2017年09月09日

アメリカ現代絵画の巨匠 アンドリュー・ワイエス(NHK「日曜美術館」「ワイエスの描きたかったアメリカ」に寄せて)


 9月10日午前9時00分〜 午前9時45分、NHK Eテレの「日曜美術館」で、アメリカの国民的画家、アンドリュー・ワイエス(Andrew Wyeth)(1917〜2009)が特集されます。
(再放送は9月17日20時〜)

(番組公式情報)
 http://www4.nhk.or.jp/nichibi/x/2017-09-10/31/25342/1902735/

 写真と見まごうばかりの緻密な画面で、人や風景、そして神秘的な情景など、多彩な作品を描いたワイエス。

(代表作「クリスティーナの世界」)
Christinasworld.jpg
By http://www.moma.org/collection/object.php?object_id=78455, Fair use, https://en.wikipedia.org/w/index.php?curid=8005786

 今回の特集では、ワイエス作品のうち、移民としてアメリカに生きる人々の絵画にスポットをあて、ワイエスが描こうとしたアメリカとは何であったかについて考察されるそうです。

 今回の記事では、番組解説もご担当される高橋秀治さんの著書、『アンドリュー・ワイエス作品集』(以下『作品集』と略)を主に参照させていただきながら、ワイエスの基本情報をご紹介させていただきます。

アンドリュー・ワイエス作品集 -
アンドリュー・ワイエス作品集 -




(アンドリュー・ワイエスの生涯)

 ワイエスは1917年、ペンシルベニア州の田舎町、チャッズフォードに5人兄弟の末っ子として生まれました。

 父親はニューウェル・コンバース・ワイエス(N・C・ワイエスと略されることが多い。)。
 https://en.wikipedia.org/wiki/N._C._Wyeth

N. C. Wyeth (Museums of the World) -
N. C. Wyeth (Museums of the World) -


 堂々とした質感に満ちた、写実的な画風で、挿絵画家として成功していた人物でした。

 ワイエスは、裕福な家庭で、恵まれた子供時代を送りましたが、心身繊細な子供で、学校に通うことができず、家庭教師に勉強を教わることになりました。

 父の影響で既に絵を学んでいた姉たちと自分を比べ、内心では疎外感を覚えることが多い子供時代だったそうです。

 少年時代は自己流で絵を描いていたワイエスでしたが、15歳のころ、父がワイエスの才能に目を留め、本格的に基礎を身に着けることを勧めます。

(補:作品集に15歳の頃のペン画が載せられていますが、すでに驚異的な緻密さと歴史的想像力を兼ね備えた非凡な才能が見て取れます。)

 自由に描くことを好んだワイエスにとって、この父の指導による基礎訓練は窮屈さを感じるものだったようですが、これにより、ワイエスの才能は磨かれ、数年後にはさらに高い写実技術を身につけました。

 19歳で、水彩による風景画を集めた個展を開くと、作品は完売。ワイエスはすぐに、名声を得ることになりました。

(作品集「ワイエスという画家」部p.5〜6参照)


 ちなみに、ワイエスの作品は水彩のほか、卵テンペラで描かれたものが多いです。

 卵テンペラは、卵の卵黄と絵の具に、酢や油などを混ぜ合わせて色を作り上げる技法(作り方を見るとマヨネーズそっくりです。)で、乾きが早い上に色あせが少なく、油彩と比べると、透明感のある色調で描くことができます。

(数百年前の作品でもいまだ鮮やかな色を保つフラ・アンジェリコボッティチェリ作品がその好例です。)

 一方乾きが速いので、油彩のような画面上で色を混ぜ合わせる形でのぼかし表現が難しく、線を描き込むことで陰影をつけるという方法がとられるそうです。

 この技法を用いることで、ワイエスの作品は、繊細な線描とともに、暗い色合いを用いてもほのかな光が差し込むような神秘的な味わいを持つことになりました。

(普通の人々と質素な家屋を描きながら、どこか神聖な気配が漂っているのは、この描き方それ自体と、観る者の中にある、古き良き宗教画の記憶が重なり合うからかもしれません。)



 23歳のとき、ワイエスは4歳年下の美しい女性、べッツィーと結婚しました。

 べッツィーは聡明な女性で、結婚後はワイエスのマネージャー的役割を務めてくれましたが、この結婚は父の反対を押し切ったものでした。

 売りやすい絵にするために、息子の創作に口出しをする父と、それに内心反発していたワイエスの間には、すでに微妙な緊張感があり、ワイエスは、結婚により、父と精神的距離をとることになりました。

 (彼がテンペラを選んだのも、油彩が得意だった父の影響から逃れるためだったという説があります。)

 しかし、ワイエス28歳のとき(1945年)に、父が交通事故で急死、ワイエスは父との和解と、画家としての父を乗り越える機会を失います。

 「冬」はこの時期に描かれた作品で、寒々しい丘を駆け下りてくる少年の、バランスをくずしかけた姿には、父を失ったワイエス自身の動揺が投影されています。

(「冬」の一部を表紙にした画集)
ワイエス (現代美術 第3巻) -
ワイエス (現代美術 第3巻) -


(作品集「新たな出発」部p.10〜11参照)



 父の死をきっかけに、ワイエスの作品は、きわめて写実的でありながら、物思いにふけるような気配を深めてゆきます。

 第二次世界大戦から冷戦という、社会の混乱期にあっても、ワイエスは途切れることなく、故郷ペンシルヴェニアの田舎と、避暑地メイン(カナダとの国境に位置する州)の人や風景を描き続けました。

(ワイエスは生涯のほとんどをこの二つの地で過ごし、ほかの場所にはめったに出かけなかったそうです。)



 チャッズ・フォードには、ドイツ系や、アフリカ系の移民が住んでおり、隣人として彼らと交流のあったワイエスは、彼らと、彼らの暮らす家屋や生活を描きました。

 なかでもワイエスの心をとらえたのは、少年時代から交流のあったドイツ系移民のカーナー夫妻でした。

 第一次大戦中に従軍経験があり、アメリカ移住後を含め、苦難の日々をくぐりぬけてきた夫カールと、英語を覚えられず、寡黙に働き続けた妻アンナを、ワイエスは、張り詰めた厳粛さとともに描きました。

 ワイエスはカールに、愛しながら複雑な感情のまま失ってしまった父の面影を重ねていたのかもしれないとも考えられています。

(作品集「カーナー農場」部p.45〜67参照)



 また、カーナーが病に倒れてから、看護師としてカーナー家で働き始めたドイツ系女性、ヘルガも、ワイエスの重要なモデルになりました。

(ヘルガの肖像画が表紙の本)
Andrew Wyeth: The Helga Pictures -
Andrew Wyeth: The Helga Pictures -

 この、若さや美貌は無いものの、内に秘めた力を感じさせる肉体と、己の心の陰影を見つめるようなうつむき顔をした女性は、繰り返しワイエスの裸体画のモデルを務め、その絵の存在が長年隠されていたことから、後にマスコミから、二人の男女関係が疑われますが、互いにそれを否定。ヘルガは助手として、ワイエスの最晩年まで彼の身の回りの世話をしたそうです。

(作品集「ヘルガ ー画家とモデルの揺るぎない関係ー」部p.68〜77参照)



 さらに、同じく少年時代から交流があった、幅広い世代のアフリカ系移民、ネイティヴ・アメリカンの血を引く人物など、様々な友人知人を描いたワイエスは、避暑地のメイン州で、彼の名声を決定づけるモデルと出会います。

 アメリカ現代絵画の金字塔とも言える、「クリスティーナの世界」で描かれた女性、クリスティーナ・オルソン。

 「クリスティーナの世界」は、枯れた色の草原に、細く、力の籠った両腕をついて、身を起こし、遠くの家屋に目を向ける女性の後ろ姿を描いた絵画です。

 モデルとなった、クリスティーナ・オルソンは、進行性の病で、この時期両足が不自由になっており、しばしば屋内や周辺の土地を、這って移動していました。
 
 クリスティーナと、彼女を支える弟、アルヴァロの人柄と暮らしぶりに心惹かれたワイエスは、彼らの家に頻繁に出入りするようになり、ついには二人が使用していなかった二階を使わせてもらうようになりました。

(オルソン家に限らず、ワイエスのモデルとなった隣人たちは彼の訪問に非常に寛大で、彼に鍵を渡して、勝手に出入りし、住人や家の中を好きにスケッチすることを許した家庭もあったそうです。〈作品集p.169参照〉)

 この絵は、ワイエスが、オルソン家の上階から、お気に入りのピンクのワンピース姿で、這ってブルーベリーを摘むクリスティーナの姿を見つけたことをきっかけに描かれました。

 絵の所蔵先であるMoma美術館のHP(日本語解説)によると、後に、ワイエスは、この絵について、Moma美術館初代館長にこう書き送ったそうです。

「私の課題は、ほとんどの人に望みなしと思われている彼女の人生を、彼女自身が克服しようとしている並々ならぬ姿を、 しっかりと表現することでした。私が描いたものによって、彼女の世界は、肉体的には制限があっても、精神的にはいっさいそのようなことはないのだと、 ささやかな形であれ、見る人に思わせることができたとしたら、私の目的は達成されたことになるのです。」



 ワイエスは、誇り高く強靭な精神の持ち主であるクリスティーナと、控えめで姉思いのアルヴァロの日常を、彼ら本人の肖像のみならず、不在の部屋や所有物からも描き出しました。

 ワイエスの代表作の一つ、「海からの風」は、古びたレースのカーテンを揺らす夏の風と、窓の向こうに広がる草地と水辺の景色を描いたもので、これも、オルソン家の風景をモチーフにしたものです。

(「海からの風」を使用した本の表紙)
Andrew Wyeth: Looking Out, Looking in -
Andrew Wyeth: Looking Out, Looking in -

 ワイエスとの30年以上の交流を経て、アルヴァロが姉を案じながら逝去すると、クリスティーナも後を追うように世を去りました。

 ワイエスは彼らの死後にもオルソン家を訪れ、主を失った部屋を描くことで、二人の面影を追っています。

(この後、オルソン家は、アップル社のCEOに買い取られ、今は名画の舞台として、地元ファーンズワース美術館の管理下におかれることとなりました。)

(作品集「クリスティーナの世界」部p.110〜p.127参照)



 その後も、古くからの友人たちのほか、妻ベッツィーが、絵画のインスピレーションになるようにと準備した土地や建物を描いていたワイエスでしたが、ときに、リアルな質感と陰影を持ちながら、現実離れした情景を描いて、作品の幅を広げました。

 「雪の丘」は、故郷の雪に覆われた丘で、「メイポール」(※)と呼ばれるリボンや植物で飾られた柱の周りを、様々な年齢、人種の男女が、リボンを手にして、輪になって踊っていると・いう、幻想的な作品です。
(※)本来は春の訪れを祝い、豊穣を願うお祭りで、5月に行われることが多い。

 (「雪の丘」の部分を使用した本の表紙)
Andrew Wyeth's Snow Hill -
Andrew Wyeth's Snow Hill -


 彼らは、それまで、ワイエスと交流を持ち、モデルとなった人々でした。
 カーナー夫妻、彼の息子たちともども友人だった、ビル・ローパー、同じくアフリカ系移民のアダム、ワイエスの身の回りの世話をしたヘルガ、「冬」の少年(ワイエス自身という説もあります。)


 予備知識が無くても、古びた軍服を着たカールや、雪景色など、本来の祭りではありえない情景が、ミステリアスな印象を醸しますが、すでにワイエスの絵全体に魅了された人々には、ワイエスの彼らに対する思いや、画家としての道のりが見て取れます。

 実際に彼ら全員が顔を合わせた機会は無かったと思われますが、自分の人生と創作に関わってくれた人々が、ともに踊る姿で描くことで、彼らと、人生への追憶を表現しているような作品です。

(作品集「奇妙で不思議な絵」p.158〜159参照)

 幼いころから、健康に不安を抱えながら、意図的に、閉じた、しかし、深い世界を生きたワイエスは、2008年の転倒による骨折で、絵が描けなくなるまで、揺るぎなく緻密で端正な作風を保ち続け、2009年、就寝中に世を去りました。

 最後の作品は、浜辺の白い家(妻ベッツィーがワイエスの絵のモチーフとなるように購入した。)から、静かに遠ざかるヨットの絵でした。
(作品集「晩年」部、p.176〜185参照)

 ワイエスの墓はクリスティーナとアルヴァロと同じ墓地にあり、草地の先に、
あのオルソン家が見えるそうです。


 今は、次男のジェイミー・ワイエスが、父、そして祖父を彷彿とさせる圧倒的写実力で、人気画家として活躍しています。

Jamie Wyeth - Jamie Wyeth
Jamie Wyeth - Jamie Wyeth



 優れた技術と、日常を生きる人々への共感、静寂に生と死のイメージが透けて見える神秘性を兼ね備えた、アメリカの国民画家の作品を細部まで見られる機会ですので、ぜひ番組をご覧になってください。

(さらにワイエスについて知りたいという方には、今回私が引用参照させていただいた高橋秀治さんの本がお勧めです。生前のワイエスとも交流があり、日本のワイエス紹介に尽力された方だそうで、多様な作品が鮮明な画像で掲載されている上に、作品に関する詳細なエピソードが数多く読める、とても素敵な本でした。)

 以下、補足で、ワイエス情報が見られるURLを貼らせていただきます。ご参照ください


 読んでくださってありがとうございました。


(参照URL)
ウィキペディア「アンドリュー・ワイエス」(日本語版)
 
・同上英語版「Andrew Wyeth」
 https://en.wikipedia.org/wiki/Andrew_Wyeth

・アンドリュー・ワイエス公式HP
 http://andrewwyeth.com/
・公式HP「ギャラリー(一部作品画像)」
http://andrewwyeth.com/gallery/

 ・ブランディワイン・リバー美術館
(アンドリューを含むワイエス家三代の絵画を所蔵)
  http://www.brandywine.org/museum
 ・ブランディワイン・リバー美術館
「アンドリュー・ワイエス回顧展(※9月17日まで)」情報 
  http://www.brandywine.org/museum/exhibitions/andrew-wyeth-retrospect
 
 ・ファーンズワース美術館
 (アンドリューを含むワイエス家三代の絵画を所蔵、オルソン・ハウスの保存も手掛ける)
  http://www.farnsworthmuseum.org/
 ・ファーンズワース美術館 オルセン・ハウスのガイドツアー情報
  http://www.farnsworthmuseum.org/experience/tours/olson-house/

・丸沼芸術の森
 (ワイエスの水彩や下絵を主に所蔵、常設展は無いが、2017年9月16日から「アンドリュー・ワイエス 生誕100年記念展」を開催)
 http://marunuma-artpark.co.jp/
 http://marunuma-artpark.co.jp/event/index.html#20170801


・福島県立美術館
  (「松ぼっくり男爵」ほかワイエス作品所蔵。9月24日まで生誕100年を記念して5点を「コレクション展」として展示中)
 ・http://www.art-museum.fks.ed.jp/(トップ)
 ・http://www.art-museum.fks.ed.jp/htdocs/?page_id=28(コレクション展情報)
 ・ニューヨーク近代美術館(Moma)「クリスティーナの世界」
https://www.moma.org/collection/works/78455?locale=ja
https://www.moma.org/audio/playlist/1/240(日本語版解説)


 ・テレビ東京「美の巨人たち」アンドリュー・ワイエス作「松ぼっくり男爵」紹介
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/130622/index.html


(補足)当ブログでアメリカ絵画について一部描かせていただいた記事 
  http://enmi19.seesaa.net/article/442229731.html (「オバマ大統領と絵画」)
【関連する記事】
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2017年09月07日

「白いアヒルとワルツを」親友を亡くした犬が出会った不思議なアヒルのお話


 本日は海外の記事で見つけた犬とアヒルの友情物語をご紹介させていただきます。

 アメリカのテネシー州にある農園に暮らす犬、ジョージは、親友だったラブラドール犬、ブラッキーの死から立ち直れず、二年間もふさぎこんだ状態でした。

 飼い主のジャッキー・リットンさんによると、ジョージはブラッキーを失ってからというもの、あまり食事をしなくなり、ストレスからか、自分を噛んで皮膚を傷だらけにしていました。



 ところが、ある日、ジョージが玄関のポーチに横たわっていると、アヒルが近寄ってきて、ジョージの側に寝そべりました。

 リットンさんには、アヒルがどこから来たのか、まったくわかりませんでした。

 しかし、あっという間にアヒルはジョージと仲良くなり、ジョージは元気をとりもどしました。

 さらに不思議なことに、アヒルがやってきたのは、ブラッキーの命日の週でした。

 アヒルはジョージについて歩き、ジョージはアヒルに自分のベッドを使わせてあげるそうです。

 ときには、寄り添って眠り、ジョージがアヒルのクチバシを、腕枕ならぬモフモフの脚枕させてあげることも。(動画0:40頃で観られます。)
 

 リットンさんは、このアヒルを我が家に迎え入れることにして、今は、農場に、アヒルのための水浴び場や、トイレを導入する方法を考え中だそうです。

Inside Edition記事を参照意訳させていただきました。)

 

 この不思議で心温まるお話は「bored panda」というネットニュースページでもとりあげられており、亡きブラッキーや、ポーチに寝そべるジョージに近づくアヒルの写真を見ることができます。

 この写真のアヒルが、背後から陽の光を浴びて、妙に神々しい(笑)。

 どこから来たのか、体の大きなジョージを怖いと思わなかったのか、なぜいきなりジョージが好きになったのか、いろいろと謎多きアヒルですが、ひとつ、筆者の体験から言わせていただくと、動物はほかの動物の悲しみを察する能力があり、ときに相手を慰めようとするということです。

 昔、すごく落ち込んでいた帰り道、通りすがりの猫と目が合ったら、寄ってきてくれて、ニャーニャースリスリゴロゴロされながら、しばらく付き添ってくれたことがありました。

(ちなみに猫飼ったことないし、普段はどちらかというと猫に相手にしてもらえないタイプ。以後、二度と、あんなに猫からくっついてくれたことは無い。)

 ほかにも、(うろおぼえで申し訳ないのですが)ネットの書き込みで、
「飼い猫が亡くなって落ち込んでいたら、散歩中の近所の犬(ただ顔を知っているというだけで、まったくコミュニケーションをとったことがない、普段は愛想の無い老犬)が、駆け寄ってきて、しばらく頭をなでさせてくれた」
 という話を読んだことがあります。

 アヒルはジョージの2年経っても風化させられない悲しみを感じ取って寄り添ってくれ、ジョージもその優しさに癒されたのでしょう。

 

 また、もしかしたら、ブラッキーの命日の頃に訪れ、一瞬でジョージとの間に友情が芽生えたこのアヒルは、ブラッキーの生まれ変わりなのかもしれません。

 そんなふうに考えると、思い出さずにはいられない作品があります。

 以前、当ブログでもご紹介させていただいた、小説が原作の映画「白い犬とワルツを」。
(当ブログ、途中までのあらすじご紹介記事はコチラ


白い犬とワルツを (新潮文庫) -
白い犬とワルツを (新潮文庫) -

白い犬とワルツを [DVD] -
白い犬とワルツを [DVD] -

 長年連れ添った妻に先立たれた老人のもとに、不思議な白い犬が訪れるという物語です。

 トレーラーはこちら。(もうこの映像だけで泣けるほど観たし好きな作品です。)



 遺された夫サムは、ある朝、ふいにやってきて、サムになついた白い犬を、妻コウラの魂だと信じて一緒に暮らすようになります。

 愛する存在を失い、深い悲しみに沈む者の側に訪れた、やさしい目をした白くてきれいな生き物というところが、とてもよく似ています。

(朝日を浴びて、サムを見上げる犬の登場シーンと、写真の中の陽に白く輝くアヒルが本当にそっくり。)

