2018年04月12日

象のインディラと落合さん(中川志郎作『もどれ インディラ!」より ※結末部あり)

(ゾウ舎から脱走したインディラと、駆け付けた飼育員の落合さん)

上野動物園Twitter -.png

(画像出典:上野動物園公式ツイッター2017年3月13日20:11




もどれインディラ! (いちご文学館) -
もどれインディラ! (いちご文学館) -



 本日は上野動物園にいた象のインディラと飼育員の落合さんのお話を、中川志郎さんの中高生向け書籍『もどれ インディラ!』をもとに、ご紹介させていただきます。



 象のインディラが上野動物園にやってきたのは1949年。

 日本がようやく敗戦から立ち直りはじめた時のことでした。

 戦中に、空襲で檻が壊れ、象が暴れるかもしれないという理由で、都の命令に従い、三頭の象を殺処分せざるをえなかった動物園にとって、象の来日は特別な出来事でした。
 (この戦時中の悲劇は絵本『かわいそうなぞう』や、ドラえもんの「ぞうとおじさん」の原案になりました。)

 インディラはインドのネール首相から贈られた象で、日本に来る前は材木運びをしており、穏やかで賢く、インドで縁起の良い象とされる容姿の特徴を全て備えていました。 
 (『インディラとともに』川口幸男作 p.59より)



 はるばる日本まで来てくれたインディラを、落合さんは大切にし、インディラも落合さんによくなつきました。

 インディラが重度の便秘になったときは、皆でやぐらを組んでインディラに浣腸をし、結果、苦しがるインディラのお尻を必死でおさえていた落合さんが、頭から大量のフンをかぶったことがありました。

 それでも、落合さんはその姿のまま、「良かった良かった、ホントに良かった」と、インディラに笑い、インディラは鼻で落合さんを引き寄せ、お礼のように甘えていたそうです。


「「よかったなあ、インディラ……」

 鼻をだくようにして、インディラに話しかけている落合さんの顔は、たしかに真っ黒によごれているのですけれど、でも、美しい光にみちているように見えます」

 (※『もどれ インディラ!』中川志郎作 p.37)




 この出来事以来、インディラと落合さんはさらに結びつきを強めましたが、落合さんとインディラが出会ってから約18年後、落合さんが癌をわずらい、療養のために休職することになりました。

 そして落合さんが休職してから七ヶ月後、1967年の三月に、事件が起こりました。

 一緒に暮らしていた象のジャンボとインディラが喧嘩をし、ジャンボに堀に突き落とされたインディラが、鼻で手すりを掴んで壁をよじのぼり、ゾウ舎から脱走してしまったのです。

 急いで見学者を遠ざけ、インディラの足に鎖を巻いてゾウ舎に連れ戻そうとしましたが、インディラはびくともしません。

 そのうち、騒ぎを聞きつけたマスコミのヘリコプターが上空を飛び始め、その音に驚いたインディラが興奮しはじめました。

 飼育員二十三人がかりで鎖を引きますが、インディラの力はすさまじく、全員手や膝が擦り傷だらけになって鎖をつかんでも、インディラを動かすことができませんでした。

 困り果てた動物園は、自宅で療養中だった落合さんに、どうすればインディラをなだめられるか聞くために、車を走らせました。

 ところが、その知らせを聞いた落合さんは、「よし!すぐ行く!」とベッドから飛び起きました。

 体重が四十キロほどまで減り、立ち上がってもよろけるほどでしたが、むしろ、動物園の人たちをうながすようにして、車に乗り込んでしまいました。



 インディラのもとに駆けつけた落合さん。

 寝巻着姿のままで、ひどくやせて、動物園の職員たちですら、あれが落合さんだろうかと思うほどの変わりようだったそうです。

 インディラも、歩み寄ってきた落合さんに、はじめは誰だか気づけなかったようでした。

 インディラが今にも落合さんに背を向けて、走り出しそうに見えたその時、落合さんが口を開きました。

 「インディラ、俺だよ!」

 周囲も驚くような、病人とは思えない力強い声。

 そして、インディラにとっては、いつも自分を呼んでくれた声。



 「インディラのうごきがぴたりととまりました。
 
  目をしばたくようにせわしなくうごかし、じっと落合さんをたしかめるように見ます。
 
 たちまちインディラのぜんしんからきんちょうがきえていくのがわかります。

 聞きおぼえのある声でした。

 なつかしい落合さんの声――。

 大きな耳がくずれるようにたおれ、おどろきとなつかしさがいっしょになってインディラの心をみたします。

 あの大きなからだをちぢこめるようにして落合さんのそばによっていきます。

 ぐるぐる、ぐぐぐ……。

 インディラののどのおくで不思議な音が起こりました。

 あまえ声です。

 インディラが落合さんにあまえる時、いつもだすふしぎな声でした。

 (中略)

 インディラは頭をさげ、いつもそうしていたように落合さんにほおをすりよせます。

 あまえたかったのです。

 しばらくぶりでお母さんに会った子供のようにあどけないしぐさでした。

 そのとき、落合さんの体重はわずか四十キロ、インディラの体重は四トン。

 奇妙なとりあわせでしたけれど、インディラと落合さんにとって、そんなことはぜんぜん問題ではなかったのです。

 「そうか、そうか、よしよし、かわいそうにな……」

 落合さんのやせた手がインディラの鼻をなで、そっとからだをよせてやります。

『もどれ インディラ!』再会 -.png

 じっと立ち尽くすインディラ。

 「さあ帰ろう、もどるんだインディラ、おうちにもどるんだよ、インディラ……」

 落合さんの右手がインディラの耳をとらえ、ゆっくりと歩き始めます」

 (同著p.68〜72)




 インディラが歩きました。

 二十三人の男性が、鎖で引いてもびくともしなかったインディラが、細い体の落合さんと一緒に、静かにゾウ舎に帰って行きました。

 落合さんが動物園に駆けつけてから、わずか十分足らずのできごとでした。 

 見物人、警察官、職員たちにわき起こる歓声の中、戻ってきた落合さんは、皆に頭を下げました。


 「ホントにめいわくかけちゃって!うちのむすめがこんなにめいわくかけるなんて……」


 家へ帰る車に乗り込もうとしたとき、疲れが出たのか、落合さんの体が大きくよろめきました。

 車が走り出そうとしたとき、インディラが大きな声で鳴きました。

 落合さんは少し窓を開け、目を閉じたまま、しばらくじっとその声を聞いていました。

 やがて落合さんは、両手で耳をふさぐようにして、車を出してくれるように頼みました。



 その後、インディラは元通りジャンボと仲良く暮らし始めました。

 しかし、脱走の日以来、ただひとつ、変わったことがありました。



 「午後二時ごろになると、インディラがきまってそわそわしはじめるのです。

 からだをのりだすようにのばし、じっと飼育事務所の方を見ているのです。

 目をこらし、耳をそばだてるようにしながらじっとうごかない時間をすごすのです。」

 (同著 p.83)





 インディラは、あの日、落合さんがインディラを助けにきた時間、歩いてきた方角を見つめて、落合さんを待っていたのでした。

 落合さんの後輩でゾウ係である中井さんは、インディラの思いに気づいて彼女の鼻を撫でてやりました。

 きっと落合さんはまた来てくれるから……。

 実際、動物園が脱走事件の翌日にかけたお見舞いの電話に対し、落合さんの奥さんは、落合さんは元気にしているから心配はいらないと言ってくれていました。

 その時の奥さんの明るい声と、あの日の落合さんの力強い活躍を見ていた中井さんは、その言葉を信じていました。


 
 脱走事件から八日後の朝。

 飼育事務所に入ってきた人たちは、事務所の黒板を見て、言葉を失いました。

 そこには、落合さん逝去の知らせが記されていました。

 座り込む人、涙する人、やり場のない思いに机を叩く人……。



 落合さんは、動物園からの帰宅後、もうほとんど動けなくなりながら、奥さんに頼み事をしていました。

 動物園から電話がかかってきたら、自分は元気にしていると言ってほしい。

 そう言わないと、みんなが心配するから。

 そして、みんなが心配すると、インディラにもわかってしまうから……。

 落合さんの奥さんはその気持ちを受けて、動物園からの電話に、つとめて明るい様子で落合さんの無事を伝えたのでした。



 亡くなる前、落合さんは奥さんの手を握って言いました。

「俺はしあわせ者だよ。さいごにインディラのめんどうをみてやれたもの、ほんとうにしあわせ者さ……」

 奥さんの目にも、落合さんは心から幸せそうに映ったそうです。


 「あんなにこうふんし、目を血ばしらせていたインディラが、落合さんのことばをすなおに聞き、ことばどおり部屋にもどってくれたということが、落合さんの心をとてもゆたかにしてくれていたにちがいありません。

 それは、二十年近くにわたっていっしょに生き、よろこびもくるしみも共にしてきた人と動物の、心のむすびつきが、どんなにつよいか、をよくあらわしていたからです。

 桃の花がちっていました。

 落合さんの家にある一本の桃の木の花が、かぜもないのにヒラヒラとちっています。

 ゆっくりとまいながら、大地にすいこまれるようにおちていきます。

 それは、生まれてやくめをおえ、しぜんにかえっていくいのちのすがたでした。

 その夜、いしきのうすれていく落合さんのくちびるがかすかにうごきます。

 奥さんがその口もとに耳をよせますと、かすかなつぶやきが聞こえました。

 「インディラ……」

 「インディラのやつ……」

 「ほら、こっちだよ、インディラ……」

 それが、落合さんのさいごのことばだったそうです。

 桃の花びらだけが、音もなくちりつづけています――。」


『もどれ インディラ!』結末部 -.png


  (同著p.91〜結末)




 2017年3月、上野動物園の公式Twitter上で、50年前の出来事として、このインディラの脱走事件が紹介され、インディラと落合さんの結びつきが、再び話題になりました。

 写真の中の落合さんは、時代を感じさせる着物の寝間着に草履で、痩せた体ながらしっかりとした足取りで、インディラに歩み寄っています。

 落合さんと気づいた後らしく、インディラも穏やかな目をしています。
 
 残りわずかな命となってもインディラを気遣い、最後にインディラを呼びながら世を去った落合さん。
 
 脱走後、落合さんが来てくれた時間になると、その方角を見つめて耳を澄まし、じっと落合さんを待っていたインディラ。

 離れていても、落合さんとインディラはお互いに深い絆で結ばれていました。

 そして、そんなインディラを慰める後輩飼育員の中井さんと、落合さんの気持ちを汲んで、気丈に明るく振舞った奥さん。

 インディラと落合さんには、彼らの絆に心を打たれ、支えてくれる人たちがいました。



 この、インディラの脱走事件について記された絵本、『もどれ、インディラ!』の作者、中川志郎さんは、元上野動物園園長だった方です。

 ご自身が、初来日したパンダの飼育にあたった優秀な飼育員でもあった中川さんの文章は、落合さんの飼育員としての情熱と、落合さんに心を開くインディラのしぐさを生き生きと描いています。

