2017年10月13日

(※ネタバレ)「ヘソリンガスでしあわせに」(『ドラえもん』)



ヘソリンガスで幸せに この世は天国.png


 今回は、漫画『ドラえもん』の、おそらく全巻通じて最も危険なエピソードについてご紹介させていただきます。

(ネタバレですので、未読の方は先にコミックをお読みください。)


 「ヘソリンガスでしあわせに」(小学館てんとうむしコミックス25巻収録)
ドラえもん (25) (てんとう虫コミックス) -
ドラえもん (25) (てんとう虫コミックス) -

 落ち込んでいたのび太に、ドラえもんが出してくれた、30分だけ幸せな気持ちになれる「ヘソリンガス」を注入できるスタンドが、またたくまに周囲の子供たちに広まり、危機的状況に陥るというお話です。



(あらすじ)※セリフの仮名遣いを一部改めてあります。


 その日、のび太に、いろいろな災難がまとまってやってきました。

 先生に叱られ、しずかちゃんが出木杉君と仲良く帰るのを見て、野球の試合では三振をしてジャイアンとスネ夫に殴られ、隠していた0点の答案を見つけたママに、帰ってくるなりこっぴどく叱られる……。

 それぞれ、のび太にとってはお決まりのストレスでしたが、さすがに一日で束になって降りかかることは珍しく、部屋に戻ってきたのび太は、グッタリとうなだれていました。

 「それはこたえただろうね」

 同情したドラえもんが四次元ポケットに手を入れ、のび太は何か出してもらえるのかと身を乗り出しますが、ドラえもんは少し考えこんで、「なんでもない」と、はぐらかします。

 どうしてやめるの。世の中真っ暗だ。いますぐ世界の終わりがくれば良い。

 のび太の激しい悲嘆に押し切られ、ドラえもんがしぶしぶ出したのは、「ヘソリンスタンド」。

ヘソリンガスで幸せに ヘソリンスタンド.png

 ガソリンスタンドの給油機に似た機械で、へそから、心や体の痛みを消す「ヘソリンガス」を注入するというものです。

 のび太が試してみると、目の前が徐々にバラ色に見えてきて、幸せな気持ちに包まれました。



 より効果を実感させるために、のび太の手をひいてママのところへ連れて行ったドラえもん。

 0点の答案をもう一枚隠していたことをバラし、ママは再び激怒してお説教を始めますが、のび太は全く恐怖を感じず、何を言われても気にならない、と、笑顔でママの前に正座し続けました。
(のび太もだけど、それを見守るドラえもんの目の暖かさもどうかと思う。)

ヘソリンガスで幸せに 何を言われても気にならない.png

 怒り疲れたママから解放されて廊下を歩くのび太の前に、ドラえもんがボールを転がし、派手に転んでも、その痛みすら感じません。

 ガスの効き目が30分続くことを教えてもらったのび太は、すがすがしい笑顔で表に出ていきました。

 「ヘソリンをすえば、この世は天国」
(「ソリ」を「ロイ」に変えると大問題になる台詞。)


 そこで、ジャイアンがスネ夫をいじめている場面に出くわします。

 「痛い!許して!」

 自分たちのトラブルを、のび太がやたら朗らかな表情で見つめていることに気付いた二人。

 とくに殴られていた側のスネ夫は面白くなく、八つ当たりで思い切りのび太の脛を蹴りますが、のび太が笑顔のままなのに驚き、「どうなってるんだ?」と、互いの確執はどこへやら、二人がかりでのび太を殴ります。

 ボロボロになってもまだニコニコしてるのび太。



 のび太がこんなに我慢強いはずない、と、不審に思った二人は、あとをつけてみます。

 出会いがしらに野良犬に噛まれても笑顔、車に跳ねられ、地面にたたきつけられても笑顔(事件では)。

ヘソリンガスで幸せに ニコニコ.png

 「どうしてそんなに強くなったんだ、教えてくれ」

 二人はのび太に頼み込み、いっそ腕ずくでもと思いますが、殴っても無駄なので、引き続きついていくと、ふいにのび太が真顔になりました。

 「いたた……あちこち痛くなってきた。」

 慌てて家に戻ると、ドラえもんが不在だったので、自分でガスを注入し、また「しあわせ……」と笑顔になるのび太。

 部屋まで追ってきたジャイアンとスネ夫、一部始終を見て、そんないいものを独り占めするなんて。ちょっと貸せと、ヘソリンスタンドを空き地にもっていってしまいます。




 「ほんとだ!すご〜く幸せな気持ち!!」

 「しょうがないなあ、勝手に使って」(笑顔)

 のび太の一応の困り顔を全く意に介さず、バラ色の気分を味わう二人。

ヘソリンガスで幸せに かってに使って.png

 試しにと、バッドで互いを殴りますが、スネ夫にいたっては、気絶して白目をむいても笑っています。

 「いやあ、ぜ〜んぜん痛くない」

 気が付いたスネ夫の感想に、すげえききめ、と、喜ぶジャイアン。

 「みんなに見せてやろう」

 と、笑顔で互いの頭をバッドで殴り合いながら、空き地を出ていきます。(シュール)

ヘソリンガスで幸せに みんなにみせてやろう.png

 それを笑顔で見送ったのび太は、このすきにヘソリンスタンドを持ち帰ろうとしますが、元気の無いしずかちゃんを見て、声をかけます。

 歯が痛いの。そう、しょんぼり答えたしずかちゃんに、ヘソリンを注入すれば大丈夫だから、と、すかさずおへそを出してもらおうとします。

 のび太のたくらみにはひっかからず、自分でやるわ、と、背中を向けて、スカートの陰から、ヘソリンを注入したしずかちゃん。

 (のび太、笑顔で残念そう。)

 うそのように歯の痛みが消えて、喜んで帰っていきます。



 そうこうするうちに、空き地に子供たちが集まってきました。

 「うわさを聞いて、ヘソリンガスを入れたいという者がこんなに大勢!!」

 あちこちで宣伝してきた(=笑いながらバッドで殴り合う様を見せてきた)ジャイアンとスネ夫は、子供たちを整列させ、一回10円の料金を徴収します。

 「お金をとるの?」

 「おまえにもわけてやるから」

 ジャイアンに言いくるめられたのび太は、ヘソリンスタンドを空き地に置いて、笑って帰ってきてしまいました。



 ヘソリンスタンドを貸してやっただって!?なんてことを!!

 スタンドがないことに気付いて、のび太に事情を尋ねたドラえもんは顔面蒼白になりました。

 「あれは、おそろしいガスなんだぞ!!」

 痛みを感じるというのは大切なことなんだ。危険を知らせる信号だから。

 痛みを感じなくなった人間は、火の熱さに気付かずにやけどをする。病気にかかっても死ぬまで気付かない。

 心の痛みだって同じだ。叱られても笑われても平気なら、どんな恐ろしいことでもできるようになってしまう。

 ドラえもんは必死で諭しますが、のび太は、「それがどうした」と、笑顔で昼寝を続けます。

 肩を落としたドラえもんは、

 「……弱ったなあ、どうしたらいいんだろう……」

 と、頭を抱えて部屋を出ていこうとしますが、次の瞬間、のび太がドラえもんにしがみつきました。

 「そ、そ、そんなおそろしいガスとは思わなかった。ど、ど、ど、どうしよう……」

 ようやくガスが切れて、事の重大さに気付いたのでした。



 とにかくヘソリンスタンドを取り上げないと、と、急いで空き地に向かう二人。

 道すがら、ことごとく朗らかな笑みをたたえた子供たちのこんな声が聞こえてきます。

 「ひかり号にはねられても痛くないよな」

 「東京タワーから飛び降りても平気だよ」

 「三十分おきに10円でしょ。大変よ」(しずかちゃん)

 「ママの財布もって来ちゃった」

 なんの屈託もなく破滅的言動をする少年少女たちに恐怖を感じながら、空き地に駆け込むと、スネ夫とジャイアンが、スカートを平気でめくりあげてヘソと下着を見せる女の子にヘソリンガスを注入していました。

 「見えた、見えた」

 「見えたらどうだっていうのよ」

 「それは恐ろしい機械で!!」

 「はやく返したほうが……」

 慌てて駆け寄る二人に、容赦なく飛んでくるバットの一撃。

 「ゴシャゴシャ言うな!!」



 「手のつけようがない」

 「でもほっとけば大変なことになる。」
 
 いったん退却した二人は、ジャイアンとスネ夫の苦手に頼もう、と、それぞれの母親と先生を連れてきます。

 ところが、ヘソリンガスの効果持続中の二人に苦手なものなど無く、どれだけガミガミ言われようが、おしりをたたかれようが、ヘラヘラしながらヘソリンスタンドにしがみつくだけでした。

ヘソリンガス 苦手なんかないんだ.png

 三人があきれて帰ってしまい、万策尽きたと思った時、ヘソリンを注入しようとしたジャイアンが、ガス欠に気付きました。

 「ガスが無くなったぞ、入れろ」

 ここで、なぜか言われたとおりにするドラえもん。



 二人を置いて空き地を後にするドラえもんに、のび太は苦言を呈しました。

 「いれてやらなきゃよかったのに」

 すると、ドラえもんから意外な答えが返ってきました。

 「別のガスを入れたんだ」

 そこに、ポツポツと振り出した雨。

 「痛い!痛い!雨の粒が痛い!」

 頭を抱え、泣き叫びながら走っていくジャイアンとスネ夫。

 「大げさに感じるガスなんだ」

 と、ドラえもんが言いました。



(完)



 ドラえもんのエピソードの中で最も恐ろしいものとして「どくさいスイッチ」(スイッチを押すと、その人物を消してしまう道具)を挙げる人が多いかもしれませんが、個人的には、この話が一番怖いです。だって完全に例のアレの風刺だし(名前だってアレに寄せてるし」)、それによって、通常の感覚や倫理観が失われていく姿も同じだから。
 (薬状のものや注射から遠ざけて、ガソリンスタンド型にしたところに巧みな配慮を感じますが。)


 のび太が笑いながら車に跳ね飛ばされ、ジャイアンとスネ夫も笑いながらバッドで頭を殴り合って走っていき、保護者たちの叱責にもヘラヘラしながらスタンドにしがみつくという、なんかもうギリギリな場面が満載。
(いつも思うけれど、「地球破壊爆弾」など、未来デパートの市販可能ラインがよくわからない。)


 飲酒に似た作用をもたらす「ホンワカキャップ」の回もそうですが、実際のアルコールや薬物のように、臓器や脳を物理的に蝕むことはなくても、強烈な非日常的快楽は、それだけで人の心にとって既に危険であるということも教えてくれる、過激な笑いの奥に重要な警告を含む回でもあります。

 この回が、かの感動作「のび太の結婚前夜」(※)と同じ時期に描かれているということも考えあわせると、ドラえもんの世界観の奥深さに圧倒されずにはいられません。
(※同25巻収録)

 是非、コミックスをお手にとって、このシリーズ最高(最悪)レベルの危険な笑いを直にご覧になってみてください。

 読んでくださってありがとうございました。


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2017年10月07日

(※ネタバレ)「ふつうの男の子に戻らない」(ドラえもん)



ふつうの男の子に戻らない ジャイアンの決心.png


  今回は漫画『ドラえもん』のうち、ジャイアンの歌手活動引退エピソードについてご紹介させていただきます。  

(ネタバレですので、未読の方は先にコミックをお読みください。)     

 「ふつうの男の子に戻らない」(小学館てんとうむしコミックス40 巻収録) 


ドラえもん (40) (てんとう虫コミックス) -
ドラえもん (40) (てんとう虫コミックス) -

    歌手としての不人気をうすうす気づいていたジャイアンが引退を決意、しかしそこには恐るべき計算が秘められており、ジャイアンの真意を知ったドラえもんたちが、どうにか引退を実現させようと必死で奔走するというお話です。


 なお、「ふつうの男の子に戻らない」というフレーズは、キャンディーズが人気絶頂で解散を決意した時の「ふつうの女の子に戻ります」という名台詞をふまえたものです。



(あらすじ)

