敷石の上に落ちて鏘然(そうぜん)と鳴る。
「いかにしても逢う事は叶(かな)わずや」と女が尋たずねる。
「御気の毒なれど」と牢守が云い放つ。
「黒き塔の影、堅き塔の壁、寒き塔の人」と云いながら女はさめざめと泣く。
 舞台がまた変る。
 丈(たけ)の高い黒装束の影が一つ中庭の隅にあらわれる。苔(こけ)寒き石壁の中(うち)からスーと抜け出たように思われた。夜と霧との境に立って朦朧(もうろう)とあたりを見廻す。しばらくすると同じ黒装束の影がまた一つ陰の底から湧わいて出る。櫓(やぐら)の角に高くかかる星影を仰いで「日は暮れた」と背の高いのが云う。「昼の世界に顔は出せぬ」と一人が答える。「人殺しも多くしたが今日ほど寝覚(ねざめ)の悪い事はまたとあるまい」と高き影が低い方を向く。「タペストリの裏で二人の話しを立ち聞きした時は、いっその事止(や)めて帰ろうかと思うた」と低いのが正直に云う。「絞める時、花のような唇がぴりぴりと顫(ふる)うた」「透通るような額に紫色の筋が出た」「あの唸(うな)った声がまだ耳に付いている」。黒い影が再び黒い夜の中に吸い込まれる時櫓の上で時計の音ががあんと鳴る。
 空想は時計の音と共に破れる。石像のごとく立っていた番兵は銃を肩にしてコトリコトリと敷石の上を歩いている。あるきながら一件(いっけん)と手を組んで散歩する時を夢みている。



 寝台に座って不安げによりそう兄弟。
 
 死を思う祈りの言葉を読む兄と、ともに祈りを捧げる弟。

 命さえ助けてくれるなら、王位は叔父に渡すのに。

 そう、つぶやく兄と、母を恋しがる弟。

 一方、未亡人である母は、牢番に、子供たちに会わせてほしいと懇願している。

 気の毒そうに、しかし、掟である以上応じられないと首を振る牢番。母が金鎖を外して、牢番に渡そうとしても、その態度は揺るがない。

 母は牢番の冷酷を嘆く。

 日暮れ時、塔の庭に現れた黒衣の暗殺者たち。

 殺しに慣れた彼らであっても、少年たちを絞め殺した後味の悪さは重くのしかかっていた。

 そんな、主人公の空想は、塔の時計の音で、終わった。



 兄エドワード5世のほうが本を手にしている以外は、ドラローシュの絵画を多く踏襲した場面描写です。

 なお、この二人の王子については、ドラローシュのほか、名作「オフィーリア」で、漱石の小説『草枕』に多大なる影響を与えた画家、エヴァレット・ミレイも描いており、こちらも『倫敦塔』に影響を与えた可能性があります。

(当ブログ「オフィーリア」と『草枕』についての記事はコチラ

 ミレイ作「塔の中の王子」

554px-Princes.jpg




(補足:漫画「薔薇王の葬列」〈菅野 文作〉)

薔薇王の葬列 1 (プリンセスコミックス) -
薔薇王の葬列 1 (プリンセスコミックス) -

 現在、プリンセスコミックで、リチャード三世を主人公とした漫画『薔薇王の葬列』が連載されています。

 ヨーク家とランカスター家の王位争いである薔薇戦争による父王の死、ヨーク家の忠実な参謀であったウォリック伯との確執など、一族とリチャード三世の波乱に満ちた人生が、虚実織り交ぜて展開してゆく作品です。

 シェイクスピア演劇の狡猾残忍なリチャード三世とは異なり、この作品のリチャードは、肉体にある秘密を抱える、美しい人物として描かれています。

(リチャード)
薔薇王の葬列 2 (プリンセス・コミックス) -
薔薇王の葬列 2 (プリンセス・コミックス) -

 周囲の人々を惹きつける美貌と、武術の腕を持ちながら、この秘密を打ち明けられないために孤独にさいなまれるリチャードと、運命の出会いを果たす、無垢の青年。

薔薇王の葬列1.png

 しかし、彼もまた、秘密と深い心の傷を抱えていました。

 
 話がスリリングであるばかりでなく、絵が非常に美しく、とくに、権謀術策の渦に生きながら、特定の人物(家族や心惹かれる相手)には深い愛情を抱く登場人物たちの表情は、それだけでも一読の価値があるほどに魅力的です。

薔薇王の葬列5.png

 この美しくもの哀しいリチャードが、作中でも、史実で囁かれるように、兄の子たちを暗殺してしまうのか。

(漫画の中のエドワード5世とヨーク公)
薔薇王の葬列 王子たち.png


 それとも、リチャードの周辺の誰かが策略を巡らせるのか。

 物語はまだ途中ですが、とても読み応えがあるので、この時代に興味のある方はお読みになってみてはいかがでしょうか。



 以上、ドラローシュ作「幼きイングランド王エドワード5世とその弟ヨーク公リチャード」 と周辺情報ご紹介でした。ご鑑賞の参考になれば幸いです。

 読んでくださってありがとうございました。



(参照URL)
rルーブル美術館《幼きイングランド王エドワード5世とその弟ヨーク公リチャード》

・Princes in the Tower
https://en.wikipedia.org/wiki/Princes_in_the_Tower


・世界遺産vol.7 イギリス ロンドン塔
http://www.xn--eckua7a1o169k170cgian33q.jp/pages/toweroflondon.html
・作品《幼きイングランド王エドワード5世とその弟ヨーク公リチャード》
http://www.louvre.fr/jp/oeuvre-notices/%E3%80%8A%E5%B9%BC%E3%81%8D%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E7%8E%8B%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%895%E4%B8%96%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%BC%9F%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AF%E5%85%AC%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%80%8B

・レプリカ絵画を所蔵するロンドンの「Wallace collection」解説ページ
http://wallacelive.wallacecollection.org/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=65210
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2017年10月31日

「怖い絵」展の「レディ・ジェーン・グレイの処刑」について(歴史、作者、夏目漱石「倫敦塔」との関係)


「レディ・ジェーン・グレイの処刑」(The Execution of Lady Jane Gray)ポール・ドラローシュ作

DelarocheLadyJaneGrey.jpg
(出典:ウィキペディア 画像提供:Uni München)



 2017年10月7日〜12月17日まで上野で、暗い題材の名画ばかりを集めた「怖い絵」展が開かれています。

(中野京子さんの絵画鑑賞本「怖い絵」シリーズと連携した展覧会だそうです。)

怖い絵 泣く女篇 (角川文庫) -
怖い絵 泣く女篇 (角川文庫) -

(展覧会動画)

https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=VwZZgy5eUQk


(中野京子さんインタビュー動画)

https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=A7UFsu1lF6U

 これにちなんで、今回は、展覧会の目玉「レディ・ジェーン・グレイの処刑」(ロンドン、ナショナルギャラリー蔵)についてご紹介させていただきます。

公式HP情報
http://kowaie.com/
http://kowaie.com/pop/pic01a.html?iframe=true&width=705&height=560
(「レディ・ジェーン・グレイの処刑」の解説ページ)


(絵の概要)

 1554年、権力闘争の果てに、女王に祭り上げられ、9日後には王座を追われて、まだ16歳の若さで処刑されたレディ・ジェーン・グレイ。

 目隠しをされているため、断頭台が見えず、手探りをする彼女を、司祭が支えて導いている。

 ジェーンの透けるような指には結婚指輪。

 しかし、それは彼女を女王にするべく周到に用意された、愛の無い政略結婚の証。

 (夫も、この日、処刑された。)

 左側には侍女が二人、あまりにも惨い最期に、一人は柱に顔を押し当てて泣き、もう一人は、ジェーンが処刑のために脱いだマントと宝石を膝に、泣きはらした目で放心している。
 
 処刑人は斧を手に、感情のうかがい知れないうつむき顔で、ジェーンが台に首を置くのを待っている。

 何も思わないことに慣れているのか。

 あるいは、何かを思って手元が狂い、この少女に余計な苦しみを与えることがないように、心の動きを止めているのか…………。




(史実が伝えるレディ・ジェーン・グレイの悲劇)

 ジェーンは、当時カトリック派との権力争いをしていたプロテスタント派の有力貴族ウォーリック伯ジョン・ダドリーに、王家に血筋の近い、プロテスタント派の一族であるという理由で目を付けられ、彼の息子、ギルフォードと結婚させられました。

 その後、ジョン・ダドリーの働きかけで、半ば強制的に女王になったものの、ダドリーに反旗を翻した周辺の貴族達の後押しを受け、カトリック派のメアリー(後にプロテスタントを厳しく弾圧し、「ブラッディ・メアリー(流血のメアリー)」と呼ばれた人物)が女王に即位、ジェーンとギルフォードは逮捕されました。

 ジョン・ダドリーはすぐに処刑されたものの、メアリーは、野心が無いことが明らかなジェーンの処刑をためらっており、あるいは、赦免される可能性があるのではと考えられていました。

 しかし、メアリーと結婚する予定だったスペイン皇太子フェリペが、プロテスタント派の象徴となりうるジェーンの存在を許さなかったこと、ジェーンの逮捕後、プロテスタント派の貴族たち(ジェーンの父親を含む)が反乱を起こしたことなどの理由で、ジェーンの処刑が確定しました。

 ただ、周囲の思惑に翻弄されて結婚し、女王になり、そして死にゆく運命となったジェーン。

 それでも、断頭台の前に座るまでは、取り乱した様子を見せなかったそうですが、処刑人には、小さな声で、「早く済ませてくださいね」と言ったそうです。



 ジェーンの夫ギルフォードは、ジェーンと同じ日、彼女より先に処刑され、彼が幽閉されていた小部屋の壁には、ギルフォードが彫ったとされる「JANE」の名が、今でも残っています。