 専門家がその分野について、愛情を込めて記した文には、どんな物書きも及ばない特別な魅力がありますが、この『もどれ、インディラ!』も、子供向けの優しい語り口の中に、同じ飼育員経験者ならではの観察眼と、彼らへの敬愛の念がにじみ出ています。

 中川さんは、「この出来事を通じて『本当の愛情は、人と動物の垣根さえ超えさせてしまうものだ』ということを学びました。」と語っています。
 (絵本「ありがとう、インディラ」あとがき部より)

 中川さんの目を通して描かれた落合さんの、インディラのフンを全身にかぶりながら、インディラの回復を喜ぶ笑顔も、桃の花の散る季節に、インディラの名を呼びながらこの世を去る姿も、深い絆をはぐくんだ者を守り、愛した人の「美しい光」に満ちています。

 特に、生まれ、精一杯生き、死んでゆく命のめぐりを、舞い落ちる花びらに重ね合わせた、落合さんの死の場面は、静けさの中に神々しさの漂う名文です。

 ひらがなであることが、かえってやさしいたたずまいを醸す文と、温かみのあるタッチで描かれた挿絵の、思い出の中でインディラの背に揺られながら、奥さんに見守られ、微笑んで世を去る落合さんの姿が調和した、結末の見開きページには、心を打たれずにはいられません。



 名著ながら現在絶版中なのが惜しまれますが、図書館などではまだ比較的目にできると思われますので、是非ご覧ください。

 読んでくださってありがとうございました。

(補足)当ブログの象にまつわる記事

 ・(※ネタバレ)ドラえもん「ぞうとおじさん」

 ・(おすすめ動画)穴に落ちた象の赤ちゃんを助けた人々が見た心温まる瞬間(インド)
 ・ 象のインディラと落合さん(中川志郎作『もどれ インディラ!」より ※結末部あり)


 (参考文献)
・「もどれ、インディラ!」中川志郎 作・金沢佑光 絵 佼成出版社 1992年

もどれインディラ! (いちご文学館) -
もどれインディラ! (いちご文学館) -

・『ありがとう インディラ』香山美子 文・田中秀幸 絵 チャイルド本社 1999年
(『もどれ、インディラ!』を元に作られた低学年向け絵本。中川さんがあとがきを寄せている。落合さんの休職中に、寂しくてふさぎこむインディラの表情が切ない。)


・「インディラとともに」川口幸男著 大日本図書株式会社 1983年
(落合さんの後輩で、インディラの飼育係となった川口幸男さんの著書。インディラ来日時の様子や、落合さんの川口さんに対する指導、その後のインディラの生涯など、現場の話が数多く記されている。インディラは、川口さんらの手厚い飼育のもと過ごし、この本が出版される直前、四十九歳で世を去った。)

【参照WEBページ】
 (上野動物園公式ツイッター2017年3月13日〜14日記事)
  ・Twitter1
  ・Twitter2
  ・Twitter3
  ・Twitter4(※インディラと落合さんの画像付)
  ・Twitter5


FUNDO「目頭が熱くなる……50年前に上野動物園から脱走したゾウと飼育員の絆が話題に」)




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2018年04月08日

アニメ放送開始『ピアノの森』





(2018年4月現在Kindleで1〜3巻を無料で読むことができます。)

ピアノの森(1) (モーニングコミックス) -
ピアノの森(1) (モーニングコミックス) -

ピアノの森(2) (モーニングコミックス) -
ピアノの森(2) (モーニングコミックス) -

ピアノの森(3) (モーニングコミックス) -
ピアノの森(3) (モーニングコミックス) -


 一色まこと作の音楽漫画「ピアノの森」のアニメが、2018年4月8日(日)24時10分より、NHK総合で放送されます。 

アニメ公式HP:http://piano-anime.jp/


 「ピアノの森」は、森に捨てられていたピアノと共に育った少年、一ノ瀬カイが、引退したピアニスト、阿字野壮介に見いだされ、ピアニストとしての天性の才能を開花させてゆくまでを描いた長編作品です(全26巻)。

 第一話の雑誌「モーニング」公式試し読みページはコチラ
 


(あらすじ)

 偉大なピアニストを父に持つ雨宮修平は、転校した学校で、森に捨てられた不思議なピアノを弾く少年、一ノ瀬カイに出会った。

 そのピアノは、「オバケピアノ」と呼ばれ、弾いても音が出ないといわれていたが、カイだけはそれを自在に奏でることができた。

 (ピアノは半分壊れており、普通の力で弾いても音が出なくなっていたのだが、幼いころからオバケピアノで遊んでいたカイは、知らず知らずのうちに、そのピアノを弾きこなせる強靭な指の力を手に入れていた。)

 カイの住む「森の端」は、町の人々に避けられている、貧しく治安の悪い地域で、カイの母親はそこで水商売をしてカイを育てていた。

 母親のいる店の雑用を手伝いながら学校に通っていたカイにとって、ピアノの演奏は純粋に喜びであり、ピアニストになることなど思いもよらなかった。

 しかし、カイの通う学校の音楽教師である阿字野は、カイに非凡な才能があることに気づき、彼をプロのピアニストにするための指導を申し出る。

 一方、同じくカイが天才であることに気づいた雨宮は、それまでカイのようにピアノに純粋な愛情を傾けたことがなかった自分に気づき、カイをしのぐピアニストになるため練習に没頭する。

 それから数年、十七歳になったカイと雨宮は、世界最高峰を競う「ショパン国際ピアノコンクール」に挑むことになる。



 

(主要登場人物紹介)

(一ノ瀬カイ)

ピアノの森(20) (モーニングコミックス) -
ピアノの森(20) (モーニングコミックス) -

(少年時代のカイ)

ピアノの森 カイ(少年時代) -.png

 天賦のピアノの才を持つ少年。一見少女のような美しい顔立ちをしている。

 森のピアノで培った指の力と、一度聴いた曲を暗記し、一瞬の演奏ミスも聞き逃さない優れた耳を持っている。

 「森の端」に暮らしていることを理由に、小学校時代は同級生たちから繰り返しからかわれてきたが、気が強く、いじめる側を返り討ちにしていた。

 シングルマザーである母怜子や、貧しい境遇から抜け出せない人々のために、「森の端のみんなを食べさせていけるようなピアニストになる」ことを目指して、阿字野の指導を受けることになる。

 大切な人々がいる一方で、森の端の荒んだ環境にたびたび苦しめられており、カイを引きずりおろそうとする者たちからの妨害をかわすため、想像を絶する努力を重ねる。



 (阿字野壮介)

ピアノの森 阿字野 -.png

 往年の名ピアニスト。交通事故で左手を負傷したため、小学校の音楽教師になっていた。

 事故でピアニスト生命が絶たれ、同乗していた婚約者を失ったため、なぜ生き延びてしまったのかわからず空虚な思いを抱えていた。

 森のピアノをきっかけにカイの潜在能力に気づき、彼を一流のピアニストにするべく、指導を買って出る。実は森のピアノはかつて阿字野の物であった。

 負傷前は奇跡と呼ばれるほどの才能の持ち主で、その演奏は引退後でも伝説となっており、雨宮の父、洋一郎ら現役の音楽家たちの憧れであり、越えられない壁ともなっている。

 もの静かな性格で、カイに対しても指導以外では控えめな態度をとるが、絶望を経験してもなお誠実な人柄で、次第にカイと深い絆をはぐくんでいく。



(雨宮修平)

ピアノの森 雨宮 -.png

(少年時代の雨宮)

ピアノの森 雨宮(少年時代) -.png

 名ピアニスト雨宮洋一郎の一人息子。父母の願いを受けて、幼いころからピアノを弾いている。

 カイと出会い、彼の才能とピアノに対する愛に圧倒され、以後は自ら望んで、一流ピアニストを目指して練習に励むようになる。

 転校した先に阿字野がいたことに驚き、指導を望むが、阿字野から辞退されてしまう。

 長年の訓練を経て、譜面通りの正確な演奏をすることにかけてはカイ以上の力を持つようになるが、カイのように聴衆を感動させる鮮烈なピアノを弾けないことに引け目を感じ、カイに対して友情と嫉妬の入り混じる複雑な感情を抱く。

 

(一ノ瀬怜子)

ピアノの森 怜子 -.png

 カイの母親。まだ少女のころにカイを生んだ。カイからは「怜ちゃん」と呼ばれている。

 カイによく似た気丈な美しい女性で、危険な森の端で、体を張ってカイを守ってきた。カイとは親子であると同時に同志のような強い結びつきがある。

 自身は生まれ育った森の端で生きていく覚悟を決めていたが、カイにピアノという新しい人生の可能性を教えてくれた阿字野に心から感謝し、カイを森の端から送り出そうとする。




 過酷な環境で、大切な人々のために成功を目指すカイのほか、阿字野、雨宮、コンテストに挑む演奏者たちなど、それぞれに葛藤を抱える人々の内面が繊細に描かれた作品です。

 (ショパンコンクールの期間中である三週間の出来事に、全26巻中約半分の巻数が費やされる異色の構成になっています。)

 細く優しい線で描かれた、登場人物それぞれの想いをたたえたピアノ演奏シーンも必見。
 
 長さを感じさせない滑らかな展開、透明感の中に深みのある世界観で、美しく結ばれる最終回はひときわ感動的です。

 漫画史に残る名作ですので、是非アニメと併せてごらんになってください。

 読んでくださってありがとうございました。
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2018年04月07日

アニメ放送開始『ゴールデンカムイ』

ゴールデンカムイ 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL) -
ゴールデンカムイ 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL) -  


ヤングジャンプで大人気連載中の漫画「ゴールデンカムイ」のアニメが2018年4月9日(月)より、東京MX等で放送されます。 

アニメ公式HP:http://www.kamuy-anime.com/

 「ゴールデンカムイ」は、明治時代、日露戦争直後の北海道で金塊の行方を追う人々を描いた作品です。

 それぞれの思惑を胸に、命がけで繰り広げられる金塊争奪戦を軸に、アイヌの人々の文化、北海道の過酷で美しい自然、個性豊かな登場人物達が描かれ、書店員が選考する「2016年漫画大賞」にも選ばれました。 