 「ほ、ほんとかい!?」

 のび太とドラえもんは、家を訪ねてきたジャイアンから、衝撃的な告白を聞かされました。

 「芸能界からすっぱり足を洗って、ふつうの男の子に戻りたい?」

 ジャイアンは苦渋の面持ちでうなずきました。

 本当は、デリケートな自分にはわかっていた。

 自分のコンサートが不人気であること。いやそれは、自分の歌が大衆に理解されにくいということだが。

 みんながいやいや来ているんじゃないかと、ちらっと思ってしまう。

 「へー、よくわかってんじゃない。」

 率直すぎるのび太の口を、「シッ!バカ!」と素早く塞ぐと、よく決心したねぇ、と、ドラえもんは、無難な対応をしました。

 内心、歓喜に打ち震えながら。



「ワーイ!!」

 両手を挙げて、嬉し泣きに泣きながら、走っていく二人。

 骨川邸に駆け込むと、スネ夫に、ジャイアンが、本日の引退コンサートをもって普通の男の子に戻ることを報告しました。

 ところが、スネ夫は、この明るい大ニュースに懐疑的でした。

 「ジャイアンがあれだけ夢見ていた歌手への道をそう簡単にあきらめると思う?」

 スネ夫の言う通りだと気付いたドラえもんは、タケコプターで上空からジャイアンに近づき、「ホンネ吸出しポンプ」で、ジャイアンの後頭部から本音を吸い出してきました。

 骨川邸に戻ったドラえもんが、吸い出した本音をポンプから放出してみると、ジャイアンの心の声が噴き出してきました。

 ……俺のコンサートは、どうも人気が盛り上がらない。

 このへんでもうやめたと言ったらどうだろう。

 みんな大慌てするに違いない。今更のように俺の歌の良さを思い出して、「おしい」「やめないで」と、みんな口々に叫ぶ。

 そこで、俺はしぶしぶカムバック宣言をする。……


 「こんなことだと思った!!」

 何か裏があるに違いないとは思っていたものの、ジャイアンの勘違いも甚だしい計画に、三人は震えあがりました。


 慌てて、三方に散ると、聴衆となる近所の子供たちに警告します。

 3時からジャイアンの「さよならコンサート」があるが、絶対に、「おしい」とか「やめないで」とか言ってはいけない。

 拍手も熱狂的にしてはいけない。いかにもお義理みたいにパラパラと……。


 
 3時前、コンサート会場となる空き地に、集合する少年少女たち。
(補足:ジャイアンのコンサートは常に暗黙の了解で全員参加〈コンサートチラシに「参加しない奴はぶんなぐる」と明記されているケースもある。〉)

 木箱を寄せ集めて作ったステージの上に、ドラえもんが立っています。

「ぜひ練習の必要があると思って早めに集まってもらった。じゃあね、ドラえもんをジャイアンだと思って拍手してみよう」 
スネ夫の合図で巻き起こる、力強い拍手。

 そんな勢いで叩いたらジャイアンに自信をつけさせちゃうぞ!

 スネ夫の言うことはみんなよくわかっていました。

 でも、もうあの歌を聴かないで済むと思うと、うれしくてつい力がこもってしまうし、気の無い拍手をしてジャイアンににらまれても怖い。

 自分だって、いざその時になったら力いっぱい叩くんだろ。

 のび太からの指摘に、返す言葉の無いスネ夫。

 そこで、ドラえもんは「拍手水増しマイク」を取り出しました。

 不景気なコンサートでこれを使うとまばらな拍手も嵐のようにとどろくというもので、マイナススイッチを押せば、逆に大きな拍手もまばらにすることができます。

 マイナス設定したマイクを、空き缶に活けたステージ上の花束に隠すと、ほどなくしてジャイアンがやってきました。

 開演前から満席で、自分の歌を待ちかねてくれていたファンのために涙するジャイアン。
(「いや、そんなわけでも……。」と、そっとつぶやくスネ夫とドラえもん。)



 司会進行担当のドラえもんが、先にステージに上がりました。

「長い間、ぼくらを苦しめ…いや、楽しませてくれたジャイアンコンサートもこれが最後。まことにうれし…いや残念…というほどでもない。……こともない。」

 「なにがいいたいんだ。」 

 どうしても口をついて出る本心を、何度も打ち消しながら、汗をかきかき、残念がっている風を装うドラえもんを、唇を「3」に尖らせたジャイアンが怪訝そうに見つめました。

(進行補佐としてステージ前に立ち、ドラえもんのだだもれする本心に、気付かないふりしつつ共感している様子のスネ夫〈珍しい正面向き〉が味わい深い。)


ふつうの男の子に戻らない なにがいいたいんだ.png

 次に、ジャイアン本人がステージに立ちました。

「ま、そんなわけで、もう二度と俺の歌は聞けないわけだ。みんな寂しいだろな」

 沈黙。

「やめないで、という声もあるだろうが」

 沈黙。

 話しながらも間をとって、チラチラと観客の反応をうかがうジャイアンでしたが、水を打ったように静まり返っています。

 観客側は内心必死でした。

「こたえるな!ここがしんぼうのしどころだぞ。ジャイアンと目をあわせないように」

 のび太の密かな指令に同調し、じっとうつむいて、冷や汗を流しながらも決して目を上げない観客たち。


ふつうの男の子に戻らない こたえるな!.png

 「そうかよ!じゃあ、これから二時間半、おれのヒットナンバーをメドレーで」

 すっかり鼻白んだ様子のジャイアン、いつどこで「ヒット」したのかは謎の歌を歌い始めます。

ふつうの男の子に戻らない ヒットナンバーメドレー.png

 (メドレーで二時間半とは凄い曲数。それをすべて聞かされてきた、これまでののび太達の苦労がしのばれます。)

 「それからの二時間半は、まさにごうもんであった。みんなは、『これが最後!』『くじけるな!!』と励ましあってたえぬいたのだ。」

 「ヒットナンバー」のメドレーが、住宅街を揺るがす光景の中、浮かび上がるナレーション。


ふつうの男の子に戻らない まさにごうもん.png
 (『ドラえもん』は基本的に登場人物同士のやりとりで話が進みますが、たまに出てくるこういうナレーションが、妙に真顔感を醸していて面白いです。)



 「ジャイアンコンサート、めでたく歌い収めです!!」

 ドラえもんの言葉とともに、別の感動の涙を流した観客たちが、一斉に拍手しました。

 パラパラ……ポチポチ……。

 雨だれ程度の拍手に驚いたジャイアンが、観客を見回しますが、みんな力いっぱい叩いている様子です。
(だって満面の笑みで泣いてすらいる。)

 すっきりしないものを感じたジャイアンは、アンコールを強行しようとし、ドラえもんは、思わず「えーっ!!」と叫んでしまいます。

 「このままもえつきたほうがいいのでは……」と、おしとどめようとするスネ夫と、「一分間時間をください。やめるように説得します」と、完全に目が泳いでいるドラえもん。


ふつうの男の子に戻らない このままもえつきたほうがいいのでは.png

 引退コンサートにあるまじき言動の二人に激怒したジャイアンは、「おまえら!!」と、怒鳴って、足元の空き缶入り花束を踏みつけました。

 はずみで「拍手水増しマイク」のスイッチがプラスに切り替わり、ジャイアンに向けて鳴り響く、怒涛のごとき拍手。

「ありがとう、ありがとう。おれ、もう二度とやめるなんて言わない。ジャイアンの歌は永遠です。」

 ジャイアンは、熱い涙と感謝とともに、生涯歌い続けることをファンに固く誓いました。



 後日。

 道を歩くのび太とドラえもんに振り返り、または見送る、スネ夫やしずかちゃんら、近所の子供たち。

 「かなり長い間。のび太とドラえもんは、みんなの冷たい視線に耐えなければならなかったのである。」
 (真顔ナレーション)


(完)


 その歌声で、人を気絶させ、ゴキブリやネズミを駆除し、大長編では、お化けクジラすら吐き気を催して退散するという、(マイナス方面に)圧倒的歌唱力持ち主であるジャイアン。

 その(ある種の)実力に(残念なことに)陰りは見えないものの、自身の目指す芸術と大衆の理解との齟齬に悩んだ挙句、大衆の心をつかむべく一世一代の賭け(別名「引退するする詐欺」)に出て、(ドラえもんたちの奔走にも関わらず)、それに勝利しました。(拍手を水増しされただけだけど。)

 不人気は薄々察しながら、自身の歌には何ら疑いを抱かないジャイアンの思考回路と、引退撤回を何が何でも阻止するべく、開始前に全員集合して、シミュレーションまでする、のび太たちの結束力、何よりも、ジャイアンに「何が言いたいんだ(「3」唇)」と、言わせたドラえもんのしどろもどろな名司会が印象に残る回です。

 先日、安室奈美恵さんの人気実力頂点での1年後引退宣言が大きな話題になり、それとは真逆の現象(観客側が引退させようと必死)として、思い出したので、ご紹介させていただきました。

 ジャイアンの歌関連では、まだまだ名作が多いです。

 是非、原作をお手に取ってみて、その活躍をお楽しみください。

 読んでくださってありがとうございました。
 

posted by Palum. at 12:58| ドラえもん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月05日

(おすすめ本)高村光雲作『幕末維新回顧談』(明治木彫の達人の名著)

『高村光雲・高村光太郎全集・112作品⇒1冊』 -
『高村光雲・高村光太郎全集・112作品⇒1冊』 -

 現在、東京の三井記念美術館で、明治工芸と、現代作家のコラボ展示「特別展 驚異の超絶技巧! -明治工芸から現代アート』が開催されています。
(2017年9月16日〜12月3日)
  資料URL
 ・http://www.mitsui-museum.jp/exhibition/index.html
 (三井記念美術館展覧会情報)
 ・https://ssl.museum.or.jp/modules/topics/index.php?action=view&id=988
 (インターネットミュージアム取材レポート) 


 江戸から明治への激動の転換期、彼らを翻弄する時代の荒波に、超絶技巧で立ち向かった工芸家たち。

 その中に、木彫の達人、高村光雲(1852〜1934)(※電子書籍の表紙左側)がいました。
 (今回の展覧会でも、彼の作品「布袋像」を観ることができます。)

 光雲といえば、教科書に載っている『老猿』の作者、そして、詩集『レモン哀歌』で知られる詩人高村光太郎(電子書籍の表紙右側)の父として知られていますが、一方で、語りの名人でもありました。

 レモン哀歌―高村光太郎詩集 (集英社文庫) -
レモン哀歌―高村光太郎詩集 (集英社文庫) -

 その光雲が、生い立ちから、木彫作家として成功を収めるまでを、時代の移り変わりや、彼を取り巻く人々の思い出とともに語ったのが、この『幕末維新回顧談』です。

(光雲が七十歳頃のとき、作家、田村松魚によって口述筆記され、高村光太郎が同席して作られました。)

 (岩波文庫版情報)
幕末維新懐古談 (岩波文庫) -
幕末維新懐古談 (岩波文庫) -


 祖父の代から続く家族の波乱万丈の人生、作品を生み出すまでの苦労話や、明治工芸が世界に羽ばたくまでの経緯、庶民の目から見た戦争や近代化などが、現代人とはスケールの違う、朴訥無欲にして粘り強い人柄を通して語られています。

 今回は、作品のうち、序盤のあらすじをご紹介させていただきます。



 幕末維新回顧談 あらすじ (祖父の不運から光雲弟子入りのいきさつ、浅草の大火まで)


 光雲の祖父、中島富五郎は、商売はそこそこ、芸事が好きで、なかでも富本(三味線に併せて台詞を語るもの)に優れ、素人が集まる舞台で演じるのが趣味という人でした。

 彼の声は非常に評判が良かったのですが、これが思わぬ災難につながりました。

 富五郎が演じるのを心待ちにする観客に野次られた他の演者が、彼の茶に水銀を盛り、一命はとりとめたものの、歩くこともままならなくなってしまったのです。

 光雲の父兼松は、まだ9歳の頃から、親兄弟を支えて働かなければならなくなります。

 幸い、富五郎の手先の器用さは失われなかったため、玩具を作ってもらい、縁日の屋台などで売って、日銭を稼ぎました。

 これを皮切りに、兼松は、露天商などの仕事をして、なんとか家族を養いましたが、日々の仕事に追われたために、ろくに学校にも行けず、何の修行もできなかったことが、兼松の生涯の心残りとなりました。

 せめて息子には、きちんと手に職をつけてもらいたい。

 そう考えた、兼松
は、自分と富五郎に似て、手先の器用な光雲が12歳のときに、遠縁の大工に修行に出すことにします。



 木を削ったりして遊んでいると時間も忘れるという性質だった光雲(本名光蔵)は、異存なく、奉公に出るつもりでしたが、そのために、身だしなみを整えようと床屋に行ったときに、彼の運命が大きく変わります。

 大工に奉公に行くことを、床屋の主人の「安さん」に話したところ、安さんは、ついこの間、安さんの客で、日本一の仏師が、弟子を探しているから、心当たりがあったら教えてほしいと頼まれていた、と、光雲がよそへ行くのをしきりに惜しがりました。

 そして、大工もいいが、彫刻師(ほりものし)になる気はないか、と、光雲に持ち掛けてきました。

 当時、彫刻や絵画というものは、裕福な人や身分の高い人だけが興味を持ち、所有するもので、およそ、庶民の家に装飾的なものは無い時代。少年だった光雲には「彫刻師」という職業について、全く想像がつきませんでした。

 しかし、安さんに、東雲の作る仏像や置物がいかに品よく素晴らしいものであるかを力説され、お前のお父さんと東雲先生の間に入って話をしてやるとまで言われた光雲は、木彫の彫刻師になることにします。