 ただ、権力を得るために結ばれた、一年にも満たない結婚。

 その果てに、自分と父の野心の犠牲となった妻。
 
 その名を壁に刻み付けた時、自身もまだ18歳の少年だったギルフォードは何を思ったか。

 断頭台の前に跪いたジェーンの思い同様、我々がそれを知るすべはありません。

(参照:onlineジャーニー記事)





(作者、ポール・ドラローシュについて)

 ポール・ドラローシュ(Paul Delaroche)(1797〜1856)は、磨き上げたように滑らかな絵肌の、写実的で端正な画風で、数々の歴史画を生み出し、母国フランスもさることながら、イギリスで高い評価を得た画家です。

 なお、その作風から、史実に忠実に描いているような印象を受けますが、彼の作品にはしばしば創作上の想像が織り込まれており、この「レディ・ジェーン・グレイの処刑」でも、実際には屋外で行われたであろう処刑を、地下の場面に変えているそうです。
(参照:ウィキペディア)


 人間の感情と時代のうねりを感じさせるドラマチックな場面を、静かで緻密な筆致、画面構成で描いたドラローシュ。

 「レディ・ジェーン・グレイの処刑」のほか、歴史画では成功した画家でしたが、宗教画は思うようには認められず、さらに、死後は評価が次第に下がってゆきました。

 (裕福な家庭に生まれ、妻の父の後押しで、当時の芸術アカデミーで安定した地位についていたことも、没後の冷淡な評価につながっていると思われます。)

 しかし、歴史上の人物たちを、まるでそこにいるかのように描いた画力、女性たちの髪や肌の美しさ、抑制からにじみ出る感情表現は、ロンドンに留学していた夏目漱石を強烈に魅了し、「レディ・ジェーン・グレイの処刑」が、幻想的短編小説「倫敦(ロンドン)塔」でとりあげられることとなりました。


 なお、2016年、BBCの絵画鑑定番組「Fake or Fortune?」にドラローシュのものと思われる絵画「聖アメリア、ハンガリー女王(Saint Amelia, Queen of Hungary)」が登場し、本物であることが確認されたため、約40p×30p程度の絵ながら、10万ポンド(約1500万円)の値が付きました。

 (病で早逝した夫が、真筆と信じて大切にしていた絵という、所有者母子の思い出も相まって、感動的な回でした。)
 



(「レディ・ジェーン・グレイの処刑」と夏目漱石「倫敦塔」)

倫敦塔・幻影の盾 (新潮文庫) -
倫敦塔・幻影の盾 (新潮文庫) -

倫敦塔 -
倫敦塔 -

 「倫敦塔」は漱石が留学中、王侯貴族を幽閉し、処刑してきた城塞「ロンドン塔」を題材に描いた短編小説です。

 漱石と思われる主人公「余」は、見学者としてロンドン塔に足を踏み入れ、塔内の職員と言葉を交わしながら、塔の歴史と建物の様子を見つめますが、途中、この塔で起きた数々の歴史的悲劇の情景が彼の前に現れ、主人公は、現在と過去、現実と幻想のはざまに立たされます。



 ジェーン・グレイの処刑の幻が現れる前、彼は子供を連れた美しい女が塔を見学しているのを見かけます。

 美しい女は、塔の壁にあまた残る、囚人たちが自らの爪で彫った絵や字の中から、ダドリー(ダッドレー)家の紋章を示し、これは、ジョン・ダドリーが描いたものだと子供に語っていました。

 紋章の下の読みにくく古い言葉の字までさらさらと読む女の様子に、なにか不気味なものを感じた主人公は、足早に先に進みますが、ふと「JANE」と彫られた壁の前で足を止めました。

 これが、ジェーン・グレイゆかりの字か。

 そう思った主人公の中に、その最期の光景がよみがえってきました。


(以下引用)

英国の歴史を読んだものでジェーン・グレーの名を知らぬ者はあるまい。またその薄命と無残の最後に同情の涙を濺(そそ)がぬ者はあるまい。ジェーンは義父と所天(おっと)の野心のために十八年の春秋を罪なくして惜気(おしげ)もなく刑場に売った。蹂み(ふみ)躙(にじ)られたる薔薇の蕊(しべ)より消え難き香の遠く立ちて、今に至るまで史を繙(ひもと)く者をゆかしがらせる。希臘(ギリシャ)語を解しプレートー(プラトン)を読んで一代の碩学(せきがく※おさめた学問の広く深いこと)アスカム(※イギリスの学者)をして舌を捲(ま)かしめたる逸事は、この詩趣ある人物を想見(そうけん)するの好材料として何人(なんびと)の脳裏にも保存せらるるであろう。余はジェーンの名の前に立留ったぎり動かない。動かないと云うよりむしろ動けない。空想の幕はすでにあいている。
 始は両方の眼が霞(かす)んで物が見えなくなる。やがて暗い中の一点にパッと火が点ぜられる。その火が次第次第に大きくなって内に人が動いているような心持ちがする。次にそれがだんだん明るくなってちょうど双眼鏡の度を合せるように判然と眼に映じて来る。次にその景色がだんだん大きくなって遠方から近づいて来る。気がついて見ると真中に若い女が坐っている、右の端(はじ)には男が立っているようだ。両方共どこかで見たようだなと考えるうち、瞬くまにズッと近づいて余から五六間先ではたと停まる。男は前に穴倉の裏(うち)で歌をうたっていた、眼の凹くぼんだ煤色(すすいろ)をした、背の低い奴だ。磨(と)ぎすました斧を左手(ゆんで)に突いて腰に八寸ほどの短刀をぶら下げて身構えて立っている。余は覚えずギョッとする。女は白き手巾(ハンケチ)で目隠しをして両の手で首を載せる台を探すような風情に見える。首を載せる台は日本の薪割台(まきわりだい)ぐらいの大きさで前に鉄の環(かん)が着いている。台の前部に藁(わら)が散らしてあるのは流れる血を防ぐ要慎(ようじん)と見えた。背後の壁にもたれて二三人の女が泣き崩れている、侍女ででもあろうか。白い毛裏を折り返した法衣(ほうえ)を裾長く引く坊さんが、うつ向いて女の手を台の方角へ導いてやる。女は雪のごとく白い服を着けて、肩にあまる金色(こんじき)の髪を時々雲のように揺らす。ふとその顔を見ると驚いた。眼こそ見えね、眉の形、細き面(おもて)、なよやかなる頸(くび)の辺(あたり)に至(いたる)まで、先刻さっき見た女そのままである。思わず馳(か)け寄ろうとしたが足が縮んで一歩も前へ出る事が出来ぬ。女はようやく首斬り台を探り当てて両の手をかける。唇がむずむずと動く。最前(さいぜん)男の子にダッドレーの紋章を説明した時と寸分違(たが)わぬ。やがて首を少し傾けて「わが夫ギルドフォード・ダッドレーはすでに神の国に行ってか」と聞く。肩を揺り越した一握りの髪が軽(かろ)くうねりを打つ。坊さんは「知り申さぬ」と答えて「まだ真の道に入りたもう心はなきか」と問う。女屹(きっ)として「まこととは吾と吾夫(わがおっと)の信ずる道をこそ言え。御身達の道は迷いの道、誤りの道よ」と返す。坊さんは何にも言わずにいる。女はやや落ちついた調子で「吾夫が先なら追いつこう、後(あと)ならば誘うて行こう。正しき神の国に、正しき道を踏んで行こう」と云い終って落つるがごとく首を台の上に投げかける。眼の凹くぼんだ、煤色の、背の低い首斬り役が重た気(げ)に斧をエイと取り直す。余の洋袴(ズボン)の膝に二三点の血が迸(ほとば)しると思ったら、すべての光景が忽然(こつぜん)と消え失うせた。



 ドラローシュの絵をそのまま漱石の美文で描写し、そこに、夫の生死を尋ねるジェーンと僧の対話が付け加えています。

 (なお、実際にはジェーンはギルフォードが処刑に向かう様子を、自身の幽閉された部屋から見ていたそうです。)

 絵の中の、高貴だがはかなげな少女としてのジェーンと比べ、自身と夫の正しさを疑わず、カトリックの僧に彼らの否を告げるジェーンは、その瞳を目隠しで覆い、首を断頭台に置いてもなお、誇り高く迷いの無いふるまいを見せています。

 あの顔は、あの、壁に刻まれたジョン・ダドリーの紋章を示し、よどみなく字を読んだ女のものだ。

 そう気づいた主人公は、処刑の場に駆け寄ろうとしますが、足が動かず、断頭の血が飛んだと思った瞬間には、幻は消え、あの謎の女も、いなくなっていた……という場面です。



(余談 ポスターとコピー)

 最近、大きな駅では、美術館のポスターが良く貼られており、憂鬱な人込みを縫う移動の中で、大きく引き伸ばされた名画や彫刻は、目の覚めるばかりの鮮やかさですが、この「怖い絵」展の「レディ・ジェーン・グレイの処刑」のインパクトは、ほかの展覧会ポスターとは一線を画しています。

(参照:兵庫県立美術館で開催された「怖い絵」展ポスター)

 当然場面も怖いし、ぽつんと白く浮かぶ「どうして。」のコピーに気付いたとき、全身つむじまで鳥肌が駆け上りました。

 一見きれいな女性が端正に描かれたこの絵が「どうして」怖いのか、と、「どうして」罪もないジェーンが処刑されなければいけないのかということがかかっているんですよね……。

 「狂ってたのは俺か、時代か?(河鍋暁斎の『画鬼、暁斎』)展」

 「永遠を守るための軍隊、参上。(『始皇帝と兵馬俑』展)」

など、最近、見事な展覧会キャッチコピーをよく見かけると思っていましたが、これも暗いながら名作だと思います。

 それにしても、ポスターの意味に気付いた子供が、そこを通れなくなるのではないかとやや心配になる……。




 以上、ポール・ドラローシュ作「レディ・ジェーン・グレイの処刑」の情報をご紹介させていただきました。ご鑑賞の一助になれば幸いです。
(ちなみに上野の展覧会は現在かなり混んでいるそうです。)