 ジョージとアヒルのお話を気に入った方は、併せてごらんになってみてください。

 読んでくださってありがとうございました。



(参照)
・「Wandering Duck Becomes Best Friend to Dog That's Been Depressed for 2 Years」
(出典:「Inside Edition」 著者:Johanna Li  August 18, 2016)
http://www.insideedition.com/headlines/18166-wandering-duck-becomes-best-friend-to-dog-thats-been-depressed-for-2-years

・After This Dog’s Best Friend Died, He Was Depressed For 2 Years But Then This Duck Showed Up
(出典:「boredpanda」著者:Julija Televičiūtė 2016年8月)
http://www.boredpanda.com/duck-saves-dog-depression-george/

(補足)当ブログ 洋画「白い犬とワルツを」ご紹介記事一覧
(ご紹介編)
(ネタバレ編1)
(ネタバレ編2)
(ネタバレ編3)
(ネタバレ編4)

posted by Palum. at 12:00| おすすめ動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月02日

ジャコメッティ贋作事件(ノンフィクション『偽りの来歴』より)


 六本木の新国立美術館で、開催中の「ジャコメッティ展」が、いよいよ終了間近となりました。

・展覧会公式HP(TBS)  http://www.tbs.co.jp/giacometti2017/  

 ・展覧会のTBS公式動画

https://www.youtube.com/watch?v=XxdyAL6IAsE

 ・当ブログ展覧会ご紹介記事
 ・当ブログ展覧会グッズ記事


 今回は、イギリスで起きた贋作事件を題材としたノンフィクション『偽りの来歴』に描かれた、ジャコメッティ作品と贋作事件の関わりについて、印象的だった箇所を、引用、ご紹介させていただきます。

偽りの来歴 ─ 20世紀最大の絵画詐欺事件 -
偽りの来歴 ─ 20世紀最大の絵画詐欺事件 -

〈当ブログでこの贋作事件の概要について書いた記事はコチラです。〉)


 1986年から95年、イギリスの美術業界を大混乱に陥れた、大規模な贋作事件がありました。

 天性の詐欺師、ジョン・ドリューが、生活苦の中にあった画家、ジョン・マイアットをそそのかし、約200点あまりの贋作を制作販売したこの事件、ドリューが、美術館への多額の寄付金をちらつかせて美術館幹部らの信頼を得たのち、美術館の資料室に侵入し、作品の来歴を示す、偽造書類を紛れ込ませるという、かつてない手口で、専門家たちを翻弄しました。

 しかし、そうした偽造資料に一切まどわされずに、作品(絵画)の写真だけで、即座に贋作を見抜いたのが、「ジャコメッティ協会」の女性秘書、パーマーでした。

 葛藤を抱えながらも、腕利きの贋作師であったマイアット(紆余曲折の後、現在も画家として活躍中)と、世界中のジャコメッティ作品の情報を収集管理していたパーマー。

 それぞれの、ジャコメッティ作品に対する考察が語られた文章を読んでいると、次第に、ジャコメッティ作品と、ジャコメッティ本人の、突出した個性が浮かび上がってきます。



 ジャコメッティの贋作にとりかかろうとしたマイアットは、ジャコメッティ本人への理解を深めるために、あらゆる資料を読み漁り、可能な限り美術館に足を運んで、実物を観察しました。

(以下『偽りの来歴』p.82〜p.83より引用)

 「実のところ、ジャコメッティには、満足感はなかった。彼は自分の傑作の多くを失敗作と考えており、手元にある作品に手を加え続けずにはいられなかった。

 『絵に取り組めば取り組むほど、それを終わらせることは不可能になる』と、彼(補:ジャコメッティ)は言っていた。画家であり文筆家でもあった知人の一人は、その芸術的プロセスを『強迫観念的な削減行為』と呼んだ。ジャコメッティが彫刻を作るとき、彼の手は『上から下へとはためくように動き、粘土をつまみ、えぐり、刻み込む。一見すると絶望的な、ほとんど胸がはりさけそうな様子で、真実を捉えるために奮闘しているのだ。』

 『ジャコメッティは、自分自身の創造物と似始めた。骨格はより細くなり、顔はやつれ、髭も石膏の粉で覆われたように白っぽくなった。まるで本人の本質のみに煮詰められたかのようだった。最後には、人物彫像の骨組か、あるいはごつごつした鋼と金網でできた人形のような姿で、角のカフェに座って煙草をふかしていた。一度など、すでに彼が金持ちになっていた頃のことだが。一人で座っている彼を見かけたある婦人が気の毒に思い、コーヒーを一杯おごりましょうと言ってくれた。彼はすぐに受け入れたが、その目は感謝と喜びの色に溢れていた。』(※)

 彼(補:マイアット)が今描いているのは、青灰色の影の中から裸婦像が浮かび上がる単純な構図だ。(中略)シンプルな構造の絵なので、真似をするのは簡単だろうと思っていた。だが、それは間違いだった。

 ジャコメッティは独特のエネルギーを持っていて、意図的であると同時に、まるで逆上して画面に向かったかのようにも見える、もつれあった線で作品を描いた。全身像で描かれている裸婦は、それが強い喚起力をもっていたため、マイアットには、その肉体の下に骨が感じられるほどだった。その不可解なイメージは、カンヴァスの中から、まるでこちらの世界へと足を踏み出そうとするかのように立ち現れてくるのだ。
どうしてジャコメッティにはこんなことができたのだろうか?
(中略)
 この作家はいつもモデルを使って描いていた(彼の妻がお気に入りのモデルの一人だった。)が、モデルには、絶対動かないことと集中することを要求した。彼は一枚の絵に数ヶ月を費やし、ときには制作中、モデルから一メートルに満たないところに座って描くこともあった。彼は、モデルに自分をまっすぐ見つめ、自分の引力の中に入ってくるように頼み、そのモデルをカンヴァスの中に巻き取るのだった。」


 マイアットは、ジャコメッティ作品が、そのシンプルな姿とは裏腹に非常に困難なものであることに気づかされます。
(贋作の発覚を防ぐため、モデルが使えなかったことがより作業を困難にしました。)

 失敗を繰り返しているうち、ドリューに「描けない部分は前に何か別のものを描くことで隠せばいい」と言われたマイアットは、苦肉の策で裸婦の前にテーブルを描きました。

 この贋作が名門オークションハウス、サザビーズのカタログに掲載され、パーマーの目に触れたことから、彼らの犯罪が綻びはじめます。

 パーマーは即座にサザビーズに連絡、来歴を示す書類が完璧であったため、作品はすぐには贋作と確定しませんでしたが(サザビーズは、パーマーに同意して、売却を延期するという対応を取りました。)、パーマーはほかにも贋作が紛れ込むはずだと考え、調査を開始しました。


(※)『』部は、ダン・ホフスタッター「自身の芸術とは異なった生涯」、ニューヨークタイムズ書評、ジェイムズ・ロードによる伝記『ジャコメッティ』評の引用。
(ブログ筆者補:ジェイムズ・ロードは美術評論家でエッセイスト。矢内原伊作同様、モデルとなった経験を『ジャコメッティの肖像』に記した。このときの出来事が、2018年1月公開予定のジャコメッティの映画「ファイナル・ポートレート」の題材となっている。)


ジャコメッティの肖像 -
ジャコメッティの肖像 -


 一方、不本意ながら、裸婦の足の部分をテーブルで隠した贋作(本文中通称「足のない女」)を描いてしまったマイアットは、その後、懸命な努力で、本人としても満足の行く、新しい裸婦像(通称「立つ裸婦」)の贋作を仕上げました。

 こちらは、ニューヨークに渡り、一流の画商が「傑作」として買い取りました。

 絵を買い取った画商、バートスはこの絵が約4550万〜7150万円で売れると見立てて、ジャコメッティ協会に鑑定書の発行を依頼、「立つ裸婦」の写真を送付しました。

(ヴィクトリア&アルバート美術館のHPに、贋作発覚の発端となった作品「立つ裸婦」と、偽造資料の画像が見られる記事があります。
 http://www.vam.ac.uk/blog/national-art-library/from-artifice-to-artefact

 しかし、写真を見たパーマーは、送られてきた写真を見るなり、絵の裸婦に向かって「まっすぐ立ちなさいよ!」と怒りをあらわにしました。

(以下p.215〜216引用)


 「その裸婦は何もかもが間違っていた。なぜならアネット・ジャコメッティが夫のモデルをするときには、まるで歩哨のようにぴったりと脚を合わせて直立不動で立っていたからだ。彼女はすきま風の入るアトリエで何時間もポーズし、ストーヴに火をおこすときだけほんの一瞬休憩をとるのだった。何年にもわたりジャコメッティは、そんな彼女の、疲れを知らない真剣な姿を繰り返し書いてきた。バートスの裸婦は、あまりにも表面的で、重力が不足していた。ジャコメッティは解剖学を熟知していたから、裸婦を描くときも骸骨(スケルトン)の上に注意深く身体を組み立てていた。それに対し、バートスの裸婦はあまりに弱々しく頼りなかった。

 骨が感じられないわ、とパーマーは思った。

 (中略)ジャコメッティは、非常に繊細な筆を使い、熱のこもった筆のタッチを重ねることで像をつくりあげていた。バートスの作品も同じ類いのエネルギーのいくらかはもっていたが、その筆触は、像を核心部分から立ち上げているというよりもむしろ、あらかじめ定められた形を満たそうとしているようだった。」

 バートスへ鑑定結果を知らせようとしていた矢先、新たな贋作情報がジャコメッティ協会に舞い込み、この事件が非常に大規模なものであることを確信したパーマーは、すべての作品に関与したドリューを追い詰めるべく、来歴資料を所有しているテート・アーカイヴス(テート美術館資料部)にコンタクトをとります。

 既にあまりにもドリューと彼のスタッフ(詐欺の共犯者)が頻繁に資料室を訪れること、その態度に不自然な丁寧さがあることに強い違和感を感じていた現場スタッフのジェニファー・ブースが、パーマーの警告を受け、彼らの不審な点について調査を開始、彼女たちの動きを受けて、ついにロンドン警視庁が捜査に乗り出すこととなります。



 マイアットが最初そう感じたとおり、ジャコメッティの作品は技術のある人間なら簡単に模倣できそうな単純化されたものに見えますが、実は莫大な知識と執念(そしてモデルの献身的忍耐)によって作り上げられており、それに敬意を払っていたパーマーにとって、真贋の見分けはいともたやすいことでした。



 わかりやすいわけでもなく、見るからに緻密なわけでなくても、画家がまさしく身を削るようにして才能の全てをぶつけた作品には、やはり、他の誰にも真似できない「真髄」があるのだと感じさせられるエピソードです。

 このご紹介がジャコメッティ鑑賞の一助になれば幸いです。



(また、この『偽りの来歴』については、ほかにも印象的な場面があったので、いずれまた記事にさせていただく予定です。)

 読んでくださって、ありがとうございました。



posted by Palum. at 14:38| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月01日

ジャコメッティ展 グッズ情報

 六本木の国立近代美術館で開催中の「ジャコメッティ展」がいよいよ会期終了間際になりました。



 当ブログ、展覧会ご紹介記事はコチラ

 この展覧会、販売グッズの中に、独特のセンスのものが混ざり込んでいたので、補足でご紹介させていただきます。

 グッズ紹介ページはコチラです。

1、ジャコメッティー(和紅茶)

 ジャコメッティの代名詞とも言える彫刻「歩く男」の写真ラベルつき。

 静岡県 新間の和紅茶。

 「日本生まれの紅茶は、外国産に比べて苦みや渋みがなく、優しく深い味わいが、紅茶ファンの間でも、今、ブームになっています。」
(グッズ説明文の一部)

 ベーシックな売り文句の前で、「なぜジャコメッティグッズで紅茶?」と、一瞬首をひねりましたが、「ジャコメッtea(茶)」というシャレでした。

 シャレがさらにエスカレートしているのが次の2品です。


2、ジャ米ティ

 日本酒「山田錦 大吟醸」に、細くスラリと直立する、「ヴェネツィアの女」の彫刻ラベルつき。

 余分なものを極限まで削りおとして、彫刻を作り上げたジャコメッティのように、米を丹念に削り落として味わいを作り上げた、という理由でグッズになったそうです。

 凄いこじつ……いえ、斬新な発想。

 ちなみにボトル(180ml)も小ぶりで黒くスラリとしているので、空き瓶になっても小粋な一輪挿しなどで活躍させられそうです。


3、ジャコリントウ(カリントウ)

 展覧会の目玉作品のひとつ、彫刻「犬」の写真付き。

 「ジャコメッティの彫刻とかりんとうって、どことなく似ているような感じがしませんか?」
 (グッズ説明文の一部)

 結構いろいろな人が、心のどこかでうっすらとそう感じたとしても、あちらは魂の本質に迫るべく、心血を注いだ芸術作品なのだから、そうゆうことは言ってはいけないという暗黙の了解を、軽やかに超越した商品。

 「エスプレッソ味」と、「黒胡椒・味噌味」がありました。

 ちなみに私は黒胡椒・味噌味を購入しましたが、普通のかりんとうのボリボリという硬派な歯ごたえとは一線を画すサクサク食感に、ピリリと胡椒のきいた甘じょっぱい味で、お酒のアテにもなりそうな、とても美味しいお菓子でした。

 一袋700円だというのに、開けるなり瞬殺してしまった。

「言っちゃったよ(というか作っちゃったよ)この人は……」感に終わらない。クオリティの高さです。

 公式ツイッターには、「好評なのか不評なのかよくわからない」と、公式にあるまじき飾り気の無い見解が載せられていますが、名作です。

「日本ならではのオリジナルグッズです(でしょうね)。ジャコってくださいまし」とのことです。皆さんもジャコりましょう。(でも「ジャコって」って何。)


 以前、河鍋暁斉展で、和菓子の老舗、榮太郎本舗が、「暁斉存命中、榮太郎の社長が、作品を高額な言い値で買って暁斉の名声を高める手助けをした」という縁で、暁斉の絵ラベル入り飴を、グッズとして売っていました。

 これを見たとき、実に粋なはからいだと思いましたが、(ご紹介記事はコチラ)今回のジャコメッティグッズは、さらに斜め上を行く面白みがあります。
 
 というか、ここまで突き抜けたグッズが今まであっただろうか……?

 一見難解な作品展にまぎれこんだ一服のシュールな笑いが、ジャコメッティ作品と我々の距離を近づけてくれています。

 商品化したスタッフの方たちの英断とセンスを賛辞を贈らせていただきます。

(こういう妙に高品質なギャグッズ意外にも、ミュージアムグッズの定番であるTシャツやクリアファイルなどもあります。)

 展覧会にお出かけになる際は、是非併せてお手にとってみてください。

 次回記事では、ジャコメッティ作品がからんだ贋作事件について、ご紹介させていただきます。よろしければまたお立ち寄りください。

 読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum. at 20:42| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月26日

ジャコメッティ展

2017年9月4日まで、六本木の新国立美術館で、「ジャコメッティ展」が開催されています。
・展覧会公式HP(TBS)
 http://www.tbs.co.jp/giacometti2017/

 展覧会のTBS公式動画


 https://www.youtube.com/watch?v=XxdyAL6IAsE


 細長い人体の彫刻で有名な、20世紀を代表する彫刻家ジャコメッティ。

 その、不思議な造形は、意外にも、ジャコメッティの「見えるものを見えたままに」作り上げるという執念の果てに生まれたものでした。

 展覧会では、彼の、現実と人間に対する飽くなき探求心がわかる、彫刻や絵画など、大小135点を見ることができます。


 難解なようですが、実際に向き合うと、「人間の本質」や「見ること」について、新しい実感を与えてくれる作品であり、彼の執念を忍耐強く支えた、周囲の人間たちの存在を含め、ジャコメッティという人物と、作品の双方に感銘を受けました。




インターネットミュージアム」の特集動画

 1章「初期・キュビスム・シュルレアリスム」


 2章〜12章

https://www.youtube.com/watch?v=7KAEeSxuxLI

13章「ヴェネツィアの女」、14章「チェース・マンハッタン銀行のプロジェクト」

https://www.youtube.com/watch?v=VALejy9oHAE
 (※14章の展示室、3体の作品が撮影可能)


 〇ジャコメッティと、その作品

 アルベルト・ジャコメッティ(1901-1966年)は、スイスの自然豊かな村、スタンパに生まれ、画家である父の影響を受け、早くから芸術の道を歩み始めました。

 (彼の弟たちも芸術家であり、彼の制作をサポートしました。展覧会では、弟ディエゴ〈ジャコメッティによく似ている〉をモデルとした作品を見ることができます。)

 20歳でパリに出たジャコメッティは、当初キュビズムや、古代、民俗学的彫刻、シュルレアリスムなど、様々な芸術の影響を受けました。

 やがて、彼の生涯のテーマである「見えるものを見えるままに」作ることを目指したジャコメッティは、モデルと対峙する制作方法に転換しました。

 ジャコメッティにとって、「見えるものを見えるままに作る」、というのは、現実に存在する人や物の形をそっくりそのままコピーするという意味ではありませんでした。

 ジャコメッティの視覚が捕らえた、映像の中の対象、ジャコメッティの洞察が捕らえた、対象の内側に宿る本質を、作品化するということだったのです。



 ジャコメッティの「見える」という意味の独自性がよくわかる作例の一つが、指先にも満たない小さな人物像です。

 彼は一時期、制作に集中すればするほど、作品が削られて小さくなってゆくという悩みを抱えていました。

 これは、ジャコメッティが、作者自身と対象との間にある「距離」を、作品に含めたために起きた現象で(たとえ実際には長身の人物であっても、距離を隔てて見た場合、その姿は小さく見える)、戦時中、ジュネーブに逃れ、記憶を頼りに制作せざるをえなくなったとき、時間の経過による心理的距離も発生したのか、彼の彫刻はますます小さくなり、彼がパリに戻ってきたとき、持ち帰れた彫刻は、「マッチ箱に入るほどの小さな6体の彫像のみ」(※1)だったそうです。
(※1)カッコ部、ジャコメッティ展図録52ページより引用。

 実際に展覧会に行って、彼の小さな彫刻群を見、会場のあちこちに立つ観客の人々に目を移すと、確かに人が様々な大きさに見えて、不思議な感覚に陥ります。



 もう一つ、ジャコメッティにとっての「見える」の意味が垣間見える作品として、「猫」が挙げられます。
 
 人体彫刻同様、針金のような四肢に、頭だけが丸くボリュームを持っているこの作品は、弟ディエゴの猫が、正面からジャコメッティのベッドに向かってくる姿を形にしたものです。

 ジャコメッティは頭部だけが大きく見えるという、自分から見た猫を、そのまま作ったために、この姿になったそうです。


 ジャコメッティ「猫」、横から見た姿(展覧会公式Twitterより)
https://twitter.com/giacometti2017/status/876017377607008256

 ジャコメッティ「猫」、正面に近い角度から見た姿(展覧会公式Twitterより)
https://twitter.com/giacometti2017/status/897988619599724544

 このように、ジャコメッティの作品は、見る角度によって、大きく姿も意味も変貌し、観客の側が実際に動き回って鑑賞すると、作品が持つ力がよくわかります。



 ジャコメッティはさらに、対象の内面を見ることを追求しました。

 肉体が内包する本質を現すため、輪郭は次第に削り落とされ、結果、あたかも肉をそぎ落とした骨だけのような姿が現れてきました。

 (そこに、各個人が持つ魂のゆらぎのように、複雑な起伏で陰影がつけられています。)

 この作風が、ジャコメッティの個性を決定づけました。

 ちなみに、死者と生者を分かつものとして、「まなざし」を発見し、それに焦点を置いた作品のいくつか(弟ディエゴの胸像群など)は、ジャコメッティ作品の中では比較的、体積と具体的容姿を持ち、それは確かに、本人の個性を、単に形をそのまま写し取る以上の鮮烈さで表しています。