 当時奉公とは、十年間住み込みで修行、さらに一年はお礼としてそこで勤め上げるということで、実家に帰れるのは盆暮れのみというものでした。

 光雲が家を出る前夜、父兼松は、光雲に、きつく言い聞かせました。

 決して、修行半ばであきらめて帰ってきてはいけない。帰ってきたら足の骨をぶち折るからそう思え。

 そして、こうも付け加えました。

 お前は、声を出す芸事は絶対に覚えてはならぬ。お前の祖父はそのために不自由な体になり、それで私は一生何者にもなれなかった。せめてお前だけは満足なものになってくれ。

 そう、涙を流して語った兼松は、一道を身に着けるという夢を息子に託し、12歳の光雲を送り出しました。



 高村東雲は、律儀で人柄も腕も良い人物で、それを浅草の裕福な商人たちに見込まれ、当時の商売は極めて順調でした。

 光雲は、この師匠のもとで、修行をはじめましたが、はじめは、像を彫らせてもらえるわけではなく、台座や周辺の彫刻を少しずつ練習していきます。
(生涯、像を彫らずに、この装飾彫刻に従事する職人もいました。)

 しかし、光雲14歳のとき(慶応元年〈1865年〉)、浅草で大火災が起きました。

 消防車など無く、消火活動と言えば、家を壊して延焼を防ぐほか、ほとんど手立てがない頃のこと。

 火の手がまわるにはまだ時間がありましたが、東雲の家でも、できる限り荷物を持ち出して、避難するしかありませんでした。

 このとき、兼松が手伝いに来て、特に大切なものを、東雲や兄弟子たちと一緒に川向うに運ぶことにしました。

 まだ少年の光雲は、おろおろしながら、父や師匠が戻ってくるまで、家の前で残された荷物の番をしていました。

 ところが、この後、兼松と東雲らは、避難する群衆に行く手を阻まれ、諦めて荷を捨てても、まだもみくちゃにされ、互いにはぐれてしまいました。

 一方、律儀に荷の側に立っていた光雲の両側の家屋も、炎に包まれ始めていました。

 火消しの一人が、はしごをかけて、隣家を取り壊しにかかる中、早く逃げろと声をかけられてもなお、荷を守ろうとした光雲でしたが、光雲を逃がすために、火消しの一人が彼を荷の側から突き飛ばし、もはや、人ごみに阻まれて近くに戻れなくなった光雲は、諦めてその場を逃げ出しました。

 その頃、東雲たちからはぐれてしまい、逃げ惑う人々と炎の勢いを見た兼松は、息子を探すために、急いで東雲の家に引き返しました。

 ところが、荷を持って逃げる人々の右往左往に、どれだけあがいても進めなかった兼松は、置き去りにされた荷物の上に飛び乗り、踏み越えて、近くまで戻ってきました。

 東雲の家の側から離れた光雲はというと、人と人とに挟まれて、ほとんど両足が浮いてしまい、ただ揺さぶられているだけで、まるで身動きがとれずにいました。

 しかし、必死で舞い戻った兼松と、光雲は、ほぼ同時に、群衆の波間に互いを見つけ、もがき泳ぐようにして進むと、ついに、父子は固く抱き合います。

 「もう大丈夫だ。俺がついてる」

 息子の無事に力を得た兼松は、我が身を盾に、もと来た道を引き返し、近くの荷物から網戸を引っ張り出してはしごがわりに近くの家に立てかけると、屋根に上りました。

 ようやく安全な場所に来られたと、一息ついた光雲は、東雲の家の近くから、雨戸が二、三枚、ひらひらと舞い上がり、戸を無くした家が、黒い煙と炎を吹いているのを、屋根の上から目にしました。

 あのとき、火消しが、自分を突き飛ばしてくれなかったら……。

 少年だった光雲の体に震えが走りました。


 一方、東雲たちは、炎に追われて川岸まで逃げてきたところ、潮の流れが変わって水かさが増し、荷物ごと足元をすくわれ、荷につかまって浮いたものの、背後には火の手が迫り、身体は水に沈みかけるという状況に陥りました。

 さらに煙草屋から火の手が上がり、目といい鼻といい、たばこの煙が飛び込んできて、息もできず、涙で何も見えなくなったそうですが、それでもどうにか命は助かり、焼け跡に見舞いに来た光雲と兼松に、無事な姿を見せてくれました。



(序盤あらすじ完)



 序盤から、口述筆記ならではの臨場感あふれる語りで、幕末の暮らしと人々が生き生きと浮かびあがってくる作品です。

 写真を見ると、長いひげをたくわえ、眼鏡をかけて、淡々と、何一つ表情を作る風でもない光雲が、実はこれほどよどみなく鮮やかな語り手であることにまず驚かされます。

(制作中の光雲の写真が表紙になった書籍)
高村光雲―木彫七十年 (人間の記録) -
高村光雲―木彫七十年 (人間の記録) -


 光太郎が彫刻家であり詩人、光太郎の弟の豊周(とよちか)が、鋳金作家で歌人であったことを考えあわせると、祖父富五郎の代から、手先と言葉のどちらにも才能がある一族だったということでしょう。

 大火の中、父兼松が箪笥や荷を踏み越えて光雲のもとに走り、群衆に揉まれながらついに父子が抱き合うくだりなどは、何度読んでも迫力があります。

 (余談ですが、画鬼と呼ばれた天才絵師、河鍋暁斎は少年時代の火災〈1846年〉のおり、火に見とれて写生をしてしまい、身内にこっぴどく叱られたそうで〈『暁斎画談』より〉、併せて読むと昔の火事の状況や、二人の巨匠の性格の違いが浮かび上がってきます。〈かたや律儀に師匠の荷を守ろうとして危うい目に遭い、かたや「よその人まで荷運びを手伝ってくれているのに、絵を描いているとは何事だ」と怒鳴られた。〉)

 ご紹介では割愛しましたが、焼け落ちる前の浅草の街並みや、仏師の彫刻にまつわる用語、当時の職業や物価まで詳細に語られていて、光雲の驚異的記憶力にも圧倒されます。

 そして、何より味わい深いのは、当時の人々の心のありようです。

 親の不運を背負って、十歳にもならない頃から働いたという父、兼松の、無念を抱えながらも情深くさっぱりとした気性や、非常時に見せる逞しさと機転は、序盤最大の読みどころです。

 (一方で、趣味の世界の人気を妬んで毒を盛るという暴挙や、その犯人の逮捕の有無も定かでなく、勿論責任をとった風でもないこと、ほんの子供が教育も受けられずに働かなければならなかったという話からは、モラルも司法も福祉もまるで行き届いていない時代の、救いの無さがにじみ出ています。)


 また、光雲を東雲の弟子にしようとする床屋の安さんの熱意や面倒見のよさも、今の人間関係ではなかなか見られないものです。

 (光雲は、自分の人生を決めたこの安さんの心意気に生涯感謝し、安さん夫婦が亡くなった後は、位牌を自宅の仏壇に飾って、供養を欠かさなかったそうです。)



 文筆家の語る幕末明治は、西洋との国力の差や、国内外の戦争を踏まえ、日本の未来を憂える陰鬱な視点から描かれたものが多く、光雲のように、我が身に降りかかる時代の荒波を、ただ無心に乗り越えようとした人物が語ったものは少ないように思います。

 圧倒的知を持つ文学者たちの、緻密で先を見通した分析も示唆に富みますが、現代ストレス社会に生きる我々読者にとって、現代より過酷な時代に、現代人よりもはるかにシンプルな、しかし不屈の心で挑んだ人々の語りは、単に当時の資料以上の意味を持つのではないでしょうか。

 (個人的体験ですが、かなり気持ちがどんよりしていたときに、この本を読んで、光雲や兼松の、どんなときにも揺るがず、雲一つ無い空のように突き抜けたメンタルに心打たれました。)


 また、東雲が光雲とはじめて会った時、光雲が、読み書きそろばんをほとんど知らなかったことについて、職人はそれで良いのだとあっさりと言い、

 「彫刻師として偉くなれば、字でも算盤でもできる人を使うことができる。ただ、一生懸命に彫刻を勉強しろ」

と、言い聞かせる一方で、入ってきた光雲が脱いだ履物をそろえたことを見落とさず、安さんに、こういう子供は物になるよ、と言ったという話や、光雲の

 「何でも一つの定職を習い覚え、握りッ拳で毎日幾金(いくら)かを取って来れば、それで人間一人前の能事として充分と心得たのです」

 という言葉は、学歴や地位や年収などのステイタスで、事あるごとに人の上下をつける昨今を生きる我々に、隔世を感じさせつつも、ある種の真理を含む、単純明快な価値観を突き付けます。



 そして、「12歳というのは、当時の男の子にとって、ひとつの決まりがつく年齢である。それは、12になると、奉公に出るのが普通です。」(「私の子供の頃のはなし」より)という言葉通り、12歳で将来の道を決め、修行を始めた光雲の当時の考えや生きざまは、思春期に読むと、別の重みを持つ気がします。


 言葉が古かったり、一部表現が不適切だったりはしますが、そこは少し手直しして、新潮や角川の「夏の100冊」などに入れていただいて、課題図書として、少年時代の光雲と同年代の人が読んでくださればいいのに、と、強く思います。


 漠然と、「明治工芸が好き(わかりやすく凄くて綺麗で楽しい)な人間が読むと、ためになる情報が書いてあるんだろう」くらいの気持ちで読み始めたら、予想をはるかにこえて内容も語りも面白く、すっかり引き込まれてしまいました。

 青空文庫や、著作権切れで無料、または安価に、電子書籍でも読めるので、ぜひご覧になってみてください。
 
 (青空文庫 高村光雲の作品一覧)
 http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person270.html

 また近日中にも、こちらの作品から特に面白かったエピソードをご紹介させていただく予定ですので併せてお読みいただければ幸いです。

 読んでくださってありがとうございました。

posted by Palum. at 21:00| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月27日

(※ネタバレ)「ひょうろんロボット」(『ドラえもん』)



ひょうろんロボット 意見にさからえるものはいない.png

 前回
に引き続き、漫画『ドラえもん』のうち、芸術の秋にぴったりの(ような気がする)エピソードについてご紹介させていただきます。

 (ネタバレですので、未読の方は先にコミックをお読みください。)



 「ロボットがほめれば…」(小学館てんとうむしコミックス8巻収録)

ドラえもん (8) (てんとう虫コミックス) -
ドラえもん (8) (てんとう虫コミックス) -


 絵を誉められたい(けれど実力が伴わない)のび太が、どんな絵でも褒めてくれて、皆もそれに影響されてしまうという「ひょうろんロボット」を出してもらうというお話です。



(あらすじ)※セリフの仮名遣いを一部改めてあります。


 しずかちゃんの家で、美術評論家のおじさんを紹介してもらう、のび太、ジャイアン、スネ夫。

 みんなの絵を見てもらうことになりました。

 しずかちゃんとジャイアンの絵の構図や色遣いについてアドバイスをしてくれていたおじさんが、恥ずかしがりながら差し出されたスネ夫の絵を見た瞬間、真剣な表情になりました。

「いわゆるうまい絵ではないが……、ひらめきのようなものが感じられる」

 君には素質があるよ、伸ばし方次第ではかなりのものになるだろう、と、絵を返され、スネ夫は目を輝かせました。

 言われてみれば良い絵だ、と、しずかちゃんとジャイアンがスネ夫の絵に感心している間に、のび太もいそいそと絵を差し出しました。

 「どう?なんかひらめきますか?」

 のび太の期待をよそに、「あん?」と声を発した後は、「+ +」目になっていたおじさんは、

 「これ、幼稚園のころ描いたの?」

 と、昨日描いた絵に、残酷な質問をしてきました。
 (小学生相手に忌憚が無さすぎる。)
 


 いたたまれずに逃げ帰り、「よ、よ、よ……」と、古風にドラえもんに泣きつくのび太。

ひょうろんロボット よ、よ、よ…….png

 「もう泣くな、君のくやしさはよぉくわかる」

 つまり君も、ほめられれば文句は無いわけだ、と、確認し、のび太が、そうなんだよ!と、強くうなずくと、

 「うそでもいいから」

 「ひとこと多い!」

 唇を「3」にとがらせるのび太をよそに、穏やかな笑みを浮かべて、ポケットからひみつ道具を取り出すドラえもん。

ひょうろんロボット ひとこと多い!.png

 「ひょうろんロボット」

 ベレー帽をかぶり、髭をはやした、2頭身のおじさん型ミニロボット。
 
ひょうろんロボット 登場.png

(ドラえもんのひみつ道具の中でも屈指のゆるかわデザイン。フィギュア化もされています。未来デパート製〈笑〉)

PAC 未来デパート ひょうろんロボット(ノンスケール PVC製塗装済み完成品) -
PAC 未来デパート ひょうろんロボット(ノンスケール PVC製塗装済み完成品) -

 「かならずほめてくれる。ロボットがほめればみんながほめる」

  のび太に「なるべくひどい絵」描いてもらい、実験してみることに。

  出来上がったのは、プリミティブなタッチの、太陽の下に立つ動物の絵(種類は不明)