 読んでくださってありがとうございました。


(当ブログ関連記事)
「ミレイの『オフィーリア』と漱石の『草枕』」
絵画「ロンドン塔の王子たち」と漱石の「倫敦塔」(ドラローシュが描いたもう一つの「怖い絵」)

(参照URL)
・ポール・ドラローシュウィキペディア記事
 
(日本語版)
 (英語版)
 https://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Delaroche

・Japan Journals「Onlineジャーニー」内記事
「断頭台に散った9日間の若き女王レディ・ジェーン・グレイ」
(臨場感ある文章で、歴史上のジェーンのエピソードを詳しく書いてくださっていました。お勧めです。)  
https://www.japanjournals.com/feature/survivor/4350-lady-jane-grey.html?limit=1

・ロンドン、ナショナルギャラリーHP内、絵画紹介記事(※解説動画つき)
https://www.nationalgallery.org.uk/paintings/paul-delaroche-the-execution-of-lady-jane-grey

・「Art net news」HP内記事
「Long-Lost Panting by French Master Paul Delaroche Authenticated on TV Show」
https://news.artnet.com/art-world/lost-panting-delaroche-surfaces-tv-show-573941
posted by Palum. at 02:30| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月29日

(おすすめ動画)Martin Harkinsさんの「You raise me up」


 
 今日は、雨や寒さでちょっと気持ちが沈んだときにおすすめの動画を紹介させていただきます。

 こちらをご覧ください。



 https://www.youtube.com/watch?v=4RojlDwD07I


 寒そうな曇りの日、町を行き交う人々。

 ひげをたくわえ、眼鏡をかけた紳士が、帽子を裏返して置き、石畳の道に佇む。

 真面目さと微笑の入り混じる穏やかな表情を浮かべた後、両手を組み合わせ、目を上げた紳士は歌い始める。

 
  
  わたしがどんな苦しい時も、あなたが側にいて、力づけてくれる。

  あなたが力づけてくれるから、山の頂にも立てる、嵐吹きすさぶ海も行ける。

  あなたの肩に在るとき、私は強くなれる。

  あなたはわたしを、わたし自身よりも、強くしてくれる。

     (「You raise me up」一部歌詞意訳)





 力強く温かな声と、美しい歌に、人々が足をとめ、ゆるやかに紳士を取り囲んで輪が広がっていく。

 ある人は、紳士の帽子にそっと賞賛のコインを置き、

 ある人は、自分を知るその歌をかすかに口ずさみ、

 ある人は、ほほをつたう涙をぬぐう。

 マフラーや、フード、立てた襟にうずもれた人々の顔が、彼の歌声のぬくもりに、灯されたように、次第に明るくなってゆく。



 雑踏に、今風の服を着た神様が、いつのまにか現れて、歌いだしたような、不思議な光景。



 この、シンプルだけれど、印象的な動画は、オランダの歌手、Martin Hurkensさんのプロモーションビデオです。



 Martin Hurkens(マーティン・ハーケンス)さんは、オランダのオーディション番組「Holland’s Got Talent」の2010年優勝者として一躍有名になった方です。

 (オーディション参加時の動画)


 https://www.youtube.com/watch?v=5CA2QSjRgF4



 Martinさんはパン職人として32年間のキャリアがありましたが、57才でオーディションに参加した頃には、仕事を失くした状態でした。

 もともと、オペラ歌手になりたいと思いつつ、経済的な事情で正式なトレーニングを受けることができず、夢を中断させた人でした(※1)が、娘さんがこっそり彼のことを番組に応募し、オーディションに参加することになりました。

 「お父さんはパヴァロッティみたい」(※2)

 「私たちはお父さんを『パヴァロッティ』って呼んでいるけれど、お父さんはそれをみんなの前で証明しないと」

 二人の娘たちにそう励まされ、ステージに現れた彼は、パヴァロッティの代表曲である、「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」を歌いました。

 (※1)Winkgo記事(下掲)参照
 (※2)ルチアーノ・パヴァロッティ 世界三大テノール歌手の一人。「神に祝福された声」と呼ばれた20世紀後半最高のオペラ歌手。

 ちなみにこの「誰も寝てはならぬ」という曲はイギリスのオーディション番組「Britain’s got talent」で世界的に有名になったポール・ポッズ氏も歌った曲です。



 実力を出し、喝さいを浴びる父を見て、ステージ袖で抱き合う姉妹。

 美しい歌声と、姉妹たちの姿に、プレゼンターの男性も目をうるませていました。

 

 その後、見事オーディション番組で優勝した彼が、路上パフォーマンスをしたのが、あの「You raise me up」の動画です。

 

 この動画が世界的に評判になり、中国での路上パフォーマンスも行われました。こちらも人々のしみじみと聞きほれる表情が心に残ります。(美しいものと、それに胸打たれる心に国境は無いと実感する。)


https://www.youtube.com/watch?v=jk1Uslt8Pv8


 (Martinさんのフェイスブックによると、さらにその後中国での人気が定着し、今でも中国でのコンサートをなさっているそうです。美声とともに、にじみでる「あたたかなお父さんオーラ」がアジア系の人の琴線に触れたのでしょうか。)


 Martin Harkensさんのそのほかのパフォーマンス動画を一部ご紹介させていただきます。

 ・Ave Maria(先ほどと同じ場所での映像です。雨が雪に変わっているけれど、みんなまだ聴いている。)


https://www.youtube.com/watch?v=v8O15DogWgg


 ・Una Furtiva Lagrima(「人知れぬ涙」)オペラ「愛の妙薬」の中のアリア


https://www.youtube.com/watch?v=v8CcDshE08M&list=RDv8CcDshE08M&t=44


 自分が、雨や寒さに、どんよりしたとき、よく聞いて気持ちをあっためていたのでご紹介させていただきました。

 Martin Harkensさんの公式情報ページは以下のとおりです。

・公式HP
http://www.martinhurkens.nl/ ※英語表示可能、国旗表示をクリックしてください。
http://www.martinhurkens.nl/youtube/ (動画集)
http://www.martinhurkens.nl/biografie/(プロフィール)


・フェイスブック
https://www.facebook.com/martinhurkensofficial/


 読んでくださってありがとうございました。



(参照記事)
「This man took off his hat in the middle of street and move everyone to tears」
「Winkgo記事」(2015年掲載)
 http://winkgo.com/martin-hurkens-you-raise-me-up-holland/

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2017年10月27日

(おすすめ本)高村光雲作『幕末維新懐古談』3(観音像を救い出したときのこと)


 本日も、明治木彫工芸の達人、高村光雲の名著、『幕末維新懐古談』の一部あらすじを、ご紹介させていただきます。

『高村光雲・高村光太郎全集・112作品⇒1冊』 -
『高村光雲・高村光太郎全集・112作品⇒1冊』 -

 過去記事はこちらです。
 ・幕末維新懐古談1 祖父と父の人生、仏師になったきっかけ、浅草の大火
 ・幕末維新懐古談2 修行時代のエピソード(猫と鼠のはなし)

幕末維新懐古談 (岩波文庫) -
幕末維新懐古談 (岩波文庫) -

 明治時代、それまで境界線があいまいだった神道と仏教の分離を目指し「神仏混淆廃止改革」が起こりました。

 この流れは、仏像、寺院の取り壊しという事態(廃仏毀釈〈はいぶつきしゃく〉運動)に発展し、仏師として修行中だった光雲と、師匠東雲にも逆風が吹くこととなります。

 自身の仕事の苦労については、決してへこたれなかった光雲でしたが、この時期、光雲が「実に涙の出るようなことでありました」と後に振り返った出来事がありました。



(あらすじ)

 光雲が東雲の弟子として店で働いていたある日、東雲の知人が店に駆け込んできました。

 東雲が不在であることを告げると、その人は、それでは仕方がないが、困ったことだと、残念がっていました。

 光雲が事情を尋ねると、本所(江東区の地名)にある五百羅漢寺の観音様100体が、下金屋(各地で集めた貴金属を、金銀取扱店に卸す業者のこと)に運ばれて燃やされることになったので、知らせておかなければと思ってやってきたとのことでした。

 その観音像は、江戸時代、信者の人々が、名人と呼ばれる仏師たちに頼んで作らせたもので、光雲にとっても、近くで見られる先人たちのお手本として、弁当持参で足しげく通って学んだ、思い入れ深いものでした。

 弟子の自分だけ行ってもどうなるものでもないと思いつつ、こうしている間にも、あの観音様たちは火にくべられるかもしれないと思うと、いても立ってもいられない気持ちになり、東雲の妻に状況を説明して、店を抜け出して下金屋に走っていきました。

 (以下、原文引用)
 これは実に困ったと真底から私は困り抜きました。しかし、困ったといって、こうして腕を拱んで、阿呆見たいな顔はしていられない。どうにかしなければならないという気が何よりもまず 先立って来る。あの百観音が今焼かれようとしている。灰にされようとしている。 灰にされてしまったらどうなるのだ。…… あの、平生から眼の底に滲み附いている百観音が……自分の唯一のお師匠さんだったあの彫刻が、今にも灰になろうとしている……、もう、今頃はあのお姿のどれかに火が点いているかも知れない。 焼け木杭(ぼっくい)見たいになっているかも知れない……そう思うと情けないやら、懐かしいやら、またそれがいかにも無残で、惜しいやら、私はただもうふらふらとその現場へ飛んで行きたくなりました。



 光雲が下金屋に駆け込んだ時、観音像はまるで薪かなにかのように数体ずつまとめて炭俵や米俵にまとめられ、まさに処分される直前でした。

 名作数体だけでもお助けせねばと考えた光雲は、唐突に表れた若者に、露骨に迷惑そうな顔をしている人々に、燃やす前に少しだけ見せていただきたいと口では頼みながら、身体は勝手に動いて、米俵を解いていました。

 いくつかえり分けたうち、まさにこれだ、と、記憶に焼き付いていた像数体と、既に乱暴な扱いで欠けていた手や飾りを引っ張り出した光雲は、この観音様たちだけは助けていただきたいと懇願しました。