(ジャコメッティによく似た、そして、彼の制作を支え、忍耐強いモデルの一人であったディエゴの鋭い目の光が、現代芸術に馴染んでいない私にも見て取ることができました。)

 展覧会図録(90p.)には、ディエゴがジャコメッティ作の胸像と同じ角度で座る、魅力的な写真が掲載されています。

 それでも、真正面から見た場合、頭蓋が、現実にはあり得ない幅の狭さなのですが、少し角度を変えると、奥行きによって厚みが加わり、また別の表情(像の視線)が見えてくるので、少し動いて、「現れる」瞬間を捉える妙味が強い作品です。



 自分と対象との距離(空間)、対象を見る者の視点(対象と自身の角度)、対象の肉体が内包する本質、対象のまなざし。

 こうした多様な要素を「見て」、彫刻にしようとしたジャコメッティ。

(余談ですが、ジャコメッティは、絵ではしばしば等身大の人間の質感を表現しています。平面の、限られたサイズの中では、そこまで多様な要素を作品に盛り込もうとしなかったのかもしれません。)

 このため、一見抽象的と思われる作品であっても、実在のモデルは不可欠であり、彼らは、長時間、身動きせずに、画家に「見られる」自分を、題材として提供する必要がありました。

 モデルとしてポーズをとる時間があまりに長く、何日間にも及び、しかもジャコメッティがほんの少しの身動きも許さなかったため、彼の作品のモデルの大半は、彼の理解者だった弟たち、妻アネット、ジャコメッティと親密な関係にあった女性たち、そして友人たちといった、身近な人々に限られていたそうです。



 そうした、ジャコメッティの制作への没頭と才能に魅了され、献身的にポーズをとった友人の中に、日本人哲学者、矢内原伊作がいました。

 仏像のような細い瞳に、筋の通った鼻、細い顎を持ち、どこか古い時代の貴族にも似た、印象的な風貌の矢内原は、その容姿と知性、ジャコメッティの目指すものに対する理解の深さから、ジャコメッティの創作意欲を強く刺激し、求めに応じて、帰国の日をずらしてまで、彼の制作に協力しました。

 その期間は実に72日間。
(このときのことを、矢内原は、著作『ジャコメッティ』(みすず書房)に記しています)
ジャコメッティ -
ジャコメッティ -


 しかし、ジャコメッティはその後も矢内原をパリに繰り返し招待し、彼の姿を描き、彫刻を彫り上げたそうです。

 今回の展覧会では、ジャコメッティがありとあらゆる機会に矢内原を描いたことがわかる、紙ナプキンや新聞の紙面へのデッサンが展示されていましたが、彫刻もディエゴの胸像同様に、モデルの深淵を捉えた素晴らしい作品です。

「Japan Times」内のジャコメッティと矢内原を紹介した記事で、彼の頭部彫刻画像をみることができます。(※今回の展示作品ではありません。)
出典:「Sculptor’s immobile muse helped him see inner man」
(C.B. LIDDELL 著)
https://www.japantimes.co.jp/culture/2006/06/15/arts/sculptors-immobile-muse-helped-him-see-inner-man/




  〇ジャコメッティと、贋作事件

 最後に、少し個人的な話を付け加えさせていただきます。

 私が、ジャコメッティについて知りたいと思ったのは、彼が日本人である矢内原伊作をモデルにしていたということのほかに、こんなエピソードを読んだことがあったからです。

 1986年から95年にかけて、イギリスで発生した大規模な贋作事件。

 ジョン・ドリューという人物が、生活苦の中にあった、画家、ジョン・マイアットを引き入れ、約200点あまりの贋作を制作販売、名だたる美術館やオークション会社をも欺き、業界を大混乱に陥れました。

 美術館の資料室に侵入し、贋作の出どころが由緒あるものであることを示す偽の書類を紛れ込ませるという手口で、真贋鑑定の大切な手掛かりとなる資料を偽造したことで、多くの専門家たちが惑わされましたが、そのとき、送られてきた作品画像だけで、すぐに作品(「立つ裸婦」の絵)が贋作であることを見抜いたのが、「ジャコメッティ協会」の秘書である女性でした。

 彼女は、ジャコメッティの妻アネット(協会の理事)と、家族のように結束し、来歴に惑わされずに一瞬で真贋を見抜く鑑定眼を持っており、アネット同様のジャコメッティ作品に対する情熱から、その疑わしい作品たちが、ジャコメッティが心血を注いだ作品群に混じることを決して許さず、周囲と意見が対立しても、断固流通を阻止したそうです。

(この出来事については事件を描いたノンフィクション『偽りの来歴』〈レニー・ソールズベリ/アリー・スジョ著〉で読むことができます。それ以外のエピソードも非常に興味深い本です。〈当ブログでこの贋作事件の概要について書いた記事はコチラです。〉)

偽りの来歴 ─ 20世紀最大の絵画詐欺事件 -
偽りの来歴 ─ 20世紀最大の絵画詐欺事件 -


 なお、ヴィクトリア&アルバート美術館のHPに、贋作発覚の発端となった作品「立つ裸婦」と、偽造資料の画像が見られる記事があります。

 http://www.vam.ac.uk/blog/national-art-library/from-artifice-to-artefact
 (拡大画像)

 この話を読んだとき、ジャコメッティについて、ただ、「難解だがどこか印象的な細長い彫刻を作る人(矢内原伊作がお気に入り)」とだけ思っていた私は、正直「専門家とはいえ、なんで現物も見ずに一瞬でわかったのか(一流画廊の人間が傑作と思い込むほどの出来だったのに)」と、不思議に思いました。

 贋作師は現代美術を題材にすることを好むそうです。

 画材の調達が容易であり、丹念にリアルに(写真のように)描き込まれた古い絵画より、比較的模倣しやすいためだと思われます。

 しかし、世間一般の「リアル」とは、ほど遠いジャコメッティ作品が、贋作を暴いた。

 難解で(正直、最初、あの細長い作品は、ものすごく長い時間モデルを見ながら作ったものだ、と知ったときには、「なんで?」とすら思いました。〈ごめんなさい〉)、自分の殻に閉じこもっているようにも見える彼の作品には、実際には、なにか、作品と波長を合わせた人間には、瞬時にはっきりと見て取れる「芯」のようなものがあるのではないか。と、この話を読んで、思わされました。

 その「芯」を、少しでも感じてみたくて、ほとんど知らない現代芸術の展覧会に行ってみたのですが、実際に見てみて、その「芯」を形成しているであろう、ジャコメッティ独自の「見る」ということの深い意味と、危ういとすらとれる、作品とモデルに対する真摯な没頭、そして、労力を惜しまず彼に協力した周辺の人々の、彼と作品に対する敬意に、触れることができたような気がします。

 東京での会期は残りわずかとなりましたが、気になる方は、是非、足を運んでみてください。

 後日、当ブログで『偽りの来歴』の中にあった、ジャコメッティに関する記述を、少し引用ご紹介させていただく予定です。よろしければ併せてごらんください。

 読んでくださってありがとうございます。


(補足)当ブログジャコメッティ関連記事
展覧会グッズ情報
ジャコメッティ贋作事件

(参照URL)
ジャコメッティ展 ジュニアガイドPDF
http://www.nact.jp/exhibition_special/2017/giacometti2017/pdf/20170621_a_1.pdf

雑誌『ELLE』ジャコメッティ特集記事「魅惑の彫刻家を5つのエピソードでひも解く! エル的ジャコメッティ入門ガイド」
http://www.elle.co.jp/culture/feature/giacometti17_0612/1



(参考文献)
「ジャコメッティ展 2017」(※展覧会図録)
posted by Palum. at 14:31| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大岡昇平作『野火』あらすじご紹介(※結末部あり)

 現在(2017年8月)、NHKの名作本紹介番組「100分de名著」で、大岡昇平作『野火』がとりあげられています。

野火 (新潮文庫) -
野火 (新潮文庫) -

大岡昇平『野火』 2017年8月 (100分 de 名著) -
大岡昇平『野火』 2017年8月 (100分 de 名著) -

【次回放送時間】
 2017年8月28日(月)午後10時25分〜10時50分/Eテレ
【再放送】
 2017年8月30日(水)午前5時30分〜5時55分/Eテレ
 2017年8月30日(水)午後0時00分〜0時25分/Eテレ

 NHKの番組紹介ページはコチラ

http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/68_nobi/index.html


 第二次大戦時、敗戦を目前としたフィリピンの地で、病のために孤立した兵士田村が、飢餓の中で、兵士たちが互いを食うため殺し合うという、極限状態に直面する物語です。

 目を覆う惨状を題材としながら、極限状態でも「思考する人」であり続ける田村を通じて描かれる世界は、独特の静けさと重厚さを持ち、「人間を食べない自分」を保とうとする田村の葛藤や、彼が偶然出会った瀕死の日本兵の、彼に対する赦しの言葉が、人間に残された最後の魂の力を感じさせます。

 最初に読んだときは、その惨禍に衝撃を受けましたが、思考することをやめず、状況に抗い、他者からの赦しを忘れられない一人の人間のありようが描かれていることに気づいてから、光景への恐怖よりも、その心の動きに胸を打たれました。

 以下、あらすじをご紹介させていただきます。

(結末部まで書かせていただいていますので、あらかじめご了承ください。また、一部現代には不適切な表現がありますが、作中の言葉を使用させていただいています。)



 第二次大戦時、日本の敗北が決定的となったフィリピン戦線で、「私」田村一等兵は、肺を病みながら、数本の芋だけを食料として渡され、隊から追放される。

 入院しろ、断られたら、手持ちの手榴弾で死ね。

 それが、隊長からの命令だった。

 病院の外には、「私」と同じように栄養失調で消耗しながら、物資不足と患者の多さから、入院を断られ、死を待つしかない人々が大勢いた。


 病院がアメリカ軍に攻撃されたので、「私」は熱帯の山の中に逃げ込んだ。

 自分の死を確信しながら、「私」が逃げたのは、死が決まっている自分の、孤独と絶望を見極めようという、暗い好奇心のためだった。



 独り、山をさまよっていた「私」は、自分が生きているのか死んでいるのか、時折わからなくなったが、現地の住人の畑を見つけ、そこで、つかの間、食料に不自由しない日々を過ごす。

 畑近くの海を見に行った「私」は、林の向こうに教会の十字架を見つけた。

 そこへ行ってみたいという気持ちをおさえられなかった「私」は、村人に見つかる危険を承知で、十字架のある場所へ行った。

 村は既に無人で、食料を奪おうとして殺されたのであろう日本兵たちの朽ち果てた死体だけが残されていた。

 教会に入り、イエスの処刑の絵と、十字架上のキリスト像を見た「私」は泣いた。

 救いを求めて教会まで来た自分の見たものは、日本兵の死体と出来の悪いキリストの絵だった。

 少年時代に教わった、聖書の言葉が口をついて出たが、答えは無かった。

 自分の救いを呼ぶ声に応える者は無い、と、あきらめた「私」は、この時、自分と外界の関係が断ち切られたのを感じた。



 村に残された食料を探していた「私」は、塩をとりに戻ってきた若い男女に出くわし、騒がれたので、女を撃ってしまった。男は逃げた。

 「私」は、銃を持っていたために反射的に女を撃ったが、銃は、国家が兵士としての「私」に持たせたものであり、もはや、兵士として用の無い人間になった自分が、罪の無い人を撃つために持つべきものではない。そう気づいた「私」は、銃を捨てた。



 畑に戻った「私」は、退却中の日本兵たちに会った。彼らの中には、病院の外で話した日本兵たちも混じっていた。

 彼らとともにパロンポンまで退却できれば、軍に戻り、生き延びられる可能性がある。

 「私」は再び銃を支給され、彼らとともにジャングルを進んだ。

 ゲリラの攻撃、食糧難など、その道のりは非常に過酷なものであり、アメリカ兵に降伏したくても、それは上官によって固く禁じられていた。

 その途中、「私」は、仲間の一人が、過去に別の戦場で、食料が無かった時に、人の肉を食べたらしいといううわさを聞く。

 アメリカ軍の攻撃を受け、隊からはぐれ、再び銃も失くしてしまった「私」は、アメリカ兵を見つけ、いっそ降伏しようかと考えたが、彼の隣にいたフィリピン人の女が、自分が村で殺した女に似ていたため、降伏をためらう。

 その間に別の日本兵が降伏しようと出て行ったが、彼は女に撃ち殺された。

 「私」は、村の女を殺した自分は、やはり誰かに救われることは無いのだと思って、その場を引き返す。



 持っていた食料も塩も無くなり、本格的な飢えが「私」を襲い始めた。

 日本兵の死体はいたるところに転がっている。

 いっそ、話に聞いたように、自分も人を……という考えが浮かんだが、「私」には、人類の歴史で、厳しく禁じられているその行為をすることは、どうしてもためらわれた。

 その時から、「私」は、死体を見るたびに、自分が「見られている」という意識にとらわれるようになる。

 その意識が、「私」の行動を支配し、「私」は、日本兵の死体に手をかけることができなかった。



 飢えもいよいよ限界となった「私」は、死にかけている一人の将校を見つける。

 丘の頂上の木にもたれかかって座り、空を仰いでいる彼は、栄養失調から重い病気にかかり、意識ももうろうとして、「私」にもほとんど気づかないように、あるときは笑い、あるときは「俺は仏だ」、「日本に帰りたい」と、うわごとを言い続けていた。

 「私」は、彼のそばに座り、彼が眠っていた間も、「待っていた」。

 夜明けがきたとき、ふいに彼ははっきりとした意識を取り戻した。

 そして、警官のような澄んだ目で、「私」を見つめて、言った。

「何だ、お前まだいたのかい。可哀そうに。俺が死んだら、ここを食べてもいいよ」

 彼は、左手で右腕を叩いて示した。



 「私」は、息をひきとったその将校の死体を、草木に覆われた陰に運んだ。

 そこでようやく、誰にも見られていない、と、思うことができたが、「私」は、瀕死の将校を見つけたときから計画していた、彼を食うという行為を、どうしても実行できなかった。

 「食べてもいいよ」

 あの、死の間際の、恩寵的な許可が、却って「私」を縛っていた。

 将校が食べることを許した腕に、あの村で見た、十字架上のキリストの腕が重なった。

 自分は罪の無い人間を既に殺していて、もう、人間の世界に帰ることはできない。

 だが、この将校は病のために死んだのであって、自分には責任がない。そして、死んでしまえば、残された体は、「食べてもいいよ」と言った魂とは別のものである。

 そう考えた「私」は、彼の腕にナイフを突き立てようとしたが、そのとき、「私」のナイフを持った右手を、左手が掴んで止めた。

 「汝の右手のなすことを、左手をして知らしむるなかれ」

 「私」には、そう言う声が聞こえた。

 「起(た)てよ、いざ起て……」

 「私」は、死体を置いて、その場を離れた。

 死体から離れるとともに、右手を抑える左手の指が、一本ずつ離れていった。

 歩く「私」を、雨上がりの野の万物が見ていた。「私」は、故郷で見た谷に酷似した場所へやってきた。「帰りつつある」という感覚が「私」の中に育っていった。

 花びらを広げかけた南の花が、ふいに、「私」に言った。

 「あたし、食べてもいいわよ」

 「私」は飢えに気づいたが、また、左手が右手を掴んだ。手だけではなく、右半身と左半身が別物のように感じられた。飢えは、右半身だけが感じていた。

 左半身は理解した。今まで、生きている植物や動物を食べてきたが、それは、死んだ人間よりも食べてはいけなかった。

 「私」の目には、空からも、同じ花が光りながら降ってくるのが見えた。

 野の百合は何もせずとも生き、神によって華やかに彩られる。人間は野の百合以上に、神から必要なものは与えられている。

 そんな聖書の教えが、花の上に声となって立ち上っていた。「私」は、これが神であると思ったが、祈りの言葉を発せなかった。体が二つに分かれていることが、それを阻んだ。

 「私」は、自分の体が変わらなければいけないと思った。


 ある日、「私」は、白鷺が飛び立つのを見て、自分の魂も、一緒に飛び去るのを感じた。分かたれた右半身の自由を感じ、飢えながら駆けていった「私」は、将校に出会った窪地で、再び「彼」を見た。

 彼は巨人となっていた。

 腐敗して膨れ上がった彼は、もはや食えなかった。

 神が、飢えた「私」がここに来る前に、彼を変えていた。

 彼は神に愛されていた。おそらくまた「私」も。



 餓死が迫り、ただ、河原で横たわっていた「私」は、人の足が一本、そこに転がっているのに気づいた。

 この足は「彼」のものではない、切ったのは「私」ではない。

 そう思っている「私」に、足が近づいてきた。

 自分が足に向かって這っている。そう気づいたとき、「私」は、また、誰かが見ている。と感じた。

 「私」は力を込めて、自分の体を繰り返し転がし、足から遠ざかろうとした。

 そのとき、「私」は、実際に自分を見ている目と、向けられていた銃口に気づいた。

 目の主は「田村じゃないか」と「私」を呼んだ。

 病院に入れずにいたときに、言葉を交わしたことのあった若い日本兵、永松だった。

 永松は、動けない「私」に水を与え、何かの干し肉を口に押し込んだ。

 「私」は、己に禁じたはずの肉を口にした自分に悲しみを覚えながら、同時に、分かたれた左右の体が、一つに戻っていくのを感じた。

 「猿」の肉だ。

 撃った奴を、干しておいた。永松は横を向いてそう言った。

 永松は、病院で親しくなった、安田という年上の兵士と、今も行動を共にしていた。

 「私」を寝起きする場所に迎えた二人は、なぜか離れて寝ていた。安田は銃を失くしており、永松は、その銃を安田にとられることを恐れていた。「私」は、自分も永松に気をつけなければいけないような気がしたが、何に気を付けなければいけないのか、よくわからなかった。

 しばらく続いた雨がようやく止んだある日、永松は、食料が尽きたからと猿を撃ちに行った。

 病気で足が不自由になったという安田とともに、残された「私」は、自分は銃を失くしたが、まだ手榴弾を持っていることを口にする。

 安田は手榴弾がまだ使い物になるか見てやる、と、言ってそれを手にした後、「私」にそれを返さなかった。返せ、と、手を伸ばすと、剣を抜かれた。「私」には、安田がそんなことをする理由がわからなかった。