 「こりゃひどい」(失礼)

ひょうろんロボット こりゃひどい.png

 (個人的意見ですが、のび太画伯の作品の中では、可愛いしおしゃれなほうだと思う。〈他の回でもっと線が死んでる感じの絵がある。〉)



 「何らかの動物の絵」を手に、まずはママに感想を聞くことに。

 「絵を見て感想を述べてくれですって?よしましょう!うそはつきたくないし、ほんとのことを言えばあんたが傷つくし」

 言ったも同然の態度で、批判の明言を避けようとするママに対し、のび太、苦々しい顔でひょうろんロボットを作動。

 画伯作「何らかの動物の絵」を、ママに見せながら、ひょうろんロボットのスイッチ(ベレー帽部)をオン。

 ひょうろんロボットがジーっと絵を見た後、ママに向かって「イーイー!」と叫びだすと、ママの表情が一
変します。

ひょうろんロボット イーイー.png

 「いい絵だわ!これほんとにのびちゃんが描いたの!?」

 持っていたバケツを取り落とし、スケッチブックを手にパパのところに走っていきます。

 「のび太の絵なら見たくない!うそはつきたくないし、ほんとのことを言うと」

 「イーイー!」

 「……天才としかいいようがない」

 じんわりと熱い涙を浮かべるパパ。

 「僕は画家になるのが夢だったが……のび太がその夢を実現してくれそうだ」



 「『ひょうろんロボット』の意見にさからえるものはいない」

  実験結果と、ドラえもんの太鼓判に、すっかり安心したのび太は、家を飛び出していきます。

 「人の絵を幼稚園だなんて!みてろ!」

 ところが、勇んで歩いているうちに、ポケットからひょうろんロボットが落ちてしまいます。

 コロンコ、コロンコ、と、坂道を転がり落ちるひょうろんロボット。(かわいい)



 行きついた先で、看板職人のおじさんが、パンの絵を描いていました。

 どうも、パンのふっくらとした感じが出ない……。
 
 首をひねった末、「もういやになった!」と、筆を投げ出してしまいます。

 それが偶然、ひょうろんロボットのスイッチにぶつかりました。

 「イーイー!!」

 プロの仕事のためか、ひときわ高らかに、パンの看板絵をほめたたえるひょうろんロボット。

 そこに、しずかちゃんのおじさんが通りかかりました。

ひょうろんロボット イーイー2.png



 一方、ジャイアンとスネ夫に絵を見せにいったのび太。

 「ふうん、また絵を描いたの」

 「見せろ、笑ってやるから」(酷い)

 今見せてやる、驚くな、と、ロボットを出そうとしたのび太は、ようやく、ロボットを落としたことに気付きます。 

 「わあ、勝手に見ちゃだめ!!」

 「何らかの動物の絵」を二人に大爆笑され、慌ててロボットを探しに行くことに。

 

  のび太が、もと来た道を戻っていくと、道端に人だかりが。

 「おお、この感動!これぞ真の芸術です!モナリザなんか問題にならん!」

 「ふかふかパン」の看板の前で、感動のあまり膝をついて、むせび泣く評論家のおじさんと、迷惑がっている看板職人さんの前に、列をなす人々。(おじさん同様涙を流す人多数。)

 「立ち止まらないで!一人三分で見てください!」

 どこから来たのか、警備の人まで動員され、詰めかける人々を誘導していました。 

ひょうろんロボット これぞ、真の芸術です!.png

 
 (完)

 「ひょうろんロボット」の意見には逆らえない。という、ちょっと怖い、しかし、大人になると結構思い当たるフシが出てくるシニカルな実態と(本当は自分では良いかどうかわからないアート作品では、こういう不確かな鑑賞の仕方結構する。)、人気作品の前でしばしば発生する、人だかりのすきまから時間限定で鑑賞するという現象を、タイトルページを含めてたった7ページに可愛く凝縮している名作です。

 タイトルページもひど面白い(笑)

ひょうろんロボット タイトルページ.png


 是非、漫画で、テンポの良さとともにこのウィットをお楽しみください。

 読んでくださってありがとうございました。

 
posted by Palum. at 22:42| ドラえもん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

(※ネタバレ)「あとからアルバム」(『ドラえもん』あらすじご紹介)


あとからアルバム モデルがよくない.png

 今回は漫画『ドラえもん』のうち、芸術の秋にぴったりの(ような気がする)エピソードについてご紹介させていただきます。

(結末までネタバレですので、未読の方は先にコミックをお読みください。)



 「あとからアルバム」(小学館てんとうむしコミックス31巻収録)

ドラえもん (31) (てんとう虫コミックス) -
ドラえもん (31) (てんとう虫コミックス) -

 宿題で友だちの絵を描くことになったのび太が、撮っていない写真を出せるひみつ道具「あとからアルバム」を使った時のお話です。




(あらすじ)※セリフの仮名遣いを一部改めてあります。

 「うまく描けないなあ……」

 部屋で昼寝をしているドラえもんを水彩絵具でスケッチしているのび太。

 スケッチブックには、水底に沈んでいるような、力無いタッチのドラえもんがふにゃふにゃと広がっている。

あとからアルバム のび太画伯.png

 うんざりしまい、ドラえもんの寝顔に、絵具で落書きメイク(変なアイシャドウとチークに、ぼってりおちょぼ口紅)をしているところを見つけるパパ。

 「不思議だなあ、どうしてのび太は絵が下手なのかね」
(変な化粧で眠るドラえもんについてはノーコメント。)

 いやいや描いているんだろ。という指摘に、のび太は、宿題だから仕方なく、と、素直に認めました。

 「絵は心だ!何かを見て、美しいなとかかわいいなとか心に感じたら、それを表現するのが芸術だ」

 パパが熱をこめて語るのにはわけがありました。

 パパは絵が好きで、小学生の頃、全国図画コンクールで金賞を獲ったことがあったのです。

 パパの受賞を信じようとしないのび太に、パパは、記念写真を見せようとしましたが、戦時中、空襲で焼けてしまったことを思い出し、惜しいことをした、と、残念がりながら、のび太の部屋を出ていきました。



 一方、のび太は、パパの子なら自分の中にも絵の才能が眠っているはずだ、と、にわかに目を輝かせてやる気になると、眠るドラえもん(変な化粧済)を指さし、

 「モデルがよくない。美しくもかわいくもない!」

と、言い放ちます。(酷)

 「美しくかわいいモデルといえば、しずちゃんに決まっている」

 そう考え、寝ているドラえもんを残して出かけていきました。



 しずかちゃんの家を訪ねて行ったのび太は、才能を呼び覚ますためにぜひ、と、頼み込んで、椅子に座るしずかちゃんを描きはじめます。



 そうとは知らないドラえもんは、熟睡からさわやかに目覚め、「『ぼくの親友』というテーマの宿題はできたのかな?」と、変な化粧に彩られた笑顔で部屋を出ていきます。

あとからアルバム 「ぼくの親友」.png

 そこで、ママが、ドラえもんを見かけて大笑いし、ようやくのび太のいたずらに気付きました。

あとからアルバム ママ爆笑.png



 一方、のび太は、頼み込んだモデルなのに、しずかちゃんが少し動いただ、まばたきをしただ、巨匠ばりに厳しく文句をつけたので、とうとうしずかちゃんからモデルを断られてしまいました。



 「せっかく花咲こうとした才能が、またしぼんでしまった。」

 しずかちゃんの家からしぶい顔で出てきたのび太は、怒ってのび太を探していたドラえもんに出くわします。

 しらばっくれた挙句、証拠もなしに犯人にするな!と、言い返すのび太に、「あとからアルバム」を出すドラえもん。

 「対象となる人物の氏名」と「過去の日時」を書き込み、閉じて、3分後に開くと、その人物の指定日時の姿が写真で見られるという道具です。

 ……と、いうわけで、アルバムに現れた、ドラえもんの顔に変な化粧を施すのび太の証拠写真。

あとからアルバム 証拠写真.png

 素直に恐れ入った後、過去、自分が何をしていたか見てみたい、と、アルバムを手にしたのび太。

 「昨日」「一週間前」「一ケ月前」「一年前」を指定して写真を出してみたところ、「空き地で昼寝するのび太」、「部屋で座布団を枕に昼寝するのび太」「机にうつぶせて昼寝するのび太」「部屋で座布団を枕に昼寝するのび太(二枚目)」と、ろくな写真がありませんでした。

 「一年間ほとんどごろごろしてたってことさ」

 ドラえもんが、冷静に指摘する一方で、のび太は「そうだ!これを使えば……。」と、あることを思いつきます。

 これ以上無駄遣いしちゃだめ、と、アルバムを取り返そうとするドラえもんに、のび太は、芸術のためだぞ、と、それを奪い返して、空き地に向かいました。



 しずかちゃんの写真をモデルに絵を描く。

 と、アルバムに情報を書き込んで、開くと、

 「ヒャア……。」

 出てきたのは、お風呂上がりのしずかちゃんの写真。

 「宿題にヌードはまずいんじゃないの。」

 アルバムを手に苦笑いするドラえもん(←……)と、やはりねえ、と、笑顔で頭をかくのび太。

あとからアルバム 宿題にヌード.png

 たくさん写せば、なかには、いいのが……、と、写真を出し続けます。

 「困るなあ、いつもおフロに入っている」

 「時間をみはからって指定してるくせに」

 (次々出てくるしずかちゃんの入浴シーン写真)

 「どれもこれもまずいなあ。」

 「じつにまずい、もっとだせ」

 足元に写真を敷き詰めて、二人揃ってこぼれんばかりの笑顔で、写真選別(の名を借りたのぞき)をしていると、「なにがまずいの?」と、通りかかったしずかちゃんが声をかけてきました。

あとからアルバム 実にまずい、もっと出せ.png

 「全部とりあげられた」

 全身あざだらけ、のび太のシャツはほころび、ドラえもんは全ての髭が曲がりくねるまで制裁を加えられた二人。



 「何を貸してもろくなことに使わない!!」

 家に帰りながら、のび太を叱るドラえもんと、返す言葉がないのび太。
 (ドラえもんも「じつにまずい、もっとだせ」と言っていたが。)


 部屋でそっぽを向いて座ってしまったドラえもんに、のび太は、もう一度アルバムを出してくれるよう頼みます。

 「最後に一枚だけ、いいことに使うから」



 「コンクールで金賞をとったとき?あれはたしか……」

 パパから日時を聞き出したのび太は、一枚の写真を作り、パパの机にそれを隠しました。



 その夜。

 「のび太!!写真が見つかったぞ!!」

 おじいちゃんとおばあちゃんと並んで、笑顔で賞状を手にする、小学生の頃のパパの、金賞受賞記念写真。

 「すっかりあきらめていたのに」

 驚きながら喜ぶパパに、やってきたのび太とドラえもんも、笑顔になりました。



(完)

 のび太画伯のマイナス方面に卓越した画力、ドラえもんの変な化粧(本人は気付いていないがゆえの素の笑顔や真顔が笑いを誘う)、「宿題にヌードはまずいんじゃないの?」「どれもこれもまずいなあ」「実にまずい、もっと出せ」(withものすごい笑顔)など、見どころの多い回です。

(のび太のエロに引きずられ、大人ドラえもんファンの間では名高い、ドラえもんのダークな一面がいかんなく発揮されている点でも名作回。)

 厳しいママに対しては裏をかくために道具を駆使するのび太が、パパに対しては結構親孝行であることが垣間見えるエピソードでもあります。



 個人的な話なのですが、最近、現代アートの巨匠である、ジャコメッティアンドリュー・ワイエスの本を読んでいたら、芸術家が特定の人物に魅了され、モデルとして追い続け、相手も忍耐強くポーズをとって画家の情熱に応えるという話が、何度も出てきました。

 芸術家に才能があっても、モデルに魅力がないと誕生しない名作があるのだと学ぶと同時に、「モデルがよくない。美しくもかわいくもない!」というこの回のコマ(変な化粧のドラえもんと酷いのび太)の記憶が鮮明に蘇ったので(何で)、ご紹介させていただきました。



 次回も、芸術の秋にピッタリの(ような気がする)ドラえもんのエピソードをご紹介させていただきますので、よろしければお立ち寄りください。

 読んでくださってありがとうございました。


posted by Palum. at 19:20| ドラえもん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月24日

アメリカの国民画家アンドリュー・ワイエス おすすめ作品2(孤高のアウトサイダー、ウォルター・アンダーソンをモデルにした作品)

今回も、アメリカの国民的画家、アンドリュー・ワイエス(Andrew Wyeth)(1917〜2009)のおすすめ作品とエピソードについて書かせていただきます。
 
 当ブログ、ワイエス関連の記事は以下の通りです。
 ・アメリカ現代絵画の巨匠 アンドリュー・ワイエス(NHK「日曜美術館」「ワイエスの描きたかったアメリカ」に寄せて)
 ・アメリカの国民画家、アンドリュー・ワイエスのおすすめ作品1(シポーラ夫妻をモデルにした絵画)