 しかし、観音像には金箔が貼られており、燃やした後は金を集めることになっていたので、先方はなかなかうんとは言わず、押し問答をしているところに、東雲が後を追って駆け付けてくれました。

 名仏師として知られる東雲が来たことで、相手の態度も少し軟化し、東雲が、自分が買い取るから値を言ってくれと交渉したため、像はようやく東雲に渡されました。

 本当は、すべての観音様をお救いしたいところではあるが、これ以上はどうしようもない。

 光雲と東雲は、手分けして、そのほかの像を割ると、玉眼(水晶の眼球)や額の宝石だけ取り出して持ち帰ることにしました。

 それは、実につらい作業だったそうです。



 店に戻ってから、光雲は師匠に、観音様のうち一体だけ自分に譲っていただきたいとお願いしました。

 東雲としても手放しがたい気がした様子でしたが、光雲が粘って救い出した像なので、好きに選んでいいと言ってくれました。

 光雲が買い取ったのは、松雲元慶禅師という五百羅漢寺の創建者の作品でした。

(以下原文引用)

それから、私は右の観音を安置して、静かにその前に正坐(すわ)りました。そして礼拝しました。多年眼に滲みて忘れなかったその御像は昔ながらに結構でありました。
 けれども、お姿に金が附いていたためにアワヤ一大御難に逢わされようとしたことを思うと、金箔のあるのが気になりますから、いっそ、この木地を出してしまう方が好いと思い、それから長い間水に浸けておきました。すると、漆は皆脱落(はが)れてしまい、膠(にかわ)ではいだ合せ目もばらばらになってしまいましたから、それを丁寧に元通りに合わせ直し、木地のままの御姿にしてしまいました。これは、お手のものだから格別の手入れもなしに旨く元通りになりました。そうして、それを私の守り本尊として、祭りまして、現に今日でも私はそれを持ち続けている。私は観音のためには、生まれて以来今日までいろいろの意味においてそのお扶(たす)けを冠っているのであるがこの観音様はあぶないところを私がお扶けしたのだ。これも何かの仏縁であろうとおもうことである。


 (あらすじ 完)

(「本所五ツ目の羅漢寺のこと」「栄螺堂百観音の成り行き」「私の守り本尊のはなし」より抜粋)



 ちょうど今、東京では運慶展が長蛇の列をなしており、仏像ブームと言われる時代を迎えていますが、明治にはこんな乱暴な扱いを受けて、むざむざと灰燼に帰してしまった文化財が数多くあったことを、光雲が目撃者として語り残したエピソードです。

(新政府の拠点に近く、一方で、維新前は徳川幕府と密なつながりのあった東京の寺院は、とくに追求から逃れることが難しかったのでしょう。)


 今なら100体、違う仏師が彫った像があれば、貴重な資料にも、立派な名所にもなったでしょうに、惜しいことです。
 
 (なお、この観音像がおさめられていた建物は、「栄螺(さざえ)堂」と呼ばれる珍しい建築でしたが、これもこの時に取り壊されてしまったそうです。)

 「観音像が数体まとめて米俵に」とか、「燃やして金箔をとる」とか、今では考えられない出来事の記録とともに、像を救い出そうと交渉する光雲と東雲の緊迫感がひしひしと伝わってきます。

 また、観音像を入手できた光雲の「解体して箔をはがす」という作業も、プロの仕事が垣間見られて興味深いです。

 それにしても、通ってその仕事を学んでいた作品、しかも信仰の対象である観音様を、どうしようもないとはいえ、割って目と宝石だけ取り出すという作業をしたときの、光雲と東雲の気持ちを考えると実に気の毒です。

 この、仏像が壊されるという時代の流れは、当然仏師である彼らの注文の激減につながり、加えて、光雲が学んだ木彫それ自体が、牙彫(げちょう〈象牙彫刻〉)に圧倒されることとなって、光雲は窮地に立たされることになります。

 そんな中、光雲が選んだ道と、苦境の彼の前に現れ、生涯の友人となった彫刻家、石川光明についても、作品の中で読むことができます。

 当ブログでも引き続いてあらすじを紹介させていただきますので、よろしければお立ち寄りください。

 今回ご紹介したエピソードが読める「青空文庫」URLは以下のとおりです。
 ・http://www.aozora.gr.jp/cards/000270/files/46399_24249.html 「本所五ツ目の羅漢寺のこと」
 ・http://www.aozora.gr.jp/cards/000270/files/46400_24250.html 「蠑螺堂百観音の成り行き」
 ・http://www.aozora.gr.jp/cards/000270/files/46401_24251.html 「私の守り本尊のはなし」


 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum. at 02:23| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月24日

(おすすめ本)高村光雲作『幕末維新懐古談』2(木彫の達人、高村光雲の修行時代エピソード)


『高村光雲・高村光太郎全集・112作品⇒1冊』 -
『高村光雲・高村光太郎全集・112作品⇒1冊』 -

 現在、東京の三井記念美術館で、明治工芸と、現代作家のコラボ展示「特別展 驚異の超絶技巧! -明治工芸から現代アート』が開催されています。


(2017年9月16日〜12月3日)
  資料URL
 ・http://www.mitsui-museum.jp/exhibition/index.html
 (三井記念美術館展覧会情報)
 ・https://ssl.museum.or.jp/modules/topics/index.php?action=view&id=988
 (インターネットミュージアム取材レポート) 


 これにちなみ、明治木彫工芸の達人、高村光雲が、自身の生い立ちと時代を語った名著、『幕末維新懐古談』の一部あらすじを、
過去記事に引き続いてご紹介させていただきます。

 (今回の展覧会でも、彼の作品「布袋像」を観ることができます。)

 
 (岩波文庫版情報)

幕末維新懐古談 (岩波文庫) -
幕末維新懐古談 (岩波文庫) -


幕末維新懐古談 「猫と鼠のはなし」あらすじ 

(少年時代に作ったネズミの木彫り)


 12歳のときに、仏師、高村東雲に弟子入りした光雲(本名中村幸吉)は、師匠の家に住み込みで技術を学びました。

 14、5歳になったころ、どうやら物の形を彫れるようになってきた、と、思った光雲は、自分でも何か像を作ってみたくなり、こっそり、実物大のネズミを彫りました。

 (修行中は、与えられた課題を練習補佐することが義務であり、勝手に像を彫ることを禁じられていました。)

 我ながらなかなかの出来、と、思ったので、これにさらに色を塗り、棚に乗せて眺めていましたが、お使いを頼まれ、うっかりネズミを棚に置いていってしまいます。

 それを、師匠東雲を訪ねてきた、高名な住職が見つけました。

 「さっきから、あそこの棚にネズミがいるので妙だと思ったのだが、あれは作り物なのですね。」

 住職は木彫りのネズミを手にとり、これはよくできている。本物と間違えたのは無理もない。と、しげしげ見つめたすえに、自分はネズミ年なので、これを譲ってくれないか、と、言いました。

 すでに光雲のいたずらだと気付いていた東雲は、住職のお目に留まったなら光栄なことです、と、差し上げようとしましたが、住職はただでもらっては、作った幸吉に悪いからと、代わりに銀一分を置いていきました。



 尊敬する住職様に褒められたのだから、頭ごなしに叱るわけにもいかない、しかし言いつけにそむいて彫った物の代金を、そのまま光雲に渡すわけにもいかない……。

 考えた東雲は、このお金で、光雲を含む、弟子たちと家族みんなのために蕎麦を取り寄せることにしました。



 光雲が戻ってくると、家の皆が揃って蕎麦を食べています。

 お前は蕎麦が好きだろう、沢山お食べ。
 
 東雲に勧められ、何かおめでたいことでもあったのだろうかと首をかしげながら、一緒に食べ始めると、東雲の妻や妹がクスクス笑い出し、「幸さん、ごちそうさま」と声をかけてきました。

 不思議に思う光雲に、東雲はついに種明かしをしました。

 「実は、これは、お前のごちそうなんだ。お前のネズミは、逃げて蕎麦になったのだ。遠慮なしに沢山おあがり」

 そして、ネズミが住職に望まれてもらわれていったいきさつを光雲に話し、しかし、これからは勝手なことをしないようにと、あっさりと注意をされ、その場は円満におさまりました。

 このネズミが縁で、住職は光雲に目をかけてくれ、しばしば光雲を指名して彫り物を頼んでくれたそうです。




(大根の肉球ハンコと猫の冤罪事件)



 ネズミといえば、猫でも思い出すことがある、と、光雲が付け加えた話です。

 光雲が15、6歳のころのこと。

 カツオが大漁だったおり、東雲たちの家でも、光雲ら弟子たちにカツオの刺身がふるまわれ、光雲は大変喜んだのですが、育ち盛りのこと、一人前では足りず、もう少し食べたいと思いつつ、さすがにそれは言い出せずにいました。



 しかし、光雲は、まだ東雲と東雲の妻の夕飯用の刺身が、鼠入らず(食器棚の一種)に入っているのを知っており、どうにもそれが頭から離れませんでした。

 その頃、台所の管理をしていたのは、東雲の妹のお勝さん。

 彼女の目をなんとか欺けないかと、悩んだ挙句、光雲の頭に名案が浮かびました。

 台所にあった、大根おろしの余り物の切れ端を持ってきて、それに、小刀で猫の肉球の形を彫り、かまどの灰をなすりつけて、台所のあちこちに猫の足跡そっくりの型をつけ、泥棒猫が侵入したように見せかけたのです。

 そして、刺身皿を盗み出すと、きれいに食べてしまい、また、何食わぬ顔で仕事に戻りました。



 しばらくすると、刺身が無いことに気付いたお勝さんが怒っている声が聞こえてきました。

 手癖の悪い近所の猫の仕業に違いない、と、カンカンのお勝さん。

 うまい手だったと、内心おかしがっていた光雲でしたが、再び台所で大きな物音がしました。

 何事かとこっそり覗いてみたところ、無実の猫がお勝さんに連行され、さきほど光雲が大根肉球ハンコを点々と捺した板の間に、鼻づらをぎゅうぎゅうこすりつけられていました。