 銃声が響き、安田が「やった」と叫んだ。

 「私」が、銃声の方角に走ると、弾から逃れて駆けてゆく日本兵が見えた。

 これが「猿」だった。

 「私」は、それを予期していた。

 「私」が、かつて足首を見た場所に行くと、いくつもの足首や、体の様々な部分が、捨てられていた。

 「私」は、驚かなかった。神を感じていた。ただ、自分の体が変わらなければいけなかった。

 永松が「私」を銃で狙っていた。

 永松は、「猿」を見た「私」を、お前も食べたんだ、と言った。「私」は、「知っていた」と答えた。

 永松は、「私」が、安田に手榴弾を盗られたことを知ると、安田に殺される前に、二人で安田を殺し、彼を食料にして、投降できる場所まで行こう、と、持ちかけた。

 「私」は、助かろうとは思っていないことを告げたが、永松とともに、安田のいる林へ向かった。

 永松の呼ぶ声を聴いた安田は、確かに手榴弾を投げてきた。「私」は破片で飛ばされた、自分の肩の肉を食べた。

 その後、三日間、「私」たちは安田を見つけられなかったが、水場で待ち伏せていた時、安田が姿を現した。

 永松は安田を撃ち、彼の両手足首を素早く切り落とした。

 「私」は、その光景を予期していたが、それを目の当たりにしたとき、吐いた。そして怒りを感じた。

 人が飢えた果てに食い合う生き物なら、吐き、怒ることができる自分は、天使だ。ならば、神の怒りを代行しなければいけない。

 「私」は、永松が銃を置いた場所まで走り、「私」を笑いながら追ってきた永松に銃を向けた。

 「私」の記憶はそこで途切れた。

 撃ったかどうかは思い出せない。しかし、確かに食べなかった。



 あれから6年後、「私」は東京郊外の精神病院にいた。

 戦場で記憶を失っている間、「私」は後頭部を何者かに殴られ、アメリカ軍の野戦病院に収容され、やがて日本に帰ってきた。

 フィリピンの野戦病院にいる間「私」は、与えられた、かつて生きていた食物に、頭を下げて詫びるという行為をし続けた。それは、「私」以外の力がそうさせていた。

 日本に戻った「私」は、妻と再会したが、戦場で経験したことの記憶が、彼女と自分を隔て、愛情を感じることができなくなっていた。

 「私」は孤独を求めるようになり、一度は止まった、食べ物に詫びるという行為は、やがて、あらゆる食物を食べないという事態に至った。

 こうして精神病院に収容された「私」は、医者の勧めで、自分に起きたことを振り返る手記を書いている。

 世間は、再び戦争に向けて動き出しているようにも見える。

 かつてのように、戦争を操る少数の人間たちに騙された者たちは、「私」のような目に遭うしかない。戦争を知らない人間は、半分は子供である。

 妻は、「私」を見舞うことをやめた後も、「私」を担当する医師と関係を持っている。

 その医師は、「私」の手記を、「大変よく書けている」と言って、媚びるように笑う。

 「私」の感情はそのどちらにも動かされなかった。



 「私」の中で、記憶の空白が蘇り始めた。

 あの日、「私」は、草やもみ殻を焼く、野火の煙の立ち上るのを見て、そこへ向かって行った。

 そこには、神を苦しめる人間たちがいるはずだった。

 だが、天使であるはずの「私」は、悲しみと、何かを間違えているかもしれないという不安と恐怖を感じていた。

 野火の側に、確かに人間がいた。「私」はそれを撃った。

 弾は外れ、人間は逃げて行った。

 ほかの人間たちの姿を見て、「私」は再び狙いを定めた。

 この時、「私」の後頭部を誰かが打った。



 そうして、「私」は今、東京の病院にいる。

 あの打撃で、自分は死んだと「私」は思う。

 夢と現実の狭間で、「私」は死者の世界に行き、「私」が殺したフィリピン人の女や、永松や安田が「私」に近づいてきた。

 彼らは「私」に向かって笑っていた。それは、恐ろしい笑いであったが、笑っていた。

 「私」は思い出した。彼らが笑っているのは、「私」が彼らを食べなかったからだ。

 戦争や、神や、偶然といった、「私」以外の力が作用して「私」は彼らを殺したが、「私」の意志では食べなかった。だから今こうして、共に死者の国にいられる。



 しかし、もしかしたら、野火に向かって人間を探しに行った「私」は、天使として人間を裁くつもりで、本当は彼らを食べたかったのかもしれなかった。

 もしも、「私」が傲慢によって、その罪を犯す前に、誰かが「私」を打って止めたのなら、そして、その何者かが、自分を食べてもいいと言った、あの巨人となった日本兵で、彼が「私」のために、神から遣わされた、キリストの化身であるなら。

「私」は、思う。

「神に栄えあれ」



  (完)




 以上が、「野火」のあらすじです。

「野火」の印象に残る場面や、作者、大岡昇平のこぼれ話などを、後日、また改めてご紹介させていただく予定です。

読んでくださって、ありがとうございました。


(補足)
以前、当ブログで、戦争を題材にした舞台「War Horse」と併せて、大岡昇平の『俘虜記』を一部ご紹介させていただいた記事はコチラです。
「ロンドンの舞台「War horse」A ある名場面と、その他のおすすめ作品。」
http://enmi19.seesaa.net/article/161691606.html?1503687271

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2017年08月06日

(※ネタバレあり)漫画、こうの史代作『夕凪の街 桜の国』ご紹介

『夕凪の街 桜の国』は『この世界の片隅に』で、日本中に感動を与えた、こうの史代さんの、戦争にまつまるもうひとつの傑作漫画です。

夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス) -
夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス) -

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス) -
この世界の片隅に 上 (アクションコミックス) -

 この作品は、原爆投下から10年後の広島に住む皆美を描いた「夕凪の街」と、皆美の姪、七波から見た、家族たちの人生を描いた「桜の国」の、二部構成になっています。

 今回は前半の「夕凪の街」について少しご紹介させていただきます。
(ネタバレですので、あらかじめご了承ください。)





(「夕凪の街」あらすじ)

夕凪の街1.png

 「あの日」から10年後、皆美は、原爆で父、妹、姉を失い、母と二人で暮らしていた。
 
 皆美の家は、原爆で家を失った人たちが身を寄せ合って暮らす粗末な小屋だが、10年の月日を経て、皆美もまわりの人々も、かつてのように仕事や暮らしに勤しみ、日常を取り戻したかのように見えた。



 だが、皆美には、今でもわからない。

 「あれ」は、いったい何だったのか。

 確かなことは、誰かに自分が「死ねばいい」と思われたこと。

 そして、「あの日」以来、自分がそう思われても仕方の無い人間になったと、自分で思うようになってしまったこと。

 「あの日」、惨状の中で、がれきに押しつぶされた級友や、助けを求める人たちを数えきれないほど見殺しにし、死体に心を麻痺させて生き延びた自分。

 働き、家事をすることはできても、美しい服を自分のために縫い上げること、同僚の男性、打越の優しい手をとること、幸せになることが、皆美にはできなかった。


 10年前にあったことを話させて下さい。うちはこの世におってええんじゃと教えて下さい。

 打越の好意を受け止められないでいる皆美は、打越にそう、胸の内を話した。

 自身は原爆の被害には遭わなかったが、伯母を亡くしていた打越は、皆美の心に沈む思いをすでに感じ取っていた。

 「生きとってくれてありがとうな」

 皆美とつないだ打越の手を、皆美はやっと笑顔で見つめることができた。



 皆美が心の重荷をおろした日の晩、体に力が入らなくなった。

 医者に見せても原因がわからないまま、どんどん全身がだるくなっていく。

 横になったまま、皆美は姉を思い出した。

 姉は、火に焼かれて死んだのではない。

 あの日から二か月後、倒れて寝込み、紫の染みを体に散らして、皆美に殴りかかったり、叫んだりしながら死んでいった。

 皆美が倒れてから、母は姉の話をしなくなった……。



(結末部の画面とセリフ)
 
 次第に衰弱していく皆美は、やがて視力を失い、そこから先は、真っ白なコマと、皆美の心の中の独白だけになってゆきます。


夕凪の街2.png


 自分の喉から吐き出されるものは、もう、たぶん血ではなく、内臓の破片。

 髪が抜けているのかもしれないけれど、触れて確かめる力もない。



 真っ白な空間に、ぽつりと落ちた言葉。

 「嬉しい?」

 「10年経ったけれど、原爆を落とした人はわたしを見て、『やった!また一人殺せた』とちゃんと思うてくれとる?」


 「ひどいなあ、てっきりわたしは死なずに済んだ人かと思ったのに」




 作者のこうのさんは、『この世界の片隅に』で、呉を舞台に、広島で起きたことを描きました。

 『この世界の片隅に』でも『夕凪の街 桜の国』でも、読者の視界を惨状で覆うことはせず、セリフや間接的な描写で、読者の胸の内に当事者の思いを託すという表現方法がとられています。

 そうして、「戦争という遠い昔の悲劇」ではなく、そこに生きた人々の思いを、身近なものとして、読者の心に永く息づかせている。



 この場面描写力に加え、「夕凪の街」で、強く心に残るのは、原爆の後遺症に突如襲われた、皆美の思いです。

「10年経ったけれど、原爆を落とした人はわたしを見て、『やった!また一人殺せた』とちゃんと思うてくれとる?」

 この言葉は、原爆という兵器の持つ残酷さを、今までにない角度でえぐり出しています。

 一瞬でそこにいたあらゆる人々を炎に包み、そして、生き残り、敗戦の中で新しい人生を歩もうとしていた人たちまで、後遺症で蝕まれてゆく。

 「そんなつもりはなかった」という言葉すらかけられず、自分の顔も死も知られないまま、殺されていく。

 それまでに無い、戦争、そして原爆だから起こった残酷と、それに巻き込まれた人の無念がにじみ出た言葉です。



 原爆投下の判断を下した人々は、一体、この後遺症についてどこまで理解していたのか。

 深くは知らなかったのか。

 知った上で、それでも投下するべきだと思ったのか。

 このことについて、我々はほとんど事実を知らされていません。

 しかし、皆美のように、周囲の人の死や、葛藤の中でもがきながら、ようやく生きる意味を見出したときに、なぜ死ななければならないかもわからずに、命を落としていった人がいるということを、この作品を通じて心に刻み付ける必要があると思います。



 「夕凪の街」は、抑制された語りながら、やはり重いものが残りますが、「桜の国」は、その後の人々の、苦しみの中から芽生えた愛情を描き、心に灯のともるような読後感の作品です。

 どちらも名作であり、一つの家族の物語として、併せて読むことにより、いっそう互いの深みが増す構成になっているので、是非ご覧ください。

 

 読んでくださってありがとうございました。


(補足)
 当ブログ こうの史代さん関連のその他の記事です。

(※ネタバレあり)この世界の片隅に 映画で語られなかった場面(1)ノートの切れ端とリンドウのお茶碗
(※ネタバレあり)「この世界の片隅に」映画で語られなかった場面(2) 雪に描かれた絵と、桜の花びらの舞い降りた紅



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2017年07月30日

(一部ネタバレあり)わたなべぽんさん 『もっと、やめてみた。』ご紹介 


 今日は35kgのダイエットで話題となった漫画家わたなべ ぽんさんの最新エッセイ漫画、『もっと、やめてみた。』をご紹介させていただきます。

もっと、やめてみた。 「こうあるべき」に囚われなくなる 暮らし方・考え方 (幻冬舎単行本) -
もっと、やめてみた。 「こうあるべき」に囚われなくなる 暮らし方・考え方 (幻冬舎単行本) -


 (※一部ネタバレありなのでご注意ください)


 昨年発売の『やめてみた』同様、ぽんさんがなんとなく続けてきたけれど、実は今の自分には合わなくなっていた生活習慣や、物の考え方を、やめてみた、というお話です。

やめてみた。 本当に必要なものが見えてくる暮らし方・考え方 -
やめてみた。 本当に必要なものが見えてくる暮らし方・考え方 -

 幻冬舎PlusのHPで一話試し読みができます。(コチラ

 「もっと、やめてみた」の内容は次のようなものです。(目次より引用、カッコ内筆者補)
 
 ・ビニール傘の巻
  (ついつい増えてしまう出先で買う傘のお話〈ワカル!!〉)
 ・プチプラアクセの巻
  (※500円くらいで買えるアクセサリーについて)
 ・観葉植物の巻
  (大好きだけどお世話が得意じゃなかったそうです)
 ・髪型の巻
 ・ボディソープの巻
 ・居酒屋の巻
  (深夜、多忙な時、つい飲みに行ってしまうこと)
 ・友達作りの巻
 ・イベントブルーの巻
  (イベントが近づくと、当日の自分の振る舞いに不安を感じて、気乗りしなくなってしまうというクセ)
 ・人見知りの巻
 ・センスの問題の巻
  (自分のセンスに自信が持てない……と、思うこと)
 ・いつから旅行好きに?の巻
  (大好きな旅行で感じる解放感から気づいた、日常の思い癖)
 ・生まれ直しの巻
  (3年にわたる歯科治療が終わったときに見えてきたこと)

 前作『やめてみた』もそうですが、今作も「今のぽんさんの気持ちや暮らしに合わなかったからやめてみた」ものの紹介です。(ご自身でもそう前置きされています。)

 また、大きな話題となった「スリ真似(スリム美人のメンタルや生活習慣を真似する)」ダイエット本三作や、汚部屋脱出本「ダメな自分を認めたら、部屋がキレイになりました」(コンプレックスから物を増やしてしまい、そんな自分を納得させて減らしていくまでの心理を描き切った名著)に比べると、習慣を変えることの苦労や、そのためのコツの描写は少なめです。

スリム美人の生活習慣を真似したら 1年間で30キロ痩せました (メディアファクトリーのコミックエッセイ) -
スリム美人の生活習慣を真似したら 1年間で30キロ痩せました (メディアファクトリーのコミックエッセイ) -

ダメな自分を認めたら 部屋がキレイになりました (コミックエッセイ) -
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 今回の見どころは、前回の「やめてみた」でも描かれていた
 「この習慣は、こういう理由で、自分には合わないと思った」
 「やめたら、こういう暮らしや気持ちの変化があった」
 という要素に加え

 「やめてみたから、新しく楽しいことや素敵な物をとりいれられた」
 という一面が紹介されているところです。
 (ぽんさん曰く「やめてみたら始まったこと」。)

 (例)
 肌に合わない、洗浄力の強すぎるボディーソープをやめてみた。
       ↓
 思い切って、手作り石鹸にチャレンジしてみたら、肌質に合っていたし、作るのも楽しかった。

 というわけで、丁寧に居心地よく暮らし始めた人の和やかなお話……のようにも読めるのですが、随所に、「それまで自分の苦手に気づけなかった、あるいは悪い癖をやめられなかった理由」も描かれています。

 人柄が良くて、今はお仕事も順調、優しい夫さんと、良いお友達に恵まれ、おまけにダイエットと片付けに成功して美部屋美人、な、はずのぽんさんですが、子供のころから、体重を含めた身の回りのケアや、人付き合いに多くの苦手をかかえて、コンプレックスに苦しんでいらっしゃったようです。
(クリエイターさんなのに、自分のセンスに自信を持てないでいた、とか、気配りにいそしむ裏で、周囲が抱く印象を非常におそれていたという箇所などから、それが読み取れます。)



 ぽんさんの苦しかった気持ちが一番はっきりあらわれているのが、「生まれ直しの巻」です。
※以下ネタバレになります。)


 内容は、子供のころから30代後半にいたるまで、まともに治療していなかった歯を、3年の通院で完治させたというものですが、この回では、そこまで歯を放置してしまった経緯として、

 「ぽんさんが幼いころ、お母さんが歯磨きのしつけを丁寧にできず、代わりに時々ぽんさんの虫歯を力づくで磨くので、以来、歯のことを親に隠すようになってしまった」

 という出来事が描かれています。

 前作『やめてみた』でも、整理整頓やスケジュール管理が苦手だった子供のころのぽんさんが、失敗するたびに、おかあさんに厳しく叱られるので、ますます自信を喪失してしまったというエピソードがあり、この時期、ぽんさん母子の間にわだかまりがあったことがうかがえます。

(今ならネットや本で、日常生活の苦手と付き合っていくコツをたくさん情報収集できますが〈ぽんさんの本自体がそういうものですし〉、当時は「本人がなまけてる」か、「親のしつけがなってない」でひとくくりにされてしまいがちでしたから、お互い大変だったと思います……。)

 「子供時代、家族との間にあったトラウマが今に悪影響を及ぼしている」という分析は、昨今数多く見られます。

もっと、やめてみた。1.png


 ですが、この作品はそうした分析で話を終わらせず、さらに「トラウマとの別れ」を描いており、そこが、この本一番の名場面でした。



 大人になって、とうとう歯の痛みが気絶するほど強くなってしまったぽんさんは、ようやく病院に駆け込み、症状の重さに驚いたお医者さんから、「どうしてここまでほったらかしたんですか!?」と、言われてしまいました。

 子供のころの歯にまつわるお母さんの思い出や、一人暮らしをはじめても、お金がなくて治療ができなかったことなど、つらい記憶が、歯の痛みとともに蘇ってきて、胸がいっぱいになってしまったぽんさんは、思わず、

「母が歯みがきのしつけをちゃんとしてくれなかったんです。」

 と、漏らしてしまいます。

 しかし、それを聞いた、歯医者さんは、

「なーに言ってんのそんな昔のこと。おかあさんはどうあれ、今のあなたは自分でなんでもできる立派な大人じゃないの」

 と、笑顔で、さばさばと言いました。

もっと、やめてみた。2.png

 この言葉に、

 「すっかり母のせいにして、自分でできることすらほったらかしにしていたのかも(中略)いい歳して、人前ですごく幼稚な言い訳をしてしまった」

 と、猛烈に恥ずかしくなったぽんさんは、

 「もう、誰かのせいにしてなまけたり、自分を正当化するのはやめるんだ」

と、決意して、この歯医者さんに通って完治を目指すことにします。
 
もっと、やめてみた。3.png



 ……ぽんさん本の大きな魅力は、人の言葉を素直に受け取るぽんさんのお人柄だ、と、前々から思っていましたが、この、歯医者さんの言葉に一瞬で猛烈に反省するシーンは、彼女のキャラクターの長所が最もくっきり表れています。

 「大人で、病気で体が動かないわけではないんだから、自分の口の中は自分で面倒見るべき」と、いうのは、動作の手間から言えばまったく正論なのですが、心に傷を抱えている人からすれば、そんなに簡単な話ではありません。

 「するべきなのはわかっているけれど、どうしてもそういう気持ちになれない、健康なはずの体も動かせない」

 痛む歯すらそのままにしてしまうほど、気持ちのあちこちにおもりがついている。そして、そのおもりは、昔のつらい記憶が姿を変えたもので、なかなか振り払うことができない……。

 そんな経緯があると、「前向きな正論」が素直に受け入れられないことがあると思います。

(たとえば「こっちの事情も知らないで!!」と怒ってしまう、とか。)



 でも、ぽんさんは、歯医者さんの言葉を、自分のつらい記憶は脇に置いて正面から受け止め、自分に足りなかった部分を反省している。

 なかなかできないことだと思います。

 先生の言い方がさっぱりとあたたかかったのも良かったのでしょうね。

 (良いお医者さんって、こんなふうに、変に深刻にならずに、苦しかった気持ちまで含めて軽やかにしてくれますよね。)

 怒るどころか、このお医者さんについていくことにしたというのも心温まります。

 ぽんさんもお医者さんも素敵な方だと思いました。



 余談ですが、過去本と見比べてみると、この歯医者さんとのやりとりは、部屋の掃除を終わらせ、ダイエットを開始している頃と前後している出来事と思われます。
(ダイエット本の中で「ダイエットと並行して歯を治したい」と、目標を書いていらした。)

 すでにぽんさん自身の中で、もっと前向きに暮らしていきたいという、その他の頑張りも進められていた時期だからこそ、素直に先生の言葉を受け止められたのかもしれません。



 そして、夫さんに歯の完治を報告したぽんさん。

 歯がキレイになったのは嬉しいけれど、もっと早くに気持ちを入れ替えてケアをしていれば、時間もお金も使わずに済んだのだけれど……、と、残念に思うぽんさんに、夫さんは、うーん、と考えこんでから言います。

「それはそうだけど、できなかったんだから仕方がないじゃない」

 考えを変えるのは、きっとそれくらい時間が必要だったんだよ。その分これからはうんと歯を大切にすればいいさ。

もっと、やめてみた。4.png

もっと、やめてみた。5.png

良いこと言うなぁ……。

 読んでてすごく染みました。

 ぽんさんの夫さんって、苦手の多かった過去のぽんさんを責めるわけでもなく、でも、自分が余計な重荷を背負うでもない、それでいてぽんさんの努力の成果を一緒に喜んでくれる、というキャラクターで、パートナーとしての距離感が絶妙だと思っていましたが、(全作通じて、夫さんがぽんさんを叱ったのは、ぽんさんの良い性格がネットゴシップ閲覧で損ねられたときだけ。〈『やめてみた』より〉)これは夫さんの数々の味わい深いお言葉の中でもとくに名セリフです。