(参照:NHK「日曜美術館」「ワイエスの描きたかったアメリカ」番組情報)
http://www4.nhk.or.jp/nichibi/x/2017-09-10/31/25342/1902735/


(資料として、高橋秀治さん著『アンドリュー・ワイエス作品集』(以下、『作品集』と略)と BBCの番組「Michael Palin in Wyeth’s World」を参照させていただきました。)

アンドリュー・ワイエス作品集 -
アンドリュー・ワイエス作品集 -



「Michael Palin in Wyeth’s World」番組公式HP
http://www.bbc.co.uk/programmes/b03njgvc


・友人ウォルター・アンダーソンを描いた作品
(「Young Swede(若きスウェーデン人)」(1938)、「Night Hauling(夜の引網)」(1944)、「Adrift(漂流)」(1982))


 ワイエスは、幼いころから、毎年、避暑のために父の別荘があるメイン州の海辺を訪れていました。

 この、夏は涼しい風が吹き、冬は厳しい寒さとなる地で、少年時代に出会ったのが、ウォルター・アンダーソンでした。

 ウォルター・アンダーソンは、父親の代からの漁師で、フィンランド系とネイティブ・アメリカンのハーフというバックグラウンドを持っていました。

 ワイエスがテンペラ画制作を始めた頃にウォルターの肖像を描いた、「Young Swede(若きスウェーデン人)」(1938)(※)によれば、ウォルターは、北欧の血を思わせる、輝くような金髪で、紺碧の瞳に反骨の閃く美青年でした。

(※)なぜ、フィンランド系のウォルターの絵に「スウェーデン人」とタイトルをつけたのかは謎。

「Young Swede」の画像を含む公式ギャラリーページ (青いシャツを着た金髪の青年の絵。)
http://andrewwyeth.com/gallery/



 ウォルターは、密漁などにも手を染める一種のアウトサイダーでもありました。

 しかし、番組によれば、幼いころから海賊の物語に親しんでいたワイエスの目には、北欧の血を引くウォルターが現代のバイキングのように映り、二人が若いころは一緒にボートを盗みに行っていたりしたそうです。

(ワイエスの父で人気挿絵画家だった、N・C・ワイエスは『宝島』の挿絵を手掛けており、ワイエスにとって海賊とは、父の絵の中の男たちのような存在だったのかもしれません。)

(N.C.ワイエスの挿絵画集)
N. C. Wyeth (Museums of the World) -
N. C. Wyeth (Museums of the World) -


 ワイエスは「Young Swede」と同年、自画像を描いていますが、構図や表情が酷似しており、ワイエスがウォルターに対し、兄弟のような親近感を抱いていたことがうかがえます。

 実際、美しい容姿ながら、無口で人とのコミュニケーションが苦手だったウォルターも、ワイエスとは不思議とうまが合い、(作品集では「それは、ワイエスがかつて集団に馴染めない子供時代を送ったためかもしれない」と分析しています。〈p.134〉)ワイエスは毎夏のように、彼をモデルに作品を描きました。

 あくまで想像ですが、ウォルターにとっても、ワイエスが、周囲と隔絶している自分を、孤高の存在として描き上げてくれることが、誇らしかったのかもしれません。



 ウォルターのアウトサイダーとしての側面と、ワイエスのそれに対する共感や憧れが生んだ名作が、「Night Hauling」です。

 所蔵先「Bowdoin college museum of art」の「Night Hauling」公開画像。

http://artmuseum.bowdoin.edu/Obj9585?sid=27317&x=91436

(「inspect」部をクリックすると拡大画像が見られます。〈非常に美しい。〉)


 夜の海で、小舟に乗った青年(ウォルター)が、罠籠を引き揚げる瞬間。

 罠籠から流れ落ちる海水は燐光に染まり、小さな滝が、小舟のへりに、輝く波紋を広げ、罠籠も灯篭のように淡い光を放っています。

 しかし、光に浮かび上がる青年の顔は、背後に向けられており、こちらからは伺い知ることができません。

 実は、彼が引き揚げているのは、他の漁師が仕掛けた罠籠で、これ(密漁)は、見つかれば死にもつながるような制裁を受ける犯罪行為でした。(作品集p.99参照)

 そのため、ウォルターの目は、神秘的な光でも、ロブスターでもなく、用心深く周囲を見回している。

 ワイエスは、この密漁に同行し、夜の海に燐光が起こす光と水の動きと、ウォルターの緊張感の両方を描き出しました。



 これは、ただ、美しく、特殊な題材の絵であるだけでなく、画材上、夜を描くには不向きであると考えられているテンペラ(※)で、暗がりの複雑な様相を描き出すことに成功したという意味でも、ワイエスの画業の中で、重要な作品となりました。
(番組内、Brandywine river museumスタッフの言葉より)

(※)油絵と異なり、色が淡く、すぐに塗料が乾き、重ね塗りやぼかしに向かない点が、暗さの表現を難しくしているのだと思います。



 ワイエスは一度親しくなった人とは、末永く友情を築く人物で、ウォルターとも、少年時代から、長きにわたり交流を続けてきました。

 ワイエスの絵の中で、挑戦的なまなざしをした青年は、次第に年を重ねていきます。

 そして、病弱だったワイエスより先に、ウォルターの体が衰えていきました。

  1982年、ウォルターとの別れが近づいていることを予感しながら、ワイエスが描いたのが、「Adrift(漂流)」でした。

 「Adrift」の画像を含む公式ギャラリーページ。(舟に横たわる男性の絵。)
 http://andrewwyeth.com/gallery/



 波間の白い小舟に横たわり、瞑目する一人の漁師。

 顔を覆う髭は、かつて輝くばかりだった金髪と同じに透けて光りながらも、白いものが多く混じり、若いころの美しさをうかがわせる彫りの深い顔立ちは、潮風と海に照り返す陽に焼けて、深いしわが刻まれています。

 まどろんでいるようにも、亡骸が彼岸に旅立つようにも見える情景。
 (ワイエス作品には、しばしばこうした生と死のあわいのような気配が漂います。)


 「ウォルターにまつわるワイエスの最も古い思い出は、二人で小舟に乗って時を過ごしたこと。舟はこの友と切っても切れない存在である。ウォルターが自分の前から姿を消しても、舟に乗ってどこかを漂流しているのだろう――そんなふうに思いたいワイエスの心情が伝わってくる。」
(作品集p.168)



 ネイティブ・アメリカンの人々の中には、人が亡くなると、小舟に乗せて海に送り出し、火矢を放って亡骸を灰にするとともに、彼岸に旅立つ魂の灯とする、という習慣があったそうです。(※)

 ワイエスがウォルターのもうひとつのルーツであるネイティブ・アメリカンのこうした物語を知っていたかどうかは定かではありませんが、さまざまな民族が思い描いてきた、「死者の憩う、海の向こうの、永遠の国」へ、向かう姿も彷彿とさせます。

(※)映画「ジブラルタル号の出帆」(1988)より。
 名優バート・ランカスターが、子や孫たちに慕われる祖父を好演したヒューマン・ストーリー。
 自分が世を去ったときに望む埋葬の仕方として、孫たちに、このネイティブ・アメリカンの伝説を語る場面がある。



 この作品は、ウォルターの体が弱っていて、海に浮かべた舟でポーズをとるのは難しかったため、実際には、小屋の中に舟を置いて、描かれたものだそうです。(作品集p.168)



 かつて、海賊を思わせた、夜の海に漕ぎ出し、光輝く罠籠を盗んでいた青年が、今は年を重ね、小屋の中の舟で横たわっている。

 それを描くワイエスと、目を閉じるウォルター。

 互いの胸によぎるものは何だったのでしょうか。



 1987年、ウォルターは、世を去りました。

 1995年、ワイエス夫妻は、ウォルターの生きたメーン州のファーンズワース美術館に一枚の絵を寄付しました。


 「Turkey Pond」(1944)

 鳥を狩るのか、沈んだ緑色の狩猟服とグレーの帽子を身に着けた、金色の髪の青年が、ただ独り、枯れ野を行く絵。

 絵は、この言葉とともに、美術館に託されました。

 「In memory of Walter Anderson(ウォルター・アンダーソンを偲んで)」。


 (所蔵先「Firnsworth museum」の「Turkey Pond」公開画像。)(※画像をクリックすると拡大できます。)

 https://collection.farnsworthmuseum.org/objects/2540



 ワイエスは91歳まで様々な境遇の人物と交流し、ときに数十年にわたり、彼らをモデルに作品を描き続けました。

 自身の体の弱さや、偉大な父の事故死などを経て、常に心の奥底に、生きることのはかなさを感じながら、友情とともに彼らの日々を描いた絵画の数々は、時に理不尽な現実を生きた人々の、葛藤と誇りを物語ります。

 病弱ながら才能に溢れた画家と、過酷な自然や世の中に挑み続けたアウトサイダーの、数奇な、長い友情の軌跡が描かれた名作群を、ぜひご覧になってみてください。

 読んでくださってありがとうございました。


 (参照URL)
・ウィキペディア「アンドリュー・ワイエス」(日本語版)
 
・同上英語版「Andrew Wyeth」
 https://en.wikipedia.org/wiki/Andrew_Wyeth

・アンドリュー・ワイエス公式HP
 http://andrewwyeth.com/
・公式HP「ギャラリー(一部作品画像)」
http://andrewwyeth.com/gallery/

 ・ブランディワイン・リバー美術館
(アンドリューを含むワイエス家三代の絵画を所蔵)
  http://www.brandywine.org/museum
 ・ブランディワイン・リバー美術館
「アンドリュー・ワイエス回顧展(※9月17日まで)」情報 
  http://www.brandywine.org/museum/exhibitions/andrew-wyeth-retrospect
 
 ・ファーンズワース美術館
 (アンドリューを含むワイエス家三代の絵画を所蔵、オルソン・ハウスの保存も手掛ける)
  http://www.farnsworthmuseum.org/
 ・ファーンズワース美術館 オルセン・ハウスのガイドツアー情報
  http://www.farnsworthmuseum.org/experience/tours/olson-house/

・丸沼芸術の森
 (ワイエスの水彩や下絵を主に所蔵、常設展は無いが、2017年9月16日から「アンドリュー・ワイエス 生誕100年記念展」を開催)
 http://marunuma-artpark.co.jp/
 http://marunuma-artpark.co.jp/event/index.html#20170801

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2017年09月20日

アメリカの国民画家、アンドリュー・ワイエスのおすすめ作品1(シポーラ夫妻をモデルにした作品)

 今年は、アメリカの国民的画家、アンドリュー・ワイエス(Andrew Wyeth)(1917〜2009)の生誕100年です。
(当ブログ、ワイエスご紹介記事はコチラです。)

(参照:NHK「日曜美術館」「ワイエスの描きたかったアメリカ」番組情報)
http://www4.nhk.or.jp/nichibi/x/2017-09-10/31/25342/1902735/


 これにちなんで、今回は、ワイエス作品のうち、個人的に好きな絵とエピソードをご紹介させていただきます。

(資料として、高橋秀治さん著『アンドリュー・ワイエス作品集』と BBCの番組「Michael Palin in Wyeth’s World」を参照させていただきました。)


アンドリュー・ワイエス作品集 -
アンドリュー・ワイエス作品集 -




「Michael Palin in Wyeth’s World」番組公式HP
http://www.bbc.co.uk/programmes/b03njgvc

(イギリス伝説のコメディグループ、「モンティ・パイソン」の一人、マイケル・ペイリンが、ワイエスの愛した土地と、息子ジェイミーや、モデルとなった人々を紹介した番組。深く、温かみがあり、マイケルの上品な軽妙さと相まって非常に良い番組でした。NHKで放送していただきたい……。)



シポーラ夫妻の絵「Marriage(1993)」と「Glass House(1991)」と、夫妻の復讐事件(笑)



 ワイエスは自分の近隣に住む一般の人々をモデルに描くことを好みました。

 シポーラ夫妻もワイエスの友人となり、ワイエスが夫妻と彼らの日常生活を描けるように、夫妻の自宅の鍵を渡して、ワイエスが好きな時に家に入れるようにしました。

 一般的には想像しづらいですが、ワイエスの代表作「クリスティーナの世界」のモデルとなったクリスティーナ・オルセンと弟のアルヴァロ、さらに同じく重要なモデルだったカーナー夫妻も、シポーラ夫妻と同様、ワイエスを出入り自由にさせていたそうです
(作品集p.169 参照)。

 シポーラ夫妻によれは、ワイエスが勝手に入ってきても「侵入」という感じはしなかったそうです。

(番組では「ほとんど家具の一部のように溶け込んでいた」と形容。)

 ワイエスは幼いころ病弱で、学校に行けなかったそうですが、代わりに、様々な年代、人種、境遇の人々と、長い友情を築きました。

 集団生活にはうまくなじめなかったものの、一度友人となった人たちに対しては、不思議な親和力がある人だったようです。



 このように、ワイエスの(無断)訪問を受け入れていたシポーラ夫妻でしたが、ある朝(5〜6時頃)、夫妻が目を覚ましたら、ベッドのすぐそばにワイエスがいて、眠る夫妻を熱心にスケッチしており、夫人を絶叫させました。
(無理もない。)