 騒ぎを聞きつけた東雲が、お前の管理がなっていないからいけなかったんだ、手荒な真似はやめて、許しておやり、と、妹をなだめていましたが、お勝さんは、今後の見せしめですと、手をゆるめようとしませんでした、

 冤罪で「鼻づら板の間ぎゅうぎゅうの刑」を受けている猫に申し訳ないと思いつつ、今更自分の仕業とも言えなかった光雲は、はらはらしながら聞き耳をたて、ようやく台所が静かになったので、胸をなでおろしました。



 この件を深く反省した光雲は、罪(と、鼻づら)をなすりつけられた猫へのせめてもの償いとして、その後、カツオの刺身を口にしませんでしたが、還暦を過ぎた頃、一周回って赤ちゃんに戻ったということで(※)、その後は食べていいことにしたそうです。


 (※)還暦(満60歳、数え年61才)を過ぎると、誕生年の干支が再びめぐってくることから、その人が誕生時に戻ったとする考えにちなむ。


 (以上、「猫と鼠のはなし」あらすじ、完)



 木彫りのネズミの話は、日本画の巨匠、雪舟の「涙で描いた鼠(※)」の伝説をどこか彷彿とさせる風流な話です。


 (※)僧になるために入った寺で、修行そっちのけで絵ばかり描いていた幼い雪舟を、寺の僧が罰としてお堂の柱にしばりつけておいたところ、雪舟は足の指と、自分が流した涙の水たまりでネズミの絵を描き、様子を見に来た僧が、それを本物の鼠と間違え、以後、雪舟が絵を描くことをとがめなくなったという話。

 光雲の鼠を見初めた住職は、当時、複数の有力な寺社の責任者を務めていたそうで、日常的に、仏像をはじめとする名品を目の当たりにしていたはずですが、その住職をうならせた光雲の、少年ながら抜きんでた才能がうかがえます。

 また、師弟の教えの筋をきちんと通しながらも、粋な配慮をした、東雲の聡明で温かみのある人柄もしのばれる逸話です。



 一方、猫の話は、サザエさんのような読後感。

 連行されてぎゅうぎゅうやられている猫に申し訳ないと思いつつ、名乗り出ることができない光雲の少年らしいおろおろした様子など、いたずらを告白しかねて物陰で震えているカツオ君のようです。

 (いくら育ちざかりとはいえ、お師匠と奥さんのご馳走であるお刺身を残らず食べちゃったとは結構なやらかしですからね……。)

 反省のために還暦までカツオの刺身を食べなかったが、それを過ぎたら時効ということで解除したというおちに、光雲の真面目さとどことなしの愛嬌がにじみでています。

 それにしても、若き天才の大根でできた肉球ハンコはさぞかし可愛かったことでしょう。


 この二つのエピソードは、どこを読んでも興味深いこの作品の中でも、とくに親しみやすいので、お試し読みに最適です。


 この頃は、師匠の言いつけにそむいて勝手に彫り物をしたり、その腕前を盗み食いに使ったりと、少年らしい様子が見て取れる光雲ですが、生来の無心の根気と手先の器用さで、こののち、めきめきと頭角を現し、まずは東雲の右腕として活躍するようになります。

 しかし、時を同じくして、明治という時代が、光雲の人生と、工芸の世界を一変させることになりました。

 物価の変動と世情の悪化。

 神道と仏教を分離するために、寺社と仏像を取り壊した、廃仏毀釈運動。

 牙彫の隆盛と、木彫の衰退。

 工芸家たちの友情や権力闘争。

 歴史の教科書や年表では語りつくせない、一人の人間が直に相対峙した歴史の一面が、そこにあります。

 当ブログでも何回かに分けて見どころをご紹介させていただく予定ですので、よろしければまたお立ち寄りください。

 今回ご紹介した「猫と鼠のはなし」が読める「青空文庫」URLは以下のとおりです。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000270/files/45965_21742.html

 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum. at 01:49| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月13日

(※ネタバレ)「ヘソリンガスでしあわせに」(『ドラえもん』)



ヘソリンガスで幸せに この世は天国.png


 今回は、漫画『ドラえもん』の、おそらく全巻通じて最も危険なエピソードについてご紹介させていただきます。

(ネタバレですので、未読の方は先にコミックをお読みください。)


 「ヘソリンガスでしあわせに」(小学館てんとうむしコミックス25巻収録)
ドラえもん (25) (てんとう虫コミックス) -
ドラえもん (25) (てんとう虫コミックス) -

 落ち込んでいたのび太に、ドラえもんが出してくれた、30分だけ幸せな気持ちになれる「ヘソリンガス」を注入できるスタンドが、またたくまに周囲の子供たちに広まり、危機的状況に陥るというお話です。



(あらすじ)※セリフの仮名遣いを一部改めてあります。


 その日、のび太に、いろいろな災難がまとまってやってきました。

 先生に叱られ、しずかちゃんが出木杉君と仲良く帰るのを見て、野球の試合では三振をしてジャイアンとスネ夫に殴られ、隠していた0点の答案を見つけたママに、帰ってくるなりこっぴどく叱られる……。

 それぞれ、のび太にとってはお決まりのストレスでしたが、さすがに一日で束になって降りかかることは珍しく、部屋に戻ってきたのび太は、グッタリとうなだれていました。

 「それはこたえただろうね」

 同情したドラえもんが四次元ポケットに手を入れ、のび太は何か出してもらえるのかと身を乗り出しますが、ドラえもんは少し考えこんで、「なんでもない」と、はぐらかします。

 どうしてやめるの。世の中真っ暗だ。いますぐ世界の終わりがくれば良い。

 のび太の激しい悲嘆に押し切られ、ドラえもんがしぶしぶ出したのは、「ヘソリンスタンド」。

ヘソリンガスで幸せに ヘソリンスタンド.png

 ガソリンスタンドの給油機に似た機械で、へそから、心や体の痛みを消す「ヘソリンガス」を注入するというものです。

 のび太が試してみると、目の前が徐々にバラ色に見えてきて、幸せな気持ちに包まれました。



 より効果を実感させるために、のび太の手をひいてママのところへ連れて行ったドラえもん。

 0点の答案をもう一枚隠していたことをバラし、ママは再び激怒してお説教を始めますが、のび太は全く恐怖を感じず、何を言われても気にならない、と、笑顔でママの前に正座し続けました。
(のび太もだけど、それを見守るドラえもんの目の暖かさもどうかと思う。)

ヘソリンガスで幸せに 何を言われても気にならない.png

 怒り疲れたママから解放されて廊下を歩くのび太の前に、ドラえもんがボールを転がし、派手に転んでも、その痛みすら感じません。

 ガスの効き目が30分続くことを教えてもらったのび太は、すがすがしい笑顔で表に出ていきました。

 「ヘソリンをすえば、この世は天国」
(「ソリ」を「ロイ」に変えると大問題になる台詞。)


 そこで、ジャイアンがスネ夫をいじめている場面に出くわします。

 「痛い!許して!」

 自分たちのトラブルを、のび太がやたら朗らかな表情で見つめていることに気付いた二人。

 とくに殴られていた側のスネ夫は面白くなく、八つ当たりで思い切りのび太の脛を蹴りますが、のび太が笑顔のままなのに驚き、「どうなってるんだ?」と、互いの確執はどこへやら、二人がかりでのび太を殴ります。

 ボロボロになってもまだニコニコしてるのび太。



 のび太がこんなに我慢強いはずない、と、不審に思った二人は、あとをつけてみます。

 出会いがしらに野良犬に噛まれても笑顔、車に跳ねられ、地面にたたきつけられても笑顔(事件では)。

ヘソリンガスで幸せに ニコニコ.png

 「どうしてそんなに強くなったんだ、教えてくれ」

 二人はのび太に頼み込み、いっそ腕ずくでもと思いますが、殴っても無駄なので、引き続きついていくと、ふいにのび太が真顔になりました。

 「いたた……あちこち痛くなってきた。」

 慌てて家に戻ると、ドラえもんが不在だったので、自分でガスを注入し、また「しあわせ……」と笑顔になるのび太。

 部屋まで追ってきたジャイアンとスネ夫、一部始終を見て、そんないいものを独り占めするなんて。ちょっと貸せと、ヘソリンスタンドを空き地にもっていってしまいます。




 「ほんとだ!すご〜く幸せな気持ち!!」

 「しょうがないなあ、勝手に使って」(笑顔)

 のび太の一応の困り顔を全く意に介さず、バラ色の気分を味わう二人。

ヘソリンガスで幸せに かってに使って.png

 試しにと、バッドで互いを殴りますが、スネ夫にいたっては、気絶して白目をむいても笑っています。

 「いやあ、ぜ〜んぜん痛くない」

 気が付いたスネ夫の感想に、すげえききめ、と、喜ぶジャイアン。

 「みんなに見せてやろう」

 と、笑顔で互いの頭をバッドで殴り合いながら、空き地を出ていきます。(シュール)

ヘソリンガスで幸せに みんなにみせてやろう.png

 それを笑顔で見送ったのび太は、このすきにヘソリンスタンドを持ち帰ろうとしますが、元気の無いしずかちゃんを見て、声をかけます。

 歯が痛いの。そう、しょんぼり答えたしずかちゃんに、ヘソリンを注入すれば大丈夫だから、と、すかさずおへそを出してもらおうとします。

 のび太のたくらみにはひっかからず、自分でやるわ、と、背中を向けて、スカートの陰から、ヘソリンを注入したしずかちゃん。

 (のび太、笑顔で残念そう。)

 うそのように歯の痛みが消えて、喜んで帰っていきます。



 そうこうするうちに、空き地に子供たちが集まってきました。

 「うわさを聞いて、ヘソリンガスを入れたいという者がこんなに大勢!!」

 あちこちで宣伝してきた(=笑いながらバッドで殴り合う様を見せてきた)ジャイアンとスネ夫は、子供たちを整列させ、一回10円の料金を徴収します。

 「お金をとるの?」

 「おまえにもわけてやるから」

 ジャイアンに言いくるめられたのび太は、ヘソリンスタンドを空き地に置いて、笑って帰ってきてしまいました。



 ヘソリンスタンドを貸してやっただって!?なんてことを!!