 「冒険、歴史浪漫、狩猟グルメ全部入りッ! 和風闇鍋ウエスタン!!」というキャッチフレーズ(※)通り、予測を多方面に飛び越えた圧巻の面白さ。

(※集英社公式S-MANGA内、七巻のコピーより)

 しかし、おそらく多くの原作ファンが、アニメ化を喜ぶよりも先に「……放送できるの……?」と思った作品でもあります。

2018年4月9日23時まで、「となりのジャンプ」で、なんと百話分無料公開されています。)



(あらすじ)

 日露戦争の帰還兵、杉本佐一(さいち)は、大金を稼ぐために北海道へ渡り、そこで、かつて、アイヌの人々が集めていた莫大な金塊の話を聞く。

 その金塊は「のっぺらぼう」と呼ばれる男に奪われ、金塊に関わったアイヌの人々は「のっぺらぼう」により全員殺害されたため、現在金塊は行方知れずになっていた。

 殺人罪で死刑囚として網走刑務所に収監された男「のっぺらぼう」は、刑務所の囚人たち24人の体に、金塊の隠し場所を示した暗号を入れ墨で彫り、彼らを脱獄させた。

 暗号は24人全員の入れ墨で一つになっており、身動きできない「のっぺらぼう」の代わりに、外にいる「のっぺらぼう」の仲間に辿り着き、金塊の在処を知らせることができた人間に、金塊の分け前をやるという話だった。

 杉本にその噂話をした男は、その後ヒグマに襲われ死亡。その死体に暗号の入れ墨が彫られていたことから、杉本は、この男が脱獄した囚人の一人であり、金塊の話が事実であることを確信する。

 囚人たちを探し出して、金塊を手に入れることにした杉本だったが、直後にヒグマに遭遇、アシㇼパという少女に救われた。

 アシㇼパの父が虐殺されたアイヌの村人の一人だと知った杉本は、父親たちの敵討ちとして、杉本と手を組んで、一緒に金塊を探してほしいと頼む。

 二人が囚人を探す旅に出たころ、既に金塊の存在を知っている二つの勢力が、それぞれ秘密裡に捜査を進めていた。

 一方は日露戦争で多くの犠牲を払いながら、賠償を受けることができなかった第七師団の軍人たち。

 もう一方は、函館戦争で中央政府に反抗し、命を落としたとされていた土方歳三たち。

 杉本たち、第七師団、土方歳三らの、三つ巴の金塊争奪戦が幕を開けた。


(主要登場人物)

(杉本佐一)

ゴールデンカムイ 10 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL) -
ゴールデンカムイ 10 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL) -

 日露戦争の帰還兵。どれほどの怪我を負っても鬼神のごとく戦い続けたため、戦場では「不死身の杉本」の異名をとった。

 幼馴染の梅子と相思相愛の仲だったが、佐一の除く家族全員が、当時不治の病である結核で亡くなったため身を引き、梅子を親友の寅次に譲った過去がある。

 寅次の戦死後、梅子の目の病が進行し、失明の危機にあると知って、手術代を稼ぐために、北海道に渡ってきた。

 少女のアシㇼパのことを、「アシㇼパさん」と呼び、相棒として尊重している。

 親しい人物や、世話になったアイヌの人々には義理堅さを見せる一方で、金塊を手に入れるという目的と、アシㇼパの身の安全を脅かす者たちには一切容赦しない気性の激しさも秘めている。

(アシㇼパ)

ゴールデンカムイ 2 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL) -
ゴールデンカムイ 2 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL) -

 アイヌの少女、年齢は十代前半と考えられる。

 狩りや薬草収集、野生の動植物の調理など、自然の中で生き抜くための豊富な知識と技術を持っている。

 幼いころ、レタラという白い狼と一緒に暮らしており、今も彼と心を通わせ、助けを借りることがある。

 青が混じった不思議な瞳を持つ聡明な美少女だが、しばしば変な顔をする、動物の動向を知るために落ちている糞を熱心に観察するなど、残念な言動が目立つ。

(アシㇼパさんの変顔一例)

ゴールデンカムイ 変顔アシリパ.png




(白石由竹)
ゴールデンカムイ 9 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL) -
ゴールデンカムイ 9 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL) -

 入れ墨を彫られた囚人の一人。杉本に捕らえられた後、彼らの金塊探しに加わる。

 関節を外すことができる特異体質の持ち主で、これを使い、どんな狭い隙間からでも抜け出て脱獄を重ねたため、「脱獄王」と呼ばれた。

 脱獄技以外ではうかつなところがあり、金と女に目がくらみやすいため、アシㇼパからは「役立たず」と遠慮なく見下されている。

 杉本とアシㇼパのような確固たる信頼関係を結んでいるわけではなく、あくまで金目当て、また脅しに弱いため、複雑な金塊争奪戦の中で、誰の味方かわからない行動をとることがある。

 実在した網走の脱獄囚白鳥由栄がモデル。





 (鶴見中尉)

ゴールデンカムイ 4 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL) -
ゴールデンカムイ 4 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL) -

 陸軍最強と呼ばれた北海道第七師団の中尉。

 冷静で勇敢、極めて優秀な軍人として、日露戦争で活躍した。

 戦中、砲撃の破片を頭に受けたため、額当をつけている、このとき前頭葉を損傷したため、激しやすい性格になったらしい。

 日露戦争時、無謀な作戦で多くの部下を失ったこと、戦後賠償金がとれず、帰還兵と亡き兵士たちの家族が未だ困窮していることに憤り、アイヌの金塊を軍資金として、政府に反旗を翻すつもりでいる。

 高い理想と凶暴な性質のため、自分に従わない者に対しては耳鼻を削ぐことも辞さない

 「たらし」と呼ばれるほどの強烈な人心掌握力があり、彼に従う若者たちの一部からは(もはや恋というほど)熱狂的に慕われている。

(鶴見中尉熱愛者の一人、鯉登〈こいと〉少尉の目に映る鶴見中尉 ポーズとケシの花が素敵。)

ゴールデンカムイ 鶴見中尉.png 

 (以前、読者さんの一人が、鯉登少尉の愛を受けて、
ネット上に「どうしてみんなそんなに鶴見中尉が好きなんだ。俺も好きだけど」と的確すぎるコメントを書き込んでいた。)





(土方歳三)

ゴールデンカムイ 3 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL) -
ゴールデンカムイ 3 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL) -

 函館戦争で戦死したとされる、旧幕府軍、新選組の元副長。

 生き延びて素性を隠し、一介の政治犯として網走刑務所に収監されていた。

 「のっぺらぼう」から金塊の話を聞き、囚人たちを脱獄させた張本人。

 のち、同じく元新選組の永倉新八らを仲間に加え、白石ら散り散りになった囚人の捜索を開始する。

 函館戦争で一度はついえた、北海道を独立国家とするという野望を抱き続けている。

 七十歳を超えていながら、人魚の肉を食べて不老不死になったと噂されるほど若々しい。

 「いいか小僧ども、この時代に老いぼれを見たら「生き残り」と思え」というセリフは作品屈指の名言。

ゴールデンカムイ 土方歳三.png 




(谷垣)

ゴールデンカムイ 5 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL) -
ゴールデンカムイ 5 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL) -

 第七師団に所属する軍人。元は東北のマタギ(猟師)だった。

 杉本とアシㇼパを追跡中、アシㇼパを守ろうとして襲い掛かってきたレタラを見て、猟師としての血が蘇り、山中で出会った猟師「二瓶鉄造」とともに彼を仕留めようとする。この狩りの中で、アイヌの狩猟用罠にかかり、逆にアシㇼパに救われた。

 事情があって故郷を捨てた身であり、戦後、兵士とマタギ、どちらが本当の自分なのかわからなくなっていたが、二瓶鉄造の生きざまと、アイヌの人々の情に触れ、かつての自分を取り戻していく。 

 二瓶鉄造の名言「猟師の魂が勃起する(手ごわい獲物に対峙し、血沸き肉躍るという意味)」に影響を受け、時折他意なく「勃起」と口にするが、地上波アニメでこのセリフが出てくるかどうかは謎。

 シャツのボタンが弾け飛ぶほどの分厚い胸板を持ち、その逞しい容姿のため、単行本のキャラクター紹介では「セクシーマタギ」と書かれている。

(セクシーマタギショット例)
ゴールデンカムイ 谷垣.png




(尾形)

ゴールデンカムイ 8 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL) -
ゴールデンカムイ 8 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL) -

 第七師団の狙撃手。父親は日露戦争後、指揮官としての責任を感じ切腹したといわれる花沢中将。

 鶴見中尉に完全には恭順しておらず、しばしば単独で杉本たちを追う。戦闘能力は杉本に劣らないほど高い。

 凄絶な過去を持ち、そのため元仲間でも平然と殺す酷薄さがある。

 後に第七師団を離れ、土方らの勢力につく。




 (牛山)

ゴールデンカムイ 6 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL) -
ゴールデンカムイ 6 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL) -  

 入れ墨を持つ囚人の一人、柔道の達人で、稽古の際についたと思われる額のハンペンのようなタコが特徴。 

 「不敗の牛山」と呼ばれ、馬も投げ飛ばすほどの腕力を誇る。のちに土方に発見され、仲間に加わる。

 素手なら間違いなく作中最強。精力が有り余っているのが唯一の弱点で、欲求不満が高じると、美女と白石の見分けもつかないほど前後不覚になる。

 登場時は自分を捕らえにきたと思った土方に、娼婦を投げつけるなど粗暴さが目立ったが、後にアシㇼパら女性に対して紳士的な一面を見せるようになる。

 アシㇼパに、将来付き合う男が紳士かどうか見分けるためには抱かせてやれ、と、問題発言をし、アシㇼパからは(そこで牛島が連呼していた言葉を受けて)尊敬の念ともに「チ〇ポ先生」と呼ばれるようになる。

 (この呼び名もアニメ化にあたって気になるところだが、書店の出版社公式POP〈広告用に本のそばに飾られる飾り〉では伏字もしないで書かれていた。)