 BBCの番組によれば、この「早朝無断訪問絶叫事件」後も、ワイエスは反省の色を見せず、いつもつま先立ちの忍び足で家に入ってきていたそうです。

(慣れ親しんだ土地からほとんど出なかったために「人嫌い」と誤解されたワイエスですが、描くとなると、ものすごく距離が近くなる模様。)

 ちなみにこのときワイエスは70代半ば、すでにレーガン大統領から表彰されるなど、国民画家としての地位を不動のものにしていました。
(でも忍び足で人の家に侵入する。)



 さすがに早朝に何度も入ってこられるのはどうかと思った夫妻は、復讐を画策しました。

 カツラをかぶせたマネキンを、夫妻のベッドに置いて、ワイエスを待ち構えることにしたのです。
(手がこんでる〈笑〉)



 そうして、隣の部屋に隠れ、ドアの隙間から覗いていたところ、いつも通り、静かに勝手に入ってきたワイエスが、様子がおかしいと気付いたのか、布団をめくった瞬間、隣の部屋から「(悪事を)見つけたぞ!!見つけたぞ!!」と、叫んで、ワイエスを驚かせたそうです。

(「We gottcha」=「We got you」で、「見つけた」「捕まえた」という意味があるそうです。)

 「失礼なことをしたけれど、ワイエスもこういういたずらを嫌いじゃなかったんです」

 シポーラ夫人はワイエスとの日々をそう振り返っていました。



 絵を見ると、シポーラ夫妻は上品な熟年カップルなのですが、どこから調達したのかマネキンまで準備して、早朝に二人そろって待ち伏せしている。

 この、復讐のためなら手間を惜しまない姿勢と、夫婦でワイエスの侵入をドアの隙間から覗き見ている様子を想像すると、なぜワイエスが、この二人をモデルにしたいと思ったのかがわかる気がします。



 この、微笑ましいような、国民画家でなければ逮捕されそうな出来事を経て描かれたのが、「Marriage」です。

 (著作権の問題で画像公開が少ないのですが、BBCの番組ページで夫妻が場面を再現している画像があります。絵をご覧になりたい方は「Wyeth marriage」で検索をかけてみてください。)


 ベッドに横たわり、並んで眠る熟年の夫婦。

 カバーは暖かい色をしていますが、開かれた窓の向こうの景色は寒々しく、夫妻の肌も、周辺の空気も、ワイエス独自の、少し沈んだ色調で描かれています。

 そのため、ただ夫婦が並んでスヤスヤ眠る絵のようにも、ともに永遠の眠りについたようにも見えます。
(棺の上に生前の姿で横たわる彫刻〈Tomb effigy〉を思い出させる。)

(Tomb Effigyの一例〈Wikipediaより 画像提供者:AYArktos.〉)

Richard1TombFntrvd縮小.jpg

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Richard1TombFntrvd.jpg;

 また、かすかに死の気配がするために、逆に死後も寄り添う夫婦の、永遠の絆も感じさせます。

 ほのぼのしているような、神聖さの漂うような、ワイエス作品の中でも異色の味わいを持つ作品です。
(あんなコントみたいな裏話があったとは到底思えない。)



 このほか、番組では、制作に没頭するワイエスが、モデルになっていたシポーラ夫人の出勤時間になっても、手を止めようとしないので、仕方なく遅刻の連絡を入れたというエピソードも紹介されていました。

 (夫人曰く「時間の概念が無い人」。絵への執念と集中力がそうさせていたのでしょう。)

 しかし、夫妻はワイエスのそうした態度をおおらかに受け入れていました。

 ワイエスはシポーラ夫人をモデルに「Glass House」(作品集p.95)という作品を描いていますが、この絵からは、彼らに対する、ワイエスの親愛と感謝が感じられます。
(ご覧になりたい方は「Wyeth glasshouse」で検索してみてください。)

 大きな窓に囲まれたサンルームに腰掛け、こちらを向いて、いかにも機転が利いて人好きのするような、どこかいたずらっこを見るようでもある、楽しげなほほえみを浮かべる夫人の姿。

 (くりくりした目と、笑いをこらえるような口元からは、確かに復讐のためにわざわざマネキンとカツラを用意しそうな感じもする。)

 ワイエスがほかの友人たちをモデルに描いた、人生の陰影を感じさせる肖像画とは別の、温かな魅力のある作品です。


ワイエスは彼らと親しくなってから、毎年(約20年間)夫妻のクリスマスパーティーに参加していたそうです。

 (番組でパーティーを再現していましたが、奥様がギターでクリスマスソングを弾き、旦那様がサンタひげと光る赤い鼻をつけてタンバリンを叩いていました。楽しそう。)

 夫妻の手元には、ワイエスがパーティーの仮装で王冠をかぶったり、警官の恰好をしたりして、満面の笑みを浮かべている写真が、大切に保存されていました。



 ワイエスは、様々な人種や境遇の人々を描いたことから、アメリカの平等精神の象徴のようにとらえられ、生誕100年の今(おそらくは政治上その平等の精神がゆらいでいるために一層)、国民画家として、評価が高まっています。

 ワイエスが、人種や、経済的格差に対して偏見を持たず、モデルとなった人々を描いたのは間違いないでしょう。

 しかし、おそらく、それは、特定の信条や政治的意見に則ってではなく、ただ、ワイエスが単純に友人として彼らを好きだったから。

 互いの友情ゆえに、彼らはワイエスにとって大切なモデルとなり、彼らの人柄と、ワイエスの好意が結びついて、観る者の心をとらえる数々の名作へと結実していったのではないでしょうか。

 シポーラ夫妻のエピソードからは、ワイエスのそうした、友人となった他者に対する、人懐こさや、敬意、かなり大胆なようで、相手を侵害せず、受け入れられてしまう、独自の人間的魅力がにじみ出ています。

 是非、作品集で、彼らを描いた絵やエピソードをご覧になってみてください。

 読んでくださってありがとうございました。


 (次回記事では、ワイエスのもう一人の友人、ウォルター・アンダーソン">についてご紹介させていただきます。よろしければ併せてお読みください。)


 (参照URL)
ウィキペディア「アンドリュー・ワイエス」(日本語版)
 
・同上英語版「Andrew Wyeth」
 https://en.wikipedia.org/wiki/Andrew_Wyeth

・アンドリュー・ワイエス公式HP
 http://andrewwyeth.com/
・公式HP「ギャラリー(一部作品画像)」
http://andrewwyeth.com/gallery/

 ・ブランディワイン・リバー美術館
(アンドリューを含むワイエス家三代の絵画を所蔵)
  http://www.brandywine.org/museum
 ・ブランディワイン・リバー美術館
「アンドリュー・ワイエス回顧展(※9月17日まで)」情報 
  http://www.brandywine.org/museum/exhibitions/andrew-wyeth-retrospect
 
 ・ファーンズワース美術館
 (アンドリューを含むワイエス家三代の絵画を所蔵、オルソン・ハウスの保存も手掛ける)
  http://www.farnsworthmuseum.org/
 ・ファーンズワース美術館 オルセン・ハウスのガイドツアー情報
  http://www.farnsworthmuseum.org/experience/tours/olson-house/

・丸沼芸術の森
 (ワイエスの水彩や下絵を主に所蔵、常設展は無いが、2017年9月16日から「アンドリュー・ワイエス 生誕100年記念展」を開催)
 http://marunuma-artpark.co.jp/
 http://marunuma-artpark.co.jp/event/index.html#20170801


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2017年09月09日

アメリカ現代絵画の巨匠 アンドリュー・ワイエス(NHK「日曜美術館」「ワイエスの描きたかったアメリカ」に寄せて)


 9月10日午前9時00分〜 午前9時45分、NHK Eテレの「日曜美術館」で、アメリカの国民的画家、アンドリュー・ワイエス(Andrew Wyeth)(1917〜2009)が特集されます。
(再放送は9月17日20時〜)

(番組公式情報)
 http://www4.nhk.or.jp/nichibi/x/2017-09-10/31/25342/1902735/

 写真と見まごうばかりの緻密な画面で、人や風景、そして神秘的な情景など、多彩な作品を描いたワイエス。

(代表作「クリスティーナの世界」)
Christinasworld.jpg
By http://www.moma.org/collection/object.php?object_id=78455, Fair use, https://en.wikipedia.org/w/index.php?curid=8005786

 今回の特集では、ワイエス作品のうち、移民としてアメリカに生きる人々の絵画にスポットをあて、ワイエスが描こうとしたアメリカとは何であったかについて考察されるそうです。

 今回の記事では、番組解説もご担当される高橋秀治さんの著書、『アンドリュー・ワイエス作品集』(以下『作品集』と略)を主に参照させていただきながら、ワイエスの基本情報をご紹介させていただきます。

アンドリュー・ワイエス作品集 -
アンドリュー・ワイエス作品集 -




(アンドリュー・ワイエスの生涯)

 ワイエスは1917年、ペンシルベニア州の田舎町、チャッズフォードに5人兄弟の末っ子として生まれました。

 父親はニューウェル・コンバース・ワイエス(N・C・ワイエスと略されることが多い。)。
 https://en.wikipedia.org/wiki/N._C._Wyeth

N. C. Wyeth (Museums of the World) -
N. C. Wyeth (Museums of the World) -


 堂々とした質感に満ちた、写実的な画風で、挿絵画家として成功していた人物でした。

 ワイエスは、裕福な家庭で、恵まれた子供時代を送りましたが、心身繊細な子供で、学校に通うことができず、家庭教師に勉強を教わることになりました。

 父の影響で既に絵を学んでいた姉たちと自分を比べ、内心では疎外感を覚えることが多い子供時代だったそうです。

 少年時代は自己流で絵を描いていたワイエスでしたが、15歳のころ、父がワイエスの才能に目を留め、本格的に基礎を身に着けることを勧めます。

(補:作品集に15歳の頃のペン画が載せられていますが、すでに驚異的な緻密さと歴史的想像力を兼ね備えた非凡な才能が見て取れます。)

 自由に描くことを好んだワイエスにとって、この父の指導による基礎訓練は窮屈さを感じるものだったようですが、これにより、ワイエスの才能は磨かれ、数年後にはさらに高い写実技術を身につけました。

 19歳で、水彩による風景画を集めた個展を開くと、作品は完売。ワイエスはすぐに、名声を得ることになりました。

(作品集「ワイエスという画家」部p.5〜6参照)


 ちなみに、ワイエスの作品は水彩のほか、卵テンペラで描かれたものが多いです。

 卵テンペラは、卵の卵黄と絵の具に、酢や油などを混ぜ合わせて色を作り上げる技法(作り方を見るとマヨネーズそっくりです。)で、乾きが早い上に色あせが少なく、油彩と比べると、透明感のある色調で描くことができます。

(数百年前の作品でもいまだ鮮やかな色を保つフラ・アンジェリコボッティチェリ作品がその好例です。)

 一方乾きが速いので、油彩のような画面上で色を混ぜ合わせる形でのぼかし表現が難しく、線を描き込むことで陰影をつけるという方法がとられるそうです。

 この技法を用いることで、ワイエスの作品は、繊細な線描とともに、暗い色合いを用いてもほのかな光が差し込むような神秘的な味わいを持つことになりました。

(普通の人々と質素な家屋を描きながら、どこか神聖な気配が漂っているのは、この描き方それ自体と、観る者の中にある、古き良き宗教画の記憶が重なり合うからかもしれません。)



 23歳のとき、ワイエスは4歳年下の美しい女性、べッツィーと結婚しました。

 べッツィーは聡明な女性で、結婚後はワイエスのマネージャー的役割を務めてくれましたが、この結婚は父の反対を押し切ったものでした。

 売りやすい絵にするために、息子の創作に口出しをする父と、それに内心反発していたワイエスの間には、すでに微妙な緊張感があり、ワイエスは、結婚により、父と精神的距離をとることになりました。

 (彼がテンペラを選んだのも、油彩が得意だった父の影響から逃れるためだったという説があります。)

 しかし、ワイエス28歳のとき(1945年)に、父が交通事故で急死、ワイエスは父との和解と、画家としての父を乗り越える機会を失います。

 「冬」はこの時期に描かれた作品で、寒々しい丘を駆け下りてくる少年の、バランスをくずしかけた姿には、父を失ったワイエス自身の動揺が投影されています。

(「冬」の一部を表紙にした画集)
ワイエス (現代美術 第3巻) -
ワイエス (現代美術 第3巻) -


(作品集「新たな出発」部p.10〜11参照)



 父の死をきっかけに、ワイエスの作品は、きわめて写実的でありながら、物思いにふけるような気配を深めてゆきます。

 第二次世界大戦から冷戦という、社会の混乱期にあっても、ワイエスは途切れることなく、故郷ペンシルヴェニアの田舎と、避暑地メイン(カナダとの国境に位置する州)の人や風景を描き続けました。