 現実的だけど穏やかで優しい。

 こういう言葉を誰か(とくに自分にとって大切な人)に言ってもらえると、わだかまっていた気持ちがはやくほどけていくと思います。



 「自分が生きやすいように、楽しく丁寧に暮らす」という、読んで気持ちが軽やかになれるテーマの奥に、心の傷と向き合うという深いテーマや、人との良い出会いが描かれた素敵な一冊でした。是非お手にとってみてください。

 読んでくださってありがとうございました。

(補足)
・ 幻冬舎HPに、前作『やめてみた』の太っ腹試し読みページがあるので貼らせていただきます。併せてごらんください。

http://www.gentosha.jp/category/yametemita

・当ブログ、わたなべぽんさん作品ご紹介記事は以下のとおりです。
「やめてみた」(わたなべ ぽん作 コミックエッセイ)ご紹介
『ダメな自分を認めたら部屋がきれいになりました』(わたなべぽんさん作 お片付けコミックエッセイ)
減酒への道 (わたなべぽんさん「やめてみた」参照)
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2017年07月21日

清水三年坂美術館の村田理如館長と、ロンドンの大富豪ナセル・ハリリ氏(明治工芸の名コレクターたち)

 京都の清水寺近くに、日本が誇る明治工芸の殿堂、清水三年坂美術館があります。

 先日(2017年6月末〜7月初旬)BS7の『極上お宝サロン』で、4週にわたり、京都清水三年坂美術館が特集され、その素晴らしい収蔵品の数々が紹介されました。

・番組内、清水三年坂美術館と村田館長についての記事はコチラです。


 清水三年坂美術館は、村田製作所の役員だった村田理如(まさゆき)氏が、明治工芸の美に魅せられ、1980年代後半から、20数年かけて収集したものです。(※)

 村田理如館長の、美術館設立にまつわるお話がよめるページはコチラです。
 http://www.sannenzaka-museum.co.jp/abut.html

(村田理如館長の著作の一部)
清水三年坂美術館 村田理如コレクション 明治工芸入門 -
清水三年坂美術館 村田理如コレクション 明治工芸入門 -

幕末・明治の工芸―世界を魅了した日本の技と美 -
幕末・明治の工芸―世界を魅了した日本の技と美 -

 もともと主に海外への輸出品として作られ、世界中に散逸していた明治工芸の作品群を買い集めて、里帰りさせてくださった、村田さん。


 この方無くしては、現在「超絶技巧」と讃えられ、もはや再現不可能とすら言われる圧巻の美が、国内で再評価されることは無かったかもしれません。

(※)この「村田コレクション」は、京都のほか、他美術館にも貸し出しされ、現在、北海道函館美術館で8月20日まで、東京では三井記念美術館で、今年9月16日〜12月3日にかけて観ることができるそうです。



 そんな日本明治工芸界の大功労者の村田館長ですが、村田館長よりも初期に、恐るべき質量の明治工芸を収集した、もう一人の名コレクターがいらっしゃいます。

David_portrait.jpg


 ナセル・D・ハリリ氏。(Nasser Khalili)
(画像出典:Wikipedia 提供者:Malkalior )



 ロンドン在住のイラン系大富豪であるこの人物は、巨万の富と審美眼を武器に、明治工芸の一大コレクションを築き上げました。


 かつてNHKのドキュメンタリー番組の中で、「(ハリリ氏より収集が)10年遅かった……」と、村田さんの温厚なお顔を実に悔しそうに曇らせ、唇を噛ませた人物です。


 ナセル・D・ハリリ氏は彼がまだ20代だった1970年代から、イスラム系の美術品や細密画(細やかに装飾された文字や挿絵の入った絵画や文書)を収集し始め、やがて、同じく高い技術と細やかな装飾性を持つ明治美術に目を向けます。


 当時、明治工芸は、海外への土産物として量産された粗悪品が多い、というイメージで、江戸美術よりはるかに劣るものとされていました。

(実際、細かいけどゴテゴテしているだけでオーラが無い作品がある。)


 しかし、こと明治初期には、ウィーン万国博覧会(1873年)をはじめとして、ヨーロッパの富裕層を瞠目させた、数多くの名作があり、ハリリ氏は己の美意識を信じて次々とそれらを収集しました。



 NHKのドキュメンタリー番組に出演されたときのお話によると、美術品売買を営む家に生まれ、子供のときから既に「ほしいものを手に入れるためなら昼食代を犠牲にした(確か切手収集)」そうで、物心つくなり己の美意識と執念を磨きぬいた、「天才コレクター」とも形容すべき人物です。

(日本では忘れ去られていた作品を一気に収集し、価値の再発見への道をつないだという点では、今や大スターとなった伊藤若冲のコレクター、ジョー・プライス氏を彷彿とさせます。日本美術界の恩人と呼ぶべき方だと思います。<村田さん的には火花バチバチのライバルでしょうけれど。>)



 このハリリ氏は、過去NHKの番組に何度か出演し、その圧巻の逸品を垣間見させてくださっています。


 「七宝、幻の赤を追え」で、ハリリ氏のオフィスに飾ってあった実に見事な安藤重兵衛の赤七宝の壺を手に取り、チュッとキスしていたのがすごく印象的でした。


 あと、いかにも「抜け目ない知的なビジネスマンにして紳士」という感じなのに、優れた作品を前にすると、ニタアッと笑っていたのが面白かった。


 先述の村田さんのホントに悔しそうな顔と並び、名士たちなのに「マニアの熱」がある。

 この方たちの審美眼と執念、そしてわかりやすい表情と物に対する熱愛は、人気漫画「へうげもの」で、名物(美術品)を我が手にと奔走した武人、茶人たちを思い出させます。

へうげもの(1) (モーニングコミックス) -
へうげもの(1) (モーニングコミックス) -

 ハリリ氏のコレクションは、残念ながらまだ来日したことが無いようです(本当に残念……)が、彼の作品は、書籍『ハリリ・コレクション』ほか、公式HP(英文)でも高画質で観ることができます。

ナセル・D・ハリリコレクション―海を渡った日本の美術 (第1巻) -
http://www.khalilicollections.org/all-collections/japanese-art-of-the-meiji-period/

(※下部「LOAD MORE」をクリックすると次の作品群が表示され、画像をクリックすると拡大写真と説明が表示されます。)

(明治工芸がネットで観られるページとして、今まで、清水三年坂美術館、ヴィクトリア&アルバート美術館、ウィキペディア<主にロサンゼルスの美術館lacmaの所蔵品>を見つけましたが、画質の良さと掲載品数はこちらのページが一番だと思います。<一方、清水三年坂は工程動画があるので勉強になります。>)

 過去NHKの番組で紹介された作品の一つはおそらくコチラです。
象の香炉)


 個人的に素敵だと思った作品はコチラです。

対の七宝花瓶(赤坂迎賓館の壁面装飾を担当した明治七宝の名手、濤川惣助作)

 ・飾り棚(一部、濤川惣助作と考えられる品)


 ハリリ氏は明治工芸、イスラム美術ほか、日本の着物やスペインの工芸品など、8部門のコレクションをしており(計約3万点〈ぴんとこない……〉)それらも一部HP上で公開されていますが、いずれも逸品そろい。本当に卓越したセンスです。

 是非ご覧になってみてください。

 公式HP内、8部門のコレクション目次ページはこちらです。
 http://www.nasserdkhalili.com/the-eight-collections/

 読んでくださってありがとうございました。


posted by Palum. at 06:17| 美術・展覧会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月20日

イギリスの名庭園、ダルメインへの交通アクセス(ロンドン発の場合)

 今回は、イギリス湖水地方の名庭園、ダルメインへのロンドンからの行き方についてご紹介させていただきます。
(※2017年5月時点、筆者が知る限りの情報です。イギリスの電車情報はめまぐるしく変わるので、必ずご自身で公式情報をご確認ください。)

庭から見たダルメインの邸宅.jpg

 当ブログ、ダルメインについての記事は、コチラコチラをご参照ください。

ダルメイン公式HPのアクセス情報はこちらです。(道路情報とペンリス駅、アルス湖〈Ullswater〉との位置関係が見られます。)
 https://www.dalemain.com/how-to-find-us/

 Rome2rioという交通アクセス情報ページで検索したルートは以下のとおりです。
 https://www.rome2rio.com/s/London/Dalemain

なお、NHKのスタッフの方は「車で約6時間」と書かれています

 初心者なので、「ロンドンユーストン駅より電車で約3〜4時間でペンリス駅に行き、そこからタクシーで約20分」というルートを選びました。

 ところで、さきほどのrome2rioでは「Penrith駅から6分ほどバスに乗り、Station Town End Farmから30分ほど歩く」という案が出ていましたが、

 1,バスは1日四回のみ
 2,郊外の道は歩道が無いことも多く、どの車も歩行者などこの世に存在しないかのようにスピード出している

 ……という難点があるので、慣れていないと危険かもしれません。


今回は「電車+タクシー」ルートを一例としてご説明させていただきます。



(チケット購入方法)

ロンドンユーストン駅→ペンリス駅は、グラスゴーセントラル方面の電車に乗り、直通、または一回乗り換えです。
(乗り換えの有無、途中停車駅の数などで乗車時間がだいぶ変わります。)

当日、駅で切符を買うこともできますが、イギリスは「出発時間(通勤時間帯かそうでないか)」や「時間が決まっている切符か当日何時でも乗れる切符か」、「予約時期」、「往復か片道か」など様々な条件で、切符の価格が大きく変動します。
(到着が一時間遅いのに値段が数千円高いとかありえます。)

スケジュールが確定した時点で、すぐにネット予約をすると割引価格になるかもしれません。

(スゴイ例だと、3倍以上になることもあるのですが、2カ月先の安い時間帯を予約した場合、往復大人料金で70〜100ポンド程度のようです。※約3ヶ月前からネット予約できるようです。)

チケットはVirgin train〈ロンドンユーストン↔ペンリス間の列車を運行している企業〉、または、Nationalrail〈英国鉄道〉HPから予約できます。


 筆者が使ったチケットのおおまかな入手手順は以下のとおりです。

1,英国鉄道HP「nationalrail.co.uk」にアクセス
(またはVirgin train社HPに直接アクセス)

2,出発駅、到着駅、行き先、日時、人数、普通車、一等車などを選択(往復の場合は「return」にチェックを入れてこちらも日時入力)

3,候補の経路を選ぶ
※「change(chg)0」と書いてあれば乗り換え不要。「change 1」とあれば一回乗り換えです。
(ロンドン↔ペンリス間で乗り換えがある場合、「Preston」という駅での乗り換えが多いようです。)

※ここで他の時間帯の乗車時間と価格を比較してみることをお勧めします。「Earlier train(より早い時間の列車)」「Later train(より遅い時間帯列車)」をそれぞれクリックすると情報が出てきます。

4,この路線はVirgin train社担当だったので、Virgin train HPで氏名、チケット情報を受信するメールアドレスなどの情報登録
※クレジットカード情報保存の有無、メールマガジン送付希望の有無などにお気を付けください。

5,席の希望を入力
(進行方向向きの席か、通路側か窓側か、電源つきか、テーブル席かなどを選べます。 )

6,チケット取得方法のうち「Eチケットをメールで受け取り、プリントアウトして持参」する方法を選択してカードで購入

※駅で受け取るとか、端末に保存するとか、ほかにも方法があったようなのですが、当日一番アタフタしない方法にしました。

7,「登録のお知らせ(welcome to virgin train)」「予約確認(your booking confirmation)」というメールの後に「Your e-ticket to Penrith」という添付ファイルつきメールが届いたので、ダウンロードして印刷
(往復で予約した場合 、「行き」「帰り」×人数分のファイルが届くので全て印刷する)

 このとおり、チケットを選ぶのも買うのもかなりメンドクサイです。

(イギリスの鉄道事情のややこしさは、問題になっており、労働党は「鉄道を再度国有化し、システムを簡略化する」というマニフェストを掲げているそうです。)

 でも、タクシーを使うしかなかったので、ここで執念を燃やして少しでも安いチケットをとってタクシー代に回しました……。



(ロンドン・ユーストン駅での乗車)

イギリスの電車は到着ホームが出発30分前くらいに表示されることが多いです。
(事前にうかがっても「待ってれば出てくるから」みたいな返事しかもらえなかったです。)

駅中央に電光掲示板があるので、表示を待ちます。
 (さらに、電光掲示板左奥には、待合室があり、ここのテレビでも表示を見られます。)
ロンドンユーストン駅.png


駅構内にVirgin trainの専用カウンターがあり、案内係のスタッフさんも待機していらしたので、そのほかのわからないことは、ここでうかがうと良いと思います。
(ファーストクラスだとVirgin専用のラウンジがあるそうなので、ここで場所を確認されては。)

チケットを準備したあと、表示が出たら、ホームに行きます。

ユーストン駅2.jpg

 ホーム前にいる駅員さんに、チケットを提示してください。
(ボールペンでくるりんと印をつけられました。)

 乗車後も、何度か車内検札があるので、チケットはすぐに出るところにしまっておいてください。

 (補足)Virigin Trainの列車、乗り心地はとてもよかったのですが、荷物置きが小さめでした。急いで場所を確保し、後のお客さんとの兼ね合いを考えて荷物を積むことをお勧めします。



(ペンリス駅)

ペンリス駅.jpg

 ロンドンより4度ほど寒いです。(交通情報じゃない。)

 5月なのに、曇りだったせいもあって、着いて早々「寒い!!」と叫びました。

 5月で12度ほどだったでしょうか。でも風が冷たかった。空気がきれいなのも影響しているかもしれません。

 なので、涼しい時期には一枚羽織れるように準備しておいたほうがいいと思います。

 駅を出てすぐの場所がタクシーの発着地点となっています。

(ただ何台も待機している感じではなく、少し待ちました。それでも比較的すぐに車が来てくれたのですが、運が良かったかもしれません。)

 ペンリス駅から、ダルメインに直行した場合、料金は片道で約12〜13ポンドです。
(タクシー料金の概算を検索できるサイトがあったのでご確認ください。https://yourtaximeter.com/

 なお、帰りもバスなどはないので、帰る時間をお伝えして、戻ってきてもらうように事前に交渉したほうがいいかもしれません。

(我々がお願いした運転手さんは、幸い、待機時間の料金は取らずにいてくださったので、往復の距離運賃だけでした。)

 ダルメインの滞在時間は少なく見積もっても3〜4時間は必要だと思います。
 
(邸内見学ツアーと庭の散策でそれぞれ1時間強、ティールームでお茶40分くらい。〈ティールームは込み合うこともあり、また周辺の道や村もきれいなので、そこも歩きたければもっと時間が必要〉)

  ダルメインのある、アルスウォーター(Ullswater)周辺は、「イギリスで最も美しい」と称えられたアルス湖があり、蒸気船で湖を遊覧できるほか、周辺の谷川の散策も楽しめ、山と湖を背負う野原のあちこちに羊たちがくつろいでいるという、大変風光明媚なところです。

アルス湖 - コピー.jpg


(イギリス人の英語の先生から、湖水地方に行くならあそこだと勧められた。〈そしてダルメインに近いので即決した。〉あと、住んでいる方たちが総じて穏やかで、ご飯がおいしくて、なぜか犬をよく見かけるところも個人的にはポイント高かったです。)

 お時間の許す方は、是非宿泊をして、ダルメイン以外のところにも足を延ばしてみてください。
(いずれ、ダルメイン以外のアルス湖周辺の様子もご紹介させていただきます。)


 以上、ダルメイン交通情報でした。

 読んでくださってありがとうございます。


(補足)
(当ブログダルメイン関係記事)
ダルメイン訪問記1 (NHK BSプレミアム「魔法の庭・ダルメイン〜イギリス湖水地方の田園ライフ・秋冬そして春」によせて。)
「魔法の庭 ダルメイン」(NHK BSプレミアム)続編と再放送のお知らせ

(NHKダルメイン紹介番組記事)
 ・http://www4.nhk.or.jp/P4110/x/2017-05-31/10/22670/2393129/
 (魔法の庭 ダルメイン〜秋冬 そして 春〜)※続編番組情報
 ・http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/92393/2393099/
 (もっとNHKドキュメンタリー「魔法の庭 ダルメイン」)※初回番組情報

(The Dalemain Estateのホームページ)
 ・http://www.dalemain.com/index.php
 ・https://www.dalemain.com/japanese
 ・https://www.dalemain.com/日本語/
 (同HP日本語紹介ページ〈二種類〉)
 ・https://www.dalemain.com/house-and-garden/whats-in-flower/
(同HPガーデン情報ホームページ)

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2017年07月19日

おそうじ漫画『ネコちゃんのスパルタおそうじ塾』

 可愛いおそうじ漫画があったのでご紹介させていただきます。

『ネコちゃんのスパルタおそうじ塾』。

ネコちゃんのスパルタおそうじ塾 -
ネコちゃんのスパルタおそうじ塾 -

 現在もブログやウェブ連載で大人気の飼い猫エッセイ漫画、「うちの猫がまた変なことしている」の作者卵山玉子さんが作画をご担当した、「汚部屋(※)ではないけどどうも散らかっている……。」レベルの人向けのお掃除指南漫画です。

うちの猫がまた変なことしてる。 (コミックエッセイ) -
うちの猫がまた変なことしてる。 (コミックエッセイ) -

(※汚部屋……ゴミが散乱し、足の踏み場も無いほど散らかった部屋のこと。こちらの脱出本としては、「片付けられない女の、今度こそ片付ける技術!」(池田暁子さん著)や、「まさか汚部屋を脱出できるとは」(ブロガー、ややこさん著)などがあります。)

片づけられない女のためのこんどこそ!片づける技術 -
片づけられない女のためのこんどこそ!片づける技術 -

まさか、汚部屋を卒業できるとは。 -
まさか、汚部屋を卒業できるとは。 -

 アドバイザーとコラムご担当は、伊藤勇司先生。

 コミック『部屋は心を映す鏡でした』でもアドバイザーをなさっており、部屋が散らかる原因とその解決策を、住人の心理分析とともに説明されています。

部屋は自分の心を映す鏡でした。 -
部屋は自分の心を映す鏡でした。 -


(あらすじ)

 トモエさんは、優しい夫のケンスケさんと、飼い猫の「ネコちゃん」と暮らす、お掃除がちょっと苦手な女性。

 床や収納がどうもスッキリしないことは気になっているけれど、どうすればいいのかよくわからない……。

 そんなふうに思っていたとき、膝の上のネコちゃんが一言。

 「まずは視界に入る物品数を減らしてみてはどうかな(人語)」。

 トモエさんを見かねて、Eテレで人語を学んだ(←笑)ネコちゃんによる、「インテリア雑誌に出るほどじゃないけれど片付いた部屋」を目指す、熱血スパルタ猫の手貸し指導がはじまります。



 (見どころ)

 とにかくネコちゃんがカワイイ……。

 卵山さん特有の、もっちりふっくら丸っこい線で描かれたつぶらな瞳のネコちゃん。

 癒やし系な外見に似合わず、指導者としては某昭和のラグビー部先生級に厳しく、怠惰なトモエさんの性根を、時に鉄拳制裁でたたき直します。

 もぺーん!(ビンタ音)

ネコちゃんのスパルタおそうじ塾1.png

 「痛いかッ!ネコちゃんのココロはもっといたいぞ!」

 「いや……肉球がプニプニだった……。」

ネコちゃんのスパルタおそうじ塾4.png

 ……羨ましさしかない……。
 (あとスパルタなのに自分を「ネコちゃん」って呼ぶところがもう……)