 明治時代の柔道家牛島辰熊(鬼の牛島)がモデル。



 このほか、巻を重ねるごとに個性的な登場人物がでてくる上、既に出てきた人物の性格もいまだ底が知れず、金塊争奪戦の緊張感に、謎と笑いの両方を添えてくれます。

 (脱獄した囚人ら、脇役たちがほぼ全員何らかの形で奇抜。かつ鶴見中尉や不敗の牛山など、途中まで単に凶暴と思われたキャラクターの新たな魅力が出てきて目が離せない。〈※一方反動で、鶴見中尉の部下「月島軍曹」が作中唯一の普通の人として、マニアックな注目を集めている。〉)

 (脇役キャラの一例「江戸貝〈えどがい〉君」)
ゴールデンカムイ 江戸貝.png
 天才剥製師。クリエイティビティが過ぎて、墓地から人の遺体を掘り出し、その皮で洋服を作るなどの奇行に手を染めている。入れ墨入り人皮(にんぴ)の偽物を作り、争奪戦をより複雑にする。鶴見中尉が大好き。

 なお、このコマは彼が鶴見中尉に披露した「人皮服ファッションショー」の一部。「カワイイ!カワイイ!!」という賛辞は、彼の奇行にヒかない中尉のもの。

 (月島軍曹)

ゴールデンカムイ 月島.png 

 有能だが普通の人なので江戸貝君のファッションショーを目撃して困惑している場面。 

 暴力シーンや過激なセリフなどがあり、相当アクの強い作品ですが、単純な「善悪」を超越したキャラクターたちが己の信念のもとにぶつかり合い、思惑が入り乱れる様はスリリングで痛快。現時点の13巻まで息もつかせぬ面白さです。是非ご覧になってみてください。

 読んでくださってありがとうございました。

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2018年04月01日

(※ネタバレ)ドラえもん「ぞうとおじさん」(戦時下の動物園で起きた悲劇をもとに描かれた感動作)

ぞうとおじさん1 -.png



 本日は、ドラえもんの名作「ぞうとおじさん」について書かせていただきたいと思います。
(てんとう虫コミックス5巻収録)
ドラえもん (5) (てんとう虫コミックス) -
ドラえもん (5) (てんとう虫コミックス) -


 第二次大戦中、空襲で檻が壊れて猛獣が逃げ出すことが懸念されたために、動物園で多くの生き物が殺処分されました。

 上野動物園では、注射や毒の餌を受け付けなかったゾウたちを餓死させることになり、この悲劇は、後に絵本「かわいそうなぞう」で広く知られるようになりました。

かわいそうなぞう (おはなしノンフィクション絵本) -
かわいそうなぞう (おはなしノンフィクション絵本) -

 「ぞうとおじさん」は、この上野動物園の出来事を下敷きにした話で、叔父さんから、ゾウの殺処分について聞かされたのび太とドラえもんが、タイムマシンでゾウを助けに行くというお話です。


(あらすじ)※結末まで書いているので、ご了解ください。(一部仮名遣いを改めてあります。)
 
 物語は、のび太の父方の叔父「のび郎おじさん」が、インドから仕事で帰ってきたところからはじまります。

 おじさんは、のび太とおとうさんに、「不思議な話」をしてくれます。



 少年時代、おじさんは象の「ハナ夫」が大好きで、動物園に足しげく通っていました。

ぞうとおじさん2 -.png

 時代は第二次大戦下、戦火が激しくなり、おじさんは田舎に疎開することになります。

 会えない間もハナ夫を気にかけていたおじさんは、終戦で東京に帰るなり、動物園に駆けつけました。

 しかし、戦争中にハナ夫は殺処分されてしまったと聞かされ、おじさんは一晩中泣きあかしました。
 
 ここまで聞いたところで、のび太とドラえもんはゾウに対する仕打ちに激怒。

 「しかたなかったんだよ」というおとうさんに、「しかたがないとはなんですか!」と、二人は話を最後まで聞かずに出て行ってしまいます。

 「助けよう!」

 タイムマシンに乗った二人は戦時中の動物園へ。

 ふたりが駆けつけたとき、ハナ夫はすでに餌をもらえずにやせ衰えています。

ぞうとおじさん3 -.png

 それでも、飼育員さんが入ってくると、目をぱっちりと開き、「プオーッ」と檻の向こうから鼻を伸ばしてえさをねだります。

 飼育員さんは、目に涙を浮かべ

 「おなかがすいたか?よしよし、今らくにしてやるぞ。」

 と、ふるえる手で、その鼻先にジャガイモをさしだします。

ぞうとおじさん4 -.png

 「だめだ!わしにはやれん。」

 ジャガイモをひっこめてしまった飼育員さん。

 物陰に隠れていたのび太とドラえもんはたまらず飛び出し、

 「おなかを空かせているのにかわいそうじゃないか!」

 と、あっけにとられている飼育員さんからジャガイモ入りのバケツを取り上げ、ハナ夫の檻にジャガイモを投げ込んでしまいます。

 「そ、それは毒のえさだぞ!!」

 飼育員さんは青ざめますが、ハナ夫は異変に気付いて鼻でジャガイモを放り出しました。

 胸をなでおろす飼育員さんとドラえもんたち。

 それにしても、なんで毒を食べさせようとするのか。

 二人に問い詰められた飼育員さんは、動物園に下された命令について話します。

 爆弾が落ちて動物が町で暴れたら大変なことになるから、その前に殺せと言われてしまった。

 でも。

 「誰が殺せるもんか。子供みたいに可愛がってきたのに……」

 飼育員さんは檻越しに伸びてくるハナ夫の鼻を抱きしめ、涙ながらにさすります。

ぞうとおじさん6 -.png

 動物園の人たちの苦しい胸の内を知り、言葉を失くすのび太とドラえもん。

 

 一方、園長室では、軍人が園長に詰め寄っていました。

 何度も命令を出したのに、何故まだゾウを生かしているのか。

 この非常時、大勢の兵隊も必死で頑張っているのに、動物の命など問題ではない。いや、たとえ動物でも、お国のために喜んで命を捧げるべきだ。

 園長は動物園としても対応に苦慮していることを説明します。

 ハナ夫の皮膚は分厚いので注射で毒を注入することもできない。仕方がないので、今日毒入りジャガイモを食べさせることになっている。

 しかし、そこにハナ夫の飼育員さんが入ってきて、ハナ夫が毒餌を食べなかったことを報告します。

 怒った軍人が、ハナ夫を撃ち殺そうと飛び出したため、飼育員さんがその膝にすがりついて止めます。

 「待ってください!やめてください!」

ぞうとおじさん7 -.png


 「じゃまするとただではおかんぞ!」

 飼育員さんに拳銃を向ける軍人に「まあ、まあ」と、割って入るドラえもん。

 「そうかっかしないで相談しましょうよ」

 ドラえもんを指さしながら、園長に向き直る軍人。

 「園長、気をつけなさい。タヌキが檻を出てる」

 カッとするドラえもん(←笑)。

ぞうとおじさん5 -.png

 のび太が軍人に提案します。

 何も殺さなくても、疎開させるなり、インドに送り返すなり、他に方法があるのでは。

 今はそれどころではない、と、突っぱねる軍人にのび太とドラえもんは笑って言いました。

 「戦争なら大丈夫。もうすぐ終わります。」

 「日本が負けるの。」

 当時、絶対に言ってはいけない台詞第一位。

ぞうとおじさん8 -.png

 「きさまたち敵のスパイだな!!」

 軍刀を振り回され、逃げ惑うのび太とドラえもんでしたが、サイレンの音とともに、軍人たちは二人を置いてその場を離れます。

 直後に上空に飛行機が見えたかと思うと、二人が飛び上がるほどの轟音と煙。

 空襲が始まりました。

 振り返ると、飛んでくるがれきや爆風にはばまれながら、飼育員さんが走っていきます。

 こんな危険な状況でどこに行くのか。呼び止めようとする二人に、飼育員さんは、「ぞうの檻の方に爆弾が落ちたんだ」と言います。

 「あっ!無事だったか」

 檻が壊され、ほこりだらけになりながらも、ハナ夫が厩舎から出てきていました。

 久しぶりの自由に、鼻を持ち上げ、嬉しそうにいななくハナ夫。

 「よしよし、絶対にお前を殺させたりしないからな」

 ハナ夫を固く抱きしめる飼育員さん。

 一緒に山奥に逃げようとしますが、軍人たちが園を一斉に封鎖、見つけ次第射殺するべく園内を捜索しはじめます。

 連れて逃げるのは難しい。インドへ送り返してやるのがいちばんいいのでは。

 ドラえもんたちの言葉に、飼育員さんは、途方に暮れて泣き出します。

 「そんな出来もしないことを言って……ああ、ぼくはどうしたらいいんだろう」

 ドラえもんがスモールライトを取り出して、ハナ夫の体を掌に乗るほどに縮めました。

 続いて、小さなポスト型の「郵便ロケット」を取り出し、ハナ夫を入れると、ポストに「インドのジャングル」と宛先を書いて、ロケットを発射させました。

 「元気で行けよう」

 飼育員さんが呆然と見上げる中、ロケットは青空の向こうに消えていきました。

 宛先へついたら、元通り大きくなるから、もう安心ですよ。

 そう言うドラえもんに、飼育員さんは、君たちは一体……と、言ったきり、言葉を失って膝をつきました。

 「じゃあね、バイバイ」

 笑顔で去って行くドラえもんとのび太。ととめどなく流れる熱い涙に頬を濡らし、飼育員さんは二人を見送りました。

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 タイムマシンで現代に戻ってきた二人。

 送り返せたけれど、ハナ夫はその後どうなったか。

 そう思いながら、茶の間のお父さんとのび郎おじさんのところに戻ると、おじさんが「ふしぎな話」について話し続けていました。



 仕事でインドの山奥に行ったのび郎おじさんは、仲間とはぐれ、ジャングルで遭難してしまいました。

 何日もさまよい、食料も尽きて、とうとう歩けなくなってしまったとき。

 倒れたおじさんの脳裏に、生まれてからの思い出が走馬灯のようによみがえってきました。

 両親の顔、疎開していた田舎の家、登って遊んだ柿の木……。

 暗がりの中にぼんやりうかびあがる、長い鼻、ふわりとなびく耳……。

 おじさんのかすれた視界に、ハナ夫の顔が見えました。

 倒れているおじさんに歩み寄ってくるハナ夫。

 「ハナ夫」

 おじさんは名前を呼んでみました。

 ハナ夫は、懐かしそうにおじさんを見ていました。

 その優しい目を見ながら、おじさんは次第に気が遠くなっていきました。

ぞうとおじさん10 -.png

 それから、もうろうとする意識の中で、ハナ夫の背に揺られていたような気がしました。

 おじさんが気が付いたとき、おじさんはふもとの村に倒れていて、無事救助されました。

 