(ワイエスは生涯のほとんどをこの二つの地で過ごし、ほかの場所にはめったに出かけなかったそうです。)



 チャッズ・フォードには、ドイツ系や、アフリカ系の移民が住んでおり、隣人として彼らと交流のあったワイエスは、彼らと、彼らの暮らす家屋や生活を描きました。

 なかでもワイエスの心をとらえたのは、少年時代から交流のあったドイツ系移民のカーナー夫妻でした。

 第一次大戦中に従軍経験があり、アメリカ移住後を含め、苦難の日々をくぐりぬけてきた夫カールと、英語を覚えられず、寡黙に働き続けた妻アンナを、ワイエスは、張り詰めた厳粛さとともに描きました。

 ワイエスはカールに、愛しながら複雑な感情のまま失ってしまった父の面影を重ねていたのかもしれないとも考えられています。

(作品集「カーナー農場」部p.45〜67参照)



 また、カーナーが病に倒れてから、看護師としてカーナー家で働き始めたドイツ系女性、ヘルガも、ワイエスの重要なモデルになりました。

(ヘルガの肖像画が表紙の本)
Andrew Wyeth: The Helga Pictures -
Andrew Wyeth: The Helga Pictures -

 この、若さや美貌は無いものの、内に秘めた力を感じさせる肉体と、己の心の陰影を見つめるようなうつむき顔をした女性は、繰り返しワイエスの裸体画のモデルを務め、その絵の存在が長年隠されていたことから、後にマスコミから、二人の男女関係が疑われますが、互いにそれを否定。ヘルガは助手として、ワイエスの最晩年まで彼の身の回りの世話をしたそうです。

(作品集「ヘルガ ー画家とモデルの揺るぎない関係ー」部p.68〜77参照)



 さらに、同じく少年時代から交流があった、幅広い世代のアフリカ系移民、ネイティヴ・アメリカンの血を引く人物など、様々な友人知人を描いたワイエスは、避暑地のメイン州で、彼の名声を決定づけるモデルと出会います。

 アメリカ現代絵画の金字塔とも言える、「クリスティーナの世界」で描かれた女性、クリスティーナ・オルソン。

 「クリスティーナの世界」は、枯れた色の草原に、細く、力の籠った両腕をついて、身を起こし、遠くの家屋に目を向ける女性の後ろ姿を描いた絵画です。

 モデルとなった、クリスティーナ・オルソンは、進行性の病で、この時期両足が不自由になっており、しばしば屋内や周辺の土地を、這って移動していました。
 
 クリスティーナと、彼女を支える弟、アルヴァロの人柄と暮らしぶりに心惹かれたワイエスは、彼らの家に頻繁に出入りするようになり、ついには二人が使用していなかった二階を使わせてもらうようになりました。

(オルソン家に限らず、ワイエスのモデルとなった隣人たちは彼の訪問に非常に寛大で、彼に鍵を渡して、勝手に出入りし、住人や家の中を好きにスケッチすることを許した家庭もあったそうです。〈作品集p.169参照〉)

 この絵は、ワイエスが、オルソン家の上階から、お気に入りのピンクのワンピース姿で、這ってブルーベリーを摘むクリスティーナの姿を見つけたことをきっかけに描かれました。

 絵の所蔵先であるMoma美術館のHP(日本語解説)によると、後に、ワイエスは、この絵について、Moma美術館初代館長にこう書き送ったそうです。

「私の課題は、ほとんどの人に望みなしと思われている彼女の人生を、彼女自身が克服しようとしている並々ならぬ姿を、 しっかりと表現することでした。私が描いたものによって、彼女の世界は、肉体的には制限があっても、精神的にはいっさいそのようなことはないのだと、 ささやかな形であれ、見る人に思わせることができたとしたら、私の目的は達成されたことになるのです。」



 ワイエスは、誇り高く強靭な精神の持ち主であるクリスティーナと、控えめで姉思いのアルヴァロの日常を、彼ら本人の肖像のみならず、不在の部屋や所有物からも描き出しました。

 ワイエスの代表作の一つ、「海からの風」は、古びたレースのカーテンを揺らす夏の風と、窓の向こうに広がる草地と水辺の景色を描いたもので、これも、オルソン家の風景をモチーフにしたものです。

(「海からの風」を使用した本の表紙)
Andrew Wyeth: Looking Out, Looking in -
Andrew Wyeth: Looking Out, Looking in -

 ワイエスとの30年以上の交流を経て、アルヴァロが姉を案じながら逝去すると、クリスティーナも後を追うように世を去りました。

 ワイエスは彼らの死後にもオルソン家を訪れ、主を失った部屋を描くことで、二人の面影を追っています。

(この後、オルソン家は、アップル社のCEOに買い取られ、今は名画の舞台として、地元ファーンズワース美術館の管理下におかれることとなりました。)

(作品集「クリスティーナの世界」部p.110〜p.127参照)



 その後も、古くからの友人たちのほか、妻ベッツィーが、絵画のインスピレーションになるようにと準備した土地や建物を描いていたワイエスでしたが、ときに、リアルな質感と陰影を持ちながら、現実離れした情景を描いて、作品の幅を広げました。

 「雪の丘」は、故郷の雪に覆われた丘で、「メイポール」(※)と呼ばれるリボンや植物で飾られた柱の周りを、様々な年齢、人種の男女が、リボンを手にして、輪になって踊っているという、幻想的な作品です。
(※)本来は春の訪れを祝い、豊穣を願うお祭りで、5月に行われることが多い。

 (「雪の丘」の部分を使用した本の表紙)
Andrew Wyeth's Snow Hill -
Andrew Wyeth's Snow Hill -


 彼らは、それまで、ワイエスと交流を持ち、モデルとなった人々でした。
 カーナー夫妻、彼の息子たちともども友人だった、ビル・ローパー、同じくアフリカ系移民のアダム、ワイエスの身の回りの世話をしたヘルガ、「冬」の少年(ワイエス自身という説もあります。)


 予備知識が無くても、古びた軍服を着たカールや、雪景色など、本来の祭りではありえない情景が、ミステリアスな印象を醸しますが、すでにワイエスの絵全体に魅了された人々には、ワイエスの彼らに対する思いや、画家としての道のりが見て取れます。

 実際に彼ら全員が顔を合わせた機会は無かったと思われますが、自分の人生と創作に関わってくれた人々が、ともに踊る姿で描くことで、彼らと、人生への追憶を表現しているような作品です。

(作品集「奇妙で不思議な絵」p.158〜159参照)

 幼いころから、健康に不安を抱えながら、意図的に、閉じた、しかし、深い世界を生きたワイエスは、2008年の転倒による骨折で、絵が描けなくなるまで、揺るぎなく緻密で端正な作風を保ち続け、2009年、就寝中に世を去りました。

 最後の作品は、浜辺の白い家(妻ベッツィーがワイエスの絵のモチーフとなるように購入した。)から、静かに遠ざかるヨットの絵でした。
(作品集「晩年」部、p.176〜185参照)

 ワイエスの墓はクリスティーナとアルヴァロと同じ墓地にあり、草地の先に、
あのオルソン家が見えるそうです。


 今は、次男のジェイミー・ワイエスが、父、そして祖父を彷彿とさせる圧倒的写実力で、人気画家として活躍しています。

Jamie Wyeth - Jamie Wyeth
Jamie Wyeth - Jamie Wyeth



 優れた技術と、日常を生きる人々への共感、静寂に生と死のイメージが透けて見える神秘性を兼ね備えた、アメリカの国民画家の作品を細部まで見られる機会ですので、ぜひ番組をご覧になってください。

(さらにワイエスについて知りたいという方には、今回私が引用参照させていただいた高橋秀治さんの本がお勧めです。生前のワイエスとも交流があり、日本のワイエス紹介に尽力された方だそうで、多様な作品が鮮明な画像で掲載されている上に、作品に関する詳細なエピソードが数多く読める、とても素敵な本でした。)

 当ブログのワイエス関連記事はこちらです。
 ・「アメリカの国民画家 アンドリュー・ワイエスのおすすめ絵画1」(シポーラ夫妻をモデルにした作品)
「 アメリカの国民画家アンドリュー・ワイエス おすすめ作品2(孤高のアウトサイダー、ウォルター・アンダーソンをモデルにした作品)」

 なた、補足で、ワイエス情報が見られるURLを貼らせていただきます。ご参照ください


 読んでくださってありがとうございました。


(参照URL)
ウィキペディア「アンドリュー・ワイエス」(日本語版)
 
・同上英語版「Andrew Wyeth」
 https://en.wikipedia.org/wiki/Andrew_Wyeth

・アンドリュー・ワイエス公式HP
 http://andrewwyeth.com/
・公式HP「ギャラリー(一部作品画像)」
http://andrewwyeth.com/gallery/

 ・ブランディワイン・リバー美術館
(アンドリューを含むワイエス家三代の絵画を所蔵)
  http://www.brandywine.org/museum
 ・ブランディワイン・リバー美術館
「アンドリュー・ワイエス回顧展(※9月17日まで)」情報 
  http://www.brandywine.org/museum/exhibitions/andrew-wyeth-retrospect
 
 ・ファーンズワース美術館
 (アンドリューを含むワイエス家三代の絵画を所蔵、オルソン・ハウスの保存も手掛ける)
  http://www.farnsworthmuseum.org/
 ・ファーンズワース美術館 オルセン・ハウスのガイドツアー情報
  http://www.farnsworthmuseum.org/experience/tours/olson-house/

・丸沼芸術の森
 (ワイエスの水彩や下絵を主に所蔵、常設展は無いが、2017年9月16日から「アンドリュー・ワイエス 生誕100年記念展」を開催)
 http://marunuma-artpark.co.jp/
 http://marunuma-artpark.co.jp/event/index.html#20170801


・福島県立美術館
  (「松ぼっくり男爵」ほかワイエス作品所蔵。9月24日まで生誕100年を記念して5点を「コレクション展」として展示中)
 ・http://www.art-museum.fks.ed.jp/(トップ)
 ・http://www.art-museum.fks.ed.jp/htdocs/?page_id=28(コレクション展情報)
 ・ニューヨーク近代美術館(Moma)「クリスティーナの世界」
https://www.moma.org/collection/works/78455?locale=ja
https://www.moma.org/audio/playlist/1/240(日本語版解説)


 ・テレビ東京「美の巨人たち」アンドリュー・ワイエス作「松ぼっくり男爵」紹介
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/130622/index.html


(補足)当ブログでアメリカ絵画について一部描かせていただいた記事 
  http://enmi19.seesaa.net/article/442229731.html (「オバマ大統領と絵画」)
posted by Palum. at 19:43| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月07日

「白いアヒルとワルツを」親友を亡くした犬が出会った不思議なアヒルのお話


 本日は海外の記事で見つけた犬とアヒルの友情物語をご紹介させていただきます。

 アメリカのテネシー州にある農園に暮らす犬、ジョージは、親友だったラブラドール犬、ブラッキーの死から立ち直れず、二年間もふさぎこんだ状態でした。

 飼い主のジャッキー・リットンさんによると、ジョージはブラッキーを失ってからというもの、あまり食事をしなくなり、ストレスからか、自分を噛んで皮膚を傷だらけにしていました。



 ところが、ある日、ジョージが玄関のポーチに横たわっていると、アヒルが近寄ってきて、ジョージの側に寝そべりました。

 リットンさんには、アヒルがどこから来たのか、まったくわかりませんでした。

 しかし、あっという間にアヒルはジョージと仲良くなり、ジョージは元気をとりもどしました。

 さらに不思議なことに、アヒルがやってきたのは、ブラッキーの命日の週でした。

 アヒルはジョージについて歩き、ジョージはアヒルに自分のベッドを使わせてあげるそうです。

 ときには、寄り添って眠り、ジョージがアヒルのクチバシを、腕枕ならぬモフモフの脚枕させてあげることも。(動画0:40頃で観られます。)
 

 リットンさんは、このアヒルを我が家に迎え入れることにして、今は、農場に、アヒルのための水浴び場や、トイレを導入する方法を考え中だそうです。

Inside Edition記事を参照意訳させていただきました。)

 

 この不思議で心温まるお話は「bored panda」というネットニュースページでもとりあげられており、亡きブラッキーや、ポーチに寝そべるジョージに近づくアヒルの写真を見ることができます。

 この写真のアヒルが、背後から陽の光を浴びて、妙に神々しい(笑)。

 どこから来たのか、体の大きなジョージを怖いと思わなかったのか、なぜいきなりジョージが好きになったのか、いろいろと謎多きアヒルですが、ひとつ、筆者の体験から言わせていただくと、動物はほかの動物の悲しみを察する能力があり、ときに相手を慰めようとするということです。

 昔、すごく落ち込んでいた帰り道、通りすがりの猫と目が合ったら、寄ってきてくれて、ニャーニャースリスリゴロゴロされながら、しばらく付き添ってくれたことがありました。