 スタンドがないことに気付いて、のび太に事情を尋ねたドラえもんは顔面蒼白になりました。

 「あれは、おそろしいガスなんだぞ!!」

 痛みを感じるというのは大切なことなんだ。危険を知らせる信号だから。

 痛みを感じなくなった人間は、火の熱さに気付かずにやけどをする。病気にかかっても死ぬまで気付かない。

 心の痛みだって同じだ。叱られても笑われても平気なら、どんな恐ろしいことでもできるようになってしまう。

 ドラえもんは必死で諭しますが、のび太は、「それがどうした」と、笑顔で昼寝を続けます。

 肩を落としたドラえもんは、

 「……弱ったなあ、どうしたらいいんだろう……」

 と、頭を抱えて部屋を出ていこうとしますが、次の瞬間、のび太がドラえもんにしがみつきました。

 「そ、そ、そんなおそろしいガスとは思わなかった。ど、ど、ど、どうしよう……」

 ようやくガスが切れて、事の重大さに気付いたのでした。



 とにかくヘソリンスタンドを取り上げないと、と、急いで空き地に向かう二人。

 道すがら、ことごとく朗らかな笑みをたたえた子供たちのこんな声が聞こえてきます。

 「ひかり号にはねられても痛くないよな」

 「東京タワーから飛び降りても平気だよ」

 「三十分おきに10円でしょ。大変よ」(しずかちゃん)

 「ママの財布もって来ちゃった」

 なんの屈託もなく破滅的言動をする少年少女たちに恐怖を感じながら、空き地に駆け込むと、スネ夫とジャイアンが、スカートを平気でめくりあげてヘソと下着を見せる女の子にヘソリンガスを注入していました。

 「見えた、見えた」

 「見えたらどうだっていうのよ」

 「それは恐ろしい機械で!!」

 「はやく返したほうが……」

 慌てて駆け寄る二人に、容赦なく飛んでくるバットの一撃。

 「ゴシャゴシャ言うな!!」



 「手のつけようがない」

 「でもほっとけば大変なことになる。」
 
 いったん退却した二人は、ジャイアンとスネ夫の苦手に頼もう、と、それぞれの母親と先生を連れてきます。

 ところが、ヘソリンガスの効果持続中の二人に苦手なものなど無く、どれだけガミガミ言われようが、おしりをたたかれようが、ヘラヘラしながらヘソリンスタンドにしがみつくだけでした。

ヘソリンガス 苦手なんかないんだ.png

 三人があきれて帰ってしまい、万策尽きたと思った時、ヘソリンを注入しようとしたジャイアンが、ガス欠に気付きました。

 「ガスが無くなったぞ、入れろ」

 ここで、なぜか言われたとおりにするドラえもん。



 二人を置いて空き地を後にするドラえもんに、のび太は苦言を呈しました。

 「いれてやらなきゃよかったのに」

 すると、ドラえもんから意外な答えが返ってきました。

 「別のガスを入れたんだ」

 そこに、ポツポツと振り出した雨。

 「痛い!痛い!雨の粒が痛い!」

 頭を抱え、泣き叫びながら走っていくジャイアンとスネ夫。

 「大げさに感じるガスなんだ」

 と、ドラえもんが言いました。



(完)



 ドラえもんのエピソードの中で最も恐ろしいものとして「どくさいスイッチ」(スイッチを押すと、その人物を消してしまう道具)を挙げる人が多いかもしれませんが、個人的には、この話が一番怖いです。だって完全に例のアレの風刺だし(名前だってアレに寄せてるし」)、それによって、通常の感覚や倫理観が失われていく姿も同じだから。
 (薬状のものや注射から遠ざけて、ガソリンスタンド型にしたところに巧みな配慮を感じますが。)


 のび太が笑いながら車に跳ね飛ばされ、ジャイアンとスネ夫も笑いながらバッドで頭を殴り合って走っていき、保護者たちの叱責にもヘラヘラしながらスタンドにしがみつくという、なんかもうギリギリな場面が満載。
(いつも思うけれど、「地球破壊爆弾」など、未来デパートの市販可能ラインがよくわからない。)


 飲酒に似た作用をもたらす「ホンワカキャップ」の回もそうですが、実際のアルコールや薬物のように、臓器や脳を物理的に蝕むことはなくても、強烈な非日常的快楽は、それだけで人の心にとって既に危険であるということも教えてくれる、過激な笑いの奥に重要な警告を含む回でもあります。

 この回が、かの感動作「のび太の結婚前夜」(※)と同じ時期に描かれているということも考えあわせると、ドラえもんの世界観の奥深さに圧倒されずにはいられません。
(※同25巻収録)

 是非、コミックスをお手にとって、このシリーズ最高(最悪)レベルの危険な笑いを直にご覧になってみてください。

 読んでくださってありがとうございました。


posted by Palum. at 00:13| ドラえもん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月07日

(※ネタバレ)「ふつうの男の子に戻らない」(ドラえもん)



ふつうの男の子に戻らない ジャイアンの決心.png


  今回は漫画『ドラえもん』のうち、ジャイアンの歌手活動引退エピソードについてご紹介させていただきます。  

(ネタバレですので、未読の方は先にコミックをお読みください。)     

 「ふつうの男の子に戻らない」(小学館てんとうむしコミックス40 巻収録) 


ドラえもん (40) (てんとう虫コミックス) -
ドラえもん (40) (てんとう虫コミックス) -

    歌手としての不人気をうすうす気づいていたジャイアンが引退を決意、しかしそこには恐るべき計算が秘められており、ジャイアンの真意を知ったドラえもんたちが、どうにか引退を実現させようと必死で奔走するというお話です。


 なお、「ふつうの男の子に戻らない」というフレーズは、キャンディーズが人気絶頂で解散を決意した時の「ふつうの女の子に戻ります」という名台詞をふまえたものです。



(あらすじ)

 「ほ、ほんとかい!?」

 のび太とドラえもんは、家を訪ねてきたジャイアンから、衝撃的な告白を聞かされました。

 「芸能界からすっぱり足を洗って、ふつうの男の子に戻りたい?」

 ジャイアンは苦渋の面持ちでうなずきました。

 本当は、デリケートな自分にはわかっていた。

 自分のコンサートが不人気であること。いやそれは、自分の歌が大衆に理解されにくいということだが。

 みんながいやいや来ているんじゃないかと、ちらっと思ってしまう。

 「へー、よくわかってんじゃない。」

 率直すぎるのび太の口を、「シッ!バカ!」と素早く塞ぐと、よく決心したねぇ、と、ドラえもんは、無難な対応をしました。

 内心、歓喜に打ち震えながら。



「ワーイ!!」

 両手を挙げて、嬉し泣きに泣きながら、走っていく二人。

 骨川邸に駆け込むと、スネ夫に、ジャイアンが、本日の引退コンサートをもって普通の男の子に戻ることを報告しました。

 ところが、スネ夫は、この明るい大ニュースに懐疑的でした。

 「ジャイアンがあれだけ夢見ていた歌手への道をそう簡単にあきらめると思う?」

 スネ夫の言う通りだと気付いたドラえもんは、タケコプターで上空からジャイアンに近づき、「ホンネ吸出しポンプ」で、ジャイアンの後頭部から本音を吸い出してきました。

 骨川邸に戻ったドラえもんが、吸い出した本音をポンプから放出してみると、ジャイアンの心の声が噴き出してきました。

 ……俺のコンサートは、どうも人気が盛り上がらない。

 このへんでもうやめたと言ったらどうだろう。

 みんな大慌てするに違いない。今更のように俺の歌の良さを思い出して、「おしい」「やめないで」と、みんな口々に叫ぶ。

 そこで、俺はしぶしぶカムバック宣言をする。……


 「こんなことだと思った!!」

 何か裏があるに違いないとは思っていたものの、ジャイアンの勘違いも甚だしい計画に、三人は震えあがりました。


 慌てて、三方に散ると、聴衆となる近所の子供たちに警告します。

 3時からジャイアンの「さよならコンサート」があるが、絶対に、「おしい」とか「やめないで」とか言ってはいけない。

 拍手も熱狂的にしてはいけない。いかにもお義理みたいにパラパラと……。


 
 3時前、コンサート会場となる空き地に、集合する少年少女たち。
(補足:ジャイアンのコンサートは常に暗黙の了解で全員参加〈コンサートチラシに「参加しない奴はぶんなぐる」と明記されているケースもある。〉)

 木箱を寄せ集めて作ったステージの上に、ドラえもんが立っています。

「ぜひ練習の必要があると思って早めに集まってもらった。じゃあね、ドラえもんをジャイアンだと思って拍手してみよう」 
スネ夫の合図で巻き起こる、力強い拍手。

 そんな勢いで叩いたらジャイアンに自信をつけさせちゃうぞ!