 おじさんの話を聞いたお父さんは、腕組みをしたまま、考え込みました。

 「ううん……たしかに不思議な話だがね」

 それは夢だろう。死んだはずのハナ夫が、インドにいたなんて。

 おじさんは、ぼくもそう思うんだけどね、と、言いつつ、あの不思議な時間に思いを馳せ、しみじみと目を細めました。

 「夢でもうれしかったなあ……」

 ドラえもんとのび太は顔を見合わせました。

 ハナ夫は無事にインドに着いて、今でも元気に暮らしている。

 「わあい、よかったよかった!!」

 お父さんとのび郎おじさんが不思議そうに見ている中、二人は泣きながら手をとって喜び合いました。


(完)



 のび郎おじさんのハナ夫に対する思いが、めぐりめぐってハナ夫を救い、そして生きながらえたハナ夫がおじさんを助けてくれたという、「タイムマシン」が登場する作品の中でも異色の心温まるお話です。

 読み返してみると、飼育員さんとハナ夫の絆もコマの中に丁寧に描かれ、(やせ衰えながらも、まだ飼育員さんを信じているハナ夫の目や笑顔、飼育員さんの、軍人や空襲からハナ夫を守ろうする姿、ハナ夫の鼻を全身で抱きしめ、ほおずりして流す涙など。)殺処分をしなければならなかった人々の無念がしのばれます。

 突然現れた風変わりな神であるドラえもんたちを、地面に膝をつき、涙しながら見送る飼育員さんの姿から、藤子F先生が、現実には悲劇から逃れられなかった戦時下の動物たちと人々を、作品の中でだけでも救ってあげたかったという、優しい気持ちが伝わってきます。

 数奇で感動的なストーリー(なのにドラえもんの「タヌキが檻を」など、ギャグもきちんと挟まれている)、藤子F先生のあたたかなタッチで描かれた動物の姿(透き通ったつぶらな瞳の可愛らしく優しいまなざしや、鼻の繊細な動きなど)など、何度読んでも心に染みる名作です。是非ご覧ください。

 読んでくださってありがとうございました。




(補足)当ブログの象にまつわる記事

 ・(※ネタバレ)ドラえもん「ぞうとおじさん」

 ・(おすすめ動画)穴に落ちた象の赤ちゃんを助けた人々が見た心温まる瞬間(インド)
 ・ 象のインディラと落合さん(中川志郎作『もどれ インディラ!」より ※結末部あり)


posted by Palum. at 13:20| ドラえもん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月24日

飼い主の失神を予知する秋田犬フローラ(イギリスの動物ニュースより)

(Mail Online記事内のフローラと飼い主ロバート氏 撮影者:Richard Cannon)
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今日は、イギリスで話題となった不思議な秋田犬フローラについてご紹介させていただきます。
「Mail Online」の記事と、NHK放送のドキュメンタリー番組「犬の秘められた力(原題:Secret Life of Dogs EP 1 - Man’s Best Friend)」を参照させていただきました)

 ロンドン在住のドッグ・トレーナー、ロバート・ストゥールドリアー氏は、12年前から謎の失神症状に悩まされるようになりました。

 最初の発作が起きたのは2000年。ロバートが、ドッグショー(犬の品評会)に参加するため、飼い犬のマックスを車に乗せて会場に向かっていたときでした。

 運転中に失神したロバートが意識をとりもどすと、そこは病院でした。

 幸い、彼も犬も無事でしたが、失神の原因は病院側でもわかりませんでした。

 その後、間隔にばらつきはあるものの、失神は前触れ無く繰り返され、様々な精密検査をしても、問題が見つからず、手の施しようが無い状況に。

 ロバートは、車の運転をあきらめ、公共の交通機関を利用するようになりました。

 歩いていても突然の昏倒で怪我や骨折をし、道を渡っているとき、駅のホームにいるときなども、いつ症状が現れるかわからず、ロバートにとって不安な日々が続きました。

 しかし、秋田犬の子犬フローラが彼の生活に変化をもたらしました。

(日本でよく見る秋田犬と違い、フローラは背中から頭にかけては灰色がかった茶色、鼻面が黒く、お腹と足が白いのですが、どうやら彼女は「アメリカンアキタ」というアメリカでさらに品種改良された犬種のようです。)


 ロバートが生後五か月のフローラと訓練用のグラウンドにいたとき、再び失神の発作に見舞われました。

 ロバートが意識を取り戻したとき、フローラは、倒れたロバート氏の側を離れず、そこにいました。

 ロバートは、子犬なのにその場を離れなかったフローラを撫でて彼女に感謝しましたが、フローラの不思議な行動は、ここからさらに発展していきました。

 数週間後、ロバートがフローラを散歩させていると、ふいにフローラがロバートの進路をふさぐように立ち、彼の足を止めさせました。

 トレーナーであるロバートにきちんとしつけられていたフローラのそれまでに無い行動に、ロバートは困惑し、いつもどおり自分の脇を歩くように指示しましたが、その時のフローラは彼に従いませんでした。
 
 ロバートに立ち位置を戻されても、また、彼の前にフローラが立ちはだかった直後、ロバートの失神の発作が起きました。

 その後も、普段は非常に指示に忠実でおとなしいフローラが、ふいにロバートの前に立って、彼の足を止めさせる行動は続き、彼が歩き続けようとすると、フローラは、さらに彼の手を優しくくわえて下に引っ張り、彼を座らせようとするようになりました。

 そして、フローラがそうした直後に、必ず失神が起きていました。

 フローラはなんらかの方法で、失神の予兆をロバートより先に感じ、彼が転倒しないように、事前に立ち止まらせ、腰を下ろさせている。

 それに気づいたロバートは、以後、フローラと行動をともにし、フローラのしぐさを合図に、安全を確保できるようになりました。

 それ以来、急に倒れて怪我するような事故は起きていないそうです。

 フローラのこの不思議な能力のメカニズムについては、何年間も謎のままでしたが、2017年、ロバートの症状が「心臓性失神」と診断されて以来、ひとつの仮説が立てられるようになりました。

 ロバートの心臓が何らかの原因で一時的に動きを止め、血液が循環しなくなるために、失神が起こる。

 フローラは、心臓の動きに異変をきたしたロバートの体臭の変化から、失神を察知しているのではないか。

(個人的には、この嗅覚からの情報に加え、人の四倍といわれる聴力で、ロバートの心拍音の中断を聞き分けたのでは、とも思います。)

 犬が人間の不調を臭いで感じ取る能力については、既に研究されており、現在、人間の血液や尿、老廃物などから、糖尿病、癌などの兆候をいち早く発見する「メディカル・アシスタンス・ドッグ」も活躍し始めています。

(イギリスの「メディカル・アラート・アシスタンス・ドッグ」のHP
https://www.medicaldetectiondogs.org.uk/about-us/medical-alert-assistance-dogs/

 フローラは訓練無く(普通は半年近い専門的訓練が必要)、幼い頃からこの能力を身につけていたと考えられていますが、このような能力には、飼い主と犬との日頃の深い絆が不可欠だそうです。

「フローラは私に人生を取り戻させてくれました」

「秋田犬の姿をした守り神が側にいる人なんて、まずいないでしょうね。私は本当に幸運です」
(番組内ロバートのコメント)
 
 ロバート氏はドッグ・トレーナーとしての仕事を続けられるようになり、フローラはロバートのアシストをしながら、彼の訓練を受け、その聡明さから、テレビや映画でドッグアクターとしても活躍しているそうです。
フローラのプロフィールページ〈動物エージェント「Urban Paws UK」社HPより〉)

(イギリスの有名なドッグショー「Crufts」に登場したロバートとフローラ)


https://www.youtube.com/watch?time_continue=47&v=nmPqrji4kfk

 (参照記事・番組)
・Daily mail online
「Meet Flora, the dog ‘doctor’ who senses Rob’s blackouts that humans can’t!」
http://www.dailymail.co.uk/health/article-5273073/Meet-Flora-dog-doctor-senses-blackouts.html#ixzz57MhSNgtF

・BS世界のドキュメンタリー「犬の秘められた力(原題:Secret Life of Dogs)」2018年1月9日放送
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/253/2145586/index.html

posted by Palum. at 23:44| おすすめ動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月23日

(※結末部あり)短編小説「レキシントンの幽霊」(村上春樹作)あらすじ紹介

 本日は、村上春樹の短編小説「レキシントンの幽霊」についてご紹介させていただきます。

 「レキシントンの幽霊」(1996年、同名の短編小説集に収録)は、村上春樹氏本人を強く意識させる物書きの「僕」が、アメリカで暮らしているときに出会った紳士の家で遭遇した不思議な現象と、紳士から聞いた、彼の人生に起きた出来事を描いた作品です。


レキシントンの幽霊 (文春文庫) -
レキシントンの幽霊 (文春文庫) -



(あらすじ)
※結末までご紹介しているのでご了承ください。
 
 「これは数年前に実際に起こったことである。事情があって、人物の名前だけは変えたけれど、それ以外は事実だ。」

 物書きの「僕」は、そう前置きして、その「事実」を書き記していく。



 2年前、「僕」がアメリカのマサチューセッツ州に二年ほど住んでいた時、ある建築家と知り合いになった。

 五十をすぎたばかりのハンサムで半ば白髪の紳士。名前はケイシーとしておく。

 ケイシーは同じ州のレキシントンという町で、青ざめて無口な青年ジェレミーと一緒に、古い屋敷で暮らしていた。ジェレミーはおそらく三十半ば、調律師で、ピアノも上手かった。

 ケイシーは、「僕」の英訳された作品を読み、「僕」に会いたいと手紙を送ってきた。

 「僕」は、ふだんあまりそういう手紙に反応しないようにしていたが、その文面から知性とユーモアが感じられたこと、偶然、家が近かったこと、そして何よりも、彼が古いジャズ・レコードの見事なコレクションを持っていることに惹かれ、彼に会ってみることにした。