(ちなみに猫飼ったことないし、普段はどちらかというと猫に相手にしてもらえないタイプ。以後、二度と、あんなに猫からくっついてくれたことは無い。)

 ほかにも、(うろおぼえで申し訳ないのですが)ネットの書き込みで、
「飼い猫が亡くなって落ち込んでいたら、散歩中の近所の犬(ただ顔を知っているというだけで、まったくコミュニケーションをとったことがない、普段は愛想の無い老犬)が、駆け寄ってきて、しばらく頭をなでさせてくれた」
 という話を読んだことがあります。

 アヒルはジョージの2年経っても風化させられない悲しみを感じ取って寄り添ってくれ、ジョージもその優しさに癒されたのでしょう。

 

 また、もしかしたら、ブラッキーの命日の頃に訪れ、一瞬でジョージとの間に友情が芽生えたこのアヒルは、ブラッキーの生まれ変わりなのかもしれません。

 そんなふうに考えると、思い出さずにはいられない作品があります。

 以前、当ブログでもご紹介させていただいた、小説が原作の映画「白い犬とワルツを」。
(当ブログ、途中までのあらすじご紹介記事はコチラ


白い犬とワルツを (新潮文庫) -
白い犬とワルツを (新潮文庫) -

白い犬とワルツを [DVD] -
白い犬とワルツを [DVD] -

 長年連れ添った妻に先立たれた老人のもとに、不思議な白い犬が訪れるという物語です。

 トレーラーはこちら。(もうこの映像だけで泣けるほど観たし好きな作品です。)



 遺された夫サムは、ある朝、ふいにやってきて、サムになついた白い犬を、妻コウラの魂だと信じて一緒に暮らすようになります。

 愛する存在を失い、深い悲しみに沈む者の側に訪れた、やさしい目をした白くてきれいな生き物というところが、とてもよく似ています。

(朝日を浴びて、サムを見上げる犬の登場シーンと、写真の中の陽に白く輝くアヒルが本当にそっくり。)

 ジョージとアヒルのお話を気に入った方は、併せてごらんになってみてください。

 読んでくださってありがとうございました。



(参照)
・「Wandering Duck Becomes Best Friend to Dog That's Been Depressed for 2 Years」
(出典:「Inside Edition」 著者:Johanna Li  August 18, 2016)
http://www.insideedition.com/headlines/18166-wandering-duck-becomes-best-friend-to-dog-thats-been-depressed-for-2-years

・After This Dog’s Best Friend Died, He Was Depressed For 2 Years But Then This Duck Showed Up
(出典:「boredpanda」著者:Julija Televičiūtė 2016年8月)
http://www.boredpanda.com/duck-saves-dog-depression-george/

(補足)当ブログ 洋画「白い犬とワルツを」ご紹介記事一覧
(ご紹介編)
(ネタバレ編1)
(ネタバレ編2)
(ネタバレ編3)
(ネタバレ編4)

posted by Palum. at 12:00| おすすめ動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月02日

ジャコメッティ贋作事件(ノンフィクション『偽りの来歴』より)


 六本木の新国立美術館で、開催中の「ジャコメッティ展」が、いよいよ終了間近となりました。

・展覧会公式HP(TBS)  http://www.tbs.co.jp/giacometti2017/  

 ・展覧会のTBS公式動画

https://www.youtube.com/watch?v=XxdyAL6IAsE

 ・当ブログ展覧会ご紹介記事
 ・当ブログ展覧会グッズ記事


 今回は、イギリスで起きた贋作事件を題材としたノンフィクション『偽りの来歴』に描かれた、ジャコメッティ作品と贋作事件の関わりについて、印象的だった箇所を、引用、ご紹介させていただきます。

偽りの来歴 ─ 20世紀最大の絵画詐欺事件 -
偽りの来歴 ─ 20世紀最大の絵画詐欺事件 -

〈当ブログでこの贋作事件の概要について書いた記事はコチラです。〉)


 1986年から95年、イギリスの美術業界を大混乱に陥れた、大規模な贋作事件がありました。

 天性の詐欺師、ジョン・ドリューが、生活苦の中にあった画家、ジョン・マイアットをそそのかし、約200点あまりの贋作を制作販売したこの事件、ドリューが、美術館への多額の寄付金をちらつかせて美術館幹部らの信頼を得たのち、美術館の資料室に侵入し、作品の来歴を示す、偽造書類を紛れ込ませるという、かつてない手口で、専門家たちを翻弄しました。

 しかし、そうした偽造資料に一切まどわされずに、作品(絵画)の写真だけで、即座に贋作を見抜いたのが、「ジャコメッティ協会」の女性秘書、パーマーでした。

 葛藤を抱えながらも、腕利きの贋作師であったマイアット(紆余曲折の後、現在も画家として活躍中)と、世界中のジャコメッティ作品の情報を収集管理していたパーマー。

 それぞれの、ジャコメッティ作品に対する考察が語られた文章を読んでいると、次第に、ジャコメッティ作品と、ジャコメッティ本人の、突出した個性が浮かび上がってきます。



 ジャコメッティの贋作にとりかかろうとしたマイアットは、ジャコメッティ本人への理解を深めるために、あらゆる資料を読み漁り、可能な限り美術館に足を運んで、実物を観察しました。

(以下『偽りの来歴』p.82〜p.83より引用)

 「実のところ、ジャコメッティには、満足感はなかった。彼は自分の傑作の多くを失敗作と考えており、手元にある作品に手を加え続けずにはいられなかった。

 『絵に取り組めば取り組むほど、それを終わらせることは不可能になる』と、彼(補:ジャコメッティ)は言っていた。画家であり文筆家でもあった知人の一人は、その芸術的プロセスを『強迫観念的な削減行為』と呼んだ。ジャコメッティが彫刻を作るとき、彼の手は『上から下へとはためくように動き、粘土をつまみ、えぐり、刻み込む。一見すると絶望的な、ほとんど胸がはりさけそうな様子で、真実を捉えるために奮闘しているのだ。』

 『ジャコメッティは、自分自身の創造物と似始めた。骨格はより細くなり、顔はやつれ、髭も石膏の粉で覆われたように白っぽくなった。まるで本人の本質のみに煮詰められたかのようだった。最後には、人物彫像の骨組か、あるいはごつごつした鋼と金網でできた人形のような姿で、角のカフェに座って煙草をふかしていた。一度など、すでに彼が金持ちになっていた頃のことだが。一人で座っている彼を見かけたある婦人が気の毒に思い、コーヒーを一杯おごりましょうと言ってくれた。彼はすぐに受け入れたが、その目は感謝と喜びの色に溢れていた。』(※)

 彼(補:マイアット)が今描いているのは、青灰色の影の中から裸婦像が浮かび上がる単純な構図だ。(中略)シンプルな構造の絵なので、真似をするのは簡単だろうと思っていた。だが、それは間違いだった。

 ジャコメッティは独特のエネルギーを持っていて、意図的であると同時に、まるで逆上して画面に向かったかのようにも見える、もつれあった線で作品を描いた。全身像で描かれている裸婦は、それが強い喚起力をもっていたため、マイアットには、その肉体の下に骨が感じられるほどだった。その不可解なイメージは、カンヴァスの中から、まるでこちらの世界へと足を踏み出そうとするかのように立ち現れてくるのだ。
どうしてジャコメッティにはこんなことができたのだろうか?
(中略)
 この作家はいつもモデルを使って描いていた(彼の妻がお気に入りのモデルの一人だった。)が、モデルには、絶対動かないことと集中することを要求した。彼は一枚の絵に数ヶ月を費やし、ときには制作中、モデルから一メートルに満たないところに座って描くこともあった。彼は、モデルに自分をまっすぐ見つめ、自分の引力の中に入ってくるように頼み、そのモデルをカンヴァスの中に巻き取るのだった。」


 マイアットは、ジャコメッティ作品が、そのシンプルな姿とは裏腹に非常に困難なものであることに気づかされます。
(贋作の発覚を防ぐため、モデルが使えなかったことがより作業を困難にしました。)

 失敗を繰り返しているうち、ドリューに「描けない部分は前に何か別のものを描くことで隠せばいい」と言われたマイアットは、苦肉の策で裸婦の前にテーブルを描きました。

 この贋作が名門オークションハウス、サザビーズのカタログに掲載され、パーマーの目に触れたことから、彼らの犯罪が綻びはじめます。

 パーマーは即座にサザビーズに連絡、来歴を示す書類が完璧であったため、作品はすぐには贋作と確定しませんでしたが(サザビーズは、パーマーに同意して、売却を延期するという対応を取りました。)、パーマーはほかにも贋作が紛れ込むはずだと考え、調査を開始しました。


(※)『』部は、ダン・ホフスタッター「自身の芸術とは異なった生涯」、ニューヨークタイムズ書評、ジェイムズ・ロードによる伝記『ジャコメッティ』評の引用。
(ブログ筆者補:ジェイムズ・ロードは美術評論家でエッセイスト。矢内原伊作同様、モデルとなった経験を『ジャコメッティの肖像』に記した。このときの出来事が、2018年1月公開予定のジャコメッティの映画「ファイナル・ポートレート」の題材となっている。)


ジャコメッティの肖像 -
ジャコメッティの肖像 -


 一方、不本意ながら、裸婦の足の部分をテーブルで隠した贋作(本文中通称「足のない女」)を描いてしまったマイアットは、その後、懸命な努力で、本人としても満足の行く、新しい裸婦像(通称「立つ裸婦」)の贋作を仕上げました。

 こちらは、ニューヨークに渡り、一流の画商が「傑作」として買い取りました。

 絵を買い取った画商、バートスはこの絵が約4550万〜7150万円で売れると見立てて、ジャコメッティ協会に鑑定書の発行を依頼、「立つ裸婦」の写真を送付しました。

(ヴィクトリア&アルバート美術館のHPに、贋作発覚の発端となった作品「立つ裸婦」と、偽造資料の画像が見られる記事があります。
 http://www.vam.ac.uk/blog/national-art-library/from-artifice-to-artefact

 しかし、写真を見たパーマーは、送られてきた写真を見るなり、絵の裸婦に向かって「まっすぐ立ちなさいよ!」と怒りをあらわにしました。

(以下p.215〜216引用)


 「その裸婦は何もかもが間違っていた。なぜならアネット・ジャコメッティが夫のモデルをするときには、まるで歩哨のようにぴったりと脚を合わせて直立不動で立っていたからだ。彼女はすきま風の入るアトリエで何時間もポーズし、ストーヴに火をおこすときだけほんの一瞬休憩をとるのだった。何年にもわたりジャコメッティは、そんな彼女の、疲れを知らない真剣な姿を繰り返し書いてきた。バートスの裸婦は、あまりにも表面的で、重力が不足していた。ジャコメッティは解剖学を熟知していたから、裸婦を描くときも骸骨(スケルトン)の上に注意深く身体を組み立てていた。それに対し、バートスの裸婦はあまりに弱々しく頼りなかった。

 骨が感じられないわ、とパーマーは思った。

 (中略)ジャコメッティは、非常に繊細な筆を使い、熱のこもった筆のタッチを重ねることで像をつくりあげていた。バートスの作品も同じ類いのエネルギーのいくらかはもっていたが、その筆触は、像を核心部分から立ち上げているというよりもむしろ、あらかじめ定められた形を満たそうとしているようだった。」

 バートスへ鑑定結果を知らせようとしていた矢先、新たな贋作情報がジャコメッティ協会に舞い込み、この事件が非常に大規模なものであることを確信したパーマーは、すべての作品に関与したドリューを追い詰めるべく、来歴資料を所有しているテート・アーカイヴス(テート美術館資料部)にコンタクトをとります。

 既にあまりにもドリューと彼のスタッフ(詐欺の共犯者)が頻繁に資料室を訪れること、その態度に不自然な丁寧さがあることに強い違和感を感じていた現場スタッフのジェニファー・ブースが、パーマーの警告を受け、彼らの不審な点について調査を開始、彼女たちの動きを受けて、ついにロンドン警視庁が捜査に乗り出すこととなります。



 マイアットが最初そう感じたとおり、ジャコメッティの作品は技術のある人間なら簡単に模倣できそうな単純化されたものに見えますが、実は莫大な知識と執念(そしてモデルの献身的忍耐)によって作り上げられており、それに敬意を払っていたパーマーにとって、真贋の見分けはいともたやすいことでした。



 わかりやすいわけでもなく、見るからに緻密なわけでなくても、画家がまさしく身を削るようにして才能の全てをぶつけた作品には、やはり、他の誰にも真似できない「真髄」があるのだと感じさせられるエピソードです。

 このご紹介がジャコメッティ鑑賞の一助になれば幸いです。



(また、この『偽りの来歴』については、ほかにも印象的な場面があったので、いずれまた記事にさせていただく予定です。)

 読んでくださって、ありがとうございました。



posted by Palum. at 14:38| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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