 スネ夫の言うことはみんなよくわかっていました。

 でも、もうあの歌を聴かないで済むと思うと、うれしくてつい力がこもってしまうし、気の無い拍手をしてジャイアンににらまれても怖い。

 自分だって、いざその時になったら力いっぱい叩くんだろ。

 のび太からの指摘に、返す言葉の無いスネ夫。

 そこで、ドラえもんは「拍手水増しマイク」を取り出しました。

 不景気なコンサートでこれを使うとまばらな拍手も嵐のようにとどろくというもので、マイナススイッチを押せば、逆に大きな拍手もまばらにすることができます。

 マイナス設定したマイクを、空き缶に活けたステージ上の花束に隠すと、ほどなくしてジャイアンがやってきました。

 開演前から満席で、自分の歌を待ちかねてくれていたファンのために涙するジャイアン。
(「いや、そんなわけでも……。」と、そっとつぶやくスネ夫とドラえもん。)



 司会進行担当のドラえもんが、先にステージに上がりました。

「長い間、ぼくらを苦しめ…いや、楽しませてくれたジャイアンコンサートもこれが最後。まことにうれし…いや残念…というほどでもない。……こともない。」

 「なにがいいたいんだ。」 

 どうしても口をついて出る本心を、何度も打ち消しながら、汗をかきかき、残念がっている風を装うドラえもんを、唇を「3」に尖らせたジャイアンが怪訝そうに見つめました。

(進行補佐としてステージ前に立ち、ドラえもんのだだもれする本心に、気付かないふりしつつ共感している様子のスネ夫〈珍しい正面向き〉が味わい深い。)


ふつうの男の子に戻らない なにがいいたいんだ.png

 次に、ジャイアン本人がステージに立ちました。

「ま、そんなわけで、もう二度と俺の歌は聞けないわけだ。みんな寂しいだろな」

 沈黙。

「やめないで、という声もあるだろうが」

 沈黙。

 話しながらも間をとって、チラチラと観客の反応をうかがうジャイアンでしたが、水を打ったように静まり返っています。

 観客側は内心必死でした。

「こたえるな!ここがしんぼうのしどころだぞ。ジャイアンと目をあわせないように」

 のび太の密かな指令に同調し、じっとうつむいて、冷や汗を流しながらも決して目を上げない観客たち。


ふつうの男の子に戻らない こたえるな!.png

 「そうかよ!じゃあ、これから二時間半、おれのヒットナンバーをメドレーで」

 すっかり鼻白んだ様子のジャイアン、いつどこで「ヒット」したのかは謎の歌を歌い始めます。

ふつうの男の子に戻らない ヒットナンバーメドレー.png

 (メドレーで二時間半とは凄い曲数。それをすべて聞かされてきた、これまでののび太達の苦労がしのばれます。)

 「それからの二時間半は、まさにごうもんであった。みんなは、『これが最後!』『くじけるな!!』と励ましあってたえぬいたのだ。」

 「ヒットナンバー」のメドレーが、住宅街を揺るがす光景の中、浮かび上がるナレーション。


ふつうの男の子に戻らない まさにごうもん.png
 (『ドラえもん』は基本的に登場人物同士のやりとりで話が進みますが、たまに出てくるこういうナレーションが、妙に真顔感を醸していて面白いです。)



 「ジャイアンコンサート、めでたく歌い収めです!!」

 ドラえもんの言葉とともに、別の感動の涙を流した観客たちが、一斉に拍手しました。

 パラパラ……ポチポチ……。

 雨だれ程度の拍手に驚いたジャイアンが、観客を見回しますが、みんな力いっぱい叩いている様子です。
(だって満面の笑みで泣いてすらいる。)

 すっきりしないものを感じたジャイアンは、アンコールを強行しようとし、ドラえもんは、思わず「えーっ!!」と叫んでしまいます。

 「このままもえつきたほうがいいのでは……」と、おしとどめようとするスネ夫と、「一分間時間をください。やめるように説得します」と、完全に目が泳いでいるドラえもん。


ふつうの男の子に戻らない このままもえつきたほうがいいのでは.png

 引退コンサートにあるまじき言動の二人に激怒したジャイアンは、「おまえら!!」と、怒鳴って、足元の空き缶入り花束を踏みつけました。

 はずみで「拍手水増しマイク」のスイッチがプラスに切り替わり、ジャイアンに向けて鳴り響く、怒涛のごとき拍手。

「ありがとう、ありがとう。おれ、もう二度とやめるなんて言わない。ジャイアンの歌は永遠です。」

 ジャイアンは、熱い涙と感謝とともに、生涯歌い続けることをファンに固く誓いました。



 後日。

 道を歩くのび太とドラえもんに振り返り、または見送る、スネ夫やしずかちゃんら、近所の子供たち。

 「かなり長い間。のび太とドラえもんは、みんなの冷たい視線に耐えなければならなかったのである。」
 (真顔ナレーション)


(完)


 その歌声で、人を気絶させ、ゴキブリやネズミを駆除し、大長編では、お化けクジラすら吐き気を催して退散するという、(マイナス方面に)圧倒的歌唱力持ち主であるジャイアン。

 その(ある種の)実力に(残念なことに)陰りは見えないものの、自身の目指す芸術と大衆の理解との齟齬に悩んだ挙句、大衆の心をつかむべく一世一代の賭け(別名「引退するする詐欺」)に出て、(ドラえもんたちの奔走にも関わらず)、それに勝利しました。(拍手を水増しされただけだけど。)

 不人気は薄々察しながら、自身の歌には何ら疑いを抱かないジャイアンの思考回路と、引退撤回を何が何でも阻止するべく、開始前に全員集合して、シミュレーションまでする、のび太たちの結束力、何よりも、ジャイアンに「何が言いたいんだ(「3」唇)」と、言わせたドラえもんのしどろもどろな名司会が印象に残る回です。

 先日、安室奈美恵さんの人気実力頂点での1年後引退宣言が大きな話題になり、それとは真逆の現象(観客側が引退させようと必死)として、思い出したので、ご紹介させていただきました。

 ジャイアンの歌関連では、まだまだ名作が多いです。

 是非、原作をお手に取ってみて、その活躍をお楽しみください。

 読んでくださってありがとうございました。
 

posted by Palum. at 12:58| ドラえもん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月05日

(おすすめ本)高村光雲作『幕末維新回顧談』(明治木彫の達人の名著)

『高村光雲・高村光太郎全集・112作品⇒1冊』 -
『高村光雲・高村光太郎全集・112作品⇒1冊』 -

 現在、東京の三井記念美術館で、明治工芸と、現代作家のコラボ展示「特別展 驚異の超絶技巧! -明治工芸から現代アート』が開催されています。
(2017年9月16日〜12月3日)
  資料URL
 ・http://www.mitsui-museum.jp/exhibition/index.html
 (三井記念美術館展覧会情報)
 ・https://ssl.museum.or.jp/modules/topics/index.php?action=view&id=988
 (インターネットミュージアム取材レポート) 


 江戸から明治への激動の転換期、彼らを翻弄する時代の荒波に、超絶技巧で立ち向かった工芸家たち。

 その中に、木彫の達人、高村光雲(1852〜1934)(※電子書籍の表紙左側)がいました。
 (今回の展覧会でも、彼の作品「布袋像」を観ることができます。)

 光雲といえば、教科書に載っている『老猿』の作者、そして、詩集『レモン哀歌』で知られる詩人高村光太郎(電子書籍の表紙右側)の父として知られていますが、一方で、語りの名人でもありました。

 レモン哀歌―高村光太郎詩集 (集英社文庫) -
レモン哀歌―高村光太郎詩集 (集英社文庫) -

 その光雲が、生い立ちから、木彫作家として成功を収めるまでを、時代の移り変わりや、彼を取り巻く人々の思い出とともに語ったのが、この『幕末維新回顧談』です。

(光雲が七十歳頃のとき、作家、田村松魚によって口述筆記され、高村光太郎が同席して作られました。)

 (岩波文庫版情報)
幕末維新懐古談 (岩波文庫) -
幕末維新懐古談 (岩波文庫) -


 祖父の代から続く家族の波乱万丈の人生、作品を生み出すまでの苦労話や、明治工芸が世界に羽ばたくまでの経緯、庶民の目から見た戦争や近代化などが、現代人とはスケールの違う、朴訥無欲にして粘り強い人柄を通して語られています。

 今回は、作品のうち、序盤のあらすじをご紹介させていただきます。



 幕末維新回顧談 あらすじ (祖父の不運から光雲弟子入りのいきさつ、浅草の大火まで)


 光雲の祖父、中島富五郎は、商売はそこそこ、芸事が好きで、なかでも富本(三味線に併せて台詞を語るもの)に優れ、素人が集まる舞台で演じるのが趣味という人でした。

 彼の声は非常に評判が良かったのですが、これが思わぬ災難につながりました。

 富五郎が演じるのを心待ちにする観客に野次られた他の演者が、彼の茶に水銀を盛り、一命はとりとめたものの、歩くこともままならなくなってしまったのです。

 光雲の父兼松は、まだ9歳の頃から、親兄弟を支えて働かなければならなくなります。

 幸い、富五郎の手先の器用さは失われなかったため、玩具を作ってもらい、縁日の屋台などで売って、日銭を稼ぎました。

 これを皮切りに、兼松は、露天商などの仕事をして、なんとか家族を養いましたが、日々の仕事に追われたために、ろくに学校にも行けず、何の修行もできなかったことが、兼松の生涯の心残りとなりました。

 せめて息子には、きちんと手に職をつけてもらいたい。

 そう考えた、兼松
は、自分と富五郎に似て、手先の器用な光雲が12歳のときに、遠縁の大工に修行に出すことにします。



 木を削ったりして遊んでいると時間も忘れるという性質だった光雲(本名光蔵)は、異存なく、奉公に出るつもりでしたが、そのために、身だしなみを整えようと床屋に行ったときに、彼の運命が大きく変わります。

 大工に奉公に行くことを、床屋の主人の「安さん」に話したところ、安さんは、ついこの間、安さんの客で、日本一の仏師が、弟子を探しているから、心当たりがあったら教えてほしいと頼まれていた、と、光雲がよそへ行くのをしきりに惜しがりました。

 そして、大工もいいが、彫刻師(ほりものし)になる気はないか、と、光雲に持ち掛けてきました。

 当時、彫刻や絵画というものは、裕福な人や身分の高い人だけが興味を持ち、所有するもので、およそ、庶民の家に装飾的なものは無い時代。少年だった光雲には「彫刻師」という職業について、全く想像がつきませんでした。

 しかし、安さんに、東雲の作る仏像や置物がいかに品よく素晴らしいものであるかを力説され、お前のお父さんと東雲先生の間に入って話をしてやるとまで言われた光雲は、木彫の彫刻師になることにします。