 ケイシーの家は、築百年は経っているであろう立派な屋敷で、高級住宅街の中でも異彩を放っていた。

 玄関には大型犬のマスチフがいて、僕に向かって少しだけ義務的に吠えた。

 出迎えてくれたケイシーは、趣味の良い服装をし、教養ある、話し上手な人物だった。そして仕事は持ってていたものの、必要に迫られて働いているようには見えなかった。

 ケイシーの父は著名な精神科医で、彼の素晴らしいジャス・レコードのコレクションは父親が揃えたものだった。

 ケイシー自身は、さしてジャズを好んでいたわけではないが、亡き父に対する愛情から、今もそのコレクションを完璧に管理していた。彼には兄弟がおらず、屋敷もレコードも、すべてケイシーが継いでいた。



 月に一度程度ケイシーの家を訪ねるようになってから半年ほどした頃、ケイシーは「僕」に一週間の屋敷の留守番を頼んできた。

 ケイシーは仕事でその間ロンドンに行かねばならず、一緒に住んでいるジェレミーは、遠方に住んでいる母が体調を崩してしまったために、少し前から実家に戻ってしまっていたので、その間、屋敷と犬を見る人間が必要だった。

 犬の食事以外は、レコードを好きなだけ聴いて好きに過ごしてくれていい。

 ちょうど、自宅そばの工事の騒音に悩まされていた僕は、その話を快諾し、ノートPCと少しの本を持って、ケイシーの家にやって来た。

 「僕」はレコード・コレクションのある音楽室で書き物をしてみた。

 屋敷はどこも年月を感じさせ、持ち込んだPCが浮き立つほどであった。中でも音楽室は、ケイシーの父の死後、何一つ手をつけなかったらしく、清潔だが、時が留まっているような、あるいは神殿や遺体安置所のような気配がした。

 ケイシーの犬、マイルズは、大きいが寂しがりやで、キッチンで眠るとき以外は、「僕」に体の一部をそっと付けていた。

 家の調度はいかにも代々裕福な家らしく、良い品と思われたが、派手さはなく、その落ち着いた部屋に音楽が沁み込んでいった。

 「僕」はその音楽室で極めて居心地よく仕事をし、夜、眠るために二階の客室に上がっていった。



 夜中、「僕」はふいに目が覚めた。

 そして、なぜ目が覚めたかに気付いた。

 階下から、音がする。

 誰かが下で話している。それもかなりの人数。

 かすかに音楽まで聞こえてくる。そして、ワイングラスらしきものを鳴らす音。

 それはパーティーの物音だった。

 いったい誰が、いつの間に。

 それはわからなかったが、音楽と話声は、明るく楽しげで、なぜか危険を感じさせなかった。

 足音をしのばせて玄関ホールへ降りてゆくと、「僕」が寝る前に開けたままにしていたはずの居間への扉がぴったりと閉ざされていた。

 パーティーの賑わいはそこから聞こえてきていた。

 キッチンに行き、念のため、護身用のナイフを取り出そうとしたが、あの楽しそうなパーティーの中に、ナイフを持って入ることがためらわれ、それを引き出しに戻した。

 そのとき初めて、キッチンで寝ているはずの犬がいなくなっているのに気づいた。
 どこに行ったのか、なぜ吠えなかったのか。

 玄関ホールに戻った「僕」は、まだ聞こえてくるパーティーのさざめきに耳をすました。

 しかし、その話声はやわらかに混ざり合い、どうしても、何を言っているのか聞き取れなかった。

 ふいに、気付いた。

 あれは、幽霊だ。

 彼らは生きた人間ではないし、どこからも入ってこなかった。だから、犬は吠えなかったのだ。

 「僕」は恐怖を覚えたが、怖さを超えた、何か不思議な感覚も覚えた。

 それからそっと二階に戻っていった。

 話声と音楽は夜明け近くまで続いていたが、「僕」はやがて眠りに落ちた。

 朝、再び一階に降りていくと、居間への扉が開いていた。

 パーティーの形跡など何もなく、犬はキッチンで寝ていた。



 パーティーの気配はその晩一度きりで途絶えた。

 「僕」の心のどこかに、あのさざめきにもう一度巡り合うことを期待する思いがあったが、夜中、犬と一緒に居間でしばらく待っていても、もう二度と、何も感じられなかった。
 


 ケイシーが一週間後に帰って来た時、「僕」はあの夜のことを話さなかった。なんとなく、彼には何も言わないほうが良い気がした。



 それから半年、ケイシーには会わなかった。

 電話で聞いたところでは、ジェレミーの母親があのまま亡くなり、彼は、ずっと、母親のいた町に行ったきりだということだった。

 
 最後にケイシーに会ったとき、散歩中、カフェテラスで偶然出くわしたのだが、彼は、十歳は年をとったように、急に老け込んで見えた。

 伸ばしたまま整えていない髪、目の下のたるみ、手の甲にまで皺が増えていて、あの身綺麗でスマートな彼からは想像もつかないくらいだった。

 ジェレミーはもうレキシントンに帰ってこないかもしれない。

 「僕」と一緒にコーヒーを飲みながら、ケイシーは沈んだ声で言った。

 無口だったあの青年は、親の死んだショックで、人が変わってしまったようだった。

 ケイシーが電話をしても、ほとんど星座の話しかしなくなった。星の位置によって今日一日行動を決めるというような話をだけを。そんな話は、レキシントンにいるときにしたことがなかった。

 気の毒に、と、「僕」は言った。だがそれが誰に対する言葉なのか、自分でもよくわからなかった。


 ケイシーは、十歳で亡くした母親の話をはじめた。

 ヨットの事故だった。父より、十以上も年下で、誰もそのとき母が死ぬなんて考えていなかった。でも、煙のようにいなくなってしまった。

 美しい人で、サマードレスを風に揺らし、綺麗に、楽しそうに歩いた。

 父は、母を愛していた。おそらく息子であるケイシーよりずっと深く。

 父は、自分の手で獲得したものを愛する人だった。彼にとって、息子は、自然に、結果的に手に入ったものだった。 
 
 母の葬儀が終わった後、父は、三週間眠り続けた。誇張ではなく事実として。

 もうろうとベッドから出てきて、水とほんの少しの食べ物を口にする以外、鎧戸をぴたりと閉めた部屋で、微動だにせずに眠り続けた。ケイシーは、父が生きているか何度も確かめた。おそらく夢すらみていないであろう、深い眠りだった。その間ずっと、ケイシーは、屋敷でたった独り取り残されたような恐ろしさを感じていた。

 十五年前、父が亡くなったとき、死んでいる父の姿は、眠り続けたときの彼とそっくりだった。

 ケイシーは父を愛していた。尊敬以上に、精神的、感情的な強い結びつきを感じていた。

 それから、ケイシーは二週間の間、眠り続けた。母を亡くした父と全く同じように。

 眠っている間は、現実が、色彩を欠いた、虚しく浅い世界に思えた。戻っていきたくなかった。母を失ったときの父の気持ちを、ケイシーはようやく理解できた。

 
 「ひとつだけ言えることがある」

 ケイシーは顔を上げ、「僕」に穏やかに笑った。

 「僕が今ここで死んでも、世界中の誰も、僕のためにそんなに深く眠ってはくれない」



 「僕」は、ときどきレキシントンの幽霊を思い出す。そして、あの屋敷に存在したものを。

 閉ざされた暗い部屋で、「予備的な死者」のように眠り続けるケイシーと彼の父親、人懐こい犬のマイルズ、完璧なレコード・コレクション、ジェレミーの弾くピアノ、玄関前の青いワゴン車、そんなものを。

 ついこの間のことなのに、それはひどく遠く思え、その遠さのために、「僕」は、あの奇妙な出来事の奇妙さを感じられないでいる。



(完)




 留守番中に聞いた幽霊のパーティーの音と、洗練された紳士であったケイシーの、青年との別れ。

 片方は「僕」が経験したことであり、片方はケイシーが経験したことでありながら、その二つは、同じ気配を醸して交錯しています。

 「僕」が聞いたパーティーのさざめき。

 それは、個別に死を迎えた、元人間である幽霊たちの集いというより、一塊の空気のように描かれています。

 「古い楽しげな音楽」は蒸気のように僕の眠る部屋に立ち上り、扉の向こうの会話は混然一体として、何をいっているのか聞き取れない。

 「僕」は、この現象に遭遇しているときの気持ちをこのように表現しています。

 「(扉を開けて入っていくというのは)難しい、また奇妙な選択だった。僕はこの家の留守番をしているし、管理にそれなりの責任を負っている。でもパーティーには招待されているわけじゃない。」

 「(混然一体となった会話は)言葉であり、会話であることはわかるのだけれど、それはまるでぶ厚い塗り壁みたいに僕の前にあった。そこには僕が入っていく余地はないようだ。」

 やがて「僕」は、そのさざめきが生きた人間の発する者でないことに気付き、恐怖を覚えますが、それを超えた茫漠とした感覚も覚え、寝室に戻っていきます。

 その後、一抹の恐怖を覚えつつ(だから犬を連れて)、しかし、心のどこかで期待しながら、夜中に居間で、あのさざめきを待ってみたものの、もう二度とそれが訪れることはありませんでした。

 レキシントンの幽霊。

 それは、おそらく、百年を超える屋敷が今もひっそりと抱く、過ぎ去った華やかな時代の空気のようなものだったのではないでしょうか。

 かつて、本当にその居間で、時代の繁栄を謳歌していた裕福な男女が集い、笑って語らいながらグラスを傾け、音楽の中で踊っていた。

 その記憶が、あるいは余韻が、ケイシーという屋敷の主の不在時に、現れた。

 そのさざめきの明るさ、そして「僕」が不可解な現象を恐れつつ、不吉を感じなかったこと、それでいて、どうしてもその中に入る気持ちになれなかったのは、それが、現代ではない時代の空気そのものであり(話し声だけでなく、音楽も、グラスの音も一体化した塊であり)、今生きている人間が、搔き分けて入り込める性質のものではなかったからではないでしょうか。

 一方、ケイシーは、それまで一緒に暮らしていた青年ジェイミーを、距離的に、人格的に失います。

 ケイシーとジェイミーの関係は明らかにされていません。恋人、友人、いずれにせよ、ケイシーは、その後も レキシントンの屋敷でジェイミーと共に生きていくつもりで、しかし、その未来は失われました。

 妻を失い、眠り続けた父。父を失い、眠り続けたケイシー。
 
 ケイシーは自分たちのあの長い眠りを、「ある種のものごとは、別のかたちをとる。それは別の形をとらずにはいられない。」と語りました。

 愛する者を亡くした世界で、目覚めたまま流す涙や、叫びや、言葉や、そういったものでは、欠落感を紛らわせることができなかったケイシー親子は、夢も見ずに眠るしかできなかった。そういう愛し方をする血統だった。