 別バージョンではトモエさんがネコちゃんヒップアタックを食らってましたが、こちらも、「いや……お尻がモフモフだった……」とのことでした。

ネコちゃんのスパルタおそうじ塾3.png

 本屋でこの本に出会ったとき、特に掃除に悩んでいたわけではなかったのですが、この「もぺーん!」に勝てずに気づいたら購入していました……。
 
 よく子供向け学習漫画にドラえもんやコナン君が登場して、勉強に対する心理的ハードルを下げていますが、この本も、大人の掃除めんどくさい心をネコちゃんの可愛さで強制的に和らげる嬉し卑怯な構成になっています。


 ……というか、掃除終わっても、ウヒョヒョムヒョヒョと読んじゃう……。

 この素敵なキャラクターデザインは、浴室の赤カビ「ロドトルラ」にまで及んでいます(RPGのモンスターみたいな名前だからとトモエさんがイメージした姿)。

ネコちゃんのスパルタおそうじ塾7.png

 ピンクのフンワリしたフォルムに角が生えた姿で、ネコちゃん同様のぷっくりと可愛い目鼻立ち、むしろ栽培して、末永く一緒に住もうと言いたくなる。

 あとがきの、ネコちゃんとご夫婦が挨拶しているコマにもさりげなくロドトルラが紛れ込んでいたので、卵山さん的にもお気に入りのキャラと思われます。

ネコちゃんのスパルタおそうじ塾8.png



(掃除のポイント)

 「リビング」「キッチン」「浴室」など、エリア別にお掃除が進んでいきますが、どこも次のような流れで片付けられていきます。

「いらないものを手放す」
「物を収納場所に収める」
「乱雑に配置された物を整える」
「ホコリ・汚れを落とす」

 「いらないものを手放す」については、「断捨離」「ミニマリスト」など、徹底した不要品の処分を目指す本も数多く出ていますが、この本は、そこまで厳密ではありません。
(伊藤先生は、「捨てない片付け」も提案されている方なので。)

片づけは「捨てない」ほうがうまくいく -
片づけは「捨てない」ほうがうまくいく -


 この本の中で「ものを手放す」のは、あくまで普段使う物の「帰る場所(収納スペース)」を確保するためです。

 ただし、収納や掃除を阻害する量の物については情け容赦ありません。
(ネコちゃんのバイオレンスは主にトモエさんが不要品をとっておこうとしたときに発動。)

 なお、トモエさんがとっておこうとする品は、「逆にアート」「みうらじゅん氏にさしあげたら、大事にしていただけるのでは」と思わされる、斬新なセンスに満ちあふれています。

 (例)ネコちゃんが「これけっこう好きだよ」と救い出したマッチョベア。
ネコちゃんのスパルタおそうじ塾5.png

 いらないような魅惑的なような品々(特におっさんヒヨコが気になる)。

ネコちゃんのスパルタおそうじ塾6.png


 不用品を選り分けた後には、しまう場所や、今後お掃除しやすい仕組み作り(コード配線をまとめる、小物は箱に入れておく、など)をします。

 そして、仕上げに汚れ落とし。
(この作業描写が「ドアノブや取っ手も拭く」など細部に及んでいて実用的)

 「一応汚部屋ではない」というレベルを想定しているので、掃除用洗剤は、重曹とクエン酸といった、毎日使っても肌にも環境にも優しいものを主に使用しています。

 個人的に目からウロコだったのは、「お風呂の天井は(持ち手を短くした)フロアワイパーで拭く」でした。

 今までしたたる水滴と戦いながらブラシとペーパーでやってた(ゴーグルつけたりしてた)から、その手があったかと……。

 その他「ベッドマットの掃除機のかけ方」や、「ベランダ掃除法(しめらせてちぎった新聞紙をまいて掃き、細かい砂埃を吸着するのだそう)」など、家のあちこちのお掃除方法が紹介されています。

 ネコちゃんに萌えながら、一通り片付けたい、という方にピッタリの名作。とてもオススメです。

(先述の、ネコちゃんのむしろ羨ましい肉球制裁とか、トモエさんの私物のセンスとか、ロドトルラとか、全体的に淡くて優しい色使いとか、漫画として読んでて幸せになる作品。)


 ネコちゃんには逆らえねえ的勢いで作業が進められた後には、伊藤先生の心理カウンセリング的分析コラムをご覧ください。

 伊藤先生のあとがきには、「片付けの本質は部屋を改善していくことではなく。「部屋が片付かなくなる状況を招いた“自分”を改善すること」」と、書かれていました。

 よくお掃除をすると運気が上がると言いますが、つまりこうして冷静に自己分析をして、より謙虚で積極的に動ける自分になることで、良い流れを自らつかみ取っていけるようになるのだと思います。



 このほかにも、結構な数のお掃除本を読破してきたので(おかげでまあ、一応、清潔度普通)、以後もお世話になってきたお勧め本を今後もご紹介させていただきたいと思います。

 よろしければお立ち寄りください。

 読んでくださってありがとうございました。

posted by Palum. at 08:46| おすすめ漫画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月31日

ダルメイン訪問記1 (NHK BSプレミアム「魔法の庭・ダルメイン〜イギリス湖水地方の田園ライフ・秋冬そして春」によせて。)

今日(2017年5月31日)、21時〜22時半、BSプレミアムで「魔法の庭・ダルメイン〜イギリス湖水地方の田園ライフ・秋冬そして春」が放送されました。

番組URL http://www4.nhk.or.jp/P4110/x/2017-05-31/10/22670/2393129/
ダルメイン公式URL http://www.dalemain.com/index.php

(この他の番組、ダルメインの公式HPのURLを引用させていただいた前回記事はコチラです。アクセス情報はコチラです。)
2016年に放送された番組の続編なのですが、本日は、私がこの番組に感動して、今年、ダルメインにお邪魔した際の出来事を書かせていただきます。


その日はあいにくの小雨だったのですが、番組でも紹介されていたマーマレードが食べたくて、ティールームに行きました。

 ティールームは石を積み重ねた壁に、鉄製の重厚な照明、木彫りの家具も時代を感じさせ、中世の居間のような雰囲気。

 磨き抜かれたレジ台には、カバー付きのお皿にのったいかにも手作り風のお菓子の数々、棚にはマーマレードが一杯。

 肌寒かったので、暖炉に火がともり、薪の燃えるシュワシュワという音と外のいぶされた匂いが良い風情。

家族と、憧れの!マーマレードスコーン、ナッツごろごろクリームチーズのせキャロットケーキ、卵サンドをシェアしました。

全部すごく美味しかったです。特に苦みと酸味がほどよく効いたマーマレードの奥深い甘さと、にんじんケーキのしっとりと香ばしさのハーモニーは忘れられません。


あいにくのお天気なのに、この味と雰囲気を求めてなのか、お客さんが次々と入ってきて、売り場前はかなりの混み具合。

食べ終わったので、人をすりぬけるようにしてドアに向かうと、黒ジャンパーにジーンズ姿の女性がドアを開けてくださいました。

ここの職員さんは皆さん丁寧で親切な方ばかりだなあと思いながら、サンキューと、顔をあげると、笑顔でハローと挨拶してくださった女性。

聡明さのにじみでた、淡く透き通った大きな瞳と丸い額、柔らかいグレイブラウンの、ふんわりと結い上げて、後れ毛をたゆたわせた、独特のまとめ髪。

…………(←目の前の情報と、テレビの記憶が一致するまでの空白。)

ダルメインのご当主夫人で、庭造りをなさっているジェーン・ヘイゼル・マコッシュさんご本人(が、ドアを開けてくださっている)!!

  あ…あ…!(←声にならないアタフタ)

「こ、こんにちは!お、お会いできて光栄です」

「ようこそ(Nice to meet you.)」
ジェーンさんから手を差し出され、私たちに握手をしてくださいました。

 以下、もともと怪しい語学力なのと、舞い上がりすぎで、聞き間違えもあるかもしれませんが、ジェーンさんのお言葉(の、おおよその意味〈汗〉)を書きこませていただきます。

(いやあ、「はあ、なんて素敵なお庭と暮らしぶり、センスもお人柄も素敵なお人だ……」とぽわ〜んとテレビで観ていた方が、急に目の前にいらしたら、ホント、テンパってしまいました。)

「お天気があいにくで残念です。5月31日にNHKの続編でこの庭のクリスマスの模様が放送されるのでよろしければご覧くださいね。」

(この番組ですね、たぶんここで私が〈頭の中花火になりながら〉「前回の番組を観て、伺いました。たくさんの日本の方たちが、『このお庭に感動した』、とNHKのホームページに感想を寄せています」と〈ものすごいカタコトで〉お伝えしました。)

「NHKの方たちは本当に丁寧に取材をしてくださって。しかもなぜかいつも晴れだったので良かったです。」
 (ジャンパーにジーンズ、長靴という、完全作業仕様のお姿でも、微笑から漂う気品。)

  ここで、「お急ぎではないですか?日本語のパンフレットができたので、よろしければ差し上げます」と、急いで奥に取りに行ってくださるジェーンさん。

 うわわ……となっているうちに、ジェーンさんが戻ってきて、パンフレットを手渡してくださいました。

「もしお時間があるようでしたら、ここの裏から、デイカー村というところに行く道を歩くのもお勧めです。ヘイゼル家ゆかりの教会とステンドグラスが観られます」

 そう言いながら、ジェーンさんは、小雨の降る中、外に出て、デイカー村への方角を指し示してくださり、さらに、大きな中庭の向こうにある、敷地内最古の建物「Barn House」を指さし、

「あそこには、テレビにも出ていたツバメの巣があります。ジミー(敷地内にお住まいの職員さん、手からツバメにエサをあげるという絵本の中の人のようなことをなさる)を見かけたら遠慮なく声をかけてくださいね。」
と、教えてくださいました。

「ありがとうございます!あ、私はハリネズミの場面も大好きです(的なカタコト)」

 (前編で、夫でご当主のロバートさんが、ハリネズミを見つけて、葉につく害虫を食べてもらうべく、だっこして別の場所へ連れて行かれるという場面があった。上品な紳士に丁寧に両手で抱えられ、なんとなくおねむねむそうなはりねずみが完全無抵抗で運ばれてゆく〈その前をスラリとした白黒ぶちワンコが嬉しそうに一緒に歩いて行く〉という、これまた現実の光景なのかというほどの、ほのぼの映像でした。)

「あれはミラクルでした。しばらくハリネズミを見かけなかったのだけれど、取材中に出てきてくれたので。夫はテレビに映って、少し照れくさかったみたいですが(笑)」

そう語るジェーンさんの声には、黄昏時の小鳥のさえずりのような、独特のほろほろとした優美さと落ち着いた余韻があり、この声と、控えめながら熱意と気品のある話し方が、楽しく美しい話の内容をいっそう引き立てていました。

この感動をうまくお伝えできないのがもどかしかったのですが、とにかく一生懸命お礼を申し上げて、見送ってくださるジェーンさんにお別れしました。
いただいたパンフレットは記念に大切に持っています(前回記事で一部抜粋引用をさせていただきました)。

ダルメインの庭は、自然の力を活かすことにより、あの沸き上がるような、とりどりの美が生まれ育っている。

その生き生きとして伸びやかな姿に心打たれて、あの場所を訪ねましたが、そこには、その自然を愛し、日々本当に丁寧に、手間暇をかけてこの場所を守る方たちがいる。
(みなさんそれぞれの持ち場でせっせと動き、目が合えば笑顔、話しかけると色々教えてくださる。)

ジェーンさんとお話する前から、そのことを感じていましたが、その方々のリーダーであるジェーンさんら、ヘイゼル家の方たちも、実際に作業に携わり、こまやかに目配りをして、訪れた人々にも暖かく接してくださいました。

(想像なのですが、ティールームが混雑していたので、様子を見にいらしたのではないかと思います。)

本当に尊敬を集めて、上に立つ人の凄さを目の当たりにしたと思います。

庭と邸宅とともに、こうした人々の誠実な熱意が、訪れる人を感動させる。それがダルメインという場所でした。

  もしも、テレビをご覧になって「行こうかな」と思われたのなら(交通アクセスがちょっと大変ですが)、行く価値は間違いなくあります。
(あの地域自体がまた素晴らしいのです。)

当ブログでも引き続き、情報を紹介させていただきますので、よろしければご覧ください。

読んでくださってありがとうございました。
posted by Palum. at 22:11| 日本の海外テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月28日

「魔法の庭ダルメイン」関連記事加筆修正のお知らせ。

以前書かせて頂いたBSプレミアムのイギリス湖水地方の名庭園を紹介したドキュメンタリー、「魔法の庭ダルメイン」についての記事を大幅に加筆修正いたしました。コチラです

5月30日 再放送、31日に続編放送があるそうなのでどうぞお見逃しなく。
(番組情 URL)
http://www4.nhk.or.jp/P4110/x/2017-05-31/10/22670/2393129/
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/92393/2393099/

当ブログでも、実際にお邪魔したダルメインの魅力をお伝えする記事をしばらく書かせていただく予定です。よろしければ併せてお読みください。
posted by Palum. at 04:32| 日本の海外テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月17日

漫画「へうげもの」ご紹介(展覧会「茶の湯」と「茶碗の中の宇宙」によせて)

2017年4月11日から、上野の国立博物館で「特別展 茶の湯展」が開かれています。
(公式HP http://chanoyu2017.jp/


(動画)【日本ニュース】あすから「茶の湯」の名品集め特別展 上野・国立博物館(2017/04/10)


https://www.youtube.com/watch?v=JC7UFcSVyZs

 既に3月から、竹橋の東京国立近代美術館で、千利休が愛した楽焼の名椀が見られる展覧会「茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術」が開かれており、茶道具の名品が都内に集結する貴重な機会となっています。
(公式HP http://raku2016-17.jp/

 これにちなみ、今回は、二つの展覧会の茶道具が登場する人気漫画「へうげもの」についてご紹介させていただきます。

へうげもの(1) (モーニングコミックス) -
へうげもの(1) (モーニングコミックス) -

 「へうげもの(ひょうげもの)」とは「ひょうげ(剽げ)」た者のことで、「おどけた者、ひょうきんな者」というような意味で、この作品では、戦国から江戸時代の幕開けを生きた主人公、古田織部(ふるたおりべ)のことです。


(古田織部)
『へうげもの』古田織部.png


 茶道具を熱愛し、自身もすぐれた作品を作り上げようと、悪戦苦闘する古田織部と、彼の師であり、越え難い壁ともなった、天才茶人、千利休。そして信長、秀吉、家康ら、名だたる戦国武将たちを描き、重厚な人間ドラマと奇抜な笑いの入り混じる異色の歴史漫画です。

 『へうげもの』公式ビデオクリップ 〜MEGYUWAZO〜


 https://www.youtube.com/watch?v=E38EzmTB4Sc

 『へうげもの』公式ビデオクリップ 〜ISETOYAN〜


 https://www.youtube.com/watch?v=d28ZWTqZeR4

 【概要】
  戦国時代、武人たちにとって、優れた茶道具は、ときに城一つにも匹敵する価値を持ち、「大名物(おおめいぶつ)」と呼ばれる稀有な来歴を持つ美しい茶道具は、それを手にする者の絶大な富と権力の象徴となっていた。
 
 織田信長に仕えていた古田織部(左介)は、数奇の道(美や趣)に心を奪われながらも、武人として武功でのしあがるか、新しい美を世に送り出す数奇者となるかを模索していたが、大茶人、千利休に出会い、次第に茶人として頭角を表し、茶器や庭建物まで、独自の美を切り開いていく。

 一方、数奇を求める武人たちの間で崇敬を集める千利休は、己の美である「わび」を極めようとしていた。

(千利休)
『へうげもの』千利休.png


 黒を最上のものとし、簡素静寂を求める「わび」の世界。

 それは、自身もその美意識も圧倒的絢爛豪華である織田信長と完全に対立していた。

(織田信長)
『へうげもの』織田信長.png


 「数奇」と「武力」、茶人と武人、それぞれの理想と欲望は、戦乱の世で、ときに面白く、ときに残酷に、ぶつかり合うことになる。


【見所】

  茶道具や、「わび」「数奇」といった、敷居の高そうな世界を、主人公、古田織部をはじめとする、非常に個性豊かな登場人物たちの人間ドラマに絡め、わかりやすく、しかも、かつてないインパクトで描いている作品です。

 古田織部は、「織部焼」と呼ばれる、現代まで愛される、独自の歪みと味を持つ焼き物を作り出した人物です。

 傑出した才人であり、作中でも利休の後継者として、周囲の尊敬を集めることとなるのですが、愛妻家で、常に茶器の収集や製作の資金繰りに四苦八苦するという、平凡な一面も描かれています。

 しかし、「へうげもの」の古田織部最大の特徴は、優れた茶道具を見ると、コマ一杯に変顔をして、ときに股間まで反応させるというところです。

(お茶碗見てこの表情……)
『へうげもの』古田織部2.png

 実写版なら若き日のカトちゃんが良いのではという顔で、茶道具の名や賛辞を叫ぶのが作品の定番。

(織部ほど頻繁ではないものの、他の登場人物も表情が濃ゆく、普段重々しい分、利休の驚愕顔が最もパンチが効いている。)

 今回の二つの展覧会は、「へうげもの」ファンなら、「あの場面のあれもこれも来ている!」というくらいの豪華ラインナップなのですが、作品上特に重要な役割を果たした茶道具としては、「肩衝茶入 初花(かたつきちゃいれ はつはな)」と「黒楽(くろらく)茶碗の数々」が必見です

 〇「肩衝茶入 初花」

 「初花」は、一見地味な色調の小さな蓋付の壺(茶入)ですが、作中では、「大名物」と言われる神品で、特別展「茶の湯」の目玉作品の一つです。


 特別展「茶の湯」作品リスト

http://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=4959#1


『へうげもの』三肩衝.png


 「初花」「新田」「楢柴」の三肩衝を掌握した者こそが、天下人となる。


 天皇家の皇位継承に必要な「三種の神器」のような威力を持つ品として位置付けられているのです。


 作中では、この三肩衝の行方が、持ち主の運命とともに目まぐるしく動いて行きます。



 〇「黒楽茶碗」


『へうげもの』利休と黒茶碗.png


 それまで、中国、朝鮮の陶工たちの作品を最上のものとしてきた茶碗の世界で、千利休が新しい、頂点の美として世に放ったのが、黒の茶碗でした。


 楽家の名工、長次郎と協力して作り上げた、夜を練り上げたような茶碗。


 黒一色で、飾り気の無い作品ですが、実は微妙な色合いや形が異なり、織部ら武人だけでなく、数奇を好むあらゆる人々の羨望の的となりました。


 東京国立近代美術館の「茶碗の中の宇宙」展で、初代楽長次郎の黒茶碗の数々を観ることができます。
「茶碗の中の宇宙」見どころ ページ


 作中で「世のあらゆる物にすぐれています」と、黒茶碗を讃えた利休は、この「わび数奇の美」で世を覆おうとしますが、彼の壮絶な業(ごう)が信長、秀吉、そして利休自身の運命も狂わせていきます。


(豊臣秀吉)

『へうげもの』豊臣秀吉.png

 


 一方、利休というあまりにも大きな師を持った織部は、時に手痛い失敗を繰り返しながらも、やがて独自の美意識をつくりあげていきます。


 「へうげもの」は2017年4月現在も連載中ですが、いよいよ物語は完結に向けて動きだしている模様です。


 展覧会で漫画に登場する茶道具をじかに眺め、その美しさを通じ、これらを作り、愛した人々の息吹や、戦国から江戸にかけての時代のうねりに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。


 次回は「へうげもの」の名場面と、展覧会で観ることのできる名品についてご紹介させていただきます。



 読んでくださってありがとうございました。


posted by Palum. at 00:36| おすすめ漫画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月15日