 当時奉公とは、十年間住み込みで修行、さらに一年はお礼としてそこで勤め上げるということで、実家に帰れるのは盆暮れのみというものでした。

 光雲が家を出る前夜、父兼松は、光雲に、きつく言い聞かせました。

 決して、修行半ばであきらめて帰ってきてはいけない。帰ってきたら足の骨をぶち折るからそう思え。

 そして、こうも付け加えました。

 お前は、声を出す芸事は絶対に覚えてはならぬ。お前の祖父はそのために不自由な体になり、それで私は一生何者にもなれなかった。せめてお前だけは満足なものになってくれ。

 そう、涙を流して語った兼松は、一道を身に着けるという夢を息子に託し、12歳の光雲を送り出しました。



 高村東雲は、律儀で人柄も腕も良い人物で、それを浅草の裕福な商人たちに見込まれ、当時の商売は極めて順調でした。

 光雲は、この師匠のもとで、修行をはじめましたが、はじめは、像を彫らせてもらえるわけではなく、台座や周辺の彫刻を少しずつ練習していきます。
(生涯、像を彫らずに、この装飾彫刻に従事する職人もいました。)

 しかし、光雲14歳のとき(慶応元年〈1865年〉)、浅草で大火災が起きました。

 消防車など無く、消火活動と言えば、家を壊して延焼を防ぐほか、ほとんど手立てがない頃のこと。

 火の手がまわるにはまだ時間がありましたが、東雲の家でも、できる限り荷物を持ち出して、避難するしかありませんでした。

 このとき、兼松が手伝いに来て、特に大切なものを、東雲や兄弟子たちと一緒に川向うに運ぶことにしました。

 まだ少年の光雲は、おろおろしながら、父や師匠が戻ってくるまで、家の前で残された荷物の番をしていました。

 ところが、この後、兼松と東雲らは、避難する群衆に行く手を阻まれ、諦めて荷を捨てても、まだもみくちゃにされ、互いにはぐれてしまいました。

 一方、律儀に荷の側に立っていた光雲の両側の家屋も、炎に包まれ始めていました。

 火消しの一人が、はしごをかけて、隣家を取り壊しにかかる中、早く逃げろと声をかけられてもなお、荷を守ろうとした光雲でしたが、光雲を逃がすために、火消しの一人が彼を荷の側から突き飛ばし、もはや、人ごみに阻まれて近くに戻れなくなった光雲は、諦めてその場を逃げ出しました。

 その頃、東雲たちからはぐれてしまい、逃げ惑う人々と炎の勢いを見た兼松は、息子を探すために、急いで東雲の家に引き返しました。

 ところが、荷を持って逃げる人々の右往左往に、どれだけあがいても進めなかった兼松は、置き去りにされた荷物の上に飛び乗り、踏み越えて、近くまで戻ってきました。

 東雲の家の側から離れた光雲はというと、人と人とに挟まれて、ほとんど両足が浮いてしまい、ただ揺さぶられているだけで、まるで身動きがとれずにいました。

 しかし、必死で舞い戻った兼松と、光雲は、ほぼ同時に、群衆の波間に互いを見つけ、もがき泳ぐようにして進むと、ついに、父子は固く抱き合います。

 「もう大丈夫だ。俺がついてる」

 息子の無事に力を得た兼松は、我が身を盾に、もと来た道を引き返し、近くの荷物から網戸を引っ張り出してはしごがわりに近くの家に立てかけると、屋根に上りました。

 ようやく安全な場所に来られたと、一息ついた光雲は、東雲の家の近くから、雨戸が二、三枚、ひらひらと舞い上がり、戸を無くした家が、黒い煙と炎を吹いているのを、屋根の上から目にしました。

 あのとき、火消しが、自分を突き飛ばしてくれなかったら……。

 少年だった光雲の体に震えが走りました。


 一方、東雲たちは、炎に追われて川岸まで逃げてきたところ、潮の流れが変わって水かさが増し、荷物ごと足元をすくわれ、荷につかまって浮いたものの、背後には火の手が迫り、身体は水に沈みかけるという状況に陥りました。

 さらに煙草屋から火の手が上がり、目といい鼻といい、たばこの煙が飛び込んできて、息もできず、涙で何も見えなくなったそうですが、それでもどうにか命は助かり、焼け跡に見舞いに来た光雲と兼松に、無事な姿を見せてくれました。



(序盤あらすじ完)



 序盤から、口述筆記ならではの臨場感あふれる語りで、幕末の暮らしと人々が生き生きと浮かびあがってくる作品です。

 写真を見ると、長いひげをたくわえ、眼鏡をかけて、淡々と、何一つ表情を作る風でもない光雲が、実はこれほどよどみなく鮮やかな語り手であることにまず驚かされます。

(制作中の光雲の写真が表紙になった書籍)
高村光雲―木彫七十年 (人間の記録) -
高村光雲―木彫七十年 (人間の記録) -


 光太郎が彫刻家であり詩人、光太郎の弟の豊周(とよちか)が、鋳金作家で歌人であったことを考えあわせると、祖父富五郎の代から、手先と言葉のどちらにも才能がある一族だったということでしょう。

 大火の中、父兼松が箪笥や荷を踏み越えて光雲のもとに走り、群衆に揉まれながらついに父子が抱き合うくだりなどは、何度読んでも迫力があります。

 (余談ですが、画鬼と呼ばれた天才絵師、河鍋暁斎は少年時代の火災〈1846年〉のおり、火に見とれて写生をしてしまい、身内にこっぴどく叱られたそうで〈『暁斎画談』より〉、併せて読むと昔の火事の状況や、二人の巨匠の性格の違いが浮かび上がってきます。〈かたや律儀に師匠の荷を守ろうとして危うい目に遭い、かたや「よその人まで荷運びを手伝ってくれているのに、絵を描いているとは何事だ」と怒鳴られた。〉)

 ご紹介では割愛しましたが、焼け落ちる前の浅草の街並みや、仏師の彫刻にまつわる用語、当時の職業や物価まで詳細に語られていて、光雲の驚異的記憶力にも圧倒されます。

 そして、何より味わい深いのは、当時の人々の心のありようです。

 親の不運を背負って、十歳にもならない頃から働いたという父、兼松の、無念を抱えながらも情深くさっぱりとした気性や、非常時に見せる逞しさと機転は、序盤最大の読みどころです。

 (一方で、趣味の世界の人気を妬んで毒を盛るという暴挙や、その犯人の逮捕の有無も定かでなく、勿論責任をとった風でもないこと、ほんの子供が教育も受けられずに働かなければならなかったという話からは、モラルも司法も福祉もまるで行き届いていない時代の、救いの無さがにじみ出ています。)


 また、光雲を東雲の弟子にしようとする床屋の安さんの熱意や面倒見のよさも、今の人間関係ではなかなか見られないものです。

 (光雲は、自分の人生を決めたこの安さんの心意気に生涯感謝し、安さん夫婦が亡くなった後は、位牌を自宅の仏壇に飾って、供養を欠かさなかったそうです。)



 文筆家の語る幕末明治は、西洋との国力の差や、国内外の戦争を踏まえ、日本の未来を憂える陰鬱な視点から描かれたものが多く、光雲のように、我が身に降りかかる時代の荒波を、ただ無心に乗り越えようとした人物が語ったものは少ないように思います。

 圧倒的知を持つ文学者たちの、緻密で先を見通した分析も示唆に富みますが、現代ストレス社会に生きる我々読者にとって、現代より過酷な時代に、現代人よりもはるかにシンプルな、しかし不屈の心で挑んだ人々の語りは、単に当時の資料以上の意味を持つのではないでしょうか。

 (個人的体験ですが、かなり気持ちがどんよりしていたときに、この本を読んで、光雲や兼松の、どんなときにも揺るがず、雲一つ無い空のように突き抜けたメンタルに心打たれました。)


 また、東雲が光雲とはじめて会った時、光雲が、読み書きそろばんをほとんど知らなかったことについて、職人はそれで良いのだとあっさりと言い、

 「彫刻師として偉くなれば、字でも算盤でもできる人を使うことができる。ただ、一生懸命に彫刻を勉強しろ」

と、言い聞かせる一方で、入ってきた光雲が脱いだ履物をそろえたことを見落とさず、安さんに、こういう子供は物になるよ、と言ったという話や、光雲の

 「何でも一つの定職を習い覚え、握りッ拳で毎日幾金(いくら)かを取って来れば、それで人間一人前の能事として充分と心得たのです」

 という言葉は、学歴や地位や年収などのステイタスで、事あるごとに人の上下をつける昨今を生きる我々に、隔世を感じさせつつも、ある種の真理を含む、単純明快な価値観を突き付けます。



 そして、「12歳というのは、当時の男の子にとって、ひとつの決まりがつく年齢である。それは、12になると、奉公に出るのが普通です。」(「私の子供の頃のはなし」より)という言葉通り、12歳で将来の道を決め、修行を始めた光雲の当時の考えや生きざまは、思春期に読むと、別の重みを持つ気がします。


 言葉が古かったり、一部表現が不適切だったりはしますが、そこは少し手直しして、新潮や角川の「夏の100冊」などに入れていただいて、課題図書として、少年時代の光雲と同年代の人が読んでくださればいいのに、と、強く思います。


 漠然と、「明治工芸が好き(わかりやすく凄くて綺麗で楽しい)な人間が読むと、ためになる情報が書いてあるんだろう」くらいの気持ちで読み始めたら、予想をはるかにこえて内容も語りも面白く、すっかり引き込まれてしまいました。

 青空文庫や、著作権切れで無料、または安価に、電子書籍でも読めるので、ぜひご覧になってみてください。
 
 (青空文庫 高村光雲の作品一覧)
 http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person270.html

 また近日中にも、こちらの作品から特に面白かったエピソードをご紹介させていただく予定ですので併せてお読みいただければ幸いです。

 読んでくださってありがとうございました。

posted by Palum. at 21:00| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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