 ケイシーは自分の死のときには、ジェイミーがいてくれると思っていたけれど、彼は母親の死に打ちのめされて、いなくなってしまった。

 今、ケイシーの死を、自分と父がそうしたように痛切に悼む人間はもういない。

 ケイシーは、その実感を、「僕が今ここで死んでも、世界中の誰も、僕のためにそんなに深く眠ってはくれない」と語りました。

(ケイシーの犬のマイルズは、愛情深く寄り添う存在ですが、原則、人より先に世を去る犬である以上、ケイシーを見送る存在として認識されず、逆にこれから訪れるであろうケイシーの人生の空白が強調されます。)


 ケイシーのジェレミーとの別離は、このセリフによって、「レキシントンの幽霊」の気配と重なり合います。

 たしかにあった、美しくぬくもりある過去、しかし、自分はその扉の外にいて、その明るい、曖昧なさざめきに、耳を澄ますことしかできない。

 「レキシントンの幽霊」と、「ケイシーの父母の記憶」は、今を生きる人間とは違う輪の中に在るという意味で共通しています。

 「時代の空気」であるか、「個人の記憶」であるかという違いだけで、どちらも、既に過ぎ去り、現在、生きた人間は、決してその輪に入ることができないという意味では、同じ性質のものです。

 それでいて、明るく美しいさざめきだけは聞こえてきて、人を扉の外に佇ませる。



 いつか、既に「誰も眠らない」人間になったケイシーは、屋敷で、あの居間にたちのぼる「レキシントンの幽霊」のさざめきを聞く日があるのか。

 彼は、あの「レキシントンの幽霊」の明るく華やかな気配を、居間の外で、どんな思いで聞くのか。

 扉を隔てて、「死んでいる」のは、誰なのか。

 そんな想像は、傍観者の「僕」がケイシーから遠ざかってゆくことで、語られずに終わります。

 幸福なさざめきと、ケイシーの最後の言葉がまざりあい、読者の中の思い出と欠落感を風のように揺らす、印象的な短編です。

 是非お手に取って、この不思議な、忘れ難い感覚を味わってみてください。

 読んでくださってありがとうございました。

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2018年03月22日

少女漫画の最高傑作『トーマの心臓』(萩尾望都作)


トーマの心臓 (小学館文庫) -
トーマの心臓 (小学館文庫) -

 本日は、萩尾望都先生の漫画『トーマの心臓』についてご紹介させていただきます。

 『トーマの心臓』(1974年連載)は、ドイツのギムナジウム(中等教育学校〈日本の中高一貫教育に該当〉)の寄宿舎で生活する少年たちの愛を描いた作品で、その繊細な心理描写と抒情性で、同じく萩尾望都先生の『ポーの一族』と並び、日本の少女漫画を芸術の域に高めた作品です。



(序盤あらすじ)
 雪解けの頃、シュロッターベッツギムナジウムの生徒、トーマ・ヴェルナーが陸橋から落ちて死んだ。

「ユーリ……ユリスモール!」

 同じ学校のある少年を思いながら。

トーマの心臓1 -.png


 ユリスモール・バイハンは、朝、同級生たちからトーマ・ヴェルナーの死の知らせを聞いた。

 陸橋から足を滑らせて落ちた。事故だった。

 そう聞かされたユーリだったが、前日、自分宛に届いていたトーマからの手紙を開封して息をのんだ。

 「ユリスモールへ、さいごに。これがぼくの愛、これがぼくの心臓の音。君にはわかっているはず」

 それは遺書であり、トーマの死は自殺だった。



 以前、トーマがユーリに好意を寄せていたことは周知の事実で、優等生のユーリが、人気者のトーマの気持ちに応えるか、学校中が注目していた。

 しかし、ユーリはトーマが遊びで自分に近づいていると感じ、皆の前で、彼をはねつけていた。

 周囲は好奇心で行く末を見守っていたトーマの思いは、実は、死に至るほど真剣なものだった。

 ユーリはその事実と、遺書の謎めいた言葉を受け止めきれずにいた。



 ユーリと同室で、共に遺書を読んだオスカーは、ユーリの精神状態を案じていた。

 しばらくは、何事もなかったように冷静にふるまっていたユーリだったが、ある日、トーマが落ちてくる悪夢を見、目覚めた後も、トーマの幻影に怯えて気を失う。

トーマの心臓2 -.png

 オスカーの対処で事なきを得たが、翌日、ユーリはトーマの遺書を手に、彼の墓に向かう。

 そして、墓碑の前で遺書を破り捨てた。

 「これがぼくの返事だ!きみなどに支配されやしない!」

トーマの心臓3 -.png


 彼の死も遺書の言葉も謎のまま、トーマを心から消し去ろうとしたユーリ。

 しかし、墓地を出ようとしたそのとき、鉄柵の向こうを歩く少年の姿が目に入った。

 その顔はトーマに生き写しだった。

トーマの心臓4 -.png

 ユーリは我を忘れて少年を呼び止めた。

 少年の名はエーリク・フリューリンク。

 シュロッターベッツへの転入生として、ユーリと同じクラスにやってきた。

 自分を見た時の周囲の反応に苛立つエーリクだったが、彼に校長室の場所を教えてくれたオスカーの反応は彼らとは違った。

 去り際、オスカーはもっと重要なことをエーリクに告げた。
 「ユーリに近づくな。殺されたって知らないぞ」



 オスカーは、ユーリの異変に気付いていた。

 エーリクを見てから、ユーリの周囲にあった、あの圧された空気が消えている。

 エーリクはトーマではない。

 ユーリはエーリクをどうするつもりなのか……。



(主要登場人物)

トーマ・ヴェルナー
トーマの心臓 トーマ -.png

 物語冒頭で謎の遺書を残し、自ら命を絶った少年。

 金髪に青い瞳で「フロイライン(お嬢さん)」とあだ名され、容姿の美しさだけでなく、ものやわらかな性格で、周囲の人々から愛されていた。

 上級生のユーリに恋心を抱いていて、拒絶された後も自殺するまで彼を気にかけていた。



ユリスモール・バイハン(ユーリ)
トーマの心臓 ユーリ -.png

 成績優秀な優等生として周囲に一目置かれる少年。

 エキゾチックな黒い髪と瞳も少年たちに憧れられていたが、ドイツにあって南の血を感じさせる容姿は言われない差別の対象にもなっていた。

 以前は控えめながら面倒見の良い温かな性格の持ち主だったが、ある事件をきっかけに、深い心の傷と自責の念に苦しめられ、それをひた隠しながら生きていた。

 自分を慕ってくるトーマには複雑な感情を抱いていたが、彼の死後、生き写しのエーリクにトーマを投影し、トーマの幻影ごとエーリクを消し去りたいという衝動に駆られるようになる。



 エーリク・フリューリンク
トーマの心臓 エーリク -.png
 トーマの死から半月後にシュロッターベッツに転入してきた少年。

 茶色の巻き毛に瞳。しかしそれ以外はトーマに生き写しの容姿をしている。

 性格はトーマと正反対に勝ち気で率直。ユーリが自分に攻撃的だと感じとり、真っ向から対立する。

 裕福な家の出らしく、それまでは家庭教師に学んでおり、集団生活を知らなかった。

 美しく恋多き母親を熱愛しており、彼女の再婚のあてつけに、寄宿舎学校に行くことを選んだ。



オスカー・ライザー
トーマの心臓 オスカー -.png

 ユーリと同室の少年。学校に来る前に父親と放浪生活を経験しており、同級生の中では少し年上。

 大人びた態度で、授業に出ない、隠れて飲酒や喫煙をするなど問題行動もあるが、いざというときは統率力がある。

 母は父の猟銃暴発事故で死に、父はオスカーを連れて家を出、やがて、友人であるシュロッターベッツの校長に彼を託して姿を消した。

 母の死と自身の出生に秘密があり、オスカー本人はそれを知っている。

(※学校に来る前のオスカーについては短編集「訪問者」に描かれています。)
訪問者 (小学館文庫) -
訪問者 (小学館文庫) -



(見どころ)
 美少年同士の耽美的な恋の話として捉えられることもある本作品ですが、登場人物それぞれが心に痛みを抱えており、それでも人を痛切に愛し、葛藤する姿を描いていて、「恋」を超越した愛の姿が深く心に刻まれる傑作です。

 「この少年の時としての愛が性もなく正体もわからないなにか透明なものに向かって投げ出されるということも知っている」

 トーマがひっそりと書き残した詩の言葉通り、彼らの中に一対の恋人同士になるという意識は希薄で、その愛は憧憬と友情と献身が入り混じる独特のものです。

 以前、この本を読んだ知人が、(おそらくは困惑と共に)「この世の話ではない」と言っていましたが、確かに現実世界にこれほど無私の深い愛が存在し、なおかつ一つの場所で交錯することはありえないかもしれません。

 確かに「この世」にはありえないかもしれない、しかし、もしどこかに在ってくれれば……。

 そんなことを、むしろ大人になって「この世」を知るにつれ考えさせられます。

 一見読み手を選ぶようですが、人生で傷を負った、あるいは、愛に苦しんだことのある人間なら、誰しも心に響くものをもった傑作です。

 是非、ご覧になってみてください。

 読んでくださってありがとうございました。

(当ブログ 萩尾望都関連記事)
(※ネタバレ)「ポーの一族」(1972年)あらすじご紹介

(※ネタバレ)『ポーの一族』「はるかな国の花や小鳥」あらすじご紹介

(※ネタバレ)漫画、『ポーの一族』「はるかな国の夢や小鳥」見どころご紹介

posted by Palum. at 01:02| おすすめ漫画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月21日

『この世界の片隅に』2018年夏 実写ドラマ化

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス) -
この世界の片隅に 上 (アクションコミックス) -

 こうの史代さんが戦時下の呉に暮らす人々を描いた漫画『この世界の片隅に』が2018年夏に連続ドラマ化されるそうです。

 (情報出典:映画ナタリー「この世界の片隅に」連続TVドラマ化、こうの史代「実写ならではの要素楽しみ」

 製作テレビ局やキャストなど、詳細情報は何も明らかになっていませんが、アニメ映画が原作に誠実な構成で記録的大ヒットを飛ばしただけに、実写がどのような作品になるのか注目が集まりそうです。

この世界の片隅に [Blu-ray] -
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 個人的には次の二点がどうなるか、ドラマ化を待ちたいと思います。

 ・アニメ映画ではかなり省略されていた、娼婦リンさんの人生について描いてほしい。
  (連ドラなら時間的な制約は無いと思うので)