(終了間際)展覧会「これぞ暁斎!」おすすめ作品


 本日も、幕末明治の絵師、河鍋暁斎の展覧会「これぞ暁斎!」についてご紹介させていただきます。

 渋谷bunkamura公式HPはこちらです。
 http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_kyosai/



 残念ながら東京での会期は今週末まで(2017年4月16日)となってしまいましたが、盛況で、しかも絵それ自体と春風亭昇太さんのナビのため、あちこちの人だかりの背中から、「ふっ」「ふっ」と忍び笑いが聞こえてくる、独特な空気感となっていました。

 展示作品で、個人的に好きだと思った絵は、一見暁斎作品の中では、地味なようで、でも味わい深い次の二作品です。

1、「蓬莱七福神図」

 緻密なタッチで描かれた深山と川、この風光明媚な風景の中のあちこちに七福神がくつろいでいるという楽しい絵です。

 中でもほほえましいのは川べりの様子。

 今、船着き場についたのは布袋様と大黒様の小舟。

蓬莱七福神図(部分)布袋様と大黒天様.png
(蓬莱七福神図〈部分〉布袋様と大黒様)

 大黒様は「お持ちしましたぞ」というように、高々ととっくりをかかげています。

 その視線の先には福禄寿様。

蓬莱七福神図(部分)福禄寿様.png
(「蓬莱七福神図」〈部分〉福禄寿様)

 「待っておったぞーい!」
とでも話されているのか、両手を広げ、白髪をなびかせ嬉しそうに駆けてきます。

よく見ると福禄寿様の背後の建物では、毘沙門天様が酒杯を手にしており、福禄寿と杯を交わしていたことがうかがえます。

 そろそろお酒が切れる……。というタイミングで、大黒天様達が酒を調達してくれたという場面のようです。

 そんなやりとりを背中に聞きながら、恵比寿様は光る水しぶきの見えるような勢いの良い清流に釣糸を垂れています。

 掛け軸の上下に広がる空間に、抜けるように広がる、楽しげでせいせいとした雰囲気。

 目の前にかけて、眺めながら一杯やりたいような気分にさせられる作品です。



2「閻魔の前の鵜飼」


 能の「鵜飼」を元にした作品です。
(なんか暁斎って絵以外は雑そうなイメージを持っていましたが、能に精通しており、自身の舞の腕前も中々のものだったそうです。〈「暁斎画談」より〉)

 裁きの席につく閻魔大王、地面には白装束の老いた男が正座をしており、青ざめた顔で節くれだった手を合わせ、必死に許しをこうているようです。

 閻魔の側には死者の生前の行いを映すという鏡。

 丸く大きな鏡の表には、月夜に細く漁り火がたなびき、靄の漂うような茫様の中に、小舟に乗って鵜たちの綱を引く、生前の鵜飼の輪郭をほのかに浮かび上がらせています。

 能の「鵜飼」は、鵜飼は漁で殺生をした罪を負い、成仏できず幽霊となって、僧に供養してもらうという筋立てですが、この絵には暁斎独自の解釈がなされています。

 おののいて、閻魔大王をひたすらに拝む老鵜飼の周囲に、鵜たちが彼をかばうように集まっているのです。

閻魔の前の鵜飼(部分).png
(「閻魔の前の鵜飼」〈部分〉)

 鵜飼の震える膝、曲がった背中にとまる者、細い首をくるりと鵜飼の身にまわし、長いくちばしをすりつける者。

 今駆けつけたというように、鵜飼めがけて飛んで来る者。

 出来る限り鵜飼の身を自分たちの身や羽で囲み包もうとしている一羽一羽の姿からは、彼がいかにこの鳥たちを可愛がり、丁重に扱っていたかがうかがえます。

炎のような顔と巌のように大きく重々しい姿の閻魔大王と、青ざめてうつむく老いた鵜飼の痩せた体、彼をかばい、閻魔大王にとりなそうとするような鵜たちの黒くほっそりとした姿は、画面で対称をなし、罪と罰という直線的倫理を超えたあわれを醸します。

 暁斎といえば卓越した画力と奔放な想像力とで、人の目に飛び込んでくる鮮烈大胆な絵の印象が強かったのですが、この二作のような、覗きこんだ者の目と心にじんわり染み込んでくるような作品があるというのを、今回の展覧会で知りました。

 非常に繊細な絵なので、是非お出かけになって直接ご覧になってみてください。強烈な絵、ユーモラスな絵の間で意外な妙味を感じ、ますますこの画家の奥行きに魅せられると思います。

 読んでくださってありがとうございました




(参考文献)
・「暁斎画談(外篇巻之下)」
・「これが暁斎だ!」展覧会図録
posted by Palum. at 01:07| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月10日

河鍋暁斎こぼれ話(展覧会「これぞ暁斎!!ゴールドマンコレクション」によせて)



 東京での会期終了間際(2017年4月16日まで)となってしまいましたが、前回に引き続き、東京で開催中の展覧会「これぞ暁斎!!ゴールドマンコレクション」にちなんで、幕末、明治に活躍した絵師河鍋暁斎のエピソードをご紹介させていただきます。


展覧会公式HP http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_kyosai/


1、河鍋暁斎と歌川国芳

 物心ついたときから絵が好きだった暁斎は、数え年七才(現在の6歳)のときに、浮世絵師歌川国芳の画塾に弟子入りし、絵を学び始めました。

 歌川国芳は、勇壮な武者絵や反骨とユーモアに満ちた風刺画など、多様な作品を産み出しましたが、一方で無類の猫好きとして、沢山の猫を飼い、猫にちなんだ可愛らしく楽しい絵も数多く描きました。

 暁斎本人が挿し絵を描いた本、『暁斎画談(外篇巻之上)』にはこのときの国芳の画塾の様子が生き生きと描かれています。

(挿絵部分 暁斎に手本を描いてみせる国芳〈部分〉)

国芳画塾.png

 塾といっても非常に賑やかな様子で、子供の弟子たちは絵を描いているかと思えば、床を転げ回って取っ組み合い、師匠の国芳は、それを一向叱るでもなく、猫をコロンと懐に入れ、その猫と、国芳の机にお腹を出して寝そべる猫とが、ちょいちょいと前足を伸ばしてじゃれあっています。

 さらに国芳の膝元でも、ある猫は、お尻を畳についてペロペロと毛繕い、ある猫は背中に子猫をじゃれつかせ……。

 計5匹の猫を周囲で好きにさせながら、腕をひょいと伸ばした国芳が、幼い暁斎と思われる少年に一筆で手本を描いてみせています。

(授業風景……)

国芳画塾2.png

 ニャーニャーとかギャーギャーとかあちこちから聞こえてきそうな部屋の中、国芳の隣に、やさしげな女性が座り、自分も絵を描いているのか、国芳を手伝っているのか、紙を広げ、少し困ったように眉を八の字にしながらも、微笑んで、この賑わいを見ています。

 絵の側に「よし玉女」と読めるので、国芳の女弟子の「歌川芳玉(芳玉女とも号した)」のようです。
(ちなみに、国芳の二人の娘も父に師事して絵師になったそうです。)

 年齢性別どころか人猫の別もなく皆が好きなことをしている、自由奔放(過ぎ)で活気に満ちた空気が伝わる挿し絵です。

 国芳は才能ある暁斎を大変可愛り、彼に絵描きの心がけとして、武者絵を描くときに役立つから、人を投げ飛ばすとか組み伏せるとかいう場面に出くわしたらよく観察しておくように、と、教えてくれ、暁斎は師の教えに忠実に、喧嘩があれば見物に駆けつけ、夫婦喧嘩を捜し歩いて叱られたこともあったそうです。

 しかし、暁斎はわずか二年ほどで国芳の画塾を辞めてしまいました。

 どうして暁斎は国芳の塾を辞めたのか。

 はっきりしたことはわかりませんが、一説には父親が国芳の素行の悪さを心配したからと言われているそうです。
(「これぞ暁斎!」図録「河鍋暁斎年譜」より)

 確かに、暁斎が望んで辞めたということは無さそうです。

 国芳は暁斎に優しかったそうですし、暁斎が国芳を慕い、画塾も楽しんでいたことは、この挿絵から明らかです。

 暁斎が画塾に通っている最中か、辞めた後かはわかりませんが、暁斎は8歳のときに、処刑された罪人の生首を川から拾ってきて写生するという騒動を起こしています

 児童の年齢ですでに「絵のためなら何でもやる」暁斎を、子供相手に「喧嘩があったら、よく見ておきなさい」と真顔でアドバイスする国芳のところに通わせ続けたら、相当マズイことになりそうだ、と、親が心配したのではないでしょうか。
(実際喧嘩を捜し歩いて叱られるとか、既にやらかしてたし。)

 縦横無尽な画才と、破天荒な性格(あと猫好き)という、相通ずる魅力を持った師匠と弟子の交流が、短い間に途絶えてしまったのは残念なことですが、この後、狩野派に弟子入りしなおした暁斎は、あらゆる画風を会得し、浮世絵にとどまらず、様々な名作を世に送り出すこととなります。

2、百円烏と栄太郎飴

 今回の展覧会では、たくさんのカラスの絵を見ることができます。

 奇抜な絵ばかり描いているようにも見える暁斎ですが、実は非常に厳格に写生をする人で(やりすぎて生首とか家に迫る火事まで描くとも言える)、鳥を描くにあたっては、以下のような方法をとっていたそうです。

「私は作品として描き始める前に、鳥の特有な姿勢を観察する。そこでその場を離れ、記憶に残った鳥の特有な姿勢をできるだけ多く書き留める。記憶が途切れた時点で手を止める。これを繰り返すことで最後には鳥の姿はいとも鮮明に私の記憶として脳裏に焼き付き、それを反復して完全に再現することを可能にする」
(ゴールドマンコレクション展覧会図録「これぞ暁斎」及川茂より引用)

 「暁斎画談」には、この写生の手法を会得するべく、暁斎の飼う動物や草木をしげしげと眺めて写生にいそしむ弟子たちの姿が描かれています。
(どさくさまぎれに弟子がお猿に髪をひっぱられたりしている)
暁斎弟子たちの写生風景.png

 かくして、いざ絵に描くときには一気呵成の勢いのある線で、多様なポーズのカラスを描いた暁斎は、明治十四年(1881)、内閣勧業博覧会に「枯木寒烏図(こぼくかんあず)」という作品を出品、自ら百円の値をつけました。(通常の十数倍の価格。)

 高すぎるのではという声に対し、これは烏一羽の値ではなく、長年の苦学への対価であると主張した暁斎の心意気に感じ入り、和菓子屋「榮太郎本舗」の主人が彼の言い値でその絵を買いました。

 これによりその絵は「百円烏」と呼ばれ、暁斎の名を広く知らしめたそうです。

 http://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/2016/07/post-3425.html
(「枯木寒烏図」掲載 「中央区観光協会特派員ブログ 榮太郎本舗C日本橋本店の見どころ〜所蔵美術品等等」)


 実は暁斎にはこれより約10年前に、政府高官を風刺した絵を描いた罪で、牢屋に入れられたという前科があり、絵が百円で売れたということは、彼の悪評の払拭ともなりました。

逮捕された暁斎.png

(「暁斎画談(外篇巻之下」収録、逮捕された暁斎〈部分〉周囲に大いに飲まされて調子に乗って描いたところを逮捕されたので、つかまってすぐはろくに話もできなかったそうです。)

 余談ですが、このとき暁斎が残した留置所の絵(逮捕にしょげても描くものは描く)は当時を記録した貴重な資料となっているそうです。
(ぎっしりつめこまれ、ひどい環境だった模様。)

 なお、太っ腹な榮太郎本舗は、今回の展覧会で暁斎の絵のラベルがついた飴を販売し、過去の百円を回収中です(笑)。

http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_kyosai/goods.html(榮太郎飴も見られる展覧会グッズ紹介ページ)

暁斎画談内烏の挿絵.png
(「暁斎画談」外篇巻之下で挿絵として暁斎が描いた烏の絵)

 次回の記事では、今回の展覧会で、個人的に好きだった作品をご紹介させていただきます。併せてご覧いただけたら幸いです。

 読んでくださってありがとうございました。 


(参考資料)
「暁斎画談(外篇巻之上、下)」
暁斎画談 外篇巻之上 -
暁斎画談 外篇巻之上 -

暁斎画談 巻之下 -
暁斎画談 巻之下 -

※「河鍋暁斎記念美術館」より現代語訳つきの文庫本も出版されています(1620円)

「ゴールドマンコレクション展覧会図録「これぞ暁斎」」
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2017年03月29日

室生犀星と猫のカメチョロ

 先日、金沢出身の文豪室生犀星と、火鉢に手をかざす猫ジイノについてご紹介しましたが、引き続いて、犀星の娘朝子さんが書かれたエッセイ「うち猫、そと猫」より、犀星と彼が最も愛した猫カメチョロのエピソードを少し書かせていただきます。

 『室生犀星作品集・57作品⇒1冊』 -
『室生犀星作品集・57作品⇒1冊』 -

うち猫そと猫 (1982年) -
うち猫そと猫 (1982年) -


「ふるさとは遠くにありて思うもの」という詩で有名な室生犀星は、小説や詩で名を成してから、東京大田区の馬込と軽井沢に家を持ち、行き来をしましたが、その縁で、ある猫と出会いました。

軽井沢の家を建てた大工の棟梁が、避暑に訪れた犀星に、自宅の三毛が産んだ子猫を「夏の間寂しいでしょうからこの猫と遊んでください」と連れてきたのが、犀星と猫のカメチョロの出会いでした。

カメチョロはその日の午後にはもう犀星に懐き、軽井沢の家を、生まれながらの自宅のようにゆったりと歩き回り、犀星が庭に出れば後をついて歩いたそうです。

犀星は家や庭に、自身の高い美意識を反映させた人でしたが、この子猫には、彼が顔が映り込むほどに磨き上げた紫檀の仕事机の上や、手づから世話をする庭を歩くのを許したそうです。

(ちなみにカメチョロという不思議な名前は、信州の言葉で「トカゲ」を意味し、この子猫が庭を好きに飛び回る姿が、同じく庭を闊歩する、美しく銀青色に光るトカゲに似ているからという理由で名づけられたそうです。)

こうして、1年目は避暑の間だけ犀星と過ごしたカメチョロは、2年目の犀星の軽井沢訪問時も彼をよく覚えていて、大工さんがカメチョロを入れていた箱を飛び出すと、すぐに犀星に身をこすりつけて懐き、夏が終わるころ、ついに犀星の猫となって東京に連れてこられました。

カメチョロは母に似ず、大きくなってからはペルシャ猫の血を引くことを感じさせる雉虎柄の長毛で、目が大きく、犀星好みの長くふさふさとした尾を持つ雄猫でした。

「うち猫そと猫」にはカメチョロの写真がありますが、畳に優雅にねそべるカメチョロは、黒目がちで、モノクロの写真であっても、淡いピンクであったのではと思わせる愛嬌のある口元が、微笑んでいるようにふんわりと上がった、大変可愛らしく美しい猫です。

個人的には、一目見て、手塚治虫の描く、まつ毛の長い大きな目の、情深く妖艶ですらある美猫を思い出しました(カメチョロは男の子ですが、ブラックジャックの名作「猫と庄三と」の牝猫にちょっと似てる。)。

ブラック・ジャック 7 -
ブラック・ジャック 7 -


美貌でゆったりとした性格のカメチョロは、犀星に「わしの猫だからわしが世話をする」と宣言させた、おそらく数多くいた室生家の猫の中でも、犀星に最も素直になつき、犀星も溺愛した猫であったようです。

 「うち猫、そと猫」の中には、帽子をかぶり羽織姿の背筋の伸びた犀星を、笹の垣根づたいに追い、やがて寂しそうに見送るカメチョロや、犀星が丁寧に掃き清めて世話をする庭を悠々と歩くカメチョロと、自身はしゃがみこんでせっせと庭の手入れをしながらも、そういうカメチョロを好きにさせている犀星の写真が載せられています。

 朝子さんによると、犀星はブラシ代わりに軍手をはめて撫でることで、長毛のカメチョロの毛並みを整えてやっていたそうで、はじめはいやがっていたカメチョロもすぐに犀星の意を汲み、天気の良い日に犀星が軍手を持って出てくると、「犀星より先に縁台にとびのり、ごろりと寝るようになっていた」そうです。

しかし、このカメチョロは、冬のある日、伝染病にかかり、急死してしまいました。

その夜、犀星の部屋には遅くまで灯りがともっていたそうです。

朝子さんは他の飼っていた動物たちのように、カメチョロをお寺に葬るつもりでしたが、犀星は、「カメチョロをそんな遠くに葬るわけにはいかないよ。庭の杏の木の下に埋めなさい」と、朝子さんに頼みました。

 朝子さんたちが、埋葬の穴を掘っていた時、犀星はふいに庭に出てきて、彼女にカメチョロの遺髪を切ってほしい、と言いました。

 朝子さんにとっても非常につらい作業でしたが、犀星はカメチョロの埋葬を見ることすらできなかったようで、書斎にこもってしまい、朝子さんが持ってきた遺髪を黙って受け取ったそうです。

  東京に連れてこなければ、空気のきれいな軽井沢にいれば、カメチョロがこんなに早く死ぬことはなかったかもしれない。そう思ったのか、犀星は「ほんとに可哀想なことをした」と、悲しそうに言っていたそうです。

 カメチョロの死んだ前年の昭和34年に、長く療養していた妻のとみ子さんを亡くした犀星は、軽井沢に自分で「室生犀星文学碑」を建て、奥さんの遺骨の一部を、文学碑の傍らに置いた俑人(死者とともに副葬する人形)の下に埋葬していました。

(参照、「避暑地の散歩道 室生犀星文学碑&俑人像」軽井沢life http://karuizawa-style.net/kyukaruizawa/muroosaisei/)

 そして、朝子さんを連れて、散歩で文学碑を訪れたとき、なにげないふうに、
「わしが死んだら、ここに骨を埋めてほしい、そのために穴も大きく作っておいたからね」と、言いました。

 昭和37年3月26日、72歳で犀星は世を去りました。

 色々な片付けが済んだころ、朝子さんは、犀星が手元にのこしていたはずのカメチョロの毛を探しましたが、几帳面に整理されていた引き出しのどこからも見つかりませんでした。

 その年の夏、犀星の遺言に沿って、朝子さんは、犀星の分骨を携え、軽井沢の文学碑へと赴きました。

 大工の棟梁(最初にカメチョロを連れてきた人)に手伝ってもらい納骨を終えた朝子さんは、俑人の後ろに植えられたかんぞうの葉陰に、石燈籠の宝珠がおかれているのに気づきました。

 本当なら灯篭の一番上に置かれている石が……、と不思議がる朝子さんに、棟梁が、
「去年、先生があそこになにかを埋めて、その目印のためにあの石を置いたのですよ。先生はいったい何を埋められたのでしょうね」と、言いました。

「犀星が埋めたものは、あれほど軽井沢に返してやればよかったと言っていた、カメチョロの遺髪だったのだ。誰にも言わずに、わざわざ目印に宝珠まで置いたのは、愛した小さな生命に対しての、犀星の最大の供養だったのである。」

 朝子さんは見つからなかったカメチョロの遺髪と、棟梁の話とを結び合わせて、そう父の思いを振り返っていました。

 複雑な生い立ち、幼い我が子の死、愛妻の病など、波乱の多い人生を送り、厳格で気性の激しいところもありながら、年代を問わず多くの才能ある詩人たちとその家族に慕われ、心のこもった交流をしていた犀星。