 ・こうの史代さん作品の持ち味であるさりげない感情、場面表現をドラマに取り入れてほしい。
  (号泣など直接的な感情表現、戦争の生々しい場面の描写を使わずに、人の心の機微と、戦争の悲劇を描いているところが、こうのさんの作品の凄さだと思うので、多少わかりやすさを犠牲にしても、そこは原作に忠実であってほしいと思います。)

 ドラマ情報がより詳細にわかるようになったら、当ブログでもご紹介させていただきたいと思います。

 当ブログ、こうの史代さん作品関連記事は以下の通りです。よろしければ併せてごらんください。
(ネタバレがあるのであらかじめご了承ください)

(※ネタバレあり)この世界の片隅に 映画で語られなかった場面(1)ノートの切れ端とリンドウのお茶碗

(※ネタバレあり)「この世界の片隅に」映画で語られなかった場面(2) 雪に描かれた絵と、桜の花びらの舞い降りた紅

(※ネタバレあり)漫画、こうの史代作『夕凪の街 桜の国』ご紹介


 読んでくださってありがとうございました。。

 
 
posted by Palum. at 07:17| おすすめ漫画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月20日

(※ネタバレ)ジャイアンの心の友(ジャイアン、レコード「乙女の愛の夢」をリリース)

心の友 レコード販売 -.png


 本日は『ドラえもん』のうち、ジャイアンの歌にまつわる傑作エピソードをご紹介させていただきます。

 「ジャイアンの心の友」(てんとうむしコミックス11巻収録)
ドラえもん (11) (てんとう虫コミックス) -
ドラえもん (11) (てんとう虫コミックス) -


 ジャイアンの暴力に苦しめられていたのび太が、関係改善のためジャイアンのレコードをリリースするお話です。(以下、一部仮名遣いを改めてあります。)



 「ドラえも〜ん」
 傷だらけで泣きながら帰ってきたのび太。

 「ばくだんをくれ!」
 あっけにとられるドラえもん。

 「ジャイアンにぶっつけてぼくも死ぬ!」

心の友 ジャイアンにぶっつけてぼくも死ぬ -.png

 ドラえもんがどうにかなだめて話を聞くと、またしてもジャイアンにいじめられたとのこと。
(なお、この児童向け漫画らしからぬ激しい悲嘆ほとばしる台詞は、別の巻でも「スネ夫を殺してぼくも死ぬ」という類似フレーズで再登場します。〈単行本14巻「ラジコン大海戦」より〉)

 悔しい気持ちはわかるが仕返しは仕返しを呼ぶだけだ。それより、意地悪されるたびに親切にしたらどうだろう。そのうちには真心が通じるはずだ。

 そう提案したドラえもんは、のび太にある道具を貸してあげます。

 ドラえもんの言うような誠実な関係性が気付けるかは甚だ疑問に思いつつ、それを持ってジャイアンの家を訪ねるのび太。

 「さっきのことで文句でもあるのかっ!!」
 戸を開けるなりけんか腰のジャイアン。

 なんとか部屋に入れてもらうと、ドラえもんから借りた機械を取り出します。

 「きみはいまに歌手になりたいって言ってたよね」

 それはレコード製作機(正式なひみつ道具名不明)でした。

 レコードを出すのが夢だったジャイアン、大喜びでさっそく「ホゲ〜(※ジャイアンの歌声を示す定番擬音、この他「ボエ〜」がある)」と歌を録音。(機械操作しつつ耐えるのび太)

 出てきたレコードは「乙女の愛の夢(発売元:ノビタレコード)」(←笑)

(昭和ムード歌謡を彷彿とさせるロゴデザインがまた泣かせる。) 
心の友 ノビタレコード -.png


 このややくどい曲名が、リストの名曲「愛の夢」へのオマージュであるかどうかは謎です。 

 テレビでは「俺はジャイアン、ガキ大将(曲名:「おれはジャイアン様だ!」)」と、男性的な歌を歌うことが多いジャイアンですが、原作ではこの歌のように恋愛をモチーフにしたセンチメンタルで中性的な歌詞のほうが主流です。
 (なお、「おいらの心の胸はお空の月の星の涙よ(※)」など、歌声のみならず、歌詞も壊滅的なセンス(※単行本16巻「シンガーソングライター」より))

 出来立てのレコードをさっそく試聴し、「おれの歌はなんど聴いても胸にせまる。」と自画自賛するジャイアン。(耐えるのび太2)

 機械はレコードだけでなくジャケット作成機能もついています。

 ジャケットは、ステンドグラス窓を背景に、ジャイアンがまつ毛長めの夢見る瞳でウィンクをしつつ、握りしめたバラに頬を寄せているという、非常に気持ち悪……ロマンチックなデザイン。

心の友 乙女の愛の夢 -.png

 ジャイアンはのび太の両手を強く握りしめます。

 「今からおまえは、おれの親友だ!心の友だ!」
 「剛田くん!」(希少な呼び方)

心の友 初登場 -.png


 有名な「心の友(ジャイアンに大いなる利益をもたらす人物に贈られる称号)」という単語が誕生した瞬間です。

 (情報出典:「遠足新報」HP「意外とレア! ジャイアン「心の友」認定者リスト」ドラえもんの様々な現象を全巻通じて集計、データ・一覧表化した名サイトです。)


 
 これで安心して暮らせる、と、笑顔で帰宅したのび太。

 一方ジャイアンは家の前に露店を構え、さっそくレコード販売を開始しました。

 自作とおぼしきポスターに踊るキャッチコピー。

 「大型新人あらわる!!『乙女の愛の夢』剛田武があまくせつなくうたいあげて…ヒット中!!」
 
 ポスターにはバラが散り、やはりまつげの長いジャイアンが、乙女の愛の夢を見るように小首をかしげて目を閉じ、両手を合わせてほほに寄せています。これも実に気持ち悪……ロマンチック。



 「そっちへ行かないほうがいいよ」
 スネ夫がしずかちゃんを呼び止めました。
 
 ジャイアンの家の前でレコードが販売されていると聞かされた友人たち、「そんなものを買わされてたまるか」と全員が迂回します。

心の友 人通りがなくなる -.png

 「ばったりと人どおりがなくなったのは、どういうわけだ」(←笑)

 唇を「3」に尖らせたジャイアンが、辺りの様子を見に行くと、「当分近寄らないほうがいい」と、少年たちが危険情報を共有している最中でした。

 「やいこらっ!!」



 ジャイアンの露店に集まってくるスネ夫たち。

 「レコード出したんだって、なぜ早く教えてくれないんだよ」
 心にもないことを言うスネ夫。
 「悪い悪い、この次からちゃんと電話するよ」

 店に集まるときは笑顔ですが、レコードを手に去っていく少年少女たちの顔には、一様に苦渋がにじみ出ています。

心の友 義務購入 -.png


 爆発的売れ行きに目頭を熱くし、これで当分町中から「乙女の愛の夢」が流れるはずだと期待していたジャイアンでしたが、おもてを歩いていても一向に聞こえてきません。
 
 出くわしたスネ夫に、レコードを聴いたか尋ねてみました。

「聴いたとも!レコードがすり切れるほど繰り返し繰り返し……」
「じゃあ、はじめのとこちょっと歌ってみろ」
「え〜(汗)」

心の友 レコードが擦り切れる -.png

 思い切り殴り倒されたスネ夫、傷だらけあざだらけ、前髪もヨレヨレの痛ましい姿で、「乙女の愛の夢」の「ホゲ〜〜」を再生させられます。
「もっとボリューム上げろ」
 窓の外から満足げに指示するジャイアン。

心の友 ボリュームあげろ -.png



 「おお、大ヒットしている」
 スネ夫の惨劇が知れ渡ったのか、家々から「ホゲ〜」と流れてくるジャイアンの歌声。
 流れてくる自分の歌声に、ジャイアンは喜びをかみしめます。

心の友 大ヒット -.png



 「心の友よ、きょうだいよ。このぶんならNHKの紅白出場も夢じゃない」

 道で会ったジャイアンに眼に涙を浮かべて感謝されたのび太、親切にして良かったと思いましたが、家への道すがら、子供たちに遭遇します。

 「やあ、みんな。ど、どうしたの、怖い顔して……」



 「ドラえもん、爆弾を二十個出してくれえ」
 レコード被害に遭った子供たちから、元凶として制裁を加えられたのび太が、傷だらけで泣きながら帰宅し、提案が裏目に出て浮かない顔をするドラえもんに出迎えられました。

(完)



 「復讐は復讐を呼ぶだけ、悪意に親切を返せばいつか真心は通じる」

 ドラえもんの聖者のような美しい理想主義は、ジャイアンの歌の破壊力と、子供たちの間にあった厳然たる序列の前に無残に敗れ去りました。

 親切なだけでは生き残れない世間のままならなさの縮図のような、哀しい作品です。(笑えるけど)



 「乙女の愛の夢(ノビタレコード)」と販促ポスターの絵的インパクトと、「ばったりと人どおりがなくなったのはどういうわけだ」というジャイアンの「3」唇、レコードを買わされた少年少女たちの表情、聴いていないことをごまかそうとしたスネ夫に起きた惨劇が秀逸な回です。

 コミックス11巻は、この他にも「Yロウ作戦」「からだの部品とりかえっこ」などウィットに富んだ名作が読めますので、是非ご覧になってください。

 読んでくださってありがとうございました。


posted by Palum. at 18:35| ドラえもん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

BSジャパン「美の巨人たち」に「オフィーリア」(ジョン・エヴァレット・ミレイ作)登場

 取り急ぎご連絡まで。

 2018年3月21日(水)23時〜23時半、BSジャパンの「美の巨人たち」でラファエル前派の最高傑作「オフィーリア」が特集されるそうです。

オフィーリア.jpg

 この作品に関連する記事を当ブログでいくつか書かせていただきましたので、よろしければ番組ご鑑賞のお供になさってください。

 ・ミレイの「オフィーリア」と夏目漱石の『草枕』

 ・オフィーリア(ミレイ作)

 ・エリザベス・シダル(「ラファエル前派展」「オフィーリア」と「ベアタ・ベアトリクス」について)
 ※「オフィーリア」のモデルになった女性の生涯についての記事

 ・「ラファエル前派展」おススメ絵画2ミレイ作「釈放令」
 ※ミレイの作品と、ミレイと妻エフィの関係についての記事


 
posted by Palum. at 00:13| 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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