 彼の文章からは、類まれな美意識や観察眼だけでなく、こうした人柄の奥行きがありありと感じられます。

 なぜこう強靭で、それでいて優しいのか。

数多くの文学者が鋭敏さと引き換えに傷つきやすく生きづらい精神を持っていたのに比べると、圧巻の文才と、優しさと、率直さの全てを持っていた犀星の存在は謎ですらあります。

 どうして苦労の連続ながら、それにのまれずに、人としても文学者としてもこういう境地に辿り着いただろうか、その過程を、私は、まだよく知りませんが、愛妻の死後、妻と自分が眠る場所を静かに整え、カメチョロの魂の一部も、カメチョロのふるさとであり、やがて犀星も眠る場所へ連れて行ったという話は、まさにこうした犀星の強靭さと優しさを物語っていると思いました。

 ジイノとカメチョロの話のおかげで、もともと稀代の名文家と思っていた犀星をますます好きになりましたので、また折をみて、彼の作品についてもご紹介させていただきたいと思います。

 読んでくださってありがとうございました。

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2017年03月22日

室生犀星と猫のジイノ

 金沢を代表する文学者、室生犀星の命日、「犀星忌(3月26日)」にちなみ、 雑誌『サライ』2017年3月号に載っていた室生犀星の記事をご紹介させていただきます。

 3月号の『サライ』のテーマは「日本は猫の国」。

サライ 2017年 03 月号 [雑誌] -
サライ 2017年 03 月号 [雑誌] -

 絵画や文学、漫画に登場する猫や、芸術家たちと暮らした実在の猫たちの様々なエピソードが紹介されていますが(例えば、「漱石はよく猫を背中に載せたまま寝そべって新聞を読んでいた」らしい〈萌〉。)、なかでも微笑ましかったのが、室生犀星と愛猫ジイノの写真です。


  「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」(『抒情小曲集』より)という詩で有名な室生犀星は、随筆、小説でも数多くの優れた作品を残しました。


室生犀星詩集 (新潮文庫 (む-2-6)) -
室生犀星詩集 (新潮文庫 (む-2-6)) -

 お勧めは『月に吠える』の萩原朔太郎、『風立ちぬ』の堀辰雄など、そうそうたる文学者たちの作品と、彼らとの交流を描いたエッセイ、『我が愛する詩人の伝記』です。

我が愛する詩人の伝記 (講談社文芸文庫) -
我が愛する詩人の伝記 (講談社文芸文庫) -

 犀星の鋭い観察眼と、控えめながら深い他者への情、詩で磨かれた言葉の美が冴えわたり、一言一句、冬の日溜まりのような切ないぬくもりと、宝石の一粒一粒のような輝きを併せ持つ作品です。
(一瞬の隙もなく言葉が優れて胸に迫るという点では、自分の読書歴の頂点に立ち続ける作品です。〈小説なら漱石ですが、いずれにせよ甲乙つけがたい。〉)

 文章の一例として、『我が愛する詩人の伝記』内、堀辰雄の妻、たえ子さんの回想と、堀辰雄の文学の批評部分を少し引用させていただきます。

 「病床十年を切り抜けたところで夫の死を見た彼女は、烈婦のカガミのような人であった。カガミはいまは辰雄の小説の中から美しい嫉妬をほじくり出して、それを唇にくわえて遊泳していた。カガミはカガミに映る自分を見て笑い、毎月墓地にかかさずせっせと通うていた。石にお詣りするということはどういう事なのであろう、私にはこの古い日本のしきたりが余りに美の行事であるため、却って奇異のはかなさに思われた。
 堀辰雄は生涯を通じてたった数篇の詩をのこしただけであるが、その小説をほぐして見ると詩がキラキラに光って、こぼれた。こぼれたものを列べてみると、それはみな詩の行に移り、よどみない立ちどころの数篇の詩を盛りあげていた。小説や物語の女達の言葉や行いが、人間の性情にあるときは詩というものが、こんなふうのものかと、そう思われる優柔感をそなえてみせた。」

 亡き婚約者の面影(※)を文学にしたためた夫を愛し、彼の闘病と執筆を支え続けた妻と、堀辰雄の文学の魅力を、それぞれ的確かつ誇張なく美しく描いた名文です。

(※)『風立ちぬ』で主人公の「私」が病床に付き添う「節子」は、堀辰雄の死別した婚約者、矢野綾子がモデル。 

 このように突出した言葉の才を持つ犀星は、その気骨や美意識の裏返しなのか、気むずかしく癇癪持ちなところもあったようですが、(親友の朔太郎が他の作家にからまれていると思って、出版記念会で椅子を振り回したこともあったらしい。)ご家族ともども動物好きで、娘の朝子さんの猫、ジイノ(アンジェリーノという華やかな名前だったのがジイノになったのだとか〈※〉)は、犀星の書斎に平気で入り込んできたそうです。

 (※)朝日新聞デジタル「3:室生犀星の愛した「ジイノ」」より

 そんなジイノが、火鉢のふちにちょこんと両前脚をかけ、火鉢を挟んで座る犀星が笑ってその様子を見ているという写真が、『サライ』に掲載されています。

 参照:室生犀星記念館のHPで公開されている犀星とジイノの写真。(H番)
 http://www.kanazawa-museum.jp/saisei/outline/picture.html

 (HPの写真では、もう、おねむみたいで、顔を体に埋めるようにしていて、犀星が火箸で火加減に気を配っている様子〈やさしい〉ですが、サライでは、お目目ぱっちりおすまし顔のジイノと、ニコッと笑っている犀星の写真が観られます。犀星は基本的には写真嫌いだったそうですが、猫と撮られるのは平気だったとか。)

(追記、サライのものと同じ写真を表紙に使った電子書籍作品集が発売されていました。)
『室生犀星作品集・57作品⇒1冊』 -
『室生犀星作品集・57作品⇒1冊』 -

 ジイノがこのポーズをとるようになったのには、こんなきっかけがあったそうです。

 「ある日(ジイノが)、犀星の横にあった火鉢に二本の手(前脚)を揃えて座り、居眠りをはじめた。それに気づいた犀星は、もう少し火鉢に近づけてやろうとそっと尻を押す、するとジイノの両手が火鉢にかかり、火にかざしているような格好になった。翌日からジイノは犀星の書斎に行くと、火鉢に両手をかけて眠るようになった(『サライ』3月号より)」
 
 犬飼ってたんでわかりますが、毛足の長い生き物は、畳などでお尻を押すと、ツーと、押されてる側も驚くほど摩擦なく滑ります。

 偉大な、やや厳格な雰囲気の文学者にお尻を押されて、ツーと畳を滑って、ツルンと火鉢の縁に両手のかかってしまったジイノが、火鉢の内側のホカホカに気づいて「こりゃいいニャ」と、落ち着いてしまった様が目に浮かびます。

 犀星の書斎は、家具から飾られている陶磁器に至るまで、素人目にも品の良いものばかりで、ジイノが手をかける火鉢も、金属製なのか重々しく黒光りする高価なものに見えます。

 犀星は火鉢がジイノの脂で汚れるからこまめに拭かなければならないと迷惑そうに語っていますが、実はこのポーズを気に入っており、来客があるたびに、ジイノを連れてきて、可愛らしい仕草を披露していたそうです。
(参照、室生犀星記念館2014年3月12日ブログ

 あの美しい文を書いていた方が、猫をいそいそ火鉢の前に連れてくる姿を想像するとギャップ萌えます。

 ジイノの可愛い火鉢ポーズは、2014年に、彫刻家で金沢美術工芸大学非常勤講師の渡辺秀亮(ひであき)さんにより再現され、犀星記念館入り口でオリジナルキャラクターとして来館者をお出迎え、この場所では撮影が可能だそうです。

 犀星記念館では、ジイノほか、室生家の猫たちの写真が犀星の詩と併せてポストカードになっているのですが、さらに、ジイノはあの火鉢にお手手ちょこんの姿で切り抜かれてしおりになっていたり(本に手をかけているみたいに見える)、犀星と一緒に可愛い似顔絵ストラップになっていたりします。ほしいー。

(犀星記念館のグッズは、その他にも犀星の愛猫たちの箸置きとか、なんかズルいセンスのものが目白押しです。)

 ちなみにそのストラップのもう一面は、中年以降は品と風格のある容姿ながら、若い頃はあまりイケメンとは言えない犀星の奇跡の一枚(失礼)をモチーフにしています。
(その写真だけ綾野剛に少し似ている。上掲写真館ページのAの写真かと、)

(参照、室生犀星記念館2014年3月16日ブログ

 グッズといい、入り口のジイノといい、全体的に素敵な場所のようなので、立ち寄られてはいかがでしょうか。(北陸新幹線のお供には『我が愛する詩人の伝記』を是非。)

 『サライ』はこの他、赤塚不二夫や大仏次郎など、様々な人たちの猫との関わりと心暖まる写真が観られます。素敵な一冊でしたので、こちらもお手にとってみてください。
(よろしければ当ブログ続編記事「室生犀星と猫のカメチョロ」も併せてご一読ください。)

 読んでくださってありがとうございました。


(参照)
・室生犀星記念館HP http://www.kanazawa-museum.jp/saisei/
・朝日新聞デジタル「私のこだわり【猫 比名祥子記者】3:室生犀星の愛した「ジイノ」」http://www.asahi.com/area/ishikawa/articles/MTW20160122180750001.html
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2017年03月21日

画鬼河鍋暁斎達人伝

 本日は現在東京で開催中の展覧会「これぞ暁斎!」にちなみ、河鍋暁斎の絵師としての達人ぶりを物語るエピソードをご紹介させていただきます。

公式HP http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_kyosai/



 産み出す作品そのままに、ぶっ飛んだ人物です。

 資料として、「暁斎画談」(暁斎の語りと絵手本をまとめた書。暁斎本人が挿し絵を手掛けている。)と、イギリス人建築家で暁斎の愛弟子ジョサイア・コンドル(コンダー)の「河鍋暁斎」を使わせていただきました。

暁斎画談 外篇巻之上 -
暁斎画談 外篇巻之上 -

河鍋暁斎 (岩波文庫) -
河鍋暁斎 (岩波文庫) -


 達人伝1、暁斎八才、生首を拾い写生する
 
   物心ついたときから絵が好きだった暁斎は、ある日、神田川に水の流れを写生しに行きました。

 水辺に寄ったときに、何やら毛のなびく物が足元近くに流れ着き、これが簔亀(※1)というものかと喜んで拾い上げたところ、男の生首でした。(※2)

 (※1)甲羅に長く藻の生えた亀。縁起が良いとされる。
 (※2)近くの処刑場から流れてきたと思われる。

 驚いて捨てて逃げようと思ったものの、考えてみれば、名人の生人形(※3)の生首を写生したことはあったけれども、本物の生首を見たことはなかった。怖いからといって、描かずに捨てて逃げるのは惜しい。と、思い直し、むき出しで運ぶわけにもいかないので、家に走って風呂敷を持参し、包んで家に持ち帰りました。

 (※3)本物そっくりに作られた人形のこと。見世物小屋などで展示された。
 当時暁斎の家の近くに、生人形の名手、泉目吉の作業場があり、暁斎はしばしば作業場を訪ねて、作り物の生首などを写生していた。(そもそもそこからしてどうかと思う。)

 物置に隠して、隙を見て写生しようと思っていたところ、手伝いの女性が、薪をとりに物置に行って生首を見つけてしまい、悲鳴を上げて飛び出してきたので、暁斎の父母も駆けつけ、大いに驚きました。
(そりゃ人生これほどびっくりすることはそうないでしょう。)

 騒ぎを聞き付けた少年暁斎は、写生をするために拾ってきたと正直に打ち明け、生首と暁斎の絵にかける熱意との両方に驚いた両親は、しばし怒ることもできずにいましたが、なおも写生をしたいと言い張る暁斎に対し、人に見られたらどう申し開きするつもりだと父が厳しく言い聞かせ、「すぐ川に戻してこい。元あった場所に捨ててこい」と叱ったそうです。(※4)

 (※4)ジョサイア・コンドル「河鍋暁斎」より。(捨て猫拾ってきちゃったみたいな発言……)。

 しぶしぶ言われたとおり首を薦に包んで河原に戻ってきた暁斎でしたが、やはり惜しいと河原に座って急いで写生を始めたところ、見物人が山を為したものの、幸い咎められることはありませんでした。

 (コンドルの書では、人気の無いところで描いたとありますが、暁斎画談ではめっちゃ人が集まって見てます。〈しかもなんか、裸足で駆けてくサザエさんを見てる級にみんなが笑ってる。幼児もガン見てる。大丈夫なのかコレ…。〉)

「暁斎画談」挿絵、(上部は幼い暁斎が水辺から生首を拾っている様子。)

暁斎画談.png

 その後、首を川に流して水葬とし、この件はおさまりました。

 子供のしたことだからと警察も不問に処したようで、人々は十才にもならない暁斎の、絵に対する熱意と豪胆とを誉めそやしたそうです。

 江戸時代には人通りに罪人の首をさらすことが普通にあったそうですが、そのせいか、今からみると、異様に死体に免疫がある人々の反応と、暁斎の「真の生首は得難い物(←…)なのに、怖いからと写生しないのは残念」という、天性の絵描きというか、もう絵描きになるよりほか無いだろうこの人と思わされる発想が印象的です。


 達人伝2、暁斎15才、自分の家に火の手が迫っても写生に没頭する

 1846年正月、小石川から上がった火の手が、暁斎の住む佃島までせまり、人々は避難と家財の運び出しに追われました。

 このとき、ある裕福な家の主人が、飼っていた鳥たちが焼け死なないようにと、急ぎ籠を開けて鳥を空に放ちましたが、混乱していたのか、一度高く飛び立った鳥たちが、火の輝きに向かって戻ってきてしまいました。

 翼の内側が火に照らされて輝く様は「花と紅葉撒き散らしたるが如く」、特に孔雀は凄絶な美麗さだったそうです。

 この哀れにして稀有な光景を目の当たりにした暁斎は、家に帰ると、既に火の手が迫り、家の人間たちが家財の運び出しに駆け回っている中、紙と筆と硯だけを持って火事場に向かい、鳥たちの飛ぶ姿と屋敷の燃える様を写していたところ、親族に見咎められ、「他人ですら荷運びを手伝ってくれているのに、独り安閑と絵を描いているとは何事か」と厳しく叱責されました。

 慌てて家に戻り、作業を手伝ったものの、その目はなお、火や煙の立つ様、火消しの人間の駆ける姿を観察し続けたそうです。

 教科書にも取り上げられた「絵仏師良秀(宇治拾遺物語)」(※5)や、「地獄変(「絵仏師良秀」を下書きとした芥川龍之介の短編小説)」を彷彿とさせるエピソードですが、先の生首事件同様、芸術家の目の「物凄さ」が伺えます。


 (※5)絵仏師良秀の家が火災に見舞われた際、火の手に包まれる家を前に笑っている良秀を見た人々は、気がふれたのだと思ったが、彼は、
苦心していた不動明王像の背後の火焔が、これでようやくうまく描けると言い放ったという話。

 芥川は、この話をもとに、権力者に地獄絵図を描くよう命じられた良秀が、地獄のあらゆる場面を再現して彼に見せることを請い、牛車の中で火に包まれているのが自分の娘だと気づいても、なお、その有様に見入り、絵を仕上げたのち命を絶つという物語を描いた。


 芸術家が火を前にしたとき、「焼け出された人がいる」とか、「混乱して火に飛び込む鳥の哀れさ」といった、一般人なら感じるであろう恐怖や同情よりも先に、「目の前に見たこともない光と色に包まれた非日常的な光景がある」ということに心を奪われてしまい、火の手が自分や家族に迫るかもしれないという危機感すら麻痺して、ただ「見て、それを描く者」として見入ってしまう。

 この若き暁斎の逸話は、どこかユーモラスな語り口ではあるものの、そうした、芸術家の、一般人には想像の及ばない、ある種の魔性と危うさが見てとれます。

 (余談ですが、こうした恐ろしい超然の観察者の眼差しは、物書きである江戸川乱歩も持っており、空襲の時、空の火を美しいと思ってしまったと語り、その光景を短編「防空壕」に記しています。)

「防空壕」収録の江戸川乱歩全集19巻『十字路』
十字路〜江戸川乱歩全集第19巻〜 (光文社文庫) -
十字路〜江戸川乱歩全集第19巻〜 (光文社文庫) -

 作品に負けず劣らず不世出の個性を持っていた暁斎。
 
 あるいはこの人物だからあれほどの作品を次々とものにしたとも言えますが、このほかにもまるで物語の登場人物のようなエピソードがいくつもあります。

 暁斎画談は、国会図書館蔵のものが著作権フリーで公開(Kindleでも閲覧可能)されており、(書体が古くて読むのが大変ですが、絵は面白いです。)ジョサイア・コンドルの「河鍋暁斎」は文庫化されているので、ご覧になってみてはいかがでしょうか。

 国会図書館デジタルコレクション『暁斎画談』外扁 巻之上
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/850342

 当ブログでも、もう少し暁斎についてご紹介させていただきますので、よろしければお立ち寄りください。

 読んでくださってありがとうございました。



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2017年03月19日

「ゴールドマン コレクション これぞ暁斎!世界が認めたその画力」ご紹介1

 2017年2月23日〜4月16日まで、渋谷Bunkamuraミュージアムで開催中の「ゴールドマン コレクション これぞ暁斎!世界が認めたその画力」についてご紹介させていただきます。

公式HPはコチラ

http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_kyosai/
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_kyosai/about.html
(河鍋暁斎の説明ページ)
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_kyosai/introduction.html
(展示解説ページ)

・カッコいい宣伝動画

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・ビジュアルツアー



河鍋暁斎は幕末から明治という激動の時代の中、卓越した画力で、ユーモラスな戯画、風刺画から、渾身の美人画、仏画まで縦横無尽に描き上げ、「画鬼」と呼ばれた画家です。

(奇抜な画題や確かな筆さばきにより、海外では葛飾北斎の弟子と勘違いされたこともあったそうですが、直接のつながりはありません。)

彼の絵はフランスやイギリスなどでいち早く高く評価され、その腕前に感動した、当時来日中の建築家、ジョサイア・コンダー(コンドル)が彼に弟子入りし、暁斎の臨終まで看取る深い師弟の絆を結んだことでも知られています。

(二人の関係にちなんで「画鬼・暁斎 幕末明治のスター絵師と弟子コンドル」という展覧会も2015年に三菱一号館美術館〈コンドルの設計建物を復刻させた場所〉で開かれましたが、そのときの、
「狂ってたのは、俺か、時代か?」という、非常にイカしたキャッチコピーが忘れられない。)

 幽霊、妖怪など、荒唐無稽な題材の作品も数多く描いたためか、没後は長らく日本画壇の傍流扱いを受けていた暁斎ですが、近年再評価が進んでおり、今回、イギリスの暁斎コレクター、イスラエル・ゴールドマン氏のコレクションが、日本に里帰りを果たしました。

 どんなテーマを、どんなタッチで描いても、生き生きとした線が、小気味いいほど、ぴたりぴたりと、或るべき空間に決まり、見る者の目を強く引き付ける暁斎の作品。

 踊る骸骨や、にゃんこやカエルなど、特に予備知識なく観に行っても楽しめる絵もたくさんあるそうですし(個人的にはゴールドマン氏最初のコレクションだという象とたぬきの絵が非常に可愛くて好きです)、イヤホンガイドのナビゲーションが春風亭昇太、展覧会テーマソングが和楽器バンドなど、エンタメ性の高いイベントになっているので、お出かけになってみてはいかがでしょうか。
(東京展終了後は高知、京都、石川に巡回するそうです。)

 当ブログでも、開催中にもう少し暁斎についてご紹介させていただきますのでよろしければお立ち寄りください。

 読んでくださってありがとうございました。

posted by Palum. at 20:41| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする